黄昏の月猫商會 - 2020.09.30 Wed
中国茶と美味しい点心のお店、夷川の閑是がコロナ以降閉店されたので、さびしいなと思っていた。ところがオーナーの高田さんが今度は鞍馬口にプロデュースしたお店をオープンされたというお知らせ。
行かねば、と思っていたところKさんから「行きませんか?」のおさそいが!
高田さんを初めて知ったのは北白川の銀月アパートメントの一室の銀月サロンであって、長年通っているのだが、そこを初めておしえてくれたのがKさんだったのだ。

黄昏のちょっぴり妖しい、けれどいい雰囲気のお店、名前も月猫商會。
「注文の多い料理店」的なレストランを想像してしまった。
中に入ると全然あやしくない、どころかからっと明るい。閑是は落ち着いた、やや照明をおとした感じだったが、ここはまた地中海リゾート的な雰囲気。ずらっと並んでいるのは仕込み中のフルーツ酵素なんだそうだ。
閑是にあったワインクーラーもこちらへお引っ越しなのね。
Kさんとつもる話に忙しく、料理の名前を聞き逃したが、鍋に入る前の一品。
閑是でもいただいた火鍋をいただく。赤いスパイシーな方は、ほんま辛いよ。好きだけど(^_^;
いろんな種類のキノコがどっさり、野菜もどっさり、お肉もアンコウも〜♪
飲むわしゃべるわ食べるわで忙しい。銀月さんで買ったこともある特製ラー油もでてきて美味しい。
おしゃべりは主にお茶のこと。Kさんとの出会いはやっぱりお茶だったし、いっしょに新旧乙女茶会もやったし。今は大寄せ茶会はできないが、小規模茶事茶会についてあれこれ。楽しかった〜♪
銀月で点心として食べて惚れ込んで、閑是さんでも食べまくった高田さんのシュウマイの数々。別メニューで注文できるのもうれしいな。
月猫さんならではのかき氷メニューもあるとは!
かき氷の女王(自称)としてはこれもうれしい。いただいたのは「白猫」というかき氷。食べているとなんと中から雪の中の牛乳って感じで杏仁豆腐がとろっとでてくるの。美味しゅう御座いました。
メニューも季節によってかわるらしいので、また行かないとね!
Kさん、さそってくれてありがとう!!
民藝を想う〜美山かやぶきの里 - 2020.09.28 Mon
京都から車で約1時間半、美山の里に着いた。20年くらい前に訪れたことがあったっきりでほんとうに久々である。
こちらは美山かやぶき美術館、築150年のかやぶき古民家を展示などに使用できる施設にしたもの。

こちらで10月18日まで民藝を想うという岡山、兵庫、京都の民芸協会所属工人展が行われている。
週末は実際にモノを作るというワークショップもあり、なかなか楽しそう。
この日のワークショップは木挽きであった。事前申し込みなので、見るだけであったが、楽しそう。でもむつかしいだろうなと思う。(轆轤がそうやもん、見ると簡単そうだが、実際むつかしい)
きれいに整備された家の中には陶芸、木工、漆芸、織物、染色、さまざまな工人の作品が展示されている。
一番興味津々だったのが復興丹波布。
木綿と屑絹を折り合わせた、織物でかつて丁稚さんの蒲団用に使われたものと聞いた。大正年間に衰退したが、柳宗悦に見いだされて一躍有名になり(丹波布も柳の命名)50年代に復興されたもの。今でもたまに古い丹波布をみかけるがお値段はけっこうする。それに比べると現代のものは手頃で手に入る。数m手に入れて軸装に使ったこともある。
古民家の瓢箪型の窓からおとなりの郷土資料館の茅葺き屋根が見えるのがすてきだ。
二階は茅葺きをそのまま内側から見ることができ迫力があった。
しかし、葺き替えるのは大変だったろうな。労力も技術も必要、今では葺き替えできる職人さんも数が減っているのではないだろうか。
この日に来たのは洛中にある民藝が専門のしかまファインアーツさんの講演会があるからだった。ご専門は主に陶芸のバーナード・リーチで、今回の講演もリーチと濱田庄司にまつわるもの。
数年前、私もイギリス・コーンウォールのセントアイヴスまで行って、リーチの工房を見てきたので、懐かしい写真をたくさん見せてもらった。
このまま帰るのももったいないので、ここから車で15分くらい走って美山かやぶきの里へ。
昔はふつ〜の静かな農村であったが、なんと専用の駐車場までできているのにはびっくりした。
ここは50軒中39軒が今も茅葺き屋根を残す集落で、平成5年重要伝統的建造物群保存地域に指定されたそうだ。たしかに茅葺きの屋根の波が美しい、、、
それに!!全然予期していなかったのだが目の前の蕎麦の花!
今まさに満開でベストシーズンのひとつでもあろうかと思う。
お彼岸だから彼岸花も時過たず咲いている。
びっくりしたのは観光客がこんなに多いってこと。先ほども言ったがここは昔ふつ〜の農村だった。今でも農家の方が普通に暮らしておられるのだが、こんな風に観光客が入り込めるんだね。
こちらは稲藁を干すご一家。
世界遺産になった白川郷も人の居ない静かな村だったが、登録された途端観光客の入り込み、中には行儀の悪い人もいて生活がかわったというが、ここにも同じ問題はあるのだろうと思いつつ、できるだけ、邪魔をしないようにマナーを守って回るのがよかろうと思う。
この原風景、良いな。
白川郷の茅葺きは合掌造りの屋根が特徴だが、美山のは入母屋作り
集落の中には築200年くらいのものもあるそうだ。今も実際に人が暮らしているので、その維持の努力はなみたいていではないのではないかしら。どう見ても便利な家屋とは言えないもの(^_^;
京町家にがんばって住む、のと同じ覚悟が必要かもしれん。
美山民俗資料館は集落の中にあって、200年前の農家住宅を復元した古民家。
かつての座敷はこんな感じだったのだな。郷愁をそそる。
家屋の中に農耕用の牛の小屋まであった。
こちらも茅葺き屋根を内側から見ることができ、葺く材料の展示もあり、先日近江八幡で見た葦や、山茅、稲藁などが使われているのだと学習。
入り口は土間になっていておくどさんがある景色がいい。
住民の方が植えて世話されているとおぼしき植栽もあちこちにあって、季節の花を咲かせている。茅葺き屋根にこれがまたよく似合うのだ。これはコムラサキシキブの実。
こちらはオレンジ色のコスモス科の花(たぶん)
あ、柿の実も似合うこと!
コスモス〜
集落には神社があったり、米麹パンの工房があったり、古民家カフェもあるので一日ゆっくりするのもよいかも。
こんなふうに縁側でぼ〜っとするのもよろしい。
目の前をアキアカネがとんでゆく。
そろそろ夕刻近く、観光客も三々五々帰って行く。宵になればまた静けさをとりもどすのだろう。
忘れかけていた日本の風景を久々に見ることができてひととき、心がなごみましたよ。
龍光院〜福森雅武展と密庵(みったん) - 2020.09.26 Sat
初めて国宝茶室「密庵(みったん)」を見たのは10年くらい前だろうか。某会の茶会を龍光院で行った際、水屋であったので、密庵も拝見させてもらったのだが、外から見るのみ、中へははいれなかった。それでもかの有名な国宝茶室!と胸は高鳴ったのだった。(現役の厨もまた見事であった!)

