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2021-02

木津宗匠のおくればせ初釜〜西翁院 - 2021.02.27 Sat


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我が家から徒歩圏内の黑谷さんこと金戒光明寺


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塔頭の西翁院は藤村庸軒の淀看席があることで有名だ。学生時代はここで茶会を何回かさせてもらった懐かしい場所でもある。
昨秋淀看席茶会で数寄屋建築の第一人者でもあり茶人でもある飯島先生のお点前で、淀看席にて三人で濃茶をいただいたが、半年もしないうちにまた中へ入れるとは!



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コロナのために例年正月、建仁寺でされる初釜が中止になり、このたび人数を抑えて西翁院にて、木津宗詮宗匠お社中のおくればせ初釜を懸けられた。


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まずは淀看席にいれていただき、ご説明をうける。昨秋の飯島先生のお話しを復習しながらまたゆっくりと宗貞囲いの三畳小間の雰囲気と、淀看窓からはるかに見わたす景色(あべのハルカスは見えるそうだ)を楽しんだ。

洞床に掛けられた細い竹の花入は庸軒の「痩鶴」、西翁院近くの東北院の軒端の梅を一枝、とってこられてさしてある風情がとてもすてきであった。



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(小高い場所にあるのでなんとなく淀まで見えるような、、、、(^_^;?)


学生時代に使わせてもらっていた広間にて宗匠の濃茶をいただく。



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壬生の鶴屋さんの「深山の雪」
松の幹(黄味餡)に常盤の葉に雪がふりかかるさまを表した美しい主菓子。

軸は、澤庵さんの漢詩、釜が宗旦が相国寺に寄贈したという十王釜。棚がいつも武者小路千家の茶席でお目にかかる機会の多い「矢筈棚(官休庵七代直斎好)」である。天板の矢筈になっている板の小口に絹の房のついた紐を巻きつけている優雅なもの。七宝の水指と柄が漆塗の柄杓を使うことがお約束と聞いた。水指の蓋を開けるときはその房を持ち上げて天板にのせる、という所作もおもしろい。

主茶碗は直斎手づくねの赤楽「柿」という小ぶりな茶碗であったが、出された古帛紗が平瀬露香の羽織裏の生地を仕立てたもの、鱗紋のなかなかしゃれた高級そうな生地であるところはさすが。ちなみに露香は官休庵とも木津家とも縁の深い大阪の財閥数寄者である。

杉木普斎の真塗り薬器の茶入もすごかったが、一番印象的だったのがやはり普斎の茶杓「関羽」である。普通の茶杓と櫂先が全然違って、どう見ても関羽の偃月刀にしか見えない形なのだ。よくぞ関羽とつけたり。コロナ退散の願いをこめてのお茶杓であったな。



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薄茶席は、いつも寄付に使っている部屋と本堂の方丈の一画を上手に使って立礼席に。この立礼卓が宗匠設計、お社中の大工さんが製作、炉が切られていて椅子にすわりながら通常の炉のお点前ができるというスグレモノ。炉の中にはIHヒーターが仕込まれ釜がかかっている。陶芸家も庭師さんも社中におられるとは、十職をおかかえになっているようなもの、うらやましいなあ。

御茶碗がそれぞれにたくさんでたので、全部拝見は出来なかったが、得全の、北野天満宮梅天目、デザイン性に富んだ種々の梅の絵がとてもおしゃれだったわ。



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お開きの後、西翁院から徒歩ですぐ、真如堂近くの東北院へ足をのばす。本日の淀看席の梅の花を見に。


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和泉式部ゆかりの軒端の梅(もちろんオリジナルではないが、、)、謡曲「東北」に歌われた梅はこちらでございます。どうっていうことはないけれど、毎年なんだか気になって見に行く。


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点心席がないかわりにお持ち帰りとなった柿傳のおいしいお弁当を帰宅してからいただいたのである。色々とありがたい。



修二会2021〜〜注連縄撒き・結界張り - 2021.02.25 Thu

練行衆社参が終われば、二月堂南東にある飯道社で注連縄撒きが行われる。


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修二会の間、お堂の周辺にはあちこちに行の場として結界が張られる。



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その結界の注連縄をまずは北東の遠敷社で、続いてこちら飯道社でお祓いをするのである。


