今年最後のタライ・ラマ師たこ焼き茶事〜白磁と堅手と井戸の勉強 - 2020.12.30 Wed
いよいよ今年最後の茶事である。2月が最後で、コロナ禍もあり行けなかったタライ・ラマ師のたこ焼き茶事で今年をしめくくれるのはありがたいことである。

雨が降らないかな〜と思える茶事はここだけである。この2月も雨が降って、笠のかわりにここの名物プラタライを使っての席入りができたのだが、この日も、、、しめたっ!雨や!
というので、みなさま、プラタライを笠代わりに席入りでございます。
今回は焼物講座中級編として「(高麗茶碗の)堅手と白磁はどうちがうのか?」というお題をださせてもらった。実際のところ白磁?と聞いたら堅手といわれたり、その逆もあったりで自分のなかで消化しきれないもやもやがあって、知識もご豊富、なによりゲンブツをたくさんお持ちのラマ師はぴったりの先生なのだから。
待合では鉄斎の絵に雪の淡路島をうたった蓮月さんの歌。(、、、雪おもしろし あはじしま山)先だって淡路島の師匠のところで開山忌茶会をされたばかりなので跡見的な感じかしら。
本席では毎度親鸞聖人御絵伝の絵解きから始まる。今回は山伏弁円が親鸞を殺害しようとして逆に帰依してしまったというエピソードを。
軸は今年中止になってしまった光悦会のかわりに、と光悦の消息。茶会のお誘いの返事らしいが、紙ににじんでうつった墨や、余白にいいわけめいた事を斜めに書き散らしたり、折り目がどこにあるかわかったり、数百年前に生きた光悦の息づかいまで感じさせてくれる。ラマ師の解説がまたとどまるところをしらない(^_^;
炭点前では魯山人をフューチャー。
東南アジアの籃胎漆器炭斗は星ヶ丘茶寮の支配人にしてのちに魯山人を追放した秦秀雄(「珍品堂主人」のモデルとも)が所持していたものらしい。灰器の備前が藤原健(啓の甥)、この方は魯山人が鎌倉で備前を焼くのを手伝った方。
桃山の織部はじき香合、なるほど、蓋の合口のシャープさが桃山なのね。
六瓢の象嵌火箸は=無病ではなくて仏道では=六病。自分が痛みを経験して初めて人の痛みがわかる。そのまま回復せずに死んでしまったら、それもまたなすがまま、人間死ぬときに死ぬのです、、とかそんなお話しであった。あ、忘れとったけれどやっぱりお坊様なんや(^_^;
三密を避けて、懐石は広い講堂に場所をうつして。お碗の中は胡麻豆腐と生湯葉、向付はお手製昆布締め、たこ焼きをいれる器はまさんど窯の平金さんのものである。
さて、お父上より貫禄のあるご子息の、プロ級たこ焼き開始。ここのたこ焼きはほんまに美味しい。
私はほとんど神戸式たこ焼き(ソース+だし汁)で通す。これ絶品なのだ。しかし平金井戸もたこ焼きのエキスを吸って良い味に育ってきたなあ。
ここからすでに堅手、白磁講座のはじまり。
いずれか、といえば右が堅手、左が白磁になる。堅手は白磁になろうとしてなりきれなかったものの、粗質白磁といっていい。(粗質と言っても白磁より味があって良いのだが。)ならば同じく粗質白磁である井戸の位置づけは??と聞いたら、それは後のお楽しみとかで、期待がふくらむ。
他の方の向付は、李朝(堅手、白磁)から唐津、初期伊万里、の時代の流れを意識した順番にでてくるのである。本で読んでいてもわからない部分が、こうして実物を目の前にするとほんと、よくわかる。
これは現代のもの?と思うほど完品で窯から出てきたばかりの艶々にみえる堅手の酒器、これが600年ほども前の器なのだ。完璧な形と肌合いに感嘆する。1つ気づいた。この酒器逆さまにすると梅瓶(メイピン)にそっくりだわ。完成されたフォルムってわけね。
ちなみに酒器もひとりに一つずつ、時代の流れを意識したものが。(一体どこに収納されているのだろうか、深い蔵やなあ、、、、)
古唐津陶片に本日の主菓子、鶴屋吉信の「薮柑子」、時にクリスマスイブだったものでツリーかと思ったのだが、さすがにここはお寺さんなので。
中立から後入りを知らせるお鳴りものはお寺の梵鐘である。
雨ゆえにタライとともにご準備くださった雨下駄。この音のさせ方で茶の上手下手がわかるとか。こわいこわい。
後座の花は蝋梅に西王母椿、花入は薮ノ内四代剣渓(だったかな)
ここででてくるわでてくるわの白磁系茶碗の数々。
私はかの根津美術館にも出張した井戸茶碗「八重桜」で濃茶をいただく。もう何回かお目にかかっている八重ちゃん♡。次に同じ井戸の「小菊(かな?)」、雨漏り、玉子手(堅手の一種)などの陶器に近いものから、堅手のやわらか手、白磁に近い本手堅手がずらっと並ぶ。いずれも白磁をめざしたもの、井戸もしかり。
お茶をそれぞれいただいた後、ずらっと並べてみると最初の井戸と堅手は似ていない。けれど間に他のを置くと隣同士が似ている、ひいては井戸と堅手は同類のはずなのである。当時朝鮮半島には陶器と磁器の区別がなかったとのこと。よって井戸もまた白磁といっていいのだ。
これが本日のキモであった。大半の部分は頭の中で整理できたように思う。
これをラマ師は「岩下志麻と三木のり平理論(?!)*」で説明されて、よくわかったような、笑ってすべてがぶっとんだような、、、(^_^;
(*岩下志麻に似ているといわれたり、三木のり平に似ているといわれたりする共通の知人の美人さんがいて、岩下志麻と三木のり平は全然似ていないが、中間にこの美人さんをおくとどっちにも似ているから、岩下志麻はのり平に似ているのであるという論理 A≒B、B≒C、よってA≒C)
(イブだったので、一応クリスマスカラーコーデにて)
最後をこうして美味しく楽しく、しかも学習できる茶事でしめくくれたのはうれしいし、とてもありがたい。タライ・ラマ師に深く感謝である。来年もよろしくお願いしたい。
今年はコロナでさんざんであったけれど、だからこそ見つけたよいこともそれなりにあった。この状態は来年も当分続くだろうが、その制約された生活の中でも楽しみを見つけて生活したいと思う。皆様、よいお年をお迎えください。
斑鳩の里を行く - 2020.12.28 Mon
先だって法隆寺の金堂古材の炉縁を使ったので、柿食えば〜鐘が鳴るなり法隆寺、、、行こう!という流れになった。
