喜左右衛門井戸を至近距離で拝見す〜松江月照寺・不昧公記念茶会 - 2018.05.30 Wed
3歳児のころ来て以来、くることもなかった松江の地を久々に踏んだのは3月の枕流会茶会であったが、今年2回も行くことになろうとは、想像もしなかった。
前泊して眺める宍道湖サンセット
島根県立美術館から眺める朝の宍道湖
今回は、孤篷庵とご縁の深い遠州流のH先生と、孤篷庵の和尚様主催の松平不昧公没後200年記念茶会に出席するためである。
場所は雲州松平家菩提寺である月照寺、当然不昧公もここに眠っておられれ、ゆかりの茶会にふさわしい。
ご存じのように不昧公は小堀遠州を尊敬しており、遠州が建立した孤篷庵(大徳寺)が焼失したとき、それを再建された方、孤篷庵との関わりは深いのである。
しかも、かの国宝・喜左右衛門井戸茶碗は不昧公が所持し、その死後、孤篷庵に寄進されたという茶碗である。(所持者を次々に不幸に陥れる、という伝説もあったが、今では孤篷庵ですっかりおとなしくしているもよう(^_^;)
(境内にある、不昧公ご愛用の名水)
今回、孤篷庵の和尚様がこの喜左右衛門井戸を松江までお持ち下さり、茶会参席者に見せてくださるという、なんとなんとありがたい企画。
もちろん、この茶碗はなんども美術館で見ているし、今年にはいっても京都国博の国宝展で拝見したのだが、さてガラスの隔たり無し、至近距離の喜左右衛門はどのように見えるのだろうか。
(歴代の藩主が眠る広い境内にある不昧公・大圓菴の御墓所)
まずは濃茶席
H先生のお点前、和尚様の半東で、本席の軸がなんと不昧公16〜17歳のときの一行「江聲夜聴潮」。高校生くらいの歳でこんなん書けるのか〜、、、
花入が朝鮮古銅、中国の端整な古銅にくらべゆるくて、ちょっとひょうげたモダンなもの、生けられた花が牡丹、松江の牡丹の名所大根島から。この日に合わせるのに咲き具合にとても苦労されたよし。ほんのり先端がピンクにそまった蕾がみずみずしかった。
茶入がまた強い印象をのこす「転合庵手」、全体も、ついている耳もごつくて一度見たら忘れない。
転合庵は現在東京国博の庭園に移築されているが,遠州が桂宮智仁親王から拝領の茶入「於大名(おだいみょう)」を披露するために作った茶室、そのときの茶入を転合庵手という。もちろん不昧公の箱で銘を「万石」。
(月照寺書院庭園)
主茶碗の堅手がすっかり熊川にみえる逸品で不昧公の銘「卯の花」
茶杓が藩祖・松平直政作、不昧の追い筒にして銘を「千と勢」
、、、、と不昧公づくし、さすがゆかりの孤篷庵。
ちなみに藩祖直政は家康の次男・結城秀康のご子息だったのね。
濃茶が終わると同じ座敷で、いよいよ貴左右衛門様御出座!
今回、茶碗を守る五重の箱(一つは失われ現在は4箱)のうち3箱といっしょにご来雲、箱も拝見する。
「本多能登守忠義後所持 船越伊予(でた!)添状 いとちやわん」
「、、、(中略)中村宗雪求所持、、、(略)塘氏為家蔵、、、、」
最後にふかふかの紫のお布団にくるまれた喜左右衛門井戸が!
さすがに手にとることはできなかったが、和尚様が手の中でくるくると弄されるのを目の前で見ると、なんというか、いままで私が見てきた美術館での喜左右衛門は一体なんだったのだろう、ということ。
座敷の中で、人の手の中でみるとサイズ感が全然違う。色もいわゆる枇杷色と納得していた色なのに、これも脳内イメージとかなり違う。
高台の裏までびっしりと梅花皮があり、なにより内側を深く深く削ったため、高台の中にまで削りこんだ底の薄さがはっきりわかった。底に当てた指を内側からさわれるような感触と和尚様はおっしゃる。この深さが井戸=wellのゆえんといわれて納得できるのだ。
荒々しくて、朝鮮半島では雑器であった、かたぶいた茶碗というイメージはどこから来たのだろう、目の前の喜左右衛門はむしろ優美でなんと品格のある茶碗であろうか。わかったつもりでいた自分を深く恥じる。
(不昧公の父・宗衍の墓所)
喜左右衛門を拝見した印象があまりに強くて、薄茶席はちょっと記憶がとんでいる(^_^;
花入が不昧公お手作りの竹、釜がこのたび孤篷庵内に復元完成したところの大圓菴什器・手取釜(ちなみに大圓菴は不昧公の戒名 「院」号を用いられなかっためずらしい戒名)
水指がご当地楽山焼、楽山窯5代=不昧公の時代のもの。
香合が荘子香合を塗り物に写したもので、松枝不入(不昧公と知己を得ながら松江には一度もこなかったので不入の名を拝領したとか)
薄器が時代の紫陽花蒔絵、茶杓が遠州の孫にあたる小堀政恒、歌銘付き。
主茶碗が、小ぶりなちょっと粉引っぽい三島、そう、二徳三島によく似た感じで、あれよかったな〜。不昧の箱で「芦垣」
いまひとつが斗々屋、ねっとりした土の具合が特徴なんだろうけれど、私はいまだに蕎麦と斗々屋の区別があまりつかない。伊羅保もまじろうものならお手上げ〜。
かくして興奮の不昧公づくし、喜左右衛門にノックアウトの茶会は終了したのである。
そのあとは少し気が緩んで楽しく点心をいただく。京都から日帰りでおつきあいしてくれたMKちゃんともおしゃべりがはずむ。
煮物椀の、このぷちぷちっとしたもの、これが宍道湖七珍味のひとつ、海藤花(かいとうげ)。マダコの卵で確かに藤の花房に似ているわな。松江らしい珍しい物をいただいた。
月照寺はほとんど山一つが境内である。歴代雲州公が眠る中、不昧公のたっての希望であったかどうか、その墓所からは松江城がよく見える。そして松江市も,墓所と城の間に高い建物をたてないことにしているという。茶人としてだけでなく、藩の財政改革に辣腕をふるった不昧公は、今も松江の人々に愛されているお殿様なのだなあ。
<余談>
ちょっと面白い不昧公紹介動画貼ってみる(^_^;
皐月雑記2018・2 - 2018.05.28 Mon
梅田阪急でワールドティーフェスティバル

世界のお茶が買えたり、テイスティングできたり、で大人気、すごい人出だった。お気に入りのフランスのクスミティーもあった(*^_^*)
まさに世界各国のお茶なのだが、やはり英国紅茶がメイン。日本茶は日本製の紅茶であって、緑茶は残念ながらなかったようだ。
今回はいつもお邪魔している中国茶の銀月サロンさんが初参加、とのことでそのブースをのぞきに。
デモンストレーションのミニ茶会もされていたので2種の中国茶をいただく。それにしてもすごいたくさんのお客さんが来られていてびっくりした。
鳳凰単叢蜜桃香というお茶(缶入り)を購入。香りがすごくいいの。そして銀月さんとチョコレートのエクチュアさんコラボの、烏龍茶とジャスミンティーのチョコ。これがまた美味しかったo(^▽^)o
お茶と言えば、やっぱり鴨茶!
為さんもお忙しくて、今年2回目の久々の鴨茶となる。
夕刻、北大路橋の例の場所にうかがう。
黄昏せまるころ、アイス抹茶をいただいて、けっこう長い間いろんな話をした。先客のまだ10代の学生さんも話しに加わって、あれこれと。何を話したかより話ができるこの空間とほどよい距離感の関係が楽しいのかも。
鴨川の空には六日の月
複雑な空の色。美術を学ぶ学生さんは、絵の具の色のあれとこれとそれと、、、、という表現をした。
大徳寺玉林院で仏師の樋口尚鴻さんの個展。
いつもは黑谷さんの西翁院(淀看席のあるところ)でされるのだが、今年は境内の長い廊下を使いたくてこちらで展示されたとか。
そのテーマは浄土宗でいう「二河白道(にがびゃくどう)」
此岸と彼岸の間に白い線が引かれ、その右には水の河、左には火の河、どっちにころんでもあぶないよね。彼岸では阿弥陀様、観音菩薩、勢至菩薩が死者を「来たれ」と招き、此岸ではお釈迦様が「逝け」と送る。一心にこの白い道をゆけば無事極楽浄土へたどり着く。死に旅立つことは恐くないよ、とのたとえか。
その世界観が長い寺院の廊下に樋口さんの可愛い仏様たちで再現されていた。浄土への道を先導する音楽隊はさらに「浄土へわたることはこわくないよ」とさそうようだ。
それにしてもよいお顔をしている仏様や菩薩さまたち。
こちらは銀閣寺参道手前にある白沙村荘。日本画家・橋本関雪の旧宅。広い庭園に関雪がアトリエとしていた存古楼がある。

