しぐれ夜咄茶事〜滌源居 - 2020.11.30 Mon
平野神社近く、速水流家元のお宅である滌源居(てきげんきょ)に最初に足を踏み入れたのは8年前、「おっとこまえ茶会」という、当時若宗匠だった今のお家元と観世流シテ方能楽師・吉田篤史さんのコラボイベントであった。あれからまたこんな形でお邪魔できようとは夢にも思わず、夢見心地の宵二刻ばかりを過ごせたとは、幸運としか言い様がない。(お声かけくださったM様、深く深く感謝)
最初「茶杓拝領の茶事」と聞いて、どなたか門弟さんがお家元から茶杓拝領される記念の茶事で、大寄せかな〜と思って行ったのに、客は四名の本格的な茶事でしかも夜咄とは、話が違う〜、とびびってしまった。
茶杓拝領とは、流祖速水宗達(裏千家一燈高弟)が削った茶杓を光格天皇に献上し、その茶杓が巡って堂上家の一つ勧修寺家より「時雨」の銘と和歌とともに速水家に下賜されたことを意味するらしい。(間違ってたらごめんなさい)
かくの如く、速水家は殿上人とのつながりが大きい。裏千家一燈の弟子ではあったが、もともと御典医の名家出身であり、茶の起源から佗茶の研究をした学究肌の人であったため、お茶を愛した光格天皇の支持を受け、その弟宮・聖護院宮盈仁親王の茶道指南もしたことから、やがて御所風の茶風(襲の色目の帛紗なども)を確立していった御家である。
異次元空間へつれていかれそうな露地の景色は、ひとつひとつ露地行灯に蝋燭がともっている。(つけてまわるのさぞ大変だっただろうな〜)
待合も蝋燭の灯りのみ、流祖宗達の像に供茶。ここで前茶をいただき、ああ、夜咄の作法忘れたっ!と焦った。
露地行灯と手燭だけがたよりの暗い路地をすすんで本席へ。ここも蝋燭の灯りのみがゆらめく幽玄の世界。ここに身をおくことのさいわいを思わずにはいられない。席の様子はお家元がブログに写真をあげておられるので、そちらをどうぞ。
炭点前では裏千家で神折敷とよばれる真の点前に使う炭斗で、これはやはり茶杓拝領という特別な席だからだろうか。枝炭が黒いままなのも自流と違う。紅漆で梅花が描かれた香合も光格天皇からの拝領品(たぶん)。
懐石は時節柄、すべて銘銘皿に乗ってでてくる。この日はお家元のご結婚記念日とか、その時の引き出物のお皿とかでてきて楽しい。お家元は実は我が愚娘と同じ年、昨年家元を継がれたばかりで気さくな方、でもおっとこまえ茶会の時よりも風格がでてきておられるのはさすがである。
お給仕を先代の家元宗楽宗匠と交代でされて、お酒がお好きだというお噂(^_^;の宗楽宗匠の洒脱なお話しもまた楽しい。
新嘗祭に掛けて(11月22日だった)、お酒は白酒(しろき・新嘗祭では神に捧げられる白酒、黒酒<くろき>)になぞらえて濁り酒を。
川端道喜さんの雪餅を食べて中立である。
実はこの時、本当に時雨れたのである。肌寒い夜の雨に、中待合として準備された三畳の小間の居心地がこんなに良いとは思わなかった。真っ暗な中に大きな瓢にはいった蝋燭と火入れの灯りのみ、下に敷かれた毛氈も暖かく、貴人口からライトアップされた紅葉をゆったり見るシアワセ。ここは北野天満宮の紅葉も借景となっているのだ。
雨笠を使って後入りもうれしい。流祖宗達の竹の一重切りにはツバキとツルウメモドキ。使われる茶杓はもちろん「時雨」である。
続き薄の時に茶通箱に薄器が入っていたのに気づく。自流では、茶通箱は濃茶が二種はいるのだが、速水流では宗達が茶通箱の研究もしていて、もともとの茶通箱の意味の原点にたちかえる、ということらしい。二種の濃茶の飲み比べ的なのは遊興的である、ということかな。
かつて茶壺のない家は茶通箱を茶師へもっていって茶を詰めてもらって帰る、まさに茶の通い箱であったのだそうだ。そうか!茶通箱とは通い箱であったのだ!となんだか感激、目からウロコ、初めて茶通の意味を知った。
最後に速水流の帛紗(襲の色目でななめに染め分けている)をモチーフにした銘銘皿もお土産にいただき滌源居を辞するころに、時雨は小降りとなりほんとうに時を得た時雨であったと思った。
まさか茶家で四人の夜咄に参席できる日がくるなんて思いもしなかった。忘れられないだろうと思う。夢の様であった。ほんとうにくりかえし感謝である。
信楽の窯場でイマジナリー芋煮会 - 2020.11.28 Sat
久しぶりの信楽まさんど窯に。

「サラリーマン陶芸家」の平金さんちの古民家である。ぼちぼち「サラリーマン」の肩書きをはずそうともくろんでいらっしゃるようだが。
軒には干し柿
敷地の一部を駐車場にすべく、かなり大がかりな工事をされたよし、車でお邪魔しやすくなったが、これはこれで色々と大変な作業だっただろうなあ。
ここの主はお留守である。
今年二回目の窯焚きで窯の方で詰めておられるのだ。
そこへわれわれイマジナリー芋煮会メンバーは勝手にあがりこみ(^_^;、勝手にキッチンも鍋も調味料も使って芋煮を作る。
なにがイマジナリーかというと、東北でこの時期河原でおこなわれるという本当の芋煮をだれも知らないからなのだ。たぶん、こんなんじゃないかな〜と関西人が想像する芋煮である。
豚肉味噌バージョンと、牛肉醤油バージョンをつくってみた。豚肉の方は、豚汁とどこが違うんだ?という疑問もありつつとにかく完成。
しかしてなぜ信楽で芋煮会か?
本当は宇治の河原でする予定が、メンバーの一人、陶芸家のA君が平金さんの窯焚きを手伝う(自分の作品も少しはいっているので)ことになり、じゃあついでに信楽で芋煮しようということに。
これはもはや芋煮会と言って良いのかだれもワカラナイ。
2年ぶりのまさんど窯の窯場である。
2年前、自分で轆轤をひいた茶碗を焼くのにここで一晩徹夜した。ウン十年ぶりの完徹は老体にこたえたわ〜。でもみんなでワイワイ夜食を食べながら薪をくべながらの夜明かしは楽しい思い出だ。
窯は火をいれたところでまだゆっくりと温度を上げてっているので、本当にしんどいのはこの夜からの24時間だ。どんどん温度を上げるのにせっせと薪を投入し続けるのだ。
窯の中をのぞくと茶碗や五輪塔が炎に照らされている。温度が上がるとこれが真っ赤になるんだよね。
さてイマジナリー芋煮会グループ、窯場に芋煮を持ち込む。
お手伝いに来ている方々とともに、平金さんのご趣味のモーツアルトをBGMに芋煮をいただく。いや、なかなか最高、ほとんど食べ尽くした。イマジナリーだったけれど美味しかったわ。だれか東北ネイティブの方、これでいいのか教えて(^_^;
信楽で一番美味しいという魚仙のお寿司も差し入れでお相伴。
そのあとは窯焚き用の薪を割る職人に早変わりしたA君のお手並みを拝見。
なかなかいいコントロールしていて、平金さんも絶賛。
ならわれわれも、とメンバーそれぞれやってみたが、けっこうしんどい、これが。小さい薪なら昔取った杵柄(子供の頃五右衛門風呂であった)でいけそうだが、この太い木は筋目にあたらないとかなり力が要る。
何事も上手な人が簡単そうにやっていることが簡単ではない。轆轤もまたしかり。
薪で蓋をした状態。このあと薪を数本それぞれ投入させてもらって、窯焚きに貢献した(ほんのほんのチョッピリ)気分になったのである。
恒例の?茶箱でお茶を点てて遊んで、(茶碗はここになんぼでもころがっている)、、
日暮れ前にA君だけ残しておいとました。
窯はこれからが佳境、がんばってください。
帰りがけ、母屋の庭に平金さんの井戸茶碗が何気に置かれているのがなんだかステキだったな。
南都の紅葉紅銀杏銀杏紅葉2020 - 2020.11.26 Thu

正暦寺から市中にもどって、春の頃から目を付けていた場所をめざす。
県庁前の紅葉を見て、奈良公園バスターミナルを過ぎ、奈良坂の方へ北上すると、、、、
どうだどうだ!この黃色の絨毯!
