大師会〜2019春 - 2019.03.31 Sun
3年ぶりの大師会へと上京、会場は東京では一番好きな根津美術館である。

大師会は、益田鈍翁が、弘法大師筆の「崔子玉(後漢)座右銘」を見せびらかすために弘法大師の縁日、3月21日にもよおされた茶会である。秋の光悦会と対をなし、国宝級重文級の茶の湯のお宝が拝めるのである。
茶会とはいうものの、お茶は呈茶で、お点前はないので、お宝鑑賞会とわりきるべし。
最初に比較的すいている薄茶席・弘仁亭へ。ここは東京席、席主は名前失念しましたが、仏教美術が得意な古美術商さん。お茶は石州流とか。
赤坂塩野の干菓子、洲浜の蕨をいただいてまずは一服、それからお道具拝見。
仏教美術がご専門とあって軸は刺繍阿弥陀三尊仏、御本雲鶴の花入がでかい。それにまけない牡丹の枝とつぼみ。
この席で一番印象的であったのは伊羅保茶碗、銘が「阿しか里(あしかり)」。ついこの間までやってた仕舞の芦刈と同じじゃないの、、というのは別にして、渋い色といい、内側の刷毛目といい、御本、石ハゼ、いずれも極渋の境地。べべらのお約束も。
仁清の糸巻きの蓋置が繊細で薄くて超絶技巧やなあ、と。
他、薩摩筒茶碗、鳴海織部沓茶碗
西大寺根来棗(谷川徹三氏旧蔵とか) 清厳和尚茶杓
次が一番すごかった披錦斎・一樹庵、濃茶席。
席主は梅澤記念館、どうやら医事新報社の偉いさん?らしいが、詳しくは調べてもわからず。どうやら個人のすごいコレクターらしい感じ。
広間で濃茶と越後屋の「春雨」という桜色の美しいお菓子をいただいて小間へ。
三畳上がり台目の小間の床にかけられたのが、石山切・伊勢集(鈍翁箱)!
石山切といえば料紙の美しさで最高峰、東博所蔵のモノとか見たことはあるのだが、ここのは2ページの見開きの部分になっているので、ありとあらゆる料紙の技法がみてとれるといういままで見た石山切の中では最高。
色とりどりの染紙のはめこみ、雲英刷り、切箔、見る方向を変えると見えたり見えなかったりする繊細な紋様、そこに麗しい仮名。
花のいろのこきをみすとてきたる身の
おろかに人はおもふらむやは
ため息がでる。今回一番印象的であったもの。
そしてその石山切の下にある小ぶりな青磁中蕪花入れは、東山御物・砧青磁、しかも後柏原天皇の勅銘「吉野山」までついている大名物。
でんとデカイ青磁ではなく、かわいらしいサイズがこの石山切にとてもよくマッチしていると思った。花はムシカリだったか?
その上、大好きな大好きな彫三島まで!
前田家伝来、仙叟箱。きれいなグレーで今窯からでてきたように艶々。内花印花。手にとらせてもらったが、手放しがたくなるほどうっとり。
ここの席、最高だったので、よけいに気になる梅澤記念館の正体、、、(^_^;
他に織田有楽箱の南蛮水指「不識」
茶入は中興名物・雲州蔵帳「志賀」、遠州の挽家箱の歌(見せはやな 志賀の唐崎、、、)、不昧の外箱
茶杓が一翁宗守 銘「筋」
最後の席へ行く前に腹ごしらえ。
東京吉兆さんの点心。
京都風のほかほか蒸し寿司がうれしかった。
さて、京都席の斑鳩庵
今年のご担当は善田昌運堂さんであった。
寄付で、葛の中に桜色の餡がはいった美しくて美味しい叶匠壽庵のお菓子をいただき、濃茶を一服。
こちらの席も古筆できた。高野切・古今集春、鴻池家伝来。料紙はきわめてシンプルながら、表具が素晴らしかった。中廻が萬暦縫取、すなわち刺繍である。まるで小袖をきりとったようだが、紋様が蜂の巣をねらう猿に、抵抗する蜂、、とかけっこう面白い。
はるのいろの いたるいたらぬ さとはあらし
さけるさかさる はなのみゆらむ
その下に、荒々しいいかにも伊賀!という花入にいれられたのが、めずらしいクマガイソウであるのも萌えた。
千家名物利休好みの釜、桜川の本歌もすばらしかった。
桜川と言えば(能の演目でもある。網で桜の花びらをすくうところが見所)透木のものが多いのでそうかと思っていたが、本歌は平べったい透木ではない釜なのね。網目紋様にかすかに桜花が散る。紹鷗の釜師とも言われる西村道仁作。
茶入が中興名物古瀬戸「釣舟」遠州箱
以前所持したのが八十島某のため「わたのはら 八十島かけてこぎいでぬと 人にはつげよ海士の釣舟」からきたとか。
茶碗は青井戸らしい青井戸「春霞」姫路酒井家伝来
茶杓は利休らしいすごい蟻腰、宗旦筒
いっぱいすごいものをみてしまったあとは、牛部屋でほうじ茶とあられをいただき、ほっと一息、クールダウン。
牛部屋は四畳半の真ん中に囲炉裏があって、まわりを土間が囲んでいるという、茶室というより囲炉裏をかこんで一杯やる、、というコンセプトだったのだろうな。しかし吉野から運んだという桜の苔むした大ぶりの一枝が飾られてあって見事であった。囲炉裏にかかっていた鯉の鐶付 の大釜、直径1mはあろうかという欅?の菓子盆もみどころであった。
、、なぜ牛部屋というのかは不明、、、
すべての席をまわり終わって、すっかり馴染みになった根津の庭園を散策、この写真はご一緒したY様より頂戴した。
桜はほとんどまだであるが、ここの庭園はむしろ楓の方が多いので、その薄紅の芽が美しい。
美術館の特別展は「ほとけをめぐる花の美術」
会にふさわしく、大師会の嚆矢となった弘法大師筆「崔子玉 座右銘」(人の短をいうなかれ 己の長を説くなかれ)(重文)、弘法大師像(重文)なども。
根津をあとにして、地下鉄表参道までの間、行きたいな〜と思いつつ、いつも満席で入れないヨックモックの本店のカフェ、BLUE BRICK LOUNGEにやっと入ることができた。
で、なんとなく春らしいイチゴのモンブラン、、、乙女のスイーツだわ。
ギャラリーオーナーさんの茶事〜大工棟梁と庭師さんとご一緒に - 2019.03.29 Fri
西の方、国宝の美しいお城がある町へ、ギャラリーのオーナーさんのお茶事にお招きいただく。

玄関に「在釜」のりっぱな額が。
本日ご連客のお若い大工の棟梁の作であった。
腰掛け待合いにはなんだかオリエンタルな煙草盆、もしかしたら水煙草かもしれないとご亭主。
ご亭主はアジアの布に造詣の深い方で、本も上梓されており、若い頃からアジアやアフリカ遍歴もあるそうで、ここからすでにご亭主ワールドのはじまり。
玄関脇の小さな流れがあるかとも見える露地は、これもご連客のお若い庭師さんの作。蹲居までの石の配置が変化に富んで、実際の長さより長く楽しんで露地を渡った。
普通の塵箸の倍くらいある長い箸は、青竹でこれも庭師さん。青竹が箸にも結界にも灰吹きにも使えるって、、、青竹がふんだんに使える環境がうらやましすぎる。
さらに躙り口にまたびっくり!
普通のサッシの掃き出し窓をうまいこと躙り口にしているのだが、その段差をきれいにカバーしているこれは、着脱可能、棟梁の作。
こんな感じでサッシの戸なのに出入りがとてもスムーズ。
ちなみに席入り中の方が棟梁。
以前から、大工さんなのに陶芸ができて、大工だから竹の花入れでも茶道具でもなんでも自分で作れるヒト、ということでお名前だけは存知あげていた。実際にお目にかかれて、ご縁をいただいたのはとてもうれしい。
お手製の懐石を美味しくいただく。ギャラリーをされているだけあって、懐石道具も新旧とりまぜてとてもセンスがすてき。
ちなみに炉縁も棟梁作、しかもその古材が本日の半東・水屋をされている方のお家の門だったそうで、これもびっくり。
焼物や強肴、八寸につく箸は庭師さんの作、しかも青竹、煤竹、胡麻竹、、、と種類を変えているのがなんともうらやましい。
酒器は作家物の吹きガラス、八寸の島らっきょう(沖縄産)!
