東本願寺能舞台にてテアトル・ノウ京都公演 - 2018.09.30 Sun
京都駅にもほど近い、東本願寺のお堀端にも彼岸花が咲く季節。
彼岸花ってほんとにお彼岸に咲くのな。

さて、この日東本願寺能舞台にて観世流シテ方・味方玄先生の主催するテアトル・ノウの京都公演。
しかし、東本願寺に能舞台があるとはしらなんだ。
西本願寺には重文の桃山時代の能舞台があるのだが、こちらの舞台は明治になってからの建築らしい。それにしても普通ははいれないこんなところで観能できるとは、ありがたいことである。
本日のメイン演目は「経正」と「融」
いずれもシテは味方先生が演じられる。
観覧席は奥の白書院、そこの入り口がここで、さすがお東さん、壮麗だなあ。
これが白書院に向かって立つ能舞台である。雨が降ったら吹き込みそうだし、地謡の方たちの出入り口は屋外だし、現代的な設備がないのがかえっていいかも。
その向かいが観客席で、席はぎっしりうまっていた。
座席から見るとこんな感じ。
後の方にすわった人の話では、前の人の頭がじゃまで欄干の擬宝珠も邪魔でよく見えない〜とのこと。かつては、ここで観覧する人は身分の高い方なので、数人のみで能を楽しんだことだろうから、こんなにぎゅうぎゅう詰めは想定外であろうなあ。
かくいう私は回廊席だったので、すごくよく見えたo(^▽^)o
ただ、ど〜んと紅葉の大きい木のせいで、橋懸かりがほとんど見えないのが残念だった。橋懸かりで「融」の汐汲みの翁が桶をかついでるところも、「経正」の霊がでようかどうしようか迷っている場面も音声のみ。いやいや、設備完備のところより、味はあるけどね。
まずは「経正」
私の三大源平合戦修羅物混乱お題のひとつなのである。「経正」「清経」「景清」
どれもよく似てませんか?(^_^;
ちなみに経正は、平清盛の甥にあたり、敦盛の兄、琵琶の名手にして、仁和寺の門跡から下賜された琵琶の名器「青山」といっしょに語られることの多い平家の公達である。都落ちの際にこの名器を損なわぬようにと仁和寺に返しに行き、一ノ谷の合戦で命をおとすのである。(月岡芳年の「月百姿」にも姿が描かれけっこう好きなんですわ〜)
青山を供えて手向けの法要をしている僧の所へあらわれた経正の亡霊は、平家一の貴公子、白皙の男前である。花鳥風月を楽しみ詩歌管弦、琵琶を楽しんだ当時を懐かしみ、優雅な舞をみせるが、そうこうするうち、がらっと調子は変わって修羅の苦しみ,怒りにかられ、早く激しい舞にかわっていき、最後にそれをあさまし、と恥じて夜明けと共に消えていく。
この修羅のときの小鼓、大鼓の連打にのせて舞われるテンポの速い舞がすてきだった。
お声がとても良いし。
次に「融」
源融は嵯峨天皇の第12皇子、臣籍にくだって源氏姓をなのり、陸奥国塩釜の風景を写した六条河原院を造営した人であり、源氏物語の光源氏のモデルと言われる人である(光源氏最盛期の屋敷の名前も六条院)。六条河原の院はまさに東本願寺の飛び地である渉成園の場所にあったというから、これこそ、ここで演じられるのにふさわしい。しかも舞台は中秋の名月の日、あまりにはまりすぎである。
河原の院はそののち、源氏物語のなにがしの院(夕顔が生き霊におそわれて命をおとした場所)のモデルにもなったといわれるくらい荒廃したが、その荒廃のなか、旅の僧はひとりの汐汲みの翁にあう。都になんで汐汲み?と思うが、ここは六条河原の院のあった場所であり、ここでは塩釜の風景をうつすために、わざわざ難波津から毎日汐をくんでこさせ、塩を焼いたという昔語りをする。
その後の僧の夢に、後シテが、直衣姿の融の姿で現れ、月の光のもと、優雅に音曲舞の夜遊(やゆう)をする、いわゆる夢幻能。
僧と汐汲みの翁のかけあいがけっこう長いので、ちょっとまた意識を失いかけたが、ちょうど舞台の真ん前で舞台の下を海と見立て、汐をくむ所作は印象的であった。
今月はすっかり観能づくめの一月であった。
題を聞いて、内容がすぐに思い浮かぶものの数が多少ふえたが、まだまだ勉強はしなければならないわ。知識が増えること、あと、詞章の言葉の美しさ、ふまえられた和歌に気づく事、これが今の観能の楽しみ。
ちなみに休憩時間にここの自販機で買ったお茶がこれだった。
なんだかありがたい(^_^;
長月の大徳寺畔・狐菴 - 2018.09.28 Fri
大徳寺の北、和菓子とお酒、お茶の狐菴さんがある。
なが〜い居酒屋っぽい(^_^;カウンターだけのカフェというのも萌える。
ここで立ち飲み・立ち食いしながら、オーバーカウンターで着流しのお兄さん店主と雑談談義するのもなかなか楽しい。独特の感性をお持ちで不思議な雰囲気のあるあるじ。
実は今年の5月以来二回目である。
大徳寺方面はどうしても車で来てしまうので、いまだ和菓子+日本酒にはたどりつけていない。
意外と合うのは知っている。(私は饅頭で酒が飲める)
この日は重陽の節句の前後だったので、ちゃんと菊酒もあるよ。
なぜか招き猫。狐菴なのに(´・Д・`)ノ
カウンターの向こうは土壁
室礼やカフェの器はシンプルでスタイリッシュなのだが、ほとんどが、お金をかけずにゲットしたり、手作りしたものというから驚く。そうは全然みえないの。
あ、月見兎!
この月は一度、鴨川べりの茶会で見たことのある手に載るお月様ではないか。しかも月のクレーターまできっちり見て取れる。月を手でもてあそびながらお茶をいただくのも一興。
はは、、、ここにも招き猫
というか、狐菴名物の招き猫最中なのだ。中のあんこは月替わり、この日はカボチャの餡だった。
これ眺めながらジャスミンティーを。(ほんとは日本酒のみたいっ!)
ふむふむ
なかなか愛らしい猫であるな。
他にもここでは聚洸さんとか嘯月さんの和菓子が食べられるよ。
次回こそは日本酒と!

これは5月のときの写真だが、看板もないのでとおりすぎちゃった人のために、外観写真としてここにおいておきます。
萬福寺月見煎茶会2018 - 2018.09.26 Wed
宇治にある黄檗山萬福寺
明から渡来された隠元禅師開山の黄檗宗総本山であるが、煎茶道の祖・売茶翁のゆかりのお寺でもあります。

普茶料理といい、建物の雰囲気といい、唐風の黄檗声明(梵唄)といい、儀礼といい、どこか中国風なのが萬福寺。
売茶翁ゆかりのお寺なので、全日本茶道連盟の本部があって、毎年中秋の名月の頃、6流派が境内のあちこちで煎茶席をかけられる。ここ数年毎年おじゃましている。
毎年輪番で献茶式がおこなわれるが、それに先立つ法要儀礼で黄檗声明が聞けるのがなんといってもここの良さかしら。
しかし、出遅れたせいかどこの席も満席満席で、ずっと遅い時間の席、しかも3席入れるところ2席しかはいれませんでした。なんか今年はお客さん多い?上の画像は結局時間があわずはいりそこねた東方丈の美風流席。
昨年から、境内の野点席はなくなったようです。(昨年は雨のせいかな、と思ったが今年もなし)
境内の白砂の上とか、回廊とか、ここの野点は雰囲気がよくて好きだったし、たくさん席があるので、わりとすぐに席入りできたのにね〜、、、残念。
というわけで、境内で待つこと約1時間半
でも、この夜景を見るのが楽しみで来ているようなものなので、まあ、いいか。
境内をぶらぶらしよう。
だんだん暮れていくと幻想的な景色になるでしょ?
さて、昨年は雨だったが、今年は月はでるか?くもりだから厳しいかな〜?
