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2020-05

コロナ後初の茶会〜これからの茶会のスタイルは? - 2020.05.31 Sun

関西では新しい感染者がゼロの日が続く(26日現在)。あんないい加減な(ゴメン)大阪が収束しつつあるのには驚嘆せざるを得ない。(緊急事態宣言下でも日々大阪に通ってたもので)



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いつまでもすっこんでいられないので、ぼちぼち茶会を、、、と思ったら緊急事態宣言解除後最初のお誘いをいただき、うれしくて参上。



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とりあえずコロナ後の実験バージョンということで、茶席と客の間に布をたらしたそうだ。スーパーなどではキャッシャーとの間にビニールシートの幕がはってあるが、さすがにビニールはやばいだろうし、蚊帳生地などでは遮蔽力が弱いだろうし、の究極の選択。
どことなく道安囲っぽく見えなくもない。



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ご亭主は風通しが悪いので、暑いらしい。
客はお点前がほとんど見えない。あ、釜の蓋が開いたな、、という音で楽しむことはできるが。
広間の茶会だと、ここまでしなくてSD(social distance)は保てるだろうが、小間でのあり方はどうすべきか?

少人数で知己のみという茶事では、戸を開け放し(これからは風炉の季節なのでOK)ですれば問題ないと思う。まあ、濃茶の飲み回しや千鳥の杯のあり方は当分控えざるをえないかな。

しかし、これだけマスクやSDで感染予防ができるとは、以前の当たり前の生活って他人の分泌物をさんざんかぶって生活してたんだよね〜。潔癖症の人なら「いや〜!」と思うかも知れないが、それで免疫を少しずつ獲得しながら日常生活はまわってきてたんだ、と今回の事態で改めて思った。

問題は不特定多数が三密の状態を作りやすい月釜などの大寄せ茶会だろう。トータルの人数を減らしてでも時間人数制限でやるしかない。どちらにしても月釜系統の茶会は秋以降までほとんど中止だが。秋以降もこの状態が続くのか、いささか不安ではある。

今後の茶会のありかた(暫定的にせよ)について、各家元のご意見が是非聞きたいところ。いまのところそれを発信されている流派は私はしらないので。



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お菓子はakamaさんの「まがり」
「円狩り」でまがり、円形のコロナウイルスエンベロープの形を「狩る」という病魔退散の願いをこめたお菓子なのね。すはまなのだが、赤い方がシナモン、クローブ、カルダモンというチャイっぽい思いがけない味でとてもおいしかった。



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で、布をたらすのは主客供にうっとうしい!ということで結局こういう元のスタイルにナリマシタ。

久々の薮之内のお点前で二服いただき、この感じ、やっともどってきたな、と感慨深い。ついこの前まであたりまえだったことなのにね。

数年後にはまた以前のようにもどるのか、やはり衛生面を考えてコロナ後を踏襲するのか、100年前のスペイン風邪の記憶がほぼ忘れ去られたように、一過性の出来事となるのか、予想がつかない。一碗を共有することに意義があるとしてきた濃茶の400年の歴史がいま、くつがえるのだろうか。



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お茶の後、若い男子ながらお料理が主婦の私より上手なご亭主の点心で酒盛りに突入。いや〜美味しかったというか、お酒に合う〜!というか、感謝感謝。



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久保田と濁り酒、出された分を同席した日本酒愛好家で陶芸家A君ときれいに飲み干して、、、



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最後にコーヒーまでいれていただいてお開き。
久々に茶会と酒盛りをいっぺんにやれて超満足である。
ありがとう!!




南禅寺〜奥の院・駒ケ滝 - 2020.05.29 Fri

いまは近所の人しか来ないけれど、普段は観光客で賑わう南禅寺のその奥に、滝行場となる滝があるのをご存知だろうか。実は私もしらなかった。


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夕刻、散歩がてら碧雲荘界隈を通って、南禅寺へ。
碧雲荘の花菖蒲はまだ少し早いみたいだ。昔はこの季節だけ堀の近くまで行けたのだが。


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碧雲荘脇の疏水分線の道も緑あざやか、夏草も茂りはじめた。ここで野の花をつむのも蓬をとるのも。


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珍しくここに鴨のつがいがいた(写真はメスの方)。やっぱり人がいないせいかね〜。


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野村美術館、自粛休館する前の最終日に行ったのもずいぶん昔のことのような気がする。まもなく開館すると思う、、というか、してほしい。


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西門を通って南禅寺境内に入る。
南禅寺は徒歩圏内、自分の庭の延長のような感覚であるがゆえに、かえって今までわざわざでかけることも少なかったのであるが(インバウンドでごった返しもあるので)。



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苔と木々の緑が美しい。


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絶景かな〜の山門も緑の中にひっそりと。


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なにしろ紅葉の名所なので、青楓の季節も麗しいのだ。


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TVのサスペンスもの定番の水路閣。(なぜ謎解きをここでするかな〜?)



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夕刻ということもあったが観光客ほぼゼロなので普段は撮れないこんな無人の写真も簡単に撮れてしまう。


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アーチをくぐって、上に登って、、、


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この水路閣の上、琵琶湖疏水は流れ、、、


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隧道を通って山科まで水は流れるのだ。


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そこにあるのが南禅寺では一番奥にある東山の麓の最勝院高徳庵




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だれが創建したのかいつ開山なのかはっきりしない、、くらい古い塔頭である。(現地へ移転は大正年間)


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境内に奥の院・駒ケ滝まで二町とある。ええ〜っと二町でどれくらい?遠かったらやめようと思ったが計算すると200mくらいなんでこれならいけそう。



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最勝院の右手の道をずっと山の方へ登っていく。


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坂道はゆるやかだ。


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奥の院への道である。とちゅう大杉明神とか豊丸明神とか土着神を祀ったとおぼしき社や碑がほんとうにたくさんある。


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このあたりは東山山系の足元になるので山の水が滲み出るような水の気配だ。



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お、お社が見えてきた。


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奥の院についた。背後に駒ケ滝、空気がぜんぜん違う。

奥の院は、鎌倉時代に駒道智大僧正が隠棲したとされる。僧正は摂関家の出自で比叡山で天台密教をきわめ、のちに南禅寺管長(長更)、永観堂住持もつとめ、伝説によると白い馬(駒)に跨り天空に身を隠した(なくなった)といわれる。よって駒大僧正とよばれ、その隠棲した奥の院の滝を駒ケ滝とよぶようになったとか。



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駒ケ滝、ほとばしる水は山水であろう。



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この滝は滝行ができるらしく、行者のための小屋も整備されている。洛中からあまり距離のない場所での滝行なんて!こんなところがあったなんて、すばらしい!



