一客一亭の茶事〜亭主 - 2019.02.26 Tue

我が家の梅は遅く、やっと1,2輪ほころんだところでお客様を茶事にお招きした。
初めての一客一亭の亭主である。
最近夕ざりにこっているので、正午は久しぶり、簾吊るのあやうく忘れそうになったわ。
待合に、軸装できたばかりの浅川伯教の朝鮮白磁の壺の画賛を。
戦前、朝鮮の陶磁器を全土に渡って調査してまとめた、そして柳宗悦を朝鮮白磁の美へ導いた浅川兄弟の兄である。復興ものではあるが丹波布(柳が民藝のひとつとしてとりあげて有名になった)が手に入ったので、額装から軸装にしてもらったもの。我が李朝陶磁器への愛をアピール(^_^;
待合の火鉢は、先だっての茶会で水屋見舞にとGさまからいただいた藁灰を。(自宅で作るのはなかなかむつかしいので、こんな素敵な水屋見舞って!!ヽ(≧∀≦)ノ)
一客一亭のむつかしさは、亭主相伴、特にうちなんか半東無しなんで、いかに茶席にいない時間を少なくできるか、懐石の進め方が一番の課題であり、ここしばらくずっとあれこれ試行錯誤していた。(インフルで日程伸ばしてもらったので命拾い(^_^;)
一客様は、茶事手練れの尊敬する師匠なんで、苦笑しながら見守ってくれると信じて、あれこれ苦肉の策をご覧あれ。
懐石に力をいれすぎて、炭手前は完全にいっちゃてたわね(^_^;(大恥)
向付は先日の海の男の茶事で、ご亭主が「男の懐石料理教室」で習ったというのをアレンジ。貝柱+大根おろし+三ツ葉+加減酢、イクラをトッピング。一文字飯はスルーして。
(写真は再現ドラマ?!)
煮物椀にかわって、席中の手あぶりにおでんの鍋をかける。茶飯釜の時に、これ使える!と思ったのだ。席中で大きめのお椀に注ぎ分ける。
焼物と強肴と八寸をまとめて一人分ずつ杉八寸にのせた。こうすると席をあまりたたなくてよいので。
以前一客一亭に客としてよばれたときは、気心知れた友人だったので、遊興杯であそんで、お酒の飲み比べ(完敗)をしたりして、間が延びるということがなかったが、あまりおしゃべりではない師匠、間があいたらどないしよう、と心配していた。
が!ほぼ杞憂。道具のこととか茶事のこととかしゃべり足りないくらいであった。主に私ばかりがぺらぺら、しょーもない話も多くて、心中あきれられたかもだが、私は楽しかったよ。
お菓子も一つだけ特注はしのびなく、ついに自分で作った!
菓子作りだけは一生しないやろうと、思っていたがな〜。新旧乙女茶会で若い茶友さんの御指導の下あれこれ作ったのが良い経験になっていた。
見えないとおもうけど、鶯色の餡を求肥で包んで、手持ちの蕨の焼き印を。銘は「いわばしる」とつけた。(いわばしる垂水の上の早蕨の萌えいづる春になりにけるかも・志貴皇子)
後座では教科書通りだけど花所望
李朝の吊りさげ籠に、名前は不明ながら赤い椿の蕾をいれられた。写真を取り損ねたのが残念。
濃茶はお気に入りの来賓三島で。これも亭主相伴なので二服分練る。「ご相伴を」の声をかけるタイミングを間違えたが、、、(^_^;
今回、若い陶芸家のAKさんに、この日にどうしても間に合わせて!とさんざん尻をたたいた(^_^;薄茶器がこちら。(彼もインフル延期で命拾い?)黄瀬戸風のボディに、、、、
蓋がルーシー・リーの陶器のボタン
この蓋にあわせて茶器を作ってもらったのだ。なぜならこのボタンは数年前、師匠と2つあったのをシェアしたもの、師匠はこれを茶筅立に仕立てはった。私は使い道をあれこれ考えたあげく、茶器の蓋に、と1年前から依頼していたもの、この日、絶対見てもらいたかったのだ。
干菓子はご愛用の亀廣保さんの梅に鶯、李朝の白磁祭器にて。
あれこれと語り尽くせぬものも多々あったのだが、時間が押していたのでお開きに。
趣向を考えるのも苦しんだけれど、けっこう楽しんだ。お客様も楽しんでいただけただろうか。
普段の茶事では、亭主はいそがしすぎて、客との会話があまりできないものだから、一客一亭、客を選ぶ茶事だとは思うが、半日ゆるゆると杯をかさねたり、お茶のことを語ったり、日ごろのおしゃべりの延長、案外楽しい茶事だと思った。
お見事!暁庵さんの梅見茶事 - 2019.02.24 Sun
お茶のために、約3年間を京都ですごされた暁庵さま。関東に帰られてもう4年がたつのですね。今でも京都でいっしょに奥伝の自主稽古をしたことは懐かしく貴重な思い出であります。
このたび梅見の茶事にお招きいただき、いそいそと東へ。
こちらに茶事でよせていただくのは2年ぶり、前回は口切りの茶事でしたね。今回はどんな茶事になるのかとても楽しみです。

(腰掛け待合いの火鉢 美しい藁灰!)
寄付は、淡々斎の画賛「春風」
白居易の「春風」という漢詩を読み上げくださいました。
一枝まずひらく 苑中の梅、、、
、、、、また言う 春風我がために来たると
すでに梅見のはじまり。
露地の、まだ堅いつぼみの梅の木を見ながら席入りして、本席の軸の「處々鶯」を拝見してふと、さきほど入ってきた入り口をふりかえり、思わずおおっ!となりました。
障子になんと庭の梅の木が映り、影が墨絵になっているではありませんか!