こちらで顔なじみの若い作家さんたちのグループ展はもう3回目だったかな。
春秋遊会 開催されるたびにグレードアップされている。
陶芸、日本画、仏像彫刻、染色、皮革、漆芸、そして茶席!
すでに十分活躍している人もいればこれから期待できる人も。毎回期待している。
週末には、庭園内に散在する茶室の一つ、ここ(倚翠亭)で茶会も開かれる。今回はちょっといけなかったが、、、
JR京都駅から徒歩5分、うわさの崇仁新町に寄ってみた。
30軒ほどの屋台が店をつらねる屋台村。この日は平日の昼間だったのでちょっと閉まっているお店が多くて残念。
地区の活性化という目的もあって数年後にここに京都市立芸大が移転するのだ。その建築中の合間を縫うように空いているエリアで期間限定の屋台村を作る、というコンセプトだそうだ。
イベントなどもひらかれているようだが、この日は閑散としていて残念。
まあ、どちらかといえば若者向きですね。
あ!フリーペーパーの只本やさんまである。
他にもお馴染みのピニョ食堂とか、他に店舗がちゃんとあって、ここにちょっと出店している、という屋台が多いかな。
期間限定というのがさらにそそりますね。
夕方にビールなんかのんでおつまみ食べて、というスタイルが似合いそうな場所であります。
「お菓子はいつでもたのしい」山水會20周年記念展覧会 - 2018.05.23 Wed

烏丸御池のしまだいギャラリー、嶋臺という酒を江戸時代から商ってきた商家で、現在の建物は明治16年のもの。現在はギャラリーとして使われています。
今回、こちらで山水會20周年記念の和菓子の展覧会、その名も「お菓子はいつでもたのしい」。
山水會は京都の老舗和菓子店の若主人たちが集まって,一緒に和菓子だけでなくいろんなことを学ぼう、という趣旨で結成されたそうです。和菓子の原料の産地を訪ねたり、さまざまな伝統工芸を体験したり、能の講演や包装材についての勉強会などなど。
当初4店で始まった会も現在では9店になっているそうです。
鍵善良房(くづきりが有名)、二條若狭屋(焼き栗とか 私的には寺町店のかき氷!)、千本玉寿軒(京都和菓子の会でよくいだだきました)、亀屋良永(御池煎餅!)、亀屋良長(SOU-SOUとコラボのポップな和菓子!)、塩芳軒(西陣といえばここ!)、笹屋春信(上桂なのでちょっとなじみがない)、船屋秋月(宇多野のほうなのでここもちょっとなじみなし)、小堀日之出堂(福井県なのでさらになじみなし)

今回の展示は器もコラボで、各方面の作家さんの作品が使われていたのが楽しかったです。
これはガラス作家さんの器とのコラボ。
器にぴったりあわせた創作菓子は見所一杯、和菓子世界はほんまに楽しい。しかも京菓子の特徴でもある、想像する余白を残すところがさらにいいですね。
亀屋良永さんと京都和菓子の会主幹の中川典子さんの本業(銘木師)であるところの千本銘木・酢屋さんの器との共演。
たまたま典子さんが会場の茶席におられたところに行きあわせ、一緒に亀屋良永さんの貴重なお話しを聞くことができたのはうれしかったです。
水の表現を、この盆に合う形で生砂糖で作られた苦労など。夜桜、白川、柳(緑の蜜掛け)の影のぼんぼり、、、この春の白川の夜桜の景色が目に浮かぶようです。
緑釉のお皿に葛饅頭は「大文字」
送り火のイメージがさっとわき上がってきます。
あんこをなめただけで、どこの京菓子屋さんのものかわかる、という典子さんにいわせると、例えば水の表現でも,塩芳軒さんならこんな形を作るだろう、良永さんならこうだろう、と想像がつくそうですよ。和菓子のお話しはあいかわらずマニアックで面白く、さながらミニ和菓子の会みたいになって楽しかった。
シンプルで印象を強く残すスタイリッシュなお菓子はその塩芳軒さん、器はそれにぴったりマッチのかみ添さんの唐紙。
この器もガラス作家さんのもの。みかんと生砂糖の椿、師走の光景です。
和菓子が好きな友人が多いので、みんなFBこの展示に行った記事を書いているのですが、アップされた和菓子はだいたい傾向があって、人気度がわかるようです(^_^;
器は錫の清課堂さんのだったかな、この吹き寄せ錦玉もすてき。10年近く前になるけれど、和菓子の会にはじめて参加したときにでてきた和菓子が、末富さんのボタンがいっぱいちらばった錦玉であったのを思い出すわ。
他にもアップしきれないほどたくさんの美しい和菓子の世界がありました。いずれも今回の展示に合わせたオリジナルでお店でもとめられないのが残念です。
またトークイベントもあって興味津々だったのですが時間があわず断念、これも残念でした。
和菓子は全国に美味しい物がたくさんあるのは知っていますが、味も、見た目の美しさも、意匠の余白なども、やはり京菓子が一番だと思うのです。そんな京菓子の老舗の若い当代が、現状に甘んじることなく、切磋琢磨されておられる成果を拝見できて、京菓子の未来はますます明るいと思いました。
和菓子とあんこ(こしあん限定)を限りなく愛する私としてはまことに喜ばしい限りです。
ちなみに会場の茶席で抹茶を提供されてるのが、愛用しているところの大徳寺・皐盧庵茶舗さんだったのが、またうれしい。(亀屋良永さんのお友達なんだそうです。)
「春日大社のすべて」展・奈良国立博物館〜「聖域」展・春日大社国宝殿 - 2018.05.21 Mon
奈良国立博物館で開催中の「春日大社のすべて」

768年、中臣氏(のちの藤原氏)の氏神様として創建された春日大社は、藤原氏絶頂期の平安時代,多くの宝物の寄進を受けたため、「平安の正倉院」といわれるお宝の宝庫となった。
(博物館前の氷室神社 すでに睡蓮が咲いていた)
なにしろ国宝やら重文やらがごろごろ、正倉院展にも劣らない展示物に頭がくらくらするほどである。
博物館のポスターを見るに、あれ?どこかで見たような、、、、
と、思って入館するとまずこの鹿がど〜ん!と。(けっこう大きいのよ)
あ!これ!
主祭神である武甕槌命(タケミカヅチのみこと)がはるか常陸国鹿島から白鹿にのって三笠山に降り立ったという由来をしめす春日神鹿御正体。春日鹿曼荼羅はいくつも描かれ像にもなっているが、これはうちのご近所の細見美術館に常時展示されている鹿さんではありませんか!
細見の館長さんによると、春日大社から「そろそろ返してくれませんかねえ、、」と言われているという、、、(^_^; (ちなみにこれはかつて細見古香庵さんが正規にゲットされたもの)
御神宝は螺鈿や蒔絵で彩られた調度品から、太刀、鎧兜まで、美しく、さらにその技術の高さに感動する。時代が正倉院から少し下ったこともあって、異国風は姿を消し大和風の雅なものが多い。
だれが奉納したのか、という記録も残っていて、かの悪左府として名高い藤原頼長とか,鳥羽上皇とか、平家物語でお馴染みの名前がでてきてうれしくなる。
そういえば頼朝が寄贈したとおぼしきでっかい鼉太鼓があって、これが比較的最近まで、700年にわたって使用されてきた(雅楽の時に)というのにも感動。
(博物館庭園 茶室・八窓庵)
鹿曼荼羅も多いが、武甕槌命がなぜ鹿島からわざわざ来たのか???鹿島と中臣氏の関わりは???というルーツはいまだにわかっていない、というのもロマンがある。
春日曼荼羅も非常にたくさんあって、これは春日大社の全景を俯瞰したマップのようになっている。
13世紀、鎌倉時代の重文・曼荼羅を、奈良では町の自治会が所蔵してたりするから油断ならない。
曼荼羅で学習したのは、春日大社本殿では四神(さきの武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神)をまとめて春日神と呼んでおり、それぞれ本地が釈迦、薬師、地蔵、十一面観音であるということ。春日若宮御祭で有名な若宮(比売神の子供)は少しはなれたところにあって、本地が文殊なんだそうだ。しらなんだな〜。
博物館をあとにして、ならまちを散策しつつランチへ。
ここへくるとなんとなくいつも入ってしまうカナカナさん。
カナカナランチをいただいて、エネルギー補給完了!
次はいよいよ本丸・春日大社へ、、、、ではなくて、、、
参道の途中、万葉植物園の裏手にある春日大社国宝殿
2年前の本殿造替(春日大社は遷宮はしない)記念行事の一環として宝物殿をリニューアルした建物、今回初めておとずれてみた。
1Fは真っ暗な中、水や細い金属ワイヤを使ったインスタレーション、これはなかなか癒される。
12月の若宮おん祭御旅所祭(昨年寒さに震えながら見たよ〜)で実際に使われる左方、右方の鼉太鼓はここに安置されているのか。あれは腹に響くような音が出る。
展示室は2F、こぢんまりとして広くはないが、博物館で一部展示されていた春日本・春日権現記(江戸時代に描かれた縁起絵巻)をもっとたくさん見ることができてよかった。この絵巻では、主祭神武甕槌命は衣冠束帯姿で顔が描かれていない(顔がかくれるポジションで描かれている)。畏れ多いということか。
奈良へ来れば、観光客はまず東大寺と春日大社はマストであり、何回も春日大社はお参りしているにもかかわらず、あまり知識がなかったわ。今回ちょっと勉強できて、またお参りすれば感じ方もかわるやも。(ちなみにそのあと樫舎へいったので、この日はお参りせず〜〜(^_^;)
ならまち樫舎の和菓子フルコース - 2018.05.19 Sat
奈良国立博物館へ「国宝・春日大社のすべて」展で春日大社の秘宝を堪能した後、以前からなかなか予定が合わず行けなかった和菓子のフルコースにやっと行けました〜♪