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滝のそばにはお不動さん


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滝から下を見る。


駒大僧正にはもうひとつ伝説があって、亀山上皇がこの地に離宮を作った際に、この地への執着強かった僧正の死霊が夜な夜なあらわれたという。最終的には東福寺・第三世無関普門(大明国師)がこの死霊を鎮めたとされる。この功績により、のちに大明国師は南禅寺開山となったのであった。



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ほとばしる水の清冽さ、つめたさ


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そして美しさ
山の清浄な空気につつまれて、最初心細かった心もおちつき、しばしここに身をゆだねる。
こんな場所が家の近くにあったなんて、、、

さすがに滝行は今は風邪ひきそうだし遠慮しておく。


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周辺には、観世音菩薩、八劔大明神、飛車大明神、八ツ崎大明神、駒ケ滝地蔵大菩薩、力彦大明神、、、、名前を聞いただけではわからない土着の神さまがたくさん祀られている。



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かなりあやしげな雰囲気もただよう。ほんまに日本は八百万の神の国やな。お寺にあるというのも、こういう日本人の宗教観って好き。



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しらべたけれど不明だった「力彦大明神」
何系の神様なんだろうか。


この滝の上には洞穴があって、厳島弁財天など祀られているそうだが、さすがに夕刻ゆえちょっとこわくて遠慮した(^◇^;)

地図をみるとその先をどんどん行くと大文字山の三角点に達する道もあるようだがかなりケモノ道っぽい。(ツレが他日どんどん奥へ行って、新島襄墓所に出た、と言っていた。)


そろそろ暗くなってきたので、人ならぬモノもでるやもしれぬ、とそのあとはとっとと帰路についた。南禅寺の奥をきわめたい人、昼間ならこわくないので是非。





自粛下の皐月雑記2020 - 2020.05.26 Tue

緊急事態宣言下の5月のある日、運動不足を解消するために岡崎からてくてく大徳寺まで歩いた。



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5月いっぱい自粛で店内で珈琲が飲めない大徳寺近くの珈琲山居さん、どうしてはるかな〜とご機嫌うかがい。おかわりなくて安心。テイクアウトの珈琲豆とグルテンフリーのお菓子をゲット。



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お菓子は大徳寺の金毛閣の前の茶所(開いてた!感謝)でいただく。



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その足を伸ばして久しぶりに狐菴KissaCoさんへ。こちらもご亭主は普段とおかわりなく、梅餡のはいったaoiさんの猫最中とコーヒーをいただく。長距離歩いた後のコーヒーはまた格別。



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さて、夏になるとガラスの器や茶器に目が行く。
コロナのせいで行く予定だったのがおじゃんになった姫路のギャラリーとーくさんの「茶道具の小さきモノたち展」、展示会自体が自粛になってしまった。けれどオンライン販売可能になったので、こちらのガラスの茶器をゲット。四国のガラス作家・梶川泰臣さんのもの。




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ガラスといえばこちら百万遍の実験器具の小さなお店。
こうやって見るとガラスの実験器具ってきれいだし、夏の茶道具に使えそうなモノばかりだね、と食指が動く。



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メスフラスコは必要にせまられて買ったのだが、お店の人がオマケにキムワイプをつけてくれた。これ、昔実験室でよ〜く使ったペーパータオルで、理系の人ならかならずお世話になっているはず、懐かしい。


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こういう使い方もできるな〜と思って、野の花を入れてみた♡



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また別の日、この日のウォーキングは下鴨神社まで。
糺の森は緑が目に麗しい。神社はやはり人は少なくご近所の方ばかり。



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糺の森には最近みたことないような摂社、末社の新しいお社が次々できていてびっくり。これも森の一部を売ってマンションにしたもうけからかなあ、と思うと若干腹立たしい。



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もう観光目線はいらんから、こういう昔からの自然の景色を大切にしてほしいと切に願う。インバウンドは当分もどらないと思われ、いまこそ観光を考え直す時ではないか。



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ウォーキングもしんどくなったある日はドライブを。嵐山高雄パークウェイを目指したが、閉鎖中、急遽周山街道を北に行って「北山杉の里・中川地区」へひさしぶりに。清滝川に面する建物は磨いた丸太を保存乾燥する倉庫らしい。



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川端康成の「古都」の舞台でもある。
いまでも菩提の滝の砂で人の手によって杉の丸太は磨き上げられる。そして洛中からちょっと出ただけで、こんな静かな集落があることに感動する。



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さて、グルメのお取り寄せも自粛生活の楽しみである。
まずはお馴染み和菓子店・青洋さんの薔薇の羊羹!この美しさを見て!



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わざわざ取りに行ったので、御礼に、と試作品の干菓子もいただいたが、これがまた美しすぎて食べられない〜!(結局食べましたが、、、(^_^;)



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鍵善さんもお菓子のラインナップが初夏になった。これは「青楓」、餡のまわりの葛が美味しくて!
この写真見せたら「オクラ?」と言った人が居て、、、見えなくもないか(^_^;



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お料理屋さんのテイクアウト弁当も楽しかった。
これは東本願寺近くの料理旅館井筒安さんのわっぱ弁当。井筒安さんにはかつてよく行ってお世話になったものだ。ランチをいただいたこともある。普通弁当は味付けがどうしても濃くなりがちだが、これはふだんのお料理と同じく上品な京料理であった。



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別の日には円山公園の菊之井さんの時雨弁当とおごってみた。さすがに高級食材ぎっちりでお腹一杯。お店は開けてはるものの、店内で召し上がる方はほとんどいないとのこと、早く賑わいがもどるとよいが。



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ある日はお茶日和の鴨川へ。充分歩いて行ける距離である。


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桜の木の木陰にマットを敷いて一人茶席を作る。
木陰で龍笛か能管のお稽古をしている人もいるようで、美しい音色と川の流水の音のBGM。



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ここでお茶を点てて飲んだり、持参した本を読んだり、土手を行く人をぼ〜っと眺めたり、しばしの一人時間を楽しんだ。京都に鴨川があってほんとうにヨカッタ。



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最後に、これ坪庭に突如咲いたシランである。
勝手に葉っぱが生えてきて、なにかな〜??と思っていたら花が咲いた。得した気分。たぶんこの種を運んだであろう鳥に感謝。




嵯峨野鳥居本〜愛宕念仏寺 - 2020.05.24 Sun

知人のTLで鳥居本の平野屋さんが、お店をあけておられるという情報をゲット。
最近なにかと嵯峨野にご縁のある方に会うこともあり、久々にでかけてみようと思う。


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大覚寺に近いところに車をとめて、そこから鳥居本をめざす。しょっちゅう行っている化野念仏寺へ行く道なのだが、ちょっと変則的な裏道を通る。このあたり感じの良い茅葺きの家がまだ点在。(ちなみに右の家は「売家」であった。だれか買わんかな)



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細い裏道をぬける。



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そして旧愛宕街道にでる。ここはお馴染みの通りで化野念仏寺千灯供養の時期には愛宕古道街道灯しが行われ、夜提灯やぼんぼりに照らされて幻想的な街道になるのだ。

↓2年前の街道灯し

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この街道には古い民家がたくさん残っているのもうれしい。お土産物屋さんもたくさんあるのだが、ほとんどの店が閉まっていて、人通りもきわめて少ない。普段から少ないよ、という説もあるが(^_^;



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その化野念仏寺も自粛閉山中。


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(民家の山法師の花)

そこを通り過ぎてさらに奥へ行く。実はここから先、まだ行ったことがないのだ。道は緩やかな上り坂。


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このあたりは嵯峨野鳥居本伝統的建築物群保存地区になるという。なるほど見事な民家がしっかり残っている。(洛中になぜそれができなかったのだ?)