これをお見せしたいと思い、なんとか陽が照ってくれるようにと祈っていました、と。われわれ客の日ごろのおこないのせいか(^_^;?、またはご亭主のお心がけか、見事な梅の墨絵を見ることができました。
この影が陽の進むにつれて移ろう姿を見せるのも、ご亭主のたくらみ。
まずは伽羅を焚いて、全員で聞香を。なにやらとてもよい甘い香り、ふと重香合を見ると、、、ああ、京都を去られるときにお餞別としてさしあげた物でした。それで使ってくださったのですね。
炭点前で灰器に壬生寺の焙烙を使われたのもうれしい。京都では、節分の折に吉田神社で思いがけずばったり、なんてこともあって、懐かしいですね。
香合は横笛、誰ヶ袖棚に置かれた薄器は几帳の蒔絵で、いずれも平安貴族文化の象徴、京都を意識してくださったのだと思います。
お手製の懐石で、向付が全員、垂涎の古染付なのにビックリ感激。(古染好きやわ〜)
主菓子は雪餅、この懐紙は御連客さまに上田宗箇流の方がおられたので、そちらの流派で使われる懐紙ということでした。菱形の模様は上田家の家紋「釘抜」らしいです。
後座、席入りした途端おもわず「ああ〜っ!!」と声をあげてしまいました。
初座で楽しんだ墨絵が、こんどは彩りもあざやかな満開の梅の大木になっているではありませんか!座敷一杯にひろげられた四連の梅の屏風だったのです。お見事な演出に思わずうなってしまいました。
白楽の御茶碗で濃茶をいただくのを見守る花は椿とネコヤナギ。花入が、かつて一緒に訪れた竜野(姫路の近く)の揖保川焼、みどりさんのもの。あのちょっとした遠足も懐かしい。
後炭点前で、炉中の炭の残り方をわくわく眺め薄茶はお弟子さんにバトンタッチです。
初座で「處々鶯」の軸を見ながら、鶯が啼いてくれるとよいのですが、、、とおっしゃっていましたが、啼きました!薄茶席で!
水指の上に結んだ帛紗の鶯がちゃんととまって啼いていましたよ♪
これもなんて心憎い演出でしょう。
最後に、茶杓の銘を聞いて、また泣けました。
「東北(とうぼく)」
謡曲「東北」にちなみ、その材も梅の木、聚光院の古木だそうです。
和泉式部が手植えした軒端の梅が今も残るという東北院、謡曲「東北」はそんな和泉式部をシテにした梅の盛りの頃の物語、とうとう最後まで梅に彩られた茶事でしたね。
東北院は真如堂のすぐ裏にあって、実は我が家から近いのです。この茶事のあと、つい見たくなって軒端の梅を見てきました。
(ほとんど人は来ません。ひっそりとしたちょっと荒廃したお寺です)
今回も素敵なストーリーを茶事に見事に織り込んでくださいました。ほんとうに楽しく、感動ポイントがいくつもあったけれど、テーマがぶれない茶事でした。また、茶事の奥深さに気づかされた一会でもありました。
暁庵さんは、お茶の道でいつも数十歩先に進んでおられるので、私はおいかけようと精一杯ですが、まだまだで歯がゆいです。
尊敬するまた敬愛する先輩として、今後ともよろしくお願いいたしたく存じます。
如月雑記2019 - 2019.02.22 Fri
お茶で、ドタバタ(ジタバタ?)明けて暮れゆく如月の雑記

テイストがど真ん中、、、のギャラリー&ショップ+プチカフェのある烏丸の因幡薬師隣の木と根さん。
夏はかき氷が人気だが、いかんせんいつもいっぱいで(キャパも極小)なかなか入れない。
本日は八尾のベーグルのお店、ダイドコ帖さんの一日出張、特別メニュー。
セイロで蒸したベーグル!
やっぱりなあ〜SOLD OUT、、、、でも大丈夫!今回はちゃんと予約してました。
セイロで蒸したあつあつほかほかベーグルには大豆のペースト詰め、八角煮卵はすでにベーグルの中につっこんでます。金時人参のバルサミコ、金柑のシロップ煮、蓮根ポタージュ
素朴で美味しい。やっとハードルの高い木と根でランチできたわ。ギャラリーでもお気に入りの作家さんの作品も見つけお腹も心も満たされる。
寺町(御池以北)散歩に心強いおやすみスポット、寺町・李青さん。
今日も今日とてこちらで休憩。ここはアンティークや現代作家ものの李朝グッズも購入できるので、ついついお茶と共に買い物もしてしまう。
河原町の李青も好きだけれど、ここも雰囲気が好き。(元Asian雑貨の店だったとは思えない)
飲むのはたいてい寒いときでもつめたいスジョンカ(水正果)
シナモンとイチジクの甘みがすっきり。
北白川にたつ築年数不明の銀月アパートメント、ここに通いだして、もう2〜3回同じ季節を巡った。
本日も銀月サロン・早春
美味しい中国茶を飲み比べる。
武夷岩茶でも値段が一ケタ違う大紅袍
香りがすばらしいの。
銀月さんの中国のお友達が、千年古樹(樹齢800年以上)の茶葉ばかりをあつめて熟成させたプーアールの生茶(一般的なプーアールはコウジカビをつけて発酵させるが、生茶は自然発酵)
これが今までのプーアル茶とは別物。確かに後を引く味はプーアールなのだけれど香りが全然違う。
プーアールの飲み比べとして蜜柑の皮の中にいれて発酵させた小青柑。
蜜柑の皮(陳皮)もいっしょに煎れるとなんとさわやかな柑橘の香り、こちらもなかなか負けていない。
本日の点心(いつもこれがお目当て(^_^;)は手作り肉包+特製豆板醤と台湾漢方湯(スープ)
今回もお茶に劣らず美味しかった!
ここでお出会いした方で、手作りバッグを作られている若い作家さんがいて、長いことうちにころがってほられっぱなしだったタイシルク(スーツができるくらいの量)を使ってくださいと前回差し上げた。そうしたら素敵なバッグの裏打ちになっているところを見せてもらい、さらに御礼に、と、このサッシュをいただいた。きらきらスパンコール入り。すてき!
