スアン(XUAN)と茂庵(もあん)〜北白川・吉田あたり散歩 - 2021.01.30 Sat

学生時代からおなじみの場所、北白川。
京大農学部より少し東、今出川通りから斜め北に道が分かれる場所がある。これはここに昔からあるお地蔵さん。なんでここだけ斜めなんやろ、と思っていたが、これはかつて西近江に到る重要な街道で、ずっとすすむと(すごいカーブでたいへんな)いわゆる山中越えにつながっている。(ちなみに起点は荒神口になるらしい。京大キャンパスで道は分断されている)
この道をみちなりに東北へ進むと琵琶湖疏水(白川疏水)にぶつかる。この疏水はやがて銀閣寺〜哲学の道に通じる。
疏水べりで黒猫発見。排泄中失礼ね!と怒っているようで(^_^;ごめんごめん。
そんな疏水のほど近く、ベトナムフレンチのお店XUAN(スアン)へランチをいただきに。
アプローチに埋め込まれた陶器片、ついつい安南がないかさがすという、、、(^_^;
お昼時はいっぱいで予約とれず、少し時間をずらしていくと独り占め状態で、コロナのご時世でもあるしこれはありがたい。
「11の食を楽しむセット」というのを頼む。まずはベトナムのお茶と言えばこのイメージの蓮茶(lotus tea)
ベトナム料理といえば、まず生春巻きが連想されるが、でましたでました、生春巻き、しかも中にはぶっといもやしがぎっちりで、食感とてもいい。上賀茂の無農薬農家さんと提携したお野菜がたっぷり使われている。揚げ春巻きも美味しかった。右上の蓮の葉で包んで蒸したベトナム粽も珍しい。
2種のデザートのひとつを野菜サラダに代えてもらう。上にのっている白いのはグリーンパパイヤなんだそうだ。そういえば「青いパパイアの香り」なんてベトナム映画あったな。
10年ほど前、ハノイ周辺を旅した。ベトナム戦争リアル知ってる世代だが、印象としては飯が美味い!雑貨がかわいい!だった。
バッチャン焼きの窯元へも行って、これに似た模様の茶碗をもとめ「いちおう安南、、、(^_^;」と。
さて、お野菜が多くてヘルシーなんだがちょっと物足りないと思っていたら、最後にこのフォーでかるく裏切られる。スープが私好みで絶品。お腹もいっぱいに。中華よりあっさり、韓国やタイみたいに辛くなく、でもしっかりアジアの味。
デザートについてくるお茶はベトナムで採れた茶葉を発酵させた黒茶である。プーアルほどくせがなく飲みやすい。
ごちそうさまのあとは今出川通りを西へもどって吉田山(105m)越えで帰ろう。
吉田山三角点では正面に大文字を眺める。ここから見た、昨年の非常事態下の点火(五点点火)は忘れられない。今年はどうなるのか。
途中茂庵があるので、久々に行ってみた。
以前は人気で、待合室で待ち時間をつぶさないといけないことが多かったが、ラッキー、私の他おひとりだけであった。
窓は大文字ビューと市中を見下ろすビューがあって、今回は見晴らしのよいこの席で。ゆっくり読書でも、と思ったが急にお客さんが増えて賑やかになったので撤収。
吉田神社を横目で見ながら、下山。このあたり学生時代、子育て京都時代からの懐かしい場所である。規模縮小ながら吉田の節分祭も近いなあ。
吉田山の東麓あたりにあって、行こうと思っても場所がよくわからず、なかなかたどり着けないのに、思いがけないときにひょっこりでくわす竹中稲荷さん。狐に化かされているのかなあ。
先になにがあるかわくわくさせる道ではないか。こんな道が縦横無尽にはしっている京都も好き。(時々行き止まりもあるよ)
睦月茶会二件〜薮ノ内若武者宅とホテルエミオン・茶瑠 - 2021.01.27 Wed

縣神社で昨年歳暮の茶事をしてくれた薮ノ内の若武者宅にて、お茶しませんかというご案内をうれしくもうける。点心は手作り、白味噌雑煮に刻み葱がたっぷりがおもいがけず美味しく、葱もありだな、と思う。ちなみに向付はいつも自主稽古いっしょにしている陶芸家のA君へ特注したものだとか。
小皿でお酒のアテをいただきながら、このご時世とてお酒もそれぞれ独酌徳利で。この徳利のかわいらしいサイズがわかるだろうか。0.8合サイズ、白井半七の吉兆好み(箱から見るに、料亭吉兆のオーダー品なのかもしれない)昼飲みにはこのくらいがちょうど良い分量だ。
お菓子はつくねの中に鶯色のずんだ餡、つくねの味が強いので、先に餡をほじって味わって、という注文付き。たしかにずんだはほんのり淡い味わい。
お菓子の後は薄茶をいただく。
本格的茶事ではなく、こんな気軽な席も楽しいなあ。御連客も気心のしれた仲で共通の知人(陶芸家A君(^_^;)もいて。
(なんてきれいな泡!)
こんなに精力的にお茶をするのは、自転車じゃないけれど廻っていないと倒れそうになるのと同じだろうか。熱いなあ。そして人と話をしたいのだって。うん、そうだね。こんな時だからよけいに。私もとりとめのない話なのに、ずいぶん元気をもらった。
その足で、徒歩圏内のホテル・エミオン内に昨年出来たばかりの淡交社肝いりの数寄屋茶室を体験できる茶瑠(CHALYU)へ。実はここの店長というかチーフというかが、知り合いの茶人さんなのである。
こちらは入ってすぐのオープンな二畳小間。
うまいこと彼女がいてくれて、四畳半の茶室にとおしてもらえ、ラッキーであった。
準備ができるまで、淡交社の数寄屋建築部(?)の方の建築のお話しを聞く。ビルの中に作るにあたって、色々なご苦労があったみたいだ。
建築にあたって、そこは淡交社、良い材を使っているわけだが、本来木造建築はビル内に作れないそうで、鉄骨の体裁をとるために、それぞれの木材に鉄芯をすべていれてあるのだそうだ。これは驚き。それぞれの木材に鉄骨が入っていると思うと味わい深い。特に曲線の部分なんかね。むつかしいだろうなあ。
ちゃんと腰掛け待合いもあり、躙り口体験もできる。
一見ほんものの苔?と思ったが、ビル内は乾燥が激しいので不可、かわりによく見ないと見分けのつかないくらいよくできた化繊の苔を。竹の四つ目垣も乾燥のためぴし〜っと音をたてて割れるそうな(^_^;たいへんだ。でもそれを補ってあまりある良い茶席になっているところはさすが。
四畳半の茶席に入って一番びっくりしたのは天井。スプリンクラーがついているのはこれは致し方ないとして、この白いでこぼこは何??
天井板の裏へ漆喰を流して、板のすきまから垂れてきたのをそのまま意匠にした「漆喰垂れ」という技法なんだそうだが、初めて見た。しかも調べてもあまりでてこないので、これは貴重な見物だわよ。
たまたま残っていたという(ラッキー重なる)老松さんのきんとん「蝋梅」をいただいて、、
店長のMさんに薄茶をよばれる。学園卒のお点前はさすがにきれいだ。店長に就任してまずした仕事が、大金(?!)を持って、京焼作家さんのところへ行ってそれぞれの季節の御茶碗をそろえることだったそうだ。これはうらやましい。
最後にお見送りまでありがとうございました〜!