私は某沖縄パブの、おつまみの島らっきょうを全部食べ尽くしたツワモノ(?)なので、どれだけこれが好きかおわかりいただけるだろうか。
かわいらしいお雛様の主菓子をいただいて中立
後座の花入は、下をななめにスパッと切った青竹、花は椿にトサミズキ。
釜が天明甑口八景釜で、蓋が大きいので、釜のふちと蓋置の二点支持で。これは木村宗慎さんの初釜でも見た扱いだが、ちょっとかっこいいな。
茶入の仕覆がインドネシアのバティック(ろうけつ染め)であるあたりがご亭主らしい。実は私も先だって、ご亭主のあつかわれているアジアの布、インドのシルクサリー地で着物と帯を誂えた。まとうのが楽しみなのだが、インドのものだけあって、袷でも涼しげ、今の季節はちょっと寒い、、、ということでまだ袖を通していない。
続き薄は途中から、久しぶりにお点前をした、という庭師さんにお茶をたててもらい、半東さんも席入りしてもらう。
まさんど窯の平金さんが、まだ楽々荘で南丹丼茶会をしていたころ(私がまだ楽々荘を知らない頃)に作った(井戸ではない)茶碗がでてきたり、そのころから棟梁やご亭主は彼といっしょにお茶の活動をされていたとは、世の中ほんまに狭い。
半東さんは、この春思い切って1年限りのモノづくりの学校へ入るため、転居されるというし、京都からごいっしょしたお茶友さんは、3日!もかけてウユニ塩湖へ行った話を聞かせてくれるし、話はつきない。
そして最後に、炉中の炭拝見を所望、釜をあけてもらう。胴炭はしっかり残って割ることはできなさそうだが、他の炭はきれいに燃えていた。この時の炉中の景色ってほんとに萌える。
懐石の時にぽこぽこよく沸いて、濃茶の時に少しおちついて最適の温度、続き薄でだんだん釜の煮えがおさまって行く、、、今回の茶事の炭は大成功でしたね。
ひむろしらゆき祭2019 - 2019.03.28 Thu

ふふふ、、、また奈良
今回は全国のごーらー(かき氷のかきごーらー、、、の意味らしい)が集結するという、ひむろしらゆき祭へ。
このイベントは5年前から始まって、最初は氷室神社の境内でおこなわれていたけれど、参加者、参加店がふえるにしたがって手狭になりとうとう東大寺東の浮雲遊園内、春日野国際フォーラム甍・別館にて開催されるようになった。
ずっと行きたかったのだが、人気ゆえ、なかなかチケット(日にち、時間、店指定)が思うように手にはいらず、、、。今回冬だし、競争率やや低いだろうと、なんとかゲットできたのだ。
こちらが氷室神社
奈良国立博物館のお向かいにある。かつてはほとんど参拝客もいなかったのだが、このしらゆき祭ですっかりにぎわう場所になった。
奈良時代、吉城川上流に氷神を祀り、氷室の氷を平城京に献上させていたのだが、平安遷都とともに廃止。後の860年清和天皇の時代、現在の地にうつされ、明治以降、冷凍氷業界の奉賛で維持されてきたという。
さて、春日野国際フォーラム甍別館
このクソ寒い中、かき氷を食うやつってそんなにいるはずが、、、、あった!
まあ、たくさんの人!
こんな感じ。
練乳とヨーグルト、瀬戸内のレモンマーマレードのせ。美味しかったが、さすがにこの寒い季節、ゆっくりスプーンをはこばないと頭がキーーーンとして痛かった。
デルベアさんのは割とオーソドックスな外観だったが、他にはインスタ映えのする、あるいはこれかき氷??というようなものまで、たくさんの種類あり。
全国から来たかき氷屋さんはそれぞれのスタイルで、つぎつぎかき氷を作る。
いずれも美味しそうであったが、さすがに二つは食べられんわ。
この日の朝には、かつて各地の氷室から平城京まで氷を献上したという故事にならい、72時間かけて作った純氷を天平衣裳の女官とともに氷室神社から会場まで運ぶ、純氷道中もあったという。
しかし、この寒い中、全国のごーらーの熱意にはびっくりするなあ、、、(自分は棚上げ)
謡曲「芦刈」から仕舞「笠之段」 - 2019.03.26 Tue
祗園祭の芦刈山のご神体をご存じだろうか。
「こわいじいさんがネギ持っとる」と言ったケシカランやつもいたっけ(^_^;
あれは、貧しさゆえ妻と別れた男が、生活のため難波津で芦をさびしく刈る姿なのだと理解していたが、実はこのおじいさん、なかなか洒脱な男であった。

今年もお能の社中の発表会で観世会館の舞台を踏むのだが、演目が「芦刈」の仕舞の見せ場である「笠之段」。
その後、別れた妻が貴人の乳母となって出世し、暮らしの苦労がなくなったので別れた夫を探しに難波津へ行くが、夫は芦を刈りながら、落魄の身を嘆きつつも芦刈の風雅さを古歌も引きつつ面白う舞ってみせて暮らしていた。
その舞が「笠之段」
「大宮の内までひびく 網引き(あびき)すと 網子(あご)整うる海人(あま)の呼び声」の古歌を引き、難波津の春の景色を謡い、梅の花笠、天津乙女の衣笠、難波女の袖笠、肱笠、、、、と笠を次々にかぶってみせる軽快な舞である。
この笠之段は修羅物ほど動きは激しくないのだが、それなりに足をひろげたり調子のよい曲なので、袴は是非履きたいと思っていたのでやっと念願叶い、佐々木能衣裳さんで、昨年やっと誂えた仕舞袴デビュー。YouTubeみながら袴の紐をむすんだが、若干アヤシイのでまじまじとは見ないでね、批判は受け付けません(^_^;
生地はグレーに細かいラメのラインがはいって遠方からみると無地に見えるもの。
う〜む、、、
やっぱり袴つけると二割増しくらいにみえるかしら。
ちょっと我ながらカッコイイと思ってしまった。(他人の批評はこの際気にしない、、、)
迎えに来た妻に現在の自分の姿を恥じて、姿をかくして「帰らへん」とダダをこねるのだが、結局は元の鞘におさまって夫婦仲良く都へ帰るというハッピーエンドの曲で、芦刈山のご神体のイメージとはだいぶん違うな。
「大宮の、、、」が最初有名な万葉集の歌とは知らず、古典の素養がなければわからない詞章もまだまだいっぱいあるのだろうなと思う。昔の人(上流階級だけど)はみな教養があったのね。
芦刈=悪しかり、芦と葦(あしとよし)=悪し良し、などの言葉遊びも面白い曲であった。
仕舞のできはまあまあ自分ではうまくいったと思うが、花粉症でのどをやられて声がうわずったところが所々、それがちょっと残念。あとでDVDの録画見て落ち込むかもしれないけど(^_^;
ここ半年、これにかかりきりだったので、これでお別れはさびしい。
年令的に先生は動きのゆっくりした、じわ〜系の仕舞を勧めてくれるが、この笠之段くらいのが調度よくて好きだわ。修羅物(平家物語を題材にした曲など)は若干体がついていかんけど。来年はなに舞おうかな〜♪
山荘流の茶事〜弥生 - 2019.03.24 Sun
山荘流の若き師範さんのお宅に茶事のお招きをうけた。
以前こちらにおじゃましたのはもう3年前になる。その時は茶道の流派の研究をされていたHさんのご紹介で、当時は山荘流についてほとんど知識がなかったので、自流と違うお点前にびっくりビックリの連続だった。しかし、それ以後ご交誼をたまわり、今ではすっかりなじみの流派になった。

山荘流の流祖は大正から昭和にかけて活躍した近代数寄者・高谷宗範で、宇治の木幡に広大な松殿山荘(しょうでんさんそう)を作り上げた。あんなにたくさんの茶室を持つ大きなお屋敷を他にしらない(季節の一般公開あり)。 儒教的礼儀・道徳としての茶道振興を求め国を発展させる、という「茶道経国」をとなえ、厳格きわまりない茶道をめざしたところから、当時、鈍翁や箒庵などの茶道を趣味・教養ととらえ草庵の佗茶を好む近代数寄者とはソリがあわなかったらしい。
宗範は最初遠州流を学んだそうで、山荘流の点前も遠州にかなり似ている。というか違いが指摘できるところまでは知識がないが(^_^;
以前来たときより立派な松のあるお庭はかなり整備されて苔の美しい露地になっていた。迎付に白い羽根を持って、敷居をふく所作は遠州にもあるのだろうか?
