伏見・酒蔵を歩く - 2020.02.28 Fri

伏見は酒所、そしてまだまだこんな町並みが残っている町だ。
洛中より遙かに風情がある。そう思って酒蔵が続く町並みを想像してしまうのだが、、、
現在の酒造りは樽の代わりにタンクがならぶ近代的な造酒所になっているので、これも時代のせいかとアレレと思う。
伏見の酒について、その歴史と現存する酒蔵(というか醸造所)探訪、という企画をMSさんとアマチュア民俗学者Nさんがつくってくれたので、それに参加。総勢5名の伏見酒蔵町歩き、まず最初の酒蔵は金鵄正宗。キンシ正宗といったほうが通りが良い。洛中に堀野記念館として屋敷跡をみることができる。
これは以前蔵の中を拝見させてもらった(☆)ことのある、女性杜氏でも有名な招徳酒造だ。ほんのり甘い麹を味見させてもらったのはうれしかったなあ。
そこから伏見にあるMSさんのお宅で、おやつを頂きながら、まずは伏見の酒の歴史についてNさんの講義を聴く。
江戸初期、江戸での酒の需要が爆発的に増え、それまで消費されてきた灘の酒だけではまかなえなくなったため、伏見の酒が江戸に市場を得たそうだ。さらに参勤交代で大名の伏見屋敷が設けられたことでさらに需要はたかまり、伏見は一大酒造地となった。
いくつもの蔵が出来、他所からの流入もあったが、戦後しばらく日本酒にとって冬の時代が続き、たくさんの蔵元が廃業するにいたった。しかし近年日本酒の見直しとともに、生き残った蔵元は息をふきかえす。
お話しの後、再び町歩き
雰囲気のある玉乃光酒造さん。
その風情のある建物の横に近代的タンクがあるのがこの時代(^_^;
けれど麹を包む布が洗って干されてる風景にはなごむ。ちゃんと「麹」と書いてあるし。
これは蔵をシェアされているのだろうか、共同酒造さん(代表銘柄・美山)と松山酒造さん(明君)
いずれも月桂冠グループ。
奥の方をのぞくと、ああ、蔵が見えた。
伏見は細い道が縦横無尽に走っている感じで交通量も少なく、のんびり歩くのにちょうどよい。町家もたくさん残っているしこれを見て歩くのも楽しみ。
この近未来感のあるタンク群は宝酒造さん。代表銘柄は松竹梅は甘口のお酒、もともと灘の銘柄だという。こちらの”ももやま白酒”は大好きであったが、残念ながら最近はほとんど手に入らない。
ぼちぼちお昼時となったので、MSさんおすすめ、伏水酒蔵小路へ。
ここにはたくさんの店がはいっていて、フードコート形式だがとにかく広大でウナギの寝床、奥が深い。
なぜか諫山画伯の絵をここで発見!
(ライブペインティングのイベントがあったらしい)
ここで18種の伏見のお酒テイスティングセットという夢のような(^_^;セットがあって、みんなで手分けして?いただく。このあたりからそろそろ本来の目的を忘れて酒飲みに走ったような、、、、(^_^;
こちらは一度来たことのある黄桜酒造のキザクラカッパカントリー
中ではお酒とアテのイベント開催中。(コロナ騒ぎで縮小らしいが)
ここにはかつての酒作りの道具が展示されて、かつての技術や歴史が学べる。
昔は農閑期の杜氏さんが越後や丹波、但馬からきて、冬の間に酒を造る寒造りだったが、今は温度管理も機械がするし、四季醸造(一年中酒造りができる)だし、杜氏も酒造会社の社員なのである。
カッパカントリーの向かいにまたこれは立派な建物が、、、と思ったら、
東山酒造(代表銘柄・坤滴)さんだった。ここは黄桜グループになるらしい。
蔵元らしい建物で、中をのぞいてみるとすっかり機械化されて稼働中であった。
突き当たりが伏見のご飯処としては鉄板の鳥せいである。もともと山本本家(代表銘柄・神聖)の蔵だった建物を改修したもの。右手にあるのが、、、
その山本本家さんの蔵である。
実はこの日に決めてくれたのは、伏見銘酒協同組合の蔵開きがあったからなのだが、このように残念ながら中止。
鳥せいさんのお向かいの甘味処・寺嘉さんで休憩。
フルーツサンドや出汁巻きサンドが名物らしいが軒並み売り切れ、みんなでアイスを食べる。
お向かいの左手、鳥せいさんでは白菊水といって伏水をわけてくださるのでみんなタンクを持って並んでいる。
店内は古い町家だったらしく、室礼が良い感じであった。
私は焼き芋アイスで、焼き芋味のアイスかと思ったら、熱々の焼き芋にバニラアイス、溶かして食べると美味。
さて、伏見に来たら観光客がまず行くと思われる月桂冠大倉記念館
言わずとしれた月桂冠は創業賀寛永14年(1637)と間違いなく伏見最古の蔵元である。しかも日本で初めて日本酒の瓶詰めを開発したり、四季醸造を初めてはじめたのもここなのだ。
入場料が必要なのと、みんな一度は来たことがあるので、お土産(酒粕飴、好きなのこれ)だけを買って出てくる。
堀の向かいからみた月桂冠の蔵の景色。
ここは島の弁天さんで有名な建長寺もある。
遊郭のあった中書島の一画にあり、壁も中国風山門も朱塗りでどこかなまめかしい雰囲気。この周辺には元遊郭だったとおぼしき雰囲気の建物もいくつか残っており、時がとまったような気さえする。
勝手知ったるMSさんにこんな迷路のような近道をおしえてもらう。いや、深いわ、伏見。
本日の講義のおやつをMSさんが用意してくれたところの羊羹は、こちらの伏見駿河屋さんの。なかなかいい雰囲気の古い建物。そしてここの社長が酒まんじゅうを作るときに買い出しに行くのが、、、
近くの北川本家のお酒、富翁である。
ここでは量り売りもされていて、さながら徳利を抱えて酒を買いに来た昔を彷彿とさせる。
さて、そろそろ陽も傾いてきた。三十石舟や十石舟が走る堀をわたって、、、
これぞ the 伏見!
ツアーカタログにもかならず載っているという風景、松本酒造(日出盛・桃の滴)さんである。わ〜、いいなあ、このフォトジェニックな建物!この日は空の色もよかった。
よくカタログなどに載っている写真は菜の花が前景にあるのだが、河原にはまだちょぼちょぼなんで、、、、
苦労して撮った一枚がこれ(^_^;
最後に向かったのが藤岡酒造さん。
いまでこそ蒼空が有名であるが、かつては万長というお酒で、これは学生の時にお世話になった万長酒場を思い出させるのだが、他の人は誰も知らなかった。ジェネレーションギャップか。
蒼空にもいろんな銘柄が。ボトルもおしゃれである。
最後にみんなでここで一杯飲んで締める。私は純米美山錦の蒼空。
ここはアテが美味しくて、(酒盗かけクリームチーズ、山ウニ豆腐など)すっかり腰を落ち着けてしまって、最後にしてよかったね〜と合意したのであった。
帰って今日歩いた歩数を見たら16000歩で9.5km!とあってビックリした。どうりで足がいたいはずだわ。MSさん、Nさん、ありがとうございました!
