夏越と七夕〜両班(ヤンバン)風?夕ざり茶事 - 2020.06.28 Sun
濃茶各服点ての動画見たが、、、、う〜む、思うところつっこみどころ色々と、、、(これ以上言うと破門やわ(^_^;)
今回はwithコロナの茶事を多少工夫してやってみたが、これは主客の親密度によってもかなり変化すると思われ、なかなか正解というのはだれにもわからない。

お客様は敬愛する師匠(私淑中)とご友人の2名という一客一亭以外では最少人数。いままで3名がスタンダードだったが、2名というのは実は主客供にゆったりできて(準備も後片付けも楽で(^_^;)いいじゃないか、と思った。密を避ける意味でもこれからは2名かな?
葦戸に変えて夏座敷の待合には七夕の歌の軸をかける。
軸の下に七夕と言えばこれよね、の梶の葉。
すでにうちのバックヤードでわさわさに茂っているのだ。(茂りすぎて毎年往生する)田中茂雄さんの皿に李朝の膳(?)
この日は晴れたかと思ったら土砂降りの集中豪雨、腰掛け待合いもずぶ濡れで、、と思ったらまた晴れてきて、、、草履と円座を出したりひっこめたり、空とにらめっこ。
当日にあわせて植木屋さんに枝折戸を新調してもらった。(なにせ前のは古くなって崩壊寸前だったし、、)
6月初頭からずっと毎朝の仕事だった常緑樹の落ち葉拾いも月末になっておちついてきた。雨のおかげで水うちはいらんし、緑はきれいやし。うちの先生の社中では蹲居はコロナ予防で使わないことになった。蹲居の横にアルコールスプレーを置いてあるところもある。大寄せならしかたないかもだけれど、あまり美しい景色ではない。
初座の花
うちの裏庭の山ホロシとヤブミョウガ
山ホロシが咲くかな〜どうかな〜とはらはらしながらここ数日見守ってきたが、やっぱり開花はせず(翌日きれいに開いた)。茶事の時に良い具合にさいてくれる花の少ないこと!
今回の目玉はコチラ!
これのお披露目にもなる初使い。島原の超ハイレベルの李朝数寄・M和尚の李朝鉄製火鉢に憧れること2年、ようやく入手したもの。
敷板は韓屋の石瓦、取っ手と足の位置のずれ具合や、ちょっとかしいだ感じが李朝やな〜と萌えるのである。ただし、口が広いので灰型がどれだけたいへんか、、、(アップ不可(^_^;)
筒釜をあわせたが、雲龍もいいなあ。
これもM和尚のおもてなしに憧れて、一度やってみたかった小盤(ソバン)を折敷代わりに。小盤はいくつか持っているが、けっこう重いので3人以上だとちょっと大変、けれどお二人様ならできる!とかねての企み決行。
師匠曰わく「両班(ヤンバン 李朝の貴族)みたいやな。」
みまわせば家具から茶碗にいたるまで李朝モノばかりに囲まれているので、両班風茶事と名付けよう(?!)
お酒はかねて取り寄せておいた奈良・春鹿のアマビエラベル
水無月を模した枝豆しんじょう、人参とオクラは織姫と彦星、、、なんちゃって。
焼きもの以下は取り回し(といっても2名だが)せず、銘々皿でだしてみた。フルコースのように、出しては引っ込め、、、意外とスムーズな手順のような気がする。へたにとりまわす時間も節約できるし。しかもたくさん器が使えるのがうれしい。(普段二軍選手もどんどん使う)
そして、昨年夏のリベンジ!食用ホオズキ
昨年も6月の茶事でお出ししたのだが、、、師匠始めお客様3名、食べられると言ったから、となんと皮まで召し上がってしまわれたのだ!苦かったそうで、今年はちゃんと外の皮は食べられません、と言い置いて(^_^;
千鳥の杯はさすがに当分もうできないだろうし、自分の杯持ち出して、それぞれ自分のだけでさしつさされつということに。千家以外の流派では千鳥はないそうなので、それに準じて。酒の勢いで、コロナ下のお茶についてあれこれディスカッション?、いろんな意見がきけたのは勉強になった。
人それぞれコロナとのつきあい、距離感はかなりの温度差がある。私は「正しく怖がること」をモットーとしたい。実際役に立っているのかどうかわからないアリバイ的なビニールシートやなんでもかんでも消毒剤というのはどうかな〜と思う。
炭のあと(種火に1本隠し炭を足しておいたので燃え尽きずにすんだ。)蛍籠炭斗を菓子器に、お菓子は青洋さんに特注お願いした夏越の大祓の葛まんじゅうを。水色の餡のなかに小豆がしのばせてあるところがニクイ。三角は水無月の三角でもあり、上賀茂神社の夏越の祓で御手洗川に立てられる斎串の御幣でもあり。
そして後座の床は軸の代わりに茅の輪
いびつだけれど一応円相(^_^;でもある。
私の周りの茶友には茅の輪師(?)がたくさんいるので、今年はじめて自作に挑戦。ベースは真円にはならないものの軽いウレタンのベルトで。
材料さえあればそれほどむつかしくはない。これで無事夏を越して、ひとあしお先に七夕へ。
濃茶は二名様なので重ね茶碗的にそれぞれ別の茶碗で。
二碗目にあらかじめ濃茶を入れておいて、二碗目は練るだけ。3人以上の時はどうするか、あの各服点て用のお盆もなんだか美しくないしなあ、、(あ、言っちゃった(^_^;)
干菓子は毎度おなじみ亀廣保さんの清流の鮎
薄茶はほとんど皿やん、というくらい平たい禮賓三島で薄茶点てに挑戦。(飲むのもテクニックがいる)
御茶碗は4碗ひっぱりだして、それそれ二碗ずつ、茶巾もA、Bと使い分けを一応試みた。
師匠が平茶碗に挑戦、そしてそのお茶をありがたくいただいた。さすが上手に点ててくださった。そろそろ疲れが出る頃なので、一服の薄茶の美味しさがしみる。
終わって19時、ついこの前が夏至だったので、しまいまで外が明るい。茶室内にぎりぎり燈火がいるかな、くらいである。せっかく準備したのでやっぱり燈火はだしたけれど。
お見送りして片付けにはいるころ空には上限の月、これがなによりのご馳走。
こんな時節の中、おいでくださって御指導もいただき感謝いたします。
withコロナの時代のお茶のお稽古 - 2020.06.26 Fri
withコロナの時代の茶会のあり方云々で裏千家では家元のビデオメッセージで指針が示されたみたいだ。見るには淡○会のIDとパスワードが必要なのだが、それ書いた機関誌どっかいっちゃってひらけない(^_^;
先生によると、濃茶はもちろん各服点て、薄茶でも一碗一人だけ、茶巾は毎回変えて消毒のことなどなどらしい。お菓子も縁高や銘々皿で、袋入りのお菓子ならなおよし、、、ここまで神経使わないといけないのなら、とても外食などできぬな、と思う。
茶席に大型空気清浄機でウイルスを希釈しようと導入されたところもあるが、あれって有効なんかいな。

