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2018-11

香雪美術館・玄庵茶会2018 - 2018.11.29 Thu

神戸御影と言えば、閑静な超高級住宅街である。
そこにむしろひっそりたたずむ香雪美術館、朝日新聞創始者の一人で数寄者、美術収集家、実業家であった村山龍平翁(号・香雪)の茶道具、美術品コレクションをおさめる。
(今年大阪にも中之島香雪美術館ができ、話題になった)



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左手が旧・村山家邸
御影の市中に突如あらわれる広大な森は数千坪という。近づくだけで、もうかしましい野鳥の声がするバードサンクチュアリでもある。
ちなみに右手はフィギュアの羽生弓弦君ですっかり有名になった弓弦羽神社。



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毎年龍平翁の命日、11月24日あたりに追福茶会である玄庵茶会がおこなわれる。
玄庵とは、藪内の家元に師事した彼が邸内に建てた国宝「燕庵」の忠実な写しの茶席である。
私が、この玄庵茶会に行きだしてから早6年がたつ。行けない年もあったので、数えてみると4回目。




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なにしろ広大な庭園、和館、露地を使っての茶会であり、お宝の館蔵品を実際に使ってお茶を飲ませていただけるので、美術館系の茶会としては一番好きかもしれない。

まずは藪内燕庵にあるのと同じ編笠門をくぐって、いざ、バードサンクチュアリ、いや、市中の森の中へ。
ドウダンツツジの真っ赤な紅葉や、まだ少し緑を残す楓、燃えるような楓、白い花を開く椿の大木、、、などなどを眺めつつ、寄付へ。




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ここの寄付・待合は大きな火鉢に美しい菊炭をこれでもか、というくらい惜しげもなくいれてくださるのが楽しみでもある。寄付の煤竹の船底天井も鑑賞ポイント。

待合の掛け物は利休の藪内剣中宛の消息。茶事の御礼云々

主菓子は末富のきんとん、一瞬クリスマス?と思った色合いは「今朝の庭」、苔の上に散った紅葉らしい。説明されたのが、夏に天球院や、秋の赤穂茶会でお目にかかった藪内のI先生であった。(なんだかだんだん藪内に知り合いが増えて、、、裏千家なのに、、、(^_^;)




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織部考案の割腰掛け待合い(主と従者を分ける)も燕庵と同じ。いよいよ中門(しつこいけど、これも延段の踏み石も忠実な燕庵写し)を通って、玄庵にはいる。
今回は一席9名で、玄庵の三畳台目でも相伴席を使うことなく、ゆったりとできて、これは贅沢なことであった。(最初の年は相伴席のはしっこでえらく窮屈だった記憶が)

お点前は藪内のお家元、先日碧雲荘茶会でもお点前してくださった。そう、最初の年(2012年)はまだ若宗匠だったんだよね。当時私は、今よりさらに未熟で、道具のことほんまにしらんかったなあ。今もたいしたことはないが、当時よりは勉強したかな。




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さて、玄庵
掛け物は宗峰妙超(大徳寺開山・大燈国師)の法語、32行もあって法語としてはおそらく最長のものとか。書かれたのが1337年、亡くなる直前のものだという。
伊賀の花入「慶雲」には椿、照り葉、小菊
水指が南蛮玉簾、と、ここらはまさに王道をいくコンビネーション。

主茶碗が、なんとあの志野の「朝日影」。
以前記念品でもらった美術館のカレンダーに載っていたあのすてきに面白いわけのわからない絵の描かれた志野ではないか。(参考写真→)一見魚の頭のように見える紋様が魅力的。
村山龍平は朝日新聞だから朝日影、、、と思っていたらちがった、古歌からとったのね。
(「千早ふる 神路の山の朝日かけ なほ君が代にくもりあらすな」)

ちなみに私がいただいた茶碗は替えの御本立鶴「住之江」
立鶴の写しは数々あれど、その本歌でお茶をいただけるなんて、、、、 o(≧▽≦)o 

さらにステキだったのが、伊達家伝来瀬戸肩衝「堪忍」
肩衝とは一瞬みえない風船がぷーっとふくらんだような形で、まさに破裂寸前の堪忍袋か。
伊達政宗は天下をねらいつつもはたせなかったし、いろいろ堪忍せねばならぬことも多かったのだろうな、と推察する。政宗公はじめ代々の伊達家藩主がそれそれ牙蓋をあつらえているところ、とても大事にされていた茶入だと思われる。

釜は天明、責紐釜
茶杓は織田有楽作「初霜」細かい斑入りの竹



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濃茶のあとに点心
雨でない限り、この庭園の一角に焚き火をして、幔幕を張り、紅葉の楓のむこうに玄庵の藁葺きの屋根を見上げながら、食事をいただくのもまた楽しみの一つ。
席には焚き火の灰よけのうわっぱりも用意されている。




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点心は高麗橋吉兆
燗鍋を置いていってくれて、しかもおかわりまで持ってきてくれてなんてうれしいんだ♪



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そう、デザートもいつもこれ。
柿+葡萄にソーダ味のゼリー。これも楽しみで。

炭道具が飾りおきされている大広間は50畳

ここに飾られていた松平不昧公の「富貴長命金玉満堂〜大明宣徳年製(後半はちょっと記憶がアヤシイ)」 中国の焼物に良く書かれている吉祥句を書いた物だが、これ、なんだか一度見た記憶がある、、、と思って調べたら、やはり6年前に待合にかかっていたものだった。再会を果たす。

再会はそれだけではなかった。



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点心のあと、紅葉の海を眼下に見る二階の座敷で薄茶席。

ここの床にかかっていたのが春屋宗園の「臨済四照用語」
内容はむつかしくて覚えられなかったが、なんか調べたことがある、と思ったらこれもやはり6年ぶりの再会であった。これは藪内剣中が春屋に頼み込んで書いてもらったもので、藪内歴代の箱がたくさん付随しており、かなり大切にされてきたもののようだ。残念ながら手放されて、今はこうしてこの美術館にある。

花入が古織の一重切り、花は山茱萸+α(失念!)、東本願寺伝来
祥瑞の蜜柑香合はかなり初期のものか?古染の雰囲気もあり、蓋裏にお約束の「五良太甫」
西本願寺伝来は時代の薄器、松梅蒔絵で上に竹の茶杓をのせて松竹梅か?
水指は七官青磁の酒会壺、共蓋のつまみが獅子?
茶杓は藪内7代竹翁 「鳳珠」

蓋置の古染の丸三宝がかわいくて、印象深かった。

そして、もう一つの6年ぶりの再会(6年ごとにサイクルしているのかな??)は替え茶碗の、初代大樋・飴釉茶碗「包柿」
その名の通り、どう見ても熟れた柿に見える色合いが抜群。これ好きやわ〜。なんで覚えているかというと釘彫りで、ぐるぐる渦巻と雨みたいな縦線が描かれているのが印象に残っているのだ。形は光悦っぽいし。

主茶碗は、砂の多い陶土で作られたため砂御本とよばれる大ぶりの茶碗。外側が一見雲華焼のようにみえる。陶工の手を感じさせる口のとびでたところ、その真下の指の跡が見所かな。
替茶碗、乾山の黒楽松文 松の葉がブルーなのが乾山のセンス。

お点前は藪内のF宗匠のお孫さん。この方はいつも見ている藪内をさらに武張らせたようなお点前をされる。切れ味鋭い武士、、って感じであった。




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茶会でお腹一杯、胸一杯になったので、それ以上つめこめず、美術館の展示の川喜田半泥子ゆかりの石水美術館のお宝の展示はさらりと流してしまった。近ければいまいちど、日にちをあらためて来るのだが。

さて、今日も美しい紅葉と、萌え萌えの茶道具を心にしっかと、とどめておこう。
(いや、最近物忘れがはげしくて、、、、(^_^;)






勅封般若心経1200年戊戌開封法会〜大覚寺 - 2018.11.27 Tue

奥嵯峨・大覚寺

60年に一度だけひらかれる扉が今まさに開いている。



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明智門
明智光秀が居城としていた亀山城(現・亀岡)の門を移築したもの
大覚寺宗務所と華道嵯峨御流の本部へ続く入り口

再来年の大河ドラマが明智光秀が主人公とあって、ここもきっとロケに使われるのだろうなと思う。



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そしてここも明智陣屋、亀山城の移築である。
今回ご縁をもってこちらから入らせていただき、お坊様の説明付きで拝観



