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2020-03

其中庵様還暦茶事〜22会之内1 - 2020.03.30 Mon

宇多野に住まいされる其中庵さまの茶事、毎年ご自分の年に重ねてテーマを決めてされておられたが、とうとう昨年節目の還暦を迎えられ、還暦茶事をされた。なんと22会、招かれたお客様は160余名という秋から春にわたる一大茶事となった。



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私は昨年秋にお招きいただいたので、この茶事のお話しは実は約半年前、秋のモノなのである。なんで紅葉?と思われたでしょうが、22回おわるまでネタバレ禁止ゆえ、春になってようやく解禁というわけである。若干記憶があいまいになってはいるが、写真や会記をみながらふりかえってみよう。(季節によって内容は少しずつ変えておられると思うが。)



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この写真は今から8年前、光悦会デビューに勇んで行ってきた時の着物と帯。(気合いはいってる)この時と同じお召し物でおいでください、というリクエストがあり、???と思っていたが、なんでもすごい茶道具を手に入れたとお聞きしていたので、もしかしてこの光悦会にまつわる何か?という予感はしていたのである。



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(写真はもろ秋ですね(^_^;)


待合は珍しい池大雅の絵じゃなくて字、「遠看山有色 近聴水無声」。これをだれのものか一発であてた方がおられたとか、おそるべしなんだが、この言葉の意味がなぞなぞになっていて、これがわかった方がおられたらさらにおそるべし。


(答:=水墨画)

初座の床には其中庵さまがお好きな琳派の旗手・鈴木其一「蓬莱山図」で、めでたい。
七官青磁の鯉耳付き花入には白玉椿とカマツカの照り葉。



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(懐石はいつも端整な万惣さんの)


鐶付きが宮島の鳥居になっているユニークな名物宮嶋釜写しは12代寒雉。この本歌についての伝来をも初めて拝聴。
徳川家康が、江戸の上水路(神田上水)を見事に完成させた大久保藤五郎に「主水(もんど)」の名を与え、自ら水源の井の頭に出向き宮嶋釜で湯を沸かし茶を点て、釜は恩賞として下賜したという。
この柳営御物は後に鈍翁の手に渡り、彼は井の頭の水を取り寄せてわざわざ茶会で使ったと言うから、昔の数寄者ってほんとに好きねえ。と、限りなく鈍翁を尊敬する其中庵様にはぴったりの御趣向なのであった。

そして!呉須銀杏の香合が出てきたとき、ぴ〜ん!と来ました!(後ほど説明(^_^;)



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(紅白しんじょうの煮物椀)


小吸物にはいっていたのが野草のノカンゾウ。
このノカンゾウ、別名を「ワスレグサ」と申しまして、、、、これもまたお道具の伏線なのである。(これも後ほど)

石杯もたくさん出していただいて、相変わらず私は三島の杯に手をだしたのだが、このなかで一番高いのが、、、と教えていただいたのが桃山時代の黄瀬戸の四角い入隅の杯であった。胆礬がなく、もろ油揚、極渋。
酒器も珍しい根来の「指樽」。おそらく寺院で使われていたであろう平べったい四角の酒器で、一見、本(book)のように見える形。



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お菓子は時節柄、亥の子餅であったが、ちょっとかわった奉書をまるめたような形で中に柿、栗が入っている。柿、栗は、茶屋から、茶壺が茶家に運ばれるとき、柿、栗もいっしょに送られた名残であり、奉書はかつて宮中で下賜された亥の子餅は奉書で包まれていたからかな。(老松製)



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中立後の後座

床に清巌宗渭の一行「路従平処嶮 (人向静中忙)」(「禅林句集」)
、、、路は平処より嶮しく 人は静中に向かって忙し
よくわからんが、逆説的禅問答そのものかな。


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濃茶のお点前が、、、あ?唐物点前?堆朱の盆に載っているし、曲の水指、、、

茶入が、古瀬戸伊予簾手であるのだが、唐物と同等の格を持たせたという其中庵様のお気持ちであろう。そしてこの茶入、銘が「忘草」。
遠州による銘は「忘れ草 生ふる野辺とは見るらめど こは忍ぶなり 後もたのまむ」伊勢物語第百段から。私はあなたのことを忘れている(忘れ草)のではなくて、忍んで(シノブ草)おもっているのですよ。これからもよろしくね、、、くらいの意味か。



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これは2011年の光悦会の会記、実はこれに載っている古瀬戸茶入「忘草」そのものであった!(挽家・内箱:遠州 遠州・江月和尚両筆添幅 三井伊皿子家伝来)
その時の着物、帯で、と言われたわけがわかった。8年ぶりにここで再会させてくださるのに舞台衣装までととのえさせてもらえるとはなんとありがたい。これこそ今茶事のハイライトともいうべき一品。

ちなみにさきほどの香合・呉須銀杏も載ってます!!お見逃がしなく!



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濃茶茶碗はこちらでお目にかかるのをいつも楽しみにしている熊川「白菊」ほか、茶杓は遠州シリーズで歌銘「すみた川 井堰にかかる白波の たちかへるへき心地こそせね(源師頼)」
なんだか美術館クラス光悦会クラスのお道具にかこまれてぼ〜っとしてしまう。感覚が麻痺してこれが普通と思ってしまったらヤバイやばい(^◇^;)ありがたいことであるが。

濃茶の大山を越えて、薄茶はほっと一息、還暦の祝いにことよせて干菓子は金沢・森八の「長生殿」。お茶碗は高麗、楽、織部、鈍阿などなど普通の茶会ではどれも主役級なのでこれも普通と思ったらやばいよ。

其中庵さま、長い還暦茶事の長距離走、無事走り終えられてなにより。おつかれさまでした。そして次は古希にむけてますますお元気でおすごしくださいませ。



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帰りしなにいただいたお土産の箱に本日のハイライト「忘草」の遠州筆の忘れ草の歌が写されているのもまたゆかしいのであった。



木津の流れ橋(上津屋橋) - 2020.03.28 Sat

浄安寺の近くに時代劇のロケでも有名な「流れ橋」があるので足を伸ばした。
全長356m、てすりのない木製の長い橋で、木津川をまたいで久御山と八幡市を結ぶという。


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木津川べりに近づいてみると、、、おや〜茶畑が!
そして遙か向こうにみえてくる流れ橋(正式名称は上津屋・こうづや・橋)



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茶畑は本格的で、川の土手にあるなんてかなり意外だが、水辺の砂地で作られるお茶を「浜茶」(対して山間部のは山茶)といって、割とあるそうなのだ。さすがお茶の城陽市が近いだけある。


さて、その流れ橋だが、、、、


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あれ〜〜?!
通行止め!