すでに4月から月日社では2〜3人の小規模お茶の自主稽古をさせてもらっていた。よく知っている茶友だけで、アブナイ場所(特に夜の街関係?)には出入りしてないことはわかっている(^_^;から、全然心配はしなかった。まあ、各服点て、マスクくらいはするけれど。
ご用意いただいた水無月、お干菓子、お持たせの奈良のみむろ(最中)と贅沢なお菓子のラインナップ。
この日の自主稽古は奥伝の大円草
唐物・和物茶入二つを使うお点前、指導の先生はいなくて互稽古なので、マチガイもあるかも。疑問点はそれぞれ持ち帰る。日ごろ奥伝の稽古は自宅ではエア稽古なので、こうして実際にさせてもらえるのはありがたい。
また他日、K様のお茶の道場(お茶専用のお宅を持ち、茶席も種々そろっている!)にて、コロナ後初めての花月のお稽古。これも長年の付き合いの茶友ばかりで、危なそうな人はいない(^_^;
それでも一度使った茶碗は使い回しをしないように、たくさんの御茶碗を用意していただいた。
あちこちで月釜再開の話も聞く。お茶がしたくてしたくてたまらない人たちは周りにたくさんいるものなあ。感染のリスクがあるとすればプライベート茶会ではなくて、やはり大寄せだろうが、どういう形で対処されるのか興味がある。気をつけていても水屋経験からいうと忙しすぎて完璧な清潔操作は不可能だし。
とてもすてきな腰掛け待合い。
この道場には席披きの茶事にもよんでもらい、この2月には大炉のお稽古までさせてもらったが、稽古再開までとうとう4ヶ月はかかった。ずいぶん昔のことに思える。
花月の科目は「三友の式」「平花月」
三友では回り花で全員で花を入れ、香を焚き、薄茶を点てる。しかし、香道の方はどうされているのだろう。マスク越しに聞香というのもあまり麗しくないし、息を吐く所作には気を使うだろうし。そういえば小学校では音楽の授業に歌が歌えない、と聞いた。えらい時代になったものだ。
K様がご用意くださったお菓子が老松の夏柑糖であるのはよいのだが、ひとりひとりにまるまる一個!というのは驚いた。いままでいっぺんにまるのまま食べたことがない。いや超贅沢〜!(あとで聞いたらK様、夏柑糖を切る、、という発想は全然なかったそうで、、、(^_^;)
さて、いろんな工夫を見せてもらったあげく、いよいよ自分も腰をあげよう。コロナ後最初の茶事にいどむよ!
源氏物語(だけじゃない)の須磨を歩く〜茶席付き! - 2020.06.24 Wed
「おとピク」こと、大人のピクニックの須磨編。
メインテーマは源氏物語の須磨を歩く。

JR須磨駅はなんと目の前が海岸なのですよ、びっくり!
海開きはまだなので魚釣りの人たちが(鱚が釣れてた)。
山陽須磨駅から出発、ナビゲーターはもちろんタライラマ師。(最近は、こうみょうじ文化部を名乗っておられます(^0^;))
まずは須磨の地形を確認、海岸に山が迫ってきていて、須磨に流され(自発的に)ていた光源氏が嵐にあったとき、逃げ場がなかったことを実感。
この駅のほん近くになんと村上帝社というお社があるのだ。
村上帝といえば、お能好きな方には「玄象」、古典好きの方には「天徳内裏歌合」、和歌好きな方には「鶯宿梅」、三十六歌仙の斎宮女御はこの帝の女御、、、その他もろもろつっこみどころの多い天皇さんなのだが、紫式部はこの時代を帝自ら親政し、王朝文化のきらびやかな理想の時代として「源氏物語」の時代背景としたという。
碑に曰わく、<村上帝社 琵琶達人師長>
仕舞「玄象」は、琵琶の名手・藤原師長(悪左府・頼長の息子)が琵琶を極めんと須磨から唐(実際は宋)へ渡ろうとしたときに村上帝と梨壺女御の霊にいさめられ、秘曲を授かり、海からあがった名器の琵琶・獅子丸をここへ埋めて都へ帰っていったというお話し。
もともとこの地に前方後円墳があり、琵琶の形に似ていたのか、師長がここに琵琶を埋めたとされる塚が山陽電鉄の線路の向こうにある。つまり古墳の上を電車が走っているという、、、、(^_^;
♪ 須磨の帰洛ぞ ありがたき〜
ちなみに「玄象」は短い仕舞でだれでも最初のあたりに習うやつです。(私もやった)
かくの如く須磨は山が近いので、どの道も坂道になっているのを実感。
次がかの有名な「須磨の関守」の関守跡といわれる場所に立つ関守稲荷神社。なぜお稲荷さんなのかは不明。
「あはじしま かよふちどりのなくこゑに いくよねざめぬ すまのせきもり」
百人一首でも有名な源兼昌の歌は、「源氏物語 須磨」の中の歌にもおりこまれているのだ。
「ききわたる せきのなかにも すまのせき なをとどめける なみのおとかな」俊成
その他須磨の関はたくさんの歌人に歌われる。此処より西はもう都文化圏外で、海と山しかない哀愁感(都人には)が漂い、歌をうたわずにはおられなかった場所だったのだね。
須磨の現光寺かつては源氏寺とも。浄土真宗本願寺派(タライラマ師と同じ)のお寺だが、光源氏が須磨での仮住まいをしていた場所、ということになっている。(典拠:おはすべき処は行平中納言の藻しおたれつつわびける家居近きわたりなりけり。海面はやや入りて、あはれにすごげなる山なかなり「須磨」)
そう、須磨といったらやはりここに流された実在の人物、在原行平ぬきでは語れず、紫式部もこの貴種流離譚からこの巻を作ったらしい。
お寺は阪神淡路大震災で全壊したものを、現在のご住職ご夫婦の力でりっぱに再建されたものだそうだ。
光源氏は実在の人物ではないから、その面影をさがすことは詮無きことではあるが、「源氏物語」ファンには素通りできない聖地であることは間違いない。
正岡子規の句に、そういえば昔、源氏物語を何度も読もうとして、何度も須磨明石あたりで挫折したな、、ということを思い出した。現代語訳で全巻読破したのは人の親になってから。それまで待たねば、なかなか源氏の一代記は理解できないと思う。
お次は境内に茄子があったり、サーファーボードを持った幼い頃の道真ちゃんがいたり、あちこちに「思う壺」なる壺があったり、、、つっこみ処満載の綱敷天満宮。
牛だけにぎゅうぎゅう、、、、(*´~`*)
いくら天神さんでもこんなの見たことない。(寄進された牛像を集めてこうなったらしい)
綱敷天神は、太宰府配流の折、船が難破し、流れ着いたここで、高貴な方に座っていただく円座もないので、船の綱をぐるぐる巻いて円座の代わりにしてすわっていただいたという伝承による。
道真もまた源氏のモデルの一人といわれ、作中で道真の漢詩をつぶやかせたりしているのだ。
それにしても菅公の漢詩といい、白氏文集の漢詩がすらすらでてきたり、あんなにたくさんの歌を作中に作ったり、紫式部ってどんだけ才能があったんやろ。父上が「この娘が男の子だったなら、、、」と嘆いた気持ちがよくわかる。
来た〜!