黄色い手水〜上賀茂神社と粟田神社 - 2021.01.25 Mon
先日卯杖がまだ飾ってやしないかと出かけた上賀茂神社。

洛中はチラホラくらいだったが、このあたりまで来ると雪の粒が大きい。
まあね、15日過ぎてたし、卯杖はもうどこにもなかったよ。
本殿の入り口上に、毎年違うバージョンで飾られる宝船はなんとか拝めたが。(〜節分まで飾られるそうだ)上賀茂の農民が藁で細工したものを奉納したのが起源とか。
それよりこの橘手水には感動したよ。お正月バージョンだそうだ。
静岡の戸田(へだ)森林組合奉納と書かれていたが、なぜ橘なのか?そこらへんはよくわからない。非時香菓(ときじくのかくのこのみ)だから、菓祖神社にあったらよさそうね。
水はこの上賀茂に豊かに湧く神山湧水(こうやまゆうすい)
その神山湧水でいれたコーヒー(社務所横)を飲もうと思ったが、案の定コロナでお休み中。
ならの小川の水の豊かさ。上賀茂は水の神社だね。
社家の前を流れる水。梅の花は未だし。
水路は曲がって、追いかけるのは終わりになる、ここの景色が一番好きだ。右手の大きなクスノキはこれをご神体とする藤木神社のもの。
さて、さっきの橘手水を見て、私が真っ先に思い出したのがご近所、粟田神社の、、、
アヒルちゃん手水だ!
左京区在住であるが、ここはご近所ながら東山区、でも真夏にはビヤガーデンもでるし、秋には剣鉾もでるし、夜渡り神事(れいけん祭)もあるし、準氏子のつもりでいたのに、いつのまにこんなことになったのか、しらなかったわ!
この朝は寒くて手水の水も凍って、動けなくなっているアヒルちゃん多数。ひっくりがえっている子も。なんでもコロナで手水を止めたところ、さびしいからと氏子の方々が持ってきたアヒルがだんだん増えて、、、ということらしい。コロナのおかげでできた新しい名所?
たしかに冬ざれた景色に黃色は元気をくれる。
それぞれのアヒルがなにかをしゃべっているようで飽きない。
ここは小高いので平安神宮の鳥居とか、美術館の屋根とかよくみえる。
いつのまにか宝物殿?ができており、粟田焼発祥之地らしく、古い粟田焼とか剣鉾などが展示されている。今年は10月の大祭、あるかなあ、、、。
三条通りをはさんだお向かいにはコロッケで有名な荒井亭(精肉屋さん)や謡曲「小鍛冶」の合槌稲荷とか、このあたり散歩するにはなかなか楽しい場所である。美味しいショコラトリエのHISASHIさんもあるよ。
粟田神社の氏子の結束は固い。東山区は特にそんな感じ。青蓮院も粟田地区になる。
このあたりで、鹿の角の菊座までリアルに表現した神鹿の石像を見たが、どこにあるか探してみてね!
芳心会・木村宗慎さんのコロナ下初点2021 - 2021.01.23 Sat
コロナにて初釜がほぼほぼ全滅の中、木村宗慎さんの芳心会の初点、お社中だけで内々にされると聞いていたので、今年は無理だろうな〜と残念に思っていたが、有り難いことにもぐりこませていただけることになり感謝感謝である。(芳心会昨年の初釜)
ちなみにご説明の必要はないと思われるが、宗慎さんは書籍化された「一日一菓」で有名、21歳の時からお弟子さんをとっていた、というスジガネ入りの茶人さんなのである。毎年どうやって手に入れられたのだろう???(値段だけのはなしでなく、どうやって邂逅されたのか?)と思うようなすごいお道具がこれでもか、とでてくるのでとても楽しみなのだ。
場所はいつもの大徳寺総見院である。
ただし、今回は感染防止のため色々ご苦労されつつ配慮いただき、点心はなし、広間にて濃茶、薄茶をいただく初点となった。
今回のテーマは丑年→牛と言えば天神さん→天神さんといえば梅に追い松(老松)、、がちりばめられ、とても全部とらえきれないくらいであった。
待合では酒井抱一の宝船図、ただしのっているお宝がすべて抱一の落款種々である。毎年点心席に飾られる晩白柚(ばんぺいゆ・大型の柑橘)はこちらに。大神神社で新春に授与される福寿草の鉢も。
りっぱなヒカゲノカズラだが、上にちょっと乗っているのは上賀茂神社の卯杖(うづえ・初の卯の日の神事使われるがミニチュアを拝領できる)
いつも濃茶席になる広間が香煎席になっていて、お弟子さんが釜のお湯で香煎をいれてくれる。今年は桜湯であった。この席の軸は松花堂と沢庵和尚コラボの梅の木。天神さんやもんね、飛び梅を連想しつつ、床の上に蒔絵の箱に入った尉の能面。謡曲「老松」でつかわれる面だが、秀吉に天下一の称号をもらった能面師・是閑の物だとか。敷物が慶長小袖みたいで美しい。
伝説に寄れば、道真公の愛した庭木の梅は、あるじの左遷に従って一夜のうちに太宰府までたどりつき、松は摂津の板宿(神戸市須磨区)で力尽き、桜はあるじとの別れを聞いただけで、悲しくて枯れてしまったという。(そう言えば、今日の香煎は桜でしたね、とお弟子さんの後付け解説(^_^;)
炭道具に淡々斎好みの糸釜敷きを発見、これを使うのは薮ノ内だけじゃないんだ。供覧の茶杓は玄々斎「子の日の松(?)」、これには宗慎さんご出身の伊予・宇和島藩主の、子の日の曳き松の歌が添えられ、高原杓庵の箱付き。(ここらへん聞き間違いもあるやしれぬが)
楽の「むきみかん」というそのまんまのむいた蜜柑の形の香合がかわいらしかった。「この中で一番貴重なお道具です。」とお弟子さんが言われた灰器は、、、みんななんやろなんやろ?と首をかしげる。、、、宗慎さんご自身が、休雪さんとこで手づくねされた灰器であった(^_^;(テストピースだったらしいが)
こちらでいただいたお菓子は嘯月さんに細かく注文指図の上つくってもらったというきんとん(芳心会の留め菓子とでも言おうか)、「老松」のイメージで中は常磐色の餡、茶色のきんとんの上にふんわり雪のイメージの白い細いきんとん、その上に小豆が3つのっているという手の込んだものであった。
いつもは点心席になる大広間にて宗慎さんの濃茶席
軸が「天満天神 亀千代丸六歳」
亀千代丸は後の仙台藩四代伊達綱村の幼名なのだそうだ(伊達騒動の時の藩主)。どこでこんなとんでもない物に出会われるかなあ〜(゚д゚!)6歳が書いたといえば、なるほどとも思い、禅僧が書いた、といえばそうも思える不思議な軸である。
毎年宗慎さんの花をとても楽しみにしている。今年はなんと1mほどの高い鶴首を床に置き、枝1本だけの結び柳に椿。枝1本の結び柳の存在感、これいいなあ。枝が多ければいいってものではないのだと、目からウロコ。
