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2018-08

京都市学校歴史博物館+d.d.cafe - 2018.08.29 Wed

京都の小学校と言えば、なんといっても日本で最初の学区制小学校である番組小学校が作られたことで有名(明治2年)。この番組という単位は学区だけでなく、消防などの地域の自治機能もそなえたものなので、けっこう現代にいたっても、その地域の結びつきは強い。

初対面の京都人にはまず「どこの学区?」と聞かれるとか聞かれないとか。(いや、冗談ではなく、ほんま)



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その歴史ある番組小学校も子供人口が増えたり減ったり、特に平成に入って洛中の子供人口が激減したドーナツ現象で、学校の統廃合がはげしく、初耳の名前の小学校があちこちにできてびっくりする。

その由緒ある番組小学校の創設に関する資料や、戦後の学校制度の改変まで、また改変以後(ここらへんうちらのリアルタイム)の、学校に残された教科書、教材、当時の貴重な写真などを展示するために平成10年に、元開智小学校(下京第11番組小学校)の校舎を利用して作られたのが京都市学校歴史博物館である。

(ちなみにこの正門は国の登録文化財になっており明治34年のものだそう)



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御幸町高辻上ルなので、四条河原町から充分歩いて行ける。前から行こう行こうと思いつつ、やっとたどりつけた。




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校庭はよその廃校になった明倫や(在りし日の)立誠などのそれとかわらない。

京都には教育に対する熱心な思いが江戸時代からすでにあり、幕末の頃から学校を作ろうという気運は早くも盛り上がっていたらしく、その会所のひとつが画家の森寛斎の家だった、というのは意外だったな。

番組小学校は当初、地域の人がお金をだしあって、場所によっては番組小学校会社を作って運営していたそうだが、明治16年の国民学校令により国民学校となったのちも、その番組というルーツは戦後まで続くのである。




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のっけから、番組小学校が持っていたお宝=楠部彌一(錦林小・うちの学区)とか近藤悠三(清水小)とか魯山人(梅屋小)とかほんまのお宝が、小学校にあった、ということからもどれだけ京都の人が小学校を大切にしていたのかがわかる。



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このきれいなモザイクタイルの階段も、小学校=教育にお金をかける!という地域住民の心意気か。ちなみにこの学舎は昭和10年のもの。



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展示では明治の初頭から終戦後までの教科書が、1.6倍の大きさのコピーでおかれていて、めくれるようになっている。これがけっこうおもしろくて、国語のみならず社会や地理、科学、音楽、修身の教科書までじっくり見てしまった。特に戦前の戦争色が強いものは時代を感じさせてせつない。

「おかあさまが絵本をよんでくださいました。」「お客様にお茶をはこんだのでほめられました。」「(友だちが自分の持ち物を壊したら)こわれたものはしかたがない。ゆるすこともだいじです。」「きものの帯はきちんとむすびませう。」、、、

こんなきれいな日本語で教育されていたら、どんなに美しい言葉で話し、どんなにしつけのいきとどいた子供になったことだろう。戦後教育の善し悪しもかんがえてしまう。




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戦後のいわゆる「墨塗り」の教科書もあり、また、全編ローマ字という奇異な教科書もあった。これはGHQが日本語を廃し、日本人に英語を使わせようとした戦略だったとも言う。(そうは問屋がおろさない。複雑微妙、言語としてかなり高等な日本語は、全部で26文字しかない英語なんかに駆逐されないのだ!)

戦時中の小学校で当時の小学生が書いた作文の実物が展示されていて、父親の出征の事が書いてある。よく勉強をして、絵を描いておとうさまが帰ってきたときにほめていただこう、、、けれど父は帰ってこなかった。また、日本が戦争をすることになった、とラジオがいっていたと学校が騒然とするようすを書いた作文も。




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(うわ、懐かしい。この画調は私が小学校の頃の教科書や絵本でよくみたやつや)


また尋常小学校のころは10才で卒業であり、その卒業生が書いた卒業式の答辞が7割漢字で、こんな字、私でも書けんわというような字を書いている。昔の教育はものすごかったのだなあと実感する。そりゃ、当時の知識人の教養はいまの大人とは全然ちがうのもむべなるかな。




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(やっぱりあった、二宮金次郎さん)


給食コーナーでは私がリアルタイムで使っていた三つへこんだおかずをのせるスペースのあるアルマイトの皿がならんでいて、これも懐かしい。

最後に番組小学校が誕生した明治2年から現在に到るまでの統廃合の図があって、ああ、あの小学校はなくなったのか、とか、あれは聞いたことないと思ったらごく最近できた学校か、、、とこれも興味深く見る。
それにしても旧番組小学校の命名はすごいなあ。
乾隆、待賢、翔鸞、嘉楽、銅駝、、、昔からの土地名でつけたものもあれば、当時の京都知事槇村正直が漢籍からつけたものもあり、平安時代の坊城名からつけたものあり(銅駝とかね)、イマジネーションがふくらむ。きっと在校生も誇りに思っただろう。それに比べると統合された新しい小学校の名前はひねりなさすぎ、まんま。(ちなみに我が学区、錦林は当初錦織だったということもはじめて知った。)

ゆとり教育とか今の日本の教育行政はあまりに場当たり的で、明治の頃の教育に対する情熱と理念のなさが危機感をつのらせるよ。





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ちょっと勉強したので?、ここらで休憩。
歩いて行ける仏光寺、その境内にあるD&Departmentのカフェへ。




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ここはお寺の茶所(参拝者にお茶をふるまっていたところ、だからオリジナルの使い方にもどったってことか)



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軽食もいけるが、普段使わない頭使ったので,今日は糖質補給(^_^;



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ここのショップもおもしろいよ。




蔵酒場・佐々俵2018〜佐々木酒造 - 2018.08.27 Mon

洛中唯一の造り酒屋、佐々木酒造
丸太町智恵光院の近く、そこの日本酒のブランドでもあるその名も「聚楽第」、その聚楽第のあったあたりの酒蔵です。



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俳優の佐々木蔵之介さんのご実家とえいば、なお有名かも。
現在の社長は蔵之介さんの弟さん、お兄さんより男前、という評判の晃さん。



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こちらが店舗ですが、そのお隣のふだん非公開、というか現役の酒蔵が本日の舞台。



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こちらの酒蔵で、一夜限りの飲み放題イベント!
「蔵酒場・佐々俵」、待ってました〜〜!

右が男前の社長、左がこの佐々俵のプロデューサーでもあり佐々木社長の盟友・俵越山先生、もしくは越前屋俵太さん。

昨年は行けず、今年2年ぶりの参戦とあいなります。



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暖簾がかかれば、さあ、開場です。
わくわく。ちなみに暖簾の文字も越山先生のもの。



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どっとおしよせる酒蔵の中は一夜限りの飲み助たちの無法地帯(?!)



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待ち受けるカウンターにならぶ美女軍団は!なんとミス京都のファイナリストたち!
おっさんたち、鼻の下のばすのばす(^_^;



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いや、でもやっぱりおきれいやわ〜♪



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受付をすませるとまずもらえる今年のグッズは、(今年から注染《裏も同じように染まっている、昨年までは表だけだった》になった)佐々俵オリジナルてぬぐいと、佐々木酒造社員の猫3匹(HPにちゃんと社員29名猫含むと書かれている(^_^;)が描かれたチケットファイル、、そして、、、



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インターナショナルワインチャレンジsake部門大吟醸で金賞を受賞したという聚楽第エクストラプレミアム!コンテスト用なので、少量しか残っていなくて、それのおすそわけ、ありがたい。とてもフルーティーながらけっこうどっしり感もあるお酒でした。



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ちなみにこちらの特製おちょこもいただけて、これを持ってあちこちのお酒をふらふら飲み歩くという飲み放題天国。



 
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蔵の中だけでなく、外にもたくさんの人がおちょこ片手にわいわい。



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お一人様でもすぐだれぞと仲良くなれるのが飲み助のよいところ。一昨年も見知らぬ人たちと結構盛り上がり、今年も大阪のおばちゃんグループとわいわい。



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もちろんおつまみや軽食も販売してます。三条通り商店街のうなぎ屋さんとか。



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蔵の普段の様子がうかがい知れる事務の棚にSASATAWARA RADIO?