能ファンには須磨と言えば「松風」、もっとも「熊野松風に米の飯」というくらい人口に膾炙した謡曲である。その松風村雨堂。
須磨の地に配流された行平が愛したこの地の娘、松風、村雨姉妹、都に帰る別れの時に行平が詠んだ「たちわかれ いなばのやまのみねにおふる まつとしきかば いまかへりこむ」
謡曲にも引用されている歌である。能では月影に姉妹が汐汲車を引いて現れるのである。
♪稲葉の山に生ふる松とし聞かば今帰り来ん それは因幡の遠山松 、、、、
須磨の浦曲の松の行平 立ち帰り来ば我も木陰にいざ立ちよりて 磯馴松のなつかしや
行平が愛した磯馴の松、別れに際し姉妹に贈るため狩衣と烏帽子を掛けた衣掛の松、、、の何代目かの松があり、残された姉妹が行平の寓居跡にたてた観音堂といわれるお堂がある。
わくらばに とうひとあれば すまのうらに もしおたれつつ わぶとこたへよ (行平)
さて、ご一行はタライラマ師のお寺へ移動。
コロナの為にソーシャルディスタンスなどご配慮いただいて、お寺の集会所にて、いつものイタリアン茶事なら名器に盛られるベルドマーニさんの料理もパックでいただく。
パスタはご子息が直前にゆでてくださったのをベルドマーニのソースにて。こちらは古染のお皿がニクイ。
一人一人にご用意いただいた酒器にはいっているのは、、、村上帝ゆかりの鶯宿梅を使った梅酒!
(勅なればいともかしこしうぐいすの、、、の古歌にちなむ
美味しいイタリアンを堪能した後は本日の見所にちなむお道具満載のお茶席。
待合の松の屏風に狩衣と烏帽子がかけてあり(衣掛の松)、この小龕は松風村雨のお堂、「松風」の軸
本席にたたんであったのは七条袈裟(恩賜の御衣:源氏が配流に際し兄の朱雀帝から拝領した)
百人一首の行平の「たちわかれ、、、」
他にも天徳内裏歌合の最終決戦、壬生忠見を憤死させたという村上帝のつぶやきを連想させる、「しのぶれど 色に出でにけり、、、(兼盛)」「恋すてふ わがなはまだき、、(忠見)」も。
水指の南蛮縄簾の縄目が村雨をあらわし、軸の堀河百首切は伝・九条(後京極)良経、この方かの佐竹本三十六歌仙の歌を書いた方、三十六歌仙絵といえば斎宮女御(鈍翁が入手した最高値)、彼女は村上帝女御だったのですねえ。
香合がよくこんなの手に入れはったなあ、、とうらやましい「須磨・明石」の和綴じ本を模した蒔絵の香合。
須磨の浦を表した美味しいお菓子をいただきつつ、各服点てにて薄茶をいただく。
お正客の御茶碗が先だってのオンライン講座で教材となった奥高麗「軒月」。
定家の「梅の花 にほひをうつす袖の上に 軒もる月の影ぞあらそふ」が元歌なのだが、この歌は伊勢物語四段「むめの花ざかりに去年を恋ひて行きて、、、うち泣きてあばらなる板敷きに月のかたぶくまでに伏せりて、、、」の場面(入内して手が届かなくなった思い人、藤原高子のことを思い出して嘆いている)を、業平に代わって詠んだ歌という。(業平は行平の弟)
すっかり気分は平安王朝時代であったが、それだけではない。
話がはずんで前日オンライン講座(テーマ・粉引)でスクリーン越しにしかみられなかった粉引それに類する茶碗の数々も、実物を拝見させていただいたのがなんともありがたかった!!
歴史をたどるフィールドワークはたまりませんな。
ありがとうございました!
薬師寺〜大池からの両塔遠景をもとめて - 2020.06.22 Mon
連日奈良ですみません(「いつか住もう奈良」に変えようかしら???)
この日は降りそうで降らない梅雨独特の天候であった。

肌寒さにも負けずコンプリートを目指すことのまあかりさんの奈良飛鳥人物名削氷(けずりひ)、をまず。これは<氷高皇女>、きらきらのかわいい琥珀糖に中にバニラアイスがひそむ。名前も美しい氷高はほんとうに美しい人だったといわれる。のちの元正女帝である。(天武天皇の孫にして草壁王子の娘)
腹ごしらえのあと、この春生まれたばかりの小鹿など愛でつつ西ノ京へ。
薬師寺の参道は黄色く熟した梅の実がごろごろ。
あ〜〜!もったいない!だれかこれで梅仕事してくれんかな。
ああ、ええな、やっぱり凍れる音楽・東塔のある景色。手前の蓮の花越しにみると極楽浄土もかくやと(^-^)
コロナがなければこの春、10年ぶりにようやく姿をあらわした東塔の大修理落慶法要が数日くりひろげられるはずだったのだが。
ここは奈良公園からはなれていることもあって、まだ参拝客もまばらである。法話もしばらくお休み、売店もしまったままだ。
こうして東塔、西塔ふたつ眺められる時代を共有できてありがたいことだと思う。
(西塔は、高田好胤師が写経勧進で全国をまわって執念で昭和52年に再建された)
おりしも小雨がふってきて、蓮の葉の上にころころ露の白玉
半年ぶりの写経を
いつもは丁子を口に含むのだが、コロナでそれも中止、この香象くんをまたいで写経場に。
ソーシャルディスタンス、、、といわれなくても広い広い写経場に3、4人しかおられなかったので。
写経後は、「こちらの席は使わないでください」の札を置いておくコロナ対策。
(それにしてもいつまでたっても完全に覚えられない般若心経、、、、)
さて、今回は大池越し、若草山背景の両塔を拝もうと思っていた。
あの、若草山山焼の時に燃える山を背景に塔のシルエットがうかび、池に映るいい写真が撮れる場所である。(当日はカメラマンで場所取り合戦がすごいらしい。しかも今年は東塔も復活やし)
(参考までにこのかたのブログに美しい写真が)
猿沢池にスタバなんてね〜ちょっとね〜と思いつつ、控えめな外観にしてあるのでまあいいか。(←エラそう^^;)
しばしお別れ東大寺・戒壇堂〜国宝四天王像 - 2020.06.20 Sat
梅雨の晴れ間に奈良。
今月いっぱいで改修のため3年間の長いお休みをとる東大寺戒壇院戒壇堂へ。