梅見の夕ざり茶事2020 - 2020.02.25 Tue
久々(昨年11月以来)の自宅茶事、今回は東京のお茶友さんをお招きして、、、
梅見の茶事を

玄関は梅をすっとばして桃!
伊賀の花入に。これ口が小さくて、枝元を削って押し込んでるの。
寄付は、旧暦の初午はまだだったからなんとか間に合うかとお稲荷さんで。
ちなみに狐のお面は、朝ドラ「スカーレット」で絵付け指導されてる諫山画伯に昔頼んで作ってもらったもの。
待合
今年は暖かすぎて、大火鉢とうとう出さずじまい。瓶掛けを火鉢に。
待合のお軸の下には天神さん
北野天満宮で手に入れた物でたぶん伏見人形
躙り口の前の白梅がちょうど盛り
毎日メジロが蜜を吸いに来ている。
↓ ちょっと前の画像だけど
今回は女子ばかりだったので、向付もかわいらしく女性陶芸家・宮岡麻衣子さんの小皿シリーズで。
煮物椀は先日の東京茶道会館の煮物椀をちょっと真似してみた。蕪入りの鶏肉のそぼろ汁になりま〜す。
杯も梅見
杯は大中小、裏千家のとりかただと(下の杯から取る)ちょうどお客様のお酒の好き度にぴったり!合ってて我ながらグッジョブ!
夕ざりは初座が花
花は月光椿に芽吹いたドウダンツツジ
李朝小盤にのせて 花入は松葉勇気さんの焼き締め
なんとか懐石も無事すんで(今回はなるたけ席中での手間を省けるように献立に工夫した)主菓子は「梅見」をテーマに、とお願いしたみのり菓子さんの。なんだか透き通ってる〜♪
泡雪の中に透明な部分は梅の味のゼリー。みのり菓子さんはご近所のゲストハウス’月と’さんで金曜ランチもされているので時々いただいているけれど、お菓子をお頼みしたのは初めて。とてもステキ!
水屋にて障子に映る日の移ろいを見るのもたのしみの一つ。
中立、後入りはとうとう手燭の交換がいらない明るさの季節になった。
後座の軸は仙厓さんの渡唐天神
天下梅花主 扶桑文字祖、、、
聖一国師と天神さんの霊と無準師範のエピソードを語り、菅公の遣唐使廃止による大和文字の発達云々の蘊蓄をかたる(あ、みなさん、ご存じだった(^_^;)
今回の濃茶は八女茶の星野茶園さんの「星授」久しぶりに使ってみた。そういえば官休庵の若もお好みとか。まろやかで全然苦みを感じさせないお茶なのだ。
お薄は続き薄で
亀廣保さんの干菓子、実は出す直前にウグイスの有平糖が割れてしまって、、、一羽どっかへ飛んでいきました〜ととりつくろう(^_^;
菓子器は伏見稲荷鳥居古材の四方盆
三島、不志名、木白(赤膚)の三碗で
皆様、お茶好きで実践にも余念のない方々、茶事のお勉強もしっかりされているので、マチガイを指摘されないかとヒヤヒヤものの亭主でありました。
茶事がおわって、躙り口を出た時にあたりは真っ暗ながら梅の花の香りが漂ってきましたよ、とお客様の言葉。
暗香浮動月黄昏、、、、 (「山林小梅」林逋 )
の世界が現実のものになった。
お客様がお帰りになった後の独座観念
今日も失敗はあれこれ
今回もお客様に助けられ佳きひととき、疲れたけれど楽しかった〜!茶事はやっぱりやめられない。
タライとたこ焼き〜仕掛けいっぱいの茶事 - 2020.02.23 Sun
昨秋タライラマ師の井戸茶碗「八重桜」様が根津美術館へ出発なさるにあたって(江戸の茶の湯展)壮行茶事に行き損ねたのを残念に思っていたが、ようやく半年ぶり、今度は八重桜様無事お帰りを祝う?茶事へ。

しかも美味しくて愛してやまない神戸式たこ焼きが食べられるというたこ焼き茶事、朝から食事を抜いて気合いを入れてのぞむ。
なんという僥倖!日ごろの行いであろうか、ぱらぱらと小雨!(こんなに雨が待ち遠しい茶事はよそではありえんけど)でるぞ、でるぞ!とわくわく、、、でた〜っ!タライの笠。こちらの名物になります。ちなみにタライラマ師の二つ名はこちらから(^_^;
それからの茶事はたこ焼きもさることながら、いろんな趣向、仕掛けが入り乱れて、それを読み解くのがたいへんであったが、それもまた楽しみの一つである。
寄付では山本由之の短冊、雪の曙の山の庵をよんだもの。本席では良寛さんの消息。
、、、、で、実はこの二人兄弟なんである。由之は出奔した良寛さんの代わりに山本家を継ぐハメになった人でのちに出家隠棲、庵を結び歌人となった方。これは心憎い。
待合で薮ノ内5代目・竹心(「源流茶話」の著者)の水仙の絵に孫の竹翁の添書。画賛に水仙が雪を厭うなら霊草の座を蘭にあけわたさないといけない云々。(これ伏線)前に置かれた李朝の小壺が雪を思わせてかわいい。(これも伏線)
炭手前では交趾大亀香合について、昨年こちらに招かれた茶道具研究の大御所のエピソードもまじえた講義を拝聴。(ちなみに淡交の雑誌「なごみ」最新号にこの大御所が、ラマ師のことを書いておられたので、是非ご一読を)
さてお楽しみの懐石である。これにたどりつくまで小一時間、親鸞聖人御絵伝の絵解きを拝聴。ありがたやありがたや(ほんとは空腹で、、、(^_^;)
まずは胡麻豆腐と湯葉。向付は肥後の小代焼、小さい器は全員ちょっとずつちがう唐津(で伊万里を焼いている)の浜野まゆみさんのもの。
お正客の鏡割り(何度もつかえるマグネット式樽!)のあと、いよいよ待ちに待ったたこ焼きタイム、、いや、懐石。
このところすっかり定着した息子さんとのツインたこ焼き、食べ方はそれぞれ好きなように、ソースのみの大阪風、出汁のみの明石風、藻塩だけ付ける、柚子胡椒を付ける、、、
だが私はソース+出汁の神戸風が一番好きで浮気はしないのだ。ちなみにたこ焼き器は唐津の矢野直人さんのもの。たぶん、、、本来は抹茶茶碗かと(^_^;
唐津と和尚様の絆は、唐津やきもん祭茶会の回を重ねてますます深くなり、よそ目に見ていてもなんだか楽しそうだ。
薬味入れの小さい皿まで李朝だし、石杯はいつもこれを選んでいるところの刷毛目である。
幼い頃から薫陶を受けて、すでにたこ焼きの技倆では父を越えた!とみんなが認める息子さんによる、父親のたこ焼きへの修正、指導も入る(*^_^*)
このたこ焼き大好きなんで、一体何個食べただろうか(本来の茶事の目的わすれてしまうわ)。出汁にも粉にも企業秘密?があるというが、一体何なのだろう???
