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2020-01

町家ゲストハウスの草分け〜五条通の錺屋さん - 2020.01.31 Fri

錺屋(かざりや)さんという、人気のある古い町家のゲストハウスの存在は知っていた。京都好きブロガーさんたちも宿泊されているようだし。でも市内に住んでいると宿泊する機会も無いので、見る機会もなかろうかと思っていたが、一日限りのオープンハウスデイがあるという情報をMちゃんからキャッチ。そちらのほう(五条室町)にでかけるつてもあって、ようやく見参いたす!



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どこにあるのか正確な場所を知らずに交通量の多い五条通り(国道1号線)を歩いていたら、あら、なんだか目を惹くえらいレトロな看板が。
「六神丸」「亀田利三郎」、、、、、



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と思ったらここが錺屋さんだった!
なんとほんまに五条通りに面しているのね。こんな大通りに面している町家はもう絶滅危惧種だから、看板がなかったらスルーしてたかも。



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玄関=フロント、からいきなり大正時代のカフェー的な和服割烹着の、あまりに雰囲気にマッチしたスタッフさんが迎えてくれてびっくりした。(後にこの方以前陶々舎でお目にかかっていたことが判明)


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いつもは宿泊客しか入れないけれど年に何回か、プチちとせ市と称する蚤の市とオープンハウスをされているよし、玄関スペースにアンティーク着物などいろいろ展示。
この町家は大正期の京町家で、建具や照明器具、家具などできるだけ当時のモノを残すようにされているとか。



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この町家の所有者は「亀田六神丸」の代々の亀田利三郎さん。現在はここには住んでおられないが、六神丸の会社としては健在である。


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当時ここを建てた大正期の利三郎さん、かなりの普請数寄だったらしく、現在客室になっているそれぞれの座敷にスキモノのテイストが残っている。


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天井も網代があったり鏡板だったり、、、
この竹が通してあるの、かつては槍とかかかってたりして(^_^;



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二重の落とし掛けにも普請数寄を感じるわ。こういうパターン、表千家系の茶室でみたことあるような気がするが、最近記憶があいまいで〜(^_^;


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気になったのが、中庭にある茶室?!
腰掛け待合いまである。



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のぞいてみると二畳向切中板の席ではないか。
なんでも今はおられないお茶好きのスタッフが自分で考えて、物置かなにかを手作り改修した茶室なんだそうだ。待庵に憧れてそれに似せたとか。(待庵は隅炉だけれど) 天井も竹を使った真行草に準じた材を投入。ここでちょっと茶会のまねごとなどしてみたいね。



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こちらは玄関脇の洋室(京町家でよくあるパターン)を客室にしたもの。確かに窓の外の一号線は若干ウルサイかもだが、それも楽しめそうなかわいいお部屋である。私なら爆睡できる。



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バスタブはユニットにしてあるが、浴室のタイルは大正期のものとか、これは今では貴重。



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二階の客室の窓からは、京都タワーも見える。京都駅がほぼ徒歩圏内というのも、旅行者には魅力的だ。



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そして忘れてならないのがキッチン。ここは宿泊客が共同で使えるようになっているのだが、これを一躍有名にしたが某少年週刊誌の漫画。このキッチンが舞台なんですってよ。という前に人研ぎ以前のタイルの流しに萌える。リアルタイム経験者だからね。



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大阪ガス製ながらもう廃版になったとおぼしきガスコンロも現役で健在。イマドキの若い人は、このダイヤル式の着火スイッチや、自動湯沸かし器の使い方もわからないと聞く。ああ、昭和は遠くなりにけり。


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家の中じゅう、さきほどの割烹着のスタッフさん(町家への愛にあふれておられました)が丁寧に案内してくれたあと、一番いい客室とおぼしき縁側のある部屋へ。本日のみここは喫茶室として解放。



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この部屋はかつてご隠居さんの部屋だったそうで、ここにも普請数寄。



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さきほどの漫画がおいてあって、それぞれ知らない人同士が漫画を読みながらおしゃべり。飲み物、お菓子いずれも100円とあって、私はハーブティーをいただく。ここのファンの若い方がすてきに着物をお召になっていらしてたのが、雰囲気に妙にマッチ。



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こちらは100円のお菓子、いや〜!懐かしいホワイトロリータ!源氏パイ!これ私が学生の時からある定番よね。そうこうするうちにMちゃんつながりのお友達も来て、お菓子をつまみながらさながら女子会になって長居をしてしまった。



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ちなみにこの六神丸をみせてもらった。



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成分は麝香とか、牛黄とか、熊胆みたいにワシントン条約で手に入らないモノもある(在庫がたっぷりあるらしい)。効能はめまい、息切れ、気付け(気付けってどういう効能かな?)、食あたりなど。しかし値段にもびっくり!まあ、貴重な生薬使っているからね。

(亀田六神丸について詳しくはコチラ



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ちなみに錺屋のこの看板は六神丸の看板をなぞって作ったモノ。そう言えば同じテイスト。
最後に大正レトロの絵から抜け出たようなスタッフさんにお見送りいただいた。
宿泊する機会はないだろうが、ミニ茶会とかのイベントでまた使ってみたいものである。




百人講(油量り)〜修二会を支える講の一つ - 2020.01.29 Wed

あっというまに今年も東大寺修二会が近づいてきて、修二会カテゴリーを立ち上げる季節になった。
10年以上前の雑誌「ならら」のお水取りシリーズを見ていて、あ、これ興味あるけどたどりついてないな、と思ったのが修二会を裏方で支える講社の件である。
修二会の間、裏参道を歩くと○○講社宿泊所、△△講社宿泊所、、、と張り紙がしてあるので、興味は惹かれていた。

信仰心に基づいて寄り合い、ご奉仕する、という講(講社)の中でも二月堂にかかわる講を「圓玄講社」といい、かつて奈良にとどまらず近畿一円に50〜60くらいあったそうだ。そのうち消滅したり、新たにできたり、で現在は30前後あるらしい。

山城のお松明の竹を送る講、信楽の松明をしばるクツワ蔓を送る講、伊賀の達陀松明を調進する講、お水取りの警護に当たる河内永久社、などなど、、、それに去年初めて参加した満行翌朝の達陀帽戴きを担当するのも講(朝参り講)の方だったとは!
(また新しい修二会に関する鉱脈をみつけちゃった〜♪)



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その他近畿一円にある講のうち、行中用いられる灯明油を寄進するのが百人講とよばれる奈良の講社。ちなみにこの写真は2009年の「ならら」の、百人講による油量りの様子である。

ありがたいことに、その百人講の方にお話しを聞く機会があった。



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これがその修二会の間、十一面観音様に捧げられる灯明の油である。原料は植物性で菜種、綿実、椿などらしいが、製法は秘伝で、現在は愛知県の岡崎で作られているという。二月堂、伊勢神宮、宮中祭祀のみに使われる貴重な油だそうだ。煤の出にくい調合とは言うが、一晩お堂に籠もったら、マスクは真っ黒になったもんだ。


修二会に先立つ2月18日(毎月18日は観音様の縁日)、二月堂ではこの油を三つの甕にきっちりはかって入れる油量りという行事がある。百人講の代表の方が堂司などの監視の下、木の目盛りを使って一斗(約18L)、一斗二升、一斗三升といれわける。油はかつて貴重品でもあり、信仰篤い庶民の浄財でまかなわれたため、無駄が出ないように量った名残。



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灯芯は、短檠を扱う茶人ならお馴染みの藺草の芯でできたもの。

百人講は現在は木津川ぞい(菜種の産地)に約300人弱いらっしゃるそうだ。お話しをしてくださった方は、かつて代々油を東大寺におさめたお家で、少なくとも280年以上の歴史があるらしい。江戸時代以降は記録もないではないが、それ以前のことは不明で、もしかしたら鎌倉以前からの歴史があるやもしれぬ。畏るべし、古都奈良!