数年前のMIHOmuseumでの「龍光院展」は、国宝曜変天目、密庵咸傑墨蹟などのお宝とともに禅宗の寺として修行や作務のありようなど、その生活も供覧されるなど印象深い展示だった。
自立しちゃうくらい分厚い(4cm)図録もたいそう力の入ったいいものだった。↑これ、立ちます。
このたびご縁をいただき、こちらで招待客のみ、という伊賀丸柱土楽釜7代目の福森雅武さんの個展にお招きいただいた。もちろん密庵も拝見できるということでわくわくしながら参上。
最初外から拝見するだけかと思っていたら、密庵の中にも展示があり、しかもあの密庵咸傑の墨蹟も密庵床にちゃんとかかっているではないか!
ご存知のことと思うが、密庵はこの墨蹟をかけるために作られた茶室、事実上開祖であった江月宗玩が交遊のあった小堀遠州に作らせたものだという。
四畳半+台目中柱、密庵床の他にもうひとつ床があって、この壁の山水画は狩野探幽、袋戸棚の絵は松花堂昭乗だそうだ。障子の桟が二重になっていて珍しい。案内してくださったMさまによると、この障子紙張り替えの時にでた反古紙に揮毫して軸装されたものがあって、二重桟のあとが残っているので密庵の反古紙とわかる人にはすぐわかるのだとか。
点前座の台目畳にも座らせてもらえて感激である。おちつくなあ、この囲まれている感、仕付け棚は遠州らしく雲雀棚。
点前座と平行に存在する密庵床の墨蹟に正座して対峙する。良い時間であった。
続く書院には江月の「西来寺」の横一行、福森さん所有の白隠「天目茶碗に入った蓮のつぼみ」という絵。これは印象的。
お寺の裏は和尚様の畑になっている。ここで野菜を収穫されているお姿の写真もMIHOで拝見したが、ここがその畑か〜。けっこう広く、茄子がたくさんなっていた。ここの畑では若い修行僧がコーヒーと洋菓子のおふるまいをしてくださった。ここには和尚様とおはなしされるMIHOの館長熊倉先生もおられて感激。
そのあとは遠州流のお点前による茶席、なんと茶道口がそのまま階段の一番上の段になっているというアクロバティックな小間で、二畳+台目?+向板という構成、こちらには白隠の「大聖観音沙利菩薩」であったか?中二階くらいの高さで、外の眺めが良く、気持ちよくお茶をいただいた。天井は軒の形にあわせて竿縁天井の竿がかきっと折れ曲がっているのもおもしろい。茶碗はじめ茶道具、花器、香合すべて福森さんの作。革袋花器が良い感じであった。
まさか密庵に入れる日がくるとは、ご縁はありがたし。
Mさま、解説もふくめて、ありがとうございました!
近江八幡・その3 町めぐり〜ヴォーリーズ〜長命寺 - 2020.09.23 Wed
ラコリーナのあとはちょっと駆け足になったけれど近江商人の町を散策。

多賀観光駐車場に車を停めた時、ちらっと見えた「ヴォーリーズ学園」の名前にひかれてやってきた。そんな学校あったかな、、と思っていたら近江兄弟社学園から名称を変えたのね。創立者はもちろんかのヴォーリーズ。
近江八幡は見所が歩いてまわれる距離にあるのがうれしい。まずは八丁堀。
一時八幡山城の城主であった、かの豊臣秀次が水郷の水をお城の堀に引き込んだもの。このあたりまで城内であったのね。
この水運を利用して近江商人達は大活躍したわけだが、今でも当時の面影を残す建物が両脇にならんでいる。
時代劇のロケ地になるのもわかるよい風情だ。
この八丁堀めぐりの舟もでているので、時間があればのりたかったな。
堀に面する家家にはそれぞれ小さな船着き場の階段があって、当時をしのばせてくれる。
正面の橋が白雲橋、日牟禮八幡宮の参道にあたる。
日牟禮八幡宮
近江商人の信仰を集めたこの寺は左義長で有名。創設は伝承に寄ればほとんど神話時代の2世紀だという。
能舞台まであるなかなか立派なお社で、現在も篤い信仰を集めているようだ。
その日牟禮の参道だが、ここがたねやグループの牙城であることを実感する。
お向かいに立派なクラブハリエの近江八幡日牟禮ヴィレッジ
ついつい吸い寄せられて、中のカフェに、、
こちらはイングリッシュガーデンという風情の庭の傍らにあって、なかなか演出が上手いわ。などと思いつつシフォンケーキなどを食す。(ダイエットは明日から〜♪)
日牟禮八幡宮の鳥居の向かいにあるのが白雲館、明治10年、近江商人の子弟教育のために建てられた八幡東学校である。現在は観光案内所。よくこの建物が戦災に会わずに残ってくれたものだ。
町中は個人のお宅もすてきに良い雰囲気である。京都で失われた物がここにはまだ残っている。いや、残そうと努力しているから残っているのだ。
ヴォーリーズ建築の一つ、旧八幡郵便局
現在は週末のみ公開されている。
ヴォーリーズには特に詳しい知識もないが、京都にもたくさん彼の建築物があって見ているので、どこか似かよう雰囲気があるな、と思う。
アンドリュース記念館
親友H.アンドリュースを記念して建てたヴォーリーズ最初の建築だそうだ。当初はアンドリュース記念YMCAであったらしい。
ヴォーリーズだけじゃなくて、古くからの日本建築もなかなかいいものがたくさん残っている。
この門灯もユニークだ。
新町通り、近江商人屋敷が建ち並ぶ。
その一画にある旧伴家のお屋敷。
伴家は江戸時代、畳表、蚊帳、麻織物などの商売で財をなした家で、卯建もあるこの建物をみればその栄華がしのばれるのだが、幕末から明治に没落して子孫も絶えたそうだ。
玄関のこの吹き抜けを見よ!火袋、準棟纂冪フェチにはたまらん。
大黒柱も見事である。
45畳の大広間
伴家が没落したあと、建物は尋常小学校や、女学校、図書館などに利用されていたが、現在は公益財団法人管理で、学校であった頃の状況に復元、公開されているそうだ。ボランティアさんたちの手弁当で運営されているので経営はかなり苦しいとのこと、この建物を維持するためにみなさん、近江八幡へ行ったら是非訪ねてね。
近江商人らしい艶っぽさのかけらもない質実剛健な造りの家
好感をおぼえるわ。
お蔵の塗り込め窓も当時のまま
質実剛健、それでもちょっとした遊びゴコロが感じられる窓
近江八幡は朝鮮通信使が江戸へ往来するときの宿場でもあった。先ほどの伴家には、その饗応料理の模型や、通信使行列の人形など飾っていたのはそれなんだな。
市中最後のヴォーリーズ建築、ウォーターハウス記念館、ただし現在は個人のお宅?ヴォーリーズの伝道に協力したウォーターハウス氏の邸宅
さて、市中散策をおえるころににわかに空模様があやしくなってきて、車に飛び込んだあとにまさに土砂降り、、、という様相。しかし、せっかくここまできたのだから、やっぱり西国三十一番長命寺には行きたいと。
いや〜、長命寺までの道は急な上り坂の狭い狭い林道だし、土砂降りで滝のように道に水は流れるし、落ち葉や枝がころがっているし、ワイパーを高速にしても視界不良、しかし引き返すに返せない、、、という自分的には絶体絶命?的状況でなんとか入り口にたどりつくと、、雨は小やみになったのであった。あの苦労はナンダッタノダ?
そこからがまたえらい階段で、、、、(^_^;
山門が遠い、、、しかし、車でなく下から登ってこられる人はこの何倍もの階段を登ると言うから贅沢はいっておられない。
たどり着いてふと見上げると三重塔(重文)
振り返れば、、、ああ、琵琶湖や。
天気がよければどれだけ美しい眺めなんだろう。
それにしても琵琶湖周航の歌では「西国十番長命寺 穢れのうつしよ遠く去りて、、、」
どうして十番なんだろうと疑問が消えない。
拝観料もとらず雨の中ようきたね〜という感じでのんびりさせてもらった。服も靴もびしょ濡れだが。
ご本尊の千手観音様に手をあわせる。なんとかかねて琵琶湖周航の歌で気になっていたお寺にお参りできました。願わくば帰り道も無事でありますように、とくにあの林道の下山、、、
(なんとか無事にかえりつきました)
近江八幡・その2 ラ・コリーナ近江八幡 - 2020.09.23 Wed
水郷めぐりのあとは、船着き場からすぐ近く、和菓子の「たねや」とバウムクーヘンの「club harie」を展開するたねやグループのフラッグショップ、ラ・コリーナ近江八幡へ。

