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2019-06

茶席付き、茶道具講座〜夏越 - 2019.06.30 Sun

遠州流の茶人にしてお能も嗜まれる古美術商のO先生と貴重なご縁をいただいて、まだ炉であった三月、茶席付き茶道具講座を我が家でひらいていただいた。



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(アンティークのチョガッポ)


好評につき?(というか私が楽しいので(^_^;)第2回目を水無月もおわりかけの夏越の季節に。



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大きな茶会道具一式を積み込んでO先生と、茶友のKさん到着、毎度すごい荷物、しかも貴重品の茶道具ばかりなので運ぶのにも緊張する。



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(唐津でもとめた花入れに李青さんで買った木製の蓮蕾)


奥の小間の茶室で荷物を展開するかたわら、、、



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講座用のスクリーンとかプロジェクターとかセッティング。
前回いろいろ試行錯誤したので、今回はすんなり決まる。



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3月のテーマは「熊野懐紙+その他懐紙」についてだった。
これは苦手な分野、ゆっくりききたかったが、初回だったのでお客さんの誘導とか時間管理とか、ゆっくり拝聴できなかったのが悔やまれる。



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今回のテーマは「高麗茶碗」
おっと、こいつはお得意分野!
ちなみにO先生のお父上の高麗茶碗の本、持ってます。
また、野村美術館の谷先生の専攻分野でもあるので、先生の著書も数冊所持してます。



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今回は手際が改善したので、講座をゆっくり拝聴、写真がたくさん見られるのが楽しい。
内容的には復習なんだが、新しく学んだこともあり。
実際に蕎麦と来賓三島()を手に取って拝見させてもらったのもうれしくて、ついついお客さんを差し置いて前に出るという反則を、、、(^_^;



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(夏の庭の必需品)


多彩な高麗茶碗は初期から倭館窯の後期まで、自分の好みがはっきりしてきた。
やっぱり粉青の時代(15〜16世紀)が一番惹かれる。

京間とは言え、六畳にたくさんお客さんおしこんですみません。蒸し暑かったことと思います。あと足が痛かったかも。



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前日の大雨に心配されたけれど、なんとか持って、露地を使うことができて茶室にはいっていただく。

O先生は今度は亭主、おおいそがし。
茶席の室礼、お道具はさすが、綺麗寂びの遠州だった。勉強になる。待合掛けも抱一と月潭でしゃれてたなあ。御茶碗もいいのをお持ち下さって、水屋で点て出し点てるのも気を使う。
たくさん茶筅を振ったが、水屋の黒子仕事が実は好き!という自分に気づいてしまった。




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半東のKさんは藪内だし、手伝ってくれたY君は山荘流だし、裏千家1名(=私)という比率も世間とちょっとずれてるのが面白い。チームワークで仕事するの楽しいなあ。

それにしても茶席でも話がはずんでいたようで、どんな会話がされていたのか、ききとれなかったのが残念。



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このお菓子がまた秀逸で、当日朝、青洋さんに届けていただいたもの。
銘を「ぬかるみ」

子供の頃雨上がりの水たまりを傘のさきでつつくと、こんな風に泥が舞い上がったなあ、、となつかしく思い出しつつも、最近ではぬかるみも死語になりつつあるようでさびしい。
ちなみに黒い部分はチョコレート餡、錦玉に合ってとっても美味しかった。

だれかが銘を「ドロ沼?」(^_^;と間違えていて、そうそう、こんな会にご参加くださる方はみんな茶の湯というドロ沼にどっぷりはまっているよなあ、、、と思っちゃった。

蒸し暑い中、ご参加くださった皆様ありがとうございました。

最後、お客様が帰られた後、茶室でY君にお茶を点ててもらって、わたしは先ほどの来賓三島でいただけてご満悦であった。


O先生ご遠方から大荷物でおいでくださり、貴重なお話しとお道具、ありがとうございました。
ご縁をつないでくださった八面六臂の活躍のKさん、受付から片付けまでお手伝い下さったY君、ありがとうございました。




謎の蒔絵師・永田友治〜MIHO MUSEUM - 2019.06.28 Fri

桜の季節は大賑わいだったMIHO MUSEUM



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緑が濃く、陽射しも暑いこの頃は狙い目かも知れない。
人影も少なくレストランも並ばずに入れます。



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今回の展示は「謎の蒔絵師 永田友治〜尾形光琳の後継者を名乗った男〜」

永田友治と聞いて、わかる人はごく少数ではないだろうか。私も最初聞いたときは、え?それ現代の作家さん?と思った。



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謎の〜というのは、詳細な人物像がわからず、活躍したとおぼしき年代にも100年くらいの差があって、一人でこなしていたのか、工房をもっていたのかすらわからないという。

ここにひとりの永田友治コレクターであり研究家でもある方がいる。岩井胤夫さんは友治に興味を持ち、蒐集することからはじめ、その作品に使われた顔料の化学分析、文献調査をされ、じょじょにその姿を明らかにされてきた。(アスファルトなんかを研究する会社の元社長さんだったので、化学分析はお手の物?)



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その研究で明らかにされてきたのは、おそらく正徳・享保年間(18世紀初頭)に京都で活躍した琳派の蒔絵師の姿。
正徳年間の読み本に「友治盃金二両」と書かれていたことから、当時その作品は既にブランドとして確立していたと思われるそうだ。

彼は作品にとことん自分の名前や号、「永田友治」、「青〻子」、「(○に)方祝(まさなお)」を書いた箱、包み紙をつけているので、その紙に書かれた「京たこやくし通御幸町西へ入丁」から住所がわかったのだ。



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その場所は新町二条通りと二条丁子屋町あたりに住んでいた光琳、乾山の家にほど近く、友治の作品の琳派っぷりを見ると、なんらかの接触があったのでは、と思われるがそのような記録がいまのところないというのも不思議。(ちなみに友治は光琳の17才年下と推測される)
表題に「尾形光琳の後継者を名乗った男」とあるが、自分から名乗ったわけではないよな〜と思う。




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彼は大名などのお抱え蒔絵師ではなく、町方の蒔絵師でパトロンはいなかった。おりしも幕府の金銀箔使用禁止令、奢侈禁止令にて金銀が高騰し調達がむつかしい時代、それを錬金術さながらの技法で乗り切り、新しい技術を発明した蒔絵師であった。




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作品を見ると、当時珍しかったと思われる青漆(抹茶色)をベースに朱、茶、黄、金、銀、黒、、と色とりどりの色が踊る。
これらがすべて合金でできているのだ。これは岩井氏が、何が何%、というまで成分分析した成果であるのだが、合金の材料は錫、亜鉛、鉛、銅、鉄、ヒ素、硫黄、水銀と多岐にわたるのにはおどろきである。



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友治がこの技法をどこで習得したのか、というのが謎であるが、彼はのちに大阪に居を移している。大阪は当時まさに銅座、真鍮座など幕府の御用の座があり、材料の流通から金属の精錬まで最先端の技術があった場所、ここで彼は技術を吸収し、材料を入手していたと考えられるそうだ。



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なんとも新進の気風に富む錬金術師さながらの蒔絵師!