これを見るたびに私はベトナムのランタンフェスティバルを思い出すのです。(実は実物見たことないけど、、、(^_^;)
はい、こちら萬福寺のアイコン、魚の開梆(かいばん)
大好きなの、これ。
口から吐き出しているのが「煩悩玉」といいまして、これがまた萌えポイント。
そうこうするうち、篝火に火がはいり、、、でも月、でないなあ〜。
法要の終わった本堂にはちらっと十八羅漢さん。
卍くずしの高欄は法堂、ここで小笠原流の席にやっとはいれました。
高い天井の法堂の席は立礼で。
やはり中国風の独特の雰囲気があります。
煎茶道は流派が200以上あるといわれるので、その作法はいろいろ、でも基本は茶道とそんなにかわらない。茶道のアンチテーゼとしての煎茶道ではあったけれど、結局後世、いろいろ流派ができてしまうのね。
煎茶は茶道ほど、お道具お道具といわないのがいいわ。純粋にお茶を楽しめる。(もちろんこだわりの茶碗など作られてますが、それは趣向で)
二席目の方円流席の五雲居へ急いだとき、その上になんと月が!
おぼろげながらその姿をやっとあらわしてくれて、月見茶会の面目躍如。
ここの先生には毎年お目にかかっているような。(なぜか方円流を選んでしまう)
お正客が、来日2年にして日本語ぺらぺらの上に、かのむつかしいといわれる日本茶インストラクターの資格をお持ちの北欧の方だったり、文人文化と煎茶の美術史研究家の方がおられたり、もちろんお坊様までいらして、なかなか面白い席でありました。
20時の席がおわると人気もだんだん少なくなる境内。
そろそろ帰ろう。
帰り路にもまだ月がその姿を見せてくれていたのがうれしかったです。
(なぜ葵の御紋が、というと、四代将軍家綱が隠元に帰依し,援助したからだそうですよ)
二条陣屋にて謡講 - 2018.09.25 Tue
神泉苑の南にある小川家住宅、江戸後期の豪商のお屋敷で、個人の邸宅ながら重要文化財、二条陣屋の名前の方が通りがいい。

今宵ここで謡講(うたいこう)
謡講とは、京都で昔えらいはやった座敷で催す素謡いの会(お能の演目を謡だけで楽しむ)で、謡い手が障子や屏風の影にかくれて謡うため、より情景へのイマジネーションがふくらむというもの。
いうても京都は昔っから室町のだんさんも西陣のだんさんも職人さんも、お茶と謡はかならず教養として身につけてはったそうやから、そんな謡講があちこちで催されたというのも納得である。
特に夜は燈火をけして、謡だけを聞くという粋なお遊びやね。
今回お誘いいただいて、この二条陣屋の豪商のお屋敷での謡講、これまたぜいたくな。
謡い手は平安神宮薪能でいつもユーモアたっぷりのご挨拶をされる観世流シテ方井上裕久師。もう50回以上、京都の名だたるお屋敷で謡講をされておられる。
井上家の歴史は300年以上とお聞きする。京観世五軒家の一、薗家の高弟であり、明治維新後薗家断絶のあとを嗣ぐお家で「舞の片山 謡の井上」とよばれるそうだ。
さて、二条陣屋、、、なんと!昨年の今ごろ、截金の人間国宝作家、故・江里佐代子さん宅で月の茶会の釜を懸けられた先生のご実家だったのだ!びっくり!この家でお育ちになったとか。(おさそいくださったのはその先生のお社中のかた)う〜む、京都、やっぱりあなどれんなあ〜。
この二条陣屋には広間の座敷に隣接して板の間があり、お能を演じる時にはそこが能舞台となるよう、後の障子が鏡板に早変わりしたり、橋懸かりになる廊下もある。残念ながら、衝立で全貌は拝見できなかったが。
今宵は座敷が観客席となり、この衝立のうしろで謡が演じられる。
ちなみに座敷の横は町中と思えぬような数寄をつくした庭になっており、時のうつろいとともに闇に沈んでいくのである。最高のシチュエーション。
まずは、井上師による謡講の解説や、初めて聞く「九重」という謡のご披露。
九重は京都の通り名が、東西の「丸竹夷、、、」のみでなく、南北の通り名まで織り込まれていて、「寺御幸麩屋富柳堺、、、」と愛用している歌の原点はここかと、感激であった。
さて、演目が「井筒」と聞いてちょっと悪い予感がしたのよね。伊勢物語、在原業平の「筒井筒」を題材にしたこの演目は舞台装置が井筒とススキなんで、ちょうどこの季節に演じられることが多く、何回かみているのだが、とちゅう意識を失っちゃう可能性が高いのよね〜。
しかも燈火を消した暗闇で、、となると寝て下さいといっているようなもの(?)
井上師曰わく、「寝るのはけしからん!という能楽師もいれば、眠れるだけはらはらせずに聞いておられる良い芸だから良い、という能楽師もいる。」とのこと。
どうしてもゆっくりな曲はα波からθ波まで脳波がでてしまっていかんわ。
、、、、と言い訳をしておきます。
せっかく持っていった謡本も暗くて読めぬ。
衝立の向こう、お二人で謡われているにもかかわらず、地謡他何人も謡い手がいるような錯覚におちいるのは不思議な感覚。
この豪奢な、歴史ある建物のなかで、謡講、ちょっと昔の商家のだんさんになったような気がしてとてもうれしかったのは確か(スミマセン、意識が、、、)。
最後に、謡講は宵におこなわれることが多いので、拍手はうるさいから、代わりにおわったら「よ(良い)!」と、声をかけるのだ、ということを学習した。
おさそいくださったF様、ありがとうございました。
次の謡講は10月に杉本家でされるそうで、これもまた良いな〜と思いつつ演目がまたθ波誘導する可能性の高い「半蔀」なんで、ちょっと悩んでるとこ。
外に出ると十三夜くらいの月がおぼろ。
たまたま謡講をごいっしょすることになった東京からの茶友さんと、その後三条通り商店街で鰻丼と漬け物だけで(それ以外もう売り切れといわれたのよ)お酒、よう飲みました。楽しかった〜(^_^;
岬の観月茶会〜雨だけど、、、、 - 2018.09.23 Sun

本来雨でなければ、この瀬戸内海が望めるこの岬の高台が腰掛け待合になるはずでした。
去年みたいに。ほんとうはここで観月、月見をしたかったけれど、月ってどこ???な天気でした。
それでも、この海の眺望はすばらしいのです。
今年は濃茶席は桃井さんのお宅の茶室でありました。
ちなみに桃井ミュージアムは、桃井製網株式会社の先代社長の茶道具(藪内流を習ってらした)コレクションや、復興運雲火焼のミュージアムとして、お嬢様が作られた私設美術館。この日も皆様をお出迎えしてくださいました。
待合になっている応接室はさらに瀬戸内海がみわたせ、沖にういている船までくっきり。
主菓子は(たぶんお家元が自ら運んでこられた末富さんのお菓子・月兎)
お家元は後見はされましたが、お道具は、いつもお世話になっている古美術のO先生のもの。
場所柄、藪内歴代宗匠のお好み物が多かったです。
藪内6代比老斎の軸は「月皓、、」で観月にふさわしいもの。
脇床には後水尾天皇の寛永の二条城行幸図
茶入が上野の瓢箪でしたが、おそらく高取と朝鮮唐津と3つならべたら、区別付かないと思うわ。土地も隣接していし。
一番お気に入りは青磁未満粉青三島以上とでもいおうか、出来損ないだけれど味のある青磁水指。よくみれば三島のようにみえなくもない、かなり後期の高麗青磁か粉青の初期。ホツがあったり、かたちが微妙にゆがんでたり、が私的にはツボでした。
茶杓が本阿弥空中(光悦の孫)作のきゃしゃ〜なもの、私がいただいた次茶碗は端整な呉器でありました。(個人的に呉器はいまいち好きでないけど、、、、)ちなみに主茶碗はくすんだ赤楽、吸々斎てづくね「碧桃」。われわれはまだまだ青い桃だね!(未熟者)
薄茶席がはじまるまで、館内を散歩。
復刻赤穂緞通のデモンストレーションがあったが、新品は一畳分の緞通で100万超える!ということを知った!(中古は20万以下で手に入る)
薄茶席は本来屋外庭園で、だったのですが、雨降りはしようがない。屋内にて、テーブル席。ご担当は天球院茶会でもお世話になった藪内のI先生。
うらめしの(使えなかった)バルコニー席
お干菓子は、大阪のパティシエに特注したという、満月をイメージした洋菓子。
今回の席は先代の桃井さんが世界を旅行されて見立てて買われた物を茶道具として。
その一つ一つに藪内12代猗々斎(当代のおじいさま)が箱書きしているのがおもしろいです。
水指はポルトガルのポーセリン、菓子器はギリシャの焼物、御茶碗は北欧系の物が多かったな。自分も海外に行ったとき、茶道具に使える物は、、、といつもさがすのだがあまり良い獲物がない。これはやはり、どう見立てに使うか、のセンスと目の問題だなと思います。
メキシコの靴型灰皿に紙巻き煙草をいれて、アルミかなにかのお盆を煙草盆にする、というアイデアはちょっとまねしたい。
薄器は一見漆器に見えて実はステンレス製、表面の吹きつけ塗装がどうみても漆なんだが、重いのです。茶杓は朝鮮王朝に輿入れされた李方子(まさこ)様の削られた物。歴史に翻弄され数奇な運命をたどったこの旧嵯峨宮家のお姫様へ、思いをいたす。
こちらが雲火焼。
風炉の雲華焼とか、灰器とかよくみますね。
お家元以下、みんなそろって懐石。
これに加えて煮物椀、焼物、和え物が出て、今年お初の松茸土瓶蒸しを。
食後播州篠笛のパフォーマンスのあと、今年も、観世流能楽師の先生と愛弟子のKさんの仕舞「熊野」を拝見。うんうん、昨年より上達したよ〜。あとO先生の仕舞「羽衣」ではかっこうよく、Kさんは小鼓方にまわって、こちらもご活躍。お茶と能楽のカップリング、ってマイブームというか、とてもうれしい。
いったんお開きの後、恒例の無礼講、またことしもお家元とツーショット撮っちゃった!(非公開)
うちの流派ではこういうことはありませんから。
そして今年はちゃんと、日付がかわるまでに京都へ帰ることができましたよ。
楽しゅう御座いました。
Kさん、O先生、I先生その他のみなさま、ありがとうございました!