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油量りの日はかつては興味を示す人も少なくて、重い油缶を楽々お堂まで運べたそうだが、昨今すごい見物客で、通る道も塞がれる状態だそうだ。そうそう、昔は12日の大松明の日でさえ、お堂の真下で見ることができたものだ。



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修二会の行の始まる前にすべての行中の灯明のもととなる一徳火が切り出されるが、ここでは一足早くライターが種火ではあるが(^_^;火をつけてみた。なにやら尊い。

こうして講の下支えなくば修二会は遂行できず、東大寺もお世話になってるわけだが、それに対して東大寺では各講に出向いて法要を行ったり、塔頭を宿舎として提供したりしている。そんな信仰に基づく密接な関係がこんなに長い間続いてきたことは奇跡としかいいようがないと思うのだが。だからこんなにもこの行に惹かれる人が多いのではないかしら。




若草山山焼き2020 - 2020.01.27 Mon

前に若草山の山焼きを麓で見たのは、しらべたら7年も前だった。その頃に比べてなんと人の多いこと!これは日本中の観光地でおこっていることだと思うけれど、奈良はもうちょっと静かでいてほしいなあ、、、と思う。



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春日大社の参道近くの飛火野、春日の大とんど
いわゆるとんど焼で、ここから山焼の種火をもらうわけだが、なんだ!?この人だかりは!
というわけで、せっかくの種火取り出しも人の頭で全然見えず。




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とにもかくにも、種火を持って金峯山寺の修験者の法螺笛とともに、春日大社、興福寺、東大寺の方々が若草山山麓をめざす。



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春日大社の摂社である水谷神社(みずやじんじゃ・子授けの御利益らしい)で種火を松明にうつすのだが、これも全く人の頭で見えず。煙が上がったのがみえるくらいで。



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行列より一足早く若草山の麓へ。中央に結界に守られた大篝火の準備ができて、人もだんだん増えてきた。



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山焼の無事を祈っておこなわれる山麓の野上神社での祈願祭典を見るためにそそくさと最前列へ。あの松明に火を移して山焼の火とするのだな。



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あたりが少し暗くなってきた頃、松明の行列がやってくる。



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東大寺修二会もそうだが、奈良は火の祭礼が多い。火を清浄のものとする、あるいは畏怖する、人間は畏れつつ限りなく火に憧れる動物ではないだろうか。



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そして火は美しいな。



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野上神社祭典
春日大社の祝詞もあれば、読経もある。まさにこれぞ神仏習合きわめつき。
玉串奉納には奈良市長までも参列されていた。



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山側には消防団の方々がスタンバイ、彼らの力なくして山焼は遂行できない。



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大とんどからもらった種火はここで大松明に移され、、、



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いよいよ若草山をのぼっていく。



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先ほどの大篝火に点火されたが、これも人の頭であまりよく見えず。7年前は楽勝だったがなあ。



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振り返ればすごい人になっていた。山の地肌が見えないなんてことは前なかったよなあ。



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しかし、ここから見る奈良の夜景は美しい。



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18時
花火打ち上げ

たしかに美しいのだが、これ、要るかなあといつも思う。
観光客受けはいいと思うし、迫力もあるんだが。



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正式行事となったのは明治以降で、夜行われるようになったのも明治後半と聞いた。そのあたりで宗教的あるいは民俗的儀式が観光方向に舵を切ったためついてきたオマケのような気がする。(そういうわたしはひねくれ者ですが)



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みんなが上を見上げて花火に気をとられている隙に消防団の人たちが点火用の松明を持って静かにスタンバイ。



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そして、いよいよ枯れ草に点火!
一大ページェントの始まり。



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山焼の起源には、興福寺と東大寺の領地争いとか、諸説あるけれど、私は山頂にある鶯塚古墳(牛墓古墳とも)からさまよい出る幽霊の魂鎮めという説が一番好きだ。



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九折山ともよばれる如く、三笠山とよばれる如く、若草山は三層になっている。その頂上に5世紀くらいの古い前方後円墳があって、誰を埋葬したのかは定かではないが、かなり大きな古墳らしい。
まだ行ったことはないが、二月堂の方から登れるらしい。(枕草子にも「うぐいすのみささぎ」の名前が出てくる)



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麓に居るとバチバチと燃える音がかなり激しい。
これも春をよぶ音の一つ。



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火は二層目へ燃え移ったようだ。
麓からはやや見えにくいので移動する。



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山の火が大篝火と重なって、これは何度みても心奪われる景色だなあ。

6年前は西ノ京からみたのだが、遠すぎて私のコンデジでは全くダメだった。今年は薬師寺の東塔の引家がとれたので、久々に東・西塔と山焼のスリーショットが狙えるとあって、薬師寺大池のあたりはカメラマンで大混雑したとあとで聞いた。



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偶然にもこの日は旧暦の新年、古い年の厄をすべて燃やし尽くして、新しい年がよき1年であることを祈る、と、自然に合掌してしまう。




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浮雲遊園から振り返ってはながめ、東大寺の交差点のところで最後に眺めて、若草山においとまを。



官休庵東京初釜2020 - 2020.01.25 Sat

裏千家雑誌「淡交」に「茶道心講」を連載され、ファンも多い岡本浩一先生にお声がけいただき、先生のお弟子さんご友人方々と、初めて武者小路千家・官休庵の東京初釜に行ってきた。

官休庵さんでは地元京都でも初釜をされるが、私はお呼びでないので残念に思っていたが、なんといううれしいチャンスであろうか!
官休庵は、若の宗屋さんが昨年ご結婚され、おめでたい雰囲気に包まれているに違いない。



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東京は道灌山にある武者小路千家東京稽古場
明治大正時代に実業家であった久米家の旧邸宅で、現在でも同家は武者小路千家の重鎮であるという。



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まずはお家元の濃茶席

広間に相伴席、襖が渦巻紋で、同じ帯を玄関さんがしていたので、これは流派紋のひとつなのかしら。(武者小路千家の好み紋だそうです)
当代お好みの緑漆+柱溜塗の真台子に皆具、床に武者小路五代の大黒さんの画賛、その下に緑(お家元は緑の色がたいそうお好みだと聞いた)の宝珠が熨斗アワビの上に乗り、諏訪蘇山青磁耳付花入れに紅白の牡丹(島根・牡丹で有名な大根島の)+古木となんとも華やかな室礼の中、長い長い結び柳がたれさがる。

お家元のお点前を拝見するのは初めてなのだが、なんとも豪快、それでいて柔らかい。やはり長い年月それに専心されてきた方のお点前だ。茶杓で茶碗のふちを打つとき、カーンと音がするくらいでどきどきしつつも小気味よい。
主茶碗がすてきなすてきな一入の黒楽、金継の上に鎹が2本打ってある。手に取るとずっしり重く、土色が独特。(後にこの茶碗の土は聚楽に備前の土を混ぜたものと聞く)
この茶碗にここで出会うのを楽しみにされている方も多いとか。
私は替の島台の金の方でいただいたが、銀の方が茶の渋でええ感じに色がついていた。毎年張り替えるとおっしゃるが、このままの方が味があってよいかも。

釜が六代の好みで、先ほどの先代の大黒画賛の一部の文字をそのまま釜に鋳込んだという呼応のしっぷりがいいな。初代下間庄兵衛作(江戸中期)
台子の天板に飾られた棗には「君が代」の楽譜が蒔絵してあるが、これはこの棗を好んだ先々代が、交流のあった小林一三翁の宝塚の楽譜(すみれの花咲く頃、、か?)を蒔絵した棗をみて感動して皇紀2600年(昭和15年)を記念して作らせたものだそうだ。棗一つにも歴代のストーリーがあって感動的。

お正客を岡本先生がされたので、しかもこの席が初釜千秋楽の席だったので、お家元もリラックスされたのかご家庭内でのプライベートなお話しも次々と出て、とても興味深く拝聴。
印象的なのが畳の話。昨年こちらの畳を全部替えはったそうだが、なんと一枚数十万という肥後表。最初固かったのが使ううちにちょうどよい弾力になって、長時間すわっていても足の痛め方がちがうのだそうだ。よい畳はそれだけの価値があって、すわってみないとわからないという話だが、昨今畳が一枚もない家が増えていることを思うと残念でならない。


さて、初釜のお菓子は決まっているのだが、、、

表千家は常盤饅頭
裏千家は花びら餅
武者小路はさてなんだろう???