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このあたりはベンガラを使った家が多い。



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現在も火除けの神様として信仰も篤い愛宕神社への参道である。京都の家には必ず一枚は貼ってあるという「阿多古祀符 火廼要慎」の御札がいただけるところである。(ちなみにうちには違うお寺の火除け札が、、、、(^_^;)



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閉まっているけれどなんだかおされなアンティークのお店になっている古民家も。



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バッタリ床机に格子窓というThe町家なこちらは嵯峨野鳥居本町並み保存館として使われている明治時代の町家である。(休館中)



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おおお、なんと最近はまりかけている京都トレイルの地図の販売もされているではないか。いずれ手にいれる所存。


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道は奥に続き、嵐山高雄パークウェイ(→高雄までいけるが現在閉鎖中)とクロスする。



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道端に、、、おおおお!茶人にとって、この季節垂涎の花である大山蓮華がなにげに咲いておる〜!!たくさん開花していたが、蕾の写真を激写。摘んで帰りたい気持ちを抑えるのにくろうしたよ(^_^;



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左手にも見事な<くず家>(茅葺きの家)、奥に、、、見えてきた、愛宕神社の一の鳥居だ。



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昔はここから愛宕神社のある愛宕山登山を目指した。ちなみに愛宕山は900m級の山なので、大文字山の二倍の高さ、比叡山と良い勝負の標高なんである。



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平野屋さんの手前に、これも400年の歴史のあるつたやさん。茅葺きの屋根が良い感じである。



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一の鳥居のすぐそばに鮎料理で有名な平野屋さん
「あゆよろし」の提灯がかかる。

この鳥居のお膝元にあるから鳥居本という地名なのね。先日NHKの「ブラタモリ」でタモリさんがおっしゃっていた「地名には歴史が刻まれているので、行政の都合で勝手に変えちゃいかんのです。」という激しく同意したご意見を言っておられたのを思い出す。



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このコロナの緊急事態下でもお店をあけておられるのはありがたいなあ。他にお客様はどなたもおられない。「日ごろからそんなに人は来ませんよ。」とのこと。

平野屋さんも400年の歴史、江戸初期から愛宕詣での人たちのお休み処で、名物しんこ餅を供した他、保津川でとれる鮎を扱う鮎問屋だったという。それをいつの頃からか、料理して出すようになったそうだ。



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鮎の解禁は6月以降なので、ここでは甘いもんを一ついただこう。



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あたご名物しんこ餅もあるのだが、、、



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やっぱり柚子餡と、こし餡の桜餅に惹かれて、、、
柚子はこの先をさらに奥に行くとたどりつく水尾の里の名物だからかなあ。


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長い歴史が磨いてきた建物がすてきで、いずれまたご飯を食べに来たいものだと思う。あ、、でも私鮎というか川魚苦手なんだった(^0^;)


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平野屋をあとにしてさらに奥へ、愛宕山の方へすすむ。



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一般的な愛宕山登山ルートの出発点・清滝と水尾の分かれ道。


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この先けっこう恐そうな?愛宕山トンネルがある。



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その手前にあるのが愛宕念仏寺である。

愛宕神社は「あたご神社」愛宕念仏寺は「おたぎ念仏寺」と読む。「おたぎ」の方が古い地名で愛宕山もかつて「おたぎ山」とよばれていた時代もあったとか。いつのまにかあたごに変化したもよう。



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ミニ懸崖作りの地蔵堂、愛宕人神社の本地仏(本地垂迹)火除け地蔵尊をお祀りする。さてその右手の石垣とおぼしきものが、、、実はこちらの名物羅漢さんの石像群なのだ。

開山は奈良時代という古さでありながら、何度も流失焼失荒廃をくりかえし、もともと現在の六波羅蜜寺近くにあったのを、現在の地におちついたのは大正年間だったという。



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昭和30年に天台宗本山から住職を命じられた西村公朝師が着任されたときには荒廃すざまじかったという。当時の清水寺の大西良慶管長の後押しで、復興に奮闘する。仏師でもある西村師が昭和55年からとりかかったのが「昭和の羅漢彫り」事業であった。



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彫ったのは希望した一般の参拝者、最初目標500体だったのがいつの間にか1200体になったそうだ。
境内を埋め尽くす個性的な羅漢さんたち。



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かなり個性的な方もあって、彫った人にどこか似ているのかも知れない。お参りしたら自分に似ている羅漢さんにも会えるかも。うん、私は似たのを見つけたよ。わりとどこにでもある和風の顔だし(^_^;


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お気に入りはこの晩酌ペア


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昭和という新しい時代の物ながらもう40年近くたつとこんなに苔むすのだ。ここは山の水があちらからもこちらからもにじみ出るような場所だからなおさら。



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右手の本堂はなんとか喪失を免れた、鎌倉時代の再建、重要文化財である。



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本堂のきざはしにすわって、しばしこの静寂を楽しむ。世間のコロナ騒ぎ、緊張を強いられる生活をいっとき忘れられた。



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街道に近い場所にもお行儀良く並ぶ羅漢さんたち。



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お寺に別れを告げて街道を嵐山の方へもどれば、ここにも京都トレイルの標識が。このあたりは西山コースになるのだな。がぜん愛宕山登山をしたくなった。あんな高い山、ぜえ〜ったい登るもんか、と千日詣(7月31日〜8月1日にかけて登ると千日分の御利益があるといわれ大勢が登る)に行く人を尻目にかねて言っていたのだが、人生なにがおこるかわからん。




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あと嵯峨野あたりを少し歩いたのだが、なんと!いつもは観光客で埋め尽くされる竹林の径、こんな人の居ない写真撮れたの初めてではなかろうか!!




大文字山三角点〜ワイルドな霊鑑寺ルート - 2020.05.22 Fri


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すっかり青葉の季節になった哲学の道、あいかわらずだれもいません。



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哲学の道をぶらぶら散歩だけ、、、と思っていたが、ついむらむらと最近わいてきた登山願望で、やっぱりきょうも大文字山登ろうかな〜と。今回はポピュラーでない、哲学の道に近い霊鑑寺ルートで。(あとで思いっきり後悔する)



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霊鑑寺の横の道を上るが、ここはかなり勾配がきつい。



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途中にあるグランピエさんの鹿ヶ谷山荘はイベントや展示で何度か来たことがある。お家からの眺めがすばらしいのだ。



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そこからさらに奥に登るのは初めて。あ〜、しんど、、と思っていたが、まだまだ序の口の序の口であった登山。



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銀閣寺ルートよりはるかにワイルドで嶮しく長い。



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しかも倒木(おそらく一昨年の台風被害と思われる)をまたいだり、くぐったりしないと先へ進めない道。


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これはとおせんぼをされているようだ。

野鳥の声がかまびすしい。それを楽しむゆとりはだんだんなくなる。しんどくてしんどくて目眩までしてきた。倒木の上にすわりこんでしばし休憩、、、を何度くりかえしただろう。あたりは見通しの悪い森の中、人影はなし、ここでメニエールでもおこしたら救難信号ださんとあかんかな〜(大汗)



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お!人工建造物、、、頂上も近いか?と思ったがぬか喜び。



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ここはまさに「平家物語」の鹿ヶ谷の密談が行われた俊寛僧都の山荘跡だったのである。
まだ先は遠いのかな〜とだんだん心細い。



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ひゃ〜!ほんまのケモノ道や。
そこへ初めて下山される方と遭遇。
「まだまだ遠いですか?」と聞いたら「もうすぐですよ。30分もかからないくらい、、、」
30分!!
近いか?それ?

がっくりしつつもがんばって登る。



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すると突然開ける視界。


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やった〜!大文字山の頂上である。
ここは「大」の字の火床がある場所よりかなり高いのだ。道理で先日より嶮しくて長いはずだ。



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三角点の標識
ここまで登ったのははじめてだ。(登りはじめはその予定ではなかったのだが(^_^;)



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ここからは洛中だけでなく、山科まで望める。
びっくりしたのは、何人か先客がいたこと。銀閣寺ルートで火床の方から登ってこられたのだと思うが、いや、今の京都、にわか登山ブームか?(^_^;



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しばしここで休憩して大の字の火床をめざす。こんどは下り道だがそれなりにけわしい。道らしくない部分もある。



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そしてでてきたのが、先日ここでお茶一服点てたところの「大」の字のてっぺん。
今日はヒマをもてあましている中学生たちに占領されてた。

やはり眺めが頂上より近い感じ。頂上はけっこうな高さなんだな。



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今回は大の字の右の払いに沿って鹿ヶ谷(登ってきた方)方面へおりることにする。
この急な階段、足滑らしたら大惨事になりそうなので注意して降りる。



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でた〜!
くだりはラクチン、出口は霊鑑寺横を登ったところにもどった道になる。ここから登れば楽だったのだな、と思うが思いも掛けず大文字の頂点を極めることが出来てそれは怪我の功名。



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この坂道の脇の家の猫ちゃん。
これもごほうびか。


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そしてやっと霊鑑寺に帰ってきた。
時間にして3時間〜4時間弱。



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歩いた道をあとでチェックすると、こんな感じ。
大の字が火床のあるところ、△が三角点。

そして、、、、登った階数を見て欲しい! 



