梅津六斎念仏〜嵯峨天皇祭@梅宮大社 - 2019.08.29 Thu
六斎念仏とは、かつて六斎日(毎月8,14,15,23,19,30日)におこなわれた念仏踊躍(ゆやく)といわれ、平安時代の空也上人の遊行が嚆矢ともいわれる。
現在では盂蘭盆の頃に、関西を中心に全国でこれをおこなう講があるというが、京都の六斎念仏は独特で昭和58年国の重要無形民族文化財に指定されている。

その京都の六斎念仏講16の内の一つ、8月最後の日曜日に行われる梅津六斎を、梅宮大社に見に行ってきた。松尾大社のほん近くになる。
梅宮大社は普段猫の寺として有名で、以前来たときは境内のあちこちににゃんこの姿が拝めたのだが、この日は盆踊りもおこなわれるし、どこかに姿をかくしているようだ。
この日は地域の人たちにとっては夜店が出る盆踊りの日であり、神社にとっては嵯峨天皇祭である。天皇が崩御されたのが8月28日だったことにちなむ。そしてこの神社は、嵯峨天皇の皇后の壇林皇后(橘嘉智子)ゆかりの神社なのだ。もっともだれも祭に夢中で、嵯峨天皇の嵯の字も口にしないが(^_^;
京都に16ある六斎念仏は大きく二つにわけられて、一つは念仏中心で、年末に行われる六波羅蜜寺の空也踊躍念仏は見に行ったことがある。ひたすら念仏を唱えてお堂のなかをぐるぐる。
もう一つはこちらの方が多数派だが、笛や鉦太鼓を使って芸能を見せる系統、梅津のは後者だ。
他の芸能系六斎はまだみていないが、演目はだいたい共通する事が多いようだ。
まずは太鼓で「発願」、念仏の開始を告げ、「六段」とよばれるバチで太鼓をたたく演目。
「四ッ太鼓」では子供から大人まで、四つの太鼓をドラムスみたいに叩きまくる芸。だいたい1人20〜30秒で、次々と叩き手がいれかわりたちかわり。
もちろん浴衣に襷のりりしい女の子もたたくよ。
リズムがだんだん速くなってきて、、、、
だんだん子供から大人になって、ひょっとこのお面をかぶった人が出てきたり、、、
その超高速バチ捌きに見とれる。
次もお約束らしい「頼光と土蜘蛛」
手から糸を投げるけれんみがかっこよいし、見栄えがするので好まれるのだろう。
なにせスピードがはやいのと、明るくないのとで、画面ぶれぶれでごめん。
これも高速で一反晒しをふりまわす「越後さらし」
新体操のリボンみたいな感じといえばわかるか。
京都独特の「祗園囃子」
鉦がコンチキチンと聞こえるのだが、山鉾の祗園囃子とはかなり趣が異なる。
しかし、、、このメロディーどこかで聞き覚えのあるような、、、、
そうだ!綾傘鉾の棒振り踊りのメロディーだ!
そりゃそうだね、あれも壬生六斎念仏講の人がやっているんだもの。
やっとあの棒振り踊りと六斎念仏がむすびついたよ。
(NHK「京都人の秘かな愉しみ〜blue」最新のやつで、あの棒振り踊りクローズアップされてましたね。)
ここの祗園囃子ではとちゅうでひょっとこがでてきて火の用心の垂れ幕をたらしたり、、、
お多福がでてきて華麗な太鼓バチ捌きを見せたり、洗練された祗園祭のお囃子とはひと味違うもっと庶民的な、原始的なお囃子だと思った。
「獅子太鼓」という獅子をよびだす太鼓のあとで緑色と赤色の獅子が登場、アクロバティックな獅子神楽を見せる。
この時ぱらぱら降っていた雨が本降りになってきた。
六斎の獅子舞はどこも定番らしいのだが、獅子に土蜘蛛をからませるという荒技をやってのける。
蜘蛛の糸にからまれ、獅子苦戦、
けれど最後には土蜘蛛に勝って、勝利宣言、、と言った感じかな。見応えあった。
子どもたちもやんやと食い入るようにみていたものね。
六斎念仏がおわると、あとは地元の人たちの盆踊りの時間だ。雨もあがったようだ。
あとは地元の方のお楽しみなので、私は社務所の灯りを懐かしく感じながら、夜店で夜食のたこ焼きを買って帰った。しかし、、、バスで行くと梅津は遠いな〜、、、
夏の終わりの天神市〜knot cafe - 2019.08.27 Tue
夏の終わりの天神市
ここは北野の杜の天満宮
暑い日が続いたせいで、出店もお客さんもいつもより少し少なめかな。
それでも陽射しも風も暑いながら秋をほのかに感じる日でありました。

東寺の弘法市に比べると、こぢんまりしていますが、そこがまた疲れずに店をひやかせるいい点でもありまして、、、
お店も古道具から茶道具、ブロカンテ、アンティーク着物、食べ物種類豊富
時々無名舎・吉田家の孝次郎先生もほりだしものを探してウロウロしておられるのをお見かけしたりして、、、
ただ私は今回、はっきり目的がありまして。
参道の左側、少し奥まったところに花・植木・植物コーナーがあるのです。めずらしい山野草などもあるのですが、私がゲットしたのは苔!庭のいたんだ部分やハゲハゲになった部分を埋めるために。
で、どっさり這苔や、ちょっとだけ杉苔を。
戦利品を持って(2000円分の苔はけっこう重い)天神さんのあとは澤屋さんの粟餅か、コチラ。
コーヒーも美味しいけれど、虫やしない程度に食べたいとき、ありがたいの。
口をおもいっきり開けないと食べられない名物?出汁巻きサンドもさることながら、今回はホットドック。付け合わせのザウワークラウトも美味しい。
(がっつりランチしたいときには蕪庵、スイーツならリスボン時代を知っているcastella do Pauloとか、このあたり食べ物にはめぐまれている)
さて、買って帰った苔は庭に
なにしろこの夏の暑さで苔はかなりまいっているからなあ。
うまくついてくれるかな。
大覚寺〜宵弘法 - 2019.08.25 Sun
弘法大師が1年に一度除災招福のために1年に一度おこなったといわれる万燈会法要、ここ嵯峨野大覚寺でもそれにちなんで毎年8月20日の宵におこなわれる万燈会は宵弘法とよばれる。