炭点前こそ流派の違いが顕著にでると私的には思っているので、いつも他流派の炭点前には興味津々である。茶室は三畳向切、四畳半の炭点前とはまた違うのだろうが、種炭を中央から除けてしまうところや胴炭を向こうに置くとか、練り香は塊をちぎっておくとか、いずれも斬新に思われた。
炉中拝見の所作も違うので、若干とまどう。
炭点前の羽根が烏で黒く美しい。これは私も作りたいとねらっているのだが、そこらへんの烏の落ちた羽根ではあかんよね(^_^;
懐石はお精進にしてくださって、これは茶懐石にふさわしい適量、かつ美味しかった。お母上のお手製と聞いたが、煮物椀の蓮根餅がもう、、、美味しくて+゚。*(*´∀`*)*。゚+
八寸はあるが千鳥はないそうだ。ちなみに千鳥があるのは千家系だけだとか。
香物の器がおそらく桃山の織部、かつては家に5客あったのが最後の一つになったとか。形といい色といい、正客をしていた師匠がおもわずお持ち帰りしそうになった(^_^;(冗談です)気持ちもわかる。
大好きな東寺餅を主菓子に中立。
後座の床はご亭主お手製の、青竹一重切花入れに赤白絞りの椿のつぼみ。
竹の花入れや茶杓を作るのは、お手のもののご亭主に、そういえば先だっての茶会のおりに青竹の花入を水屋見舞で頂戴し、その後の茶会で活躍してもらったものだわ。
濃茶の茶碗をしまうのに指をつっこんで洗う(これは遠州流、石州流でもある)のにはいつも衝撃をうける(^_^; 全体的に春らしい明るい道具立てでお茶も美味しく頂戴した。
ちなみに「宗範」と書かれた道具の中には、江戸中期の近江の人で遠州流の辻宗範のものが混じっているらしい。辻宗範も遠州ではなかなかの茶人なので、まあいいではないかと私などは思うが、流祖の道具を集められているご亭主にとってはいたしかゆし、というところか。
いつも思うのだが、ご亭主はお若い、しかし、何があっても驚かない、あわてない、トンチンカンな所作を客がしてもさわがない、悠揚迫らざるお茶人ぶりは、感嘆に値する。何年歳くっても直情径行な自分にはマネできんなと思う。
たくさん勉強させていただいたお茶事、ご亭主に、御連客に感謝!
藪内家〜燕庵と三重露地 - 2019.03.21 Thu
私の茶友は、世間一般とちがって藪内率が異様に高い。(理由は不明、、、)それが理由という訳ではないが、藪内家にある茶室、燕庵には是非行ってみたいと思っていた。
燕庵保存会(他流派の人なら年会費5千円とお得です!)に入会すると燕庵および藪内の各茶室、露地が拝見できるのだが、昨年は仕事で行けず。よって今年は早くから休みをゲットしてスタンバイしておった。

西洞院正面の藪内家の表門
古田織部の堀川屋敷の門の移築と聞く。(初代藪内剣中は利休の媒酌で織部の妹を妻とした)
なんの掲示もなく、どこから入るのかもわからなくてちょっと最初とまどったが、右の小さい潜り戸から中へ。この戸は、鎖の重みで自動的に閉まるクラシックな扉で、ここからすでに萌える。
皮付きの柱にすごい木目の板張り、これもすごいな。
中へはいって、まず待合の学市軒は六畳、床なし。藪内の茶室には案外六畳が多いと思うのだが、どうだろう。裏千家では六畳は大炉のときくらいだしなあ。こちらは普段の稽古場だそうだ。
ここを出て広間の緝凞堂へ行く道すがら、縁側から眺める露地(燕庵からいうと外露地)のまた美しいこと。みなさんといっしょにしばしみとれる。朝方降った雨で苔の緑がすばらしく美しい。びっしりと地面を覆った苔(おそらく這苔がメインか?)のお手入れがきっちり行き届いている(うちは苔でいろいろ苦労しているからわかるのよ)。
燕庵の内露地へ通じる道にはちょっと変わった竹の垣根があった。丸い棒?に細い竹をぐるっと貼り付けて一本の棒にして、それを無双に並べている。松明垣という藪内独特の垣根なんだそうだ。
薄茶席の広間・緝凞堂は十一畳半という造り。
藪内家は蛤御門の変で一度丸焼けになっているのだが、庇護をうけていた西本願寺の援助ですばやく復興したという。この広間も西本願寺からの移築なので、竹の襖絵などは重要文化財、さわるとヤバイ。
まず目に付くのが、なぜ床柱に釘隠しがはりついているのか???一見非常に奇妙だが、実は丸太の長押がぐるっと床柱までまわっているのだった。
床に御当代(竹中)の軸、格式の高いという栖楼棚(だったか?)を使った藪内のお点前、もうすっかりお馴染み。瀬戸唐津の御茶碗でいただいたが、これがまた超好みで。梅花皮の見事さ、釉薬をこすってついた陶工の指の後、貫入、手どり、どれも最高レベル。(あと軽い手取りの茂三とか、仁清の呉器写しとか)
一服いただいたあとはいよいよ燕庵をめざす露地へ。
話に聞く、織部によって作られた三重露地(外・中・内)である。(茶道検定で勉強だけはした)
外露地〜中露地へ
中門は屋根付きの門で梅見門
そして織部の考案した割腰掛待合(貴人席と相伴席に分かれている)、ここで藪内の人もめったに見られないという砂雪隠もみせていただいた。きれいな白砂で覆われた雪隠である。(貴人用)
中露地〜内露地へ
中門は猿戸、有名な「利休戸下石」という二段になった亭主迎え付けの石。貴人を迎えるときは段の下からそれ以外は上の段で迎え付けしたといわれるが、目立つほどの段差ではない。
この先に、これも有名な織部の延段。14尺(4m余)の長い切石。
蹲居は「文覚の手水鉢」、文覚上人の五輪塔の水輪を使ったものといわれ、向かいに織部灯籠。織部灯籠の定義は竿が直接地面に埋まっていることだそうで、阪神淡路大震災の時、他の灯籠がたおれても、これだけはびくともしなかったらしい。
すっかり苔むした織部井戸は阪急が地下を掘った時に水脈が途絶えて涸れているそうだ。
露地は香雪美術館の玄庵のよりも、コンパクトで凝縮されて美しいのはさすがだ。いままで茶道検定テキストで想像するしかなかった燕庵の三重露地の実物が目の前に、、、いやはや感激。
燕庵
中でおなじみの(^_^;藪内の某先生が待っておられて、軸も釜も掛けて、花もいれて、細川三斎の茶杓まで。家元しか点前してはいけない燕庵である。中へ入って、あ、玄庵(神戸・香雪美術館)そっくり!と思ったが、、、こっちの方が本歌だった(^_^;
これはもう有名すぎて、詳しく書くまでもないので省略。
ちなみに織部が剣中に贈った燕庵はやはり蛤御門で焼失、現在のものは摂津有馬にあった写しを移築した物。藪内では相伝を受けた者に限り、燕庵を絶対忠実に写すことが許される。万一現在のが焼失でもしたら、次は玄庵を移築、、ですかね?(^_^;
雲脚
紹鷗の兄弟弟子であった利休から相伝の祝に送られたという茶室。これがまた利休?と思うほどおしゃれな茶室で、二畳台目向切、点前座の向こうに三角の鱗板、ここの斜めの壁が客側にむいて、軸を掛ける床になっているのだ。点前座の上に落掛けもあり、瓢箪型の「雲脚」と利休が書いた板額もかかる。
かつて西洞院通りに市電を通すとき、地面をかさ上げしたために貴人口が高くなり、ここからの席入りが不可能になった、というのも当時の時代を感じさせる。
他にも明治まで稽古に使われていたという西洞院通りに面した六畳船底天井の談古堂(雲脚と襖をへだてて隣接、いざというときの相伴席にもなる)、ベンガラ色の壁がつやっぽい平三畳向切の須彌蔵(中興の祖・竹心作)なども拝見して、最後に亡指という茶室で瓢樹さんの点心をいただく。そういえば、瓢樹さんとこにも六畳の藪内好みの茶室があったわ。
自分の流派の今日庵すら見たことないのに、他流派の代表的茶室をおしげもなく見せて下さるのはほんとうにありがたく、うれしい体験であった。これは来年も会費を納めて休みを早めにとらねばなるまい。
修二会2019〜達陀帽いただかせ〜明けて大和の春 - 2019.03.18 Mon
明け方まで続いたであろう満行結願行事を尻目に昨夜は帰ってからとっとと眠ってしまったが、明けて15日の朝である。

朝の奈良公園、、、鹿が1匹、、、、と思ったら、、、
浮雲遊園はえらい鹿のたまり場になっていた。
さわやかな早春の朝、二月堂への道を行く。