ならまち元興寺の近く樫舎さん。
奈良へ来たとき3回に1回はいっているかな、二階のカフェへ。(かき氷も美味しいし)
でもカウンター席での和菓子フルコースは予約が必要。
店先はこんな感じ、左手に見えている階段箪笥は薬師寺の故・高田好胤師が愛用されていた物だったとか。薬師寺とはご縁が深く、薬師寺でしか買えない葛の和三盆、「白鳳の飛天」(これも大好き!)は樫舎さんが作られています。
まずは冷えた煎茶にその白鳳の飛天と同じタイプの鹿の和三盆
お盆や器はすべてこのフルコース用の特注品
一般的な落雁は寒梅粉がはいったり、口の中がもそもそするのだけれど、樫舎さんはそれはかさを増やすためのもので、接着剤としての役割はない、ときっぱり。
砂糖と、上質の葛粉だけで落雁は固まるし、口溶けもよいのだと。だから白鳳の飛天、うまいのね。
ただ、100個単位だと問題ないが、1000個作るとなぜか美味くできないという。それを調べるために工業試験場まで行って電顕写真までとったそうです。結果、どうしてもたくさん作っている間に粉が摩擦熱に曝され質がおちるのだと。なんと和菓子も科学ですね。樫舎さんきっと理系。
コースの次はきんとんだが、先にわらび餅を作って、冷ましておく。
みせてもらった、これが本わらび粉。よくスーパーで売っているのは甘藷のデンプンなんで、この農家指定特注で入手されている本わらび粉は値段10倍くらい違うらしい。
かつて和菓子屋さんで修行をされていたとき、わらび粉は火にかけて15分練れ!と教わったそうだが、ご自分で疑問を感じてあれこれ試した結果、数分で上等、それ以上練るとわらびの風味が飛んでしまうと気づかれたそうだ。
で、目の前で練り上げたわらび餅をヘラの上にのせる。この段階で100℃以上(砂糖による沸点上昇、あ、やっぱり理系?)、きな粉の上に落としてく。
こしあんの玉をわらび餅の中にしこむ頃には60℃くらいだとか。でも普通は熱い!という温度だよね。ここでもあんこと水の比率で感じる甘さは逆説的にかわる、というお話しも聞く。
さて、わらび餅が冷めるあいだ、きんとんを。
この白餡が白小豆!
普通の白餡はほとんどが手亡豆(てぼうまめ)で、白小豆というのはめったにお目にかかれない。京都の和菓子のお店でも白小豆だけで白餡を使ってるところは5軒しかないという。
これは岡山産の白小豆で、この農家さんが作らなくなったらどうしよう、、というシロモノらしい。
ここでも、和菓子の材料と成る農家が作るものが以下に大切か、農家をいかに大切にしないといけないか、ということを力説。
馬の毛を使ったきんとん篩いは一番大きなメッシュでもこの細かさ。きんとんはもちろんつくね芋、しかも冷凍ではなくて数年寝かせたものだとおっしゃる。
上に「ダイヤモンドカット(^_^;」の寒天を露のようにのせて完成!
銀朱の椿皿にのせて
和菓子は横からの光でみるのが美しい、、、とわざわざ電灯を消してくださったので、自然光で撮影。なんと繊細で美しい。どんな洋菓子より日本人好みの美しさ。つくね芋の味がほんとにしつこくなく美味しい。
これは抹茶でいただいた。
さて、先ほど作ってさましておいたわらび餅に仕上げのきな粉をかける。
このお皿も練行衆盆のミニチュアみたいできれいだなあ。
これもふたたび電灯を消して
わらび餅のテクスチュアがもう普通のわらび餅とは別物!ねばるねばる。
これはケニア産のこだわりの豆、入れ方でいれたもの、といっしょにいただく。カップは赤膚焼きの大塩正人さんの奈良絵、特注品。(写真ないけど)
最後のメインディッシュが最中
目の前で粒あんを皮にしこんで皿に載せる間も惜しんで手渡し。
なぜかというと、一秒でも食べるまでに時間がかかると餡の水分が皮にしみてくるから。
写真をとるのもそこそこに口にほおばった。
普通和菓子をこれだけいただいたら、ちょっと胸わるくなるのに、最後までまったくそんなことはなく、するっと食べられた。この上品な甘さはなんだろう。
最中にはほうじ茶
左のミニチュア馬上杯は一煎目、右手の筒状が二煎目、いずれの杯もコーヒーカップと同じく正人窯の特注品。(馬上杯は正人窯で売っているそうなのでゲットしたい)
一煎目では香りを楽しみ、二煎目で味を楽しむ。この茶葉もまた上等なものだろう。
くりかえし、くりかえし、樫舎さんがおっしゃるのは、和菓子職人は砂糖と小豆+αのごく数種類の材料を手間をそれほど掛けずに作る単純な仕事であり、出来上がった和菓子の9割は、その材料を作った農家さんの手柄である、と。なのに社会的地位はそれにつりあっていない。だから後継者も育たない、もっと農家を大切にしなければ、農家こそが日本伝統文化をささえてくれるものだ、ということ。
その熱い思いは確かに伝わりましたよ。
茶道資料館「むしあげ」〜紫野界隈のお店など - 2018.05.17 Thu
茶道資料館では今季「虫明(むしあげ)〜岡山に花開いた京の焼物」展
これは岡山出身者としては行かねばなるまい。

しかし、岡山に虫明(むしあけ)という地名もあるし、虫明(むしあけ)さんという姓もあるのだが、なぜ「むしあげ」とにごるようになったのか?謎だ。
虫明焼といえば、私がすぐに思いつくのは灰色〜肌色の細水指で鉄絵のあるものだが、実はすごく多彩な焼物だったようだ。
幕末明治の裏千家家元・玄々斎と親交のあった、岡山藩の主席家老・伊木三猿斎(1818~1886)が虫明の邸内に開いたお庭焼といわれる。
清風与平(仁阿弥道八に師事)、真葛香山など京焼の名工を招聘して作らせた物の他、三猿斎自身が作った物も多い。

三猿斎の写真。なかなか男前。
はずかしながら、岡山で育ったのに三猿斎の名前は当時かすったこともなかった。(お茶に全然興味なかったからね)
初代清風与平が虫明焼として作った物は、金襴手や染付、ほとんど京焼といっていいものが多かったのね。虫明のイメージとずいぶんちがう。というか、京都の粟田焼、奈良赤膚焼の木白もそうだが、多彩すぎて特徴がつかめない感じ。後期作品になってようやく私のイメージする虫明焼になる。
それにしても清風の染付はホツなどもあって、どうみても古染にしか見えないのがコワイ。
有名なのがこれ
三島写し釣瓶水指。これは渋くていいな〜。
玄々斎が少庵250年忌の茶会をもよおすにあたって少庵所持の三島水指を写し300個つくらせた虫明焼。これ、高麗物の写しが抜群にうまい全日根さんも写していたような気がする。蓋が一閑と宗哲の二通りあるんだそうだ。
ポスターにもなっている引舟水指はこれも花三島写しで、楽了入の引舟香合、備前の引舟水指と並べて展示してあるのが興味深かった。どちらかというと私はやっぱり備前の方が好きかな〜。
三猿斎は備前や伊賀なんかも自分で作っていて、この方も多才な人だったんだ。
真葛が作った茶碗はお馴染みの虫明、という感じで色が萩焼と粉青の間くらい、鉄の絵付けが多種あるが、氷裂紋が印象的でよかった。
ちなみに私が母から譲り受けた虫明焼の茶碗は、虫明が伊木家の庇護を失って廃窯になった後に復興されたもので、黒井一楽さんのもの。色はもっと翡翠色にちかく、このイメージが虫明と思っていたので,今回、もっと多彩であることを学んだ。
さて、茶道資料館のある紫明通りからはじまる(西)鞍馬口通りは個性的なカフェや食堂やお店がならぶ大好きな通りなのだ。
この日のランチはちょっと資料館からあるくけれど千本通り手前の旅する定食・やまゆう堂さん。
隔週代わりで世界の料理を定食にしているそうですよ。
この日はベトナムランチ
どでかいライスペーパー春巻きと、、、
牛肉のフォー
パクチーたっぷりで多幸感(パクチーで瞬間トリップできる)、美味しかった!
このあたりは西陣の一角になるのかな、細いろうじにはまだまだ町家が軒をつらね、観光客はまずこない。あちこちで織機の音も聞こえる。
デザートは、楽美術館の近くから昨年紫野に移転してきはったブックカフェことばのはおとさんで。暖簾に手招きする黒にゃんこがいるごとく、ここのオーナーさんは大の猫好き。
いつか評判の「にゃんこパフェ」を食べたいとねらっているのだが、なかなかハードル高い。(数量限定)
あ!珈琲に福だるま!
もちろんブックカフェなので、読書をしながらの長居もゆるされるかも。
似た雰囲気で好きだった北野天満宮近くのひだまりさんがなくなってしまったのが残念だったので、ここが資料館の近くに移転してくれてほんとうれしい。
近く、紫野には、能好きな方にはぴんとくる「雲林院」もありますよ。
藤咲く松も紫乃(紫野) 藤咲く松もむらさきの 雲の林を尋ねん (謡曲「雲林院」)
国芳の金魚を見に大阪市立美術館へ〜旧住友家本邸・慶沢園 - 2018.05.15 Tue
雑誌を読んでいたら、、、、