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おお!FMCOCOLOのDJ加美さんがほんまにDJしてくださるのね。



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というわけで即席スタジオ、on air
楽しいBGMをたくさんかけてくれました。



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越山先生も飲み助さんたちが購入した枡をならべて、一筆これに書いてくれる模様。


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筆に、口に含んだお酒をぷっとふきかけて、一気書き!



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う〜ん、なんと書きはったのかさっぱりワカラン(^_^;
ご本人曰わく蔵酒場佐々木酒造、、、?だとか。
これをひとつひとつお持ち帰り。どの部分があたるかは運次第。



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会場には越山先生の書があちこちに、あるはでかく、あるはこっそり小さく飾られています。これをさがすのも一興。



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書家「未熟流家元」なんだそうですよヽ(´∀`)ノ
実は私、短冊を一枚書いてもらったことあります。待合掛けになるの。



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ちなみに全種制覇したお酒は
夏方(なつざま)、純米吟醸聚楽第、蔵出し原酒、古都おりがらみ、平安四神ブルー



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こちらノンアルコールながら、ここでしか入手できない「白い銀明水」米麹の清涼飲料水。
これが好きでね〜♪ かえりにきっちり大人買いして帰りました。



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サインももらえる越山先生グッズも販売中。越山先生、会場をうろうろしてはるので、あっちでつかまって写真撮り、こっちで捕まってサインお願い、大忙しですが気軽にお願いできるのがいいところ。もちろん男前の佐々木社長もね!



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さきほどの枡にみんなのサインを集めて来はった猛者!もいはります。




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とうとうお開きの時間となり、DJが蛍の光を流しても、飲み助さん達は去りがたく、それでも三々五々ほろ酔いで家路につきました。



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わたくしもそろそろおいとまを。
ああ、美味しかった!
お猪口を手にふらふら、、、最高〜!!








化野念仏寺千灯供養2018 - 2018.08.25 Sat

台風が通り過ぎていった奥嵯峨



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稲穂も垂れるもう秋の景色

本来は今年も広河原の松上げに行くつもりが、台風のおかげで延期になり、道は倒木などで京都バスがでなくて足もない。せっかく松上げをきれいに写真に撮るテクを学習してたのにな〜、、、




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かわりといってはナンだが、久々に奥嵯峨、化野(あだしの)念仏寺の千灯供養にお参りにいこう。




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今年は大覚寺あたりに車をとめてケモノ道?を歩いたら20分ほどで念仏寺近くの愛宕古道にでた。




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地域の子供たちがつくった灯籠、夕刻になるとこれに灯がはいる。愛宕古道灯しとよばれる。清涼寺から歩けばもっとたくさんの灯籠が見られるよ。
(そういえば、昔は地蔵盆は24日前後のことが多かったなあ。現在はもっと早いみたいだが、、、)



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化野(あだしの)

鳥辺野、蓮台野とならぶ平安時代からの風葬の地であった。
念仏寺の創建は弘法大師になると伝えられる。

一年前、梅雨の頃に一度お参りしたが、千灯供養は5年ぶりである。ちなみにもっと前はうん十年前、学生の時に来たことある。



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夕刻18時、まだ明るい中、法要がおこなわれる。ちなみにここは浄土宗。法然上人の念仏道場があったのだそうだ。





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法要のあとはお寺の方がまず蝋燭の灯を西院の河原にたむける。
この無縁仏さまたちは、明治になって、風葬の地に散乱していたものを一体一体集めてここにまつったものなのだ。



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ついで一般参拝客が順々に蝋燭を手向ける。思い思いの無縁仏さまに。



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ここに来るとだれしも自然に手をあわせてしまう。




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蝋燭はハゼの和蝋燭なので消えにくいのだが、さすがに台風の名残の風にはともすれば消えがち。お寺の方がまた火をつけていく。



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無縁仏ではあっても、きっと長い時をさかのぼれば、どこかでご先祖様につながるかもしれない。
その流れをまた子どもたちがひきついでいく。



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今年はお迎えだけして、大文字にも間に合わなかったから、ここでおしょらいさんをお送りする気持ち。(義母と猫のシェルとプリと、、、)



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だんだん日も暮れてきて、灯明が美しい時間になった。



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このひとつひとつがだれかの思い



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遠い過去の、そして今を生きるわれわれの、そして未来へ


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心しずかに手をあわせよう。



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実は広河原松上げ用のシャッターあけっぱなしのテクとか、いろいろ勉強した成果をちょっとここで遊んでみた。
、、、おや、あの世へ帰る魂にみえないか?    (^_^;




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さらに夜も更け



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人々の祈りはさらに重なる



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あの世とこの世が重なるような時間にのみこまれないように、そろそろおいとましよう。



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帰り路は火の入った愛宕古道の灯籠を楽しんで帰る。



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また来年、お盆の時にね



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京大吉田寮を残したい! - 2018.08.23 Thu

40年前の在学中からここはすでに魔窟のオーラがただよっていた。




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近衛通りにある京大吉田寮である。当時もちょっと足を踏み入れがたくて、ただここの学食だけは異常に安かったので利用したことはある。
既に何年も前にとりこわされた京大病院西の西寮は友人がいたので、たまに訪れていたが、こんな魔窟感はなかったなあ。

しかし、今この建物が取り壊しの危機にあると聞いて、最近の京大立看問題(京都市の看板禁止令を盾に大学当局がウン十年の伝統ある?京大周辺の立て看を強制撤去して学生との間に攻防がくりかえされている)にもちょっとむかついていた(当局にだよ)私は、この魔窟の見学会に参加したのである。




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竣工は1913年(大正2年)、京都帝大の寄宿舎として建てられた建物である。105年の歴史と言うことになる。設計は山本治兵衛、永瀬狂三となっている。建築様式は当時はやったセセッション様式(幾何学紋様を多用)というらしい。

寮費は数百円、諸経費入れて現在でも月2500円という天文学的(?!)安さである。
今でも150人の寮生が暮らすという。
この9月末までに大学はこの現棟、3年前に建て替えたばかりの新棟から学生の立ち退きを要求している。

いままで、歴史的にも寮は学生自治の場であり、何か問題があれば大学側と議論の場を持って解決してきたのに、いきなり議論を打ち切り、理由もつげぬまま、強制退去を要求してきたのである。




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危機感を抱いた寮生たちは「吉田寮を守りたい」という思いでいろいろな活動をしているが、この吉田寮週末一般公開もそのひとつ、市民と考える吉田寮100年プロジェクトの一環である。

まずはどんなところなのか知らなければ。

学生の案内で約1時間の寮内散歩、寮生のプライベート空間なので写真はNGでのせられないが、いや全くすばらしきカオスというか、東大路のちょいとなりにこんな宇宙があったのか!と思うような感動であった。建築的にも私はすばらしいと思う。これは中身共々壊したらあかんやろう。
(映画「鴨川ホルモー」はここがロケ地なので景色を堪能できるよ。あとこんな記事にも画像あり)



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アルファベットのEの字の縦棒の部分は管理棟、学生たちが集会をひらいたり、思い思いに読書(あ、漫画が多かったけど(^_^;)したりゲームしたり、ピアノ室まであって、薄暗い中、だれかがかなり上手なクラシックピアノひいているこのカオス感!

そして横の3本棒にあたるところがまた実に長いのだ。はじめてのぞいたこのどこまでも延びる廊下は80mあるという。それが北、中、南と三棟もあるこのスペース感。
しかも間の中庭は、大学が植木職をいれることをながらく拒否しているため、木は伸び放題、しかし、寮生が飼っているアヒルや鶏、シャモなどが憩うなにかしらの秩序がある。
寮生の荷物の中には猫のカリカリもあったので、猫もどうやらいるらしい。

各棟には一箇所自炊できる場所もあり、各棟の東端に、なにやら昔懐かしいトイレの花子さんがでてきそうだけれど、清潔なトイレもある。
廊下には冷蔵庫が多いが、部屋をはみ出した寮生の荷物もあって、これはいったい何に使うのだろう???と思うようなものも。
階段はそのセセッション様式なのか、レトロな感じで良い木材をつかっていると思われる。創建当時は学生さんは本当に尊重され,大切にされたのだ。
帝大の寄宿舎だった頃は、個室だったそうだが、現在では3室を2人で使うとか5室を4人でつかうとか、しているらしい。
北寮だけは昔から木製のベランダもあって、良い雰囲気だ。

見学者のなかに、実際にここの何号室に住んでいた、という方も多く、昭和30年の卒業生、,,という方もいらした。(何歳だろ???)