夕方5時からご詠歌とか、北嵯峨高校吹奏楽部のコンサートとかいろいろイベントがあるようだが、私は嵯峨野送り火といわれる大沢池の護摩焚きが見たくて、おそがけにでかける。(駐車場はこの時間まだかなり余裕あり)
すっかり暗くなった大沢池には、、、すでにたくさんの流し灯籠がただよっていた。あかりが池面に映って、なにやらこの世とあの世がつながったような幻想的な景色。風もないのでただゆらゆらと漂う。
灯籠の向こうでは早くも施餓鬼供養が始まっている。
大沢池に突き出した桟橋に法要の祭壇が組まれ、またしても鏡面の供養、美しく妖しく、お経をBGMにするこの景色には、おもわずあっちの世界へひっぱっていかれそうになる。(なんと計算された、、、)
夕方雨模様だったりしたが、このときばかりは雨もぴたっとやんでいた。(後にまた降り出した)
池面を流れる読経の声に、音もなく灯りもつけない舟が(観月祭の時に竜頭鷁首の舟に変身する)漂っていき、しばらくすると池の中に炎があがる。
護摩壇に火がつけられたのだ。
祭壇のまわりをぐるりとめぐる。
祭壇の向こうに護摩壇
施餓鬼はもともと餓鬼を供養することによって功徳を積む、という感じらしいが、真言宗ではご先祖様の供養と一緒にお盆の頃いっしょにされることが多いのだそうで、これも送り火ですな。
嵯峨野の送り火、私にはこの夏最後に拝んだ送り火となった。
万燈会のご献灯
灯籠流しは事前申し込みが必要らしいが、こちらはその場でお願いできる。
堂内もライトアップされ、夜間拝観はまたいつもと違う雰囲気である。
そうこうするうち護摩壇の炎はどんどん大きくなり、、、、
法要がおわってもなお燃え続ける。
ご先祖様を、亡くなった人を思う時間は過ぎて行き、これで今年の夏も過ぎてゆく。
嵯峨野の地元の人がそう言っていた。これがおわると暑くても夏は終わりや。
地元の方がやっているとおぼしき一軒だけの模擬店で、素朴なかき氷をいただく。
いつもリッチなかき氷を求めるゴーラー(かきごーらー(^_^;)ながら、たまに昔ながらのを食べると懐かしく美味しい。
大覚寺をあとにした大沢池をふりかえると、はぐれた流し灯籠がはかなげに漂っていた。
ニュージーランド紀行2019+α〜その9・+αのシンガポール - 2019.08.22 Thu
なぜにニュージーランド紀行に+αがついているのか?
実はまったく予期せぬシンガポールちょっと見ツアーがついてきちゃったのである。
ニュージーランドに別れを告げてトランジットのシンガポールチャンギ空港、ここで5時間程度の待ち時間のはずが、、、、あの台風のせいで12時間待つはめになったのである。
シンガポールエアラインはトランジットが6時間以上ある乗客に、無料でシンガポール市内ツアーに参加できるというサービスがある、という情報をゲット、申し込んで約2時間半のミニミニツアー(イミグレーションで入国手続きに1時間もかかったが、、、)
こんなことでもなければ見ることはなかったであろうアレも見ちゃった。
これ!
シンガポールのシンボルマーライオン。
ここからはビルの天井に庭園や湾を望みながら泳げるプールがあるというマリーナベイサンズホテルの近未来的勇姿も望める。すごいなあ、こんなの作っちゃうんだ、シンガポール。
そんなどでかい建築だけでなく、チャイナタウンの雰囲気を残す街路もぐるぐるバスで回る。
久しぶりに「暑い!」という言葉を思い出したよ(^_^;
こちらはイギリス植民地時代の雰囲気か。
サルタンモスクの前を助手席付きオートバイクの行列が走る。さまざまな文化や宗教が錯綜する国だ。
コロニアル風の回廊に居酒屋的店もある。
コロニアル様式に簾、、がまたなんともシンガポールらしい。
そして、せっかくイミグレも通ったことだし(入国しないと行けない)、空港に隣接する今年の4月に出来たばかりの巨大商業施設、JEWEL にも行ってみた。
長いプロムナードを歩いて、、、あれか、あのドームか。
おおおっ!!
おおおっ!!
うわ〜〜〜!!
吸い込まれる〜、、、ってUFOではない。JEWELのシンボル巨大室内滝。
やっぱりすごいわ、こんなんも作っちゃう。
これは見る階によって見え方が変わってくるのが非常に面白く、水しぶきを浴びながらもみんな笑顔なんである。
中はよくあるタイプのショッピングやレストランカフェなんだけれどね。
MUJIも入ってたので着替え買ったよ。
とうわけでエクストラのツアー付き、飛行機は予定を半日遅らせて、なんとか帰国できたのでありました。長々とお付き合い、ありがとうございました。
ニュージーランド紀行2019+α〜その8・ホビット庄 - 2019.08.21 Wed
クライストチャーチから南島をあとにして北島へ飛ぶ。

ニュージーランド最大の都市オークランドへ。
東京でいえばスカイツリーにあたるところのスカイタワー。
オークランドは南島のどこよりも人が多く、半分チャイナタウン化していてやや猥雑な印象、教会とタワーと月のこの景色みたいなもの。
さて、本日はほとんど写真です。
写真の数多いです。けど内容はあまりありません。なぜならたずねたHobbiton(ホビット庄)は映画のロケのために監督が細部にわたるまで作り込んだ人工の村、しかし、私はその映画(「The Lord of the Ring」3本「the Hobbit」3本)を1本も見ていないのである。
だから6本全部見た!という人と思い入れが全然違うのであるが、それでも村の景色や建物にかなり激しく萌えたので、きっと見てくれる人が、あああそこはあの場面、と思って下さればいいな。
この土地はかつても現在もアレキサンダー一家の牧場である。だからホビット庄のまわりは牧草地、羊や牛がのんびり草を食む。
さて、村の中を歩いて見よう。
主人公の親友サムの家、、、らしい。
ホビットの家のドアはみんなこんなに丸いのね。カントリー調の家というだけで私はうれしいが。
ランチ時には煙も出るエントツに風にはためく洗濯物
この土地以外にもロケ地の候補は12箇所あったらしいが、最終的にここにきまったという。家は小道具にいたるまで細部にわたり、おそらくスクリーンにはうつらないであろうところまで手を抜かないこだわりがある。
沼地をうめたてたり、人工の池を作ったり、その労力たるやいかばかりか。最初監督は資金協力をニュージーランド政府に依頼したが、断られた。しかし代わりに軍隊を労働力として、しまいには映画のエキストラとして提供したと言うから、日本では考えられない粋なはからいである。
この古く見える柵も人工の苔などをはりつけて歴史ある村に見せる工夫。
ホビットたちの畑もちゃんとあって、農作物は作り物だが、畑は現在でも庭師がはいって本当に作物を作っているのだとか。
ロケの景色を作るため数日掛けて人数を動員して作った場所が、映画ではたった4秒のシーンだそうだ。そこまで資金と情熱を傾けられる映画製作はすごい。日本映画ではちょっと無理かな。
さて、ホビットたちにはそれぞれ職業があるようで、こちらは漁師さんのようだ。
つった魚を燻製にしている(^_^;
郵便ポストも家家でそれぞれ工夫してきれいにしてあり、ガーデニングもしているようだ。
中央の木はもともとあったリンゴの木だが、原作ではアンズの木になってるので、監督は林檎の実を全部もいで、アンズの実をぶらさげたのだそうだ。そこまでやるからきっと映像は本物に見えてかつ美しいのだろう。(すんまへん、見てなくて)
リンゴの木にはホビットサイズのハシゴもかかる。
こちらのお家はファサードをお花で飾っている。
ここは養蜂家のホビットのお家
蜂蜜は売り物、ポストにもミツバチの絵が描いてあった。
はためく洗濯物もホビットサイズ
ホビットサイズの井戸
こちらはパン屋さんだった。
村はかなり高低差があって高いところに登ると見晴らしが良い。
ここは画家のお家
ドアが開いているので中へは入れるが、、、
中はなんにもありません。
家の中の撮影はスタジオで。
パーティーツリー
「Hobbit」の主人公ビルボの112歳の誕生日を祝うパーティーがあの木の下で行われるシーンがあるのだそうだ。
こちらもガーデニング好きのホビットのお家か。
こちらはチーズ屋さん
ホビットが採取した想定のリンゴ
ああ、でもこんなお家イギリスのカントリーサイドにありそうだな。(萌え萌え)
さてこれは映画ファンならおわかりと思うが、主人公フロドとビルボの家である。
この家の上の、、、、
大きな木は原作にならって本物の樫の木から型を取って作った作り物だとはしらんかった。全然そう見えない。
中では本物の庭師さん達が木の手入れをしてはった。
最後にNZで一番はやっているパブへ
というのもここには観光客が1日に1000人もおとずれるから
Pub Green Dragon
作中で最後主人公たちが乾杯するパブなんだそうだ。
ここでは3種類のビールが飲める。
やっぱりエールビール
パブの中はほんとにホビットたちが楽しんでいそうな雰囲気だ。
間仕切りも円形、ドアと言いホビットはほんとに丸いのが好きなのね。
私が映画を見ていたらもう少し語れたのだが、、、
最後にいった土産物屋の一画にまで、ビルボの書斎が再現。彼が愛用していた赤いベストもさりげに。
「the Hobbit」1作目の初頭、年老いたビルボが回顧録を書こうとするシーンがあるそうなのだ。
土産物屋の外にはほんとうに袋に入った種や球根が売られている、、、、のであった。
いや、ほんとにすごい。
長すぎてどうかな〜と思いつつも、いちど映画をみてみようかな。
<オマケ>
最後に行ったのはワイトモ洞窟
ここは鍾乳洞の中に年がら年中生息するGlowworm・土蛍(正式にはヒカリキノコバエ)が作り出すニセの星空がみどころである。
ただ撮影は禁止なのでイメージだけ、このポスターをおいていく。
照明をすべて消した鍾乳洞の中、ボートに乗って仰ぎ見る無数の星のような土蛍は、みそこねたテカポ湖の星空を十分補ってくれるほど美しかった。
(電気をつけると無数の粘糸がたれさがり、エサになる虫を鳥もちみたいに捕る、これが土蛍のfishingといわれるゆえん、これも奇妙に美しく驚愕に値した)
ニュージーランド紀行2019+α〜その7・クライストチャーチ② - 2019.08.21 Wed
Garden City、、イギリス以外のもっともイギリスらしいクライストチャーチの町をさらに歩こう。