国芳のこの金魚、何度も見ているはずなのに、まじまじと見ると、うぷぷぷ、、、、(^艸^)
尻びれが足なのはわかるが、なぜ尾びれをほっかぶりに使う(^_^;
そいうえば、大阪市立美術館で「江戸の戯画展」やってて、国芳の金魚全9図が見られるんじゃなかったっけ。
というわけで、仕事(大阪)がえりにひとっ走り天王寺へ。
久々の天王寺、駅前商店街はあまりかわらんが、天王寺公園はアプローチがえらいきれいに整備されてた。
「江戸の戯画展」
江戸も中期から末期、太平の世が続いたせいか、人々を笑わせるような戯画がたくさん描かれ、これらは今でも見るとクスクス笑いをさそわずにはいられない。
笑えるもの、ちょっとお下品なもの、でもこれ現代の人が描いたといわれてもわからないと思うよ。笑いのセンスは案外昔からかわらないのかもしれないね。
はじまりは17世紀の鳥羽絵、そして生没年不明の耳鳥斎の漫画、この2種は大阪を中心にしたものであったから、お笑いはやはり歴史的にも大阪やねんな。
その後北斎漫画、河鍋暁斎につながる流れでけっこう貴重な絵のオンパレードだったが、やっぱり私の目的は国芳の金魚!
国芳と言えば、猫シリーズもここ、大阪市美で昔やってたので堪能したが、とりあえず今回は金魚!
散逸した物もあると思われるが、現在確認されている「金魚づくし」は全部で9図、一つの部屋に一堂に会した。
「ぼんぼん」・・お盆の時期にこどもたちが「ぼんぼん」と言いながら町を流した風習から
柳ならぬ水草が垂れている下を団扇ならぬすくい網を持って。なぜか金魚に手をひかれているのがオタマジャクシの団扇をもったカエル
心いたく惹かれた「にはかあめんぼう」では、水の中では雨は降らないがアメンボウがふる(^_^;)やっぱりおかしいや、この尻尾でほっかむりの金魚!
「すさのおのみこと」・・ウナギをヤマタノオロチに見立てて湯飲みを酒樽に
「玉や玉や」・・水中でシャボン玉?を売る金魚 腰に紐を巻いて尻びれをはしょっているのがなんとも。
「さらいとんび」・・1匹の金魚がなにかをさらって飛んでいくのを啞然と見送る金魚たち そばの屋台とおぼしき店の提灯が「みじんこ」とか「赤ぼうふら」とか金魚の好物ばかり
ホルダーケースになっているのは「いかだのり」
これがまた萌える〜♪ だって尾びれを紐でたくし上げているんだよ〜(^∇^)
「まとい」は纏、水草とすくい網で作った纏をもって火消しをまねる金魚たち
「酒のざしき」・・すくい網を三味線に、浮き草や梅花藻の花をもっておどる芸者金魚に杯にかぶりついて酒を飲むお大尽金魚、この子がまた酔眼で笑える。酒のアテはもちろん赤ボウフラ!
最後に「百物語」・・怪談を百話語り終えたとろこで怪異が起こるというが、金魚の場合は猫が金魚鉢をねらって現れるというオチ。
ああ、やっぱり国芳最高!(猫好きなとこも最高!)
実は10図目があるのではないかと言われていて、上方でみつかった絵師不明の金魚の「けんじゅつ(剣術)」というのが国芳の写しではないかといわれているそうだ。ただ、この絵、尾びれが足になっている点で国芳とちがうような気がする。国芳のは尻びれが足だからね。
国芳の金魚を堪能して満足した後はすぐおとなりの慶沢園へ
大正7年に住友家の本邸庭園として作られたが、その後本宅を神戸に移すに当たり大正15年に大阪市へ寄贈したもの。現在管理は大阪市なので、150円で入れる天王寺というごちゃごちゃした町の中のオアシスなのよ。
池泉回遊式、、、とくればそう、かの7代小川治兵衛さんの作。
池にはもう睡蓮が咲いていた。
四阿から池をのぞむ、、、
だれがここが天王寺のど真ん中と思うだろうか。
背景を見たら納得だけれど、、、(^_^;
野鳥も水鳥もやってくるからすごい。繰り返すがここ、天王寺駅のすぐそばなの。
それにしても庭園の中の石はどれもこれも巨石だらけで、あの時代の近代数寄者の好みと財力を思い知らされる。
3代木津宗詮が作った長生庵という茶室もあるが、ここは有料貸し出しだれているそうだ。
この池の中に、もしかしたら国芳のような金魚ワールドがあるかもしれない、と思うと楽しい。
皐月雑記2018 - 2018.05.13 Sun
とっくに過ぎちゃいましたけどね、みなさまGWはいかがおすごしでしたか。私は諸事情にて、GW後半以降は遠出もできず京都市内をうろうろ、そんな雑記です。
上賀茂の好きな景色
社家のある明神川沿いの道がゆるやかに曲がるところ、上賀茂神社境外末社・藤木社の大クスノキ

そこをさらに東へ行けば、カキツバタ群生地で有名な大田ノ沢
今年は久々に見にやってきた。
若干盛りは過ぎたのか、今年はややつきがわるいのか、花数が少ない印象だが、それでも美しい。平安の昔から、歌にもよまれたカキツバタの名所
「神山(こうやま)や 大田の沢の かきつばた 深きたのみは 色にみゆらむ」 (藤原俊成)
沢のそばに立つ大田神社はただいま本殿改修中
御祭神はなんとあの天宇受賣命さまだったのね。
近衛通り、学生時代ここのレストランでBランチをちょっと奮発してよく食べたっけ、、、の楽友会館。
建物は大正14年完成のスパニッシュ様式、京大創立25周年記念に建てられた施設で、会議室なんかもある。
このレトロ感がたまらんのよ。
入り口の受付もレトロ感満載なのでお近くへおいでの際はのぞいてみてください。
レストランの方は次々経営陣が代わって、つい最近新しい「近衞Latin」になったところ。でも雰囲気は当時とあまりかわらない。あのころはウエイトレスのお姉さんの衣裳もちょっとレトロだったんだ。
残念ながら、値段設定はちょっと学生には苦しいことになっているけれどね(^_^;
烏丸高辻東側の平等寺、因幡薬師の方が通りがいい。
離縁したはずの妻に、因幡堂でそれと知らずまた求婚してしまうという大酒飲みの男の話の狂言「因幡堂」の舞台でもある。
ここでは最近毎月8日に手作り市がおこなわれるようになったらしい。まだ出店の数は少ないが、地元の人たちがけっこう来てはるよ。手作りパンとか、美味しそうだった。
そのすぐそばにあるのが、木と根さん。
作家物の雑貨にカフェ、全日根さんの陶硯をもとめたのもここであったし、そのテイストがけっこう好き。(川口美術さんとも仲良いし)
奥には少人数しかはいれないカフェ、ここのかき氷がまた名物なのだが、6月からだって。(年に1回洛北の花屋みたてさんで食べられるイベントがある)
この雰囲気好き
この日は平日の雨だったので、ゆるゆる座れた。
なんとまあ、梅園さんの羊羹がここでいただけるとは!
うめぞのセット
選んだのはレモンと醤油の羊羹、美味しかった〜(^-^)
そしてここで入手できる御菓子丸さんの「鉱物の実」(琥珀)もゲットできました。
GW中、こんなことも。
まもなく生まれるはずの孫3号のためにちくちく作ったベビーキルト。1号2号にもそれぞれ縫ったし、今回は早めにスタートしたので一番気合いはいってるかもな〜。
大徳寺の北、しらなければ通り過ぎちゃう、お酒と和菓子とお茶のお店、狐庵。
お店は昨年本格始動したらしいが、以前ちょっとご縁があって、やっと来ることができた。
なんと楓の板(3枚継いだらしい)のカウンターがすごい。
椅子もないわけではないが、お客さんはカウンターで立ち飲みスタイルでおしゃべりしながらくつろぐ。まさにBarって感じがここちよい。
室礼も器も高価な物ではないのに、すごくセンスがあってとってもすてきだ。どう見ても有次かどこかの銅のお盆に見えた物が実は、、、w(゚o゚)w(是非行って確かめてね)とか。
今日は車だったので、涙をのんでお酒をあきらめ台湾の烏龍茶を選択、お菓子はここの近くの聚洸さんの「緑水」、メレンゲ入りの求肥のふわふわ感がたまらん美味しさ。たまたまお客さんに聚洸の職人さんがおられて解説付きでいただいた。
オーナーは着流しが似合うお兄さん、お話しもおもしろかったよ。飲み物はお酒もお茶も、和菓子にあう物を、と心がけているとか。
隣のお客さんのお菓子・猫最中の写真も撮らせていただいた。どこで見つけるんだ?こんなかわいい最中の皮!
今度はバスで来て、和菓子をお酒で楽しむんだ!
西行庵第2回例会〜表千家長生庵堀内宗完宗匠 - 2018.05.11 Fri
観光客でかしましい円山公園あたりも朝早くはまだ静かだ。