とらや製の紅と緑2色のきんとん「都の春」
しかも中の餡の中に求肥がはいっているのは留め菓子(家元初釜以外の用途で作ってはいけないお菓子)なんだそうだ。これで問題一つ解決。



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濃茶席のあとは点心席
こちらもお家元好みの緑のテーブルクロスの席で。
奥様(松江 田部家ご出身)、ほぼ新婚の若奥様、のおもてなし。
点心は三友居で、煮物椀の中のカラスミ入り餅がとても美味しかった。宗屋さんものちにお酌でまわられて、若奥様は初めての初釜ご奉仕、京都、東京、と、さぞや慣れぬことにお疲れのこととお察し申し上げる。訪問着にちゃんと武者小路千家のツボツボ紋の三つ紋(五つ紋?)がすでについていることをめざとく確認。

点心の中に今年の干支にちなむものが一つ入っていますと、奥様。なんだろ?と思っていたら、ナマコのおろしがけ。ナマコ=海鼠であったか!

毎年違う意匠の杯でお酒をいただきお持ち帰りできるのだが、今年の杯は干支ではなく、令和にちなむデザイン。新しい天皇さまのお印である梓の枝に、令和の元となった和歌に詠われた梅である。これはいい記念になりそうだ。



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薄茶席は若の宗屋さんご担当

なんというか、お家元とは対照的なお点前、端整で美しく見とれてしまった。姿勢も頭もぶれずにぴしっと線がとおっているのな。お家元のは無駄な力が抜けて洒脱な感じさえして、世阿弥・風姿花伝の年来稽古条々を思い出す。

棚が緑の組紐に房が巻かれた、これは茶会でよく拝見する機会のある武者小路千家お好みの矢筈棚。棚の材によって格や巻かれる組紐の色がかわるという。初釜は格の高い矢筈で、のせる柄杓まで柄が塗になっているという裏千家の者にはめずらしいもの。

主茶碗が楽吉左衛門を襲名したばかりの16代(篤人さん)の赤楽。還元がつよくて赤と言うより灰色で、形は乙御前っぽく素直。次茶碗がお母上のご実家、松江田部家伝来の米俵茶碗。
私は三島写しでいただいたが、お隣の宗和流の方はかわいらしい鼠に宝づくしであった。



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さて、玄関に「半床庵」と書かれていて、あれ?半床庵って久田家ではなかったかな?と不思議に思っていたが、こちらの稽古場内に久米家が名古屋から移築した半床庵という茶室があって、建築年などは不明ながら久田宗全好みなのだそうだ。

この小間茶室、襖があいていたのでちらっと拝見した。一見、これお茶室、、、??というような間取りで頭をひねる。実際「天ノ川席」といわれ、左右にわかれた客の真ん中の畳でお点前するというかなり変則的な茶室。しかも一畳+台目畳2枚という、、、。中柱?っぽいところの棚の下に、水屋の簀の子の小さいが敷いてある。どうも点前の配置が理解できずじまいであったが、建水の水をここにこぼすようになっているとか。珍しい茶室を拝見できた。(ちなみに久田家の半床庵とは全く意匠がちがうらしいです)



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初釜ののち、これから反省会感想会をされるという岡本先生ご一行と別れて、私は東京駅へ。
いや〜、貴重な機会によくお声がけくださった。まさか官休庵の初釜に行ける日が来るなんて!と感激しつつ東都をあとにした。






芳心会・木村宗慎さんの初釜2020 - 2020.01.22 Wed

一昨年からご縁をちょうだいし、一日一菓でも有名なお茶人さん(説明不要かと、、、)木村宗慎さんのお社中、芳心会初釜へ今年もお招きいただいた。



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場所は大徳寺総見院(信長の葬儀を盛大におこなって秀吉が次の天下人であることを知らしめた塔頭、でも信長の遺灰はナイ)


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この日はなんと!
日程の都合上、一席のみ、しかも御連客の9割以上が宗慎さんのお社中の方々で、アウェイ感がものすごい(^_^; ただお正客がこの日のために選ばれたような皇室関係にお詳しい方で、お道具の説明があり非常によくわかったのはありがたかった。
というのも、今年は令和への御代の代替わり、茶会のテーマはズバリ皇室もしくは宮中のお公家さん。



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恒例の投扇興、毛氈が絞りにグレードアップ。みんなが扇を投げてぶつけたりしている屏風が、実は呉春の京都名所巡りの図だと知って思わず冷や汗。

待合の展観席では近衛信尹・三藐院の一首(読めそうでよめない、、、けど多分御代を寿ぐ感じか?)。寛永の三筆の一人であるが、署名が「関白信尹」とあるのを見て、お正客様が「信尹が関白だったのは1年くらいだからこれはとても珍しい。」とすかざすコメント。すごいわ。

さらに子年にちなむ子の日の軸やお道具の数々。瀬戸茶入が信尹の末裔である近衞豫楽院の箱。
面白かったのは三藐院の軸の下に置いてある白い木の箱。(本来は)柳の木を三角柱にして糸でつないだ柳筥(やないばこ)といって、宮中祭祀の時に天皇の分身でもある御衣を入れる箱なのだそうだが、これを上手に模した炭斗があって、こんな珍しいものは初めて。



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(末富さんの特注主菓子「丹頂」 丹頂と尾羽と嘴まであるという芸の細かさ)


香煎席では今年は中国茶。
一昨年は煎茶、昨年は紅茶ときて今年は中国茶。はやってるなあ。点前座の敷物が中国のミャオ族(現在はほとんど東南アジアへおいやられているが)のアンティークの布。よく見るとほんっと細かい刺繍がほぼ全面を覆っていて見事。
この席の渡唐天神は裏千家八代一燈のちょっとかわいらしい作。なんでも宗慎さんが最初に買われた(小学生くらいの時に?かも)お道具とか。
茶杯がかわいらしい古染、私のは安南のちっこいかわいらしい染付。こんなところにもコレクションのすごさが。お蔵のキャパが深くて大きい。



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いよいよ濃茶席
何が楽しみって、宗慎さんのいれられる花なんですよ。今年も期待にたがわずやってくれました。
竹一重切(だれの所持だったかちょっと失念)に緑の万年青の葉、真っ赤な万年青の実に、根っこが花入からはみだして竹にまとわりつくが如く。
その下に昨年も畏れつつひっくり返させてもらった春日散米折敷(応仁元年・1467年の朱書きあり)、その上に込藁、挿してあるのは稲穂である。先だっての大嘗祭を思い出させる室礼。

目を引くのが四季草花紋の蒔絵がゴージャスな棚で一番下に慳貪蓋がついていてここから建水を出す仕組み。なんでも平瀬露香所持の水指棚というそうだ。その華やかさに対してすっきり白い軟質白磁の筒型水指はオランダ。
主茶碗は後水尾天皇切り型の仁清、塩笥っぽい形で三玄院天目的な渋い色。裏に仁清の印あり。(印がないと修学院焼になるそうだ)
私がいただいた次茶碗は半使御本、花びら方のゆがみがあって綺麗な感じ。他に呉器など。
茶碗が仁清なので蓋置は乾山(仁清の仁和寺と乾山の鳴滝は目と鼻のさき)にしたとおっしゃる。

茶入がまた泣かせる藤重の中次。
焼け落ちた大阪城から九十九茄子茶入の破片を拾って漆で継いだというあの伝説的名人塗師。蓋をのせると一瞬止まった後ゆっくりとす〜っと落ちておさまる。これは下手に拝見すると痛めるので、お社中がお客なので宗慎先生の指導がとぶ(^_^;

なんでこんなすごいお道具が集まってくるのかなあ。
おまけに脇床には光格天皇の菊の御紋入りうがい碗(天皇が日常に使われる茶碗)まで!