(留袖を本問着仕立てにした着物)
蒔絵の棚がわりの箪笥は、加賀前田家殿様の野遊び用とか。前田家の紋である剣梅鉢(加賀梅鉢・藩祖の利家は道真公の血を引いていると公言していたらしい)、秀吉から拝領した菊紋などがちりばめられ、中に入っているのが仁清の瓢水指。これの薄さときたら!さすが轆轤の名手。
古天明の霰釜に炉縁が桃山から江戸初期ごろの菊の高蒔絵。こんなんよう実際火のそばで使うな〜と感心していたら、すでに塗にヒビがはいっているので、いまさらヒビがひとつふたつ増えたところで価値は変わらないとおっしゃる。太っ腹や。
真塗り棗は仙叟(前田家つながり)在判。
書院床に飾ってあった三玄院天目(仁清)は、よく見るそれと違ってかなり複雑な釉薬の色で見所有り。おそるおそる手にしてひっくりかえすと裏に「三玄」の文字と仁清の印。蓋置は室町の甲冑師金盛徳元のツクバネ。
各服点てで濃茶をねっていただくので、これまたたくさんの御茶碗がでてきてうれしい。
本歌の御本立鶴、ついで木米が写した立鶴、青磁人形手、私が飲んだのは惺入の朱釉薬、ほんまに朱色の楽茶碗、珍しい。一番気になったのが塩笥の渋い色の茶碗。てっきり高麗かとおもったら仁清の印が。(後水尾天皇の切り型?)ほんま仁清は名手やな。
(つるのこ、福徳せんべいの中の金華糖、末富さんの丑絵馬)
薄茶席はお弟子さんが。
恒例の干支の嵯峨面、今年は黒い丑である。軸は一燈の渡唐天神。なんでも一番最初に宗慎さんがお求めになった軸なのだとか(子供の時?)。香合は松浦鎮信旧蔵の平戸焼・台牛。
お菓子が恒例の、宗慎さんご郷里の松山「つるの子」であるが、コロナ下ゆえにそれぞれ別の菓子器に一つずつ。正客には乾山であったが、目がぎらついたのは桃山の葉っぱ型織部と志野の四方鉢!あとで手に取りなでまわしてしまったわ。本来は向付になるべき器やね。私には、永楽の八寸サイズの四方皿に鶴の子一つがぽつん、、という贅沢な器になった。
御茶碗はかわいらしい牛にのった天神さんと梅の絵。12年前の丑年に使われた御茶碗だそうだ。
(お土産にいただいた、つるのこ。昨年もいただき恐縮、でも楽しみにしている)
今年は点心がないので、干菓子をたくさんご用意しました、とのことで、末富さんの麩の焼きとじょうよ、さらに金沢の福徳せんべいがでてきた。この打ち出の小槌型のせんべい、中に金華糖か小さな人形が入っていて、人形がでたら当たり(ガレットデロワみたい)、記念品がもらえるとあって、せえの、で皆で同時に煎餅を割る。残念、はずれの金華糖(^_^;
ちなみに展覧の茶杓の銘が「寒梅」、平棗が「和歌浦」、和歌浦天満宮のつながりで。
一応天神さん、老松つながりを追いかけたつもりだが、聞き落とし、見落としもあるかもしれない、それほどたくさん暗号がちりばめられていて楽しかった♪
しかも最後に、東京の観世流能楽師・川口晃平さんのお謡付き!
もちろんお題は「老松」!
齢をさずくる此の君の 行く末守れと我が神託の 告げを知らする松風も
梅も久しき春こそ めでたけれ
(仕舞を習う人が最初あたりに習うやつ)

(毎年テイストが違う。右下の真塗りが今年の)
今年は無理かと思ったのに、ほんとうにありがたいことであった。こんな時こそいつも通り例年通り変わりませず、のありがたみがわかる。引き出物の天雲の塗の皿(お弟子さんでもある塗師・西村圭功さんの工房の)四枚目も無事そろった(*^_^*)
また来年の日程のご案内もいただいてほくほくして帰りました。
雪の大原〜惟喬親王墓をたずねて - 2021.01.21 Thu
先日京都市内にも雪が積もった。はかないもので午前中にはとけてしまったが、もしかして大原ならまだ残っているかも。
とても車30分で行ける同じ左京区とは思えない景色。
ああ、そうだ、大原へ行くならせっかくだからこの前本で読んだばかりの惟喬親王の墓所を見に行こう。
近江の神官である著者の惟喬親王にまつわる旅行記なのだが、これがまたこまめに伝説のあるところ全国(主に滋賀、洛北)を来訪されているのだ。(「惟喬親王伝説を旅する」(☆) )神社では縁起をひもとき、地元の人に話を聞き、それをまとめた記録である。
三千院などのある観光スポットより少し国道南、それから東の山の方へ向かう。
惟喬親王は「伊勢物語」の82,83段に登場する。業平が仕え、親王の別邸であった渚の院(枚方市)で歌われたのが有名な「世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」である。
文徳天皇の第一皇子でありながら、藤原氏のごり押しで母が藤原である生後8ヶ月の第四皇子(のちの清和天皇)が立太子、天皇の位につくことを断念せざるをえなかった。青年期の無聊を狩猟や和歌を詠むことで慰めたがついに29歳の時に出家、小野の里に隠棲、54歳で薨じられた。
田んぼのなかの道はまだ雪がしっかり積もって、足の下でぎゅっぎゅと音を立てる。寒さはそれほどではないが静かだ。誰も歩いていない。
惟喬親王の名前を気にしだしたのは、洛北のあちこちに親王伝説があるのに気づいたからである。気にはなっていたが散発的な知識しかなかった。最近、上記の本にも登場する方にこの本を紹介してもらってがぜん興味がわいたのだ。
親王伝説は、なぜか京を離れて滋賀県の愛知川一帯(君ヶ畑、蛭谷など)に轆轤挽物の方法を発明し杣人に伝えた木地師祖神というものもある。ほんとうに親王が滋賀に隠棲したのか(藤原氏の放った追っ手から逃れるため、という説も)明確な資料はないらしいが、非常におもしろい。むしろ惟喬親王といえば轆轤挽物を連想する。
いつしか菅公が雷神になったように、当時の人々の中に悲劇の皇子への哀悼の気持ちが生みだした轆轤伝説かもしれない。
山の際、少し登ったところに階段が二つ。右はこの墓を守る小野御霊社(親王は小野に隠棲されたので小野の宮ともよばれた)あたりは杉林で、溶け出した雪が雨のように上からぽたぽた落ちてくる。左の階段を登ったところが親王の墓所である。
墓の場所は諸説あるが、ここは明治9年、宮内庁が親王の墓と定めたところである。
「文徳天皇皇子 惟喬親王御墓」の碑。
父である文徳天皇は親王を特にかわいがり、天皇につけたいと腐心されたがついに藤原氏の勢力には叶わなかったのである。
