斑鳩の里を行く - 2020.12.28 Mon
先だって法隆寺の金堂古材の炉縁を使ったので、柿食えば〜鐘が鳴るなり法隆寺、、、行こう!という流れになった。
土産物屋が定休日の曜日に行ったこともあるが、インバウンドを失った参道はほんとうに閑散としていてさびしい。斑鳩は奈良公園を中心とする観光スポットからかなり離れて、アクセスもいいとはいいがたいこともある。本当はこの参道前に古裂を扱うお店があると聞いて、そこにいくのが本来の目的だったのだが、そのお店も事前予約がなければ開けないようで残念。
しかしとにもかくにも世界最古の木造建築群のある、聖徳太子ゆかりの、泣く子も黙る?法隆寺である。この伽藍がかっこいい。同じ聖徳太子でも先行する四天王寺は塔も金堂も講堂も一直線上に並ぶのだ。
中門の金剛力士像
コロナ退散!とでもにらみをきかせておくれよ。
大震災にも一度も倒れなかった建築上すぐれた構造を持つ五重塔。欄干の中国風透かしはまだ大陸の雰囲気を残している印象だ。
薬師寺の塔に比べるとシンプルな水煙
この屋根のうねりが私の大好きな百済観音の曲線を思い出させるのよ。そう、法隆寺にきたらまずはなにがなんでもあの百済観音さま。
今でこそりっぱなお堂にはいられてガラスケースのなかにおられるが、かつてはガラスケースもなくじかに拝むことができたのだ。少しやつれた感じのお堂にひっそりと、でもそこだけ美しさの光りを放つ観音様がいらっしゃったのだ。
(金堂の柱にまとわりつく龍)
優美な曲線を描く体躯、、、とずっと思ってきたが正面から拝むと意外とまっすぐに立たれている。横から見ると腰をすこし突き出した感じが美しいのね。それから天衣の曲線がよりカーブを錯覚させるのだと気づいた。
(飛鳥時代の回廊)
何回も見ているのに拝むたびに新たな発見。ほんと、美しいわ。(うらやましいくらいスリムだし)
どこか朝鮮半島の雰囲気を残しているが、使われた木材の研究によると日本で作られた可能性が高いとのことだが、その来歴不明さも神秘的であれこれ想像する余地があってよい。
(大講堂)
金堂の有名な国宝釈迦三尊像も久しぶりに拝んだ。これも以前は間に無粋な金網なんかなかったと思うがなあ。暗いのでよほど目をこらさないと他の仏像や壁画が見えない。
壮麗な西院伽藍から東へ行くと夢殿を擁する東院伽藍、ああ、夢殿の屋根が見えてきた。(ご覧の通り人がいない、、)
この築地塀に囲まれた道もよい雰囲気で、吹き寄せられた紅葉の落ち葉がまだ残る。
人がいないので、鳥の天下になっていて、あちこちでいろんな鳥の鳴き声を聞いた。目の前を走って行ったオナガ。あのちっこい足で意外と走るの速いのな。
正面から写真を撮ろうとしたらお寺の方が「このはしっこから撮ると昔の千円札の裏の景色が撮れるよ。」と教えてくれた(^_^; 記憶にはあるがいつのお札や?(昭和40年までのやつ)
夢殿の宝珠は現代アートっぽい。これが1300年も前に造られたとは!あまりにおしゃれだ。
時節柄夢殿のお隣の伝法堂(奈良時代・聖武天皇夫人の一人橘氏の邸宅だった)では大掃除中。
そこを東へ抜けるともう中宮寺である。
ところがところが、あの力強い弥勒菩薩半跏思惟像が、天寿国繍帳といっしょに仙台へご出張中であった!
しかもあの池の上にうかんだようなお堂はただいま改修中でこんな感じになっている。だから出張されているのね。
仮御堂ではお前立の写しが飾られていたが、やっぱり本物にはかなわぬ。ここは尼寺ゆえ、寺務所のスタッフもみなさん女性であった。
天寿国繍帳も見られなかったのが残念だったので、かわりといってはなんだが、繍帳の古帛紗をもとめる。龍村の上等なやつで、このお値段はお買い得だ!
散華は中宮寺の名物山吹の花をあしらったもの。もちろん今は枯木だが。
中宮寺を後にして、法隆寺の前にもどって通り過ぎ、西に行くとすぐ藤ノ木古墳がある。
盗掘されていないここの墳墓からは男性二人が眠っていた石棺と、きらびやかな副葬品が発掘され、話題になった。水につかった石棺から金色のびらびらがついた豪華な宝冠や靴がでたニュースに心おどったが、あれはもう30年くらい前の話なのだな。
今はもうないが、ここの上にお寺があって、それがこの墳墓を盗掘から守っていたとのことである。
今ではご近所さんの憩いの場となっている。被葬者男性二人のうち一人は殺害された可能性があり、一体誰なのか、いろんな推測がなされたのもロマンよね〜。
さらに西、奈良と大阪をむすぶ龍田街道に立つ龍田神社がある。
なんとでかい境内のクスノキ
聖徳太子が寺を建立しようとこのあたりに良い土地を探していたとき、白髪の老人(龍田明神の化身)があらわれ、斑鳩の地をすすめ、そこに立ったのが法隆寺、という伝承があり、法隆寺の鎮守の社である。
境内に「金剛流発祥之地」の碑がある。
大和猿楽四座の1つ、坂戸座(後の金剛流)は法隆寺に属していたので、なるほどこのあたりが発祥の地になるわけだ。ひとつ勉強した。
この龍田街道は古い町並みが残っている、、、はずだがいまやポツンポツンと古い建物が残るのみ。
このあたりはすっかり新興住宅地になってしまって、、、、
似たような建て売りが並ぶ普通の土地になってしまった。正面の松林は法隆寺参道である。
柿食えば、、、の風情は残念ながらもうないなあ。