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2018-06

水無月雑記2018 - 2018.06.29 Fri

気づけば水無月も過ぎてゆき、一年の半分が過ぎる。夏越の祓も明日だね。
今月もこぼれネタをまとめて。




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新町六角の吉田家住宅。
鉾町でありながら周辺から町家が消えていく界隈で、今年、京都市に寄贈するという手段でこの家を守ろうとされたのは吉田家ご当主、山鉾連合会の理事もつとめられた吉田孝次郎さんだ。




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この美しい町家を残すために管理運営を委託されたNPO法人うつくしい京都さん主催の篠笛の夕べに参加。




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会場は二階の板の間。音響がとてもいい。
先代はここでお能とか楽しまれたのではないだろうか。ここの脇床にはお謡いの本が山とつまれている。




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篠笛はシンプルな構造の横笛。
複雑な能管とはちょっと違う。演奏されるのは趣味が高じて篠笛の演奏をされているセミプロの方。




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ひとしきり二階で演奏を聴いた後は、それぞれ思い思いの場所で飲み物を飲みながら二階から響く篠笛の音を楽しむ。私は坪庭の縁側に腰を据える。




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町家でビール、最高!




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しまいには吉田御大が能管をだしてこられてひとしきり祗園祭のお囃子を。
神をおろすという能管の音はやはり篠笛よりよいなあ、、と思う。




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下鴨の川口美術で伊賀の柳下季器さんの陶展。
庭の片庇でF太朗君のお茶席。
柳下さんのお名前にひっかけて、柳を一枝、雨もあがり涼やかな川べりのよき茶席




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愛信堂さんの水無月、夏越の祓に先駆けていただく。




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minimalistの茶席
美しく楽しかった。




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で、ここに立てかけてあったこのブルーシートにつつまれたシロモノは、、、




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翌日祗園楽々でこれになった。
祗園に出現した茅輪くぐり、毎年の恒例行事になりつつある。



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神折敷をつかった茶箱点前のF太朗君、連日の茶席、ご苦労様です。
彼の美意識全開だ。



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お茶友のTさんとMちゃんと日本酒女子会!



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オヤジが行くような居酒屋とちがってオサレよヽ(≧∀≦)ノ
日本酒食堂しずく




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3人で5〜6種の日本酒を楽しむ。
全員ほぼ一致のお気に入りは大阪の蔵元秋鹿酒造の「奥鹿」であった。




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ジビエ〜鹿肉、うまい。
お茶の話が主であまり女子会っぽくない、中味はオヤジの女子会、これがまた楽しい♪
また飲みに食べにいこうね!




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京都国立近代美術館で開催中の横山大観展前期

みたかった「無我」は7月3日から8日までのわずか6日間、短期決戦だわ。
重要文化財の「生々流転」は半分、、、いや三分の一くらいしか展示されず。まあ全長48mだから全展示はここでは無理よね(^_^;




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こちらの富士山は後期の展示



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しかし、人物に関しては大観は上手いのか下手なのかようわからん。特に大きな図柄の女性はやけに目鼻立ちくっきり。むしろこんな感じのゆるい絵の人物の方が好きやな。
能の仕舞もやったところの「菊慈童」が美しくて,萌えた。


最後にうちの庭で咲いた花などの画像をならべてみる。




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今年豊作だった(昨年は2〜3輪しか咲かなかった)ガクアジサイ
光藤佐さんの瑠璃釉ボトルに




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茶花には向かないが、色の鮮やかさが自慢の西洋アジサイは、神戸グラッパ(葡萄の焼酎のようなもの)のブルーボトルに




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生命力旺盛な半夏生は地植えして2年目、かなりわさわさに茂った。
透明ガラスのミニボトルにて



さて、今年の前半みなさまいかがお過ごしでしたか。
私は愛猫を亡くしたり、孫が生まれたり、義母が急逝したり、物理的にも感情的にも忙しい上半期でした。
残り半年、またがんばりましょう。






粽つくり2018 - 2018.06.27 Wed

今年も来た〜!この季節!




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すでに鉾町では二階囃子が聞こえるようになった。



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さて、今年も恒例の綾傘鉾の粽つくりのご奉仕。
といっても、粽はすでに形成されているの。主に上賀茂の深泥が池周辺の30軒ほどのおうちで。




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で、これに御札をまきつけていくのだが、今年から綾傘鉾は「蘇民将来子孫也」のタッグがつくようになったのね。



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この粽作りもすっかりベテランになったわ、私。




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今年綾傘鉾では粽4300個。昨年宵山にはもう売り切れていたので、ちょっと増加。(ちなみに長刀さんは1万個以上だとか)




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例年ボランティアかつ授業の一環として参加の仏教大学の学生さんたちと人海戦術でがんばる。
どこの鉾町でもそうだと思うが、ほんまのご町内さんの数は減少の一途、なので学生さんは貴重な戦力なのだ。




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ご町内の方と昔の祗園祭のありようの話などききながら手を動かしていると少しも退屈しない。祭の様相は私が学生だったウン十年前からでもかなり変わってきているが、もっと昔の話を聞けるのは貴重だ。

さて、今年の綾傘の粽、どこのおうちの玄関先にかけられるかな。




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会所になる大原神社、準備はまだまだ。



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7月にはいるとまるまる一月続く祗園祭はいよいよスタートする。その頃にはここもすっかりお祭りモードになっていることだろう。
今年も無事で、そしてたくさん楽しめますように!







大原里山さんぽ〜River-side cafe 来麟 - 2018.06.25 Mon

時々むしょうに大原へ行きたくなる。晴れの日も,雨の日も、雪の日も、それぞれに心なごむ里山の風景の中に身をおきたくて。




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我が家から、車でたった30分程度でたどりつく里山は貴重だ。




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この季節は観光の端境期で人は少なく、駐車場も勝手にお金をポストにいれておいてね、というようなゆるさが好き。




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とはいえ、国道の東には三千院をはじめ額縁庭園で有名な宝泉院とか、天台声明の発生地といわれる勝林院とかあるので、お店も多くそれなりに人は多い。





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それに対して寂光院のある西側は、大原本来の農村風景が広がっているので、ぶらり歩きにはこちら側がだんぜんいい。




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大原といえば柴漬け、その柴漬けに欠かせない赤紫蘇は今が収穫期だ。




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紫蘇だけでなく、大原は野菜農家さんが美味しい野菜をたくさんつくっている。有機栽培でがんばっている人たちも多い。寂光院への大原女の小径を行けば、畑仕事をしている農家さんの姿も見える。




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大原は、観光だけではない。農作業をして普通に人が自然と折り合いながら暮らしている里山なのだ。



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6月というのにヒマワリはもう咲いていたよ。
里山の空気を楽しんでぶらり歩きをしたあとは、、、やっぱりランチでしょう。




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その大原で採れる野菜をたっぷりいただける、野菜ソムリエのいるカフェRiver-side cafe 来麟(きりん)さん。観光端境期なのに、ここだけは人気だ。開店前からもう人が並んでいる。

早めに行って名前を書いておくとすんなり入れるが、予約しておく方が無難かも。いつも順番待ちのひとたちが並んで(椅子あります)いるし。




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さあ、11:30開店
2年ほど前に一度来たことがあるが、ランチ時間過ぎてお腹もよかったので、お目当ての野菜ブッフェはスルーしたのだ。今日はたっぷり新鮮な野菜を食べるのだ。




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しかし、何度見てもこの建物はかつて観光客相手の土産物屋だったに違いない。




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お野菜ブッフェ
レタス、きゅうり、トマトの定番からズッキーニ、大根、茄子、ピーマン、各種ハーブ、その味付けもバリエーション豊かで、飽きることがない。




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この手前のトマトが甘くて美味しくて、きっと人気の一品またたくまになくなるよ。