昨年の秋の台風で文字通り「流れて」しまって、現在復旧作業中なのだ。渡れないのは残念!
この橋、昭和28年の竣工以来なんと23回も流出しているという。


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横から眺める流れ橋。バイクのおじさんがいるのでその大きさがわかるかな。
しかもあたりに電柱1本、高い建物ほぼゼロ、この景色、時代劇を見るときに絶対一度は見てるよね。
あ〜わたってみたかった!


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流れ橋のメカニズムは、橋脚のみ固定、固定されていない橋桁が増水によって浮き上がり流れる(ワイヤーで固定されているのでどっか行ってしまわない)ことによって、水の抵抗を抑えるというもの。あとで橋桁はワイヤーをたぐってまた載せる、、、というものらしい。



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(木津川べりの散歩道)


近年ゲリラ豪雨とか、流される頻度が激しくなって、そのためにたくさんの費用がかかるため、固定橋にしようという話がもちあがったらしい。しかし、流れ橋という現代に珍しい橋でもあり、その景観を流されても見に来る人があとをたたないので、存続を願う声が多く、残すことになったそうだ。これはめでたい。(橋としての機能は近くに第二京阪道の橋があるのでノープロブレム)こんな景色が今の日本にあること自体が財産だと思うね。







久御山の椿寺〜浄安寺 - 2020.03.26 Thu

久世郡久御山は京都では数少ない市でなく郡である。宇治の南、かつて王城の南の守りであった、朱雀をあらわす巨椋池も近かったという。



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久御山にある浄土宗知恩院派・浄安寺
知人にここは椿寺とよばれるほど椿がすばらしいと聞いて、はるばるやってきた。建立は平安後期、ご本尊は伝快慶の阿弥陀如来という。


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入り口にはささやかな張り紙、これがないと入ってよいのかどうかためらうところ。



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境内にはすでにあちこちに多種多様の椿が、、、


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椿が、、、、
これは日光(じっこう)かな。


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なんと清楚で美しい


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赤子の頭くらいありそうな大きな椿もあれば、


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親指くらいのかわいらしい椿も


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ところが境内の椿だけじゃないのである。


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本堂の扉の「入り口」に勇気をもらってそ〜っと入ってみると、、、


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おおお〜っ!


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おおお〜っ!


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毎年椿展の間、境内に咲く椿が同じく境内の枝モノと、それぞれちがう花器に生けられている。


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なにせ240種!(どんどん増えているらしい、、)を超える椿が境内にあるのだ。
椿ほど名前と種類が多い花は他にはないのではないかしら。茶花としてよく使われるが、いつもその名前を聞いて覚えられんな〜と思っている。


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さらにご住職の、御年80を越えられたお母様がそれぞれの花の名前、添えた枝の名前、花器の窯元をご説明してくださる。実はこの方こそ、浄安寺が椿寺とよばれる元となった椿を育てお世話されている方。


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使い終わった椿の枝をもらいうけては挿し木で増やし、花器もかしこく集められたり、お参りの方が寄進されたり、、で、先代の御主人であるご住職に「もういい加減にしておけ」とたしなめられたこともあるとか。

ちなみにこの花器は、赤膚焼の窯元の入り口に山積みになっていたもので、1000円で賢く入手されたそうだ。



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これは「王冠」という名前のゴージャスかつ珍しい椿。添えられた雪柳?の入れ方がただものではない、と思ったらやはりお母様、お茶の先生をされておられるのだ。


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椿だけでなく、枝物もどれ一つとして同じ物はなく、すべて境内にあるとは、茶花に苦労している茶人たちがどれほどうらやましく思うことか!

花が落ちればまたちがう椿を、、と生けていくので日替わりで珍しい椿を拝めるのだが、その作業は大変だと思うが、でもきっと楽しい作業なのだろうなあ。


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それにしても、お母様、椿、枝もの、の名前も花器の窯元もすべてそらんじておられるのが素晴らしい。80才越えてかくありたいものだなあ、と思う。


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さて、これが浄安寺が椿寺となった出発点と言っていいかも。江戸時代からここでしか見られない固有種・浄安寺という名前の椿である。これは秘して花一輪葉っぱ一枚持ち出してはならぬ、という寺訓があるそうで、八重でこんなかわいらしい小さな椿は見たことがない。

浄土宗知恩院派のお寺なので、知恩院の近くから来た、と言ったら懐かしいとおっしゃって、知恩院周辺、祗園あたりは昔自分の庭のようだったとおっしゃるお母さまに御礼を言ってお別れした後もしばし庭の椿探訪。



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盛りの花もあれば落ちて朽ちてゆく花もある。人生かくの如し。
境内で椿をたずねてしばし探検。



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そして駐車場にも椿が浸食しているのも発見!
お母様、すごい!



