石州流宗家夜咄〜西行庵2019 - 2019.11.29 Fri
真葛が原西行庵、毎年保存会最後の茶会が夜咄である。
毎年毎年、時期は紅葉の真っ盛り、場所は円山公園〜祗園と交通が麻痺するのがわかっていたので、キモノに水屋袴で自転車!(すっかり慣れました(=゚ω゚)ノ)

今年の夜咄の席主は片桐家の流れをくむ石州流宗家のお家元である。
この日の朝に當麻寺へいったのは記事に書いたとおり、當麻寺は片桐石州と後西天皇とゆかりの深い寺であったので、この席は思い入れが深い。
石州流はご存じのように完全相伝であるから、全国各地にいろんな派の家元が林立している流派なのだが、昭和の初めにこれをなんとか統合しようという動きもあり、そのなかで片桐貞昌(石州 片桐且元の甥)を祖とする片桐家を家元と仰ぐのが石州流宗家であると聞いた。
待合の小間で片桐家の紋菓・違え鷹羽(鷹の羽根がぶっちがえになっている)をいただきお薄をいただくが、御当代家元が直々にお出まし、しかもとってもおちゃめな方でお話しが楽しい。
待合は令和の御大典にちなむ物で。
掛物が「萬歳」。これは御大典の時の萬歳旗(即位の儀でたくさん幡がたてられるがそのうちの一つ)を紙に正確に写しとった物(だれだったか失念)。大正天皇か昭和天皇の即位礼の高御座の金属製飾りを蓋置にしたてたもの、車軸釜は新天皇をお乗せする馬車の車に見立てて。
ご宗家は奈良なので、お菓子は奈良の樫舎さんではないか!お得意の葛焼だ。この季節の葛焼もなかなか。正客が弘道館の太田先生だったので、蘊蓄を語ってくださり、楽しい席になる。太田先生、文化庁のイベントで二条城でおこなわれている寛永茶会で小堀遠州に扮し、もう遠州になりきっているので年下の石州を「おい、石見(石見守だった)」と呼び捨てにしそうだと。これでまた大笑い。
点心席は時代が少し遡って、幕末の水戸藩主・斉彬公(一橋慶喜の父)の瓢箪図の掛け軸。
石州の茶の湯は四代将軍家綱公の茶道指南に選ばれたことから武家に浸透した流派であるから、水戸公も石州流を嗜んでいたのかもしれない。
点心は三友居さんで、煮物椀がスッポン豆腐。熱々で生姜もよくきいてほんまに美味しく体もぽかぽかである。
紅葉の象嵌も美しい手燭を手にみなさまと雁行する夜咄の楽しみ。
本席ではさらに時代を遡って片桐石州の時代へ。
席入りしてまずビックリしたのは、、、、え?これなに?アヴァンギャルド?な花入れと思った。
西行庵の有名な円相床のまえにぶらーんとぶら下がるバネのような花入れ、下の方に椿が。
これが有名な石州好みの蛇腹花入だったのだ!
長い竹に切れ目をいれてらせんのバネのような形状にしたもの、長さは1mくらいはあろうか。これをあの時代に作ったのか!と感動する。てっきり現代のものだと思ってしまった。(あとで調べたら當麻寺の宝物庫にこれの本歌?があるそうな)
やはり耐久度には弱く、時がたつと折れてしまうものなのだそうだ。
茶杓が石州のライバル?船越伊予守であるのも感慨深い。伊予と石州は将軍家綱の前でそろって茶を点て、結局石州を将軍は茶道指南役にとりたてたのだ。
あと宗家では初釜など格式のある茶会にしか出さない黄伊羅保をこの会にだしてくださった。ここ数日ほんと、黄伊羅保の名品をたくさん見る。これが秘蔵の黄伊羅保かとありがたく拝見。それからこの会を最後に引退させる茶碗といって砂御本を。よくみればつくろいのところからにゅうがはいって、これはもう使えないと判断されたとか。
お家元はそんなお話しをジョークを交えてお話しくださるし、正客の太田先生には勉強になることをたくさん聞けるし、でほんとよい席だった。西行庵さんにも感謝。
帰り道、暗くなった円山公園をまばらになってきた観光客を追い抜いてキモノ自転車でかけぬける爽快感!♪(/・ω・)/ ♪
香雪美術館・玄庵茶会2019 - 2019.11.28 Thu
神戸は高級住宅地御影にある香雪美術館、昨年は大阪中之島にもできて人気が出てきたのか今年は初めて玄庵茶会の券の入手に苦労した。

おかげさまでなんとか今年も玄庵茶会参加できた。
この美術館は朝日新聞の創始者の一人・村山龍平翁(香雪)の茶道具コレクションを所蔵し、玄庵茶会ではそれらをおしげもなく使ってくれるのである。
ちなみに香雪翁はお茶は藪内流であり、玄庵は露地に到るまでほんとうに正確な燕庵の写し。(燕庵見に行ったとき「玄庵そっくり〜」と言って顰蹙をかった(^_^;)
席まで時間があったのでまずは美術館の展示を拝見。
今季のテーマは「戦国大名と利休七哲」、時代を追って、利休、織部、遠州、不昧、、の名品を拝見。
勉強になったのは、先日三井記念美術館・高麗茶碗展で見た「遊撃半使」、こちらには「遊撃呉器」、唐津・名護屋城跡で中国の講和使者が泊まった施設を遊撃丸といったのと関係があるのかな、と思っていたら、ここの解説でやっと意味がわかった。文禄慶長の役の講話使節として来日したのが遊撃将軍・沈惟敬、彼が携えてきた茶碗だから「遊撃」なのね。
さて、美術館から一度でて、ぐるりと回って旧村山家住宅の和館棟へ。
燕庵にもある編笠門をくぐって、市中の森の中へ。野鳥の声がかしましいくらい。
寄付には松花堂昭乗の天神さんに遠州の賛「このたびは幣もとりあえず手向山、、、」の百人一首にもある歌。
(庭園内に設けられた点心席)
織部考案の割腰掛け待合いで待っていると、藪内のお家元が中門まで迎え付けしてくださる。
いよいよ玄庵の濃茶席へ。もちろんお点前は家元自身がされる。そういえば、最初に玄庵茶会に来たはるか昔にはまだ若宗匠でいらしたなあと懐かしく思う。
しかも床の徐熙「梅鷺図」は、一番最初に玄庵茶会に来たときにかかっていた物だった。感動の再会。徐熙(10世紀中国五大十国時代)の鷺図は何枚か日本に入ってきていて、これはそのうちの一つ、また別の一つがかの松屋三名物の一つだったという。
水指が井戸の片口を見立てた物、よく見るとやはり井戸=粗質白磁なのだ。
家元自らが練ってくれた濃茶を三つの碗でいただく。主茶碗は極渋の柿の蔕「浦舟」、次茶碗がなんと長次郎の黒楽筒茶碗「楓暮」、箱が宗旦。長次郎はかせた黒楽のイメージを覆すつやつやの黒。私がいただいたのは三碗目、すごく重い馬盥みたいな信楽の茶碗「雪梅」。
(点心席には焚き火がしてあって、灰よけに羽織を用意してくれる)
藪内の霰灰の炉にかかる釜は古芦屋で馬の地紋がある。
茶入が中興名物・瀬戸肩衝大覚寺手「初雁」
茶色い釉薬の上にむらむらの黄色い釉薬が飛んでいて、初雁の名もなるほどと思わせる。
挽家が小堀大膳宗慶(遠州長男)、箱が権十郎(三男)。
茶杓がとても面白くて、節より先に細長い穴があいている。これは清めるときとても気を使うと家元。変に力をいれたらペキっといきそうだもんなあ。寸松庵で有名な佐久間将監の作で、秀吉の妻ねねさんの甥に当たる木下長嘯子の箱あり。銘はなし。
濃茶のあとは中庭にて点心をいただく。
見上げると玄庵の屋根。
玄庵は三畳台目+一畳相伴席で10人くらい詰め込まれるが、意外と余裕。相伴席の威力を再確認した。
点心は今年も高麗橋吉兆、これに煮物椀が付くのでかなりお腹一杯。
さらに女将さんがお酌もしてくれる。ありがたし。今年は茶友さんのお連れがいたので、今見た道具のディスカッション?をしながらいただく。
葡萄と今年は洋梨(柿のことも多い)と、大好きなソーダ味ゼリー。
五十畳の大広間には歌川派の祖である豊春の謡曲「松風」の三幅がかかり、俵屋宗達の四季花屏風もならぶ。ここに大火鉢や、寒桜と椿を枝ごと生けた伊万里の大壺など、一時のお大尽気分。
庭から薄茶席の書院へ。
ここはまた紅葉が美しい。
薄茶席は大阪のF宗匠の席である。藪内F派とでもいいたいような、とても武士らしいメリハリのきいたお点前をされる。
掛物は源俊頼の四半切、古今集・恋の歌四首
俊頼といえば百人一首の「うかりける人を初瀬のやまおろし、、、」を詠んだ人である。唐紙の地紋が亀甲でこれもきれいに見えた。
唐銅の花入れにいれられた花がなんだこれ?、、、美男カズラのまだ青い実(桑実みたい)であった!
薄器が「源流茶話」で有名な藪内5代竹心好みの栗蒔絵。ころころの栗がかわいい。過日某所の藪内の席でも栗の薄器が出ていて、よっぽど栗がお好きだったのかな?と。
主茶碗は黄伊羅保「廬山」
今年の秋はいろんなところで黄伊羅保を見る。作行がそれぞれ違って多彩、これは見込みに砂を撒いたような胡麻がでていてなかなか渋い。
先日行った、根津美術館・川上不白生誕300年の展示で、図録の表紙にもなっている不白手づくねの「赤黒一双鶴亀(赤が鶴、黒が亀)」と同じのが出ていてなんだかうれしかった。
絵唐津で、窯の中で二つの茶碗がひっついて、一方をたたき割ったどこから飲むの?の茶碗が面白くて座の人気を博していた。印象深いよね。普通なら失敗作として捨てるところをとりあげ、溝口家伝来と伝来物にしてしまう茶人の美意識たるや!
美術関係の茶会の中で一番好きなそして価値のある玄庵茶会、今年も無事いけました。感謝。
お土産に香雪美術館カレンダーと絵はがきをいただいたが、この般若の絵はがきはだれへ出すべきか考えてしまうが、、、、(^_^;
當麻寺中之坊〜錦秋・香藕園 - 2019.11.27 Wed
(まだまだ喧噪の京都脱出は続く)
奈良の南部、葛城の二上山の麓の當麻寺をめざす。