京都の御大礼〜即位式・大嘗祭と宮廷文化のみやび〜細見美術館 - 2018.09.21 Fri
来年は今上天皇が譲位され、新天皇が践祚され、御大礼(即位式、大嘗祭、その他)がある。おそらく、私には最後の天皇さんになるだろうなあ、、次の天皇さんは。

というので世の中は御大礼ブーム?
かくいう私も某所にて、ちょっと大嘗祭の勉強会に参加している。
なので、予習バッチリ(?)、細見美術館の「京都の御大礼〜即位式・大嘗祭と宮廷文化のみやび〜」を楽しみに見に行った。
勉強会では、大嘗祭に際して作られる悠紀殿(ゆきでん)・主基殿(すきでん)について勉強したのが一番印象深い。
悠紀・主基とは?
洛中より東を悠紀地方、西を主基地方といい、大嘗祭で供えられる初穂をそれぞれの地方から送るのだが、どこの田をその斎田にするか決めるのに古代からの亀卜(亀の甲羅を焼いて割れた筋の方向で占う)で決める、というのがおもしろい。というか、今の世にもこんな決め方があるなんて!である。
ちなみに昭和天皇の大嘗祭では悠紀が滋賀県、主基が福岡県、今上天皇のときは悠紀が秋田県、主基が大分県であったそうな。
そして亀卜のための天然記念物アオウミガメを特別な許可のもと捕獲し、献上された、という最近の新聞ニュースもあってなんだか臨場感あるなあ。
展示には、桜町天皇(江戸中期)のとき亀卜につかわれた亀の甲羅もあって、実物をみると勉強したことがさらに深まるのである。
悠紀・主基って結構特殊な名前で聞いたこともなかったけれど、展示には「江戸時代の悠紀主基屏風(悠紀殿、主基殿をそれぞれ取り囲んで立てたらしい)初お目見え」なんてのもあって、今はぐっと身近に感じる。
大嘗祭に関しては、いろんな文献もあり、何時からこれこれの儀、何時からあれの儀、とかいろんな儀式が時間刻みであるようなのだが、中には秘儀ともいうような、いまだに審らかにされないものもあるらしく、まあこれは下々の者には関係ないだろうが、興味はあるよね。
即位式はいろんな時代のものが起こし絵式になって残っていて、わかりやすい。
江戸初期から、明治天皇にいたる時代、そのありようはマイナーチェンジはあるが、基本的にはずっと昔からのしきたりが守られているようだが、明治天皇の即位式では、大きな地球儀が御前に飾られるなどは、時代背景が投影されていておもしろい。
どの時代にも、高御座(たかみくら)の手前の方に左右にわかれて何本かの幢 (旗鉾)並べられているのだが、
真ん中が銅烏(3本足の烏)、一方に日輪の金烏(八咫烏)と朱雀幢 、青龍幢 、他方に月輪の白兎と蟇蛙(ともに月にいると古代中国で信じられていた)と玄武幢 、白虎幢 、以下左右それぞれ鷹幢 、龍幢 、萬歳幢 、纛(トウ・黒い毛束)幢 、、などが続く。
これもおそらく大陸文化の影響を受けているようで、なかなか興味深いのだが、その意味するところはなんなんだろう。これもまたいちど講義を受けてみたいものである。
信楽・古民家で五輪塔つくりと出汁巻きつくり - 2018.09.18 Tue

信楽朝宮地区は朝宮茶として有名な茶の産地、こんなお茶畑がある。まわりは山と畑と、農家の方々のお家と。小川には蒲まで生えているすてきなところなのだ。
ここに大きな古民家を手に入れ、骨を埋めることを決めたのが「サラリーマン陶芸家」こと、まさんど窯・平金昌人さん。日ごろは都会で仕事をして、週末はここで作陶、二足の草鞋を履きながら、井戸茶碗ばっかし焼いて幾星霜(?)。その甲斐あって、まさんど窯の井戸は最近すっかりお茶にも美にうるさい方々がほしがる茶碗になってしまった。
(玄関先にも窯焚きを待つ井戸茶碗)
古美術雑誌(目の眼)の500号記念の記念品になったり、雑誌和楽に載ったり、すごい茶道具をたくさんお持ちの某和尚様のたこ焼き茶事のたこやき茶碗になったり(^_^;、、、、はじめてお目にかかった時からいったいどれだけ飛翔して、メジャーになられたのだろう。
それもこれも、井戸茶碗!にかける情熱とご努力のたまもの。
それにしてもすばらしい堂々たる古民家だ。ご自分でかなり手をいれられたとお聞きする。
ここをおとなうのは2回目、昨年秋以来。
ペンと古民家という好きな用紙に好きな筆記具で好きな言葉を書く、という。とちゅうで自分の心の内面までふれたような、素敵な会だった。
その時の書道の若くてきれいなO先生に、今年の旧暦七夕にここで梶の葉に文字を書く会のための梶の葉を提供(うちの裏庭にわさわさ茂っているのよ)したご縁で、またお招きにあずかった。
しかし!床の間の梶の葉、9月になっても(ドライだけど)なんと丈夫なことよ!
床の間には秋のみのり
まさんど窯はどなたでもウェルカムでオープン。でも、おもてなしはしないよ、来ても良いけどお茶したかったら自分で点ててね、ご飯食べたかったら自分でつくってね、のある意味なんでも好きにしてね、の楽しさがある。
でも今回はちゃんと懐石を手作りしてくれました。
これは今回初挑戦という滋賀県名物赤コンニャクのステーキ。味付けは生七味の唐辛子(全然からくなくて美味しい)
そしてこれ!現在鋭意練習中の出汁巻き!