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そして飯道社の階段から堂童子さんが注連縄を下で待つ童子に放り投げる。そしてキャッチ!
本来ならば、輪注連といって、練行衆を出す塔頭の玄関や、あちこちの石灯籠に巻きつける小さな輪っかの注連縄を撒き、下に落ちたものはひろわず、キャッチしたものをあちこちに掛けにいくのだが、これもコロナ仕様のため、長い張る結界の綱だけであった。
(本来の姿も見たいが、これはこれで、記録に残るだろう)



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受け取った注連縄は堂童子さんの指図で設置される。



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まずは二月堂の欄干の南端に巻きつける。


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下で受け取って階段に結界を張る。


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完成図はこんな感じ。お水取りの時期に参拝に来られる方は目にすることだろう。


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お松明が登ってくる登廊の向こうに、毎年この時期に咲く梅の花が満開だ。


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油量りの時に来た時より数が増えているお松明の竹を眺めながら裏参道へ。



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裏参道の塔頭・中性院の前にも結界を張る。


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表参道(四月堂横)にも結界。


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三月堂の前の石灯籠にはくるりと輪注連を巻きつける。
修二会期間中、あちこち見つけられるので、是非おさがしあれ。

そして満行の14日のお松明の後、14日の行を静かに見守ってきたこの結界は撤収され、参拝者に小さく切って配られるのだ。


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これは4年前の時に拝領した結界の注連縄。


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仏餉屋(ぶっしょうのや)には榊の大きな枝がいくつも搬入されている。これは閼伽井屋を始めとする荘厳結界につかわれるのかな。


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裏参道から、張られたばかりの結界の下を通って帰る。


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帰り道、満開の紅梅を愛でながら、まもなく練行衆の参籠日だなあ、と思いつつ。




修二会2021〜練行衆社参 - 2021.02.23 Tue

(本日はお坊さんの行列の写真ばっかりダラダラ続きます。好きな方にはよろしいが、そうでない方にはスミマセン)



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戒壇堂裏参道

東大寺二月堂修二会の練行衆が別火(潔斎)にはいられるところである。
2月21日は総別火入りする前に、参籠の無事を祈って練行衆が境内に散在する諸堂に参拝する日である。出発はこの戒壇堂。(ちなみに今年は別火の前にコロナ隔離というのもあったそうだ)


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大仏殿西の八幡殿の前で待っていると、今年の和上・狭川普門別当を先頭に練行衆の方々がいらっしゃった。


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それぞれ五条袈裟をつけて平衆は法螺貝を腰につけて。



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八幡殿にご参拝


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続いて大仏殿に向かわれる。



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大仏殿の長い回廊に沿って続く行列は天平時時代もかくやと、、


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大仏殿でお参りをすまされ、二月堂に向かうご一行。

例年の写真を見ていると雪が降っていたり寒々しい景色の中を歩まれているが、この日はなんというか、コートもいらない4月並みの気温で暑いくらい。春風に吹かれて、こんなにのどかな修二会もあるのね、、と。



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二月堂への階段を登られるご一行。売店の方が両手をあわせて拝んではったのが印象的。



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二月堂下の開山堂へ社参


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興成社へ一礼して湯屋へ

湯屋ではこの日「試みの湯」という儀式が行われる。
堂司が、練行衆それぞれに参籠への覚悟を問うという。かすかに声が漏れ聞こえる。
「、、、例年の如くご加行なさりょうずるで候や云々」



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以前なにかの記事でその浴室の写真を見たことがあるが、以外と近代的なお風呂でびっくりした。
練行衆の湯上がりを待つ駆仕、加供さん、、、あ、なにげに鹿もか?(^_^;



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湯上がりの練行衆たち。手に持っている白いのは入浴グッズ(汗取りの晒しの小袖)、これを童子に渡して登回廊へ。


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平衆が法螺貝を吹きながら、お松明が登ってくるところの登回廊を行く。
下駄の音がここちよい。


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お堂の前を通って南の階段をおりていかれる。


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今年は関係者しか見られない12日深夜のお水取りのご一行を彷彿とさせる。


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二月堂真下の興成社前で解散となる。
コロナ下であるが充分用心して無事満行の日を迎えられますように。