當麻寺参道は古い町並みが続いて、、、、
格式高い卯建のある家やら、、、
なにやら古式ゆかしい?感じの家が並ぶ。
おもしろいのはこの参道の多くのお家に懸けられていた独特の注連縄
(當麻寺天神講のものとか)
當麻寺前の駅から歩くこと約15分、けっこう遠いよ、當麻寺。
境内にはいると目に入る二上山
<うつそみの人にあるわれや 明日よりは二上山を弟(いろせ)とわが見む>
弟・大津皇子を(反逆罪の冤罪で)殺された大伯皇女の歌が思い出される。(大津皇子は二上山に埋葬された)
當麻寺は広い伽藍だが、目的は當麻寺別当住房である中之坊、片桐石州ゆかりの庭園、香藕園(こうぐうえん)の紅葉が美しいと聞いたからだ。
香藕園に一歩足を踏み入れておもわず息をのんだ。
當麻寺の持つ双塔のうち東塔を借景に紅葉の見事なこと!
しかも人がほとんどいない!こんな贅沢な景色独り占めしていいんやろかと後ろめたいほど。
古来大和三名園(吉野竹林院、大和郡山慈光院)の一つとされてきたのもよくわかる。
池をめぐって歩けば、千両も盛り
起源は鎌倉時代というが、後西天皇(お茶好きの天皇さんで後水尾天皇の息子)を迎えるため、片桐石州が改修した姿が今に伝わる。
こちらが石州が増築した「丸窓席」
なんと、西行庵の円相床はしっているがこんな上から下まで円相窓っていうのは初めて見た。
外には刀掛けもある武家の茶室である。
さらに歩みをすすめると、、、
外庭と内庭の境の塀になんと見事な苔、そして彩りを添える千両の赤
こちらは同じく石州の二畳中板の小間茶室「知足庵」の露地であるが、この景色が一番美しいと思った。
内庭をぐるりと回って、、、
こちらは住房部分のようだ。
最後にお薄をいただいたが、出してくれたお寺の女性の所作が石州流の所作だったので、また萌える。干菓子は牡丹をかたどったもので、春には香藕園、牡丹の名所にもなるのだ。
水屋の前に石州さんの像も。
(実はこの夜、石州流片桐宗家の夜咄茶会にでたものだからなおさら感慨深い)
本堂から振り返って見た東塔
當麻寺には西塔もそろっていて、双塔眺めることができるのがすばらしい。
そして當麻寺と言えば中将姫
6年前に奈良国立博物館で當麻寺展があって、かの曼荼羅を拝見したのだが、黒くなりすぎて、実のところ何が描かれているやらさっぱり見えなかったのを思い出す。
というわけで(?)、駅前の店で中将餅をもとめる。
蓬餅に漉し餡をぺとっと塗りつけて牡丹の花を模しているのだそうだ。あんこがさっぱり系(赤福系)で美味しかった(^-^)/
佐保路・興福院〜特別公開 - 2019.11.26 Tue
佐保路は奈良の観光中心部よりかなり北〜西になる。西大寺にも近く、法華寺など名刹もあるが、普段は非公開の興福院(こんぶいん)が御大典を機に数日間だけ公開されるとあって出かけてきた。(ここんとこ奈良づいてる)

近鉄奈良からはバスで15分くらい、普段は観光客がほとんどいないであろうあたりにある興福院。尼寺である。
もともとは現在の尼ヶ辻あたりにあった寺だが、四代将軍家綱から現在の土地を寄進され移転されてきて以来、徳川家の庇護を受けてきたため、このように幔幕にど〜んと葵の御紋が。
奈良には珍しい。
開山の歴史は和気清麻呂説や藤原百川説などあって、はっきりしないらしいがそうとう古い歴史があるのは確か。そしてなんども荒廃復興をくりかえした寺であるそうだ。
おりしも紅葉の見頃の季節、意外と多くの人が訪れていた。
快晴の空を背景に背をのばすパンパスグラス
麗しき秋の日である。
中は本堂以外は撮影OKと太っ腹、あちこちに尼寺らしい室礼がみられる。
これは尾州徳川家から天保九年に寄進された打敷(仏様へのお供え物の下にしくもの)
当時の染色や織物、刺繍の技術のレベルの高さがうかがえるもの。
こちらには「江戸掛袱紗」とよばれる重要文化財があって、公開はされていなかったが写真の展示があった。五代将軍家綱の側室瑞春院(お伝の方)寄進で31枚ある。これも華やかで美しい。(実物みたかった)
タラヨウの葉に書かれた花の名前
(タラヨウはとがったもので傷をつけると跡が残るので葉書の語源になる)
書院の飾りもどこか女性らしい艶やかさが。
この寺は安土桃山時代に筒井順慶一族の尼が、また順慶のあとに郡山城主となった秀長の正室光秀尼が、復興に力をつくし、入れ替わる時の権力者とわたりあって守ってきた尼寺なのだ。
長い回廊をわたって本堂へ。
今回の展示にはこのザルがあちこちに上手に使われていて、これも女性らしい細やかな心遣いだと感動する。
本堂へ行く道からは奈良市内が見下ろせる。
こちらは本堂、庵主様がご本尊の阿弥陀如来様と脇侍の観音菩薩、勢至菩薩(三尊とも天平時代・重文)のご説明をしてくださる。
建築はなんと小堀遠州(秀長に仕えていたものね)、「興福院」の扁額はなるほど遠州の手によるもの。
渡り廊下の向こうには御霊屋の屋根。
遠州の友人でもあった長闇堂(久保権太夫)の茶室の復元が境内にあったらしい。(見逃した、、、)
道に散り敷く散り紅葉もゆかしく
奈良の古寺に紅葉はよく似合う。
見上げれば大銀杏、この下に茶室と長闇堂があったらしい。
このイチョウの銀杏は拝領できるので持ち帰っていただいた。
拝観記念のクリアファイル(江戸掛袱紗)もみやびで尼寺らしくていいなあと思った。
**我が愛する「卑屈な奈良県民bot」のツイッターで「他はみんな京都に負けるけれど唯一勝てるのが観光客少なくてゆっくり見られます」というツイがあったが、これは真実、そしてほんとにオススメ。
(この時期京都の人混みは殺人的で交通機能麻痺してる。特にうちの近所は紅葉の名所が多くて→脱出すべし!)
サラリーマン狂言・河田全休さん〜京終サロン - 2019.11.25 Mon
二回目の京終サロンである。前回は薬師寺花会式の造り花のお家の方のおはなしでたいへん面白かったのだが、いかんせん、交通の便がいまいち、帰りが遅くなる、、、ということでなかなか行けずじまいであったが、このたびサラリーマン狂言の河田全休さんがゲスト、と聞いてでかけた。
(京終:きょうばて、、、と読むのよ。京、だけれど京都じゃなくて奈良だよ)