その作品には、さきほどの青漆(藍玉・すくもと石黄から作る色漆)、刷毛目塗という刷毛目を際立たせ丈夫にする技法、さらに友治上げといわれる高蒔絵をより簡単に作れる技法などにあふれている。
青貝・螺鈿のはめこみはいわんや、純粋な銅板などを埋め込む金貝という技法まで。



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デザインは琳派の絵、そのもの。
貴族趣味の雅さではなく、町方の好みそうな少し派手目な意匠や色彩、といった感じ。
作品のいくつかはミホのHPからも見られるので是非。



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印象に残ったのは、代表作「槙鹿蒔絵料紙箱」、色あせぬ銀の鹿、金の鹿もさることながら、金、銀、青貝で彩られた槙の細い葉の美しさ、手のこみよう。
それから友治没後だがその技法を雰囲気を踏襲した「枝豆蒔絵螺鈿硯箱」。このぷりっぷりに盛り上がった枝豆が友治上げ、青貝にて表現され、いかにも美味しそうでたまらない。



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銀蒔絵は時間とともにずず黒くなっていくが、友治が合金で作り上げた銀(亜鉛、錫などの合金)は300年の時を経ても美しい銀色。ただ、残念なことにこの合金のレシピは残されておらず(適当に勘で作ってたんやろか)伝承されていない。



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かくの如く謎、であった永田友治、少しずつその姿が明らかにされていってはいるが、さらに研究が必要、お家に友治の作品や関連古文書あれば御連絡を、と岩井氏は語る。

茶道具が少ないのが少し残念ではあるが、盃台と盃は懐石には不可欠、ただし、使うのがモッタイナイくらいの蒔絵だからなあ。



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最後に、余裕ではいれたミホのレストランで、虫やしないのおにぎりいただいた。



ひとあし早めの七夕茶会〜月日社月釜 - 2019.06.25 Tue

紫野・月日社にて水無月の月釜亭主をさせてもらった。



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いつも自主稽古や句会、飲み会でお世話になっている月日社。
ここの月釜は亭主は月替わり、亭主の裁量で好きにやって良いので、今回5名様一席だけのゆるゆる茶会にする。



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小間を待合に。



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こちらでお菓子を召し上がっていただく。
できたてほやほやで届けてもらった青洋さんのお菓子、七夕のイメージでお願いしたら、こんなすてきに!銘は「galaxy」と勝手につけた(^_^;
下にしいたのは我が家の梶の葉。



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若干フライング気味の七夕だが、なかなか自宅では(茶室にクーラーがないので)七夕の時期に茶事茶会ができないので、ここぞとばかり、いままで使えなかった七夕グッズを投入。
これは淡々斎の七夕の歌の軸なのだが、中回しの切箔が星座っぽくてぴったり!とお気に入り。



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風炉先のかわりに棚機津女(たなばたつめ)の織った麻布(の、つもり)



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天ノ川を模した帯の上に、これこそ出番をまっていた七夕の瓜水指。
これが使いたくてこのテーマにしたようなもの。
(蓋は琴座と鷲座・ヴェガとアルタイル)
ちなみに諏訪蘇山さんと宗哲さんの姉妹合作。



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天ノ川にうかべた舟(李朝の樋)を花入れに我が家の桔梗を。

さて、席入りを19時半と遅めにしたのは、暗がりがほしかったから。なにせ前日が夏至だったのでいつまでも明るいんよね。



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はい!
席中こんな感じに。天ノ川にはLEDの豆球をばらまき。
こういうお遊びは茶事でもよその茶会でもなかなかできないから、今回はあそばせてもらいました。



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ちょっと明るくするとこんな感じです。



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軸は待合にかけたので、床の間には代わりにとらえた蛍を。
ちなみに柄杓は月日社の庵主のアイデア。



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ちなみに蛍はこれ
LED(^_^;ですけど。



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蓋置のガラスの小壺にも豆球を仕込む。
建水の中の銀河系。

お客様は五名、ほとんど顔見知りのお茶好きさんばかりで、薄茶だけというのに話が尽きない。
お客様同士の会話もはずめば、私もしゃべりたい。
薄暗い中で蝋燭をたよりに頭をつきあわせて御茶碗など拝見されるお姿、これが見たかったのよね。



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最後柄杓の蓋置は水指の上に飾り置き。

楽しかったわ。
お客様も楽しんでくださったようでなにより。

月日社ではこんな実験的な茶会もできるので、ありがたいのです。庵主のTさん、ありがとう。




変体仮名を読む〜日本の書展<和歌と詩のかたち>/泉屋博古館 - 2019.06.22 Sat



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(泉屋博古館)


最近の茶会の掛物の傾向として、一行ものより古筆切が多くなってきたような気がする。
料紙を愛でたり筆使いの流麗さに感嘆したりするのだが、あれがすらすら読めればなあ〜というのが積年の夢である。

手強い変体仮名であるが、数はしれているので全部覚えればいいやん、という人がいて、まあ漢字ほど無限大ではないのだし、なんとか読めるようになろうとがんばってはいる。悲しいことに年とともに記憶力がアレレ?なので、なかなか厳しい。

みなさんはどのように勉強されているだろうか。



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私の場合、スマホの変体仮名アプリがかなりお役立ち。
まずはだいたいの元字がイメージできるようになることから。これはバスや電車を待っているちょっとした間にもできるのでひまつぶしにも。



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ついで本物の古筆切に挑戦。
おすすめは和泉書院の「国文学古筆切入門」、百切のってます。
自分なりに読んでみて、後に現代かな使いが書かれているので、あとで答え合わせ。何回も同じ字でつまづくものね。書き手によって同じ文字もええ〜っ??というくらい変化するし。



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変体仮名は元になった漢字が思いつくかどうかが勝負なので、わからなかった元字を検索すべく、手元には変体仮名字典をおいておく。めったに使われないような元字はもうスルー!


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(東山が見える中庭)



それでも古筆のなかの一部分でも読めるとこんなに楽しいことはない。けれどまだ勝率6割くらいかな〜。
これがある程度読めると江戸の読み本や明治の旧仮名遣いの文なども読めるので、楽しさはさらに増すのである。



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で、やっと本日のお題の泉屋博古館〜日本の書
前半は漢詩が多くて、さらっと見たのだが、後半怒涛の仮名の古筆、料紙の美しさで有名な石山切もあったというのに、それそっちのけで仮名を読み取ることに思いがけずはまってしまった。
目録に現代かなづかいのが載っているので、答え合わせしつつ、、、もう時間オーバー。こんなにいれこむ予定はなかったのだがな(^_^;




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ちなみに住友の石山切(貫之集)はこのポスターになったやつで、薄紫の料紙が美しい。
他にせんだって勉強会で勉強したところの熊野懐紙(後鳥羽上皇が熊野三山詣での旅で催した歌会の歌を集めた物)、ここのは定家であった。
伝・公任の中色紙は唐紙で、見る方向で唐紙の雲英がきらきら浮き上がったり見えなくなったりするもの、これも必見。

しかし、、、字を追いかけるのに必死で、書かれた和歌の意味まで考える余裕がなかったのは本展示の趣旨に反するかしらねえ(^_^;

漢字では後陽成天皇の一行「雪月花」がぶっとい字で迫力あった。豊臣から徳川への乱世を生き抜いた天皇さんだからなあ。

松花堂の絵に賛が江月和尚という「大和三景図」はこのふたりのコンビもだが、どこも最近訪ねた大好きな場所ばかりだったので、個人的に萌えた。<三輪、布留(石上)、泊瀬(長谷)>




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面白かったのが、水で墨のように字が書ける(かわくと消える)特殊マットに字を書くコーナー。
大筆、小筆と手本を見ながらだが、、、習字が学校の授業で一番嫌いだった私にうまくかけるはずもなく、、、、書く方は、またのちの課題。






おとピク(大人のピクニック)〜慈円和尚の謎を歩く - 2019.06.19 Wed

「愚管抄」を著し、百人一首に「おほけなく 憂き世の民に おおふかな わがたつ杣に墨染の袖」の歌を残した慈円和尚。愚管抄は学生の時に一応読んだが読んだという記憶だけでな〜んにも覚えていないし、日本史選択でもなかったので、いろいろお話しを聞いたが、ここに自分がまとめてよいものか若干逡巡。まあ、マチガイも多々あると思うのでご指摘ください。




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(知恩院 勢至堂・重文)


さて、「おとピク」こと「大人のピクニック」は最初浄土真宗のお坊様であるタライ・ラマ師(ダライ・ラマではない!)と、深い歴史の知識をお持ちで、歴史講座もお持ちの才女(しかも京都検定1級!)M女史から始まった京都の史跡(特に真宗系)を巡るピクニック。
最初3人で始まったそうだが、内容の面白さ、ラマ師のお人柄などもあって、今回は10人を超える大人気のイベントになった。かくいう私も今までは曜日の都合で参加できなかったが、今回初参加である。