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「酒場の京都学」加藤政洋・著〜片手に裏寺町を歩く - 2020.05.20 Wed

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自粛生活では日ごろ読めない本を読む時間ができる。
新刊「酒場の京都学」(ミネルヴァ書房・加藤政洋著)が、おもしろそうなので読んでみた。


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ちょっと行儀は悪いが、蚊もまだでないし、坪庭の縁側がここちよいので座椅子をもちだし読書。ある意味極楽。


京都における一杯飲み屋の系譜を随筆、文学作品、ガイドブック、地図を手がかりにたどった本であるが、懐かしい場所や店名がたくさんでてきて、そういえば、京都に最初にであって半世紀ちかくたつのだから、私自身も歴史の証人であるよな、などと思いつつ楽しく読めたのだった。

特に三高生が戦前集った酒場の話(三高生だった織田作之助、梶井基次郎他、京都帝大卒業生や教官達の随筆や作品など)は、市電が走り回り、学生に鷹揚寛容な京都の町の当時の雰囲気や、学生達のバンカラ気風や、真剣に人生や学問にむきあったであろう青春時代が描かれていて、なぜか懐かしい。(さすがにまだ生まれていないけど(^_^;)

お茶屋お座敷といった京都文化があったせいか、江戸では一般的だった庶民的な一杯飲み屋が、京都にあらわれるのは実は明治末〜大正初めであったとはしらなかった。それ以前は料理屋や茶屋が酒をのませていたそうで、美濃吉、中村楼、東洋亭、菊水など、この時代から現代まで生き残っていて、自分も利用している店の名前がたくさんでてきて、そうか、そんなに昔から、、、と感慨深い。現在は東華菜館になっているが、かつては矢尾政というビアレストランだったと聞いたが、ちょうどこの時代だったのだなあ。
四条大橋の袂のレストラン菊水は、今でもスタッフがクラシックな制服でサービスしてくれるので、往時をしのばせる雰囲気があって好きだが、ここの二階も出来た当初の大正初め、三高生でうめつくされたのだそうだ。

木屋町という一大飲み屋街ができたいきさつも語られていて、学生時代木屋町にいきつけの安い店があった身としてはこれもまた懐かしく思う。もうウン十年も木屋町界隈で飲んでいないなあ。


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(ゑり善と銀行のあいだの細い道が裏寺町の入り口)


一番興味をもって読めたのは、第5章の「<裏寺町>の空間文化誌」である。裏寺町は四条河原町からすぐ、というしょっちゅう行くエリアなので、ここの近代史をたどりながら歩くことができるのだ。
「裏寺町」という名前は以前はなかったのに最近言うようになったと言われる京都の方もおられるが、明治〜大正時代の随筆に「裏寺町通」という名前がでてくるので、正式名称ではなかったにしろ使われていたのは確かなようだ。



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本書から地図をお借りしよう。

京都帝大教官ドイツ文学者・成瀬無極のエッセイ
<この京で一番明るい新京極の裏には暗い京でも一番位通がある。裏寺町通といふのがそれである。。。(中略)。。明るく賑やかな京極通からふとこの裏町へ紛れ込むとまるで晴れやかな眩しいやうな宴会の広間から俄に暗い湿っぽい地下室へ降りたやうな気がする。。(中略)。。寺町といふ名に背かず、東側には寺が多いが西側には不思議な家が軒を並べてゐる。>

そう、ここにはお寺も多いがなんだがよくわからない戦前からあるとおぼしき建物が多い、と以前から思っていたのだ。地図をみて初めてここ、大善寺を中心に枡形になっているんだと知った。周りの貸席というのがおそらくその不思議な建物で、<ぼんや>とよばれた。まあ、どういう意味なのかいろいろさしさわりもあるので、詳しくは本書を読んでね(^_^;



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これが今も残る枡形の中心の大善寺。



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この建物が以前から気になっていたのだが、上記地図で貸席花の家にあたる場所である。現在は普通の民家と思われるがなんとなく昔の雰囲気が残る。



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枡形をぐるっと反時計回りに回ってみると、他にもいくつか名残の建物とおぼしき建築がいくつか。


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現在は一品料理屋になっている建物も、おそらく貸席であったのじゃないかな。



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そしてぐるっと回って大善寺の南側の通の正面にボーリング場。


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ここは地図上では西念寺というお寺になっているが、平成の初め沓掛の方へ移転されたというから、比較的最近までちゃんとお寺あったんだなあ。このエリア、昔ながらのたたずまいのお寺もあるが、ビルの上に引っ越したお寺もあって、新京極、河原町という賑わいの中、まあしょうがない選択かなと思う。


もひとつ、とても興味深かったのが柳小路。
四条からはいってほぼすぐの処にある細い小路だが、最近おしゃれな店がたくさんはいってプチ観光地となっているが、私が学生の時は場末感漂う妖しげな飲み屋街であった。



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ふたたび地図をお借りする。これは昭和9年の地図。
ここに伝説の?三高生御用達の飲み屋<正宗ホール>があったのだ。京都の草分け的な酒場で三高生の寮歌(「紅もゆる」)がガンガン鳴り響いていたという。

大正4年に三高を卒業し同校教授となった英文学者・山本修二のエッセイ「三高生の酒場」
<正宗ホールの経営者は、さる画家を夫としたおしんちゃんを頭として、お仲ちゃんお高ちゃんのチェホフではないが「三人姉妹」であった。江戸から流れてきたという触れ出しで。。(中略)。。素人だけに清潔な感じがあり、三高生がワンサワンサと押しかけたのでたちまち店が繁盛して、次第に酒場を拡張し、東京に支店が出るやうになったのも、みなこれ三高生のおかげであった。>

酒場で寮歌を高歌放吟しつつ酒を飲み、人生を学問を熱く語り、少々ハメをはずしても「(三高生はのちほとんど京都帝大へ)将来出世して日本をささえる人になる学生さんたちやさかいなあ。」と許してもらえた時代、、、(あくまでも想像の域をでないが)そんな学生時代にとても憧れる。



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その正宗ホールも昭和29年の戦後の地図では名前が消えている。



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その正宗ホールの時代の雰囲気が残っていないかと、柳小路へ行ってみる。



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右手のnanaco+のあたりが西館だったところだろうか、こちらは面影はない。



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東側のこの建物、これこれ、この雰囲気、そうちゃうか?


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上記の地図にもあった「静」という正宗ホールの隣にあったお店がまだ残っている!