ほんのり紅の入った白梅が古唐津残欠の松の枝に咲いた。箸を竹にして松竹梅を完成させる当たりにくいね。
中立後の後入りで、なんとなく待合の絵を見て通り過ぎる、、、と引き返す。右に絵があって左に竹翁の添書があるので同じ水仙の絵か、と思ったがよくよく見ると体裁は同じながらいつのまにか蘭の絵にかわっているではないか!水仙の賛に蘭のことを書いていたしな。白磁の小壺の代わりに青貝の白粉解。ここで令和のもととなった万葉集の歌もうかんでくるではないか。
(梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫らす、、、云々)
後座の花は小さい種類の月光椿(雄蕊の唐子咲きが小さくて上品)と鶯神楽
薮ノ内独特の霰灰
濃茶は、根津から無事帰ってこられた井戸小貫入「八重桜」様で。これは何度見てもよいなあ。内側のおびただしい貫入が満開の桜の花に似ていると思ったが、外側がほんのり紅色なのでこの銘がついたと思われる。
このたび根津で無事来歴旧蔵が判明したそうで、さらに重々しくなったが、八重桜様はそんなこと関係なく、軽やかに掌にのっておられる。毎回会うのが楽しみで、しかも何回も出会える茶碗はそうないので、これはほんとうにありがたいことだ。
替え茶碗はこれも大好きな粉引である。(梅は鏡前の粉を披き、、、にかけて)雲岱里(うんでり)という粉引の古窯のものだということで、粉引の特徴を講義いただく。化粧土の上に掛けられた釉薬が高麗青磁に通じる緑っぽいのが特徴ね、メモメモ(すぐ忘れるが、、、)。
茶入が高取、銘を「曙」、寄付の由之さんの歌も最後が「雪のあけぼの」であったことを思い出す。
薄茶はふたたび待合で
おお!これは!?
なんとティンカップキャンドル3個でお湯がわく、、というステンドグラスの炉であったか!
薮ノ内にはないという茶籠の茶箱点前をご披露された。というのも古唐津のぐい飲みのいいのをお持ちで、いつかこれを茶碗にして茶箱を組む、と思っておられたところ最近よい小茶碗をいくつかさらにゲットされたとかで。
古唐津をはじめ、古伊万里のねじ紋杯、古瀬戸の麦わら手蕎麦猪口、、、私は好みのツボにはまる鶏龍山の杯で薄茶をいただいた。(そういえば「目の眼」最新刊のテーマが鶏龍山であった)
そして、よく見ると、、、ああ!あの白磁の小壺がいつの間にか薄器になっているではないか!
(本日の役目を終えたタライたち)
あちこちに張り巡らされた趣向の仕掛け、全部は読み切れなかったような気がするが、なんと楽しい謎解きであったことか。美しいモノもいっぱい見ることができて(勉強もちょっとして)とてもうれしい。
計5時間半(ラマ師の茶事にしては短い方か?)飽きることなく楽しんで、今回はなんとか最終近くの新幹線にまにあったのであった。
油はかり〜東大寺修二会・百人講 - 2020.02.21 Fri
早朝の浮雲遊園、例のウイルス騒ぎで観光客がほとんどいないのだが、いいんだか悪いんだか。
山焼を終えた若草山を望みつつ目指すは二月堂。
まもなく修二会を迎える二月堂、この時間(といっても午前9時前)観光客の姿はない。
けれど18日は観音様の縁日なので、十一面観音をご本尊とする二月堂では法会が行われていて、中から読経の声、雅楽の音が聞こえ、外の局では意外と多くの方が参拝されていた。
東大寺修二会に、色々な方面でご奉仕する講を圓玄講社といい、現在は約30講くらいあるそうだが、がそのうちの一つが百人講である。修二会の行法の間、観音様に捧げるお灯明の油を献じるお役目を代々(少なくとも200年以上)になっておられる。その行法中に使われる油を量るのが油はかりである。(油はかつて貴重なものだったので多くても少なくてもいけなかった)
先だってその油はかりについて、それをになっている方からお話しを聞くことができた。ならば実際にそれを見なくてはならんだろう、と午前10時開始の1時間前にやってきたのだ。
油はかりが行われる南の出仕口
おや、あそこに並んでいるのは、、、、
すでに運び込まれている灯明油
今では愛知の岡崎のここだけが作っていて、東大寺、伊勢神宮、宮中祭祀にしかつかわれないという製法は企業秘密の油である。
午前10時、百人講の代表の方が箱を持って南の石段を上がってこられる。せんだってお話しを聞いた方もおられた。
油はかりの道具一式がおさまる箱を抱えて。
この時間になると、オブザーバーがあっというまに増えたが、例年に比べるとずいぶん少ないそうである。
南出仕口で、まずは油で床を汚さないように養生
この道具箱は数年前に新調されたもので、当時の別当・狭川普門師の文字だと聞いた。
そしてこれが油を量る桶、年季が入っている。
これが油を量る目盛りである。
今年は法要が長引いたようだが、やがて出仕口が堂童子によって開けられた。
奥では修二会全体の進行を司る練行衆の一役、堂司(どうつかさ)と、1年目の新人練行衆・処世界が見守る。
こんな感じで油を何回かに分けて量る。
遠目にも透明な油
これを二月堂常什の油壺に移していくのだが、壺は全部で3つ、それぞれ一斗(18L)、一斗二升、一斗三升入れるのである。
入れ終えると堂童子が蓋をして、、、
こよりで封印
二月堂の中へ運び入れる。
そして次の壺が運び出され、これが3回くりかえされる。
3つの壺に油が入り、お堂に運び込まれるとまた静かに扉はしまるのであった。
現代の生活から考えると、メスシリンダーとか使ってほいほい入れたらいいじゃない、、、ってところを伝統的な方法に則り行われるのがゆかしいし、心惹かれるのだろうなあ。
北の回廊下にはお松明の竹が既に運び込まれていた。この竹を運び込んで寄進するのも講(山城)の役割である。こうしてずっと庶民の信仰によって支えられ続けた途切れることない「不退の行法」も今年で1269回目を迎えるそうだ。
ややこしいウイルスに邪魔されないで、どうか無事に今年もおえられますように。
東京・茶道会館にて稲荷茶会 - 2020.02.20 Thu

東京高田馬場にある茶道会館、ご高名はうわさで聞いてはいたが、なにぶん東京ゆえ行く機会もなかろうと思っていた。ところが僥倖がまいこみ、初めてこちらの茶会に。
一昨年、これも初の畠山美術館秋の茶会によんでくださった東京のA先生が、茶道会館・稲荷茶会で釜を掛けはるのでおさそいくださったのだ。うちの母よりちょっと若いくらいの先生、あの年代の先生ってみなさん、すてきに気風がよくて面倒見もよくて好きだわ。
いやもうビックリした。この茶道会館の広さと多彩な露地茶席のすごさ。腰掛け待合いもあちこちにあるし、露地もアップダウンの変化があるし、どこにどの席があるか迷子になってしまう。
茶席の花は露地の花でまかなえるというのもうなづける。椿の樹には大きなヒヨドリが蜜を吸いに来ていて、ここが都心だと言うことをすっかり忘れてしまう。
稲荷茶会は全部で6席、それぞれ趣向のちがうお席らしいが、だいたい6つ以上のヴァリエーションに富んだ茶席があるなんて!