私らが学生の頃はなんとなく学生運動の巣窟というイメージもあったが、案内してくれた学生さんも、時折すれちがう学生さんもまじめそうな学生で、バンカラ感はほぼない。あ、約1名、いつの時代なんだ?的な角帽かぶった学生さんいたな。そうそう、うちらのころもずっと在学中角帽で通して名物男になってた子、いたなあ、懐かしい。




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こちらは西に隣接する旧食堂。ここで学食だべたんだったかな。ちょっともう記憶があいまい。現在は食堂はもうなくて、イベントやったり週末近隣の住民も参加する学生酒場だったりするそうだ。この日、学生バンドの練習中でなかなかにぎやか。

3年前にこれもレトロで感じの良かった学生集会室(主に部室になっていて、オーケストラの部員がよく練習していた)も壊され、西寮という新棟ができたばかりだが、大学はここの寮生にも退去を要求しているという。それはどういうこと?消防法とか、耐震法とかじゃないでしょう、もう。
つぶしてその後どうしようというのか、まったく見えてこないのが学生をバカにしているのよ。

昔から京大は「自由な学風」というのがうたい文句で、T大の御用学者養成所とはひと味違うぞ、という反骨精神の塊であった。その京大からだんだん自由がなくなって、大学当局のしめつけばかりが目に付く。立て看問題もしかり。あれを迷惑と思う近隣住民はほとんどいないと思うが。あれも長いこと大学の風景の一つであった。

私らのころでさえ、最近の学生はおとなしい、従順になった、といわれていたのに、さらに管理されて小学生か?と思うような授業の出席取りとかより管理になれている学生たちの、京大の学生らしい最後の砦のような気がする、吉田寮は。

寮内見学後は、映像作家・若林あかねさん製作のドキュメンタリー「銀杏並木よ永遠に〜吉田寮が寄宿舎とよばれていた時代の自治」を旧食堂で見る。

齢90ちかい寄宿舎卒業生が、当時の寮母さんを偲んで楽友会館(これも同じ時期の建築)にあつまったときの映像で、かつて寮生だった頃の写真や思い出話を語るというもの。
この映像もとてもよかった。寮食の食中毒問題に、寮生の中の衛生部だった医学部の学生が、いろいろ調査して原因をつきとめ、費用を大学に請求して、改善までもっていったというエピソードが、学生の自治のサンプルとしてとても印象深い。

その自治がいま、こわされようとしている。


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数十年、見慣れたこの景色は失いたくない。

私は寮生だったわけでもないし、在学中足を踏み入れたわけでもないけれど、同じ時代をシェアした者として、また近隣住民としても吉田寮は守りたい。久々に大学時代の(ナンデモカンデモ)権力反対!の血がちょっとさわいだ。だからといって、そのためのアイデアもなく非力なのだが、せめてできることとして、署名運動やカンパは是非協力したい。

もしご賛同いただければ、ネットで署名もできます。
    →ネット署名




オランダ・ベルギー紀行2018〜その9・ブリュッセル近郊の古城ホテル - 2018.08.20 Mon

旅行記の最後にブリュッセル(正確には近郊)のホテルもなかなかよろしかったのでご紹介。




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ブリュッセル中心部から厄13km、車で15分というところ、17世紀に建てられたお城(詳細不明)であった建物をホテルとして利用している Kasteel Gravenhof。




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庭園が半端なく広くて、朝夕に野鳥も憩いにくる。



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裏庭にはうっそうとした小さな森もあって、ここで鴨だけでなくアオサギもみかけた。




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宿泊客はそれほど多くなく、むしろ近くの人たちがパーティーなどをして楽しむ場所のようだ。



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広い庭園のガーデンパーティー、、、いいな〜。
ある日などはちょっとドレスアップした人たちが夕刻カクテルグラスを手に三々五々あつまっているシーンも見た。映画みたい。




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その人たちにホテルスタッフと間違えられ(^_^;「トイレットペーパーなくなってるわよ」といわれる私って、、、、(´;ω;`)アジア人の出稼ぎ労働者に見えたのね。き〜っ!!(*`皿´*)ノ




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建物のサイド 
1646は建てられた年号だろう。
フランスで言えばルイ14世の時代、日本なら徳川綱吉くらいか。




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階段の手すりのエレガントな曲線は当時のものか?



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う〜む、なかなか、、、
フェルメールの絵に見えなくもないエントランス。

ここは受付も朝食の準備や片付けも基本1〜2人のスタッフでやっているみたいで、フレンドリーでよかった。しかも値段もリーズナブル。




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あとは日本から持参した茶箱で時々お茶。
部屋から庭を見下ろしながら



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エントランスの前庭から



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いつも旅につれていくのは若手の陶芸家Aくんと日本画家Tさんコラボのこの御茶碗。




オランダ・ベルギー紀行2018〜その8・ブリュッセル点描 - 2018.08.20 Mon

ブリュッセルは首都なんだが、機能的にはできていないような気がする。車で20分の郊外の宿をとったので、都心まで車で行くのだが、いかんせん、駐車場がきわめてきわめてわかりにくい。しかも径は蜘蛛の巣状、一方通行もあり思ったところにたどりつかない。去年のポルトガルは、わりとどこにでも路駐ができたのだが。




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さて、ここはベルギー観光のど中心、グラン・プラス。
世界中の観光客が集まり、いろんな言語が聞こえる。

ちなみにベルギーはドイツ語とフランス語という語学系列の違う2つの言語を使用し、しかも英語までしゃべれるというトリリンガル以上がたくさんいてる。いったいどうなっているんだ!




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ここは17世紀末に建てられたギルドハウスに囲まれた広場。
おりしも数日後(8/16〜19)に2年に1回というフラワーカーペットがおこなわれるのだが、残念ながら1日違いで無理だな。というわけで、この日(12日)も全然その準備の気配はなかった。





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広場を囲むギルドハウスにはいちいち名前がつくのだが、それが結構大仰。たとえば「王の家(王様は住んだことがない。現在はミュージアム)」、「スペイン王(パン屋のギルド)」「雌狼(射手のギルド)」「黄金の木(ビール販売業者)」などなど、、、

ちなみに現在はカフェとかレストラン、ショップに多くが使われている。




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グランプラスの近く、一応これは見とかないと(^_^;
世界一衣裳持ちの小便小僧Manneken-pis マネケンってワッフルの名前かと思ったが、「小僧」っていう意味だったのね。




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そのワッフルも、日本で知られるワッフルはリエージュタイプでもちもち感あるが、ブリュッセルタイプがここでは多く、ぱりっとした上に、これでもか!とカロリーの塊を載せる。




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グランプラスちかくのパサージュ「ギャルリー・サンチュベール」、ここにはお世話になった。カフェもレストランも買い物も、こぎれいでこじゃれていたのでとても便利だったのだ。




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ここにはベルギーチョコの各メーカーの店もたくさんあって、軒をきそっている。ディスプレーもたいそうおしゃれ。




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初日はここのなかのレストランで食事をしたが、食事の友はやはりベルギービールだろう。独特のランビックタイプをためす。これは天然の酵母でゆっくり発酵させたビールで、ビールの古酒というべきもの、ワインのような香りがするという。ちなみに私が飲んだのはクリークというサクランボをいれて発酵させた物。泡までチェリー色で甘くてジュースみたい〜♪




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夜ともなれば、といっても21時頃まで明るいのだが、パッサージュの美しさはさらに増すのである。




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こちらはグランプラスの夜景
これも美しい。




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翌13日朝には、グランプラスに囲いができていた!!
いよいよフラワーカーペットの準備にはいるのね。




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これは一昨年の写真らしいが、広場が花で埋め尽くされるそれはそれは美しいイベントなのだそうだ。(けっこうニアミス日程で悔しい)



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歩き回ってこの日の夕食はパッサージュの近くのシェ・レオン。
19世紀末創業のムール貝といえばここ!の老舗。




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観光客にも人気で、なかなか混み合っている。上に飾られている写真は歴代のシェフなんだそうだ。




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内装もアールヌーボー様式、、といったら言い過ぎか(^_^;



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で、ムール貝のブイヤベースをたのむ。確かに汁は貝の出汁がきいていて美味しかった。