20世紀までカンタベリー大学として使われていた19世紀の建築、アートセンター。
シアターやシネマなどが入る施設だが、これも2011年のクライストチャーチ大地震でしばらく閉鎖されていたという。
あ、トラムだ!
一日乗車券でこれにのるとぐるぐる市中をまわって景色を楽しめるのでオススメ。
乗り降り自由で、観光に特化しているため、車掌さんがガイドもつとめる。同じ車掌さんのトラムに何回ものったので、「 Hello,again! 」と何度も言われた(^_^;
中はこんな感じで、チンチン電車の名前通り、チンチンとベルを鳴らして走る。
うちらの世代には懐かしい風景。
京都も観光特化して市電を残すべきであったと思うのだが。
8年たったとはいえ、町中ではまだまだ復興中の建物を良く見かける。もしかしたら草の生えた広場はかつて建物があったところかもしれない。NZは意外と地震が多く、滞在中もホテルで地震を感じたことあり。
なかでも震災の記憶と復興の象徴と、なっているのが大聖堂。
壁が崩壊、無残な姿をさらす。この春行った熊本城を思い出した。
阪神淡路では震災のただ中にいたから他人事ではない。
(かつて大聖堂前のスクエアだった地点に建てられた聖杯をモチーフにしたモニュメント)
一時は解体してモダンな新しい教会を建てる方針であったが、一昨年、修復することが決定されたそうだ。現在工事中、完成は早くとも5年先だという。市民にとって思い入れのある教会だから、残すことが出来た教会の大英断はすばらしい。
この前で、カメラをそれぞれ持って大聖堂のまわりを撮影している中高生らしき生徒が。制服のキルトにまた萌えるのだが、どうやら授業で震災と復興の記録をとっているらしい。こういう授業は大切だ。
さて、その修復が完成するまでにTransittonal cathedral(仮設大聖堂)を作ってしまうところがすごい。しかも日本人・坂茂さんという建築士が無償で設計したのだという。(彼はのちに建築界のノーベル賞プリッカー賞受賞)
この教会は驚くなかれ紙素材で作られているという。耐久年数は約50年とか、大聖堂の修復が完成した暁には朽ちて消滅するというこのコンセプトに感動した!
正面の十字架も紙素材なら屋根を形成するポールも防水加工をしたボール紙だという。
ベンチも合板材のようで、紙素材かもしれない。(ぱっと見にわからない)
しかし杯盤や蝋燭立てのポールはあきらかにボール紙でこれまた感動モノ、ボール紙で出来た寄付金箱にささやかながら寄付を。はやく大聖堂が修復完成されますように。
本来の大聖堂前の広場にはカフェやお店もでて、市民の憩いの場になっていた。
最初もいったがNZは人口が少ない。町はクリーンだ。だから人混みになやむことなく中心街でゆっくりのどかな時間をすごせるのである。うらやましい。
残りの時間は植物園ですごす。
広い敷地のほんのさわりだけ。
植物園からながめたアートセンター
ああ、気持ちの良い一日だ。
ニュージーランド紀行2019+α〜その6・クライストチャーチ① - 2019.08.20 Tue
カンタベリー州、クライストチャーチ(オックスフォード大学のカレッジで有名)、エイボン川(シェイクスピアの出身地Stratford upon Avon)とくれば、この町はイギリス以外でもっともイギリスらしい、といわれるのもわかる。

まず最初に訪れたのがホテルから徒歩圏内であったガーデニング趣味の人が泣いて喜びそうなMona Vale
19世紀末に建てられたビクトリア様式の個人邸宅だったが、現在は市に委託されているもよう、管理維持も市が行い、つねにガーデナーが入って管理している。広大な庭園は一般に公開されしかも無料!!という。朝早くから犬を散歩させたりベンチで休んだり、市民の姿がちらほらみえて、ここの市民は幸せだなと思う。
庭園はほんと、手入れが行き届き季節の花が咲いている。
可憐なスミレも発見。
宝塚に住んでいた頃めざした(そしてはげしく挫折した)憧れのイングリッシュガーデンのお手本のような庭園に、おもわずため息がでるのである。一日中ここにいてもよかったんだが、、、(相方がガーデニングに興味なくて(^_^;)
季節は冬なので、華やかな花はないものの、かえって爽やかな冬の朝の空気を堪能できた。
地元の人はcherry blossomと言っていたがどうみても梅か桃?のように見える。
早春の彩り。
植生だけでなく、橋などのビクトリア感にも萌える。
英国映画のワンシーンみたいだ。
ここは市中を流れるエイボン川の水を引き込んでいると思われ、水鳥なども憩う。
しいていえば京都では南禅寺界隈、池泉回遊式の小川治兵衛みたいな人が作庭したのだろう。
柳も芽吹いてここはほんまに早春(日本は酷暑の8月)
邸宅部分はレストランや結婚式場に利用されているようだが、冬期休業中で中へは入れず。
ガラスのドア越しにビクトリア式調度が垣間見える。
<休憩>
NZのスーパーでは日清のチキンラーメン、カップヌードルが全く見当たらず残念。
仕方ないのでタイ製のカップラーメンを買ってみたが、全然、、、美味しくなかった。
折りたたみ式のフォークがはいっているのは親切。
さて、市中のエイボン川クルーズ、、、ではなくてパンティング。
パントというのは平底のボートで、ポールで押して動くという小川用の移動手段、イギリス発祥。
こんな感じである。
エイボン川を、クライストチャーチ植物園の中へ遡る30分ほどのパンティング。
ポールをあやつる人はこんなジャケットに麦わら帽子で、これはイギリスの名門校ハロウの制服的ではないか!
舟は底が低くて、水面とあまり高低差がないので、まるで水の中をおよいでいるような感じなのである。
のんびり舟を漕ぎながら(押しながら?)ガイドする舟人
水深は浅く、水は透明感が高い。
舟は市街地を通りぬけ、植物園のなかに入る。
すると、おや!
こんなに近くまで水鳥が!
今回ビックリしたのはここでは野生の鳥がけっこう至近距離に近づいても逃げようとしないことなのだ。
人間は絶対害をなさない、という信頼関係ができているのだろう。日本じゃ考えられないが、さすがアニマルライツの先進国である。
も〜う、こんなに近寄ってきて、頭撫でてもらっている鴨までいて、こんな至近距離で野鳥を見たことに感激だ!
時間制なので予約して行くのがオススメ。
<オマケ>
それにしてもクライストチャーチの駐車事情はきびしくて、路駐は最長2時間しかできないの。
時間前にもどってきてはコイン追加ということに。
ニュージーランド紀行2019+α〜その5・Mt.Cookの雪山に捧ぐお茶 - 2019.08.20 Tue
ダニーデンを出発して、翌日は夜空が美しく、星空観察ツアーもあるという評判のテカポ湖に移動して一泊する予定だったのだが、、、、