土産物屋が定休日の曜日に行ったこともあるが、インバウンドを失った参道はほんとうに閑散としていてさびしい。斑鳩は奈良公園を中心とする観光スポットからかなり離れて、アクセスもいいとはいいがたいこともある。本当はこの参道前に古裂を扱うお店があると聞いて、そこにいくのが本来の目的だったのだが、そのお店も事前予約がなければ開けないようで残念。
しかしとにもかくにも世界最古の木造建築群のある、聖徳太子ゆかりの、泣く子も黙る?法隆寺である。この伽藍がかっこいい。同じ聖徳太子でも先行する四天王寺は塔も金堂も講堂も一直線上に並ぶのだ。
中門の金剛力士像
コロナ退散!とでもにらみをきかせておくれよ。
大震災にも一度も倒れなかった建築上すぐれた構造を持つ五重塔。欄干の中国風透かしはまだ大陸の雰囲気を残している印象だ。
薬師寺の塔に比べるとシンプルな水煙
この屋根のうねりが私の大好きな百済観音の曲線を思い出させるのよ。そう、法隆寺にきたらまずはなにがなんでもあの百済観音さま。
今でこそりっぱなお堂にはいられてガラスケースのなかにおられるが、かつてはガラスケースもなくじかに拝むことができたのだ。少しやつれた感じのお堂にひっそりと、でもそこだけ美しさの光りを放つ観音様がいらっしゃったのだ。
(金堂の柱にまとわりつく龍)
優美な曲線を描く体躯、、、とずっと思ってきたが正面から拝むと意外とまっすぐに立たれている。横から見ると腰をすこし突き出した感じが美しいのね。それから天衣の曲線がよりカーブを錯覚させるのだと気づいた。
(飛鳥時代の回廊)
何回も見ているのに拝むたびに新たな発見。ほんと、美しいわ。(うらやましいくらいスリムだし)
どこか朝鮮半島の雰囲気を残しているが、使われた木材の研究によると日本で作られた可能性が高いとのことだが、その来歴不明さも神秘的であれこれ想像する余地があってよい。
(大講堂)
金堂の有名な国宝釈迦三尊像も久しぶりに拝んだ。これも以前は間に無粋な金網なんかなかったと思うがなあ。暗いのでよほど目をこらさないと他の仏像や壁画が見えない。
壮麗な西院伽藍から東へ行くと夢殿を擁する東院伽藍、ああ、夢殿の屋根が見えてきた。(ご覧の通り人がいない、、)
この築地塀に囲まれた道もよい雰囲気で、吹き寄せられた紅葉の落ち葉がまだ残る。
人がいないので、鳥の天下になっていて、あちこちでいろんな鳥の鳴き声を聞いた。目の前を走って行ったオナガ。あのちっこい足で意外と走るの速いのな。
正面から写真を撮ろうとしたらお寺の方が「このはしっこから撮ると昔の千円札の裏の景色が撮れるよ。」と教えてくれた(^_^; 記憶にはあるがいつのお札や?(昭和40年までのやつ)
夢殿の宝珠は現代アートっぽい。これが1300年も前に造られたとは!あまりにおしゃれだ。
時節柄夢殿のお隣の伝法堂(奈良時代・聖武天皇夫人の一人橘氏の邸宅だった)では大掃除中。
そこを東へ抜けるともう中宮寺である。
ところがところが、あの力強い弥勒菩薩半跏思惟像が、天寿国繍帳といっしょに仙台へご出張中であった!
しかもあの池の上にうかんだようなお堂はただいま改修中でこんな感じになっている。だから出張されているのね。
仮御堂ではお前立の写しが飾られていたが、やっぱり本物にはかなわぬ。ここは尼寺ゆえ、寺務所のスタッフもみなさん女性であった。
天寿国繍帳も見られなかったのが残念だったので、かわりといってはなんだが、繍帳の古帛紗をもとめる。龍村の上等なやつで、このお値段はお買い得だ!
散華は中宮寺の名物山吹の花をあしらったもの。もちろん今は枯木だが。
中宮寺を後にして、法隆寺の前にもどって通り過ぎ、西に行くとすぐ藤ノ木古墳がある。
盗掘されていないここの墳墓からは男性二人が眠っていた石棺と、きらびやかな副葬品が発掘され、話題になった。水につかった石棺から金色のびらびらがついた豪華な宝冠や靴がでたニュースに心おどったが、あれはもう30年くらい前の話なのだな。
今はもうないが、ここの上にお寺があって、それがこの墳墓を盗掘から守っていたとのことである。
今ではご近所さんの憩いの場となっている。被葬者男性二人のうち一人は殺害された可能性があり、一体誰なのか、いろんな推測がなされたのもロマンよね〜。
さらに西、奈良と大阪をむすぶ龍田街道に立つ龍田神社がある。
なんとでかい境内のクスノキ
聖徳太子が寺を建立しようとこのあたりに良い土地を探していたとき、白髪の老人(龍田明神の化身)があらわれ、斑鳩の地をすすめ、そこに立ったのが法隆寺、という伝承があり、法隆寺の鎮守の社である。
境内に「金剛流発祥之地」の碑がある。
大和猿楽四座の1つ、坂戸座(後の金剛流)は法隆寺に属していたので、なるほどこのあたりが発祥の地になるわけだ。ひとつ勉強した。
この龍田街道は古い町並みが残っている、、、はずだがいまやポツンポツンと古い建物が残るのみ。
このあたりはすっかり新興住宅地になってしまって、、、、
似たような建て売りが並ぶ普通の土地になってしまった。正面の松林は法隆寺参道である。
柿食えば、、、の風情は残念ながらもうないなあ。
慈光院〜石州ゆかりの庭園・茶室〜大和郡山 - 2020.12.27 Sun

大和郡山の慈光院、ウン十年ぶりである。
なぜか京都大学に入ってすぐに行った奈良行きの目的地が慈光院だったのだ。なにゆえそこに行くことになったのか、今では全く記憶にない。
当時はお茶の茶の字も知らず、片桐石州?だれそれ?くらいの認識であったが、庭園を眺めながら抹茶をいただいたのだけ、新鮮な体験として覚えている。
掃き清められた朝の参道、帰る頃にはもう落ち葉が散っていたので、毎朝の作務がきちんとされているのだな、と思う。
慈光院は石州自身が、父の菩提を弔うために玉舟宗璠師を開祖に自分の領地内に建てた寺である。この門は茨木門といって、石州の出生地である摂津茨木城(伯父の片桐且元が城主であった)の楼門をもらい受け、書院にあわせて茅葺きとしたとのこと。
書院の屋根が茅葺きというのも珍しい。
しかしながら昔の記憶はほんと、どっかいってるわ。ちゃんとした目で見ていないから記憶にも残らなかったんだね。
玄関の靴べら立てにドングリが!
杓立に飾り火箸が安定するよう小豆をいれるが、これはそのドングリ版。うちもドングリ鹿に喰わすほど(!)とれるので、これ真似してやってみようかな。
広角ではないのが残念、ここからの大和盆地と庭園の眺めの開放的なこと!
