祗園町の祝提灯2019 - 2019.07.31 Wed
7月10日と28日の神輿洗いの日に、江戸中期まではお迎え提灯と称して、祗園町の人たちが、変わった形の提灯をかかげて行列する姿が絵に描かれているそうだ。
それがいつのまにか廃れて、約250年、これを復活させようと祗園町の人たちを中心に最初は7基の提灯をかかげたのが2年前だった。
(その経緯と歴史はこちらの記事に詳しい)
その2年前、ちらっと提灯を見て、アレ何?と思っていたのだが昨年は台風で中止になったらしく、今年が本格的デビューとなった祝提灯。なんといつのまにか32基になったそうだ。

祇園会のほとんど最後を飾る行事、神輿洗い、それにこの祝い提灯行列が加わった。先導するのは祗園篠笛倶楽部の方々。
20時半に祇園会館の前を通るのを発見、ついていく。
提灯の奇天烈ぶりに拍車がかかっとるような(^_^;
祗園町の飲食店などがたくさん入る細いろうじを変則的に流していくのだが、篠笛と鉦の祗園囃子がまた哀切。
とりあえず聞いておくんなはれ。
祗園町のこのあたりはあちこちへぬける狭い道が張り巡らされていて、行列の進み方は進んだり折り返したり、で先回りするのに苦労した。
篠笛の音だけをたよりに、薄暗い祗園町の迷路小路をぬけてあちこちで行列に遭遇する楽しさは、なんだかわくわくする遊びのようで楽しい。
まわりは飲み屋さんがいっぱい、酔客や、たまたまとおりかかった外国人観光客がびっくりして見ている。これもまた来年以降メジャーになったら、人がおしよせるのだろうな。
TVの京都物では必ずでてくる新橋通りを通る姿は風情がある。
今年も祭の季節を見送る。
朝茶事〜七夕と祇園会 - 2019.07.29 Mon
なんであの時茶室にクーラーをつけなかったのか!
と、いまでも悔やんでいるワタクシである。
暑さは暑さで楽しめばよいなどと、このグローバルウォーミングの時代になに世迷い言を思っちゃったんでしょうねえ、、、、(遠い目)

というわけで、昼間の茶事は地獄と化すので、夏は朝茶事を、数年ぶり2回目のこころみ。
6時半AM席入りで、私は4時半に起きる。徹夜する体力はないので、とにかく前日できることはみんなすませて、当日時間的に楽できるように。(それでもギリギリやったけど)
これは起床時の露地、まだ暗い。散水ホースはまだだしっぱなしの図。
玄関は祇園会シリーズ、長刀鉾、豊園泉正寺町(これはかなりオタクじゃないとわからない)の粽に、真松立ての時拾った北観音山の松の枝。
待合に煙草盆を置いた時点でもう外はかなり明るくなってきた。
ご遠方からのお客様もいるので、はやくからお付き合いスミマセン。
汲み出しは一見赤ワインに見えるところが気に入っている小豆茶を倉敷ガラスのグラスにいれて。
早朝とはいえ、早くも気温が上がる予兆あり。
夜中に雨が降ったらしく、露地は良い感じに濡れており、水打ちの手間がはぶけたのはありがたい。
夏場は打っても打ってもすぐ水は乾く。
待合から露地へ
茶室には東からの朝日があたる。朝茶にはもってこいの向きなのだ。(暗いところでするのが好きな人もいると思うが(^_^;)
懐石は夏場だし、軽やかに。当日火をなるたけつかわずにすむように。
庭の、繁茂しすぎの梶の葉、やっと役に立ってくれた。
ベタだが、やはり夏の茶事にはギヤマンの向付が使いたくて、手に入れた器、初使い。メニューはお茶の先輩のアイデアをいただいた。前日仕込んで冷やしておくだけという簡便さ、で、しかも美味しい。
宵山の日だけ公開される斎竹・高橋町(山鉾巡行の時に長刀の稚児が切る注連縄をだす町内)の注連縄参拝でいただける祗園さん社紋入りかわらけ、3年かよってやっと3枚そろったので、これも初使い。かわらけは匂いや色が残るのが少々難だが。(本来一回きりの使用)
煮物椀も卵豆腐、これも手間がかからない。
あれ?朝茶事って手抜き懐石がルーチンでしたっけ???(^_^;
いえいえ、懐石よりもお茶パートに重点をおかねば。
懐石中も、小ぶりの風炉ゆえ、種火がちゃんともつかどうかひやひやしっぱなし、なんとか炭手前はスムーズに終了。灰器に今年の菊水鉾茶席でもらった(今年の色)青磁色の皿を使用。
主菓子は我が家の梅で作ったところの梅シロップを使ったサイダーかん。最近サイダーかんがマイブームなの。
これだけだと甘さが足りないので、東京で初めて食べてとても美味しかった東京wagashi asobiさんのドライフルーツ羊羹を全日根さんの竹生島箱(兎も波を奔るか〜謡曲竹生島から勝手に命名)にいれて。
中立のころは9時ごろ、もうすっかり朝になって気温も上がりかけ。
後座
それでも花をいれた花入の朝日影がくっきりと床の壁に映る。
(あとで朝日影って香雪美術館所蔵の志野茶碗の銘だったと気づく)
花入は中国のふるい鐙、これに片口をのせて鎖で吊る。花はすべてうちの庭から、山ホロシ、秋海棠、矢筈薄。
水指は宗哲さん、蘇山さん姉妹コラボの瓜型、琴座とわし座(織姫彦星)の星座の蒔絵の蓋で、旧暦七夕を盛り上げる。
濃茶もつつがなく練れて続き薄、
干菓子は亀廣保さんの三種
ちょっと遅いめの蛍狩り、有平糖の蛍がリアル、そしていつも感激する芦の葉のていねいな仕事。
茶入とか薄器はちょっと現代物で遊んだので、茶碗は渋い高麗ブラザーズで締める(しまったか??)
二服ずつ飲んでいただき、最後のごあいさつがすんで9時半過ぎであった。だいたい目標通りの時間でいけたが、お客様も楽しんでいただけただろうか?
お客様が帰られてからもまだ時間は11時前、まだ一日は長い、片付けもゆっくりできるのが朝茶事のいいところだ。(実際はこのあと爆睡昼寝したけど(^_^;)
夏は朝茶、これは来年もできそうだわ。クーラーなくてもなんとか。
還幸祭2019〜1150年記念 - 2019.07.28 Sun
祗園祭もいよいよ大詰め、大きい行事は本日の神輿洗いと31日の疫神社夏越を残すのみになった。
今年は巡行の日が水曜日と、どちらも仕事で京都に居ない日であるのがまことに歯がゆかったが、せめて還幸祭でも見ようと、24日の後祭巡行があったであろう都大路にたどりついたのははや21時過ぎであった。

今年は祗園祭がはじまって1150年の記念すべき(あまりキリはよくないが(^_^;)年なので、いつもは時間差で帰ってくる三基の神輿が並んで四条通りを通るとのこと、四条にでてみるとすでに先頭の宮本組が!
四条大橋東詰めで待っていたが、八坂神社までの四条通りがこんなにすかっとあいてるなんて!びっくり。
まずは中御座・三若さんのお帰り、四条大橋を東進してきた。
ついで東御座・四若さん
たしかに中御座のあと、あまり時間をおかずに続いたが、一直線に三基がならぶ写真は位置関係上無理だった、、、、(新聞には三基が四条通りにならぶいい構図が載っていたけど)
最後の西後座・錦が輿丁さんの数では一番多いのかな、エライ元気だ。
すごいスピードで目の前を通り過ぎるので、写真がブレるブレる。
このまま八坂の境内に先回り、とちゅうで談合中(?)の宮本組さんかな?
南楼門へ向かう中御座を追いかける。
表門である南の鳥居を中御座が通る。
へたすると足踏んづけられる距離感。輿丁さんもアドレナリンでまくりで疲労もあり、ぶつかってこられるのよ。
ここから中御座は八坂さんの境内へ。
ついで東御座のお帰り
最後が西後座、錦
錦はとくに付き添いのご家族とかが多くて、人数が多い。
錦の関係者かどうかしらんが(札を首にかけているのでおそらく関係者)、この帯ええな〜♪しめてたお姉さんもいなせな感じだった。
境内へ入る前に中村楼の前で差し上げ、ホイットホイット♪に三本締め、祗園祭も音で楽しむ。
西後座を楼門へ見送ったあと常盤殿の前を抜けて境内へ先回り、中御座がすでに拝殿にお戻りで鎮座されている。
帰ってきた神輿はまず担ぎ棒をはずされる。はずれた棒は輿丁さん達がかついで境内西の倉庫?へ。
これもすごいスピード、締め込みの兄さんもいるね。
そして神輿を拝殿に持ち上げる作業
ヨ〜サ〜のかけ声でみごとおさまると拍手もわく。
しかし、10年前、始めて還幸祭最後まで見た時には境内にいる人はほんとにちょぼちょぼだったのに、いつの間にこんなにギャラリーが増えたんだろう。祗園祭特集のやりすぎだね、きっと。
三基が拝殿にそろうと23時ごろから御霊遷しがおこなわれる。
久々につきあってしまった。
境内のあかりが全部消えてカメラ、スマホ厳禁のなかで白い布に囲われて、お〜お〜の警蹕の声とともに三基の神輿に乗っていた神々は1週間の御旅を終えて神社本殿にお帰りになる。BGMは和琴の音である。これが単調でありながら不思議な音色でよいのだ。昔はゾクゾクしたが、こんなぎゅうぎゅうの観光客の中ではねえ、、、、(´・_・`)
今回薄明の中ナントカ見えたのが露払いの神官が、扇であおぎながら道を祓う様子、これは初めて見た。
再び灯りがついた本殿では、関係者をまえに撤饌の儀
皆さん、ひとまずほっとされたことだろう。
かくして魂のぬけた?神輿三基はこれから飾りをおとして、中御座のみ、28日の御輿洗いにのぞむのである。
今年の祗園祭も終わりが近い。
塵外室にて〜祇園会・雷鳴の茶事 - 2019.07.25 Thu
銀閣寺畔の三友居別邸・塵外室はお名前だけはうわさで聞くものの、いままで行く機会ががなかった。
このたびお茶友さんがこちらで茶事をされるとのこと、お招きいただき、うれしくも塵外室デビューとなった。