この施設は私設だという。昭和25年、戦後まなしで荒廃した日本人の心に、茶の湯で日本の文化の誇りを復興させたいという思いから作られたもので、これが個人の力でできたとは、すごいなと思う。規模的に○日庵に負けてないのではないかしら。
とりあえずA先生のお席に。奥の方にある峰春亭で大炉の濃茶席。
ここが待ち時間一番長く、1時間以上この待合ですごす。
待合掛けが蓮月さんの短冊で
「鶯の妻や籠もるとゆかしきは 梅咲かこむ庵の八重垣」
今、東博で「出雲と大和」展しているし、それに合わせた歌なのかな、と思う。(出雲八重垣妻籠みに、、、)
稲荷茶会なので薯蕷は鳥居の焼き印。香合も稲荷焼と弘入合作の稲荷土鈴。
関西ではお稲荷さんといえば伏見稲荷だけれど、東京はどこなんだろう。お隣の東京の方に聞いてみたら豊川稲荷では?とのお答え。
茶席は大炉ならではの逆勝手、A先生のお人柄ではの楽しく和やかな席となった。ご挨拶申し上げて、最後にツーショットを撮らせていただき、良い思い出に。
次にどこへ行こうかと迷子になりつつ、あいにくの雨ながらしっとりと春雨の風情の広い庭を行く。
市松の間の泊志会の薄茶席へ
泊志会はこの茶道会館でお稽古されている方の会だそうだ。
ここは待合も天井がすべて竹で、数寄をつくした作り。
茶席は市松の名の通り、襖が桂離宮の松琴亭にならった青と白の市松模様になっている。
こちらはさすがのお道具立てであった。
水指が古染ですぞ、馬紋様(初午にちなみ)。覚々斎の竹二重切花入は鎹が打ってあり、水仙が美しい。炉縁が松尾大社の鳥居古材、ゆえに内側が丸みを帯び、しかも朱塗りなのである。先代寒雉の鰐口釜がおもしろい。
お菓子が蔵前の榮久堂さんの鳥居の絵馬。ちゃんと板の木目まで再現してあって芸が細かい。
この席のお点前さんが、しゅっとした和風美人でどこかで見たことあるな〜、、と思っていて、ああ!美術系タレントのはなさんだ!と思い当たる。裏千家茶道雑誌の連載にも載っていらしたからそのご縁でこちらでお茶習われておられるのでしょう。
さて、ここからどこがどこの写真かわからなくなってきた。なにしろ館内で迷子になっていたから。
多分点心席の山里かなあ。
稲荷茶会なだけあって、点心にお稲荷さん♪
濁り酒をいれてくれた升はお持ち帰り。
これ、真似してみようと思う煮物椀、蕪に具たっぷりのそぼろ汁、美味しかった〜。
山里でたところにあら、ほんまのお稲荷さんのお社が。幟を見るに先ほど話題の豊川稲荷から分霊勧請したものらしいわ。だからわざわざ稲荷茶会をここで(毎年?)されるのね。
またまたどこに行こうか迷子になりつつ、、、
山茶屋席
裏千家の男性の先生であったが、またこれはビックリすることに「南方録」の台子飾りのうちのひとつ(第二十七飾り)を復活させたもの。この台子では天板に香道具を飾り、茶を点てる前に聞香の灰を整えることから席中で行い、香炭団を炉中からひろいあげるという初めて拝見するもの。しかも聞香を全員で行うのだ。これは感動ものであった。
軸が金森宗和の消息とは恐れ入る。日付が二月四日、立春のころ、ちょうど時節にぴったり。古天明の真成釜、紅梅古木の炉縁、めずらしいのは玄々斎夫人の宗柏刀作の茶杓、銘を「春望」。
お菓子がここだけ写真がないが緑色の柚子餡のうぐいす餅で、翡翠色がとても美しく美味しいお菓子であった。
ここらでそろそろどの席も仕舞にかかって、最後の席に飛び込みで入る
絵馬席
ここを掛けられたのが表千家不白流である。さすがに軸は流祖・川上不白のもの。
棚が見たことのないような棚で、六角形の箱の上に丸卓が載っているような、、当代お好み白和棚というのだそう。それに入れた水指がなんとエルメスで馬の模様、その上お点前されたのがエルメスの故郷、フランスのご婦人だった。
この席は幼稚園児がお運びにでたり和気あいあいとファミリーな感じで、最後の席をここにしてよかった。お菓子は「下萌」であるが、関東にはめずらしい、こなしを使ったお菓子だが、京都のこなしとちょっと違うと思った。(こなしは京都以外ではあまり使われないのよね。主に練りきりで)
ここでタイムアウト、あと真の間の薄茶、明々軒大炉の薄茶の2席は入れなかったのは残念だが、お腹も口も主菓子4個食べて限界に近かったので、あきらめがつく。
しかし一体どれだけの、それぞれちがう趣向の茶室があるのか、びっくりもし、感動もした茶道会館であった。
大炉のお稽古一通り - 2020.02.16 Sun
本日は裏千家限定のおはなし

大炉なんである。
普通の炉が一辺一尺四寸なのに大炉は一尺八寸もある。裏千家11代玄々斎(この人で裏千家の現在の点前が定まったと言われる)が、知恩院法親王を迎えての献茶式で、暖を取るために咄々斎(裏千家の中にある茶室)の隣の六畳に、北国の囲炉裏を模して切った炉だという。
六畳、炉縁は北山杉木地丸太、炉壇の土は聚楽土に墨をまぜた鼠色、逆勝手、、というのがお約束。
極寒の2月にしか使われないし灰も大量に必要なので、一般的に大炉を切る人は少なく、うちの先生宅にもあるにはあるが、開けるのは2年に一回くらいかな〜。
昨年茶室披き(茶室というより茶道館披きかな)によんでいただいたお茶友さん、なにしろ広間小間完備の茶道館なうえに六畳の大炉の間もお持ちなのである。そこで大炉のお点前のお稽古におさそいいただいた。なんとありがたし!