ゆる〜い中国茶茶会 in TH社 - 2020.03.24 Tue



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鷹ヶ峰ふもとのTH社、かわいい豆雛人形が遊んでいた。


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ちょっと大きめの籠というか箱というか、、、に中国茶の道具と茶葉を詰め込んで持ち込む。
とある休日、TH社で中国茶を嗜む女子がそれぞれの茶葉をもちよって、ゆる〜い茶会を。



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お菓子は、先日の茶事の残り、、、というか残りの方が圧倒的に多い鍵善さんの雛祭り限定干菓子セット。


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こんな室礼でまずは私の単叢鳳凰蜜桃香を。


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チャフーはチェコのマルチン・ハヌシュさん作
蜜桃香はとっても香り高いお茶なのだ。私が持っている中で一番ええやつ。



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ついでTH社庵主の台湾紅茶を蓋碗で。
英国式紅茶は高温でいれて、しかも一煎しか飲めないが、台湾の紅茶はやや低温のお湯でゆっくり入れて、しかも二煎、三煎いけるのだ。台湾の人たちの普段のお茶、というレベルだそうだが、これでそのレベルなら、高いレベルのお茶ってどんなに美味しいのだろう。


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本格的に台湾茶を学んでいるYさんには、ほんとたくさんのお茶を煎れていただいた。


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彼女の台湾土産のイチジクフリーズドライとか、あの美味しい椎茸の揚げたやつとか。
これらのお菓子をだらだらつまんで、だらだらとりとめもなくおしゃべりをして、だらだらと茶を飲んで時を過ごす、、、このゆるさが中国茶の真骨頂よね。



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その中にも美しさがあり、茶の香りや美味しさがある。


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そんな時間のかたわらに、庵主のいけた珍しい白蘇芳の花



弥生雑記2020 - 2020.03.21 Sat

コロナのせいで、茶会はじめいろんな予定がぶっとんで、時間をもてあましているこのごろである。よってちまちました出来事を集めてみた。



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修二会期間中の奈良である。春日の杜の子鹿

SNSで、今年の修二会(参拝)反省会なるものをみつけた。自分はこんなのまで見たぞ、という参拝マウンティング合戦というのがあって、笑ってしまった。あるある、これ。



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12日のお水取りの翌朝(正確には当日)、若草山参道にある春日野窯へ、日本画家、塑造家、歌人、舞楽舞人、尼僧、、、、と、いろんな肩書きをお持ちの中田文花さんの作品展を見に。



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こちらは京終サロンのときにいただいた案内のハガキである。この絵をみて何の場面かわかる人は修二会スト(シュニエスト😅)。そう、鎌倉時代、二月堂修二会過去帳読みあげのとき、練行衆の前にあらわれたという伝説の「青衣の女人」ですね。
かわいい練行衆の豆人形や、ミニミニ差懸や、青衣の女人の人形もあって、萌え死にしそうであった。
早くも来年の参拝計画を練らねば。



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冬の間、みかんがあふれて困った、、、という経験のある方は多いだろう。うちも毎年、数箇所からみかん箱がとどいて、二人しか居ない家では半分以上カビさせたりしてもったいないことであった。そこで今年はみかんジャム(マーマレードではない)を作ってみた。われながら意外と美味しい。これでみかん正味1kg。皮をむいて薄皮はそのままプロセッサーにかけてジュースにし、30〜40%の砂糖でひたすらアクをすくいながら煮るだけ。
今年は合計4回炊いた。毎朝のパンにヨーグルトにせっせと消費して、今年のカビカビみかんはかなりの少数におさえられたのであった。めでたし。



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桜の時期には少しはやいのであるが鷹ヶ峰にいくついでに常照寺へよってみた。さすが吉野太夫ゆかりの寺だけあって、朱の門からして艶っぽい。



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吉野太夫が好んだという大窓(吉野窓)のある茶室遺芳庵(高台寺にもあるよ)
寛永の頃、彼女を争って、近衛信尋と灰屋紹益が争った話も有名。残念ながら38歳にて夭折、美人薄命を地でいったのね。



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山門近くの寒桜系の啓翁桜のみちらほらと。
ここ、鷹ヶ峰は洛中よりかなり高度が高いので、ソメイヨシノも少しおそいのだろう。

その吉野太夫顕彰の花供養が四月に行われ、太夫道中や野点席や繰り広げられるのだが(第二日曜)、、、



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コロナめ〜〜〜!!
秋の11月15日紅葉のころに延期だってさ。



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こちらは同じく鷹ヶ峰にあるギャラリートノトである。
民家をおそらくDIYでほとんど枠組みをのこしたままのスペースにされている。



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こちらで大好きな脇山さとみさんの作品展。彼女の作品はどこかとぼけた味わいがあって、見れば見るほどニタッと笑いたくなるユーモアにあふれたものが多い。


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私が持っている水指などは、の蓋がおっさんの人形で、お腹に大きな穴があいていて、タイトルが「風穴」とか(^◇^;)


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今回はデルフト焼と西洋人の考える東洋的モノの変さ?をあわせた作品ということで、全部デルフトブルーの絵付け。お持ち帰りしたこちらは小さな杯であるが、この絵付けのゆるさがたまらない。茶事茶会でどんな場面に使おうか、考えるのも楽しい。




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旧暦1月17日は古溪忌である。利休参禅の師であり、利休賜死後、大徳寺破却をせまる秀吉を前に一歩も引かなかった古溪宗陳和尚ゆかりの大仙院では、毎年3月17日、古溪忌の茶会がひらかれるのだが、、、またしてもコロナめ〜〜!!お参りだけして帰る。



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玄関の前に見事な日光椿(ジッコウツバキ)の大木があって、今盛りなのがなにやらゆかしい。



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その足で大徳寺前の和久傳の蕎麦部門である五(いつつ)さんでお昼。
こちらの職人さんに以前お会いして、いつか行こうと思っていたのだ。



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室礼も和久傳っぽい。


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席はカウンターとテーブル少々。お一人様がおおいのも蕎麦屋の気軽さ。



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日本全国、あちこちの土地の蕎麦を供しておられるが、この日は北海道産の蕎麦であった。つるつる、シュバッと一気食い。


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蕎麦湯もとろっと濃厚で、これまたおいしゅうございました!