この後は注連縄撒き。





粥の茶事〜じないまち・峯風庵 - 2021.02.22 Mon

富田林のじないまち(寺内町)、江戸時代の町並みが残る町にある峯風庵さんを数年ぶりでたずねた。


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駅前から伝統的建築物が並ぶエリアまで、歩くとずいぶん様変わりしている。良い雰囲気の町家だったのが一軒つぶされて三軒くらいのプレハブ住宅になっているのには残念で残念でしかたがなかった。(京都でもよくある話だが)

それでもじないまち中心部にはよい町並みが残っていてほっとする。



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このあたりは伝統的建築群保存地域になっているので、少なくとも外観をいじるにはいろいろ許可が必要になっているから、当分は安泰。


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江戸時代の水路の跡(たぶん、、)も保存されているので、そぞろ歩きしながら江戸の町並みの勉強もできるよ。


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いつのまにか町家を利用したお店も増えていたが、ちょっと色々残念な接客のお店もあって、まあいずれ自然淘汰されるだろうな。


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峯風庵さんはそのじないまちの一角にお住まい、ここに越されて10年はたったという。過去に懐石料理教室や茶事教室でなんどかお邪魔したが、ここのところちょっとご無沙汰していた。



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7年前に、ここで初めて粥の茶事を経験し、とても印象深かった。
今回、粥の茶事の客を募集されている事を知って、久々におたずねした。

お久しぶりにもかかわらず、お元気そうでお茶への情熱は衰えるどころかますます燃え上がっているようで安心。
以前来たときは、愛猫いちご(一期)ちゃんがいたけれど、その後虹の橋を渡り、それから何匹か猫を飼われて、みんな見送ってしまって、今は猫lossの状態なんだそうだ。お互い自分の年令を考えると子猫を飼うのはむつかしいね(猫が生き残る可能性あり)と語り合う。



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粥の茶事は基本的には茶飯釜と同じなのだが、ご飯を炊き上げず、重湯の状態で火からおろし、そのまま時の移ろいとともに三分粥〜五分粥〜全粥になる過程を楽しむ茶事なのだ。

茶飯釜と同じく、火力を上げるため炭をいつもの倍くらい入れて、火吹き竹でさらに火力を上げていく。前来た時に、灰を吹いて灰まみれになるから「別名シンデレラ茶事だね。」と笑ったことを思い出す。


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洗ったお米を釜に投入


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釜を火に掛けるとお粥に合いそうなおかずが出される。お粥ができるまでのお楽しみ。その間に亭主は自分の膳を持ち出し、亭主相伴ができる茶事でもある。



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ぶくぶく吹いてきた。茶飯釜ならまだまだじっと蓋を開けずに待つのだが、粥釜ではここで火からおろしてしまう。


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これでこの釜は粥の釜としてはもう火にかけられることはないのだが、これでどうしてお粥が熟していくのか本当に不思議。



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まずは重湯。
お米はまだアルデンテ状態。でも湯があまくておいしい。



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一献いただいて、懐石をいただいいているうちに二杯目は三分粥。まだ多少アルデンテ。



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開いた炉には鍋をかける。美味しそうな鴨葱!


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五分粥、大徳寺納豆を投入するとまた美味しい。お米はすっかり中まで柔らかく。


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鍋に水菜を投入して取り分けてもらう。自由度の高い楽しい茶事である。



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そしてとうとう全粥。
瑞穂の国に生まれたシアワセをかみしめるひとときであった。この過程を若い人や子供にもみせてやりたいと思う。

茶飯釜は持っていないのだが、まずは土鍋で同じ過程で粥が熟していくか、実験せねばならんな。



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お菓子も峯風庵さんお手製の柚子薯蕷である。縁高ではなく、蒸籠で蒸したて熱々を。この蒸籠、ネズコ蒸籠というらしい。(最近はやった、なんとかの刃の登場人物と同じだからすぐ覚える)



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中立のあとは茶飯釜の上蓋を茶用に代える。これが茶飯釜の真骨頂。

釜には「飢来飯」「渇来茶」と鋳出してあるのがお約束だが、亭主主体で初座は「飯」が亭主側、後座は「茶」が亭主正面になるように置く。



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濃茶は各服点で、いずれも峯風庵さまのお目に叶った御茶碗それぞれでいただく。どこかで見たような井戸写しだな〜と思っていたらやっぱり、信楽のまさんど窯(サラリーマン陶芸家・平金昌人)のだった。