黄金の原、ああっ、寝っ転がりたい!ここで!
ここはどこか、というと、、、
春に来たときの東大寺西門跡。青い銀杏を見て、こりゃ秋はすごいぞ〜と思っていたのだ。
で、今がこんな感じ、最高の黃葉やなあ〜。
背景には若草山も見えるよ。
ここから少し歩けば、依水園庭園はすぐそばである。ここへ来るのはほんと久しぶり、ちょうど紅葉の季節でよかった。
ここは煎茶を嗜んだ江戸時代の商人の造った庭と、明治時代に実業家が造った庭が一緒になっているというめずらしい庭園。奈良公園隣接の悪くない立地なのに、ここを意外とご存じない方が多い。
ここでも紅葉を楽しみ、今年の紅葉はこれで見納めでもいいや、と思った。
わが庭の紅葉はこれからだが、その後に待ち受ける落葉掃除がおそろしくて〜(´・_・`)
ことのまあかりさんで念願の飛鳥鍋(命名由来は不明、牛乳が入る)の一人鍋をしてぽかぽかとあったまり、、、、
その足で薬師寺さんで恒例の写経を。
11月は般若心経を完全に覚えよう月間?であったので。3割は若い頃ばっちし覚えたが、残りがどうも完璧とはいかぬ。
こちらも写経帰りには恒例となりつつある西ノ京珈琲さんで美味しいコーヒーを。
清酒発祥之地〜菩提山正暦寺 - 2020.11.25 Wed
清酒発祥之地が奈良市郊外の山奥、菩提山正暦寺にあると知ったのは、今年の珠光茶会の一会、和菓子の中西与三郎で行われた日本酒茶会のときであった。発祥之地の碑も境内にあると聞いて、これは一度は行きたいと思っていたが、車で行くにしてもかなりケモノ道っぽい。すると紅葉の季節だけ、近鉄?JR奈良駅から直通バスがでているではないか!

というので早速でかけたが、ご覧の通りの本数なのでかなり時間を絞って行った方が良い。
当日は雲一つない晴天に恵まれ、風が吹くと落ち葉が音もなく雨のように降りかかるような最高の紅葉日和であった。
そして早速日本清酒発祥之地の碑を発見。
三段仕込み(3回に分けて発酵させる)、諸白造り(麹、掛け米ともに白米を使う。現在ではほとんどこれだが、かつては多くは麹に玄米が使われた)、菩提酛造り(酒母=酵母を増やす工程)、火入れなどの近代醸造方の基礎となる造酒技術は室町時代にはすでに確立しており、正暦寺は当時大寺院であって、荘園から上る米で大量の清酒を造っていた筆頭格だった。「菩提泉」という名前の南都諸白(僧坊で造られた清酒)で有名であったそうだ。
特に菩提酛は水に含まれる天然の乳酸で酒母を造るが、乳酸を人工的に加える速醸酛が明治に開発されて以来、絶滅したといわれていた。ところが香芝の醸造元大倉本家で御神酒として使われている特別な酒母が菩提酛であることが判明。(ここらへん日本酒茶会で倉本本家さんの説明で聞いた)
平成になって奈良県内の醸造元と県の工業技術センター、正暦寺などが協力して「奈良県菩提酛による清酒製造研究会」なるものが発足、現在醸造元各社がその酒母をつかって醸造しており、私の大好きな大神神社近くの今西酒造の三諸杉もその一つだったのね。
こちら、拝観できる塔頭福寿院ではこの南都諸白の末裔のお酒が買えるのである。(ただし重いからここでは買わなかったが(^_^;)
さて、どうしても好きな日本酒の話になってしまったが、もちろん、紅葉も楽しんだよ。
かなりの山の中なので、普段はどうだろう、そんなに人は訪れないと思うが、この日はいい紅葉日和、三々五々紅葉狩りの人がみえていた。
こちらは本堂前の鐘楼。
ところでここは何宗のお寺なのかしら、、、と今更ながらの疑問、真言宗でありました。正暦3年(992年)一条天皇勅願の壮大なお寺であったそうだ。江戸中期以降衰退し、江戸時代の福寿院、大正時代再建の本堂、鐘楼を残すのみだとか。
マユミの実も発見。
いよいよ秋もフィナーレ、今年は例年より急速に突入するなあ。もう少し惜しみたいが。
銀月サロン・秋茶会2020〜銀月アパートメント - 2020.11.24 Tue
コロナで一時ストップしていた銀月サロン、久々の茶会開催。

白川疏水べりに立つ、入り口の大きな枝垂れ桜が目印の、築年数不明の銀月アパートメント。今年もこの桜を楽しみながらお茶がいただけると心待ちにしていたが、残念なことであった。
今日の室礼はもうすっかり秋である。
アパートメント前の枝垂れ桜からもらった紅葉をしきつめて。秋は野山でも町中でも秋を拾ってこられるところがうれしい。
さてさて、この美しい室礼のなかで最初にいただくのは、、、、
ジャスミン銀針茶
福建省の微発酵白茶、新芽の時だけの産毛をまとった茶葉はたしかに銀の針のように見える。それにていねいに茉莉花(ジャスミン)の香りをつけたもの。
水出しでウェルカムティーとしてもよいさわやかさ。
お茶といっしょにいただくのは棗を揚げた物。これがえらくまたおいしくて、中国茶にとてもよくあう。お茶を飲み、ぽりぽりこれを食べながら何時間でもおしゃべりしたくなるような。
三煎入れた後の茶葉を開くと、ちゃんと一芯二葉になっている。よいお茶はいれたあとの茶殻もきれい。
二種目は台湾凍頂烏龍茶
好きなお茶。今では台湾茶といえば凍頂烏龍茶というくらい有名である。低発酵の青茶になる。くるくる丸められた茶葉は入れた後はちゃんと葉っぱの形にもどる。
コロナのせいで中国にも台湾にも買い付けに行けないのに、現地の生産者との絆で茶葉を入手、呈してくださったオーナーのTさん。
そしてこれがお目当て、、、というくらい美味しい点心タイムである。
本日は台湾の定番料理、魯肉飯(るーろーはん)と白菜・鶏肉団子の生姜スープ。魯肉飯にはTさん特製食べるラー油がのって、やっぱり美味しい。
デザートは、粟田神社近くにある人気のショコラトリエHISASHIとコラボした、ラプサンスーチョン(武夷山・紅茶)を練り込んだチョコパイ。HISASHIといえば、うちの近くなのでチョコを買おうと出かけるのだが、出遅れていつも売り切れ〜なくらい人気なのだ。
パイ部分がとても美味しく、仄かに紅茶の香り。年末に梅田阪急デパートで、このオリジナルパイと銀月サロンのお茶をセットで販売されるとか。
これを食べながらいただくのが本日のお茶の中で一番美味しかった台湾蜜香紅茶。紅茶というくくりではおさまりきれない香りと、なんというか水にとろみまで感じるような口触りが最高。
コロナの蔓延はなにかと暗い気持ちにさせるご時世であるが、こんな豊かな時間をしばし持つことは大切な癒やしとなった。
郡上八幡で茶事 - 2020.11.22 Sun
岐阜から北陸へ通ずる道は山の中、紅葉が美しく、しばらくいくと急にぱっとひらけて現れる山間の町が小京都・郡上八幡。
ぐるっと歩いて一周できそうな町の中を吉田川が流れる。正面遠くに見える橋が「川ガキ」とよばれる地元の子たちの飛び込みで有名な新橋らしい。高さ12mあるそうで、1種の成人儀礼かな。
そして古い町並み建物がそこここに残っているのが小京都と言われる由縁。
この建物もひょっとして江戸時代まで遡るんじゃないかと思われるような古いお家。なにしろ郡上八幡は400年の歴史ある城下町なのだ。
若い友人達の間で郡上八幡踊りがここ数年ブームになっている。SNSでよく話題にあがっていた。7月から9月まで30夜ほど町のあちこちで行われるロングランなので、参加しやすいのもあり、観光客巻き込み型の盆踊りなのだそうだ。
もひとつ有名なのが連歌の飯尾宗祇が古今伝授をうけた場所であること。郡上八幡には名水百選第1号の白雲水という湧き水がある。かつて伝授を東常縁(篠脇城主)から受け終え帰京する際にこの湧き水のほとりで
「もみじ葉の 流るる龍田 白雲の 花のみよしの 思ひ忘るな」
の歌を餞としたという。よって宗祇水とよばれるようになったそうだ。
そんなすてきな町の中にSさんのお宅はある。
彼女と最初にであったのは、まだ京都移住前(なので10年以上前)、加古川の野中の清水さんのところへ古筆を見に行ったときであった。その時はそれっきりだったが、なんと10数年の時を経て、またご縁がつながり、こうして当時建築中、と話題にもなった茶室にお招きいただけるとは、人生出会いですなあ。
待合には、加古川で軸をご覧になって初めて蓮月を知った、というエピソードを踏まえて蓮月の紅葉の短冊を。これはうれしいお心遣い。
露地は丈の低い密集した杉苔が美しく、茶室はウッドデッキだったところに露地と一畳台目中板向こう板の茶室をはめ込む、というむつかしい工法でつくられたお茶室。扁額を見て「あ!」と思った。うちの茶室は「雲閑席」なの。臨済録の「松老雲閑(松老いて雲しずか)」をわけわけした感じの茶室名でちょっとうれしい。
淡々斎の「雲近蓬莱常五色」、開炉にふさわしいおめでたい語句で原典は杜甫の七言絶句。
釜の地模様が狐のような鹿のような動物(十長生ならやっぱり鹿か)が林の中で戯れているようでかわいい。しかも鐶付きが霊芝というのもめずらしい。
炉縁が沢栗で水指が南蛮芋頭、、、とくるとこれは光悦会(今年はなかったけど)の鉄板の組み合わせではないか!