しかも寒い朝であったので、だれもいない、文字通り独り占め。
慈光院の拝観料には干菓子と抹茶もふくまれているので、ここの日当たりのいい縁側でお茶をいただく。
お菓子は片桐家の紋菓子である。(違い鷹の羽)
ご住職自らお茶を点てて運んでいただいた。しばしお茶談義、主に昨今の茶の湯のあり方についての色々。お茶をするとき、かつては露地を浄め、屋敷を整え、茶室の準備をしてようやく客を迎えたが、今は点前の順番を覚えることだけが茶道だと誤解している人が多い、というお話しはおおいにうなずけるところである。
その点、慈光院は庭園建物すべてが茶室であると言って良い空間だとのこと。ご住職は利休を深く尊敬されておられる。でも、せっかく奈良出身の珠光がいるので、その方も忘れないでね〜と心でさけんでおいた(^_^;
立ち蹲居と奥に内露地があるようだ。
奥の茶室は高林庵(重文)、二畳台目である。もちろん石州好み。
ここ、なんと亭主床になっていたのね。
素性のはっきりしている茶室の中で、ここは一番古い茶室になるそうだ。
「閑」の扁額がかかるのは同じく茶室であるが、なんと三畳逆勝手なのである。当時は逆勝手といってもそんなに珍しいモノではなく、敷地にあわせて作ったらたまたま炉が左にきた、という感覚であろうか。石州が師事した桑山宗仙の師、道安の好みとも。
本堂からみた閑席
造作はかなりシンプルなので、どちらかといえば、正式の茶会でなく誰かが訪ねてきた折にここで談笑しながら茶をふるまった、、、て感じであろうか。
花頭窓、、、ではなくコチラの窓もかなりシンプル。
窓といえば、昨年秋に行った當麻寺中ノ坊庭園の丸窓席も石州やったなあ。(庭園の香藕園も改修)
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(當麻寺中ノ坊香藕園内丸窓席 2019・11月撮影)
茶室周辺に張り巡らされている築地塀の瓦のうねり
かなり大きい雲板とおぼしき板をぶら下げていたのがとぼけた魚なのがかわいい。
茶室を外から見るとこんな感じ。刀掛けもちゃんとあった。
ここの広い庭園は散歩することができる。躑躅の木らしいが、うまいこと刈り込んでいるなあ。
それにしても広い。落ち葉拾いやら、雑草取りやら(日ごろ自分が苦しんでいる)さぞたいへんな作務であろうと思いやられる。
書院の座敷からも見えた奈良盆地側の蓮池、その向こうはまだ農地であってちょっとした原風景になっている。(このあたりも新興住宅地で宅地開発がかなりすすんでいる)
内露地の枝折り戸のそばに赤く実っていたビナンカヅラ。茶室にほしいなあ。
玄関までの間にりっぱな水屋をみつけたが、これは少し距離があるが高林庵のものであろうか。やっぱり屋敷全体がお茶仕様になっているのがわかる。茶席は、茶室の中だけで完結するものではない、まさしくその通り。
石州は徳川将軍の茶道指南となり、江戸時代を通じて武家の茶の基を築いた人であった。伯父の且元が政治に巻き込まれ不遇な晩年であったことを思えば、甥として片桐の名誉を復活させたといえなくもない。
石州流は皆伝なので諸流派に別れているが、武家茶道として、握りこぶしを脇で付く武士っぽいお辞儀が印象的。あれをみてカッコイイと茶道男子が石州に宗派替えをすることもあると聞くよ(^_^;
宇治縣神社〜藪ノ内の茶事2020歳暮 - 2020.12.25 Fri

茶業との関わりが深く、暗闇の奇祭で有名な宇治縣神社。
ここのところ毎年、ここで薮ノ内の若武者の茶事にお招きいただいているが、今年はコロナのせいで、どうなることかと思ったが、やはりお茶をしたいという思いが強い亭主と客あればこそ、いろいろ心配りをされながら歳暮の茶事の運びとなった。
社務所の露地はきれいに掃き清められ、時節柄七五三参りの祝詞の声も聞こえる。
蹲居にはお湯を用意していただいた。
1年ぶりの縣神社の茶室・棠庵(とうあん)へ。
薮ノ内の燕庵写しではあるが、本歌に遠慮して多生のヴァリエーションがある。
本歌は三畳台目+相伴席であるが、こちらは四畳半台目である。
薮ノ内の霰灰(これ、作るの大変らしい)にもすっかりお馴染みである。角をハマグリ型にするのも。
初座の軸は薮ノ内中興の祖・竹心(五代目)の箴言みたいなもの。雪中の筍云々は孟宗のたとえか?それにしても薮ノ内は竹が好きやな。家元の名前も竹がつくし(^_^; 竹が増えて薮になるから?そういえば本歌の燕庵の茶道口の方立(ほうたて)も珍しい竹なんである。
若武者もかつては雪の中の筍みたいであったが(失礼!)、いまはすっかり若竹になった感あり。
炭のあとは広間に移動して、空気清浄機、SDなどを考慮しての懐石、ここに置かれた手あぶりがコロンとしてかわいい。(おざぶもね)
このご時世ゆえ、手作り懐石も点心風に曲げわっぱに詰め込んで。いつも思うが素材もいいし、料理も上手だ。物相飯(餅米で美味しかった)が筍型なのもまた竹好きやね〜。
にしん蕎麦、蕎麦をみるとああ、もう歳の瀬やなあと思う。
めずらしい真っ黒なこなしのお菓子は、彼の愛用しているアカマさんの特注菓子。冬至のイメージ、天の黄道の上に光るのはシリウス、全天で一番明るい恒星(太陽以外)。それにちなみシリウスの古名「天狼(星)」と銘を。中の柚子餡がよい香り。
ふたたび棠庵にもどって濃茶、薄茶を。燕庵もそうだが、この点前席はお点前の姿をシルエットにしてより美しくみせるのだ。
濃茶はこの秋、ここで行われた薮ノ内家元の口切り献茶の残りを拝領したものとか。市販でないお茶の美味しさはありがたい。
本歌が野村美術館にあるところの抱桶水指(薮ノ内→西本願寺)は特別な意味を持っていて、他流では夏にしかつかわないが、薮ノ内では年がら年中使われるそうだ。
(ここを作った十二代・猗々斎の扁額)
薄茶の茶杓が超長い!のにみんな目を奪われたが、豪快なこの茶杓は白鶴酒造の白鶴美術館を作った7代目嘉納治兵衛・鶴堂の茶杓で「小太刀」。実はこれ「大太刀」との二本差しペアになっていて、その大太刀はさらに長くてデカイのに驚いた。
こんな時勢下、いろいろ気を使っていただきつつ、今年もこちらの茶事へお招きいただいたのがなによりうれしい。そして若き茶人の年を追うごとに成長する姿を見るのがまた楽しみになるのである。(ああ、これが老婆心ってやつかなあ〜)
今年最後の歳暮の茶事 - 2020.12.23 Wed

前日には、めずらしく年内の積雪があった京都、茶事の日にあたったら露地をどうしようかと悩んでいたが、、
当日は好天で寒さもゆるんだ。
庭の敷落ち葉はまだきれいである。よしよし、よき茶事日和。
とはいえ苔は朝はまだ凍っててシャーベット状になっていたw( ̄o ̄)w
玄関はグレゴリオシャントのクリスマスバージョンだが、
テーマは本来は12月19日である宗旦忌にちなんで。
ただし宗旦の道具はなにひとつ持てないので(^_^;周辺から攻めてみた。
好天とは言え、寒さもあるので李朝鉄火鉢を待合に
今年初の手あぶりも登場させる。
夕ざりの初座は花、庭の水仙を経筒に
(煮物椀の蓮根餅)
今年最後の茶事はお客様4人なので、今回は水屋のお手伝いをEさんにたのんだ。お若いけれど、ばりばりの茶道学園卒業生だ。バックはすべて信頼して任せられるのでどれだけ心強かったか。
席入り前にあわただしくばたばたつくる火入れの灰型も、すっかりおまかせしてしまった。
今回も懐石は小皿でちまちま個別におだししたが、コレクションの小物が使えてうれしい。茶碗にはしにくいサイズの高麗の粉青トリオ(粉引、刷毛目、三島)小皿も活躍。
主菓子は今回も、みのり菓子さんにお願いした。宗旦忌なので銀杏餅を、みのり菓子的解釈で、とお願いした。麩の焼きに味噌餡、小窓から銀杏が顔を出す、楽しい美味しいお菓子であった。
ご遠方からの方もおられたので、帰る時間をはかっていつもより早めにしたら、中立で手燭交換するにはまだ明るくてできなかったのがちょっと残念。
でも茶室内は十分暗い。前回まで途中消えしてうまくいかなかった燈火器、コツがわかったので活躍活躍。
釜は阿弥陀堂、炉縁は某寺の古材、どこのかというと「今年もみなさんたくさん柿を召し上がりましたね。柿食えば鐘が鳴るなり、、、」法隆寺!でございます。
濃茶の各服点ての替え茶碗も、水屋さんがいると茶碗を十分あっためて出してもらえるので、とてもスムーズ、ありがたいなあ。
客上手なお客様ばかりでこちらもとてもスムーズに事が運び、お一人人数が増えたにもかかわらず終わってみれば30分も時間短縮できていた。
干菓子は亀廣保さん。
続き薄は、裏千家の次客から飲む、ということになっているが、正客に良い茶碗をまわすには次客正客同じ茶碗でのむことになる(コロナ下ではおすすめできない)。正客から飲んでいただくと次客に替え茶碗もだしやすいので、これからだんだん正客先行に変わっていくのではないかと思う。
今回は由緒あって濃茶に棗、薄茶に雲堂手の替茶器をつかった。茶杓が宗旦、、とはいえないが宗旦四天王の一人のものなので、これで許してもらおう(^_^;
お見送りが近づく躙り口、今回は燈火もすべて水屋さんにおまかせできた。
こちらがそのスーパー水屋のEさん(*^_^*)
ありがとう〜!