え?
1度?
しかも道の一部が積雪で封鎖とな?
迂回路はあるものの、慣れない土地での雪道を運転するのは危険と判断して、テカポのホテルをキャンセル、一路クライストチャーチへ向かうことにした。
距離にして360km、順調にいって4時間余り、運転するのは相方一人なんでお疲れ様、なんである。
ちょうど中間地点のTimaruという町で休憩。
日曜というのもあっただろうが、店は全部閉まっていて、地元民があるいているのを見かけない。
Timaru という名前もそうだが、英語では母音で終わる地名はそんなにない。だからこれもマオリ語が語源とおもわれる。そんな地名がNZにはほんとにたくさんある。
いわゆる白豪主義をとって原住民の権利をながらく認めなかったオーストラリアと違って、NZは(限界はあるにせよ)先住のマオリの国民としての権利をみとめ、人種の融和もはかってきた歴史がある。それがマオリ文化が地名としても尊重されるゆえんなのであろうか。
唯一開いていたトルコレストランで食べたケバブセットはご飯もついていて、この旅行中一番美味しかった。
暗くなって、クライストチャーチにたどりついたが、やはりどうしてもテカポに行きたい思いはあって、夜空はあきらめたが(南十字星はオーストラリアで見たし、、、)プロの運転ならなんとかなろう、と現地のタクシーによるプライベートツアーに申し込む。
翌朝TOYOTAのハイブリッドに乗ってあらわれたドライバー兼ガイドのJさんの車に乗って一路内陸部、テカポ湖にさらに先のプカキ湖、アオラキ/マウントクックをめざすことに。
やっぱりこんな風に霧やら雨やら、やっぱりついてないな〜と思っていたが、、、、、
おお!しばらく行って霧を越えるとスカッとした青空!しかも昨日見えなかった雪山が見えるではないか!感激。
やった、これこれ!
羊!これぞニュージーランド!
どうしても撮りたかった雪山を背景にした羊の群!
山道をくねくね登ると、、、やっぱり雪道になる。しかし昨日の道路封鎖は解かれ、道は除雪がちゃんとしてあった。
これが行き損なうとこだったテカポ湖か〜。
はるか雪山も見えるが旅程上、ここはあとにとっておいてさらに先のマウントクックをめざす。
一山さらに越えて、、、、思わず声が出てしまった!!
なにこれ?なにこの色!?
マットなミルキーブルーというの?こんな色の湖みたことない!
これはプカキ湖という。
ガイドブックにはテカポ湖は有名で必ず載っているが、プカキはそれほど有名でないにも関わらず、私は断然こちらに感動してしまったのだ。
水の透明度は高いのだが、鮭なども採れるようでプランクトンは豊富なのだろう。それがこの独特の色なのか?
しかもデカイ!湖のほとりを行っても行っても途切れない大きな湖。なんでもこの国の水力発電の半分以上をこの湖が担っていると言うから、その大きさは想像できる。
そして湖がやっと切れた頃その先にアオラキ/マウントクック(アオラキはマオリ語)の姿が。なんか神々しい。その右手にタスマン氷河、同時に2つ見えるほどの晴天はそうそうない、とJさん。テカポの星空は見えなかったけれど、それなりにラッキ〜♪
標高3700m級、アオラキは雲の峰という意味なのが実感できる。
その麓にあるHermitageホテルで峰を見ながらランチを。
映画のワンシーンみたいだな。
雪山ゆえトレッキングも装備がないと無理そうなので、少しだけ雪道を歩いてみた。
ああ、日本は8月だ〜と思いつつこの景色
そこで旅する茶箱登場
マウントクックにお茶を一服捧げる
雪に腰をおろすわけにもいかず、中腰でお茶をたてるのもなかなか苦労であったが楽しい。
ここで雪を十分楽しんで、来た道をひきかえしてテカポ湖へ。
太陽の位置が変わるたびに色を変えるテカポ湖。
快晴率が高いので、星空がよく見えるという。ガイドブックでは神秘的ですらある銀河と南半球の星空を背景に、、、、
この善き羊飼の教会のシルエット、、という写真が定番なんだが、あれ、特殊な撮り方しないと撮れないからね。
20世紀前半移民たちが石を持ち寄って建てたという教会も後にこんなふうに立派に建て替えられた。
中は撮影禁止なのだが、門をはいると湖をバックにこの十字架が見える、という感動的な景色である。
中では地元の人たちが賛美歌を歌って観光客をもてなし、それぞれの母国語の聖書の言葉カードをくれる。もちろん喜捨も忘れずに。
湖のほとりは大きな石がごろごろして歩きにくいが、この眺めは美しい。
ふとみあげると昼の月。
南半球では月の満ち欠けが北半球と逆になる。だからこれはwaxing moon(満ちていく月)なのだ。
この教会はたくさんの観光客で人気であったが、とくに中国からがやたらと多かった。ちなみに北島のオークランドでは表示がすべて英語+中国語であり、日本人は肩身の狭いこと(^_^;
唯一日本の存在感があるとすれば車!ほとんど日本車だった。
このあと時速100kmくらいの平均スピードでクライストチャーチにもどったが、都合10時間の旅、その間Jさんの英語シャワーをずっと浴びる。私のpoorな英語で申し訳ない、半分くらいは聞き取れんかった。とても親切で暖かいひとだった。(ファンであるところのAllBlacksが先週末負けたのがとても悔しそうだったわ。)
帰る途上で美しく日は暮れて、このtwilightを楽しんだ。
ニュージーランド紀行2019+α〜その4・ダニーデン③ - 2019.08.19 Mon
駅を後にしてさらにダニーデンの町巡り
そういえば町中にはなんとなくフランドル風破風に見えるものを持つ建築も多いな。
次に向かったのは、19世紀創業のSpeight's Brewery(NZを代表する地ビール醸造所)
入り口では地下水を地元に人に無料でおすそわけしてくれるみたい。京都の名水を思い出すわ。
ガイド付きの1時間ちょっとのツアーで、工場内を回り、ビールの造り方や原材料についてお勉強。ただし、ガイドのおじいさんのスコティッシュ訛りがきつすぎて、30%くらいしか聞き取れず。(いや、訛りのせいだけでないと思うが(^_^;)
とにかく、美味しいビールを造るのに必要なのは、水、大麦、ホップなのね。(日本酒も水が大事)
最後にSpeight 社がつくっている各種ビールの試飲がうれしい♪
右がSpeightのフラッグビール、Gold Medal、エールビール(エール酵母からつくる)。
とても香りが良くて味わい深い。
左の明るい方がTripleHops、ラガービール(ラガー酵母)、のどごしすっきりさわやか、ほとんどアサヒかキリンね!
好みとしてはやぱりエールやなあ。
さて、あまりの寒さにデパートに防寒下着を買いに行く一場面もありつつ、少し郊外のオルベストン邸へ。
19世紀から20世紀初頭にかけて貿易商として財をなしたD. Theominの私邸で、現在は市に寄贈され、オルベストン慈善基金という財団?が管理しているようだ。
こちらもガイド付きツアーの予約が必要。この日はわれわれ二人だけだった。
邸内は撮影禁止なので是非コチラの動画(☆)をみてほしい。ほんとうに素晴らしい贅沢なだけでなく近代的機能も備えた屋敷である。
ただ、外構や庭園もどこをとっても絵になるので、これはいろいろ写真を撮らせてもらった。
印象に残っているのはキッチンかもしれない。料理人やメイドのために当時キッチンに床暖房を設置するなどTheomin氏は思いやりのあるひとだったのね。
大きな圧搾機みたいなのがキッチンにあって、何かと思えばナプキンやテーブルクロスにプレスする手動式機械だった。こんなの見たのはじめて。
Theomin氏のコレクションがまたすばらしくて、特に興味をひかれたのは古伊万里コレクション。海外向けに作られた古伊万里のカップやお皿をニュージーランドで見ようとは。当時のはやりも合ったと思うが彼のコレクションはオリエンタルなものもけっこう多い。ただ、中には中国なんだか日本なんだかよくわからない(^_^;ものもあった。りっぱな銅鑼を支える台に三ツ葉葵の紋が蒔絵されていて、真贋は不明ながらJapanese Shogunのマークだとガイドさんに教えてあげた。
Theomin氏には二人の子供がいて、息子は40代にして亡くなり、娘のDorothyは1966年に亡くなるまでここで暮らしたという。結婚しなかったため、Theomin家はここで途絶えた。彼女の意志をついで、寄贈をうけた市はここを維持し、一般公開しているのだそうだ。
このオルベストンに行くときもかなり心臓破りの坂があって、町中いたるところこの程度の坂はあたりまえのようにある。だから次の写真のこの坂がギネス認定世界一急な街路となったのもたまたまだと思われる。
市外からちょっと離れた場所、Baldwin St.これほとんどスキーのジャンプ台の感じだからね。
登っていても身の危険を感じるくらいだが、坂沿いに住んでいる人もたくさんいる。どうやってくらしているのか謎。たまたま車をだしている家があって、ほぼ直滑降で坂を走っていったのにはビックリしたな。
雨が降っていたので、雨水が流れていくスピードがはんぱではない。
ここで転んだら、へたしたら死ぬな、、、と思った。絶対下までいくもん。
ちなみに勾配率は35度
角度にして20度くらいか?
ポストが路面と水平にしてあるところに遊びゴコロ♡
ニュージーランド紀行2019+α〜その3・ダニーデン② - 2019.08.19 Mon
翌朝のダニーデンはやはり冷たい雨。
タイエリ峡谷鉄道という私鉄のダニーデン駅舎が20世紀初頭に建てられたフレミッシュルネッサンス様式の建築とか。ってなんのことかさっぱり(^_^;(フレミッシュはフランドル地方のという意味なのでオランダ・ベルギー様式か)