前日遅くまでご友人のお詰めさんと話し込んでいたらしいというのに、今朝ちゃんと懐石を手際よくお作りになったのね。向付のお刺身にふりかかる大根おろしに混じった赤い野菜が紅葉の落葉をおもわせ、汁の実のちっちゃい蕪は御主人が趣味で作られたものだそうで、小豆入り、懐石にもお心配りいただいた。
そして可愛い可愛い亥の子餅!ちゃんと目があるので、どこから食べてよいか迷ってしまう〜♪(結局頭から食べるんだけどね)
後座
玄々斎の花入「衣滝」に入るのは白玉椿と<炉開き>という名前の小さいツバキ。これはツバキと茶の交配種で、赤いというのをのぞけば見れば見るほど茶の花にそっくり!
濃茶の主茶碗が大好きな高麗で、私の好みをよくご存知、枇杷色の釉薬は井戸脇かも。古瀬戸の茶入は「閑人」、かんじん?ひまじん?うちらのことやろか?(^_^; なかなか堂々たる大きさの肩衝であった。
茶杓があれ、竹とちがうのに節がある???と思ったら桑の木を削って竹茶杓、しかも仙叟の茶杓を淡々斎がうつしたものとか。これはびっくり。
途中感動の!突き上げ窓開けるセレモニー?いいなあ、突き上げ窓、憧れるわ。
後炭まできちんとやってくださって、太い胴炭を上手に四分割されたのには感動した。私は後炭はあまりやっていないが、こんなにきれいに胴炭が割れたためしがない。
薄茶の主茶碗が黒楽やな〜と思っていたが、これは渡辺又日庵手づくねの茶碗であった。そう、花入が玄々斎、茶碗が又日庵、ご兄弟がそろったわけである。(三河奥殿藩から玄々斎は裏千家へ、兄の又日庵は寺部領主渡辺家へ養子)
薄茶の茶杓が圓能斎?だったか失念したが、銘を「美好野(みよしの)」と。
ふつう御吉野と聞くと春の情景を思い出すが、ここ郡上八幡では秋なのだ。さきほどの宗祇へおくられた歌を思い出して欲しい。
もみじ葉の 流るる龍田 白雲の 花のみよしの 思ひ忘るな
ここではみよしのは秋、龍田姫がおわします今の季節なのだなあ。
いや、最後までお見事でした!こんなご縁をいただいてほんとうにありがたい。
突き上げ窓からも美しい山法師の紅葉が見られ、楽しい美しい二刻であった。
郡上八幡、また来たいねえ。
開炉茶事2回2020〜正午と夕ざり - 2020.11.20 Fri
ドウダンツツジが赤くなって、楓の紅葉には今一歩という季節、茶人の正月、炉開き茶事を2回、正午と夕ざりでした記録(一週間の時間差で)。なので昼間と夕方〜宵の写真が混在しているのでスミマセン。

炉開きには恒例の、、というかうちの席披きをして以降のお約束になっているのだが、「開炉は柚子の実の色づく頃」になぞらえて、待合には柚子を飾る。(おひらきのあと、お持ち帰りいただくのも恒例)
夕ざりには初登場、小型李朝火鉢。風炉に使っていた火鉢より一回り小さく、足がない。これはこのまま本来のお役目を果たしてもらおうと待合の火鉢にした。
庭に咲くのはツワブキと、、、
マルバヒイラギの花である。もう数日あとだったら、数日しか香らない芳香を放ってくれるのだが、少し早かった。金木犀にもおとらない佳い香りなのだ。
夕ざりの初座は花
なんとかまにあった裏庭の西王母、花器は光藤佐さんの瑠璃釉の小壺
本来板床に敷板は使わないのだが、黒っぽいので西大寺古材の敷板でメリハリをつける。
茶室から腰掛け待合いをうかがう。迎え付けのタイミングを計るこのちょっとドキドキする時間が好き。
炉になって、懐石より前に炭ができるので安心。炉の火で失敗したことはない。(風炉では炭までに燃え尽きたり火がつかなかったり、色々失敗があって)
瓢は茶友さんにもらった→父に漆塗ってもらった→岩渕祐二さんに縁に蒔絵をしてもらった、、という三人コラボ?の炭斗。
懐石は’正月’なのでめでたく小餅と小豆
正座のきついお客様には椅子とテーブル、、、と思ったら李朝小盤が意外と役に立った!
一献、二献、三献、、、とエンドレスに続くこともあれば、形だけのお酌になることも。お客様によって茶事一会もほんといろいろで楽しい。一番しゃべれるのがこの時間、親しきもお初の方も。
今回のお菓子も2回ともお世話になっています、みのり菓子さんの。亥の子餅ではなくて、胡桃やクランベリーを腹一杯食べたイノシシの子、亥の実餅、だそうだ。
中立の頃、夕ざりではもう手燭の交換が出来るほどの暗さになってきた。これもご馳走だ。
後入り正午は銅鑼で(久しぶり〜)、夕ざりは喚鐘で。
この使い分けは同じ千家系でも表と裏でちがうのだ。
後座の床に初使いの大山求さんの燈火器。
灯芯とオイルを使うのだが、まだ使い方に熟知してなくて途中で消えてしまった。さらなる研究が必要。
今回四つ目垣まで青竹にできなかったので、せめて、と灰吹き竹と蓋置は青竹を用意。やはりすがすがしいね。
中立の間、釜をあげて炉中を見る。火の色が美しい。これを愛でられる季節がやってきた。
正午の時のお客様にいただいたお点前中の写真。
懐石で力を使い果たしたので、ちょっとヨレヨレ(^_^;
この日、正午は久しぶりで(いつも夕ざりが多いので)久々に簾をつるしたり巻き上げたりした。明るい茶室もなかなか。道具もよく見えるがアラも目立つかも。
干菓子はいつもの亀廣保さんのもの2種に飴ちゃん。
吹き寄せも、ほんといつも良い仕事してはりますわ。
夕ざりでは暗くてアラもめだたないかわりに、道具もよく見えないのがミソなのか玉に傷なのか。光りが届くコンパクトな空間に閉じ込められている雰囲気はより近しい感じがして好きだわ。
今年も無事に開炉、ご参席くださり、こんな時期なのに一緒に祝ってくださったお客様二組様に感謝。
知恩院ライトアップ2020〜兼実忌十夜会古式法要 - 2020.11.18 Wed

この秋も知恩院のライトアップが始まった。今年は8年間の大改修を終えて春に落慶法要したばかりの御影堂拝見も兼ねて久々にやってきた。(チャリの距離)
まずは友禅染の宮崎友禅を記念して造園された友禅苑へ(この近くに居を構えていたそうだ)。
どうも赤やら青やらのライトアップはにつかわしくない気がするのだが(^_^;
紅葉には若干早いが、バックグラウンドの暗さもあいまってそれなりに美しい。
茶室へ通じる小さな門がいい雰囲気を出している。
茶室白寿庵
いまだ行ったことはないが、ここでは月釜がおこなわれている。今年はどうかな、やっぱり中止かな。
露地も蹲居まわりもよい雰囲気である。
池の鏡面に映る紅葉。
これは観音様かな。
ほんまに知恩院はこの山門だけかと昔思っていたほど存在感がある。
さて、御影堂に続くなだらかな女坂をだらだら登る。
完成後来るのは初めて。
国宝・御影堂。
お堂の上からなにやらありがたい?青いビームがでているのが見えるだろうか?