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さて、その60年、戊戌(ぼじゅつ・つちのえいぬ)の年である。
時は弘仁9年(818年)、時の帝、嵯峨天皇は全国におこった干ばつや疫病を憂い、これを、まさにおさめんと、弘法大師のすすめのもと、般若心経に帰依し、紺地に金字で心経を書写した。




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するとたちまち疫病はおさまったという。
この霊験あらたかな般若心経は勅封され、秘蔵されることになるのだが、その弘仁9年が戊戌の年であったため、60年ごと戊戌の年に勅使によって開封され開封法会として公開されるのだ。
今年がその戊戌の年、10月から今月末まで、それが公開されている。嵯峨天皇が書写されてまさに1200年、そして私には最初で最後の拝見のチャンス。(さすがに今から60年先は生きちゃいね〜)




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勅封心経殿
大覚寺に来るたびに目にしてはいたが、そうか、この建物であったか。
こちらに嵯峨天皇御宸筆般若心経が。ここに入るためにたくさんの人が行列を作っている。



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入殿に先だって、手に塗香して清める。

ガラスの向こうに1200年たったとは思えないくらい美しい金字の心経が。
嵯峨天皇は平安の三筆のひとりであるから、その字の美しく気品あることは言うに及ばずだが、撚りを掛けない絹糸で織ったという紺地がまたすばらしい。
巻頭に阿弥陀三尊?釈迦三尊?が描かれていたらしいのだが、これはどんなに目をこらしてもよく分からなかった。




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(嵯峨菊が境内のあちこちに。さすが嵯峨御流の本家)


のちに宝物殿で、近代技術を駆使して復元した心経を拝見したが、書かれたばかりの頃はこんなに金字も鮮やかで、阿弥陀三尊も金色に輝いていた、というのがわかる。
勅封は嵯峨天皇を嚆矢として、他にも宝物殿に開示されているのが後光厳天皇、後花園天皇、後奈良天皇、正親町天皇、光格天皇の般若心経。でもやはり、嵯峨天皇のがダントツやわ。




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大沢の池には枯れ蓮がわびしさをそえる。
(1年前、ここで池に舟をうかべて茶会をしたのが懐かしい)

桓武天皇(父)ー平城天皇(兄)ー嵯峨天皇(弟)の系譜は、親子の確執やら薬子の乱やら権謀術数がうずまいた時代でもあった。そんな時代を生き抜いた、そして空海大好きだった嵯峨天皇の時代にはるかに思いをはせる。




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あとは境内で、奥嵯峨の紅葉を楽しむ。


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ここは今年の、関西をえらいめにあわせた台風の直撃を受け、被害が大きかったと聞くが、まさに倒木がそのままだったり、折れた木の切り株だけが残ったりで、その爪痕はいまだに残っていた。



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恒例の中秋の名月観月宴も中止になったが、お聞きするに竜頭鷁首の舟が沈没したのだと!
さらに宸殿の半蔀を閉めなかったために、奥の狩野某の襖絵の襖がみなぶっとんだとか。あっというまの出来事だったらしい。



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それでも今は心静かに。
般若心経、紅葉の美しさにこころ洗われるひとときであった。



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人出は多かったが、人混みをすりぬけ特別にご案内いただいたのはNK様のおかげにて、帰りにさきほどの紅葉かとみまごうお菓子まで頂戴した。感謝感謝、そして合掌






帰ってきた南座〜當る亥歳吉例顔見世興行・2018 - 2018.11.25 Sun

夜仕事から帰って京阪四条の駅からでるといつも目の前が南座、この3年間、ここには工事中の幕がかかって、灯が消えたようなさびしさがただよっていたが、ついに!南座が帰ってきた!



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まねきが上がった南座、おひさしぶり!(開場3日前の写真)
毎年顔見世は師走の京の風物詩だが、今年だけは新開場記念なので11月から演目を替えつつ12月まで2ヶ月間の興業だ。



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いよいよ夜の部へでかける。
鴨川の向こうにまたこの姿が帰ってきた。
昨年はロームシアターだったので、ハコが大きすぎてまねきもなんとなくショボかったのだ。



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やっぱりこのまねきは南座にあがってこそよね。



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一見あまりかわらないように見えるが、特に2階席3階席の椅子数が減って、ゆったりとした感じ。以前はいまにも下に落ちそうな急勾配と狭さだったが。



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それに座席の座り心地がよくなった。けっこうふかふか。



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今年は2階席の最前列をとった。花道が真下に見えるし、舞台は見渡せるしなかなかいい席だった。
顔見世といえば、かつてええとこの奥様方がええ着物着て御供をつれてくるところ、というイメージだったが、最近はぐっとカジュアル、雰囲気よりも歌舞伎自体を楽しみに来ている人が多い。
もちろん、芸妓さんやら花街のおかみさんやらは前の方の席にいてはって、いてるだけでぱあ〜っと華やかな雰囲気を醸しているが。




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花道

さて今年の夜の部は
「寿曾我対面」
「勧進帳」
「雁のたより」
に、なんといっても話題の三代そろって襲名の高麗屋の口上、三代ともなんと男前。

2代目を襲名した白鴎さんは染五郎時代から、TVでもよく見ていたし、すっかりお馴染み。大河ドラマ「黄金の日々」で呂宋助左右衛門を演じられたことを知っている世代はどこまでだろうか。
10代目を襲名した幸四郎さんはこれもTVですっかりお馴染み、むしろ歌舞伎での方をあまり知らないというか、、、(^_^;
そして金太郎改め8代目染五郎さん、若干13才!なんちゅうきりっとした美少年や。しかも芸への打ち込み方が並でないと聞く。将来ますます人気が上がって歌舞伎界をしょってたつ役者になるのでしょう。




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「寿曾我対面」

これは「曾我物語」をベースに書かれた演目、私は歌舞伎にはそれほどくわしくないので、しらなかったのだが、寿もつくように、おめでたい演目なのだそうだ。本来、仇討潭で最後は曾我兄弟は亡くなるから悲しい話じゃないか、と思っていたが歌舞伎流独特の解釈の仕方のよう。
悪役ながら主人公をはる工藤祐経(曾我兄弟の仇)を渋い仁左衛門、「静」の曾我十郎を孝太郎、「動」の曾我五郎を愛之助。三宝をぐしゃりとつぶす荒々しさ、愛之助はこんな立役もできるんだ。
工藤祐経がつれている豪華な傾城ふたりは大磯の虎が吉弥、化粧坂少将が壱太郎。壱太郎ファンとしては最近ますます女形姿に磨きがかかってうれしい。二人の傾城がなぜこの場面にいるのか、不思議だったが、もともと「曾我物語」では大磯の虎というのは十郎の恋人だったのね。あとでわかって納得。兄弟の一見華やかにみえる衣裳もなんで「賤しき貧乏人」とわらわれるのかわからんかったが、浅黄の着物は当時貧しい人が身につける着物だったそうだ。やはりイヤホンガイド、いるなあ。




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(玄関はいったところのホール前)


「勧進帳」

ご存じ勧進帳、実は南座がリニューアル前の最後となった3年前も、「勧進帳」が演目であった。この時富樫が愛之助、弁慶が海老蔵、義経が壱太郎だった。それを今回親子三代、白鴎の富樫、幸四郎の弁慶、染五郎の義経で見る。これもまた新鮮。高麗屋さんも三代で同じ舞台をつとめるという「快挙」はさぞ感慨深いだろうなと推察する。
お話しは語るに及ばずだが、幸四郎の長丁場、派手に舞ったあとで息の乱れもみせぬところ、さすがだ。



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(御祝儀の馬)


「雁のたより」

上方歌舞伎で言葉もほぼ口語の上方言葉(大阪弁ともいう(^_^;)、アドリブも満載の楽しい演目。
髪結いの五郎七(実は武士)にがんじろはん(鴈治郎)、この人は上方ことばの演目やらせたら最高やね。ほんでもってアドリブが実に上手。相方のお部屋様(大名の側室)が息子さんの壱太郎というのも、知っている人にはくすっとさせる場面も。
ちょい役で髪結床の客の若旦那に、さっき勧進帳の大立ち回りをやったばかりの幸四郎が。「ちょっと休ませてえな」とか、笑いをさそうアドリブ。
市井の衣裳、武家の衣裳、着こなし、傾城のような豪華絢爛ではないが当時をしのばせるもので、歌舞伎を観る楽しみのひとつだ。