やっと日の目をみて、よかったわね、あのタイシルク。
毎月ちがう趣向で楽しませてくれる月釜・茶狂会、場所を亀岡の楽々荘からこちらに移して何回目を迎えただろう。とうとうこの2月でお店を閉められることに。
最後のご挨拶に楽々の割烹の方へご飯食べに。
こちらのお店のほうにはなかなか来れなかったけれど、ご亭主の其中庵様には本当にいろいろお世話になった。そしてたくさんの貴重な茶縁もいただいた。
茶狂会も自動消滅するが、また新しい場所できっと復活すると信じている。
最後に大好きな刷毛目高麗茶碗で、其中庵様に一服点てていただきお開きとする。
今後の新しい出発と発展を祈っています。
お茶のお付き合いはまだまだ続けてくださいね〜。
海の男の茶事 - 2019.02.19 Tue
今回のお茶事のおよばれは、なんと徒歩5分もかからない、今までで一番近いお茶友さんち。うれしいなあ♪
ご亭主は月のうち1週間前後をお茶のため京都ですごされ、のこりは郷里の瀬戸内の海べりで暮らしておられる海の男〜ご自分のボートも所有されるヨットマンであります。

露地をみるととてもマンションの一室は思えない。三分咲きの梅がこの季節ならではの彩りを添えて。
本日は私と建築士のI君二人でお客様。なんとなれば、我が家の茶室(+家)を設計してくれた彼が、こちらのマンション内にも茶室を設計したという、いわば茶室兄弟(?)(^_^;
今まで何回かお邪魔したことがあったけれど、茶事バージョンになっているのははじめて。TVがあった場所が待合の床となって掛け物がかかり、ソファーが腰掛け待合い、キッチンは上手に御郷里の帆布(やっぱりヨットマン!)を使って隠してある。
さきほどの露地には蹲居がおかれ、ちゃんと湯桶までご用意くださっていた。
ちなみに待合の掛け物は帆船の画賛。靄が晴れた瞬間の波の美しさをうたったもので、これはヨットマンしかわからない感激の瞬間だとか。
夕ざりにて
ご亭主はお茶を習い始めてまだ3年、なのに「男の懐石教室」などにも通って、本日おひとりで懐石もこなされた。向付、美味しかった〜♪(次の茶事でまねっこしよう、、というので詳細伏せる)汁の蕗の薹のほろ苦さが春を感じさせる。
こちらの茶室は一畳台目中板+狭めの向板(このちょっとした面積がすごく便利)
床は亭主床になる。
マンションでは換気が一番問題で、それでも電気ではなく、炭にこだわりたいご亭主は、一酸化炭素測定器を使って、あれこれ試行錯誤、ご自分でめだたないように換気扇などもとりつけ、換気の道筋も計算して、炭を使ってもガス警報器が鳴らない茶室を作り上げた。
煮物椀 この魚の下にお手製の卵豆腐が隠れている。
今回なによりのご馳走で、なにより感激したのが炉縁!
郷里の海に流れ着いた古い舟、長いこと海に沈んでいたか漂っていたか、その木材を使って大工さんに作ってもらったという炉縁は、フジツボまでついて、波や砂に洗われたざらざらの手触り、これぞ海の男の炉縁でなくてなんであろう。世界に1つしかないもの。
八寸
しかし、お茶を習い始めて3年なんて、私なんか茶事?炭点前?それなんですのん?の世界だったのに、すでに最終目標まで到達されている。もちろん、点前とか懐石の手順とかはまだまだ完成はされていないのだけれど(もちろん私もね)失敗を重ねながらもやり通すことによって、どれだけの高みに精進されていくのだろう。
主菓子は求肥のお菓子で別の銘があったが、ご亭主の意向で「自灯明」と。
釈迦入滅の折、弟子がこれから何を頼りに生きていったらよいのか、と嘆いたのに対し、自灯明、自らを灯火とし、よりどころとしなさい、といった言葉。このような深い銘を解釈できらずにいる客でゴメン。
中立の頃、露地はすっかり闇に沈んで、後座には燈火が。とにかく暗い。戦国時代にかえったくらいに(知らんけど)暗い。その中、釜の松籟だけが聞こえる二畳の極小茶室で無言で粛々とすすめられる濃茶点前。この浮世離れした幽玄ともいいたいひとときが、ご亭主が常日頃茶の湯に求められている「他界観念的遊戯(ゆげ)」(「茶経」)の一瞬であろうかと、思った。
しかも茶碗が楽歴代の一人による長次郎赤楽「早船」写し(本歌は畠山美術館蔵)
やっぱり「船」がつくんだ〜!さすが海の男!
続き薄で、最後にご亭主に点てたりして過ごし、かくして一会、見事にやりきらはりました。すばらしい!
茶事をするまでは煙草盆に興味もなかったし、意味もわからなかった、とおっしゃるご亭主、茶事をやってみないと学習できないこともたくさんある。お茶を習い始めた早い段階からそれに気づけるってうらやましい。
茶事が終わった後も茶事について道具について、茶の湯のめざすところについて、ご亭主、I君と話はつきないのであった。お開きになっても、コートもなしで帰宅できる距離のありがたさ、またご近所にすてきなお茶友を手に入れてしまった(*^_^*)
夜の大仏殿〜光の浮雲園地〜春日大社夜神楽・・なら瑠璃絵2019 - 2019.02.17 Sun
冬の奈良で行われるイベントなら瑠璃絵が10回目を迎える。行こうかな〜と思いつつ、寒いしな〜で、ずっと例年逃してきたのだが、今年は一念発起、防寒対策万全でおでかけ。
これは興福寺〜東大寺〜春日大社の夜間拝観と、その道筋を瑠璃色のイルミネーションがほのかに照らす。どこから入っても出てもOK。

というので、転害門あたりに用事があったので、そこから東大寺に入る。
見慣れた大仏殿であるが、こんなライトアップで見るとまた新鮮。
観相窓も開いているので、毘盧遮那仏さまのお顔も拝めた。
夜の大仏殿
中を歩いている人の姿もまばらで、昼間の喧噪を思えば、不思議な、そしてちょっぴりアヤシイ神々しさがある。脇侍の虚空蔵菩薩さまのキンキラ具合が夜に映える。
大仏殿四隅に立つ四天王も影を背負って普段より迫力がある。
夜のお寺ってなんか好き。そういえば毎年修二会(お水取り)の時、夜中に東大寺徘徊してるから(^_^;
横から見ると前傾姿勢なのがいまにも動き出しそうでわくわくする。
五色のライトアップ東大寺に別れをつげて、さらに東へ
なら瑠璃絵のメイン、浮雲園地会場へ
春日の国際フォーラムの建物が入り口になっているのだが、そこへ誘導する光のオブジェもなんだかあやしくて、かわいい。あたりは春日の森なので、ほんまに暗い。ふだんめったに味わえない夜の暗さ。
一歩中にはいると、、おお〜〜!