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調べるとこの静というお店のオーナーが正宗ホールを買い取って店を拡張したとのこと、まさにここだったのだ。そして静の店の中に若かりし頃の有名人たちの落書きが壁にたくさん残っているという記事を読んで、あれ、行ったことあるわ!と、もうかなりぼやけている学生時代の記憶がかすかに蘇ってきたのだ。当時、このあたりもっとうさんくさい雰囲気だったなあ。



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柳小路をでるとお寺とビルの見慣れた風景。

本書で初めてしった「柳小路」の名前の由来。柳が入り口に植えてあるからではなく、柳本氏という方が所有した土地を開発してできた路地だったので、柳本小路だったのが、いつのまにか「本」の字が欠落した結果なんだそうである。こういう歴史を知って歩くとみなれた小路もとても面白いものだ。


(付記)
終章の「会館」
京都には四富会館とか折鶴会館とか、立ち飲み屋がぎゅうぎゅうにつまった建築がある。これもあやしげな雰囲気でなかなか一人で足をふみれられないのだが、お友達のぽんさんなどはホームグランドにしてはる。これは一軒の町家を細分化して利用した物で、ある意味町家の再利用。ぶっ潰して味家のないペンシルビルに建て替えるよりはるかに京都の町並み保存の役にたっているよし、なるほどと納得したのであった。こんど行ってみよう。





タライ・ラマ師のZoom講座〜奥高麗茶碗 - 2020.05.17 Sun

茶事茶会の再開がいつになるかわからぬ昨今、GW中にたこ焼き茶事、イタリアン茶事で最近はつとに有名になったタライ・ラマ師がZoomでオンライン講座をひらいてくださった。



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↑もう最近はいろんな雑誌にお写真がでているのでわざわざ隠す必要もないかね、と思いつつ(^^;;

本来この時、一昨年、昨年と参加してとても楽しかった唐津やきもん祭りの茶会をされているはずであった。おまけに今年は千宗屋さんの講演会まであって楽しみにしていたが、すべてぱあ。でも一番残念に思っているのはラマ師はじめ主催者の方々だろう。



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今回数回の講座があったが都合上、一番興味のあった「奥高麗」についての講座に参加。
テキストは古美術雑誌「目の眼」5月号。古唐津ノ茶碗という特集号である。



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私はこれを定期購読しているので、開けて見た途端きゃ〜〜❤️と叫んだのである。

この号には、ラマ師のみならず、昨年九州までおしかけて行った折、光悦の(さわるのがおそろしい)お茶碗でお茶を点ててくださったM師(このZoom講座にもご参加)も登場されていたので、永久保存版となった。

で、この手にされているのがラマ師の奥高麗「軒月」である。このお茶碗は唐津やきもん祭りの茶会や、たこ焼き茶事などで何回かお茶をいただいたことのある懐かしいお茶碗。



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(ご子息とのツインたこ焼きシーンも掲載)


奥高麗は「高麗」と名がつくものの唐津であることは周知のとおりであるが、その定義がなかなかつかみにくいと日頃思っている。

成書にもよくわからないと書かれているのだが、しいて言えば高麗の熊川の写しで大ぶり、枇杷色の肌、柔らかい土、文様なく高台には釉薬をかけない、など。ただし利休所持の「子(ね)のこ餅」という茶碗は筒茶碗であるが奥高麗とみなされたりするので油断がならない。
ラマ師によると言ったもの勝ちで、古唐津の枇杷色のものをもってきて奥高麗と銘打って売られているものも多いと言う。そもそも「奥高麗」とよばれるようになったのは、幕末以降の新しいはなしだそうだ。(その頃は朝鮮半島や中国の焼き物と思われていた)

その中でもこの「目の眼」特集では「軒月」をはじめ、10人が10人「奥高麗」とよぶと思われる逸品がたくさん掲載されている。

LIXIL潮田さんの「深山路」、「滝川」、「朝霧」、いずれも写真でみて、奥高麗ってこんな感じ、、という雰囲気はわかるが、まだ正体がつかみきれない感じだ。特にM師の「老松」は枇杷色とかけはなれて青唐津のような色なので、ますますわからなくなる。
いずれにしてもヴァリエーションの多い唐津焼のなかでも、やはり頭一つ抜き出た風格があるのは確か。

今回初めて勉強になったのが

1)必ずしも奥高麗には限らないが、釉薬の土見せに垂れたのが、曲がっていて釣り針のように見えるものは奥高麗によく見られ、これを特徴とする人もある。
2)これも奥高麗に限らないが、ラマ師の「軒月」にもM師の「老松」にもある目跡の外側の円形にみえる傷跡、これは高台を削るときに湿台(シッタ)という筒状の台に茶碗をかぶせて削った跡だそうだ。


オンラインではあるが、久々の方のお声も聞けてよかった。こういう講座ならまた何回でも聞きたいところ。ただオンライン茶会は本来五感で味わうところ、せいぜい二感しか使えないという点ではちょっと残念なところがあるね。




My Roji-garden in the green - 2020.05.15 Fri

新緑も出そろい、うちの露地の緑が一番美しい季節である。本来ならば、見ていただきたくて初風炉茶事にお招きいたしたきところ、それもかなわぬゆえ、ここにアップ、押しつけながらご照覧くだされ。



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今年は休みの日もでかけられないので、ヒマに任せて庭の手入れができることできること、おかげで自画自賛ながら苔も美しく。


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10年前、この露地が完成したばかりの頃はまわりは細かい砂利で囲まれていた踏み石も、これこのとおり、苔に飲み込まれつつあり感じ良くなった。



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石に苔むす。
当初、杉苔→ほぼ壊滅→這苔→ところどころハゲハゲ→名前不明の地苔がとって変わる(今ここ)

地苔は強いよ。客観的にはどんな条件の悪いところでも、それに適合してきた苔だから。(ゼニゴケはNGだが)



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冬の間黒っぽくてダメージをうけていた蹲居の苔も復活、これも地苔がとってかわっている。



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ドウダンツツジは今年3本ともあまり花が咲かなかった。暖冬の影響だろうか。



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この露地にはそれぞれ違う種類の楓が5本もある。青楓の美しさは今が一番。
もう少ししたら木が自分で蒸散調整に入って葉っぱを自ら枯らしたり、青いままの葉をおとしたりするので、若干見栄えが悪くなるので。


ここで表舞台の露地から、舞台裏の裏庭に回ってみる。
こちらはもっぱら茶花の栽培にあてる。しかも今年はヒマを持て余し、、、云々、、でけっこう手入れが行き届いている。


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ニューフェイスの鉄線
このまま隣の椿に絡める予定。ちなみに椿もニューフェースの西王母。淡い紅色の花が咲く。



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これは散歩中にみつけたものである。
花後の水仙の葉っぱの始末の仕方!



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水仙の葉は、花後にたっぷり光合成させて冬にきれいな花が咲くように、切らない。でも葉っぱがばらけると見栄えがよくないし、邪魔だし、、、と思ったら、こんな解決法!葉っぱを三つ編み(^_^;にまとめて万事解決。



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こちらは山芍薬
何年も植木鉢で育てていたら、全然花が咲かなくて、昨年の秋に地植えにした。するとなんと葉っぱがわさわさ!地植え1年目だから花は期待しないが、来年あたり、、、と思っている。ガンバレ!



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こちらもニューフェイスのミヤコワスレ
今の季節の茶花として、花期も長く重宝。しかもその楚々たる花が好きである。



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今年も山紫陽花はたっぷり蕾をつけ、来月が楽しみ。
かえって西洋アジサイは昨秋花芽を切らないように気をつけたのに、MAX4つしか花芽がないのは残念。



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そして宝塚から移植してすっかり此処で根付いて太い幹になった梅の木、青梅がたわわである。



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昨年はいまいちだったが、今年は当たり年のようだ。



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収穫すると180個前後、200越えて始末に困った年もあるので、MAXではないにしても近年では出色の出来。



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今年も梅シロップ、作ります。

かくの如く、露地の緑も裏庭の茶花もスタンバイしているので、早く茶事ができるようになりますように!