こちらの懐石、某スーパーの出汁巻きがけっこうメインでわりと美味しいのだが、先日ここをおとずれた某N氏に「スーパーの出汁巻きなんぞだすな!」とお叱りをうけたとか。一念発起、土井吉晴さんの和食アプリ(!)を見ながら練習されているとか。
なかなかよい手つき、、、かな?(^_^;
ちょっと蘊蓄が多すぎるけど。
出汁巻き二つ目はごいっしょした若者・Eちゃんが。
こちらは思い切りよく男性的に。
さあ、どちらがどちらでしょう?
上:男前?のEちゃん
下:まさんどさん
どちらも美味しかったよ。
まさんどさんのは形はアレだけど、意外としっとりしてよかった。N氏をぎゃふんと言わせる日も近い。
美しい懐石
この日のメインディッシュはご近所の信楽焼の作家さんが自ら育てたお米の精米したてのあつあつご飯。お汁は焼き茄子に豆腐。
この景色を眺めながら(遠景はもちろん茶畑)まさんどさん、O先生、Eちゃん、私と四人で懐石をいただく。それは楽しくて、でも静かで、このままここで一日ごろごろすごしていたいようなひとときでした。
しか〜し!
今回のメインの目的の五輪塔作りを忘れてはいけない。
なぜ五輪塔を作ろうと言い出したかというと、昨年お邪魔したときにまさんどさん、たくさんの五輪塔を作ってはったのを見て、これは茶碗より(茶碗作りという選択肢はドブに捨てた!才能ないの)簡単なのでは!という単純な理由です。だれかの供養とか、そんなんではないのです。
この写真の五輪塔はまさんどさんの作品。真ん中のは屋根があいて練り香を入れられる香合。
このちいさな五輪塔には萌えます。技術的に私にはむりだけれど。
五輪塔つくりのデモンストレーション。
下から方形の地輪、球形の水輪、屋根形の火輪、半月形の風輪、宝珠形の空輪
それぞれのパーツを作って、連結させる。
なにげにけっこう雑に作っても絵になるのがさすがプロ。
作業開始。
水を含んだ粘土の手触りはここちよく、土を触っているだけ癒される感じがするのは、人間の本能的なものかもしれない。特に農耕民族の。
無心に童心にかえって作る、、、といいたいところだが、上手く作ろうとする欲が捨てきれないのは俗人だわね(^_^;
大中小3つ完成。
大きいのは丸い水輪をくりぬいてもらって香合にするつもり。○○忌とかにいいかもしれない。
中くらいのは地輪に穴をあけて線香をたてられるように。
小さいのは自分のテクニック(いや、、そんなたいそうなものはないけど)の限界に挑戦。
そしてお遊びで猫を作ってみたら、なんだか亡くなった猫二匹が思い出されて、猫の供養塔になってしまった。
というわけで猫二匹作った。
みなさんの作品をいっしょにならべたところ。それぞれ個性が出るもんだね。
焼いたらどんなできあがりになるか楽しみである。焼くと化ける(良い感じになる)ことも多いらしくて。
ちなみに遠景にみえるお手々はご近所さんの二歳児さん。五輪塔作りに励んでいる間におかあさんと遊びに来て、粘土で遊び倒してました。そんな感じで、ご近所さんがふら〜と用事もないけど遊びに来る、なんか良い感じ。まさんどさん、すっかりこの土地になじんではる。
ところがこれだけでは終わらず、なんとなんと、今まで経験したことのない轆轤挽きをさせていただけるという。
粘土の菊練りもみせてもらった。
これがあまたの井戸茶碗を生んできた電動轆轤。
まずはお手本から。
気さくなおじさんお兄さんから、一転して真剣な眼差しの職人へ。
見ていると気持ちよさげなのだが、はじめっから、轆轤なんてうまくひけるはずはない、と覚悟はしているので、こうやったら失敗するというのを身を以て体験しよう。
(写真はまさんどさん、Oさんからたくさんいただきました)
轆轤は時計回り
いやこれが思ったより力が要って、こわごわやっていると全然形にならんのな。かといって力をいれると案の定くにゃくにゃ〜、、、
一番やってみたかったのがこれ。粘土の玉から穴を開けていく作業。あけただけで終わったが、これは実に気持ちいい。
いろいろあれこれしっかり手直ししてもらって、、、、
挽き上がったのが手前2つ(ほとんど私はなにもしてない(^_^; 轆轤目は自分の指!だけ)
向こう左がまさんど作、右の奥のへたれたのは私の失敗。
あとは乾かして削ってもらって、焼いたらどんなできあがりになるだろうか。
こんな機会が自分にまわってくるとは思わなかった。ほんまにありがたい。
今は週末だけだけれど、こんな景色をみながら、豊かな土地の恵をいただき、茶碗作り、簡素でとても美しい暮らしだなあ、と思う。もちろんご苦労もたくさんあるかと思いつつも。
そしてどの土地にいってもオープンでフレンドリー、でも謙虚なお人柄、いろんな人との絆をたくさん築かれるのも納得である。ほんまによい場所をみつけはってよかったなあ。また遊びにこさせてくださいな。
*)雑誌の和楽の12月号に<ロックな茶>人として掲載されるそうですよ。
<追記>
まさんどさんから、削りおわったよ〜というお写真いただきました!
高台削ってもらって、お!さまになっとる!
このゆがみが李朝よ(ほんとか?)
香合の穴〜
高麗青磁ーヒスイのきらめき〜大阪市立東洋陶磁美術館 - 2018.09.15 Sat
先だって高麗茶碗の粉青沙器の勉強会(?)をしたが、そのひとつ、三島が憧れ、それに少しでも近く、と願った高麗青磁。
タイムリーにも大阪中之島、大阪市立東洋陶磁美術館で、高麗青磁の展示である。

高麗王朝は918〜1392年、室町幕府が1338だから、意外と中世まで続いていたのね。
高麗青磁は中国越州窯(諸説あり)の青磁の技術を導入したもの、中国(宋代)では「秘色(ひそく)」といわれたが、高麗では全盛期の12世紀、「翡色(翡翠の色)」とよばれた。
(この展示、一部のものを除いて撮影OK!というありがたいおはからい)
これなんか、砧青磁といわれても違いがわからんくらいである。
これは水注であるが、造型がなんとなく朝鮮っぽい、というか。中国にも同じような水注あるのかもしれないが。
印花牡丹紋輪花型鉢
蓮に見えるが、牡丹なんだ。実は同じような印花の高麗青磁の茶碗持っている。これ、よく似ているな〜と思って見ていたが、こんなにブルーではない。ちょっとできそこないの青磁っぽい(珠光青磁みたいな?(^_^;)黄色が勝った青磁であるが、紋様は同じだな、うん。
そしてなんといっても高麗青磁といえば象嵌青磁。
雲鶴はその代表的な紋様。後期になると鶴もちょっといい加減になるのだが、これは最盛期の12世紀のもの、鶴と霊芝がきれいに描かれている。
13~14世紀
これなんか、もう三島かと思っちゃうよ。というか、三島がまねたんだけれど。
末期の14世紀
象嵌鳳凰花唐草紋鉢
三島にも白だけでなく黒い象嵌のものがあって、ますます紛らわしくなる。専門家は三島と高麗青磁は間違わないとおっしゃるが、私はまだどっちかわからないものが多々ある。
このポスターになった陽刻龍波濤紋九龍浄瓶は大和文華館所有の重要文化財である。これを見て大きいものかと思っていたが、意外と小さいものであった。しかし竜頭の細かい造型はすごい職人技。よく窯の中でわれなかったものだ。
ちなみに九龍は、釈迦が生まれたときに九匹の龍が天から水を吐いてその身を清めた、という伝説から。
こんな造型をしちゃうあたり、中国青磁にはなかったのでは?