県庁東からの道を北上する。趣のある土塀の小道は好きな道である。
たいていの観光客はここをす通りするから静かなのだ。
戒壇堂の石段前にでる。
ここの右手には若草山、そして大仏殿の屋根が見えるのだ。
戒壇院はご存知、はるばる唐から苦難の道を乗り越えて来朝された鑑真和上が、日本で初の正式な授戒をされるために建立された寺院であった。
二度の兵役(平重衡南都焼き討ち、「麒麟がくる」で話題の松永弾正の東大寺攻め)と一度の火災で本来の堂宇は失われ、現在残るのは江戸時代に(1732)に再建されたこの戒壇堂のみ。
戒壇院四天王(国宝)、、、その名前を心に刻み込んだのは仏像フェチであった中学時代であった。TVではあったがその四天王像の静寂の佇まいに衝撃をうけ、いつかこれを見に行こう!と心に誓う。(京都の大学に行ったのはその奈良が近いというのも大きかったのよ)
多聞天、北方の守り 眉をひそめ宝塔を捧げ持ち仏法を侵すものに睨みをきかせ
広目天、広くものを見てつぶさに願いを書き取り
持国天、顔は憤怒となるも、仏にあだなすものにまだ怒りを抑えている様子が剣の先を押さえた左手である。この緊張感で私はこの方が一番好きなのだ。
増長天、ついに怒りは爆発、振り上げた戟で仏敵を討たんとする。
それぞれに1300年の間踏みつけられているかわいそうな邪鬼もお見逃しなく。
創建時、鋳造仏であったが焼失ののち、中門堂(現在はない、現在の指図堂あたりらしい)の塑像を移動したものとされる。天平勝宝年間、奈良時代の最高傑作の一つだと思う。
改修にはいった後は四天王像は東大寺ミュージアムにお移りになるが、完成した暁にはここへお戻りになると聞いて安心した。
仏像を美術品としてみるならば、空調湿度調整照明の整えられたミュージアムもありだが、信仰の対象としてみるならば、やはりこのお堂の中で拝みたいもの。
法華堂(三月堂)のこれまた大好きな日光月光両菩薩が、ミュージアムに拉致られてかえってこられないのが今でも悔しいのでことさらそう思う。(日光月光は痛みがかなり激しかったと聞く)あれは静謐なお堂の中で不空羂索観音さまの脇侍として拝むのがやはり一番美しいのだ。
そういえば、あの日光月光と時代も同じだが、四天王像は面差しがとてもよく似ていると思う。(一説にはいずれも国中公麻呂の作とも)
もう一つの見所は、江戸時代の大工さんがやたらと残した天井の梁などの手足形。皮脂が残って足などはくっきり(現代人では稀に見る)土踏まずが見えて興味深い。まさか自分の足型が300年後に見られているとは思わなんだだろうな。
戒壇堂の端からは大仏殿の屋根も見え、若草山も望める。
すぐ隣に東大寺幼稚園があって、ちょうど下園の時間で、お母さんといっしょに賑やかだ。ええなあ、幼稚園の頃から東大寺ですか(うらやまし)
戒壇堂から西に出て県庁東から近鉄駅に向う途中、旧京街道沿いに東大寺の西門跡がある。現在の南大門よりも壮麗な門だったという。
この周辺みとりゐ(見鳥居・ちょうど春日大社の一の鳥居が見える)池遊園になっていて、観光客もまず訪れない(通りと段差があって一見入れなさそうなので)けれど、ゆっくりくつろげる緑多い場所だ。秋には銀杏の落ち葉絨毯が美しいらしい。

ついでにやっと昨年出来たばかりの県庁横、奈良公園バスターミナルにも行ってみた。
多くのテナントがコロナの影響でまだ閉まったままだ。
しかし、ここからの若草山、みとりゐ池遊園の眺めはなかなか良い。
せっかくだからここのスタバでコーヒー買って、テラス席で眺めを楽しみつつひとときすごした。
さらば閑是 - 2020.06.17 Wed
家具の町・夷川通りを烏丸より西へ

この一年で4回行った台湾茶・茶藝館閑是さんへ。
なんと6月いっぱいで閉店されると聞いて、これは行っておかねば、と。
中国茶もさることながら点心が一番楽しみであるところの銀月サロンのオーナー主催、点心の美味しさは格別なのである。なのでここがなくなるなんて〜、、、と悲しんでいたら、装いも新たに少しはなれた場所でいずれ再開されるとのこと、安心した〜。
水出し岩茶はほんのり甘みがあって美味しい。
頼んだのはOriental high tea
点心と中国茶のひとときのお楽しみ
まずは有機野菜のサラダ
ここは家具や室礼もオーナーのこだわりがあって、銀月サロンと同じくらいステキなのだ。
二皿目は蒸し鶏
上にのった薬味(内容おぼえてない)が美味しい
夷川通りに面した部分は町家の糸屋格子
三皿目は豚のスペアリブを薬膳風に煮込んだもので、茴香とか八角とかハーブがきいて、スープまで飲み干す。
蒸したて三色シュウマイ
ぷりっぷりの海老やらニラやら海鮮やら
最後は自家製食べるラー油(買ってかえったことあり。美味しい)をのせたお粥
キャッシャーの裏にはワインセラーもあって、一度痛飲?したこともあったなあ。
点心のあとは中国茶
数種類の中国茶からセレクトできる。今回も迷わず鳳凰単叢蜜蘭香
香り高さとほんのり甘い味はピカイチだと思うの。
スタッフさんに入れてもらう。
一煎目を茶海にいれてくれたが、あとで自分で一煎目を使って二煎目を入れたら、これが美味しいのなんのって!
そして最後にお楽しみの!
ハイティースイーツセット!これがうれしくて。
点心で腹八分だったが、これでお腹一杯。
ここに伺うのは最後になるが、また新しいお店を楽しみに待つとしよう。
ごちそうさま。
夷川通り英国Antiqueのお店 - 2020.06.14 Sun
夷川通りを歩いていて、古美術の万市さんの堂々たる表家造りの前を通るのが好きだったのだが、このところいつも気づかないうちに通り過ぎていたのかしら、、、、と思っていたのに!

改めて行こうと思うとなんと!!
ち、、、駐車場になってる!!
ショック!