余談であるが我が愛読書(漫画だけど)「応天の門」にでてくる幼い帝が清和天皇(第4皇子)ね。
ひっそりと杉の林にかこまれて静かにたたずむ五輪塔。そっと手を合わす。
「応天の門」には業平も主要人物としてでてくるが、伊勢物語の83段。業平は比叡山の麓、雪に埋もれた小野の里に出家した親王を訪ねる。そこで昔の思い出話など懐かしくされ、なくなく辞去するのである。
忘れては 夢かとぞ思ふ 思ひきや 雪踏み分けて 君を見むとは
業平が訪ねていった小野の里もこんな雪だったのかなあ。
せっかくここまで来たから、観光ルートの雪景色も見ておこう。
三千院前から勝林院へのゆるい下り坂、この景色が一番好きだな。
額縁庭園の雪の写真をあてこんで、一番奥の宝泉院に行ってみたが、、、、
すでに庭の雪は9割方なくなっていて残念。雪景色とまではいかなかった。和尚さんが、朝方はまだきれいに積もっていて三々五々カメラの人がおいでだったとか。出遅れた。
でもそれなりに人は少ないし(ゼロではない)雰囲気はよいのでしばしここで休憩。
インバウンドが消えて、やっとおちついた京都の冬らしい景色になったと思う。(いい面も悪い面も)ちょっと前までは京都の冬ってこんなもんだった。だから好きなのだ、冬。
石仏に供えられた青竹のすがすがしさ。
お正月のお飾りをしてもらったお地蔵様はまだ雪の中。
2013年の千年響流法要、一昨年は修正会にお邪魔して以来ファンであるところの天台声明道場・魚山勝林院。無住ながら宝泉院さんと実光院さんが管理しておられる。最近NHKで歴史発掘ミステリー「京都 千年蔵」(歴史学者磯田先生出演)の舞台となってちょっとうれしい。
黄金の阿弥陀様に別れを告げ、本堂から雪の境内を見て、同じ左京区ながら、ちっとも雪のかけらも残っていない家に帰ろう。
神戸小さな北野大茶湯〜北野の町を待合に〜 - 2021.01.18 Mon

何年ぶりであろうか、数えたら震災以降、三宮の北には行っていないからかれこれ30年近くぶりだった。神戸北野坂。オリックスにまだイチローがいた時代、ここのある焼肉屋で彼に会える確率が高いなどという話を信じておった頃。
北野坂といえば、異人館であるが、震災で景色が一変した。あれから足を踏み入れていない。
この建物も、もとはパンで有名なフロイントリーブ邸であったそうだが、震災で全壊、後に買い取った神戸市によって移転再建された建物なのだそうだ。
さて、めざすのは風見鶏の家(現・神戸市所有)
ちょっと息が切れる坂の上、異人館・北野のシンボルである。
わあ〜懐かしい。昔は異人館巡りなんてものもしたっけ。
前の円形広場には、さすが国際都市神戸らしい中国の提灯。こんな異人館通りの景色を待合に、茶の湯を一服、まさに北野大茶湯ならぬ北野ミニ?茶湯を。主催は神戸と言えばこの方、タライ・ラマ師である。
ここには実は北野天満宮がある。平清盛が福原遷都した場所はここから近い。その都の鬼門を守るために京都から勧請したとか。ここは風見鶏の館よりさらに高い場所で、このように神戸港を見晴らすことが出来る。日宋貿易を始め、はるか海の彼方へ憧憬をつのらせた清盛公の夢のあと。
さてその茶席は風見鶏の館の前にあるちいさなオムレツのお店風見鶏のタマゴさんである。(北野観光案内所2F)
お店の奥の円形テーブルが茶席。軸代わりの墨絵は横山大観、仏手柑に唐物の青貝香合。これは日宋貿易をおこなった清盛公へのオマージュ。野村得庵のエピソードのある人為的に打ち壊した茶壺を花入れに。(この逸話にまつわる消息が野村美術館にあるのだそうで、もしそろうなら無敵の茶道具やね)
この部屋の入り口を塞ぐ形で点前座が用意されていた。
年末の茶事によばれたときに影で活躍していた蝙蝠の小釜、北野大茶湯にちなんで野点の風情で。柄杓も釜にあわせたミニサイズで楽しい。(ちなみに水指は斑唐津)
紅白きんとんは中身がうぐいす餡でこれも感動。はやくも下萌えやな。なんと太宰府の和菓子屋藤丸さんが出張してこられていて、裏で作られたつくりたてのきんとん、これはなによりのご馳走やった。
でてくる茶碗がみんなミニというか、本来湯飲みであったり、石杯であったりしたものを茶碗に見立てて。これなんか(古唐津)どう見てもお酒飲んでいるようにしか見えない。
ちなみに私は一服目は磁州窯のミニ天目、宋代のものとか。これも清盛公へのオマージュ。うわ〜900年前の茶碗だよ〜。
茶入も古唐津の名品(唐津の本によく載っているそうな)、茶杓はこれからの時勢が、少しでもよい方向へ向くようにという願いがこめられた「恵方」小森松菴・作(大正〜昭和の数寄者、赤星家のゆかりの方)
この茶碗は麦藁手の古唐津、他にもラマ師の茶事に行った時にいつも選んでしまう石杯の鶏龍山やら、青唐津やら、中心軸のずれたところが見所の三島やら、いずれもこれでお酒を飲みたい!とおもってしまう、、、もとい、いずれもお茶が点てられるギリギリサイズの名品揃いであった。
二服目の前に、それぞれ違う味の金平糖がはいった振り出しを。(安南、赤絵、黒唐津?)根来の盆もなかせるが、、、
ご子息の茶碗を運ぶこの盆がすてきすぎて、、
ちなみにこの二服目の茶碗は、ちびだけれど、ちゃんと井戸茶碗なんだよ〜(感激やわ)高台脇の削りから淡い梅花皮まで、それでこのサイズって、よく見つけはったなあ。
ちらちら見て、気になっていた茶巾置の小皿、、、聞いたらなんと、これも日宋貿易へのオマージュ、砧青磁なんだと〜!!雨過天青やあ〜。
小さな茶会でもこんな道具を使えるのはラマ師なればこそ、初春から感動をありがとうございました。懐石はもちろん風見鶏のタマゴさんのカレーオムレツ。美味しいのだが、辛口にしたらほんまに辛くて口から火をふいた。
せっかくなので、帰りに風見鶏の館の中へ。ここも旧トーマス邸であるが、その後所有者が転々とし、現在は神戸市所有。かつてここで少女時代を過ごしたトーマスさんのお嬢さんが、ドイツから80歳を越えて感激の再訪をされて写真もあった。
二階の部屋にこんなポスターを見つけた!
懐かし〜!という時点で歳がばれるわ。昭和52年の朝ドラだったのよ。大正時代にドイツ人のパン職人(フロイントリーブがモデル)と国際結婚をした女性が、神戸にパン屋を根付かせるお話しであったな。
北野坂を下って、、、、あ!!