これらはかわいらしい水滴である。
牡丹紋盒
これは女性の化粧品をいれたものといわれるが、当然われわれには香合にしか見えない。
12世紀~13世紀
象嵌菊蓮花紋瓜形水注
安宅コレクションすなわち東洋陶磁所蔵の、象嵌の紋様といい造型といい、これぞ高麗青磁の花!である。
これは朝鮮の民画であるが、ちょっと猫がかわいかったので載せてみた(^_^;
高麗青磁というと、もっと緑っぽい青磁のイメージであったが、南宋の砧青磁にもまけないようなブルーであったり、釉薬もマットだったり透明だったり、こんなにバリエーション豊富とは思わなかった。
残念ながら茶道具としては、特に茶碗は抹茶の緑が青磁にあわなかった様で、あまり好まれない。花器としてもやはり龍泉窯の青磁に負けるのである。続く朝鮮王朝時代、その技術は失われていくのであるが、少しでも青磁に似せようと努力した結果が粉青沙器であり、日本の茶人がむしろこちらを好む、というのは少し皮肉な話である。
12世紀
陰刻牡丹紋碗・托
なんと繊細な。
今でも朝鮮半島では、粉青でもなく白磁でもなく、この高麗青磁こそ自分たちの国の宝だという意識が高いと聞く。お茶の道具とは別として、それもうなづけるこの美しさ、、、である。
*11月25日まで
重陽神事と烏相撲〜上賀茂神社 - 2018.09.12 Wed
もひとつ9月9日重陽の節句の行事を。
上賀茂神社の神事と地域の子どもたちが相撲童子となる烏相撲

社務所のまえでは刀禰(とね・神職の一)さんが、烏相撲で使う弓矢と円座をもってスタンバイ。
そうこうするうちに斎王代さんがでてきはった。
古式ゆかしい襲のお姿、きれいやな〜。
まずは土舎にて、斎王代以下、神職、相撲童子 みなさま、宮司さんのお祓いをうける。
ちなみに相撲童子はこの地域の小学生20人で、白い締め込み姿もりりしいのだが、くどいほど「童子の画像はアップしないでください!」と放送をくりかえしていたので、残念ながら画像はございません。
こちらは細殿の前にしつらえられた土俵、あいにくの雨でテントの中となった。
ただいまご一行他、関係者は本殿で重陽神事にご参加、一般参拝者は小一時間じっと待つ。
ようやく斎王代さんが細殿の座におつきになる。
雨で気温は高くないものの、すごい湿気なので、お付きの人もせっせと風を送ってはる。
まずは神官さんたちが土俵を清める所作を。これは反閇かな?
(土俵をととのえたりするご奉仕の人 背中に八咫烏を背負う)
烏相撲は要は子どもたちが相撲を神前でとるのだが、相撲は神事でもあるのでわかるのだが、なぜ烏がつくのか?
賀茂川に流れてきた丹塗矢を拾ったことにより、上賀茂神社の御祭神・賀茂別雷命を懐妊した賀茂族の玉依日売(たまよりひめ)の父、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が神武天皇東征のおり、八咫烏の姿で先導し勝利に導いたという神話による。
いつごろからの行事かさだかではないが、一時廃れていたのを近年になって復活させたものではないかと思われる。
さて、(画像はないが)この細殿の前、土俵の東西に10人ずつ相撲童子が並んでいると想像して下さい。西方は禰宜(ねぎ・宮司の下の神職)方、東方は祝(ほうり・禰宜の下の神職)方とよばれる。
これはそれぞれの方の相撲童子の名前を斎王代さんにご報告しているところ。
そして烏相撲のゆえんと思われる刀禰の横っ飛び移動。まるで烏がちょんちょんと飛んでいる姿。
移動して、弓矢をたてかけた立砂の前にすわり、扇で仰ぎながら、禰宜方は「かーかーかー」
、祝方は「こーこーこー」と烏のなきまね。意味は不可解ながらなんとなく烏相撲って気がしてきたよ。
そしてまずはそれぞれ一番ずつ相撲をとり、次に勝ち抜き戦。
相撲の応援に神職のかたも熱中しておられる。
禰宜方は白い締め込みに赤い布、祝方は白い布をつける。
子どもたちの歓声、応援もにぎやか。「○○!負けるなよ〜!」「△△!勝てや〜!」とか。みんな真剣勝負。
この子たちはやがて15才になると<あがり>、というおとなの仲間入りをはたし、またこの地域で幸在祭(さんやれまつり)(2月)で祝ってもらうのだろう。代々地域に住んで、その絆の中、地域の大人たちにみまもられながら大人になるっていうのはうらやましいよ。
上賀茂は農家の多い地域なので、人の出入りの激しい洛中とちがって、そういう関係が代々続いているようだ。
この相撲がおわれば菊酒のおふるまいがあるのだが、私はちょっと時間がなくてこれでおいとました。
最後に今日は厩におでましだった神馬号にご挨拶。
いや、、なかなか神々しいお顔で、、、(^_^;
重陽の節会2018〜嵐山・法輪寺 - 2018.09.11 Tue

文字通り嵐の通り過ぎた後の嵐山
濁流が渦巻いております。
しかも渡月橋の欄干が、このようなことに。
ニュースではみましたが、実際見るとなおのこと、自然災害のおそろしさを実感します。景色かわっちゃってる、、、、
さて、9月9日は重陽の節句。
1月の人日、3月の上巳、5月の端午、そして七夕にくらべるといまいちマイナーだけれど、お茶の世界ではけっこう鉄板のお題です。(「着せ綿」という銘の和菓子がでるのもこのころ)
おめでたい陽の数字(奇数)の一番大きい9が二つ重なる月日は、陽の気が強すぎるため不吉とされ、それを祓う節会。
京都ではあちこちの神社仏閣で重陽節会がおこなわれていますが、嵐山法輪寺のは有名。ご本尊虚空蔵菩薩が愛でられた花が菊であったからという。
今年は2年ぶりの参拝、奉納されるお能の菊慈童がお目当て。2年前には菊慈童習っていなかったけれど、この2年のあいだに仕舞をきっちり習ったし、昨年は菊慈童をテーマの月釜なんかやっちゃったし。
法輪寺はむしろ十三参りで有名だけれどね。渡月橋からだと、この裏参道が近くて便利。
本参道はこちら。
虚空蔵は暁の明星の化身とも言われ、また智恵をつかさどるので、京都では13才になった男児女児が智恵をさずかりにお参りするのです。帰りに渡月橋で振り向くとせっかくの授かった智恵を落とすので、よばれたりしても決して振り返ってはいけないという、大人の世界の約束の大事さを学ばせるような習慣でもあります。
まあこの時、娘に十三参りの着物をはじめて本身で作る、という親の楽しみもあるようで、さすが、着倒れの京都ならでは。
まずは本堂で法要がおこなわれます。
ここは真言宗のお寺なので、密教系の仏具荘厳がきらきらきれいです。真言声明もなかなか聞かせます。
もともと重陽節会は宮中に伝わった習慣で、呉茱萸(茱萸の実とはちがう)をつめた赤い茱萸袋を柱にかけ、邪気を払い、寒を防ぐまじないとするのです。 端午の節句には薬玉を飾り、重陽の節句にこの茱萸袋にかえるのです。なので、法輪寺でも、この日だけ、茱萸袋が授与されます。
法要の後、参拝者に菊の花、一枝が配られ、1本1本、ご本尊へ手向けます。
旧暦ならともかく、太陽暦の9月9日はやっぱり菊には早いのですが、菊花の香りはやはり高貴で芳しい。
さあ、お待ちかね!
「菊慈童(金剛なら枕慈童)」の舞囃子奉納。
能楽師がどなたかちょっとわからなかったのですが、2年前は金剛流の宇高兄弟のお父上でありました。
皇帝に仕える美少年、菊慈童は皇帝の枕をまたいだ罪で酈縣山(れっけんさん)の奥深い山に捨てられたのですが、あわれに思った皇帝が、観音経の4行(福寿海無量、、、)を書いた枕を与えました。慈童はそのお経を写す内に菊の下葉の露にそれが溶けて、その露をのみ不老不死にて700歳以上を生きたというお話しです。
ちなみにこの菊には五色の綿で着せ綿がしてあります。
菊慈童の仕舞はキリ(最後の部分)を習ったので、今回は歌えるし、舞も所作がよくわかって、前来たときよりもうれしい。この仕舞、好きやわ〜。
♪すなわちこの文 菊の葉に
ことごとくあらわれ さればにや
雫もこうばしく したたりも匂い
淵ともなるや 谷影の水の 所は酈縣の山のしただり
菊水の流れ、、、、
最後に菊酒がふるまわれ、おひらきとなりました。
伝説の美少年・菊慈童
祗園祭の菊水鉾の慈童よりきれいなんです〜。
茱萸袋は私はもっているので、これは友人へ買いました。
呉茱萸の薬湯のような芳香、これで邪気を祓えますように。
境内から見下ろす渡月橋。
中国ではいまでも重陽には家族で<登高>といって、頭に茱萸を挿して、高いところに登ってピクニックするらしいので、そのまねごと?