老松さんの主菓子もご用意いただいて、五人で折据をまわし、どの点前をするか決める。私は濃茶があたった。
まずはK様の初炭
逆勝手の炭ではあるが、炭の組み方、湿し灰が炉中に入れてある、など純粋の逆勝手ではなく、大炉独特の所作がある。大炉の醍醐味は炭手前にあると私が思う由縁である。
みなさん、ベテランさんばかりなので、逆勝手のお点前はなんなくこなされるが、一番四苦八苦するのが羽根での掃き方、湿し灰の撒き方である。
それぞれアンチョコペーパーを製作していて(私も)、やっぱりみんな苦労しているんだなあと安心。館主様が大きなパウチにいれた図を用意してくださっていたので、それを見ながら、今年こそ覚えよう!と固く誓うのだが、なかなかねえ、、、、(^_^;
灰器がなく、湿し灰が雪輪瓦の向こうに積んであって、そこに灰匙が立てられているのが独特の風情で良い。
濃茶は私なので、写真ありません。
体の位置、大蓋の蓋置の位置、に注意すれば普通の逆勝手なので、これはなんとか。
さて、大炉一番のハイライト(と個人的に思っている)後炭手前、O様がされた。
後炭は炭を雪輪瓦の後に置き、灰器兼炭斗に焙烙を使うのである。灰匙をとるとき、火箸をとるとき、焙烙をくるくる回す趣がすてき。最後にあまった湿し灰を、雪輪瓦の後に焙烙からさ〜っとおとすところがえもいわれぬ風情。極寒の時期も楽しみにかえてくれそう。
最後にT様と館主様がそれぞれ薄茶点前を。逆勝手に全く問題なし!なのがさすがである。
お茶に打ち込んで、探究心、向学心にあふれておられる面々、するすると滞りなくすすんであっという間であった。大炉の初炭・後炭・濃茶・薄茶、全部を一気にできる機会はそうないので、ほんとうに勉強になり、ありがたいことである。
館主さま、ご一緒させていただいた方々、ありがとうございました。
銀月サロン・冬茶会2020〜銀月アパートメント - 2020.02.14 Fri
銀月サロン、冬の茶会

北白川、格別に趣のある築年数不明の銀月アパートメント
木造階段がけっこうこわいよ(^_^;)
こちらの二階で本日のお茶会
窓の外には春になると薄紅の影をくれる枝垂桜もまだ固い蕾
銀月さんも、中国の友人から例のウイルスのおかげで「来ないように」と言われ、この冬はお茶の買い付けにいけないそうだ。京都もいつもは人で溢れかえる祇園が閑散として、昔の京都に戻ったような感じ。早く終息してくれればいいが
暖冬のおかげではやくも河津桜が咲いている
最初のお茶は岩茶 雀舌
福建省武夷山でとれる岩茶
雀舌は雀の舌のように小さい、という意味らしいが、茶葉はそんなに小さくない感じ
一煎目
若い葉からつくるからか、香りは繊細な感じがする。
二煎目、三煎目と味も香りも変化していく
左にちらっと見えている菓子は神泉苑の裏の知る人ぞ知る駄菓子の格子屋さんの「どろぼう」というお菓子。かりんとうをもっと軽くした感じでこれはヤバイ、とまらない、、、
二つ目のお茶
紅心歪尾桃鉄観音
こちらは福建省の南、安渓県のお茶 北部の武夷山にお茶の製法をまなんだといわれるもの
これはどっしりとした香り、一番好きなお茶
飲んだ後の杯の香りを聞いていつもうっとりしてしまう
私にとって中国茶といえば、やっぱり鉄観音だわ
三つ目のお茶
台湾の大禹嶺高山茶
無焙煎なので緑の香りがたなびく
香りは最も華やかで甘い
お楽しみの点心は、、、ああ、料理の名前ききそびれた
銀月さんは「魔女のスープ」とおっしゃった(^_^;)
たしかに骨つき肉に黒いスープ 中には肉桂や漢方薬にも使われる当帰もはいる
ぽかぽかあったまって シュウマイは特製ラー油かけ
今回もおいしゅうございました
デザートは北白川のグランディールさんのカヌレ
外がかりっかりで固いくらいで中がしっとり
丸まった茶葉は飲んだ後、ひらくとほとんど元の茶葉にある
デザートとともにいただくのは正山小種
実はこれ、紅茶のラプサンスーチョンのこと こんな漢字だなんて初めて知った!
松焙煎したため正露丸臭があるので有名だが、甘いお菓子にとてもよく合う
武夷山付近の星村でつくられるお茶
星村っていい名前だなあ このあたりは世界遺産に登録されているから、いつか行ってみたいなあ、、
まずこのコロナウイルス騒ぎがおさまってくれないとね
珠光茶会2020〜中西与三郎で日本酒茶会+大乗院茶席 - 2020.02.12 Wed

朝起きたらこんなことになっていたので、きっと奈良も雪景色に違いないと思っていたけれど、、、
奈良は意外とからっとしていてビックリした。
今年も珠光茶会、もう七回目になるんだな。奈良出身の珠光にちなんで、茶道七流派がつどって奈良の八寺社、ならまちでくりひろげるお茶のお祭り。第一回目から参加しているので(十数年ぶりの大雪の日もあった、、、)だいたいひとまわりはした。そこで今年は趣向を変えて、初めての試みという日本酒茶会(日本酒と和菓子のマッチング+茶会)に参加してみた。
会場はならまちの有名な和菓子屋さん中西与三郎さんである。
創業百余年という老舗で、古い町家の建物もすてきなのだ。受付は本来通庭だったところ。
座敷にしつらえられたテーブル席にてまずは、奈良の蔵元のひとつである豊沢酒造の社長さんに日本酒の歴史のお話しを聞く。日本酒、とりわけ清酒の発祥の地が奈良の正暦寺であるといういうのは初めて知った。すでに室町時代からその技術はあったという。
お話しは聞きつつも、みなさんの目はすでに目の前にあるお菓子の箱とお酒に釘付けである。お菓子は五種、それぞれに合う奈良の地酒をチョイスしたものだそうだ。
お菓子はもちろん中西与三郎さんのオリジナル
右上から反時計回りに、、、
<龍の卵> 胡桃+摺り砂糖
これに合うお酒は<春鹿>で有名な今西清兵衛商店さん
<侘助> 柚子の香りの練り切り
お酒は倉本酒造さん
<これは中西さんの特別なお菓子>なのでお酒はつきません
<鹿のささやき> これは中西さんの定番の干菓子で黒糖マカロン、大好きなやつ
お酒はこれだけは奈良のお酒ではなくて、
奈良と都市提携している宮城・多賀城の蔵王酒造さん
(奈良時代、西の太宰府、東の多賀城といわれた陸奥国府があったゆかりで)
真ん中が<羽二重苺> 羽二重餅+白餡+苺
お酒は豊澤酒造さん
あれ?五つ目は?と思ったでしょ。
五つ目はこれ、<氷室の雫> 透明なアガー製?の錦玉 これ美味しかった
お酒は八木酒造さんの梅酒
酒の仕込みの水を和らぎ水(お腹でアルコールを希釈する)として飲みながらも、これ全部いただくと、かなりほろ酔いになる。(うふふふ、、、最高!)
