師走雑記2019 - 2019.12.30 Mon
今年も忙しかった師走をふりかえる。

北野天満宮の絵馬の掛け替え。
亥を見送って子を迎える。
今年も拝領する大福梅(おおぶくうめ)、北野の梅林の梅から梅仕事をして作られたもの。お正月にお茶にいれていただく。
そのまま嵐電北野白梅町の駅前にでてショックを受ける。
あの、、、学生時代からなじみだったあの駅が〜〜〜
解体新築になるらしい。あのままのが昭和の雰囲気漂わせてよかったのに。
今年最後の片山定期能 観世会館にて
年間券をみんなに配って残った一枚で最後の公演に行くという、、、、(^_^;
しかし!
みんな考えることは同じ?こんなに混み混みの観世会館はじめて。一階に空席なく、初めて二階席で見た。ほんま京都の人はお能が好きや。ある程度以上の年令の方は、生活に根ざしてる感じがする。
(観能に黄八丈+半幅帯)
演目は片山九郎右衛門さんの「邯鄲」、一畳くらいの台の上での舞、足をおっとと、ふみはずすところが見所。最後にうちの先生の「正尊」、今年最後の大盤振る舞いといおうか、いっぱい能楽師がでてくるわたちまわるわ、、でめでたくお開き。
かつて京都市立美術館であったもの。今は京都市京セラ美術館に。3月にグランドオープン。なんでファサードの階段削って地下作ったかな(´Д`*)納得がいかん。
今年も一乗寺・猫町さんでのK美術忘年会に呼んでいただいた。
ジビエなども美味しく、写真撮るヒマありません、、、、
展示会でお目にかかったり一緒にミニ茶会をしたりした作家さんも来られ、美しい物を愛する心を同じくする人たちとの集まりはほんとうに心穏やかで楽しいものであった。K美術さんに深く感謝する。
恒例の猫町さん特製デザート、今年は苺ケーキ、切り分けていただく。
珈琲山居さんご夫婦(元K美術スタッフ)も来られて最後にお土産をいただいた。山居のコーヒー豆と奥様のY子ちゃん特製米粉のスノーボール。
そういえば、昨年の忘年会だった、まだどこにも存在しなかった珈琲山居のコーヒーチケットをもらったのは。あの時はどうなることかと心配したが、ご夫婦でがんばって、実現しはったんやなあ。
というので早速二回目の訪問時、このチケットつかわせてもらった。前にねらっていたお一人様席で。ここ居心地ええわ〜。お菓子はY子ちゃん手製ナッツ羊羹。
コーヒーと言えば我が愛用の額賀章夫さんのカップ、これ4代目。つまり今まで3個割った!それだけよく使っている愛用しているということ。他のカップを買ってはみたけれどしっくりしなくて、やっぱりこれ!と河原町丸太町の草星さんへ走った。
あべのハルカス美術館で開催中カラヴァッジョ展、早速行ってみた。16世紀末から17世紀初頭イタリアで活躍した彼の絵はどれもドラマチックだ。しかし、その見事な作品の代償のように日々傷害事件をおこし、ついには殺人を犯して死刑から逃れるために放浪し、その果てに38歳という若さで逝った彼の人生もまたすざまじい作品だと思う。
来期の展示は薬師寺展、長いこと修復の幕におおわれていた東塔がついに姿をあらわしたことだし、さっさと前売りチケット買っちゃったよ。
今年最後の年の瀬のお楽しみ
茶友の日日居さんが「川端道喜のこころみ餅」を食べる茶会をひらいてくださった。
8名のお客様はどなたも顔見知りで、会えてうれしい方ばかり、よい年末をすごせそう。
ご存じ川端道喜の花びら餅(御菱葩)、裏千家の玄々斎が、宮中から賜った正月の菱葩をお菓子にしたもので裏千家初釜はこれ、と決まっているのだ。もちろんおいそれと家元の初釜には普通生けないが、一般で手に入れられるのが12月のこころみ餅、試作品というわけ。しかし、道喜さんはほぼお一人でされているので、最近はこころみ餅もたくさんは作れなくて入手困難と聞いた。これを並んで予約していただいたのだから、日日居さんにはほんとうに感謝である。
さて、他の花びら餅と比べて、なにが特殊かというと白餡がトロトロなことである。実は数年前家元の初釜に潜り込んだことがあって、その時食べ方の御指導があったと思う。このように懐紙で巻いて(防水加工の物だと尚よし)お尻から垂れないようにかぶりつくのが正解。へたすると着物がべたべたになるからね。私はこれプラスウェットティッシュも持参、これで完璧!
みんなの食べ方、四苦八苦ぶりもさることながら、美味しかった〜♪
ちなみに初釜では牛蒡は飛び出すくらい長いが、こころみ餅と東京初釜のときは牛蒡は中に引っ込めるのだと、初めて知った。
あとは日日居さんのお茶でみんな何杯もおかわりしながら、ワイワイ茶の湯談義でもりあがったのである。みんななにがしかのエキスパートなので、有益なお勉強もできて楽しかった。よきお茶の場を提供して下さり、こころみ餅までゲットしてくださって感謝です。
かくしてとうとう今年もおしつまった。来年も皆々様によい年でありますように。
やっと憧れのカンノーリにたどりつく〜Trattoria Macedonia yuki - 2019.12.28 Sat
ブロ友のMarikoさんの記事を見て、はじめてシチリアのお菓子、カンノーリ(単数形はカンノーロ)を知った。後で聞くとゴッドファーザーの映画の中で、マフィアのドンの好物として重要な小道具になっているという。本来はシチリアの謝肉祭で作られたお菓子らしいが、今は通年食べられるという。
まずはニューヨークグラマシーのカンノーリを模してイメージしたお菓子「シチリア」にはまった。これは今でも軽くて大好き。
次に東京駅地下のカンノーリbarでいよいよ本物のカンノーリを食べた。
小麦ベースの筒状の外側のなかにリコッタチーズ+バニラクリーム+ピスタチオなどなど詰めた物で若干ヘビーだったが美味しかった。
そのカンノーリ熱を見てMarikoさんが京都の美味しいカンノーリが食べられる所、と言っておしえてくれたのがここである。