仏の光りはあまねく十方世界を照らし、、、かな?
ライトアップ期間中は中で法話と木魚念仏体験があると聞いたので入ってみたら、中にはおもいがけずたくさんの参拝客がいた。それにしても壮麗な内陣、柱も金にきらきら光っている。ここらへんは密教にも負けていない。中央に法然上人座像がまつられているはずだ。
しばらく待っていると雅楽の音をバックに、10人ほどのお坊さんが萌黄色の正式の僧衣をまとってでてこられるではないか。なにか法要でもあるのかな、と思っていたらこの日は兼実忌法要、十夜会古式の法要の日であった。
関白九条兼実は慈円の兄でもある。天台座主慈円は法然にとって、法敵でもあれば、時に庇護者でもあった、敵か味方かようわからん人。しかしその兄の兼実は法然に深く帰依し、こうして追悼法要がなされる。
美しいメロディーの聲明、そして散華、となかなか美しいページェントである。
十夜会古式は引声(音楽的)阿弥陀経など日常勤行とは異なる聲明によってつとめられるそうだ。十夜会は「この世で十日十夜の間善行を積むのは仏の国で千年善行をするよりも尊い」という教えを実践したものという。この世のほうが誘惑が多いからね(^_^;
思いもかけずよいものに出会った。
お堂の入り口にもアルコールがおいてあったのが今という時だね。
で、ちゃっかり記念の忘れ傘缶バッジもらった。
(忘れ傘は知恩院七不思議の一つ 左甚五郎の置き忘れとも狐の御礼とも)
流儀の茶事 - 2020.11.16 Mon
おさそいいただいて業躰先生の茶事へ。もうがっつりがっつり流儀の茶事を久しぶりに堪能したよ。日ごろいい加減な無手勝流茶事になっているので、端整な茶事には色々思うところも多かった。
寄付には能登半島の12月に行われる鵜祭にちなみ、謡曲「鵜祭」、その前に木の箱がおいてあって、なんだろ、これ?と思っていたが、このたび家元嗣子となられた丹心斎へ、現お家元の坐忘斎から一子相伝の奥伝などが入った箱を秘密裏に手渡されるのがならいなので、その箱のイメージでおかれたとか。
待合には宗旦忌も近いことから宗旦狐、有名な「大方の世捨て人には心せよ、、、」の大綱和尚自身による遺詠。
密をさけるため、特にお立場上気を使われて懐石は広間にて。(咄々斎写し?)
お料理はお弟子さんでもある舞鶴の料理方さんが担当、日本海から蟹をおもちくださり、蟹味噌入りしんじょうはうれしい。さらに絶品が堀川牛蒡の中に鴨肉を詰めたやつは絶品!
お酒は呉春で京都四条派の呉春の家があった四条烏丸近く、呉春の名前のついたマンションがある、というお話しは面白かった。今度訪ねてみよう。
懐石をいただきながら見た窓の外の景色が紅葉した山で、これもまたうれしい。
お菓子は緑庵さんの紅白掻き分けきんとんに金粉。(このパターン、はやりなんだろうか?)
お客様の四割がお坊様で、それぞれ宗派が違って、袈裟や頭も違って、ただ「茶が数寄、好き」という一点のみ共通項というのが楽しかった(^∇^)
美しい苔の育った露地に青竹になおした四つ目垣と枝折り戸、見上げれば大きな木の紅葉も美しい。
ここから如庵写しの本席に入る。如庵はご存知のとおり亭主と客が点前座の前にあるのぞき窓みたいなところからこんにちわ、と正対する形である。下地窓も多く、ここを通った光がやさしい。
玉舟宗璠の「教化別伝 不立文字 直指人心 見性成仏」達磨の四聖句。教化別伝・不立文字はお茶の奥伝でもよく言われる言葉だ。メモするな、心と体で覚えろ、、、みたいな(^_^;
南蛮玉簾の掛け花入れには小菊と桐の実と珍しい。この季節はツバキが一般的だが、ほんとうは菊の季節だと思う、とご亭主。うなづける。
釜は二代寒雉の三猿釜。つまみと鐶付がそれぞれ見猿、言わ猿、聞か猿になっているのがおもしろいな〜と。
平たい塗の香合の蓋に「一曲両曲無人會 雨過夜塘秋水深 云々、、」(書いたの家元のひとりだが忘れた)(碧巌録)なかなか理解が追いつかない(@@;)
茶碗が濃茶と薄茶と各服であったので、ぎょうさん出るわ出るわで、ちょっと私のメモリではキャパオーバーで覚えられなかった。濃茶の主茶碗が斑唐津というのだけ。楽が多いわけでもなく、高麗ものが多いわけでもなく、全国まんべんなく、、ちょっと不思議なコレクションだったな。しかし薄茶の主茶碗が、淡々斎が斎号をもらって初めて手づくねした赤楽(底につぼつぼ紋あり)というのが、がっつり流儀でないとでてこないマニアックさだよね。
茶入が古瀬戸広沢手、薄器が大宗匠にしては地味、とおっしゃるお好みの山里棗。たしかに蓋の上に山と小男鹿の線描がとてもシンプル、蓋裏に紅葉葉。それにあわせたのか確か茶入の銘が初鹿とかではなかったか。
面白かったのは宗旦の茶杓に官休庵の家元が箱を書き、時代下って表千家家元が書き、裏千家に廻ってきたときに大宗匠がもうこれ以上箱いらんやろうの気持ちもこめてか「無用の用」と命名されていたのには笑った。ユーモアのセンスや。
客は大勢いたにもかかわらず、たとえ水屋がいてもよどみなく進んでいく手腕はさすがである。
裏千家では下々のものである私にはちょっとだけ上の世界がどんなのか垣間見れたような気がする。お誘いに感謝でございます。
淀看席茶会〜西翁院・金戒光明寺 - 2020.11.14 Sat

朝の金戒光明寺、通称くろ谷さんは、自宅からも近く、学生時代も散歩コースであった。
いつも山門からでなく、西側の坂道から入るが、今ごろ楽しみなのがこのドウダンツツジの紅葉である。
桜の紅葉とのコラボはまた格別に美しい。
このちょっと先の小径を北に入ると、懐かしい西翁院へのなだらかな坂道、学生時代なんども往復し、卒業してからもお世話になった道である。
西翁院は、藤堂家の呉服商をつとめた藤村源兵衛(法名・西翁院)が建立した塔頭であるが、のちに三代目、宗旦四天王の一人であった藤村庸軒の茶室「淀看席」で有名である。3年前には冬の旅で特別公開もあった。
今回某○交社主催、建築家にして裏千家の学術担当でもある飯島宗照(照信)さんとご住職が席主を務められる茶会へ参加してきた。(もちろん徒歩で行ったわよ(^_^;)
ここで、大学の心茶会錬成茶会を幾度かひらいたので、いまでも広い露地をみると2日間苦労して掃除をしたことを懐かしく思い出す。卒業してからも何度か足を運び、門の前にいまでもお迎えの学生が立っている姿が目に浮かぶ。
ただ学生の頃は広間を使わせてもらっていたので、淀看席にはいったことはなかったし、冬の旅でも外からのぞき込むだけだったので、この中で濃茶をいただけるとは有り難い機会である。しかもコロナのおかげで二畳(+点前座一畳)に3人というちょうどよい贅沢な人数。(例年なら8人おしこむんだそうだ)
本堂の寄付で、なんとこの日が旧暦の庸軒祥月命日(旧暦閏9月18日)ということで飯島先生がお経をあげられ供茶もなされた。例年なら庸軒忌がおこなわれる日だったそうだ。
待合には祇園会の長刀鉾のお稚児さんの天冠、装束が飾られていたのは、今年山鉾巡行がなかったから、ここで、というお心で。
待合でいただいた老松さんの紅白かきわけ金箔ふりかけ、は見た目にも美しくおいしかった。
露地はけっこうな高台になって、アップダウンがあり、庭の景色と高台からの景色が楽しめるのだが、おみ足の悪い方には少しきつい。庸軒お手植えの桧がまだ健在であった。