京終サロン会場の夜の璉城寺
河田さんとは数年前、陶々舎の狂言会で知り合ったが、古典狂言を演じられたのはみたことがあるけれど、サラリーマン狂言は実はまだ見たことがなかったのだ。そうこうするうち、新聞やTVなどでも時々取り上げられるようになり、ますますのご発展のようでなにより。最近では給湯流サラリーマン狂言と名乗っておられる。
璉城寺の座敷の中になんと!鏡の松が!
なんでも京終サロンのスタッフの方がこの日のために描いたものとか。素晴らしい!
まずは狂言の歴史や奈良との関わりなどのお話しを聞く。
(ならまちに大蔵宗家屋敷跡の史跡があるとか)
河田さんは京大卒、大学時代に学生狂言会に入会し、以後大蔵流のプロの狂言師の方々に師事し、古典狂言をみっちりされた方なのである。狂言普及につとめるうち、太郎冠者と主の関係がサラリーマンとその上司である中間管理職の関係そのものであると考え、狂言の型で現代のサラリーマンの姿を描くサラリーマン狂言を発明したのだそうだ。
そして本日のメインイベントは、同じ題材の古典の狂言とサラリーマン狂言を見比べるというもの。
題材は「痿痢(しびり)」
古典の痿痢は、外に買い物に行けと主に命じられなんとかしてそれを逃れたいとあれこれ言い逃れをする太郎冠者。行きたくなるような用事も言いつけられ、仮病をつかったもののだんだん辻褄があわなくなって主に怒られて退場、、、というお話し。
あるじ役は、全休さんの狂言友達で京終サロンの常連でもある大塚盆休さん。
膝が痿痢で痛うてたてませぬ、、、、の太郎冠者。
室町時代の庶民の言葉や暮らしを写しているというが、現代にも充分通用して笑える。
サラリーマン狂言への舞台代わりの間に、お友達のお二人で、狂言ワークショップ。
みんなでいっしょに、笑い方や、泣き方、酒の飲み方、注ぎ方を体験。
見てください、このいいお顔!
見ているだけでこちらも楽しくて笑ってしまう。
さて、サラリーマン狂言の「痿痢」
格好は現代のサラリーマンであるが、言葉使いは古典のまま、けれどシチュエーションが現代で、「京終システムズ開発1課」の平社員と課長の話に置き換わる。
残業を申しつけられてPCに向かって作業をしていたが、面白いゲームのソフトを仕事中にダウンロードし、課長にばれそうになって、やれキーボードの調子が悪くて腱鞘炎、ディスプレイが悪くてドライアイ、あげくの果てにはマウスアレルギーというようなへんてこな言い訳を苦し紛れに考えだし、課長に怒られて退場、、、というお話し。
古典狂言の言葉使いの中に、マウスとかキーボードとか、ドライアイとか名前が出るたびにみんな大笑い、会場は大いに沸いたのである。おそらく中世の頃の庶民も狂言で大笑いしたに違いない。当時は同じ時代の風俗であったから。それを現代にもってきて、より狂言が近しいものになる。これは面白い、楽しい。
河田さんたちのこの試み、今後さらなるご発展を期待します。
*)FM87.0 に月イチで番組あり 「笑ってスッキリ!サラリーマン狂言」
<おまけ>
奈良を愛する人が作り、奈良を愛する人が集うことのまあかりさん、璉城寺に行く前に寄った。
こちらの大好きな削り氷(かき氷)の季節が終わったのを残念に思っていたら気になるメニューが。
古事記まんドリンクセット!
筍入りの肉まん
干しぶどう入りの蒸しカステラみたいなの
桃の形のカスタードまん
なぜこれが古事記と関係するかわかった方はかなりの古事記通。
(正解)
イザナギが亡くなったイザナミに会いに死者の黄泉の国へ行った時、黄泉比良坂で黄泉醜女に追いかけられ、これを逃がれんと投げつけた三つのものなんですね〜。(筍、葡萄、桃)
毎年購入している、なら旅手帖も忘れずに。(表紙は8種 これは當麻寺中将姫剃髪得度図)
錦秋・山科毘沙門堂 - 2019.11.24 Sun
東山を一つ東に超えて山科の地へ

昨年もこの春も琵琶湖疏水通船に乗って楽しんだ山科疏水も秋の彩りである。
久々に毘沙門堂へ、でも秋の毘沙門堂ははじめて。
山科駅からのゆるい上り坂を20分ほど歩いて行く。(お金持ち中国人はタクシー^^;)
紅葉の名所ゆえ、どれだけ混んでいるのだろうと恐る恐る行ってみたが、若干早いのか人の姿はまばらであった。でも紅葉の季節以外はだれもいない、、、ってこともあるのでこれでも人がいる方。
早いのか?それともこの暖冬で今年はイマイチなのか?
思ったほどではないような。散り紅葉の頃の方がよろしいようで。
ちなみに昨年の春行った時の写真
青楓も美しかった。
それでも見事に紅葉している木もある。
緑〜赤のグラデーションはやはり美しく、着物にでも写しとりたい。
落ち葉の美しさにも惹かれつつ、、
心臓破りの最後の階段を登る。
石段のすみにわだかまる散り紅葉も愛でる(登るのしんどくて途中休憩しているという説も、、、^^;)
毘沙門堂、古くは出雲路橋にあった寺が度重なる戦乱をのがれてこの地に安住したのは江戸初期、黒衣の宰相・天海上人の力添えによる。
のちに法親王が入寺して門跡寺院となった。
御本尊の毘沙門天は伝教大師ご自作と伝わる。
どこも朱塗りで東照宮を彷彿とさせる華やかさ。
徳川四代将軍家綱寄進の本堂、といえばうなづける。
大きな香炉にも門跡寺院の御印、裏菊の紋
後西天皇の旧殿を移築したという宸殿前の南天も紅葉に加勢して赤い。
小さな祠はお稲荷さんか
これぞ錦秋(若干、、、浅い)
今回本堂の中には入らなかったので、紅葉の季節のベストショットといわれる高台弁財天を望む景色を、逆に弁財天堂側から撮ったもの。
むしろ今の季節はドウダンツツジの紅葉の方が赤いかも。これは美しいと思う。
快晴
手前の落葉樹はすっかり葉を落とし、すでに冬の気配さえただよう。
冬が来る前の一瞬のきらめき
儚く短い時間だからよけいに美しいといつくしむように楽しむのだね。
帰り道、ほっとする山科の柿のいろどり。
珈琲山居 - 2019.11.23 Sat
いつもお世話になっているK美術のマドンナことY子ちゃんが、K美術の珈琲席担当もされるご主人と、とうとう喫茶店を開きました。

珈琲山居
(本名をご存知の方はちょっとニヤリとしてしまうでしょう(^∇^))
今月27日から正式開店ですがプレオープンにお祝いも兼ねておじゃましました。
もとの店舗を改修して、壁塗りなどはDIYで作りあげたお二人のセンスあふれる、とても居心地の良い空間です。こつこつ集めた素敵な椅子やテーブルは、搬入まではご自宅で寝る場所しかないほど、これらで埋まっていたといいます。
あ、すてきなお一人様席!
ここは本とかノートパソコンとか持ち込んで長居してしまいそう^^;
この大きなテーブルはもともとあった廃材になるようなものを大工さんが細工してくれたものとか。
この腰板のある英国調インテリアは私が憧れて、宝塚の家で目指して実現できなかったもの、いいな〜。
小さな本棚があって、覗いてみると、、、、ふふふ、やっぱりほとんどコーヒー関係^^;
ご主人は他のお仕事をしておられたけれど、珈琲を愛するあまり焙煎からいれるのからだんだんプロ仕様になっていって、ついに喫茶店開店を決心、場所を探しておられるところから知っていたので、このたびの無事年内開店、まことにおめでたいと外野ながらうれしいです。
Y子ちゃんはご主人のいれるコーヒーにあわせて、オーガニッククッキーなどのお菓子を手作り、美味しいお菓子と珈琲と、、、これはどなたにも幸せなひと時ではないかしら。
カフェではなく喫茶店
Y子ちゃんもお客さんがカフェと言ったら言い直すそうです^^;
メニューをみるとモーニングサービスもあるのね。
このあたり(北大路新大宮商店街)お店をやっている人や、買い物客も多いのできっとありがたいお店になるに違いない。
ご主人がセレクトし、焙煎したコーヒー豆も買えます。
ご主人のお友達の花屋みたてさんからもお祝いの花が届いていました。
そしてK美術の常連さんにもばったり。思わぬ同窓会みたいになって楽しいひとときでした。
場所は大徳寺の東、新大宮商店街、今宮通りより南
お茶の友達が多いので、大徳寺へ行くことが多い方々におすすめしておきます。
まだお若いお二人ですが、今から数十年経って(私はもういないかもしれないが)ご年配のマスターとおかみさんがゆっくり珈琲をいれてくれる姿を楽しく想像しつつコーヒー豆を買っておいとましました。
お土産にY子ちゃん手作りの焼き菓子もらいました。
しみじみ美味しかった。
次は1年前、K美術忘年会でもらった(当時まだ存在しなかった)珈琲山居の珈琲一杯無料券、やっとつかわせてもらうね(^-^)/ 夢をまことに、めでたい。
高麗茶碗〜三井記念美術館 - 2019.11.21 Thu
根津美術館を出て、表参道の駅地下にけっこうな規模のフードコートがあることをM姉様に教えていただき、二人でなかよくランチした後は三井記念美術館へ。途中武者小路千家の若がなにげに歩いておられるところに遭遇したり、、、、