なんでも2018年には更地になっていたそうで、なぜ気づかなかったのか残念すぎる。亡くなられた御主人には京都移住前から知己であったし、赤穂緞通もここで買ったし、あの大きな町家も好きであったのに、、、すごい喪失感。
それを少し埋めてくれたのが、通りがかって素通りできなかったのがこのお店。
なんかかわいらしいアンティークのお店。でもここ前何があったっけ?
家具の芳英さん、名前は純和風だがアンティークの英国家具や雑貨、ファブリックなどを扱っているお店だ。昨年秋にできたばかりで以前はアパレル系のお店だったという(全然記憶にない)
感激したのは商品もさることながらこの町家の作り。畳を板張りに改修しているとはいえ、走り庭も火袋も坪庭もそのまま残しているところ!
いや〜この走り庭の三和土には感激、ディスプレーもすてき。
主にイギリスで買い付け修復した家具を扱っているお店で、以前住んでいた宝塚の家だったら絶対ほしい!と思うような垂涎の家具がたくさんあるのだけれど、幸か不幸か(^0^;)今住んでいるのは純和風めざせ数寄屋の家だもんなあ、、、。
坪庭も保全されていてうれしい。あ、ステンドグラスの窓ガラスもええなあ〜。
家具の他にウイリアムモリスのファブリックも扱ってはって、サンプルだけでもため息がでるのだが、うちの家、今はカーテン一つない(障子ばかり)家だしなあ。もう一件家があったら絶対ブリティッシュクラシカルな家にするのに、、などと見果てぬ夢をみたり。
二階は厨子二階になっていて、舞良戸などもそのままでお家自体も見所。
小物やテーブルセットなどもアンティークで、お値段もお手頃なのでシルバーとガラスのコンポートを買ってかえる。今度の懐石に使おうと思うのでまだナイショ。
シルバー部分を綺麗にみがいてくださって、これまたうれしいのであった。また通りすがったらみにこなくちゃ。
表もかわいいお店なのであった。
若冲誕生・福田美術館/応挙・芦雪・嵯峨嵐山文華館 - 2020.06.12 Fri
先日嵯峨野にいったおりにはかの有名な竹林の小径の無人写真が撮れるくらいであったが、、、

日曜、好天もあって、以前ほどではないにしろ嵐山にはそこそこ人が戻ってきていた。ただまだ市営の観光駐車場も閉鎖中、近くの人だけ来てね、という状態だが、海外の観光客もちらほらおいでのようだ。
しかし、青葉の頃の嵐山の緑には圧倒される。さすがに天下の名勝だけある。かくいう自分は紅葉の頃の嵐山は人出がこわくてまだ行ったことがない。しかし青葉でこれだけ胸打たれるなら紅葉もさぞかし、、と思われるのである。

本日のお目当ては、二回目の福田美術館。
時節柄ネットで日時を予約しての拝観、エントランスでは体温測定もおこなわれている。
やはりコロナでしばらく休館であったが、ようやくの再開、「若冲誕生展」はいましばし会期が延長されるのかな。
ほんとうにいつも見事なこのギャラリーへの階段の景色。左手は天下の名勝嵐山。
たまたま人がいない写真が撮れたが、意外と大勢の方がお越しだった。
ここのいいところはごく一部をのぞいて作品の写真OKなところだね。
しかも自分のスマホがオーディオガイドになるハイテク?ぶり。ただしイヤホンは忘れずに持参を。
今回の若冲展は彩色画は少なくほとんど墨絵であったが、私はどとらかというと墨絵の方が好きかな。極彩色細密画はすばらしいのだが、見ているとちょっと圧倒されて疲れる。
一番のお気に入りはやはり墨絵の若干カリカチュアライズされたニワトリ図。
「群鶏図押し絵貼屏風」のずらっと並んだどこか漫画チックな雄鶏、雌鶏、見ているとおもわずセリフがうかんでニヤリとしてしまう。
見得を切る雄鶏「なんや、ワレ、文句あるのけ〜!こけ〜!」
雌鶏「あんた、ちょっと卵抱いとんのに、静かにしてんか〜!」
とか、次々セリフが浮かんできてしまう.゚+.(・∀・)゚+.
若冲は錦市場ゆかりの人だから、やっぱりベランメエの江戸っ子ではなく関西弁よね。
それからカフェで一息、ここからの渡月橋の眺めがまた素晴らしいのだ。しかも最高の上天気。
ギャラリー側のガラスには景観条例上、素通しガラスは不可なので、写真をとるとどうしても縦横線が入ってしまうのが残念。けれどもこの景色を見るだけでも来る価値があると思うよ。
福田美術館を出て少し上流に保津川沿いを歩くと、早くもボート乗り場は満員で、たくさんの小舟がでている。
嵯峨嵐山文華館である。こちらは福田美術館と同時に訪れると割引あり。
エントランスで簡単な住所と電話番号を記入するのはコロナ対策、感染者が万一でたときのトレースができるように。
ここは京都商工会議所開設120周年記念行事として建てられ、かつて小倉百人一首に特化した時雨殿というミュージアムであった。リニューアルされて一般の展示もするようになったと聞いてはいたが、今回が刷新後初の訪問となった。
福田美術館と呼応して、若冲とほぼ同じ時代を生きた円山応挙、その弟子でもある長沢芦雪の展示である。
こちらも撮影OK
1Fは端整な応挙の世界。いまさら私が解説する必要もないが、彼もまた緻密な障壁画襖絵を描いたかと思えば、墨絵でかわいいムクムクの犬っころを描いたり、縦横無尽のテクニックを持った天才だったんだなあの感。
二階の120畳の大広間は応挙の弟子であり、その破天荒さゆえ破門された長沢芦雪の作品。
(ここはかつて十二単衣などの平安衣裳が試着できる部屋であった)
芦雪の猫の脱力系の絵が好きだったなあ。屏風絵は最後になると仙厓もびっくりなくらい落書きチックで、やっぱり応挙の弟子にはおさまらない人だったのだな。
この二階のギャラリーから見える保津川もまた良き眺め。
運営が小倉百人一首文化財団なので百人一首の常設コーナーもまだ残っていて、百人の歌と人形の展示はすてきである。
残念なことに以前あった天徳四年村上帝内裏歌合(「陰陽師」でも有名な場面)の時の様子を再現した人形達はなくなっていた。
以前なにもないテラスだった眺めの良いスペースはカフェレストランになっており、メニューも充実しているようだ。いつか利用してみよう。
お気に入りだったのはこのトイレの表示
これ、おしゃれだわ。
最後に老松嵐山店で「夏柑糖」を買って帰ってからのおやつとしたのだ。
美味しい♡
草喰なかひがし〜水無月の摘み草ご馳走 - 2020.06.09 Tue
コロナ明け(まあ中休みかもだけど)最初のグルメは銀閣寺畔草喰なかひがしとなった。

ご存じ、とっても予約のとりにくいお店である。1年半ぶり、今回も関谷江里さんのクラブエリーにお世話になった。前回きっとこれで最初で最後かな〜と思っていたが、再訪できるとは、しかも緊急事態宣言終了後初とはありがたい。
まだまだ完全終息とはいかないけれど、こうした生活を少しでもとりもどせることはしあわせである。前回は師走のあわただしいときであったが、今日は初夏〜梅雨前の季節の料理、草喰のコンセプトでもある「医食同源」、お互いに感染しないよう工夫をしての食事である。
最初にでてきた前菜の籠におもわず歓声があがる。
籠の上にそれぞれあしらわれたのは小紫陽花の花。花が一つ数ミリのかわいらしい花である。(シモツケに似てなくもない)
大葉イタドリの葉の上に並ぶのは、天然独活、その上にのっているのは春に大将が摘んで乾燥させておいた土筆なんである。
根曲竹、蛙の口に見立てたそら豆、花背の清流でとれたじゃこ、山蕗の湯葉巻、青梅の甘露煮、日本海の小鯖と山椒の葉っぱのはいった寿司、蕨の黒酢漬け
海山の幸を美味しくいただく。
蓋を開けた後は小紫陽花の花をそれぞれ小さい升に生けていただく。おしゃれやわ。
加茂茄子に山芋のすりおろし、これがまた絶品の汁であった。懐石にこのアイデアはいただきやな。
少しはみ出ている茄子が氷山で、すりおろしが溶けた雪でございます、と大将の絶好調の口上、健在や。
お、あそこで摺り摺りしているのは、、、蓼ではないかしらん。
、、、ということは、、、
やっぱり鮎や〜初物や〜!