なんといっても建築家の藤森照信氏の設計の建物が見たかったのだ。完成してからはや5年、すっかり緑が落ち着いてきた感じだ。
なんともまあ、奇妙奇天烈、と言ったら失礼だが、木の上に茶室<高過庵>を作ってしまうような方だから。
屋根の緑からは夜中の雨のせいか灌水のせいかつねに水が滴っていて、緑をいっそうみずみずしくみせている。
建物の周辺はこんな回廊になっている。
はて、この感じ、、、
この感じ、、、
なんだか既視感があると思ったら、昨年行ったニュージーランドのホビット村になんだか似ている。
↓ この感じ
(ホビット庄 「ロード・オブ・ザ・リング」の映画ロケ用セットの村。なつかしや、今年はどこへもいけなかった、、、)
長い長い回廊の上も、、、
緑に覆われる。
確かになんだかほっとするような景色だ。
中央は野の花のように一見見える植栽の広場、ここはとても心地良い。
この雰囲気、ホビット村のパブを思い出す。
お、滋賀県が発祥之地である飛び出し坊や、ここではたねやの法被を着ているわ。
奥の方にはマルシェがあって、デザインがとてもおもしろい。左手のバスは中で飲み物を買えるようになっている。
車かバイクのナンバープレートコレクション、これはオーナーの趣味なんだろうか。
二階からみるとこんな感じ。
さて、また緑の回廊を通って入り口のメインショップへ。
ここは中も一風変わっている。
二階はカフェでクラブハリエのバームクーヘンがいただける。
一階はショップで、こちらはクラブハリエ
こちらはたねや
ついつい現地限定包装のバウムクーヘンなど買ってしまった(^_^;(洋菓子苦手なのに、、、)
中にはフードコートもあって、船頭さんおすすめのオムレツと、お米と卵のコロッケ、アランチーニをいただく。オムレツにリゾットを食べた、って感じでお腹一杯。オムレツの卵がトロトロで美味しかった。
近江八幡・その1 水郷めぐり - 2020.09.23 Wed
思い立って近江八幡へ。
天気は、今にも降りそうだがふらないというあまり好条件ではないものの、ここへ来たらまずしたかった水郷めぐりへ。

豊年橋のたもとの近江八幡和船観光協同組合の船着場へ。一日10時〜15時〜の2回しかないので要注意(貸し切りはその限りにあらず)
近江八幡には内湖が散在しており、これらを結ぶ水路をつくり琵琶湖への水運を開いた。これが近江商人の活躍をさらに後押ししたのだが、近年内湖は埋め立てられ農地になり、景観が激変、簾の材料でもある葦(ここらでは「あし(bad)」とよばず「よし(good)」とよぶ)の群生地も危機をむかえた。それを憂えた有志が水郷の環境の保全と保護を訴える手段として、手持ちの手こぎ舟を持ち寄り、観光客をのせてはじめたのが水郷めぐりだそうだ。
観光としての人気が高まるにつれ、近江八幡市からの連携もあり、地域の事業として小学生の無料招待や、定年リタイヤ後の人の雇用、水郷周辺の植栽や葦焼きなどの葦群養生など、活動の幅をひろげている。この日の船頭さんも元サラリーマン、いままで和船など漕いだこともないし近江八幡のことも良くご存じなかったそうだ。それが今は手こぎで80分舟を漕ぎ、ガイドでしゃべりっぱなしという仕事がすっかり板についている。
この日は琵琶湖の水位がさがって、今までの最低レベルと同じくらいとのこと。
BSLとあるのが琵琶湖標準水位だから、それよりマイナス20cmくらいってことよね。
この日は天候が天候なので、乗客は4名とゆっくりできた。
さて、水郷に漕ぎ出でよう。
見事な葦の群生に歓声をあげてしまった。葦戸や簾でとてもお世話になっている。琵琶湖の葦が危機的状況と聞かされていたので大丈夫か?と聞くと世界中の簾を作ってもまだあまるよ、とのご返事(^_^; こうやって有志の方々の努力によって守られなければそうはいかなかっただろと思う。
この日は我々の舟と、もう一艘だけであった。
なんとものどかな。こぎ出せばもう車の音も町の騒音も全く聞こえない。
行く手には琵琶湖に生息する水鳥がたくさん。
これは川鵜かな。
白鷺、アオサギも。
そして成鳥でも手のひらサイズのカイツブリ=滋賀県の県鳥も。琵琶湖は<鳰の湖(におのうみ)>とよばれることもあるが、その鳰とはこのカイツブリのことなのだ。
舟はいくつかの広い内湖にはいったり、狭い葦の水路にはいったり、ゆらゆらと。まわりは農地に囲まれているため、どうしても畑の土がはいるから、水は澄むことがないのだそうだ。
こうして見回しても看板や現代的建築物などが全く見えない。市の規制があるそうだ。すごいな。(見習えよ京都市)
ちなみに水際に立っている竹はその下に魚とりの仕掛けがあって、地元の漁師さんが掛けた物。モロコなどがとれるそう。腕くらいの太さのあるウナギも捕れるそうだ(゚д゚)
ここの主だという鴨のつがい
鴨の餌付けを船頭さんがしていたが、市にとめられたとのこと(^_^;
さあ、また広い内湖にでた。
さて、あの山はなんでしょう?
そう、あそこにかつて信長の壮麗な安土城がそびえていたのですよ。地図で確認したら近江八幡と安土ってほん近くなんだな。
コースには入っていないが西の湖という最大の内湖があるのだが、ここはラムサール条約湿地帯にH18年登録された。
この方はボートを借りて釣りにでかける方らしい。ブラックバスやブルーギル、この外来種を駆逐しようと様々な試みが行われた事をしっているが、結局成功せず、彼らは居着いてしまったみたいだ。
船頭さんの後のこの水路が、水郷めぐりの一番人気スポット、春には左の土手は桜並木になり右手は菜の花畑になる。HP、ポスターに採用されている春の写真。一度その頃に来てみたい物だ。それもはじめからあったわけではなく、協同組合の船頭さん達が少しずつ植えて手入れしてできたものだそうだ。そうした地道な努力が実をむすんでいる。
さて、また狭い水路に入る。狭い場所では枯れた葦の茎が船内にはいってきて危険。
葦ばかりでなく、菅笠の材料ともなるスゲも自生する。また水中から生えているように見えるカワヤナギなども。
あ、向こうから別の舟。
自分たちの姿は外から撮れないので、こんな感じだと載せておこう。
風が吹くと、さらさら、さらさらと、葦が音をだす。これがまた美しい音なのだ。これが聞けるだけでも価値がある。春にはヨシキリが葦の中に産卵してまた鳴き声がかしましいのだそうだ。
水郷めぐりの終わりに、この葦を1本、船頭さんに取っていただいた。
(なににするかは未定、ストロー?)
*近江八幡水郷めぐり(近江八幡和船観光協同組合)→ http://www.suigou-meguri.com
*水郷めぐりについて → https://www.kokocool-shiga.jp/selection/57
二月堂十七夜〜今年は盆踊りもなし - 2020.09.21 Mon