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ここに提供しているお野菜を作っている農家さんの情報もあり。
私はあまり有機とかオーガニックとかにこだわりはないのだが、それだけで収穫を上げるご苦労はわかるし、その分価値がつくこともわかる。




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セルフのお水は大原の清水(比良山系の湧き水とか)、サーバーもおしゃれ。




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お野菜の具たっぷりのお味噌汁もあるよ。ほぼ野菜だけなのに、おいしくて腹一杯たべました(^_^;




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ちなみにお野菜ブッフェはおにぎりランチについているもので、おにぎりは数種の中から5つ選べるの。ほしいものに○をつけてオーダー。



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今回のセレクト。九条葱おかかがおいしかったわ。



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お客さんのいる時間はハウスの中でお昼寝中のキリンさんのわんこ。男の子だそうです。




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カフェの裏は高野川の渓流が流れる、、、だからリバーサイドカフェなのね。




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しかし、出町から北大路の高野川に慣れ親しんでいる身としては、その始まりに近いところはこんなきれいな渓流なんだ、、、、と少しびっくりするよ。




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ランチの後はやっぱり国道の東側にも結局いってみた。呂川沿いのお土産物屋は半分くらい閉まっていて、ほんに端境期なんだなあ、、と。
そして律川ほとりにびっしり咲いて満開のユキノシタの美しさに感激したのだ。




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帰りは大原に来たら必ず寄る旬菜市場(大原の農家さんの顔の見える新鮮な野菜がたくさん)で、あのキリンさんのみたいな真っ赤で美味しそうなトマトを買って帰る。まねしてマリネにしてみるんだ、オリーブオイルとバジル、クリームチーズをたっぷりそえて、、、、(^∇^)



八瀬大原・瑠璃光院茶会 - 2018.06.22 Fri

大原へ行く途中の八瀬は、豊かな緑と、高野川の上流、渓流の地である。




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壬申の乱で矢で傷ついた背中(矢背)を釜風呂で癒した大海人皇子(後の天武天皇)の伝承がある地であり、以来貴族や武士たちの保養地となった。(私的には八瀬童子の里)





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かなり山の中で渓流にかかる吊り橋を揺れながら渡ると、、、、




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ここにたたずむ瑠璃光院がある。

ここはもともと寺院ではなく、亀岡楽々荘が旧邸であるところの田中源太郎翁(山陰本線を引いた人)の所有地であり、交流のあった三条実美卿がその庵に「喜鶴亭」という命名したという。
その後所有者は次々かわって、現在の叡電・京福電鉄が所有したり、したが、今は光明寺というお寺の子院となっているらしい。




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なんといっても青楓、紅葉の美しさが「そうだ京都行こう」キャンペーンで取り上げられて以来、爆発的な人気を獲得し、現在青楓の季節、紅葉の季節のある期間のみの一般公開、それにならぶ行列が3時間待ち、、と聞いた。




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とてもそんなに並ぶ勇気はないが、このたび細見美術館でお茶の稽古をされている松井宗幸先生のお社中がここでお茶会を開かれるので、待たずに中へ入れるという僥倖を得た。




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ちなみに現在の瑠璃光院の建築は大正から昭和初期のもので、数寄屋の名匠・中村外二作、作庭は桜守で有名な佐野藤右衛門一統と伝わる。




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最初に竹重楼さんの点心をいただく。(なぜか点心の写真がナイ!)
先生のお孫さんだろうか、7歳とその妹とおぼしきかわいい女の子が肩上げをした振袖をきて、お菓子のおふるまい。ついつい孫娘とかさなり目をほそめてしまう。




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12000坪の庭園は雨上がりのこの日、圧倒的な緑で美しさにため息がでる。

ここは八瀬の山の中だから、ときおり山道に迷った人がスマホナビを手にまよって入ってくるらしく、この日も「ここはどこですか〜?」という旅人がいてびっくり!(そうか、正門以外から入るルートもあるのね、、、と、悪いことを考えてはイケナイ)




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薄茶席は二階、ここの八瀬の山の眺めは絶景かな!ですばらしい。もっと良いアングルで写真が撮れたらよかったのだが、他のお客様もおられる手前この程度で、、、




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そして、瑠璃光院のパンフレットやポスターにもなっているベストビューはこの二階の座敷、お茶会なので、これもこのていどしか撮れず残念。




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瑠璃光とは薬師如来の薬師瑠璃光如来からくる名だが、瑠璃=青=楓の緑とも思われ、瑠璃光院とはよくぞつけたり!の名だ。




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(床にうつる床みどりも実物はもっと美しいのだけれど)


床には大きな焼物の水盤があって、紫と白の菖蒲が美しく生けられていた。香合は今日庵の名水梅の井井桁の古材、いずれも「水」を思わせる意匠にて、淡々斎好みの渦巻棗だが、真塗りでなく拭き漆っぽいデザイン。
そういえば干菓子も撫子(琥珀)と水(雲平)であった(奥様のお手製とか)。
茶杓が玄々斎の室(女流茶人として有名)玄華斎(または宗柏)お手製という珍しいもの、しかも櫂先の裏に鎹がうってあるという見所のある茶杓であった。銘を「遣り水」




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主茶碗は一入平の黒、了入の隠居印(草楽印)のある赤の平の土見せあり(200つくったうち、50は天明の大火以前の土で作ったもので土見せがあるのが特徴らしい)。
一番萌えたのが絵志野の平。内側に、白い長石釉がはじけて穴がいくつもあいている茶碗で、これ茶筅がいっぺんに削れるよな〜(^_^; でも、楽よりもこっちのほうがええ(個人的趣味)と思った。




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濃茶席は一階の喜鶴庵にて。
軸は玉舟の「雲収山嶽青」 八瀬の山々も青い。花は烏柄杓というめずらしい山野草、釜が5代寒雉の渦四方釜(仙叟好み初代寒雉が本歌)、これ好きやわ。ほんまデザイン性にすぐれてスタイリッシュだと思う。
古淨味の鐶付き風炉。外壁が丸みを帯びずまっすぐな場合は鐶はあげずに下げておくのだと(まっすぐだからあげられない)おそわった。

茶入は瀬戸の後窯の吉兵衛(遠州くらいの時代か)、茶杓が一燈、共筒共箱(これすごい)。

さてさて、お茶碗はやっぱり高麗ものが多いのがうれしい!(高麗フェチなもんで)

主茶碗は井戸の小貫入、箱にそう書いてあるがちょっと見青井戸のようにみえる。銘を「加賀」(どなたの箱か失念しました。不昧だったか???)
私の萌え〜の一碗は誰が見ても金海!の教科書的な金海茶碗。州浜型の口に猫搔き手。
釘彫り伊羅保も渋うございました。
もう一つは了入の中印(天明の大火から隠居まで)のある黒楽。




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ほんに、こんなロケーションでお茶会って最高!と感激をかみしめながら帰る道、渓流で遊ぶ親子の姿を見つつ、着物着てなかったら私も入りたいな〜と思いつつ、八瀬の地を後にした。






「古美術から見る東大寺の美〜二月堂焼経と日の丸盆を中心に」〜東大寺本坊 - 2018.06.20 Wed

地震はほんまこわかった。宝塚にいたころの阪神淡路大震災を体が覚えていた。京都の家はほとんど被害なかったが、大阪へ出る手段をすべて断たれて、最終的に4時間かけてたどりついたがへとへとであった。電車が普通に動くありがたさをかみしめている。
命を奪われた方のご冥福をいのりつつ、その他の被害に遭われた方々のいち早い復旧をお祈りします。

             *******



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やあ、おはよう。
また奈良に来ちゃった。5月にはまだ袋角だったのに、ずいぶんりっぱな角になったねえ。




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鹿煎餅のねだり方も上品に、、、、とおもいきや、、、、




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きゃ〜!!