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(勢至堂:法然上人ゆかりの大谷禅房の跡地)


今回のテーマはその慈円和尚

ラマ師のお寺は浄土真宗(西本願寺)であるから、親鸞聖人、その師匠の法然上人に帰依しているわけで、それに対して天台座主であった慈円は対抗勢力ということになる。
しかし慈円の法然への対応は、時に味方になり、時に敵になり、また味方になり、、、の繰り返しで揺れ幅が広いのだそうだ。そこが人間としての慈円のおもしろさだと、ラマ師はおっしゃる。




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(御廟からの眺め)


慈円は法然の讃岐流罪、浄土宗弾圧(承元の法難)を黙認したし、法然が去った後の吉水草庵(法然が念仏の教えをひろめた場所)をすぐにぶっ潰して安養寺として拡大したし、法然没後に書かれた「愚管抄」に法然のことをボロクソに書いているらしい。



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(知恩院の寺紋は三ツ葉葵〜徳川家の庇護もうけたからかな)


しかし、法然が吉水草庵を建てたのは、当時青蓮院に住していた慈円の援助によるし、法然の弟子にして平孫(平家の血を引く)源智を平家狩りから守って比叡山にかくまったり、(源智は後に知恩院二世となる)これも法然の弟子・証空を法難流罪から守り、後に西山善峯寺を譲り(浄土宗西山派)、流罪から帰った法然に大谷禅房(勢至堂)を与えたり、法然死後法要の檀那となり法要を行ってもいる。

天台座主としての矜恃もあったし、法然をうらやましく思うこともあっただろう。



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(御廟拝殿)


慈円は、藤原氏長者・藤原忠通の息子(悪左府・頼長の甥になるのね)にして、時の権力者・摂政関白の九条兼実の実弟という生え抜きのエリートである。兼実は法然の在家の弟子でもあり、最終的に兄弟二人で法然とその教えを守った、、という印象である。関白と天台座主のタッグってコワイもん無しやん。



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(知恩院の墓地に咲く紫陽花)


こういうお話しを、後鳥羽上皇と松虫鈴虫の話など枝葉末節の逸話もからめて現地を見ながらしてくださる。学問的なところはすかさずM女史のフォローがはいり、疑問に思ったところは聞けばすぐに答がかえってくる気持ちよさ!



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いつも前を通っていてなにも思わなかったこの碑、実はけっこう重要な場所。
元大谷(崇泰院)こと親鸞聖人の大谷御廟のあった地である。後に寛正の法難で本願寺もろとも破却されたが、その時ここを守っていたのがかの有名な蓮如上人であり、ここは彼の生誕の地でもあるのだ。




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知恩院は三門だけじゃなくて、かなり奥が広く東山の懐にまではいっているので、ずんずん行くと円山公園にでたり、公園を歩いているはずが、途中で先だって念願叶って行った割烹未在さんの前にでたり、、(もう茅輪!)



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これまたこの前、新天皇践祚のときだけ御開陳される准胝観音を擁する長楽寺にでたり、将軍塚も近かったり、もう頭の中の地図ぐちゃぐちゃ。



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ようやく円山公園の奥座敷、安養寺、吉水草庵跡にたどりつく。
法然の草庵であったが山号が慈円山、法然流罪後慈円が安養寺として草庵をつぶして拡張したからね。円山公園の円山がこの慈円山から来たことを知ったのは最近だったか。

現在は時宗の寺、時宗の祖・一遍上人が西山派に最初師事したことを思えば、納得がいく。
時宗は僧侶に○阿弥と名付けるのだが、今も円山公園内にある料亭左阿弥もこれにまつわる建物であるというオマケ。



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境内には慈円が勧請した弁財天、今でもほど近い祗園などの花街の信仰も篤いという。



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吉水の地名の由来となった吉水の井(現在は涸れているとか)、慈円が閼伽水とした名水であったという。この近辺長楽寺もそうだが、山水が豊富でどこでも清水にお目にかかれる。



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最後に、これがラマ師が一番言いたかったことかもしれない慈円の宝塔(重文)。
生前没後の確執を超えて、法然の念仏布教はじまりの地に眠ることにした慈円はやっぱり法然が好きだったのではないか、、、、と。

いろいろ脱線もしながら、それでもああ、あの話はここへ通じるのか、と合点がいくことも多く、なんと実り多いピクニックであっただろう。



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ピクニックの後は円山公園内の茶菓円山にてみんなとランチ。



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もと未在だった割烹仕様の店内はいつも静かで、たまにお菓子を食べに寄るのだが、赤飯と汁の虫養いまであるとは知らなかった。赤飯おかわりしてお腹一杯である。



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最後に円山らしい琥珀のお菓子は生姜と柚子の風味。

さらにその後、Sさんのご厚意で、彼女のお茶室にみんな集合、同時に三ヶ所で抹茶席2と中国茶席という楽しい茶会になったのも、このメンバーならでは。




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ラマ師の茶籠
手の中にあるのは垂涎の唐津の茶碗かぐい飲みかすれすれのところ。



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Yさんの茶箱
たくさんいい御茶碗をお持ちで、これをピクニックの間中持ち歩かれていたのかと思うと((((;゚Д゚)))))))



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そして私の中国茶茶箱
桂花烏龍茶を煎れました。香り高いよ。


タライ・ラマ師、M女史、S様、他ご一緒した皆様、ありがとうございました。
楽しくて、そして勉強になりました。(いつまで覚えているか自信ないので、こうして記録してます(^_^;)


最後にラマ師におしえてもらった慈円さんの歌で、彼をもう少ししのぶとしよう。

  我が恋は 松をしぐれの染めかねて 
        真葛が原(円山公園あたり)に 風さはぐなり



高島針江地区・生水(しょうず)の郷〜川端(カバタ)のある暮らし - 2019.06.17 Mon

(今日は画像が多いです、めったやたら、、、)


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湖西線で50分、もはや京都のベッドタウンと言ってもいい高島だが、新旭の駅に着く頃には電車には私の他、だれもいなかった、、、、(´・_・`)



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駅から1kmほど歩くと、各家をめぐる水路が見えてくる。
針江・霜降生水(しょうず)の里だ。

比良山系の豊富な地下水の湧水、これを家家に引き込んで、飲みもすれば顔も洗い、野菜も洗い、お鍋や食器も洗い、それをスカベンジャーたる鯉が水をきれいにし、汚染しない水を琵琶湖に流す、そんな川端(カバタ)の暮らしが今もいきている集落である。




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水道も引かれて便利になり、カバタを捨てる家も多かったと聞くが、2004年、NHKハイビジョン放送「里山・命巡る水辺」で針江地区の暮らしが紹介されてから、地域の人たちのカバタに対する意識がかわり、針江生水の郷委員会をたちあげ、この環境をまもる活動を始めた。




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(各家庭から流れるカバタからの水)


その番組は残念ながら見ていないのだが、昨年、一昨年と茶友が、ここで七夕の時期の茶会をひらいた。そのお誘いがあったのだが、これも残念ながら行けなかった。でも、その時初めて針江のカバタを知ったのであった。



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TVにでたことから、有名になったが、よその観光地のようによそもんが集団で集落に入ってくると、これはもう観光公害でもあるし、集落の人の暮らしもおびやかしかねない。
そこで、生水の郷委員会ではかならず地元のボランティアの人と一緒に巡るという方法をとった。これは賢い。



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集落の人ほとんどが氏子だという日吉神社、この前にある針江公民館の横に生水の郷委員会の窓口があって、ここでボランティアの地元農家のおばあさんガイドさんと合流する。
(カバタの見学申し込み方法はコチラ→