昨夜の一大ページェントがウソのように静まりかえる朝の二月堂。
明けた15日は昨夜の達陀の行で練行衆が被った達陀帽いただかせが南側でおこなわれる。(10時〜)
まだ少し早いようなので、お堂周辺をぶらぶら
外陣に火の粉やゴミを掃き入れる穴があいているのだが、そこにセットしてあったとおぼしき容器が茶所の近くにおいてある。中の白いのは、昨夜八天(達陀の行)の一人、芥子がまいたハゼである。(餅米のはぜたもの)
昨日拾うことができなかったお松明の燃えさしは茶所の前の箱に入っているので、これを持ち帰ることにした。焦げた杉のこの香りが大好き。(昼過ぎにはもうなくなっているよ)
関西では「お水取りが終わるまでは春は来ない」と古来いわれているが、たしかに二月堂から眺める空も春の色をいちだんと濃くしたようだ。
お堂の中は夕べまでがウソのように荘厳も普段のものに変わっていて、跡形もない。内陣の前には大きな涅槃図がかけられて、入り口すら見えないのだ。
昨夜のあの達陀は夢だったんかな〜。
欄干の隅はお松明をがしがしあてるところなので、こんなことになっているのを見るのも懐かしい気がする。
12日の深夜、お水取りが行われた閼伽井屋と興成社(練行衆が修二会前後にお参りする三社の一つ)を見下ろす。
三社のもうひとつ飯道神社は二月堂のすぐ真上にある(残り一つは遠敷神社)。
ここで神供所にまだ新しい神供を見つけた。
破壇後、夜中の3時ごろに咒師が処世界(一番若手の練行衆)をつれてここに参り、神供作法を行ったあとだ。幣を立て、神供(大豆、大麦、小麦、胡麻、、などなど)をそなえ、お粥を供える。修二会を無事最後まで守ってくれた御礼と報告、、、くらいの意味であろうか。
ふたたび南側の広場へ。
長閑だ。そろそろ達陀帽の準備ができたようだ。
おお〜!
白日の元で見るのは初めて。
燈火のもとで見ると妖しげな輝きなのだが、こうして見るとキラキラ。
昨夜練行衆たちが被っていた帽子だ。(全部で6つ)
これは本来子供にかぶせて、その無病息災を願うものだが、いつのころからの習慣なのか不明。
最近は大人も外国人もかぶるのOKなので、スミマセン、私も被ってきた。かぶせながら耳元で「観音力のご加護煮て無病息災、、」云々を唱えてもらうのである。
でもやはり子供がかぶる方が絵になるね。
中にはいやがって泣き叫んでいる子がいるのもご愛敬。
達陀帽いただきからはなれて鵜の瀬の鵜をいただく閼伽井屋へ。そういえば昨年は若狭まで行ってお水送りを見に、鵜の瀬までいったなあ。懐かしい。
遠敷明神のお使い、白と黒の鵜とともに湧き出でた閼伽井の水、今年のお水取りもとうとうおわりだ。
小観音厨子用の水桶
今年は小観音さんの厨子も拝見できたし。
修二会の期間中、何本もここでスタンバイしていたお松明の竹ももうない。
達陀帽をいただいて、裏参道を帰る親子連れもたくさん。
大和も天下も春だ!
修二会2019〜14日満行 尻つけ松明・走り・香水・達陀 - 2019.03.17 Sun
お水取りに行き始めのころ、もう20年以上も前になるが、一度で良いから達陀の行を見てみたいなあ、、でも真夜中の行だし、夢のまた夢、と思っていた。それが年を追う毎に、南の局でちょろっと垣間見たり、正面の西の局の一番後ろから見たり、そしてとうとう、真正面かぶりつきで達陀を見ることができた今年。生半な迫力ではなかったよ。
一週間前は中日で小観音出御をおこもりでみた、二月堂、いよいよ最後の満行の日を迎える。
この日も早くに、16時半に着いてみると西の局(真正面の局)はまだまだがらがらであったので、ど真ん中かぶりつきの席をゲット。
なぜそんなにお堂の中が余裕かというと、この日は最後の練行衆初夜上堂は尻つけ松明という大きな見所があるので、みなさん、下の席を確保されるのね。
いつもはお一人お一人ゆっくり上堂されるので、お松明は一本また一本とゆっくりあがってくるのだが、この日はどんどん間をつめて上がってくる。だからあたかも先を行く練行衆のお尻に火が付くようだ、というので尻つけ松明とよばれる。おまけに二月堂欄干に10本のお松明が並ぶ様はまさに壮観、一大スペクタクル!
良弁杉の向こうに暮れてゆく西の空。
(あ、、、花粉が、、、ヘックション!)
いつもは静かな茶所も最後の数日はおうどんやお寿司などの軽食食堂に早変わりする。
二月堂うどんに若干心ひかれつつ、お稲荷さんをお腹に仕込む。
これから約8時間、お堂に籠もるので腹ごしらえはしておかないと。
尻つけ松明(この日だけ18時半〜と早め)の日は二階の欄干への居残りはできないので、下で見るか、お堂にお松明が終わるまで閉じ込められるか(トイレもダメ)なのだ。
17時にお堂の扉は閉められ、中に残っているのは10数人、意外と少人数。人手が外にとられるので、中は意外と自由空間だった。ちょっとねそべったり、おしゃべりしたり、屈伸運動をしたり、、、だれも文句は言わない。
その代わり尻つけ松明はこんなふうに隙間からちらっと見えるだけ。でもあの煙と杉の焼ける香りにはしっかりつつまれてお松明満喫気分。
今回も三度の案内、練行衆の「うけたまわってそうろう〜」をしっかり見て聞く。
↓この場面
ついでに、ちょっとさびしいので、2年前の画像を置いておく。↓
10本上堂の壮観お松明。
これも2年前撮った動画。
真正面なので、練行衆がそれぞれお堂にはいって差懸にはきかえ、あの独特のリズムの音を刻んで内陣入りするのをはじめて目の前で見た。
それから数時間、目の前の戸帳に大きく小さく映り、また飛び去る影を見たり、神名帳の神様の名前を聞き取ろうとしたり、少し意識を失ったり(^_^;、、、
(練行衆の休憩の時にお手洗いは行けますよ)
22時過ぎ、咒師と3人が四方加持を戸帳の片隅で。咒師はお声のよい上司師。そのあと走りの行に先だって、戸帳の巻き上げ。これがまた見物なのだ。堂童子が、我々が見ている局の前の格子ぎりぎりまで戸帳を持って巻き上げる。尻尾の方は隅に控えた加供が巻き上げ。きりきりと巻き上げられると兜率天を写したという内陣の様子がはっきりみてとれる。
かさなった壇供、糊こぼしや南天の荘厳、燈火、、、
走りが始まる。最初諸役以外の8人で、内陣の須弥壇のまわりをぐるぐる、順番に五体投地後着座、最後の一人がかなりのスピードで飛び去るように走る。あれはかなりしんどそうだ。もう五体投地をして着座して良いよ、という合図は咒師の「シッチヘン」という謎の言葉なのだが、今回それもはっきり、聞き取れた。
走りの後は香水たまわり、一番に手をだしてお香水をいただいた。(今回はたっぷり!)先週のはまだお水取り(閼伽井屋)前だったが、今回はその後、あたらしい香水だっただろうか。
差懸の音をそろえて足踏みしながら謡うように唱えられる「散華」の声明はほんまに萌える。
24時前、再び戸帳が巻き上げられいよいよ達陀の行である。
はじめてこれを見た時は、これ何?何これ?と美しさと妖しさに感動しつつも不思議でしょうがなかったが、いまもってこの行の意味は謎のままなのだそうだ。(なにしろ実忠和尚が兜率天でみてきた行法らしいから、人間の身ではわからんのね)
ぶぉ〜ぶぉっ!ぶぉ〜ぶぉっ!、、という原始のリズムを刻む法螺貝の音
火天が火を、水天が水を、芥子がハゼ(餅米をはぜさせた物)を、こちらめがけて、ユーモラスとも見える所作で放り投げる、あと楊枝とか、鈴はほられたとき、ゴトンって音がした。
そしてキラキラ蝋燭の火に光る達陀帽をかぶった火天と水天の達陀松明と水のせめぎ合い
これも練行衆の仕事なのだと思うと尊い。
音、光、匂い、振動、、、この一大ページェントの仕上げは達陀松明をこちらに向けてダ〜ンと放り投げる。こちらまで飛び散る火の粉。火事にならんかとヒヤヒヤするが、これを箒でけしてゆく加供の職人技、これも見所。
この達陀を正面最前列で見るという望みを叶えるまで何年かかったのか、ありがたいことにそれも叶った。
この後明け方4時頃まで続く結願の行事にそなえて、練行衆はいったん下堂する。
下堂はまとまって、早い早い!