瑠璃色の玲瓏たる清々しい光の野原。
人工の灯りだとわかっていても息をのむ。
ぽっかりあいた穴は池の部分。冬枯れの枯木が妙にこの光にマッチする。
ところどころに鹿のオブジェ
奈良だからね。
この光の野原には時々線状にすばやく走る光もあって、キラキラ、子供の頃クリスマスツリーを飾ったワクワク感を思い出してしまった。
池の向こうの橋にたたずむ牡鹿のオブジェ
童話の世界みたいだ。
しばし瑠璃色の光を楽しんだあとは、ほとんど漆黒の世界へ
春日大社への長い参道はほんまに真っ暗で、誰がだれだかわからない。同じ方向に三々五々向かう人がいるので進めるけれど、一人きりだったらこわいよ、ほんまに。
時々地面がゆれているような錯覚をおこす、ゆれるミラーボールみたいな光のオブジェがあって、さらに参道を異世界への入り口みたいに見せている。
そういえば、春日若宮御祭では、夜中にここを神様を載せた神輿が御旅所までつっぱしるのだが、あの時もこんなふうに真っ暗だったな。
そして春日大社本殿前、手水舎のある末社・祓戸神社(はらえどじんじゃ)前で、会期中毎日行われる夜神楽。
出演は漢國神社(かんごうじんじゃ・近鉄奈良駅前すぐ)で稽古をしている漢國神社韓園講のみなさん。
漢國神社は饅頭の祖・林淨因ゆかりのお寺で、いちどその饅頭塚を見にわざわざでかけたこともあるので(漢國神社訪問)なんだか親しみを覚える。
韓園講は、プロの芸人である豊来家玉之助さんに桃俣獅子舞保存会、八多獅子舞講の三団体からなる。
演目もバラエティに富んで、曲芸あり、獅子舞あり、剣舞ありで見応えがあった。
芸を見守る手水舎の神鹿
玉之助さんが、やはりプロ、お話しが上手、お客さんを笑わせるのもうまくて、八面六臂の大活躍。これは大黒さんという演目で、観客にお菓子を投げてくれる。1つゲット。大きな三笠(どらやき)の袋が最後に出てきて、これをキャッチした幸運なお客さんもいた。
華紙につつんだ、いわゆるおひねり(投げ銭)。見せ場があるとぽんぽん投げ入れられる、芸のバロメーターでもある。
この収入で今回毛氈の下に敷く断熱材が購入できたとのこと、確かに夜、吐く息も白く、春日の森はしんしん寒い。
獅子舞の講が二団体あるので、いろんなタイプの獅子舞を見る。
お囃子は太鼓と笛と、のどのよいおじさまの囃子歌。
いずれも迫力があったが、暗いのと動きが速いのでぶれぶれ写真しか撮れない。
これは、へべれけさんという演目で、寝ている獅子の横で酔っ払いが観客に大きな杯で酒を飲ませるというもの。もちろんエア酒なんだが、私、杯を賜りましたのでいい飲みっぷりを演じましたことよ(^_^;
フィナーレは背継ぎという、肩に子供をのせての獅子舞。獅子が肩の上で棒をまわしたり、鏡をもったり、傘を持って紙雪吹をとばしたり、華やかであり、肩の上という不安定な場所ゆえ、どきどきしたり。
列のあとをチャッパ(銅鈸子)をならしながらついて歩く女の子がカワイイ〜♪
いよいよフィナーレのフィナーレ!
やんややんやの大喝采。獅子舞の頭をとると小学生くらいの男の子で、これまたびっくり。先ほどの女の子のお兄ちゃんだそうです。
最後にエクストラで、暗いのでなかなか成功率が上がらないという玉の芸も上手に披露してくれた玉之助さん。後は本日ご出演のみなさま。
約一時間の興奮のあと、ふたたび灯籠の明かりだけを頼りに暗い夜の道を歩く。
今度は本当にまわりに人がいないので、異次元空間感がさらに増す。
それでも毎度歩き慣れた道、春日大社から駅までの2.5kmの道をてってけて〜♪と歩いて帰ったよ。
(土地勘のない人は絶対迷うと思う、、、)
この暗さが町中にある奈良の夜はあやしくも美しい。
岩倉具視幽棲旧宅 - 2019.02.15 Fri
岩倉といえば、、、同じ左京区に住んでいても、でかけるには少々覚悟がいる。

洛中からここまで来るには、宝ヶ池も越えて一日がかりだったんとちがうかな。今でこそ洛中のベッドタウン化して、住宅も増えてきたけれど、幕末明治にはこのあたり田園が広がる田舎だったはず。
公武合体を推し進めた結果、討幕派に命を狙われ、宮廷内攘夷派台頭もあり、宮中を追われた岩倉が蟄居、幽棲したのがこの岩倉の地であった。
(参考)
バスで行くなら京都バスの岩倉実相院行きで終点の実相院からは徒歩圏内、ただし車だと、狭い道や一方通行や、離れた場所にある駐車場や、でけっこうたいへんだった。
ご参考までに駐車場のマップおいておきます。
さて、旧宅、あれ?意外ときれいで住みやすそうでないの?