ジャズ喫茶ソネや!まだ健在やったんや。震災前にたまに行っていたが、たしか震災後はながらくお休みされ、それでそれっきりになっていたが。懐かしい思い出にも会えた北野坂。
ZENBIー鍵善良房ー〜黒田辰秋と鍵善良房 - 2021.01.17 Sun

祗園に新しい名所ができた。以前よりお一人様席の充実度が高くて好きなZEN CAFE(鍵善良房のカフェ)のお向かいである。一日前にオープンしたばかりで早くも参上。
こちらも鍵善さん(くずきり!)のミニミニ美術館、ZENBI ー鍵善良房ーである。
もともと鍵善の先代が作ったアートスペースを改造し、当代が作ったものとか。う〜ん、、前の建物の印象が残っていないがとてもスタイリッシュな建物になっていた。
四条通りに面した鍵善さんの店舗に入ると真っ先に目を惹くのが壁一面の大きさの飾り棚である。またちょっと待つ間にすわる椅子や重厚なテーブル、これすべて人間国宝・黒田辰秋の作品なのだ。学生時代初めて鍵善で母と葛切りを食べたときの独特の葛切り器はもう現在のものになっていたと思うが、昔は辰秋の螺鈿張りの器を使っていたらしい。そういえば昔表のショーウインドウを飾っていた赤い結び紋様のパネルも辰秋のやったんや(展示中)
かくの如く、鍵善さんと黒田辰秋には深い交流があった。昭和初期の12代目当主が当時同世代で、27歳だった辰秋に大飾り棚製作を依頼してからの深い付き合いであったそうだ。辰秋といえば螺鈿、漆芸、だけでなく当時珍しかった木地から自分で作り上げることで有名になった。(当時漆器は木地師、塗師、蒔絵師、、、と分業制であった)
今回、開館記念として、鍵善所有の辰秋の作品がずらっと展示されている。なかなかこれだけまとまって彼の作品を見ることはできないので感激。ポスターにもなった造型の美しさ、斬新さ、朱塗りだけの作品も見応えがある。そして彼の代名詞でもある螺鈿細工、外は真っ黒で中を開けるとびっしり螺鈿が埋め込まれている水指は圧巻。これに水をいれるとどのように浮き上がるのか見て見たいモノである。
(お隣にmuseumショップもあるよ)
それにしてもこれだけのお宝を所有されている鍵善さん、だてに江戸時代からの歴史有る老舗を名のっているわけじゃない。
当代も ZEN CAFE作ったりこの美術館を作ったり、時代に合わせて活躍されている。なにより昨年春の緊急事態宣言下でもずっとお店を開け続けていた気骨、おかげで宣言下でも鍵善さんで美味しい和菓子を買って帰るのが週一の日課になってずいぶん気持ちが晴れた。
というわけで?お向かいのZEN CAFEさんへ、久しぶりに。
大好きなお一人様用スペースで、、、
くつろいで今年初の(?!なぜだか食べる機会がなかった)花びら餅を食す。
ちなみに美術館では、開館記念にミニミニ菊寿糖(鍵善さんの看板干菓子)、いただいた。
E先生の初釜2021〜美素食-meisushi-の点心〜TT舎 - 2021.01.15 Fri

紫野TT舎では玄関先で桶の水が凍っている極寒のここ数日。
年末孫達にお稽古をしてくれたE先生の初釜。このご時世ゆえ、いろいろ配慮していただいたが、そうか、こんなやり方もあるのかと、しなやかなお茶に感動した一会であった。
ただでさえ寒い日本家屋で、しかも換気をうながすため戸をあけはなすから、防寒対策をしてきてね、というお達しに戦々恐々、覚悟してカイロを貼り付けての参席だったが、いやいや、縁側の日なたの暖かさよ。陽射しのありがたさをかみしめる。
軸は「日出乾坤輝」、時まさに自然界はかくの如し。(人間界はちょっとさわがしいが)
時間短縮のため、炭点前は処略するも釜をあげて香のみ焚くスタイル。すでに入れられた初炭はきれいにいこって美しい。昨年池田炭のzoomレクチャーをしてくれたのを思い出す。
点心が運ばれ、蓋をあけたとたんのこのもわもわの湯気!!
寒いときゆえの大ご馳走、思わず皆から歓声があがる。きゃ〜〜〜ヽ(≧∀≦)ノ
(湯気でよく見えないが(^_^;)台湾の精進料理・素食-sushi-
食・造形作家・松永智美さん主催の美素食-meisushi-さんの出張点心。いずれも味は素朴だけれどやわらかいスパイスが効いて美味しい。
猴頭菇(日本名・山伏茸)という白くてふわふわのキノコが、最初鶏肉?イカ?と思うくらいの食感で、あとでキノコと聞いて驚いた。全体は蓮の葉に包まれてほのかに香りが移って、浄化されそうな感じ。
ミニミニ蒸籠に入ったご飯は餅米、人参、椎茸、山芋、ピーナッツとこれも美味しくちょうだいした。
汁のこの実を見た時、「あ!夏草冬虫や!(漢方薬の材料で虫の幼虫からはえるキノコ)」
最近では虫なしに、培養土だけでこのキノコをはやす方法が開発されているそうだ。独特の芳香あり。あと白木耳。味付けはごくごく仄かでほんまに体によさそう。
主菓子は山椒がたっぷりきいた白味噌かけのお餅である。(これ稚児餅や行者餅の味、好きやわ〜♪)
濃茶は島台を使って。
今年あちこちの初釜がいきなりなくなったので、今年初の島台。ただし各服点てにて。こちらでちょっと懐かしい御茶碗にいくつも会えて、これもうれしかったのである。
E先生のきびきびした所作、茶杓をコーンと茶碗で打つ、うん、やっぱ男前やわ(乙女だけれど(^_^;)
結び柳に椿、それからミニミニ餅花。鷹ヶ峰の某料理屋さんの作で、お客さんとして来られていた。これを見て万葉集の家持の歌、「初春の初子(はつね)の今日の玉箒(たまはばき)手に取るからに揺らぐ玉の緒」を思い出した。正倉院展で見た玉箒(箒の枝に小さなガラス玉がいくつもついている)に似ているから。茶杓の銘も「玉簾」できれいにまとまった。
薄茶
干菓子はやっぱり天神さんの丑よね。個装なのはご時世ゆえ。
なるたけ手に触れる機会を減らす、ということで四頭形式で、あらかじめお茶を入れた茶碗に清瓶から湯を注いでもらい、立ったままお茶をたてるスタイル。なるほど〜考えたなあ。
なるたけ会話も減らすということで、思いっきりおしゃべりが出来ないのは残念であるが、この禍去った後には心ゆくまでしゃべりたおしたい。
しかも最後の福引きに最後にひいた残り福で「福」をあてて、木下和美さんの器までゲットしてしまった。これは春から縁起がええわえ。
気も使いつつ、心づくしの一会、堪能した。ほんまに若い人ってすごいなあ、、、
帰り道、年末にチェックしていた今宮神社の手水の下にあったヒカゲノカズラが凍っているのを見て、寒いのを思い出す。
で、年末休みだったあぶり餅やさんで、しっかりあぶり餅、いただくのであった。