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これは高麗屋三代襲名のご祝儀幕をおくったさる呉服屋さんのご祝儀袋。こういう慣例もゆかしい(私には年に一度の)歌舞伎観劇である。



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開炉の茶事2018〜夕ざり - 2018.11.23 Fri

今年も無事に開炉
(風炉の灰の始末まだなんだけど、、、(。-_-。)



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お客様をお迎えする玄関
枯れかけて実がついた秋海棠がいい感じ



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うちの露地の紅葉の紅葉は、毎年おそいのだけれど、今年は”もみじぬからにちりぬる(紅葉する前に枯れて散る)”を地でいってて、ちりちりであまりよろしくない。



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かろうじて蹲居のまわりの日陰の紅葉がほんのり

スタートが昼下がりの夕ざり


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いよいよ種炭もいれた
また半年お世話になる炉だ。炉の炭はおこりすぎることはあっても消えることはまずないので安心。風炉では途中で消えるとか、炭手前の時に燃え尽きてるとかいろんな失敗を経験しているが。



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濡れ釜もセット、さあ、迎え付け



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本日のお客様は今年の水無月、阪神間のビバリーヒルズにあるお宅の茶事にご一緒していただいたみなさま。茶事の間も後もガールズトーク炸裂したヽ(≧∀≦)ノ楽しい方々です。
それぞれの世界でご活躍の気っ風のいい女子のみなさま、ほんとうは茶事の亭主よりも席中で女子会(?)に参加したいくらいでしたが(^_^;



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夕ざりは初座、花にて

テーマは開炉の喜びと翌日の宗旦忌の厳粛さがごっちゃになって、ちょっとゆるくてまとまらんかった。とりあえず開炉の茶会で照り葉と椿に飽きてたので菊と、宗旦忌にかけて枯れ蓮(このまえ光悦会でちょっとよかったんだ、このコンビネーション)



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安心の(とちゅうで絶対消えない)炉炭手前が終わって、体力勝負の懐石

開炉のヨロコビを小豆とお餅で表してみました(^_^;
(汁はセルフでいれてもらう)



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(写真、O様よりいただく)


千鳥の杯ちう
亭主が一番お客様とおしゃべりできる時間だから、千鳥って大切だと思う。膳燭の灯りは隅々までは照らさないので、一堂、光の届く範囲内の透明なカプセルの中に包まれているような、心理的効果。心が寄り合う。

すみません、一番お酒をのんでたのはお正客と私でした。



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主菓子をお召し上がりの間に露地の燈火をととのえる
けっこう息があがる(^_^;

中立
手燭を準備



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後座の席入りは手燭を持ったお正客に連客が雁行する。たよりない足元もおぼつかな、の手燭の灯りにての雁行、陰から見ていて、美しい景色だなあ、、と思った。

手燭の交換、、、はい、右手と左手を間違えたのは亭主です(´;ω;`)




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濃茶は、とうとう最後になってしまった丸久小山園の「天授」(値段が普通の茶事クラスの濃茶の3倍近く)を飲んでいただけた。これはほんとうに特別、という味がする。練っている間も香りが違う。
話が天授の値段におよび、自分で使うために買うことはないが、進物には買うかも、という話から、天授が送られた人は必ず茶事をひらいて送り主を招く、というルールを急遽うちたてる(^∇^)




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続き薄にて、今回も渋々ラインナップの茶碗で。



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ならまちの和菓子屋・なかにしさんの「鹿のささやき」(先日おもちくださったN様、ありがとう〜!)が大人気。マシュマロでもなく、餅でもない、不思議なテクスチュア、風味は黒糖、これもいままでにない和菓子だわ。

座掃きを忘れるとか、お見送りを忘れるとか、暗いのでお茶がはいってないのにお白湯に茶筅ふるってたとか、今回もやっちまった件数はそこそこであったが、なかなか完璧はむつかしいのう、、、

一会もおわり、待合でお一人がおもちくださったアジアの布をみたりさわったりさせてもらいながらも時は移り、玄関で最後のお見送り。

気の合う方々との茶事はやはり格別。緊張感が足りない、という難はあるものの。



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電気をつけて、独座観念
今年も無事、炉がひらきました。



野村碧雲荘茶会2018〜美術館開館35周年記念 - 2018.11.21 Wed

野村美術館開館35周年記念で、いわゆる南禅寺別荘群の雄、広大な碧雲荘(重要文化財)にて茶会。




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野村美術館のセミナー会員や、野村得庵とゆかりの深い藪内流の方々、野村家にゆかりの方々、などを招いて5年に1回おこなわれる。
前回きてからもう5年もたつのか、早いなあ。オリンピックより長い。次回また5年先はいくつになっているのだろう、、と勘定しておもわずぎゃ〜!とおののいてしまった(^_^;




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ここへ入るのは茶会以外も含めて3回目(最初は野村の大株主ご接待のご相伴)
普段は非公開、一般人には開かずの庭園なのである。




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不老門をくぐっていざ!

まずは大きな池越しに見る紅葉した東山の絶景、借景として永観堂の多宝塔もとりいれているスケール。
写真をお見せすることができないのが残念なくらい手入れの行き届いた池泉回遊式庭園はやや浅いながらも紅葉が見事で、あちこちに点在する数寄屋の茶室や疏水から引いた小川のつくる滝や流れが、その景色に入ると、ちょっと夢見心地くらい美しい。作庭はもちろん植治。

ここに一体いくつの苫屋、茶室、があるのか正確にはその数をしらない。書院だったり、侘びた小間だったり、舟だったり(蘆葉舟)、そのタイプもいろいろ。



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池をのぞむ待月軒にて谷館長のご挨拶、それから野村證券の社員さんとおぼしき人たちに先導されてまずは花泛亭・書院で濃茶席。

野村得庵は茶の湯を藪内の家元に師事したので、そのゆかりでお点前は(前回は当時、若であったが)藪内のお家元。
お正客が藪内の偉い先生だったらしく、私の席は藪内率が異常に高かった。濃茶の時にいっせいに多数の方が藪内の横長の大きい帛紗をだされたのであせったわ。アウェイ感高い。

半東(?)に野村の学芸員Tさん。道具の説明がさすがに、茶人のそれでなく、学術的で正確、時代考証も検証済、といった感じで、質問には、うてばひびくようにお答え下さるのがスカッとする。

寄付の掛け物は「宗旦所持の灯籠と蹲居をお譲りする」という添え状、表千家11代碌々斎。最終的にこの灯籠と蹲居は得庵がゲットして、碧雲荘内にあり、これは茶会おわりに見せてもらった。



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本席が無準師範(光悦会で消息見たばかり)の「葺」
美術館がリニューアルオープンしたのに掛けて、屋根を葺きなおした、、の意味をこめたそう。

花入は野村家所持の伊賀、わりと素直な感じ。

雲州蔵帳の呉須赤絵菊兎香合はよく展示でも拝見した。

水指がこの前リニューアルオープンしたての展示でガラスの向こうに拝見したばかりの、あのムガール帝国産(これも諸検査で確実に判明)の南蛮毛織抱桶ではないか!今日は実際に水をたたえて、ちょっとほんまに冷たいかどうかさわりたかったが。やはり金属なので、水が外に結露して、畳をぬらすのをおそれたのか、のちに日本で小さな足がつけられたのだそうだ。(西本願寺伝来)

茶入は中興名物瀬戸玉柏手、銘「芦垣」印象はやや薄いが、載っていたお盆が、天川四方盆。

主茶碗・坂本井戸、茶杓・西本願寺伝来 豊公共筒(秀吉さんがけずった)
坂本井戸はさすがに展示だけだったが、正客ののまれたのが鉄鉢型の大ぶりな青磁。北宋・汝窯の箱があるが、そこは学術的検証の結果、鈞窯(北宋・汝窯から少し離れた場所)青磁らしい。雨過天青の色がとても心惹かれる。これは20世紀初頭に仏教伝来のルートを学術調査するためにシルクロードを旅した西本願寺22世大谷光瑞がその時に持ち帰ったものだという。