東大寺南大門前は外国人観光客と修学旅行生と節操なく煎餅をねだる鹿でカオスとなっている(;゜0゜)




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しかし、そこを通りぬけると静謐な祈りの世界が




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キュレーションは白洲信哉氏で土曜には白洲氏によるギャラリートークもあったのに!なんで土曜日(´;ω;`)(←仕事)




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東大寺本坊は5月の華厳大茶会の時に点心をいただく会場になっているところね。




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今回の展示はメインが日の丸盆(二月堂練行衆盆)と二月堂焼経(紺紙銀字華厳経)である。

日の丸盆は二月堂練行衆が食堂で現在も使用している朱塗りの盆で、ポスターにもなっているこれ。


(参考画像 青葉茶屋の練行衆食を模した夕食)

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東大寺のは裏に朱で「二月堂練行衆盤廿六枚内永仁六年十月日漆工蓮□仏」と書かれているはず。(今回裏面の展示はなかった、残念)
当初永仁6年(1298年)に26枚作られた記録があるが、現在東大寺に11枚(重文)ある他、数枚の個人蔵のみとか。MIHOミュージアムの根来展でも数枚でていたと記憶する。

長年の使用で盆の中央当たりの朱塗りがはげて下地の黒漆がうきでている、そのむらむら加減がどれもちがって、ちょっとロールシャッハテストみたいだったり、割れたのを朱漆で繕っているのがわかるものや、盆の中央に数字(通し番号か)が書かれた物など。これだけたくさん(9枚)日の丸盆が見られる機会はそうないと思う。


そして二月堂焼経!東大寺所蔵の長いやつ(重文)や個人蔵で軸装された断簡が座敷いっぱいに。

ちなみに二月堂焼経は、寛文6年(1667年)、修二会の行法の最中(達陀かしら(^_^;)に二月堂が全焼したため焼失した経文のうち、後に灰の中から回収できた経文である。(ちなみにこの火災で絶対秘仏の生き仏といわれる小観音を見た!という記録もあり)
よって経文の上か下が無残にも焦げ焦げ、これをほんま、うまいこと修復したもの。

その名の通り、地の紙は紺色、経文は銀、これがまたすっきりと美しい組み合わせなのだ。軸装のものは中にはかなり焼けている部分が多くて、または銀字が酸化してほとんど読めなくなっているものもある。それでもよくぞここまで残ってくれました。
個人蔵の軸装はいつの時代のものか、様々な意匠があったが、個人的に一番好きなのは小田原文化財団蔵のもの。横長の軸装で一文字が焼けた銀の紙、中回しがなくて天地が紺紙。なんてスタイリッシュ!こんなん茶室にかけてみたいわ。

ちなみに古美術としての経文は行数で値段が決まるらしいので、値段も想像してみたり(^_^;ちょっと下世話でした。失礼。

他にも大聖武(伝・聖武天皇ご宸筆)などあり、これは正倉院展でもでているやつでは、と思ったり、伎楽の面や、本歌二月堂(机)や、平安時代の金剛蔵王権現像なども。
故小泉淳作画伯の襖絵「蓮池」「吉野の桜」もお忘れなく。(




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本坊をでたあとは、ならまちから国立博物館前の夢風広場に移転されたten ten cafeさんでランチ

亡き河島英五ファミリーの営むお店だ。(お嬢さんのあみるさんは関西NHKの昼前番組のレギュラーです)




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ならまち時代の町家の雰囲気が好きだったが、こちらはかなり河島英五色がぐっと濃いめ。
牛丼弁当をいただく。美味しかった。





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じゃあ、またね。



3年ぶりの紫陽花・矢田寺〜大和郡山城趾 - 2018.06.18 Mon

紫陽花の名所矢田寺は大和郡山にある。
紫陽花のシーズン、名所とよばれるところ(おもに京都だけれど)いろいろ行ってみたが、私の中ではここと三室戸寺が最高峰である。




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というわけで、3年ぶりに矢田寺へお参りがてら紫陽花を楽しみに。
京都から車で1時間半くらい。電車では大和郡山駅からあじさい号という臨時バスもでているのだが、いかんせん、本数が少ない。




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このお寺は矢田山という小高い山に立っているので、ここまで来るにはちょっとしんどい階段もある。

ご由緒は大海人皇子の壬申の乱戦勝祈願に遡ると言うから、かなり古い。




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ご本尊が平安時代からお地蔵様にかわったとのことで(それ以前は十一面観音と吉祥天)、境内にはお地蔵様があちこちにいらっしゃる。
3年前みそこねた「味噌なめ地蔵」さま、今回は忘れずに拝んだ。とはいえ、味噌をお地蔵様の唇に塗ると(自家製)味噌の味がよくなる、という伝承なので、味噌を手作りしない私にはあまり御利益は、、、、(^_^;




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紫陽花であるが、このお寺に紫陽花を植えだしたのは50年ほど前というから、それほど昔のことではない。



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ところが今では境内に1万株、60種類もの紫陽花があるという。どこへいっても紫陽花だらけ、しかもその種類も様々で実に見応えがある。




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紫陽花はひとつの花でも美しいが、やはり群れて咲くとさらに美しいと思う。




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矢田山を登る道にも紫陽花の森、どこまで紫陽花が続くのか、さらにその先までのぼってみたくなる。




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ふりかえれば遙か向こうに大和郡山の市街がみわたせる。



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お釈迦様がその下で悟りをひらいたという菩提樹の花も満開




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3年前にも、はしっこがくるっと丸まって、おもしろい花弁だな〜と思っていた種類もきれいに咲いている。ほんまに紫陽花は種類豊富だ。




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茶席にむくのはやはりガクアジサイ〜山紫陽花系なので、ついついそちらに目が行くが。




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池にはめずらしい北米原産・水カンナの花も咲く。(昭和初期に来日したらしい)




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さて、圧巻は紫陽花の山
本堂手前の左手にある紫陽花庭園で、小さな渓流もある山の斜面にびっしりの紫陽花。その3Dの咲き方は迫力がある。



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この日、紫陽花日和で小雨。3年前は本格的な降りで、この石の階段ですべってあやうくカメラをダメにするところだったのを思いだし、慎重に歩く。




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わけいっても わけいっても 紫陽花の山、、、、山頭火の歌をついもじりたくなる(^_^;




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薄紅ぎざぎざ花びら



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純白四葩




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紫陽花の山には山法師も咲いている。




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紫陽花の森のあちこちで花を楽しむ人たち

紫陽花に雨はよく似合う(晴れた日は、やっぱりくたっとしているそうだ)




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参道の塔頭・大門坊には、今度はお釈迦様がその下で入滅されたという沙羅の花(ほんとうは別の種類の植物なんだが)、ナツツバキとも。宝塚時代ここまで大きくなかったけれど庭に植えて楽しんでいたっけ。


北僧坊という塔頭では紫陽花御膳と称したお昼がいただけると聞いていたが、さすがハイシーズン、私が行ったときにはすでに売り切れ。ここで食いっぱぐれると、矢田寺周辺なんにもないです(´・_・`)




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こちら大門坊にある茶室一如庵、500円でお薄一服できる。




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この茶席は大和平野を一望できるこの眺望がなによりのご馳走である。




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はったい粉をつかった紫陽花のオリジナル干菓子




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お茶碗も紫陽花であった。


さて、せっかく車できたことだし、帰る道道、これも前回見逃した大和郡山城趾にもよってみよう。



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大和郡山城は、初代・郡山衆とよばれた人たちが入城したほか、いろんな城主がいれかわりたちかわり、なかでもビッグネームは筒井順慶、秀吉の弟秀長あたり。18世紀に柳澤家が入り明治まで続いたと言うが、その後城は破却されたので、現在ある建物は近年になってからの復元である。



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なので、ここに○○門があった、△△廓があった、、という標識をたよりに、お濠や、、、