駅に隣接する空き地ではファーマーズマーケットが開かれていて、けっこう賑やか。
ジャムの小瓶を買って小銭をかせぐ。(パーキングで小銭しか受け付けない機械もあり)
おこぼれをねらうカモメ
マーケットから駅のプタットフォームに進むと、タイエリ峡谷(保津峡みたいな感じか)観覧の電車がとまっていた。
ここから駅舎に入る。
これがフランドル的建築?様式はともかく美しい建物である。
ロマネスク様式みたいなところもあり、
床にはイスラム的なタイルでかわいい汽車の絵が。
ガラスのはいったドアも重厚で良い感じ。
「NRZ」は、、、
おそらくNew Zealand Railwayのロゴだろう。階段のタイルも同様。
二階から見下ろしたタイルの床がまた印象的で美しい。
なんてちんまりとしたかわいい駅舎なんだ。
二階はアートギャラリーやSport Hall of Fameというニュージーランドのスポーツの歴史を展示してあるミニミニ博物館になってる。
ニュージーランドといえばラグビーのAll Blacks があまりに有名だが、NZのナショナルスポーツのユニフォームである黒に胸の白い羽根のようなマークがついたものは、もともとAll Blacksが始めたものだったらしい。この羽根?ってなに?と聞いたら、、、Silver Fernという裏が白い(ウラジロの仲間か?)羊歯のことだったんだね。(かつてマオリ族が夜道に裏返しておけき、光るので声を出さずに方向を指し示すしるしになったそうだ。)
数年前にこれを国旗にしようというムーブメントがあったそうだが、う〜ん、確かにスタイリッシュでおしゃれ。
中から外へ、全体像を。
おお〜!
美しい!そうか、フレミッシュはオランダやベルギーでよく見た破風のあるつくりのことだな、きっと(ようしらんけど)
かつては駅の待合室だったとおぼしき一階には、現在はレストランがはいっていて建築の美しさを愛でながらランチいただいた。
ニュージーランド紀行2019+α〜その2・オタゴ半島 - 2019.08.18 Sun
レンタカーを借りて(イギリスと同じで右ハンドルがありがたし)ダニーデンの町から海へ突き出すオタゴ半島へ。