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濃茶の後は点心席、瓢亭さん。
黒くて見えにくいが、お節三種盛の皿は持ち帰りできて、これもお土産になる。



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これで三枚そろった!
宗慎さんのお弟子さんの塗師・西村圭功さんの工房の「天雲」シリーズ。サイズは同じだが、少しずつテイストが毎年ちがう。



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宗慎さんが何回もお酒のお酌にまわられるが、この日は車ゆえ、泣く泣くご辞退。
ご郷里、愛媛の地酒「川亀」(川亀酒造)は同級生が継がれた酒蔵だそうだ。

瓢亭さんの三段弁当はいつもおなかいっぱい、これに蒸し寿司もつくのだ。朝抜きでくるべきだった、と、、、毎年言ってるな。

懐石の席の床の間には、昨年三十六歌仙展(京博)におでましされなかった斎宮女御の軸(江戸の歌仙絵の写しだったか?)



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毎回ハズレ(懐紙もらえるけど)の福引きも今年は「富」を引き当てて末富さんの薄紅いただいた。孤篷庵和尚様の御染筆のまくりを当てた方もいて、お社中に表具のプロもおられれば古裂やさんもおられるので、そちらと交渉して軸装されるのかな(^_^;
それにしても千家十職ならぬ宗慎十職みたいな職人さんがたくさんお社中におられてうらやましいことである。人徳、茶徳ですね。



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薄茶席のお菓子はこれも恒例、宗慎さんの故郷の松山西岡菓子舗の「つるの子」(郷土愛をひしひしと感じる)マシュマロのなかに黄色いカスタードがはいって美味しい。これが入っていた大きな銀の盆には菊の御紋章があって、ヨーロッパの骨董市で見つけられたそうだが、里帰りできたんだね。替菓子器が同じく銀器だがこちらは葵の御紋が。(ケンカしなければいいけど(^_^;)

床は大きな軸で「砌竹」の歌、熾仁(有栖川宮)
香合がこれまたびっくり!皇后様(現上皇后様)ご下賜のお菓子(花びら餅的な?)をそのまま漆で固めて、本来菓子に押されていた菊の焼き印を金蒔絵で描いたもの。どうみても元お菓子にはみえない。もっとも出たらすぐ食べてしまうようではダメってことね。下の古帛紗も現皇后様の装束の余裂でしたてたもの。ほんまに皇室コンシャスなテーマ、しかも全部ホンモノという、、、(;゜0゜)

ちなみにこちらの花はゴージャスな春牡丹に松の枝。花入れも負けずゴージャスな金襴手の大壺(これも三井家旧蔵とかいろいろご由緒が、、、覚え切れんかった)

でてくる御茶碗はそれぞれ由緒もあって良いモノ、私がいただいたのは永楽の紀州公拝領「河濱支流」の印のある大綱和尚手描きの打ち出の小槌付き、大黒さん、子年にちなんで。主茶碗は青木木米の御本立鶴写し、本歌より小さくてかわいらしい。
薄器が背伸びしたような甲赤棗。というのも上の面は甲赤だが、蓋の丈が本歌よりはるかに長く中次ぎっぽい。これも宗慎さんが西村圭功さんに依頼して作られたものとか。

皇室シリーズ極めつきは、、、、
大正天皇御大典の折の高御座の金具(筒状)を金メッキしなおして作ったという蓋置!ずっしり重く、畏れ多くもかしこくも、庶民がこんなん触らせてもらえるいい時代であるなあ、、、(* ´ ▽ ` *)

毎年思うけれど、道具組に隙がなくそれでいてほんわか優しい雰囲気の席をつくられる。今回たくさんのお社中の方とご一緒してお話しを聞いて、色々と、かなりうらやましかったですね〜。



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最後に「お酒お好きなのに」飲めなかったので、ということで川亀を1本下さったご配慮に感激!
純米吟醸生酒、すっきり系の美味しいお酒、さっそく自宅でちょうだいする。



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さらに「つるの子」までいただき、もう感謝感謝である。
初釜は翌日、翌々日も続く。お疲れだされませぬよう、来年も是非〜〜!






青い眼の竪者・ザイレ暁映師〜慈恩会竪義〜京終サロン - 2020.01.19 Sun

はじめて「竪義(りゅうぎ)」という言葉を知ったのは、昨年秋、4年毎におこなわれるという法華大会・広学竪義の日に比叡山延暦寺に行った時であった。竪義とはいわば口頭試問、僧侶がどれくらい教義を理解しているか受ける試験だと聞いた。当日は締め切ったお堂の外で声を聞いただけであったが、どういう試験なのか興味があったところへ、昨年11月、ドイツ出身の興福寺のザイレ暁映師が法相宗慈恩大会竪義に満行(合格)した、というニュースを聞いた。

そのザイレ師による竪義の講義と聞いては何をおいても行かずばなるまい(・Д・)ノ



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というわけで3回目になる奈良は京終(きょうばて、、と読むのよ)、京終サロンに行く。会場はならまちの南の端っこになる璉城寺。奈良好きや学術者やリタイヤ組やご近所さんまで、いろんな人がつどうサロンである。テーマも多岐にわたり面白いのだ。(京都まで帰ると遅くなるのが欠点)



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(サロンの日だけ大和野菜の販売あり)


ザイレ師の近年のご活躍は有名なので、お寺の座敷はいつも以上に参加者でぎゅうぎゅうであった。みんな竪義にも興味があるのだな、やっぱり。
ザイレ師はドイツハンブルグご出身、アメリカはバークレー校(世界的超一流校ですぞ)にて主に奈良仏教、南都仏教についてご研究、そのご縁でH20奈良に住み(龍谷大学客員研究員)興福寺、薬師寺の法要に在家で参加されていたという。



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H23興福寺の辻明俊師から竪義の童子にならないかという要請をうけた。辻師が竪義を受けるにあたってその前の3週間の過酷な前加行(ぜんけぎょう)の間、竪者(受験者)の世話をし、二人三脚で修行するのが童子だ。それを受けたために得度もし、その次の竪義、8年後、にとうとうご自分も竪者になられたのである。
(ちなみに法相宗では竪義を受けるのは約10年に1人くらいらしい)


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しかしながら、もとより南都仏教の研究者、鎌倉仏教論義のエキスパートであったので、経典の漢文は日本人の僧侶よりよほど解読できるとのこと。彼をして「外国人で初めて竪義を満行した」の外国人という形容詞はもはや不要と思われる。たまたまドイツ出身だった、という感覚だ。



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ちなみに慈恩会(慈恩忌11月13日)の慈恩とは、法相宗(興福寺、薬師寺、戦後脱退独立した法隆寺)宗祖、かの玄奘三蔵法師の弟子でその教えを解釈体系化した唐代の僧侶。竪義は他の宗派にもあるが法相宗の竪義は1000年以上の歴史があり、現在は興福寺、薬師寺交代で行われているとのこと。

ふつうなら見ることもかなわぬ行の映像やお話しをスライド写真を交えて拝聴、非常に興味深く面白かった。
なにより興味深かったのは、竪義に挑む前の3週間、こんな過酷で厳しい前加行という修行期間があったこと。東大寺修二会の2週間にわたる練行衆の行よりもさらに厳しいと思われる。