お出ましにくい中でのご参席、ありがとうございました。
思えば秋から狂ったように(^_^;8会も茶事をしてしまったが、おわりよければすべてよし、今年の茶事はこれにて終了でございます。
師走雑記2020 - 2020.12.21 Mon
これはちょっと前のお話し。

そういえばまだ楓が紅葉していなかった時のこと、寺町の南の方にもみじの小路という五軒の京町家同時改修プロジェクトの完成オープニングイベントがあった。楓の木はもとからここにあったという樹齢100年の木である。
そう、ここに乙女の一人MSさんの手作り担い茶屋が出張しているというのででかけたのだ。先日ゲストハウス錺屋さんで活躍したあれ!
この日彼女は茶室の方でお茶していたので、担い茶屋の方はW君という茶道男子が担当、なるほど、釜をセットするとこうなるのね。
これは茶室から見た風景。
このもみじの小路はコーヒーハウスや一棟貸しの宿泊施設やコワーキングスペースなどがはいる予定らしい。
その小路のなかにつくった二畳ほどの小さな茶室、本日はここでMSさんのお茶をいただいた。
バーもあって、ここで一杯ラムをいただいたよ。
良い感じの施設になりそうだね。こういうの好き。
うちに新たにお迎えした石杯2つ。
早速茶事に活躍。左は細密画がすてきな渡部味和子さん、右がやさしい色づかいの絵が好きな内田裕子さんの。いずれもご近所の南禅寺畔のうつわやあ花音さんにて。
久しぶりに千本丸太町近くの民藝と古い器カフェFUDANさんへランチ。お腹一杯食べても別腹は、、、
ここでは毎度茶事のお菓子でお世話になっているみのり菓子さんのお菓子がいただけるのだ。この日のコーヒーロールに柚子餡はとってもとっても美味しかった。
コロナが急増している大阪、天王寺。週末はふだんは賑わうが、さすがにこの日は人出が少ない。
夜になると危機的状況を示す赤いライトがともる通天閣である。(太陽の塔の赤いのがもっとこわかったが)
でもここ好きなのよね、大阪市立美術館。
展示は「天平礼賛」
正倉院展の展示物とその周辺といった感じ。
中でも撮影OKであった二月堂焼経。
垂涎の数十行!
エントランスが、今年行けなかった東博にどことなく似ているところも好き。
外には大阪市のシンボルツリー、銀杏も黄色く燃えていた。
骨董古美術の名店が軒を連ねる古門前通り、祗園松むろさんもここにある。この秋、旅立たれた石井まり子さんと最初と、最後から二番目にお目にかかった時にここのお弁当を注文してくださり、一緒に食べたことを思い出す。きっとここの前を通るたびに彼女のことを思い出す。
その古門前にまたすてきなお店を見つけた。いつも和装のすてきな御主人、実は以前古伊万里の専門店を京都アンティークフェアに出されていた方だった。ディスプレーが印象的だったので覚えていたのだが、当時は東京からであったそうだ。京都に店を構えられてからまだ数年、すてきな室礼の中でお茶を点てていただいた。
そして粉引の小皿をお迎え、これもまた茶事で活躍しそう。
1年ぶりの未在さん。予約は1年前(^_^;
Yさんに予約をとっていただいてご一緒したが、彼女はとても健啖、エクストラのデザートまでペロリであったが、私は昼抜きで挑んだにもかかわらず、最後はギブアップ。とてもとても美味しくて、目にも美しく楽しいお料理なんだが。
お店はクリスマスの室礼、こういうご時世ではあるが、大将の石原さんは相変わらずお元気でなにより。お腹一杯といいつつ、来年の予約もして帰るあたり私も懲りないな。
円山公園の奥なのであたりは真っ暗、お見送りの提灯がまた良い感じである。
お料理についていた手描きとおぼしき札は、各人それぞれ違って、光陰矢の如しとか歳暮にちなむ言葉が。私はまもなく迎える冬至に向かって「一陽来復」、世の中もそうあって欲しいと祈るのみ。
滴翠美術館〜名品展2020 - 2020.12.19 Sat

JR芦屋からのおしゃれな町並み、O商店の月釜へ伺った後、せっかく芦屋まで足をのばしたのだから、滴翠美術館へはじめて行ってみようと思う。
芦屋は坂のお屋敷街、JRから登っていくのはけっこうしんどい。阪急芦屋川には近いがそれでも上り坂。一見美術館らしくない建物である。それもそのはず、ここは山口銀行・山口財閥の四代目山口吉郎兵衛の私宅(昭和4年)であったのだ。
美術品収集家でもあった彼のコレクションはその没後(昭和26)遺志を継いだ夫人の手によって、美術館に改造された邸宅で公開される。滴翠は彼の号である。
カルタや人形、羽子板などのコレクターでもあったらしいが、おそらく基本は茶の湯であったと思う。近代数寄者、、としての名前はきかないのだが、その茶道具コレクションの豪華さにちょっとびっくりした。
(邸宅はモダニズム建築の安井武雄設計)
感動的だったのが、利休がその甲に直書きした大棗一双。廬色の漆の上に黒で「いのすけ殿(→少庵)、力(→妻・宗恩)」、それぞれに贈った物であろうが、その時のシチュエーションまで想像できてこれはちょっと感動でふるえる。
さらに利休消息二通
一通は剣中へ宛てたもので
「有る人のあるにまかする茶の湯より なくてぞ出す侘びはおもしろ」の歌あり。
これこそ利休の侘びの真髄を端的に表しているのではないか。
もう一通は3月18日付 ことづてを書いたものだが、その宛先が高山右近、蒲生氏郷、細川三斎、古織、瀬田掃部の綺羅星
利休の竹二重切花入「コノ花」、長次郎の赤楽(全然赤くない)「勾当」はここが所有してたのか。光悦の赤と黒もあるぞ。
あと仁清がたくさんあって、お好みだったのだろうか、細長いペンシル肩衝茶入「しらね」が印象的。
軸では江月和尚の横一行「一華開五葉」に松花堂の蓮の花がまぎれているものはすてきだった。中回しが重厚な刺繍?で豪華だ。
先日覚えたばかりの伝・小野道風の継色紙の現物、初めて見た!山桜の歌であった。
これも最近覚えたところの粘葉装(でっちょうそう:これを分解した表側を筋切、裏側を通切という)伝・藤原佐理の古今集筋切・通切。
茶杓でO先生に滴翠行くならこれを見て、といわれた高山右近の茶杓「御坊へ」
これは茶杓よりもその筒がすごい。竹の根の部分を筒にした物で節有り、ゆがみ有りのワイルドさ。右近って、国を追われてもなお棄教しなかった人、我が道をとことん行くんだな。
砧青磁があると思えば高麗青磁もあり、祥瑞あり、仁清、乾山あり、山口氏は茶道具に関してはオールラウンダーだったんだ。
想像した以上のすごいコレクションにちょっと頭がぼ〜っとするくらいだった。しかも全館にいたのは3〜4人だけというこの贅沢感。アクセスはやや悪いが、行くだけの価値はある。よかった、ほんと!
