鴨川〜賀茂川遡上して鳶尾の上御霊神社 - 2020.05.04 Mon
戦前生まれの人もこんな京都、しらない、、、というような新型コロナ対策緊急事態宣言下の人の居ない京都。将来、そんな時もあったね、と思えるように、今の京都を記録しておこうと新しいカテゴリーをたててみた。「コロナ緊急事態宣言下の京都2020」
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本日も三密をさけてウォーキング。(体なまっとるわ〜)

岡崎から春日通り(京大病院南側の通り)を西進、鴨川まで20分くらい。
左岸を北上し、この日は上御霊神社をめざすことにする。
荒神橋西詰、閉店されたのは知っていたが、リバーバンク(喫茶店)はとうとう更地になっていた。大森一樹監督の映画「ヒポクラテスたち」の舞台にもなった喫茶店だったがなあ。医学生に扮した蘭ちゃんがここで煙草に火をつけたシーンが蘇る。
荒神橋から右岸にかえて北上
出町のデルタ(鴨川が賀茂川と高野川に分岐するポイント)には、子供連れや家族連れで来ている人が意外に多くて、少し混み合っているのが心配だが、学校も休みの子どもたちに家にじっとしていろ、というのがどだい無理な話だ。
コロナ禍での人間の慌てようをどこ吹く風と、菜の花があちこちで花盛りであった。春の花は黄色が多いし、また似合うんだな。
賀茂川にはいるといくぶん人の姿は少なくなる。まわりから建物の姿も消えて景色の様相がかわってくる。夏には蛍もでるし、冬にはユリカモメ(少なくなったが)、土手で野点もできるし、京都は鴨川があってこそだなあと常々思っている。
東をふりかえれば少し南の方に大文字山。このあたり大の字を真正面にとらえられる。
出雲路橋の少し手前、御霊通を西へ行くと御霊神社の、本来なら一の鳥居があるところか。
さらに西へ進むと、、、見えてきた、御霊神社(上御霊神社)の森が。
そしてこの季節、これが見たかったのだ。
鳶尾、、、読めるかな?これ。
一初とも逸初とも書かれるイチハツの花。
いちはつの花咲いでて我が目にはことしばかりの春行かんとす (正岡子規)
アヤメ科の花で季節の先陣を切って咲くから一初と名付けられたと聞く。
さて、アヤメ・花菖蒲・カキツバタの違いもようわからんのに、さらにイチハツってどう違うのかようわからん。そしてどこが鳶の尾になるのかもじっくり見たがワカラン。
もともとこの神社の周りの堀には賀茂川の水が流れ、水生の杜若が群生していたそうだ。この神社の近くに尾形光琳が晩年住んだといわれる邸宅跡があるので、かの名作「燕子花」もここから生まれたのではという説もある。
戦後荒廃した神社を再興したいと氏子さんが、カキツバタの代わりに、乾燥に強い陸生のイチハツの苗300株を寄進し、それが現在では4000株になったという。現在でも氏子さんたちがお世話されているというから、そのたまものなのだね。
御霊神社はそもそも桓武天皇時代、それまでの権力闘争に敗北して怨霊となったとされる人たち、メインは早良親王(崇道天皇)だが、その魂を鎮めるために祀った神社であるが、それ以外でも有名なのが、、、
応仁の乱発祥の地ということ。
ここで勃発したのは畠山家内の権力争いだったのであるが、そこにあの勢力この勢力、加わって、敵になったり味方になったり、応仁の乱は複雑すぎて全然理解できない。
この碑を揮毫したのが後の東軍の大将細川勝元の流れをくむ細川護煕さんとは、なんともね〜。
平成30年に改修を終えた絵馬所
新しい絵馬も寄進されているが、
いつとも時代がわからないこういう絵馬の由来がわかったらおもしろいだろうね。
さわやかな風が通る絵馬所にてちょっと休憩。
ここは普段から、ご近所の方がちらほらみえるくらいでほんとに静かだ。
あ、奉納提灯によく見る名前が、、、、(^_^;
イチハツは境内のあちこちにも咲いている。
本来ならば、この5月に、御霊祭が賑やかに行われ、御神輿も剣鉾もでるはずだったのだが、、、今年は残念である。御神輿の蔵でメンテナンスだけしている氏子の方々、悔しいだろうなあ。
西の楼門から退出。向こうに烏丸通が見える。
西の楼門は江戸時代の再建。
そこから相国寺を通りぬけ、今出川御門から御苑に入る。
この緑が洛中ど真ん中にある不思議と、それからシアワセ。
ここもご近所方々がぱらぱらとお散歩。
え?なに?これ?
なんの森?
ここでも黄色い花だ。
咲いているのはウマノアシガタというほぼほぼ雑草なのだが、群生するとかくも美しいとは。
どこぞのヨーロッパの森にでも迷い込んだと思ったが、ここはバッタが原というらしい。よく知っているつもりでまだ知らないところがたくさんある、奥が深い御苑であった。
休憩時間も入れて約3時間
歩数約14000歩
7.6km(まだまだ江戸時代の旅人の歩く距離にはかなわない(^_^;)