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石垣に当時の面影を想像するしかないのだが。




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現在も大和郡山市は濠にかかっていた橋を復元しようと工事中。




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こちらも近年の復元追手門、またの名を梅林門




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なんとなれば近くに梅林があったからだそうで、今でも梅の木がうえられている。梅の実は収穫する人もないようで、熟して落ちているのがちょっともったいない。





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最後に隣接する旧奈良県立図書館の建物をチラ見。
明治41年奈良県技師であった橋本卯兵衛が設計した建築で、もともと奈良公園内にあったのを昭和43年、当地に移設したもの。




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なかなか見所のありそうな建築物だが、一般公開は週末だけのようだ。現在は大和郡山市教育関連施設として、まだ現役なのがすごい。




「MTMJ 日本らしさと茶道」〜クリステン・スーラック著〜翻訳監修・廣田吉崇他 - 2018.06.16 Sat

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この本は、日本で10年間裏千家茶道を学び茶名ももっているアメリカの社会学者の学位論文で、原著は2014年、アメリカ社会学会アジア部門出版賞を受賞している。

これを翻訳・監修されたのが「近現代における茶の湯家元の研究」「お点前の研究〜茶の湯44流派の比較と分析」など興味深い研究をされている廣田吉崇さん。

基本、社会学の学術論文なので、「Nation Work」とか「文化ナショナリズム」とか社会学の門外漢には読んで理解するのがつらいところもあるが、この際、ムツカシイ序章は読み飛ばしてもいいと思う。最初ここで難解すぎてつまずいてしまったが、第一章からの日本における茶道の話はおもしろくておもしろくて一気読みしてしまった。あと最終章も後半は読み飛ばし、、、これもやや難解、学術論文としての内容はだから把握できていない(^_^; でもそういう読み方もありだと思う。面白いのだもの。


第1章の「茶を点てる」では茶室の説明から道具、茶会の様子、茶を点てる所作などの正確な客観的な説明。理系の論文を読んでいるような印象で、日本人なら畳とか障子とか、説明しなくてもわかることの解説が入るのが新鮮で、あらためて認識を新たにしたりする。(障子=木製の格子に貼られた紙障子とか)
筆者の茶の先生のお点前の指導の様子の記載もあり、ああ、そうだったのか、とあいまいにしか学習してこなかったこと(そして今更聞けないこと)なども指導されていて、これは日本文化に白紙に近い人だからこそ素直にうけいれられたのかなと思う。それにしても文章から知る限りよい師匠にめぐりあわれたようだ。
茶会の説明で、よくある正客の譲り合いを「積極的かつ精力的なそして面倒な駆け引きをとおしてこの不平等な空間における席が決まる」ヽ(≧∀≦)ノははは、、、
点前の描写もきっちり書かれた教科書よりさらにくわしく(茶道に出会ったことのない外国人への説明であるからして)日ごろの自分のユルイお点前を反省するのである。

外から見るがゆえに奇妙な日本人の思い込みについての指摘もするどい。「日本は四季がはっきりした国だから季節感を大切にしなければならないのに、西欧化した現代の生活は嘆かわしい」というのも、常々自分もそう思ってきたのだが、外からみれば滑稽な思い込みなのかも。
アニメや漫画について(日本の代表的サブカル)外人に質問されたら、知らない人はスルーすればよいが、茶道に関して質問されて答えられなければ自分を恥じないといけない、、というのもなんかするどい。

第2章は茶の湯の歴史について。
茶道が政治的権力者とむすびついていった戦国〜安土桃山、庶民にまで広まった江戸時代、近代の茶道〜近代数寄者、そして戦後の女性の時代へと。ここらへんは復習であるが、そこに社会学的視点がちょっと入るのである。しかし高谷宗範と高橋箒庵との論戦まで書かれているあたりさすがというか、、、(日本人でお茶やってる人でも知らない人の方が多いと思うよ)
そしていかにして茶道は日本の国民的象徴になったのかについて語られる。(、、、で茶道はそうなの??という疑問もありつつ、、)


第3章、4章は茶道の家元制度について。
実はこのふたつの章が一番おもしろかった!(*^_^*)
茶道の家元制度について、特に最大級の流派について、われわれ日本人がうすうす気づいていたけれどはっきり認識しなかったり、あるいははっきり口にだすのがはばかれるようなことをあからさまに書いているのにはちょっとびびった。(当該流派から「禁断の書」にされるかもしれない、、、(^_^; )ので、具体的にはよう書かんけど、現在の家元体制ができあがっていく歴史的要素、それに対する客観的評価などなど。許状制度の金額(挨拶料)の表まで掲載されているのにはびっくりした。

第5章では(後半ははしょった)現代の茶道について
我が愛読漫画「へうげもの」がとりあげられているのはうれしい。
若い富裕層向けの建築デザイン雑誌「pen」をとりあげて、<茶道は男たちが美意識を発露して客をもてなすクリエイティブな遊び>または<日本文化のトップモードだった茶の湯のパワーは次々と新しい創造を生み出していく>という私も日々感じている現代はやりの風潮をも取り上げている(批判的にか?)とはさすが。

というわけで、社会学としての部分ははしょりになったが、それでも非常に面白かった。日本人として教えられなくても感覚的に知っていることや、当たり前のこととして深く考えることのなかったことをあたらに教えてもらった感じだ。

このスーラック博士、ほんまに茶道のみならず日本のサブカルもふくめた文化や歴史についてほんまに造詣の深い方で、たった10年で、ここまで、と驚きを禁じ得ない。現在はロンドン大学で教鞭をとりつつさらなる研究をされているとか、ますますの発展をお祈りする。

そして、翻訳中、いろいろ苦戦されているご様子をちょっと垣間見て知っている私としては、そのご苦労が報われたことにお祝いと、この本にであわせてくれたこと、翻訳監修の廣田さまに深く感謝をいたします。


最後に序章から引用 〜

「今日の茶道は、観客がいないもののスポーツのような余暇活動であり、趣味でもあるものの厳格な階級組織に取り込まれている。儀礼であるがビジネスでもあり、芸術でもあるが決まり事でもある。作為的に日常生活から切り離されつつも、日本的なもののすべての統合体であると主張される。」


水無瀬神宮月釜〜燈心亭 - 2018.06.13 Wed

水無瀬神宮(神社ではなく神宮なのだ)へ行く道を検索すると「大阪府三島郡、、、」とでてきて、おかしいな〜と思っていたの。だって同じ大山崎の駅から行ける大山崎山荘は京都府乙訓郡だから、てっきり京都だと思っていたのよ。




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阪急大山崎駅からも水無瀬駅からもけっこう距離のある水無瀬神宮。
神宮とは皇室とゆかりのある神社、こちらも御祭神は後鳥羽天皇とそのご子息のふたりの天皇(土御門天皇→土佐に配流、順徳天皇→佐渡に配流)。まつられているのが上皇さん天皇さんなんやなあ。




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早くも茅輪くぐりの夏越払仕様になっていたので、八の字を書いて(左に一周右に一周また左一周でお参り)お参りする。


水無瀬の地は後鳥羽院が愛した離宮があった場所、隠岐に流された後も水無瀬を偲ぶ歌を残しておられるくらいお好きだったようだ。後に院に使えた公家の水無瀬家がこの地に院を祀ったのが水無瀬神宮の起源だそうだ。





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拝殿の参道の両脇にたくさんの涼しげな風鈴がつられ、風がふくと一斉に音をならす。これはおとなりの月釜の茶室にも響いていたよ。




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境内は紫陽花が花ざかり

月釜はなんとこの重要文化財の客殿の中!桃山時代の建築という。




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「都忘れの菊」

この菊の説明文が難解(悪文といいましょうか、どの形容詞がどこにかかっているのかようわからん)なのだが、大意として、「お父上(後鳥羽院)が好きだった野菊を配流先の佐渡で見るたびに、懐かしく都忘れの菊と名付けたよ」と順徳天皇が名付けた佐渡の菊をこちらに移植した、、、ということだろうと思う。




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官休庵の木津宗匠のお席で、お点前を若いお茶友君がされた。

旧暦端午の節句とあって、待合の薬玉の絵から鯉の滝登り、登竜門の話からいろいろテーマがちりばめられ、宗匠のお話し上手でとても楽しい席であった。

印象的なのがお流儀の烏帽子棚
床の間に本物の烏帽子を飾っておられたのと呼応していて、しかもこの棚を使うときのみ、烏帽子折という帛紗のたたみ方をして飾りおく、のだそうだ。(写真のあるブログ発見→)はじめて知った。(そういや先日の薪能でも「烏帽子折」の演目あったなあ、、、なにかご縁が?)