和菓子と日本酒がよく合うことは以前から知っていたし、合わせるお店もちらほらあるので驚かないが、こんなにお菓子もお酒もたくさんの種類なんてしあわせすぎる(*^_^*)
さらにさらに、中西さんからのプレゼント、<珠光餅>
村田珠光が好んだといわれる餅を再現したものだとか。お餅に白餡の味噌+山椒、ああ、この味は祗園祭の行者餅の味や!これも美味しい〜!
店頭ではこの五つの蔵元さんのお酒も販売。
珠光茶会で奈良の産業を積極的に発信していこうという姿勢はすごくいいと思う(本来の珠光茶会の目的かもしれない)。日本茶しかり、いいものがとても多いのに、京都に比べてブランド力に負けてるからね。ガンバレ!奈良!
さて、ほろ酔い加減で顔の赤い方もいるご一行と、徒歩数分のならまち・にぎわいの家の茶席へ移動。
この表家造りの町家は大正6年に建てられた古物商の家だったそうだ。前はどうだったかな、記憶が定かでないが、こんなふうにいろんなイベントに使われるようになったのは最近のことだと思う。
中に入ってびっくり、とても奥行きが深いすごい豪邸なのだ。寄付、待合、と座敷をかえて、お蔵(江戸後期)もあって、、、、
やっとたどり着いた広間の茶席の床の間は、なんとお水取りの松明を床柱にしたという数寄をつくしたもの。襖の引き手も凝っていた。
裏千家のご社中のお席でテーマはずばりお水取り!
二月堂瓜灯籠の蓋置、清水公照(東大寺歴代別当のお一人)さんの「水火調陽」の文字とお水取りの絵が描かれた茶碗などなど、極めつけは、、、
待合の軸の牛王札と陀羅尼(練行衆がお籠もりの間刷り、結願の日に頒布する)!
これほしいなあ〜、なんとか手にはいらんかな〜とずーっと思っている。
楽しかった!日本酒茶会!(来年もあればこれにしようかな(^-^)/)
時間調整に奈良ホテルのバーで一杯やって、、、というのはウソ
ラウンジで珈琲して、、、
奈良ホテルのすぐそばにある大乗院庭園の茶席へ。
以前よく奈良ホテルを利用していたので、この庭園の復興具合もつぶさに見てきたが、完成した庭園に入るのは実は初めてなんである。
もともと平安時代、興福寺の門跡寺院であったが、興福寺焼討や火災で灰燼に帰したり、さまざまな復興荒廃をくりかえし、平成になってからナショナルトラストを主体とする発掘調査、整備がおこなわれ、現在にいたる庭園である。
この一画に建てられた大乗院庭園文化館にある小間の茶室は庭園を借景にするすてきな円相窓があって、実に気持ちよい。
今回は点て出しによる呈茶のみであるが、いつか茶席としてみてみたいなあ。
(席主はご当地奈良・石州流宗家でお稽古されている方々であった)
せっかく奈良にきたのだから、先月見た山焼の若草山に登ってみようと発心、テクテク何km歩いたか、、、、、
なんたるチア!!(古っ!)
3月末まで閉山中とは!!Σ(゚д゚|||)
祗園大茶会2020〜今年は中国茶で - 2020.02.10 Mon

祗園大茶会も今年で7回目になるのか。
祗園商店街振興会主催でメインは祗園の舞妓ちゃんたちによるお茶席なのだが、2回目か3回目かから、数寄数寄茶席と銘打って、兄さんことNさまのお声がけのもと、お茶好きのシロウトたちがそれぞれ趣向を凝らした副席を持つのである。
当日朝、運転庵(軽トラに乗った茶室!)の為さんをのぞいて一番乗り!
ありがたいことに、数寄数寄茶席には初回から参加させていただいている。初回は円山公園の一角で2日間、しかも夜遅くまで、その上大雨!という過酷な茶席となったが、今ではいい思い出である。
茶席設営中
その後、場所が漢字検定ミュージアムの玄関先になったり、開催時期が桜の頃になったり、いろいろ迷走?したが、本来の寒い時期の祗園にお客さんをよぼうコンセプトにしたがって、くっそ寒い(ゴメンあそばせ)2月、場所もミュージアム裏手のグランドに定着した。
お水をもらいにきた舞妓ちゃん席の水屋
今年は例のウイルス騒ぎで、茶碗は毎回熱湯消毒、とか、スタッフはマスクとかいろいろ大変そうである。さすがに舞妓ちゃんはno mask (^_^;
今回は自分の席が忙しくて舞妓ちゃんたちの写真撮るヒマなかった。というか他のお仲間の席の写真すらない!(どこの席にもいけなかった、ちょいさびしい、、、)
人気だからたぶん席入りできないと思ったので、始まる前の時間に、ちょっとだけのぞいた為さんの運転庵。TV局の取材班も来てた。早朝からサツマイモを蒸して干し柿などなど調合して不思議なお菓子を作ってはった。
前夜インドからかえったばかりのEちゃんのインド的室礼の席
若いとはいえ、なんという体力!