最後に3月19日の近衞の糸桜、写真おいておきます。


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能・社中発表会「桜川〜網の段」 - 2020.03.19 Thu

開催があやぶまれた社中の発表会である。観世会館は2年前からおさえ、プロの能楽師、囃子方をおさえ、中止なら大変だと思っていたが、いろいろ配慮して敢行することになった。



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入り口では社中の若い方が入ってくる人全員の手にアルコールスプレー、マスクしてない人には手渡し、演目の間に定期的に窓を開け放って換気、時々手すりなどをアルコールで拭く、観客は社中のみで、知人友人はその演目だけ見てでていく、というできることは全部しての体制。



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なので見所(観客席)はがらがら、なんともさびしい限りであるが、致し方なく、また緊張しなくてもすむというメリットも(^_^;



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今年は仕舞、「桜川」の「網の段」をやった。
いでたちは昨年と全く同じなのだが、桜川だからやっぱり桜の小紋じゃないとね。袴は今年もYouTube先生におそわりながら、けっこうぎりぎり締めたので、ゆるむことなく、だいぶん上手につけられるようになったと思う。



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扇は毎年演目にあわせて先生にお借りする。昨年の笠の段はシテが翁だったので渋かったが、今年は桜だ!舞扇はどれも意匠がすてきであれもこれも欲しくなる。まあ、どんな美しい扇を持っても芸がね〜、、、(^_^;

「桜川」はご存じ、貧しい家を助けようと自ら人商人に身を売った桜子(さくらご)をたずねて歩く母が、常陸国で寺子となった桜子に再会する話である。「隅田川」と似た筋立てであるが、あちらは悲劇であるのに対し、桜川はハッピーエンドが用意されている。

「網の段」は、狂女となった母が、川面に散る花びらを網ですくって物狂いの様を見せる場面で、物狂いと言えど、そこに品と教養がともなう。昨年、この会で片山九郎右衛門先生が舞われた。

見せ場は川面の桜をすくってしばし見入るが、「これは木の花!(桜のはなびらであってわがたずねる桜子ではない!)」と扇をかえして花びらを捨てるところで、好きな箇所なのだ。しかし、その前の六拍子(足拍子)をちょっと外したのがくやしい。バックにプロの能楽師のお謡いで舞えるのは贅沢なことであるが、毎年自分にあまり進歩がないのが残念である。今年もあとでDVD一回見てお蔵入りさせるんだろうな(´・_・`)

社中の方々の仕舞、舞囃子は見ごたえあって、鬼神がかっこいい「野守」、足拍子がそのまま太鼓の音になっている構成に感激した「富士太鼓」、衣裳面をつけてされる能「羽衣」、いずれもよかった。

コロナの影響か欠番になった舞囃子「邯鄲」を代わりに先生が舞われたのはうれしい贈り物であった。邯鄲、かっこいいし好きやわ。
私は舞囃子は長くて覚えられる気がしないのと、詞章のない部分がちょっと退屈してしまうので、当分は仕舞だけでいく。

いつもなら打ち上げ反省会を竹茂楼でするのだが、今年はやっぱりとりやめとなりこれは残念であった。
最後にコロナ対策にがんばってくれた社中の若い方々に感謝である。





二月堂修二会2020〜お水取り〜練行衆下堂 - 2020.03.16 Mon

(続き)



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女性もお籠もりできる局は12日のみ、講ごとに入る場所が決まっている。
百人講さまのおかげで、正面の西の局でかぶりつきで約8時間お籠もり。


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毎日聞ける神名帳、5日と12日のみの過去帳
今年こそ、過去帳の「青衣の女人(しょうえのにょにん)」を聞き漏らすまい、とがんばったが「〜天皇、〜天皇、、、」の調子がつい眠りをさそって、今年も聞き取れなかった。早すぎて過去帳のコピーをもちこんだとしても、追い切れないだろうと思う。

走りの行
差懸を脱いで足袋はだしとなって内陣をぐるぐる飛び去るように走る練行衆。五体投地で座にもどり最後のひとりが、咒師の「シッチヘン」の合図で五体投地を行うまで、ひそやかな裸足で走る音を聞く。

香水授与
「南座の下﨟立って四角の火をしめして礼堂に香水(こうずい)を参らせ〜」
この香水を参らせ〜、、が聞こえたら、局と礼堂を隔てる格子から手をさしだす。香水を今年もありがたくいただけた。



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午前1時過ぎにおこなわれる水取りを待つ閼伽井屋


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お堂の中ではまだ五体投地の音が聞こえるが、先回りして南出仕口の前で、咒師を待つお水取り行列の方々。堂童子、童子、駆仕、大きな幣を持っているのは講の方。



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水取行列を先導する蓮松明(咒師松明とも)点火


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お堂から咒師、平練行衆五名がこれに付き従う。


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咒師の洒水で行列出発
BGMは南都楽所の雅楽



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先導する蓮松明


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前後に白い布を掛けたお水取りの桶が3つ運ばれていく。担ぐのは庄駆仕


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一堂は二月堂真下にある興成社で祈りを捧げて閼伽井屋へ


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閼伽井屋の中へ入れるのは咒師、堂童子、桶をかついだ庄駆仕だけで、中での所作は絶対秘密なのだそうだ。閼伽井屋の後で耳を澄ますと水の音が聞こえるという。これは一度きいてみたいもの。



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水がくまれるとふたたびお堂へ桶は戻っていく。
この水取は5年前に閼伽井屋の前で見たが、今年は上から拝見できた。





再び堂内にもどり午前3時半ごろ、達陀を見る。(達陀は12,13,14日)
ブ〜ブ、ブ〜ブ、という独特の法螺貝の音に、カラコロの鈴、妖しげな火天、水天の奇妙な所作、達陀松明の火の粉、キリキリと巻き上げられた戸帳の向こうにひろがる壇供の餅の山、糊こぼしの花、、、修二会のハイライトだと思う。

これが終われば練行衆は下堂される。


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茶所
いつもはお茶をいただけ、12日にはおうどんやおいなりさんなど供する店がでるのだが、コロナのせいで今年はなし。残念。パンをかじって空腹をしのぐ。



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午前4時過ぎ
先に4人下堂され、






おくれて残りの7人
この「手水、手水〜」の声と杖の音をきいてほしい。
ああ、美しいな。


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今年も無事お参りできた。
来年はまたちがう場所で拝見したいものと早くも計画を練る。



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裏参道の帰り道、行きに見た乙万人組の詰め所にも灯りがはいる。