白沙村荘向かいの疏水べりをはいったところ、東山の懐に抱かれた閑静なお屋敷である。
元がどなたのお屋敷だったのかはわからない。
玄関には長刀鉾のちまきがかかる。
庭園も玄関脇も植木屋さんの手が行き届いたたたずまい。
迎付
ご亭主は四国と大阪を行き来され、京都の茶会、茶事にも精力的に参加されている茶道男子である。
昨年、我が家の夕ざり茶事にお招きしたご縁で今回お呼びいただいた次第。
年に何回か、京都の料亭などが持っている茶室を使って茶事を数年前から楽しまれておられるとか、お仕事もあるのにほんとうにお茶がお好きなんだな。
まずは広間にて椅子席の懐石
ご挨拶でおでましのあと、「吉野天人」のお謡いで幕開け、これはうれしい。(お謡いもおできになるのね)
掛軸が「八面起清風」黄檗山の管長だったか、どちらかといえば煎茶寄りのフレーズ。
爽やかな清風を感じる、、、、といいたいが、主客総勢8名、いずれもお茶への思いが(いい意味で)暑苦しい面々(^ ^:
懐石は三友居さんなので、間違いなし。
むか〜し、家での懐石に板さんにきてもらったことあったなあ。一文字飯の切り方や、ご飯を炊くタイミングなどをおしえてもらったが、、、、今に活かせてない。
お酒は次客様の庵名にちなむ「鶴聲」佐々木酒造、チェコのボヘミアングラス最高峰モーゼル製
牡丹餅がきれいに浮いた備前のお皿でいただくのは鮎の塩焼き
日頃おつきあいのある方ばかりでしかもお茶に暑苦しい?面々といえば話がはずまないわけがなく、つきることもないのだ。
冷製炊きものをいれた江戸ガラスのまた薄くてうつくしいブルーであること!
八寸にて大好きな酒盗、くちこが出たのにはますますお酒がすすんでしまう。
お客様の中には裏千家の先生もいらっしゃるので、ご指導をうけつつ千鳥もしっかりとこなされる。
お人柄が素直でいらっしゃるのがとても好ましく素敵。
「吉野天人」の返礼に、季節柄七夕の「天鼓」のキリの部分を謡わせてもらったが、またしても間違えて完遂できず(´;ω;`) お座興と思し召せ。
中立のあとはいよい小間の茶室、塵外室に席入り
塵箸も裏千家仕様
ちなみに客は裏千家+表千家+藪内の連合軍(?!)
連客の数奇屋建築士I君曰く、聚光院の枡床席写しではないかとのこと、四畳+枡床である。
ちなみに彼は席入りするとやはり見るところが全然違う(^ ^:
お菓子が老松さんに特注してくださったつくねきんとん、きらきらの金粉、銘は「乙女」とかや。
新旧乙女茶会をワタクシやっておりましたから、(もにすごく)旧な乙女としてはうれしいお心使い。
炭手前
風炉釜は奈良の釜師さんのもの、これもご連客に奈良の方がいらしたことにちなむお心使い。
後座には袴をきりっと十徳に着替えられて、帯も帛紗も変えて。
あとで聞いたら、できることなら水浴びもして心構えを切り替えたかったとおっしゃる。
武人の心構やね。
花はすがすがしい祇園守 これこそ今の私の気分♪
黒い実は白山吹の実だそうだ。七重八重花は咲けども山吹の、、、の歌通り実はならないものと思っていたが、白はなるのだな、びっくり。
この日は早朝に貴船神社のご神水をとりにいって運んでくださった連客さんがおられて、ありがたいことにその水を使っての濃茶である。
茶碗は大樋の黒であったが、お茶碗拝見したとき、おもわず「おお!」と、声がでた。
なんと美しい練りあと!玉一つなく、つやつや、これは最近ではピカイチのお練り加減ではなかろうか。美味しかったことは言うまでもない。
ご亭主のお点前は、訥々と、ときに間違えときに淀むことあれど、一つ一つの所作が美しく、誠実なお人柄そのもの。なにより美味しくお茶を練ることができるのが一番ではないかと思う。
続き薄
干菓子がこれまた祇園祭(八坂神社社紋+うちわ)で、日日祇園祭追っかけに奔走する正客(=私)へのエールとうけとった。また元気出そう。
お茶碗は高麗、志野、京焼、手捏ねの黒楽などなど、おそらく客の顔をそれぞれ思い浮かべながら選ばれたのだろう。
表千家と藪内の方に、裏千家のみにつたわる秘儀(?!)ややこしい続き薄の飲み方の作法を伝授す(^ ^;
茶碗を肴に暑苦しいお茶好き面々、話に花を咲かせていたら、突然の雷雨、雨は滝のようで雷鳴もごく近くらしく、声が聞こえないくらいであった。ただ、茶室の中は別天地、ぬれることも雷に打たれることもないので、これも夏の茶事の醍醐味とばかり、楽しんだのであった。(帰り道が若干心配ながら)
最後にご用意くださったお土産が、ご亭主も私も旧知である作家・村松栄子さんの最新刊「能楽ことはじめ」であった。吉野天人、天鼓ときてこれで締める!最高!
表表紙裏に、村松さん直筆の謡いのフレーズが。各本ごとに謡の種類は異なり、私は高砂、千秋楽は民をなで〜♪であった。なんとうれしい。
また彼女のご亭主へあてたお手紙も心がこもり、日頃のお付き合いの深さ清々しさがわかるようであった。
茶事に招かれるとそのお人柄がわかるという。今回もいままで以上にご亭主のお人柄に触れることができ、これからもずっとお茶のお付き合いしていただきたいと切に願う。
ご連客方々にも同じく、深く感謝。ほんとうにだれひとり引くことなく、お茶好きの思いを暑苦しく語れる楽しい楽しい席でした。
後祭宵山点描2019 - 2019.07.24 Wed
ああ、今年は朝から色々てんこ盛りで、宵山、南観音山の暴れ観音見に行く元気なかった。
なので、先日の吉田家からの流れで、異世界=後祭の町をそぞろ歩きした記録を。
黄昏時の南観音山 駒形提灯
お囃子もはじまった
♪ ろうそくいっぽん献じられましょう
つねは出ません今晩明晩限り、、、、
これ、学生の時に初めて聞いたときには感動したなあ。この節回しがええわ。
八幡山
ここのご町内はほとんどすべてのお家やマンションが玄関に八幡様のお使いの夫婦の鳩の玄関幕をかけておられるのがすてき
なんだか奥の方は行ってはいけないような不思議な情景
毎年、海北幽雪の祇園祭礼図が見られるのもコチラです。
あっぱれ登竜門 鯉山
人気の山なので前々日なのに行列ができていた。今年もあの元気な?鯉にお目にかかれてうれしい。
登竜門の手ぬぐいはグッドデザイン
駒形提灯と高張り提灯の組み合わせは後祭宵山ならでは
夜店がないとほんますっきりする
玄関には祭礼の提灯
屏風祭の家家をのぞきながらそぞろ歩きの人々
この景色もまた大好き
今年唐櫃巡行をはたす三条通り 鷹山
再来年の巡行復活をめざす。この日は三体のご神体はまだ飾られていなくて残念
鷹匠、樽負い、犬遣い、、、とちょっと意味不明のご神体なんだ。(光孝天皇芹川行幸の図、、らしいのだが)
さあ、異世界へ吸い込まれそうな景色がこれ!
黒主山の向こうに鯉山の駒形提灯が見える室町通り
大伴黒主が桜木を見上げる
♪ 春雨の 降るは涙か 櫻花
散るを惜しまぬ 人しなければ (謡曲「志賀」)
今までの垂れ桜から、今年初めて山桜に新調したという。これがそれだな。黒主の時代はやはり山桜。
浄妙山
宇治川橋合戦先陣争いのアクロバティックなご神体をいただく
この町の祗園祭のよき風景となっていたこの表家造りの商家が、マンションになるらしいのはあまりにも残念(表だけは残す、、計画らしいがこの後に建物がそびえるのね)
またひとつ祇園会の京都が消えていく
巡れなかった山もいくつかあるが、鉾町の宵山の風情は今年も十分堪能した。
学生だった40数年前、あの頃の思い出の中の宵山とは、風景も人の流れもずいぶんかわった。それでも祇園会は時代とともに姿を変えながら千年以上続いてきたのだ。その歴史の中のほんの泡沫の時間でも共有できることに深く感謝する。
無名舎・吉田家にてすごす宵々々山2019〜北観音山のお囃子付き - 2019.07.23 Tue
21日 後祭の宵々々山
鉾町には駒形提灯に灯がはいる。