行く道道はこんな風に霧で先が見えないくらい。そういえば、何年か前にエジンバラに行ったとき、突然霧が出てきて伸ばした手の先が見えないくらいになって、こわかったことを思い出したよ。気候もスコットランドだね。
やっぱりニュージーランドだから羊にはいてほしい。ここらは二ヶ月前に毛刈りをしたばかりらしく、羊もちょっとスリムになってた。
おもな目的はYellow eyed Penguin(黃色目ペンギン)のコロニーを見に行くことだが、時間にまだ間があったのでもう少し先、半島の先までいってRoyal Albatross センターへ。
シロアホウドリの営巣地だそうだが、ここも人の手で保護しないと絶滅はまぬかれないという事実。
しかし、ここでも見かける機会は少ないらしく、空を眺めたがカモメばかりでアホウドリの飛ぶ姿は残念ながら見られなかった。
気を取り直してPenguin Place
Yellow eyed Penguinの野生の営巣地であるが、年々その個体数は減少、危機感をもった人たちがたちあがり、1984年にここを保護区とし、巣箱を設置したり、害獣を駆除したりの保護活動を積極的におこなっている。
だから見学はガイド付きの一日1〜2回のツアーのみ、見る側の人間が塹壕にはいってこっそり静かに観察する。
この見学料が主な運営資金で、国からの補助はうけていないのだそうだ。ほとんどボランティア活動。若いスタッフが熱心にされていると聞く。
南太平洋の水平線を見ながら広い広い敷地内をアップダウンで歩く。
害獣にも安全な巣箱があちこちに設置されている。
道々野生のアザラシがあっちにもこっちにもナメクジみたいに転がっていて、、、、う〜む、野生のアザラシ見るの初めてかも。
これが人間用の塹壕
かなり長距離を迷路のように張り巡らされていて、すごい労力がかかっていると思われ、ペンギンを守るための情熱をひしと感じる。
かなり至近距離で見られることもあれば、一羽も見られない日もあるそうだ。今日はどうだろう?
お!いたいた!
海からあがってきて、テッテケテッテケ砂浜を陸へ歩くペンギン!、、、、といっても私のカメラの望遠ではこれが限界、砂浜のごま粒みたいなのがそれ。
もっと性能の良いカメラ持参の相方が撮ったのがこれ。
ああ、確かにYellow eyed Penguin!人間くさいところがかわいい!
さらに別の場所からもう一羽!
やや拡大するとこんな感じ。こちらは羽根を広げて海をみたりコチラを見たり。
南半球では、野生の動物がそのままの姿でまだ生息していると思っていたが、ここもまた人の手で保護しなければ絶滅しかねない動物が多いのだなと思い知る。
ニュージーランドではモア(大型のダチョウ科の鳥)をあっというまに絶滅させた苦い経験があるから、野生動物保護の意識が高いのかも知れない。
海にかかる虹を見ながらオタゴ半島とダニーデンの町の中間にあるホテルに帰る。
対岸になる半島から見るダニーデンの町
泊まるのはLarnach Castle(ラーナック城)、、、、の、馬小屋?(^_^;を改修したホテル
こちらがお城の方。城といってももちろんほんとうのお城ではなくて、19世紀に財をなした銀行家のラーナックが中世の城に憧れて建てた物。のちにラーナックは事業に失敗、一時荒れ果てた城を買い取り改修したのはバーカー家という現在の所有者。
ホテルやカフェ、宴会場として利用できるように運営しておられる。
夜おそかったため、夕食をお願いしたら、城内のかつて図書室だった部屋を用意してくださった。なんともリッチな気分。まあ、食事しているのがひどいかっこう(防寒着がすざまじいことに)のおじさんおばさんでゴメンナサイだけど(^_^;
城内はとても広く、あの時代の裕福な一族がどんな暮らしをしていたかうらやみつつ垣間見ることが出来る。
ただし撮影おことわりなので、さしさわりのないところだけ。
広いボウルルームはカフェになっているが、100人以上がはいれる宴会場にもなり、なんだか映画のワンシーンのようであった。
庭には紅色の木蓮が咲き初めて、日本と季節が逆なのを痛感する。
庭園もまた広く、足元にうつむいて咲くスノードロップがかわいい。(これ日本の庭で栽培して失敗したよな〜どだい気候が違うもんな〜)
旅する茶箱
ニュージーランドにもつれてきて一服
ちなみにこういう装備でないと寒くてやってられないの。
部屋の窓から見る対岸・ダニーデンの夜景。
さて、今日はここまで。
ニュージーランド紀行2019+α〜その1・ダニーデン① - 2019.08.18 Sun
時差がないと楽だな〜と思うようなお年頃、今年は3時間というほとんど体感しないくらいの時差で、かつ酷暑の京都を抜け出して一気に季節を逆転、寒さを味わおうじゃないか、と行き先に決めたのがニュージーランド。

関西から直行便がないのでシンガポールでのトランジット、北島のオークランドに夜着いて、空港近くに一泊、翌朝南島のダニーデンに飛んだ。(どうもこのあたりの時間の無駄がなあ。)
飛行機から見えた雪山に40度近い京都の暑さを一瞬で忘れる。
これですよ、これ。
滞在中はほとんど雨と風で体感温度はもっと低く、ダウンのコート重ね着+レインコートといういでたちですごした。しかも体が寒さに慣れていないので、外から暖かい室内に入ると急にしもやけみたいに手や足がかゆくてかゆくて、、、
ダニーデンはクライストチャーチに次ぐ南島第2の都市で、かなり南の方になる。ここは主にスコットランドからの移民が作った町で、かつ19世紀にゴールドラッシュに沸いた町でもある。
ダニーデン(Dunedin)という名前もスコットランドのエジンバラを意味するゲール語(スコットランドで使われていた古語)。
町並みは当時のスコットランド様式が多く見られる、、、といいつつイングランド移民の作ったクライストチャーチのイングランド様式とどうちがうの?といわれるとシロウトなんでさっぱりワカランのであるが(^_^;
(いや〜真冬の景色だねえ〜)
観光スポットではない古い町並みを眺めながらのそぞろ歩きが今回の旅の主な目的。ヨーロッパにいかずに(時差にも苦しまないで)ヨーロッパの町並み文化を味わえるし、涼しいし、、、いや寒いけど(^_^;
上の写真の内部である。
ネオゴシック様式(ようしらんけど)で完成は1873年のFirst Church
中には人っ子一人いなかったけれど、ちゃんと日曜には礼拝がおこなわれているはず。
一画に子供を遊ばせるスペースがあって、生きている施設なんだなと思った。
ゴシック建築は12〜13世紀の建物だが、ネオゴシックは19世紀にそのリバイバルとしてはやったそうだ。中もなんとなくモダンで明るくて、ヨーロッパの古い教会のような暗い感じはみじんもないのね。
こちらはコーヒーブレイクに利用した19世紀の建物の中にあるカフェ。
ショートコーヒーというとエスプレッソのことだった。
このように19世紀の建物が現役でいろいろな用途に使われている。
オクタゴンというまんま八角形の町の中心の広場に並んで立つ、右が市議会議事堂、左がSt. Paul Cathedral。
広場の真ん中に立つ18世紀スコットランドの国民的詩人ロバート・バーンズの頭の上にカモメがとまっていた。(「蛍の光」「故郷の空」の英語の歌詞はバーンズが民謡を改作したもの)やっぱりここはスコットランドだ、、、、といわれても違和感ない。
St. Paul Cathedralに入ってみよう。
19世紀末に最初に粗末な石造りだったものを20世紀初頭にたてかえ完成というかなり新しい建物、そんなに新しいようには全く見えない。宗派はイギリス国教会(Anglican)。
さすが20世紀だけあって中はさらにモダンな感じ。
祭壇の完成はさらに最近で1975年と言う。いろいろ資金難などもあったそうだから、
だから十字架もプラスチック板なの???
でも、これ光があたると透き通っているので意外と美しい。
反対側はよりゴシックで、第一次大戦戦没者の鎮魂の為に、というプレートが貼られているステンドグラス。
この町はやたら坂が多くて、それも傾斜が半端ないので、距離にするとたいしたことがなくても、実際に歩くと心臓破りの坂がなにげにあって、かなりしんどい。
だから海が望めるくらいの高さまで登ってここにたどり着いたときにはもう息切れが。
どうです?このホグワーツ感。
国内有数の優秀な生徒が通うというOtago Boy's High School
まるでお城のようだがこれも19世紀の建築。
男子校というのに、なぜか女子高生も入っていく。ちなみにとなりにOtago Girl's High Schoolもある。男子も女子もブレザーの制服で、スカートはスコットランドのキルトという萌えポイント。ますますホグワーツ。
このように海が見えるくらいの高さまで登ったんだな。
それにしても車も人も少なくてしかもクリーン。ニュージーランド全体で大阪府の人口より少ないのだから、まあ納得する。
時間切れで行けなかったが(寒さと坂のきつさに負けた)国内最古のオタゴ大学もあり、国内で一番学生が多い町なんだそうだ。
道を尋ねたときに親切に教えてくれたのも学生さんで、Bluetoothで音楽聴きながらというイマドキ感もあった。
ここはエジンバラの一画です、、、といわれても疑わないような町の景色、すてきだな。
ダニーデンは海辺の町なので飛んでる鳥が鳩や雀ではなくてカモメ。
ちゃんと横断歩道をわたってたりして。
Hi ! Handsome seagull of Dunedin !
五山送り火2019 - 2019.08.17 Sat
台風のおかげで帰国が半日遅れて、あやぶまれた大文字の送り火(正式には五山送り火といわしたいようだが、やっぱり昔から大文字は大文字)、なんとかセーフで眺められました。
大雨とか、旅行とかぶったりとかで実は2年ぶり。