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半日籠もったあとのマスク
コロナよりも煤をたくさん補足したもよう。
半日でこれだから、練行衆の方々はあんなに長い間、のどがおかしくならないのだろうか、と心配してしまう。


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今年のお松明の戦利品

不退の行法、今年も満行(14日)です。
東大寺のお坊さまでも練行衆になりたくてなれない方もいらっしゃると聞く。
だから今年選ばれた練行衆の方々の胸にはどんな思いが去来するのだろうか、と思う。

私は、、、早くも修二会ロス。








二月堂修二会2020〜12日初夜上堂 - 2020.03.15 Sun

3月12日は修二会のクライマックス、紋日でありハレの日だ。
いつものお松明より大きい籠松明で練行衆は上堂されるし、過去帳(5日と12日のみ)の読み上げ、走り、香水たまわり、深夜の閼伽井屋のお水取り、達陀までフルコースだ。

よって12日の人出は例年半端ではなく、特に大松明をみようと参拝客が押し寄せるので、お堂直下には立ち入れず、2〜3本見たら移動させられる、、という大混雑、よって長らく12日のお松明はずっと敬遠してきた。

今年二月堂観音講である圓玄講社の一つ、百人講様とご縁をいただき、お堂直下にいれていただけることとなり、40年ぶり(学生時代)くらいの籠松明を直下で拝見できることになった。振り返っても有り難いことで感謝のほかない。



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一般参拝客は二月堂参道から並ぶが、関係者は裏参道から入ることになる。



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ここは塔頭がならぶ風情のある道で毎年講の方の宿舎の提灯などがみられる。
これは裏参道きっての名風景である、乙万人組講の宿舎。
乙万人組はこれも歴史が古く、山城の方の講の一つらしい。



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裏参道を上りきると食堂の前に出る。
5時ごろ到着したが、はやくも籠松明を運び出ししてはった。この景色を見るのは初めてだ。




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1本1本立てかけていく。
この松明の竹は使われた後、寄進した講がまた持って帰るそうだ。う〜ん、それで花入とか茶杓とか作りたい!



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この日の深夜、若狭井からお水取りが行われる閼伽井屋。
3月2日に若狭の国、鵜の瀬から送られた、遠敷明神約束の水が届いているはずである。



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今年はコロナ騒ぎで散々であるが、二月堂修二会の行は粛々と行われ、まもなく満行である。



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いつものお堂直下に陣取るが、この日ばかりはまわりは関係者のみである。
暮れてゆく奈良の夕空の下に大仏殿の鴟尾が見える。

他の日、例年より参拝客がはるかに少なくてスカスカだと聞いていたが、さすがに12日は多い。一般参拝客のエリアでは立錐の余地もないくらいの人で、コロナなんかどこかにぶっ飛んでる(^_^;



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この混雑がいやで、長いこと12日のお松明にはこなかったのだが、12日のみの独特の所作があったことを知った。
三時の案内(あない)の加供奉行が持つ松明も、他の日より一回り大きいのだ。回廊を3回上下し、練行衆上堂を一人堂内で待つ処世界(練行衆の一番新人がされる役)に知らせる。







これは3回目、最後の案内である。
加供奉行「出仕のあな〜い(案内)」
処世界「うけたまわってそうろう!」

が、聞こえるかな?


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そしていよいよ大きい籠松明に先導された練行衆がお一人お一人登ってこられる。
他の日の松明の1.5倍はあろうかという60kg〜になる大松明。この日は担ぐ堂童子さんのハレの日である。

お松明は練行衆の役職毎に、登る前に童子の名前の呼び出しがある。

「かんまえた〜かんまえた〜 処世界さんの童子、処世界さんの童子、○丸、仲間 △丸!」というふうに。







これは処世界さんなので最後の11本目の呼び出し。かんまえた〜のところは収録できず。
(処世界さんは他の練行衆の上堂をみまもり、最後に改めて上堂するので、12日のみ松明は11本となる)


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久々に見る籠松明はやはり迫力が違って、落ちてくる火の粉の大きさも半端ではない。ビニールのレインコートを被っていたがあちこち穴があく。ふと上を向いた顔にも落ちてきて、あち!とちょっとだけ火傷した。



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日ごろのコロナ騒ぎで閉塞感のあった日々も、この火を見るとアドレナリン分泌が高まって解放される気がする。そして思い切り手をあわせたくなる。これは祈りだ。


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次々と上がってくる籠松明


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籠松明
怒濤のように。
この回廊はかなり長い。あの重い松明を慎重に慎重に。



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お堂の角で松明を突き出す堂童子さん



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今年の私的ベストショット!


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そして11人練行衆上堂が終わり、初夜の行が始まる。


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お松明が終わり静けさをとりもどした二月堂。正面になる西の局へ移動する。この日ばかりは講ごとにすわる場所が決まっているのね。(一般参拝客は入れないが、夜中のお水取り、達陀のころにはすいてくるので入れるようだ)

これから深夜のお水取り、午前4時ごろの下堂まで見守るためにお籠もりをする。

(つづく)



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二月堂に行く前に今回お世話いただいた百人講の詰め所に寄せてもらう。お水取り熱烈ファンの方々もいらして、熱く語り合ったのも楽しかった。



大聖寺特別公開〜俵屋吉富・京菓子資料館 - 2020.03.13 Fri


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烏丸今出川以北は同志社村とでも言おうか。赤煉瓦の大きな学舎がたくさん建ち並ぶ。(ここ数年でさらに増殖したようだ)


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そんな同志社学舎の林の中にひっそりとある尼門跡・大聖寺、普段は非公開だが18日まで特別公開中。


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なんといってもここは室町幕府・花の御所の遺構の一部なのである。
北朝初代・光厳天皇妃にして、足利将軍義満の御台所・日野業子の伯母である日野宣子を室町御所内、岡松殿に迎えたことから始まる尼門跡寺院。
その後焼失などもあって場所を転々としたが、江戸中期にこのゆかりの場所にもどってきたという。