この朝のすがすがしい円山、真葛が原、池大雅の住まいがこのあたりにあったのを知ったのはつい最近のことであった。
西行庵さんにて保存会第2回例会、席主は表千家の宗匠堀内宗完宗匠である。
待合になる二畳台目の小間には宗旦の橋の画賛がかかる。道安囲三畳台目の皆如庵は円相床(床のど真ん中に円相窓があるめずらしい物)ゆえ、軸を掛ける場所がむつかしく、いつもは床の側面にかけてはることが多いが、今回宗匠は待合に本席用の軸をかけておられた。
ここで二条駿河屋さんの「卯の花巻」という卯の花襲の色の美しいお菓子をいただく。
緑深い、お手入れの行き届いた露地をとおって席入り、皆如庵の円相床の中心に花入れがかけられ、朝はちょうど逆光になるため花は美しいシルエットとなっていた。名残の椿、茶筅咲きのおおぶりの花はたったひとつ咲いてくれた花だそうで、「袖隠し」という名前。
時期的には初風炉であるが、長生庵では旧暦をもって旨とするため、この日はまだ向切の炉があいていて、古淨味の雲龍釜がかかる。お茶には沸騰した水はよくないので、雲龍釜は煮えはするが沸騰しにくい釜なので利休好みであったと。底面積が狭く上に長いので、対流中に湯の温度がさがるからだろうか。先代の宗匠(宗心宗匠)も京大(帝大)の理学部卒だったが、当代も同じでやはり理系でいらっしゃる(かくいう私も一応理系)。
この雲龍釜がまたいい釜で、最後に水一杓させば、うなるような釜鳴りがず〜っとして、心地良かった。
炉縁は西行庵にちなんで、西行さんとほぼ同時代の平等院の古材を使ったもの。
茶筅は煤竹、帛紗の塵打ち、久々に表千家のお点前を拝見した。
主茶碗は惺入の手になる光悦「緋縅(ひおどし)」写し。赤楽の光悦型で口元と高台脇に白い釉薬がはいる。鎧の肩の部分の縅にたしかに見えるなあ。本歌の写真をさがしたが、みつからなかったのが残念。
茶入は江戸中期の塗師(詳細不明)春斎の棗、啐啄斎だったか?(表さんの家元の名前はくわしくなくてごっちゃになってしまう)の花押あり。あぐらをかいているようにもみえるので、あぐら判ともいうらしい。もう少し、表千家の予習をしてからのぞむべきだったな。
濃茶ながら、宗匠はお話しながらお茶を練られる。軽妙な語り口はお茶の堅苦しさなどは皆無で、こんな濃茶席に招かれたら、初心者でも楽しいだろうなあと思う。
そういえば以前宗匠の茶会にいったときに、でてきた干菓子盆がエルメスだったのにびっくりしたことがあったっけ。
続き薄の干菓子は亀屋伊織の流水有平糖と菖蒲の焼き印の煎餅。これ、中の味噌餡が秘伝らしいが、ちょっぴり塩からくて美味しい。
煙草盆の省略は、健康に悪い物をだしたらイカンから、、だそうだ(^_^; 煙草が日本に伝来して、庶民がたしなむようになった歴史をひとくさりおはなしくださり、なんでも宗旦はとても煙草がお好きだったというお話しも。
薄器は一見金輪寺に見える寸切(ずんぎり)。内側の底が前者は角があって、後者は丸いという違いと学習した。
薄茶は表さんの泡立ってないお茶。これ久々にいただくわ。茶碗は濃茶で使った赤楽と替の出雲焼をそのまま使う。これはほとんどきれいになった状態でふたたび拝見ができるので、水屋で清める手間もいらず合理的。先代真葛の四季五山のきれいな数茶碗で二服目も頂戴した。
茶席のあと浄妙庵にて瓢亭さんの点心をいただく。老松の、、、というより今は弘道館の太田先生とご同席できたので(例会ではたいがい第一席目にはいられる)、いままでのお茶会お茶事のうらやましいようなお話しをたくさんお聞きすることができて、これもまた楽しかったのである。
西行庵さんの影のぬし、くーちゃん(猫)にもちらっと会えて、うれしかった。西行庵様、ご一家さまにも感謝。
竹の茶室で一座建立〜山科 - 2018.05.09 Wed
山科の山道を行く。

清流が流れ、離合不能の細い道は車ではちょっとな〜、、、で、しかも人いないし。
と、だんだん不安になってきたころにやっと見えてきた!
ここでお若い茶友のEちゃん(孫娘にお茶を一度ご教授願った)が釜をかけてはる。
母屋は、、、滋賀かどこか地方から移築した古民家と聞いた。
待っている間に筍掘りのオプションもあるよ(投げ銭で)
そう、この古民家は竹藪の中に立っているのだ。
ここで旧知の庭師さんにであってびっくり。今回の竹の茶室で大活躍されたよし。
高い天井は冬には暖房効率わるそうだが、大きな囲炉裏がそれをカバーしてくれるのだろう。
こちらも投げ銭で茶粥のおふるまい、お茶の苦みが美味しかった。
でかい炭斗。囲炉裏では掘ったばかりの筍のホイル蒸し焼き作成中。ちょっと心惹かれるがお茶室へ。
育ちすぎて食用には向かないが、大きな筍にはさんだタラヨウ(?)に茶室はコチラの矢印が。Eちゃんの遊びゴコロ満載。
母屋の裏の竹藪の中を行くと、、、ああ、見えてきた。
この写真では見えづらいが、はえてる木を大黒柱に、新旧の竹をしならせて編んだ茶室なのだ。
回りは竹藪、その切り開いた場所に自生の茶の木。
オーナーさんはいつかここを茶畑にしたいとおっしゃっていた。ごいっしょしたA君は和束の茶園とのご縁のある人なので、ここでひとくさりお茶の木談義もまた楽しい。
茶室の横の待合で、木の芽炭酸を汲み出しに。
緑のなかでいただくこれはさわやかであった。
茶室にはいって上を見上げると、竹のすきまからはいる光や風がじつにすがすがしい。
神様、こんなとこでお茶をいただけるご縁をくださってありがとう、、、と思わず祈ったよ。
Eちゃんお手製のお菓子は水をAgarでかためた「水のひとしずく」
新しい竹の皮にくるんで
竹林の一滴、竹のつくる影とAgarの放つ光がなんと美しい。
きなこと黒蜜でつるんと一口
庭師さん作の植木鉢の風炉やら、Eちゃんがのりにのって作った、と聞いた竹の諸茶道具がなんてすてきな!
竹の作る陰翳の中で茶筅を振る彼女、美しい景色。
竹の茶碗は青竹の匂いがしてすがすがしい。あとでいただいたお白湯でさらにその香を楽しむ。
茶碗は飲み口をすこし削って飲みやすいように、という心遣い。
この御自作の茶筅がすごい!
竹の小枝をあつめてささらにし、竹の筒に押し込んだもの。これでけっこう泡立つものなあ。
茶器の蓋は茶の葉、茶杓はマグネットでおりたためる久野さんのもの。
この青竹の如く、若いEちゃんも茶人としてこれからもどんどん成長するのだろう。いいな〜。
帰りに、おもちかえりなんぼでも、というオーナーさんと庭師さんのご好意に甘えて、たおれていた竹を何本か切って持ち帰ることにした。(さすがに生えてる竹は危険でよう切らんわ)ありがとうございます。これ、結界と花入れにしますね。
東大寺華厳茶会2018 - 2018.05.07 Mon
5月3日といえば、今年もやっぱりやってまいりました。
東大寺華厳茶会に今年も参席、ほんまに1年って早いね〜。
この茶会にほぼ毎年出かけだしてかれこれ10年近い。その間ずっとお献茶は鵬雲斎大宗匠だったのだが、今年はなんと!坐忘斎お家元、参列者にいささか衝撃が走る。
昨年はついに大仏様の前の階段をお茶を献じて上られるのを断念されたし、今年はいらっしゃらないし、どうされたのだろう、、、と。なにしろ今年95歳、、、?でいらっしゃるし。
思えば大学でお茶をはじめたときから、鵬雲斎(当時)お家元だったし、全然直接面識ないけれど、一番親しみを感じていた方である。
、、、、と、まあ、そんな話を御参席の方々と話していたのだが、この日は大宗匠、下鴨神社の流鏑馬神事の方にお元気におでかけだった、という事が判明し、ほっとしたのであった。聞けば、私が毎年行くようになる前には坐忘斎家元が献茶されたこともあったそうだ。なんだ、そうだったのか、ちょっとほっとした。
風になびく幡(ばん)
連日暑い日が続いたが、この日は少し涼しいくらいで、心地良かった。
まずは大仏殿裏の集会所で、書道家、故・榊莫山先生のお嬢様の席へ。
掛け物が莫山先生の「般若心経」
お手本として東大寺に納められた物だが、今回の茶会に際して東大寺より貸し出されたものだそうだ。莫山先生、当代の別当である狭川師の習字のお師匠さんでもあったそうで、そういうご縁だったのだなあ。
その下に置かれた花入が経筒で、まさにこれ以上ない組み合わせ、一番萌えポイントであった。花は八角蓮におがたま。おがたまは大山蓮華に少し似て、漢字で書くと「招霊」なんだそうだ。
脇床の江里康慧(截金の故・佐代子さんのご主人)さんの釈迦誕生仏がますます床回りの宗教的雰囲気をかもす。
水指が南宋の白磁の大鉢、草花紋の陰刻、これ、東洋陶磁美術館のガラスの向こうにあったヤツと同じや。清々しい白で、とても何百年前のものとは思えない美しさ。これが2番目の萌えポイント。
主茶碗は一入の黒楽、一入らしい黒の向こうに緋色が透けて見える感じ。替えが黄伊羅保、古万古赤絵写しであった。
大仏様の前、くだんの大宗匠不在の献茶式に集まるご同門の方々。
めずらしいので、本来参席者しか中へ入れないが、いつのまにか紛れ込んでちゃっかり写真を撮っている外国人観光客も(^_^;
大和茶の茶壺、今年の新茶の茶葉も献上される。
烏帽子をかぶってはるのは大和茶業界の役員さん達。今年も見そびれたが、献茶の前に大仏殿の前で御茶壺行列もあるのよ。
お献茶は坐忘斎お家元、茶臼でお茶を碾いて、濃茶と薄茶の献上。
、、、でも残念ながら手元は全然見えません、この位置からは。
ついで東大寺本坊にて今日庵席
こちらの庭ではもう睡蓮が咲いていた。
こちらの床の掛け物は後水尾天皇のご宸翰
「聲高し 三笠の山そ よばふなる 天の下こそたのしかるらし」
さすがにご宸翰、この床の前だけ毛氈が敷かれなかった。ご宸翰にお尻をむけない配慮。(ちなみにご宸翰を掛けるとき、沓脱ぎ石に奉書を敷くのは、躙り口をあける前に奉書の上で草履を整えるため。これもご宸翰にお尻をむけない、との意と聞いた)
古浄元の霰釜は細かいあられが口のそばまで続く細かさ。飾りおきの香合は大きな貝で、一見仁清焼みたいにみえたが、なんと張り子なのだそうだ。さわるとへこむらしいよ(^_^;
水指こそ仁清、信楽写し耳付。そう、仁清は華やかな色絵意外にもしぶいのがけっこうよいのだ。まあ、ここらへんはさすが今日庵。
茶入が古瀬戸玉川手、銘を「物種」
ものだねなのか、ものぐさ、、なのか微妙。春なのだし、万物の根源ととらえるとか。
茶杓が玄々斎還暦の折に作った「花馬」、玄々斎は庚馬の生まれだからだろうね。主茶碗が菊の御紋の入った慶入の黒楽、伏見宮家所蔵のもので、玄々斎と同じ時代背景の茶碗。
お菓子は修二会の季節の上生・糊こぼしで有名な萬々堂さんの「唐衣」をいただく。