そんな様子を書いた、この季節かならずくちづむ王維の大好きな漢詩ものせておこう。
獨り 異鄕に在りて 異客と 爲り
佳節に 逢ふ毎に ますます親(しん)を思ふ
遙かに知る 兄弟 高きに登る處
あまねく 茱萸(しゅゆ)を插して 一人(いちにん)を少(か)くを
あいかわらず濁流の桂川
はやくおさまりますように。早く日常がもどりますように、どなたさまにも。
帰りは渡月橋東たもとの琴聞き茶屋の名物道明寺粉だけの桜餅を。
餡がはいっていなくて、はさんだ桜の葉っぱの風味をを楽しむ上品な桜餅どす。
「Purus Terrae 浄土」〜現代作家が描く大徳寺・真珠庵襖絵 - 2018.09.09 Sun
イラストレーター/アートディレクターの上国料(かみこくりょう)勇さんのお名前をはじめて知ったのは、大徳寺真珠庵とのゆかりも深い、宗和流宗匠の茶事の折であった。
待合にかけられた色紙は、彼が茶事に招かれた折、観音菩薩の姿を墨でささっと即興で描いた物であったが、古美術の観音ではなく、かといって現代的な解釈でもなく、なんとも魅了されてその作者のお名前を覚えた、というわけである。

(真珠庵・一休宗純を開祖とし、一休から圜悟克勤墨蹟を拝領した村田珠光作庭の庭、金森宗和好みの内露地茶室・庭玉軒がある)
聞けばファイナルファンタジーのアートディレクターとしてその方面では有名な方だそうだが、いかんせん、ジェネレーションギャップでFFが何かを私はいまだによく知らない。
その上国料さんが真珠庵の襖絵を描かれ、9月から一般公開、という。これはいかずにおくべきか!
その前にNHKのスーパープレミアム特番「大徳寺真珠庵 現代絵師たちの格闘」も拝見。なるほど、そういう苦労話が、、、と納得した上でさらに気持ちはもりあがるのである。
ちなみにこの襖絵プロジェクトに参加された作家さんは上国料さんの他に
北見けんいちさん、、、皆様ご存じ「釣りバカ日誌」の漫画家
山賀博之さん、、、映画監督 「エヴァンゲリオン」の制作会社
濱地創宗さん、、、日本画家で僧侶
山口一也さん、、、美術家
伊野孝行さん、、、イラストレーター Eテレアニメ「大人の一休さん」担当
いずれも真珠庵が所有する長谷川等伯らの方丈障壁画が修理にはいったのをうけて、襖絵を新調するのに和尚さんが請来された作家さんばかり。しかし、よくこんなメンツを選ばれたとビックリする。一体どういう調和がうまれるのだろうか。
真珠庵の前の大木には台風被害の爪痕が。
折れた木のいたいたしい姿はあったものの、大徳寺の広い境内は今日は倒木などもまったくきれいにかたづけられていてお見事。
まず入った本堂に北見けんいちさんの「楽園」が正面左右の3面
総カラーであの漫画の雰囲気がそのまま。浜ちゃんとすーさんまでいてるし、後姿で黄昏れて?いるご住職の姿も。これもNHKの特番で拝見したが、いろいろ思い入れもあり、ご苦労もされたようである。ただ、感想はちょっとむつかしく、意見が二つにわかれるかな、といったところ。
檀那の間の山賀さん、「かろうじて生きている」墨絵
のども裂けよとばかりなく海猫の顔と中央の円相(海のテトラポットの上)が印象的。
衣鉢の間の濱地さん、「寒山拾得」ほぼ墨絵
4本の銀杏(だったか?)の木のはしっこにそれぞれかくれんぼでもするような寒山拾得
空間の取り方がとてもよくて、好きだわ,この絵。落ち葉のおちる微かな音や、拾得の箒の音がきこえるような気がする。
仏間の山口さんは本来は本堂の下の袋戸棚の扉絵 「空花」
深い青と黒をかさねたような背景に銀色の星?この作品をつくるあたって、和紙をご自分で漉くことからはじめられたという。
大書院は伊野さん そのまま「オトナの一休さん」がマイクをもって、小僧さんや森女とおぼしき女性の鼓や琵琶などにあわせて絶唱。焼き餅を焼く他寺の和尚さんや、骸骨まで木のかげからのぞく。
これも100年後かつての風俗として語られるだろうか。
全く、和尚様の頭と感性の柔軟さに驚くばかり。
そして最後の礼の間、私的にも真打ち!上国料さんの「Purus Terrae 浄土」
(買った絵はがきをそれ風にならべてみた)
う〜ん、これがやっぱり一番見たかった!
なんという宇宙観。
(奥様がモデルという)蓮ではなく彼岸花の座の上にすっくと立つ観世音菩薩、腰のあたりに飛行機関か、と思わせるような半円のわっかをまとって不思議な宝冠をいただく。来迎のお姿か。
来迎の雲をひきつれ(ようしらんがEXILEの某がモデルという)風神雷神がこれに従い、琵琶をかかえカモシカとコウノトリ?を従えた弁財天。
中空には不思議な建物がいっぱい建っている空中都市がごとき浄土の船がうかび、ここに載るのは阿修羅か?
左手の面には黒雲を背負った不動明王、既成概念の龍にはほどとおい不思議な龍をしたがえ宝珠を持つ龍王、白狐(おいなりさん)にのる咤枳尼天はまだあどけない少女の顔。
これはなんだ、、、そう、夏の旅行でさんざん見てきたヨーロッパの近世絵画、宗教絵画と比せられるものではなかろうか。技術的なすごさもさることながら、その世界観が圧倒的。さすがファイナルファンタジー!(ようしらんけど、、、(^_^;)
まだこれから加筆もされていくという。
これは本物を是非間近で見て欲しい。新たな発見がいくつもありそう。
一般公開は12月16日までだが、終わりに近づくにつれ、時間予約じゃないと拝観できなくなる可能性もあり(聚光院の狩野永徳の襖絵もそうだった)、早めに行くのがおすすめ!