夷川御幸町のイタリアン、Torattoria Macedonia yukiさん。
というわけで早速今年最後の月イチグルメ倶楽部(会員2名)はここ!
ちなみにマチェドニアってアレキサンダー大王のマケドニアと何か関係があるのかと思ったら、イタリアのフルーツサラダのことだって。
こちらはコースがなくて、アラカルト、、、いやアッラカルタか、を好きにチョイスできるので前菜ばっかり食べることも可能。いきなりデザートのカンノーリ出せ、というのもアカンのでちゃんと食事からいただく。
前菜盛り合わせ〜♪
フルーツトマトみたいに甘いトマトにモッツァレラ、フレンチでいえばラタトゥイユみたいなの、料理の説明が(例によって)頭にはいっていない(^_^; 食べるのに夢中。
同じく、食べるのに夢中で写真撮るのを見事に忘れた生ハム盛り合わせに、牛肉の赤ワイン煮込みを、ワインをちびちびやりながら。牛肉にそえられたインカのめざめ(糖度の高いジャガイモ)のマッシュドポテトがソースをからめるとまた美味美味。
こちらはオーナーシェフ(イタリア語でなんていうのか?)のワンオペでやっておられるので、とにかくお忙しそう。われわれが入ってからも欧米系の客が次々来られるが、キャパオーバーでお断りされていた。うちら2人で4人席、占領してスミマセン。相席というわけにもいかんしなあ。
パスタもソースも具材も種類が豊富すぎて選ぶのに困ったけれど、相方と意見一意したところで「天使の海老のトマトクリームソース」パスタ。殻までばりばりいける海老に、トマト系ソースとクリーム系ソースの両方をよくばった♪ちなみに天使の海老はニューカレドニア特産で、最近よく耳にするが、Gamberi angeloの直訳っぽい。
そろそろお腹もいっぱいになってきたところでデザート、おすすめのティラミスに見向きもせずに(すんません)「カンノーリ!」
でた〜♪
これが憧れのカンノーリ。常にあるとは限らなくて最後の2本だったらしい。ラッキーである。
いただくと、、、これは、、いままでのカンノーリは何だったのだろう?というような全くの別物、ただしシチリアで売られているカンノーリはむしろカンノーリbarのタイプで、こちらのはシェフの工夫がつまっているので普通は売っていないタイプなんだとか。砂糖の代わりに蜂蜜を使ったり、リコッタチーズも自分で作ったりとか、よそではたぶん食べられない。
というわけで、もちろんお料理も美味しかったが、憧れのカンノーリが憧れるだけの値打ちがあったことに感動。Madame Marikoさま、ありがとう〜(^-^)/
久々の太秦〜広隆寺 - 2019.12.27 Fri
左京区に住んでいると用事でもない限り太秦あたりへ行くことはない。学生時代に広隆寺は弥勒菩薩像を見に確実にきているのだが、いつか再訪したいと思いつつ、京都移住10年間行く機会がなかった。車折神社からさらに車で東に行くこと数分、こんどは太秦広隆寺に行き当たる。
地元にいたころ中学高校時代から憧れ続けた(抹香臭いのが好きな女学生であった)弥勒菩薩半跏思惟像を拝みに大学入学早々来た場所だ。
京都にあって唯一(?かどうかしらんが)7世紀飛鳥時代の創建、というのは他の平安時代、都が京都になってからの寺とは歴史的にかなり異質だと思う。
養蚕、機織、治水、酒造の技術を日本に伝えたと言われる渡来人、秦氏の族長的存在だった秦河勝が聖徳太子に仕え、太子から賜って本尊とした、とされる仏像がくだんの弥勒菩薩半跏思惟像である。
秦氏の領地であったので地名が太秦(うずまさ)になったという。
現在、広隆寺の本堂にあたるのは上宮王院(=聖徳太子)太子堂、ご本尊が太子33歳の時の姿という。残念ながら秘仏で拝見できないが(11月22日のみ公開)、歴代天皇の即位礼の時に御召になる黄櫨染の御袍と同じ物を下賜されるので、それを太子像に着せる習わしだそうだ。今上天皇即位礼の記憶も新しい今、来年はあたらしい御袍をお披露目されることだろう。
弥勒菩薩様のおられる宝物殿。
、、、、以前はまだ宝物殿などなくて、本堂か講堂かの中で拝見できたような記憶がある。まとめて拝観というのもちょっと味気ないなあ、、。
いよいよウン十年ぶりのご対面
ああ、なんて華奢で繊細な、、、、
前傾の姿にバランスをとるような頬に当てた右手の優美なこと。
奈良中宮寺の弥勒菩薩半跏思惟像はもっと力強くて骨太で、よく拝む機会があるためその印象でみるとほんまかわいらしくさえある。ボディなんかしゅっとスリム、新羅系の仏像によくある感じ。材が日本ではあまりつかわれなかったアカマツということで、渡来仏という説もあるのもなるほどと。
いくつかの国宝第1号に含まれたのもわかる気がする。
しかし弥勒さんだけではない。広隆寺は場所がちょっと辺鄙なこともあって、それほど観光寺院というわけではないが、実は国宝の宝庫なんだな、と宝物殿の諸仏をみて驚いた。
平安の仏像群、十二神将像は秀逸だが、やはり心惹かれるのは天平の仏像。四対腕がある国宝・不空羂索観音立像は高さ3m近いか。上から見下ろされる感じで、荘厳な気持ちになる。ありがたや。
広隆寺を創建した秦河勝夫婦の木像がいっしょに祀られているのが印象に残る。
広隆寺の境内は広い。
この建物は能舞台だというがもう何年も使われていないのだろう。
講堂は外からしか拝見できないし、かの有名な三奇祭のひとつ、牛祭も行われなくなって久しい。ちょっとさびしい気もするが、駐車場からしておじちゃん一人が管理しているという昔ながらの雰囲気も捨てがたい。外国人観光客が大挙してこないのもいい。
そして表門へ出ると、、、
おお!ここもやっぱり嵐電沿線!
今度またいつ来られるかわからんエリアだからしっかり目に焼き付けておこう。
振り返れば山門のお仁王様が威嚇してくる(^_^;
柿食えば 鐘が鳴るなり 広隆寺、、、、ちがうって!♪(*^^)
偶然たまたま〜車折神社 - 2019.12.26 Thu
先日嵐山・福田美術館へ行った帰り、丸太町へ出損ねて三条通りへ通じる細い道を東行していると、おお!車折神社!の標識。これはよい機会と車を停めた。

屋根付きの鳥居はめずらしい(^_^;
車折神社はその昔来たことがあるかどうかは定かではない。近年では芸能神社として有名で、またドラマのロケ地としてTVで見たことあるだけかもしれなくて記憶にないの。NHK朝ドラ「オードリー」で使われたのは記憶に残っている。
ああ、それにしても真っ赤っか。神社全体が赤く染まってなんだかおちつかない。
これらはすべて芸能人の寄進によるもの。オペラ歌手から吉本新喜劇、宝塚歌劇、乃木坂なんちゃらというのもある。
こちら王道の花柳界の方々
もともと神社の摂社に天宇受賣命を祀る芸能神社があって、芸の道の上達成功を願う芸能人の信仰があまりに篤く評判のため、本来の御祭神清原頼業の影が薄い。
もともとここは頼業(よりなり)の領地に建てられた廟所であったという。かの清少納言や清原元輔を輩出した学問和歌の家・清原家の出、平清盛全盛期に高倉天皇に仕えた方で、その学識実務は当代一とうたわれた人である。
そこがなぜ車折(くるまざき)になったかいくつかの逸話があるが、有名なのは後嵯峨天皇大堰川遊幸の折、神社の前で牛車の輈が折れた。ここが頼業を祀っているとお聞きになって「車折大明神」と正一位の位を贈られたというもの。
本殿前の玉石に散りかかる紅葉
なんでも石に願いを書いて、叶うとお返しするという石塚もあったが、これも近年の信仰であろう。
裏参道近くに使われていなくて荒廃した感じの建物があったが、思うにこれは茶室ではなかろうか。遠くて字が読めなかったが「○?芳軒」とある。ちょっともったいない。
裏参道まで行くと赤い色がなくなって、目に優しくほっとする。
多分オードリーのロケに使われたのはこのあたりだと思う。ヒロインの育ての母役の大竹しのぶさんの営む宿屋がこの近く、という設定。
そして裏参道をとおりぬけるとなんと!
嵐電の駅が目の前!鳥居のすぐ目の前を電車が走る光景はけっこうシュール。
観光客用にきれいに整備された東山あたりの人工的景色と全然ちがって地元にとけこんでいる生活感がいい。最近京都からだんだん失われつつある昔ながらの良い景色のひとつやな。
當る子年吉例顔見世興行〜南座2019 - 2019.12.25 Wed

今年もこの季節になりました。
歌舞伎は顔見世くらいで、年に一回しかいかない私に歌舞伎を語る資格はないのですが、毎年にぎにぎしくも華やかな舞台は一気に年の瀬を感じさせて、ようございますわね〜。
今年も夜の部
仁左衛門さんと時蔵さんの「堀川波の鼓」
愛之助と中村隼人の狂言物「釣女」
芝翫さんの渾身のべらんめえ「魚屋宗五郎」
若手も若手、めちゃ若手のイケメン4人組(隼人、千之介、莟玉、橋之助)の「越後獅子」
今年ははように申し込んだので、この横の席がとれました!
靴脱いで足伸ばせるし、お弁当食べるのに便利なテーブル付き。ただ舞台のはしっこがどうにも見えづらく、正面向きの席とどちらがいいかは微妙なところ。
舞台は華やかで役者の演技はうまいし、力の入れ方もよく分かる。見てて楽しかったが、どうも歌舞伎の題材はな〜、、、
ストーリー的にちょっとつっこみ処が多くて(役者さんのせいじゃないよ)、フェミニストがみたら卒倒しそうな話もあるし(^_^;
とはいえ、私の周りにファンが多い中村隼人さん、中村莟玉さん(梅丸改め 梨園外から梅玉の養子となった)、この顔見世で初めて知った、孝太郎さんの息子さんの仁左衛門さんのお孫さんの(ややこし)千之助さん、ご存じ芝翫三人息子の長男橋之助さん、若手の四人の舞踊・越後獅子は文句なく楽しめました。だっていずれ劣らぬイケメン揃い、しかも26歳、23歳、19歳、24歳というこれからを担う若い世代なので。
ちなみに隼人さん(萬屋錦之介の甥の長男、、、ああ、ややここし)はNHKの時代劇「大富豪同心」のエンドロールの踊りがめちゃうまくて、これだれ?と思ったのがきっかけで知りました(^_^;(ブロ友Marikoさん、イチオシ)
熱演4時間、南座を後にしました。
今年も無事年末ミッションその2か3か(^_^;完遂!
嵯峨嵐山・福田美術館 - 2019.12.23 Mon