今年は賀茂川べりの某所にて。
いや、それにしても賀茂大橋の下の河原は橋の上と同じく、立錐の余地もない。ここは避けてもっと上へ行きます。
20時、真ん中のところからはじまって徐々に「大」の字がうかびあがる瞬間が好き。
毎年おしょらいさんをお迎えするときは旅行中で、送るだけ送るんかい!とご先祖様につっこまれそうですが、今は亡き身近な人を(猫も)静かに偲ぶ日であればいいのではないかと個人的には思っています。
ん?犬?
(^_^;、、、と思ったくらい、最初何がでてきたのかわからなかった。大文字の肩に字が浮かび上がる数秒だけ、十六夜の月がでたのです。
なんだか不思議な意志を感じたのは私だけでしょうか?
以前若い頃は五山全部が見えるスポットを手にしていたのですが、10年前京都に帰ってきてから見えるのは大の字だけだったので、今年ほんとに何十年ぶりかで「妙法」もみることが出来ました。
(買い物の時に某スーパーの屋上駐車場で山に浮かび上がるこの文字はいつも眺めているんですけれどね)
ちなみにこれは「法」の一部
多分形をご存じの方でないとそうは見えないと思いますけれど、「妙」の一部。
こちらも何十年ぶりかの舟形
さすがに鳥居と左大文字は見えませんでしたが。
ご先祖様を思い、手を合わせ、今年も夏が行く。(暑さはまだ当分続きそうですが)
文月雑記2019 - 2019.08.06 Tue
明日からまた旅に出ます。しばらくお休みします。
というわけで(?)今年の忙しかった7月のこぼれ話を置いておきます。

ご存じ、今宮神社の横参道?のあぶり餅やさん。
二軒向かい合っていますが、味も雰囲気もさして違いはなく、いつもぱっと見すいてそうな方を選んでます。
ここのほん近くの陶々舎でMちゃんにお茶を習っている(年に1回だが、、、、)孫娘に、「お稽古すんだらあぶり餅食べようね。」と約束しつつ2年続けて年末休みで約束果たせず。
なので連休を利用して上洛した彼女らに、やっと約束のあぶり餅です。
美味しかったそうです(^-^)
時は前祭の14日の宵山、かねて準備した浴衣を着せてあちこち回る予定が、なんと大雨、、、
この鶏鉾さんとこではまだ小降り。
ちなみに孫1号の浴衣は娘が子供の頃、私の母が作ってくれた物。まだ十分着られます。
2号のは、私が仕立てようとして竺仙の反物買ったけど挫折して、プロにたのんだやつ(^_^;
びしょぬれになりながらも、綾傘さんでおよばれして、棒振り踊り見て、船鉾さんに上がったときの会所の写真。まあ、それなりに楽しんだようですが、記憶に残ればいいなと思います。
翌日は恒例、御所の出水の小川で水遊び。
このくらいの歳の女の子は、孫じゃなくてもかわいいな、と思います。(すぐに憎まれ口をたたくようになるんでしょうけど)
帰りに虎屋の一条菓寮へ寄って、こんな金魚の錦玉寒食べました。
こんな和菓子見るのは初めてのようで、ビックリしていました。(おかげさまで孫は餡子好き、特に2号は洋菓子苦手の餡子好き、と私のDNA受け継いでます)
さて、いきなりお見苦しい足をお見せしてすみません。
今年の祇園祭で大活躍のこのサンダルのような草履のような、履物はJOJOといいます。オラオラオラ〜〜のジョジョではありません。赤い鼻緒のじょじょはいて〜♪のジョジョです。
かの、和装を好む女子の憧れ、草履の祗園ない藤さんが新たな履物のコンセプトで作った、草履?ビーチサンダル?的な和風でもあり洋風でもある不思議な履物。確かに木の下駄に比べるとずいぶん歩きやすいです。ただ、望むらくはもう少しかかとが高い方が(ほとんど水平)歩きやすいのに、ということかな。
それにしてもない藤さんの草履はとても足で履くなんて、、、のお値段なんですが、これはお手頃!
古代赤の初宮参りの初着を誂えた染工房遊さんに、今度は七五三の七歳の四つ身の着物をお願いしました。紋様は初着と同じく兎ですが、ちょっとお姉さんの兎、地色は若草色に。
なにせ孫娘は3号までいるので、もとはとれるはず、、とふんでいます(^_^;
秋が楽しみだわ。
祗園祭シリーズでアップできなかった後祭宵山煎茶献茶式、アップしときます。はじめておじゃましました。若い煎茶人さんにお世話になりました。
煎茶献茶のご奉仕はいつも9月に平安神宮煎茶会でおじゃましている6流派のお家元が輪番でされるようです。今年は売茶本流さん。
なんとまあ、初めて八坂神社の本殿へあげてもらえました。
茶道の祇園会献茶は前祭の宵山ですごい人なんですが、煎茶のほうはゆったり。
副席は常盤殿にて、最初の席だったので各流派のお家元や清々講社のお歴々?とご一緒させてもらえました。ここは綾傘鉾稚児社参の時にもいれてもらった場所だわ。
最後に御神饌までもらってありがたいことです。
帰りに八坂さんの境内で翌日の後祭巡行と一緒に行われる花笠巡行の準備が。
昨年はあまりの猛暑に中止になった、あの祗園のきれいどころなんかが出る巡行です。
(今年は無事行われた模様)
そして過日いった奈良
奈良も暑い、、、鹿も水浴びしたくなる暑さ。(国立博物館前)
で、駅前の、削氷(けずりひ)コンプリートをめざしているところのことのまあかりさん、
前回、橘だけに柑橘系シロップだった橘三千代をいただき、今回は「鸕野讚良(うののさらら)」。
ご存じ後の持統天皇。夫の大海人皇子に従い壬申の乱まで吉野にいたゆかりで吉野葛餅いり。ブルーはさらら、の音のイメージか。次はかわいい氷高皇女(のちの元正天皇)にしよう。
最後に我が家の茶室の躙り口の上
左のセミの抜け殻は昨年からあって、よほど参席したかったのね、、、と思っておもしろいから残しておいたのが、今年は入席希望2名様になっていた。
、、、、、と、思ったら、、、、
今朝は4名様になってた〜〜〜Σ(゚д゚|||)
うちは小間なんでもうキャパオーバー、締めきりですよ〜。
みなさまもよい夏休みをおすごしくださいませ。
茶席を彩る〜中国のやきもの展〜中之島香雪美術館 - 2019.08.04 Sun
中之島香雪美術館にて中国のやきもの展