火ともし頃の浮雲遊園では鹿だけが夕食に余念がない。
二月堂の手前の手向山八幡宮の前の電灯が、秋の到来を感じさせてもの悲しい雰囲気だ。
今宵は十七夜、例年ならお堂の周辺の万灯籠や、盆踊りもあるそうだ。今年はみごとに中止、いつものお堂とさほどかわらない。
十七日は観音様の縁日、特に旧暦8月(新暦9月)は「十七夜」とよばれ特別なんだそうだ。大仏殿前の鏡池から二月堂の登廊(修二会でお松明があがってくるところ)からあらゆるところに灯籠がたてられ、それは見事な景色だという。
写真で見たのみだが、二月堂下の広場では盆踊り、それも河内音頭や江州音頭、だれでも参加でき、まさにカオス状態らしい。まあ、盆踊りはいいとして、万灯籠は残念である。
ちなみにここの盆踊りは関西では最後の盆踊りで、関西最初の夏祭りといわれる橿原のすももの荒神様にも今年はお参りした(お祭りは中止だが)から、なんとなく完結した感があるなあ、個人的に。
万灯籠とまではいかないにしても、お堂に入った燈火は美しい。
だんだん暮れていく奈良市街を眺める。修二会の時も同じだが、季節が違えばまた空の模様もちがうのだ。
登廊にも燈火が入る。
18時〜17日定例の観音様への読経が聞こえる。聞いても般若心経しかわからないが、観音経だったらしい。お堂の前には善男善女が静かに手を合わせている。こうべを垂れて、読経に聞き入る。信心深いとはいえない私も、自然にこうべをたれている。
献灯もしてふりかえれば、、、
奈良市街には夜のとばりがすっかり降りて、なにやらすざまじいまでの空の色だ。
ちなみにこの大木は良弁杉(開山の良弁僧正が子供の頃鷲にさらわれ、この杉の上にひっかかっているところを東大寺のお坊さん達に助けられたという)
読経も終わり、出仕口からでてこられて休憩所に向かうお坊様たち。お参りの人もこの時間は少なく、今年は静かな十七夜であったな。
そろそろお堂の扉が閉められる頃だがしばし燈火を楽しもう。
お堂の中の献灯は受け付けられていたみたいで、チラチラゆらぐ光りがゆかしい感じだ。
ご存知二月堂のシンボル瓜灯籠。
お堂を少し上がったところにある飯道社の近くでみつけた泥仏。おもわず頬が緩むくらいにかわいらしい。清水公照和尚が作られた泥仏にとても良く似ている。
来年の十七夜はいつもどおり開かれるといいね。でも人でごった返すのは好きではないので心で祈るのみ。(私には、むしろこんな感じで人がいないほうがうれしいのだが(^_^;)
本来なら灯籠が道の両脇を照らす裏参道もいつも通りで、ちょっとさびしいけど。
秋の宵の芋会 - 2020.09.20 Sun
紫野陶々舎
久しぶりでなんだか懐かしい。

ここと出会ったのも10年近くなるんじゃないかな。ここでできた人(主に若い人たち)とのつながりは今もあって、ありがたいことである。
今宵は陶々舎の住人でもあるEちゃんによる「芋会」
外つ国から来られたお弟子さんのリクエストで作らはったサツマイモのお菓子の数々、アップされた写真を見て食べたいな〜〜〜というリクエストにこたえてくださった。
宵に集まった乙女三名
夜も更けてゆく。なにがでてくるかわくわく。
おしのぎにおむすびと鹿児島風味噌汁(削り鰹と葱)がでてきて思わず歓声♪
そうこうするうちにまずは芋きんとん
中は白餡、まわりがサツマイモのきんとん、もはやプロ級。
抹茶も点ててもらってうれしい。
2つめは芋ようかん
舟和の芋ようかんと遜色ございません。なんと牛乳の麦茶割りがついてきた。麦茶の香ばしさが、牛乳をさらっとさせて美味しいのね。はじめての飲みものでした。
少し時間がかかります、、、といわれて楽しみに待つ間も、乙女の会話ははずむ。なんぞ話題にことかくことあらんや、(新旧)乙女にはね(^_^;
そしていよいよ本日のトリは芋とリンゴのコンポートの餡をはさんだどら焼き!
美味しくて、お腹一杯と言ったクセに1.25個食べたのでありました。
Eちゃん、いろいろ和菓子のご指南うけてきたけれど、ほんまさすがやわ。
彼女の手作り和菓子でお稽古できるお弟子さんがうらやましい。(年末はうちの孫もよろしく〜)
焙じ茶を最後にだしてもらって、乙女語りして、今宵の芋会はお開きです。
10月には栗会、11月には南京会してくれるそうです、やった〜!!
三五夜・月釜2周年記念 - 2020.09.18 Fri
ファンが多くて、ますます予約がとりづらくなっている奈良の隠れ家サロン三五夜さんの月釜である。

月釜を始められて2周年記念ということで、9月の月釜は、こちらでもお茶の御指導をされている表千家・堂後先生のお席となった。なにしろ古式にのっとり6歳(6ヶ月?)からお稽古を始められた、というスジガネ入りの先生なのである。
ちょうどこの日は表千家如心斎天然(一燈の兄)の忌日で、待合はそれにちなむ室礼、表千家ではこの日までは夏着物、すぎたら単衣だそうで、合理的でもある。
二階の広間にて、軸は「玉杵成霊薬」、久田半床庵11代無適斎の一行。
軸の意味をさらさらと目の前で懐紙にしたためてくださった、という無適斎の書付がお宝である。玉杵、、は月では兎が杵で霊薬を搗いて作っている、、という意味。出典は不明ながら無適斎の書付には「月中何有 玉兎搗薬」、西晋(3C)の文献からの引用と。
月にウサギは日本と共通、というか中国神話からきた伝説。搗いているのは「蛤蟆(ヒキガエルのこと)丸」という仙薬なのだそうだ。日本の餅とはえらい違うよな(^_^;
お花は撫子以外の秋の七草全部をそろえてくださった。葛の花がええわ。桔梗も藤袴も白というのが珍しい。
(秋の七草の覚え方は、「お(女郎花)す(芒)き(桔梗)な(撫子)ふ(藤袴)く(葛)は?」ですよ)
主菓子は7月に東寺畔の間-ma-さんで琥珀のフルコースを作られた元ガラス作家で、今は琥珀を主につくられている和菓子職人・いしいかづこさんのもの。またこちらで出会えるとはうれしい。
レモン味の練り切り?の上に生琥珀の波がのっている。銘を「猿沢の池」
ああ、なるほどぴったりだなあ。猿沢池に映った月が揺らめくイメージがわいてくる。奈良や〜!
菓子器が珍しいもので、初めて知ったのだが、鹿背山焼というらしい。京都の木津あたりにあった旧一条家の領地で、昭憲皇太后の父上でもある一条忠香がここで煎茶道具を焼かせたのがはじまりと聞く。染付が得意だったらしく、これも中国風の細かい紋様の染付であった。残念ながら明治期に衰退して廃窯となったそうだ。
お客様と堂後先生の会話が弾む中でも、お弟子さんの、いつもは道具立ても亭主もされるAさんが淡々と端整なお点前をされている。
濃茶は各服点てでいただいた。
薄茶のお菓子が、また変わった食感のお菓子でびっくり。薯蕷の皮でこしらえた煎餅みたいなもの?初めてのテクスチュアであった。焼き印が兎なのか鹿なのか、ちょっと諸意見あって(^_^;おもしろかった。(私は最初奈良やし、鹿やねえ〜と思ってた)
琥珀はミント味で甘さ控えめでさわやか、もちろん、いしいさんのもの。
干菓子器が堂後先生イチオシの木と貝細工。
なんとニューカレドニア土産なんだそうな。そこの民芸品だそうだが、全然茶席に違和感ない。何の木かは、現地語で聞き取れなかったそうで(^_^;
薄茶は表千家バージョン(*^_^*)
薄茶器は近左の金銀笹蒔絵雪吹、露が立体的な粒々で、涼やかな感じがした。
茶碗は濃茶薄茶ともたくさん出していただき、萩刷毛目の「月影(久田尋牛斎)」弘入の「萩の露(即中斎)」などなど、いずれも月と秋にちなむ銘がすてきであった。
最後にだされた茶杓の銘が「清風(尋牛斎であったか?)」
清風明月を払い
明月清風を払う 「人天眼目」より
これにて月の茶会おひらき、、、と思ったら、、、
玉兎が月で搗いている丸薬でございます、と金平糖が出てきたのには大ウケ。これで寿命がのびました!楽しい一会に感謝!
で、かえりにやっぱり奈良に来たら行かないと〜と、ことのまあかりさんの削氷を。
お初の「削氷・山上憶良」、瓜のシロップに栗がのってます。
<瓜食めば子供思ほゆ 栗食めばましてしのばゆ、、、>の子供溺愛の憶良の歌にちなんでいるのですね。
店内に愛読している漫画「あおによし それもよし」の蘇の場面が〜!
宇麻之(うまし)〜!
怒濤の<MIHO MUSEUMコレクションの形成>〜コロナ後初! - 2020.09.16 Wed
コロナ後初の展示がMIHO MUSEUMで再開された!
待ちに待っていた再開だが、事前予約が必要、レストランもカフェもおやすみだ。