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こちらは小エビのクロケット(コロッケ)だが、小エビのイメージが日本のとちがって、どちらかというとアミみたいなエビ。魚釣りのエサみたいでちょっと苦手〜。




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せっかくベルギーだし、ワッフルも食べておこう。テイクアウトでなく、ちゃんとしたところで。
ここはワッフルの老舗、ダンドワ。スピキュロスという薄焼きのシナモンクッキーも有名らしい。




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もちろんベルギータイプ、トッピングはいろいろ選べるが、体重には目をつぶって、ここは生クリームとチョコソース!相方はアイスクリームとへーゼルナッツ。二人でいったいどれだけのカロリーを摂取したのかコワイ。添えるお茶も選べて、なんとちゃんとした玄米茶!もあった。




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こちらがダンドワ外観。これもおしゃれね。




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さらに14日朝!
フラワーカーペットの準備はますます進んで、ついに芝生パートも完成近い。かえずがえすも見られないのが悔しい。




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その後は、メトロにのって、全然観光地じゃないところへ、アールヌーボー建築の家をわざわざ見に行ったり(中へははいれないのだけど)、道に迷ったり、うろうろして、、、、




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最後はまたパッサージュのレストランで、、




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ビールで締める!(この日はホワイトビール)




オランダ・ベルギー紀行2018〜その7・アントワープ - 2018.08.19 Sun

ブリュッセルからアントワープまでは鉄道を利用することにした。



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ブリュッセル中央駅のチケット窓口
首都の中央駅にしてはこぢんまり。




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ヨーロッパはわんこ連れの乗客もめずらしくない。



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(いれば、の話だが)鉄ヲタさんのためのショット



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ヨーロッパ一美しいといわれるアントワープ中央駅に到着!
さすがきれい〜、、、と思っていたら、、、まだまだこれは序の口だった!




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うお〜〜〜!!
なんと美しい!!

(京都駅がちょっとはずかしい、、、)




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ベルギーでは「アントウェルペン」
1895年建設開始、ベルギーの建築家ルイ・デラサンセリ設計
国の重要文化財だというのもうなづける。




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これは映画のワンシーンか??
駅だけで観光してしまいそうだ。




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いやいや気をとりなおして、、、、

アントワープと言えば日本人にとって「フランダースの犬」であり、ルーベンスではなかろうか。
私は小学生の時に「フランダースの犬」を読んで涙し、当時ヨーロッパがどこにあるか、ましてアントワープがどこにあるのかわからないまま、その地名がルーベンスの名前とともに記憶に刷り込まれた。(ちなみにアニメ版は見ていない)多くの日本人がそうだと思う。






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物語で主人公ネルロとパトラッシェの最後の場所、ノートルダム大聖堂

ところが本家ベルギーではこの物語はあまり知られていなかった。なぜなら書いたのがイギリス人で、当初ベルギーでは出版されなかったらしい。なのにあまりにも日本人が聖地巡礼とばかりたくさんおしよせるので、逆輸入の形でベルギー人にも認知されるようになったとか。





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ただし、ベルギー人にはこんな悲しい物語は不人気だとか。日本人は好きだけど。
ベルギー人はネルロのような少年をほっておくような不人情なことはしない!とおっしゃっている方もおられると聞く(^_^;




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これがかのルーベンスの「キリスト降架」

ネルロが見たくて見たくてあこがれてかなわず、いよいよ最期の時にこっそりしのびこんで見て、手をさしのべてこときれる、、、最期の場面の絵なのだ。
物語の挿絵でなんとなくイメージはもっていたが、これなんだな。




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絵の前のここ、、ネルロとパトラッシェが最期をむかえたあたりはここかな。




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おそなえの蝋燭は、ちゃんと火をつけている。昨年行ったポルトガルでは防火のためか、蝋燭はみんなLEDになっていたが(^_^;




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ノートルダム=聖母マリアなので、もひとつルーベンスの「聖母被昇天」



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教会の一隅にも聖母の人形がうるわしくたたずんでいた。



しかし!!



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教会前の広場に比較的最近できたらしい(日本人観光客用に?)ネルロとパトラッシェのモニュメント、どうみてもチャーリーブラウンとスヌーピーにしか見えない!Σ(´Д`*)




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教会からでたところでものすごい雨。
ゲリラ豪雨ってヨーロッパにもあるのね。しばしチョコレート屋さんの軒先で雨宿り。




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小降りになったので、そこから中世の路地を探してうろうろ
ああ、狭い路地から見る教会の塔は美しいな。




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ブラーイ・ケンスハングとよばれる小さな路地は中世からのたたずまいを残しているという。
なかなか入り口がみつからず苦労した。




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ここには50年前までは、貧しい人たちが共同の井戸やトイレを使って生活していたそうだ。



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現在ならかえって住宅価値が高そうだが。




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この小路の中庭的なスペースではノートルダムの鐘がことに美しく反響するという。








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どこを切り取ってもフォトジェニック



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おや、なんだかすてきな、、、、




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ああ、レストランになっているのね。



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せっかくだから交渉、飲みものだけでもいい?
雨でお客さん少なかったせいか、入れました(^∇^)



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レストラン「テ・ホフケ」
16世紀の建物なんだそうですよ。
やっぱりここでもビールを一杯!



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そして中世のささやかな庶民の暮らしの片鱗をあじわったタイムスリップもおわり。


もう一箇所行きたかったルーベンスの工房は月曜ゆえお休み、これはしごく残念であった!



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では、アントワープにさようなら。



オランダ・ベルギー紀行2018〜その6・ブリュッセル〜マグリット美術館など - 2018.08.19 Sun

ブリュッセル中央駅の周辺、王立図書館や、美術館がたちならぶこのあたりは芸術の丘とよばれる。



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さらに丘を登ると、、


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小高いのでなかなかよい眺望

王立美術館は中が3部に別れており、古典美術館、世紀末美術館、そして、今回一番行きたかったマグリット美術館!




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懐かしい〜!



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これは3年前、京都市立美術館に来たマグリット展。それまで名前は知っていたものの、じっくり見たことはなかったのだ。キリコに私淑したように、同じようなシュールレアリズムでありながら、どこか不気味な印象のキリコに比べて、からっとドライで明るく楽しげな感じがする。




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美術館にあった1971年、東京と京都の国立美術館へ来たときポスター。そのころは名前すら知らんかったよな。




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王立美術館のエントランス
古典美術館はこの二階の両脇に作品がならべられている。



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まずは古典美術館

ここはルーベンスルームで、大作がずらっと並ぶ。
有名なところで「東方三賢王の礼拝」など




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ついでこんなシュールなトンネルをぬけていよいよマグリット美術館へ



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「黒魔術」

マグリットはこの作品でもそうだが、青空の色が美しくて印象的なのだ。



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「善意」

この紳士はマグリット自身に見える。シュールレアリズムの画家にしてはまともな人生をあゆんだマグリット。なので健全なシュールさなんだな。




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人気の「光の帝国」

この暗い絵のどこが光の帝国?と思うが、、、、



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このガス灯の周辺のミクロな空間が光の帝国なんだろうか。空にまだ光があるのにガス灯の周辺だけ宵で、なんとも不思議なシチュエーション、それに「光の帝国」というタイトルをつけるこのセンス。このテーマはマグリットお気に入りらしく、何枚か同じテーマの絵があるらしい。



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わ〜これも懐かしい!
好日居さんでマグリット茶会「これは茶会ではない!」に参加したときに、使われた「これはチーズケーキではない」 ↓




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このあと、これにそっくりに作られたケーキを食べたっけ。
なんか、マグリット、楽しいな〜♪




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トイレにいったら、鏡までがマグリットしていてさらにうれしくなった。




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京都で見た絵もたくさんあって、ついたくさん絵はがきを買ってしまった。そのうちだれかのところに郵便で行くかもね。




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そして大好きな空から紳士が降ってくる「ゴルコンダ」のノートも!