ちなみにここで鯉のエサ50円は購入ははげしくオススメする。



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公民館の隣は空き地になっていて、家はすでになくカバタだけが残されていた。
周りの緑は自生したクレソンである。水がきれいでないと生えない草だから、家はなくなっても生水はきれいな水を湧かせているのだ。



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カバタの構造はHPにもくわしいが、地面に10〜20mのパイプをたてる。(昔は竹だったそうだ)
するとそれだけでもうきれいな水はこんこんと湧いてくる。まずこれを壺池という一番きれいな水として溜めて使う。ここは飲用や野菜を洗う場所になる。その隣に壺池の水が流れ込む端池、ここには大きな鯉や金魚がいれられていて、ここで洗った食器などの食べ物のカスをきれいに食べてくれるのだ。そのきれいになった水が先ほどの家家の間を流れる水路に流され、やがて琵琶湖にかえっていくのだ。



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カバタだけでなく、この水路にもたくさんのニゴイが団体さんで待ち構えていて、縦横無尽に泳ぎ回り、水をさらにきれいにする。うちらが歩いているだけで、よってくるので、ここでエサを投入!すると楽しいのだが、私は買うのを忘れて、後悔。

鯉が入れない柵がある部分はカワニナがたくさん。(鯉ってカワニナ食べるんや)ということは、、、そう、蛍もたくさんいるらしい。(しかし夜はよう来んな、ここ)



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ここはかつては琵琶湖からの船着き場だったそうだ。(茶会はここでしたそうだよ)

写真では上手く撮れていないが、水はほんとうに透明できれい。水路では、ガイドさんは、ドジョウがあそこに、とか、鮎があそこにとか沢ガニとか、ほんまよく見つけはる。ご高齢と思われるのにウラヤマシイ視力のよさだ。




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カバタを巡るために集落を歩くと、焼杉の壁の家が多い。かつてはどこの家もそうだったが、京都でも失われつつあるこの焼杉壁、ここの人たちは意識して残そうとされているのだ。この町並みも財産である。




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この水路につきだしている部分が外カバタといわれる屋外にあるカバタ。



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この中はこのようになっている。
水温は井戸水といっしょで一年中変わらず13度くらいなのだそうだ。道理でひんやり涼しい。冬はきっとあたたかいのだろう。



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これが壺池。このお宅のカバタの水を試飲。
美味しい。なにか奥が深い味がする。



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もう一段池があって、こちらでは花をいれておいたり、野菜を冷やしたり。




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周りを囲むのが端池で、ご覧の通り大きなニゴイが泳ぐ。栄養がいいのでまるまる。



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スカベンジャーのおかげできれいになった水は外の水路へ。



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カバタの水が合成洗剤で汚染されないように、ひいては琵琶湖の環境を守るため、各家庭は粉石鹸をつかっている。
その他、上流の人は下流の人のために、特によごれた水は流さないよう、わきまえて集落の人間関係は信頼でむすばれるのだ。

ちなみに私も琵琶湖の水のため少しでも、、、ともう30年以上食器洗いは石鹸を使っている。(かつては廃油で自分で作ってた)



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かつては壺池まで上水を汲みにきていたが、最近はポンプで家の中に汲みあげる家も多い。飲料水になるので、水質検査は定期的に保健所が行っている。



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こちらは別のお宅のカバタ。
タッパーにいれたなにかを冷やしているところらしい。



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見えているザルは昔から農家の手作業で作られ、カバタで洗った野菜などをいれておくための大事な道具であったそうだ。



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端池の鯉
水の透明度がわかるだろうか。



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これはハヤかなんかだったか?この子らは小さいので外の水路から入ったり出たり。



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池の上の棚には野菜などを置いておくと天然の冷蔵庫になる。



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こちらでも味見。
お腹たぽたぽ
それにしても比良山系の地下水の量はすごい。どんだけ雪がふっているのだろう。

しかしかつて何回か水が湧かなくなった時もあったそうで、暖冬などで雪が降らなければちょっと危機的状況になりそうだ。



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環境指標植物で、水質の変化に敏感に反応するという梅花藻があちこちに繁殖しており、水温が一定のため、年中花を咲かせるという。



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水路があつまり琵琶湖へ流れ込む針江大川。
ここですら水の透明度は高い。



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それでも溜まってくる澱や茂りすぎた水藻など、年に四回、集落総出で川掃除をするのだ。



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ガイドさんにその時の写真をみせてもらった。
梅花藻は残し、それ以外の藻は琵琶湖に流さないように刈って、刈られた藻は乾かして堆肥にするという。ほんまのエコやわ。



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さすがに近年は洗濯機がない家はないが、かつてはここが洗濯場であり、井戸端会議ならぬ川端会議が開かれたという場所。



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だから、ゴメン、エサもってないんだってば、、、、



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祠の前のもう使われていない壺池だが、いまでも水は湧き続けている。



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そして空の色を映す。



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集落には豆腐屋と魚屋が一軒ずつあるくらいで、店らしい店はない。自販機も集落でたった一つである。そして朽ちかけた古い家も多い。ここは繊維工場の宿舎であったらしい。
高島はかつて繊維業がさかんな土地であったが、安い中国製品に駆逐され、今ではもうその面影はない。
しかし、都会から田舎の暮らしがしたいと移住してくる人もいて、案外集落には若い人が多いのだそうだ。



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集落で一軒の魚屋さんのカバタでは、めったにでてこないというオオサンショウウオがお出ましになっており、ラッキーであった。(いるのわかります?)



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魚屋さんでは、高島出身の(ちがう地区)姑がよく作っていた大豆と小エビの煮物とか売っていて懐かしい。それからご存じ鮒寿司!、、、実は私これ、苦手で、、、(^_^;



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ここでは水道水と地下水の飲み比べができるようになっていて、やはり水道水の平板さに比べて地下水の奥の深い味わいを確認。



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お!
沢ガニ発見!


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集落にある曹洞宗正伝地、菊の御紋があってなかなか格式の高いお寺である。



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ここにもカバタがあるわけだが、カバタ小屋がよそと違ってなんか暑い、、、
なぜならここでたっくさんの漬物が発酵しているからである。お寺さんで消費するぶんかなあ。発酵熱おそるべし。



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境内には近所の人も汲みに来る、という湧水があって、水量も多い。
またここでも試飲。(飲み過ぎてさすがに後でお腹がごろごろ、、、)



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この水が流れる水路には山葵まで生えていた!



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よくみれば、小さな梅花藻の花



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川だけでなく、どこのお家にもきれいな花が丹精されている。
育てるのがきむづかしいむつかしい花も繁殖して、水がいいとここまで違うのか。



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ここの集落の人たちは、カバタに感謝して、花を供えているという。そのために育てているというのもあるのだそうだ。さらにこの針江地区に注目があつまるから、よけいにきれいにしようと意識もされている。



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どこを歩いていても水の流れる音が聞こえる。
聞こえている限りなんだか安心できる水の郷。

人は便利さに流れるから、時代の波にこんな水の文化もいずれは押し流してしまうのでは、と危惧する。みんなが高い意識をもって維持し守っていかねば失われてしまう。消えてしまった他の暮らしの文化と同じように。(あ、京町家や京都の町並みを思い出してしまった)


最後に生水の郷委員会の窓口で売っていた本。
カバタだけでなく、大きく琵琶湖の生態系環境についても書かれていて意識高いです。



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ご夫婦で迎えていただいた茶事 - 2019.06.15 Sat

阪急電車沿線
このあたりは豪邸が多い。



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神戸でもなく大阪でもない「阪神間」、ここには独特のハイソサエティーな文化がある。
宝塚時代によく利用していたなじみの場所でとてもなつかしい。
この阪神間にあるHさんのお宅の茶事にお招きいただく。3月に雛の茶事に新婚二組さんとしてご夫婦でお招きしたお返しに(ほぼ強制的に(^_^;)



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こちらにお招きいただくのは何年ぶりかしら。つごう3,4回は来ているのだが、その頃はHさんは独身でいらした。お嫁さんを迎えはって、今日はなにやらお家全体がはなやいでいるように見えるのは気のせいではないと思う。

待合の掛け物が「華」だったので、華燭のことかな、と思ったが、今年華甲(還暦)を迎えられるということで。でも、ご自宅で咲いた華やかな芍薬を入れた花入はやっぱり髙砂手。めでたい!