私がいただいた茶碗は摂津の高原焼という江戸初期の焼物、はじめて聞く名前。一見胆礬のない黄瀬戸の様なイメージで、写実的な菊が釘彫りされていた。



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濃茶の後は大書院にて点心、三友居さん。
この煮物椀の椀種、カラスミがなかに入ったお餅でとっても美味しくて感動。

大書院は昭和天皇ご大典のおり、京都に滞在された久邇宮邦彦王(香淳皇后のお父上)の宿泊場所として得庵が建てた物だと聞いた。欄間のザ・琳派!という扇面図は神坂雪佳。
ここは向かいに能舞台が建つ。茶の湯と同じくらい能にのめりこんだ得庵であるから。下に音響をよくするために埋められた甕がみえ、床は3cm近い厚さだという。残念ながら最近は能舞台として使われたことはないという。もったいな〜。




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庭園の紅葉を楽しみながら、ところどころに隠れる様に立つ茶室ものぞきながら、最後は中書院にて薄茶席。
前回は四阿みたいな立礼席で野村家の方(上品なご年配の女性)が席をもたれたが、今回野村家の若いお嬢さんがお点前。あれ?裏千家流?(^_^;

半東がこれもサプライズで面識のある粟田焼の安田様であった。それに点出もお茶友の才媛M女史が!思わずリラックスした楽しい席になった。

掛け物がこれも茶室には意外な上村松園の美人図。美しい!中回しが打ち掛けの紋様?とおぼしく見えて、より美人をたおやかにつややかに見せる。

釜が初代寒雉の瓢箪型雲龍、鐶付がかなり下にあって、安定悪そうだがそこはバランスをとって底を重くしているのだそうだ。

飾りおきの茶器が原羊遊斎の秋草尽蒔絵
どこが秋草尽くし?と思うくらい遠目には青貝の虫しか見えないのだが、近くで光にすかしてみると、黒い漆で秋草が浮かび上がる趣向、夜桜棗の技法だね。蓋をそっとあけると蓋裏と蓋の立ち上がりにびっしり雪花紋が描かれているのにはどきっとした。秋草の季節の後に来る冬を暗示しているわけか。さすが不昧の愛した羊遊斎!





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茶碗は野村の所有する名茶碗のオンパレード
飾り置は黄伊羅保「武蔵野」
正客さん、次客さんにはめずらしい了入の黒赤入れ子のペア。中の赤楽がかわいいと評判。いずれも数印。
数ある中で私がいただいたのは永楽和全の金海写し、これはなかなかよかった。
他にも御本雲鶴、保全、虫明、陳元賓、明平焼、御菩薩焼など、なかでも古高取「女郎花」はビックリするくらい軽くて薄造りでよかったわ。

最後に「粟田焼は?」と思わず冗談で聞いたら、ちょっと照れくさそうに水屋から茶碗をだしてきてくださった。しかも今日の思い出に、と待月軒からの碧雲荘の眺め〜池と東山の景色を写し取った絵付けが!二羽の白鳥もいて、これには拍手喝采であった。




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(左手が碧雲荘の生垣)


茶会がおわれば三々五々、庭園内を散歩、あまりに美しい景色に、辞するのがほんとうに名残惜しかった。



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帰って茶会記を見直しながら美しく佳きひとときを反芻す。
ああ、別世界、、、




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おまけの画像は碧雲荘のお隣にある旧・細川家別邸、現在は某企業が有する。ここの紅葉はいちはやく見事な真っ赤になるので楽しみなんだ。(私が学生の頃はすごく荒れ果てていた記憶が、、、)




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ちなみに締めていった帯は更紗紋、最近のお気に入り




光悦会2018 - 2018.11.18 Sun

3年ぶりの光悦会



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鷹ヶ峰光悦寺では洛中より紅葉が早い。それでも3年前の写真に比べたら、赤がまだ浅いかな。年によって紅葉具合をくらべるのもまた楽しからずや。



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光悦会は、濃茶も薄茶も呈茶だし、茶会ではなく、東京、京都、大阪、名古屋(金沢と年交代)の各美術倶楽部が、ご自慢のお道具をこれでもか!と見せて下さる会と心得る。ただし、いずれも光悦寺の庭園に散在する小間広間の茶室で、釜に湯も沸かし、茶席仕立て、自然光のもとで拝見、時に手にとることもできるというのがポイント。


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そしてお菓子がそれぞれのお国のお菓子屋さんが腕によりをかけて作った特注の逸品ぞろいなのもまた楽しみ。



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最初は三巴亭の東京席

待合が遠州の消息(今年は遠州の消息が多かったな)東山公こと木下長嘯子(ねねさんの甥)宛、先日の会合で歌を詠むのをわすれたから、今読んで送るね、、云々

呈茶の茶碗は海上がりの青磁?白磁?みたいな茶碗で。
お菓子が吉はし製「木守」 柿の餡をはさんだ薄焼きにイチョウと紅葉の焼き印、柿の甘さ加減が絶品

花入は伊賀、表と裏の景色の違いがすごい。
花は綿の緑の実、はじけた実、葉っぱと綿の三様+寒菊




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(庭園の休憩所に掛けられた釜 藁灰がすごい)



本席では俵屋宗達絵、烏丸光廣詞の「西行物語」断簡
勝手に出家しといて漂泊の末久々に都へ帰り、知人宅に掛け込んで、捨ててきた家族の消息を聞く場面とか。この人、出家するときにすがりつく幼い娘を足蹴にしたんだよね、なんて考えながら見ると人生とは、、、と考える。

水指が古染付の葡萄。有名な葡萄棚八角のと違って、平水指、葡萄の絵もさらに写実的、中にまで葡萄の絵があり、これは逸品やわ。



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(かの有名な光悦垣、または臥牛垣)


次に回った大阪席(騎牛庵)がすごい行列で、本席に入るまでに寄付(本阿弥庵)、待合席(自得軒)と回って待つこと約2時間!



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寄付の清巌宗渭の一行「心不是佛 咦」の「心」の字にうたれた。たたきつけるように、墨だれもあり迫力。宗旦の参禅の師でもあり、今日庵の命名のもととなった清厳和尚である。ちなみに咦はにっこりした様、との解説であったが、現代の中国語では「おや?」。

香合が雲州蔵帳中興名物・呉須台牛。普通香合番付では交趾なのだが、ここでは呉須、めずらしい。



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(鷹ヶ峰三山の一つ、たぶん、、、鷹ヶ峰。他に鷲ヶ峰、天ヶ峰)


やっとはいれた本席の軸はこれも雲州蔵帳にある無準師範の墨蹟、というか消息、円爾弁円(東福寺開山)宛。このコンビは「橋渡しの文」で有名。不昧公の極箱付き。

茶碗の青井戸「四もと(よつもと)」は青井戸のなかのこれぞ青井戸というお手本です、と言われたが、後の名古屋席でも同じ事をいわれた青井戸が出た(^_^;はやりなのか?青井戸。
銘の「四もと」とは蹴鞠の時に場の隅に4本立てる竹の事らしく四本懸かりともいうそうな。さすがに蹴鞠の家である、飛鳥井家の箱だわ。




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茶杓が、40才で亡くなった蒲生氏郷・共筒、筒に「文禄二年十月八日造」とあり、亡くなる一年前の作とわかるのだそうだ。(どうも氏郷というと「へうげもの」で伊達政宗と大げんかした場面を思い出していかんわ。実際敵対関係であったし)

お菓子はなんとあの奈良の樫舎さん(かしやという菓子屋)の栗きんとんであった!和菓子の材料は優れた農産物を作る農家がなくなってはなりたたない、と日ごろ言っておられる樫舎さん、栗きんとんの材料も厳選された物であろう。甘みが上品で美味しかった。




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さて、名品揃いで、そろそろお腹がいっぱいになってきたぞ、、、消化しきれん!