12月にはいって嵐山の狂乱の混雑は解消されたようだ。
紅葉も終わって落葉した嵐山はそれなりに美しい。
さて、この観光混み混みシーズンが終わるのを待って、満を持して(?)やってきたのはコチラ。
10月オープンしたばかりの大堰川沿い、福田美術館。
大手金融会社アイフル創業者の福田吉孝が「100年続く美術館」をコンセプトに創ったプライベート美術館である。
なにしろ抜群のロケーション、スタイリッシュで場所になじむ建築(東京工業大学教授・安田幸一設計)、コレクションの素晴らしさは言うに及ばず、なんと言ってもヨーロッパ並みに撮影OK!という太っ腹、というわけですでに美術館クラスタの間では話題がもりあがっている。
近未来的な、ギャラリーまでのルート
しかも左手には渡月橋も含む大堰川の絶景が望める。
(しかこのガラスの模様は写真撮るのにうっとうしいな、と思っていたら景観条例にのっとるとこうなるのだそうだ。)
ギャラリー1
細見美術館を思い出す。あれもスタイリッシュな美術館の構造だし。
(「龍田姫」木村武山・・・龍田姫が楓を赤い絵の具で彩っているところ)
コレクションは応挙、蕪村、北斎、池大雅、若冲、その他江戸の絵画から始まって、近代の上村松園、竹内栖鳳、関雪、木島櫻谷などなど。いずれも名品佳品だと思う。
中でも、やっぱり若冲の墨絵「群鶏図押し絵貼屏風」はええなあ〜。
きりっと大見得を切る細密に描かれた雄鶏の横で、手を抜いたみたいに丸だけで表現された雌鶏のとぼけ具合が好きで、やっぱり若冲ええ人やったに違いない。
ポスターにもなっている木島櫻谷の大きな二双の「駅路之春」も春爛漫の旅する人や馬の長閑なひとときを描いていて、一瞬自分もその景色の中にいるような気がしたよ。
あと、もふもふのこの子も好き♡
速水御舟「春眠」
ギャラリー2
ここの音声ガイドはQRコード読み込みで自分のスマホで聞けるという、ようするに無料!
ここも太っ腹!
あとパノラマギャラリーにローランサンとかマチスの西洋絵画が数点。
ショップの一画は坪庭になっているところも良い感じだ。
見終わって、ミュージアムカフェパンとエスプレッソへ。(ここ、表参道が本店のパンと珈琲のお店なんだってね。)まあ、ここからの眺めが一番いいかもしれない。渡月橋もばっちし。
ここでランチしておいとまする。
嵐山を訪れる外国人観光客は多いけれど、押し合いへし合いしながら食べ歩き、、、よりこういう所にこそ行ってみてほしい、日本文化をもっと知りたければ。
また行きたい美術館がまた一つ増えた。(あとはちょっと遠いのがね〜)
ちなみにさきほどのもふもふ猫の全景はこれです。
早春、芽吹いたばかりの木の下、というのがまだ寒さを思わせて、まどろむ猫が寒くないかなと心配になるのである。
春日若宮おん祭2019〜余録 - 2019.12.21 Sat
雨がそぼふる参道をあとにして、駅方向へ向かうと、、、、

なんと!
猿沢の池が屋台村になっとる!1年に1日しか見られない景色だね。
むかったのは餅飯殿商店街の一角にある春日大社大宿所。おん祭に携わる役付きの人が精進潔斎をする参籠所である。15日に湯立神事がおこなわれたりする大宿所祭がおこなわれる。(これは来年行けたらな、と思う)
もうすでに片付けられて、ほのかに生臭い匂いが(^_^;するだけだが、祭ではここにかつては大和の大名小名から、現在では地元信者から献じられた雉や兎が懸けて並べられるという。(懸物という)
中をのぞいてみると、、、おお!これはお渡り式の装束であるな。担当の方がきれいにたたんでメンテしてはった。今年は雨に濡れたのであとが大変だったと思う。
お渡り式の持ち物なんかもあって、これはこれで見ていると楽しい♪
博物館の近くで奈良の知人にばったり!聞けば遷幸の儀の時にもすぐ近くにおられたもよう。まあ、あの暗さと私の防寒目だけ出しのかっこうではわからんかったよな。
で、この日は奈良博入場無料という情報をゲット。
ほんまや〜♪
どちらにしろおん祭特別展なので行く予定にはしていたが、得した気分。
おっと〜!
君も無料入館かね?(^_^;
「おん祭と春日信仰の美術」
絵画に残されたお渡り式の様子が、さっき見たばかりの行列と照らし合わせてとても興味深かった。主に江戸時代のものが多かったが、室町くらいのもあって、今とほんとにかわらないのな。祝御幣と梅白杖が長い千早を引きずっている絵もあって、そうそう、これこれ!とうれしかった。
それから奈良公園の遅い紅葉と鹿を楽しむ。
これがほんとの紅葉に鹿!
鹿、小競り合い中(´・Д・)」
最後に今回宿にした奈良ホテル。
泊まるのは久しぶりだ。修二会の時にかつて良く利用したが、最近は奈良公園内に宿をとっているのでごぶさた。
今年創立110周年という。さすがに建築の風格が違う。さりげなく上村松園の日本画がかかっているのもすてきだ。
ラウンジもゆっくりできそう。
バーの入り口にクリスマスツリー、、、あれ?なんだろこの牛乳石鹸の空き箱、、、?と思ったら、、
牛乳石鹸と奈良ホテルは創業年が同じ(明治42年)だったんですね〜。というわけで110周年記念コラボパッケージの石鹸一箱、部屋においてあったのでいただいて帰った。
春日若宮おん祭2019〜雨の中のお渡り式(松の下式) - 2019.12.20 Fri
暁祭でぽつっときたので、あ、こりゃ雨だな〜と思っていたら、やっぱり本降りに近くなって、お渡り式はかなりはしょられてしまった。残念。せっかく影向の松の下でスタンバイしてたのになあ。
お渡り式は御旅所におわす若宮様に芸能集団や祭礼に関わる人たちが社参する行列で、いろんな見所があるが、全部見るには数年かかりそう。
今年は松の下式を中心に。