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腰掛け待合いのこの猫シッポ蚊取り線香には燃える、、、いや萌える。

恒例の?座掃を持っての迎え付け、この姿にはもう慣れた。(最初はびっくりしたけど)
石州流鎮信派のお茶人さんであり、茶道の諸流派のお点前の比較研究などの御著書もあるご亭主である。



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本席は小間なのだが、相伴席ともいうべきとなりの三畳まで開け放っておられる。この三畳ははじめて拝見したが、ちゃんと掛物釘、無双釘、釣り釜の釘もある網代天井の茶室になっているのにびっくり。これは茶室として使ってもいい感じだ。



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なぜ開け放ったかというと、ご夫婦で点心をご相伴くださったから。
御連客のもう一組の(ほぼ)新婚さんといっしょに色々お話しできて楽しかった。
Hさんは、最初お目にかかった時はなんだかちょっと切れすぎてコワイという印象だったのだが、今こうして奥様とにこやかに並んでおられる姿はおだやかで、別人?みたい(^_^;



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今回煮物椀は奥様手作り、美味しゅうございました。

本席の軸は松永耳庵90才のもの、近代数寄者のひとりだが、95歳まで長生きされたそうだ。お互い90すぎても、元気でお茶ができたらいいね、と思う。

いつも言っているが、流派の違いは炭手前に一番顕著だと思う。久々に拝見した鎮信流の炭手前、風炉の灰は湿し灰で作って、乾かしてから使うとか、灰器の灰は風炉でも湿し灰とか、裏千家では月形を切るところに穴をあけるとか、ほんとうに流派のバリエーションが面白い。

特筆すべきは羽箒の研究に関して右に出るものがない当代一の下坂玉起さんからもらわれたという羽根。Hさんのご意見が参考になったということの御礼で、アオサギの羽根。飾羽根もついて美しかった。
「飛行機に衝突したアオサギ」という説明があって、こういう野鳥の羽根は捕ったものでないという説明がいるのだな、と納得。



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御菓子は宝塚時代よく行った、なつかしいお菓子屋さんのだった。ここの御菓子は造型も美しいのだ。銘が「令和」、だからおそらく梅と蘭。



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後座の花はコバノズイナ、撫子、フジウツギ
花入が備前の蹲なのだが、高校生の時にもとめられたという。なんという渋い高校生がいたものだ(^_^;

茶入が鎮信流流祖というべき肥前平戸藩主・松浦鎮信の箱がつく膳所で、釉薬のなだれが幾筋もあって、五月雨みたいやな〜と思ったらほんとうに銘が「五月雨」でびっくりした。
長次郎のムキ栗を思わせる四角い古唐津茶碗で濃茶をいただいた。
茶杓が幕末のお公家さんの手作り、珍しい。この方は画も書も歌もされる風流人であったようだ。
銘が「みかは水(御溝水)」、内裏の中に張り巡らされた溝を流れる水で、清涼殿の前の物が風情があった、、、らしい。さすがお公家さん。




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干菓子器に振り出しとして青磁の鴛鴦がでてきたので、やっぱり新婚さんやしね〜というと、深読みしずぎと言われた(^_^;

薄茶の御茶碗は、先だって私の茶事で彫三島他三島シリーズお出ししたので、お返しにかどうか、写しではあるが外花内花(印花が内と外にある。外にあるものは外花といって貴重)の彫三島を出してくださった。三島好きにはうれしい。
もうひとつが、阪神淡路大震災の時に粉々にわれた大樋をこまめに金繕いした茶碗。Hさんのお宅も被害がひどかったエリアであり、震災の経験を共有する身としては心にしみるものがある。よくぞ繕って残されたこと。
茶杓がお茶のお師匠様にちなむものであったのも、Hさんのお茶のルーツを感じさせて印象的であった。さらにこれからもお茶を通じて生きていく、という決意表明でもあったのですね。(お手紙より)

薄茶では奥様がお運びをされて、息の合ったところをみせてくださったし、お二人がとてもお似合いで、もう何年も連れ添った夫婦のようなおだやかなしっくり感があって、いいなと思う。
とにもかくにも、お幸せなのね、と私もうれしゅうございましたよ。






五月雨〜水の茶事2019 - 2019.06.12 Wed

3月以降、4月5月と茶事せずにいたが、さすがにちょっと茶事ロスでさびしい。
暑くなればクーラーのない我が茶室、いまのうちにとお客様をお招きした。




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玄関にはこの季節なにかと重宝な裏庭に(たのんでないのに)群生する十薬。



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汲み出しは暑いと想定して、前日からレモングラスハーブティーを水出ししていたが、、、、



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当日は朝から大雨!
気温も上がらない。水打ちしなくていいのはラッキーなのだが、、、、



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濡れ縁がこのありさまで、どこから席入りしていただくか思いつかず円座を抱えてうろうろ。
そう言えばいままで自宅茶事でこんな本格的な雨は初めてだわ。想定外で準備がいきとどいていない。



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いつもは使わない茶室へのショートカットの出口を使う準備をしたところ、ちょうど席入りの時に雨があがった、、、というのでまたまた急遽円座をかかえてうろうろ。
このうろたえた気持ちを引きずって茶事に突入してしまったのが反省点。



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待合は夏座敷
掛け物は「水月」、水に映った月の絵



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火入れの灰は、自慢するほどではないが(^_^;自分の中では上出来の方(当社比較)。



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枝折り戸をとめる藤蔓の輪っか、これはせんだってお邪魔した(光悦でお茶をのませていただいた)島原のM和尚様手作りを拝領、本日初使い。
いままでシュロ縄で作ってみたりしたが、具合がいまいちであった。しかし、これで枝折り戸周辺がひきしまった。



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初座
花入はこれも唐津やきもん祭に行った折、唐津のお店で入手した、有田出身の波佐見在住の作家さんのもの。これ、何焼と言ったらいいんだろう???
水の波紋みたいなところが気に入っている。紫陽花は家の裏庭の。



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唐津やきもん祭で拝見したM和尚様の李朝の火鉢を風炉にしたのに憧れて、似たような物、、似たような物、、、と探して(ほんものはなかなか手に入らない)多分、どこかのお寺の線香立てであったとおぼしき香炉を風炉に転用。これが本日のご馳走のつもり。

五徳が普通サイズなので、香炉との間に隙間がほとんどなく、灰匙が入る余地なく灰型に泣いた(一応丸灰)。釜はミニサイズの万代屋、敷板は韓屋(韓国の町家)の屋根瓦。
香合は、岩渕祐二さんに大覚寺舟遊び茶会の折に作ってもらった櫂香合。



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懐石
焼物でちょっと失敗、何年主婦やってんだろ、ほんま。



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夏野菜のマリネ、マイクロトマトというつぶつぶの小さいトマトが便利。
器は古伊万里、匙はイタリア製銀。



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食べられるホオズキです、と言ってお出ししたが、当然外の皮は剝いて食べられると思ったのに、皮ごと召し上がって、苦かった!といわれたのにはビックリ!
まさか皮ごと召し上がるとは想定外、、、(^_^;スミマセン、言っておくべきでした。

器は先日川口美術の(大ファンであるところの故)全日根さんのもの。
これを見ると謡曲「竹生島」を思い出す。(月海上に浮かんでは 兎も波を走るか、、、)



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主菓子は水をテーマにしたもの、と和菓子・青洋さんにお願いした。
銘はそのまま「水」 美しい錦玉で梅酒の味