このあと再び上堂して修二会の間、お堂にもちこんだ自分道具や荷物を片付け、壇供も荘厳も片付け、通常の荘厳とする、、、以後も行事が続くがさすがにここまでで体力の限界、これで二月堂においとまを。それ以後の満行下堂などはまた次回への課題となった。(何年来ていても、これで全て見たということがない。多分残りの人生でも無理ね。)
雛の茶事〜二組の新婚さんをお迎えして - 2019.03.15 Fri
うちはお雛様は旧暦なんで、まだだしてますよ。
そんな桃の季節、二組のほぼ新婚のご夫婦を茶事にお招きした。

一組様は一昨年、結婚式にまで参列させていただいた。
いずれも新婚さんだが、人生経験もお茶の経験も深い方々ばかりで、一体どんなディープなお茶になるんだろうとドキドキ。
こちらもカップルのお雛様もご相伴。
私の初節句の時のだから、年代だけはしっかりついてるよ(^_^;
この下げもんは昔作った自作である。(よくこんなん作る時間あったなと自分でも感心するわ)
いままで自宅茶事で、席入りの時が雨だったことがないので、この日は初の雨の席入りになった。笠がない、タライもない(わかる人にはわかる、、)、腰掛け待合いは露地を使えないので、せめて風情だけでも味わってもらおうと、縁側に座布団。
我が家には広間の茶室もあるのだが(現在物置と化している)広間用の躙り口だと、雨に濡れるのを極力抑えられるので、こちらから席入りしていただく。
せっかくなので、相合い傘で!
(和傘でもあればいいのだが、ビニール傘でゴメン)
二組といっても、みなさんほぼ顔見知りなので、話ははずむ。流派がいっしょなのはご婦人方だけなので、炭手前の流派による違いなども楽しい話題となる。茶道の諸流派を研究されて本まで上梓された方もおられるので、そのあたりかなり深い(マニアックな?)話も。
懐石はこの季節の我が家の定番、ちらし寿司で。
この日はお酒を飲まれる方も多くて、たっぷり飲んでいただけてうれしい。
八寸の時にはまたまたお謡も。私もこれから発表会でやる曲を謡おうと思ったけど途中で歌詞わからなくなっちゃった〜(^_^;
主菓子は青洋さんにお願いした。
水色とピンク色の袖が重なったようで、カップルっぽいでしょ。「雛小袖」と命名させてもらった。中の白餡が苺風味で美味しかった。
前回の茶事の時に使おうと思っていたのに、もたなかった裏庭の寒アヤメ、今回新しく出た蕾にもってくれ〜とお願いしていたら、なんとか間に合った。大鼓の鼓胴がちょっと地味なので、お雛様っぽく五色の紐を結ぶ。じつはこれ、先日行った寿長生の郷でみたアイデアを拝借。
後座も茶碗談義に花が咲く。お道具をしっかりじっくり拝見してくださるのがうれしいような、こわいような今日のお客様。
正午の茶事なので久々に後炭手前も。釣り釜なので、炭手前は見所であるのだが、いろいろ間違えて、しかもハイライトの管炭割管枝炭全部つかむ、、、というのができなかった、、、( ノД`)残念。
薄茶の干菓子器は、これもお雛様道具みたいな蒔絵の箪笥で。
薄茶は茶碗を変えながら、二服も三服も飲んでいただいて、これもうれしい。大好きな高麗と古唐津シリーズを使ったので、好きな道具についてはたくさん語りたく、熱心に聞いて下さる博識さもまたうれしい。
お招き返しの約束もしっかりとりつけて、お開きとなった。
茶杓には、二本組の銘「相老」(金森宗和写し)、一本は濃茶に、一本は薄茶に使った。
末永く相老うるまで、どうぞ添い遂げてお幸せに、の気持ちをこめて。こちらはしあわせのお裾分けをいただいた。
菓子屋ここのつ「春待茶寮」〜ならまち - 2019.03.13 Wed
いつのころからか定かではないのだが、インスタに菓子屋ここのつさんの、心惹かれる和菓子の写真が流れてくるようになった。東京浅草で完全予約制の和菓子のフルコースをされている和菓子屋さん。どういういきさつでフォローするようになったのか記憶にないのだが、決して派手ではないのに、美しくて、どんな食感かためしたいようで、、、いつかこちらのお菓子を食べてみたいなあと思っていたのだ。しかし、東京だし、まあ無理やなとあきらめていたのだが、奈良へ出張されると聞いて、しかもお水取りをみた次の日の朝、これは行かねばなるまい。

昨夜の二月堂でいぶされた煙のにおいをしみつけて朝のならまちを歩く。
こちらが会場の鹿の舟さん。
ここはもと大きなお屋敷の町家で、数年前までならまち町家として一般公開していたのだが、いつの間にか、奈良ではかの有名な、くるみの木のオーナー石村さんが購入されたようだ。ならまちのインフォメーションセンター+カフェやらイベント会場やら、、になっていた。
一席6人で、二階の書院造りの座敷へ。
奈良だから、奈良晒しの蚊帳の生地でカーテンのように仕切られた椅子席が今回の室礼。
ここのつさんは、まだ20代の若いお嬢さんだが、おちついていらして、その感性はすばらしい。
先だってはぎゃるり百草でも茶会をされたそうで、その筋の(どの筋?(^_^;)おとなを十分うならせるものがある。
写真はNGなので鹿の舟の写真とともに振り返ってみるが、是非彼女のインスタの写真をみてほしい。
さて、お菓子とお茶のフルコースのはじまり。
まずは静岡の海近くで栽培されているお茶を。
海が近いせいかあとくちに塩のかおりが残って、桜餅みたいな味わいなので「桜香茶」と名付けた煎茶。丁寧に3煎まで煎れていただく。
最初のお菓子はカカオの州浜
これはビックリのコンビネーションだが、州浜粉にカカオマスを練り込んで、丸めたもの。
色も形も華やかさはないが、このコンビ、とても美味しいのね。(ちょっと自分でもつくれないかと野望をいだく)
続いてカルダモン桜餅
平たいお皿にシロップ、その真ん中に浮いているのが桜餅、上に桜色のフレーク(なんだったか失念)桜餅の概念をこわす桜餅、カルダモンの風味が新鮮なうえにさらにチョコレートまで仕込んであってその複雑な味の重奏感に驚く。シロップの中には入手しにくい白小豆もういていた。(普通の白餡は手芒豆)
その後には、中国茶?と思うほど香り高いほうじ茶を。
(工芸青花なんかがおいてある、その筋の(^_^;本が多い図書スペース)
次のコースは白餡に蜂蜜、バターを練り込んだ、という目からウロコの逸品。中に焼苺がはいっていて、さわやか。これも自分で一度ためしてみたい。
どのお皿も茶器もここのつさんのこだわりで、シンプルで美しいのも見所。
これにあわせるお茶は日本製の紅茶。
ふつう紅茶は一煎しかださないが、このしっかりした紅茶は三煎いれてもまだ茶葉が開ききらないくらいで、三煎目くらいが一番美味しかった。
コースの終盤、玄米海海苔餅+韓国出汁
これはさらさらとお茶漬け感覚でかきこむ。お菓子なのか、ご飯なのか微妙なところをついてくる。
最後のデザートは、、、まあ!なんて美しい!