途中紅茶ではなく日本茶のフレーバーティー50種!というのお店に驚きながらたどり着く。
(スイカとかチョコミントとかバナナミルクとか、ちょっと想像できないというかしたくないような、、、オーナーはフランス人だと。納得)
不白展をオープンそこそこに出かけることにしたのは、これの会期に間に合わせんがため。
大好きな高麗茶碗シリーズ!
高麗の分類とか歴史とか、かなり勉強した方だと思うが、繰り返し刺激を与えてないと消えていく情報が多いお年頃(^_^;、それに高麗茶碗図鑑がわりに図録がほしかったのだ。
高麗茶碗の分類は、特に後期の日本からの注文のものが混乱しているというか、わかりにくく、研究者によっても分類が異なるので、私たちがまちがえても全然セーフ!だと思っている。
今回の展示は
1)朝鮮半島の日常の器を茶道具に見立てたもの〜井戸、粉青など
2)日本向けに注文に応じて焼かれたもの
①釜山の借用窯で焼かれたもの〜斗々屋、伊羅保、御所丸、蕎麦など
②釜山の倭館窯で対馬藩が運営にたずさわったもの〜金海、半使、御本、呉器、玄悦・茂三・弥平太などなど(これが一番ワカラン)
と分け、各種類の代表となるような茶碗を展示してあるので、生きた図鑑でもありわかりやすく(言うてもワカランが)勉強できるようになっている。
私が好きなのはやはり見立ての時代の物で、井戸はそりゃ好きだがなかなか手を触れる機会がなく、比較的入手しやすい粉青シリーズ(三島・粉引・刷毛目)。
ここでおさらい
<粉=白い化粧土 青=透明釉の色> で粉青
刷毛目や三島のうすいブルーの地は釉薬の色なんである。はっきり言って倭館窯以降の物には全く興味がない。借用窯のものも伊羅保までかな。あまりに日本人っぽくってなんかのびやかさがないというか、作意がすぎるような気がするのだよ。(あ、でも彫三島は好き)
(重い図録二冊をリュックにかついで持ち帰った)
気になった物をいくつか
刷毛目「合甫」、全部刷毛目なのだが、粉引とどうちがうのか?
真熊川と鬼熊川では、印象と裏腹に鬼の方が小ぶり
大好きな粉引ではあるが伝世品は極めて少ないのにそのうちの4つまで出ていた!しかもその景色が4つとも全然違うのにおどろく。三井がもっている「三好」が一番好きかな。
三島はなんと3つしかでてない。それも二得三島とか。普通の三島は数が多すぎて価値がいまいちなんかな。よだれのとまらん三作三島もあった。
井戸茶碗がこれでもか!とでていたのは圧巻である。大井戸、青井戸、小井戸。根津で見たタライラマ師の「八重桜」に匹敵する小貫入「雄蔵山」は藤田所蔵、雰囲気がよく似ている。
日本からの注文品の時代になると斗々屋と蕎麦の区別がつかなかったり、呉器や御所丸はあまり好きではないし、、、と思っていたが、なかなかどうして、名品となるとやはり格が違う。
斗々屋の極渋しかし多彩な味わいの「奈良」を見ていたとき、これを現在の所蔵主に取り次いだという某道具屋さんがいらして、来歴を説明してくれたのがうれしかった。(M姉様のおかげです)
黄伊羅保は3つのみ、しかし全部伊羅保か?と思うくらい趣がちがう。
東博の彫三島「木村」がでていた(。>ω<。)ノ私が見たことのある唯一の外花!(茶碗の外側にも印花がある貴重なもの)これ好き♪
(夜の三井タワー)
最後に興味深かったのがパネル展示になっていた「御誂物控〜(元禄14年から宝永2年まで)」である。これは昭和55年に発表された釜山の倭館窯、特に当時そこを仕切っていた弥平太への注文書で、これによって倭館窯の歴史研究が飛躍的に進んだと言われる資料である。(対馬歴史民俗資料館蔵)
そこには注文する器のことこまかな寸法入りの切り型とか紋様とかが描かれ、展示にはその図からおこしたと思われる器の現物があり(御本編笠・弥平太)おお!と感動した。
さらにずっと高麗青磁と思われていた雲鶴青磁が御誂物控に載っており、初めて注文されて作られた御本とわかった、というあたりはもう鳥肌ものである。
この展示をM姉様とずっとおしゃべりしながら(スミマセン、はた迷惑でした)一緒に見た。ここに個人蔵の展示品をいくつも出している数寄者さんとお友達でもあるお姉様はさすがにすごい。
今自分で作った言葉だが「茶の湯インテリジェンス」の高い人と展示を見るのはなんと楽しく勉強になることであろうか。
東京駅でお別れしたが、この日一日ずっとおつきあいくださりありがとうございました、の気持ちをこめて最敬礼。
新幹線に乗る前に、最近東京駅地下にできたカンノーリバーのお店へ。(カンノーリを模したシチリアというお菓子に最近はまっているの)私がこんなしゃれた店を知っているわけないので、ここはブロ友のMariko様に教えていただいたのだ。
その場で好きなクリーム、トッピングを組み合わせて作ってくれるので5種5本をオーダー。新幹線の中で食す。美味しいからって言っても、やはり2本が限度でありました(^_^; (のこりは家人へお土産)
川上不白生誕三百年「江戸の茶の湯」〜根津美術館 - 2019.11.19 Tue
東京日帰り美術館巡りツアー、今回は頼もしい東京のお姉様、M様のエスコートつき(*^_^*)
あちこちの美術館の会員になっておられるので、御供でちゃっかり無料で入館させていただいたり。