(岡田孝男「京の茶室」から)
袈裟型の蹲居を使う。これはオリジナルなのかどうかずっと疑問に思っている。
躙り口のうえに「澱看」の扁額。 正式名称は紫雲庵(金戒光明寺は紫雲山)または反古庵(庸軒の号)らしいが、淀まで見える眺望の良さからいつのころからか「淀看席」とよばれるようになったとか。
(岡田孝男「京の茶室」から)
特徴は宗貞囲い、本では道安囲いになっているが、建築的には宗貞囲い(炉が点前座内にある。道安は出炉になる)。 黒っぽいスサ壁、洞床には墨蹟窓あり。お詰めの席に座ると連子窓から外が見えて、確かに淀まで見えそうなくらいの佳き眺めである。淀看窓というらしい。
板床は2枚半の板でしかも珍しく釘打ち、飯島先生によるとこの意匠は躙り口と同じなのだとか。
床には庸軒の肖像画と賛「瓢 月花を我が物にして肘枕 顔子都に遊にヨリテ云々、、」
顔子とは瓢一つで食事も水も飲んだという顔回のこと。肖像画は机によりかかる庸軒、その目の前に竹の花入れ、白菊が投げ入れられている。それをうつして竹二重切花入(庸軒銘「惟肖」)には白い菊が。葉っぱの小さいめずらしい足摺岬にしか咲かないアシズリノジギクだという。
ここで現在は北村美術館にある庸軒の竹花入「遅馬」の話がでる。有名な花入で遅い馬=駆けられない=掛けられない=置花入にしかならないよ、という庸軒のユーモアのセンス。
画賛の年号が元禄3年、花入が4年、このころは表千家の覚々斎が14歳の若さで表千家を継がねばならなかった時代で、庸軒はそのバックアップをするためさかんに茶会をおこなった時期なのだそうだ。
お点前は飯島先生、なにせ狭い小間なので半東無し、お点前はするはおしゃべりもせなあかんわ、でたいそう忙しそう(^_^;。
文化財でしかも火を使わせてくれるところは滅多にないので、これも和尚様と飯島先生との信頼関係によるもの。
茶入は不見斎(裏千家9代)手づくね黒楽「玄鶴」
茶杓はやっぱり庸軒、銘を「一竹 亘古今」、細くて華奢。
水指は古丹波、達磨型というより算盤玉型だが銘は「不識」(淡々斎)
主茶碗は発掘黄瀬戸、釉薬けっこうかかって艶々、胆礬なし、言われないと黄瀬戸とはわからない、ゆがみあり。
薄器が桐棗で杉木普斎在判、これで宗旦四天王のふたりがそろった。
いつも心茶会で茶席にしている広間で点心、たん熊北店。
ここの広間で亭主もやったし、OBとして客もやったなあ〜と懐かしさがいっぱい。鉄斎の袋戸棚の富士山も懐かしいわ。
点心のあとは奥の比較的あたらしい茶室で薄茶をいただきながら和尚様のお話を聞く。
掛け軸が庸軒の漢詩「和紫雲山紅葉染」。ちょうど今の時期、紫雲山(=くろ谷さんの寺号)はじめ東山の峰嶺は紅葉し、白川がその間を流れる、、といったような風景。
蹲居がオリジナルかどうかの件を和尚様に尋ねてみると、昔の都絵図に描かれた蹲居とは明らかに形が違うので、おそらく鉄斎あたりが違うのに据え変えたのでは、というご返事であった。そうか〜。長年の謎がとけた。
学生心茶会の話などもできて、とてもうれしかった。おそらく当時はまだご先代の頃であったと思うが、錬成茶会終了後、暗くなった中、本堂へ御礼のお菓子を届けたことなど思い出す。あれから一体何年たったことやら。
西翁院からのかえり、この坂道からの景色が好きなので、、、
NHKの時代劇のオープニングバックに使われた時にはすぐ、ここだ!!とわかったのである。
西翁院から本堂へ抜ける細い小径も好きで、
最近毎年除夜の鐘を撞きに来ている本堂にお参りして、
またこのすてきな道を通って帰宅した。
淡路にて賓客のご相伴にあずかる - 2020.11.12 Thu
露地に入り、四つ目垣がすべてみずみずしい青竹に新調されていたので、師匠の気合いを感じた。
本日は師匠の尊敬する道具に関して生き字引きのような方が正客である。あつかましくもご相伴にあずかり二重にうれしい。

待合で小さな団扇絵、壺装束の女性とお供の童子が走っている後ろ姿、なんだろ、これ?と思っていると、もう一人の御連客が「五十三次の、時雨に濡れて走っている人みたいだねえ。」
実はそれが正解であった。本席その1で掛けられた軸が紅葉の山、よって謡曲「紅葉狩」の冒頭、「時雨をいそぐ紅葉狩 時雨をいそぐ紅葉狩」の場面なのだそうだ。これはどこかで鬼女がでてくるかな。(「紅葉狩」では美しい上﨟たちがのちに鬼女の本性をあらわす)
腰掛け待合いにおかれた、(お尻に敷くより頭に乗せたくなるような値段の)讃岐円座について、桃山織部の火入れ、軸の掛け物の作者、折敷の形(松花堂好み舟形折敷)、床柱の筍面など茶室の意匠や決まりについてまで、お正客さんはほんと、なんでもよくご存知だ。いろいろ勉強させてもらう。
炉になって初めての茶事、師匠の炭点前を見ながら風炉とちがうリズムを少しとりもどす。あ、朱鷺の羽根や!う〜ん、気合いはいっとるな〜。今年光悦会は中止になったが、かわりにここで光悦会みたいなお道具を見た!触った!という感激。だって釜だって与次郎だよ〜。たっぷりの大きさで、お正客様にいわせると5升(10kg近いやんけ!)は入るとのこと。
本席2では掛け物が和漢朗詠集の紅葉の歌二首(深養父、貫之)、軸装が国宝級の文化財の修復も手がける岡墨光堂、という名前も初めて知った。
懐石道具は喜三郎のうっすい薄〜い漆器。あの飯器はMIHOにもある、とお正客。向付がすべて古染で、吉兆さんも仕入れているという魚卸しから手に入れたというマナガツオ。マナガツオのお刺身なんて初めて食べたわ。さすが淡路島。
しんじょうがふわっふわで、おいしく奥様に作り方を聞いたが、企業秘密(^_^;?らしい。
預け鉢もまあ、でてくるわ出てくるわ。華三島(ここにくるたび、ええな〜これと思うやつ)、陶陽の備前、高麗堅手、祥瑞。
ここで陶器の八寸についてお正客様のレクチャー。小野道風の継色紙をそのまま清水六兵衛が底に写しとり、縁の内外に本歌の軸の中回しと同じ印金模様を写し取っているという手の込んだもの。これは教えてもらわなければスルーしてしまうとこだった。
おいしい紅葉きんとんも、生姜味の摺り琥珀も奥様手作り、もうプロやな。
後座の床にはツバキを入れた竹花入れ、徳川家の茶頭もつとめた船越伊予守のものであるが、彼が元は淡路の地侍だったということも今回初めて知る。これには高原杓庵のスケッチと手紙がついている。
「御所柿」と銘のついた古瀬戸春慶(藤四郎法名)茶入は、ころんと丸い姿、まだらの色味がほんとうに柿みたいでかわいい。でも春慶だからお値段はきっとかわいくないだろうと下世話なことをついつい(^_^;
薄茶であたった茶碗が戸隠窯の黒織部で、あ、やっぱり私が鬼女(^_^;。(謡曲「紅葉狩」の舞台が戸隠山)
茶杓をすぐに「原叟(覚々斎)ですね」と見抜いたり、めざとく不昧在判の蓋置に気づいたり、そこはさすがのお正客、師匠とのハイレベルの会話にはなかなかついていけなくて、聞き漏らした道具も数々。
世の中には名物級のお道具をこれでもか、と並べてくる茶会もあるが、美術館と同じでそれはそれで拝見は興味深いが、茶事として魅力があるかどうかは別なのである。ましてやお道具自慢や客をおいといて亭主が自分の世界にひたりこみすぎてもつまらないのである。亭主は客のために心をつくし、客は阿吽の呼吸でその心を読み取る。絶妙の会話ができれば上々であるが、言葉がなくてもその姿勢にお互いの心の交感を感じ取れればさらにハイレベル。今回ご相伴させていただいき、お正客様とご亭主のやりとりを見て、そんなことを考えていた。