キラキラの薄い紅色の寒天の底に沈んでいる白い土幌いんげん。
清流の底の小石みたい。寒天の色はシナモン水の色なんだそうだ。土幌いんげんは少し堅めに炊いて、そのしゃきしゃきした食感がたのしめるようにしてある。シナモンのほのかな香りを楽しみつつ最後にハーブティー(レモングラス、ローズマリーその他)をいただく。
確かに五感が喜ぶお菓子、といわれて納得である。
いやあ、ここのつさん、すごいなあ。関西へも時々出張してはるようなので、また機会があれば是非茶席に行きたい。
修二会2019〜7日 二月堂内からのお松明・小観音出御と後入・走り・香水たまわり・ - 2019.03.11 Mon
東大寺修二会中日の7日、奈良へ。

この季節いつもはまだ少し早い片岡梅林(奈良公園内)の梅が、すっかり見頃になっている。
山焼の跡の残る若草山、浮雲遊園をつっきって二月堂へ(かなりショートカットになる)いつものコース。
17時前に二月堂に到着。今年はお松明を二月堂の中から眺めようと、早めに。(17時以降は上堂できなくなる)19時のお松明まで、篭城する作戦である。
7日は、上七日のご本尊となる大観音にかわって、下七日の本尊となる小観音が普段安置されている須弥壇の裏正面から、お出ましになる小観音出御があるので、他の日にはまだ上堂していない練行衆も先にはいって小観音お迎えの準備にいそがしいようだ。差懸の音がかしましい。
(小観音は実忠和尚が難波津に生仏として勧請されたといわれる絶対秘仏である。江戸時代の火災の時以外にだれも見たことがないという)
初めて見るお松明前の二月堂前の上からの風景。今日もぎっしり、たくさんの参拝客だ。
18時すぎ、雅楽の演奏と共に宵御輿松明(杉のへぎみたいな、、)に先導され、4人の練行衆にかつがれた御輿が戸帳の向こうからしずしずと出御。お堂の外陣の北西角(お堂は西向きなので、西の局のむかって左)に安置され、深夜の後入(須弥壇正面へ移動)を待つ。
19時前、練行衆上堂を導く松明の前に、チョロ松明を持った加供(かく)が三度の案内(あない)をするのだが、この日は最初の時香の案内はすでに小観音のためにすんでいるので、用事の案内、出仕の案内のみ。
いずれもいままでかすかに聞こえるか?くらいの声だったが、お堂の中にいるのではっきり聞くことができた。
「出仕のあな〜い!」
「うけたまわってそうろう!」(処世界・練行衆の役の一)
いよいよはじめて同じ高さから見るお松明である。
ううっ!
早すぎてシャッターが遅れる!
あ、ちょっとだけ。
火の粉もすごければ、煙も尋常でなく、お堂の周辺はけむりで燻されている状態。
やっととらえたお松明。
ちなみに普段は、上堂して戸帳の中にはいるのに差懸の音をターンタタタ!とひびかせるのだが、7日は小観音に遠慮して音をたてない。
いつも下から見上げてわ〜わ〜言っていたが、60kgの松明を担いでいる堂童子はほんま大変そう。体力の限りを尽くしている感じだ。
それから松明から飛び散った火の粉を払う人が職人技だった。あれだけの火で、焦げ一つのこさないのだから。(とはいえ1667年、修二会中おこった火災はあったが)
動画も置いておく。
さて、この火の粉をあびて(煙でもいぶされて)今年も無病息災、あとは小観音後入、走り、香水をねらって、長い長いお籠もりをする。(結局約8時間、籠もっていたので、膝が足が、、死にかけました(^_^;)
お松明の後、参拝客のほとんどが帰った後の二月堂の表はこんな感じ。早くに行っていたため、西の局(正面)一番前のポジションをゲット。
最上級の防寒対策をしていったが、今年はまだ暖かいほうかもしれない。とはいえ、夜も更け、じっとしているとしんしん冷えてくる。
初夜の勤行は神名帳。早口すぎて決して聞き取れない13700余の津々浦々の神々の名前。○○大明神、△△大明神〜と大明神だけはききとれるのだが。
何度も聞いた有名な南無観コーラス、堂内を差懸の音を響かせてぐるぐる回りながら唱える散華、これとてもリズミカルで好きな声明なのだ。
普現一切大神力 光明熾盛 、、、、
種々の声明が時に静かに時に激しく、堂内にただよう。今年はあのお声のよい上司師も咒師として入堂されていて、聞き分けられるのもうれしい。
(トイレ休憩、、、二月堂瓜灯籠)
23時すぎ、走りの行法
練行衆が須弥壇の周りをぐるぐる回り始めると、堂童子によって、戸帳がきりきりと極限まで巻き上げられ、内陣の壇供(つみあげられた餅)、糊こぼしや南天の荘厳、走り去るような練行衆の姿がはっきり見える。
最初は差懸の音を響かせているが、ふっとその音が消える。差懸を脱いで足袋裸足でだんだんスピードを上げる。
実忠和尚が兜率天の菩薩の行法を人間界に持ち帰りたいと願い、兜率天での一日は人間界の400年にあたることから、少しでも近づこうと走る、というのが走りの行法の意味。
その内陣から一人、一人と外陣に飛び出して五体投地して着座、やがて走る練行衆は二人に、やがて一人になり、最後に五体投地して、あっというまに戸帳は巻きもどされ、須弥壇はまたベールの向こうになる。
走りの後は香水(お水取りで汲みあげられた昨年までの香水)賜り。
「礼堂に香水参らせ〜」
の合図で、さっと格子の間から手を差し出すと、外の局の参拝客にも一人一人香水杓から香水をいただけるのだ。ことしも数滴、ぺろっと。
深夜1時前、小観音後入。
一時外陣の北西に安置されていた小観音の厨子が、暁御輿松明に先導され、裏正面〜南へ回って須弥壇正面に安置される。これはあまりはっきり見えなかったが(眠かったし、、、(^_^;)松明やら灯明やらが明々としてなんとも華やか、火の行法といわれる意味がよくわかる。
勤行はさらに続くが、この日の下堂は2時頃になるというので、1時過ぎにドロップアウト、下堂時の「手水、手水〜」は聞けず。
回廊階段の下にはこれからの出番を待つお松明がならぶ。
振り返ってみた二月堂。勤行はまだまだ続いている。
表参道から深夜の道を奈良公園の宿まで帰る。うまいこと雨はさけられたが、しっとり濡れた石畳の道が美しかった。
つかのまの異世界トリップであった、、、、そして、おまけであるが私の花粉症はかなり重症化した。(なにしろ周りは杉林、、、敵陣まっただなかであったからなあ)
萬々堂 「糊こぼし」
一客一亭の茶事〜客 - 2019.03.09 Sat
先月、はじめて一客一亭の茶事の亭主をして師匠をお招きしたが、お返しに本日は一客一亭の客としてお招きいただく。

西のかたへ。
春本番の陽気といってよいこの日は、空も真っ青、茶事日和である。
お雛様が飾られた待合はいつも広間の茶事・茶会をする茶室であるが、この日は待合に。ちょっとめずらしい焼物の煙管などためつすがめつ拝見するうちに案内をうける。
腰掛け待合いはこの縁側である。円座一つがうれしいのである。
陽の光も植木の影も、もはや春ただなか、ぽかぽかあたたかくて、、このままここで昼寝なんかしたら最高にシアワセかも、、と夢想する。
縁側沿いに置かれた大きな鉢を手水に、並びの四畳半に席入り。いつもより軽やかでシンプルな席入り。
四畳半には釣り釜、小さな床に春の歌の古筆。師匠はこのところ一行物より古筆にこっているらしい。
珍しい唐金の釜は炭手前のあと、蓋をわざときらずに。
それにしてもあの朱鷺の羽根の色は淡くて美しかったな。裏側がとくに。
懐石は師匠のお手作りで。これは初めてではなかろうか。煮物椀の出汁巻き卵がえらく上手にできていて、舌を巻く。杉の香りもすがすがしい曲げわっぱの飯器に、寿司酢、トッピング(錦糸卵とか)をお持ち出しの上、席中でちらし寿司を作ってくださる。これ、一客一亭ならではの懐石の醍醐味よね。
席中お相伴いただき、さしつさされつさされつさされつ、、(^_^;
先日の大阪美術アートフェアにでていた、一ケタ値段が違う道具の話に盛り上がり、道具を買う時あるべき姿勢など、貴重なお話しをうかがった。う〜ん、まだまだ初心者の私、いろいろ失敗しているからな〜。
ちなみにこの向付、先日お招きしたときの薄茶器(ルーシーリーのボタンの蓋)を作ってくれた、陶芸家のAK君の作品であった。
給仕盆が練行衆の日の丸盆の縮小版であったのも季節柄心憎い。
今回は主菓子もお手製、練り切り(こなし?)の桃「三千歳」、やるなあ。ちょっと負けてられない、私もお菓子作りを、、、あれ?お菓子は作らないつもりだったのになあ。いつの間にかのせられている茶の道はコワイ。
後座の濃茶は旅箪笥によく似ている淡々斎好み八千代棚で。
釣り釜、お雛様にマッチしたかわいらしくて雅な感じがいい。
唐金の釜の蓋が切っていないので、湯気がまったくでないのを、内心沸いているのかしら?と心配していたのだが、蓋をあけると見事な湯気がたちのぼって、うわ〜とちょっと感動。これをねらった?