東京の美術館では一番行っているお馴染み根津美術館。
今年は江戸千家流祖・川上不白生誕三百年ということで、江戸の茶の湯を川上不白にスポットをあて、その師である表千家如心斎、あまたの弟子たちにからめての展示になる。
そもそも不白に興味を持ったのは、数年前に不白箱の高麗茶碗を入手したことから。そしてなんと何回かお茶を飲ませてもらっている小井戸「八重桜」(かのタライラマ師個人蔵だよ♡)が出展されているというではないか!行かいでか!
一般公開初日とあって、けっこうな人出であったが、会期中何回か催される不白流系の宗匠や茶人さんによる茶席もあるせいで、お着物姿の方も多かった。(私も茶会ねらったが、あっというまの満席であかんかった)
川上不白はもともと紀州藩江戸詰家老水野家(新宮)に仕えていたが、おそらく水野家の茶頭にするべく16歳の時に江戸から京都の表千家へ送り込まれた。当時の表千家は千家中興の祖といわれた如心斎が当主、経済的にも文化的にも台頭してきた町人に稽古をつけるべく奮闘。その如心斎と不白は、おそろしいほど強い絆でむすばれた師弟関係であったようだ。参禅を重要視した如心斎が大徳寺玉林院で参禅で籠もったとき、不白も伴い、ともに大龍和尚からそれぞれ「天然」「孤峰」の道号をなかよくもらっている。(両展示あり)
七事式制定に不白が参画したのも有名な話。
さらに如心斎は不白に「茶湯正脈」の証文を与えた。
不白が、<珠光、紹鷗、利休、少庵、宗旦、江岑、随流、覚斎、如心>のきらきらしいビッグネームにつらなる正統な跡継ぎという証明であって、最後に<宗雪(不白に与えた号)>とくる。
以後京と江戸を行き来し、江戸に千家の茶の湯を広めるべくがんばった不白に如心は備前の水指「黙雷」を贈る。(黙雷庵は不白が江戸でかまえた最初の茶室)
(入れなかったお茶席〜)
また、当時豪商冬木家にあった「利休遺偈」を千家に取りもどすのが如心斎の悲願であったが、不白の働きかけでついにとりもどし、その礼として如心は手づくねの島台茶碗を贈るのである。この島台、我々が知っている島台とちがってどちらかというとお皿みたいな感じ。これ、以前江戸千家(弥生町)の初釜につれていってもらったときに、飾ってあったのを拝見した記憶あり。再会できるとは!
かくの如く、二人の師弟の絆は固く、展示でも二人の像が仲良く並んでいたのには感動する。
(お若い頃から根津でブイブイいわしてた?Mお姉様が、道なき道をすたすたと先導してくださった(^_^;)
遺偈をとりもどして翌年、如心斎没、跡継ぎの啐啄斎はまだ幼く、それを支えた後、不白はふたたび江戸へ。江戸で腰を落ち着けて千家の茶の湯を広める覚悟をきめる。この際、如心斎の門人であり後援者でもあった鴻池家からなんと与次郎の黒楽「紙屋川」を餞別に贈られているのである(展示あり)。どれだけ期待されていたんだろう、おそろしいわ。当時不白36歳。
当時武家の茶道というと石州流が主だったところへ切り込む不白、江戸詰の大名やその家来たちに千家の茶の湯を教える(中には我が郷里の池田藩の藩主も)。そして彼らが国元へ帰ったときにその茶の湯を国元にも広め千家の茶の湯は全国に広がった、という点でやはり不白は茶の湯の歴史上重要人物だったといえる。
さて、小井戸/小貫入「八重桜」のはなしである。
明治以降、久留米藩茶頭からの流れをくむ蓮心川上宗順(不白を一世として五世を名乗る)は近代数寄者との深い交流があり、彼らの茶会の水屋をしばしばつとめた。この人は記録魔であり、茶席などで見た道具を正確なスケッチ入りで記録しているのだが、そのうちの一つがこの「八重桜」なのだ。使われた茶会は南三井家の一休忌茶会。今回の展示を開催するにあたって初めて持ち主のタライラマ師も知ったという。いや〜そんな御茶碗でお茶飲ませてもらっているってシアワセや〜と思いながら今はガラスの向こうの八重桜を見る。
茶席でみるのと違って、明るいライトの下で単眼鏡で見るとまたあらたな発見があって、この茶碗はほんと興味深い。このあと三井記念美術館の「高麗茶碗展」へいったのだが、小井戸としては八重桜、どれにも勝てる!と思った。
(かくの如く不白茶会はほぼ満席)
50代で家督を譲り隠居した不白はその後作陶、俳句、書画を楽しんだ。残したそれらの作品もたくさん展示され、それらを見ることで彼の足跡業績をたどる。
展示を時間をかけて(Mお姉様とディスカッション?しながら)見終わった後は、まるで川上不白の一代記を読み終えた心地がした。
おまけにお姉様のおかげで、やはり展示にいらしていた江戸千家(池の端)の若(20代!若い!)にもご挨拶できるという幸運にもめぐまれたのは忘れがたい。
根津美術館をでたあとはM姉様のご案内ですぐ近くのギャラリーarte classicaへ。こちらは手にとれる展示の高麗、唐津というちょっとツボ過ぎる茶碗のラインナップ。まあ、お値段もそれなりに、、、(^_^;
さらにお姉様行きつけの青山骨董通りの古布・古民藝のお店へ古民藝もりたへ。こちらなかなか魅力的な品揃えでお互いにでき心?でつい散在す。古布について造詣の深いオーナーご夫婦がとても味があるお店だった。
この日残念ながらお休みだったが、宗和流の宇多川宗匠がもりたさんの近くに最近ひらいたというレストラン即今の場所だけ確認して、次の美術館へ向かう。
銀月サロン・秋茶会2019〜銀月アパートメント - 2019.11.17 Sun
秋の銀月アパートメント
入り口は変わりませんが、枝垂れ桜の落葉、道にわだかまる落ち葉で季節を感じてくださいね。
今月の銀月サロンは、、、朝夕寒くなってきたので体が温まるプーアル茶のお話しをききながら三種のお茶の飲み比べ。
今日もすてきな室礼、秋ですね。
プーアル茶、プーアル茶といっているけれど、実はプーアル茶を名乗れるのは雲南省でとれた茶葉だけに名乗れるお茶だったんですね。(宇治茶みたいに何%以上京都産でないといけないみたいな、、、)ところがプーアル茶の99%が雲南省産なので、結果としてすべてプーアル茶と言っても過言ではないわけで。
稀に他の省、これは湖南省のものですが、普洱(プーアル)でなく「安化黒茶」ということになります。茶葉の分類でプーアルは黒茶(後発酵)になりますから。
日本茶は無発酵茶ですが、プーアルは自然発酵(生茶)させるため最低3年間はおいておくという発酵の極地までいったやつです。
さてプーアルの講義?はちょっとおいて、ウェルカムティーの茉莉花茶を。
お菓子はナッツをキャラメルでコーティングしたもの。時間がたつと柔らかくなりますが、出来たてはサクサクなのね。
茉莉花茶
いわゆるジャスミンティーですが、上等な物は香りが全然ちがう。
さて、プーアル茶の講義の続き
先ほどの自然発酵させた黒茶は<生茶>とよばれ中国ではこちらの方が多いとか。しかし日本でプーアルと言えば主に<熟茶>、麹カビ菌とかその家に元から浮遊する菌をつけて人工的に発酵をうながしたもの。独特の香りがしますよね。最初飲んだときは、あまり質の良くない物だったのかもですが、なんじゃこりゃ!カビくさ〜!と思ったものです。
まずは生茶の発酵5年物
まだ色が浅くて香りは麦わらのよう。味も若い感じだがこれはこれで充分おいしい。(ボージョレーヌーボーみたいなもん?)
ちなみにプーアルはこの団茶(餅茶とも 緊圧茶)の形で売られていることが多いです。
こちらが10年物、色もぐっと深く、茶葉も縮れてきていて、匂いがスパイシーに芳香へとかわっています。お茶でのんでも深い。
さて、お楽しみの点心タイム
先日銀月さんの中国茶レストラン閑是でいただいた鳥手羽のほろほろ煮込み?、再びこちらでいただけて感激〜!それからシンプルなのに美味しい生姜麺。今度ラーメン食べるときは生姜をすり入れてみよう、しかもたっぷり。
デザートはこれもシンプルに炊いただけなのに柔らかくほんのり甘い栗の渋皮煮。シロップがまたあっさり美味しくて全部飲む。
そしてこの栗にプーアル茶があうのだなあ。(芋栗系に合う)
上等なプーアル茶は黒くなくて赤い、、のです。というのでなんとか赤い茶の色を撮ろうとしてがんばったのがこれ。、、、微妙だな(^_^;
宗徧流口切茶事2019 - 2019.11.17 Sun
洛中の紅葉は今から、、、の中、宗徧流のお茶人さんから口切茶事のお招きをうけた。
他流儀の口切を拝見できる機会はめったにないのでありがたい。
こちらにお招き受けるのは3年ぶりで以前は茶飯釜の茶事であった。自在に釣り釜で、炭手前のときの自在の扱いが独特で印象に残っている。
でかけたお宅は、洛中ど真ん中とはとても思えぬ市中の山居、待合に腰掛けると鳥の声や風の音が聞こえる。
まずは広間で茶壺の口切
(耳で聞いた流派の所作なので、間違いもあるかもしれません。ご指摘ください)
口切の時は御流儀では炭道具は琵琶棚などに飾り置き。コスタリカ旅行で手に入れられた極彩色の鳥の絵が描かれた羽根を、茶道具の羽根にご自分で仕立てられた由、羽根作り同好でうれしい。
瓦釘の火箸、蜻蛉の鐶など、好み❤️化粧なしの黒枝炭もご流儀。
軸がかの山田寅次郎、のちの宗徧流8代宗有である。「別是一壺天」
トルコ船エルトゥールル号和歌山沖遭難に際して、義援金を届けにオスマン帝国へわたり数年をそこで過ごしたというトルコが今も親日国家である礎のひとつとなった人である。
茶壺は江戸期の青唐津(写真のとは別)
先日、佐川美術館の白隠と仙厓展で白隠の本を買ったが、その著者白隠研究第一人者の芳澤勝弘先生が銘を「青山」とつけてくださったのだそうだ。勝手にご縁を感じる。
ご流儀では壺の網(スガレというのだそうです)は運ぶ時だけ使用し、持つ時は赤子をだくように抱きかかえるのだそうだ。(裏千家では紐をもってぶらさげる感じ)茶壺拝見の後、いよいよ口切。
裏千家では口切の道具(小刀、糊、封印の和紙など)はみんな茶じょうごの上に乗せてもちだすが、ご流儀では口切箱という箱にお道具が入る。
最初にクライマックスの口切、和紙で封印された蓋をサクサク切っていく。お茶入日記が茶壺の蓋裏でなく、茶壺の中に入っているのもはじめて見た。
これを見て、いただく濃茶を決める。「ご亭主様お心づもりのものを」と。
茶じょうごに詰茶の薄茶の碾茶をあけて、中から半袋に入った濃茶をとりだす。裏千家ではじょうごにあけた薄茶は挽屋に入れるが、こちらではまた茶壺にもどし、ふたたび封印、水屋に下げるのは同じ。本来は水屋で茶臼を挽くのだが、さすがに現代ではお茶屋さんのお茶の方が美味しいので、、^^;)ではこの碾茶をどうされるのか聞いたら、ご自宅で焙じ茶にされるのだそう。なるほど、それはいいアイデア。
ちなみに写真は重くて実際に口切には使えないので飾り置いたもう一つの茶壺、龍光院の月浦和尚さまの箱・銘「大通」あり。
その後小間の茶室へ席入り
よくお手入れされた露地の腰掛待合で待っていると、座箒を手にお迎付け、これは他流派でもあるのだが、蜘蛛の巣を払う所作などがあるのが独特で風情がある。
お久しぶりの茶室は閑隠席写し、四畳枡床、壁土が濃紺で引き締まった中にも艶がある。
自在に釣り釜なのにおどろいたが、御流儀では流祖原点として二畳向切に竹自在、四方釜をよしとする、に習ったものなのだそうだ。
土佐派の後鳥羽院の絵で、竜田川、、、の歌。やんごとなき院のお顔は御簾でかくれている。斎宮女御を思い出し、三十六歌仙絵との呼応を思い、先日の光悦会の後鳥羽院熊野懐紙も思い出すのである。
お手製の懐石に、以前私が好きだと言った新潟朝日酒造の久保田をご用意いただいた。これをはじめ、越乃寒梅の美味しさ、なんだか三客とも飲兵衛なので酒盛りになってしまってスミマセン。
懐石の作法も若干違って、とまどうこともあったが、美味しく頂戴した。
主菓子は、京都で一番美味しいと思う鍵甚さんの亥の子餅がでてうれしい。
後座は小間のあちこちに違う意匠の灯りが。短檠に和蝋燭、LEDまでがそれぞれ違った影を作る。釣り釜の影もゆかしい。
仄暗い床には闇に溶け込む煤竹の花入、流祖山田宗遍のものだそうだ。花は蝋梅に椿の紅白で二種
山田宗偏は宗旦四天王のひとりだから、帛紗さばきはやはり千家系。
赤楽にたっぷりの濃茶は三人がやはりベストで美味しくいただく。続き薄で仁清の千羽鶴の茶碗が印象に残る。薄器は竹の紋様蒔絵。初座の後鳥羽院の歌に「尾上の松、、、」とあり、炉縁が梅の古木、そして竹で「松竹梅」、御代も代わったしめでたい!
茶杓がまたいい艶で、お聞きしたらこれも流祖宗偏さんのものであった。宗偏は名門小笠原家に生涯仕え、唐津転封の折にも同行し、当地で宗偏流をひろめた。唐津やきもん祭で2年続きで唐津へいったが、宗偏流が現在も唐津で生きているのをまのあたりにしたことを思い出す。
一会後これまた素晴らしい二階の広いお部屋でコーヒーまでよばれ、勉強したこと、楽しさともに家に連れ帰った。感謝いたします。
光悦会2019 - 2019.11.15 Fri
洛中に比べ光悦寺のある鷹ヶ峰あたりは紅葉が少し早い。それでも温暖化で昔ほどは鮮やかな赤にはなっていないという。
今年も茶道具好きにはたまらん光悦会
四席全部回るとお腹がいっぱい、頭が爆発しそうになるのだが、今年は諸般の事情で三席のみ回った。個人的には三席くらいがゆっくりじっくり見られて心に残る妥当な線ではないだろうか(若干負け惜しみ(^_^;)
印象深かったものをあげてみる。
(光悦寺垣)
最初は大阪席・三巴亭 薄茶席
こちらの席のテーマは琳派か。
寄付の酒井抱一の描表装のカラスウリ
本紙の部分であるところにはカラスウリは(なんとかいう💦)結びの房みたいだなあ、、という歌、それにあわせて、上下に垣根、中回しがそれにまといつく真っ赤なカラスウリで印象的。一文字も細かい手描き。
本席床が石山切〜貫之集
石山切としては料紙がモノトーンでおとなしい感じ。
対して光琳の団扇絵を散らした風炉先や、書院の光琳鹿蒔絵の箱などは華やか。
茶席にはいって、主茶碗そっちのけで真っ先に手に取ったのは替の黄伊羅保茶碗。立鶴の姿が小さく口縁に刻んであって、日本からの注文品だろうが、最近黄伊羅保の色にいたく惹かれるので。秋だからか?
あと、どう見ても夜学にみえない「夜学」の書付のある古染蓋置。紀州徳川家伝来、私は不動明王の瑟瑟座をイメージしたが、形がどう表現すべきかわからず、しかたなく夜学にしたのん違いますか、と説明された。
(一番待った京都席の寄付 本阿弥庵)
次が京都席・本阿弥庵〜自得軒〜騎牛庵
ここでなんと本席にはいるまで2時間待ち!で、失敗したわ。待っている間に他の席を上手に回ってた方もいたみたい。その甲斐あってか?今回一番迫力あったと思う。
(本席 騎牛庵)
こちらの席のテーマは後鳥羽院の熊野詣
寄付の炭斗が熊野本宮(熊野三山の一)の万暦草(詳細不明)という葉っぱを編み込んで作らせたというもの。よくみれば葉っぱの葉脈が見える。
待合の軸は俵屋宗達の牛図。本席が騎牛庵ということにかけて、ということらしい。そういえば書院飾りのところに小さな牛の置物もあった。
(光悦の墓所)
さて、本席真打ち登場、熊野懐紙
懐紙自体は料紙も華やかでないし、地味なのだけれど、後鳥羽院が熊野三山参詣の折、紀伊切目王子社で催した歌会の歌を記したもののうちひとつで、日付までわかるというところに価値がある。後の後鳥羽院の命運に想いを馳せると感慨深い。この懐紙の書き手は北面の武士・源季景という人。(ちなみに熊野懐紙は後鳥羽院はじめ数人の書き手があり、国宝になっているものもあり)
古伊賀の花入が極渋で、中に寒牡丹のつぼみと古木を入れる。
美術館などではからからに乾いた状態なので、侘びた小間の光で、このように水をいれてしっとりぬれて色が変わる様は見ることができまい。そこに光悦会の意義があるように思う。
茶碗は雲州蔵帳にある高麗堅手「薄紅葉」
その名の通り、白い肌に一部ほんのりと薄紅色の窯変があって、美しい。堅手は磁器なのにこれは随分柔らかそうで陶器みたいだ、と思ったら堅手の柔らか手というそうだ(←なんのこっちゃ)。
それに添う古帛紗が速玉錦、熊野三山の一、熊野速玉大社の唐櫃の内張を剥がして作った物とか。糸がもうよれよれなのだが、その表に花押をかいちゃう某家元がいたのね(^_^;
(前日は大雨で大変だったそうだが、この日は最高のお日和の鷹ヶ峰)
茶入が中興名物破風玉川手の本歌(!)「玉川」。
遠州の色紙が添えられ玉川の由来となった歌が書かれている。全国に玉川という歌枕は六つあって(六玉川)この玉川は野路の玉川=滋賀県草津の玉川、萩の名所だそうだ。釉薬が黃色だったり斑だったり多彩な感じで萩のイメージに見えなくもない。
水指の備前火襷は最初益田三兄弟の次男・非黙が所持し、亡くなった後三男・紅艶が所持、彼にも先立たれ最終的に鈍翁が所持したというもの。弟たちに先立たれた鈍翁の悲しみの歌が添えられているという。
(今回食べそびれた瓢亭の点心 でも多分献立は昨年とほぼ同じと見た)
全体を通して一番好きだったのが、仙叟好み初代寒雉の矢筈釜。矢筈の肩のところにいくつも虫食いがあって、蓋を閉めるとこの虫食いから湯気が幾筋もふわ〜とでてくるの、とても感動であった。茶席にこんな釜があったら、心もあったまって、さぞ話は弾むことだろう。これも美術館ではわかるまい。
(太虚庵 だから太虚垣とも)
最後に東京席・了寂軒〜太虚庵 (MOA美術館席)
寄付は光琳の「秋好中宮図」
源氏物語の秋好中宮は六条御息所の娘、入内して中宮となるが、かつて伊勢の斎宮であったことから斎宮女御といってもいい。三十六歌仙絵展を意識してますな。中宮が箱に入れた紅葉を愛でる様で華やかで美しい。
本席の床は本阿弥切
小野道風筆と伝わるが実際は12世紀初頭のものらしい。古渡りの水色の唐紙だが、残念ながら唐紙の紋様はほぼ判別不能であった。
茶入が宗和の箱になる古瀬戸「金森肩衝」
全体に芋の形で飴色の釉薬たっぷり、轆轤目が目を引く。牙蓋の年代のつきかたといったらなかなか感動モノ。
この席で一番見たかったのが瀬戸黒「ワラヤ」
黒織部に同じ銘の有名な物があるが、これは黒一色立ち上がりもするどく、高台ぺったんこの瀬戸黒、うらに覚々斎が朱書きで「ワラヤ」と。
手に取らせてもらえんかったけれど、薄造りで意外と軽そう。美術館でみるより、湯気を出している釜のそばにあってこそ、質感もよくわかる。
金沢席、点心は今回断念。金沢も青井戸とか天平因果経とかよさげなのがいっぱいだったのだが、、、
ああ、しかしもう覚え切れんほどで胸いっぱいやわ。
来年もまた来ることができますように。
七五三のきもの - 2019.11.13 Wed