新薬師寺修正会2021 - 2021.01.13 Wed
高畑は山辺の道の北の終点あたりになる。この道を歩くのも久しぶり。

何年ぶりになるだろう。国宝がずらっと(ときに蜘蛛の巣もはったりして(^_^;)ガラス無しで近くで見られるところなんて他にはないと思うよ、新薬師寺。光明皇后が聖武天皇の病気平癒を願って立てた寺である。
以前来たときにはのどかな田園風景の中にあったが、いつのまにか目の前の田んぼがつぶされて施設になっていてびっくり!ショックやわ。アクセスがやや不便なのでちょっとした秘境?であったのだがなあ。
1月8日新薬師寺の修正会、初薬師である。関西に寒波到来、蹲居の水も凍る、ものすご〜く寒い日であった。
まずは大好きな国宝十二神将像(奈良時代)を拝む。この像とていつガラスケースにいれられるかワカラナイので、もっとせっせと来るべきか。神将たちは仏敵にたいして憤怒であったり威嚇の表情であるのだが、中には今でも似た人がいるよな、というくらい人間くさい顔をされている方もいて、飽きないのである。往時は極彩色だったらしいが、それが12体並んだところはさぞや壮観であったことだろう。
コロナでお堂の外で拝聴なら可とHPに書かれていたので、寒さは覚悟してきたが、ちゃんと堂内に椅子が準備されていて、しかも参拝客は10数人ということでなんとか凍えずにすんだ、、、、と思ったら甘かった。堂内も寒い。しかも1時間もじっとしていたらさすがに凍えそうであった。
しかしながら法要されるお坊さん達はそれほどぬくぬくの格好ではないのに(頭も寒いやろなあ、、)日ごろの修練のたまものやろな、頭がさがる。
いきなり二月堂修二会で聞く大好きな聲明「散華」から始まってちょっと感激した。
一切大神力 光明熾盛 照十方
摧滅三界魔波旬抜 除苦悩観世音普現
とてもメロディアスなので覚えやすい。それ以外の聲明も鈴の音も、今年は聞けないであろう東大寺修二会のそれと重なって、かわりにこちらできかせていただき、ありがたいありがたい。
ちなみに二月堂は観音悔過であるが、こちらは薬師如来様なので薬師悔過になるため、おそらく聲明の内容は違うと思われるが、そこまで聞き分けることはできなかった。
とても良い声の方がおられて、あれは多分練行衆を毎年務められる上司師ではないかと思う。新薬師寺は東大寺と同じ華厳宗であり、東大寺のお坊さんがこちらに出張してこられていると聞く。こちらのご住職も練行衆として出仕されているので、修二会との似た感じは納得である。
空耳ではないと思うのだが、時々聲明に女声ソプラノくらいの高さの声が混じっているような気がしたのだが。
ああ、それにしても寒かった、、、、
修正会法要を終え、帰っていかれるお坊さんを見送る。
寺務所の前にならんだお坊さん達の草履。
寒さで鼻水たらしながら境内を廻る。あ!池が凍っている、、、
今年の修二会は寒さはどうだろう。最近ずっと暖かくてお籠もりがつらくなかったが、以前はほんとつらいほど寒かった。とりあえず練行衆に一人でもコロナがでたら不退の行法のピンチなので、今年はお堂のまわりには近寄らないようにしないと。
外に出ると小雪が舞っていた。背後の春日山もけぶっている。
二月堂を創建した実忠和尚の歯塔なんてものも、あるのね。がっつり東大寺との関係。
奈良公園から少し離れた高畑の地ゆえ、この鄙びた土塀とか奈良らしい風景が残るが、これもいつまで残るだろうか。
無縁の石仏を集めた一画
さて、寒いから駅まで帰るとしよう。
ちなみに白い点は雪ですわ。
坂道を下って、正面にみえるのは生駒山、寒々しい雪雲も見える。
この参道で以前からお気に入りで、かついつ壊されるか心配していたこの土塀の建物、なんと修理中。ということは壊されないよね、ね?
この参道にもいくつかの新しい建物ができていて、古い景色を変えていたのが残念。
駅に行く途中で以前よく行っていた、あーとさろん宮崎さんの前を通ったので、久しぶりに行ってみる。
おかわりなく、お元気そう。古い町家のサロン内はストーブが焚かれて実に居心地よく、サイフォンコーヒーも美味しくて温まることができた。ここは10年以上前とあまりかわらないのがうれしい。(今の家を建てるにあたり参考にさせてもらった町家なのだ)
その足でご飯代わりにと、ことのまあかりさんで奈良風お雑煮を食す。昨年初めて食べて、奈良って雑煮の餅にきな粉をまぶすんや!!と衝撃をうけたやつである。でも美味しいからいいの。
ドリンクは「むべ」
アケビに似た果実で、その昔、天智天皇が蒲生野に狩りに行った時に出会った子だくさんの老夫婦に長寿の秘訣をきいたところ、霊果を毎日食べているといった果物がこれ。天皇が「むべなるかな(なるほどな)」とおっしゃったのがムベの語源とか。ほんのり甘くてちょっと独特の味であった。
江里佐代子・截金の世界〜美術館「えき」KYOTO - 2021.01.11 Mon

故江里佐代子さんと御主人の仏師・康慧さんの岡崎にあるアトリエの前を通ったら、このポスターを発見。JR京都駅の美術館「えき」でやってる。これは久しぶりに行かねば。
最初に江里先生の作品を見たのはもう8年も前、神戸の香雪美術館までわざわざ出かけたのを思い出す。その後ご縁あって、アトリエ隣接の数寄屋(業躰先生のお宅だった)での茶会にも参席させていただいた。
截金(きりかね)は奈良時代から伝わる伝統装飾技法で、細く切った金箔、銀箔、プラチナ箔を筆と漆を用いて貼っていくもの、かつて仏像や仏画の荘厳に使われた技法。
仏師である夫君の仏像を截金で荘厳するうちに、独自のセンスで仏像以外の截金作品を世に送り出し、人間国宝になられたのが江里佐代子さん。残念ながら10数年前に渡欧中、急逝された。まだ62才の若さであった。
以前、先生の実際の作業の様子を写したTV番組を見たことがあるが、髪の毛よりも細い金箔を筆2本あやつって、下書きもなく目分量で幾何学模様を狂いもなく作っていく様はまさに神業であった。
まあ、こまかい、こまかい。それだけでなく、色漆と組み合わせた一連の彩色毬香合、盒子はほんとうに美しくて、それも手の中にいれて愛玩したくなるような愛らしさ、そのくせまじまじとみつめると正確な幾何学模様の向こうの宇宙につれていかれそうなくらいの奥深さがある。
1本1本の金の糸が見えるだろうか。
のちに小作品だけでなく、壁面装飾や、スクリーン(衝立)などの大きな作品、素材も木材だけでなくガラスやステンレスなどへの試みもされて、デザインもかなりアバンギャルドな感じのものもある。