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と、言うわけで点心ブレイク



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鷹ヶ峰を正面に眺めながらいただく点心は、、、



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今年も瓢亭卵のはいった瓢亭のお弁当。美味しく、本当の腹もいっぱいである。




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エネルギーチャージして次は京都席、徳友庵

花入が印象的、備前の耳付・銘「会釈」
その名の通り、胴はまっすぐながら口のところが前にかしいでいて、真ん中に割れ目、確かに人が軽く笑顔で会釈しているようなのだ。一度見たら忘れられない。さすが鈍翁さん旧蔵品。
花は嵯峨菊の黄色、木イチゴの照り葉の赤、菊の葉の緑、が備前の色で締まってとてもきれいであった。

茶碗が黄伊羅保なのだが、黄伊羅保には珍しい刷毛目が表と中にはいっている。これは手にとってみせていただいた。重くてごつい、竹節高台がくっきり。鴻池家伝来なんだと。



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茶杓がまた見事でねえ、、、宗旦共筒、二本組、「二人しずか」
一本は蟻腰、もう一本は直腰、色もシミ竹の具合が少し違っていて、それでいてペアであると感じさせる。(二人静は有名な謡曲でもある。菜採女と静御前のシンクロナイズド舞なのである)

蓋置も宗旦在判、なんでも今年表千家の家元が代わられ、先代が「宗旦」と名乗らはるのにあわせたとのことであった。(表千家では宗旦が何人もいらしゃるのか???)

お菓子は京都席らしく末富さんの柏餅型薯蕷に紅葉の焼き印、銘が「鷹ヶ峰」




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さあ、ラスト!名古屋席、がんばろう(ここらへんでもう頭煮えてた、、、)
寄付・了寂軒、本席・太虚庵(小間)

お菓子は美濃忠さんの「紅葉映え」
薯蕷なのだが中の餡が柿餡で、今回一番美味しかった!

寄付では床はふたたび遠州消息、沢庵和尚宛
香合が七官青磁の二羽鷹で、蓋の上に大小二羽の鷹が羽根を広げている珍しい物。
これが本席になると、なんと砧青磁に格上げ。大名物青磁蕪無、豊公が北野大茶会で使ったという、、、おお〜〜〜(;゜0゜) 入れてある花はハシバミの照り葉に太郎庵椿。薄紅の蕾がまた青磁の色に映える。

茶碗がふたたび青井戸「池」、一見伊羅保のような印象、茶入が中興名物真如堂手「藤重」、、、
この席は56年前(え〜っと、、生まれてましたがなにか)の光悦会の、ここ太虚庵席を再現した物なのだそうだ。それだけ売らずにとっておいたってこと?とシロウトは思うのだが。



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そして今回一番印象に残ったのが、かの石山切、伊勢集、伝公任筆。

かつて行った何回かの光悦会の記事をよみなおしていたら、毎回いろんな「石山切」に感動してるのよね。なんか惹かれるものがあるのだろうな。

料紙の美しさで名高い石山切であるが、今回のはすごいよ。これは小間の茶室で見たからの僥倖であって、ガラス越しではまず無理。

正面からあるいは右から見ると料紙の紋様ははっきりせず、文字だけが美しい。ところが左から見ると料紙がきら〜っと銀色に光って鮮やかな唐紙の雲英刷りの紋様がびっしり浮かび上がり、文字が消えるのである。最後の最後にちょっと感動した。




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道具に、また紅葉の景色にお腹一杯胸一杯になりながら帰宅。



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会記を読み直し、とったメモを読み直し、余韻にひたるもまた楽しからずや。




新・桃山の茶陶展〜根津美術館 - 2018.11.15 Thu




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せっかく東京に来たのだから、東京では一番良く行ってる大好きな根津美術館へ足を伸ばす。



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展示もさることながら、広大な庭園散策も大きな楽しみ。



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ただ今の特別展示は「新・桃山の茶陶」
調べてみたら三井記念美術館の桃山の名陶展に来たのはすでに5年前だった。



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(根津の庭園・紅葉はいまいち早かった)


それまで志野茶碗ってあまり好きではなかったし、国宝の志野「卯花墻」を写真で見てもピンとこなかったのだが、実物を三井で見て、なぜか感動。実物見たら、すごくよい景色の茶碗であった。その後京博の国宝展にも来てたな。ここでまた再会。最初に見た時ほどの感動はないとはいえ、今はしみじみ良い茶碗だな、と思う。




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他にもあの時三井で見た、鳴海織部や青織部の懐石道具、黒織部茶碗などに再会。これらもやっぱりすてき。今までなかった破天荒な造型も桃山のあの時代の雰囲気を表しているのだと思う。
中でも、この鼠志野「山の端」、いいよね〜。五島美術館の「峯紅葉」と双璧をなす亀甲紋の鼠志野!しかし、この亀甲紋は何をあらわすのか?織部同様あんまり考えて見る物ではないのかもしれない。ただ、美しい。

あと三条瀬戸物屋町の出土品の陶片(ほぼ完璧な物もあり)が発掘された町毎に展示されていたのが興味深い。(これは京都歴史博物館でも見られるが)



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二階の奥の展示室は茶事の道具組を想定していつも展示されているが、今回は「開炉」がテーマ。
光悦の焼き締め茶碗「武蔵野」、乾山の洞庭秋月図茶碗、灰器が長次郎のハイレベルラインナップに、有名な重文の砧青磁筒花入「大内筒」!



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桃山茶陶で目を楽しませた後、秋の庭園散策でも楽しむ。
これは茶室、披錦亭だったかな?ここは何回かお茶会で入ったことがあると、懐かしく思い出す。



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こうしてやや浅い紅葉を楽しんで、、、



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閉館間際で根津を辞去、帰洛の途についた。
今回の東京行きもまた充実して楽しかったな〜♪



畠山記念館の秋の茶会 - 2018.11.14 Wed

東京の白銀台畠山記念館をはじめて訪れたのは昨年初夏の候であった。



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シロガネーゼ?の住む閑静な住宅地の一画にたたずむここは、荏原製作所創立者であり、お茶を愛した近代数寄者のひとりである畠山即翁のかつての私邸であり、茶の湯コレクションを擁する美術館になっている。

前回来たときに、広大な日本庭園の中に散在する茶室が、あまり使われていないのか感、荒廃感があったのが気になっていたのだが。



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ひょんなことから今年夏、東京の裏千家のすてきな先生のご縁をいただき、ここで釜をかけるからいらっしゃいよ、というおさそいに一も二もなく諾!の返事をしたのであった。



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入り口に近いところから沙那庵、明月軒、翠庵、ここで受付をすませて、さらに奥へ。



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小鳥の声など聞きながら、ここは文字通りの市中の山居
まわりが住宅街とはとても思えぬたたずまいである。紅葉にはちと早いが。



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記念館本館をこえてさらに奥に行くと広間と深三畳台目の小間のある毘沙門堂席。



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光悦垣などもある腰掛け待合い周辺で待つこと約1時間超、東京の茶会はいつもこんなに待つのか〜と思ったが、これでまだ少ない方だと聞いた。待ちながら京都とはちょっと違う東京のお茶事情などもあれこれ拝聴。そして思ったのが、少なくとも和菓子において、京都は苦労というものがない、ということ。




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(落ち葉の入席券)


こちらは小間での濃茶を。
久々にお目にかかった先生は、私の母より少し若い世代かな、ずっとお茶一筋でそれでいてとても明るくてさっぱりしててオープンな方。袖振り合っただけの私に、お茶会の券を送ってくださるくらいだから。覚えていてくださったのがうれしい。

私がお目にかかった、母親世代のくらいのお茶の先生はどうしてみなさん、とてもすてきなんだろう。お茶にせよ、世相にせよ、くぐり抜けてきた時代が今と違う気がする。

即翁さんのこの小間の茶室もすばらしいが、先生がお若いときにもとめられた思い出のお道具や、買ったままずっと忘れてたとおっしゃるもったいないお道具や、思い入れがどれにもあって、一緒に茶の湯の歩みをすすめてきたお仲間同士と言った感じで、とても暖かい気持ちにさせていただいた。




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こちらは新座敷とよばれる座敷、植栽できれいにしてあるが、実はこの一歩外は住宅街なのである。



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京樽さんの点心をここでいただく。



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こちらは小間の翠庵、表千家の先生が濃茶席をかけてはったがここは入れず。
一様にここのお庭の踏み石はとても高くてあちこちでこけそうな人を見た。確かに足元があまりよくない。聞けば柔らかい土壌なので、長い年月に土が流されて石だけが高く残ったからなのだそうだ。即翁さんもそこまでは読んでなかったらしい(^_^;



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沙那庵は、囲炉裏風の隅炉がある三畳の畳の間プラスまわりに土間があるカジュアルな野趣あふれる茶室。即翁さんは仕事相手とか気のはらないお客様はここに通して、お茶を一服点てながら話をしたそうだ。