朝、出発前の旧興福寺境内広場で。
東遊びの少年の挿頭は桜
日使(ひのつかい)の陪従の楽人さんは山吹の挿頭
一の鳥居の前を出発する行列
時代絵巻と信号、交通標識の現代が交差する景色
行列の通る参道に迷い込んだ鹿はいつもと違う様子にとまどっている。
春日大社から頭屋児(とうやのちご)が神人に担がれておでましになる。
松の下式の検分役で、かつては興福寺(おん祭の開催権を持っていた)の学侶から選ばれたという。
かつがれているのは祗園祭のお稚児さんが地に足をつけないというのと同じ意味であろうか。
まだ小さい少年で、留袖姿のお母さんが心配そうに付き添っておられた。
座についた後は、雨の中、けなげにがんばっていた。
行列の先頭到着
先頭は大きな榊車
いや、いたしかたないとはいえ、装束にビニールレインコートはずいぶん残念(^_^;
これが江戸時代の行列の絵にも描かれていた<祝御幣(いわいのごへい)>と<梅白杖(うめのずばえ)>というやつやな。
これは千早とよばれる長いトレーンみたいなのを引きずるのが印象的。
さて、藤の挿頭の日使(ひのつかい)、春日若宮おん祭を始めた(1136年)という関白藤原忠通(悪左府頼長と藤原氏長者を争って勝った)の名代である。毎年NTTとか大阪ガスとかの大企業の役員さんがされる。
本来松の下式では影向の松に向かってそれぞれが芸の一端を短く披露するのだが、雨で田楽座は中止、子供の流鏑馬もその他たくさん中止。
かろうじて陪従さんの演奏ひとくさり。
御旅所祭で私が一番好きな安積磯良(あずみのいそら)の神話にちなむ細男(せいのお)(すごく原始的なリズムの奇っ怪な舞なのだ→(2年前の動画あり)
本来は馬でのりつけるのだが、レインコート姿で、、、まあ、しょうがないわね〜、、、
一番見たかった猿楽
金春太夫が翁の一節を舞ってくれるかな〜と思ったら、やっぱり雨で一の鳥居のところでお謡だけ。しかも能衣裳でなく裃やもんな〜。残念すぎるわ。
騎馬は雨でなかったものの、おびただしい数の立派な馬たちには圧倒された。
この日一番のかわいこちゃん。
二番目のかわいこちゃん♡
巫女さんです。
馬長児(ばちょうのちご)
これも興福寺学侶からかつて出されたという。
背中に牡丹の造り花を背負って、つきそいのお母さんが牡丹の帯を締めておられたのがすてきであった。
競馬も本来は3回走るところ1回のみ、この勝ち負けで御旅所で舞われる蘭陵王(左方)納曽利(右方)の順番を決めるのである。
馬の尻尾に巻かれた紙弊がキュート。
ここで本降りになり、雨宿りなどで最後の大名行列がえらく遅れた。
なんとか「え〜やっこらせ〜」のかけ声も勇ましい奴行列、見せてくれた。
ちなみに大名行列は郡山藩、高取藩が奉仕したらしいが、現在では郡山藩、南都奉行の行列になっている。
これは朝に興福寺境内で行われていた予行演習?のようなもの。これをになうのは、一時衰退したのを復活させた大名行列保存会の方々である。
華やかな田楽の行列がなかったのも残念であるが、まあ神様もお天気には勝てない?
御旅所に行くと鼉太鼓は防水シートがかぶせられ、御旅所祭も縮小やむをえないと思われる。
御旅所祭は日帰りでも行けるし、何回か拝見しているので、今年はこれにてオシマイ。まあ、雨はしょうがないなあ、、、
春日若宮おん祭2019〜遷幸の儀・暁祭 - 2019.12.19 Thu
以前遷幸の儀は拝したのは9年前になる。
当日は奈良で最低気温をしるした日であり、歯の根も合わない寒さの中、深夜のお渡りを拝した。その感動は今も忘れがたい。

当時の記憶で防寒フル装備でいったが、今年は寒さはそれほどでもなく、これは雪の代わりに雨がふりそうやな、、、と思いつつ22時半、宿をでる。
春日大社一の鳥居には梛の枝がかかげられ神聖なお渡りの準備。
この時間、春日の参道は人気もなく、月明かりのみの暗さでさすがの私もちょっとこわいよ。
春日の若宮様が1年に24時間だけ神遊びをされる御旅所の横をとおりすぎる。奥にみえるのが若宮様がおいでになる黒木と松の枝で荘厳された行宮(あんぐう)。
あたりはひたすら暗く、そして静かだ。
さらに奥へ進む。
ほんまに暗い森の中、時折鹿がたてるのかカサコソの音にビクビクする。
ところが二の鳥居にたどりつくと早くも参道の両側に行列ができている。
9年前はちょぼちょぼの人しかいなかったのにな〜。この多さはなんだ?
それでもほぼ先頭集団に紛れ込む(23時頃)
さて、ここからは浄闇の神事、照明はすべて消され懐中電灯、スマホすべてNG。
おん祭の本の写真で想像だけしてください。
午前零時、神社の方からかすかにこもった警蹕が聞こえてきて、まずは大きな引きずり松明2つ。神人がこれをたたいて火の粉を落とし、二筋のかすかな光りの道ができる。神官が沈香を焚いて道を浄める。芳香がただよう。
そしてだんだん近づいてくる「ヲ〜ヲ〜」の密やかな此の世のものではないような警蹕の声、雅楽「慶雲楽」の音。
目の前を榊の枝をもった神人に十重二十重に囲まれた若宮様が通られる。もちろんわれわれには榊の枝と白い装束の神人の一塊がうごうご動くのしか見えない。「青垣山の移動するが如し」といわれたその景色で思わずこうべをたれる。鳥肌がたつ瞬間。
そこから後を追いかけるように1.5km先の御旅所までぞろぞろついて歩く。
暗い道にまだ松明の火がこぼれていた。
さいわいにもほぼ先頭集団だったので、御旅所の中に入ることが出来て、かぶりつきで暁祭を拝した。
供御所(若宮さまに捧げられる海川山野の御饌が並べてある)の真ん前だったので、どんな供御(くご)がでてくるのかばっちり見えた。鯛と鯉のぴっちぴちぶりや、美味しそうな練り切りっぽい和菓子や、転げないかと心配するような卵を盛ったものや、果物野菜、、、
そして「素合の御供(すごのごく)」とよばれる蜜柑と餅を串に刺し、桧の枝で飾った紅白の箱のようなものがたくさん献ぜられる。
宮司さんの祝詞のあと、行宮前でおこなわれる二人の巫女(みかんこ)さんによる社伝神楽はでっかい鼉太鼓にはばまれて見られず(^_^;
目の前で打ち鳴らされる鼉太鼓の音は腹に響くくらい迫力あった。
小一時間で暁祭はおわり、鼉太鼓は明日の御旅所祭にそなえて分解、養生される。
行宮には若宮様がおわしますという印の瓜提灯が灯されている。
明日の深夜、ふたたびお社にお帰りになるまでここでされる神遊び。
御旅所を辞して宿に着いたのは午前2時であった。
明日のお渡り式も久々にみたいので即就寝!
茶席付き〜O先生茶道講座3回目 - 2019.12.17 Tue
ご好評いただいた、、、というより自分が楽しいから(^_^;という方が勝っている古美術のO先生茶道講座、半年ぶりに3回目開催。