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山号岳松山は岡松殿に由来する。
桃山時代、正親町天皇のご息女入寺に際し、尼門跡第一位の綸旨を受け、また幕末の光格天皇のご息女入寺に際し、現在の書院を賜ったとか。このように皇室とゆかりの深い寺で、昭和の時代になってから青山御所から移築されたのが本堂、というのもあって、展示物は明治天皇・昭憲皇太后に纏わるものが多かった。


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(背景が同志社でなんともシュール)


奥の書院で西洋人形の赤ちゃんの洋服を着た京人形が明治天皇愛用にお椅子にすわっているのも(ポスターになっている)シュールだ。昭憲皇太后ご遺愛の人形だそうだ。

印象に残るのが明治天皇が描かれたという八甲田山雪中行軍の図。(それを布に写した物)
明治35年陸軍第8師団歩兵隊の雪中行軍で、210名中199人が遭難死したという、映画にもなった最悪の山岳遭難事件であった。(「八甲田山」)
雪の林の向こうに兵士達が進軍する様子を描いた絵で、意外といったら失礼だが構図も絵もお上手だ。この絵を布に写して掛け布団とし、生涯これを使われたという。多くの皇軍兵士を失った痛みを生涯背負って行かれたのだな、とそのお人柄が垣間見えるような気がした。



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あとは庭園の美しさ。京都市指定名勝となっている。

花の御所ゆえ、四季の花が美しいという。小川をおびただしい丸石で表した枯山水の庭園は、雨ゆえよけいに苔の緑が美しく、芽吹く直前の木々の梢のやわらかさ。多種におよぶ椿がいまは盛りで、ちらっとではあったが、真っ白な八重咲き「玉兎」椿も見ることができた。(玉兎は光格天皇皇后様命名)



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書院の前に入寺した皇女たちの丈にあわせた背の低い藤棚、そして菊の御紋の入った信楽の壺がずらっと並ぶ。季節になれば「雲居の鶴」という杜若が咲くそうだ。その頃また公開されるといいのにね。ちなみに雲居の鶴は鶴の紋様がお好きだった光格天皇からの拝領なのだそうだ。



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絵葉書をもとめる。この白いのが玉兎
きれいだ。


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その後は近くの俵屋吉富さんの京菓子資料館へ。
10年ぶりくらいかしら。


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お庭もきれいにされている。
展示は工芸菓子や、季節の菓子の元になる昔の図案帳など。
興味深かったのが唐菓子。これ本では名前だけ見る「梅枝、餢飳(ぶと)、索餅、歓喜団、、」などの実物模型があって、ああ、梅枝ってこんなんか〜と初めて納得した。



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こちらの茶室でお茶を一服


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お菓子はもちろん俵屋さんの「弥生花(桃)」


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ここには腰掛け待合いもある小間の茶席もあって、使われているなならいいな、と思った。



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ランチは俵屋さん近くのnatural riddimへ。なんかかわいいお店。


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もともとハーブティーのお店らしいが、チキンカレーを注文。サフランライスも美味しゅうございました。


夜の京セラ美術館(旧京都市立美術館)〜オープン前 - 2020.03.10 Tue

*オープンは3月21日から4月4日に延期されました。


今月21日、長い修復期間を終えてグランドオープンする市美、、、いやそろそろ京都市京セラ美術館の名前に慣れなければ。



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夜このあたりを徘徊するのが好きなのだ。オープン前の美術館を撮っておくのもよかろうと、カメラを持って散歩がてらでかける。



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ファサードの下の白いところはカーテンが引いてあるが素通しの強化ガラスかなんか。ほぼ毎日ライトアップされている。ちょうど玄関が宙に浮いた形に見える。ここがなあ〜、学生時代から親しんだどっしりした石の階段があったのに撤去されたのがいまだにくやしい。



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このガラスのところは光りのリボンというらしい。夜、きれいなのは確か。


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南側へゆるやかな曲線を描いてtapering


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北側へも
このあたりで中をのぞくとミュージアムショップとおぼしき部分になっている。


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ここから西を向くと平安神宮の大鳥居が見えて、美術館前の広場は、すり鉢状になっている。
お向かいは府立図書館、国立近代美術館。
仲良く市立、府立、国立が並んで、今更ながらこのあたり一帯ほんま良い文化ゾーンだなあ。



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この色とりどりのガラス片の構造物は、ルーブルのピラミッドをまねて?地下のエントランスに通じる道。本館は鏡に映っている映像なので、実際はこの背後にある。



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北西の端から見た図



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重厚な昔の内装(昭和8年開館)がどこまで残っているのだろうか。いきなり近代的!はいやだわ。



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別のエントランスが開かれたため、開かずの扉となった慣れ親しんだかつての正門



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西側の広場には透明強化プラスチックのフェンスがランダムに設けられていて、直線コースが歩けないようになっている。夜はよく見えなくて激突者(=私)がでることも想定して端に点滅する赤いライトバー設置。



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反対にいままで閉じられていた東側の扉がガラスでカバーされ、ここが新たな中央入口になるもよう。


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この背後の池にガラスの水上茶室「聞鳥庵(もんどりあん)」
杉本博司さんの作らしい。オープン時に茶室披きもされるそうだが、どんな感じになるのかな。

ちなみに別の日の昼間にとった写真がこちら


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今まで空き地っぽい感じだったところ(よく孫を遊ばせてた)に新館・東山キューブができたが、それとの連結部分がこちら。ここがレセプションになるようだ。



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このレセプションを引いてみるとこんな感じ。


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新館の外観
工事の幕がとれたときには「ベニヤ板か?!」と口をあんぐりしたものだが、慣れてきたわ。



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21日のオープン以降、本館では「最初の一歩:コレクションの原点」はじめいくつかの展示が、新館では杉本博司さんの「瑠璃の浄土」展が開催される。これは楽しみだ。



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かつて「第三の男道」(わかる人にはわかる)とよんでいた東側の小径も久々に歩く。左手の景色は一変したが、モミジバフウの並木は健在である。