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日が長く、中立のあとの後入りの時もまだまだ外は明るい。茶室の中はちょうどよい暗さ、掛け物は円相。その下に四角の盆を置いて、「水は方円の器に従う」を表してみたがどうだろう?
お正客さんが山荘流の方なので、流祖高谷宗範の「心は円なるを要す 行いは正なるを要す」の方円を表してみたが、ちょっとすべったか(^_^;



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今回デビューのものがもう一つ、お茶友、句会友のFちゃんが、アルスシムラ(志村ふくみさんの学校)卒業制作で作った着物の端布で作った古帛紗。着物もすてきだったが、この古帛紗も畳むと白の格子柄が出て、開くとこの茜色がすてきなのだ。すべて自然からもらった色。

濃茶茶碗は最近手に入れたその銘も「五月雨に水嵩まされる、、」の歌銘を持つ高麗。



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続き薄にて干菓子は、半夏生の時期だけ公開される建仁寺・両足院限定販売の、御菓子丸さんの「はんげしょうの宝珠」、中にピスタチオをいれる美しい半透明の琥珀。
青海波の和三盆はUCHUさん。



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薄器も水
薄茶の主茶碗に「映るとも月は思わず 映すとも水は思わぬ 大沢の池」の後水尾天皇の歌銘(小堀宗慶箱)がある高麗を使ったのは、待合掛けの「水月」にちなんで。

あんまり水にこだわったので、大雨になったのかしら、でもさいわい、茶事が終わるまで雨は降らずにもった。



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片付けが終わる頃、ふたたび大雨が降り出して、日ごろの行いの良さ(ウソ)を自覚したのである。

久々だったので、失敗はいろいろ恥ずかしくて言えないようなこともあったが、多職能のお客さん方とのお話しは楽しく、得ることも大きい。

これにて我が茶室は灼熱期にはいるので、しばしお休み、あ、朝茶事はやろうかな。





桐蔭席〜2019・6月 - 2019.06.10 Mon

東山の裾野に立つ桐蔭席


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だんだん翠が濃くなってきました。
曜日があわず参席できないことも多いけれど、本日も流儀のお勉強に。(なにしろ流儀のいい道具がたくさんでるのと、あまりに自分の流儀をしらないことに愕然として)

待合掛けがうれしいことに川喜多半泥子のユーモラスな蟇蛙の画に、
「まかりいでたる千歳山の蟇蛙」の画賛、これ、すごくよかった。
千歳山は半泥子の屋敷があったところだから、この蟇蛙は半泥子自身なんだろうな。

本席の軸は常叟消息。
いまだに自分の流儀の家元の名前を全部いえないので、あわてて調べる。
裏千家五代、先代の仙叟が金沢前田家に仕えたので、金沢で生まれたが、後に松山藩久松家に仕えた方。(前田家とも縁は切れていない)32才の若さで夭折されたので、残された消息は貴重と思われる。

うちでは葉っぱばかりでなかなか咲かない山芍薬のつぼみを入れた花入れの下の敷板が、品川東海寺(澤庵さんゆかりのお寺だね)の古材で、本日の席主さんがかつて東京でお住まいされた頃のご縁らしい。

末富さんのでっかい葛焼「岩漏る水」をいただいたあと、主茶碗はのんこうの赤楽、銘を「鳳翔」。
大宗匠がお好きな鳳凰だね。替え茶碗が均整のとれた白っぽい半使、三日月型の釉薬かけ残しがあって、銘を「白硅(尚磨くべし)」、私は祥瑞の御茶碗でいただいた。

棗が五代宗哲利休型中棗、蓋裏に認得斎の花押、今回この認得斎の花押を勉強しました。
宝珠型なのね。六閑斎のまるっとしているのもいっしょに覚えました。認得斎は10代、柏叟ともいうことも覚えよう。(すぐ忘れるような気もするが、、)

茶杓も認得斎で銘を「百木」、これは柏叟の柏をばらした銘だろうかと思う。(柏は栢とも書く)



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お席のあとは、席を変えて点心、これにお蕎麦がつきます。
このくらいの分量がよいですね。



光琳乾山忌茶会2019 - 2019.06.07 Fri

今年もMOA主催・奥嵯峨平安郷にて光琳乾山忌茶会



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しかし!
今年はどうしてこんなに待ち時間が長いのだ!?
、、、なぜならメインとなる濃茶席の席主が、まさに現代の「近代数寄者」ともいうべき潮田東洋庵(LIXIL会長)さんだからだ。例年の倍のお客さんが殺到したという。おそるべし!



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若干遅く到着したのもあるのだが、第一待合で1時間以上待たされたうえ、第二待合、第三待合、、終わるまでに都合3時間もかかった。



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(第一待合)


参席された方の中には各流派の家元も何人かいらして、いつもと雰囲気が違う。みんな気合い入ってる感じ。


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第二待合に通されるもここでも待つことしばし。



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毎年のことだが、ここは広沢池に面した待合なので、景色がよいので苦にならず。



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やっとたどりついた中の茶屋 濃茶席 潮田東洋庵

寄付には伝・夏珪(馬遠と同時代の南宋の画家)の団扇山水画、芸州浅野家その他伝来
主菓子をいただく中待合には抱一の蓮の画がかかり、またきらびやかな伝来を持つ炭道具が飾られる。藤組の釜敷きですら平瀬家伝来、木津宗詮箱(いずれも武者小路千家を支えた家)
青貝の香合の蟹がかわいかった。

御菓子は名古屋の半田松華堂の錦玉「若葉風」



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(第二待合から見る広沢池)


四畳半台目の小間、これが今回のメインやな。
まあ、博物館級の物がでるわでるわ。しかも!御茶碗席中の全員に触らせてくれるという太っ腹。名物を実際使った茶会をたびたびされているというお噂はかねがね。
潮田御大ご自身がでてこられて、お道具の説明を。



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(中の茶屋 濃茶席)


床に一山一寧墨蹟、白楽天新楽府(しんがふ) 

一山一寧は元からの渡来僧で、名前はしばしば聞くものの、どういう人かはっきりと知らなかった。渡来時、元のスパイと疑われ鎌倉幕府に監禁されたりいろ苦労した末、日本の臨済宗の興隆に一役かい、南禅寺で没した。

新楽府は、白楽天の50編など、楽府(歌謡)の形式を取る当時の政治社会を風諭した詩だそうだ。
墨蹟の内容は唐太宗(李世民)遺訓だそうだが、お客さんの中に席主以上にようしゃべる方がいらして、気がそれてしまってききそびれた。
しかし、白楽天と言えば長恨歌、長恨歌と言えば楊貴妃だから、蓮の花の茶を飲んでいた、、ということで抱一の蓮の花を待合にかけられたとか。深いわ〜。



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花入は鯱耳の砧青磁、花は大山蓮華であった。
雲龍釜は与次郎、鐶付きが耳兎、これかわいかった。

茶碗が若州酒井家伝来の瀬戸黒「小原女」
くっきりと底から立ち上がった側面、思ったより軽く、つやっつやの黒、手触り、口造りはゆるやかなカーブ。茶室に入った全員に、これを手に取らせてくださったのには感激である。
瀬戸黒は製法としては黒楽と同じだが、造型がかなり違う。同じ瀬戸黒に「小原木」という表千家所蔵のがあるが、これはよく似ているがもっと男性的、たしかに小原女の方が名前の通り女性的。

小原女を調べてみたら三井記念美術館所蔵となっているのを見つけた。これを個人蔵として手に入れはったんや。すごいの一言。



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茶杓が僖首座(きしゅそ)
宗旦の門人で茶杓の制作で知られる人らしい。利休の下削りの慶首座は有名だが、この人ははじめて知った。なかなか渋いところまでコレクションしてはる。

茶入が遠州所持、中興名物・浦井新兵衛(京都の唐物屋、「へうげもの」にも登場してたよ)作の「山雀(やまがら)」
瓢箪型、三日月型の黄色い筋が山雀の羽根みたいで可愛かった。
小堀十左衛門(遠州の四男)の挽家、箱(歌あり)