さて、ここからは世紀末美術館。世紀末は世紀末でも19世紀末。



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やや有名なアンソールの「奇妙な仮面」
ちょっと背筋がもぞもぞする感じ。



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おなじくアンソールのこっちの方が気に入った(^_^;

「Bad Doctors」
よく見るとコワイよこれ。





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ミュシャ「自然」
女性がほんまに美しい。



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忘れてならないブリューゲル
これは父のほうの「ベツレヘムの戸籍調査」、息子のほうのほぼ同じ絵も並んでいる。

ナザレからベツレヘムまで戸籍登録をしに旅をしてきたマリアとヨゼフがえがかれているのだが、背景はほとんどブリューゲルの生きた時代のベルギーで、描かれているのは当時の庶民の生活。
細かく見ると豚をさばいているところや、戸籍係のペンをもって聞き取りをしている感じなどがじつに生き生き。




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もう一つ、父ブリューゲルのこのシュールな作品!
「反逆天使の墜落」

堕天使軍と大天使ミカエル軍の戦いを描いた絵だが、細かく見ると実にすごい、シュールレアリズムも真っ青なのだ。見たことも想像したこともないようなさまざまな怪物の姿が美しくもおどろおどろしい。対する天使軍の毅然とした美しさ。




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あ!なんか、かわいいいのめっけ!(^_^;



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どんどん地下へ潜っていく世紀末美術館だが、最後に地上にもどろうと乗ったエレベーターに驚愕。おお〜!!椅子席が10席くらいあるエレベーターなんて、はじめてだようΣ(゚д゚|||)





オランダ・ベルギー紀行2018〜その5・ブリュージュ - 2018.08.18 Sat

中世の町並みを残すブリュージュは「北のベネチア」とも「天井のない美術館」とも。
ベルギー行ったらブリュッセルはいかなくてもここは、、、と以前から言われていたが行く機会がなかなかなかったのだ。やっと来ることができたが、ここは景色を楽しむ場所なので、今日は写真の羅列です。あしからず。




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夕刻
北ヨーロッパは21時頃までほの明るい。



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家族経営の小さな宿のあるじに教えてもらった運河沿いの景色の良い道を歩く。



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方向音痴のためのランドマーク、聖母教会



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海洋廃棄物、おもにプラゴミでできた鯨のインスタレーションが突如あらわれる。



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時に教会へ寄り道



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パン屋でパンを買って運河のそばで食べたり、、



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これは運河巡りの小舟からみた「世界で一番小さい窓」なんだそうだ。
わかるかな?建物の真ん中当たり、普通サイズの窓のちょっと上。
何の部屋なんだろう、ここ。



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水鳥もたくさんいると思ったら、、、、


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もっとすごいのがいた。


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シネマもなんかクラシックだなあ。



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運河沿いのノミの市


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やっぱりベルギーも自転車がアブナイ?



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めずらしい一部木造の建物も


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さて、一番賑やかなマルクト広場
世界中の観光客が集まってくる。ナショナリティもいろいろ、ここは京都なら祗園か清水寺か。


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これは朝のマルクト広場
観光用の馬車がせいぞろい。ちょっとタイムスリップした感じ。
でも馬ってかわいいよね。



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そして忘れてならないのがチョコレートライン!
ブリュッセルにはなくて、ここが本店。これも宿のあるじのおすすめ、ベルギーチョコでは一番とのお墨付き。



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ショコラティエ・ドミニク・ペルソーヌが自ら作るチョコレートは、確かにベルギーで食べた各社のチョコの中ではダントツだった。



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カカオの種類



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日本好き?
桜とか、柚子、抹茶などのフレーバーが、、、中には東京という名前で中味がワサビ風味のものまで。



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これだけ買って帰ってふたりであっというまに食べてしまった。ちなみに後のはリップスティック型のチョコ。



さて、家族経営の一風変わった宿に泊まったので、その写真も。



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見かけは130年くらい前の建物の町並み、オーナーさんの生まれ育ったお家だったそうだが、、、



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もと子供用の寝室だったという部屋は、なんともシュールな改装。だってバスタブが二階にあるんだよ〜(洗面コーナーの上に乗っかっている黒いやつです)。トイレには扉がなく、シャワーととなりあわせ。



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あるじの愛犬ネルソン君


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公共スペースのキッチンはきれいな小庭に面して、



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出発の朝、コーヒーを手づからいれてくれたのだった。













オランダ・ベルギー紀行2018〜その4・マウリッツハイス美術館+デルフト+ゲント - 2018.08.18 Sat

レンタカーにてアムスを後に、ベルギーへ向かう。




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ほんまヨーロッパは高速が無料なんでETCとか考えなくていいからええわ。ただしオランダ、ベルギーは左ハンドルやけど(運転はダンナ、がんばれ!)




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道すがらハーグのここへ寄らなくちゃ。
マウリッツハイス美術館。
17世紀、マウリッツ伯爵の邸宅として建てられた建築も美しい。




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内部も最近本来の装飾に修復されたとか。




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17世紀の屋敷の中にスケルトンエレベーターがあるシュールな景色。




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そしてお目当てはこの方!
フェルメール「真珠の耳飾りの少女」
スカーレット・ヨハンソン主演の映画にもなった。




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以前お目にかかったのは18年前の大阪市立美術館でしたねえ。

あの時は行列ができて、できて、おしあいへしあい、、、、今はゆっくり静に見ることができる。
美しい肌の色はやはり実物でなければわからない。そしてはっとふりむいた一瞬が永遠に姿をとどめるその乙女。

来年また大阪へおこしになられるよし(2019 2月〜大阪市美)、また再会できましょうや。




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ただ、おそらく門外不出ではないかと思われるこれは来ないだろうな、
「デルフトの眺望」
これもフェルメールにしてはめずらしい風景画である。




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この眺望は今もあるていど保たれているので、このあとデルフトによって行こうとしたが、駐車場のあまりのなさに、危険なのであきらめた。




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そんなに大きくない絵なのだが、さらっと描かれているようなのに、きっちり人物の息づかいまで聞こえて、しみじみと心に残る絵だった。




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ここでももちろんレンブラントに会える。


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これも教科書に載って有名な「テュルプ博士の解剖学講義」
解剖しているのは前腕なんで、(腹の中じゃないんで)きもくないよ。

ハーグから近いのでデルフトのデルフト焼工房にもよってみる。



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30数年前にもここではなかったが、来たことはある。



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その時に手に入れたデルフトのタイルは今もうちの洗面書に飾ってある。



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関空にもこれの大きいのがあって、何する物かな〜とずっと思っていたが、これ、花瓶やったのね。



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景徳鎮の染付が政治的不安定で入手できなくなると,次に目をつけられたのが伊万里、そしてマイセンで自前の磁器が作れるようになったのが18世紀初頭。デルフトではそれ以前から磁器ではなく、陶器がつくられており、東洋の染付の紋様に大いに影響されたと思われる。でも陶器は陶器。




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なにかお茶に使えそうな物はないかと、さんざん物色したが、どうも古染とか古伊万里みちゃってるとね〜、、、、、(^_^; アイデアが枯渇してあかんかった。


ベルギーにはいって、ゲント(ヘント)へ。


それまでゲントという名前をしらなかったのだが、父が昔、郷土の画家・児島虎次郎の足跡をたどる旅で行った、と言っていたので、ちょっと寄ってみる。(虎次郎はゲント美術アカデミーで洋画を学んだ)



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きっと虎次郎も見たに違いない聖バーブ教会の「神秘の子羊」
15世紀に活躍したファン・エイク兄弟の作とされる。実物は撮影できないのでポスターを。
大きな祭壇画の中央の部分がこれ。
聖書とキリスト教の知識があればもっと何を意味するのかよくわかるだろうが。




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ちなみに神秘の子羊さんは心臓から大出血しながらもすくっと立ってらっしゃる。そこが神秘の由縁か??(^_^;





オランダ・ベルギー紀行2018〜その3・アムス点景 - 2018.08.17 Fri

アムスは自転車の町なのである。
なにしろ地面が平坦で,丘とか山とかないからね。




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しかし、これが集団で走ってくるとほんまにこわいのである。
アムスでは車にひかれるより自転車にひかれないよう注意せねばならない。




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こんなふうに、荷物カゴもベビーをのせるのも前に荷台がある。
道も自転車専用道路が自動車道よりはばをきかせている。しかもスピードがはんぱないのである。




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車とちがって、どこでもひゅっと停められる便利さもあるし。




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しかし、ここの人たちどんだけ足が長いのだ。レンタサイクルの店もあるのだが、私はこんなサドルの高いの、よう乗らん。




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なんといってもアムスは運河の町だから、運河沿いに歩いてお散歩。




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全体アムスはよく雨が降る町なのか、それとも世界的異常気象なのか。朝晴れていたと油断したらゲリラ豪雨もあったりして傘が手放せなかった。



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雨に煙る運河沿いの家並みは実に美しい。(なぜ京都はこれができない?)