弥生の茶事〜お雛遊びやら修二会やら - 2020.03.08 Sun

コロナ騒ぎで、半年前から計画・準備していた4月の茶会がパアになってしまった。いたしかたないとは言え、ちょっと虚脱してしまう。



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ここは気持ちを切り替え、茶の慰めは茶で、、、とささやかな茶事を。
年代物(=私の年令(^_^;)のお雛様を今年もだして、お雛遊びやら、、、



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修二会やらをテーマに。
ほんものの糊こぼしがいつか手に入りますように。昨年のお松明の燃えさしに、練行衆盆の5分の3の写し。



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さいわいお天気も良く、外の大騒ぎが夢のような春の一日



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露地の苔も今が成長し始めるとき
(鳥がほじくりかえすんだわ、たぶんヒヨドリ、、ウグイスや、メジロはかわいいけれど)



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お雛様の懐石鉄板メニューは、ちらし寿司とハマグリの潮汁
お茶友さんにいただいた曲げわっぱを重宝している。



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向付は女子の茶事の時に使う古伊万里
まあ、今日はおじさまお二人だけれど、女子のお祭りってことで



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先日アジアの雑貨のお店のかたすみでホコリを被っていたこの籃胎漆器、見たら炭斗にしか見えなくて。ミャンマー製。

さて、ここでマチガイさがし。


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はい、釣り釜なので鐶は不要なんですね。炭手前の最中に気づいた。はずかし〜。



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お雛様の道具みたいに小さな小さな豆香合



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後座で二月堂焼経を出すので、初座の花入は経筒
うちの庭の最後の白玉椿と、毎年花芽をつけない(^_^;ネコヤナギ



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こんなご時世でも不退の行、修二会は二月堂で粛々と行われているわけで、練行衆の方々のご無事を祈らずにはおられない。



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蓋置は二月堂の瓜灯籠
今年は局でのお籠もりは自粛かなあ。



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主菓子はみのり菓子さんの「ひいなあそび」
雛の小袖に見えづらいけれど菜の花が散っていて、餡が酒粕たっぷりでほんのりいい香り。



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そういえば最初のお酒も白酒にした。見た目より全然強いお酒でびっくり。


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後座の頃、もう手燭はいらない明るさであったが、茶室の中はほの暗い。

本日のお客様はやっとおよびできた花月の会の先生方(+社中の茶道男子)なので、あれこれ点前のマチガイも指摘していただきつつ冷や汗もん。
本来濃茶は回し飲みだが、ご時世ゆえ各服点てを初めて試みる。三碗だすと真ん中の茶碗へのお茶のすくい出しの量が不安だった。ちゃんと茶杓で測ったのだがな。でも三碗も茶碗がだせてうれしい。なかなか出番のない茶碗を使ってやることができた。



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お雛様の干菓子はちいさくて賑やか
実はこの菓子器には柳の蒔絵の他、燕が三羽闇蒔絵で描かれていて、燈火でこれをさがさせる、というお楽しみも。



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このお干菓子、鍵善さんのお雛様の時だけ出るセットなのだが、ぎっちりつまっていて、とても1回では使い切れない。



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薄茶の最後にお正客の先生に点てていただいた。とてもクリーミーな薄茶で、花月の会でも先生のお茶があたるとみんなラッキーと思うのだ。ありがとうございます。


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ちなみにこの時の御茶碗は焼きたてほやほや?の粟田焼「西王母」
亥の目茶碗もひっくりかえすと桃になるなあ、とへんなところに感心。



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なんとか最後までやり通す、お客様といっしょに一会を作る、毎回同じ道具でもリアクションがちがう、同じお客様でもちがう会になる、しんどいながら「やった〜!」という達成感がある。
このために茶事をしているのかもしれない。

写真は最後に亭主の見送りを躙り口あたりにかたまって待つひととき
なんだかとても美しい世界だ。



茶の湯〜禅と数寄〜相国寺承天閣美術館 - 2020.03.06 Fri



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同志社に隣接する足利義満が創建した臨済宗・相国寺の境内である。
観光客はあまりこないので、いつも静か。


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この一画にある相国寺・金閣寺・銀閣寺その他の所蔵の美術品コレクションを見せてくれるのが承天閣美術館


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禅宗の寺として、中国をはじめ日本の禅僧の墨蹟・絵画は当然のことながら、茶の湯の道具が多いことでも有名なので、茶の湯クラスタには看過できない展示が多い。
というわけで、今季は「茶の湯〜禅と数寄」。


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こちらは土足を脱いで靴下のまま中へ入るスタイル、いつも比較的すいている。今回ちょっとうれしいような悲しいような出来事、、、ここはシルバー料金があるのですぅ〜(^_^;

展示は、墨蹟はスルーしてしまって茶道具にばかり目が行ってしまう。(墨蹟も掛け物として茶の湯の道具ではあるのだが)



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展示は後期にはいっていて、禾目天目は見られなかったが、黄瀬戸珠光天目+尼崎台あり。
一番食らいついたのは加賀光悦(重文)やな。これ一つでお客さん呼べると思うのだが、おしげもなくなにげに置いてあるところが憎いわ。このどしっとした迫力。写真で思うよりはるかに大きい。これも有名な長次郎の「喝色」もあったのだけれど、ちょっと光悦にはまけるかも〜(個人的感想です)

東山御物であった唐物茶入(古瀬戸鶴首)もなにげに置かれていて興奮する。まあ、お茶をしない人にはあんまり地味すぎて興味ないかもやけど。


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場所が相国寺(金閣寺・銀閣寺も管轄)だから「隔蓂記」の茶に、一章さいている。
金閣寺・相国寺の住持であった鳳林承章の日記(1635〜1668)で、江戸初期の上流文化の研究に欠かせない文献でもあるのだが、後水尾天皇、金森宗和、千宗旦、野々村仁清、狩野探幽その他の茶の湯、美術関係ビッグネームがごろごろでてくるらしい。
展示は主に鳳林承章の書画、交流のあった仁清の茶碗、宗和の竹花入れなどであるが、金閣寺所蔵の「隔蓂記」そのものも展示されていて、感動。まだ読んだことがないので読みたいと思いつつもあまりに厖大なので二の足を踏むわ。