前回は夏越のころであったが、今や年の瀬とクリスマスとてんこもりでおしよせる季節である。
というので玄関も和洋折衷のわけわからない装飾になってしまったが、、、、
さて、今回の講座のテーマは「墨蹟」
茶会の掛物に墨蹟が使われ始めた歴史から、禅宗初祖達磨からの法統、中でも有名な禅僧の墨蹟をスライドを見ながら勉強。
この法統、法系統の知識は、茶道検定で勉強したことが多いに生きていると今でも思う。試験をうけるとなれば、真剣さがちがうもの。それでも出て行く知識も多くて、今回またがっつり復習。
禅僧のいろんな逸話も面白くて、今回は無準師範の「潮音堂」が庄内藩にわたったいきさつと、宗峰妙超のマクワウリの逸話、これらは初めて聞いたのでとてもおもしろかった。
東福寺開山・円爾弁円(聖一国師)が日本に持ち帰った師匠の無準師範の墨蹟のうち、堂々たる三文字「潮音堂」がのちに遠州の手にわたる。客としてきた庄内藩の酒井忠勝はこれはいくらだ?と聞いて遠州が冗談で「一文字千両」と行ったところ忠勝はこれを勝手に持ち帰り、のちに三千両を届けたという。よっていまでもこの潮音堂は山形にある。
また大徳寺開山の宗峰妙超(大燈国師)は悟後の修行を20年間、ほとんどホームレス状態で市井で行っていた。時の花園天皇はこのえらい禅僧に会いたいと思えど、乞食と国師の区別がつかずみつけられない。そこで国師が好きだというマクワウリを持って町に出向き「足を使わずにこの瓜を取ってみよ。」とよびかける。他の乞食たちは???で近づかない。そこへ一人の乞食が近づいて「ならば手をつかわずに与えてみよ」と言ったので、この人が宗峰妙超であるとわかったというお話し。
また、来朝しなかった中国僧、来朝した中国僧、中国にわたった日本僧、渡らなかった日本僧のリストがありがたい。ここらへんごちゃごちゃして、いつも混乱するから。
講座のあとは、小間にてO先生がたくさん持ち込んでくださったお道具を実際に使っての薄茶席。
今回もお菓子は青洋さんにお願いした。つくね芋の淡い色のきんとん、銘を「つとめて(早朝)」。冬はつとめて(枕草子)だからね。
今回は講座のテーマが墨蹟なのでなんとなくお寺さんのイメージで。
釜は卍釜だし、床は玉舟宗璠の一行物、花入れも堅めの古銅で。薄器の、利休の塗師・盛阿弥の雪吹はすごいいい色してたなあ。蝋色(ろいろ)というの?
講座と2グループのお茶席のあとは、片付けの前にO先生、水屋のKさん、Y君と4人で水屋ミニ茶会。これがまた楽しいのである。
中でも今日の講座の禅僧の名前の読み方はむつかしいという話から、兀庵(ごったん)普寧ってだれかが「パイ(π:円周率)庵」って読みそうだね、という話で大笑い。
(Y君に点ててもらっているところ)
考えれば0先生は遠州流、Kさんは薮ノ内、Y君は山荘流、私は裏千家とバラエティに富んだメンバーであった。
ほんまにお世話になりました。また来年もしたいね〜。
まさに<茶道館>!〜お茶友さんの茶室披き - 2019.12.15 Sun
京都のお茶友さんが、かねてから自宅の近くに建てられたその名も<○○茶道館>、茶室披きの茶会にお招きいただいた。

外の門から玄関までのアプローチ、石や瓦の延段が技あり!
さて、お招きいただいたのは、ご縁あって、コチラを作られた大工さん、庭師さん、左官さんがうちを建てるときの同じチームだったからだ。というわけで、この職方三人さんと一緒に席入りさせてもらった。
それぞれの技や工夫、苦労話を聞きながらの席入りはとても面白い。
玄関へ入った寄付が変形なので、畳もこんな変形畳ができちゃうのね、(゚Д゚)!
もちろん、大工さん畳屋さんの工夫あればこそ。
寄付から見えるミニミニ坪庭のたたずまい、南天に排水設備を小石で隠す工夫が。おまじない的意匠でいいわ。
待合の壁が不思議な陰翳を作っているので、近づいてみると、、、、
なんと、ひきずり塗という特殊なコテをつかって、年季のはいったテクニックが要る塗り方なのだそうだ。そういえば、この左官さんはお久しぶりなのだが、我が家のトイレと洗面所の<大津磨き>壁を作ってくれた方なのだ。(大津磨きもいまではあまりするお家がなくて、むつかしいテクニックがいる)
ちなみにこの待合は六畳で、ちゃんと大炉も切ってあるという!
昔、この館主さんのお家で、手作り大炉の置炉使って大炉のお稽古させてもらったなあ、、、と懐かしい。とうとう念願のほんものの大炉を手に入れはった!
点心はそのとなりの八畳の座敷で。
普通のお稽古も花月のお稽古もできるやん!
この喫架も館主のご要望で、標準より幅広い特注品。確かに点心載せたときに安定の幅である。
三友居さんの点心、館主のお心入れで熱々の燗酒。
大工さん、庭師さんとはずっとご縁あって、以後も時々お目にかかっているので、話もはずむ。やはり話題はこのお家を造るにあたってのご苦労などなど。館主さんからは夢を実現するまでのご苦労などなど。
昨今本格的な茶室を作る人はそんなに多くない。だからどなたかがおっしゃっていたが、こういう建築主さんこそが職人さんを育てている大切な方なのだと。
老松さんの「霜柱」きんとんをいただいて中立。後座は小間の茶室へ。
いいな〜独立した腰掛け待合。
それほど広くない露地だがコンパクトに蹲居周りもおさまって、ここは庭師さんの腕のみせどころ。
あっ!!
垂涎の突き上げ窓!
この雨仕舞が大工さん、一番苦労されたとか。
敷松葉もゆかしく、蹲居石も風格がある。
小間は三畳+上がり台目
うちの茶室と構成は同じでデジャヴ感。ただし床は上座床(うちは下座床)
中柱に皮付きの赤松のいい具合に彎曲したのを使い、床柱は栗のナグリ、ディテールには館主さんらしさが。
またここでも左官さんがええ仕事してます。
粗いスサ壁、玉林院の蓑庵の土壁を思い出した。経年変化でまたよい味をだしてくるのだろう。
昨今突き上げ窓のところに照明をいれてごまかしていることが多いけれど、ここのは正真正銘の突き上げ窓、ほんとうに採光という点でこれはいい。うらやましい。
館主さんのこだわりぬいた点だろうと思う。
お弟子さんもおられて茶道を教えておられるが、ここまで各種席が整って、ちゃんと稼働しているお稽古場はそうないのではないかしら。
ここまでこだわって、よい職方さんにも巡り会えて、以前おっしゃってた夢を実現されたのだなあ、、、と感慨深い。きっとご苦労も多かったと思うし。
濃茶をいただき、続き薄をいただく。
(濃茶が初めての左官さん、目をシロクロ(^_^;)
新しい木の香り、青畳の香り、いずれも清々しい。
この青畳に手をつくのもうれしく、光栄である。
一座のあとはバックヤードも拝見。三ツ口コンロのあるキッチンまであってうらやましい。(うちは台所から茶室までダッシュしなあかん)
実は二階にも八畳の広間茶室と専用キッチンがあるという贅沢さ!
なんとすでに夏の建具まで用意されていて、畳・建具収納スペースも工夫がある。お稽古となるとやはり道具は一通りそろえないといけないので、収納は大事よ。
あつかましくも全館まるっと見せていただいて後辞す。
ああ、すてきな茶の湯の基地をつくらはったなあ〜と感動、羨望、またよんでもらおうという下心(^_^;ないまぜに、帰路につく。
ほんとうに、このたびは夢を形に!おめでとうございます!!
師走忙中閑・洛中界隈2019 - 2019.12.14 Sat
なにかと忙しい師走
忙中閑ありのある日