新しい楽しみ〜御所茶! - 2020.12.16 Wed
朝の御所はすがすがしい。

京都にあってよかったと思うものは鴨川と御所(御苑)なのである。この日も三々五々ご近所の方々が朝のお散歩かワンコのお散歩。
鴨川でお茶する鴨茶はもうすっかり(私の周囲では)広まっているが、新たな楽しみ、御所茶がそれに加わった。
この日御所茶を日ごろから楽しんでいるFさん(高野山でもご一緒した)と乙女のMKさんからお声がけいただき、4人で朝の御所茶をする。
あらかじめアミダくじで、抹茶、葉茶、朝ご飯、お菓子の係りを決めておいて集まった。
集まった途端、みんなテキパキと手際よくモノを広げていく。さすがみんな日ごろお茶で鍛えているだけある。
朝ご飯係のFさんのご飯が豪華すぎてビックリ〜(;゜0゜)
人参葉をいれたおにぎり、出汁巻き、里芋のたいたん、柿にお味噌汁まで!お手製酢味噌がまた美味しくて、腹一杯といいながらみんな食べる食べる。いい人にご飯係当たったわ〜(*^_^*)
煎茶と玉露を用意してくれたTさん、抹茶係りのMKさん、いずれも器まで用意してくれて感謝!
私?はお菓子係り〜。
森の中のお茶会って感じでしょ?
御所もええとこやわ。
葉茶は何煎もだしてもらっていただき、
抹茶も美味しく点ててもらった。(茶碗はmy茶碗 鶴野啓司・作)
朝の少し冷たい空気の中でいただくとさらに美味しいのね。
お菓子は和三盆と、大好きなNewYorkGramacyのシチリア(イタリアのカンノーリを元にしたお菓子)。干菓子ケースはインド製のアルミ筥。
と、デパ地下で前をとおるたび美味しそうやな〜と思っていた鼓月の「紅りんご」を、ほんもののリンゴといっしょに。
御所の紅葉はまだまだいけて、はらりと服の上に楓の葉がおちた。
とりとめもなく話して食べて飲んで、時間が来たらさっと解散、この潔さもまたお茶の心だな。
朝をここですごしたら、1日が気持ちよいものになりそうだ。
また新しい楽しみを見つけてしまった。一人でも数人ででも、またしたいね。
若い茶人たちと歳暮の夕ざり茶事 - 2020.12.14 Mon

歳暮の茶事は晴天
お若い茶人さんたちをお招きして
私の茶事で50%のウエイトをしめる露地の掃除は、、、
もう諦めた!敷紅葉にしよう
散り残った紅葉が他より鮮やか
あとは音をたてて落ちるドングリ拾いも露地掃除の内、茶事の内
枯れ紅葉の中にはらりと鮮やかな散り紅葉もあってはっとする。しみじみとこの季節を楽しむことができてうれしい。
本日のお客様は木津宗詮宗匠のお弟子さん、最近京都移住をついに果たした乙女、そして長い付き合いの若き茶人F君である。ほぼ同年代(私の娘息子世代)の三人がそろって、きっと話も弾んだに違いない。私は若くても彼らに茶人として一目おいている。
さて、微妙な時期ではあるがちょっとクリスマスをイメージして、シャンパンの汲み出しで初っぱなから酔わそうと言う魂胆。
花所望
花台がどっか行って見つからないので我谷盆で代用、折据をひいてもらって花があたったF君にいれてもらう。
床の間飾りのシュールな写真をインスタにシリーズであげている彼は、花に関してはなかなかのものだと常日頃思っている。花は一番力量の差がでるところ、蝋梅の照り葉の葉をばしばし切り取って、西王母と経筒に。さすがや。
懐石中に、空になった酒器がうれしい。木津宗匠は武者小路千家になるので点前の違いをあれこれとチェックするのも楽しい。
主菓子はみのり菓子さんの吉野葛製生姜風味「冴ゆる」
初座の終わりはもう席中が暗くなるので、銀箔をのっけさせてもらった。
後座
今回の客組に決まってから、あったらいいなと思った道具が、もっといい状況で目の前に転がり込んできたのはラッキーであった。道具との出会いは偶然とは言え、念じれば会えるものなのね、、と都合良く解釈しておく。
燈火器もだんだん増えてきた。新しく手に入れた大山求さんのこの燈火器、扱いが本番でもいまいちわからなくて、途中消えになってしまったが、研究の上、次回は良い感じで使えると思う。冬の燈火器はしみじみしていい。
今回も濃茶の各服点て、茶碗がぬくもりにくい季節になったのであれこれ工夫をしているが、もっとスマートな方法がないか検討中。
薄茶の菓子は亀屋良永さんの「雪やこんこん(?)」
その昔、初めてうちの茶事に来たF君が持ってきてくれた、懐かしい全日根さんの安南写し(本歌よりだんぜんいい!)をお出しした。あれから10年近く、若い人ほどどんどん変わっていく。彼も一児の父となった。若いひとたちが良い方向にどんどん発展していくようにと願う。私はもうたぶんあまりかわらない。衰えていくだろうけどまだまだがんばるわ。
お遊びで、薄茶の蓋置にキラキラクリスマス電飾
無事お開きとなり、冬至も近い露地は暗い。
でも若い方々の話を聞いているとなにやらエネルギーがわいてきて、胸の内はほのぼの暖かい。
彼らの茶がこれからまたどう発展するのか、見とどけられるところまで見とどけたいと思う。
開山忌茶会 in 淡路島 2020 - 2020.12.11 Fri
師匠の淡路島のお寺では毎年12月に開山忌茶会をされる。一昨年の亭主は古美術O商店のO先生、昨年は師匠のご母堂であったが仕事でいけず、そして今年はかのタライラマ師である。

毎度いろいろお世話になっている山荘流のY君(君づけでゴメン、娘とほぼ同い年なのでつい、、(^_^;)の車に乗せてもらって瀬戸内海を渡る。
たこ焼き茶事、イタリアン茶事、笠のかわりのタライ、、と有名人のタライラマ師ゆえ、多くのお客様がご参席、お茶友さんもたくさんいらしてた。
私は、この秋にここへお邪魔したのは3回目(!)であるが、この日の紅葉が一番綺麗であった。
ラマ師は藪内流でおられるので、流祖剣中の義理兄であった織部をフューチャーしたお道具組、かつお坊様でいらっしゃるので(時々忘れちゃう(^_^;)鎌倉時代の過去現在因果経の掛け物など、お菓子も散華のようである。
待合の画賛が薮ノ内中興の祖・五代竹心の蘭の花+竹翁(竹心の孫)賛。これには対があって今年2月に拝見した記憶が、、、。対は水仙の画賛であった。「水仙が雪を厭うなら霊草の座を蘭にあけわたさないといけない云々(意訳)」。今回はその軸の代わりに本物の水仙が鉄鉢にすっきり入れられていたのが印象に残る。敷板が西大寺古材、これに憧れて実は私も買っちゃったのだが。