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薄器の平棗の意匠がとてもすてきだった。表は雪輪、蓋をあけると裏に雪華。これは驚くなかれ、峯風庵さんがデザインして誂えたものだったのだ。

干菓子が、利休のお膝元・堺の丸市菓子舗製で、利休愛用の「納屋判」の印と「竹判」の印を写した和三盆。

そういえば、待合の色紙が利休道歌の
「規矩作法守り尽くして破るとも離るるとても本を忘るな」
であった。

茶飯釜も粥の茶事も守・破・離でいえば破調の茶事であるが、それでも茶の本質の部分はかわっていないと峯風庵さんはおっしゃる。
お茶はひとりではできない。ひととき、人と同じ時空をシェアすることでつくりあげるのが茶の湯だとすれば、きっちり教科書通りの茶事も粥の茶事も本質はかわらないのだ、と私もそう思う。


<おまけ>

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時節柄今だけの帯
MOA美術館の本歌の前でならんで写真を撮ったというプレミア?付き(^_^;



コロナ下の油はかり〜修二会2021 - 2021.02.20 Sat

不退の行法東大寺二月堂修二会(お水取り)がいよいよ来月から始まる。昨年はなんとかセーフでお籠もりも出来て、過去帳、お水取り、走り、香水たまわり、達陀、とフルコースかぶりつきで拝見できたが、今年はご存知のように、全日程お堂へは入れない。お松明も真下でみられるのは11日まで。



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そんな中でも修二会の準備は着々と進んでいくのである。参拝は出来ないが、行法はいつもと変わらずおこなわれるであろう。



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18日の観音様の縁日、二月堂では法要と油はかりが行われる。
二月堂南の出仕口に、すでに並んでいる油の一斗缶。修二会の行法の間堂内を照らすお灯明の油を量って壺におさめ、堂内に置いておくのだ。
油は愛知の岡崎の一軒だけが作っていて、東大寺、伊勢神宮、宮中祭祀にしかつかわれないという製法は企業秘密の油である。


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修二会は多くの講社(信者の奉仕団体)に支えられていて、それぞれ役割分担が決まっている。油量りをご奉仕されるのは「百人講」、昨年ありがたくもご縁をいただき、色々参拝の便宜を図っていただいた。
今年は少し早く午前10時前に油はかりの道具箱の搬入。



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今年はイレギュラーで、例年なら油はかりは講社の方々がされるのだが、コロナゆえ、量るのはコロナ隔離されている堂童子さんがされるのだそうだ。記録に残っている少なくとも300年の間、なかった仕儀で初めてのこと、講社の方も戸惑いをかくせない。はたしてどうなるのか。まずは下に紙を敷いて準備を。見守っているのは昨年咒師をつとめられた森本師かな。

ちなみに例年の油はかりは昨年の記事を見てね。



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講社の方が一斗缶の蓋を開けてスタンバイ。


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お堂の中では観音縁日の法要の読経の声がする。しばし聞き入る。
この樽に油を入れて、差してある棒で油の量をはかるのである。
量りとられた油は、二月堂常什の油壺に移していくのだが、壺は全部で3つ、それぞれ一斗(18L)、一斗二升、一斗三升入れるのである。

(<百人講 二月堂>の文字は223世東大寺別当狭川普門師による)



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いよいよ出仕口の戸が開けられる。今回油はかりを初めてすることになった堂童子さん。



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二月堂外陣の様子を垣間見る。


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いよいよ油壺が運び出されるが、監視役の処世界(練行衆の一番若い衆)さんがお手伝いされている!