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大きな水門を経て




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市内で一番見やすい場所にあるマヘレの跳ね橋。




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遠景が美しいので、渡ってみるとどってことない(^_^;




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下を行く船は運河巡りのボートばかりなので、橋が開くところが見られないのが残念




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アムス独特の土地不足解消のためのハウスボート(ほんまの家)も以前見た記憶がある。自家用車の代わりに小型ボートを利用して移動とは、便利良さそうだ。




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運河巡りのボート




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地図をみたらアムスってほんまに海の上に建設された水の町なのな。




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しかし、トラムも忘れてはいけない。一日乗り放題券を買うと、乗り降り自由に市内を移動できて便利であった。それにしても歩行者、自転車、自動車、みんなトラムすれすれで平気なのに驚くわ。




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トラムの車内も清潔で気持ちよい。
メトロとちがって景色が楽しめるのが好き。




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あとは独特の破風を持つ建築を楽しみ、、、




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道端の花になごみ、美しい絵になる町をお散歩して、、、





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最後はビールで締める。




オランダ・ベルギー紀行2018〜その2・コンセルトヘボウ - 2018.08.17 Fri

30数年前の心残りはチケットが入手できず、入ることができなかったコンサートホール、コンセルトヘボウである。
当時クラシックにそんなに詳しくない私でもその名ホールとしての名前は知っていた。




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今回予定にはなかったものの、前を通ったら,どうしても行きたくなって、当日券がなにやらないものかとチケットオフィスへいったのである。



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このホールのこけら落としは1888年、設計したのはファン・ヘント、音楽堂に関する知識がなかったので音楽堂としては破調にもかかわらず、奇跡的にも残響効果が抜群なんだそうだ。




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チケットオフィスの部分は最近になってからの増築で、ちょっとアバンギャルドな雰囲気。
幸いサマーコンサートシーズンで、気楽に聞けるコンサートが毎日おこなわれているらしく、ドイツのライン州立フィルハーモニー+韓国系ドイツ人女流バイオリニストのコンサートチケットをゲット!(そんなに高くないのにもびっくり)




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20時開始のコンサート、大ホールにはじめて足をいれる。
ドレスコードはけっこうカジュアルだが、ご婦人方は最低でもワンピース。こういうTPOでドレスを使い分けるヨーロッパの文化って好きだな。




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おお〜!!
これがかの有名な大ホール!
ボックス席をとったので、二階からではあるが、演奏席が極めて近い。




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まだ早めだったので、こんな入りだが、始まる直前になると9割はうまっていた。観光客も多いと思われるが地元の人もけっこう気軽なノリできているんだろうな。



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座席の上には有名な作曲家の名前のプレートが。




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曲目はスコットランドにちなむ曲ばかり。なんとなれば、このフィルハーモニーの指揮者はスコットランド人だから?しきりにスコットランド人のジョークをとばしていたが、あまり聞き取れず。


マルコム・アーノルド「4つのスコットランド舞曲」
ブルッフ「スコットランド幻想曲」
ドビュッシー「スコットランド風行進曲」
メンデルスゾーン「交響曲3番スコットランド」


(知った曲ひとつもな〜い、、、、、(^_^;)





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ちなみに指揮者とソリストはこのバックステージの客席の後ろのカーテンから階段をおりて出てくると聞いていたが、そのとおりだったので感激。




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間の休憩ではホワイエでのドリンクがチケットについてきていたので、ワインをきこしめす。




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これが失敗で、ちょっと最後の方意識が、、、、
まあ、お能を見るときもα波がでまくりで、意識が飛ぶが、それでいいと能楽師さんはおっしゃるし、クラシックコンサートもそれでよいかと(^_^;




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帰る頃には大雨で、びしょ濡れになって宿へ帰ったのも良い思い出。




オランダ・ベルギー紀行2018〜その1・アムステルダム国立ミュージアム+ゴッホ美術館 - 2018.08.17 Fri

アムステルダムは2回目なのである。といっても前回は30数年前の話、しかもツアーでつれまわされただけだから、どこをどう行ったのやら記憶があんまりない。でも、ここだけは忘れないので、今回アムスのメインはここ!




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アムステルダム国立ミュージアム。
到着した日の夕刻行ったらすごい混雑で、翌朝、まだ人の少ない時に「夜警」をみたくてふたたび訪れる。




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うむうむ、人少ないぞ。




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ここのメインはフランドル絵画が集結する2階だ。別名「名誉の間」
さあ、そして、、、




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ハローレンブラント!
30数年ぶりの邂逅、「夜警」
西洋絵画の中で、一番好きな画家をあげろといったらレンブラントだし、その中でも最高峰の絵画だ。



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(30数年前の写真 あのころはデジタルなかったからね〜。ちなみに左下にたたずむのがまだ20代の私(^_^; )




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オランダの黄金時代の17世紀半ば、火縄銃手組合の市民自警団出動の様子を描いた状景はそれぞれの人物画だれだかわかっているが、画面に光を導入するこの少女は自警団のマスコット、としか記録がない。中央の隊長にもまして存在感がある。




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後の二人の隊員の間から目だけのぞかせているのはレンブラント本人だという。
他にも光の当たっていない隅々にいろんな状景が描かれ、これはやはり実物をみないとわからないことも多い。








こうして30数年の時を経て、再会できたのは望外の喜びである。




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レンブラントのお宝は他にもたくさんあって、うれし涙が流れるのである。
しかもヨーロッパの美術館は多くがフラッシュ無しなら撮影OKという太っ腹なのである。




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夜警の手前にひっそりとたたずむカップルは「ユダヤの花嫁」と名付けられているが、旧約聖書のイサクとレベッカに扮した当時のオランダ市民であったと思われる。背景の暗さに衣裳のすみずみにまでほどこされた超絶技巧をまぢかに堪能する。



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裕福な市民の夫婦の肖像。当時ほんまにこんな靴(男性の)の飾りしてたんやろか?



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これは晩年のレンブラントの自画像とならんで飾られた息子ティトゥスの像。カプチン派修道士の衣裳をまとう、彼は最初の妻・サスキア(若くして亡くなる)との間の唯一成人した子供であった。
私がレンブラントの名前を知ったのは実はティトゥスの子供時代の肖像画からなのである。暗い背景に何を書こうか、ペンを手に頬に指をあてて考えているような少年の絵は、当時私は中学生くらいだったか、とても印象深かったのだ。
しかし、このティトゥスもレンブラントに先立ち20代の若さで逝ってしまうのである。





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このごろのミュージアムはハイテクで、案内もGPSつき、自分がいまどこにいるか、見たい絵がどこにあるのか一目でわかるのだ。便利〜!!(ちゃんと日本語版あり)



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そしてフェルメール
皆様ご存じ、「ミルクをそそぐ女」




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「恋文」




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フェルメール「小路」
故郷、デルフトの小景。全景を描かれていないこの右手の建物がどこのどんな建物だったか、特定されているそうだ。人物画ではないフェルメールの小品だがなんとも好ましい。400年の時を越えて、小路に生きる人の息づかいまで感じられそうだ。




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あと、いかにもフランドル絵画らしい作品たくさん




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少数だがゴッホもあるよ。




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美術館の中の図書館
ここもホグワーツ感が半端ない。ネットの時代になっても知識がぎっしり眠る場所。




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美術館自体の建物も美しい美術品であった。




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おそらくショップとカフェは以前に来たときにはなかった。ここのカフェはレストランクラスの料理をだしてくれるが、ちょっとお高め。




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美術館の入り口では大道芸人?もしくはシロウト演奏家がクラシック音楽を奏でる。



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国立ミュージアムから徒歩ですぐ、ゴッホ美術館へも足をはこぶ。




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ここのゴッホコレクションは、ゴッホを経済的にも精神的にも支え続けた弟のテオ夫婦のコレクションである。それを彼らの息子、ゴッホの甥に当たるその名もビンセントの尽力によってできた美術館。甥のビンセントが生まれたとき、お祝いとしてゴッホが描いた絵も展示されていた。




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ここは残念ながら撮影禁止。
風景だけ撮影したら意外と絵になっている?