こちらも毎年、辻留さんのお弁当をいただいて(写真暗すぎ、、、)、いよいよ最後の東大寺席へ。
勧学院は弘法大師所縁の塔頭である。
東大寺学園のエリートたちの親御さん、PTA会員たちのもちより席で、東大寺学園の理事でもある上野道善師(東大寺別当219世)が席主をつとめられる。ほんとうにお茶のお好きな方だと元会員の方から聞いた。
ここの席はご本尊の大日如来さまの前でお茶をいただくというありがたい席なのだ。当然畳はなく、木の床に毛氈をしいただけだが、これがまた味がある。
待合には清水公照さんの「雑華厳浄」、さまざまな華で仏様の世界を荘厳しよう、、われわれもまた華である。これが華厳宗の名前の来歴である。
本席の明恵上人(高山寺)の筆に感銘をうけた。「南無、、、」ではじまる(以下読めず)仏道で有名な僧(忘れました、、、)のようになりたいものだ、というような意味であった。おもわず手をあわせたくなるような。(明恵上人大好き)
帰り路、国立博物館の前の古美術 中上さんについついひきよせられ、、、ちょっと出会いもんを手に入れまして、、、(^_^;
最後にリニューアルなった中川政七商店ならまち店へ
茶人・木村宗慎さんブランドプロデュースの新しいブランド茶論、そのカフェである。
この座敷は以前も来たことがあるが、ぐっと茶の湯を前面に押し出した感じにかわって、宗慎さんのお茶のお稽古もあるらしいよ。

お茶席三席で、それぞれで和菓子を食べたのに、また甘いもんを食べてしまう胃袋がおそろしい。
お楽しみのお土産は今年は茶杓であった。
お経の中の文言を銘としたもので、私のは華厳経のなかの「功徳力」
他に修二会の時の「南無観」など12種類あったそうです。(ああ、南無観がほしかった、、、(^_^;)
唐津やきもん祭後編〜旧大島邸にてやきもん祭茶会 - 2018.05.04 Fri
さて、唐津にはるばる来た一番の目的は「茶縁・陶縁・食の宴」と銘うった茶会である。
我が敬愛する和尚様、タライ・ラマ師がここで釜を掛けられる。古唐津のすごいコレクターで(すごいコレクションは古唐津だけじゃないところがまたにくい、、、)ある和尚様は関西在住であるが、その唐津のまさに茶縁、陶縁で2年前から、陶芸家さんや茶人さん、料理人さん、その他現地の方々と力をあわせて、やきもん祭に釜をかけられている。