蓋置が三人形の鯉バージョンで、登竜門を登りきった金色の鯉(龍になる予定)が1匹、残りの2匹が錦鯉で、この子たちは登り損ねたのかなあ、、と思ったり。かわいかった。





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さて、この客殿の裏にある茶室を拝見するのが楽しみで。
茶道検定にもよく登場する「燈心亭」、その名前はかねがね。やっと本物を見ることができるよ。


 

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藁葺き屋根はまるでどこかの田舎家のようだが、実は後水尾天皇よりご下賜の茶亭なのだ。




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障子の下には籐を貼り付けて水引をあらわすなど、早くもいろんな意匠が満載。

ただし、私は建築学的なことはようわからんので、詳しくはこちらの数寄屋建築家のブログを読まれたし!




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茶室は三畳台目下座床で小間にもかかわらず脇床まであるところが宮家好み。

さて、燈心亭が燈心亭たる由縁はこの天井である。




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20cmほどの格子の中に縦横並べられたのは、、、

蘆、寒竹、苧殻、萩、山吹、木賊、九十九草、竹、柿、桐、桑

の11種類。いずれも燈心になる植物ゆえ燈心亭。ただし、こうよばれ出したのは実は昭和初期と非常〜に新しいのだ。それ以前は「七草の席」とよばれていたそう。

しかし、蘆とか苧殻とかは灯心といってもわかるが、あとの植物が灯心っていわれてもピンとこんなあ。しかし意匠的にとてもモダン。




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風炉先の裏が半畳ほどのスペースになっていて、茶会の時、ここに師匠がすわって点前の指導を影でしてたりして、、、、(^_^;





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かつてはここは申し込まないと拝見できなかったらしいが、今は月釜の客は自由に拝見できるようでありがたい。ここで実際に点前されることはないのだろうか、重文だけに。




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境内には水無瀬川の伏流である名水「離宮の水」がわく。名水百選にもえらばれているため、ポリタンクをかかえて水くみの人が絶えない。よって味見はできなかった。ちょっと残念。(あ、お茶会の水はここのか(^_^;)








茶遊記ー回想茶会ー〜看月亭 - 2018.06.11 Mon



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東山の麓、哲学の道沿いにある光雲寺
夜坐(夜の坐禅)もできるお寺だが、そこを通り過ぎて、、、、



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しばらく行くと看月亭
葵stayのとてもすてきな数寄屋宿泊施設!)




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本日こちらで季の雲さん主催の「茶遊記」

陶芸家の市川孝さんを中心とする中国茶のお仲間が、4年前からはじめた「お茶で遊ぼう」をテーマに海外にも出かけて場所を変え時を変え紡ぐお茶時間。その4年間に海外は10箇所以上まわったそうだ。

ほぼ同じメンバーであちこちで催される茶菓花器事に、なんどか参加させてもらった。




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今回はこんなすてきな場所で(いつもすてきだけれど)!
お、早速すごい水上の茶席が!これは後ほど楽しむとして、、、

今回テーマは、この4年間に一行が巡ってきた茶遊記の旅をふりかえる茶会
2日で6席、それぞれの席で訪ねた場所がかわるのだ(仙台編、西安編、武夷山編、雲南編、、など)。私が参加したのは色々編〜どこの旅先がでてくるかはお楽しみ、、、なのだそうだ。




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ちなみに看月亭は植治の小型の池泉回遊式庭園があり、疏水の水がざーざー音をたてて流れる。池にはでっかい鯉もいた。




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今回は季の雲さんでおなじみの若手陶芸家、木工、ガラス、金属などの作家さんの作品も展示即売、作家さんとお話しながら見ることもできる。主に中国茶器。



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なんと私の好きな木工の水野悠祐さんのお盆がいっぱいあるではないか。すでに何枚か持っているのにまたまたほしくなってしまう。(春に池尾のアトリエにもお邪魔した)




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ここには三畳台目っぽい茶室もあるのだ。



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床には青紅葉と山法師の花
軸は素描家しゅんしゅんさんの絵




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今回使わなかった玄関の間にはナグリの床があって、足触りのよいこと!




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あ、早速前のグループの方が水上の茶席に入席
この水中に配した竹の足台も、大きな竹の建水も、椅子もすべて先日春秋山荘で竹の茶室を作った知り合いの庭師さんがつくったもの。




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この茶車は市川さんの作ったどこでも茶席なのだが、まわりの竹の室礼はこれもかの庭師さんのものだね。(ちなみにこの茶席はお昼の会で使ったものらしい)



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まず最初の席、おなじみの好日居さんの二階席
テーブルに草と蛍?とおもいきや、蛍はたべられるお菓子だったりする。

韓国の燈火器の灯りの中、抹茶に朝鮮人参の粉をまぜたお茶を。意外とさっぱりとおいしかった。ここは韓国編だな。




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この上の窓は東山が望めるので、まさしく看月ができる。まだ月はでていないが。

ついでガラスの器にはいったエルダーフラワーゼリーをつぎわけてもらう。ヨーロッパに咲く癒しのハーブだ。ここはチェコ編。好日居さんと親交のあるチェコの陶芸家のマルティンさんを訪ねた時に摘んだハーブというお話しを以前聴いたことがある。



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そのゼリーに炭酸水をそそぐとキラキラ、、、とても美しい飲み物になった。




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次はいよいよ水上茶席、小さな滝の前の池に臨時でつくられたベンチへ




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これはまだ明るいときに撮った写真




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席主は市川孝さん、いただくのは烏龍茶と普洱茶
ここは雲南編かな
市川さんの陶器は好きで、いくつかもっているのだが、ここのところ彼はすっかり中国茶にはまって、さきほどの茶車を作ってしまうほど。作品もおのずと中国茶用の茶器が多い。




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足の下をザーザー水が流れる。
なんと気持ちのよい初夏の宵であろうか。




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最後は茶絲道の堀口一子さんの四畳半席
まずは酸っぱさがさわやかなハイビスカスティーを

次は土楼烏龍茶
福建省の客家(はっか・中国高山地方の少数民族)がつくる土楼という円形の土の家は世界遺産にもなっているが、そこで作られるお茶。
これがまた美味で、バニラの香りというのか、こんな烏龍茶を飲んだのははじめて。いろいろ中国茶葉飲んだつもりだったが、まだ奥がある。




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お菓子は御菓子丸さんの干琥珀「輪」
偶然だそうだが、床の素描も輪




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ああ、お茶でいろんな所を旅した気分だ。
ごちそうさまでした!