文菓01〜シアトリカルなお菓子でマヨケモノを召喚 - 2020.05.12 Tue

文菓とは、、、?

上記リンクをクリックしてもらえればわかるのだが、以前からゆる〜く応援している(祗園大茶会でも活躍されている)能ユニット(というのかわからんが)の田○田のメンバー、Sさんをプロデューサーにして立ち上げ、いろんなアーティストたちを巻き込んでの楽しいおうちイベントなのだ。



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申し込むと箱でお菓子と御札が届く。
「文菓の御作法」という注意書きにしたがって、まずは場を作る。



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お茶、お花も一輪用意して。
お菓子、お花は「マヨケモノ」へのお供え

マヨケモノとはこれから召喚しようとする、「あちら」の世界の動物?神様?妖怪?である。
(Sさん造語)



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お菓子はいつもお世話になっている青洋さん

ひとつは「八百比丘尼」。。<この世の物と思わぬ玉虫色の鱗肉片 食しものは老わず盡きぬ命をてにするという> 800歳以上も生きたという八百比丘尼の食した人魚の肉(鱗肉片)であろうか。

もう一つは「黒翁」。。<山深く小さな社に祀られし 墨のように黒き翁 鈴を一振り種をまくなり>

御札のQコードを読み取って動画をみれば、そこにあらわれるマヨケモノの不思議な世界。



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八百比丘尼では、音楽とあいまって、幻想的かつ妖しく美しい舞踊の世界が。

黒翁では、どうやったらこんな肉体使用ができるのか?これは演劇なのか?プリミティブな音楽にのって、不思議な土着の神様がみせる所作はユーモラスでもあり神々しくもある。

これを楽しみつつお菓子とお茶をいただくのだ。面白いわ〜、これ!しかもお家で楽しめるし。



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もともとはこのコロナ禍で廃業も考えざるをえなくなったミニシアター、演芸者、アーティストたちを感染の機会なく、なんとか支援する方法を、と、Sさんたちが考えだしたもの。何回か行って、「ここはまるで陶々舎が引っ越してきたような感じだな〜」と思った東寺のすぐそばの間-ma-さんに集うメンバーたちでできあがったものらしい。

いや〜才能のある若い人たちはほんとうにおもしろいことを考えつくなあ、と感心。また次の文菓02にも期待しよう。


最後に castを紹介


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将軍塚(華頂山)登山〜粟田口を歩く - 2020.05.10 Sun

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これはGW中の南禅寺門前である。
人っ子ひとりいない。シュールな景色だ(もうだいぶん人の居ない景色に慣れた)



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桜の頃多くの人で例年は賑わうインクラインも、今年はほんとに人がいなかった。新緑も美しいというのに愛でる人はほぼいない。



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かの有名な?ねじりマンポを通り過ぎて、本日のウォーキングは将軍塚を歩いてめざす。ありがたいことに岡崎から将軍塚への登山口は近いのだ。



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蹴上では浄水場の名所・躑躅の山を眺める。毎年ここもGWに開放され多くの人でにぎわうのだが。


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年がわかるが、昔京阪大津線が地上を走っていたとき、この景色を車窓から眺めるのがこの季節の楽しみであった。



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さて、九条山からドライブウェイに入って(歩いて)三条通りをまたぎ越して華頂山に入る。
少し夕刻の方が帰る人の方が多いだろうと、ゆっくりめのスタートだったので、下山中の車には何台か出会ったが、追い越して登ってくる車は少ない。



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途中ウォータースライダーの残骸というか、なにかの遊園の廃墟があったりする。(*2007年廃業したアクアパーク東山という遊園地だったそうだ)



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様々な緑色にあふれかえる山の中に山藤の花があちこちに咲いていて、目を楽しませてくれる。



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しかし、、、ドライブウェイなので、勾配も比較的ゆるく、足元も歩きやすいのだが、やはり息が切れる。心肺機能トレーニングには調度よいかも。



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道はまっすぐ行くと五条坂の方にでるのね。将軍塚は右手。
学生の頃生物学の実習で登った記憶があるが、夜はアベックのナントカ天国になるので、行かない方がいいといわれていたなあ(^_^;  今は青蓮院の飛地に青龍殿なる建物ができたので(2014)今はどうかなあ。


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この階段を登ると東山山頂遊園。
、、、、東山って山あったっけ???
将軍塚はあくまで東山三十六峰の一つの華頂山にあるのだ。(ちなみに知恩院の山号は華頂山)



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尾根伝いに南下するとこんどは高台寺山になるらしい。
ここは東山トレイルの一部でもあるのね。(ドライブウェイはちがうけれど)



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山頂遊園は、、、、やっぱり三密とまではいかないまでも人多いな。



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青龍殿が閉まっているので、おそらくこの一帯の一番の眺めだろうと思われる部分はヘリポートなんで立ち入り禁止とは残念。(禁を破っているやつも結構居たけどな(`o´) )



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これだけ車で来ている人がいるものね。夕方だから昼間はきっともっと多かったにちがいない。



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で、青蓮院青龍殿はもちろん閉まっている。よって、将軍塚そのもの、大日堂、眺めの良い大舞台には行けない。

ちなみに将軍塚の由来は、長岡京の時代、和気清麻呂に導かれてここに登った桓武帝が、四神に守られたこの地を新たな都にしようと決め、王城の守りに甲冑を着た将軍の人形をここに埋めた、という言い伝えから。


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この青龍殿、下から見ると東山の稜線にいちじるしくeye-soreになっているのがちょっといただけないのだ。そもそもほとんど秘仏画だった青不動をここへ持ち出すというのもなんだかな〜。



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福徳門の手前に東山トレイルの入り口があったので、帰りはこの道を通ろう。



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まっすぐ行けば知恩院へでるのか。でもうちの方向は粟田口なので右手へ。
この東山トレイルは京都一周トレイルの東山コースということになるらしい。北は蹴上、南は伏見桃山御陵まで続くらしい。




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おお、なかなかよい見晴らし。しかも森のフィトンチッドが、、、



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この道はちょっと大文字登山ルートに似ているくらいのけわしさ。下山だから楽だが、こちらから登ろうと思うと結構キツイと思うよ。



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ちなみに大文字山470m前後
華頂山210m なので半分くらいだが。
吉田山は105m



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だれにも会わず、ところどころどちらの道に行けばいいのか、迷うようなところもあるが、なんとか青蓮院(粟田口の方)の道しるべを見つけてほっとする。なにしろ野生の猿注意、、なんて看板もあるので(^_^;



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おお!木々の間にみえるは八坂の塔では?!
東山連峰を歩いている〜という実感。


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粟田口といっても、どこにでるのかわからず不安であったが、さらに下るとなにやら見慣れた建物が、、、


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ウェスティン都ホテルじゃ〜!
ここ、裏が墓場だったのね(^_^;


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ルートの一部に尊勝院というお寺があるが、ここの境内をトレイルは通りぬけているのだ。



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すみません、失礼しますと心でいいながらご本尊に手を合わせて通らせてもらう。
ここのご本尊は角大師としても有名な元三大師良源、おみくじの祖とも。



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こちらの境内でみた鉄線(クレマチス)がきれいで、後日苗を買いに走った。



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おお〜ご近所の平安神宮大鳥居が見えてきた。ここまでくればもうホームグランドと言って良く、足も軽い。



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東山トレイルの出口(入り口)はどこなんかな、と思っていたら、散歩コースの粟田山荘の脇であった。この元三大師の道しるべは尊勝院のだったのか!