玄界灘の浜辺にもほど近い旧大島邸が茶会の舞台になる。
旧大島邸は唐津の実業家・大島小太郎の邸宅で、移築復元したものだが、大部分を当時の建材建具を使用。小太郎は唐津銀行を創設、インフラ整備、市街地電化など唐津の近代化に貢献した方で、かの建築家・辰野金吾と同窓、高橋是清の英語の授業を受けていた、という時代背景の方。
母屋棟は十五畳+十畳の続きの広間があったりかなりの広さだが、これに四畳半、六畳、三畳の茶室がある茶室棟が付いているという贅沢さ!(唐津市民はこれを格安で利用できるという太っ腹な設定)
さて和尚様は、現地の工房で窯焚きを見たり、陶芸家さんたちと親しく食事をともにしたり(飲んだり)、広く深く交流されている。ご縁は唐津のコレクターというだけにとどまらない。本来はゆかりのなかったこの土地に、人とのつながりでしっかり根をおろされていると感じた。そういうお人柄が敬愛いたすところでもあり、うらやましいところなのだ。
最初に露地の中にある二畳の四阿にて。
こちら担当のご亭主が、李朝オタクもびっくりの超・かつハイレベルな李朝愛にあふれた九州の数寄者様。(実はこの方もお坊様でいらして、あとてきいてビックリした)
最初に甘い甘いトマトにドライ無花果、さわやかな五味子茶(オミジャチャ・韓国茶)をいただき、ゆっくりと二畳を見回すに、、、、白磁の大壺、鶏龍山の花入(めずらしい夏蝋梅の花)、李朝の黒板の敷板、古い平べったい鉄製朝鮮風炉(これ欲しい、、、)に鉄瓶がかかり、その前の小盤の上にのっているのは〜〜〜!目が釘付け!垂涎の粉引の茶碗ヽ(≧∀≦)ノ、、、こ、これで一杯いただきたかったわ。
掛物は朝鮮慶尚道の古地図、それには金海や熊川の文字が、、、
思えば唐津の焼物としての発展は文禄慶長の役で日本につれてこられた朝鮮陶工の高い技術がなければなかったのであるから(おかげで朝鮮の窯は多くが廃れた、、、と韓国に行ったときに聞いたなあ)、そのルーツに対して思いを馳せることはこの唐津茶会にふさわしい。そんなご亭主の思いのこもったお話しもいろいろされた。
おりしも最近新聞か何かで読んだ百婆仙(朝鮮からつれてこられ、後に有田焼の母といわれるようになった女性)をたたえる像の除幕式が前日有田であったという話もされたのが印象に残る。(ご亭主も私も「へうげもの」の高麗婆(織部の子を産む朝鮮の女性陶工)を連想したのは同じ(^_^;)
(四阿の屋根がちらっと見えるよ)
お話しを聞く間、木々に囲まれた四阿の中は風がさわやかにふきとおり、天気もよく、いつまでもこうしていたい、、、と思ったことであった。
次に八畳の座敷にテーブルをおいての点心席
懐石担当はひら田さん。
昨日旧高取邸の呈茶席の先生が、「ひら田さんなら本式ね。」とおっしゃっていたとおり、とても美しく、美味しい点心であった。聞けばなんと京都の美山荘で修行をされていたとか、なるほど合点。
一席7名の大皿はそれぞれ違う唐津の作家さんのもの。私のは14代(当代)中里太郎右衛門さんのものもの。
のちにもらった資料によると、こんな作家さんの物がでていて、実はこの席のお正客さんの陶芸家さんの物もあったのだ。さらにサプライズは、、、、
それぞれのお皿の作者の似顔絵が、献立表に描かれてあったこと。似てるわ〜太郎右衛門さんに。どうやら描いたのは存じ上げているお茶人さんのMT画伯(?!)らしい。この日もお手伝いをされていたが、すばらしいグッジョブ!こういう人が回りに集まるのも和尚様のご人徳。
点心席の掛物は襲の衣の女性が布を振っている後姿、竹内栖鳳の「佐用比売」
万葉集の時代の唐津に伝わる伝説の女性なのだが、今回の茶席のテーマはこれらしい。
(唐津の松浦佐用姫は新羅遠征に出征する恋人、大伴狭手彦がのった船を領布(ひれ)を振ってどこまでも追いかけ、追いかけきれなくなったところで悲しみのあまり岩になったという伝説。万葉集にもいくつか歌われている。 <海原の沖行く船を帰れとか 領布ふらしけむ松浦さよ比売> )
点心席から露地を通って、茶室棟へ
四畳半の茶室は脇床の落掛けが天然木のうねりをそのまま大胆に生かしたもので、網代の天井、洞庫もあり。
(以下、記憶違いもあるやも知れませぬが、いささか怪しくなった記憶力をフル稼働した記録)
一番に目に入るのがアヴァンギャルド水指。小ぶりなくせにモダンアートみたいな釉薬、、、、と思っていたら、これれっきとした古唐津。朝鮮唐津のうちの柄杓手、という釉薬を柄杓でばしゃっとかけたものなのだそうだ。よく見ると確かに朝鮮唐津っぽいところもある。う〜ん、桃山の陶工おそるべし。蓋がよそからもってきたものらしくちょっと合わずに浮いているのがまたかわいい。
(和尚様に掲載の許可を得てアップ)
しかし、この水指口が小さいのに柄杓の合がはいるのだろうか、、とどきどきしていたら、お点前さん、上手に水をくんではった。さすが。
床の掛け物は黒田長政が(おそらく尾張名古屋城)築城の石垣作りを命じられた折、石の手配について家臣に指図している内容。
唐津には秀吉が朝鮮出兵の足がかりとした名護屋城跡があるからね、「なごや」違いだけれど、この名護屋にかけて。
備前の花入には凜とした大山蓮華
水をしっとりと吸った花入れには、たてに筋が二本はいっていて、岩になった佐用姫の袖のように見えなくもない。
香合は円形、名古屋城古材で表に「月」の文字、材の虫食いが村雲のようにみえる。
濃茶の茶碗は渋いグレーの奥高麗(高麗の名を冠するが唐津)、銘を「軒漏る月」
もうひとつのテーマが唐津茶碗の里帰り、という。この茶碗は長いこと唐津の数寄者の手にあって、中里太郎右衛門さんもこれでお茶をのまれたりした、というお茶碗だったらしい。その数寄者が亡くなられて唐津から流出、流浪の果てに和尚様のところへやって来た、というお茶碗。やっぱり関西には連れて帰るけれども、ひととき、愛された故郷の空気をたっぷり吸ってもらいたい、というお心で。
梅の花 にほひをうつす袖の上に 軒漏る月の影ぞ あらそふ (定家)
内側に釉薬の掛かっていない部分が小さな月のように見えることからのようだ。
香合、茶碗、ときて小ぶりな鶴首茶入にも「月」にまつわる銘がついていたのは、釉薬が三日月のようにみえるから。(薩摩、、、だったかな〜?)
替え茶碗は金海、唐津のルーツである高麗茶碗である。
飴色の繊細な茶杓は松浦鎮信、肥前(佐賀)の人だし、松浦佐用姫にひっかけたのね。
(和尚様の藪内流の塵箸はこう切るのか)
続き薄ででてきた煙草盆がまたすてきだった。おそらく李朝の、背の低い台付の皿のような盆に、火入れの代わりに白磁の小さな香炉、茶事の時に拝見している小さな短いキセルがちょこんと乗って、和尚様の美意識ってこんなところにも、、と感動。
干菓子は現地のものを、と最近14代太郎右衛門さん監修でつくられたという唐津の陶片煎餅
↓
(出光の唐津陶片コレクションもびっくり!よ)
(ちなみに柄杓手、左上、もあるよ)
それに貝殻の和三盆、唐津・開花堂さよ姫
茶碗は、あらかじめ客組をみて、その方のイメージにあったものを選んだとおっしゃる。(どれだけご持参されたのか?!)
高取、沓形備前、呉須赤絵、「明恵上人(樹上図)」に似た絵付けの安南、私はなんだか楽しくなるへんてこな(^_^;絵付けの赤織部でいただいた。(どういうイメージ?(^_^;)
でも一番ええな〜これ、と思ったのは絵唐津の塩笥茶碗である。なんだろ?このデジャヴ感は、、、、と思ってはたと気づく。みんながたのむからブイヤベースをいれるのやめてくれ!と懇願しているところのあの垂涎の絵唐津塩笥のミニ版であったのだ!
↓ これ!
楽しく美しい物を堪能させていただいたひととき、和尚様、ありがとうございました。
美しき四阿の李朝を愛するご亭主様、また裏方としてお手伝いされていた方々、御連客様、ひら田さん、この茶会をささえてくださった多くの陶工、陶芸家のみなさまにも感謝!
唐津やきもん祭前編〜焼物の町を駆け足で - 2018.05.03 Thu
ウン十年ぶりの九州上陸
博多から玄界灘を見ながらゴトゴト電車に乗って約1時間ちょっと、唐津に到着
唐津の駅はドアの取手も絵唐津なのである。
今回はるばる唐津まで初めて来たのはこれ!
今年で7回目という唐津やきもん祭、町を挙げての唐津の器を中心に繰り広げられるGWのイベント。
具体的に言うと、毎年テーマは異なるらしいが、唐津陶芸家さんの町中展示即売やら、唐津の作家さんの器を使った期間限定のレストランや食堂メニューとか、(一番心惹かれた)唐津焼の角打ち!とか。町全体が唐津焼のテーマパーク状態といったらいいかな。
ここで3年前からわが敬愛するタライ・ラマ師(ダライ・ラマじゃないよ、くれぐれも(^_^;)、唐津焼きにちなむ茶会をされている。それに惹かれていたものの、唐津はあまりに遠い、、、でも唐津焼で角打ち、、、ああ、魅力的、、、というわけではるばるやってきたのである。
茶会の前泊で、この日は一日唐津の町を歩き回った。
(茶会の話はまた明日!)
まずは駅裏の近代図書館にて「古唐津〜もうひとつの桃山」展を。
古唐津のコレクションで有名な田中丸コレクションと中里太郎右衛門コレクションといういきなりの名品展。
(絵唐津の向付 これのみ撮影可)
ご存じのように唐津は種類があまりにも多く、絵唐津、朝鮮唐津、瀬戸唐津、三島唐津、斑唐津、奥高麗、、、、と多彩で、これが唐津?と思うようなものまであるが、この展示はほんますばらしくて、これだけでもここまで来た甲斐があった、と思うくらい。
なんと言っても奥高麗3碗そろい踏みは壮観で、それに田中丸コレクション嚆矢の有名な木賊紋茶碗(ポスターの写真の上の方)がいっしょに並んでいる様はもう、、、ヨダレが、、、
と、正気にもどって、図書館近くの中里太郎右衛門陶房へ。
ここは古民家風のギャラリーもあって、当代、先代、人間国宝であった先々代の作品も観ることができる。
唐津の町はコンパクトで、歩いて回るのにちょうどよいサイズ。しかも古い町並みが残っているので無目的に散策するだけでも楽しい。でも、人が少ない、、、それがよいような、問題のような、、、
中里さんとこより少し南に行って、民家の間の細い通りをぬけると、登り窯跡がある。
御茶碗窯跡である。
江戸初期に藩命をうけて中里家が献上茶碗を焼いていたが窯跡だが、ここは江戸中期から、大正にいたるまで使われていたそうだ。
となりに現役?の登り窯もあった。
少し南のあや窯ギャラリー
女性陶芸家の中里文子さんの陶房であるが、こちらのお庭がまた素晴らしく、しばしみとれてしまう。奥に茶室・淡如庵があって、裏千家のお稽古場にもなっているそうだ。こんなところでお茶会したいなあ。
このあたりは御茶碗窯通りとよばれ、こんなタイルの道が続くが、ここにも絵唐津

駅の表、京町とよばれる当たりは陶芸の販売店やギャラリーがひしめく。
やきもん祭の総合案内所もここにある。
どこを歩いても、このあたりでは唐津の作家さんたちの展示があって、あっちへふらふらこっちへふらふら、ひきよせられては器を手にとり三昧。
見るだけじゃなくて、祭の期間限定の唐津焼きx食のコラボもあちこちで開催中。
題して「食と器の縁結び」
器は、とくに唐津は向付に使いたいモノも多いので、食べ物が乗った状態で鑑賞するのがベストかも。
入ったのはhanaはな家さん。昔の校舎のようなレトロな建物がおしゃれ。
作家物の器でおいなりさんセット、いただきました〜!
(お汁の味が甘めで九州的?)
こちら祭の総合案内所のところにある唐津ちょこバル。
ここの角打ちは立ち飲みじゃなくて、椅子があって親切。