平安神宮薪能2018 - 2018.06.08 Fri

6月1日、2日は恒例の京都平安神宮薪能
今年で第69回目である。




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日没まではどんなに暑くても日没後の冷え込みは例年痛い思いをしていて、昨年などは凍死するんじゃないか、と思うほどであった。よって今年は防寒対策万全である。これだけあればなんとかなるだろう。




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来年のためにも備忘録として書いておこう。

<平安神宮薪能持参すべきもの>
謡本、オペラグラス、防寒グッズ、軽食(クラッカーなど)、お茶、そして帽子!なぜなら日没までは西日直撃なのだ。この暑さで例年だまされる、、、




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チケットのもぎりから、パンフレットの販売まですべて能楽師さんたちがご自分でされるので、場内あちこちで自分の先生を見つけたり、有名な狂言師を見つけたり、、、も楽しいよ。




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今年のテーマは「悲劇の英雄 義経の生涯」
義経にまつわる演目を2日にわけて。私は初日参戦。

今年も狂言方によるユーモアたっぷりの演目ナビがとてもおもしろかったし、初心者にもわかりやすくてよいこころみだと思う。




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「橋弁慶」金剛流

五条の橋の上で狼藉を働いていたのが弁慶でなく牛若丸というおはなし。
シテは弁慶なのだが、牛若丸は子方が演じる。今回はこの牛若を小学生くらいの女の子(が演じていてかわいかった。シテ方のお嬢さんなのだろうが、金剛流の方はあまり存じ上げない。



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「烏帽子折」観世流

僧侶になるのを嫌って鞍馬寺を出奔した牛若丸、追手を避けて金売吉次とともに東国へ下る途中の近江・鏡宿で烏帽子を作らせて元服し、いでたちをかえる。
(能では烏帽子が左に折れていると源氏、右に折れていると平家なのである。)
赤坂宿でおそってきた盗賊熊坂長範一味をバッタバッタと切り倒す牛若、改め義経の剣劇。義経が倒すたびに盗賊一味が舞台から姿を消して,最後に長範との一騎打ち、まさに子方メインの舞台。実にこれが子方の卒業演目というのもうなづける。




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日が暮れてくると、、やっぱり寒い〜。上半身はダウンでなんとかなったが、下半身はやや防備が足りぬ。来年への教訓としよう。(ちなみに2日目はそれほどではなかったよし)




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最後の演目はご存じ「船弁慶」観世流

平知盛の亡霊がでてくるやつで、何回か見たことがあるし、数年前お能の師匠が「碇かつぎ」でめちゃかっこいい知盛をやったのだ。
これにも子方の義経、そして静御前の女舞が見られるのも二度おいしい感じ。




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ちなみに2日目の演目は「鞍馬天狗」「祗王」「正尊」

義経の生涯を思うに、平家滅亡までの華々しい活躍と後の悲劇との落差が痛ましい。なぜ頼朝にいちゃんの許しなく冠位をうけたのであろうか。それを辞退する智恵がなかったとも思えず、一枚上手の後白河にはめられたのかなあ、、、やっぱり。




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お開き後、観客のいなくなった客席。
今年も薪能、よかったよ。





光琳乾山忌茶会2018 - 2018.06.06 Wed

よい天気に晴れ上がった奥嵯峨です。




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気持ちのよい早朝の広沢の池、その畔にある3万坪の平安郷にて、今年もMOA美術館主催の光琳乾山忌茶会参席です。

ちなみに光琳、乾山の兄弟は27年の時を経て、同じ6月2日に亡くなったのです。この光琳乾山忌茶会、以前は熱海のMOAでおこなわれていたのですが、H16年から、京都、平安郷で主催となったそうです。

昨年の失敗をふまえ、今年は受付開始より前に到着、全部回ってまだお昼前、という快挙(?)をなしとげました(^_^;!



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マイクロバスにのって(平安郷内は広いので、マイクロバス移動なのです)一番に濃茶席・中の茶屋へ。生垣の向こうに広沢池をのぞむ待合が。期待でわくわくです。

前日からわくわくしすぎて、当日懐紙・扇子・帛紗一式みな持ってくるのを忘れたことに気づいてぼ〜ぜん、、、、我ながらおはずかしい限り、お知り合いの方をみつけて懐紙のみわけていただきました。(ありがとうございました!!)





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ここの待合は広沢池の景色があまりにすばらしいので、いくら待たされても平気です。しかしこの日はほとんど待ち時間がなくて、かえって残念なくらいでした。




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今年の濃茶席の席主が今年3月に松江で行ったところの田部美術館、なのでよけいにわくわくしておりました。美術館を作り島根県知事もつとめ数寄者でもあった23代田部長右エ門さんのお孫さんにあたる当代(39歳のお若さ)が席主をつとめられました。
(ちなみに官休庵の奥様はこの田部家の方です)




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今年は不昧公没後200年ですから、当然と言えば当然のご縁でしょう。田部美術館には私の大好きな高麗系の垂涎モノの茶碗など、すばらしい逸品がたくさんありましたので期待もMAX。今回はやはり不昧公ゆかりの品々、京都でも不昧公祭♪の状態です。
待合でいただくお菓子もまた松江の風流堂さんの葛菓子「湖光」、広沢池に寄せての銘でしょう。




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例年は濃茶はすべて点てだしなのですが、今年は官休庵の門弟の方々のお点前付き、という贅沢な席でした。お正客がお茶への造詣が深すぎる(^_^;TZ寺の和尚様でしたので、席主の方々の解説にも力がはいって、そのお相伴をさせていただけたありがたさ。

床に不昧公作、園城寺写しの花入「晩鐘」
煤竹色の花入れで真ん中に園城寺みたいな割れ目がすっとはいっているのが景色

水指が分厚い古備前の一重口、極渋なのに、蓋がうごかすとかたかたと鳴るのが愛嬌があります。



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(田部美術館リーフレット)


展覧の茶碗は、田部美術館からの再会でした。
青井戸「秋埜」不昧箱 梅花皮の少ない青味のある茶碗


実際濃茶をいただいたのが、和尚様のお相伴ができたので主茶碗の御本・茂三でありました。なんとまあたくさん御本が浮いていて、和尚様のご指摘で内側に1本刷毛目がすっと通っているのを見ることができました。御本はあまり好きではないのですが、これはなかなかの景色でした。




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一番心惹かれたのは茶入 撫で肩のかわいらしい瀬戸金華山・雲州蔵帳収載、遠州箱の「京童」
これは不昧公が弟のように可愛がった姫路城主・酒井宗雅(抱一の兄)愛蔵の茶入だったそうです。不昧と宗雅の茶の湯をめぐる交わりは記録にも残っていて実に深い親交があったようです。しかし彼は36歳の若さでこの世を去り、不昧公の嘆きもさぞ深かったことでしょう。この茶入は宗雅が自分の死後何年後かに不昧に譲ると遺言したもので、後に不昧から田部家に伝わったそうです。この茶入をはさんで一体どんな二人のやりとりがあったのでしょう。

茶杓ももちろん不昧公作共筒「山里」
箱が不昧の娘さん、堀田玉映とありますが玉映さんは不昧の曾孫なので、玉暎さんの方かな。聞き違えかもしれませんが。




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ついで上の茶屋・薄茶席はMOA美術館が席主です。

こちらも負けず劣らず不昧公祭、寄付の自画賛は風炉釜に羽根、賛は利休の「茶の湯とは ただ湯を買わし、、、」の一節でした。



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脇床になんと大きな嵯峨人形!犬を小脇にかかえた童子の人形で、床の俵屋宗達の犬図に呼応しているではありませんか。それにしても宗達のわんこ(ブチ犬)は人間っぽい顔をしていてユーモラス。




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直斎(官休庵七代)の竹一重切花入「長袴」にはオレンジ色のマツモトセンノウ、破れ傘(だったか?)が涼しげ

青貝の香合はびっしり細かい細工、黒田辰秋の螺鈿細工を連想しました。

水指が足つきの渋い金襴手、長板にのせて

官休庵がらみが多くて、茶杓も一翁宗守共筒「清滝」




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三つならべて拝見した茶碗が


膳所光悦 光悦が膳所の土をもって作った茶碗二つのうちの一つ、遠州の箱
白いボディに鉄釉がかかり、形は光悦らしいあの形、ガラス釉の貫入が美しくて磁器のようなイメージ