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最後にやっぱり足利家ゆかりの寺であるから、かの「君台観左右帳記」(伝相阿弥)がでていて、「座敷飾花の子細伝書」の絵画のところにお馴染みの中国絵画の画家の名前(牧谿、王澗、顧愷之、徽宗皇帝、徐熙などなど、、、)がずらっと載っていて、思わず復習したのであった。(しらないのはやっぱり目がスルーしておぼえられない、、)




家具屋姫さんのワンコイン「茶事」 - 2020.03.03 Tue


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播磨国の家具屋姫さんとこへ行くのは2年ぶりくらいだろうか。昨年は思わぬ悲しい出来事があって、ずっとお休みをされていた。



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他人が知ることの出来ない色々な思いが渦巻いておられただろうと思うが、とにもかくにもお茶をしようと思われたことに安堵する。



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家具屋姫さんのお茶はいつもとびきりユニークで、それでいてしみじみ心に残る。
コルトレーン茶会、JAZZ茶会、ホームレス茶会、、、なにより印象深いのが百均茶会であった。
最初は百均?まさか〜となめていたのに、実際いってみると、百均の道具とお手持ちの道具との境をまぎらかし、どれが百均でどれがそうでないか、全く区別がつかない。その上センス良く使われているので、すごくすてきな室礼になっていた。なめていてゴメンなさ〜いと思ったものだった。



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四畳半の茶室に席入りすると蝋燭がともされ、ちょうど利休忌でもあり、mourningの雰囲気も漂う。床にはブラックホールを思わせる作家さんの絵画、お線香が一本。
亭主と客が対面する形の流し点てで。一服を献茶とし、薄茶をそれぞれいただいた。



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この日の会費はワンコイン、それも某茶道団体へ寄付されるという。お菓子がうす〜い羊羹一切れです、というお知らせに、足りないかも、、と阿闍梨餅を買っていったのだが、無用の心配であった。うす〜い、というのは冗談で、しっかりした羊羹、それも日にちを測って、羊羹の表面に砂糖結晶の皮膜ができるかできないかの絶妙なタイミングでご用意くださった。



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お茶をいただいたあと、離れのすてきな空間にいざなわれる。こちらに入るのは初めてだ。小さなカウンターキッチンもあり、すべて家具屋姫さんの設計だというのにも驚く。


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暖かくなったので、使う必要はなかったが暖炉もあり、ここでおしゃれなグリーンサラダ、家具屋姫さん特製(これもあちこち食べ歩いて研究を重ねた)の粉もんをいただく。



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とても百均とは思えないグラスやお皿!おしゃれ〜♪

順序は逆であっても、これは立派な点心、だから今回のお招きは家具屋姫さん流の茶事であるな、と思った。これまでいろんな形の茶事をあれこれ楽しんできたが、また新しい茶事の形を体験させてもらった。

日々の暮らしの中では様々なことがおこる。一様に平坦ではない。そんな暮らしの中で、茶の湯もまた心の支えとなりうることを改めて感じた。

家具屋姫さん、御連客さま、ありがとうございました。



大中臣祓〜二月堂修二会 - 2020.03.01 Sun



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二月堂の周りにはもう結界がはられていた。2月末日、翌日から修二会の本行が始まる日である。


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本行に入る前日夕刻(18時〜)練行衆参籠所の前で行われる大中臣祓を一目見ようと。本格的な雨だし、ややこしいウイルス騒ぎだし、きっと人は少ないだろうと思って行ったら1時間前にはもうけっこうたくさんの人が待ってはった。



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18時前、参籠所の前に祓に使われる松明が用意される。
大中臣祓は本行前に練行衆のうち密教的儀式を司る咒師が場と練行衆を清める行事である。
もともと中臣祓は神道からきているのだが、陰陽道や仏教にとりこまれてきた歴史があるそうだ。



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「お祓いにござろう お祓いにござろう」の呼び出しで参籠所の門が開く。
この日の午後、別火坊を出て参籠所入りした練行衆の方々だ。



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全員、北の回廊(細殿)下にならんでうずくまる。


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咒師のお出ましを待つ火


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咒師が蹲踞すると小綱(堂童子・駆士とともに参籠三役の一)が松明をかかげ、、、



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火をつける


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咒師が本尊を勧請


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ここで普段僧侶が右肩を出す形にかける袈裟(黒い紐状の簡略化された袈裟)を左肩を出す形に掛け替える。仏教の修法から神道の作法に変わるため、と言われる。そして襟元にさした幣をとりだす。


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中臣祓を黙誦(声はださない)
中臣祓は祝詞である。


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 祓戸ノ八百万ノ神達ノ広前ニ練行ノ諸衆、カシコミカシコミ申サク、、、
    、、、、、、、、、如意宝珠ノ珠ノ御簾ヲトメテ聞コシ召セト申ス

他の練行衆も蹲踞のまま数珠を手に祈る


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祓の儀式

大中臣祓は別名天狗寄せともいわれる。春になって騒ぎ出し悪さをする天狗を集めて、まとめて祓ってしまおうという。
そういえば本行の下堂の時に「手水手水〜!」とさけびながら回廊を走って下るのは、練行衆が留守の間、天狗が悪さしないように「手洗いだけだからすぐ帰ってくるぞ!」という意味。二月堂のあたりよっぽど天狗が多いのか(^_^;


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場も祓い


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練行衆も祓いを受け、


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そしてみんな参籠所へ帰って行った。
この日の深夜からいよいよ行は始まる。



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静けさと人気のなさを取りもどした二月堂に上がって見る。



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こんなご時世にこそ、祈りは必要なのかも知れない。(祈りだけでは足りないとしても)


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大中臣祓をもって、参籠所の前にも結界がはられ、本行の場の結界は完結する。
これに先立つ21日の注連縄撒きに来年は行きたいなあ。


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練行衆として出仕しはる塔頭の玄関にはその注連縄がかかる。

ご無事の満行を祈る。



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