茶入がルーシーリーのぐい飲みであったり、仕覆が印度更紗だったり、これは先だってお招きしたときの道具に呼応しているので、お見事な返礼をいただいたようでうれしい。
そのまま続き薄、かと思いきや、「席を改めて」とのこと。席中で待っていると、、、、
準備のととのったご挨拶で縁側にでたら、、、かの極楽の如きぽかぽかの縁側にガラスの湯沸かしとポットが。こちらで先ほどの日の丸盆で盆点薄茶を。
奥様手作りの桜干琥珀を干菓子に、この陽気とお庭をご馳走に、たった一人で満喫、ほんに極楽極楽、幸せなひとときであった。
一客一亭はこんなふうにかろかろとシンプルにやるところがいい。
自分が一客一亭の亭主をして思ったことだが、一般的に普通の茶事は時間が長すぎ、特に懐石が昨今重すぎることが多くて、茶を飲みに来たのか飯を食べに来たのかわからなくなるときもある。利休の頃の一汁三菜もしくは二菜でお互いによしとする意思疎通が客との間にあって、時間も短めとなると、もっと気軽に茶事ができるのに、と師匠と合意。
(最後はまたまた茶の湯や道具のはなしで盛り上がって、バスに乗り遅れるというオマケ付き(^_^;)
衣笠〜木島櫻谷旧邸 - 2019.03.07 Thu
かつて自然にあふれ田園が広がっていただろう衣笠村、大正から昭和にかけて、名だたる日本画家(堂本印象、山口華楊、村上華岳、小野竹喬などなど)がこのあたりに住んでアトリエを構えていたため、絵描き村とよばれた場所である。そのさきがけとなったのが日本画家・木島櫻谷。

彼の住居兼アトリエであった旧邸が櫻谷文庫として残され、国の有形登録文化財指定、期間限定で一般公開されている。ここには彼の作品やスケッチ、下絵をはじめ、一万点以上の彼のコレクション(絵画や書、漢学、典籍、儒学などの書籍)が収められている。
一年前、近くに来たので立ち寄ってみたら、土日しか公開していなくて、すごすごと帰らざるをえなかったので、本日はそのリベンジ。
とはいえ、木島櫻谷(このしまおうこく)を「きじまおうこく」と読んでいたくらいあまり画家としての彼を知っているわけではなかった。けれど、昨年ここに行きそびれた後、泉屋博古館で櫻谷展があって、彼の細密な、今にも動き出しそうな動物の絵にしびれたのである。
その時展示されていた「寒月」(京都市美術館蔵)という大作、雪の積もった竹林の中、空には寒月がかかる凍てつく夜にエサをさがしてか、1匹の狐、、、その狐の孤独感まで感じられて、しずかな感銘をうけた。当時それが彼の代表作であるとは知らなかったのだが。(ちなみに夏目漱石はこの絵をボロクソにけなしているが、、、(^_^;)
櫻谷は今尾景年に師事、めきめき頭角を現し、当時竹内栖鳳と人気を二分するほどの画家であったという。彼が亡くなったのが昭和13年、この家が突然空き家になって(住む人がいなくなって)60年というから、その死後も遺族や親戚や、よくわからない知人らが昭和30年頃まで住んでいたということになる。
だから和館のなかは、櫻谷の作品展というより、戦前の昭和の暮らし展みたいになっている。だれが所有していたのかわからない人形やら、おもちゃやら、古いミシンやら生活用品にいたるまで。中でも印象的だったのが、当時はやったという「夢二人形」、高島屋の箱つき。
季節柄、古いお雛様の展示もあり、雛道具の箪笥の引き出しの中から出てきた、当時のキャラメルの箱がなんだかいとおしい。ここにキャラメルを入れた子はどんな子でどんな人生をおくったのか、想像したくなる。
整理したときにでてきたものといえば、印象的なのがこのポスターにもある花嫁の打ち掛け。実は櫻谷が孫娘もも子の為に、白生地に金泥で梅の花を描いたものなのだが、ごく最近まで箪笥の中に眠っていて、60年の時を経て発見されたという。よく60年の間、黄ばみもせず、シミもなくでてきたものだ、と驚くほどきれいなまま。むしろ金泥がおちついて良い感じである。
残念ながら櫻谷は孫娘の婚礼をみることなく逝ったのだが、もも子さんがこれをまとった写真が展示されていた。しかも!そのもも子さんのさらに孫娘が、つい最近、たまたまこの衣裳発見の時に婚礼をあげられることになり、これをまとわれたとか。櫻谷も報われたと泉下でよろこんではるやろな。
この邸宅、和館・洋館・画室からなっていて、もとは広大な敷地であったと思われる。現在は、邸宅管理維持の資金のためもあり、土地のあちこちを施設などに貸し出しているので、つぎはぎ状態、畑とテニスコートの向こうに母屋が見えるというシュールな景色になっている。
このテニスコートのはしに畳80畳敷の画室があり、かつてここれで作画したり、弟子を指導していたそうだ。しかし、このデジャヴ感、、、そうか板敷だけれど橋本関雪の(白沙村荘の)存古楼と同じパターンだ。現在はここもアトリエとか絵画教室などに貸し出し中である。
櫻谷の作品は散逸した物も多く、残った何点かはここで見ることができる。終生煙草を愛し、煙草屋に刻み煙草の通い箱まであずけるくらいのヘビースモーカーだったらしい。最後はガウディと同じ亡くなり方をしたという櫻谷。衣笠はもう昔の面影はないけれど、彼を偲ぶよすがとして、一度おでかけください。(土日のみ!!要注意)
春の謡曲によせる茶事 - 2019.03.05 Tue

先日の一客一亭の茶事の時にまだほとんどつぼみだった我が家の梅、ゆっくり咲いて、そろそろ見頃。
桃の節句も近い弥生最初の茶事は、お能のお友達をお招きしました。といっても、いずれ様もお能だけでなく、お茶暦も長い方なので、ちょっと緊張。
というわけで、今回は春のお能の演目にちなむ道具立てで。
さあ、いくつあるでしょう。
夕ざりなので初座は花。
花入が、お能に欠かせない鼓胴。ずっと小鼓の胴だと思い込んでいましたが、お客様に大鼓(おおかわ)の胴ですね、と指摘されて、はじめて気づきました。さすが!
私はまだ能に関してほぼ初心者ですが、本日お客様はちょっとスジガネいりの方で(^_^;
先日重い五徳をあげて、今日から風炉の季節まで釣り釜で。
釣り釜も 湯気もゆらして 春の風
釣り釜は炭手前がハイライトですね。
紙釜敷きを謡本の紙でくるんでみました。
香合は「隅田川」 練香は「唐衣」
懐石メニューはマンネリ気味ですが、菜花とか、ちょっとだけ季節を盛り込んで。かなり手早くできるようになりましたかね。
八寸では「別杯お持ち出しを」と言われたときのために袖にしのばす別杯。飲む気満々の亭主です(^_^;
そして千鳥の時のご馳走、この時の為のお客様です。すかさずお謡を所望。
お謡のベテランのお詰めさまが、家の梅の花をみて、軒端の梅の「東北(とうぼく)」のキリを、お正客さまが祝言「四海波」で締めてくださいました。
以前お詰めさんにおさそいいただいた謡講で、宵には拍手はNG、「よ(良い)」と声をかけるのだと教えていただいたので、ここぞとばかり「よ」。
暮れていく茶室の中にしっとりと合います。
主菓子は「花小袖」
お能を愛する和菓子屋、甘楽「花子」さん製。
後座は燈下にて。
今回、炭がうまくいって、釜も小ぶりゆえ中立で炭をいじらなくてもよい釜鳴り、濃茶を練りました。
干菓子は吉野の吉田屋さんの葛和三盆「西行桜」
薄器は淡々斎好みの「桜川棗」
表はところどころ穴のある網模様、蓋裏に桜の花びら。子供が人買いに(自ら)連れ去られ、物狂いになった母が、水面に浮かぶ桜の花びらを網ですくおうとする場面ですね。よくできてる、この意匠。
でも「隅田川」と対照的に「桜川」はハッピーエンドなのが救いです。
締めの茶杓は堀内宗心宗匠の「竹生島」
さて、いくつ演目があったでしょう?