最後に御連客様がおっしゃった言葉が印象に残る。「志の高い茶事でしたね。」
高野山<後編>〜護摩修法と茶籠で野点 - 2020.11.09 Mon
翌日は、空海が嵯峨天皇に賜った土地に最初に諸堂を建立した壇上伽藍から。
しかしながら建物よりもどうしても紅葉の美しさに目を奪われるのである。
あちこちガイドブック通りに廻ろうと思っていたが、ここで初めて高野山に来て宗教的体験をして、1時間ばかり時間を費やしたのが、、、、
愛染明王を祀る愛染堂の護摩修法であった。
ちょうどまさに始まりを告げる鈴がならされたところである。
真言密教の仏具はどれも興味深い。それらが並ぶ護摩壇の前で若い僧侶が無言で真言を唱える。お堂の中で正座してその様子を見守ること約30分、そんなに長くなるとは思わなかったが、足を痺れさせながらすわっているとなにやら心がおちついて、お堂に吹き込む微風や外のざわめきなどをいっそう感じられる。
おもむろに護摩壇に護摩木をやぐらに組んでいって、火をつけるのにfat wood(樹脂の多い木)を使うが、これが2回消えてしまって、はらはらどきどき、3回目にやっと木に燃え移ったときにはほっとした。(よくあることらしいが)火はだんだんと勢いを増して、その中に香油や薬種、芥子の実?(種類不明の)常緑の木の葉などを投入していく。何かがはじけ飛ぶ、いぶされるような煙の中で、仄かに丁字の匂いがした。僧形と所作のすがすがしさ、絵になるなあ。
時間にして1時間、今回の旅のなかで一番印象深いと私も思い、みんなが言う。やっと高野山へ来た気がした。
壇上伽藍の根本大塔。建物はなんども焼失しているので、この目に鮮やかな塔は昭和9年に再建された鉄筋コンクリート製。中は弘法大師の思想をあらわす立体曼荼羅の呈であるが、京都の東寺の立体曼荼羅の方がより荘厳な感じがするのはしかたあるまい。
境内を歩いていてごろごろごろごろ、臼をひくような音がするな、と思っていたらこの六角経蔵であった。基壇の処の取っ手を押してごろごろ1回回すと一切経を一通り読んだと同じ功徳があるとか。マニ車のようなものか。こちらも昭和9年の再建だが、発願は鳥羽天皇の皇后であった美福門院の発願だったというのが興味深い。
この数カ所有る取っ手を押すのであるが女子一人では重くて動かず。数人で押すのが正解。
他にも渋いお堂がたくさん立っていて、金剛峯寺より宗教的な感じがよかった。
金剛峯寺へ通じる道、蛇腹道も紅葉が美しい。
人も多いが、、、
さて、先ほど買った酒饅頭を手にやってきたのは、壇上伽藍に続く湯屋谷弁財天神社の境内である。
名前の如く、かつてここに共同浴場があったとか。
ここの綺麗な紅葉を見上げながら、、、
ミニ野点会を。
いつも海外旅行のお供に連れて行く茶籠を持参。(今年は出番なかったな)
お菓子は酒饅頭と、持参した金平糖、友が持ってきたすはま。
茶碗は鶴野啓司さん。
ポットのお湯がなくなるまで、それぞれお茶をいただく楽しい時間はこの小旅行中のハイライトの一つであった。今回はよき茶友たちが一緒でいつも以上に楽しめたのである。
高野山<前編>〜宗教都市と奥の院ナイトツアー - 2020.11.09 Mon
今回学んだのは、「高野山」という山はないってこと。
1000m級の山々に囲まれた平坦地、そこにある宗教都市を高野山とよぶのだ。
おかざき真里さんの空海と最澄を主人公にした漫画「阿・吽」を読んで、比叡山へはこの前いったし、今度は高野山だっ!とミーハー魂を炸裂させて一泊旅行にやってきた。(友人3人も巻き込んで(^_^;)
10代のころ、一度は来ているはずだが、限られた記憶しか残っていないので、深山幽谷の宗教都市を想像していたら、なんと、高野山は「町」だった。

しかもGO TOやらなにやらで、週末で、車が渋滞するほどの賑わいでびっくりした。
そして標高800mの町は市中よりも一足お先に紅葉、秋たけなわの時期を迎えていた。
うわ〜〜〜!の紅葉があちこちで見られるのである。
どこにカメラを向けても絵になりすぎるので困る。
今回京都駅から高野山直通のバスがあるのを発見して、ハイライトだけを見ようと思えば日帰りでも十分なのだが、奥の院ナイトツアーに参加したく、また宿坊にも泊まってみたいので、一泊とした。お世話になった宿坊はビルマ戦線戦没者を祀る摩尼宝塔のあるこちらである。
なにしろ高野山には100以上の子院があって、その半数が宿坊を兼ねているし、宿坊案内所もあって、気軽に泊まれる。
あ、ビルマの竪琴。今の若い人にはわかるかなあ。
部屋からの眺めがまた絶景で、ここからも紅葉が堪能できた。
でもって、お坊さんがサーブしてくれる精進料理がまたおいしくて、みなさん完食。
翌朝早朝6:30からは朝のお勤めが本堂であって、これにほぼ強制的(^_^;に参加。不信心者ではあるが、なにやら敬虔な気持ちになるのである。
宿に荷物を置いて、まずは明るい内の奥の院へ往復4kmを歩く。
奥の院は苔むした墓碑や壮大な供養塔が杉の大木の間にたちならび、有名な武将の供養塔もたくさんあるである。その昔来たときに、郷里の備前池田藩の供養塔のショボさに憤った記憶があるが、たしかに2〜3mはあろうかという供養塔の立ち並ぶ中にしょぼしょぼっと墓石が並んでいるだけで、やっぱり記憶通りしょぼかった。
深山の趣はあるが、なにせたくさんの人が歩いているので怖さとか敬虔な気持ちとかはわかないのである。あかんがな。
その昼往復した奥の院を夜、歩こうというツアー。申し込んだときにはせいぜいうちらのグループくらいやろうと思っていたら!なんと最終的には30〜40人の団体さんになってしまって、ますます怖さもおどろおどろしさもなかったのである。(この週末は特別に多かったらしい。おそるべしGoTo)
当日は10月の満月の日で月明かりが美しい。
恵光院のお坊さんが案内してくださる。まずは高野山について簡単なレクチャーを。
ここで数グループにわかれて出発。
それなりに灯籠や灯りはあるが、一人や二人ではやっぱり恐いだろうなと思ったが、お一人でお参りされている方もいらした。
実際はこんな暗さである。
逆に灯籠の光りが届く範囲しか見えないので、供養塔とか、墓碑とか暗くて見えず、かえってこわくない。
要所要所、有名な人の供養塔の前で立ち止まって解説を聞く。光秀の供養塔は五輪塔の真ん中の石がなんど組んでも割れるのだとか。怨念か?(^_^;
汗かき地蔵さんの横に姿見の井戸があって、ここをのぞいて自分の姿が映らなければ3年以内に死ぬとか。夜はのぞかん方がええよ。多分くらくて映らないから。
杉の大木の合間から時折見える満月が心強い。
とちゅう緩やかな覚鑁坂(かくばんざか)という階段があって、ここもこけると3年以内に云々。まあ足元に注意しろということだろう。
御廟橋を渡る前に、自分の身を清める代わりに各種仏様に水を掛ける。ここから先は聖域なので写真撮影は御法度である。
無数の寄進された灯籠が下げられた灯籠堂は夜見ると壮観であるが、現在はLED、かつては一つ一つ蝋燭をつけていったのであろうか?