各席に配られる祗園の神賑水
さてわが席も完成、今年は久々に一人にもどったので、一人で仕切れる中国茶席
室礼は中国と李朝がケンカしている?感じに(^_^;
背後の現代のポシャギは先だって上京したときに、M姉様に連れて行ってもらった根津美術館近くの古裂のお店でもとめたもの。
下に敷いた帆布はブロカンテのお店でデッドストックだったもので一枚1000円(*^_^*)
提籃には家にあった中国茶を全部詰め詰め、けっこうたくさんの種類を持っていた。一部のお茶をのぞいて発酵茶である中国茶は時間とともに熟成されて良い味にあるというから、保存がきくのだ。
そしてもう満開の梅の一枝、なんとなく令和にちなんで(というのは後付け(^_^;)
思えば最初の年も二年目も一人で抹茶点てていたが、それから新旧乙女として数人の乙女たちといっしょに楽しく参加した。私の歳になるとそうそう生活に変化はないが、若いこれからの人たちは、あれからいろいろ人生の飛躍や節目を迎えて、いつまでも同じ所にとどまってはいない。
そこで解散して、今年は一人一人、それぞれの趣で茶席を持つ。それもまた本来の姿かなと思うけれど、前日にみんなで力をあわせて必死にお菓子を手作りしたことは、とても楽しい思い出だ。
中国茶は何煎でもいけるから、お客さんのストップがかかるまで何煎でも、そして種類をいろいろ替えながら煎れる。お菓子は御菓子丸さんの代名詞ともいえるお菓子、「鉱物の実」(今回はレモン+柚子?味)と、ナッツ、ドライフルーツを。ナッツ類をぽりぽり摘まみながらいつまでもおしゃべりしながら飲む、という中国式スタイルで。
台湾凍頂烏龍茶、鳳凰単叢蜜桃香、岩茶、東方美人茶、阿里山高山茶、、それぞれ独特の香りとテイストで楽しんでいただけただろうか。変わり種は胎菊茶。お茶用に栽培された菊花茶である。これはどちらかというとカモミールに似たハーブティーのたぐい。
お客さまはほぼ9割がお知り合いで、これもありがたいこと。東京からM姉様までおこしくださり、懐かしい人、しょっちゅう出会ってる人、長居する人、差し入れだけですぐに行かれる人、様々。結局他の席はまわれなかったので、お客様から話を聞いて楽しむことにする。
しかし、だれとでも話を合わせられるというのは特殊技能やね、私には無理やわ。そこのところ為さんはいつも絶妙やなあ、と思う。
初回、土砂降りの雨の中、門付けをして何かに開眼した!という田○田(たぼた)のお二人は今年も門付けにまわってくれた。テント村?に響く冴えた鼓の音とお謡はまた格別であった。「岩船」「髙砂」「葛城」と三回聞くことができた。
しかも、お客さまも席中で「桜川〜網の段」のお謡を。これは最高でした、聞き惚れた。
今回よく働いてくれた大小の我谷盆(わがたぼん・森口さん作)
おいでくださったお客様方、まとめてくださったN兄さん、そして行けなかったけれど心で連帯を感じていた他の席の同志の方々に心をこめてありがとうm(__)mございました。
最後にいただいた写真(*^_^*)
鋭意煎れております。
紡がれる言葉たち〜歌と<いとを菓子> - 2020.02.07 Fri
ふた月に一回、紫野TH社で歌の會がひらかれる。
主催者は草木染めの織姫でもあるF子ちゃん。
一つは自分で作った和歌、俳句、詩なんでも、あとひとつは毎回F子ちゃんが決めたテーマに沿って自分の好きな先人の作品をえらんでくる、というのがルール。
その場でF子ちゃんの用意した紙に、好きな筆記具で作った歌、選んだ歌を書いていく。私はガラスペンにPILOTの「色彩雫」というインクで書く。

これはこの正月にひらかれた会の様子、気がつけばもう13回目になっていた。2年ちょっと、よく続いたなあ。主催者からして、2,3回続けばいいかな、と思っていたらしいが、意外とみんなのりのりで歌を作ったり、選んできたりしている。年代も性別も仕事もちがえば、新幹線に乗って遠方からかけつける人もいる。
そしてお楽しみは毎回F子ちゃんが煎れてくれる煎茶と、手作りで用意してくれる歌の筥と「いとを菓子」
一人一人ちがう詩が綴られ、テーマに沿ったいろいろなお菓子をチョイス、これを「いとを菓子」と命名。
ずいぶんたまったので、一度全部ひろげてみた。
前回の会でだれかが選んだ歌を書いて筥に閉じ込める。
毎回毎回ほんとうに大変な作業だと思うが、こういうのが残ると、ああ、あの時はああだったなあ、こうだったなあ、と思い出すよすがになり、とてもうれしい。
本来はこの筥に、いとを菓子がはいっているわけだが、毎回食べてしまうので(^_^;これだけは残っていない。
あまりにすてきなお菓子の数々なので、写真に写したを菓子を掘り起こしてみた。
これはテーマが「愛とか恋とか」の時
資生堂パーラー銀座本店だけのカラフルな花椿ショコラ
私の箱にはパープルがはいっていた。
テーマ「色」
色々の洋酒ボンボン、六花亭の「六花の露」
「雪」
雪の結晶の和三盆
いろんな形の結晶
「手紙」
これはF子ちゃんのご両親にまつわるとてもすてきなすてきな「手紙」であって、13回の中でいちばん好き。
を菓子は青洋さんの「おはじき(有平糖)」
「雨」
青洋さんの雨雲
これがなんだったか、思い出せない。
ふわふわのを菓子(青洋さん)
たぶん4月だったと思うから、桜か、春か
特別編で、一番遠方から来ているFJ君の落語会
中村和菓子店(亀屋良長)の焼き鳳瑞
FJ君といえば夜の古書店店主で、彼の作った水に溶ける詩集「水温集」がえらい人気だそうで。
これはほんとうに面白い。言葉がゆがんで、そして溶ける。それを眺めるひとときの詩的なこと。
綴りあわされた歌
これは「星」がテーマの時に私が選んだ歌だ。中学の時とてもすきだった懐かしい歌を、ネットでしらべて必死でほりおこした。こんなふうに綴ってもらえるとうれしい。
「水瓶座」 竹友藻風
さんさんとしてこぼれ散る 宝瓶宮の水の音
秋澄む空の大いなる 胸を洗いて清きかな
林を出でてたもとふる 心も白き良き夜に
アクイラの星(わし座)も傾きて ささやく声のほのかなる
これからも、まだまだ続きそうな歌の会、どんな言葉が紡ぎ出されてくるのだろうか。
楽しみである。
織姫にして筥作り名人・F子ちゃんと、TH社のあるじ、距離と時間をものともせず集う仲間たちに感謝。
トンデモ奇祭?!〜飛鳥坐神社・おんだ祭 - 2020.02.04 Tue
橿原神宮駅を降りて明日香村へ行くバスに乗ろうとすると、あと1時間は来ないという。明日香ってそんなところ。そしてそんなところが好き。
今から10年くらい前までは、なにかにつけてはよく明日香村へ遊びにいっていたが、ここのところとんとご無沙汰、久々に訪問すれば、なんだか懐かしい景色。様変わりした風景もあるけど、おおむねかわらない。
この明日香村にある飛鳥坐神社(読めるかな〜・あすかにいますじんじゃ、、、と読むのだよ)の奇祭・おんだ祭は存在は知っていたけれど、長いこと行く機会がなかった。このたび是非、その奇祭をみてやろうじゃないの、と出かける。(2月第一日曜日)

懐かしい神社前の通りでは数件の屋台も出て、普段ならほとんど人通りがないのにさすがに今日は人がいっぱい。そこに竹のササラを持ってフルスイングの格好をしている天狗は何者?