京都移住直前にできた伊右衛門カフェの跡。お気に入りだったんだけれどな、残念ながらなくなってしまった。景色がかわった三条通り界隈。
こちらは10年前とかわらない素夢子古茶屋
先日おじゃました誉田屋さんの奥様のお店。
韓屋(ハンオク)にお邪魔したような感覚、周りを土壁にかこまれるのは心地良い。
李朝の薬箪笥
これほしかったけれどな、もううちには置くスペースがなくて断念。
お粥もおいしいけれど、この日は五味子(オミジャ)茶
五味は甘酸苦盬辛だけれどちょっと酸っぱい飲み物。
こちらのインテリアのセンスの良さはトイレにも
鬼灯ライトも虫籠にいれられてステキ。(鬼灯ライトは販売もあり)
その後はお向かいの文椿ビルジングへ久々に行ってみる。
若い人向きの店ばかりだと以前は思っていたが意外と大人向けのお店もあるのね。
カトラリーのお店が気になった。
大正9年に貿易会社の社屋として建てられたこのビルは、その後所有者を変えながらあやうく壊されそうにもなりながら、商業施設として蘇った。よくぞこの三条通りに残ってくれたものだ。
2Fには「Cafe 星雲」
クラシック音楽がBGM
明るくてシンプルで、コーヒーを飲みながら読書、長居ができるのがうれしい。
その後は国の登録有形文化財・無名舎吉田家で今年最後の吉田塾
(北観音山の屏風祭が有名なところですよ〜)
今年最後とあって久しぶりの方ともたくさんお目にかかる。
吉田家の風情ある坪庭
蹲居が小判型に刳ってあるというのはこの日初めて聞いた。商人らしい意匠だと、初代鬼友さんから数えて三代目の吉田孝次郎先生はおっしゃる。
表の間には右手に、八つ星メダリオンの4つめの絨毯が誇らしげに掛けてある。
ヨーロッパには残されていなくて日本にのみ3つしかない(うち2つは北観音山と函谷鉾所有)といわれていたが、つい最近吉田先生が(私も行っている)京都アンティークフェアで発見された物なのだ。
今回の吉田塾は吉田家の歳時記
お正月から始まって初春、初夏、祗園祭の夏、、、、と、吉田家の室礼をスライドで見る。
美術を専攻された吉田先生の室礼の美的センスがすばらしい。引き算の装飾、これは日本人が得意とするところだが意外にむつかしい。
中には吉田家三代につたえられた伝統的な京都らしい室礼もあって、これはお正月の歳徳神を祀る神棚。その年の恵方に向きをかえられるという。こんなのはいままで見たことがない。
吉田先生の室礼で一番好きなのがこれ。
春、種々の椿をそれぞれぐい飲みに投げ入れる。花の名前をつけて札に書いたのは奥様だそうだ。毎年たくさんお庭の椿を届けてくださった方がおられたが、その方もいまは故人でこの飾りももうできないなあ〜と、ちょっとお寂しそうであった。
所用あってフォーシーズンズ京都へ。フロント(3F)から見下ろす積翠亭(平安時代の庭園の遺構)とレストランが美しい。
用事をすませてカフェラウンジでひとやすみ。
こちらも居心地よく、、、
積翠亭を見下ろす眺め
(この日、池の掃除の人が池の中を歩いていたのを見た!)
インテリアも端々凝っている。
「日本酒」ケーキと紅茶をいただく。
酒粕っぽくもないし、どこが日本酒かな、と思っていたが食べた後にふわ〜っときたから、アルコールは入っているよね。美味しかった。
フロントのロビーも美しく、ここは外国籍のスタッフが多いので、どこか異国へ来た観光客になりきれる感あり。よって遠慮なく写真バシバシ。
オーナメントもクリスマス仕様でいよいよ年もおしつまる。
「なつかしや けふ鳴滝の 大根焚」〜了徳寺2019 - 2019.12.12 Thu

鳴滝の道を行けば嵐電の線路にあたる。
鳴滝はこんなふうにちょっと辺鄙な(^_^;土地である。乾山が窯を開いたのもこのあたり。
福王子の交差点は交通量が激しいが、一歩脇にそれると静かな里、、という雰囲気になる。
毎年12月9日10日は鳴滝・了徳寺の大根焚き、この時ばかりは参拝客がたくさん訪れるが、行列ができるなどということはない。どちらかといえば地元の方々が挨拶代わりにこられているという印象。
大根焚きというと千本釈迦堂が有名、西陣で交通の便もよいし、そちらに行かれる方が多いし、私も好きなのだが、ここ数年すごい混雑振りで券を買うのにも行列、大根もらうのも行列、、、でちょっと、、、
おお、真っ白な大根!これぞ冬の味覚。
堂内では盛り付けの婦人会の方々が忙しそうにたち働く。
こちらの大根焚きの由来は親鸞聖人の逸話。
鳴滝の地で念仏の教えを説いた上人に、村人が御礼といってもたいしたことはできない、せめて大根でも焚いてもてなそう、と。上人は非常に喜ばれてススキの穂を筆に、鍋の炭をもって「帰命盡十万無碍光如来(意味はようしらん、多分阿弥陀如来の救いの光りは四方八方に無限にひろがる、、、云々かな?)」という名号を与えたそうな。それを記念の報恩講、大根がすっかり有名になり、鳴滝の大根焚きと。
千本釈迦堂の大根焚きは成道会(お釈迦様が悟りをひらかれた日)にちなんで無病息災を願う、というから同じ大根でも来歴が違うのだなあと思った。
さあ、お待ちかね、熱っつ熱の大根!
この甘辛い汁のしゅんだお揚げがたまらんのよね。
大根3切れ、しかもでかくてこれだけでお腹一杯(3年前はこれにお斎まで食べてた、、、)
箸袋の<なつかしや けふ鳴滝の大根焚き>
は以前も書いたがどなたの作か不明。でも大根焚きは昔から冬の季語でもある。
境内では洗い物チームが。
寒い中ごくろうさんです。
京都のよいところは有名な寺社仏閣だけでなく、昔ながらの風習や行事が生活の一環として引き継がれまだかろうじて残っている所だと思う。
冬になれば大根焚き食べなくちゃ、もうちょっとしたら天神さんに大福梅もらいに行かなくちゃ、しまい弘法で正月用品かわなくっちゃ、、、、京都人の生活はかなり忙しい(^_^;
なかには年末におせちのために錦市場、、が、いまや観光客に占領されてもはや風物詩ではなくなったものもあるけれどね。
こちらのは聖護院大根ではなくて、亀岡の篠大根。
ぷりっぷりの大根足ぶりが美しいわ。
今年もいただけました。美味しゅうございました。
無事年末の行事ひとつ遂行(*^_^*)
「はじまりと終わりの茶会」〜本の頁をめくる - 2019.12.10 Tue
鷹ヶ峰のTH社
今宵「はじまりと終わりの茶会」へ招かれお相伴する。

待合には席主のお祖父様が100年程前に残した英語の詩集の本が。
茶箱にいれられた椿は供花か
本の見返しにおじいさまの英語の書き込みがあり。
これは人生という本を綴り終えた人の本
本席の軸は本願寺にゆかりのあるおじいさまにちなんで、大谷句仏(東本願寺23世・俳句をよくした)の句
<冬ごもり 読みあまれども 買書癖>
今宵のゲストは1年間の日本留学を終えて、まもなく帰国するとてもcuteなhigh-school girl。
1年間学校の茶道部にいた。いろんなことを学んで吸収して、それをこれからどう生かして生きていくのだろう。彼女の人生という本はまだまだ序章だ。
席主の心づくしのおしのぎをいただき、、、
お茶をいただく。
日本での生活のおわり、新しい人生のはじまり
お干菓子に、と小さな本が客の数だけ出てくる。
ちゃんと図書分類票もついている。791は茶道
最初の頁にはお客さんのお名前
次の頁をめくるとそれぞれすてきな詩が
さらにそっとめくると可愛いお菓子が潜んでいた。
その下に、彼女がわかりやすいようにその詩の英訳poemまで
なんてすてきななんてすてきな!
私の人生の本はもうクライマックスはすぎたかな〜と思うけれど
若い彼女のこれからの人生、どんな新しい頁を次々と綴っていくのだろう。
すてきな本になりますように、幸いあれと願う席主の思いが伝わって心があたたかい。
(本製作:F子ちゃん、席主、その他有能な人たち お菓子:和菓子青洋さん)
仏像 中国・日本〜大阪市立美術館 - 2019.12.08 Sun