後祭は夜店がでないのと、前祭に比べて地域が限定されて狭いので、派手さはないがしみじみとした情緒がある。私が学生だったときの宵山のように(かなり昔よ(^_^;)
本日、北観音山のご町内、通称屏風祭(吉田孝次郎先生によると屏風祭という言い方は昔はしなかったとのことで、お祭りの室礼、ハレの日の室礼ということになる)で有名な無名舎・吉田家住宅にて、夕食をとりながら祗園囃子を聞くという会。
外から見た風景。坪庭を越えて見る奥座敷は会食中の風景である。
屏風祭で外から一般の人が眺められる目線、うらやましくて、あの奥座敷に祗園祭に座ることがず〜っと夢であったのだ。2年前、始めて実現して感激ひとかたならず、今年は2回目である。
吉田家の坪庭
吉田塾にかよっているので、なにかとお邪魔しているのだが、その季節季節によって姿を変える町家である。
今年は吉田御大もおでましで、ご挨拶された。
鉾町に生まれて住んで、80数年、時代とともに移り変わる鉾町、祗園祭を見てこられた生き証人である。
まずは奥座敷で仕出しの松粂さんの豪華なお弁当をいただいて、終われば思い思いに広い町家のあちこちで北観音山のお囃子を間近に聞きながらすごす。
(うん、かつての憧れの場所にいるんだな、という感謝の気持ちでいっぱい)
玄関の間
いつもの椅子やテーブルはすっかり片付けられて、見事な祭礼の室礼
琳派の屏風や、朝鮮毛綴や、鍋島緞通や、夏の帷子や、、、
前日花一さんが生けにこられたヒオウギ
これだけ見事に生けるとはプロとは言えさすが。1本でもあるいは1本だから、ヒオウギは入れ方がむつかしい。
前日北観音、南観音の曳き初めを見た表の間の二階はこんな風で、てすりにおしげも無く懸かるのは見事な朝鮮毛綴(おそらく朝鮮通信使がもたらした朝貢品)
これにもたれてしばしお囃子を楽しむ。
これぞ宵山の醍醐味
この二階へ上がる階段はこちら、ここも風格が漂う。
玄関の間から表をのぞむ。
かつてこのお家の向かいには某デパートの倉庫になっていたりっぱなお屋敷があった。それがあっというまにホテルになってしまい、隣近所はもう一文字瓦をならべることもない。
(北観音山の例のベンゼン環、、、いや、六角マーク)
洛中から今かつての京都の景観はおそろしいスピードで失われ壊され、かつてのくらしの文化も忘れ去られようとしている。
(茶会にも使わせてもらった奥二階の板の間)
吉田先生はこの家を、ここにお住まいになりながら京都市に寄贈された。家を、鉾町の景観を守るために、そしてかつての洛中の暮らしの文化を伝えるために。
(奥二階からみる瓦屋根)
失われつつある「京都」がまだここにある、だからこんなに惹かれるのだろう。
奥二階から見下ろす玄関の間、こんな風景に憧れる。
今ではこの価値を外国人の方がよくご存じ、というのも皮肉な話だ。
会食が終わり三々五々お客さんが引き上げたあとの座敷。
奥に見えている赤いのは実は簾で、昼間見ると、、、
こんな感じでよく分からなかったが、夜見るとこういう風にみえるとは驚き!なんと美しく手の込んだ簾であることか。
唐子の部分は糸をかがって作ってあるという。古いお家には残っているのだな、今ではもうこんなの作る人はいないだろう。
提灯にひときわ目立つベンゼン環、、、いや、六角形(どうしてもベンゼン環からはなれられない)
吉田家を出た後は後祭の鉾町をさまよう。まだ人出は少ないのでよりゆっくり楽しめた。
今年は無理かとおもっていたレアアイテム(非売品よ)、北観音山の粽を吉田先生のご厚意でいただけたのにも感激!
無名舎・吉田家二階から北観音山・南観音山曳き初め - 2019.07.22 Mon
新町通りの大舩鉾、南観音山、北観音山曳き初めの日
曳き初めを待つ北観音山の前には紋付き着流しの吉田御大のお姿。

ことしも屏風を飾る吉田家・無名舎の二階から曳き初めを見せてもらう。
でもまず、その前に曳き初めに参加しなくちゃね。
新町通りは狭いから人があふれかえる感じになる。
さあ、がんばって曳くのだよ。
まずは北上、八幡山を越えて三条通りを越えて姉小路あたりまで。祗園祭の風情が一番残るところ。
その後を追いかけるように上がってくる南観音山。
ここで南下する両観音山を吉田家二階で見るべく、私は吉田家へとって返す。
吉田家の玄関にはレアアイテム(宵山でも販売されない関係者だけに配られる)北観音山の粽が山積み。
まず南下する南観音山を
四隅の房飾りは四君子の薬玉。
お囃子を同じ目の高さで見られるのがありがたいところ、昔は手をのばしてお囃子方から直接粽をもらったりしていたという。
そして後から北観音、こちらの方が引く人が多いようだ。この混雑と熱気!
いつもは遙か上に見上げる屋根の上の大工方さんも目の前に
二階でみていると逆に真松は見えないのだが、お向かいのホテルのガラス窓の中でゆっくりすすむ真松を見ることができてうれしかった。
この房飾りが祇園守
やっぱりベンゼン環(^_^;のシンボルマーク
こうして無事に今年も曳き初め完了
知り合いもいるのもうれしい北観音の作事方の方々、あと少し、がんばってください。
曳き初めの終わった新町通りを二階から見た図。
ちなみに手前の掛け物は吉田先生の貴重なコレクションの朝鮮毛綴の一つ、後祭宵山で是非みてください。
ハレの日の奥座敷
出入りの花屋さんの手で、ヒオウギも飾られ、
吉田コレクションの並ぶ玄関の間は、宵山の間、外からでも見られるようになっている。
駒形提灯に高張提灯のならぶ後祭の鉾町である。
北観音山の真松立て2019 - 2019.07.21 Sun
今年はほんまに雨の日が多い。後祭の鉾町を行く。
新町通りの南観音山と北観音山は鉾ではなく、真松という松をいただく。

植木屋さんが用意した、いずれもりっぱな枝振りの松であるが、一応形式的に松取り式といって、松を先に選ぶ方を決める。
今年はもう終わったあとだったが、南観音山の世話役さんがまだ紋付きの正装をしてはった。
ちなみにこれは、、、
3年前の松取り式の写真。
まわりくどいが、ジャンケンで前にくじを引く方を決め、くじで先に取るか後にするか決めるのだ。
今年は南観音山が先に選んだらしい。これがその真松である。
どちらにせよ甲乙つけがたいいい松を植木屋さんは選んでいるので、形式的ではある。
「先にええ松をえらばせてもろて」「ええ待松を残してもろて」、、のいかにも京都っぽい(^_^;やりとり。
北観音の方が作業は進捗している様子。
真木との接合面を作るべく真松の根元を成形中。
グラインダーで削るときにはあたりにいい松の芳香がただよう。
北観音は六角町なのでシンボルが六角形、Tシャツは毎年おそろを新しくするらしいが、これの真っ赤バージョンもあった。
しかし、、、私にはどうみてもベンゼン環に見えて、、、、
このバージョンの方がかっこいいなあ。
この紋は家紋にもある「祇園守」、かつて八坂神社が配布していたお守りがモチーフ。(今では木槿の方が有名だが)この紋は鉾の四隅の房掛金具としてもちいられている。
北観音山の有名な棟梁、真松と真木のつなぎ目を確かめる。
南観音山をふりかえれば、高張提灯が祭の風情をもりあげる。
雨がふるのでブルーシートの下での作業、ご苦労さまです。
さて、また北に帰ってみると、ちょうど真松に尾長鳥の人形をとりつけている最中であった。
南観音は白鳩の人形で、これがいつからなのか、何の意味があるのかは不明。でもかなりリアルできれいな人形である。松があがってしまうと遠景で見分けにくいので、望遠が必要。
真松差し込み準備、大工方、手伝い方その他?のみなさん、連結された真木と真松を持つ。
差し込むためには本体を90度回転させる必要があり、北観音ではこの回転の時の綱引きを一般の人にもさせてくれるので、もちろん引く!
天井が横を向いた状態で真木の差し込み固定
いよいよ真松立て、さしこんだ真松を浮かせて持って、、、
念願の函谷鉾・提灯落とし!+日和神楽コレクション2019 - 2019.07.19 Fri
いつまでも前祭の記事が終わらない、、、世間はもう後祭の準備にはいったというのに((((;´・ω・`)))
宵山の夜、長年見たくてなかなかタイミングがあわなくて見ることが叶わなかった函谷鉾の提灯落とし、今年こそ見るのだ!
しかし今年の宵山は例年の人混みではない。翌朝新聞で見たら、昨年より9万人少なかったというから、体感数は正しいのだな。なんでやろ?
四条烏丸〜室町 鉾の辻、この駒形提灯も今宵限り。
8時半くらいから函谷鉾のそばにスタンバイする。
例年9時半くらいと聞いていたが、、、
今年は遅い。なにしろ長刀以外で一番東にあるので、他の鉾の日和神楽が全部出発するのを見送ってからの提灯落とし、他の神楽が遅れればやはり提灯落としも遅れる。
しかしまあ、ほとんどの日和神楽が目の前を通り過ぎていったのはよかったな。
まずは宮川町まで遠征する綾傘鉾、イケメン棒振りお兄さんを先頭に。
日和神楽がつづく。
足元を通り過ぎる日和神楽を見送る函谷鉾のお囃子方さん。お互いを励ますように囃子の応酬もみもの。
続いてやってきたのは船鉾
四条傘鉾
ここのお囃子方に知人がいて、今年も元気に笛をふいてはった。安心する。
こちらは函谷鉾の横を通る放下鉾
月鉾のお囃子
日和神楽のリズムはおそらくどの鉾もいっしょではないかと思う。(なにせtone deafなもんで自信ない)このお囃子は好きで、しばらく脳内再生がずっとつづいた。
太鼓が先導する鶏鉾
いよいよ最後の菊水が行く。
提灯落としはこれにて宵山終了の合図でもある。
さあ、いよいよだ〜!(この時点で10時すぎ)
お囃子のペースがだんだん速くなってきて、、、、
うお〜〜〜!
感動!!
ここまでねばってヨカッタ!
このあとお囃子方の三本締めに観客があわせるといういい場面もあったが、録画しそこねた。
ああ、これで今年の前祭の宵山はおわりだ。翌日の巡行を待つばかり。
四条通りを八坂神社の方へ歩くと、すでに御旅所でお参りと神楽奉納をすませた放下鉾が帰ってくる。
鶏さんも帰ってきた。
御旅所の前では岩戸山がお神楽奉納前のお祓いをうけていた。
連なる鉾町の役員さん
次々たくさんの日和神楽が来ては去って行くので、ちょっとした空きの時間、御旅所は前を広く開けてあるのね。
さて、さらに東へ東へ、、、、
八坂神社の前、葛切りの鍵善さんの前でようやく先頭を切って、唯一八坂神社まで行く長刀鉾に追いついた。鍵善さんで水分のおふるまいを受けて、いよいよ最後の舞台にのぞむ。
祗園商店街のお歴々もでてきはって挨拶がかわされる。
出発!
一力茶屋の前を通り過ぎて、、、、
八坂神社南楼門をめざす。
先回りして境内に行ったが、それなりにひとだかりが既に。みんなよう知ってはるわ。
三基そろった神輿の前で最後の日和神楽
これは始めてみたが風情があるなあ。
場所柄、祗園も舞妓ちゃん、芸妓さん、仕込みの子もお囃子に聞き入る。
長刀鉾と舞妓ちゃん、本日のベストショット(自選)
祗園・山鉾町お茶席3つ〜宵山編・2019 - 2019.07.18 Thu
<その4・一力茶屋〜而妙会茶席>