夜は毎日日替わりで陶芸家さんが亭主をつとめるという。お昼はそのお弟子さんたちが忙しくはたらいていた。
昼間っから、、、だけど、唐津の地酒を絵唐津の湯飲みで一杯、アテはここの名物らしいザル豆腐。かなり濃厚で美味い。
しかし、九州の人は男も女もよう飲むね。昼間っから出来上がった人ばかりでまあ、賑やかなこと。(好きだけど)
唐津は戦災にあわなかったのか、こんな明治からの建物があちこちに残っている。これは竹屋さんといってうなぎ屋さん、建物は国の重要文化財。
こちらも明治時代の建築、旧唐津銀行
中へ入って、、、、ん?デジャヴ?
京都三条の旧日銀京都支店にそっくりじゃないか!と思ったら、それを設計した辰野金吾(東京駅もこの方)のお弟子さん、田中実設計なんだって。
でも一番驚いたのが、あの辰野金吾が唐津出身だった!!ということ。しらなかったわ。ここにあった唐津藩英学塾・耐恒寮で学んだのだが、その時の教師が高橋是清だったとは。
ちなみに中では「花と器の縁結び展」
花器としての唐津の展示。う〜ん、あまり花器としてはとらえてなかったな。
海の近くまでくるとここにあるのが重要文化財旧高取邸。
このお屋敷はほんっと素晴らしかった!
広い上に、茶室のみならず能舞台まであるんだよ〜。台所が20畳くらいあるんだよ〜。
広すぎて迷子になりそうであった。
大炭鉱主であった高取伊好の邸宅で、2300坪というから、そりゃ迷子にもなるわ。
座敷に暖炉があったり、当時はやったであろうマヨルカタイルのトイレや浴室など調度も当時のままで見応えがある。
二階からははるか玄界灘も見え眺めの良さも格別。
観光客向けの呈茶席が奥の座敷にあり、ここで一服しながら海風を感じ、庭園を眺めるひとときはなかなか良い時間であった。ちなみに高取氏は宗偏流を習っていたとか。山田宗偏が直接指導に唐津にきたこともあって、唐津は宗偏流がけっこう多いのだそうだ。
高取邸からすぐ近く、唐津神社はなんと春季大祭の真っ最中。そういえば、どんちゃかどんちゃか、お囃子の音が賑やかに高取邸までひびいていたっけ。
11月に曳き山巡行がおこなわれる唐津くんちであるが、普段曳き山は曳き山展示場におさめられているものの、この日は外にひきだされて各山がお囃子を披露するらしい。
こちらは鯱
獅子頭や義経の兜といった、ちょっとかわったのが多いなあ。やっぱり大陸に近い九州的な雰囲気。
鶏の曳き山が展示場に戻るところを見ることができた。
なんて見所たくさんの唐津!
ついで、歩いて歩いて舞鶴橋を渡り、、、(なにせバスは1時間に1本しかない、、、)
振り返って唐津城を見て、、、、
老舗旅館・洋々閣のギャラリーに中里太亀さんの個展を見に。太亀(たき)さんは人間国宝12代目の息子である隆さんの息子さん。その息子さんもまた陶芸家で、唐津は中里姓の陶芸作家さんがほんまにたくさんおられる。向付によさそうな絵唐津の器がよかった。
舞鶴橋のたもとのカフェ・基幸庵さんで休憩、ここは主に民藝をおいてあって、唐津にしては珍しいかも。
湯飲みの小鹿田焼は大分だものね。
冷たい善哉とこちらの和菓子をいただく。
昼過ぎに唐津について、夕刻まで、今日一日ほんまによく歩いた。スマホのアプリを見ると約13km、二万歩以上歩いたことになっていた。さすがに足が疲れたな。
夜の部〜(^_^;
昼間行ったhanaはな屋さんは夜ともなれば雰囲気も違う。あちこちの飲み屋さんで賑やかな大声は聞こえるが、通りにあまり人はいない。
昼間の唐津ちょこバルへふたたびいって角打ち、地酒2杯。
すでに6杯目という隣にすわったお姉さんに「おいしいよ」と勧められてイカの塩辛を分けてもらう。これはイカン、酒飲みに火をつける、というやつや。お姉さんも陶芸を昔ちょっとやってはったみたい。この町は何らかの形で陶芸に携わっている人が多い、そして酒飲みが多い(^_^;
男も女も「〜〜しとると!」というなんだかうれしい賑やかな佐賀弁(博多弁との区別は私にはつかない)にかこまれて、ちょっとシアワセ。
イカの塩辛で火が付いたので二軒目で焼カレーを夕食に食べつつ、ジンフィズなんか飲んでみる。カクテル飲むの何年ぶりやろ。ここんとこ日本酒ばかりだから。
で、ここにも中里姓の方の個展のおしらせカードがおいてあるあたり、唐津だ。
かくして歩き回った唐津の夜は更けてゆく。
明日は和尚様の茶会だ。楽しみ楽しみ。
楽さんのギャラリートーク・能と楽茶碗〜楽美術館 - 2018.05.01 Tue
楽美術館の展示が「能と楽茶碗」と聞いて、MIHO美術館も「猿楽と面」だったし、能、きてる!と思ったのだが実際はどうなんだろう。
ひとつは当代の楽さんが、もう長いこと金剛流宗家で謡を稽古されていることとの関連だろう。
(ちなみに5月3日に楽さんと金剛永謹さんの対談イベントが金剛能楽堂である。私は別件で行けない、残念すぎる)
能と茶の湯は多少の前後はあるものの、ほとんど同じ時代に大成された芸能、芸術であるし、それを好んだのは武家社会であったという共通項もある。茶道具に、謡曲にちなむ銘がおおいこともご存じの通り。
なのでこの2つはとても親和性があって、回りをみるとお茶と能を2つやっている方は意外に多い。習わないまでも興味のある人はもっと多い。
今回の展示は、楽茶碗の銘にちなむ金剛家やその他所持の貴重な能面をいっしょに展示する、という画期的なもの。出目家の(これMIHO で学習したわ〜)是閑、河内という桃山時代の面打ちの名工の面が楽茶碗とともに拝見できるのだ。

特別企画として、3回の当代によるギャラリートークがあった。いずれも一般客のいない時間におこなわれ、すかさず第3回を申し込んだのだが、1回2回とそれぞれ内容がちがって3回でやっと展示物全部を網羅するとのこと、、ということだった。通しで行くべきだったな。
常慶の「長袴」は狂言袴からきており、ややゆがんだ姿は織部の時代の空気があるとのこと。
3代道入と4代一入の茶碗が期せずしてならんで「須磨(黒)」「明石(赤)」と銘打たれているのは源氏物語の須磨の侘びと明石の明るさをあらわして納得。
6代左入の「姥捨黒」はまさに能の姥捨で、月の光をあびて捨てられた姥の魂が浄化される雰囲気がよくでているとおっしゃる。たしかに月の光を連想させる姿だが、並んでいる9代了入の姥捨は赤楽で明るくて、ちょっとイメージがわかない。ちなみに銘をつけたの啐啄斎だそう(^_^;
左入の「祗王(赤)」「祗女(白)」ほんまに色が違うだけでうりふたつの茶碗で、どちらも真ん中が少し反っていて非対称、解説には体をそらした浮世絵に描かれた祗王の写真が添えられていて、このイメージか、と書かれている。私はむしろ白拍子の烏帽子の形に見えたが。
14代覚入(当代のお父上)の茶碗の銘はご母堂がつけたものが多いそうだ。最近能の「国栖(くず)」を見たところだったので、そう名の付く黒楽は横に筋が何本もつけられていて、たしかに水の流れを連想させる。(国栖魚は鮎のこと)
9代了入・10代丹入・11代慶入コラボの式三番叟、それぞれ白の翁、黒の三番叟、赤の千歳もおもしろい。
そうそう、観世会館で舞わせてもらった「三輪」の銘のつく長次郎の筒茶碗も忘れてはいけない。これは赤楽というより、土の色という印象的な茶碗。釉薬の景色が三輪の神木・杉に見えるからではないか、とおっしゃる。なるほど。
一番聞きたかったのは長次郎「シコロヒキ」
これは昨年の近代美術館の楽展でもでていたのだが、どういう意味の銘かスルーしてたもの。しころとは兜の後に矢よけのためにあるびらびらの部分のこと。平家物語で、怪力の平景清が相手の源氏の武将のしころを引きちぎった、という一節による。
一部が裂けているのでそういう銘がついたのだろうというお話だったが、私にはどうしてもその裂け目が見つからなかった、、、
しかし、なんでこんな銘がついた???というような、わけのわからないものもないではない。しかし、それはお茶の家元がつけたりするものなので、楽家に責任はないよ(^_^;
ポスターになったこの茶碗は長次郎「道成寺」 (+後シテの般若の面)
ひっくり返せば確かに鐘に似ている。形は熊川に激しく似て、天王寺屋会記にある「はたぞりの茶碗」は、これではないかと目されている。まだ利休の今焼として完成する前の、高麗物を写している初期の時代の作品ではないかとおっしゃってた。
そしてふっと、,,目をあげると向こうの壁にかけられた小面と目があってしまった。
静かにひたすら美しいのだが、笑ったりすましたりしているように見えてちょっとコワイ。これが能面だよね。あらゆる感情を内包する。「能面のように無表情」というセリフはウソだよね。
最後に当代のアヴァンギャルド系焼貫茶碗「砕動風鬼(世阿弥言うところの妄執を抱えた人間の霊・姿は鬼でも心はまだ人間)」
楽では禁じ手の金彩銀彩のある茶碗、それに対する面は現代の面打ちさんで、この茶碗に触発されて打ったもの。黒い肌に金色の牙をもち、ゆがんだ顔の般若、ただし楽さんにいわれて角を切った、、というもの。これは見事に呼応していた。角を切らせた楽さんの感性もするどいと思う。なにせ心はまだ鬼になっていないのだから。
(お土産のシールやポストイットなどなど)
茶碗の話をしだしたらとまらない楽さんと、能面のはなしをしだしたらとまらない金剛のお家元とのお稽古はいつまでたってもおわらないときもあるという。そんなエピソードも拝聴しながらのギャラリートーク、充実した90分であった。