清流に見立てた器に鮎、そして玉ねぎは水紋である。ちょんと乗っている黒いのが数年モノのもろみ。川魚が苦手な私であるが、ここの炭火で焼いた鮎はほろ苦さも美味しいと思える不思議。そして蓼酢はもちろん飲み干しましたよ。フレッシュな蓼は全然苦みもないのね。
朝風きゅうり(京野菜)のすりおろしの下に隠れているのが安曇川の清流で泥を吐かせた鯉のおつくり、全然生臭さなし。白醤油でいただく。鯉の煮こごりがまた絶品。
大根の花、緑のちいさいのは種、そして大根(根)、、「大根の一生でございます(^.^)」
煮物椀は「水無月」
この三角の水無月は蓬、豆、山芋でできている。上に乗るエンドウ、小豆は魔祓いのため、船に見たてたエンドウに櫂としてこのこ(お酒すすむやつ〜)、夏蜜柑の皮と初物のじゅんさい。
川舟だから、器の蓋にも沢蟹
懐石で最初に出すアルデンテのご飯、少し芯があるくらいの水分多目。自分の懐石でこのご飯はいまだに炊けない。
笹の葉の下には無農薬のたんぼでとれたタニシ
上にのるのはサバのなれ寿司。鮒寿司はどうも苦手なのに、このサバのやつほんとチーズみたいで美味しい。なれ寿司が美味しいと思ったのははじめてかも。
炊き合わせは「ノアの箱船」だそう(*^_^*)舟形の器に。
蕗、虎杖、唐辛子、たけのこ、生節
お汁もしっかりいただく。そこらに生えている雑草の虎杖(イタドリ)がどうしてこうも美味しく料理できるのか。
そして女将さんの帯が、、、
ノアの箱舟にあわせて鳩であった!(オリーブの枝をくわえているかどうか確認できず)
本日のメイン、鹿肉。北山の野生の鹿である。白味噌と米油のソースをからめて。鹿肉は美味い。奈良市民には申し訳ないけど(^0^;) 添えてある山椒の葉っぱと一緒に食すとまた格別。
強肴は間引き山葵菜、タラの芽、独活、山葵菜の花を添えて。
蕗の葉のたいたんと上にのるのはなんと柿の花。
よく噛めばそういえば柿のほのかな、、、
〆はおくどさんで炊いたご飯には、めざし(鰯雲のお皿!)これぞ日本人の朝ご飯。
おこげもお好みの食べ方で。
私はParis式(大将言うところのパリパリを塩で食べる)で大好きなおこげをいただく。
他にもNewYork式(お湯漬け ご飯が入浴してるから)、アラブ式(内容失念
アラブ=中東、、なかひがし、、、(^0^;))
ダジャレ健在!
デザートは蓬のシャーベット、紅茶ゼリー、桑の実
これは美味しい。今度蓬つんだら試したい。
お約束のコーヒーをいれるパフォーマンス。いよっ!お上手!
冷たいコーヒーの御供は、蕎麦の実の入った金平糖と、今年自粛生活で自分でも作ってみたところの「蘇」。こちらの方が格段においしいけどね。
お腹一杯である。しあわせ。
本来、この会は昨年末に行われる予定であった。お店のご都合で延期、最初6月になると聞いたときにはえらい先やな、と思っていたが、先見の明というかラッキーというか、3月4月ごろだったらとてもひらけていなかったと思われる。こうして最初のご馳走にまた集えたのはほんまにありがたいことやなあと、繰り返し思うのである。
奈良復活初戦?〜二月堂から若草山登山 - 2020.06.06 Sat
緊急事態宣言下の奈良は鹿しかいない、、、と奈良の友人が言っていた。6月からいよいよ各寺院も公開再開される。インバウンドはしばらくもどらないだろうから、まだかろうじて鹿しかいない(^_^;奈良を楽しめるかな。
最後は二月堂の修二会のさなかだったから、まさに2.5ヶ月ぶり、自粛中は奈良成分が足りなさすぎて「おうちで奈良旅」などのオンライン奈良で我慢していたが、やっと。
近鉄奈良駅の行基さん広場もほんま人いない。
で、まずは駅前の5月末から営業再開されたことのまあかりさんで、夢にまで見た(おおげさか?)削氷(けずりひ)を。それぞれ古代の奈良人のネーミング(長屋王とか大海人とか橘三千代とか)がおもしろくて昨年から全種制覇をめざしているのだが、今年こそできるかな。
これは「蘇我入鹿」、すもものシロップ♡
大和八木の入鹿神社から、毎年6月28日に近くの三宝大荒神遺跡まで荒神さまがおでましになり、お祭りがおこなわれるのだが、これをすももの荒神さん、とよぶことにちなんだもの。
三条通りを興福寺の方へ。
お店もまだあいていなくて閑散。
鹿せんべいのお店もでているが、買う人もほとんどいなくて。
鹿の主食は草で、せんべいはおやつ感覚だから大丈夫、とはいうもののやせている鹿もみかける。ちょうどお産したばかりの授乳中の牝鹿などが特に。
興福寺近辺の奈良公園も、、、
まだ閉館中の奈良博の庭も、鹿に占領されている。
二月堂
今年の修二会はコロナでもぎりぎりセーフで、深夜のお水取りも見て、暁までお籠もりもできてよかったな〜と、ついこの前のことなのにずいぶん昔のことのように思えてしまう激動の2ヶ月。
お松明の時には人で埋め尽くされるお堂下の坂にも鹿が我が物顔で。
今回若草山登山は二月堂ルートでいこうと決めていた。
二月堂から手向山八幡宮、こちらもいるのは鹿ばかり。
「どっこいしょ!」とおばさんかけ声で中へ入ったら、それにおどろいて逃げ出す鹿(^_^;
人がいないせいか苔や木々の緑のしっとり美しいこと。
墨の古梅園さんもお店を開けてはった。
久々の若草山〜♪
二月に来たときには閉山中であったがやっと登れる。二月堂から行くと北ゲートルートになるが、これがけっこうな山道(南ゲートの方が整備されている感じ)
では登りましょうかね。
標高は342m、大文字よりは低いが将軍塚よりは高い。
若草山は別名三笠山というが如く三重になっている。
今年の1月、久々に山焼を見に来たが、炎が一重目から二重目、三重目に燃え移るのを眺めるのも見所なのである。
ちょっとその時の写真おいておく。↓
一重目
ここまで誰も居なくて少々心細かったが、視界がひらけると案外人がいたのでびっくり。