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三週間、横になって眠ることが許されない(座睡)、無言、別火(初日春日大社から浄火をもらう)、修行のために籠もる行部屋は畳半畳ほど、暖をとるための風炉釜・杓立てがあるのがちょっと気になった。食事は朝は粥、昼は精進でそれだけで終了、ザイレ師は体重が7kgもおちたそうだ。

そして竪義の内容はというと、経典(漢文)の丸暗記、ということらしい。その経典を書写・製本(!)するところから始まって朝に夕にひたすら覚え、さらに毎日講という小テストのようなものを受ける。早朝は11月に冷たい水で行水もある。



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その厳しい行のなかで気分転換?ともいえる堂参、または大廻り、というのが印象的であった。
つまり毎日90分ほど、大廻りの日は3時間半、奈良市内の神社仏閣(*)をぐるっと回って論義、読経、拝伏を、雨の日もただひとり童子だけを連れて無言で回るのである。

(*)中金堂、南円堂、氷室神社、浮雲神社、漢國神社、春日若宮社、榎社、その他13〜25箇所

外国人観光客などがなにをしているのか声をかけるときもあるが、「無言行者」と書かれた扇を広げて失礼する、もしくは童子が説明するらしい。これの英語版、中国語版がほしいとおっしゃってた(^_^;

11月7日から3日間、午後8時から後夜遶堂(にょうどう)、大廻りを夜間におこなうのだがこの画像がまことに美しかった。昨年春日若宮おん祭で深夜に近い春日大社参道を歩いたがほんと真っ暗なのだ。ここを童子が持つ提灯の灯りと月明かりだけで歩く。
氷室神社(奈良国博の前)では満月で月明かりにはっきり白く照らされた白砂とくっきりした影の中、論義を唱えると物理的に神様が目の前におられる、という感じがしたという。睡眠不足とも戦いながら勤める者だけが味わえる感覚だと思う。神々しいな。



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過酷な前加行ののち、いよいよ13日は竪義の日となる。行われるのは夜、法要のあと、竪者はよびだされ入堂、探題箱に入った木短冊(問題がかいてある)をあける。この時、「ああっ!なんというむつかしい問題!」と、後によろめくのがお約束だというのが面白い(^_^;
問答は独特の節をつけて行われ、「切声」というのが続に泣き節といって、声が裏がえり、竪者の苦しみがまさに泣くように聞こえるとか。これは聞いてみたい。

そして最後に精義という判定者が判定を行う。竪者は一生に一度しか竪義を受けられないのでこれは真剣勝負だ。そしてめでたくザイレ師は試験をパスされたのである。



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竪義とはなんであろう。
ザイレ師がおっしゃるに南都仏教は教学研鑽を重視し、これが修行そのものという考え方だそうだ。禅宗の僧侶が只管打坐するが如く、浄土宗の僧侶が念仏を唱えるが如く、まずは経典を丸暗記して、それを自分の物にする、修行を重ね仏道に到る道のはじめ、、、といったところか。

さて、私の拙い文章ではわからんところ、TLで波乗坊としてツイートされている辻明俊師の写真付きのツイートまとめサイトがあったので、載せておきます。この写真は必見よ!

波乗坊さんのTLまとめ




閑是night2回目〜今度は火鍋 - 2020.01.17 Fri

室町夷川、oriental tea house閑是さん、二回目の夕食



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表に表示も看板もないので、ご一緒した友人は一度は通り過ぎてしまったとか。
ひっそり静かな隠れ家的なご飯所。



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前回は麺類以外の点心を一通り全部試したので、今回は初挑戦の閑是おすすめ火鍋を。



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とってもスパイシーな赤い方と、枸杞の実が浮く白い方、こちらに菊花をまず散らしてからのスタート。

この二色の鍋、二河白道(にがびゃくどう)をなんだか思い出したよ(^_^;どちらも美味しい河だけれどね。




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今宵の鍋のお友は、丹波ワイン、スパークリングロゼ「てぐみ」
最初グラスにつぐと透明だが、発泡するに従って底の澱が浮き上がって不透明になっていくという面白いワイン。



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お鍋はお野菜、きのこどっちゃり、肉系は最初鶏肉、次に豚肉。



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つけるタレに自家製食べるラー油
これがスパイシーで美味しくて、これだけ食べてもお酒が飲めるという、酒飲みにはまことに危険なもの。



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あれこれおしゃべりしながらカロリーを消費したので(?)ふたりで食べた食べた。鍋だけでなく点心の三色シュウマイにあと小籠包まで!溶けるチーズの下にミニトマト、という不思議な味のシュウマイも美味しい。



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最後に鍋に香港麺(ひらべったい麺)まで入れて、最後はとうとう口にあふれる寸前というまで食べてしまった。あ〜お腹苦しい。でもほとんど鍋は野菜なので大丈夫、、、なはず(^_^;



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〆に冷たい中国茶を飲んで口中さわやかに、これにてお開き。

今宵も美味しゅう御座いました!





阿弥陀寺で初釜2020 - 2020.01.15 Wed

日日居さんで薄茶の初釜
その次は社中の初釜
第三弾、阿弥陀寺で、花月の会でお世話になっているR水先生のお社中とご一緒に初釜(*^_^*)




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暖冬でどこか長閑な春のような一日
ここ阿弥陀寺は寺町今出川をあがったところにあって、信長の墓所になっている。(ちなみに大徳寺総見院には遺骨はない)もひとつ、森光子さんのお墓もあるのよ。



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ここの茶室からは大文字が見える。



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客5人で席入り、席次は恒例のくじ引きで。
今年はお茶を始めてまだ1年というご年配男子のお正客。もし正客にあったたらいかんと一生懸命作らはったというアンチョコがたちまちお役立ち。



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懐石はいつもフレンチが御得意な奥様が作られる。
今年も美味しい。向付のサーモンマリネのレシピをしりたいわ。



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プリップリの蛸のしんじょうは初めて。たこ焼きを彷彿とさせてうまい。


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お正客は目をシロクロさせながら「千鳥の杯が何回読んでもわから〜ん!」とぼやいてはったが、そこは先生の御指導で。別杯お持ちだしまであったので、ちょっと混乱しはったかもしれないけど茶事の楽しさはそんなところにもある。



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主菓子は松江・風流堂さん(若草とか山川作ってはります)の「かぶら」
中立のご挨拶が、これは私もよくかんでしまうのだが「ご用意ができましたらお鳴り物などで」。お鳴り物なんて日常生活でつかわないものね。お正客さんがんばれ!



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後座

濃茶は紹鷗棚にて。
これが出てくるのは1年に1回あるかないかなので、扱いほとんどおぼえていないから、とても勉強になった。

茶碗がいままで見たことがないような色合いの高麗で、なんだろ?なんだろ?と思っていたらさすが、陶芸家でもあるお正客さま、一目で見抜いて面目躍如となりました(^.^)(詳細はナイショ)
これは一から高麗茶碗勉強しおさんとイカンと私は思った次第。



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後炭も拝見して、薄茶の干菓子はめでたい七福神の落雁



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今年は十日戎に行き損ねたので、ここでえべっさんを選んだよ。



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二服目は全員で交代で点てて、初点てもできた。

ほとんど新人の(茶事デビューの正客デビューという、、)お正客さまを全員でわいわいサポートするのも楽しかった初釜だった。R水先生に感謝!