でもやっぱり私は手に乗るサイズの作品が好きだ。印象に残って、いいな〜と思ったのが「華遊」と名付けられた飾筥。一見蒔絵?かと思うような截金で装飾された小さな小箱の三段重ね、それが四組で卍に組み合わせて、やはり美しく荘厳された取っ手付きの枠にすっぽりおさまって、まるでお雛様の御弁当箱の様な作品。この小箱ひとつひとつに何をいれようか、あれこれ想像までしてしまった。
この細かい超絶技巧にはどれだけの美的センスと、それ以上に辛抱強さを必要とするのだろうか。まさに命を削るような作業だと思われ、先生が早逝されたのもそのせいかもしれない。
江里先生の作品はもう新しいのがでてくることはないが、後を継がれた娘さんや多くのお弟子さん、その方々の作品がこれから世にでていくのを楽しみにしている。できたら一つくらいウチに来ないかな〜。
池干しの広沢池を巡る - 2021.01.08 Fri

のんびりした嵯峨野の風景である。
歴史的景観保存地域なので、この景色はのどかだが、道の反対側は宅地開発が進行中で、昔日の面影はなくなってきた。
いつも水をたたえている広沢池、例年6月の光琳乾山忌茶会が行われる平安郷からその景色がよく見えるが、冬になるとその景色は一変する。池の水を抜いて池干しにはいり、そこは水鳥たちの絶好の餌場となるのだ。駐車できる場所もないので、いつも車窓からちらっと眺めるだけであったが、今年は大覚寺近くに車をとめて1km歩いてやってきたよ。
干潟は取り残された小魚や、泥の中にいる虫などをねらってやってくる野鳥の天国になる。
岸近くの小屋は鯉揚あげの時の基地兼売り場となるらしい(何せ見たことない)が、この日は無人で絶好の餌場になるのかたくさんの水鳥がたむろっていた。
鯉揚げは、池の水を抜き始める12月初めに池の鯉を一ヶ所に集め、他フナやモロコ、エビなどといっしょに販売するという広沢池の風物詩なんだそうだ。(これも一度見てみたい)
鯉の集魚場にたむろする鳥たち。主に白鷺、アオサギ、カイツブリなど。そこでにわかバードウォッチャーになってみる。
白鷺の飛翔
同じく着水寸前
いや、美しいね。
広沢池の起源はこの地で農耕をひろめた渡来人・秦氏のため池といわれる。現在の広沢池は宇多天皇の孫にあたる寛朝僧正がこの地に遍照寺を建立したときに築堤したものである。(遍照寺は近くに場所を移し規模を縮小して現在もある)
調べてみたらこの寛朝僧正は関東の成田不動さんで有名な新勝寺の開山でもあるのね。きっかけは平将門の乱ということで、このあたりにも歴史を感じる。
池の畔では桜の花芽がすでにふくらんでいた。春の開花も見てみたいモノだ。
うち捨てられた感のある貸しボート。そういえば季候の良いときはボートもでてたな。
池の北東と北西には葦の群生があって、掲示板にこの日の翌日葦刈りを行います、と書かれていた。
ここ、普段は水の底を踏みしめる。
ふたたびバードウォッチング
これは鵜だろうか?野鳥の知識がなくてはがゆい。
哲学的思索にふける?白鷺(ほんとうは腹減ったとかしか考えてない、きっと)
池の南西に小さなお社があって、児神社、とある。先ほどの寛朝僧正に侍っていた侍童が僧正の入寂を悲しんで広沢池に身を投げたのをあわれんでお祀りしたという縁起が書かれていた。安産の御利益があるそうだが、もうカンケイナイので手だけ合わせる(^_^;
西側の道を北上すると池に突出した小島があって、橋で渡ることが出来る。遍照寺がまだ広大な境内を有していたとき、ここらに中島があったらしいがその後消滅、明治になって有志の力で再建されたものだそうだ。
ここには千手観音と弁財天が祀られているので観音島、弁天島とも。若い友人がここで月見をしながら一杯やるのが最高だ、と言っていたが、なるほどな〜。確かに東から登る月と池を同時に見ることができる。(これもいつかやってみたい)
そもそも広沢池は月見で古来有名な池だったわ。(大沢池もだけれど)
写るとも月は思わず 写すとも水は想わぬ広沢の池 (後水尾天皇)
部分的に刈られた葦と湖底であったところに出来た新たな川、、、というか用水路から流れ込む水の流れ、、、この風景もなかなかいいなあ。
ちなみにここで初めてウグイスを見た!バードウォッチャーにしてカメラ撮影が趣味というおじさまに教えてもらった。メジロなんかにくらべるとかなり地味なので、教えてもらわないとわからない。たまにカワセミなども来ることもあるそうで、ますますここは鳥の天国だわ。
そのまま北上して西へ逸れ、大覚寺をめざして歩くのはこんなのどかな道である。
広沢池、御室街道、遍照寺の道しるべとともに文徳天皇陵墓のしるべも。現在文徳天皇の第一皇子ながら即位できず洛北で不遇の生涯を送った(伊勢物語にもでてくる)惟喬親王関係の本を読んでいるので、ちょっと食いついてみた(^_^;
1kmばかり歩くと大覚寺の多宝塔が見えてくる。このルートで来るのは初めて。
昨年秋、コロナ下でもなんとかできた観月舟遊びの大沢池もただいま池干し中であった。
年に一度のお茶のおけいこ - 2021.01.06 Wed

これも年末のおはなし。
紫野TT舎にて、孫1号、2号、一年に一度、年末だけE先生のお弟子さんになります。今年で1号は4年目、2号は2年目。
まずは妹の2号から。
昨年までは集中力がなく、後半はお行儀悪くチンタラしていたのがウソみたいにお行儀良く先生のおっしゃることをよく聞いています。
やっぱり成長するんや〜とばあちゃんは感無量。
茶筅はうちに来るたびしょっちゅう振っているので、そこはお手のもの?まあまあ上手に(^_^;点てられました。
4年目のお姉ちゃんの1号は水屋仕事から。
E先生はとてもやさしく御指導くださるので、ふたりとも大好き。
昨年おしえてもらった帛紗捌きは1年でとうに忘れてたけれど、今年改めて教えてもらうと格段の進歩、これもばあちゃんウルウル。
盆点ての8割をなんとかやりおおせました。帰ってからも楽しかったらしく帛紗捌きの復習をしてました。5歳の時から1年毎の写真を先生に送ってもらってみると、その成長が一目でわかり、本当に体も大きくなってお姉ちゃんらしくなったのでまたウルウル、、、(^_^;
1年に一度でもいいのさ。将来お茶ならわなくたっていいのさ。こんなんしてたな、と何かの拍子に思い出してくれれば。思い出の引き出しは多いほど人生は豊かになるからね。
帰りに恒例の今宮さんにお参りにいくも、コロナで今年は重軽石は抱けなかったのと、たくさんある今宮神社はんこシリーズも初詣で準備のためなくなってたのが残念。
(あぶり餅も当然お休み〜)
ばあちゃんは花手水の足元にあった潤沢な量のヒカゲノカズラに思わず感激〜!