いまもお大師様が瞑想されているので御廟の前には毎日食事が運ばれるそうだ。
昔それを聞いて即身成仏の姿で残っているのかと、地下礼拝所で恐い〜とおもった記憶があるのだが、現在地下はコロナで入れない。
帰りの2kmはマイクロバスで帰還だったが、われわれ4人だけ、徒歩で歩いて帰ることを選択、奥の院の夜と満月の雰囲気を満喫したのであった。
この日歩いた歩数はゆうに26000歩以上。ぐっすり眠れましたわ。
翌朝、前日目をつけておいた釜飯屋さんに30分ほどならんで、、、(なにせ食堂少ないこともあって、どこも行列ができる)
やっと山菜釜飯にありつく。おいしい♪本場だけあって胡麻豆腐のねっとり感がまたたまらん。
宗教心より食い気の新旧女子4人が次にめざしたのは酒饅頭であったが、ここでお菓子を仕入れて続きは野点へ。
今年最後の名残の風炉茶事〜月やら菊やら - 2020.11.07 Sat

10月最後、風炉の季節最後、名残も名残、極侘びの季節の茶事
露地にはツワブキも咲き、ドウダンツツジも紅葉してきた。
前日が十三夜だったので、お月様にささげる豆(枝豆)、栗、柿、稔りの季節の稲穂などを待合掛けの下に。
待合掛けは霧間月の歌
山ぎわもわからぬくらいの霧の籬からでてきた月は、、、
沓脱ぎ石のまわりに良い感じに生えていた笹、一晩できれ〜になくなりました。ササクイムシの毛虫突然大量発生により(T^T) よってちょぼちょぼ、、、
今回は香合を砧にして、鳴子と雀と実った稲穂
ぎりぎり重陽の節句を意識して、菊を
花器は前日買ったばかりの市川孝さんの陶板皿、また料理を盛られることもあると思うよ(^_^;
折敷に桜の紅葉を添えて
煮物椀は今年初の百合根饅頭枝豆入り
まだ蓋をしているが、実はずでに灰を入れてある炉が出番を待っている。
ヒンズー文字の入った見立ての炭斗
だれかこれ、読める人、、
主菓子はまたみのり菓子さんにお願い。
浮島に豆がはいって、ホワイトチョコの霞、銘を「月霞」
打ち合わせたわけではないのに待合の霧から霞へ
登った月はしばし雲にかすんで、、、、
中立の時には思いがけない小雨まで。
この10月、初旬、中旬、下旬と同じ時間開始の茶事をしたが、中立の時の外の暗さがだんだん進んできているのを実感する。もう手燭の交換もしていい暗さだ。(雨でできなかったが)
後座
図ったように後座がおわるころ、空は晴れて月が
お見送りのころ、手燭が似合う季節になった。
はく息も少し白い。
ご遠方から来てくださったお客さま方、暮れてゆく風炉の季節をともに惜しんいただき佳い時間をすごせました。ありがとうございました。
さて、そして、いよいよ茶人の正月、炉開きの季節を迎える。
秋の三つの茶席 - 2020.11.05 Thu
秋の良い天気の一日、十三夜の日である。一日に3つもすてきな茶席にあたった記録
<その1>

何度かお茶席に寄せてもらったことのあるベルギー・アントワープ出身の茶人ティアスさんが御所の西にとうとうお茶のお店をださはった。
茶ノ実鶴園 The Tea Craneさんである。内装もとてもすてき。
ここは町家民家であったようで、二階には書院の広間があって、家庭画報で茶箱の記事を連載しているふくいひろこさん主催のお茶会がそこでひらかれた。
広間のとなりの小座敷でウェルカムティーの菊花茶をいただく。茱萸袋を掛けて重陽の室礼。
広間の茶室は付け書院もある立派な部屋で、床にはやはりふくいさんのシンボルでもある茶籠を花入として使って、小菊をたくさん投げ入れておられてステキだった。
お点前も僧形(お坊さんじゃないけど)の石州流男子が、ご自流では存在しない茶箱点前をされた。1時間前にふくいさんが指導したばかりと聞いたが、なかなかどうして、よどむことなく、変則的な点前をされる。木を刳ったラグビーボールのような茶箱が渋くてステキであった。組まれたチマチマしたお道具もめずらしく、ほんと、茶箱は楽しい、うれしい、かわいい。
十三夜の日ゆえ、お菓子は水に映った月をあらわした主菓子に、お月様に捧げる栗と豆。
すてきでした〜。
<その2>
川口美術で市川孝さんの展示、となれば当然?市川さんの中国茶会もついてくる。これが楽しみで。庭の片庇で客二人だけという贅沢さ。
今回は温石を用意して下さった。ほんと、ほかほかやさしい暖かさなのね。
今回の展示で一番人気のこれ!「煮茶器」とでもいおうか、最近行かせてもらった長浜の季の雲さんでの茶席では黒いやつだったが、改良をかさね、白いのに。(残念ながら売り切れ〜)
お湯を足しながら、クセの強くないお茶からだんだん強いお茶を投入して煮て、自分のタイミングで飲んでいく。時間を楽しむお茶だ。
最初は菊の花びらで生の菊花茶を、ついで三井寺の茶の木から作った半発酵茶を(これがまた香り高い)、ラプサンスーチョン紅茶、そして強いプーアル茶、最後に当帰の葉をいれる。
混ざっているはずなのに、新しく入れたお茶が一番表にでてくるのは不思議だ。当帰にいたっては、もうこれはスープだ。
干し芋をあぶってお菓子にする。香ばしくておいしい。こうして火を囲んで飲んで食べてしゃべって過ごす時間を楽しむ。
最後にキューブ状のプーアルを。
これは煮詰めればどんどん強く苦く、ほとんどお薬みたいになってくるのね。
毎回茶席となると次々アイデアが湧いてきて、やっている最中にもアレンジしていろんな方向に発展させる達人である。抹茶の席にも生かせるが多々あるので、あれこれアイデアを盗ませてもらったりもする。
なんと1時間半もここで楽しんでしまって、気づいたらもうすっかり暗くなっているという釣瓶落としの秋の夜である。
<その3>
その川口美術からの帰りである。
SNSでどこかで見た景色のところで十三夜の酒盛りをしている茶友のSさんの投稿を発見、ちょっとまてよ、この景色はここのすぐそばだぞ、とすぐに発見!
お友達とふたりで酒盛り中のところへ乱入!
じゃあってことでSさんご持参のお道具で即席茶会ができるところが茶人やな〜。
東山の上には十三夜の月、
鴨川のほとりでは燈火の茶席
ああ、佳きかな、一日のおわり
正倉院展2020〜興福寺北円堂 - 2020.11.04 Wed

秋晴れの空のもと、毎年恒例正倉院展(奈良国立博物館)にでかけた。
例年と違うのは、入館が予約制になって人数を制限しているところ、よって、いつも長蛇の列になるこの回廊もこんなにお見事にすいている。(正時入館なので、20分くらいずらすとこのようにだれもいない)
ちなみに正時前になるとこのように行列ができてるが、長さはしれたもの、入館すると毎年のあの混雑が嘘のように、ひろびろゆったり見られるのだ。夢みたい、、、(予約がとれなかった人も多かったと思うが)
冒頭では、光明皇后が集めて奉納した薬がたくさん展示されているのが目を惹く。「種々薬帳」という奉納目録にそった生薬、相手が生物なのによくこんなよい保存状態で残ったなと感心する。(他の展示物にも言えるが)
「厚朴」とか「大黄」とか「蘇芳」など、現在でも漢方薬に使われているなじんだ名前の生薬、また「芒硝」といって硫酸マグネシウムの粉が壺に入っているが、これも現在下剤としてなじみ深い。珍しい物では「五色龍歯」、じつは象の歯まで薬になっていたのね。鹿の角も薬になるくらいだから。
これらの薬は宮廷内だけでなく、施薬院などでも使われていたのだろうかと思いを馳せる。
フェルトの敷物、花氈、この花模様がかつては模様部分を切り嵌めで作られたと思われていたが、近年中央アジアにも伝わる作り方、すなわち模様の部分と地の部分を重ねて熱湯をかけ、簀巻きにして縮絨(羊毛は熱と水分で勝手にちぢれてフェルト化する)させて作った物、とわかったそうだ。今も中央アジアで作られている作り方の実際を動画で提供されていた。
今回の目玉はこの美しい平螺鈿背円鏡。
このパターンは紫檀螺鈿五絃琵琶と同じ匂いがする。しかし、華やかで美しい。
というので、こういうグッズはすどおりできない(^_^;
小物入れにもなる缶の中身はお茶である。(蓋の一部は取り外してマグネットにもなるというスグレモノ)
しか〜し!今回一番ツボにはまったのはこれ!