大徳寺にきたときのお休み場所は、町家カフェのはしりのここレモン館(ランチも可)か、15時〜だけど和菓子とお酒、またはお茶、の狐庵。最近もっぱらここらへんです。
3年ぶりに岡崎・Cenci(チェンチ) - 2018.09.07 Fri
台風お見舞いありがとうございます。特注の簾4枚が飛んでいきました、、、(´;ω;`)、、、で、すみましたが、悲しいことに、京都の景色がかわってしまいました。被害にあわれた方々の一日も早い復旧を祈ります。、、、と言ってるうちに息子のいる北海道がえらいことです。特に停電、、、電気がないと連絡もできません。こちらも早くの復旧を祈ります。
*****
岡崎徒歩圏シリーズ。
なかなか予約の取れないイタリアン、Centi(チェンチ)へ月イチ美食倶楽部(会員二名)の会合。
思えば3年前に来たときには、ここはできたばかりで、京都での御遊学を終えたA庵さまが関東に帰られる送別会で、のことでした。
祗園の名店イル・ギオットーネのシェフだった方のお店です。チェンチはイタリア語で「100」だとばかり思っていたら、以前のブログ記事で自分でフィレンツェの方言で雑巾の意、と書いていたので、あまりの物忘れのよさに愕然。
ご自分たちで半地下に掘って、レンガを特注で焼いてはめこんだ、ねじりまんぽ(南禅寺近くの有名な隧道)みたいなエントランスの天井。(ちなみに画像は3年前のもの)
まずは食欲増進もさせるハーブティーを
ここはカトラリーも料理毎に新しく出てくるので、それも楽しみ。右の一組はなんと木製。
ペルシュウ(生ハム)の付け合わせが銀杏を練り込んで焼いた皮にカッテージチーズを練ったもの。
本来チーズは苦手なんだが、これは美味しい。
涼しげなガラスの器に盛られたのは、インカのめざめというほっこり甘みを蓄えたジャガイモのムースにイカスミパスタ+雲丹! 上に乗っているのはトマトだったか?洋風醤油麹のようなアクセント。
およ!鮎が泳いでいる!と思ったこの下には加茂茄子、手前がオクラの花(花もねばねばするんよ)、これにトマトの水分をじっくりとって味付けをしたというトマト酢とでもいうようなソースを目の前でかけてくれる。まわりの赤い粒もパプリカではなくて、乾燥トマトの粉末と塩をまぜたもの。これをなめるのも美味しいよ。
器は一見大理石に見えて、特注の伊万里。
次々チマチマ出てくるのがうれしい。
一番下の鮪のソテー、アボガド、生の鮪とトップにカダイフ(小麦粉でできたほそ〜い麺)
アボガドペーストにはコリアンダー、つまり香草が練り込まれ、パクチー大好きな私としてはすこぶる美味。
トウモロコシのお餅みたいなのを揚げてワタリガニの肉、その上にのっているトウモロコシの髭(の青い部分)まで、トウモロコシづくし。
ここまでが前菜。
いよいよメインディッシュです。
メインディッシュのナイフは、前回来たときに、サーブのお姉さんが「よ〜く切れますからご注意を!」と念を押していたナイフ。人気なので、注文してから届くまで待ちの長いRYUSENナイフ(龍泉刃物・越前市)。
よ〜く見ると、特に根本近く、特徴である金属のモアレが見える。
仔羊の肉を脂身で巻いたもの、万願寺唐辛子などの夏野菜添え。万願寺がぴりっとからくて美味しかった。夏野菜はスパイスが効いて、ちょっとクセのある仔羊とあわせるのは、スコットランドのハギスを思い出すわ。
〆はパスタかリゾットで、私はキャベツと豚肉、フカヒレという意外なコンビネーションのリゾットを。上にふりかけた茴香(フェンネル)の小さい実が、いいアクセントでした。
デザートの飲み物はこのサンプルから選べるハーブティーか、私の選んだエスプレッソ。
こういうメニューのサンプルって女子好みかも。
お腹一杯なのに、別腹とばかり、次々でてくるデザートがうれしいような(お腹が)苦しいような、、、(^_^;
これはここでは毎回でてくるカンノーリというイタリアのお菓子。薄焼きのクッキー生地にクリームやチーズ、ナッツなどを刻んでいれてある、口にいれるとほろほろほどける口当たりのよいお菓子。カンノーリはラテン語の「小さな管」(もしくは葦)という意味なので、なるほどね、の形。
デザート一つ目はパッションフルーツ、マンゴーの上に雪のようなココナッツシャーベット。
二つ目は桃にバニラアイス、そしてエルダーフラワー(カモミールに似た感じ)のゼリー。エルダーフラワーはヨーロッパではよくゼリーに使うみたいなのね。
ああ、今夜もお腹一杯。
美味しかった、ごちそうさまでした(^∇^)**
三島まみれ♪、、、粉青沙器勉強会たこ焼き茶事 - 2018.09.04 Tue
かねてより、お蔵の深い和尚様(タライ・ラマ師)に焼物の勉強会をしよう!とお願いしていたのが叶いました。
以前は古唐津の勉強会や古染付の勉強会なども京都でしていただきましたねえ。今回は、私が大好きで大好きな大好き(くどい)三島をメインに粉青沙器シリーズ!
(お道具の写真のアップは和尚様の許可を得ております)

6月たこ焼き茶事の思い出も新鮮なうちに、ふたたびたこ焼き茶事付きで。
寄付では本願寺の何代目かの門主さまの「法の海、、、」の歌、待合で須田剋太さんの「空」。あわせて「空海」!先だって真言宗のお坊様(実は私淑している「師匠」さま)が茶事のお客様だったそうで。なるほど〜。
席入りすると床の間に、李朝の背の低い箪笥の様な台にうやうやしく乗っているのは、鶏龍山(粉青の一)の盃(箱書は小碗)。つやつやでかわいらしい。こんな手のひらに載るような小さい鶏龍山は初めて見た。事実めずらしいものらしい。
早速、粉青沙器についての和尚様の講義。
レジュメまでご用意くださり、有り難い限り。
私は粉青大好きなので、ある程度知識はあるつもりだったが、実は全然理解していなかったことが次々と判明。実物を手にとっていじり回して、たくさん見て、専門家に教えを乞わなければ身につかない知識というものがあるのだ。本を読むだけではだめなんだ。
<9~10世紀南宋越州窯で盛んに焼かれた青磁の影響を受け、朝鮮では高麗時代(10世紀〜14世紀)盛んに青磁、それも朝鮮独特の象嵌入りのものが作られたが、国の衰退、技術の衰退により青磁の色がだせなくなり、それに似せた粉青沙器(三島・粉引・刷毛目)が誕生した。高麗末期〜李朝初めの頃である。>
ここまでは知っていたが、粉青とは、、、粉=白い化粧土、青=淡青色を示す透明釉のことだったか!その透明釉が無色透明だと思い込んでいたので、刷毛目にしろ三島にしろ青い釉薬の上に無色透明釉をかけていると誤解していたのだ。あの青い色こそが透明釉の色だったのか。
さらに刷毛目と粉引の違いもわかっていなかったな。無地刷毛目の外側の口の周りによくみられるべっとりとした白い化粧土、言われてみればあれは刷毛目=刷毛ではいた、、、のではないのだ。あれは化粧土にどっぷり漬けてできた粉引と言うべき部分だったのだ。
ついでに粉引の産地による分類で
宝城粉引、雲岱里粉引:いわゆる粉引 伝世品は少ない
務安粉引:無地刷毛目が多い 高台脇、高台内には透明釉のみで白化粧土がかかっていない
また改めて自分の無地刷毛目を見直さなくっちゃ。
ほんま、実物を見ながら解説を拝聴すると、全然ちがう。展示品では高台の裏までみることもできないものな。
さらに粉青に影響を与えたのが、絵高麗〜中国磁州窯の白化粧土を使い、絵を描いたり、搔き落としをしたりする技法。和尚様のお蔵はと〜っても深いので、お話しをされながら、次々と話題になった実物の焼物がでてくるのにはびっくりしました。
そしてこれ!!
今日の中で一番好きなやつ!
三作三島といっていいのかな。粉引のようで、三島の象嵌があって、外側にはうっすら刷毛目もあるし。も〜これ好き、、、としか言いようがない☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
中の釉薬垂れで透明釉の色が淡い青だとはっきりわかる。
たこ焼き懐石のスタートに、神戸たこ焼き(ソース+出汁)用の平金井戸(まさんど窯)と共に載っている取り皿は、、、これも粉引ではありませぬか!
正客の特権といたしまして、床に飾ってある鶏龍山のかわいらしい盃でお酒をいただきました。
目跡にちらばっているキラキラしたのは砂ではなくて珪石(石英)なんだそうです。入手されたいきさつも伺ったが、和尚様のところへ来るべくして来たのだなあ、、の感あり。
またまた!このびっしり象嵌の上手の三島と来たら(*≧∪≦)
立派な後継者になるべく修行中のご子息がせっせとたこ焼きをやいてくださいました。
これぞ神戸式たこ焼き!
ご次客さんの取り皿も三島?高麗青磁?(この境界があいまいなものもけっこうある)
この薬味入れは、500円玉くらいの大きさで、実は食器のミニチュア、副葬品なのだとか。小さいクセに形が井戸茶碗か?と思うくらい横から見たフォルムが美しいのだが、これも数ある中から和尚様のおめがねにかなったものばかりの選抜品。李朝の卓に載っているのもおしゃれ。
三客さんの取り皿が上野焼で、あんまり上野焼って見ないね、という話をしていたら、またまたお蔵からこれぞ「The 上野焼」という器(向付?茶碗?)を出してきて解説してくださる。意識して上野焼見たのはじめて。
私は高台は、いままでそんなに気合いをいれて見ていないのだが、高台のどこが見所なのか、すきっとした高台とそうでない高台の違いは、とか、直径と高台径の比率の話とか、本物の高麗茶碗の高台がけっこう欠けている理由などもお話してくださり、大いに勉強になりました。
また、九州で粉引をメインに作陶してはる和尚様仲良しで、私も川口美術でなんどかお目にかかった伊藤明美さんの作品の話になると、早速その塩笥の汲み出しを出してきてくださった。初めはほとんど真っ白だったんですよ、この粉引。使っている内にどんどん色が付いてくるので、彼女のその育児(陶?)日記の記録をみたことがあり、自分も育ててみようと一つもとめて使っているのですが、この和尚様がお使いの、伊藤さんのごく初期の頃の作品がこれで、びっくり!