コロナ自粛で運動不足の京都人が大文字山に登るように、奈良の人にはそれが若草山なのかな。
ここから二重目をめざす。
山焼のせいできれいに更地になったところから草の芽が吹いて、緑が美しい。
道なき道だが、なだらかなのでそれほどしんどくはない。
鹿はやっぱりここまでのぼるのね。
奈良市街を睥睨しながら草を食むとはさすが春日神鹿。
ここからは大仏殿や、大乗院庭園などがよく見える。向かいの山は生駒かな。
三重目をめざすと、表からみるのとまた違った山の景色になって、奈良市中ということを忘れる。
三重目到達!眺めは抜群。
ここにも先客さんはたくさんいて、お弁当を広げている方も。
そしてやっぱり鹿がいる。みんなくつろいでいらっしゃる。
今回若草山に登ったのはこれを見たかったから。
はるか昔に登ったときには全然興味がなくて存在すらしらなかったのだが。
鶯塚古墳、牛塚古墳とも。「枕草子」にも「うぐいすのみささぎ」の記述あり。
五世紀くらいの前方後円墳、まあそう見えなくもない。埋葬人は不明ながら仁德天皇皇后磐之媛命という説も。
(右手の小さい石は若草山の三角点)
若草山の山焼の起源は多説あるが、この古墳から夜な夜なさまよいでる幽霊を鎮めるため、というのが一番好き。思ったほどおどろおどろしくはないけれど、やっと見ることができて感激。
下り道は石畳で整備された南ゲートルートで。
麓まで到達。
山焼の時に無事を祈って神事が行われる野上神社も静かにふもとにたたずむ。
奈良市中からいつも見える若草山、そして阿倍仲麻呂が今一度見たかったであろう三笠の山、やっぱり奈良はええな〜。

自粛期間中は生菓子の配送をなんどかお願いした、ならまちの樫舎さんにもお礼参り?
現在も配送で手に入れられるが、じかにお店で買えるって、しあわせである。
「疫病(えやみ)と仏教」〜袋中上人〜だんのう法林寺 - 2020.06.04 Thu

コロナでお籠もり中はいろんなオンライン講座が楽しめたようだが、私も奈良ほどく舎主催、薬師寺・高次喜勝師の講座「疫病(えやみ)と仏教」という講座で勉強した。
オンラインのいいところは、どんな自堕落な格好をしててもいいのと、好きなように飲み食いしながらできることである。で、奈良のお酒「春鹿」のアマビエ様バージョンを入手し、これをちびちびやりながら(^.^) (ちなみにこのお酒の収益の一部は国立国際医療研究センターへ寄付される)
疫病は、歴史的にもくりかえし長く人々を苦しめてきたのだが、今われわれが苦しめられている新型コロナもその一つ。違うのはかつて鬼などになぞらえられてきた疫病の正体写真(電顕写真)を手にいれられていること。正体がわからずただ恐ろしい物としてこわがるより、鬼の形をもたせて恐れる方が耐えやすいのは確か。ましてや現代はあの丸くてトゲトゲの写真をみて、「コノヤロ〜!」と怒ってガス抜きができる。
高次師(月刊「ならら」にコラムも書いておられるよ)が現在一番興味をもっておられるのが袋中上人ということで、彼が京都に開いたお寺が壇王法林寺、と聞いてがぜん私も興味をもった。だんのうさん、と言われて京都の人がまず思うのは「ああ、だんのう保育園」かもしれない。
京阪利用者なら三条京阪駅の出口の前(高山彦九郎像のお向かい)にあるあのお寺、と思い出すだろう。
ちなみにこの絵は「袋中上人絵詞伝」のうち「疫鬼影現」、疫病の鬼が袋中に疫病に効く薬を渡している場面である。
(西門 コロナ閉門中)
袋中上人(1522〜1639)は現在のいわき市生まれ、浄土宗を修め、関ヶ原の戦いを機に仏法をさらに学ぼうと明へ渡ろうとされた。時に52歳という。ところが琉球までいったところで渡明できず、琉球で浄土宗の教えを広め、時の琉球王・尚寧王の深い帰依をうけた。
かの有名な沖縄エイサーは袋中上人がひろめた念仏踊りが起源という。これは知らなかった。いつもだんのうさんの前のバス停を利用しているのにそんなこともしらなかったなんて、、、
(お寺は閉門中だが保育園の子どもたちがいっぱい)
のちに日本に拉致された尚寧王が京都で袋中に再開した時、その肖像画を描いたものがこのお寺に残っている。
袋中上人は3年間を琉球ですごした後、慶長年間いわきに帰らず京都で壇王法林寺を開山する。
のちにここを弟子にまかせて東山五条にあった袋中庵を創建し、最後は京田辺の西方寺で88歳で入寂された。(袋中庵は現在右京区花園にあり山階御流の生け花の家元でもある)
その絵詞伝によると慶長年間、疫病がはやって多くの人が命を落とした。そんな中、当時いわきにおられた袋中上人のところに疫神があらわれた。
「どうしてお前は疫病で人を苦しめるのだ?」と上人が聞くと鬼は「我のせいにはあらず。人が悩むぞ。」と答えたという。
(修復中の本堂)
これはなかなか哲学的な答だ。
現在にたとえれば、ウイルスはべつに人を苦しめようと思っているわけではない。creatureとして生き残るための営みにすぎぬ。そこに人がいるからそれが疫病として発現してしまう。人が居るから伝染するというのは、このお籠もり生活で身にしみて理解した。
究極を言うと人がいなければ疫病は存在しないわけだ。鶏と卵みたいでどっちが先なんだろうというまさしく禅問答みたい。
答がみつけられぬままであるが、今回の講座では、そこが一番印象に残った。
南門
よくこの前でバスを待っております。
こんな見慣れた場所に袋中上人という方がおられて、どんな活動をされたのか、はじめて知ってやっぱり京都は深い、、の思いを強くしたのであった。(あ、奈良も深すぎるわよ)
(おまけ)
だんのうさんへ行かれるときは東隣の篠田屋さんへも是非。ここの皿盛はすごいボリュームで、庶民の味と昭和レトロな店内は感動します。