展示はもう〜〜〜MIHOのありったけのお宝を全部怒濤のようにだしました!これでコロナで停滞した気分をあげてください!っていうような心意気を感じて、感激!
テーマはMIHOコレクションの形成〜日本画を中心に、だったが、館長が熊倉先生だから、茶の湯関係のお宝がこれでもか!とだされていてどんなにうれしかったことか。
いきなり茶籠の一揃い、中でも垂涎のかわいらしいサイズの粉引平茶碗、横からのフォルムが蕎麦に似て、口縁のゆるやかなゆがみの曲線が美しいんだわ。
鶏龍山の唐草紋の酒器、猿投のゆがんでいるけれど丁寧に金繕いされている皿、井戸茶碗「少庵」、長次郎の黒楽、光悦の赤楽、曜変天目まででていて、もう怒濤がおしよせる感じ。
与次郎の釜、宗旦の茶杓までもう〜〜〜☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆(言葉にならないくらい喜んでいる)
テーマの日本がからは逸れるが、わび茶以前の唐物の時代に珍重された南宋の牧谿(猿猴図)、夏珪、元の馬遠(虎渓三笑に林和靖も!)などの綺羅星。
もちろんこれらの絵に日本画は影響をうけたわけで、牧谿の猿猴図と長谷川等伯の猿猴図が同時に見られるのは貴重だ。
ちょっと茶道具で舞い上がっていたので、肝腎の日本画コレクションがちょっと駆け足になったのはゴメン。
でも名前を聞いて震えるかがいい、ビッグネームばっかしだから!
若冲、抱一、蕭白、岩佐又兵衛、狩野一派、光琳、大雅、蕪村、友松、宗達などなどなど、、、、
もう一つの展示のテーマはMIHOコレクションがいかに形成されたかと、この甲賀の地にこの美しい建物をいかに設計していかに建築したか、というMIHOの歴史をたどる展示である。
ルーブル美術館のガラスのピラミッドを設計した世界的な建築家I.M.Pei氏(ここを設計)についても詳しい展示があった。宗教団体が母体ということで色々特殊なこともあったと思うが、この美術館は美しく居心地良く、いつも訪れるのが楽しみになっている。
京都から高速飛ばしてケモノ道みたいな道を通って小一時間のドライブも苦にならないほどに。
〜12月13日まで
今なら人が少ないのでいい景色写真撮れまっせ。
月のあれこれにちなむ夕ざり茶事 - 2020.09.13 Sun
今年の中秋の名月は10月1日だそうで、少し涼しくなった頃にゆっくり月見が出来るという良い年である。(旧暦カムバック!)

先だって師匠の茶事が「月」がテーマだったので、ちょっとかぶりつつも月見の夕ざり茶事を、、とススキなども用意した。(うちのバックヤード)
寄付の無双釘には舞妓ちゃんが8月(本来は旧暦8月なので9月ね)につけるススキの大簪。
虫籠は用意すれど中は空、、、、とおもいきや、、、
待合の虫籠の方へ逃亡しておりました。
古帛紗は志村ふくみさんのお弟子さんのF子ちゃんの作品。
網代に葦戸も今月いっぱい、今年最後の夏座敷。
そろそろ席入りの時間だ、、、と思ったとたん、、、
ひゃ〜〜〜!
スコール級の大雨、雷まで鳴って、せっかく露地も整えたのに、、、
しかしここはどうしても露地を通っていただきたい、と、秘密の軒下コースを初めて使用して濡れずに席入りしていただいた。
夕ざりは初座が花
先日長浜の季の雲さんで見つけた波佐見焼のコンプラ瓶を満を持して花器に。幕末に醤油をオランダに輸出するのに使われた瓶で「JAPANSCH ZOYA(日本の醤油)」と書いてある。(ちなみに日本酒はJAPANSCH ZAKY)
秋の花をいろいろ、李朝小盤にのせて。
サフランで黄色くしたご飯を満月盛り〜
(裏千家ではNGやけど(^_^;)
重陽の節句は少し過ぎたが、これも旧暦で行こう、菊花酒。
9月のみ使える萩の煮物椀。今回は蓮根餅に。
夏に山梨まで朝茶事にいったが、その時にこのラベル見てジャケ買いしたこのお酒、「都こんぶに合う日本酒」、受け狙いで、八寸で都こんぶもお出しした。どこがどう都こんぶにあうのかわからなかったが(^_^;美味しいし、お客様の笑いを引き出せたので大成功。
後座は、半月を待つ歌「照りそはむ 影ぞまたるる山の端に 枝さしおほふ 月の桂は」(待っている月が半月なのは月に生えているという桂の大木が枝で半分かくしているからだよ)
そして、今回の力作(竹材屋さんの、、)竹の燈火。かぐや姫の風情で。
ちょっと背が高すぎて、うまいこと軸に光りがあたらなかったのがちょっと失敗。
節のところにろうそくが立てられるようにしてもらった。
良いところに青竹が入手できて、お値段もお手頃の竹材屋さんとご縁ができた。
自立するように、というとこんな工夫があったのね。今度は自分でやってみよう。
主菓子は今回みのり菓子さんにお願いした。近所の熊野神社近くのゲストハウス「月と」で金曜ランチをされてるご縁で。黒糖と生姜の味がきいた葛のお菓子、これも満月ですねえ。美味しかった(亭主2個食べる)
濃茶は今回も一人一碗で。平茶碗もそろそろオシマイなので、高麗の平茶碗もってるだけ出した。しかし、一人分の濃茶の練りにくい事よ。ダマがあったら(きっとあったわね)ゴメンナサイ。
干菓子はいつも良い仕事をされる亀廣保さんの小芋と俵屋吉富さんの桔梗。
毎年9月にであうこの小芋は葉っぱがぺたんとならないように、裏に支えがついているという丁寧なお仕事で感動する。
薄茶は茶箱の和敬でいこうと思ったのだが、いかに鉄瓶をつかわず柄杓を使い、しかも拝見までさせる(和敬は本来拝見なしの点前なのだ)荒技を使おうと、前日シミュレーションしてみたときの図。
まあ、なんとかかんとか、かっこうはついたかな。
薄器は「皓月平中次」、黒柿の模様を東山にみたて、そこから登る満月を。蓋の裏はススキの原にいる兎。岩渕祐二さんに誂えて作ったもの。
お客様からいただいた写真、こんな感じです。
釜はミニサイズではあるがちゃんと万代屋釜、小さいゆえに炭がおこりにくいのは往生した。今度から火窓をぱたぱた扇ぐ煎茶用の炉扇を用意したらいいね、とお客様からのご提案。あ、それいい!早速とりよせようかな(^_^;
どうにかこうにか一会終了、楽しい一座建立でありました。お客様あっての茶事やな〜とこの頃しみじみ思う。おつきあい、ありがとうございました。
最後に恒例のこの子たち(陶俑)
月見れば ちぢに物こそ悲しけれ 我が身一つの秋にはあらねど (大江千里)
の百人一首の札でお見送りです。
池田炭〜能勢炭のお話 - 2020.09.11 Fri
お茶をする人にはなにより大切な炭である。昔は生活の中の必需品として、だれもが扱えた炭であるが、いかんせん、現代を生きる我々にはちょっと扱いづらいアイテムだ。いちいち熾さないといけないし、継ぎ足しもせねぱならぬ。茶の湯の間だけ、昔にもどって炭を熾す。しかしながらこれがまた茶の湯の楽しみにもなっている。炭がおこるときの金属音、かすかな匂い、炉の中で赤く光るように燃えるのを見るのも楽しい。火鉢など、いつまでも炭をいじっていたいような気持ちになる。そして炭で沸かしたお湯で点てたお茶は美味しいのだ。
その炭を作る職人さんの数がだんだん減って、絶滅危惧種、へたしたら炭手前など出来なくなるのではないかと、心配する人も多い(お茶の周辺の人だけ?)。実際茶家では良い炭を買い占めているというウワサも聞く。