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これは入り口の庇の裏だが、中もこの網代がびっしりの天井であってびっくりした。
こちらでは大日本茶道学会の先生が薄茶を。御茶碗が献上唐津とか珠光青磁とかちょっと私の好きなあたりであって、うれしかった。

最後は広間の明月軒にて薄茶席、こちらのお菓子が今季初の亥の子餅。
お道具は明るくて華やか、THE裏千家!(どんなん、それ?(^_^;)というラインナップであった。

不使用時の茶室の荒廃感にちょっと心配していたが、とにもかくにもこうして使われている茶室はまったく別物で、生きているのだなあと、よけいなお世話ながら安心したのであった。



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最後に本館で展示を見る。
ここの美術館はとてもこぢんまりしているが、雰囲気が結構好き。



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今の展示は三渓園の「原三渓展」
三渓翁の茶の湯コレクションが即翁にまけずまたすごい。
光悦の赤楽「李白」、古瀬戸肩衝「畠山」(美術館の名前にかけたわけではないよ)、古備前火襷水指、などなど。
ほんまにあのころの近代数寄者のおかげで、こうしてわれわれもこういう名品を見ることができる。
そういえば即翁のモットーは「即翁 衆と愛玩す」
これらのすばらしいコレクションの美しさをを多くの人と共有したい、そういうことだから。






銀月サロン・色づく秋茶会2018〜銀月アパートメント - 2018.11.12 Mon


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北白川、築年数不明の銀月アパートメント
映画のロケ地にもよくなる疏水縁のアパートも、入り口のシンボルツリーの枝垂れ桜は紅葉もおわってほぼ落葉



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アパート二階にてこの日も銀月サロンの秋の茶会第二弾



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しつらいはもうすっかり秋の稔り



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太陽高が低くなってきたので、陽射しは深く部屋の中までのびてきた
ものの影も長くなった



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本日のお茶のメニュー



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お茶のおとものお菓子は
ジンジャーシュガーのアーモンド、ドライ蜜柑、ドライトマト(これ美味しかった!)、砂糖漬けのそらまめ



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まずは銀月サロンのオーナーが三日徹夜して福建省武夷山(岩茶のふるさと)で焙煎を手伝ったという岩茶
できたてなので、さわやかな香りが楽しめる
名付けて「銀月岩茶」



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次に私の大好きな鳳凰単叢蜜蘭香茶 芳香がたまらなく、うっとりするお茶
茶葉の段階で香りが甘く、私は苺を連想したのだが、お茶にするとライチを思わせる
何煎でもいけてのちになるほど甘みがどんどんでてくる不思議さ
中国茶の力強さよ




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三つ目のお茶は茉莉花銀針
新芽のみで作られるので、茶葉は銀の針のようにみえることから銀針
その茶と茉莉花=ジャスミンを繰り返して層にして香りをつけたお茶
一般にジャスミンティーというとちょっと安っぽい香りを連想するのだが、これは別物
ジャスミンがこんな高貴な香りだとは認識を新たにした



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客同士でお茶を煎れ合って楽しむ



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お茶の表面にあらわれる不思議な紋様は湯気がこしらえたもの
息をふきかけるとふっと消える



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こちらでの一番の(!)楽しみは美味しい手作り点心
本日は松茸の中華粽にセロリ餃子の白味噌仕立てスープ
今回も美味しゅうございました



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デザートはカスタード饅、飲茶では定番だけれど、これに透明なリンゴのジュレをつけていただくのがまたおしゃれである



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食後は、採れたばかりの菊のつぼみのお茶、胎菊茶
心も胃袋も洗われて心地良い秋の昼下がり






謡曲「松風」にちなむ茶事〜跡見 - 2018.11.09 Fri

京都に約3年間、お茶でご遊学されていたA庵様が関東へ帰られて3年がたちました。このたび、関西で結んだご縁を訪ね歩く小旅行をなさり、あちこちへ茶事のお招きがあって十分楽しまれたごようすです。



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K庵さんとともに三人で奥伝の自主練を毎月していたころが懐かしく、あのころが一番奥伝が身についたなあと今でも思うのです。
このたび最後に我が家へおこしくださるとのこと、さらりと仕出しに濃茶続き薄でおもてなしを。




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跡見というのは、先だっての名残の夕ざり茶事と同じ趣向と道具でおむかえしたからです。

この跡見のためにブログでは伏せておきましたが、テーマは謡曲「松風」

春に演じられる事が多い「熊野(ゆや)」とあわせて秋の松風は「熊野松風に米の飯」といわれるくらい人口に膾炙した演目です。



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待合では「水に映る月」の京都望月派の絵
これは須磨の汐汲みの海女、松風と村雨の姉妹が汐車にのせた水に映る月を。

  「さし来る汐をくみ分けて 見れば月こそ桶にあれ」


こちらで亭主ももちだしで仕出し弁当をいただきながら、かつての思い出話や近況報告など話ははずみます。


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名残の風炉(大鉢)は前回と同じで。

須磨へ流された在原行平(業平の兄ちゃん)はそこで海女の松風・村雨とねんごろになりますが、やがて赦されて都へ帰還、かたみに烏帽子と狩衣を残します。




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炭手前がないので床は総飾り。

これは貴人行平をあらわすつもりの冠香合。



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秋海棠の実、薄、ヤブミョウガの実、茶の花

残された姉妹は行平をしのんで嘆き暮らし、亡霊となって旅の僧の前にあらわれるのです。後半では松風は行平の烏帽子と狩衣をつけて妄執の舞を、やがて夜明けと共に僧に供養を頼みきえてゆく、、、そんなお話しが「松風」なのです。



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松風がテーマ、というのも、この汐汲み桶の形(金輪寺)の「松風」という薄器を手に入れてから、なんとか上手く使えないかと温めてきたのですが、やっと納得のいく「村雨」の茶杓を手に入れたので、Go!、、、ということになりました。

A庵様は京都におられるときに能楽堂かよいをされていたので、これも趣向かと思いまして。



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今回の干菓子は季節がうつって、亀廣保さんのは吹き寄せにかわりました。あと「かよひ路」と、先日の正倉院展の帰りに樫舎さんで手に入れたさるぼぼせんべいなど。

お久しぶりの御連客様、お初にお目にかかる御連客様、ごいっしょに楽しいひとときをすごしました。お茶を愛するがゆえに知り合って、こうやって長くおつきあいできるのも茶の徳ではないでしょうか。今度は私が関東の方へ参りますわよ(^-^)/




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かくてこれを最後に今年の風炉はおわり、柑子の色づく頃?いよいよ炉の季節がはじまりました。開炉です。




秋の奈良散歩〜正倉院展からならまち中華・中国茶 - 2018.11.07 Wed



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おはよう
今日も1日、奈良散歩するぞ!



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まずは日本人なら(?)正倉院展だろ!
ほんま、日本人正倉院展好き。



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しかも期間短いから平日の午前中行っても、入館までにこのような、、、大行列。
でも流れていたので、それほど苦ではない。
中にはいってしまえば、それなりに空間はある。最前列で見ようとおもえば少々並ぶのは覚悟で。しかしながら、ず〜っと独り占めしてみている人や、友だちとああだこうだと(歴史的にかなり低レベルに怪しい)ディスカッションを展示物の前ではじめる人もいて、なかなかすすまないのはストレス。(時々、その見解は違う!とつっこみたくなるが、我慢我慢)


 

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今回の目玉はポスターにもなった玳瑁螺鈿八角箱。ウミガメの鼈甲を貼り付けた上に夜光貝の螺鈿で描いた紋様〜蓮の葉、花、鴛鴦。華やかで気品にあふれた超絶技巧。毎年正倉院展のたびに言っているが、今年も言おう。工芸の技巧はこの時代にすでに完成しており、後世はその余塵を拝するのみ!

繍線鞋(室内履き)はほとんどすりきれてはいるが、細かい刺繍の名残がみてとれ、光明皇后がこれを履いていたかもと思うと萌える。



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(鹿も行列?)



きらびやかさで負けないのが沈香木画箱。沈香、寄木細工、水晶の板、今も色鮮やかに赤・青と残る細かい絵。裾は透かし彫りでこれでもかの技巧を尽くす。

聖武天皇遺愛の三合鞘御刀子は、それぞれ紫檀・沈香・犀の角の柄の小刀がまとまってひとつにおさまっている。これを腰から下げていたという。なんてスタイリッシュ!