楽しそうに鞨鼓をたたくうさぎさん
こちらは喇叭?
踊る女の子
はい、これは初めてあつらえた四つ身のきもの
東本願寺の近くの染工房・遊さんに依頼して誂えました。今まで本身のきものを上げして娘や孫娘に着せてましたが、孫娘が3号までできたので、3人着れば元はとれるか、、、と思ったとか思わないとか(^_^; で、四つ身のきものを誂えたわけです。
左の赤いのがやはり遊さんに頼んだ初着で3人のお宮参りに使ったあと、七五三の三才のきものになりました。この時の紋様が兎だったので、やはり兎をモチーフに、とお願い、地色を少しお姉さんの萌黄にしました。
ちなみに水色のが、母が作ってくれ、娘が七五三で着た友禅で、本身です。上げをするのが大変だった!
で、孫娘1号の7才の七五三参り
上げを前夜急遽したり、足袋やら帯揚げやらしごきも忘れてえらいへんな着付けになって、ごめんなさい〜、、、でしたが、本人はご満悦。(帯揚げのかわりと、浴衣の兵児帯でごまかしたり、、(^_^;)ちなみに髪飾りはお母さん(娘)が成人式の時につけたもの。
五才の孫娘2号は本来七五三参りではないので、本身のきものに袴で。女の子の袴すがたもけっこうかわいい(自画自賛)と、、、思う。ちなみに袴は息子の七五三のときの(^_^;
お参りの後は恒例のミニミニ茶会
1号も2号もちゃんと裏千家の流儀でおりこうさんにお客さん、できました。
(3号はまだ1才なので参加できず〜)
西陣歩き〜帯屋捨松x京絞り寺田企画展 - 2019.11.11 Mon
久しぶりの西陣、大宮〜智恵光院の今出川下るあたり。