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もっとゆっくり潮田さんのお話を聞きたかったが、この大人数ではそれもかなうまい。
ほてった頭をクールダウンしに、点心席へ。
今年も点心は嵐山吉兆、せいろのご飯が美味しい。



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もう終わりかけだったので、上の茶屋のMOA席へ行く人が少なかったので、マイクロバス移動ではなく、はじめてこのカートにのせてもらったよ♪



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景色もよく見えるし最高に気持ちよい乗り心地。



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春の一般公開のときに美しい姿をみせてくれる枝垂れ桜も今は青々青。



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上の茶屋 MOA薄茶席

床に元暦校本万葉集断簡、やはり今年はやっぱり万葉集が大流行。
中回の上下に鳥の刺繍で、小袖の一部かと思われる感じですてき。





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一見古染付け?と思ったが、内側の模様がなんか変で、阿蘭陀ときいて納得、中国の青花をまねようとしつつもよく分からないため、変な絵になった、という感じの水指、水がたっぷり張られると涼しげでいい。



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茶碗が赤楽とは到底思えないくらい渋いグレーの左入、盥型。
面白かったのが、ゴブレット型で外側にはスカラップ模様、内側に同心円のぐるぐる、、、これは一体??と思ったら織部だった。へうげた織部だが、なかでもへうげ方がダントツ。
粟田焼の近江八景は、琵琶湖の波が美しく細かく描かれていた。



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御菓子は赤坂塩野の葛焼。これもでかい。



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毎年同じような写真になってしまうが、上の茶屋の前の広沢池の景色はやはり一番フォトジェニックなのだ。



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最後に時間切れかな、と思いつつあきらめかけた下の茶屋、名古屋美術青年会席、なんとか滑り込み。

次の間の寄付にある鈍翁の籤色紙、鈍翁が茶目っ気をだして、茶会の正客がいつもきまらないからくじ引きするための籤を作っておいた、というような内容。そうだ、大寄せもくじ引きにすれば正客バトルがなくなるのに。

本席の和漢四句が寛政の文化人のそろい踏み、松花堂、澤庵、江月、遠州、、となんてきらきらしい。この四人がいっしょに集って句会をしているところなんて、想像しただけでも豪華過ぎて。寛永サロンってほんま、いいなあ。

面白かったのが、光悦の消息の反古紙を貼り付けた金輪寺茶器。これはほしいと思うくらいよかった。

田中訥言(江戸後期の絵師)の茶杓は銘を「郭公」というが、銘を字で書かず、郭公の絵を共筒に描いているのも面白かった。

数茶碗がこの茶会のために誂えたという、瀬戸で活躍する陶芸家・深見文紀さんの「漫画織部」。
一見鳴海織部なんだが、紋様が漫画、茶碗の底ににっこり微笑むバニーガール、、、ってそんな感じ(^_^;

最後は駆け足になってしまったが、平安郷の景色とともにたくさんの名品、美術品を見させてもらってほんとうにうれしい楽しい一日であった。来年もまた行かなくちゃ。









平安神宮薪能2019〜新しき御代を寿ぐ - 2019.06.05 Wed

6月初頭は、恒例の平安神宮薪能。



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令和最初の薪能、よってテーマも「新しき御代を寿ぐ」
崩御による践祚ではなくて、譲位による上皇ご健在の改元がこんなに明るくめでたいものだとは思わなかった。平成の時は自粛ムードの方が強かっただけに。



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日没までは西日灼熱地獄ゆえ帽子が、日没後は酷寒がおおげさでないので、防寒対策を。(今年はかなりましだったが)
他に双眼鏡、あめ玉(もしくは軽食)、ペットボトル、(できれば謡本)は必要よ。



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一日目の最初の演目は大正天皇即位記念に作られた新しい曲「大典」、戦後修正を加えて「平安」という題に。演じられる事が少なかった演目だと聞いた。

勅使が御代弥栄祈願に訪れた平安神宮(御祭神が桓武天皇と孝明天皇)、今現在演者もわれ割れ観衆もそこにいるわけだが、、、東に青龍西に白虎の両楼あり、云々。
豪華にも4人の天女がでてきて天つ乙女の天女舞は五節句の舞の如く。
屋外だけに風に翻る衣が美しい。
そのあと社から天つ神(井上裕久師)が雄々しく登場、このあたりの構成は「賀茂」を思わせる。優美な舞の後の勇壮神々しい舞はカタルシスがある。




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火入れ式で薪に火が入った後は、どんどん暮れてゆく。

黄昏時の演目は「草子洗小町」。上村松園の草子洗小町の世界だ。
いつかこの能を見てみたいとずっと思っていたのだ。

宮中の歌合で小町の相手に決まった大友黒主が勝ち目がないので、小町の歌を盗み聞きし、万葉集の古歌に仕立てて(小町の歌を万葉集の草子に入れ筆した)小町の歌は古歌の剽窃だと帝の前で訴える。しかし帝の許しを得て小町はその草子を水で洗うと、黒主の入れ筆は流れて小町の疑いは晴れる、、、というあらすじ。

その草子を洗うところが絵にもなったハイライト。片手に草子を持ちもう片手の扇で水をかける所作。これか〜!とうれしかったのである。

これは「令和」の元となった万葉集がでてくるから演目に選ばれたのかな。

帝が声の張りも良い子方で、面識のある能楽師さんの小学生の息子さんだった。そしてその後見がお父さん、というのを見つけてひそかに楽しんだ。




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今年は、ここで久しぶりに(もとシスターズの)I子さんに再会できた。うれしいことである。忙しいワーキング子育て世代で、薪能は久しぶりだとのこと、つかの間の大事な息抜きだね。
出会ったばかりのころはまだ独身だったよね〜と懐かしい話も一杯したが、
「テーマが歌だけに、あちこちに歌枕が出ていましたね〜」といわれてびっくり。

あれ〜、、謡本持っていたのにわからなかった。(あとで読み返してもワカラン、、、)
さすが国文卒!かなわないな〜と思った次第。




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狂言は、踊り念仏を8人の狂言師のモブでするという「福部の神」(国博の一遍上人絵伝の展示を思い出しつつ)
舞台を、8人がフォーメーションを次々に変えながら念仏を唱え、鉦をたたいて滑るようにあるく様はAK○48みたいで(^_^; なかなか見事。念仏が声明みたいで美しくさえあった。



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日没後、最後は金剛流の「石橋〜狻猊の式」。ここでいう狻猊とは獅子のこと。
所作とか謡とか観世と微妙に違う。
紅白に加え桃色の牡丹の作り物、白頭の親獅子、2匹の赤頭の子獅子、一畳台に飛び乗ったり、転げ落ちたり(親獅子の子獅子谷落とし)、勇壮なのに、どことなく可愛くて、頭を振ったり、手をまるめたり、これは猫だ!猫を思い出してしまった。(獅子もネコ科だし)

篝火をうけての舞台は、衣裳のきらめき、作り物の花の華やかさ、舞台をゆらす風の動き、美しく豪華で、新しき御代を寿ぐムードは満点なのであった。



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今年もたくさんの人がおいでになった薪能、先日の興福寺薪御能といい、ちょっとやみつきになってしまうな。(時々意識は失うけど(^_^;、それでもいいものはいいの!)