ゴッホの若い頃の写真もあったが、頬がふっくらして、とても晩年の肖像画の面影はない。




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ここのミュージアムカフェの名前が「ル・タンブラン」で、展示もされていた「カフェ・タンブランの女」のもじりね。タンブランの女のモデルは女主人アゴスティーナ・セガトーリ、一時ゴッホの恋人だったかも知れない、、、という女性。

<ヒマワリ>、<青いアイリス>、<ゴッホの寝室>は3つある中の一番古い作品、、、などなど。
最近、京都国立近代美術館にきていた「ゴッホと浮世絵展」の中でであったものにも再会。

ゴッホの手紙や、家族関係の資料などもあって、その人となりを知るのに興味深い。





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さて、そのカフェであるが、カフェテリア方式でこれもなかなか中味充実。
これは自家製レモネード。




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この日のランチはこちらで。




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今回のアムスのホテルはレンブラントやフェルメールが活躍した17世紀に建てられた運河沿いの建物をこだわりでチョイス。




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外から入る光がフェルメールの絵のように見えるかどうかためしたかったのだが、設備的には少々難あり。外観はよろしい。






 

六道参り2018 - 2018.08.08 Wed

お盆がはじまった。



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東山は清水坂の西、六道の辻
六道珍皇寺、西福寺、六波羅蜜寺とならぶ。平安時代は葬送の地であったから町名の轆轤(ろくろ)町は本来は髑髏(どくろ)町なんだとか。




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毎年一番にお参りするのは小野篁地獄通いの井戸があるという六道珍皇寺
門から本堂まで、両脇に高野槙や蓮の花、ホオズキなどを売るお店がならぶ。




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ホオズキは鬼灯とも書くんだな。この灯りをたよりに亡者が帰ってくるというイメージ。




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あら?
今年は熊野観心十界図がでてない、、、
あまりの暑さにいたむのでやめたのかな、初日だからかな。
(熊野観心十界図:中世から近世、熊野権現勧請のために諸国をあるいた熊野比丘尼とよばれる尼僧たちが用いた絵解き、地獄〜極楽の図)(例年と違う場所にあった、という情報あり)




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例年は拝んで帰るだけなのだが、今年は義母の初盆である。本来旦那の実家でするべきところ、今年は義兄弟に諸般の事情があって、各家ですることになったから、はじめてここで水塔婆をおさめることにした。
お坊さんに戒名(または俗名でも)を経木に書いてもらう。
私は1枚だけだが、御先祖様たくさんの経木を書いてもらう方も多い。(実は1月になくなった愛猫シェルのも欲しかったが、さすがに顰蹙だよね(^_^;)





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お線香の煙を浴びて、




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迎え鐘を撞く。
ここの鐘は地下にあって、ほんまに地獄の釜の蓋が開きそうな陰にこもった音がするので、につかわしいな、と思う。




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賽の河原に経木をおさめて高野槙の枝で水をかける。
今は亡き義母を思う。
経木にシェルの名前を心で書いたが、優しい人だったから、猫といっしょにすんな!とかは、きっと怒らないと思う。




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お精霊(しょらい)さんが、迷わず帰ってこられるように、依り代となるのが高野槙。
今年ははじめて一枝もとめた。




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高野槙はよい香りがするのな。

背景は有名な幽霊子育飴のお店




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さらに西へ、西福寺
ここで毎年祈願銭(なかみは5円玉、持っていると願いがかなうという)をお返しして,新しいのをいただく。今年の祈願は、また来年もかわらず交換しに来られますように、だ。




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一年に一度の「壇林皇后九相図」との再会もはたす。
ここは夜の方が雰囲気がおどろおどろしくすてきなのだが、なかなか夜は出づらい。




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その南、六波羅蜜寺
そう、清盛の六波羅探題はこのあたりにあったのだ。
ここも提灯がいっぱいだから、やっぱり宵がいいだろうなあ。




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ここの迎え鐘も地下にあるが、ほとんど並んでなくて、すぐ撞ける。

更に南下すると、恒例の、、、、




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五条坂陶器市だ。
あちこちの店や露店を冷やかしてかえる。



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さて、高野槙だが、、、、こんな飾り方でいいのだろうか???(^_^;
うち、仏壇がないの。



   ********


今年も恒例の夏旅にでかけます。

よって、ブログはしばらくおやすみします。
みなさまもよい夏休みをおすごしください。

帰ってきたら、もっと京都も涼しくなってますように〜〜(´・Д・)」




オリヒメヲイツキマツル〜今宮神社・七夕祭2018 - 2018.08.07 Tue

今宮神社内摂社・織姫神社の失われた七夕祭が、神社と地域の人たちが中心の「オリヒメ実行委員会」の努力で復興したのが3年前であると聞く。



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織姫社は西陣などの糸偏業界の信仰も篤く、室町の綾傘鉾との関係もあるゆえ、2年前お誘いいただいいた。とても幻想的ですてきな演出と、地域の人たち、特に若い人たちの、祭を盛り上げようという心意気がすばらしかったので、今年も是非にと参加させてもらった。(招待状と申し込みが必要だが)




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織姫社
神社の脇には織姫のシンボルであるところの杼のオブジェ。

御祭神は栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)、栲(たく)は梶の木の繊維で作った白い布白妙(たえ)であり、七夕に梶の葉を飾るのはここに起源が、、、と2年前に学習したのに、いまいちど自分の2年前のブログを読んですっかり忘れていることに気づいた(^_^;




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夕刻、斎行の始まりを待つ間、受付でもらったあぶり餅券をつかう。今年はかざりやの方にあたった。ちなみにもう一つは直会の赤飯券。




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受付でもらったうちわ

これの裏側に今年の詠唱用の和歌が書かれている。
ちなみに今年の歌は斎宮の女御(三十六歌仙で人気の!)「琴の音に 峯の松風かよふなり いずれの緒よりしらべそめけむ」
琴は乞巧奠でもかかせぬ飾り物、そして糸偏つながりの糸の楽器だからね。




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境内では直会の準備完了。

さて、、、、2年前は撮影OKだったが、今年は撮影禁止のため、画像をお見せできないのが残念であります。(2年前のはこちら)


神社に火が入り、打楽器奏者で芸術監督でもあるツトム・ヤマシタさんがかなでるサヌカイトとシンセの不思議な音楽が雰囲気をもりあげ、古代の衣裳をまとい鈴を手にした巫女の導きでオリヒメ降臨、今年はお一人だったがほんまかいらしい美少女であった。

オリヒメさんが社の座におつきになると、次々に神饌が捧げられ、本物の琴のしらべ、祝詞、暮れてゆく境内の灯り、ほんまに幻想的で厳かなページェント。




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拝殿にオリヒメさんがうつられると、神社の門のほうから聞こえて来る,すでに懐かしの祗園囃子。
室町の綾傘鉾のお囃子と棒振り踊りのみなさん登場。そして拝殿での超高速棒振り踊り!
いったん鎮火した祗園祭へ思いがまたもえあがるわ〜。




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さらに拝殿にて、さきほどの斎宮女御の歌を神職、大徳寺のお坊様、楽士、などの方々で唱和される。(中に知った方が複数、、、(^_^;)




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いよいよお楽しみの直会(なおらい)の時間、用意された飲み物、赤飯やご馳走の数々、みんな境内の思い思いの場所でいただく。



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こちらは神社がご用意くださったバイキング形式のごちそう




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こんな装束の方もまじって、、、




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神社の中の座敷で宴会をするグループもあり、、、

その間も太鼓のグループや、雅楽や琴の演奏がくりひろげられ、、、

そして何人の知った顔にであったことやら。自宅から遠く離れた紫野の地なのに、人とのつながりがこうしてできたことはありがたいことだと思う。




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そして「持ち歩く」竹の茶室・帰庵に再会!
昨年泉屋博古館の中庭でお茶を一服よばれた茶室。

↓ そのときの帰庵の画像


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お点前はこの茶室を大徳寺・大慈院のご住職と一緒に作ったという本業・大工さん。
この帰庵を持って、ヨーロッパにもいかれたという。さらにこの方、3Dプリンターを駆使して、今では泉屋のお土産のお菓子になっている、中国青銅器”虎卣(こゆう)”を模した落雁の超精密な型を作った方でもある。