NHK大河の「せごどん」で、岩倉蟄居中の家がすざまじい茅屋だったので、そのイメージと違う。(ちなみに熱演された鶴瓶さんも、実際の岩倉卿より歳とりすぎだったわね)
実は岩倉時代、最初の2年はドラマを地でいくほんまの廃屋だったところに住んでいたらしく、手紙や日記に「ここの暮らしはきつい、、、」という泣き言が書かれていたそうだ。
その後、大工藤吉の家を購入し、そこでかなりまともな住居に住んではったところ、大久保利通や坂本龍馬、中岡慎太郎などという幕末の志士たちが通ってくるようになり、手狭になったため、現在の母屋(鄰雲軒)を増築されたとか。
座敷は、勤王の志士を迎え白熱した議論を重ねた当時のままだそうだが、建具はのちに孫の東伏見宮周子さんが大宮御所で使われていたものを譲り受けたものが使われている。
まあ、このモダンな意匠の障子!
ガラスは例のなみなみガラス(大正ガラス)、これを通してみる庭園の景色も心がなごむ。
障子の下板には消えかかってはいるが、みやびな絵が。
岩倉卿は東京へ移ってからも、京都に里帰りした際は、岩倉の近隣の住民をよんで宴会をしたり、困りごとの相談にのったり、不遇の時期を支えてくれた岩倉の人たちへの感謝を忘れなかったようだ。
住民もまた、そんな岩倉卿をしたって、後にこの無人になった家を、財団法人岩倉公旧蹟保存会をたちあげ、守ってきた。
平成25年、財団は解散し、所蔵品も含め京都市に寄付、市が引き続き管理することになり(このあたり無隣庵と同じね)積極的に情報を発信しているので、私もここまでたどりついた、というところ。
座敷の四隅の柱には蚊帳をつるための鐶が。
見学に来ていた小学生にはこれはなにかわからなかったようで(^_^; というか、蚊帳自体がわからんやろうなあ。
襖の絵もかなり消えかかっているが、これらの建具は岩倉卿が住まっていたころのものそのままだという。ここで幕末明治の英雄たちが談合したり、きっと宴会もしただろうと思うと深く感じる物がある。
龍馬やせごどんは、英雄として語られることが多いが、物語やドラマ的にはどうしても岩倉卿や大久保利通は悪者的扱いになりがち。
でも、維新以降の日本の屋台骨を支えてきた英傑はやっぱり岩倉卿や怜悧な大久保だったと思うので、ここらへんでなんとかイメージをかえてほしいもの。
こちらは最初に大工藤吉から購入した附属屋といわれる部分で、中はちょっとそっけない感じ。
母屋から附属屋を見る。
ご覧の通り、氷雨っぽいです。町中は雨だったのに、やっぱりこっちは気温が1〜2度は低いと思うよ。
附属屋の土間。
資料館にあった具視公御一代絵巻には、ここで煮炊きを卿自身がして、9才と6才の息子(具定、具経)が井戸から水を汲み上げ運んでいる様子が描かれていたが、公家としてはつらい生活だったのだろうなあ、と思う。
庭のクチナシの実。
こちらでは希望すればガイドさんによる無料ガイドが受けられるので、お願いしてみた。主に知りたかったのは、下級貴族だった彼がどうして孝明天皇が一番信頼をおく人物になれたのか?おびただしい意見書を書いて書いて書きまくって、いろんな人へ送りまくったのが目にとまり、次第に引き上げられていった、、ということらしい。書く中身があったことが一番重要だが、やはり発信する努力は必要よね。
旧宅には庭園も整備され、これは七代小川治兵衛作の自然石をよそおった石垣だそうだ。ここも無隣庵と通じる。
具視卿お手植えの松。
ここも無隣庵と同じく、現在は植彌(加藤造園)さんが管理してはる。
岩倉卿の遺髪をおさめる遺髪碑。
そういえば、昔の500円札は岩倉具視だったなあ(私が知っているのは昭和44〜平成6までのもの)。断髪姿の絵柄だったけれど、岩倉というとどうしても岩倉使節団の時のへんな髷を結った姿が思い浮かんでしまうわ。
こちらは昭和3年に岩倉卿の遺品類を収納するために建てられた対岳文庫で、武田五一設計、京都有形文化財にもなっている。
ここで彼の字や、御一代絵巻、資料を眺め、しばし幕末明治の(ちょっと忘れられガチな)英傑に思いを馳せるのであった。
祗園大茶会2019 - 2019.02.13 Wed
茶会の前日には乙女たちは菓子作りに励む。

今回はSちゃんの御指導の下、ひたすら団子をこねる、まるめる、、、、
丸めるそばから茹であがるお団子!