光明皇后が両親の菩提をとむらうため、玄昉が唐から将来したお経を国家事業として20年にわたり全巻写経させたという「五月一日経」の嚆矢の部分。

個人的に萌えたのは白銅剪子。蝋燭の芯切りなのだ。茶人にはおなじみ、夜咄の蝋燭の芯をきってふたたび明るくする道具。切った芯が落ちないように先が広がってお皿みたいになっているのは、今もあるのよ。すでにこのころ発明されていたのか。

意外に大行列だったのが犀角撥鏤如意。撥鏤(ばちる・彩色した象牙から紋様を彫りだす)はもうおなじみなので、遠方からだけ見る。




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図録は重くてかさばるので、私はいつも半分のサイズの(しかも安い)英語版を買う。展示物名は漢字で書かれているし、写真はいっしょだし。


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猿沢池をめぐってならまちへ



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ショップもふえてきたが、この町の雰囲気がかわることのないようにと切に願う。



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どこに萌える町家があるのか、地図はもう頭の中にはいっている。



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すどおりできない樫舎という菓子屋(かしやというかしや(^_^;)念願の和菓子のフルコースにもせんだって行けたし。



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ランチは中華粥の穀雨さん



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正倉院展期間限定の「四神粥」なるものをいただく。
お粥に、玄武(なにかの佃煮)・青龍(青菜)・朱雀(海老団子)・白虎(蓮の実)・黄帝(生でたべられるカボチャ)と、なかなか美味しい組み合わせ。豚の角煮が絶品であった。



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さらに歩いて南下、ならまちの端っこの方、中国茶&ギャラリーの叙友舎さん




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ろうじの奥にひっそりとある町家。
向かいは広い空き地で、おそらくこんな町家がひしめいていたと思われるがきれいに撤去されたんだな(´・_・`)



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ここは奈良の好日居みたいなたたずまいで、いっぺんに気に入ってしまった。



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オーナーが直接中国や台湾で茶葉を買い付けて、ついでにお茶にまつわる雑貨もかいつけて、そこかしこに、ちょっと欲しくなるような提籃や茶器や家具などが。



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大好きな香り高い単叢鳳凰茶を
二煎目からは自分でいれる。杯にのこる香を聞くのが最高にすばらしいお茶なのだ。いつもうっとりする。



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中国茶の種類も多い。



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茶葉を買うこともできるので、この前いったばかりの台湾の、阿里山高山茶を一袋もとめる。



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叙友舎をまっすぐ北へ向かうと、この興福寺の五重塔が遠くからでも見える。
先日落慶法要に参席したものの、中へははいらなかった中金堂の中へはじめてはいる。
なぜご本尊がこんなに金ぴか、、、まあ、建立当初はこうだったのだろうが、違和感。国宝四天王像がやはりいいね。

今、澤田瞳子さんの南都焼き討ちと再生をテーマにした「龍華記」を読んでいるので、感慨深い。この五重塔が火龍のごとく燃え上がる描写がすごいのを思い出しつつ。



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最後に特別公開中の興福寺北円堂へ。10年ぶりくらいだろうか、無著・世親さんに会いに行く。運慶作の国宝である。おふたりの表情も、背中の丸みも、まるで生きておられるようで、静かに感動するのである。




近衞家と松平不昧公二百年記念茶会〜孤篷庵〜復元なった大圓庵 - 2018.11.05 Mon

遠州流の女流茶人である堀江先生の大徳寺孤篷庵でのお茶会である。(先生の亡きご主人は、古筆研究者・書道史家の堀江知彦先生)

この春に、不昧公ほか歴代松江藩主の墓所である月照寺でされた、不昧公記念茶会も記憶に新しい。あの時は孤篷庵の小堀亮敬師とともにかの喜左右衛門井戸もおでましになり、ガラス無し至近距離で拝見できたという忘れられない思い出がある。




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かの有名な茶室・忘筌を有する孤篷庵

今回は、不昧公二百年のほぼフィナーレと、先生とご縁の深い陽明文庫コラボの茶会である。くわえて、かねてより復元中だった不昧公が自らの京都での菩提所として建てた大圓庵の完成した姿が見られるのである。

大圓庵は昨年復元中の姿を見せてもらった。あの時はまだ畳のはいっていなかった八畳の広間が、今回の濃茶席になる。復元中は隣接する小間や水屋、仏間、棟梁の遊びゴコロのまま作った三畳の茶室などを拝見できたが、今回は広間だけであったのが残念。小間や三畳の茶室も見たかったなあ。(特に小間は意匠がこっていて楽しみにしていたが)

広間は昨年おおよそ出来上がっていたので、思い出しながら完成形を見る。如庵写しのような点前座の前のアーチ型にくりぬいた板、亭主が大名=不昧であるがゆえに一般とはことなり点前座の天井が真の鏡板、床の前が草の網代、客座が行の竿縁になっている。復元中も説明してくれた棟梁でもあり建築士でもある方が、今回も説明してくださった。




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寄付に掛けられたのが陽明文庫のお宝。
藤原定家詠草・泊瀬山と近衛信尹の和歌詠草。こんなの普通はガラス無しではまず見られない。字もさることながら、表装があまりに美しい。小袖の手のこんだ刺繍の部分かとも思うが、そこはさすがに近衞家、お公家さんの雅だ。堀江先生ご自身も華やかでみやびな蝶のお着物をお召しでぴったりであった。

本席=大圓庵ではよくご一緒の席になる徳禅寺の和尚様がお正客で、やや型破りでいらっしゃるが(^_^;、聞きたいことはもれなく聞いて下さるし、お勉強になる。

軸は孤篷庵中興の寰海和尚と同時代を生きた不昧公の両筆
寰海が「是什麼(What's this?)」と聞けば「山是山 水是水」と応じる。

点前は真台子に南鐐の皆具(不昧好み)!こうくれば茶碗はやはり天目よね〜と思ったら、次々とくりだされる名物の天目と天目台シリーズ。陽明文庫伝来の建盞、遠州所持の瀬戸天目、松花堂所持の黄天目、玳皮盞天目、、、これで飲んだお客様も。私は末席だったので替え茶碗、現代の磁州窯天目であったが、これらお宝を触らせてもらえたのは夢見心地である。

印象的なのが古銅にいけられたのがこの季節でありながらの牡丹。雲州の牡丹の名所大根島から取り寄せた物と聞いた。はるばる不昧の治めた地からやってきたのだ。

濃茶が、先代の孤篷庵好みの「一瓢乃昔」であり、お詰めは丸久小山園、なんとお隣にすわられてお話しをさせていただいた方が小山園の偉いさんでびっくり!先日使ったずぬけて高い小山園の「天授」の話でちょっと盛り上がったのも楽しい思い出。



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(これは我が家のホトトギス)


薄茶席は忘筌
もう少し早い時間であったら砂摺りの天井に露結の蹲居の水が反射してきれいなのに。

床は濃茶席と同じく、寰海和尚の一行「落葉両三片」

不昧公の人となりをちょっとうかがわせるのが手作りの香合。伊羅保みたいな土だが、問題はその形。茄子のようなトマトのような、、、と思ったら銘まで「瓜か茄子か」ヽ(´∀`)ノ
箱が、茶をよくした不昧公の娘・玉映(幾千姫)のもの、というのに家族愛を感じるのだが。この玉映さん、手作り茶杓も使われていた。

茶器が、不昧公おかかえの小島漆壺斎の花兎蒔絵。表情やポーズがちがう兎がたくさん、それぞれかわいらしい。主茶碗は出雲伊羅保であった。おそらく不志名か楽山か?
この時はまだ10月であったが、はやくも忘筌は炉になっていて、その炉縁の竜田川蒔絵がまたすざまじく見事で美しかった。

茶会終わりに感想をくちぐちに語りながら、お客さん皆ごいっしょに点心をいただき、さっそく住所交換する茶人のクセ(^_^;
ご遠方からの方も多く、新幹線の時間を気にしておられる方も。私は、スミマセン、でも京都に住んでてヨカッタ!とまたしみじみ思うのです。
この10月で京都移住まる8年が過ぎたことになります。




4年ぶりに河井寛次郎記念館 - 2018.11.03 Sat

馬町あたりへ来たので、久しぶりに河井寛次郎記念館へいってみた。
前回来たのは、寛次郎のお孫さんで、ここの学芸員をされている鷺 珠江さんを囲んで寛次郎の茶碗でお茶を楽しむという会だった。