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恒例の福引きでは今年数寄屋袋を当てた♪
そろそろ今のが(母のおさがり)すりきれそうなので、これもありがたし。



(初釜シリーズはまだまだ続く、、、、体力と財力の続く限り、、、、(^_^;)



日日・冬夏〜中里太亀展 - 2020.01.13 Mon

御所東にあるギャラリー日日さんへ、一度行きたいと思いつつなかなか機会がないのであった。
美術雑誌「目の眼」最新号のコラム「京都迷店案内」に取り上げられていたのと、昨年唐津やきもん祭に行ったとき、洋々閣で開催中だった中里太亀さん個展に行ったご縁で、こちらで正月明けにされる展示の案内をいただいたことに力をもらって、ようやくたどりついた。



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行ってみればお気に入りの器・雑貨その他のお店kitさんのほん近く(京都人は「ほんねき」と言う。これは慣れない)でびっくり。
このあたりにまだたくさん残っている仕舞屋のお家で、なんでも明治〜昭和初期に活躍した日本画家・西村五雲の旧宅であったという。




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玄関に、いただいた太亀さんの案内葉書と同じ物が貼ってある。
「茶」の文字だが、よ〜く見るとこのようなことになっている。



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おお〜!文字面を見るだけでヨダレがでそうである。

玄関を入ると小上がりに、床まで届く長い日蔭の蔓が飾ってあった。
日本間の広座敷がギャラリーで、太亀さんの作品が畳に棚に並べられ、いずれも手に取ってじっくりと拝見。
唐津自体が多彩な焼物なので、太亀さんの作品も絵唐津から斑唐津、朝鮮唐津、またルーツの高麗茶碗系さまざまである。
唐津は代々中里太郎右衛門さんのお膝元なので、中里姓の陶芸家がたくさんおられる。太亀さんは先々代の太郎右衛門さんのお孫さんに当たる。(父上が中里隆さんで12代太郎右衛門さんの五男)



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(こちらは併設の茶房・冬夏の坪庭)


座敷から見える手入れの行き届いたお庭も楽しみながらゆっくり拝見。太亀さんの汲み出しでお茶もいただきつつ。

ギャラリー日日はもともとドイツの方が開かれたギャラリーで、現在はパートナーの奥田さんが中心となって五年前にこちらで開かれているそうだ。シンプル、ミニマムな室礼に展示物が映える。



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太亀さんの作品を購入した後は玄関脇の三畳くらいの部屋に作られた茶房、冬夏へ。

荘子に曰わく「受命於地 唯松柏独也在 冬夏青青 受命于天」が由来という。節操が固くどんなときもかわらない、、という意味らしい。
栃の木のカウンターテーブルに椅子というこちらもミニマムな室礼。



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ここに入ってまず目を惹きつけたのは黒い布の壁にひとつだけ飾られたゆがんだ根引き松。
このアレンジ、どなたがされたのかすごいな。普通ゆがんだ根引き松って使おうと思わないもの。



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メニューは無農薬栽培の煎茶、焙じ茶など、お菓子付き。
在来種の煎茶を選ぶ。目の前でゆっくりと、湯冷ましをするところから一煎目、二煎目をいれてくださる。茶房のスタッフさんはお茶の勉強をはじめたばかりで、お客さんから学ぶことが多いとおっしゃってた。
茶器も作家さんのもので、栗の木をくりぬいた茶筒(中蓋も刳物)に萌えた。



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ちなみにお茶はまさんど窯のあるあの朝宮(信楽)のお茶であった。
在来種なので、どっしりとした野生のかおりがする。


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時間をかけて丁寧に目の前でいれてくれるお茶は美味しく、待っている時間も楽しみになる。思いもかけず長い時間をここですごしてしまった。
(これに刺激をうけ、帰宅してから久々に玉露をゆっくり煎れてみた。)



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お菓子は薯蕷、洋菓子系、とこのカカオの三種類から選べる。
カカオ80%以上のオーガニックチョコレート。たくさん採れない貴重なハワイのカカオだそうだ。



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持ち帰った太亀さんの作品。
本来落としもついている花器だが、火入れにしようともとめたものと、焼き締めの蓋置、この渋さが気に入って。




七草粥・白馬節会のはしご〜西院春日神社と上賀茂神社 - 2020.01.11 Sat

四条通りを西へ、西大路と交差するところが西院。

ふだん京都人は地名として認識しているけれど、なんで西院か知っている人はどれくらいいるのだろうか。(先日地下鉄御陵(みささぎ)駅が天智天皇御陵にちなむことを初めて知ったし(^_^;)



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阪急は駅名が「さいいん」だけれど京福電車は「さい」になる。
淳和天皇(桓武天皇の三男〜平城→嵯峨→淳和)退位後の離宮があった場所で、御所の西の宮だから西院とよばれるようになったとか。また、このあたりかつては庶民の葬送の場所だったため、賽の河原の音からという説も。



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西大路の1本西の通りが春日通り、別名(というか本来?)佐井通りというのも「さいいん、さい」からきているのだったか。なにげに使っている京都の地名は深すぎるわ。



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西院春日神社
ここで7日、七草粥がいただけるとのことで出かけたが、西院はなじみがあるものの、実はこんなところに神社があるなんてしらなかった。



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淳和天皇が西院離宮を営むにあたり守護として春日神をここに勧請したという。巫女さんの髪飾りが春日大社と一緒の藤の花だし、社紋が下り藤なので、おそらく天皇の母が藤原氏出身ということと関係しているのだろう。

(淳和天皇は諱が大伴だったため、これに遠慮して大伴氏が伴氏に改姓、のちに天皇の後継を争った承和の変で藤原氏に失脚させられたのは因縁めいている)


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雨なので、例年より人出が少ないと地元の方が言っていた。
七草粥は300円、番号札をもらってよばれるまで待つ。



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肌寒いので古いお札焼きのたき火がありがたい。



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三々五々途切れずに参拝客は来るので、七草粥ご接待の巫女さんも走る。



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ほぼ毎年来ている地元の方が多いとおみうけした。
地元密着の神社って好き。特にここのように京都の西の方はまだこんな感じがたくさん残っている。(東は観光者向けになっているところが多い)



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おそらく近年本来の用途では全く使われていないと思われるが能舞台もある。



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社内摂社の還来神社(もどろきじんじゃ)
文字通り旅から無事帰るよう、旅の安全のご利益があるそうで、旅にちなんだわらじがたくさん奉納されていた。なんとなれば大津にある還来神社の御祭神は淳和天皇の生母、藤原旅子、それを当地に招来したものと思われる。



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奥にはひっそりとお稲荷さんとかの社があってトトロの森っぽい(^◇^;)



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ちなみに本殿には小さい白馬の像が飾られている。
1月7日は白馬(あおうま)の節会だから。これに関しては次の上賀茂神社でほんまもんの白馬見たので、そこでまた。



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やっと順番が来ていただく七草粥は熱々で冷えた体も温まる。小芋つき。これで無病息災。



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西院を四条通に沿って東に行くと、ここにも淳和天皇ゆかりが。高山寺
上皇亡き後皇太后が出家してこのあたりに作った寺がもとになっているといわれる。葬送の場所であったこと、西院の音が賽の河原に通じることで、現在は地蔵信仰のお寺になっているらしい。



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さて、七草粥のはしごで上賀茂神社へ。


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こちらは迫力ある大木(倒木か)を景気良く燃やしている。



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たま〜におでましになる神馬・神山号(こうやまごう)も白馬節会だからきっとおでましだと思っていた。参拝客から人参をもらってご機嫌♪



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こちらの七草粥は500円。上賀茂神社崇敬会婦人会の方々が作っておいでだ。



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近頃は七草がセットされたパックも売られているので、自宅ではそれですませた。すずな、すずしろはわかるにしても、あとどれがどれなのか実はよくワカラン(^◇^;)



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こちらのはお餅入りでご当地名産のすぐきがついている。お粥でも二杯+餅だとけっこうお腹がふくれる。


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そして狙わずに来たが、ちょうどいいタイミングで白馬(あおうま)奏覧が。
(神事は午前中だったらしい)
さきほどまで参拝客からもらった人参を機嫌良く食んでいた神山号、神主さんに先導されて社の前をぐるぐる。