今年で6回目の祗園商店街主催の「祗園大茶会」、本席は舞妓ちゃん、芸妓さんの席だが、副席の「数寄々茶席」には2回目から参加させてもらっている。いつも大雨だったり、さぶかったり、お客さん全然来なかったり、けっこう泣きそうな思い出もたくさん。1回だけ、春うららの桜の頃の開催は楽しかったなあ。でも昨年から極寒の2月開催が定着しそう。
始まる前には祗園八坂神社の神官さんのお祓いがあったり、八坂さんの御神水が各席に配られたり、そこはやはり祗園商店街さんのお力。市長さんまで各席の視察?に顔だされたりしてね。
役得でちらっと垣間見るきれいどころの舞台裏。
さて、5回目となる今回は、いままでの失敗や経験を糧に、Simple is the Bestの室礼で。先月の吉田家住宅茶会で活躍した竹の三脚に釣り釜(竹の三脚はワタクシの自作であります)を再度登場させる。
火鉢も持ち込んで、ここでお菓子のお団子を炙る。
野原に、賀茂川縁にピクニックへ来た、というイメージで。
水屋も、昨年大雨で浸水した経験から地べたから畳の上に格上げ。
うるわし屋さんで一目惚れの茶籠を使うが、本来煎茶用かも知れない。茶碗のサイズを選ぶ茶箱となって、茶碗選びに苦労した。茶筅筒は「はじめての茶箱あそび」の著書で有名なふくいひろこさんの展示会でゲットした、桶職人さんが作ったもの。
お花はお隣のひよこ席さんからお裾分けでもらった月ヶ瀬の紅梅。花があると席がやはりしまる。
点前は、逆勝手でもあり、もう自己流でやってね、の世界。野点だからね。楽しくできればいいの。
火鉢の火ではお団子の焦げ目がつかないので、実は裏でせっせとカセットコンロで炙っているの。火鉢は保温用。長いことのせておくと、噛んだときに湯気がほあ〜っと上がって熱々、良い感じ。
これにお客さんご自身で、Mちゃん特製の<蕗餡(ほろ苦の蕗がお酒にもあいそう)>と<胡桃餡>をお好みでつけてもらう。
こちらも毎年恒例田○田(たぼた)のお能ユニットのお二人が、門付け。これは「猩々」のお謡い中。
♪夜も尽きじ 夜も尽きじ よろづよまでの竹の葉の酒〜♪
このお二人は最初の第2回目茶会の時に大雨の中、ずぶ濡れで謡い舞切った、というすばらしい猛者であります。
今回は、お客様はいい感じで三々五々来てくださったので、ばたばたせず、ゆっくり楽しむ余裕もできた。顔なじみのお茶友さんあれば、毎年来てますよ、というご遠方からの方も、はじめてふらりと寄ってみました、という方まで、バラエティ豊か。初年度(円山公園の市民の森で開催)、全然お客さまがこなくて、身内だけでお客さんを交互にしてたりした頃もなんだか懐かしいけど。
他の席もちらっとみてみよう。
数寄々茶会をとりまとめてくださっている、NJさまの席。祗園大茶会に限らずいつも色々お世話になっております。
今年は初心に帰ってひとりで席をもったEちゃん。女神様のいでたちがあまりにステキで、ぽ〜っとしちゃうわ。女神様にお茶を点ててもらえるといいことありそう。
雲天庵(本体は軽トラという!)では為さんが、すっかり為ちゃんワールドを作り上げていて、味気ないよそのテントの中で彩りを放っている。
準備中の為さんをパチリ。
終了後、あまった手作りお菓子(干し柿入りの芋きんとん?)ちょうだいしたが、素朴な甘さで美味しかった!
陶芸家の卵?のA君のひよっこ席
茶人としても陶芸家としてもひよこ?というご謙遜かな。この席ではお酒も飲めるとあって、ちゃっかりおじゃまする。先日お土産にあげた三輪のうまさけ(三諸杉)がここで活躍しているとは(^_^;
日本画のTJさんの絵付き菓子鉢(A君作)もお菓子もキュート。
そのTJさんと田○田さん。ライブペイントの完成図の前で。楽しそう〜♪
、、という楽しい時間はあっというまに過ぎて、今年も無事お開き。
乙女席の乙女たちです。みんなお疲れ!!でも、楽しかったね。
自宅に帰り着けば雪もよいの空に寒月。
これで1月から、吉田家住宅、下鴨三井別邸、と続いたお外での出張茶会に一段落。インフルにもかかりながら、我ながらようやるわがんばった。当分もうしないからゆっくり休養しよう、、、が、、、自宅での茶事は続くので、まだまだお茶に遊ばれる予定であります(^_^;
第6回珠光茶会〜元興寺+西大寺 - 2019.02.11 Mon
早いもので、毎年2月、奈良市内のあちこちの寺社を会場としておこなわれる珠光茶会、もう6回目なんですね。思えば忘れられん大雪の初回から皆勤してますわ。

約一週間にわたってくりひろげられる流派をとわない茶会、今年は元興寺の薄茶席と西大寺の濃茶席+点心、前者が武者小路千家、後者が石州流宗家ということで、いずれも他流試合、なんか力入る〜♪
秋の川崎幽玄忌(奈良出身の指物師で、元興寺の茶席も設計)茶会などでもすっかりお馴染みのならまち・元興寺、好きなお寺の1つです。
飛鳥時代の屋根瓦がみどころでありますが、、
茶席があるのはこの瓦をいただく国宝!の禅室の中。
武者小路千家奈良支部(?)の立礼席であります。お菓子がこの瓦をイメージした練り切りで、色は若草色でしたが、奈良古寺瓦大好きな人にはうれしい意匠。
不徹斎(ご当代)の紅紙に書かれた「福の神」の掛物がめでたい。
武者小路のお茶は表さんっぽいあまり泡立てないタイプなのね。同じ千家系でも違いはそれぞれ、それを拝見できるのも楽しみの1つ。
一閑の梅に鶯の薄器は愈好斎(当代のおじいさん)好み。他流派の家元歴代の名前は最近かなり漢字で書けるようになったが、どのくらいの時代の人か、というのはやっぱりあまりわからない。
主茶碗が了入の黒で銘が「萬代(よろづよ)」。今年は天皇家の代替わりがあるので、この銘が多いわ。
恒例のスタッフさんの法被撮影。
この茶会には市の職員も大勢動員されていると思うが、ボランティアガイドの皆様も大活躍で、人員配置がすごい。おかげで迷ったりせず、茶席の案内も非常にスムーズ。さすが6回目。
会場の移動は貸し切りバスにて、バス内ではボランティアガイドさんのお寺の解説もついてます。
濃茶と点心席のある西大寺へ移動。西大寺の席は第一回目の時に取っていたのに、大雪にはばまれて(奈良では数十年ぶりの積雪)断念したので、今年はじめて。
西大寺と言えば大茶盛、それをはじめたのが西大寺を再興した叡尊(鎌倉時代)、このあたり茶道検定で勉強したよな〜。
濃茶席ご担当は石州流宗家(石州流はそれこそ無数に流派がわかれているのでややこしい)。偶然ではあるが、昨年もこちらの御流派で、会場は東大寺でありました。
千家系とは全く違う武家茶道の流派は、茶筅の置き方ひとつ、帛紗の扱いひとつ、その他所作が全く違うので目がはなせません。しかも今回は及台子を使った天目台の濃茶点前、という格の高い点前、他流派はめったに見られる物ではありません。
(ほかほか暖かかった待合)
なんといってもこちらの席のご馳走は珠光その人の手になる茶杓!飴色になった、節が下から五分の一くらいにある、竹の茶杓の黎明期のもの。しかも筒は片桐石州であります。
竹の寸切花入も石州の手になるもの、正面のひび割れを繕うのに、どうやら象牙?の細工(蓮華)が使われていて、こういうのははじめて見ました。
昨年もそうだったのですが、こちらの流派は濃茶もひとりひとりに各服点て、お茶もご当地大和茶を使っておられて(「山翠のむかし」)、これがほんとに「お茶」!という風味で美味しかったです。お水も天川村のごろごろ水という名水をご用意してくださいました。
お菓子はご当地奈良の菊屋さん、梅の焼き印にほんのり紅いろをさした薯蕷でした。
同じ境内で点心をいただく。
本日は奈良・日本料理井上さん。奈良県産の食材もふんだんに使ってあり、いつもこの値段(濃茶+薄茶+点心で5000円)で、この弁当のレベル高すぎです。ご飯はもちろん茶飯!