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ここからはお馴染み粟田神社の二ノ鳥居はすぐそば。



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一の鳥居の正面にお肉の荒井亭が見えてきたので、、、


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小腹も減ったし、おばあちゃんがその場で揚げてくれるコロッケを注文。



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これもすぐそばの合槌稲荷(能「小鍛冶」ゆかりの神社)に手をあわせてからいただく。あつあつホクホク。


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ちなみにこれが民家の奥にある合槌稲荷さんを裏の駐車場からみたところ。かつてここにあることを発見して、やっと本来の参道からの行き方がわかったというシロモノ。



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正面が平安神宮大鳥居〜神宮道の様子であります。
、、、、だれもいませんね。


本日の運動成果は、、、、

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緊急事態宣言下の生菓子とお茶 - 2020.05.08 Fri

茶会がのきなみ中止となって、一番被害をうけたのは和菓子屋さんではなかろうかと思う。某老舗では3月の段階で3000個の注文がキャンセルになったらしい。

そんな苦戦中の和菓子屋さん達、上生菓子のデリバリーやテイクアウトに活路をみいだした。
<No 餡子 No Life>の茶人たちがここぞとばかりお取り寄せをきそったのだ。かえって普段より注文が増えて手が回らない状態になったお菓子屋さんもあるらしい。

かくいう私も日ごろお世話になっている、あるいは好きなお菓子屋さんに注文、普段より確実にたくさんの和菓子を食べている。そんなお菓子の記録も残しておこうと思う。



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真っ昼間の祗園、かくの如し。
仕事柄私はまだ大阪へ通勤している。昼過ぎに帰れるときは四条京阪からまっすぐ四条通りを東へ向かう。



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葛切りで有名な鍵善さん、この緊急事態宣言下他の和菓子屋がほぼ店を閉めているのに、ポリシーがあって、ずっと開けてはる。ありがたくて毎度上生を買って帰るので、鍵善さんのお菓子が多いのはしょうがない(^_^;



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これは4月の時のショーウインドウ
中止になった都おどり、よ〜いやさぁ〜〜の声が聞こえてきそうで、鍵善さんの心意気を知る。宮本組(祗園祭の立役者組織の一つ)ですものね。



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鍵善:石竹(セキチク)


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鍵善:躑躅


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鍵善:杜若


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鍵善:藤波



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鍵善:山吹


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その鍵善さんを少し東へ、八坂石段下、鯖寿司のいづ重さん。いつも祗園大茶会でお世話になっている。今はテイクアウトのみだが、まかない飯を弁当として500円で売り出したところ、これが結構コスパがよいのと、鮨屋さんなので飯が美味いのとでえらい人気に。これも大将の心意気。



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まかないだからご馳走というわけではないが、季節の食材を使って美味しく、しかもだんだん買うたびにバージョンアップしててうれしい。たぶん、この自粛が終わるまで続けられるとおもうので、500円玉握りしめて行ってね!赤出汁もついてるよ。



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祗園町衆の心意気、といったらまた鍵善さんになるけれど、例年祗園祭の期間しか販売されない「祇園守」、今こそ疫病退散の願いもこめて売り出された。ありがたし。
葵を添えたのは、祗園祭と同じく行列が中止になった葵祭に思いを寄せて。



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昨年末からあれほど行っていた奈良にもうず〜っと行けない。毎年の楽しみの東大寺華厳茶会も中止になった。氷室白雪祭も、ことのまあかりのかき氷も食べに行けない。
そんな奈良成分不足の私に、お菓子のフルコースも行ったことのある、ならまち樫舎さんのお菓子のお取り寄せはとてもうれしい。
電話注文(0742-22-8899)で朝作ったのが夕方届く。(宅配便の方にも感謝感謝!)



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ここの葛焼はほんま美味しい。
本場吉野本葛と砂糖だけでつくられるお菓子は姿も美しい。

「はつむらさき」


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樫舎:「てふてふ」

貴重な白小豆を緑に染めた漉し餡で包んで羽二重+氷餅
味では、これが最高峰かも。



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千本玉寿軒か本家玉寿軒(失念!):「感謝」
これは母の日の感謝をというカーネーションの意匠
茶碗は長いこと日の目をみていなかった真清水蔵六さんの沓形茶碗。この前水屋の整理をしていて、あら、こんな茶碗が、、、、としばらく普段に使うことにした。



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西洋染付ともいうべきマイセンの皿にのっているのは、ご近所でお世話になっている甘楽花子さんの「藤波」「ぬばたま」
茶碗は自分で轆轤をひいて窯焚きにも参加してくつった井戸



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樫舎さんの二弾目は季節柄粽
きっちり濡れ不織紙に包まれて乾燥しないように宅配便で届けられた。



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粽には粽台


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緊急事態宣言下でもこうしてお菓子とお茶が楽しめる限りstay home もまだ耐えられるかもね。
働いてくれている方々のおかげで今日も機嫌良く感謝の一日。



人の姿のない祗園〜建仁寺の牡丹 - 2020.05.06 Wed



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京セラ美術館裏手の池に面した藤棚に藤の房がたれる季節。
本来なら3月にリニューアルグランドオープンになるはこびだった美術館も、いつ開館されるのかわからないままである。

例年ならGW、町には人があふれて外に出るのもいや〜と思っていたが、ここまで人の姿のない京都の町は近代史上なかったのではなかろうか。きっとこの時期は乗り越えられる、だから今の町の姿を記録して残しておこうと思う。



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岡崎からまっすぐ南下すると知恩院〜円山公園入り口にあたる。もちろん知恩院は今は鉄扉が閉まっている。いつもなら観光客、修学旅行生などであふれかえっている場所だ。



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円山公園の枝垂れ桜の広場もこの通り。


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東山の新緑だけが目にしみる。ただ公園内はお籠もりに耐えかねて散歩する人の姿がやや多くみられるも、本来の賑わいは遠い。この時期に工事をしてしまおうというのも一考で、公園内の地面を掘り返しているところもあった。



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ねねの道〜高台寺に続く道もかくの如し。真冬の厳しい寒さの折でもこんなに人の姿をみないことはない。


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八坂神社南楼門へ続く道も閑散。もちろんこのあたりに軒を並べる飲食店や店舗も閉鎖。


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花見小路の南端である。
ふだん人で、、、、ああ、もう同じこと言い飽きた!(^_^;

塔頭の拝観はできないが境内は開放してくれている建仁寺へ。


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そう、金堂のまわりの牡丹が今が盛りなのだ。
しかし、ストイックである禅宗の寺にかくの如く妖艶華麗な牡丹という取り合わせが面白い。



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ここは「喫茶養生記」の栄西禅師の建立した寺ゆえ、生垣が茶の木である。やわらかい新芽がたくさん出ていて、ついつい茶摘みしたくなる。毎年建仁寺僧堂の方々が一斉に茶摘みをされるのだが、今年はどうなのだろう。茶摘みしないままでおわるなんてもったいないし。



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一花あるだけで充分ゴージャス、存在感のある牡丹がこんなにも咲き乱れる。豪華すぎてここが禅寺ということを忘れる。



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やはり牡丹には楊貴妃のイメージがある。

 「名花傾国両相歓〜名花傾国ふたつながら相歓ぶ (李白)」

彼女が愛した牡丹の花、その花と楊貴妃、ふたつ並んでどちらも美しさ劣ることなし。



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しかし渋い禅寺院建築と繚乱する牡丹は意外と似合っている、と思った。



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建仁寺南門からふりかえった境内。ここも牡丹を見に来る地元のひとがちらほらくらいで。


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閑散とした花街の宮川町を北上、舞妓さんや芸妓さんたちはお座敷もなくなって、どうしてはるのかな。