仁清の色絵歌書巻文 裏に「仁清」の印あり

乾山の錆絵山家文、松の絵と漢詩が書かれているもので、不昧の長男松平斉恒(月潭)の箱





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お菓子はこちらも葛焼、赤坂塩野です。

砂張の建水が、これまた酒井宗雅所持、箱に漆で宗雅の号のひとつ「一得庵」とあの瓢箪のかたちの印。これも不昧との親交や早逝したことを考えると感慨深いです。(ちなみに一得庵の号は和尚様におしえていただきました。知らなかったらふ〜んで通り過ぎてた(^_^;)





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茅葺きの中の茶屋
今年はじめて行ったMOA美術館で、そこの茶室とよく似ている造り(土間+座敷)だと思った中の茶屋です。




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またまたマイクロバスで移動
ここは枝垂れ桜がきれいで、その季節には一般公開されるのです。(写真はこちら




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最後に東京美術青年会の薄茶席、下の茶屋

待合の床に磯部光太郎さんの金彩日本画「喜雨」
やぶれた蕗の葉のあちこちに小さな雨蛙が7匹、雨を喜んでいる様子で、ちょっとカエルが多いな、、と思っていたら、今回この席のために特注したもので、青年会のメンバーが力をあわせていることを現しているそうです。なるほど。




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本席の床が雪村の「瀧」、長い長い縦長の軸で、琵琶床に珍しい乾山の錆絵の獅子香炉。

宗和箱の砂張釣船花入れには白いシランと根〆に小さな小さなアザミの蕾、これがすてきでした。

茶器が室町時代の根来西大寺型、室町のものとしては保存状態がとても良好で、蓋裏の漆がなめらかで透けてきているのもなんともうっとりです。


今回学習したのは直斉好みの香合「名取川」
なんと香合番付では行司の位です。仙台伊達家から宮中に献上された埋もれ木を、官休庵7代直斉が九条家を通じ拝領、それで5つ半(一つは蓋のみ埋もれ木)つくった香合のまさしくその一つ。本物を拝見するのははじめて。表面は埋もれ木の木地を生かした拭き漆みたいな感じで、蓋をあけると細かい線描の蒔絵で川波文が!これはしっかと目に焼き付けておかねば。





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(干菓子は東京・みのわの青梅と観世水)



最後に今回の茶碗としては私的に最高だった雨漏堅手
名古屋糟谷家伝来の茶碗で、堅手というよりむしろ粉引に近く、貫入がおびただしく入り色はブルーからグレーのちょっと珍しい色
益田鈍翁が糟谷へ送った添え状付きで「この茶碗を使って茶事をしてくれてありがとう、、、」みたいな事が書いてあるらしいです。(読めない、、、)目利きの鈍翁がそう褒め称えるくらい、ええ茶碗でした。ほんま。





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最後に京都吉兆さんの点心をいただいて、東京のお茶の先生とのご縁もいただいて今年もお開きです。




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ああ、楽しかった。
ワクワク感は裏切られず想像以上でした。懐紙帛紗扇子忘れてもしょうがないよね(^_^;




銀月サロン・新緑の茶会2018〜銀月アパートメント - 2018.06.04 Mon

北白川の築年数不肖、映画のロケ地としても知られた銀月アパートメント



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門前の枝垂れ桜を楽しみにしていたのだが、今年はアクシデントがあっていきそびれた桜茶会。もうすっかり緑だ。




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ちょっと残念なので去年の桜茶会の画像をおいておく。




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そして新緑茶会




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きょうのお茶は?




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ブリキの缶々にはいった中国茶
先日梅田阪急のワールドティーフェスティバルで私も一缶もとめた。




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最初のお茶は碧螺春(ビールオチュン)
春を告げる緑茶
摘んでほとんどすぐ殺青する。だからイメージは煎茶
湯の中でゆっくりほどけていく茶葉を眺める




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左の武夷岩茶の荒茶(製茶しただけのお茶)
それを焙煎して精製した右の大紅袍
ふたつの飲み比べ





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大紅袍は、中国茶の中でもお値段がとびぬけて高い
荒茶はその何分の一かの値段、ところが、、、




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大紅袍はたしかに香りも味も洗練されていて美味しいが、荒茶のさわやかさは衝撃的
まだこんな中国茶があったのか




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荒茶は荒茶ゆえ、残念ながら流通はなく、
この場限りのご馳走なのである




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お楽しみは点心
本日は龍井茶(ロンジン茶)の海老粥(中国茶の茶粥みたい)と豚肉の腐乳(フールー・豆腐を発酵させた調味料)あえ
いつかレシピ本を作ってほしいと切に願う美味しさ




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最後に阿里山烏龍茶
オレンジ+白餡のどらやきをつまみながら




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近くの疏水べりで摘んできたというヒメジョオン
本来雑草だが、こうして見るとかわいくてすてきだ




出雲紀行2〜古代出雲歴史博物館〜雲州平田・木綿街道 - 2018.06.02 Sat



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出雲大社に隣接する島根県立古代出雲歴史博物館へ。




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床にも八雲立つ、、、




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出雲神話が書かれた三書(古事記・日本書紀・出雲風土記)そろい踏み

古来、出雲大社は巨大で中古には高さ16丈(48m)、その前の上古には32丈(96m)もあったと伝えられていたがあくまで伝説と思われてきた。

しかし、平成20年、出雲大社本殿の発掘調査中地中から発見された直径1m以上の3本の柱の根本が、歴史を塗り替えた。これらの古書によるあくまで伝説と考えられてきた巨大説がにわかに真実味を帯びてきたのだ。



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まだまだ検証すべきことは残っているのだろうが、多くの歴史学者、建築家が興味をもって復元模型を作っている。ここに展示されているこれもその一つ。階段の上の方に白く見えるのが人なので、もしこれが本当であればすごく巨大な高い建物であったのだ。これも古代史のロマンの一つだなあ。




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他にも神在月の神儀式の様子の歴史的資料やVTRもあって、少し勉強した。

ちなみにこれは荒神谷遺跡から発掘されたおびただしい銅剣、弥生時代のモノで国宝なんよ。実に壮観!



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さて、出雲大社をあとにして、一畑電車にゆられて雲州平田・木綿街道へ。
電車はこんな景色を楽しめる車両もあって楽しい♪




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雲州平田は江戸時代から明治に書けて雲州木綿の集散地、川港の町として栄えた。


 

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もともとこのあたりは汽水湖であったのを埋め立て、稲作ができるようにしようと、塩抜きのため綿花を栽培した土地。ところがのちに、稲よりも綿花の方に商品としての価値がでてきたため、そのまま綿花が栽培されつづけたのだそうだ。




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駅から歩くこと約10分ほど、昔ながらの町並みは残ってはいるがかなり限定されたエリアだけのよう。



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それでもナマコ壁とか格子とか、往時の雰囲気を残す。




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こちらは加藤醤油屋さん。
醤油ソフトクリームを売っているもう一件の有名なお醤油屋さんは道に迷って結局行くことができなかった。(有名な生姜糖屋さんも)残念。




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今も昔もろうじを自在に歩き回る猫
通行人に会うこともない静かなたたずまいの町だ。




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木綿街道のシンボルともいうべき本石橋邸、国の登録有形文化財である。
ここへはお隣の旧長崎家、200年前の医家を復元した建物の木綿街道交流館に声をかけてあけてもらう。スタッフの方の解説付きで中へ入ることができる。(200円)





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広い玄関の間
この建物は江戸中期1750年頃に建てられたという。本石橋家は木綿の集散を一手に取り仕切っていた地主さんだったそうだ。40年前までは実際ここで本石橋家の方が暮らしておられたという。