久しぶりの大阪天王寺、通天閣も見えるディープ大阪にある大阪市立美術館へ。
「仏像 中国・日本」展と銘打ってあるが主に中国二千年(戦国・春秋時代〜)の中国の仏像彫刻の歴史を時代をくだって見ていくという展示。地味に仏像ばかりならんでいるんだろうな〜と思っていたが、なかなかどうして、中国の仏像って個性的なんだな。
展示は紀元前の仏像製作時代以前からはじまる。
銀製男子立像(仏像以前)は永青文庫所蔵、5cmくらいの小さな、兵士のややデフォルメされた像で、ぴかぴか。どうしてこれが紀元前4〜3世紀のものとわかったのだろう?というくらいきれい。根付けにしたいくらい。
6世紀南北朝時代・西魏の如来三尊像には7世紀の法隆寺釈迦三尊像の面影があるし、ちょっと首をかしげた如来石像はかわいいおじさんみたいな感じだし、しなやかな座位ポーズをとっているもの、木喰仏に似たようなものも。総じてこの時代の仏像はどこか人間くさく、私のあまり好きではない平安時代ののぺっとした仏像とは全然違う。
仏像の周辺に漢字の碑文が彫られているものも多く、読めないながら漢字がわかるので、なんとなく意味がわかってありがたい。(この漢字文化は捨ててはいけないと思う。本家中国や韓国では半ば捨ててしまってるけど)
(昭和11年竣工の文化財でもある美術館 京都市立はなあ〜、、変に手をいれちゃって、、、(´・_・`)
遣隋使、遣唐使が大陸から日本へ持ち帰った仏像は日本各地のお寺や美術館におさまっているが、唐代のはどこか西欧人を思わせる顔立ちが多く、国際大都市であった長安には胡人もいただろうし、とひとり納得。
個人的には南宋時代の仏像が好き。
神奈川の清雲寺にある木造の観音菩薩座像は、片手を後ろにつき、片手は膝におき片膝立ててリラックスしている酔っ払い、みたいなポーズで艶めかしい。
京都泉涌寺の韋駄天立像は剣を横に持ち合掌した姿がりりしい。
元〜明時代に若狭の国に漂着した迦楼羅立像は前腕を両方失っているが、漂着したときにこれを包んでいたという大きな赤い布(ところどころぼろぼろ)も一緒に展示され興味深い。彩色された鳥の顔の迦楼羅、どんな運命のもとに日本にたどりついたのか知りたい。
今回一番のお気に入りは京都・萬福寺(黄檗宗・なにごとも中国風)所蔵の清時代の韋駄天立像。
ほぼ等身大の韋駄天は歌舞伎の見得を切るような躍動的な姿でかっこよく、見上げる高さでみるとほれぼれしちゃう。これ、萬福寺で見ているはずなのに記憶にないのはどうしてだろう???
ちなみに萬福寺開山の中国から来られた隠元禅師は日本の仏像は、これちがうで、と言ったかどうか(^_^;わざわざ大陸から仏像を将来したのだ。
韋駄天さんの絵はがきがほしいと思ったが、全身像がなくて残念。
まあ、きりっとしたお顔だけ絵はがきで。
全身像はコチラのブログで見られます。なんと萬福寺と言えばこれ、というあの有名な布袋さんの後ろ側におられたのですね。今度行った時にはしっかり拝んでこよう。
但馬の国で口切茶事2019 - 2019.12.05 Thu
そらいろつばめさんが呂宋の壺を手に入れられて初めての口切り茶事にお招きいただいたのはもう2年前になる。思えばお互いに忙しく、あっというまの2年ぶりの但馬の国である。

秋色麗しく、そよ風でも落ち葉がちらほら音もなく落ちる。
寄付では私が初めてこちらの茶事によばれた数年前にかけていただいた服部嵐雪の短冊に再会。
嵐雪と言えば「ふとん着て寝たる姿や東山」の句が有名、その東山の麓に住む私への歓迎のお気持ちであった。当時お互いに変体仮名が読めなくて頭をひねったが、今では勝率6割ながらちょっと読めるように(^_^;
(細かいタイル張りのベンチを腰掛け待合いに)
今回振り返ってみると、お茶事の楽しみをほぼ完璧に備えた茶事だったように思う。
おもてなしに関しては私が知る限り最高レベルのそらいろつばめさんご夫妻ならではの、ご夫妻だからこそできる茶事であった。
腰掛け待合いから庭に出て、蹲居を使い茶室に入る。
ここのおうちは建築雑誌にも載った、キャパが100人という広間もあるアップダウンを上手に生かした素晴らしいお宅なのだが、茶室部分だけはご両親が暮らしておられた座敷をほぼ再現したものだという。
本日のお正客は茶の湯44流派の比較検討した「お点前の研究」の著者H様ご夫妻(ほぼほぼ新婚さん)、先日宗偏流の口切りを見せていただいたA様、祗園祭宮本組を内側から書いた本を上梓され学生時代からお能を嗜むS様、そうそうたるメンバーである。(なにものでもない私(^_^;)
本席にはお正客H様がご持参されたという新たなる御代を寿ぐ歌、脇床に小学生くらいの男の子がベルトに仕舞扇を挿して前傾の仕舞の基本ポジションを取っているお人形が!これはS様のお謡がきけるのでは、という期待に胸がふくらむとともに心憎い。
京都まで壺を持ち込んで松籟園さんに碾茶を詰めてもらったそうである。今回濃茶は三種三袋、詰め茶(薄茶)はなんと五斤(3kg)。前回二斤で少なかったので増やされたそうだ。
御茶入日記をみんなで拝見し、お任せとする。
そらいろつばめさんのルソンの壺は、御主人がNHKの「ルソンの壺」に出演されたのを機会に手に入れられた記念のもの、色は違うが唐物茶壺「金花」に釉薬のなだれがよく似ていてとてもよい茶壺なのだ。大きいので壺を入れる網も紐も特注での誂え品とか。
そらいろつばめさんの懐石はいつも豪快だ。いつぞやは座を変えて炭焼きの分厚い但馬牛ステーキをだしてくださったこともあった。
そして今回は蟹!!♪
しかも朝、津居山漁港であがったばかりの新鮮ぷりっぷり!
冷凍蟹しか普段食べていないので、この美味しさがしみる。みなさん無口になってひたすら蟹と格闘。
さらにご郷里の東北名物芋煮、これには但馬牛がたっぷり入って、私何しに来たのか思わず忘れそうになりましたわ(^_^;
お運びにはそらいろつばめさん以上にもてなし上手の御主人も手伝われて、ご夫婦で茶事できるっていいなあ〜と若干うらやましい。
そしてお待ちかね、八寸のご馳走、S様のお謡。
季節柄「龍田」のキリを謡ってくださった。学生時代からずっとされているので、もはやプロ級、しかも体格がよくていらっしゃるので、すごく響くよいお声、100人入るおうちの隅々にまで響き渡ってすばらしかった!
これによってさらに茶事の楽しみが完璧に近づいたと私は思う。(もう二度と茶事で自分は謡うまいと思ったくらいレベル違う)
主菓子は東京の女性がひとりでされている”あさ貴”さんの特注、本日お正客のH様ご夫婦へのお祝いの意味をこめて。中が栗あんで美味美味♪
中立では広間で茶臼の挽きあいっこ。
実際濃茶に使われるお茶は別注だが、これもひとつの口切りの楽しみ。水屋でごりごり挽く音がご馳走と一説には言うが、実際挽いてみると上等の宇治石の臼はなめらかで全然音がしない。よってこの説はアヤシイ。
そうこうするうち挽かれたお茶が少しずつ出てきて思わず歓声。
(100人入れる広間です。すばらしい!)
後座では白わびすけとドウダンツツジの照り葉を。
めったに見る機会のない紹鷗棚のお点前を拝見、あれは格式高い感じがして風炉先代わりの江戸時代の古い屏風ととても雰囲気があっていた。
濃茶は「松籟」を選んでくださり、とても美味しい。
茶入がちょっとヨダレが出そうな高麗・粉引のころんとしたもので、銘も「玉椿」、遠州流宗家の先代宗慶さんの眼鏡箱があって、ずっとよりそって行きたい云々(おぼられません(^_^;)の歌が書かれ、ほぼほぼ新婚のお正客ご夫婦へのなによりのお祝いとなった。
後炭もきちんとしてくださって、炉中を眺めるのは楽しみの一つ。
胴炭は大きかったが半分はまだ残っているのに感動。
薄茶の干菓子は同じくあさ貴さんの薄氷と花蝶。
薄器にご郷里にちかい塩釜の風景を写して、これもさかなに話はつきぬ。
ふりかえって、茶事の楽しみの要素がすべてつまって、いずれも見事にされたそらいろつばめさんに感服です。御主人のお働きにも感謝。
席入りから5時間あまり、しかも京都へ帰るのに2時間かかることすら厭うことなし!で、ありました。
大原宝泉院ライトアップと夜咄茶事 - 2019.12.03 Tue
1〜2年前、せっかく高兄さんが宝泉院ライトアップの招待券をくださったのに、大原のバス停前であまりに人っ子一人いなくて、暗くて、呂川沿いの道を宝泉院まではけっこうあるので、敵前逃亡(^_^;そのまま引き返した記憶がございます。