まずはその能勢の菊炭でEちゃんの炭手前、画面の一部でだんだん炭が熾っていくのを講座の間中見られるように。
菊炭はその断面が菊の花のようにきれいに割れ目が入っているもので、茶の湯炭としては最高のものである。多くは能勢の山の中で焼かれてきたが、集荷地が池田(大阪府池田市)であったために池田炭ともよばれる。関東は佐倉炭が有名で、東の佐倉、西の池田と並び称されたとか。
空海が唐から製炭技術を伝えて以来、1145年から明治になるまで、池田の久安寺から宮中御用炭を献上していた記録があるという。現在の池田炭の技術は16世紀ごろ考案されたらしい。
樹齢7〜8年のクヌギの若木を用いる。ちなみに楢炭もあるが、クヌギに比べてどうしても菊割が単純なのだそうだ。木の水分が少ない冬の間、伐採炭焼き、原木を窯に入れて出すまで2週間、これを何度もくりかえす。炭焼き作業の動画も見せてもらったが、外は粉雪が舞っているのに窯場の灼熱感が伝わってくるようで、これは過酷な作業だわ、と思う。ゆえに後継者不足になっているのもわかるような。さらに里山破壊、獣害などによるクヌギの原材料の枯渇、たしかに炭不足になる条件はそろっている。
それに負けず、菊炭という伝統産業、文化を次の世代に繋いでいこうと、小谷さんたちは「菊炭と里山を未来につなぐ植樹会」を行って広報にも努めておられる。その中から将来炭焼き師になろうと思う若者も現れるかも知れない。そもそもEちゃんと小谷さんとの出会いも、数年前のこの会だったそうだ。そういう話を知り合って間もない頃聞いた記憶があり、今回の講座はずっと彼女のなかで温めていたものだなと思った。
お聞きしたところ、現在小谷さんが把握している範囲内とはいえ、兵庫県1軒、愛媛1軒、石川県1軒、福岡県1軒、大分県?、、と全国的には100軒ほどしか炭焼窯がないそうだ。小谷さんところで年間10t製炭、その8〜9割が京都におさめているというから、やっぱりお茶は京都や、の感を深くした。
さて、現在海外でも「世界の木炭の傑作」といってよい日本の炭は注目を集めているという。実際このオンライン講座参加者に海外の方も複数おられた。海外は化石燃料(石炭とか)が豊富であったため、炭にこだわりがなくこのような炭を作る必要がなかった。しかし今、遠赤外線で電子レンジ効果で炭でじわ〜っと料理すると美味くなる!というので興味を持つ人が多いと聞く。
講座には池田炭の飾り炭がおまけについているので送られてきた。
いや〜美しいのう〜♪
サイズ的に炭手前向きではないかもだが、輪胴に使えそう〜!
三本木〜鴨川西丸太町北 - 2020.09.09 Wed
鴨川西河原町東丸太町北のエリアは学生時代からおなじみの場所であった。
丸太町から北にはいると道は二本に別れて、結局どちらの道を通っても目的地にはたどりつくのだが、今日はどっちを行こう、とお散歩気分で選んでいる。その道に東三本木道、西三本木道という名前がついているとはシラナカッタ。

古い町家が意外とたくさん残っていて、雰囲気のある道だし、ちょっと脇道にそれると、あ、大文字!
と、用事もないのにずんずん進んでいって、
鴨川と大文字に挨拶をしたりする。
商業地区ではないが、ちらほら町家を利用したおしゃれな店も増えてきた。
前から気になっているこの雰囲気ある木造建築は「書道、華道」の教室もあるらしく、、、
門に回ってみるとああ!お寺さんだったのね。ここ開いているの初めて見た。浄土宗のお寺円通寺(ちなみに京都にはけっこうたくさん円通寺があるよ)。ちょっと大陸的な山門は、二条大橋西詰の善導寺に似てる。
ここは創作バッグのお店かな。
ここは本好きなら外せない誠光社。
一乗寺の恵文社で一時代を築いた堀部さんが5年前に独立して作った本屋だ。そこは普通の本屋ではないのは彼だから。どう違うのかは行ってみてください。
お地蔵様もある町内は、古き良き、そして失われつつあるかつての洛中の姿を残す。とても懐かしい町並みだ。
また史跡もあって、ここは頼山陽の書斎「山紫水明処」である。鴨川からは茅葺きの屋根が見えるだけであるが、事前葉書申し込みで中を見学できる。(まだ入ったことない、、)山陽は煎茶をたしなむ文人だったので、座敷の室礼も煎茶風だと聞く。
現在は頼家の人たちによって管理されているが、昔おったなあ、その末裔で頼姓の先輩。
また立命館大学草創之地の碑も。(発祥之地の碑は御所の東に別にある)西園寺家の家塾が基になっていると聞く。
同じ場所に吉田屋跡の札も立っているが、同じ場所やったんかな。調べたらここに吉田屋という料理屋があって、幕末討幕派の志士たちのたまり場になっていて、その建物を立命館が利用した、、、ということらしい。しかもその吉田屋、桂小五郎(木戸孝允)の妻となる幾松さんがつとめていた場所で、冒頭の三本木通のなまえは三本木花街の名残であったとは!またしてもおそるべし、京都の深さ。残念ながら今は駐車場になってしまっているが。
さて、あちこち寄り道しながらたどり着いた目的地はアンティーク家具雑貨のお店stockroomさん。
アンティークというより、ここではリーズナブルなお値段で金継をお願いできるのだ。
ぽこっと底が抜けたお気に入りのマグ、漆で継いでもらった♪
普段使いなので金は使わず、2000円でできちゃった。ありがたい。また大事に使おう。
受け取ったついでにstockroomの2階にあるかもがわカフェで一服。ここからの眺めは昔空き地でよかったのだが、お向かいにマンションが出来て残念。
ついでにランチも(*^_^*)こちらで。
歌川広重展〜佐川美術館 - 2020.09.08 Tue
コロナ後の初めての佐川美術館

湖国の空は少し秋の色
気温は40度近いのだけれど。
入館に際しては一人一人検温、館内は「距離をとってください」のプラカードをもったスタッフが巡回、しかしこの日歌川広重展最終日だったので(車以外はアクセスがかなり困難な場所でありながら)たくさんの人がおこしで、けっこう混み混み。まあしゃべることはないので大丈夫だろう。
今日は「東海道五十三次」に従って江戸から京三条大橋へ旅するよ!
あまりにも有名な広重の五十三次で、いずれの絵も一度は見たことがあるが、東海道に沿って宿場毎においかけて見るってことはなかったなあ。
宿場の名前も現在の地名と違うところも多いので、頭の中で地図を描きながら見ていく。
全体的な構図や構成、遠近法のあまい感じもかえって雰囲気があり、描かれた江戸時代の人々の人間くささが好きだ。知らない時代でありながらおそらく生活のなかの喜怒哀楽は現代人とかわるまいと思う。もっとも今の東京ー京都は2時間ちょっとであるが。
東海道五十三次の各宿場の絵と同じ宿場を描いた「五十三次名所図絵」、同じ広重でありながらそこに20年の時間の開きがある。前者は1833年、後者は1855年である。え?明治維新のほんの10数年の前なの?と驚く。意外と最近の人なんや広重さん。意外と最近の生活を描いてはるんや。よけいに描かれたひとたちに親近感を感じるわ。
後者の方が構図が大胆で、近代絵画のように斬新なのだが、しみじみとしてみるとやっぱり五十三次の方が響くものがある様な気がする。
途中、富士山がかなりの宿場で描かれていて、東海道は富士山を見ながら歩く道だったのだなあと思う。新幹線なら一瞬だけれど、、、(^_^;
あと版元がいろいろあって、その判子を見るのも興味深いよ。多くは有名な蔦屋(ツタヤの前身だったりして(^_^;)と武内孫八である。
ところで広重は62歳で無くなっているのだが、死因が当時猖獗を極めたコロリ(コレラ)だったとは!コロナ禍の今なんだか他人事でなかったり。(当時活躍した緒方洪庵と同時代の人やったんやなあ)
やっと京までたどりついて、なんだか一緒に長旅が終わってほっとした気持ちになったよ。
帰りに楽吉左衛門館にも久々に寄ってみる。
ここでの楽さんのお茶会やらお茶事やら、ひところよく行ったものだ。今はもう直入さんになってしまわれた。
この水の下のスペースはいつみても光りと水紋の動きが美しいと思う。
テーブルの数を減らして営業中のカフェでランチもして、、
そういえば大津宿では今も残る(八幡に移転したけど)走井餅の店が描かれていたなあ、、などと考えつつ湖国をあとにしよう。
淡路島にて長月朔日の茶事 - 2020.09.06 Sun
海を越えて淡路島、師匠にお茶事をお願いした。季節はもう長月にはいるが、昼間の太陽は容赦なく、ひたすら暑い。茶人は9月からすっきり単衣を御召しになる。(私は無理)
待合の掛け物は、定家の歌を小堀宗慶(遠州流先代)が定家様で書いた藤川百首のうち「海上待月」。
「あはじしま 秋なき花をかざしもて いづるもおそし いさよひの月」
なんと淡路島のしかも月の月、の茶事にぴったりの歌ではないか。今回のテーマは月かな。(と思い込み、実は大失敗をのちにやらかす)