墨絵弾弓である。遊戯用の弓らしいが、よ〜く見ると実に細かく散楽(雑技、楽人)の様子が描かれている。人物は1〜2cmくらいの大きさ、単眼鏡で拡大してみないと素通りしてしまいそう。
しかも、その人物達の顔や動きといったら、ほとんど現代の漫画で通用する感じなのだ。知人が言っていたが、右上の琵琶を弾く少年ときたらまるで「天平のロックスター」、ブーツを履いて片足をあげてエレキギターを弾いているようにしか見えない!
ああ、もっと詳しくひとつひとつ見られたらなあ。
目録は重くて場所を取るので、毎年安くて薄い英語版を買っている。写真は若干小さいけどね。
そしてmuseumのレストランで正倉院記念薬膳弁当をお昼に。
薬膳だけあって、お肉のかわりのソイミートがおいしかった。
あまりに天気がいいので、そのまま帰るのももったいなく、特別公開中の興福寺の北円堂へ久しぶりに無著・世親(むじゃく・せしん)様に会いに。
小学生だった私を奈良にいざなってくれた五重塔
そして2年前再建されたばかりの中金堂。なんという蒼い空だ。その落慶法要に参列したときも10月で、こんな空だった。屋根の上から散華が舞ったのを思い出す。
あまりに感動的だったので、その写真をおいておこう。
北円堂は特別公開のたびに何度も来ているが、運慶の代表作、国宝「無著菩薩立像」「世親菩薩立像」には何度も会いたくなるのだ。無著世親は4〜5世紀頃のインドの兄弟僧侶といわれる。いずれもまさに生きていていまにも何か語りそうになるくらいの表情をされている。
慈悲に満ちた無著の表情に対し、世親は意志の強そうな表情だと思っていたが、今回なぜか彼が涙しているように見えた。また歳を重ねて、見える景色が違ってきているのかもしれない。
若草山を背景に中金堂、東金堂、五重塔、ああ、良い景色だなあ。
大和はくにのまほろば、、やもんなあ。
神無月雑記2020 - 2020.11.02 Mon
もう先月になってしまったが、10月の京都暮らしあれこれ。

まずはずっと行きたかった浄土寺にある、中華の盛華亭
ほんとにひっそりと隠れ家的なので通り過ぎてしまうが、ここ、昔学生だった頃の通学路にあるのだ。
京都の中華といったら祗園の盛京亭が有名なのだが、先代がそこで修行されたというその流れを汲むあっさり系の中華である。
中華仲間?の某編集者とおしゃべりと食べるのに忙しくて、気づいたら料理の写真が全然ないことに気づく。餃子も焼きめしも、特にシュウマイがおいしかったのよ。出来たての杏仁豆腐の写真でゆるして〜。
その月とさんへ行く途中、金木犀の落花をあちこちで見たのだが、(落花の時期に初めて、ああ、これ金木犀やったんや、と気づく)、、
その金木犀を閉じ込めたお菓子がまた美しくて。
ちょっと休憩
なんとなくこの画像をはりつけてみる。
この黒ビーズみたいな実はなんの実でしょう?
いただきものですが、祗園祭にこれがないと!といわれる花、ヒオウギの実なのです。初めて見たわ。ものの本ではヒオウギは暑さ寒さ乾燥に強く育てやすいと書いてあるので、早速植えてみた。さあ、芽が出るかどうか? 友人にも分けたので、どこかでうまいこと育ったら、来年の祇園祭に使えるかな〜(本によると開花するまで2〜3年かかるそうだ(^_^;)
コロナ前から町家を改修した店ができていたけれど、いつ前を通っても閉まってるな〜と思っていた陶芸家・村田森さんと奥様の扶佐子さんの店、となりの村田、お!珍しく今日は開いている!
ここは普通の民家だったが、奥の坪庭まできれいに改修されていて良い雰囲気だ。なにより村田さんの作品、特に古染の写しは昔から大好きで、けっこう持っている。村田さんご本人もいらして、大病を患ったとお聞きしたがお元気そうでなにより。
ミニサイズの古染写しの器に萌える。ちなみに上の魚が(これも以前買った村田作品)普通サイズの向付。半開扇の古染向付持っているし、ミニミニとあわせて何を盛ろう♪
秋の西行庵
小文法師忌の恒例の保存会茶会であるが、この日は旧暦の重陽(9月9日)であった。ちょうど菊の花も盛りだし、暑くないし、重陽の節句は旧暦でやってほしいものだといつも思う。
西行庵についたら、、、あれ?どこかで見た人、、、?
ああ、中国茶の好日居さんであった。聞けば西行庵の奥様とクスノキがご縁で知り合いになり、今回の席を担当されることになったとか。
まずは入り口でウェルカムティーの菊花茶をいただく。
いつもは薄茶や前茶のでる二畳の小間が、今日は好日居さんワールドになっていた。向板に菊の花びらを敷き詰め、お菓子は菊の花の上に、着せ綿を模した綿菓子、登高(中国では重陽の日に高いところに登ってピクニックをする)の意味をもたせた石の上のチャフー、いただいたのは香り高い岩茶である。おそらく西行庵のお客様はあまり中国茶をのまれたことのない方が多いと思うので、みなさんビックリ、そして感動してはった。
ここの点心は毎回違うお店のをだしてくださる。今回は柿傳さんや(*^_^*)
その後、円相床と道安囲で有名な皆如庵にて濃茶をいただく。円相窓の障子に映る陽の光や影がとても美しい。嵯峨野の某寺のご住職が正客をされたので、そのお寺にまつわるお道具についてエピソードが聞けたのでラッキーであった。
続き薄のお菓子はやっぱり菊の花、佳き重陽の茶会を楽しませてもらいました。
京都観世能「猩々乱」〜置壺・双之舞 - 2020.11.01 Sun

観世会館のある岡崎はそろそろ秋じたく中である。木々の色づきもちらほら。
ありがたいことに観世会館は徒歩圏内なのである。
今年前半の観世会定期能がコロナのために延期に次ぐ延期、ここにきてあわてて予定を消化というか、1日に2公演分(1部2部入れ替え制)をやってしまうという感じになっている。
いままで行けなかった能好きのひとたちがおしかけるのか、出遅れて2Fの自由席しかとれなかったが、双眼鏡があれば2Fもなかなかよいのである。
今回見たかったのは味方玄師と片山九郎右衛門師のツイン猩々である。おふたりは片山幽雪の兄弟弟子であって、背格好も同じくらいなので、ペアが違和感ない。以前「二人静」もペアで舞わはった。
「猩々」は海に住む酒飲みの妖精?妖怪?なのだが、親孝行の高風という男に汲めども尽きぬ泉の酒の壺を与えて消えていく。その時に秋の風情を背景に酒を飲み、酔い、舞い歌うのところが見所
夜も尽きじ 世も尽きじ
よろづ世までの竹の葉の酒
汲めども尽きず 飲めども変わらぬ 秋の夜の盃
影もかたぶく入江に枯れ立つ 足(葦にかける)元はよろよろと
酔いに伏したる枕の夢の 覚むると思えば泉はそのまま
つきせぬ宿こそめでたけれ
有名な一節である。
ただ今回見所といったのは二人で舞うのと「乱(みだれ)」という特殊な舞があるのだ。
ふつう、舞は摺り足が原則なのだが、足をけりあげるような足さばき、時につま先立ちで横歩き、みたいな、こんなの今までみたことも舞ったこともない。
ふたりで肩を組まんばかりに足を振り上げるさまはカンカンダンスにも似て、カステラ1番電話は2番というわかる年代の人にはわかる(^_^;CMの熊ちゃんを連想した私は不謹慎でしょうか。
でも、これゆえに猩々の動物っぽいところ、妖怪ぽいところ、それでいてめでたいことほぎの感じがとてもよく出ていると思うのだ。時に動物が時々やるように頭をぷるぷるっと振るところも猩々っぽい。見ていて楽しくなってしまった。お二人のシンクロ具合もばっちりでかっこよかった。2階席でも見に行ってヨカッタ!と思ったのである。
観世会館をでると平安神宮の大鳥居。
二つ目の「山姥」も仕舞を習ったばかりなので見たかったが、ちょい時間がなく中座、残念!