ようやくオープン、京セラ美術館(旧・京都市立美術館)〜「瑠璃の浄土」杉本博司 - 2020.06.02 Tue
本来なら長い改修休館期間を経て、3月に堂々グランドオープンされるはずだった京セラ美術館(多くの京都人の中ではまだ市美)。延期につぐ延期で、企画展は5月はなし。(満を持してのリニューアル開館お披露目の企画展は6月2日から。)
それもようやく開館のはこびとなった。ただし、当座は京都府民限定、時間限定で予約(予約サイト、、または電話075-761-0239(10:00〜18:00))必要。
これは夜の美術館、ブルーにライトアップは新館・東山キューブで開催中の「瑠璃の浄土」にちなむ瑠璃色かなあ。

さて、朝の美術館。
すでに予約時間前に行列ができ、「SD(social distance)をとってくださ〜い!」との呼びかけが。
体温測定の後アルコール消毒してSDを守って入館、チケット購入。チケットはバーコード読み取り方式、出入に必要。
昔の堂々としたクラシックなエントランスは閉鎖されて、一番広い展示ホールだった場所がエントランスホールになっていた。この様式、ヨーロッパの少し新しい美術館によくあるようなパターンだ。
ここから奥へ行くと東山キューブ、右手に常設展治場。企画展はどこでされるのだったのかな。
このらせん階段はちょっと意味がわからない(^_^;
さて、お目当ての新館・東山キューブ、杉本博司「瑠璃の浄土」展へ。
キューブは右手の建物(入館前に撮影、ここは外部になる)、この景色は何度も外から見て、「(オープン)まだかな、まだかな。」と思っていた。(ご近所さんなのでしょっちゅう前を通る)
それを内側からみるとこうなっている。
コロナで京都市内の美術館・博物館が総休館に入る直前、これとリンクした細見美術館の杉本さんの飄々表具展に行ったのがもう一月半前のことなんだなあ。
彼のインスタレーションは古美術・仏教美術コレクターとしての基盤に支えられているのでほんとに見応えがあって好きだ。
三十三間堂の千体千手観音を美術館の一室に召喚した作品(「仏の海」)では、一番惹かれたのが中央の国宝千手観音様の写真の前におかれたホンモノの吊り鉄灯籠。「慶長辛丑年五月吉日極楽寺」の透かしが入る。西暦1601年である。またその前に置かれている木の棒が東大寺転害門垂木だなんて!
ここ、岡崎の地にかつてあった法勝寺の瓦はこの場所にふさわしく、またガラス(瑠璃玻璃)の茶碗数点は仕覆が本物の名物裂で目を奪う。白玻璃の多面カットの気泡入り薄生成色の茶碗は、正倉院御物でたしか見たものと重なる。
瑠璃の浄土は 潔し
月の光はさやかにて 像法転ずる末の世に遍く照らせば底も無し (梁塵秘抄)
ガラスの廊下にて一休み、ここはいつも通り抜けをしているところの裏庭の景色を楽しめる。
ここの池に浮かぶのがガラスの茶室の「聞鳥庵(もんどりあん)」
ここでほんとは千宗屋さんがお茶を点てられるはずだったのにね。細見美術館の杉本X宗屋対談もきれいさっぱり流れてしまった。
ここにある、これも杉本さんのインスタレーション、光が当たるとプリズムが綺麗な虹を作るらしい。
この廊下からエントランスホールを見た景色。
旧館は展示はないが建物拝見ができるので行ってみる。かつて市美であったころなんども行っているはずだが、こんなにじっくり建物をみていなかったなあと思う。
これは旧館のミニチュア、リニューアル後のミニチュアもならんでいた。どこがかわったか比べられる。古い方には私が好きだったけどなくなってしまった中央入口の階段とスロープを見つけて切ない。
やはり建築的には昔の方に軍配が上がる。
近所の書道教室の展示やら、小さい展示もよく行われていたことを思い出す。
この正面がかつての入り口、現在は閉鎖されてしまった。
かつてはこの景色を見ながら入館したものだ。
(東博とか民藝館とかと同じつくりやね)
しばしかつての面影をさがし、ヨーロッパ絵画のような景色をあれこれ写真におさめる。
光の広間というアトリウム
ここは以前はどうなってたっけ。この白亜と晴天の空の組み合わせが南欧っぽくて、今度行けるのは一体いつになるのだろうか???と思った。
地下にあるミュージアムショップ
かつて美術館には珍しくショップ自体がなかったからね。
ショップの反対側が待望のカフェである。
むか〜し美術館の裏手に独立した小さなカフェがあったが、あれがなくなってから一休みしてお茶できるところがなかったのだ。
お昼時なのでプレートランチを頼む。食事系も充実、美術館カフェにしては(^_^;メニューも豊富で美味しかった。おなかいっぱい!
ショップとカフェの前は外から見ると「ガラスのリボン」になるところで、外の景色がよく見える。平安神宮の大鳥居は映り込むと京都らしくてオススメ。
北西の出口はちょっとルーブルのガラスのピラミッドを意識した?と思われるが、ちと色彩がうるさいかなあ。
最後に夕刻前を通った時の聞鳥庵の景色。
この茶室の前の渡り廊下は玻璃だったのね。
<追記>
本日(6/2)より開催、企画展「京都の美術250年の夢〜第一部:最初の一歩:コレクションの原点」に行ってきた。
会場は常設展の向かい、左右対称の左手だった。
アトリウムはこんなことになっている。
大禮記念(昭和天皇御即位)京都美術館開館(昭和8年)、その設計建築(コンペで選ばれた)から最初のコレクション、展示をどうするか、で旧都・京都の矜恃をかけた一大プロジェクトであったことがよくわかる。
今までバス停前の入り口のポールにかかっていた「(大禮記念←此処の部分は剥がされている)京都美術館」のプレート、いつでも見られたのが美術館の歴史を語る展示でガラスケースの中にいれられていたのはちょっと切ない。
こちらは東山キューブの屋上のパブリックスペース。
粟田山の緑がきれいだが、、、、暑い、、、。