銀月サロン・新緑茶会2019〜銀月アパートメント - 2019.06.03 Mon



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4月の桜茶会の時、美しい花を見せてくれた桜の木も青々と、雨に濡れてみずみずしい翠がしたたる銀月アパートメント。



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今回の銀月サロンは新緑茶会、ちょうど久々の雨で、しっとり静かな中で始まりです。



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本日の室礼は杉の木のトレーにグラス、茶杯、口のなぐさみは砂糖がけアーモンドとドライパイナップル。



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まずはウエルカムティー、武夷岩茶の紅茶を水出しして冷やした物。
甘くて冷たくてす〜っと爽やかな気持ちになる。



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心とのどが落ち着いたところで、最初のお茶は杭州の龍井茶(ろんじんちゃ)の新茶、緑茶である。
節季の穀雨の前、清明の後に摘まれた新茶は特に雨前茶といわれて、お値段も現地価格で500g8万円とかw( ̄o ̄)w

一芯二葉の形が見て取れる茶葉は日本の煎茶などとはまた違う。日本茶が殺青を蒸しで行うのに対してこれは釜炒りしたもの。



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グラスに茶葉を入れてお湯を注ぎ、ふわ〜っと茶葉が開いていくのを眺めるのもまた佳き時間。



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味や香りは煎茶にどこか似ていてまた違う。どちらも好きだけれどね。



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先日梅田Hデパートでおこなわれたワールドティーフェア、大盛況の中、出店された銀月さんで蓋碗をついにゲットしたので、本日はその使い方、優雅に見える茶藝風入れ方もおそわる。
お茶は台湾の阿里山烏龍茶。



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みんなで交代で煎れあうが、これがなかなかむつかしい。
それでも5〜6煎目までしっかり美味しい。



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そしてお楽しみの本日の点心は、先ほどの龍井茶葉を使った海老のお粥と夏野菜(きゅうり、きのこ、トマト)の胡麻油炒め特製豆板醤添え。
トマトが炒めただけでこんなに美味しかったっけ?
お粥はお茶の味がほんのりしてあっさり優しい。



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デザートはお手製パイナップルケーキとアイスクリームにこれも自家製カリンジュレをかける。
美味しいのと、お腹が空いていたので、(恥ずかしながら)ケーキの耳までもらってしまう(^_^;



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最後にいただいたのが衝撃の鳳凰単叢鴨屎茶。
他のお茶も美味しかったのに、これ飲んだらみんなぶっとんでしまった。
あまりに良い香りがするので、他人に盗まれないようにと鴨のおしっこの匂いと変な名前をつけたのは、以前聞いたことがある。
鳳凰単叢蜜蘭も香り最高だし、鴨屎も最高だし、鳳凰単叢というのはあなどれん。
お茶をのんだあとの茶杯の聞香がまた大好きで、うっとりしてしまう、、、

と、雨の中豊かな時間を今回もすごさせていただいた。



悠紀斎田ゆかりの野洲・御田植祭 - 2019.06.01 Sat

5月というのに猛暑が関西をおそった日、こんな道を往復約5km歩いた。(ほとんど熱中症寸前、、(^_^;)


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「飛び出し坊や」の設置濃度が極端に多いここは、、、



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さすがは飛び出し坊や発祥の地とされる滋賀県である。東京の人に聞いたら東京ではほとんど見ないとか。それにしてもいろんなバージョンがあるのね。



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ここは野洲市(私が学生の頃は野洲郡野洲町だった)
駅前こそ賑やかだが、少し歩くとのどかな田園風景がひろがる。田植えを終えた水田もだが、麦が収穫間近で黄金色の波が美しかった。




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水田に映る近江富士こと端整な姿の三上山。琵琶湖東のランドマークである。
懐かしいなあ。学生の頃はこの近くの施設によく通ったものだ(障害者施設のボランティア)。



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わざわざここまで出かけたのは野洲が昭和天皇即位後の大嘗祭(昭和3年)のために献上される新稲の悠紀斎田に選ばれた歴史があるからだ。以後それを記念して、中断した年もあるだろうが、ずっと地元の人による御田植え祭が行われている。
今年は令和の大嘗祭が秋にあるので、それについてある勉強会に参加している。そのお仲間と記念すべき年だし、一度いってみようということになったのだ。



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最近ニュースでも発表されたが、今年の大嘗祭の悠紀田(ゆきでん)は悠紀の国(東日本)から栃木県、主基田(すきでん)は主基の国(西日本)から京都が選ばれたことは記憶に新しい。
(詳しい田んぼの位置は個人情報とか、情報がすぐ拡散するネット時代なので明らかにされていない)
その斎田を決めるのに亀の甲羅を使う亀卜がおこなわれたのもニュースになったし、さらにその亀の甲羅を採るのに、ウミガメ(天然記念物なので)が特別に許可を得て小笠原で捕獲されたとかもニュースになった。

平成の時は昭和天皇の喪中でもあったから大々的には報道されず、あまり興味もなかったので全然記憶にないが(秋田と大分だった)、今回は上皇様ご健在なのでめでたいことだし、興味をもっている。




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野洲駅から歩くこと約40分(疲れた〜)
三上山(みかみやま)の麓、かつ御上神社(みかみじんじゃ)のすぐ隣にその斎田跡はあった。周りの水田はもう田植えが終わっていて、すでに青々。
昭和3年当時、悠紀田に選ばれたのは大田主・粂川春治の田んぼという名前まで記録に残っている。

ご一緒した方が当時の記録写真を調べはって、見せてもらったが、この鳥居みたいなのと、三上山の稜線、景色は90年たった今もかわらないのに感動した。
水田は竹矢来みたいなので囲まれていたようだ。



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白衣姿の人がプロ=ほんまの農家さん、みたい。昭和3年の写真にもこの白衣集団は写っていて、これも当時を踏襲したスタイルだと言うことがわかった。




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まずは悠紀斎田記念碑の前で祝詞(最長という話も、、、(^_^;)があげられ玉串奉納などの神事。
宮司さんは御上神社の宮司さん。



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これから御田植え祭で田植えをされるみなさんもせいぞろい。これも当時のスタイルを踏襲した手甲脚絆に菅笠の色があざやか。



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おみ足の悪い早乙女さんは単独で先にポジションにつかれる。のちにこの方にお土産までもらうことになった。



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苗が水田のあちこちに作業しやすいようにばらまかれ、、、



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いよいよ御田植えのはじまり。

苗は大嘗祭の日にちにあわせてぴったり稲が収穫できるように、生育の遅い物が選ばれているとも聞いた。



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早乙女さんは農家の方もおられるだろうが、シロウトさんもおられるので(応募できるが事前に予行演習の日がある)、最初泥田に足をつっこむことにためらっている人もいた(^_^;



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この時、巌谷小波(滋賀県出身の児童文学者)作詞の「悠紀斎田御田植歌」がライブで歌われなんだかさらに長閑になるのである。
あぜ道で踊って?いる人にも注目。



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一生懸命田植えしている人を励ます踊り???
あまり役に立っているとは思えないが、田楽のはじまりってこんな感じだったのかしら。



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♪ 一つ日の本瑞穂の国は、、、
   二つ再び得がたい譽、、、、
    三つ三上の御影の神は、、、
     、、、、(中略)、、、、

     九つ九重雲居の空も、、、
      十でとうとう御田植え終わりや、、、、

これを延々とリピートするのである。






こんな雰囲気で。いやがうえにも長閑。



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こうして御田植えは進むのだが、意外と時間がかかるものだった。この中腰の姿勢はけっこうキツイと思う。



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あぜみちに残された早乙女たちの草履。



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植える水田に映る三上山。



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そうこうするうちにやっと植え終わり引き上げる早乙女たち。お疲れ様でした。



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あぜ道の脇を流れる用水路で手足の泥をおとす。



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かつてこんな風景が日本のあちこちにある田園風景だったのだろうなと想像する。
半日炎天下ではあったが、のんびりと田植えを久々に間近で見られて楽しかった。

さて、今年の斎田では秘密裏にお田植えがおこなわれたのだろうか。また収穫がどのようにされるのかも興味がある。



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帰りも延々と駅までの道を歩いたのだが、掲示板に御田植え参加者募集の張り紙を見つけた。



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最後に、先ほどのおみ足の悪い早乙女さんと田植えが終わった後お話しを少しさせてもらったら、あとで車で追いかけてきてくださって、頂戴した人数分の手作りポーチ!




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