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おじぎもちゃんとするのね。

もともと宮中で1月7日に行われていた白馬節会を起源とする。かつてはほんまに青馬(青っぽい黒毛)だったらしいが、醍醐天皇のころにいつのまにか白馬にすりかわったらしい。名前だけ「あお」が残る。

もっと起源の中国では青=春の色、で馬は吉祥の動物なので春に青馬を見ると縁起がいいということらしい。(ちなみに白にすりかわったのは、ちょうど大陸文化の影響が薄れた時代で、日本人の白=清浄という感覚からという説も)



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神山号が立砂のまわりを歩いた足跡。


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肌寒い雨の日なので参拝客も例年より少なくゆっくり散策。



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御手洗川の水も濁りがち。



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おみくじを結びつける立砂もどきの竹の円錐もオブジェっぽい。



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もひとつ行きたかった、昨年出来たばかりの神山湧水珈琲へ。




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社務所のお隣にひっそりとあるこちらは、上賀茂神社を流れる神山湧水を使った味の素AGFプロデュースの珈琲スタンド。



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天気のいい日は境内の憩いの庭はじめあちこちで味わえるが雨の日はね〜、、、屋根のあるところですするしかない。まあ美味しくってあたたまったけれど。(ちなみに和菓子付きの和菓子って神馬堂の焼き餅なのね)






異界っぽい(^_^;初ガラクタ市2020〜東寺 - 2020.01.09 Thu



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初弘法は21日だが、それより前に第一日曜日の初ガラクタ市へ


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弘法市に比べると飲食店もないし、テントの数も圧倒的に少ないけれど、それゆえにゆっくりじっくり見て回れる。



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東寺もお正月モード



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さて、ガラクタ市、その名の通りどちらかというと「ガラクタ」っぽいものが多い。アンティークの店もないではないが、ほとんどこれ売り物なの???というような、よく言えばブロカンテ、悪く言えばガラクタのお店が続く。しかし、これがまた異界をのぞくようで楽しいのだ。



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では早速異次元界への小旅行開始!



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銅鑼〜中立後、後入りの合図の鳴り物
茶事で使うので茶道具と言えば茶道具だが、けっこうええ値段ついてる。新品で1万ほどだがこれに2万5千。買う人おるのかな?



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釜に火箸に鐶のセット
もれそうな釜だが大丈夫か?
それよりとなりの「新品靴」の中身が気になる。



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ディ○ニーキャラクターのこれ何?
鉛筆の先っぽにつけるやつ???
「2020」のディスプレーが泣かせる。



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これは能衣裳の大口(袴みたいなもの)と見た!
すり切れ具合がまたなんとも、買う人あらば何に使うのか知りたいような。



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この日はけっこう肌寒かったので、お店の人も自前の暖房器具持ち込み。
国宝どっちゃりの横で火を使ってもいいおおらかさが市の魅力。



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3000円の値札のついた商品を手に取った客に、
それ2000円でどう?
いや〜いらんわ
じゃ1000円にしとくわ。

なんやねん、そのいい加減な値段のつけかた!(^_^;

しかし、こういう市でほんまのガラクタにまじっている宝物を見つける無名舎の吉田孝次郎先生みたいな方もおられるからな。眼力がないとどうしようもない。箱書きにたよる自分の眼力のなさが情けないと、思いつつ。



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なにこれ?売り物?



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このあたりになってくるとかなりアヤシイ雰囲気が漂う。
つげ義春の世界っぽい。



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このあたりはうちら世代ではリアルタイムに知っているおもちゃとか。



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びよ〜んびよ〜んとゴムで上下運動をするパンダの人形
なんや懐かしい。パンダが上野に来たの70年代やったなあ〜(年ばればれ)



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橋の擬宝珠ですよね?
何に使うの?買う人いるの???こんなものまで売るの??



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プラスチックの安っぽいお盆も無駄な装飾のホーロー鍋も昭和や。使ってたわ私。



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統一性って何?というようなカオス


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ラ、、ラ、、、ランドセル?!
ついにここまできたか。


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この厨子に入ってはった仏様はどこへおいでになったのやろ?
あら、ええ小物入れやわ、、、って買っていくんかな。



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病院(膿盆)と床屋(髭剃り用カップ)と茶の湯がケンカしとるわ。



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ふ〜、、、
あまりの混沌ぶりに国宝五重塔を拝んでクールダウン。
結局戦果ゼロであった。まあ眼力がないのもあるけど。


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でも、ああ〜おもしろかった!!
東寺の南門前で絵になっているアオサギを写真におさめて、また日常にもどろう。




年に1回・年末のお稽古と家族初釜 - 2020.01.07 Tue

今年も年末おしつまった大晦日に、年に一回のお茶のお稽古@陶々舎



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E子先生のところへ、駆け出す孫1号2号



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床はもうお正月の室礼
日蔭の蔓を舎主が毎年どこかから調達してきはる。かっこいい。



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もう3年目になる孫1号
始めたのが5歳、昨年は両手で帛紗をたたんだが、今年は本格的な帛紗さばき
これが一番むつかしい山かもね



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昨年はオブザーバーとして参加、今年は5歳になるのでお稽古はじめた孫2号



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茶筅ふるのだけは家でやっているから得意

1年に1回しかいけないので、なかなかものにはならないが、小さい子に教えるのが上手なE子先生の御指導よろしく、さらに柔軟な若い頭でそれなりに残る物はあるようで感心する。
お茶会で活躍してくれとはいわない。将来大人になって、そういえばばあちゃんとこんなことしてたな、と思い出してくれればいい。茶席に行くことがあれば、なんか懐かしい、、と思ってくれればそれでいい。



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帰りはお約束の今宮神社へお参り
年末はあぶり餅が食べられないので(正月までかざり屋も一和も長期休業)、昨年は夏にわざわざ食べに連れて行った。美味しかったそうである。



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さて年が明けて、平安神宮へ初詣
すんごい人
団体さんが旗たてて来てるもんなあ。正月くらい地元の神様んとこ言ったら?とついいぢわる言いたくなる。


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初詣のあとは恒例の家族初釜
子供受けしそうなお菓子を選んでおいた。



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今年は息子のお嫁ちゃんも、孫3号(1歳児)も参加したのでぎゅうぎゅう。
にぎやか。お茶するのは私だけだが(1号2号はまだまだ)それでもちゃんとつきあってくれるのがうれしい。



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とうとう今年は孫1号が私のぶんは点ててくれるようになった!
めでたい!!



10年ぶりの薬師寺・東塔 - 2020.01.05 Sun

10年ぶりにあの「凍れる音楽」といわれた東塔の姿を拝める。



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平成21年から史上初めての大々的解体修理に入った東塔は、長らく覆屋におおわれてその姿が見えなかった。



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薬師寺のある西ノ京は東大寺や興福寺、春日大社のある奈良公園方面からちょっとはずれている。このひなびた感じが好きである。


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大修理に入るので、この姿を見られるのは約10年後、といわれて何回も見に来たあの当時、まだ京都移住の前だったなあ。あのころ、10年先はどうなっていると思っていただろう。



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覆屋がとれたのは一月ほど前だったか。ネットの動画で覆屋がゆっくり横にスライドして次第に東塔が久々にその姿をあらわす様子を見て感動した。
落慶は四月末らしい。



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白鳳伽藍に入ると、おお〜見えてきた!見えてきた!
10年ぶりのお姿!
やはり薬師寺には東塔がなければ。



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美しいシルエットは1300年前と変わらぬであろうか。

天平2年(730年)薬師寺唯一の創建当時(飛鳥からの移転)の建築物、もちろん国宝。




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リズミカルな裳階を持つ三重塔
瓦も葺き替え、壁も塗り直したそうだ。



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ああ、やっぱり美しい。

  ゆく秋の大和の国の薬師寺の 塔の上なるひとひらの雲 (佐佐木信綱)