一歩横の道に入ると、風情のある町家の町並みが続く。観光客もほとんど見かけない、どこからともなく織機の音が聞こえる。
どこまでいっても糸屋格子が残る町。
このあたり、京都へ移住する前から大好きで良くあるいたものだ。(早いもので移住ついに満10年となりました!)
こんな西陣の一画にさらに威風堂々たる表家造りの町家がある。
帯屋捨松さん、創業安政年間の帯の織元さん。
3日間だけ京絞り寺田さんとのコラボで「左近の桜 右近の橘展」をされていて、中へ入ることが出来るのだ。(1日はずしていきそびれたが、ふくいひろこさんの茶箱の茶席もあった)
昔ながらの町家の商家で、小さいながら美しい坪庭をながめつつ、絞りの着物とため息のでる帯の数々のコーディネートを拝見し、眼福この上ない。
紬の糸に箔を混ぜるという(本来フォーマルの袋帯は紬は使わない)試みの帯があって、これはフォーマルとカジュアルの境目をついて、風合いがとてもよくて惹かれた。(お値段はあえて見ず(^_^;)
今回の展示、左近の桜に右近の橘は、桜の木から抽出した液で染めた桜色の糸、それで織った帯、橘の葉と枝からの抽出液で染めた橘色の糸、それで織り上げた紬の着物の展示が核になるからだ。
現在の着物や帯は化学染料がほとんどなのだが、捨松さんでは草木染めも試みておられるのだ。商業ベースにのせるのは困難とのことだが。
職員さんは営業の人もふくめて全員まず機織りを習うという捨松さん。すごいです。
ただ、ここのところ和装の中心地京都といえども、着物関係の末端の仕事から廃業する所の数が加速的に増えているということ。あと100年もすれば着物を着る人は特殊な人になってしまうかもしれない危機感は私にもある。若い人も着物でおしゃれが好きな人はたくさんいるのにね。値段がネックになってるけれど、だからといって値下げすることは職人さんの仕事へのある意味侮辱だと思うし、むつかしいところ。(京都の町中にあふれる観光客の極彩色の化繊のキモノは別物だからね)
目の正月をしたところで次はお腹を満たす。
捨松さんの目と鼻の先になんとmarbleビルが!
京都に移住したてのころに仏光寺に町家カフェcafe marbleができたことを覚えているが、いつのまにビル建てるまで増殖したのか!
町家の仏光寺とちがってここは全く雰囲気の違うビルのカフェ、同じ建物にアンティーク家具やキッチン用品を売っているstock marketもある。(母体はデザインチームmable co.)
でもメニューは同じなので安心してランチをいただいた。
そういえば、大宮通もしばらく歩いていなかったなあ。昔あんなに好きだったのに、いろいろ忙しくてね。ここは移住前に着物を染めから誂えた南 進一郎さんの友禅染工房だ。まだ健在でよかった。
それから、小さいろうじにはいってひょこっと顔をだす紅茶の卯春さんも健在、久しぶりに顔をだす。
お店の雰囲気はかなりかわったけれど、美人のオーナーは変わらずお元気そうでなにより。
オーガニックのアールグレイと普段用のダージリンの茶葉を買ってかえる。
なんだか懐かしい西陣散歩。
夷川・閑是で晩ご飯 - 2019.11.09 Sat
11月から夜も営業開始されるときいて、先日東京で、茶事に招いてくれたお茶友さんをお連れした。ちょうど京都に禅の修行にこられていたので。

夷川室町、夜はまたちがった雰囲気で。
ウェルカムティーは菊花茶
お茶うけは金柑の砂糖漬け
なにしろ中国茶・銀月サロンで中国茶もさることながら点心が楽しみでしかたない私としては、その点心各種が好きなだけいただけるとあって期待に胸はふくらむのだ。
ただ、例によって美味しかった記憶のみでメニューとか食材とか覚えきらんのでゴメン。
前菜は最中の生地にはさまれたお魚系のパテその他だったと思う。これを上下にぎゅっと生地で挟み込んでいただく。添えられた照り葉も青い葉もやっぱりセンスあるなあ。
各テーブルには菊の花
あとはもう海老餃子、玉ねぎ餃子、小籠包、胡桃の乗ったシュウマイ、、、etc
メニュー一通りは頼んだんじゃないかしらね。(麺類以外)
しかも普段日本酒しか嗜まない私が、ここの豊富なワインセラーの品揃えに負けて(?)ロゼをいただく。オーナーオススメ、オーストリアのなんとかいう(^_^;すっぱめのワインだったが、これがまた料理にあうんだわ。二人でボトル1本あけちゃったよ。
豚肉の豆豉(ドウチー)煮込み
美味しい〜♪
まあ、よう飲んで、よう食べて、ようしゃべった!
お茶のことに関しては話題がつきない。
〆のお粥は大好きな、酸っぱさとまろやかさがたまらん鹹豆漿(シェントウジャン)
茶友さんは鰯の中華粥であった。
次回は麺類に挑戦やな。
最後は閑是名物?たくさんの中国茶の中から一つをセレクト
その場でいれていただく。
セレクションは例によって単叢蜜香!
オーナーのご好意にて、お茶うけのスイーツをご馳走になる。
甘いもんももちろん美味しい!
お値段もリーズナブルで、うちからはバス1本で行けるし、またいいお店を手に入れてしまった(*^_^*)
ZENGA〜白隠と仙厓展 - 2019.11.07 Thu
白隠・仙厓ときたら行かずばなるまい。あの絵が大好きだから。

晴天の守山・佐川美術館
気持ちの良い湖岸道路をドライブして到着。(やっぱり遠いわ〜)
白隠 1686〜1768
仙厓 1750〜1837
と、ほとんどすれ違いなのだが、原の白隠、博多の仙厓といわれ、宗教的中央から距離を置いた場所で民衆の教化、弟子の育成に活躍した禅僧である。
ふたりとも、その時代を映しつつユーモラスで、禅の公案みたいに頭をひねるような禅画を数多く描いた。
さて、白隠の圧倒的な絵を見ていると、これはユーモラスだけでは理解出来んな、これはむつかしい、と思わざるを得ない。
おそらく当時の江戸の人たちが常識的に身につけていたであろう知識や、風俗、地口(洒落)にいたるまで、一般の現代人にはわからないことばかり。さらに漢籍や仏教に関する歴史や知識がないと、ああ面白い絵だなあ〜で終わってしまう。
「隻覆達磨(遷化の後、インドへ帰る靴を片方だけ持った達磨をパミール高原で見た、、云々)」
「普化振鈴(棺桶の中で鈴を振りながら遷化した普化という禅僧)」
こういうのを見て理解できる人のインテリジェンスはすごい。
というので、ミュージアムショップにあったこの本を読んでみたのだが、白隠は深いわ。
だてに現在のすべての臨済禅流派の元をたどると白隠に到る、といわれた臨済禅の中興の祖とよばれてないわ。(ちなみに有名な公案「隻手音声」は白隠さんのもの)これを読んでから展示を見ればよかった、と思うくらいディテールに深い意味があったのね。
白隠の絵にくりかえし出てくるキャラクターは布袋さん、観音様、お多福さん、そして達磨さん。
くりかえし出てくる言葉は「直指人心 見性成仏」
絵はのほほんとしているが、この方はほんとうに厳しい修行を自己に課した人だったらしい。禅病という禅の修行中におこる、1種の心身症みたいなものにおかされたこともある。そんな人だからこそこのノホホン絵にも説得力があるのではなかろうか。
上品で優美な観音様があったかと思うと、道端でおしっこをしている絵があったり、ぎょろ目の達磨さんににらまれたかと思うと、眉毛の下がったにこやかな布袋さんにほっとしたり、、、
まあ、それだけでもいいのかも知れない。あれこれ意味を考えて理屈をこねくりまわすのは、白隠が若かりし頃陥った陥穽にはまったのと同じかもしれないし(^_^;
ちなみに若くて理が勝って鼻持ちならなかったらしい白隠(当時は慧鶴)を打ちのめして生涯の師となった正受老人(道鏡慧端)はあの真田信之(幸村の兄)の庶子だったというから面白いなあ。
そして博多の仙厓さん、これにはもう降参、ただ笑うしかない脱力感がたまらん。
もうどんな教えがこめられているのか、理解しようとする努力すら初めから放棄。
動物がとくにすごく?て、これ、虎?虎ですか?鳥?ですか???猫が紙袋に頭をつっこんで、それを見て笑う子供、、、って、これほんとに猫ですか?
そういえば有名な絵に「○△□」だけ、というやつもありましたね。
珍しく真面目に?描いたのが「神農図」で、この神農さんはフクロウみたいにふっくらとして虎みたいな顔で好き。
脱力してクスクスと笑う、ニンマリする、これなに?と頭をひねる、、、もう仙厓さんはこういう見方でいいじゃないか、と思うわ。
展示の一画に同じ画題で二人の絵を並べて比べるコーナーがあったけれど、あれはよかった。同じユーモラス系禅画でも趣が全然異なることがよくわかる。
ちょっと交通の便がアレだけれど、オススメです!
〜12月1日まで
令和元年炉開きの夕ざり茶事 - 2019.11.04 Mon