織部シリーズは水指(一見伊賀のような唐犬みたいなフォルム)から始まって織部の茶入、裾広がりでその名も「羽衣」。さらに織部と兄弟弟子であったがかたくなに利休スタイルを守った細川三斎のお庭焼である上野焼の筒茶碗など。
濃茶の主茶碗は、この春私が参加したラマ師のオンライン講座のメインテーマであった奥高麗である。(なかなか奥高麗の定義はむつかしい)次茶碗も雲州蔵帳に同じ手としか思えないものがあるところの刷毛目。各服点ての御茶碗もそれぞれええな〜と思う茶碗のオンパレード、どれだけお蔵が深いのかな。
印象的なのが竹心の茶杓で銘を「人跡半(板)橋霜」
早朝霜のおりた橋に人の足跡があるのを見て、自分がパイオニアと思っていたが、我より先に行く人がいたのだ、という感慨。なるほどな。味わい深い。
お薄はご子息が点ててラマ師はしゃべりに専念されるがそこはお坊様、ほんとにお話しがお上手でついひきこまれ笑いに包まれる。棗が利休の塗師・記三、これもすごいな。
メモ:やつれた竹に似せた鋳物は金盛徳元(江戸時代)
薄茶の茶杓が(失念したが)薮ノ内の歴代の宗匠の若作りであった。それが判明したのが今は亡きI先生(薮ノ内の重鎮で知識の宝庫であった方)が教えて下さったからで、席にはI先生ゆかりの方もいて、しみじみしていると陽気にさそわれた羽虫が乱入。「あ、I先生かも!」という言葉に一同笑うやらしみじみするやら、、、ほんとうに先生が虫に姿を変えて偵察にこられたのかもしれないね。
薄茶もほれぼれする茶碗ばかりだったが、私には大好きな絵唐津の塩笥があたった。実は「お好きでしょう」とご配慮くださったらしく、感謝である。しかも法要から帰ったばかりの師匠にお運びまでしてもらってありがたさこの上ない。
帰る時に、ご母堂が、高谷宗範の孫による30年前の松殿山荘での勉強会の写真を見せて下さって、そこにお祖父様が写っていたY君もうれしかったのではないかと思う。
帰りは海沿いの淡路サンセットロードを文字通りサンセットを見ながらの道を、満ち足りた気持ちで帰ったのであった。
御室八十八ヶ所霊場巡り - 2020.12.09 Wed

御室仁和寺、今日はこの山門を通り過ぎて、、、、
お大師様が見守られる道をいざ!八十八ヶ所霊場巡りに出発!
(仁和寺西門から西進すると入り口見つけやすい)
御室八十八ヶ所霊場は、仁和寺に隣接する成就山をぐるっと登って廻る山道約3kmの間のあちらこちらにこんな感じのお堂が88点在する霊場、「一日で四国八十八ヶ所霊場巡礼と同じ御利益」というのである。
その昔、文政10年(1827)、当時困難であった四国八十八ヶ所への巡礼をもっと楽にみんなにできるようにと、時の仁和寺門跡済仁法親王が四国の各霊場の砂を持ち帰り、仁和寺の裏山に埋めそのうえにお堂を建てたのがはじまりという。
各お堂にはそれぞれ四国の霊場の名前が記されている。
お堂の形はだいたいが同じような感じだが、ちょっと独特の形をしているものなどもあって、お参りするのも楽しい。
10番を過ぎたあたりからだんだん山道になっていくが、けっこうご近所の方がウォーキングがてらおいでだ。左京区で言えば大文字山登山のノリかな。(大文字の方がちょっとキツイ)
それほどキツイ感じではないので、あちこち見て回る余裕がでる。道端に祀られているお地蔵様にもちゃんと前垂れがお供えされている。大切にされているのだな。
お花はホンコンフラワーだけれど、、、と言って、何人がホンコンフラワーって言葉まだ知っているかな、と苦笑い。
バードサンクチュアリでもあって、歩いているといろんな鳥の鳴き声も聞こえる。ちらっと姿を見せてくれることもある。これはじっとこちらを見ていた烏。
時の流れで木の根っこに押しつぶされそうになっているお地蔵様。がんばれ!ファイトッ!と応援をおくる。
だんだん傾斜がきつくなってきたが、ここにもトレイルランナーが。みんな元気やな。
どこのお堂もお掃除用のちりとりがおいてあったり、おりんやささやかなお供え物があるのがゆかしい。ちなみにどのお堂にも一つはお大師様の像が祀られている。それプラス四国のお寺のご本尊のミニチュアコピーとでもいうか。それでもたとえば千手観音はちゃんと千手の像が飾られているのがすごい。
この山もご多分にもれず一昨年の台風で倒木やらお堂大破やらあったようだ。これは31番竹林寺で目下再建中。それでも打ち壊れたまま放置されていないところが救われる。
ここらまでくると眺望がすばらしい。おまけに雲一つない青天。目標となる大文字も比叡山も愛宕山も見えないのでオリエンテーションがつかない!と思っていたらどうやらこれは南向きの眺望らしい。そりゃ大きな山は見えないわな。
立派な常夜灯を供え、大きめのお堂のちょっと格の高そうなのは36番青竜寺。大きいのはお大師様が入唐して密教を恵果和尚に学んだのが青竜寺だったからかなあ。
愛媛の媛ダルマの奉納。昭和時代にはどこの家庭にもお土産でもらったやつがあったはず、ご多分にもれず実家にもあったなあ。しかし青竜寺は伊予じゃなくて土佐なんだが。
おお、落ち葉の道がきれいだ。
この37番岩本寺の天井だけ、格子絵になっていると、ウォーキングの方から教えてもらった。ご本家の四国のお寺の天井が格子絵なのだそうだ。この絵を奉納したのが明治36年になっているから100年はたっている。
珍しい六角形のお堂は41番龍光寺。こういうデザインは誰が決めたのだろう。
ちょっと脇道の逸れたところから愛宕山が見える。緊急事態宣言下で運動不足解消のため大文字登山を繰り返しトレッキングにめざめ、いつか愛宕山に登ってやろうと計画してたが、とうとう今年は実現できなかった。登るとしたらやっぱり来年春かなあ。待ってろよ、愛宕山。
山は落ち葉が盛んで、じっとしていると雨のように枯れ葉がおちてくる。そのカサカサという音も心地良い。
成就山頂上、、、って236mしかないのね。吉田山クラスやな。
ちなみに大文字山は472m。
それでもこの眺望である。南向きだからほんと、さえぎるものがない。真ん中のこんもりした山が双岡。
しかも山の紅葉はまだ健在である。
さて、一番すごい場所にあるのはこの岩盤の上に立つ53番円明寺。あちこちで岩の露出を見たので、成就山は岩山なんだ。
なんと!鎖場まである。しかもここを登らないと次の54番まで行けない。
ただ足に自信がない人用にショートカットルートもあるのでご心配なく。
道には目印のように梵字を刻んだ石標が並んでいるので迷子にはならない。それぞれの梵字にあてはまる仏様がおられるのだが、全然わからないのが残念。
道を降りていくとなんとこんな山の中に池が!