他の日に行かれる方はその他春日大社、法華寺、薬師寺、東大寺、唐招提寺、流派も七流派といろいろお楽しみだったことでしょう。
第一回目の珠光茶会の時に奈良の市長さんが「100回までも続けられますように」とおっしゃっていましたが、もうすっかり季節の定例行事になりつつありますね。この茶会のおかげで珠光ゆかりの称名寺に行ったりもし、毎年の楽しみになりました。
元興寺にも、西大寺にももう梅の花がほころんでいました。あと少しで春がくるかな。
桐蔭席〜2019・2月 - 2019.02.08 Fri
東山七条を東へ、京女の横をとおりぬけたところの豊国廟の片隅にある桐蔭席。
淡々斎指導の下、昭和4年に建築、設計は裏千家?、棟梁は三代目木村清兵衛。
裏千家では、ここで釜を掛けるということはかなりのハイステータスだし、会員になるのもかなりのハードルの高さと聞いていて、私にはあんまり関係ない場所だと思ってたし、一昨年、ご縁あって臨時に参席させてもらったときも、これが最後やろな〜と思っていたのだが、、人生なにがおこるかわからん。
ありがたいご縁にて、月釜に参席させていただけることとなった。
ご紹介下さった方のエスコート付きで本日デビュー戦を飾る。
入り口もだが、中の露地にも敷松葉が美しく敷かれ、目にも鮮やかな青竹の垣がまぶしい。
本日は大阪の先生がご亭主のようで、お正客が10年以上前、僅かな期間ながらお教えいただいた先生だった!という、これもご縁。
やはり仙叟の比較的小さな一行、四畳半台目の小間にぴったりで、この季節にもドンピシャなのがすばらしかったな。仙叟はこんな「宗室」という字を書くんだ、、、読みやすくてちょっと親近感。
玄々斎の花押がやっと覚えられた。(ご同伴いただいた方の解説付いてたのでありがたし)
主茶碗が淡々斎てづくね、「淡々斎初削り」という父親の圓能斎の箱がついた赤楽「萬代」。これは一体どなたに拝領されたモノだろう。よく残っていたな、と思う。裏に彫られた「淡々」の文字が初々しい。
お茶をいただいたのが肥後焼薩摩、ちょっと光悦っぽくて筒の沓状、薄造り、土の色が黒い。ので、「杣人」だったかな、という銘がしっくりくるような、好きなタイプ。
竹の花入に蕗の薹とネコヤナギが春。(この日ちょうど旧暦の元旦)
香合も型物香合番付西一段目の染付「引捨牛」を学習。牛がつく香合って意外に多いのね。区別がつかんわ。
趣味として、古美術系、高麗系のモノばかりにちょっと入れあげているので、意外と流儀の歴代について知識がないのよ、私。ここでちょっと勉強せなかんなあ、と思った。(歴代の花押がまずわからん、斎名が複数ある家元が区別つかん、、裏千家学ぶモノとしてどうよ?)
主菓子は末富さんの「下萌」
干菓子が亀屋伊織の千代結(有平糖)と鶯。
この鶯、ちょっと雀に見えなくもない(^_^;
そういえば、水指のつまみも鶯の形で、早春らしいすてきな席でありました。
末客まで、お道具を手に取って拝見できるのはいいですね、と言ったら「拝見させて大丈夫な人しか客になれない席だから。」と返されて、ひ〜っと冷や汗がふきでました(^_^;
あと、点心のお蕎麦、おいしゅうございました!