お茶をやっていて、道具の意匠や趣向に謡曲が深く関わっていることに気づき、もっと知りたくて仕舞を習うことになったのですが、あまりに深くていつまでたっても入り口をうろうろしている感があります。同じ思考ルートでお茶+能を嗜むことになった(逆もまたあり)お茶友さんは貴重です。今回そんな方々をお客様にお招きできて、趣向を考えるのがとても楽しく、うれしかったです。
寿長生(すない)の郷 - 2019.03.03 Sun
石山寺から車で20分ほど、寿長生の郷に到着。40年ほど前、当時できてまもないここの茶室でお点前をみながらお茶を飲みたい、と言う母をつれて来たのだ。
(この江戸末期の古民家、実は総合案内所)
当時の記憶は茶室しかないのだが、ずいぶん変わったなと思う。自分の見方や興味もかわったのだろうけれど。
寿長生の郷はご存じ、和菓子の叶匠壽庵の造営で、「農工一体」の思想をとりいれ、里山の風景をそのまま残した63000坪の広大な「郷」。
本社もあれば、菓子工場、茶席、レストラン、カフェ、イベントホールや売店などもすべてこの郷の中にあるのだ。
入ってすぐの広場には屋台が出て、こんなシュールな野外席。ああ、寒いときのためのドームなのね。この日は暑いくらいだったので、いらないくらいだったけれど。
醍醐味はこの広大な丘陵、林、池などを眺めながらの野原歩き。なにせ広いから、かなり時間をみておいたほうがよいよ。
林の中には炭焼き小屋もあって、ここで焼いた炭を、茶席や囲炉裏に使っているのだそうだ。いまや絶滅危惧の炭焼き、こういうころみも心強い。(茶人にとって炭が枯渇するのが現時点で一番コワイ)
林を出て視界が広がるとそこは1000本あるという梅林。
そう、ここの梅はお菓子に使われる原料の梅なので、きちんと手入れ施肥がなされている。
ちなみに風に翻っているのは梅花型の短冊。思い思いに願い事を書いてむすびつけるのだ。おりしもこの郷は梅まつり。
梅林に面した道には赤い毛氈のベンチが、なにやらシュールな雰囲気をかもしているが。
残念ながら、梅見にはちょっと早かった!
もう少ししたらもっと見事なけしきなのだろうなあ。
高台にのぼれば寿長生の郷の施設が一望できる。
そしてお菓子作りにかかせないのが梅だけでなく、柚子!こちらも整然と手入れされている。
右手の建物は陶房十○地(とわぢ)
陶芸体験など行われる施設らしい。長閑な風景。
郷歩きを楽しんだ後は寿長生の郷の施設へ。りっぱな長屋門だこと。
こちらにはお菓子売り場の他にレストラン山寿亭(要予約)、梅窓庵、囲炉裏茶房、茶室などもある。
あちこちに生けられた花がとてもすてきだった。
茶心ある人の手になるものか。
そういえば数年前、叶匠壽庵さんが東大寺華厳茶会の副席をもたれたことがあったが、道具もすばらしかったし、さすがにオリジナルの蓮のお菓子が絶品であったな。
この奥が茶室になる。茶席に申し込んで、順番をまつ。
茶室は広間で、多いときには観光バスも来るので40〜50人がぎゅうぎゅう詰めになることもあるらしいが、私はなんと一人という贅沢な席になった。
釣り釜で、お雛様趣向全開。
床が「あ!(柴田)是真!」
立ち雛なのだが、是真お得意の描き表装になっていて、その部分がモノトーンの雛道具づくし、というおしゃれさ。やっぱりこれは社長の趣味やな。
ホールも時節柄、古典雛のお飾りイベント。
ここの商品でもある、梅ジュースを無料でいただけるのがうれしい。美味しかった。(でも梅ジュースは毎年うちの梅で作るからいらないの)
青竹にクリスマスローズ
やっぱり花がすてきだ。
こちらは山野草、というか雑草に近い物まですてきに。
売店はこんな感じで多くの観光客(外国の人も多い)でにぎわう。私は京都の高○屋でいつでも買えるので(^_^;
広場にもどると野坐という人気の焼きたてパンを売るベーカリーとカフェがあるのだが、残念ながら満席、パンも食パン以外はあんパンしかのこっていなくて、これと屋台の梅うどんでお昼とする。うん、景色も陽気もよいので、最高!
石山寺で梅見 - 2019.03.01 Fri
今年の梅見はどこへ行こう。
京都の梅もやや行き尽くした感があって、今年は近江路へ。

西国十三番石山寺
20代の頃、両親を連れて行ったっきりなので、40年ぶりか〜w( ̄o ̄)w
時がたつのは早い。
琵琶湖の豊かな水をたたえる瀬田川のほとりなので、たどり着くまでの瀬田川沿いのドライブは楽しかった。
40年前のこととて、ほとんど記憶がないが、なんか巨石があったことと、紫式部の人形があったな〜くらいなのだが、ここは聖武天皇発願、東大寺の開基でもある良弁上人が開いたという、由緒ある古い歴史を持つ寺なのだ。
ほのかな梅の香り、、と思ったら本堂前の境内には盆梅が見頃を迎えていた。
梅は満開より七分咲きのころが一番美しい。
石山寺の御本尊は如意輪観音、しかも勅封なので33年に一度しかご開扉がない。しかし!新しい天皇が御即位されるとその翌年には開かれるので、来年はご尊顔を拝することができそうだ。
背景がこの寺の名前の由来ともなった天然記念物・珪灰石の巨石。
良弁上人が夢のお告げで、聖徳太子念持のこの秘仏、如意輪観音を岩の上に安置して庵をたてたところ、のちに移動しようと試みても仏像が岩からはなれなくなったため、これを覆うようにお堂をたてたのが石山寺縁起。
古くは「枕草子」、「更科日記(孝標の娘はここに参籠)」、「蜻蛉日記」にも記述が見られ、都人にも格別の寺であったのだなと、思いをはせる。
しかし一番石山寺を有名にしたのはこの方ではなかろうか。
本堂の一画に源氏の間、というのがあって、ここで「源氏物語」を執筆した(かどうかわからんが)紫式部。40年前の人形と同じかどうかは不明だが、有職御人形司最高峰の伊東久重氏の作。
この写真ではわからないが、引いて撮ると花頭窓の中に鎮座されている。この意匠で友人の大津の和菓子屋さんが「源氏窓」という和三盆と葛のお菓子を作ってはるので、なるほどな〜とうれしくなった。
本堂は密教的荘厳(真言宗)でキラキラと渋さがほどよくミックスされて、おちついていい雰囲気だったが、写真NGゆえ。
さきほどの珪灰石の背景になる源頼朝寄進の多宝塔は国宝。
これは美しいなあ。
経蔵の下になんだか座布団???
と思ったら、これは安産の腰掛石といって、ここに妊婦さんが座ると安産になるとか。昔は出産は文字通り命がけだったもの。
おっと本来の目的の梅見もお忘れなく。境内は広く、アップダウンもかなりあるので第1〜第3梅園まであるのを全部見ようと思うとかなりのエクササイズになる。
光堂(某繊維メーカーの平成になってからの寄進)近くの枝垂れ梅は見事であった。
一番広い第一梅園〜薫の苑〜では梅は五分咲きくらい。歩くだけで梅の芳香がただよい、すがすがしい気持になる。あと鶯の声でもあればな〜。
この日は2月なのに春本番のような陽気で、青空に梅の枝がよく似合う。
境内にはヤブツバキの大木もあって、世は春を謳歌している。(まだ2月だったけど、、、)
石山寺をあとにして、次にこれも40年ぶりの寿長生の郷へ梅見に。これは後日また。