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棟方志功筆、黒田辰秋作の「河井寛次郎記念館」

ここはとても好きな場所で、京都に移住する前からよく訪ねた。特に京都に家を作るに当たって、レベルこそ違え、なにか参考になるものはないかときょろきょろ。実はそういう方は多いらしい。




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寛次郎一家のだんらんの場所であったという1階の囲炉裏ばた。

寛次郎が設計し、島根県安来町(出身地)の大工の棟梁であった兄が建てた重厚な、それでいてあったかい家。椅子やテーブル、家具もひとつひとつ寛次郎が設計し作り上げた物。




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囲炉裏の向かいのテーブルには寛次郎や、民藝関係の雑誌や書籍がたくさんおいてあるので、ここにすわって、まるで自分の家みたいにくつろぎながら読書。ここはほんとうに落ち着く。




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陶房と母屋の間にある中庭からの母屋の眺め。
この日はまったくの秋晴れであったので、、、




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縁側では、いつもどこからとなくやってくるというサビ猫がお昼寝。カメラをむけてもあくび一つしたあとはコチラを全く無視して爆睡(^_^;
気持ちよさそうだな。猫になりたい。




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二畳ほどの小部屋が居心地良さそうと思ったら、ここ本来は茶室だったんね。いいな〜。
なにより、この李朝っぽい風炉が、、、ほしい!



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素焼きをする小さな窯のその奥に、



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寛次郎愛用の登り窯

京都市内では環境問題とて、窯場が次々となくなり、みんな山科の方へ引っ越していったのは少々残念でもある。昔は煙や炎をだしていたのだろうな。




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ここで轆轤を挽いたり手づくねしたりした、寛次郎の陶房。今もって彼の作品がたくさんおかれている。
我が愛する高麗茶碗、それへ導いてくれたのは、民藝であったから、民藝の旗手のひとり、寛次郎の茶碗が欲しい!とひところ思ったが、とても手がでない値段であったので、あきらめてそのまま。




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さて、母屋へもどろう。
このタイル張りのレトロな洗面所も萌えポイント。



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二階から囲炉裏端をみおろす。
ここはたくさん人がおしかける観光地ではないが、陶芸に興味がありそうな外国人の姿が多かった。熱心に英語の陶芸の本をずっと読んではった外人さんも。



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二階の踊り場は日当たりも良く、ちょっとした応接スペースにもなっている。
あ、寛次郎先生のお写真。

  「暮らしが仕事 仕事が暮らし」

このお言葉は実に深いですね。



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ここは読書スペースであったでしょうか。居心地よさそう。



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この家の、どこにいてもの明るさは真ん中に設けられた吹き抜けにある。この二階から一階を見下ろす、という仕掛け(?)が欲しくて、規模は小さいながら参考にさせていただいたな。



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そうこうするうちに今もって現役の、この家の新築祝いに柳宗悦から贈られたという柱時計がボーンとのどかに時をつげたのであった。




其中庵〜瓢・名残の茶事 - 2018.11.01 Thu

(数日同じ道具組で茶事をされるというので、アップ控えてましたが、追って会記もいただいたことだし、お許しもでたと解釈、そろそろよかろうかとアップ)



亀岡楽々荘を去られて、其中庵様が現在の土地に居をうつされて、はや2年近い時がたとうとしています。時の流れははやいなあ。



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こちらで茶事を開始された今年の3月、春雨の茶事にお招きいただいたが、今回は2回目、名残の茶事です。ご力作の露地も灯籠の影に植栽が増えるなど、ちょっと育ってきたようです。



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春の時には春の嵐でめくれあがって大変だった腰掛け待合いのテントも、なんとがんじょうに補強がしてあって、ここで腰を据えて茶事をする気合いを十分に感じるのです。

これから名残の茶事も数会されるようなのですが、この日の席はその第一陣、そしてお正客が「掛け物の四季」を著された数寄者の菱本先生でありました。先生のお茶会は2回行ったことがありますが、素晴らしい道具をお持ちで、たしかに掛け物がなんといってもすごかった。茶会にもたのしいテーマがあり、とてもお茶がお好きなのだなあと思ったものです。まあ、先生が正客をされるとお聞きしたので,この日に是非に!と。
(その後、「掛け物の四季」拝読しましたが、知識、精神性、いずれも格調高く、感動しました!)




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ご亭主の迎え付け。

夕ざりなのでまずは花
これも何回も拝見してみるたびにいいな〜と感動する宗旦の瓢箪花入「ゾロリ」に秋明菊、秋海棠、水引、糸薄、ホトトギスなど亀岡で摘んでこられた秋の残花

そして、大迫力で存在感のある鉄のやつれ風炉・与次郎
中置き・赤の前瓦、掻き上げ灰はなによりの名残の季節のご馳走です。



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懐石は今回も亀岡時代からずっと、の富山万惣の中尾さん。
いつも端整で、出過ぎず引きすぎず、ちょうどよいあんばいの懐石でした。

折敷は数ある中から選ばれた瓢盆。
「不改其楽 賢哉回也」だったかな、とにかく瓢ひとつで人生を楽しんだ孔子の一番弟子・顔回の「論語」の一節が書かれ、ここにふたつめの瓢。

向付はお約束で寄向こう
私のは七官青磁、他に高取、南京赤絵、織部志野などなど、いずれもすてき。
お酒が「菊水」というのは旧暦重陽にちなんだものでしょうか。




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もう〜煮物椀が鱧と松茸(長野産)なんてヽ(≧∀≦)ノ

八寸でごちそうとして、凝りもせず、下手なQueenを(菱本先生の前で)歌ってしまうバカは私です(恥ずかしい!)

お正客の菱本先生は茶の湯、茶道具への造詣が深い方で、御亭主と道具談義をかわされるのですが、深くてついて行けないところも多いです。
でも、あいまに「お茶事はされてるの?」とか「お茶は楽しいね」とか、ほんとうに楽しそうにお話しくださるのがうれしくて。



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お菓子は老松さんの栗きんとん
栗がたっぷりはいって、店頭の物よりはるかに濃厚で美味しい。



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中立のころにはもう早い秋の日は暮れて、これまた新兵器の露地照明がよい雰囲気です。

後座・蝋燭の灯りのもとでみる沢庵さんの消息(秋でさびしいから遊びに来てね、、云々)、主催されている茶狂会のフラッグである鈍翁の「茶狂」にちなんだ鈍阿の濃茶茶碗はなんどか拝見したことがあります。
茶入が真塗棗、桃山時代のビッグネーム塗師・秀次ですが、形だけみて「これは秀次ですね。」と看破された菱本先生、さすが、というかすごい!!

濃茶の茶杓と薄茶の茶杓は呼応しあうもので、しかも濃茶の茶杓には瓢の隠喩が複数かくれていて、これはほんまツボでした。この茶杓はまた使われるよし、くわしくは伏せますが、伏せるのがとても残念なくらい、ようそろえはったなあ〜と感動しますよ。

薄茶茶碗は綺羅星のオンパレードで、二服目はリクエストで好きな茶碗で飲めるといううれしさ。私は一碗目、黒織部沓形(桃山)、二碗目はこれまた何回もお目にかかって大好きな熊川「白菊」で頂戴いたしました。瀬戸唐津が渋くて人気でしたね〜。他にも仁清の三玄院天目、刷毛目、宗入の(青にしか見えない複雑な色の)赤楽など。

と、またたくまに楽しい時は過ぎ去り、名残の茶事はお開きとなりました。
たくさんたくさんお宝を使って使わせてくださる其中庵様に感謝、茶人として憧れるお正客の菱本先生、いずれもお茶にのめり込み方が尋常でないご連客のみなさま、ありがとうございました。たっぷりと瓢をたのしませていただきました。




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おまけ
銀ねずの一つ紋無地に、お茶友でもある友禅作家・本間美也子さまに描いてもらった縮緬名古屋帯


茶事の後、ちょっとした事件をおこしたことは忘れます(^_^;
でも、ご迷惑をおかけした方々にゴメンナサイ




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京都へ移住する前から書いているブログなので、京都移住後もタイトルに愛着がありこんなタイトルです。でも「もう・住んでる・京都」です。旧ブログから引っ越ししてきました。

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