今年もあちこち節分巡り2019<後編> - 2019.02.05 Tue
開けて節分当日(3日)

まずは四条壬生坊城通りの入り口にある梛神社・隼神社。
ここは2つの神社が合併して(大正期に隼神社が遷座してきた。近くにもと隼神社の跡地あり)いるのですが、普段はあまり人をみかけないのに、節分の日には参拝客でいっぱいになる。お神楽ももよおされ、賑やか。
新撰組が闊歩したであろう坊城通りを南下して、壬生寺(壬生延命地蔵尊)にいたる。
やり始めると毎年やらずにはおられなくなるのよね、厄除焙烙の奉納。
多くの善男善女の祈念。
今年も一枚納めました。
書く文句はいつも「無病息災」
人間健康であればなんでもできるのよ。
お寺へ焙烙を納める。納めた焙烙は、大念仏狂言の毎日の最終演目「焙烙割り」で派手に割ってもらうお約束。
ご本尊は現世にあって、人を救うお地蔵様(地蔵菩薩)
(ざっくり言うと過去仏は釈迦如来、未来仏は弥勒菩薩)
狂言を鑑賞する場所はなんと壬生寺保育園なのよ。
屋台も「大衆遊技場」とか、地元感あふれて好き。観光客ばかりの節分会・豆まき行事をするところは多いけれど、このあたりはほんま地元の人が多くて地元のお祭りといった感じ。
壬生寺は律宗のお寺なのね。(ちなみに律宗総本山は唐招提寺)
このあたりはかつての町並みも残り、人々の生活も観光本位でない、昔ながらの京都の町衆の暮らしが垣間見られるような気がします。
壬生寺参道でいつも行列を横目でみながらスルーしていた幸福堂の節分きんつば、今年は並んで買ってみました。
まだあたたかい素朴なきんつば、食べ歩きにぴったり。
さて、今年はじめてうちから一番近い平安神宮の追儺式にも参加してみました。あら、灯台もと暗し、こんな近場でこんな意外と楽しい行事があったなんて。
追儺式始まる直前、境内の東側に待機する方相氏ご一行。
いや〜、まるで平安時代の絵巻を見るようだなあ。吉田神社もあるけれど、人が一杯でまともに見られたことがないのよ。
境内に張り巡らされた結界の端に並ぶ方相氏と侲子(しんし)たち。
豆まきというのは、はるか後世になってから、他の風俗や習慣とごっちゃになってできたというから、方相氏のでてくる追儺は古式ゆかしいというべきだろう。
陰陽師が鬼(疫厄など)に対して祭文ををよみあげ、殿上人が桃の弓、蘆の矢で四方の鬼を払う。なんかここらへん後の修験道にいったのかも。
桃の杖で同じく邪を祓う。
後にひかえているのが陰陽師。
方相氏が侲子たちを引き連れて、「鬼やらう〜」と叫びながら、結界の周りを三回ぐるぐる回る。
ちっちゃな侲子のかわいいこと!
かくして、疫鬼や邪気は祓われ、すがすがしい気持ちで新年、立春をむかえるのです。
今年もあちこち節分巡り2019<前編> - 2019.02.02 Sat
ちょっとご無沙汰しておりました。
世間での流行に乗り遅れまいと敏感に反応して(?)、、、、ウン十年ぶりにインフルにかかって伏せっておりました(^_^;。インフルはやっぱりきついね〜。皆様、インフルにはお気をつけてくださいませ。(ちなみにワクチンしてましたが、今年は流行タイプ予測が大はずれだったようです。)
それでも立春が近づいて来ますと、心も体もなんだかぞわぞわしはじめるものですね。インフルから復活第一弾(?)は恒例の節分祭巡り。
まずはかつて節分の時だけ、神社仏閣で売られていたという宝船図、その原型といわれる松原通りの五條天神社の宝船図。これ、昨年拝領して軸装しました。まあ、わかる人にしかわからない節分の季節モノなんですが。普通の宝船図のイメージからしたら、かなりシンプルで奇妙なとこが受ける。

こちらは恒例のご近所、須賀神社の「懸想文」
昨年たまたまこの懸想文売り(昔の困窮した貴族が恋文の代筆を顔をかくしてやっていたことにちなむ)の絵を手に入れたのですが、実物(実物??といえるかなあ〜?)はコチラ
はい、私が京都に移住してから毎年お参りしていますが、ずっとこの方です。(素顔はワカリマセンが)
その足で、これも毎年いかないわけにはいかない吉田神社の節分祭へ。
ここはずっと母校の敷地内にある、、ような錯覚を昔から抱いていて、普段から生活圏内にあって、なじみで、好きな神社です。
一時中止になっていろいろ顰蹙であった、火炉祭も無事復活されて、これはその日(3日)を待つ火炉。
ほらほら、某研究会で教えてもらった、この吉田神社も節分の時に宝船図を売っている!五條天神のと違って、なじみの図柄。
まずは非時香菓(ときじくのかくのこのみ=橘)を持ち帰った和菓子の祖といわれる田道間守を祀る摂社の菓祖神社へ。京都中のお菓子屋さんの信仰も篤いのよ。
追儺式の時間が迫っているせいかすごい行列。お参りして、駄菓子と豆茶をいただく。お手伝いをされてる、四条通りの大きな和菓子屋さんのご主人発見。思わず「くづきりは今日はないんですかね?」と言ってみたら苦笑いをされてました(^_^;
こちらも忘れずに、年越し蕎麦。
なにしろ立春前後(2月4日)から昔は新年が始まっていたから、直前の節分は大晦日になるねんよ。
おろし蕎麦、美味しい。これで年越し。
大元宮(吉田神道の総本山)へ登る参道に毎年ここに店だしている、東一条・松井酒造さん、ここの樽酒は素通りできないわね。(学生時代、松井酒造さんの近くに下宿してた)
そろそろ追儺式の準備が始まったようで、裃姿の役員さんの姿も。
大元宮の前も参拝の人ですごい行列であったが、なんとか厄塚が見えるところまでたどりついた。正面に立つのが厄塚。
厄塚に触れる参拝者の手
これにふれて、立春前に溜まりに溜まった邪気も厄も祓うのだ。インフルもね〜。
日本全国から勧請した(北海道、沖縄はない)3132座の神様のお社が並ぶ。
出雲の神様も伊勢の神様も配下に置こうとする吉田神道、おそるべし。
そろそろすっかり暮れてきて、電灯の灯りが心細くも懐かしく思える時間。
追儺式はすごい人出だろうとスルーしたのに、最後にきっちり人混みにまぎれてしまい(一の鳥居のとこから入場制限までしていた)、進退窮まり、帰宅するまでかなり時間がかかってしまいました。
一条通りは京大の正門も巻き込んで、夜店が立ち並ぶ。幻想的な、ちょっと不思議な、、空間。
もりみん(森見登美彦)の最新作の「熱帯」の舞台はまさにここでありました。そんなことも起きるかもね、と思わせる魔力があります。
さて、一日目の戦利品
新しい懸想文お守り(箪笥に入れておくと着物が増えるらしい、、、成果は微妙)
学生の頃からずっと買っているのに一度もかすりもしない吉田神社福引き付きの豆。