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本来講社の方がする仕事をこなされる堂童子さん。
まずは油を桶に。


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棒をたてて量を量る。


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慣れないお仕事、監視役の堂司(練行衆四職の一人、偉い人なのよ)もついお手伝いしちゃった、、
ってとこか。すごく珍しい場面を拝見できてある意味うれしい。



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量りとった桶の油を油壺へ。



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これが測定用棒の拡大図。


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堂童子さんと処世界さんで壺を堂内へ運び入れる。
(昨年はここで蓋にこよりで封印がなされた)



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そしてこれを3回くりかえして終了である。


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無事終了のご挨拶。今年も無事堂内を照らしてくれることだろう。


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今回はオブザーバーに徹していた講社の方々。はかり道具一式を箱におさめてひきあげる。


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12日深夜に行われる閼伽井のお水取りのときには、同じようにこの階段をお水取りご一行が下っていくのだ。今年は見られないが。


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二月堂から階段を使って降りる。


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そこにはお松明用の青竹が奉納されていた。



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東大寺の鎮守である手向山八幡宮にも奉納されている青竹を見て、、、


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奈良公園の「鹿密」をひやかしながら、、


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国立博物館の「お水取り」展を見る。
何回も見たことのある展示がほとんどだが、それでも毎回新しい発見もある。展示室に流れていた修二会の各お経のBGMが泣かせる。


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興福寺から東向き商店街に向かう道に、鯛焼きのこたろうさん発見!大量生産せず、一つ一つ型にいれてその場で焼いてくれる。数年前まで京都のご近所(仁王門)にお店があったのが、こんな処に発見するとはラッキー!



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もちもちパリパリの鯛焼きにて、本日の油はかりの旅、終了です。





復曲能「篁」本公演〜観世会館 - 2021.02.18 Thu

京都観世会館は上演が途絶えていた作品を復曲される取り組みをされている。

今回は室町時代に作られながら、室町時代にすでに廃絶した能「篁」の復曲を法政大学の西野名誉教授による監修校訂、型付能楽師シテ方味方玄によって行われ、数百年の時を経て上演された。


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昨年秋、その復曲を小野篁へ捧げるため、六道珍皇寺で謡奉納が行われ、


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曲のクライマックスの部分を、真ん前で拝聴することができた。


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その後コロナが再び蔓延しだして、2月の本公演も直前まで危ぶまれたが、チケットの追加販売なし、という形であらかじめ申し込んだ人のみ鑑賞できるという仕儀にあいなった。というわけで、私はなんとかセーフ。



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小野篁の霊を味方師、後鳥羽院を片山九郎衛門師というダブルシテの贅沢さ、会場には九郎衛門師の姉である井上八千代さんのお姿もあった。

始めに復曲にあたって監修された西野先生の講義。
見所やストーリーの歴史的背景など。一番聞きたかったのは、なぜ「篁」という曲が廃絶してしまったのか。
史実とかけ離れたストーリーが史実を尊重する能楽観と離れて行ってしまった?
シテの篁と、直面(ひためん・面をつけない)で品格を要求される後鳥羽院と、二人の主役級役者がそろわないと上演できない煩雑さ?
などなど、興味深いお話しを聞けた。


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あらかじめ入手していた謡本は、復曲ゆえお馴染みの桧書房の表紙ではなく、シンプルなもの。これがなかったら、ストーリーの半分も追えないと思うくらいむつかしい言葉、漢語などてんこ盛りの詞章。


小野篁は政務能力に長け、なおかつ和歌の才、漢詩の才に長けた人であった。(地獄通い伝説が有名)記録では身長6尺2寸(188cm)の巨漢であり、また反骨の人で当時の嵯峨天皇を揶揄するような漢詩を作って隠岐の島に流される。(百人一首の「わだのはら八十島かけて、、、」はこの時の歌)しかしあまりに有能であったがゆえに2年後にすぐに呼び戻されている。

時代ははるか下って同じく隠岐の島に流され不遇の内にここで亡くなった後鳥羽院。これを直面の九郎衛門さんが演じる。帽子(もうす)に九条(たぶん、、)袈裟の僧形、気品有るお姿。
かつて院に使えた北面の武士が、禁足である隠岐の島に院を慕って渡ろうとする。釣り舟の翁、最初は断るが、ついには武士を隠岐の島にわたし、名前を聞かれて「名字は小野の、、、」とだけ答え、「わたの原 八十島かけて、、」の歌を残して消えていく。

巡り会った主従、院は釣り舟の翁の話を聞いて、それは小野篁の霊であろうと答え、ともに篁の塚へ参って弔いをする。夜になり、塚より鬼形の篁が地獄の官吏としてあらわれ、逆臣をことごとく蹴殺し、地獄に落とし、逆鱗を安んじ奉る、と慰める。
その蹴殺し、地獄落としの所作の舞が一番の見所で、迫力満点、勇壮でキレっキレで胸がすく。さすが味方師。