美術館の入るフェスティバルタワー・ウエストから見る(たぶん)大川
ここ、とてもよい美術館で内容も好きなのだけれど、アクセスがなあ、、ちょっと不便で行きにくいのが難点。
今回は村山コレクションの中国古陶磁、茶の湯絡み、しかも唐物茶入、(大好きな)古染付、祥瑞、南京赤絵などなど、好みのどストライクであって、興奮しましたね〜。
唐物茶入は4つ、なかでも重文にもなっている利休丸壷は、本にもよく乗っているあれよね〜。たぶん何度か見ているはずだか、最近記憶がつねに上書きされているらしく💦何度見ても新鮮。
とても500〜600年たっているとは思えないつやつや感。江月和尚の添状、蒔絵のりっぱな挽家、三点の仕覆も添って完璧。
天目茶碗は油滴、禾目、灰被、梅花と多彩だが、若干地味、むしろより多彩な唐物天目台が見ごたえあり。
古染付(17世紀)よりはるかに古い15世紀の雲堂手染付がたくさんでていたのもうれしい。これは主に香炉を茶碗に流用した(中に釉薬なし)もので、絵付けも何が描いてあるのかよくわからないゆるさが好き。
(藪内燕庵写しの御影香雪美術館にあるところの玄庵のそのまた写し)
しかし圧巻はなんといっても古染付の数々、これでもか!というくらいのコレクションで、村山翁お好きだったのね、古染。(「いだてん」に出てましたね、朝日新聞社主村山龍平)
野村にもある、かの垂涎の葡萄棚紋水指、香合各種(有馬筆、荘子、繋丁子、などなど型物香合番付表でおなじみのものたくさん)、さらに古染の本領発揮の懐石道具がまたすごい。
3年前に古染が見たくて行った東京の石洞美術館と、数では負けても質は負けてないと思うの。古染はけっこう奇怪な文様のものが多くて、これがまた魅力なのだが、ユニークなものはお値段も、、、💦
そんな古染の向付をさらりとだされたら、うれしいよな。
古染より時代がややくだる祥瑞はきっちりしすぎてもひとつ好きではないのだが、州浜型の鉢はいいね。三つ葉のクローバーのような形で、それぞれに違う祥瑞文様がびっしり描かれた物。それぞれに香物をいれて、たしかどなたかの茶事で出ていたのを記憶している。
(実際の玄庵とはちょっと印象が違う。相伴席がよく見えないし)
未だに違いがよくわからない南京赤絵と呉須赤絵もならんで出ていて、ちょっとだけ違いがわかったような気がするが、気のせいかも💦
同じ古陶磁のコレクションでも、お茶をする人としない人ではコレクションの方向が若干違うのだが、さすがは茶人・村山翁、われわれお茶好きにはドツボのコレクションの数々であった。
(8月4日終了)
3年ぶりの湿し灰つくり - 2019.08.02 Fri
炉の季節に席中で使う湿し灰は、土用の暑っつい時に作るべし。
自分の記録をよんでいると、前作ったのは3年前、意外と持ったなあ。でも、それもそろそろ底をついてきたので、今年の秋冬のために作るぞ!湿し灰。

本格的な作り方はあるのだろうが、私は数年ためして特に問題もなかったので、これで通す。(まあ、いろいろやり方はあるようです。)
まずはバケツの灰に水投入。
泡泡のアクがういてくるので、これを捨てて水入れてをくりかえすこと3回。
するとなんということでしょう(^-^)
上澄みは澄んでくるのです。
上澄みをすてたところへ前日煮出しておいた、濃い〜〜京番茶(これをふいた布巾はまちがいなく茶色に染まる)投入。
あとは茣蓙の上にのせて水分をちょうど良いところまでとばす。
土用の強烈な太陽の下だと、あわてないといけないくらいに早く乾くのだが、この日はいまいち太陽に元気のない日で、なかなか水分飛ばず。(真冬に作ったこともあるので、それに比べれば、、、、)
これでもまだ水分が多く残っている感じ。
手で握るとぱらっと崩れるくらいが理想。この段階ではまだ粘土っぽい。
で、結局乾燥作業は夕刻まで持ち越してしまった。
夕刻、蚊取り線香を焚きながら粗めの篩、すりこぎでこす。
後日の備忘録に書いておくが、篩の径にあったバケツを使ってはめ込んで使うと、無駄もなく、やりやすい。
完成〜!!
思いのほか途中の灰のロスが少なく(手際よくなってるわ、自画自賛)、これでまた3〜4年持ちそう。やれやれ、夏の一仕事ひとつ終了。
かくの如く、茶の湯って裏方仕事は、着物着て優雅にやっている表からは想像できないくらいけっこうな肉体労働なのである。
宵山能「花月」〜嘉祥閣2019 - 2019.08.01 Thu
時間は若干巻きもどって、後祭の宵山、7月23日に毎年行われる宵山能、場所は御所近くの能楽堂嘉祥閣である。

若手の育成などを目的に昭和36年に建てられたこの能楽堂は、観世会館などのような大きな能楽堂と違って、普通のお家のようなイメージである。
この宵山能は後祭の山鉾にちなむ演目を毎年懸けており、今年は南観音山、北観音山である。
一昨年の「田村」は、後シテが鈴鹿山の鬼退治をした坂上田村麻呂、鈴鹿山がテーマであった。
(江戸時代の両観音山、今ほど大きくない)
今回も田村と同じく清水寺がかんでくるのだが、南、北観音山はご神体が楊柳観音である。「花月」の詞章に「楊柳観音の御所変にてましますか」とあり、この観音様の御利益にてさらわれた少年花月と父の僧が再会できたというお話し。
まずは平安神宮薪能でもお馴染み、井上裕久師の解説を30分ほど聞いて、それから開演である。
(井上家は元禄より続く能の家で「舞の片山 謡の井上」とよばれる御家なのだそうだ)
照明をおとして薪能的な暗さの中の能、開演。
「花月」
♪ 風に任する浮雲の 泊まりは何処なるらん
7歳の時にさらわれた息子花月をさがして、筑紫国彦山から出てきた諸国修行の父僧が、春の清水にて参拝客相手に遊行を見せる少年を、あれこそ我が息子、と再会するというあらすじ。
花月の遊行である、曲舞(「恋は曲者」など)、鞨鼓を打ち鳴らす舞、筑紫からさらわれて行く山々巡りの舞、などが見所。
最後の山巡りのキリの仕舞を習ったので、とても愛着がある演目なのだ。
♪ とられてゆきし山々の、、、、
故郷の筑紫彦山、讃岐松山、伯耆大山、丹後丹波、愛宕山、比叡山、葛城高間山、、、、
その山々が目に見えるようだ。
最後に鞨鼓を打つささらをさっと捨てて父僧について仏道修行にでる、、、ところでおわりである。
狂言師がこの曲では文字通り狂言回しになって、花月の芸をひきだし、時にいっしょに肩を組んで謡う、というのは初めて見た。
椅子がパイプ椅子なので、若干お尻が痛くなったが約40分、飽きることなく(寝ることなく(^_^;)楽しめた。終わってもまだ19時過ぎ、これからそれぞれが後祭の宵山にくりだしていく宵である。このまま南、北観音山へいってお囃子を聞くもよし、来年もまたお願いしたいものである。
<付記>
嘉祥閣のブログに画像などアップされているのでそちらもどうぞ。(→コチラ)