現在庭は出雲市が管理しているが、建物は本石橋家の子孫の所有で、所有者は東京にいらっしゃるとか。




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地主さんの家なので、松江藩主が出雲大社御参拝の時には御成の場所となった。ここはその御成の間。




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こちらの大きな庭は明治以降に作庭されたモノ。なぜなら江戸時代、武家でなければ庭はつくってはいけなかったから。しかし、この家は大地主であったため、坪庭を作ることは許されていて、江戸時代の庭が残っている。(ただしまだ復元まではいっていない)




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露地には蹲居もあって、茶室は三畳中板、でも茶室にしては、、、ちょっと雰囲気が???と思っていたら、時代柄、そもそも煎茶のための茶室として作られたという。確かに円相の前の棚なんか、なんとなく文房四宝を飾るのによい感じだものね。




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しかし、よく壊さんと残りましたね、と言うとガイドさんは、京都なんかと違ってここらの土地は安いからね、壊して売っても二束三文だからね、と苦笑い(^_^;




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出雲も出雲大社だけではなかった。
時間があれば神様がやってくるという稲佐の浜にも行きたかったが、ふたたび出雲に来る機会はあるか、ないのか、こればかりはご縁のものなのでわからない(^_^;







大国主をたずねて〜出雲紀行・出雲大社 - 2018.06.01 Fri

3月の松江行きは松江市内を楽しんだので、今度はおとなりの出雲にいってみよう!




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岡山から出雲行きの特急「やくも」


  八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 
        八重垣作る その八重垣を  (スサノオノミコト)




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JR出雲市から一畑電鉄にのって(1時間に1本か2本、、、(^_^;)30分弱




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「出雲大社前駅」
実はこの建物、国の登録文化財なのだ。(昭和5年建造、コンクリート製)




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駅から見える出雲大社二の鳥居、ここへの道は神門通りとよばれる。

え?じゃ、一の鳥居は?、、、実は駅の反対側にあるのだ。




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わかるかな。正面の遙か先にあるコンクリート製の鳥居が一の鳥居





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二の鳥居は木製
この前の広場は勢溜(せいだまり)といってかつて見世物小屋などがひしめいていたらしい。




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松の参道
かつて、この道は神様の通り道であるので、神職か貴人しか通れなかったという。今でもここは通れず参拝者は松並木の外側の道を行く。「松保護のため」と今では書かれているけれどね。




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そして因幡の白ウサギと大国主命

子供の頃読んだ神話物語の段階で私の知識はとまっているのだが、天孫族(アマテラスの子孫)に出雲族(スサノオの子孫であるオオクニヌシ)が国を譲って出雲大社へ鎮座した、という歴史的に何か事件があったとおぼしき記述(記紀や出雲風土記)にちょっとロマンを感じているのだ。





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というわけで、県立古代出雲歴史博物館でこの面白そうな本を買った。

オオクニヌシ、当時はオオナムチ、は若い頃は兄神たち(八十神)にいじめられて(因幡の白ウサギの話もそのうちの一つ)、死んだり生き返ったり、いろいろ忙しく成長させられ、その間スセリヒメという妻をちゃっかりもらって、後にオオクニヌシ=大国主命となり、国造りに励み、葦原中国(あしはらのなかつくに)を完成させたことになっている。




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三の鳥居 銅製 毛利綱広公が寄進(コンクリート〜木〜銅といろいろな素材の鳥居だこと!)


その完成した国をあっさり天孫ニニギノミコトに譲った、という神話は出雲族が大和族に征服されたことの暗示ではないかという節もある。しかし、話はそう単純ではないことが本を読んでわかった。残念ながらその道の専門的知識はないので、解説するほどの才能はないが、要は天孫系と出雲系の神々ははっきり別れているわけではないらしい。




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拝殿

3歳児のみぎり、この前で母親と撮った写真があるので、一度来たことがあるのは確かだが、全然、さっぱり記憶にございません。(世の若い親御さんたち、あちこちつれて歩いて後に感謝されるのはせめて4歳児以上だぞ)




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出雲神社のアイコン、大注連縄 8m 1.5トン
この拝殿のモノも十分大きいが、神楽殿のはもっと大きい。




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ご神体が祀られる御本殿の八足門(正月三が日だけ開放される)
杮葺の美しい屋根は五年前に完成して平成の大遷宮がおこなわれた。




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(大社の神紋・二重亀甲剣花角)



神殿は玉垣、瑞垣、荒垣の三十の垣根に囲まれ守られているが、祀られているのは実はオオクニヌシだけではない。他にも五神ましますが、この方たちは南を向いているのに対し(本殿も南向き)オオクニヌシだけ西を向いているという。西の方、黄泉の国があったとされる方角であり、また神々が神在月にやってくるという稲佐の浜の方向であり、オオクニヌシも海からやって来た水神としての性格があるからかも、とも言われているあたりも謎めいてロマンチック。





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このクラシックな建物は明治に創建された、いわば宝物館
中をのぞいたらオオクニヌシ?とおぼしき人形(小学校の工作レベル?←ゴメン)と目があってぎょっとした(^_^;




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本殿の北側にあるのがスサノオを祀った素鵞社

スサノオはオオクニヌシの祖先であるだけでなく、妻のスセリヒメの父でもあり、当時根の国(黄泉の国と同じ性格をもつ?)に君臨し、オオクニヌシをあれこれ殺そうとたくらむのである。しかしヒメの助力もあって、無事彼女をさらって脱出、その際にスサノオはオオナムチに「大国主になれ!」と言ったのであり、その後のオオクニヌシとなったオオナムチは国造りにめざましい活躍をするのはご承知のとおり。

ゆえにこの社は本殿のオオクニヌシを監視しているという意味もあるという。




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御本殿の千木(ちぎ・ぶっちがいになっているヤツ)は切り方が縦切りだと男神、水平切りだと女神と、若狭のお水送りの時におしえてもらった。だからこれは当然ながら男神。
そして屋根の上に横に並んでいる鰹木の数が奇数が男神、偶数が女神だとも。(これを知って神社の屋根を見るとけっこうおもしろいかもよ)





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さて、出雲大社は毎年神無月に全国の神様がここに集結するので有名である。なので10月は出雲だけ神在月になる。
これは境内の左右にならぶ十九社とよばれる10月限定の神様ホテル。
神在月に稲佐の浜で神々をお迎えし、ここにとどまっていただく祭儀があり、そのVTRを博物館で見た。

神様はあれこれ一年分の縁結びの相談をされるので、その間はうるさくしないよう、地域の人たちは音曲をひかえるのだと言う。




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さあ!
これが最大にして最重量の神楽殿の大注連縄!!
長さ13.5m 重さ4.4トン それを支えているのだから建物の強度もかなりのものだと思う。




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松の参道近くに帰り際、変な?像とオブジェを見た。この写真には写っていないが、この向いに両手を広げて、海からやってきたこの玉(幸魂奇魂・さきみたまくしみたま)をオオクニヌシが迎えようとしている場面らしい。

古来神霊には四つの相があって、荒魂(あらみたま)、和魂(にぎみたま)、それにこの幸魂、奇魂なのだそうだ。(後者二つは大きくは和魂に含まれる)





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一緒に国を作り上げたスクナヒコナが海に帰っていって途方に暮れたオオクニヌシが、海からやってきたこの幸魂奇魂を迎え入れることによって国造りを完成させたという。そしてこの二魂は大和の三輪山に祀られたという。三輪の神様はなんと出雲につながっていたのか!という驚愕の?事実!




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古代神話ってややこしいけれど(特に神様の名前がむつかしすぎ)なんて面白いのだろう。神話ではあるが、きっと当時の史実をシンボライズしているに違いないと思える。それがなんだったのか想像するのもまた楽しい。
ちょっとだけ「よい子の神話」を卒業できた気がする。




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(慣れぬ)勉強をして疲れた頭と体に、出雲名物割子蕎麦!!







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