そこを越えるとまあ、なんてきれいな紅葉!まだ残っていた。ここの景色が一番すてきだった。しばしここでたたずむ(←迷子になりかけた)
まだ青い紅葉もある。今年の秋は暖かかったからな。
この65番三角寺のあたりが唯一道がよくわからなくなった場所。順路の矢印が微妙なところを指していたので。後から来た人に道を聞いて事なきを得たが要注意。
奥に行くと成就滝のお不動様がいらして、こっちへ行くと行き止まり。反対へ折れ曲がらないといけなかったのね。
その他、池の向こうにあって橋があるお堂や、
水平軸がずれて壊れかかっているお堂など拝んで、、、
パッと開けた場所に出たらここが結願の88番目大窪寺の薬師如来様。
所要時間は、あちこち寄り道したり迷ったりしたが1時間40分であった。比較的お手頃なトレックキングコースなので、またゆっくり来ようかなと思う。もう何回も巡っているという猛者もいたな。
ここを降りるともう仁和寺の西門が見えてくる。
来年の春には見事に咲くであろう御室桜を五重塔を見送って帰路についた。
乙女たちのお茶遊び〜ゲストハウス錺屋さんで - 2020.12.06 Sun
五条通りに面した町家ゲストハウス錺屋さん。

六神丸の亀田利三郎さんが代々住まわれた数寄をこらしたお宅だったのをリノベして、京都でも草分け的なゲストハウスになっている。
今年の1月、まだコロナ禍がよそごとだったときに、オープンハウスされたので出かけていった。中庭に倉庫?だった建物がDIYで待庵もどきの茶室になっているのを発見、いつかここで茶会をしたいなあと思っていた。
同じ思いをいだいた茶友MSさんと下見にいって、時節柄大寄せは無理だけれど、仲間内でクローズド茶会、お茶遊びをしようではないかと話がまとまる。
それに賛同してくれた(新旧)乙女、総勢五名でそれぞれゆる〜く、好きなお茶と道具を持ち込んでお茶遊びのプランはすぐまとまった。
ゲストハウスがあいている昼間の時間に座敷と茶室をジャックする。
今回釜をはじめ水指、建水、鉄瓶、電熱瓶掛け、ほとんど茶道具は錺屋さんでお借りした。
亭主交代で、座敷か茶室か好きな方を使って好きなお茶を。
せっかくだから花月札をひいて順番をきめる。これがたくまずして実にいいオーダーになった。
座敷の花も軸も錺屋さんがお客様用に準備したものを使わせてもらうう。
トップバッターはEMさん。
座敷で越南(ベトナム)古樹茶をいれた。
樹齢1000年の古樹のお茶はさすがにどっしり、老練な感じだ。茶道具はご持参のもの、なんとなく蓮の花がベトナムっぽい。(台湾製らしいが)
さて、今回乙女達のお茶遊びのお菓子を出張でサーブしてくれたのは、瑠璃菓さん。
以前東寺畔の<サロン間>さんで琥珀のフルコースをいただいてすっかりファンになったのだ。最初の琥珀は苺の生琥珀。苺をとじこめてキラキラ美しく、乙女達さっそく写真撮りまくり。
二席目はわたくし。
茶籠で抹茶を。ここは向切なのでそれで茶箱点前をしようと思うとかなり混乱してしまった。修行がたりません、スミマセン。
御茶碗はそれぞれが持ち込んだmy茶碗。個性が出る。同じ<まさんど窯>の平金ミニ井戸が偶然かぶってしまった。テイストは違うが。
お菓子はニョキニョキのぷるぷるふるえるレモン生琥珀のタワーにクラッシュした生琥珀はピスタチオ、ブルーベリー、バターナッツカボチャ。
器もカトラリーも錺屋さんの什器をお借りする。
美しいお菓子を頬張りながら笑顔とおしゃべりがこぼれる。
三席目は座敷でMKさんの茉莉花茶。
私もご愛用の銀月サロンのジャスミンティーである。花の香りが部屋にほんのり。
ご持参のガラスの杯が、日本家屋の柔らかい光の中でたいそう映えること。みとれてしまった。
それに負けないお菓子は干琥珀
先ほどの生でクラッシュした琥珀を乾燥させたもの。
これもガラスの杯に負けずに光りを透過してきれい。私はブルーベリーがあたった。
四席目は茶室にてFちゃん(一番か二番にお若いアイドル)の正統派抹茶。きれいに点ててくれた。
最後のお菓子は泡雪琥珀チョコ味にアングレーソース。
これこそ出張で現場でサーブしていただく醍醐味やね。美味しかった。
Fちゃんご持参の真盛豆(京菓子司金谷正廣)、これは茶人に人気の歴史のあるお菓子なのだ。大好き。(なんぼでも食べられて危険)
さて、最後にMSさんだが、茶席の入れ替わりの時間を利用して、少しずつ持ち込んだ道具を中庭に展開中。さてさて、なにができるのか。(実は先日別の場所でこれのお披露目見て知っているのだが(^_^;)
そして最後の席はこの担い茶屋〜!で香煎。
乙女組作事部?だけのことはあるDIYの担い茶屋は天板をのばすことによって、幅は広がるし、風炉も釜も仕込めるのだ。すご〜い!!
こまかい決め事をせず、ゆる〜く始めたのにそれぞれ個性豊かにきれいにまとまった。さすが乙女達や。意思疎通、以心伝心ができるチームワークがすてきや!
錺屋さんには本当にお世話になって感謝である。これからも茶室を茶室としてもっと使ってほしいとのことなので、希望者は是非。
瑠璃菓さんも、おつきあいありがとうございました。今後ともよろしく。
お開きになって解散したとき、MSさんは担い茶屋をコンパクトに収納し、カートにのせて颯爽と帰って行った。男前や。
なんだか最後に担い茶屋に全部持ってかれた感があるわ(^_^;
数寄者の茶事へ数寄者正客のご相伴〜岐阜県関市洞戸 - 2020.12.04 Fri
11月は2回も岐阜へお茶事に。(なんてシアワセ)
「茶信」と書かれた茶事の案内状をいただいて、稲穂の米粒一粒一粒丁寧に手描きされたネズミさんの絵を見たときからドキドキがとまらない。(ちなみに御連客様それぞれ違う絵が描かれていたことも判明)ご亭主は子年、今年還暦のお祝い。

中田其中庵さんがお招きされたのにお声がけいただいて京都からご一緒する。
岐阜から、ご子息に車で送っていただき、たどりついたのは関市の洞戸である。
日本料理・須多さん、こちらの立派な茶室にての茶事、もちろん茶懐石もご用意くださる。
待合には鉄斎の小槌とネズミの絵、大黒さんの隠喩。書院に置かれていた真っ黒な大黒さんの木彫があとで円空と聞いてたまげた。
腰掛け待合いからの眺め、良い天気である。築山の正面にあるのが四畳半台目の茶室・一行庵。
迎え付けにてお初にお目にかかるご亭主、岐阜の大きなお酒屋さんの御主人で、明治時代にあった銘柄の銘酒長良泉の復活に一役かわれたとか。(長良泉はすべて岐阜の米、水、酵母、蔵で作られた岐阜のお酒、予約販売のみでとても人気らしい)
ご本業のみならず茶の湯の方でもなかなかの有名数寄者とお聞きする。10代の頃から古美術にご興味があったというから、かなりのスジガネ入り、これはこちらもスジガネ入りの正客・其中庵さんとの数寄対決が面白そうだ。
初座の床には藤原為家の井ノ口切、和漢朗詠集の閑居(僧正遍昭)。昭和3年に断簡とした場所が井ノ口=信長が岐阜と改名する前の地名=であったからだそうだ。なんと場所柄ふさわしいコレクション。