舞妓ちゃんが入っていくのは一力茶屋
祗園祭献茶祭の協賛席、かれこれ一力に入るのは3回目、2年ぶり。
待合の広間では長刀鉾の網隠しと鉾、即中斎(表千家先々代)の「あやかれや長刀鉾の、、」の歌が記された扇
始まる1時間前から並んで最初の席に潜入。
而妙会は表千家の男性ばかりの数寄者の会だと聞いた。(先代が而妙斎)
なかにはNHKの有名な元海外派遣記者さんもいたりする。
でも、まあ、お目当てはやっぱりお運びの舞妓ちゃんよね。
鉾の柄がおしゃれ
この舞妓ちゃん、横からじゃないので、祗園祭の間だけの髪型・勝山かどうかは確認できず。あ、勝山の妓ももちろんいたよ。
お菓子が餡子の比率の高いとらやさんの葛焼、美味しかった。
一般的に濃い色の着物の方が白塗りの顔が映えてきれいなように思う。
もう、だれもお茶なんて見ちゃいね〜(^_^;
左の奥にいる妓が勝山かな。
まあ、深いことは考えんとひたすら華やかな美しさを楽しむのよ。
なかなかの壮観でありました。
一力のお庭
かの有名な暖簾、、、内側、というのに価値あり。
<その5・太子山秦家で煎茶>
祗園祭の山鉾で一番西で一番南に位置する太子山、聖徳太子像をいただく山である。
ここまでくる観光客はさほど多くないので、なにやら昔の風情がただようが、
その会所飾りをされるのが築100年以上、京都市有形文化財にもなっている秦家である。
もう何度もおじゃましている。
太子山は今年山の前懸けを新調されたので、見物客も多い。
数年前、こちらも新調された担い茶屋が巡行に参加するようになった。その初代の担い茶屋亭主(?)が宇治田原のお茶のブレンダー、Tさんである。お声かけいただいて、秦さんのお家にあげてもらい、涼しい風が通る座敷で、特製煎茶を煎れてもらった。
なんでも巡行の時、担い茶屋で振る舞うお茶をブレンドされたのだという。
冷たく冷やした煎茶はさわやかで、蒸し暑い中の汗がすっと引いていく。
座敷をわたる風もご馳走だ。
この座敷には文化財になって公開する前から一切今以上(卓以外はほとんど何もありません)の物はおいていなかった、と聞いて感動した。雑然とした我が家の居間を見て、どうやったらそういう日々の暮らしができるのか、想像ができない。
子供の頃から物をふやさない、必要な物以外は買わない、大事に長く使う、始末するなどきびしくしつけられてきたのだという。
商家の暮らしは何代も同じ場所で暮らしてきた人たちの智恵がつまっていると思った。
お邪魔するたびにこの家を守っていこうと決心され、あれこれ工夫をされている秦さんのお話はいつも心に響く。
そういえば数ヶ月前、ここでいただいた「ひゃくいち」という漬物はご飯を何杯でもいけそうなくらい美味しかったなあ。
<その6・斎竹高橋町〜簾屋さんの祗園祭茶会>
巡行の最初、長刀鉾の稚児が切る注連縄をご奉仕する町内が高橋町である。
ここの簾屋さんのお若い兄妹さんはとってもお茶好き。
毎年宵山に店の片隅の座席で茶席をもうけて下さるので、これも宵山の楽しみのひとつになっている。毎年、山鉾の一番籤にあたった鉾をテーマに趣向をこらしていはるが、今年は昨年に続き再び蟷螂山である。ここの粽は人気で、14日の段階ですでに売り切れと聞いた。
100年以上続く簾屋さんで、建物も築100年以上、材料をいれる箪笥もいい風情だなあ。
評判を聞いて、毎年参加者が増えて待ち時間が長くなったので、今年は予約にしたかわりに点心で一献付きというなんとうれしい!妹さんは新旧乙女でお手伝いくださった方でお料理上手、とっても美味しい点心だった。
このかわらけは、、、
毎年ニッコープリンセスホテルの一室で宵山の日だけ展示される斎竹の注連縄を拝見したらもらえるこの、、、、
祗園さんの紋入りかわらけ。
ちなみに私今年で3個そろいました!
お兄さんはかつて四条傘鉾のくじ改めの正使をされた経験があるそうで、くじをいれた箱をあける独特の所作を再現してくれました!すごい!かっこいい!
その箱の中には籤ならぬ(籤を模した紙は入れてはったよ)鉾の網隠しを模した主菓子が。
なんと心憎い。最後に籤の箱の紐をくるっとまきつけるところまでやってくださった。
お点前は妹さん、不規則な座敷を逆勝手にすることで上手に使ってはる。釜の水は宵山の間だけ開く、烏丸四条上がるの御手洗の井の名水をわざわざご用意下さったとは、これもうれしい。
二服目をいただく時の干菓子は、、、
これまた鉾の辻回しのイメージ!
車輪をすべらす竹の棒を模した青竹、車輪の焼き印のある煎餅、そして辻回しに欠かせない水である。
いや、もう感服でした。ほんまに、こちらでもお茶が大好きでしょうがないと思われるご亭主ご兄妹がいてくれることに感謝です。
かくのごとく、この期間中あちこちでこっそり、あるいは大々的に、かかる釜もうれしい宵山なのでありました。
山鉾町お茶席3つ〜宵々山編・2019 - 2019.07.17 Wed
昨年は、宵山に綾傘鉾で祗園祭の茶会をした。けっこう疲れて宵山も日和神楽もすっとばして帰宅するハメになったので、今年はおやすみ。
それでも今年も鉾町のあちこちで釜が懸かるこの楽しさ!
<その1・船鉾町>
船鉾町の白生地屋さんで毎年懸かる釜。
宵山茶席としては私の中では一番古い。
亭主はD君、今年はスペシャル半東でF太朗君も。
長年使い込んだ籐筵も心地良く涼しい町家の奥に、これまた涼しげな室礼。
釜の代わりに冷水をたっぷり入れた壺を。
築100年はたとうかという町家の坪庭を眺めながらのひとときは贅沢な時間。
今年は涼しいのもあるのだけれど、ほんとうに凌ぎやすい祗園祭だ。
摺り琥珀のお菓子をいただいて、
なんと水指の中からでてくるのは氷
冷水点てを美味しく頂戴した。
茶器や茶杓はF太朗君心入れの李朝民具の見立ててで。
この茶席は毎年の楽しみである。
<その2・菊水鉾>
コチラは祗園祭恒例の菊水鉾の茶席
コンチキチンのお囃子を聴きながらいただく茶席は流派日替わり、この日は茶友さんの活躍する遠州流の席であった。
「したたり」
♪處は酈縣の山のしただり、、、謡曲「菊慈童」
毎年色が変わる持ち帰りのお皿は、今年は青磁色であった。
菊水さんの粽はこんななのね。菊水紋を巻きつけたのがりりしい。
この席は毎日1000人来られるそうで、今年はじめて30分ほど並んだ。すごいなあ。
ちなみに名水菊水のあったここは大黒庵・武野紹鷗の旧宅跡という。
そして700年の歳をかさねた伝説の菊慈童君。
(菊慈童人形としては重陽の節句に法輪寺で拝める菊慈童が最高に美形)
こちらの点前座はいつも南鐐セット、残念ながら点前は見られなかったが。
今年はカメラの望遠機能で精一杯天王座の彭祖(ホウソ・菊慈童のモデル)を撮ってみたが、いまいちだった。もっとレベルの高い望遠レンズが必要。
<その3・岩戸山>
岩戸山のお飾り所でもありカフェでもあるターミナル京都さん。