この歌の景色はやはりこれでなければ。



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飛天が舞う水煙

このモチーフ、初めて私が奈良に出会った6年生の時の修学旅行のしおりの表紙を飾っていた。それに導かれてとうとうここまできちゃったな〜。



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こちらは今は亡き高田好胤師の情熱で、写経納経勧請により昭和56年に再建なった西塔。
まだまだ朱と丹が新しい。



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久々の東西塔のツーショット!こうでなくちゃ!
前のテント(護摩供養中)が若干お邪魔虫だが。

しかし、彩色は別として、同じ造型ながら東塔の方がやはり心震わせるのはなぜだろう。


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金堂で正午の新年法要に参加。
三が日にわざわざお参りしたのは、三が日の三日間だけ国宝「吉祥天女像」が拝めるからなのだ。



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ご本尊の薬師三尊像の前の厨子に、思ったより小さくそして思ったより鮮やかな天女さまは美しく、尊い。裳裾にまとわりつく薄衣がはためくような心地がしたよ。



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せっかくだから玄奘三蔵伽藍の写経道場で今回も写経を。



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掛袈裟を掛けて丁字を口に含んで香象(香炉)をまたいでゆっくり写経を始める。
静かで、自分の思うこと=心と対話できるひととき。



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まあ、相変わらずの金釘流で(^_^;



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写経するたびに印を押してもらう。スタンプカードみたいで、ついコンプリートしようと燃えてしまうのは人間の性かねえ。



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新春の写経なので、特別に大福茶と、お菓子抹茶のご接待があった。
この茶碗は改修中出た東塔の基礎の土を練り込んであるとか。なにやらありがたい。



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写経道場を出て、振り返れば東塔
無事に10年生き延びてさいわいにもまた拝見できたことに感謝。



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恒例の、ならまち樫舎さん製だけれど薬師寺でしか買えない葛の干菓子「白鳳の飛天」を求めて帰路に。



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でもせっかく奈良に来たんだし、近鉄奈良まで行って、ことのまあかりさんで、きな粉雑煮をいただく。味噌汁のなかの餅をとりだしてきな粉につけて食べるという奈良地方の雑煮なんだって。初めて知ったわ。





冬の山科疏水を歩く - 2020.01.03 Fri

明けましておめでとうございます。
新春早々地味〜な話題をおとどけします(^_^;


大津から蹴上までひかれた第一琵琶湖疏水の山科北部をとおるパートを山科疏水、あるいは山科運河とよぶ。
一昨年、昨年と桜の季節に、この疏水を大津から蹴上までボートでくだるびわこ疏水船を楽しんだ。その時に運河から眺め上げる疏水縁の散歩道をいつか歩いてみたいと思っていた。秋に毘沙門堂へ紅葉を見に行った際、疏水縁の道をみつけておいたので、年末のちょっとした時間を利用してでかける。



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スタート地点は毘沙門堂へ行く途中の、疏水諸羽トンネルをでてしばらく行った府立洛東高校の前から。しかし、ここあたりは桜紅葉の名所なのに、さすがこの季節はなにもない(^_^;



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みわたせば 花も紅葉もなかりけり、、、(定家)

が、紹鷗の説く佗茶の精神というし、私は冬の京都がたいそう好きだし。
さあ、どんどん西へ、蹴上方面へ歩こう。


ちなみに春の景色はというとこんな感じ↓



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一昨年、桜のベストシーズンに幸運にもびわこ通船の券がとれたときのもの。これは安祥寺の船溜まり辺りの景色。



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山が近いので、野鳥の声がかまびすしい。
たまに疏水縁に姿をみせてくれる。これは尾長かな?
この場所はバードウォチャーにおすすめ。



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しばらく行くと安祥寺がある。平安初期に建てられた真言宗の古いお寺だが、あいつぐ戦火火災などで廃れ、土地の多くを毘沙門堂門跡に譲渡したという。現在は江戸時代再建の数個のお堂が残るのみで、今は非公開。




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門のそばには八朔?夏蜜柑?がたわわに。



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さらに西へてくてく。
このあたりは山の気が強い。



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この日は典型的な冬日和で、雨が降ったかと思うと急に晴れたり。傘をだしたりひっこめたり忙しい。ぬれた落ち葉散り敷く道はあやうくすべりそう。
道中だれともすれ違わず、「イノシシ注意」の看板に若干ドキドキ。



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見晴らしのいいところにでると山科の町が見通せる。疏水はかなり高いところを通っているのがわかる。(山科は東山が西にあるので京都ではないといういぢわる京都人もおるけど(^_^;)



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おっと!でっかい青サギ。
もっと近くで写真撮りたかったがさすがに逃げられた。



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たゆたう水は遙か琵琶湖から山をいくつも超えて、先人の知恵と技術と情熱の結晶として流れる。



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疏水にはいくつも対岸にわたる橋があって、疏水通船など舟がこの下を通るわけだが、そのために橋は一段と高くなっているので、このように三角形の階段がついているところが多い。これは5号橋かな。



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さあ、さらに西へ西へ
ますます人の気配がなくなってきたぞ

左手のうっそうとした森が天智天皇陵だと、通船に乗っているときに聞いた。というので遥拝するためにここで一度疏水からはなれる。



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どんどん下る道を行くと民家も見えてきて、、、



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あら!いつのまにか三条通りに出るではないか。
もしかして、、もしかして、、、三条通りを走る地下鉄の駅名の「御陵(みささぎ)」って天智天皇御陵のこと?!しょっちゅう前は通っているのになんと今までそれに気づかなかったとわっ!!



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大化の改新〜最近では乙巳(おっし)の変というらしいが、それを成し遂げ天皇中心の中央集権体制をとりもどそうとした天智天皇は大津京で崩御された。御陵は奈良にありそうな気もしていたが、大津京だもんね、やはりこのあたりか。



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やすみしし わご大君の かしこきや 御陵仕ふる 山科
   鏡の山に 夜はも 夜のことごと 昼はも 日のことごと 哭のみを 泣きつつありてや
        ももしきの 大宮人は去き別れなむ  (額田王・万葉集)



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疏水縁にもどると御陵の囲いとしての石の柱が並ぶ。



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あ!
初めて人に遭遇!
ご近所のおばあちゃんのようだ。



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山科疏水の唯一華やかな朱の橋は本圀寺へ到る、、、



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名を正嫡橋
なんとなれば14世紀、時の天皇から「正嫡付法」の綸旨を拝領した寺だから。
(意味はあまりわからん、、、)



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山科のこんな田舎に(ゴメン)こんな大きなお寺があるなんて知らなかった。
なんでも日蓮宗の大本山の一つらしい。



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茶藝閣ってなんかお茶でもでるのかしら???



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本堂脇の日蓮様
このお寺はもともとは六条堀川楊梅町にあったそうだが、ここへ移転したのは昭和44年と意外と新しい。



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この落ち葉の道にすっかりなじんでしまったが、秋や春はどんなにかきれいかしらん、、、とやっぱり桜紅葉も見たくなってきた(^_^;



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そろそろ山科疏水とお別れ、疏水は洞門へと流れ込む。
これは日本で一番古いコンクリートアーチ橋。明治37年架橋。
山ノ谷橋、黒岩橋、10号橋とも。
(もっと蹴上寄りに明治36年に掛けられた11号橋があるが、これはデータをとるためのパイロット橋であったという)


ここを南に折れて地下鉄御陵駅をめざす。


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御陵に出る前に国の有形文化財指定の栗原邸(旧鶴巻邸)がある。時々一般公開されているらしいが、昭和4年竣工、本野精吾設計モダニズム建築だそうだ。機会があれば一度中へ入ってみたい。



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ついに三条通り、地下鉄御陵(みささぎ)駅に出る。
もう忘れないよ、御陵が天智天皇御陵であること。

全行程約2kmほどかな。寄り道しつつも2時間あれば。





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