いつかリベンジをねらっていたところ、このたび宝泉院で夜咄茶事があると聞いてでかけました。
まだ日のあるうち、そしてまだ人出があるうちに。
三千院の前は、夕刻なのでぼちぼち観光客も引き上げる時刻。
三千院の前を通り過ぎてさらに奥へ。
紅葉がちょうど美しい頃合いです。
魚山声明発祥の地、勝林院の前の水流は”流れもあえぬ”紅葉なりけり”、あるいは”渡らば錦 中やたえなむ”のありさまにて。
まだ明るい内になんとか宝泉院に到着。
夜咄茶事にまだ間があったので、有名な額縁の眺めを楽しみました。
観光客も一人一人去って行って、人の写り込まないこの写真、今の季節めったに撮れるもんじゃありませんよ(*^_^*)
本堂の一画には水屋らしきしつらいもあって、良き眺め。
さて、夜咄茶事にご案内、本日のお客様は私をいれて3人。
宝泉院の奥の裏山の方へ導かれました。
なんと裏庭にこんなスペースがあったなんて!
宝泉院はなんども来ているのに初めて知ったわ!
茶室棟とでもいうのか、内蹲居もあって、あがると広間が待合になっており、ここで甘酒の汲み出しをいただきました。
さらに奥へ行くと独立した茶席があるようです。
蹲居で手を清めていよいよ席入り。
短檠、手燭、露地行灯、、、夜咄の雰囲気がもりあがる。
実はそれほど期待していなかったのですが、なんと男性の先生がきっちり指導してくださる本格的な夜咄茶事だったのにびっくり。キモノ来てくるべきでしたね。洋服で失礼しちゃいました。
席は四畳半、どことなく裏千家の咄々斎を思わせる造りで、床の横に半畳のスペース、上に銅鑼がかかっているところも同じ。圓能斎が作った茶室、と言われてなるほどと合点がいきます。茶室名は「日新庵」、なんでも茨木の豪農の家に作られた物を7年ほど前にこちらへ移築されたとか。
懐石もこちらで手作りされているそうで、煮物椀のかぶらのみぞれ+餅が美味しかった!
向付が小浜の鯛の笹漬け、大原のこのあたりは小浜からの鯖街道上にあるので、というお話しもおもしろい。
膳燭もだしていただき、茶事ははじめてというお客さんに和蝋燭の芯切りを伝授したり、楽しい懐石タイムになりました。
短檠+手燭+膳燭x2だとほんと、明るい。折敷を引く段になって最後短檠と手燭だけになるとかなり暗いのね。昔はほんとにこんな中で生活していたのかしら、と人工の灯りに毒された身には思われて(^_^;
中立のころには、席入りの時見えた三日月も沈んで、大原の夜は暗く、、、、そして寒い!!
特別冷え込んだ夜ではありましたが吐く息が白く歯が、がちがちとなるくらい。そして夜空には冬の星座がくっきり見えたのです。さすが大原、夜は初めてです。暗いとは思っていましたがほんまに暗い。
後座では夜咄のお約束通り石菖(灯りの油煙を吸うと言われる)が床に。
濃茶、続き薄、最後に留め炭まで。
現在では今の先生しかここを使っておられなくて、月一度位の割合で茶事をされているそうです。(借りることもできるそうですよ。ただし道具の搬入がちょっとたいへんだと思われますが)
思いがけず本格的な茶事のあとは、(前にいきそこねた)ライトアップの庭園も楽しめました。こんな写真が撮れるなんて感激。
閉門20分前、それでも数人の方が熱心に写真を撮っておられました。
明るい内にきてもこの景色は好きですが、夜も静かに美しいです。
さて、真っ暗な帰り道、帰りはとっとと歩けますがほぼ無人なのでちょっとこわかったです(^_^;
場所により真っ暗な道もあり、スマホの灯りをたよりに下山。懐中電灯持参をおすすめします。
呂川沿いの道を降りて駐車場へたどりつくと、、、車のフロントグラス凍ってました!
どうりで寒いわけだわ。
宇治縣神社〜藪ノ内の茶事2019秋 - 2019.12.01 Sun

秋の宇治川、紅葉もなかなかきれいである。
今年も薮ノ内の若武者の茶事にさそわれて宇治縣神社へ。
毎年6月5日に暗闇の奇祭といわれる縣祭がおこなわれる神社でもあり、宇治の茶業と深い関係のある神社でもある。
この梵天はその縣祭のときに使われるもの、6月初めは茶業の繁忙期の一段落の時であり、別名<種もらい祭>とも(意味は自分で考えてね(^_^; )
茶事が行われるのは社務所の奥の小間・棠庵(とうあん)
藪内流の先々代・猗々斎が作った茶室で、雰囲気は燕庵にとても似ているが、燕庵に遠慮して若干のヴァリエーションがある。(三畳台目+相伴席→四畳半台目+給仕口)
先日香雪美術館の玄庵(正確な燕庵写し)にいったばかりだから、類似点・相違点がよくわかる。
なんといっても点前座にすわる亭主の姿が壁際にある二つの窓の光りでシルエットになるのが美しい。
もうすっかりお馴染みになった薮ノ内の霰灰、季節によって霰の大きさも変えるとか、一番むつかしい灰の流儀かもしれない。枝炭を一番上に置いて、釜の底でがりがり砕く、という先生もいると聞いて、へ〜〜!?と驚く。
掛け物が薮ノ内にある茶室・談古堂にかけられていた薮ノ内の茶法「正直・清浄・礼和・質朴」を説いたものの写し。これは亭主の師匠からの拝領品と聞いた。私も存じ上げているその師匠様は今年惜しくも急逝された。彼をしのぶ思いを、深さの違いはあれ共感する。
炭のあとは広間に移動して懐石、これも一人で作られる。若い男子ながらだんだん腕をあげてきているな、と。これは負けておられん。
しかも中央卸売市場の近くが住まいなので、材料も豊富に手に入るのがうらやましい。
この日は三人の客で、私だけ裏千家でアウェイだったが、お話しの面白い方で楽しかったし、最近私自流よりも薮ノ内の方をよく知っているかもしれない〜と思ったり(^_^;
薮ノ内の懐石は武家茶道というか男性向きなので、料理もお酒もこれでもか!と出てくる。八寸のあとにも強肴が出てくるし、お酒は進むし、、、。でも千鳥はないよ。
これも男性一人が作ってはるというお菓子屋さんの主菓子「冬紅葉」。
なんというか、餡子が水ようかんみたいにつるっとあっさりで、どういうレシピなのか初めての食感だった。(アカマさんとかいうお菓子屋さん?調べても不明。今度聞いてみよう)
後座はふたたび棠庵へ。
床は花に変わり、竹の一重切に白玉椿、きりっと美しい。
葉っぱのつき具合が絶品、これもご亭主仲良しの花ふじのおかみさんと話しながら選んだものとか。
竹の花入も亡き師匠からのものと。なんでもよくご存じで、ほんとうに惜しい方であった。
何代か失念したが、歴代の家元のおひとりの手づくね茶碗で濃茶をいただく。
古瀬戸の茶入はひさご形でちょっとめずらしい飴釉みたいであった。
濃茶の後席を改める間、広間におかれた香炉に正客さんが伽羅を焚いてくださった。某香舗の方なのでお香にくわしいのはわかるが、求めに応じてすぐ出せるというか常に携帯しているのはさすがだ。思わぬところで聞香ができてありがたい。
席改め床には猗々斎?だったか舟の絵と画賛「満舟名月載持帰」
これはまた禅問答でよくわからんなあ。でもなんとなく景色がイメージできるようだ。
そうそう、ここであの香雪美術館玄庵茶会でみた竹心好みの栗蒔絵の薄器が!こちらの栗は少しデフォルメされてむしろカワイイ。
井戸脇、暦手、永楽とバリエーションの茶碗で薄茶をいただき、お開きとなる。
この後跡見をして、翌日翌々日も茶事をするという、よっぽどお茶好きやねんな〜。
数年前からこうしてお茶事によんでもらっているが、だんだんこなれてきた、というか、茶事が身についてきているという感じ(上から目線ではありませんよ)。若いから、どんどん成長する伸びしろも大きく、残りの短い私にはまぶしくうらやましい。これからもさらに期待しています!