祗園祭の鉾町散策時にはクールダウンする場所として毎年重宝しているのだが、今年ここで始めて祗園祭の釜が懸かるという情報がまわってきた。なんとうれしいこと。
奥は1年に一度は利用する座敷のカフェ
玄関の間では岩戸山のタペストリーの展示で人でごったがえし、賑やか。
一歩入ると静かな町家でご案内を待つ。
亭主は昨年うちの祗園祭茶席にきてくれた若いお嬢さん、でも学園出身のバリバリのお茶人さん。
この茶席券の裏、一枚一枚に「蘇民将来子孫也」を書いてくれたのだと。
待合にて冷たい甘酒をいただく。冷たいのもさわやかで美味しいのね。
経筒に入れられた花はもちろん檜扇。
広間の茶席はなんどかお邪魔したことがあるが、またなんと清々しい。
お菓子は食べられる粽
そうこうするうちに表から岩戸山のお囃子がかすかに聞こえてきて雰囲気はもりあがる。ええ風情だなあ。
茶席の経験がない方がきてくれるとうれしいとおっしゃり、とにかくお茶を点ててもてなすのが楽しくてしょうがないという感じのご亭主、全部でこの日約50人、全員に点てたそうで、疲れもものともせず。見ているこちらも楽しくなってしまう。
花は蓮
軸は「八角磨盤空裏走」
棚も八角、薄器も祗園守りのあの八角、正面にすわると目と眼が合って思わずにやりと笑ってしまうほどかわいらしい頭に宝珠をのせた龍の雲龍釜、いずれもご亭主の雰囲気にぴったりで、御連客も良い感じで楽しかった!
外に出ればもう駒形提灯がうかびあがる。
これは是非来年も懸けてほしいもの、宵山の茶の楽しみがまた増えた。
(まだまだお茶はつづくよ、宵山編に続く)
濡れ鼠になりながら船鉾の曳き初め+岩戸山 - 2019.07.16 Tue
曳き初めは狭い新町や室町あたりで見るのが醍醐味だといえる。
しかし、、、今年の祇園祭はどうしてこんなに肌寒い。おまけに13日は大雨である。

仕事終わりに阪急烏丸からすっとんでいったけれど、最初の北上路はもう定員一杯で曳けなかったから、お見送り。
お囃子と同じ高さから見る人がうらやましい。しかもこんな至近距離でね。手をのばせば届きそう。
道が狭いゆえ、傘をさすことは許されず、びしょ濡れ覚悟、頭に手ぬぐい巻いて気持ちだけ防御。(この際かっこうは二の次、知り合いに合わなければいいのだ)
反対側にすすんでいるので、向こう側にいて姿が見えない音頭取りの「ヨ〜イヨイえんやらや〜」が聞こえる。
さて、復路の南行きは綱が引けそうだ。と、待っていると、、、、
船鉾の南に位置する岩戸山の木乃婦の御主人が船鉾へご挨拶ね。着物姿があまりにかっこいい。
後から聞こえるお囃子に振り返れば、、、
おお、岩戸山が迫ってきていた。
岩戸山のマークの番傘が風情があって良い感じ。船鉾のすぐ後まで迫るので、スタンバイしていた我々の列と岩戸山の曳き手の列が二重になるという混雑振り、これも醍醐味だろう。
今回も雨に濡れながら真剣に引いた。途中狭い道なので鉾の天井が電柱にぶつかりそうな一幕もあったが、大工方がうまいこと外すのを見るのも新町ならではである。
そして気づけば仏光寺あたり、岩戸山を前に発見。うまいこと連動して動いているわと感心する。
今年も曳き初めができてうれしい。
なんか血湧き肉躍るというか、祭アドレナリンでまくりになるのである。何歳までこれやってるかな〜(^_^;?
最後に綱をかたす大工方さんたち。あとは本番に引くのを待つばかり。
帰り路シャツも髪の毛もびしょびしょでひたすらキモチワルかったけれど、風邪引かないように帰ってあったまった。しかし、何度もいうが(いつもは超暑い)祗園祭に暖まるという語を使うなんて、、、、
鉾曳き初め〜函谷鉾、長刀鉾 2019 - 2019.07.15 Mon
12日四条通り、室町通りの鉾の曳き初め

曳き初めの先陣を切る函谷鉾へいってみよう。
ここの飾りはアゲハチョウである。
14時からの曳き初めに30分前ですでに行列ができていて、顔なじみの祗園祭友とごいっしょした。
なんとか最初の東行き往路の曳き初めができそうだ。
綱が渡され、お囃子も最初の太鼓の音が入る。
ここの鉾は曳き初め中の撮影は禁止なのでこのスタンバイ状態で綱を撮る。
さあ、しっかり握って。
屋根の上の大工方、かっこいい。
高所恐怖症の私には考えられんが。
音頭取りの♪ エンヤラヤ〜で引く。
割と必死。軽く手を添えているだけの人もいるけれど、真剣に引くと意外と力いるよ。
ギシッと最初の音を立てて都大路を今年も鉾がゆく。
曳き終わって今度は西行き、お見送りする。すでに曳き初め行列は満員御礼定員に達していた。昔はそんなことなかったように思うがえらい人気。
今年は巡行の日が仕事なんで、曳き初めを十分堪能しよう思う。
烏丸より東は唯一が長刀鉾である。烏丸をわたらないとイケナイのと、人気ゆえ人が殺到するのでこの10年、長刀鉾の曳き初め見たことがなかったのだが、放下鉾の鉾立て見たあと烏丸へ出るといいタイミングで長刀鉾が折り返しの西行中。
ほう、曳き初めの時もやっぱりお稚児さん、載らはるんだ。
鉾が会所についてほっと表情も緩む。
かなり距離はあったが、我が望遠レンズ意外に良い仕事したわ。
お稚児さんは会所の中へ。
本番まであと少しだね。
(謡曲「小鍛冶」の)三條宗近が鍛えし(伝説)長刀は空につきささる。
昼ご飯も食べずにがんばってしまったので、最後はsuina室町のレストランで鶏鉾さんを見ながら晩ご飯的ランチを。ええ眺めや。
放下鉾の鉾立て2019 - 2019.07.14 Sun
鉾立てのまだ終わらない町内もあれば、鉾の曳き初めも始まる12日である。この日はとかくいそがしい。

曳き初めが翌日13日の船鉾さんは急ピッチで作業中。
同じく明日の岩戸山
引き綱もスタンバイ
これに神様が宿るから引くときは真剣に!と言われる。
船鉾の石持もセット完了。
組み立てるときの印を見つけるのが好きである。
船鉾の船首が輪郭をあらわしてきた。
さて、函谷鉾でひきぞめした後、菊水鉾の曳き初めのハシゴをするか、まだであった放下鉾の鉾立を見るか、選択に迷ったが、今年は鉾立て見ることにしよう。
これは鉾本体を90度回転させる前の状態。
シャグマのカットもりりしく、さらに榊を取り付け中。
放下鉾の榊は扇を広げた形で、ちょっと独特、ほかの鉾とは違う。
真木取り付け中。
鉾の中間当たりの天王座も鉾町の人たちの手でとりつけられる。この天王座に放下僧(遊行僧か?)が祀られるので放下鉾というそうだが、その像は見たことがない。
真木もつけられ、網隠しの弧を描く棒も設置、あとは引いて起こすばかり。
鉾先を持つスタッフ
鉾立の音頭取りさんもスタンバイ
少しずつ少しずつ上がって行く鉾
緊張するね。
立ちました〜♪
立った後で檜扇型の榊がちょっと左右非対称であることに気づく大工方さん、苦笑い(^_^;
昔は人力であったと思われる鉾立ても今はウインチで立てるのだ。
さて、放下鉾の曳き初めは13日!
雨の鉾町〜鉾立て初日 2019 - 2019.07.13 Sat
11日、主だった前祭の鉾の鉾立ての日、あいにくの梅雨空、鉾町を夕刻からぶらぶら。