しかし結論として、この命運にあらがうことはできず、配所のつれづれを慰めるのは天地を動かし鬼神を感ぜしめる歌である、でしめくくられるのである。
(古今集序文:力もいれずして天地を動かし目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、、)

歌や音曲の功徳を説く、というのは能によくある結論なのだが、詞章中に院と親しかった歌人・藤原家隆の名前が出てくるし、篁は和歌の名手でもあったので、あちこちに歌の功徳がちりばめられている感じがしてさらに味わい深かったのである。







またまた大文字山〜2021如月 - 2021.02.17 Wed



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もともと閑散期の2月であるが、この銀閣寺参道はすいてていいわ〜なんてのんきな言葉をひっこめてしまうような悲惨さである。廃業した店も多く、シャッターの閉まった店が続く。はたしてコロナ明けに観光客は帰ってくるのだろうか。


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などと考えつつ銀閣寺ルート大文字山登山道入り口の八神社にお参りして登山開始。


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まあ、登山と言うよりは、幼稚園児も登れるハイキングくらいの高さなんだが、若い頃に比べたらけっこうきつく感じる。来る春に愛宕山登山を敢行するための足慣らし。(愛宕山は大文字の二倍の高さ)


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、、、というわけで途中はすっとばして、「大」の字の要の部分に、はやつきにけり〜♪(ここらへん謡曲のノリで)若干息があがる。
寒い寒い一日であったが、それなりに登山する人もいて、いつも無人ってことはないな。


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さらに「大」の字のてっぺんをめざす。この階段が狭くて急で、下を見ると足がふるえるから、足元しか見ない。見える火床は大の字の横棒の右部分。



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はるか北山は雪模様
比叡のお山も雪をかぶる


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カメラの望遠機能を最大にして、京大の時計台、向こうに鴨川、洛中を眼下におさめながら、、、


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お約束のお薄一服。
ただし、あまりの寒さにお茶もすぐつめたくなる。それでもこんな見晴らしのよい高いところで飲むお茶は格別だ、、、とゆっくりするつもりが、あまりの寒さに早々と撤収を決める。



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落ち葉の上には雪つもってるし、、、



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大師堂にある気温計が「0℃」であったわ。そりゃ寒いわなあ。





コロナ下の・なら瑠璃絵2021 - 2021.02.15 Mon

寒い時期に開催されるなら瑠璃絵、12回目であるが、こちらもご多分にもれずミニマムサイズに規模縮小、それでも開催されるだけありがたいか。
(ちなみにフルバージョンの一昨年の様子、とてもきれいだよ)



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例年なら光りでうめつくされる浮雲園地も、春日野国際フォーラムの前にちょぼちょぼっとオブジェがあるだけで、ほんまにやってるんかな?と心配になったほど。


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国際フォーラムの裏手の青白い光りで埋め尽くされるスペースが圧巻なのであるが、今年は中庭は真っ暗、入ることもかなわない。


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フォーラム入り口。
時間も20時までとしまるのも早い。人の数も数えるほどで、これはこれで奈良公園の夜を独り占め感があってよいのだが。

↓ 参考までに一昨年のフォーラム裏手の公園の画像をあげておく。


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夜店とてないのだが、一軒だけ、フォーラムの入り口に、東大寺参道にある葛の黒川本家の「しあわせココア」だけ販売が。


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チョコ味の葛湯というか、葛湯の食感のチョコというか、ほかほかあったまって美味しい。
(木のスプーンが浮いているこの粘度がわかるかな)


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浮雲園地から東大寺へ向かう。
途中の池の上で、ミストにレーザー光線をあてて、色と形の変化を楽しむレザリアムが。



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見慣れた景色がなんだかアヤシイくも美しい。


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木々の上にあらわれた波紋、なかなか幻想的な光景だ。


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そのレザリアムのすぐそばに東大寺、夜の東大寺は修二会でいつもお馴染み。それでもあたりは暗いから、足元注意しないとこけたり、鎖にひっかかったりするよ。