やすらい人形
また来年もよろしうお願いします。またひとつ、二人とも成長していると思うしね。
歳の瀬の奈良〜三五夜月釜から二月堂など - 2021.01.04 Mon
ここでまた去年の話にもどってスミマセン(^_^;

朝の奈良三条通り、観光客のメッカなのだが、ご覧の通りの人出である。正面は若草山ね。
昨年最後の三五夜さんの月釜に。
(待合のかわいい銀瓶 これにて生姜湯をいれていただく)
コロナ下で、SDを考慮されて、本来茶室の四畳半が待合になり、待合だった二階の広間が茶席になっていたのだが(私はこの状態しか知らない)今回本来の姿にもどって四畳半が茶席に。茶室マジックとでもいうのか、釜がかかって棚に水指風炉先、これがあるだけで、いままで待合になっていた部屋とは思えない全く別の部屋と感じるのにびっくりする。
濃茶の各服点てはみんなあれこれ工夫がされていて、むしろ楽しめる。
先ほどの待合では香芝在住の万葉創作画家・奥山永見古さんの鹿の絵「夕されば 小倉の山に鳴く鹿は 今夜(こよひ)は鳴かず 寝(いね)にけらしも」の万葉の歌。
それに呼応して風炉先が同じく奥山さんの、人麻呂のかの有名な「ひむがしの のにかぎろひの たつみえて かへりみすれば つきかたぶきぬ」の絵。
(薄茶の干菓子・阿倍野文殊院撤饌菓子 主菓子は栗善哉、んまかった!)
若き軽皇子(草壁皇子の息子にして、後の文武天皇、夭折したため母親の阿閇皇女が元明天皇となる)が阿騎野に狩りに泊まりがけで出かけたときにつきそった人麻呂がよんだ歌とされる。阿騎野は大宇陀あたりで現在はかぎろひの丘万葉公園となっているらしく、庵主はこの風炉先に触発されてここまでおいでだったとか。季節もちょうどこの歌がよまれた陰暦11月17日あたり、寒い時期にしか「かぎろひ」は見られないらしく、ちょうどその日に「かぎろひを見る会」というのも開催されるそうで、万葉ファンならいちどは参加したいもの。
それにしても「炎」を「かぎろひ」と読ませるまでにはすったもんだがあったらしいが、この語感がいいよね、やっぱり。ひと頃は万葉文学少女(?)(^_^;でありましたゆえ。
かぎろひだけでも充分萌え萌えなのに、おまけに奈良豆比古神社までついてきた!
一昨年の10月、奈良豆比古神社の宵宮祭に猿楽の原点ともいえる三人翁の舞を見に行ったのだが、この香合はその神社のコノテガシワ(樹齢1300年、昭和27年に枯死)から作られたもの、翁の原型であるゆえに翁の帯留めの彫り物を添えて。
コノテガシワには、万葉集には珍しく人をそしった歌があって「奈良山の児手柏(このてがしわ)の両面(ふたおも)に かにもかくにも佞人(ねじけひと)の徒(とも)」この歌も箱に添えられていた。コノテガシワの葉っぱの裏と表のように裏表のあるや〜な奴!とよっぽど腹にすえかねることがあったのだろうか。やっぱり万葉集はストレートで面白きこと限りない。
このあとちょっと万葉リバイバルマイブームで以前万葉文化館でもとめた万葉カルタをひっぱりだしてしばし時代をタイムスリップ。ここまで遊ばせてもらえる茶会ってありがたい。やっぱり奈良ってええな〜。
帰り道のお寺さんで、なんだか身にこたえる標語を読んで、
ことのまあかりさんで2021年版奈良旅手帖を今年もゲット。
ネット予約しておいたもちいどのセンター街の人気のほうせき箱さんで、かき氷を、こんな大きいの無理や〜といいながら完食す。冬でも奈良ではかき氷なのだ。ピスタチオソースが美味しい。(ピスタチオはビーガンのクリームだ)
その足で二月堂をめざす。
すっかり草が枯れた若草山、山焼はもうすぐだ。
途中で密になっている鹿をひやかし、
二月堂の石段を踏みしめる。
もう20数年来毎年かかさず修二会にはお堂に籠もってきたが、今年は中へ入れないことになった。練行衆にコロナをうつしたらたいへんなことになるから、これは我慢しなければならない。昨年、なんとかぎりぎりで12日にお堂に籠もれてよかったな。過去帳、走り、香水授与、お水取り、達陀、フルコースで堪能できた。
しかし残念ではある。お松明も12日を中心とする数日、真下で見ることもできない。
そんなこととは関係なしに二月堂からの眺めの美しさには変わりがない。ここでぼ〜っと夕刻をまつのも良い時間である。
かろうじて開いていた茶所。
今年こそ三が日の坊雑券(御お供えをするともらえるお雑煮をここでふるまってくれる券)をゲットするつもりだったのに、それも中止だってさ。
何年もずっと親しく眺めたこの景色
今年も無事修二会がおわることを祈念しよう。
さて、今年は最初の方にお松明だけ見に来ようかな。
謹賀新年2021〜北野天満宮 - 2021.01.02 Sat
謹賀新年と書きながら実は昨年末の北野天満宮であります。

昨年の正月はどんな一年になるのかなにも考えず脳天気にすごしていたのがウソのようである。
例年の歳の瀬と違って、人出は少なく、インバウンドの喧噪もなく静かなので、なにやら正月の準備ももういいかな〜と気合いが入らなかった。
気がついたら注連飾りも根曳松も入手しないままで休みに突入、あわててしまった。そうだ、せめて毎年恒例天神さんの大福梅だけはゲットしないと、、、とあわただしく北野さんへでかける。
境内の梅はすでにほころんでいる木もあって、人間界の喧噪をよそに季節をあやまたず粛々とすすむ自然界である。なんだか尊い。
もしかして売り切れ?かと思っていた大福梅(おおぶくうめ・けっしてだいふくではない)もなんとか拝領できた。境内の梅の実から作って夏には境内中酸っぱい匂いをさせて土用干しされる梅なので、ありがたさこの上ない。
おや、お正月にしか授与されないと思っていた「思いのまま」があるではないか。梅の剪定した一枝に御札と、お米入りの瓢箪をくくりつけたもので、これを水に差しておくとちゃんと時期が来れば梅の花が咲くのだ。以前茶友さんからいただいて咲かせたことがあるが自分で手に入れたことはなかった。
2021年は丑年なので、境内のあちこちに牛のいる天神さんは当たり年といっていいかも。
私がひそかに「ジュノー」と名付けている赤い目の牛である。年末には、12年に一度となるほんものの牛が引き出されて境内を廻ったとニュースで見た。
ここに来たら一応この北野大茶の湯の碑もチェックしておこう。
他にぶらぶら歩きもせずこの日はまっすぐ家に帰る。思いのままを1本携えて。
昨年のコロナの感染拡大は日常から多くの楽しみや習慣を奪った。今年もそう簡単には終息しないと思われるが、猖獗をきわめたスペイン風邪も数年はかかったが、今ではただの風邪のひとつとして細々と生きながらえるのみとなった。どれくらいの時間がかかるかはわからないが、収束はかならず来る、ウイルスとて自然界のものの一つで有る限りは。しかしそれをゆっくり待つほど残りの人生は長くない。制約の中でも、それなりの楽しみをみつけなければ人生の貴重な時間を浪費することになると思いつつ、今年も生きるのだ。