鉾町にたどりついたのは夕刻だったので、もう縄がらみも終えている鉾が多い。続きはまた明日、とビニールカバーを掛けている船鉾さん。
その南の岩戸山さんではビニールシートの下でまだ作業中。
湿り気があると縄が締まっていいような気がするがどうだろう。
見物の人も三々五々、傘をさしながら。
しかし、祗園さんなのに、ここまでなぜこうも涼しいのか?(夜はむしろ寒い)すごしやすいけれど、暑さがないと物足りなく思うのはなぜかしら(^_^;
後祭の大舩鉾の会所ではまだ祭礼の飾りだけだが祭の雰囲気を醸している。
四条通りにでると月鉾さんも向こうの函谷鉾さんもすでに鉾立ておわっていた。空は梅雨空。
こちらは鉾立てが翌日予定の放下鉾さん、真木がまだ雨に濡れてよこたわったまま。明日鉾立て見られるかな。
霰天神山の祭礼提灯は赤くてよく目立つ。
今年は山鉾13番みたいだね。
中華の膳所漢では宵山限定のしみだれ豚饅を販売するが、すでにセールスモード。
一度食べたが、あれはちょっと若い人向きやね(^_^;
傘鉾一番の綾傘鉾
といっても、2つしかない傘鉾の定位置は決まっているので、四条傘鉾とどっちが先になるかだけなんだけれど。
室町通りの菊水鉾も鉾立て終了、雨養生をしている。
四条通りの函谷鉾、梅雨空を背景にすっくと立つ。
こちらは曳き初めのトップを切るので、内装の飾りもまだ続く模様。
会所に山積みの縄
稲藁も入手困難になってきたというが、なんとかもってくれないと鉾たたないし。
最後に、新しくできたsuina室町を背景に、昨年とずいぶん周りの景色がかわった鶏鉾さんを見て、明日の曳き初めにそなえよう。(いや、別に私がそなえる必要はないのだが)
神輿洗い2019 - 2019.07.13 Sat
7月10日神輿洗い
17日山鉾巡行にて清められた都大路を、八坂神社の神様をのせて御旅所まで運ぶ神幸祭の三基の神輿の内、中御座を鴨川の水にて清める儀式である。ちなみにこの清める水は同日朝、鴨川から桶でくみあげられる。
とはいえ、神輿洗いのおこなわれる四条大橋はかなりの混雑で近年では規制もあり、なかなか見るのは大変。しかもこの日はお仕事、仕事帰りに四条京阪の駅をでると、もう神輿は八坂さんへお帰りの道中であった。
四条通りと東へ、八坂さんまでおいかけよう、、、と見ると、、、
ああ!これだ!
しっかり見たいと思っていたお祝い提灯。
これは2年ほどまえだったか、祗園商店街の旦那衆が祭に花を添えんとはじめたと聞いた。
これこれ。
友人の絵師さんが彩色したと言ってた鯛提灯。
かわいい♪
他にもお化けっぽいものもあれば、
お酒の徳利、盃みたいなものや、
年々増えてバリエーション豊かになっている気がする。
昭和初期の神輿洗いの絵図では、神輿の賑やかしに花街のお姉さん方や、歌舞伎役者的出で立ちの人やら、かなりにぎにぎしかったようなので、もしかしたら、このお祝提灯も復刻なのかもしれないが、そこは聞いてみないとわからない。
清々講社・宮本組(祗園祭を主に経済的に支える講社の筆頭)のお歴々、中に知ったお顔をみつけてご挨拶。
年々祗園祭に携わる方々との知己が増えて、とてもありがたくうれしい。
八坂さん西楼門前で、神輿洗いに先立つお迎え提灯でがんばった鷺踊りや小町踊りなどの子どもたちが提灯を手にお迎え。
四条通りはすごい人だかりだが、八坂さんの表門である南楼門へ続く道は穴場かも。
至近距離で写真撮れる。
常盤殿の前でカメラをかまえたらポーズをとってくれた松明のお兄さん。
あと少しだよ。
もちろん御神輿も至近距離(輿丁さんぶつかり少々危険(^_^;)
神輿は神輿洗いまで飾り付けをいっさいしておらず、上に乗る鳳凰もなしのシンプルさ。
南楼門前、二軒茶屋中村楼にて補水休憩する輿丁さんたち。
これから境内に入って最後のお練りをするまでのひととき、思い思いに。
その間を縫って、神輿が拝殿に納まったあとの芸能を披露する、先ほどのお迎え提灯の子たちが境内へ走って行く。はやすぎてぶれてしかも暗いのでわからんが、お母さんに手をひかれているのは鷺踊りにでる赤熊(シャグマ)の子。
小町踊りの子たちも続く。
中御座を神幸祭・還幸祭の時に担ぐのは三若さんなのに、なぜ神輿洗いの時だけ四若さんなのか、長いこと疑問だったが、数年前やっと解答をみつけた。まあたいした意味はなくて大人の事情だったということだ。
中御座神輿が、すでにおさまっている東御座、西後座の並ぶ拝殿へ。
いっせいに中御座の飾り付けが始まる。
おお〜!
てっぺんに乗る鳳凰も担がれてるわ。
鳳凰セッティング中。
このあと、三基の神輿の前で子どもたちの鷺踊りや舞殿での演芸がくりひろげられるが、今年はこれにて失礼しよう。
親鸞聖人と古陶磁のお話し聞きつつ〜たこ焼き茶事 - 2019.07.11 Thu
またしてもタライ・ラマ師のたこ焼き茶事へ。
自分のブログで数えてみたら、少なくとも5回目ということが判明、どんだけたこ焼き好きなんだ。

懐石は同じたこ焼き茶事でも、毎回違う御趣向にて、今回は待合にて、和尚様愛蔵の「親鸞聖人御絵伝」の絵解き御講話をまず拝聴。
(お写真は和尚様よりちょうだいし、アップのお許しも得ました。いつもながら太っ腹!)
御絵伝に描かれた六角堂参籠の場面
親鸞聖人、比叡山をおりて観音様を祀る六角堂に100日参籠の95日目の明け方、観音様が僧侶の姿で夢にあらわれ、東の方、東山山麓吉水に庵をむすぶ法然に会えというお告げ。それからただちに法然のもとに馳せ参じ、弟子となったという。
その六角堂の観音堂を再現されたというこの龕(厨子)は李朝のもの、中におさめられた手のひらサイズの小さな木仏は、、、、?ええ〜っ!円空ですか!
両脇に手向けられた花入の、またいれられたヒメジョオンの花の、ちいさくて可愛いこと!
一連のお話しを聞いていよいよたこ焼き懐石、おりしも時は半夏生、関西では半夏生の時期に蛸をたべるんだと。(理由は不明)
向付がお正客から、李朝粉引→古唐津→初期伊万里(私の)→柿右衛門様式伊万里、、、と古陶磁の歴史を年代順に並べたという、ここでもまたお勉強。
今回のたこ焼き碗は、今年の唐津やきもん祭でも大活躍された、若い唐津の陶芸家さんの絵唐津茶碗。
唐津やきもん祭の茶会といえばDISCOVER JAPANに記事としてとりあげられ、来年は茶席券ゲットのハードルがかなり上がるもよう(^_^;
でも、あれはほんとに楽しい茶会だったな、忘れられんよ。
昨年からご子息が、たこ焼き参戦、お若いながらたこ焼き暦10数年とか、その技量は父上をすでに越えているようで、息子→父への指導の一場面も(^_^;
かつて神戸あたりの駄菓子屋で売られていたという神戸たこ焼き(ソース+出汁)、企業秘密(?)のたこ焼き粉と、数種の鰹節で取った美味しい出汁と、これはもうやみつきレベル。
(くぅ〜〜垂涎の粉引皿に塩笥ぐい飲み お正客さんの)
塩、柚子胡椒などの薬味でそのまま食べる、もしくは大阪風にソースだけ、明石焼っぽく出汁だけ、いろんなバリエーションがありながら、私は神戸たこ焼きから浮気をしない。
今回の御連客はほとんど顔見知りの方ばかりで、お能つながりの方も偶然いらして、これは和尚様の企みか?と思うほど、楽しい客組でありました。(みんな、茶の道濃いわ〜〜)
(唐津でもごいっしょした)古美術商の方もおられて適時コメント拝聴できるのもありがたし。
たこ焼きに目をうばわれないで、テーブルの上にちらばった貴重な器類も注目よ。
唐津の窯跡から地元の陶芸家さんが見つけた破片のエピソードのお話しがあったり、、、
イタリアン茶事の時にブイヤベースを入れる古唐津の塩笥、匂いが移るとたくさんの方からお叱りをうけたけれど、匂わないでしょ?をみんなで検証したり、、、(ほんま匂わなかった!あんなに毎度オイルたっぷりのブイヤベースいれてたのに、ビックリ!)
今回も無事、たこ焼きのタネを空っぽにできた!
炭手前では、またまた新顔の珍しい炭斗。星岡茶寮の支配人にして骨董の目利きであり、文人でもあった秦秀雄旧蔵とか。(この方は魯山人を星岡茶寮から解雇した人でもあり)
主菓子は、プレやきもん祭で博多のバーで和尚様がたこ焼き茶事をされたときに、和菓子の博多・藤丸さんが特注で作ってくださったという藤の花(本願寺の寺紋)のきんとんのオマージュかな。中の餡が薄緑でとてもきれい。
器はもちろん絵唐津、松紋大皿残欠。(完品は出光美術館にあり)
中立のあと、後入りすると、、、、
おお!七夕の室礼!
せんだって、私もした天ノ川をあらわす布は、980円の半幅帯だったけれど、、、
こちらではブータンの織物に藍の布、レベルが全然違いますやん(^_^;
暗い中でいただく濃茶。
(子供が描いたような)素朴な鉄絵がかかれた茶入、実はこれ、唐津の研究家の本に絵やら、写真やらが載っている茶入そのものだったのですって。よく気づかれたなあ。それを見つけてさぞや小躍りされたことだろう。それを知らない売り手に気づかれないよう(値段つりあげられるかも、なので)平静をよそおってそ〜っと入手されたとか(*≧∪≦)
主茶碗に使われたのが目跡のかわりに砂をまいた鬼熊川。鬼熊川と真熊川の違いについてお話しを聞く。鬼熊川って大きいだけ、と思っていたがむしろこれは小ぶり、でも荒々しい感じが、写真ではよくわからんが、実物をみるとなんとなくわかるんだよなあ。これは貴重。
こちらは薄茶、電灯をつけた時の様子。
今回も唐津の跡見で、(特注)陶片煎餅を客に選ばせて、それの元になった茶碗を使ってそれぞれお薄を点てていただく趣向で。
唐津の茶会では、お隣の方にあたっていた、穴あきの(石ハゼ)緑唐津のペアでいただいた。この煎餅、和尚様特注なんで、ちゃんと同じように穴があいているの。
陶片煎餅は中里太郎右衛門さん監修の煎餅で、昨年よばれて感激し、今年は唐津のお店で買い占め。美味しいし、お稽古仲間に持っていってたいへん珍しがられよろこばれた。
天ノ川をわたる舟、、、の鎖がどこに引っかけてあるのか知ってまたビックリ!(^_^;
照明器具、おっこちないといいけど、、
かくて約6時間、楽しすぎて時がたつのもついつい忘れ、、、
帰宅したときには日付が変わる寸前とあいなった。
お土産に蛸のダメ押しで、蛸のぺったん焼をいただく。これも美味しいのであっというまに完食してしまうのである。
綾傘鉾稚児社参2019 - 2019.07.10 Wed