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人がいなくなったぶん、野生の鳥をたくさん市中でみかけるようになった。これは高瀬川にいた鷺。カメラをむけても逃げる様子もなく、突然人の居なくなった町をいぶかしんでいるようだ。



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四条河原町の大きなデパートも閉鎖。デパ地下の食料品売り場のみいつもどおりのオープン。地下は意外と混み合っているし、換気もそれほど良くないだろうし、店員さんたちの健康が気にかかるところ、ありがとうございますと言うほかない。



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最後に河原町を北上、こんなに歩きやすかった河原町はいまだかつてなかったな。



鴨川〜賀茂川遡上して鳶尾の上御霊神社 - 2020.05.04 Mon

戦前生まれの人もこんな京都、しらない、、、というような新型コロナ対策緊急事態宣言下の人の居ない京都。将来、そんな時もあったね、と思えるように、今の京都を記録しておこうと新しいカテゴリーをたててみた。「コロナ緊急事態宣言下の京都2020」


      *****

本日も三密をさけてウォーキング。(体なまっとるわ〜)



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岡崎から春日通り(京大病院南側の通り)を西進、鴨川まで20分くらい。



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左岸を北上し、この日は上御霊神社をめざすことにする。



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荒神橋西詰、閉店されたのは知っていたが、リバーバンク(喫茶店)はとうとう更地になっていた。大森一樹監督の映画「ヒポクラテスたち」の舞台にもなった喫茶店だったがなあ。医学生に扮した蘭ちゃんがここで煙草に火をつけたシーンが蘇る。



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荒神橋から右岸にかえて北上


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出町のデルタ(鴨川が賀茂川と高野川に分岐するポイント)には、子供連れや家族連れで来ている人が意外に多くて、少し混み合っているのが心配だが、学校も休みの子どもたちに家にじっとしていろ、というのがどだい無理な話だ。



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コロナ禍での人間の慌てようをどこ吹く風と、菜の花があちこちで花盛りであった。春の花は黄色が多いし、また似合うんだな。



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賀茂川にはいるといくぶん人の姿は少なくなる。まわりから建物の姿も消えて景色の様相がかわってくる。夏には蛍もでるし、冬にはユリカモメ(少なくなったが)、土手で野点もできるし、京都は鴨川があってこそだなあと常々思っている。



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東をふりかえれば少し南の方に大文字山。このあたり大の字を真正面にとらえられる。



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出雲路橋の少し手前、御霊通を西へ行くと御霊神社の、本来なら一の鳥居があるところか。



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さらに西へ進むと、、、見えてきた、御霊神社(上御霊神社)の森が。



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そしてこの季節、これが見たかったのだ。
鳶尾、、、読めるかな?これ。



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一初とも逸初とも書かれるイチハツの花。
 
  いちはつの花咲いでて我が目にはことしばかりの春行かんとす (正岡子規)

アヤメ科の花で季節の先陣を切って咲くから一初と名付けられたと聞く。



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さて、アヤメ・花菖蒲・カキツバタの違いもようわからんのに、さらにイチハツってどう違うのかようわからん。そしてどこが鳶の尾になるのかもじっくり見たがワカラン。

もともとこの神社の周りの堀には賀茂川の水が流れ、水生の杜若が群生していたそうだ。この神社の近くに尾形光琳が晩年住んだといわれる邸宅跡があるので、かの名作「燕子花」もここから生まれたのではという説もある。



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戦後荒廃した神社を再興したいと氏子さんが、カキツバタの代わりに、乾燥に強い陸生のイチハツの苗300株を寄進し、それが現在では4000株になったという。現在でも氏子さんたちがお世話されているというから、そのたまものなのだね。



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御霊神社はそもそも桓武天皇時代、それまでの権力闘争に敗北して怨霊となったとされる人たち、メインは早良親王(崇道天皇)だが、その魂を鎮めるために祀った神社であるが、それ以外でも有名なのが、、、


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応仁の乱発祥の地ということ。
ここで勃発したのは畠山家内の権力争いだったのであるが、そこにあの勢力この勢力、加わって、敵になったり味方になったり、応仁の乱は複雑すぎて全然理解できない。
この碑を揮毫したのが後の東軍の大将細川勝元の流れをくむ細川護煕さんとは、なんともね〜。




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平成30年に改修を終えた絵馬所



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新しい絵馬も寄進されているが、


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いつとも時代がわからないこういう絵馬の由来がわかったらおもしろいだろうね。


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さわやかな風が通る絵馬所にてちょっと休憩。
ここは普段から、ご近所の方がちらほらみえるくらいでほんとに静かだ。


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あ、奉納提灯によく見る名前が、、、、(^_^;


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イチハツは境内のあちこちにも咲いている。


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本来ならば、この5月に、御霊祭が賑やかに行われ、御神輿も剣鉾もでるはずだったのだが、、、今年は残念である。御神輿の蔵でメンテナンスだけしている氏子の方々、悔しいだろうなあ。



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西の楼門から退出。向こうに烏丸通が見える。


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西の楼門は江戸時代の再建。


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そこから相国寺を通りぬけ、今出川御門から御苑に入る。



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この緑が洛中ど真ん中にある不思議と、それからシアワセ。
ここもご近所方々がぱらぱらとお散歩。



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え?なに?これ?
なんの森?
ここでも黄色い花だ。



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咲いているのはウマノアシガタというほぼほぼ雑草なのだが、群生するとかくも美しいとは。



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どこぞのヨーロッパの森にでも迷い込んだと思ったが、ここはバッタが原というらしい。よく知っているつもりでまだ知らないところがたくさんある、奥が深い御苑であった。


休憩時間も入れて約3時間
歩数約14000歩
7.6km(まだまだ江戸時代の旅人の歩く距離にはかなわない(^_^;)




閉炉〜2020初夏 - 2020.05.02 Sat

今季の炉は後半コロナで散々であった。
ほんとうは釣釜で炉の名残の季節をおくりたかったのに。



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というわけで、あまり使ってやれなかった炉を今年も閉じる。



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この掃除機のノズルは灰をあげるときの必需品なのだ。邪道かもだが、灰を吸い込まずに済むのだ。



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半年ご苦労様。
さて、このあげた灰を篩わないとね。



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次に開炉するときまでには、茶事茶会の計画が楽しくできますように。一刻も早くコロナ禍が収束しますように。それまでどなたさまもStay safe



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蓋をした炉

本来替えるべき風炉のときの畳もあるのだけれど、畳替えが重くて重くて、、、(奥の方にしまっている替えの畳をひっぱりだすのも大変)このような蓋をするだけの流派もあるようなので、もうずっとこのまま。

炉を閉じた茶室に初夏の風がとおる。
こんな時でも自然はちゃんと時を刻むのね。



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灰を篩って(腰痛〜)力尽きたので、風炉までひっぱりだす元気がなかったから、愛用のアルコールランプで盆略、一服自服す。きたるべき風炉の茶を想いながら。ちゃんと風炉のあいだに事態はおさまるのか少々不安に思いつつも。



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花はお庭のシラユキゲシ、もう名残。花入はジンジャーシロップのボトル。
茶器はジャムの瓶。
茶碗は萩、この季節に毎年楽しみにしている5月3日の東大寺華厳茶会のお土産だ。今年は中止になったので、思いを馳せながら。そういえば長いこと奈良へ行っていない、行けない、早く心置きなく行きたい。




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お菓子は岐阜の恵那市の銀の森さんのクッキー詰め合わせプチポア。
村上開新堂さんのクッキー詰め合わせに似ているが、あちらは注文してから約1年、忘れた頃に届く。それもまた得した気分でうれしいのだが、すぐ手元に届くというのもありがたいもの。



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