祭は14時からだが、昼前にはすでに、おんだ祭に出演する天狗や翁の面をつけた人たちが、参拝客のお尻めがけてササラを打ち込む、、、というのがお約束らしい。起源は不明ながら、たたく場所がお尻なのでなんとなく生殖的な意味(fertilityは豊穣という意味もある)かとも思う。
あ、けっこう痛そう。
なのですりぬける。
飛鳥坐神社、歴史ははっきりしないが、主祭神が事代主神(大国主命の息子)や大物主神などの出雲系なので、古事記神話の時代と思われ、きわめて古い。
なぜかここの境内には陰陽石がたくさんころがっていて(^_^;これは明らかに男性のシンボル。神社の来歴とどう関係するのか不明ながら、おんだ祭の後半のテーマはもろに生殖(子孫繁栄ともいう)なので、そのせいかな。
12時ごろからスタンバっていたが、その間も天狗や翁が境内をウロウロしては竹のササラでお尻ヒットをねらう。
こちらは、後に天狗とともに寸劇に登場する翁
たたかれると御利益があるそうなので、すすんで叩かれに行く人も多い。
女子供にはやさしいが、男性には容赦ないようで、隣にいた、叩かれた兄ちゃんは、祭が終わるまで、尻の感覚がない、、、と嘆いていた(^_^;
13時から夢想神伝流の居合奉納
前から後から横からいろいろ突然襲われたとき、どう対抗するか、というのが眼目らしい。かっこいいが、残念ながら今の時代、刀剣は携帯できない。
次に剣舞奉納
七色のスリッパという児童劇団が母体の団体のようだ。キレのある舞踏でかっこよかった。
テーマはずばりヤマタノオロチ。最後に天叢雲剣(あめのくらくものつるぎ)をゲットするところまで。主祭神が出雲の神々だから、なるほどね、と感心。
さて、14時いよいよおんだ祭開始。
天狗に連れられた農耕牛が登場。
ご神饌(粟、米?、豆、松の枝)の前で祝詞をあげる神主さんと、その後方に行儀よくすわる牛・翁・天狗チーム。
おんだ=御田なので、まずは田を耕すところから。
牛が辛鋤などを引く
この牛がなかなかクセモノで、途中でサボってねころんだり、、、
注意されれば逆ギレしてササラをもって暴れたり、、、(^∇^)
なんとか土鋤がおわれば、神主さんによる籾蒔き
そして神饌の松の枝を早苗に見立てて御田植え
後にこの松を参拝客に向かって投げる。
これがゲットできたらお守りになるね。
続いて巫女さんによる巫女舞
髪の挿頭は梅だね。
後半がアレ(^_^;なんで、その前の一服の清涼剤
この頃になると境内が人であふれかえる。1年に一度だけの景色だろうな。
いよいよおんだ祭の真髄?後半に向かって、まだササラをもって犠牲者をさがす翁登場
続いてお多福さんをつれた天狗登場。新婚カップルという想定らしい。お多福はいかにも恥じらってみせるが、このいかつい腕では、、、(^_^;
どうみても新婦の方が大きい。まあ、だから安心して進行が見ておられるわけで。(コミカルのベールに包むというか)
さて、コトに及ぶ前に天狗
なにを誇示しているんだか、、、(;´・ω・`)
そしていよいよ夫婦和合、ひゃ〜〜
翁はそれを見とどけたり、新郎の背中を押してダメ押ししたり
子孫繁栄は農耕の時代とても切実な問題だったから、こういう風俗行事は全国にあるとおもわれるが、ここまでロコツなのはないかも(゚д゚)
しかし、これ子供になにしてるん?と聞かれたらいかに答えるべきか、、、(;´д`)
しかもコトが終わったあとの拭いた紙(拭く紙=福の神)を参拝客に投げる。これをゲットした人は子宝にめぐまれるという。これこれ、そこの高齢者さん、あなたはもういらんでしょ!とつっこみをいれたくなる。(娘のために、とか言い訳する人もおられるようで(^_^;)
田んぼの種付けも、人の種付けも無事おわったところで出演者、神職、来賓の方々による御供撒き(餅)
普段こういうものには滅多にあたらないのだが、なんと一個ゲットしてしまった!今年は縁起がいい?
祭が終わって参拝をして、その間にもまだ天狗と翁のササラ叩きは終わらない。計2〜3回叩かれたが疲れたのか手加減してくれたのか、全然痛くなかった。
帰り道の参道
鳥居の外ではなんと牛までがササラ叩きに加わって荒ぶっていた。
この神社の前に20年くらい前から知っている古民家・神籬(ひもろぎ)さんがある。
古布の細工物やトンボ玉のお店で、女将さんがいつか娘さんといっしょにここでレストランを開きたいと言っておられたころから知っている。その後くるたびに店の形態はかわっていたが、久々におとずれたら、女将さんは相変わらずお元気そうで安心した。
障子の奥の座敷に上げてもらって、炬燵にあたりながらトンボ玉を選んだ昔を懐かしく思い出した。
神社に別れを告げる。
参道には昔と変わらぬ町並みがうれしい。(残念ながら中には放置され崩れかかっている大きな古民家もあるが)
そして飛鳥寺前の明日香村の景色
ええなあ、この景色、大好きや。
でもこれは地域に人たちの努力によって、守られている景観だと心しておかねばなるまい。
明日香、久々に来ることができてよかった。またゆっくり来ような。
日本最古の節分宝船図 - 2020.02.03 Mon
現存する宝船図を蒐集して研究しておられる民俗学者さんがいて、昨年その勉強会に参加する機会があった。枕の下に敷いて初夢の吉凶を占ったものゆえ、節分の夜にこれを使用する。つまり宝船図は節分と切っても切れないもの、つまり節分の時にしか寺社で授与されないものなので(通年売ってるところもある(^_^;)これを集めるにはかなりの足と時間が必要で、そのコレクションはなかなか見事であった。起源は室町時代にまで遡ると言われるが、一般に庶民の間に爆発的にひろまったのは江戸中期以降とか。
よくみる宝船図は宝船に大きな帆掛け船で、帆に「獏(夢を食べるからか?)」の字が書いてあったり、お宝や米俵、七福神などをのせていて、有名な「ながきよのとおのりふねのみなめざめなみのりふねのおとのよきかな」の回文が書かれている物もある。
ところが、めちゃシンプルというか脱力系というか手抜きというか、いわれなければ宝船にすら見えない「宝船図」があるのである。
これ。
2年前の節分でゲットして、実は以前もアップしたことがある写真なのだが、おもわず笑っちゃうような宝船?!
あまりにシンプル故に最古の宝船図といわれるものである。
(画像は2年前のもの)
これが授与されるのは松原西洞院の五條天神社、または天使社(天使は勅使の意味、近くに天使突抜という名前の通りもあるよ)。なんでも平安時代から洛中に存在したことがわかっている数少ない歴史のある神社なのだ。(空海が勧請とか)
弁慶と義経がであったのが五条の大橋というが、現在の五条大橋ではなくて、こちらの五條だったという説もあるくらいである。
しかもこの宝船図がもらえるのは節分の日だけ、というある意味レアなもの。
もう一度こののんびりした絵を見てみよう。
波の上に帆もない小舟、乗っているのは稲穂だけ。一説には神代文字と言うがだれも読めない朱印の文字。でもみているとほのぼのとしてしまうのはなぜだろう。

というわけで、これを軸装して節分の前後に掛けることにしている。宝船図は1000円ちょっとだったと思うが、それを思うと軸装に10倍くらいかかったわけで、まあそれはそれでよしとしよう(^_^;
今年も節分すぎて、立春大吉、よい年になりますように。
*)ちなみにかの民俗学者さんは足を使って洛中洛外の、現在も節分に宝船図を授与している寺社をリストアップした厖大な資料をお持ちです。すごい!