南禅寺〜奥の院・駒ケ滝 - 2020.05.29 Fri
いまは近所の人しか来ないけれど、普段は観光客で賑わう南禅寺のその奥に、滝行場となる滝があるのをご存知だろうか。実は私もしらなかった。
夕刻、散歩がてら碧雲荘界隈を通って、南禅寺へ。
碧雲荘の花菖蒲はまだ少し早いみたいだ。昔はこの季節だけ堀の近くまで行けたのだが。
碧雲荘脇の疏水分線の道も緑あざやか、夏草も茂りはじめた。ここで野の花をつむのも蓬をとるのも。
珍しくここに鴨のつがいがいた(写真はメスの方)。やっぱり人がいないせいかね〜。
野村美術館、自粛休館する前の最終日に行ったのもずいぶん昔のことのような気がする。まもなく開館すると思う、、というか、してほしい。
西門を通って南禅寺境内に入る。
南禅寺は徒歩圏内、自分の庭の延長のような感覚であるがゆえに、かえって今までわざわざでかけることも少なかったのであるが(インバウンドでごった返しもあるので)。
苔と木々の緑が美しい。
絶景かな〜の山門も緑の中にひっそりと。
なにしろ紅葉の名所なので、青楓の季節も麗しいのだ。
TVのサスペンスもの定番の水路閣。(なぜ謎解きをここでするかな〜?)
夕刻ということもあったが観光客ほぼゼロなので普段は撮れないこんな無人の写真も簡単に撮れてしまう。
アーチをくぐって、上に登って、、、
この水路閣の上、琵琶湖疏水は流れ、、、
隧道を通って山科まで水は流れるのだ。
そこにあるのが南禅寺では一番奥にある東山の麓の最勝院高徳庵
だれが創建したのかいつ開山なのかはっきりしない、、くらい古い塔頭である。(現地へ移転は大正年間)
境内に奥の院・駒ケ滝まで二町とある。ええ〜っと二町でどれくらい?遠かったらやめようと思ったが計算すると200mくらいなんでこれならいけそう。
最勝院の右手の道をずっと山の方へ登っていく。
坂道はゆるやかだ。
奥の院への道である。とちゅう大杉明神とか豊丸明神とか土着神を祀ったとおぼしき社や碑がほんとうにたくさんある。
このあたりは東山山系の足元になるので山の水が滲み出るような水の気配だ。
お、お社が見えてきた。
奥の院についた。背後に駒ケ滝、空気がぜんぜん違う。
奥の院は、鎌倉時代に駒道智大僧正が隠棲したとされる。僧正は摂関家の出自で比叡山で天台密教をきわめ、のちに南禅寺管長(長更)、永観堂住持もつとめ、伝説によると白い馬(駒)に跨り天空に身を隠した(なくなった)といわれる。よって駒大僧正とよばれ、その隠棲した奥の院の滝を駒ケ滝とよぶようになったとか。
駒ケ滝、ほとばしる水は山水であろう。
この滝は滝行ができるらしく、行者のための小屋も整備されている。洛中からあまり距離のない場所での滝行なんて!こんなところがあったなんて、すばらしい!
滝のそばにはお不動さん
滝から下を見る。
駒大僧正にはもうひとつ伝説があって、亀山上皇がこの地に離宮を作った際に、この地への執着強かった僧正の死霊が夜な夜なあらわれたという。最終的には東福寺・第三世無関普門(大明国師)がこの死霊を鎮めたとされる。この功績により、のちに大明国師は南禅寺開山となったのであった。
ほとばしる水の清冽さ、つめたさ
そして美しさ
山の清浄な空気につつまれて、最初心細かった心もおちつき、しばしここに身をゆだねる。
こんな場所が家の近くにあったなんて、、、
さすがに滝行は今は風邪ひきそうだし遠慮しておく。
かなりあやしげな雰囲気もただよう。ほんまに日本は八百万の神の国やな。お寺にあるというのも、こういう日本人の宗教観って好き。
しらべたけれど不明だった「力彦大明神」
何系の神様なんだろうか。
この滝の上には洞穴があって、厳島弁財天など祀られているそうだが、さすがに夕刻ゆえちょっとこわくて遠慮した(^◇^;)
地図をみるとその先をどんどん行くと大文字山の三角点に達する道もあるようだがかなりケモノ道っぽい。(ツレが他日どんどん奥へ行って、新島襄墓所に出た、と言っていた。)
そろそろ暗くなってきたので、人ならぬモノもでるやもしれぬ、とそのあとはとっとと帰路についた。南禅寺の奥をきわめたい人、昼間ならこわくないので是非。