今年の祇園祭しょっぱなは、毎日涼しい、、、
例年のあの蒸し暑さが全然なくて、なんだかちょっと頼りない感じ。
7月7日は綾傘鉾の6人のお稚児さんの八坂神社社参の日。
ちなみに社参するお稚児さんは、長刀鉾、久世駒形稚児、それから綾傘鉾である。
八坂さん常盤殿で準備中、お稚児さんの小さい草履がかわいい。
13時過ぎによらせてもらったが、準備の方は朝7時半からという長丁場、お稚児さんもMAX2年生と小さいので、さぞたいへんであったろう。
鉾町との結納の儀は見逃したが、固めの杯の儀は拝見できた。今年は毎年粽作りのときにごいっしょしている方のお孫さんがではるので、楽しみ。
後に控えるお父さん方とお稚児さんに盃、あ、まさかお酒じゃないよね(^_^;
記念撮影、衣裳のお直しもたいへん。
このお稚児さんたちは、山鉾巡行の時、あの距離をがんばってテクテク歩くのだ。(疲れて泣きべそかく子もたまにいる)
社参までの休憩時間、ほっと幼稚園児、小学生にもどるひととき。
私は社参まで八坂さん表門(南側だよ)そばの二軒茶屋中村楼のカフェでかき氷を堪能。
これは琥珀糖シロップで、一番好きなやつ。
で、のんびりしていたら、、、思ったより早く出発したらしいことをSNSで知っておおあわて。
あらまあ、もう表門にさしかかってた!
やばいとこだった。
本殿で八坂さんからお守りなどもらうらしい儀式がおわって、社殿を三周するお千度。
表の方は観光客いっぱいなので、裏参りの場所で待ち構える。
行列がきたきた。
「さっき教えたようにお辞儀して手をたたいて、、、」という指導を受けながら裏参り。みなさん上手にできてます。
神社の緑に、お稚児さんにさしかける、この三連の綾傘の赤がとても映えて好きな景色である。
最後に社殿の表でお参りしてお開き。
本番、がんばって歩くのだよ。とついつい老婆心。このあとはお稚児さんもリラックス、彼らのじいちゃんばあちゃん、親御さんがもう必死で記念撮影しているのもほほえましい。
また一つ、祇園会がすすむ。
名も走井の水の月〜走井・月心寺 - 2019.07.09 Tue
大津・走井の月心寺といえば、NHK朝ドラ「ほんまもん」にでてきた胡麻豆腐の尼さんのモデル、村瀬明道尼を思い出す。ここの庵主さんをしばらくしておられて、手作りの胡麻豆腐はじめ、精進料理をお客さんにふるまっておられ、その講演会にさそわれたこともあり、行かなかったことが悔やまれる。ほどなくして遷化されたからだ(2013年)。

その月心寺へのおさそいあり、初めて行って見たが、、、なんと車がビュンビュン通るもろ国道沿いにあるとはしらなんだ。場所も名にし負う逢坂山。(しるもしらぬも逢坂の関、、、)
かつて京、大津に入る関所、東海道追分に賑わった走井茶屋の跡地である。走井餅が有名だったが、国道がとおったことですたれて店は八幡に移転された。(走井餅といえば初めから八幡だと思い込んでいた、、)
その跡地を大正5年、日本画家・橋本関雪がご自分の別邸にすべく買い取り、後に天龍寺のお坊さんを迎えて現在のようなお寺にしてご自分の菩提寺となさったそうだ。明道尼はその後ここを借りて寓居されていた、ということらしい。
門をはいると「枕草子」にもでてくる名水・走井は今も健在でこんこんと清水を湧かせている。
銀閣寺畔の橋本関雪のお屋敷・白沙村荘で春秋遊会と称する展示会を年2回開催している若手の工芸作家さん(漆芸、木工、陶芸、染色、などなど)たちグループが、関雪さんのご縁にてこちらでも展示をされるよし、一度行かねば。
座敷ではグループをたばね、茶人でもあるNJさんがワンコイン茶席をもうけてはる。
一時は荒廃していたらしい庭園は、見事に美しい。
広間の座敷から眺める。橋の上の椅子も作家さんの展示品。
池には鯉も。池泉回遊式庭園、なにしろ走井、水の豊かさにはことかかない。
池をまたいだ渡り廊下をわたって、御座所とよばれる棟にてNJさんのお茶席。歌仙の美しい中回しの切を床にかけて、御茶碗は「郭公(ほととぎす)」の歌銘の付いた蕎麦と、参加している陶芸家AS君の。薄器は、これも参加している女性塗師の真塗りで蓋裏に四葩の青貝、すてきでありました。
ちなみにお菓子は、昔ここにあって現在は八幡に移転した走井餅さんが、誂えでつくってくれたという水ようかん。
これをすくう木匙も木工作家さんのもの。蓮弁みたい。
御座所から広間を見る。
御座所というとたいそうだが、実際明治天皇が寄られてお茶をめしあがったそうだ。
池の向こうの築山にあるのは投入堂的な小間座敷、百歳堂という。
百歳になった小野小町の終焉の場所(他にも伝説の場所はたくさんあるが)といわれ、厨子の中には伝・運慶の小町百歳座像が祀られている。
ここはりっぱな茶室になっていて使えるのだが、この日は作品の展示に。こういうところに置かれると物のもつ良さがさらにひきだされる感じでいいね。
百歳堂からの眺めも美しい。
ただ、ほんっと国道沿いなので車の走る音がかまびすしいのがもったいない。
車ビュンビュンのすぐかたわらに、こんな別天地があるのもまた一興か。
たたきの玄関を通って辞去する。
ひとときの清涼、心にしみました。
名も走井の水の月 くもらぬ御代に
逢坂の関の宮居を伏し拝み、、(謡曲「竹生島」)
桐蔭席〜2019・7月 - 2019.07.07 Sun

今月も流儀のお勉強、7月の桐蔭席。
今回の亭主は裏千家出入り方の集団で、ほぼ男性ばかり。道具屋さんあれば、各種職方さんも。お道具はもちよりとのことですが、なにせお出入りですから、ええもんお持ちですな。
待合掛けに、祗園祭の祭礼提灯や斎竹の絵、おお、やっぱり祗園祭や、とうれしくなる。
いつもの小間ではなく、夏場は暑いので十畳の広間が茶室になるのね。
軸は祗園祭祭礼絵巻を15の掛け物にしたうちの一つで、神輿渡御、淡々斎花押。
中回しがおそらく古い生地とおもわれるが、刺繍で八坂さんの紋がはいっていてよかった。神輿の前を行く勅板や剣鉾と思われる風流はいつごろの時代の風俗だろう。祗園祭も時代によってその姿をかえているからね。
圓能斎の背の高い竹二重切花入れは銘が「長刀鉾」と聞いて納得、花も花蓼とホトトギスと渋い。香合が篠笛、今日も祗園囃子(二階囃子)を聞いてきたところでこれもうれしい。
長板が縁取りがちゃんと細工してある桐木地というのが、祭礼らしく清々しい感じで、これに載るギヤマンの銀縁が涼しげでよかった。金縁はおおいけれど、銀ってなかなかいいじゃない。
火入が、八坂神社で売られている八角形の蘇民将来のお守りを模した焼物で、これは萌える。しかも煙草盆が月鉾の古材、焼き印入り。祗園祭好きとしてはほしいものばかりではないか。
主菓子は老松さんの三色(白、水色、小豆色)ある葛焼。見た目とても涼しそうなので、水色をゲット。菓子器の織部写しがあとで魯山人ときいた。正客さんのは青花バイ貝で、これもおしゃれ。
干菓子は祗園さんの団扇やね(亀屋伊織)。
主茶碗が宗入の赤、馬盥。
その他たくさん面白い御茶碗がたくさん登場したが、私がいただいたのは比叡山延暦寺御用窯・比良焼の浜松絵茶碗(圓能斎箱)。一見朝日焼かと思った。初めて聞く窯であった。
薄器が溜塗の注連縄で、これもまた祗園祭へのオマージュ(花押は明治神宮の宮司さんのやったけど(^_^;)
点心は簀の上に料理がのるなど、夏仕様で涼しげ。
この席に掛かっていたのが昭和11年の神輿洗いのお練り図。
中回しが祗園さんの紋入りの手ぬぐいではないかと思う。現在では神輿洗いは中御座だけがおでましだが、戦前はちょうど花笠巡行のイメージで、祗園乙部のきれいどころや、歌舞伎の衣裳と見まがうばかりの衣裳を身につけた人とか、はなやかな風流だったんだなあ。これは祗園祭の歴史の変化の資料にもなると思われ、ええなあ、これ。
茶席でも祗園祭を楽しんで、さて、桐蔭席、8月9月はお休み(なにせうちと一緒で空調ないから)お次は10月。
太平の舞2019〜長刀鉾吉符入り - 2019.07.06 Sat
7月5日 長刀鉾の吉符入り