汲み出しは横井米禽の染付、この方は名古屋の古美術商だった方で初めて聞く名前であった。おぼえておこう。煙草盆が蒔絵に透かしの入った、どこか貴族的で優雅な冊屑箱(さくずばこ)、過去の記事をみたらこれ一度はみているはず、そういえば名前に記憶が、、、。書き損じた短冊を入れておく箱の意だが、炭斗として使われることもあるそうだ。
腰掛け待合いではお祖母様のお土産というビロウ団扇、沖縄ではクバとよばれる植物の葉っぱでできている団扇をご用意くださっていた。
つくつくぼうしの声に混じって秋の虫の声もあり、暑いながらも秋の気配が一筋まじっていると感じる9月の初日である。
座敷は葦戸を透かしてみる露地の光りが美しく、そこにご亭主の姿がシルエットになって、なんともいえぬ風情である。(しかもクーラー付き!うらやましい)
軸は「月在青天影在波」
菜根譚の一節で物欲がなくなった人間の境地をあらわすらしいが、なんとも先ほどの定家の歌に呼応しているようで心憎い。書いたのが仁和寺門跡・岡本慈航、近衞文麿のブレーンでもあった方。ここで「仁和寺」をスルーしたのが痛い。(のちほど)
懐石は師匠ご夫婦の合作で、汁のミニトマトが珍しい。ご飯のおかわりがトウモロコシ飯で、これ大好きなので山盛りいただいてしまった。石杯とともにだされたのが梅酒で、するすると何杯でもいけそう。李朝の白磁に脱力系鉄絵の酒器がよかったな。石杯は鈍阿の継ぎのあるやつを選んだが、これがまたよかった。
煮物椀のなかに満月、それに村雲
上のミジン粉がこぼれ萩みたいで技ありの一椀。そろそろ油ののってきた鱧の塩焼きも美味しかった。(懐石のハードルがあがるなあ)
コロナ下ということもあり、お皿もたくさん拝見したいので銘銘皿に懐石を盛っていただいたが、村田森さんの染付や三島写しやいっぱいでてきてとてもうれしい♪
(腰掛け待合いのチャボ)
炭点前
三典淨味(名越家四代)の色紙釜にかわいらしい江戸大西初代定林の杵釜(?)がマッチしている。鱗籠の炭斗は名人といわれた11代一閑の花押あり。蜻蛉の香合(近左)もすてきだったが印象的だったのが赤膚焼の木白の灰器。「赤膚山」の数種の印をぺたぺた押してあってなんとなくかわいい。
お菓子が名古屋の亀広良さんの「夏の霜」
この銘でピンとこないといけなかったのだが、いかんせん、力不足で謎かけが全然わからなかったのは悔しい限りである。しかも飾り床に琵琶のミニチュア(正倉院の螺鈿紫檀五絃琵琶)が飾ってあったのに、、、それもスルーしてました。敗北感ただよう、、、
(ここで謎かけがわかったかたはお能にくわしい方ですね)
後座
床には経筒籠に山からとってこられたという葛、垂れ下がる蔓に花までついている。葛の花みるの初めてかも知れない。
コロナ下ということでみんな苦労している回し飲み撤廃後の濃茶のあり方、やはり3人までの客なら替え茶碗を人数分用意して、替え茶碗にあらかじめ濃茶をいれておく、というのが一番スマートだと思う。
印象的なのは茶入。茶壺の底を思い切り裾つぼまりにした感じ、この安定感の悪さ(ルーシーリーの茶碗の底に似ている)が点前の空間に緊張感を生み出している。手に取ると思いのほか軽い。南方系かなと思ったらやはり島物であったが、師匠が初めて自分で買われた茶入れで、先達からもっとまともなのを買え、とずいぶんくさされた(^_^;という歴史あり。たくさんのお道具をお持ちの現在は、端整なお道具の中にこの茶入がいいフックになっていると思う。銘を「案山子」、なるほどな〜と胸におちる。
茶杓が「竹生島」、淡々斎が昭和16年に(巳年)に削った物とか。同じ年、京大心茶会が淡々斎の協力の下久松真一によって創設されたことを思えばなにやらゆかしい。
「月海上にうかんで 兎も波を走るか おもしろの島の景色や(謡曲「竹生島」)」であるが、もうひとつ謎かけが隠されていた。
御茶碗も各服点てなので、薄茶もあわせてたくさん見せてもらった。師匠の祖父母様ゆかりの茶碗など、今回は師匠の御家の歴史と蔵の深さを再認識した次第である。
ちなみに私が濃茶をいただいたのは京唐津、めちゃ渋い茶碗であった。
薄茶器は「夕顔」、今仕舞は「半蔀(源氏物語夕顔の話)」を習っているのでそれを思い出しつつ、茶杓は「十六夜」、待合の定家の歌にかえって大団円である。
さて、私がみぬけなかったテーマはなんでしょう?
謡曲「経正」でありました。
経正は清盛の甥にして敦盛の兄、幼くして仁和寺の守覚法親王に仕え、また琵琶の名手であった。平家の戦勝祈念に竹生島で琵琶を奏でると龍神が舞い下りたという。稀代の名器の琵琶「青山」を賜ったが、平家都落ちの際にそれを守覚法親王に預けておちてゆき、一ノ谷の合戦で討ち死。
風枯木を吹けば晴天の雨 月平沙を照らせば夏の夜の霜の起居も安からで 仮に見えつる草の蔭 露の身ながら消え残る 妄執の縁こそ。つたなけれ
この部分がお菓子「夏の霜」だったのですね〜。あとで調べるとこんなに色々お考え下さったというのに、私のレベルを完全に読み誤っておいででした〜(^_^;スミマセン〜〜
「京都が好き」の石井まり子さんに会う - 2020.09.04 Fri
それは「竿縁天井」から始まった。それをネット検索したら私の古いブログの記事がヒットしたという。そこからお互いにコメントしたり返事したりで、まだ京都移住前からだから10年以上のおつきあいになる。