鎹の入った蓋を持ち、鉦鼓の鐶付を持つどっしりとした古芦屋釜に目を奪われる。どでかいヘタの部分まで残っている瓢の炭斗も驚きだが、なにやらポップな色の釜敷きに目が吸い寄せられる。これがお祖父様がかつてアフリカ旅行されたときのお土産の鍋敷きで、表面は細かいビビッドカラーのビーズ。お茶目だ。
灰器が南米マヤの祭器(これも昔お父様?が行かれたときのもの、現在は国外持ち出しできない)で意表をつかれたが、灰匙はまた重厚で、柄のやつれがまた良くて。
冠鶴の御自作の羽根も飾り羽根がとてもおしゃれでステキであった。(私も手作りするが完全に負けてる)さらにビックリはこちらもお手製の座掃き、孔雀のピーちゃんから落ちた羽根で作ったもの、これはヤラレタ。
懐石は須多さんのもの、呉須の向付など器にも凝っていらっしゃる。そして一般ではなかなか手に入りにくい長良泉の濁りをいただく。さすが美味しくてついつい杯をかさねてしまう。
八寸の伊勢エビを見た時にははしたないが、ついつい歓声をあげてしまった。うれしい、美味しい。もちろん八寸のおさかなは其中庵さんのお謡いである。
須多製の紅白きんとんをいただいて中立
餡に栗がはいっているような気がしたのだが、最近食べた中では一番の美味しさ。
後座の床の壁には、、、意表を突く桜(四季桜)と、緑から紅のグラデーションの紅葉、まさに雲錦がリアルに。これを受け止める竹の一重切りのどっしり感。(藤村庸軒の次男・正員の作)
濃茶も各服点てにて。主茶碗の御本呉器、古瀬戸茶入、小堀権十郎の茶杓、頼朝間道の古帛紗、いずれも数寄者のお好み、お眼鏡にかなった名品ぞろい。このあたり数寄者のお好みに個性がでるなあと思う。
其中庵さんとの数寄者会話は時々レベル高すぎて、聞き取れんかった事も多い。まだまだ勉強せねばな。しかしこういうハイレベル会話を聞くのはほんと、勉強になる。
続き薄の干菓子は、なんと長良泉の酒粕で奥様が手作りされたという浮島、これもやみつきになりそうな美味しさで日本酒好きにはたまらない。
煙草盆に載った志野の火入れが垂涎物であった。場所柄、美濃はお隣だものね。
かつて志野ってあんまり好きじゃなかったが、最近いいなと思うようになった。特に鼠志野!もちろん入手などはできないが。(なんで好きかと考えると三島に似てるんや)
薄茶の茶碗もすごいのいっぱい出てきた。
なんといっても宗味(楽二代常慶の兄弟、娘が長次郎の妻といわれる)の黒楽がすごかった。長次郎の黒といってもいい。(おそらく楽工房として宗味も楽作ってたはずだし)
還暦にちなみ、鈍翁出入りであった道具商・横山雲泉が還暦記念に作陶し、鈍翁の箱書きの付く信楽風茶碗は銘が「若返り」であったのも印象的。
最後のお見送りの時に、給仕口に金の小槌と赤い扇をもって現れたご亭主、何をされるかと思えば、小槌を振って福を出し、扇で客の方へ送ってくださいました!まさに子年の大黒様、おめでたくてお茶目すぎて笑えて、とうとう最後までわくわくドキドキの茶事でありました。
一会終わり待合にもどると待合掛けがこんなことに。
一度見た軸はもうお目に掛けない、という心意気は聞いたことはあるが目にしたのは初めて、しかも稲穂をくっつけるという、これは案内状に描かれたネズミが持っていた稲穂ではなかろうか、となんだかうれしくなったのである。最後までなんてスマート!
返りもご子息が送ってくださり、遠く岐阜城と月を眺めながら帰洛いたしました。
お声がけくださった其中庵様、ご一緒していただいた方々にも深く感謝いたします。
二ノ瀬・白龍園 - 2020.12.02 Wed
いよいよ紅葉もフィナーレ、今年はインバウンドがないから、人生初の秋の嵐山へいけるかも!と思ったが、甘かった。やはりこの季節嵐山は人を見に行くようなものになっていた。ほとんど日本人観光客というのが例年と違うが。

ここは惟喬親王伝説があちこちに残る洛北・鞍馬の手前の市原の集落、山の紅葉もきれい。嵐山を諦めた代わりに、というわけではないが、紅葉の隠れ名所、二ノ瀬の白龍園をめざす。現在叡山電鉄は市原より先は土砂崩れで復旧していないので、手前の市原から1kmほど歩く。
叡電の名所でもある紅葉のトンネルも下からみるとこんな感じなのだな。今年はここも見ることはできないけれど。
白龍園に到着。
安養寺山麓にあるこの庭園は京都のアパレルメーカー・アオノの創業者、青野正一氏が昭和37年にこの土地を入手、専門家の手を借りず、社員家族と地元のお手伝いだけで作り上げた庭園なのである。
いきなりの真っ赤な紅葉の大木に出迎えられて感激。
人数制限もされているので、混雑することもなく、ゆっくり楽しめそう。
アップダウンの山のあちこちに点在するそれぞれ名前のついた四阿の一つから。
彩雲亭、鶯亭、福寿亭、龍吟亭、清風亭などなど、これらもすべて社員達がつくりあげたものらしい。釘を使わない工法で手がけたとは、プロはだし。
ここで紅葉を見ながら野点してみたいものだ。
また、ここは現在は苔がとてもきれいに石段や道のあちこちに生えていて、なぜかその合間に竜胆の花が顔を出しているのもかわいらしい。
逆光の紅葉
今年は例年より紅葉が早く、いつもなら最盛期だが少し盛りを過ぎている感じだ。
庭園内のあちこちにある蹲居にはそれぞれ美しく花が生けられていて、
それぞれ目を楽しませてくれる。
創業者の青野氏は、この地が白髪白髭の翁と白蛇伝説がある霊域であると知って(詳細は調べたけれど不明)ここをその霊域にふさわしく整備しようと決心して白龍園を作られたそうだ。
庭園の奥深くには山の御祭神・白鬚大神、八大龍王を祀る祠と大鳥居が立てられ聖域となっている。(ここのみ聖域ゆえ撮影禁止、霊感ほぼゼロの私でもちょっと神聖な空気を感じたよ。)
白龍園の命名はここからきているのだ。
ここにはお正月、お茶の家の人が血眼になってさがして飾る日蔭の蔓がわっさわっさ生えていて感激、持って帰ろうかと思ったよ(^_^;
ヒカゲノカズラってよく観察すると、延びたヒゲは蔦みたいに、小さい根を張りながら成長しているのだね。
眺めていると庭のお手入れをされている方(この方も社員かな〜?)が「茶花に興味があるなら、めずらしい高野箒も咲いていますよ。」と教えてくださった。残念ながら写真は全然ピンボケで没(T^T)
ここからもう少し北へ行くと貴船や鞍馬になる。
あのあたりもすっかり紅葉と落葉がすすんでいることだろう。
四阿にも小さな花が生けられていて、生けた人の心ばえを感じる。
下地窓にからませたカラスウリも絵になる。
最後に訪れた四阿・清風亭は苔が見事。
この景色が好きで、感じ良いな〜と思っているが、実は突き当たりの建物はお便所である(^_^;お便所も景色になる白龍園。
冬が来て散ってしまう前にいっとき燃え上がる、美しき唐紅(からくれない)
降り積もる落ち葉も唐紅に
辞するときには早い陽は傾いて夕刻の影をつくっていた。
道路を隔てた河鹿荘も白龍園の一部といってよい。江戸時代末期の古民家だそうだ。
ここからの眺めもまた美しい。夏にはその名の通り、カジカの声がかしましいのだそうだ。
土間があり、囲炉裏があって、ここでお茶をいただける。窓の外は鞍馬川が流れる。
ここでお善哉をいただき、暖まってまた市原までの道を歩いて帰るとしよう。
(ちなみに市原から二ノ瀬まで京都バスもあります。本数少ないけど)