今年も炉開きをしました。
玄関には茶友さんからいただいた新稲。まもなく大嘗祭もあります。それに使われる稲穂を模して、、、といったら不謹慎でしょうか。
我が家のダーシ(脇山さとみさんの人形の名前)も赤く色づいたカラスウリにびっくりしているような表情。
柑子(この場合柚子)の色づく頃炉を開くべし。
(これは後にお客様にお持ち帰りいただく我が家の開炉恒例でございます)
15時席入り、本日のお客様はいずれもご自分でお茶事もされるベテランさんばかり、裏表そろわれました。(裏千家と表千家ね)
紅葉にはまだ早いですが、ツワブキとホトトギスが満開。
ここのところ雨が多かったので、苔も元気でほっとしました。
待合の軸は「火吹き竹」
此の君=竹 とかけてある漢詩がお気に入りのやつです。
裏表おそろいのお客様、実は京都の方はひとりもおられません。
遠くは関東、しまなみ街道、中部地方の四方八方からおいでくださり、感激とともに、それだけの価値がある茶事ができるかしら、、と心の中で大汗。
夕ざりの初座は花
お決まりですが、初嵐の椿と桜の照り葉
中国の鉄製あぶみに松葉勇輝さんのかわらけ花入
茶友にもらって父が漆を塗って、プロの岩渕祐二さんに青海波の蒔絵を頼んで完成したという、この季節限りのふくべの炭斗。
裏千家では初炭は紙釜敷きを使いますが、今回手に入れたばかりの藪内流の糸巻き組釜敷きを使用。三色の絹糸で作ってあり、美しくて釜載せるのがためらわれるほど。なんとなく無骨な感じがする藪内にこんな綺麗な好み物があるなんて意外です。
懐石(時々とんでもないもの食べさせてごめんなさい、の時もあります)
織部の器は志野をはじめ桃山陶器の写しが完璧の瀧川恵美子さんのもの。
石杯もだしてお気に入りの鶏龍山酒器もだして、みなさんたくさんお酒も飲んでくださった。
お酒は先達のN氏より拝領した那須のお酒「彗(シャア)」。純米酒部門で金賞をとっただけあって美味しい。ガンダム世代には反応するネーミングですが、わかった方は約1名(^_^;)私も若干年代ずれてる。
本日の主菓子は青洋さんに頼んで、試食もして完成したもの。ただの薯蕷ではありません。中に生の柿がごろごろつめこんであります。銘はついてないけど即席で「ことほぎ」と。
炉開きだし、令和元年だし。
中立の頃、いいぐあいに燈火が必要になってくる季節になりました。
9月の夕ざりでは手燭の交換するほど暗くならなかったので、今回はできてうれしい。えっと、左手で渡す左手で渡す、、と唱えながら成功。お正客様もベテランですから。
腰掛け待合いの燈火
李朝の提灯みたいなものですが、いつもこれをぶらさげる場所をさがして、いまだにぶら下げられないでいます。
後座の床は、今年生誕300年、根津美術館で記念の展示もある川上不白に敬意を表し、江戸千家のお家元の軸を(初釜で当てたやつ。軸装にかなり散在しました)
竹檠のかわりに李朝燈火器
一度灯芯をためして、あまりにブチブチきれるので、私のほうもブチッと切れて以後、竹檠は使わず。
濃茶はじめ茶碗はいつもの若干メンバーチェンジのある高麗ブラザーズ。濃茶を私は一人3gと測っているのですが表さんの先生はやっぱり3.75gがゆずれないそうで、う〜む、それはかなり濃くなりそう。
続き薄の干菓子はこちらも毎度、亀廣保さんのもの。
実る稲穂にねらう雀の図、、、を作ってみました。いつもながら亀廣保さん、良い仕事してはります。
こちらはお客様にもらった写真
なにしろ炉の季節になって一度もお稽古しないままやったので、(さすがに炭点前はエアで練習した)不安はありましたが、そこは亀の甲より年の功、なんとか大過なく。
それにしてもこれからは燈火がうれしい季節になりますね。それに暗闇が細かい瑕疵は隠してくれるし(^_^;雰囲気は2割増しくらいにはなるし。
ああ、それにしても裏も表も藪内も遠州も江戸千家もある、節操のないお道具シリーズでした。(流儀の先生には叱られそうだわ)
お客様のたのしいおしゃべりに助けられて、亭主もすっかりリラックスできて楽しめました。最後の集合写真をとるのにちょっとした愉快なトラブルがあり、みんなでお腹がよじれるほど笑って締めることができました。(あんなに吹いたの久しぶり)ご遠方から皆様、ありがとうございました。
片付けも半ばで休憩、空に沈みかけの三日月が美しい夜になりました。
わが青春の想い出〜金臺寺・非公開寺院特別公開 - 2019.11.03 Sun
北野白梅町から嵐電沿いに西へ歩く。
等持院まで一駅なのだが、これがけっこう長い。2週間だけだけど、重いテキストをかかえて電車代を節約して歩いたのが40年以上前のお話し。

ようやく等持院の駅が見えてきた。
ここから歩いてすぐ、妙心寺境外塔頭の金臺寺はある。
今年の秋の非公開寺院特別公開、今回初公開となる。
金臺寺はそのころ女子大生を10人ほどあずかっておられて、私の年上の従姉妹がここに下宿していた。私はといえば当時京大をめざす浪人生で、入試直前のK予備校冬期講習にでるために京都にでてきて約2週間ほどその部屋に居候させてもらったのだ。
その昔確かに歩いていたはずの道だがもうすっかり記憶にない。おそらく景色もすっかりかわっているに違いないが。
なんとも頼りない、何ものでもない当時の自分を思い出すとわれながらいとおしくなる。(おかげさまで翌年無事合格しました)
この表札はあのころのままだろうか?
年代的にいまのご住職が生まれているかどうか、くらい昔の話だし。
今回公開となる本堂の方へはおそらく行った記憶がないので、初めて目にするものばかりだ。
目玉は白隠筆の「法具変妖之図」
真珠庵に伝わる(今は京都国博に寄託中やったかな)「百鬼夜行図」の妖怪を法具に置き換えたもの。払子や如意、幡、おなじみの琴や琵琶の付喪神が夜行している姿だが、全然こわくなくてユーモラスでかわいい。仏法をおろそかにしていると、こんなやつがでるぞ〜という脅しというが、こんなんやったら会ってもいいかな(^_^;
建物も二階に上がって見た屋根、鬼瓦、卯建が迫力あってなかなかの見所となっている。
ただし、畳や土壁に痛みが激しいのが少々痛々しい。
幕末の狩野派狩野永岳の襖絵で、王羲之蘭亭曲水の図が描かれている一部屋もあり。ここの書院の上に大きな猪目窓(ハート型)が三つもあいていたのは珍しい意匠。
お寺の方にお聞きすると下宿は10年ほど前にやめられたらしい。その下宿棟があったのがこの木戸の向こうになるというが、、、、う〜む、思い出せない。
昔ながらの共用コンロに感動したり、当時の女子大生のお姉さん方がはいていた編み上げブーツをまぢかでみてびっくりしたり(おしゃれとは無縁の浪人女子だったからね)、、、
けっこう広い部屋でひとりぽつんと勉強していると(従姉妹は帰省していた)あまりの静かさに泣きたいほどさびしく心細かったり、K予備校からの帰り、当時現役だった市電22番に乗って夕暮れの町を行くわびしさも忘れがたい。
講習も終わってここを出るとき、ちょうど雪がちらほらしていて、お寺の奥様がここで見送って下さった景色だけは今でもはっきり覚えているよ。
おそらく変わってしまったであろうお寺の周りの景色もしかと目に焼き付け辞す。
昔この景色も眺めただろうか。
なんだか懐かしい嵐電等持院駅のプラットホーム。
この白梅町のデザインもあのころと全く変わらないのにいつも驚く。(写真で確認したからまちがいないと思うよ)
宇治の山奥〜夜の生華窯探訪 - 2019.11.01 Fri
京阪宇治駅から車で迎えに来てもらって山の中へ進むこと約20分、正真正銘の真っ暗、ほそ〜い道では、必ず出会うという野生の鹿にもやっぱり出会った。手に汗握りながら着いたときにはおもわずほっと緊張がとけたよ。
宇治の池尾というほんとに山の中。あたりまっくら。
遠くに木工の工房の灯りがちらっとみえるのみ。

ちなみに昨年の春、昼に訪れたときのほぼ同じ景色はこんな感じです。
若い陶芸家の浅井慶一郎さんがここに工房を構えて約2年、名前も生華窯とつけてあちこちの展示会にぼちぼち作品を出しているところ。
この宵は茶友のMちゃんと生華窯探訪
これは屋外の窯場(灯油窯)の景色
窯の中には彼が得意とする三島の、まだ熱々の焼きたて?のカップ&ソーサーが。
以前に来たときもすでにプロの工房になっていたが、ますますプロっぽくなった。いやいや、すでに注文もうける立派なプロの陶芸家なんだけれど、学生の頃から知っているだけに、いつまでも息子のような気がして(^_^;
最近得意としている印花三島の印もみせてもらう。これもすべて粘土で自作なのだ。
三島以外にも黄瀬戸も得意だが、それのみにとどまらず、釉薬もあれこれ試しているという。
唐三彩っぽいもの、瀬戸黒みたいなもの、鉄釉などなど。まだ充分若いのであれこれ方向性をさぐっているところ。
轆轤場
前来たときになかった大きな窓が轆轤の前にできていて(DIYらしい)、これは轆轤を挽きながら景色も楽しめるのでいいアイデアだと思う。
(いや、しかし、冬は隙間風も入って寒いやろうな〜、、、)
釉薬の数々
最近ではお茶の稽古も本格的に自主稽古としていっしょにやっている。
お茶の道具の数々を自分で作れる、というのが強みで、つい最近すべて自作の道具で月釜の亭主もこなした。(→☆)ほんとに道具を作れるヒトはうらやましい。
そうこうするうち軍手でとりだせるほどには冷めたカップ&ソーサー、とりだして見せてくれた。どこかカフェで、これでコーヒーを飲みたい。
そのあとは、彼が暮らす母屋でお仲間の木工作家(椅子作家)のNさんもいっしょに宴である。
TVもないが彼の趣味でもある日本酒コレクションをあけて、世代は違えど共通の話題で盛り上がる。
Nさんの試作品、黒柿(真っ黒はほんとに入手困難らしい)の盃で一杯。
彫刻刀の跡が細かいナグリみたいで、黒柿はどっしりと重量感がある。いい酒器だ。
底の三日月も見所
材料、手間を考えるとコストを上げざるを得ないのが問題だとか。
最後は浅井さんと私が持参した中国茶で締める。急須も杯も御自作。中国茶はエンドレスにいけるからなあ。
楽しいひとときをありがとう!
一杯やっているので帰りはタクシーをよんだのだが、来るまでに一時間はかかる山の中、山道を慣れないタクシーはゆっくりゆっくり降りていって、こちらもドキドキしたよ(^_^;