この日長刀鉾の会所ではお稚児さんの太平の舞がお披露目される。
今年は四条通りをはさんで南側でみることにした。すでにたくさんの人がカメラをもってスタンバイ。目の前は人の頭ばかりだが、見上げる角度なので、写真なら望遠を使ってなんとか。
さてそろそろお出ましかな。
この中央にたれている緑色の房の紐が、、、、
ほどかれるといよいよお稚児さんと二人の禿さんの登場。
ちなみにこの房紐は禿さんが持つもの。
いよいよおでまし。
今年のお稚児さんは京都の某和菓子屋さんの10才になる坊ちゃんと聞いた。
後にはずらりと長刀鉾保存会のお歴々、お稚児さんの頭には蝶トンボという独特の帽子。
太平の舞は山鉾巡行の時に鉾の上で披露される舞だが、その時にはお能の天冠のような華やかな冠をつける。
さて、お囃子にのっていよいよ。
お稚児さんカット、禿カットの髪の毛がりりしくもカワイイ。
山鉾の先陣を切るため、注連縄切りの大役もある。
太平の舞はその巡行の道を浄め、疫病を祓う舞という。
この身をのりだす所作は、あの高さの鉾の上でやったらかなり恐いだろうなあと思う。
5回同じ所作をくりかえしてくれるのだが、その最後退場までの動画がなんとか撮れたので、アップしときます。
今年も無事巡行と祓えがおわるよう、がんばってね〜。
それにしても毎年この頃は非常〜に暑いのだが、なんということでしょう、今年はむしろ涼しくさえある梅雨模様、早めの夕食は同じ四条通りのこちらで。
御旅所近くなので、この季節行きたくなる。地下にはいっていく雰囲気が好きで。
蕎麦の本家尾張屋さん。
野菜天付きセイロ!
二階囃子コレクション2019 - 2019.07.05 Fri
いよいよ今年の祇園祭も開幕、くじ取り式も終わって巡行の順番も決まった。
この時期は、仕事帰りに烏丸で途中下車して鉾の辻(四条室町)に立ってみる。

地下から表に出た途端、あちらこちらからどこともなく聞こえて来るコンチキチンのお囃子。
界隈をうろつくと、そこはもう非日常の少しアヤシイ不思議の世界。
毎年同じこと書いてるけれど、今年も二階囃子のコレクション。
四条通りに面するは函谷鉾
大通りなので、目の前をバスが通ったり、仕事帰りの人や酔客がときおり足をとめる。
ここでばったり祗園祭友(?)に遭遇。だれかに会うと思っていたらやっぱり(^_^;
みんなじっとしていられないのだ。北観音山の棟梁もご一緒で、この方、後姿がかっこよくて、昨年カメラにおさめさせてもらった方だ。
四条通りのお向かいは月鉾さん
周りのビルの景色の中に突然現れる書き割りのような雰囲気が不思議感をかもしている。
お囃子はただいま休憩中(^_^;
だれにでも、すっかり中までみせてくれるのはここだけ。
この菊水鉾会所では、宵山の期間中は恒例の茶席が日替わりである。それも茶友がかんでいるのですでに茶券ゲットしているの(^-^)/
新町上がってすぐは放下鉾さん
ここの会所は普段は閉まっているけれど、祗園祭の時には明るい。
町家の会所の風情がとても好き。
会所入り口の奥に見えるは放下鉾の印のはいった暖簾。この風情もいいね。
北上するとまた別のお囃子が聞こえて来る。
南観音山。
これをしばらく聞いてそのままさらに北上、、、、
北観音山まで到る道を動画に撮ってみた。新町通りの夜の雰囲気が少しわかってもらえるだろうか。
この北観音山の主?は、、、
お向かいに住まれる吉田孝次郎先生。
山鉾連合会会長を長らくおつとめ、後祭復興に尽力された方で、この大きな町家、吉田家はちょくちょくおじゃまさせてもらっている(吉田塾)し、今年の1月にはここで新旧乙女茶会をひらかせてもらった。楽しかったなあ、あれ。
長刀鉾は人気があって、たくさんの人が関心があるので、天の邪鬼体質を発揮して、私はここに冷たい(^_^;のだが、(しかも烏丸を東にこえないといけないめんどくささ)今年ははじめて長刀の二階囃子を聞いた。
一番東にある=一番八坂神社に近い、、、ので、これが動かないことには他の山鉾が動けないのでトップのくじ取らずになったとも聞いた。別にえらいわけじゃないからね(←天の邪鬼)
とはいえ大人気なので、粽も13日10時から早々に売り出すようだよ。たいてい行列だから。
船鉾、大舩鉾はこの日はまだであったし、これにて本日のコレクション終了。
四条通りの商店街も祭礼ムードで妖しげな雰囲気をかもしているこの時期なのである。
夏越の祓〜茅輪くぐり茶会〜茶狂会 - 2019.07.04 Thu
少し時間を巻き戻しまして、6月30日、夏越の祓でございます。

亀岡の楽々荘時代から、祗園楽々を経て、毎年のイベントであった茅輪くぐりの茶会、、、もとい、夏越の祓茶会、今年はどうなるのかな〜と思っていましたが、其中庵さん、これをしないと夏越ができないとばかり、今年はご自宅でヽ(´∀`)ノやってくれました!
おお〜!毎年お馴染み、F太朗君力作の茅輪!
年々進化してるわ。
彼の場合、チガヤを(某秘密の場所にて)刈るところからはじめるので、(チガヤの大束をかかえて電車に乗るという、、、、)御利益が半端ないですよ。
今年はあわただしくて、どこの神社の茅輪もくぐっていないので、ここでくぐれるとはありがたし。
茅輪くぐりにて席入り
最初はMちゃんが茶事で作ってくれて、あれから年々身の回りに茅輪をつくっちゃう茶友が増えて、みんなちょっとおかしい(^_^;(楽しいけど)茶友ばっかり。
お軸は大綱和尚の「神祗」
天神地祗、天の神、地の神、感謝しつつ、時はまさに祗園祭。
(以下覚え間違いもありつつ、、、)
ご亭主心入れの花は半夏生・花ナナカマド・白桔梗と白ばかり、清々しいです。花入は淡々斎在判の曲げの水次というのもまた清々しく。
主菓子は老松さんの水無月(葛バージョン)これはこの日には、はずせないでしょう。
お点前は茅輪をしょってりりしく、F太朗君。
水指は裏千家とはちょっと違う遠州さん仕様の釣瓶。
釜が道仁、桃山時代のものやねヽ(≧∀≦)ノ
次々くりだされる御茶碗の箱書きが裏表千家あり、官休庵あり、藪内、遠州、出口王仁三郎てづくねあり、の流派を超越した多彩さ、これが其中庵さんのお茶のありようです。
お干菓子はそれぞれ意匠の違うバカラにはいった松屋藤兵衛さんの玉織姫。
私がお茶いただいたのは瀬戸唐津(唐津で焼いた美濃焼風)、これよろしおしたわ〜
銘が「玉川」。

薄器として使った、大海耳付き茶入は古唐津だそうだが、ちょっと青磁っぽい釉薬でめずらしい。遠州流先代の宗慶さんの箱で「かさねても すずしかりけり夏衣 薄き袂に宿る月影」新古今集・九条良経の歌。
この歌銘がとても似つかわしいこの季節ならではの茶入。
茶碗のなかに、某流派の若宗匠の先月おこなわれた華燭の典の引き出物の御茶碗あり、これもめでたさのお裾分け。
茅輪もくぐったし、水無月も食べたし、なにやら今年の夏も無事越えられそうです。
粽つくり2019 - 2019.07.02 Tue
さあ、いよいよ今年も祗園祭が始まった!

室町通りの電柱は、早くも祗園祭仕様。
今年産業会館の跡地(四条室町)に開業したsuina室町
以前は大きな駐車場があって、ここからお向かいの鶏鉾がよく見えたものだが、ここらの祗園祭の景色もかわる。
さて、今年も綾傘鉾の粽つくり、仏教大の八木先生ゼミの若い学生さんたちと一緒に。
ここの鉾町で在住してはるお家は5軒しかない(長刀鉾は0)。よそに移転しても祭の間帰ってくる人もいるが、人手不足はいかんともしがたかったのだが、八木ゼミ参加以降、人海戦術がきくようになったとか。
この状態で各鉾町に届く。
笹と藁の匂いが好きで、一年って早いなと思う。
一方、稲藁や数十年ぶりの自然枯がうわさされる笹は年々入手しがたくなっており、今後の祗園祭の粽に大きな影響を与えると思われ心配だ。
綾傘さんでは今年は3600本。
黑谷和紙で作った蘇民将来子孫の御札のあらかじめついた粽に、会所である大原神社の御札とをまきつけていく。
私が学生の頃は巡行の日に、鉾の上から粽を撒いてくれて、それをみんなでキャッチしたというのどかな時代であった。
町家の屋根をすり抜けて鉾町に帰る山鉾のあとを会所までおいかけた頃が懐かしい。(あのころから祗園祭フリークの萌芽が、、、)
今年特別なのは「御即位奉祝 令和元年」の文字がはいっていること。
京都新聞その他の取材もたくさんきてはった。カメラマンの狙いはやっぱりピチピチの女学生よねえ(^_^;
今年はスタッフストラップもいただいたけど、、、
リタイヤしたら、このポロシャツ着るんだ、とひそかな野望を抱く。
大原神社
綾傘鉾では、7日には八坂神社で6人のお稚児さんの社参もあり、14日からお囃子や超高速棒振り踊りも披露され、16日夜はそのあと日和神楽もあるよ。来てね!
昨年はここの会所でミニ茶会をさせてもらったが、若干しんどかったので今年はナシ、またいつかバージョンアップしてさせていただきたいなと思う。
祭一色になる7月の下京はどこかしら非日常空間になる。
さあ、今年も楽しもう!