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ほろ酔い加減で、美しい宵を存分に楽しませてもらった、今宮さん、氏子ではありませぬが、しょっちゅうお参りにいっているのに免じて、また来年もひとつよろしく!
オリヒメ実行委員会の皆様、ご縁を繋いで下さった方々、ありがとうございました。






白沙村荘蓮池驟雨 - 2018.08.05 Sun

銀閣寺畔、学生時代からおなじみの白沙村荘(橋本関雪記念館)



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その広大な庭園の蓮池が盛りと聞いたが、訪れたのは野分が去った翌日であった。




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一夜にして蓮の花は散ってしまったが、如雨露の口みたいな蓮の実は好きである。




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蓮池の上にせりだすようなこちらの茶室から眺める蓮池の景色もすてきだ。




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床の間には花の代わりに昨夜散った蓮華




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蓮にちなんで蓮根で作った和久傳の「西湖」をお菓子に




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Nさまのお点前でお茶を一服喫する。
ああ、極楽極楽

台風の後で一時的とはいえ暑気もはらえた。




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茶室でゆっくりしていると、驟雨!
大きな蓮の葉が雨に打たれる。




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うなだれる花もあれば庭園の木は潤い、池の水紋も美しい。

着物で、しかもたよりない日傘しかもっていないのに、こういう時はなんかうれしい。(笑うしかない(^_^;)



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池のあちこちで、ししおどしよろしく、はちすに溜まった水がちょろちょろとこぼれる音が心地良い。




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ほんの一瞬で、またすぐに炎暑はもどってきたけれど、このひとときはまさに「涼」










田中一村展ー生誕110年ー〜佐川美術館 - 2018.08.03 Fri



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琵琶湖の畔、佐川美術館
今日も雲ひとつない晴天炎暑である。




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琵琶湖を模したような水面が涼しげ。



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蘆の向こうは楽吉左衛門当代が設計した半水面下の茶室がある。何度か拝見しているが、今回の目的はそれではなく、、、



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田中一村展

彼の名前をはじめて知ったのはもうかれこれ20年くらい前になるかな。大阪で展覧会があった。主に奄美時代のTHE 一村、というあの絵がメインで、もう見るだけでむせかえるような亜熱帯の空気を感じ、圧倒されたのだ。




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その時に買った絵はがきを(右の2枚、左の図録は今回買った)まだ持っている。




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今回は生誕110年、ということで天才といわれた子供時代から、南画の時代、琳派風の時代、と奄美で開花する以前の作品がメインで、ちょっと物足りなかったのだが。



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小さい頃から絵の天才といわれて育ったが、院展など大きな賞をついにとることができなかったのが契機で奄美大島へ移り住んだ。




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紬工場につとめて生活費をかせいではいたが、奄美での生活は極貧であり、その中で絵を描くことを是とした一村、ついにあの熱帯の絵を開花させるのだが、その作品は生前あまり世に出ることはなかったのだ。(昭和52年69才で亡くなる)




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展示では、奄美に移り住む前の千葉時代の絵が多く、あの奄美の絵を予感させるような絵も何点かあって、特に植物と鳥の絵は写実的ながら、色がビビッドで美しい。
とりわけいいな、と思ったのが「秋色図」。ツルウメモドキとか山葡萄とか小さい枯れた実がびっしりと細かく書かれているのと、紅葉した楓の葉の深い赤。

(一村の画像はここでたくさん見られます。秋色図もあるよ)




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でもなんといっても奄美時代の絵がやはりすばらしい。色彩と構図に圧倒される。

写実から琳派っぽい絵になって、構図はむしろアバンギャルド。
やはり熱帯の不思議な絵を描いたアンリ・ルソーを私は思い出す。でも一村の方が好き。


今回の展示にはなかったのだが、ビロウ樹や蘇鉄の葉っぱがこれでもか、と画面一杯に描かれている絵もいいなあ。




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これこれ!(図録の裏表紙)

これも覚えているわ、20年以上前に見たことを。
「アダンの海辺」

スコールでもきそうな、不安な色の雲や、空、その下にたわわになるアダンの実。

ちなみにアダンというのは熱帯の植物で、その実は食べられないこともないが見た目ほどおいしくないのだそうだ。





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当時大きなアダンの実に目が行って、ディテールを見落としていたが、この絵の下の方、砂浜の描写が実はすごいのな。これは実際に見てもらわないとわからんと思うが。波の描写もすごすぎる!

見終わって、一村に再会できてうれしかったが、やっぱり奄美時代のをMore please!




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美術館のカフェでは天井に映る波紋が美しい。



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さて、この琵琶湖大橋をわたって、帰ろうか。
(堅田から守山方向では車の走行音が「琵琶湖周航の歌」になるのよ。メロディーロードという)




「日本のイタリア料理屋」fudo - 2018.08.01 Wed

久々の月イチグルメ倶楽部会員約二名、(最近全然月イチになってないけど、、)今回の部活は市役所の近く、御池通りに面したビルの地階、日本のイタリア料理屋fudoさんで。




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なにやら山羊みたいな看板が、、、と思ったら、ニホンカモシカの絵なのね。
ちなみにfudoとは(日本の)風土のことらしい。




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メインはカウンター席、インテリアはシンプルでスタイリッシュ。
いそがしくきびきびとたち働くシェフやスタッフは、白いシャツに黒いエプロンで、これもおしゃれだった。




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ワインは主に日本産をそろえてはるということで、いただいたスパークリングワインも山形県産。(高畠ワイナリー)

「日本のイタリア料理屋」を標榜するだけあって、食材も調理も「日本」にこだわっているのだという。
こちらはコースはなく、自分でいろいろチョイスして楽しめるのがいい。私はメインはパスして前菜を多種類いただこうと思う。



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メニューには「ポサラ」とかんとか書いていて、なんの料理かわからんがオススメ料理だったので、頼んでみる。でてきたこの皿をみて、ん?んんん??
テリーヌ?ステーキ?

いえいえ、焼いたサバではさんだ押し寿司風のポテトサラダ九条葱ソースかけ!
ポサラってポテトサラダのことなんか。飲みやさんの突き出しの定番がこんなにおされになるなんて!




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次なる前菜は、生ハムの下にかくれているのが、なんと水茄子。
日本の食材へのこだわりですね。




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もう1品の前菜は牛すじ赤ワイン煮込みの酒粕ソース。
このソースが、まったりこってり、とっても美味しくって、日本酒好きにはたまらない。すじ肉が柔らかくて、ていねいに煮込みしはったんやろな〜と。




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カウンターのはしっこに、、、あれはギャラリーYDSさんでお馴染みのRe:planterではないか。照明の中の盆栽とでも言おうか、この狭いガラスボールの中でほんとうに季節が巡る不思議。




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イタリアンだから、パスタもね。
ソースが鯛の出汁をつかって、青のり、葱、そしてカラスミを削った物かけ。見事なイタリアンと日本料理の(おされに言うと(^_^;)マリアージュ。

以前は鯛の出汁にあわせて鯛の卵のカラスミ(そんなんあるんや)を使っていたらしいが、それが入手できなくてボラのカラスミを使っておられるとか。いや、ボラで充分美味しいが、鯛のカラスミってどんなんか、ちょっと興味がある。





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これは部員2号(私が1号)が頼んだメインの鴨肉ロースト。
この黄色いソースがなんととうもろこし!
ソースがめちゃうまだったので、横から手をだしていただいた。上にのっかっているハーブはローズマリーかと思ったでしょ?違うの、紫蘇(花紫蘇)なのw( ̄o ̄)w




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デザートその1
トニック水の上にうかべたレモンシャーベット、チーズムーズ、メロンシャーベット
トニックの苦みが効いてとても美味しい。




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デザートその2
トマトのコンポートに塩バニラアイスクリーム
味覚が単純な(ゴメン)2号にはこれがえらい美味しいとうけました。



腹八分でとめたつもりがコーヒーをいただく頃には例によってお腹がはちきれそう。
でも満足、しかもこのお値段でいいのですか?というくらいコスパ良好。

子供連れの家族や、おじさまのお一人様などもおられて、雰囲気はカジュアル、ちょっと仕事帰りに晩飯、というのにとてもいい。こんどはここでお一人様やってみようかな。






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京都へ移住する前から書いているブログなので、京都移住後もタイトルに愛着がありこんなタイトルです。でも「もう・住んでる・京都」です。旧ブログから引っ越ししてきました。

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