そして彼女が「京都が好き」という本を書かれた石井まり子さんであることを知り、私と京都在住はすれ違いながら、河原町二条でフレンチカフェのマダムをされていたことや、花背に家と土地を借りて半住半通いの生活をされたことや、ご子息をスイスのフランス人学校へ入れるために奮闘されたことなども知ったのである。
その後彼女の主催する料理情報図書館の会員になって食の情報に関する会誌を読んだり、年に一度届く、まり子さん手作りジャムを楽しみにしていた。
愛猫が亡くなった時には、「その子は虹の橋のたもとであなたがくるのを待っていてくれる、、」という詩をカードで送ってくださったのは今も忘れられない。あの言葉でとても救われたのだ。
そんな長い付き合いなのに、一度もお目にかかれる機会がなかったのは不思議である。
だから、この度ご家族とお友達と久々に入洛され、夕食のお弁当ご一緒にいかがですか?とお声がけいただいた時には嬉しくて、すっ飛んで参ります!と。
鴨川のリバービューのホテルのお部屋に宿を取られたまり子さまご一行、お目にかかるのは初めてゆえ、ホテルのドアを開ける前は少し緊張したが、不思議なことに実際お目にかかると全然初めましての感じがしない。長年の知己であるような感は不思議で、これもネット社会でなければ起こらない現象であろうと思う。
食に関してはプロの、そして京都の料理屋については私よりお詳しいまり子さんセレクト、祇園松むろの鱧ずしのお弁当をみんなでいただいた。ここの鱧寿司は初めて、お寿司だけでなく種々のお料理が詰められていて、美味しくてほぼ完食、お腹いっぱい。
まり子さんイチオシで私もNHKの時代劇で気になっていた中村隼人丈のお話や、それぞれ複数の愛猫を見送った話や、京都時代のお話など、たくさんお話しした。人に見られるのが恥ずかしいので、カフェのマダム時代にお客さん来てくれないと困るけれど、「お客さん来ませんように〜」と祈っていたと言うお話では大笑いをした。そのカフェにできる事なら行きたかったなあ。そこの主?であった賢い猫のみやこちゃんにも会いたかったな。みやこちゃんは鴨川べりの木の下で今も眠っている。私はそこをよく通るので、軽く挨拶をしていくのだ。
ここに来る前、チラッと茶箱セット持参しようかな、、、と思ったのだが、自分の趣味を人に押し付けるのはご迷惑かも、、と遠慮した、、、、が、なんと嬉しいサプライズ!
京都で茶碗、茶筅、干菓子までまり子さんが調達してくださっていたのだ!
茶箱を持ってこないことに未練があって、持参した上生菓子(和菓子屋のなさん)、お役に立ちました〜!(ちょっと数が足りなかった、、、)
ちなみに先日自分で食べたキーウィーの羊羹「kiki」、「檸檬爆弾(梶井基次郎)」「有りの実(梨)」である。
そこで即席茶会を開かせてもらう。茶杓はホテル備付けのマドラー、建水はこれもホテルのアイスペール(#^.^#) どこでも茶会は楽しい♪ こんな心遣いをしていただけるとは本当に感謝である。これも長い付き合い、、、ですよね。
みなさんにお点てした後は、少しだけ表千家でお茶を習われたというご子息に点てていただく。感謝して一服頂いた。お茶も柳桜園の濃茶をご用意くださっていたので、美味しかった事は言うまでもない。
鴨川の眺めもすっかり夜に沈んだ頃お開きに。明日美山の方へ行かれると言うまり子さんと名残を惜しむ。お目にかかれてよかった!見つけてくださって、声をかけてくださって、本当にありがとうございます。
Kさんところで花月のお稽古 - 2020.09.02 Wed
お使い物をもとめるついでに今日の花月のお稽古のお菓子をさしいれよう。
堀川五条近くの菓子屋のなさんへ。最近人気な若手女性和菓子職人・名主川さんのお店だ。(うちからはちょっと交通の便が悪いのが難点である。あ、近かったら別の意味でヤバイかも)
差し入れはこちら、キーウィとワインのはいった寒天、羊羹という複雑な味ながらスッキリした銘を「嬉々(kiki)」というお菓子。
それぞれ違う社中の五人で花月のお稽古を。Kさんの教室にて、ここは広間、小間、大炉六畳もある茶道館なのだ。
Kさんはお道具もたくさんお持ちで、毎回季節のものをたくさん出して下さるのでありがたい。
本日の課題は薄茶の「貴人清次花月」と濃茶+薄茶の「濃茶付貴人清次花月」。
比較して勉強しようということで。
宝塚時代あれだけ濃茶付貴人清次花月を繰り返しやったのに全然身についていない、、、というか5割は忘れていることに愕然とする。Kさんはなかなか厳しい先生なのでいろいろ指導も入りつつ、みんな小さな失敗しつつ、さすがにベテラン揃いなのでするっと終わるところがありがたいなあ。
昔習ったことが最近の教本ではかわっていたりする。半東が敷合わせに置く建水と茶碗の位置が違うのね。
薄茶だけの時は、点前座を立つとき茶巾は蓋上にだすが、濃茶付は茶碗にいれたまま。
貴人仕舞とお次仕舞ではお湯+水、と、水だけの違いがある。
などなど。(ああ、もう数回やらんとおぼえられない)
すごく基本的だけれど今更聞けない、迎え付けの時の歩数も確認できたのもありがたい。
(つっこみ茶道口は三歩、曲り茶道口では四歩)
東寺畔で毎月人気の月釜をされているOさんが、お手製の干菓子をご持参くださった。琥珀と雲平、これは「精霊流し」のイメージだそうだ。すごいなあ〜〜〜(;゜0゜)(←未だ琥珀糖が結晶化完成しない、、、)
お稽古後、恒例の?お茶室収納の工夫探検、今回押し入れの中をみせてもらう。道具をいれる仕付け棚が計算され尽くされているのと、あとで設置したご自作の棚まであって、すごく機能的。ふりかえって自分の道具入れのカオス具合がはずかしい、、、(^_^;
これこれ!
ご自作の留め具。これはくるっと回転して、こうして90度にすると大きな炉縁の箱が止まるのだ。しかし、茶人にとってこういう工夫工作の腕は必須技能ではないかと思うこの頃である。
夏の終わり秋の初めの庭 - 2020.09.01 Tue
昼間の猛暑のあいまにも日陰の風に秋を確かに感じる。 毎朝水やり他整える庭にいる時間は、季節の移ろいを実感するひとときだ。あいかわらず蚊の攻撃はひどいし、どこぞで小さな巣を作ったらしいアシナガバチのツガイも必ずこちらをみはってくるが。
毎日せっせと水やりしているのと、今年は長期の旅行がなかったので、苔は比較的調子がよい。
だめになったところは大原野の春草園さんまで行って仕入れた這苔に入れ替える。
水やり草引きの時に必ず顔に当たってじゃまするコムラサキシキブも、いつのまに薄紫の実をつけていた。このそばのモッコクは昨年からコナカガラムシの大繁殖があって、今年も歯ブラシ片手に駆除である。
いつのまにか紅葉の影で藪蘭が咲いていた。
今年も茶室の壁に席入希望の蝉がいたらしく、、
一夏を謳歌したあとの亡骸。 とりあえず土中数年、外で一月天寿をまっとうしたことは祝福だ。
裏庭ははじめ何を植える気もなくて砂利を敷いてほっておいたが、いつのまにか貴重な茶花畑になってしまった。茶事の時に必ずしも使えるわけではないのに、そるにかける労力に見合わないと思いつつも。 こちらにも梶の葉裏に夏の名残 9月になるといつのまにか咲き出す彼岸花の球根もぷりぷりに肥えてスタンバイ状態だ。
酷暑の中、秋海棠にやさしい日陰をつくってくれた梶の葉、その裏にも夏のなごり
その秋海棠もひなたのは葉っぱがチリチリでとけてしまった。
これは生き残った花
貴重な白の秋海棠は昨年は暑さにだめになってしまったが、今年は遮光をしてなんとかここまで。ただ、花は無理そう。来年こそは。
鳥が運んだ種で自生したオケラ
けっこう大きくなった。今年は茶花に使えるだろうか。
今年植えたばかりの椿・西王母
もう蕾をつけている。炉開きに使えるかな。
水引はすでに種をとばしていて、今年は花としては使えなかったな。
バックヤードのバックヤード、隣との間の隙間にヤブミョウガのジャングルを作ろうと企んでいる。ヤブミョウガは花はかわいらしいし、実は面白く、葉っぱは料理の下に使える。
すでにジャングル化は成功しつつあるよ。