これが私が育児中の同じ物。全然使い込みが足らない!どうやったらあそこまで行くのか、またガンバロウ。
主菓子は須磨の浦の波を現したもの。
器は古唐津陶片、紋様は千鳥だが、陰暦8月の異名・燕去月になぞらえ燕にみたてたもの。
中立の後、後座の席でまたびっくり!
先ほどのかわいい鶏龍山盃をのせていた台が天秤台になっているではありませんか!
聞けばこれは日本の江戸時代の古民具らしく、組み立て式で、下の引き出しに天秤、天秤をかける柱、および分銅型(地図記号の銀行)の分銅一式がおさまっていました。
これにちなんで仏様のありがたい説話(シビ王と鳩と鷹)を拝聴。和尚様が園長をつとめられるところの幼稚園の園児たちに聞かせるのにほんまによいお話しでありました。
花入は珍しい宋胡録にお庭の桔梗。
濃茶茶碗がたっぷりとした堂々たる刷毛目、茶入が粉青に影響を与えた磁州窯の絵高麗、茶杓がこれも珍しい、櫂先の割れ目に裏にでないほど小さな鎹がうってある織部の高弟の作。水指は御本三島。
薄茶では「出たっ!」と思わず叫んだ、本日の三島の最後を飾る檜垣紋・内花の彫三島!先日香雪中之島で彫三島「朝霧」見たとこやん。そっくり。
彫三島はいわゆる粉青沙器から時代が下って、織部好みといわれ日本からの注文であろうと言われる番外三島。ここまできっちりそろえられているとは(;゜0゜)
水指が鶏龍山塩笥、二服目は本日でてきた茶碗のそろい踏みで、お好みの茶碗どれでも!
茶杓は須磨の波にかけた藪内10代休々斎の「釣り竿」(神功皇后神話にちなむ)
しかるに同じ小田先生の本を持っているのにどうしてこう読み込み方が違うのでしょう。
改めてまたしっかり読み直そうと誓いました。
かくいう粉青も16世紀後半から17世紀、李朝の儒教色に影響を受けた白磁の興隆とともに消えていくのでありますが、朝鮮人はあくまで高麗青磁に誇りをもち続け、粉青とか白磁とか、そこらへんにころがっていたのを、後世再発見したのが柳宗悦や浅川兄弟をはじめとする日本人だったのですね。ここらへんは美意識のお国柄違いというべきですが、その後あまりに日本でもてはやされたので、本国でも逸品は門外不出となったもよう。
和尚様はこれだけのどれをとっても「お目の高い」コレクションを作られるまでに、たくさんの失敗や痛い思いもされたそうです。そういう身をもった学習でなければ、ほんとうは知識は身につかないと思うのではありますが、私にはなかなかむつかしいわ。
とにもかくにも半日、粉青まみれの茶事、粉青の海に溺れてしあわせでした。
ありがとうございました。
次回は堅手シリーズなど是非!(あつかましいけど)
中之島香雪美術館〜「珠玉の村山コレクションIII 茶の道にみちびかれ」 - 2018.09.01 Sat
朝日新聞の創業者・村山龍平(香雪)のコレクションを所蔵する、神戸御影香雪美術館は何度かいったがことがあって、中でも毎年11月におこなわれる玄庵(燕庵をそのまま持ってきたような写し)茶会はそのお宝をおしげもなく使い、玄庵にて藪内のお家元が濃茶を点てて下さり、香雪の邸宅のうち、和館、庭園も使うという、美術館茶会のなかでは私的最高峰のお茶会なのだ。(玄庵茶会の記→ ☆ ☆☆)
その香雪美術館の中之島館が大阪にできると聞いて、完成を心待ちにしていた。3月オープンであったが、ここは交通的にやや不便(京阪中之島線がなあ、、、)なのと、行こうと思ったら休館だったりで、とうとう今日までのびのびになってしまった。
手前のフェスティバルホールのあるビルの向かいの高層ビル4Fである。
(フェスティバルホールの向かいってことはJR大阪駅にも近いってことだと初めて気づいた)
4Fからの眺め
美術館はオープン以来「珠玉の村山コレクション」シリーズを5期にわけて展示する予定で、現在は3期、「茶の道にみちびかれ」で、ばっちりのタイミングではあった。(他に「美術を愛して」「美しき金に心をよせて」次期が「ほとけの世界にたゆたう」「物語とうたにあそぶ」
香雪翁は茶の湯だけの人ではなく、日本のみならず東洋の古美術を愛してやまない方だったそうで、そのコレクションは茶道具に限らず多岐にわたるのだ。
彼の茶の湯の師は藪内流の10代休々斎、11代透月斎であり、茶の友は藤田傳三郎、住友春翠、野村得庵、鈍翁などなどかの時代の綺羅星数寄者。よってそのコレクションも推して知るべし。
エントランスからはうわさの玄庵を忠実に写した(ということは燕庵を忠実に写した)茶室もシースルーで見えるというニクイ設計である。
いきなり入り口から利休が漁師からゆずりうけ花入れにし、少庵、宗旦、山田宗偏箱、と伝わった伝説級の桂籠。
それから龍平翁が担当した第3回十八会(傳三郎以下、大阪の数寄者たちがもちまわりでした茶会)の時、大正11年光悦会で大虚庵を担当した時、玄庵名残茶会をしたときの道具組がそれぞれならぶ。
桃山の伊賀花入もあれば与次郎釜、古染の香合、古備前の火入、龍泉窯青磁の瓶掛け、展示はなかったが軸は雪舟、藪内流祖剣中の一重切花入れ、織田有楽の茶杓「初霜」、仁清忍草茶碗、長次郎のかせかせの黒楽「古狐」、光悦の黒楽「黒光悦」、、、、、きらきらキラキラ輝いて見えるお道具に、意外に多いのが、東南アジア系の道具だ。天川の煙草入れとか、東南アジアっぽい漆器の食籠や行李蓋など、ちょっと斜め上をねらったようなコンビネーション。
刷毛目茶碗がお好きだったようで、いくつか出ていたが、私的には彫三島「朝霧」がよかったな。内に印花と線彫り、外は二段の線彫り。今窯からでましたよ、と言わんばかりの艶々感、一言では表現できない複雑な色。
茶杓の展示に珠光、紹鷗、利休と3つが並べてあるところはさすが!茶杓の変遷の歴史のエッセンスがわかる。
もひとつ、呉須染付(漳州窯)、古染付(景徳鎮)、祥瑞(景徳鎮)のいつもどれか迷う染付3種を並べて展示!これもありがたい。
ついでにいうなら呉須赤絵(漳州窯)と南京赤絵(景徳鎮)もならべて欲しいな〜。未だに違いがようわからん。
玄庵写しは昼と夜の景色をライティングでみせているところが芸が細かい。これは夜のパート。中村昌生先生監修、京都の数寄屋建築会社請負とのこと。
御影の美術館にはない所としては、龍平翁の生涯を写真や記事で読ませるところや、重要文化財となっている私邸の洋館を360°見ることができるタッチパネル、洋館の居間の再現などなど。これは意外に面白い。
岡倉天心が明治22年に創刊した美術雑誌「国華」の資金難を救ったのも龍平翁と朝日新聞社の共同経営者であった上野理一であった。現在それの経営は朝日新聞社にひきつがれている。(「工芸青花」は名前からして国華へのオマージュなのかな)
また現在の甲子園・全国高校野球大会の創始者でもあったんですねえ。

御影に行くことを思えば、ここの方がちょっとは行きやすいかな。できればこちらでも美術館茶会があればいいのだけれど。