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夜は迫力をさらに増す運慶の仁王様


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お能も行われる鏡池の中島もライトアップ。しばし見とれる。肉眼ではきれいな鏡面が水面に見えるのだが、カメラでは暗いからどうしてもこの程度。



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例年なら大仏殿の前のこのスペースに五色の光りが踊ったりするのだが、今日は静かにお参り。参拝客も少なく、夜を満喫出。観相窓も開いているので、、、



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毘盧遮那仏のお顔を遠く拝む。



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今年は東大寺友の会の特典をよく利用した。大仏殿の中へフリーパス。石畳の微妙な陰翳も夜でこそ。



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大仏様もそこそこに、大仏殿の隅を守護される四天王が好きなので、、、



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あ、2年前も同じような写真、たくさん撮ってたわ(^_^;


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すでに堂内はお灯明を消しにはいっていて、一つ一つ、上からかぽっとかぶせて消していかはる。これはこれでめったに拝見できない景色を見られたというもの。



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暗闇の中、木の切り株かと思えば就寝中の鹿だったり、鹿と思えば切り株だったり、夜の奈良公園はちょっと異世界っぽい。足元に注意しながら興福寺へ。


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久しぶりに興福寺の東金堂(国宝)をお参り、こちらも夜の方が、たくさんの諸仏がいまにも動き出しそうで良いなあ。



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例年は春日大社まで足を伸ばして、春日参道で夜神楽を見たり、暗さをたくさん楽しめるのだが、今年はこれでおしまい。それはそれで極少人数で楽しめる夜の奈良も味わい深いよ。



百万遍中華激戦区の一盘菜(イーパンツァイ)田中 - 2021.02.14 Sun

東山三条界隈の中華激戦区はだいたい制覇した。
新たなる中華激戦区・百万遍界隈に進出すべし!学生時代のテリトリーなのだが、あの頃は王将とか珉珉くらいしかなかったのに、いつのまにこんなに中華料理店ができていたのだろう。

今回行ったのは、昨年暮れにできたばかりの一盘菜(イーパンツァイ)田中さん。



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百万遍北、御影通りをちょっと西にはいったところ、これは通りに面した有名なバー「探偵」、、、、って行ったことないし、しらなかったのだが(^_^;


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この横の細い路地、というか文化住宅の玄関先というか、入ったところの突き当たり、ちょっと妖しい雰囲気がただようあたりが百万遍文化圏かな。



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ここには昨年まで、中華好きには有名な(私は知らんかった)上海バンドという中華料理店があったのだが、移転にともないそこで働いていた方が現在の一盘菜田中の御主人。



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ランチは点心がメイン。
一盘菜とはone plate dishとでも訳そうか。


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もちろん一杯やれるので、シンハビールで点心あれこれ注文。ピーカンナッツのキャラメリゼをあてにちびちびやっていると、来ました!まずは揚げ春巻き。熱々〜。こちらの料理は広東風がベース。



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そうこうするうちにシュウマイの三色盛り。点心のなかでは一番好きかも知れない。餅米のシュウマイとかかわっていて、中でもピリ辛シュウマイは山椒がほんまにピリリと効いてこれが一番美味かった。



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それから点心と言えばはずせない大根餅〜!
エビの出汁がきいて、ねっとり食感よし。大根餅には少々うるさいが、ここのOKよ(←偉そうに言う)


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ビールもう1本と言いたかったが、まだ行くところがあるので断念。こんどゆっくり夕方に行くのもありかな。(どーせお一人様だからコロナ対策問題ないのよ)
〆はチャーハンでしょう。少し甘めの広東風、しつこさはなくて、もうお腹一杯と言いながらするっと入ってしまう。レタスのぱりぱり感が効いてる。

で、たったこれだけ、美味しい物を食べた、というだけの記事でした(^_^;
緊急事態宣言も出た中で、最良とは言いがたい時期の船出をなさったが、ここはカウンターで一人でも問題なくいただけるし、気に入りましたので是非がんばってくださいませ。(高くはないけど、学生値段ではないけどね)




復興・我谷盆に魅せられて - 2021.02.12 Fri

我谷盆をごぞんじでしょうか。
私は最初その漢字が読めなかった。「わがたぼん」と読みます。最近ではだんだん知名度もあがって、お茶をする人の必須アイテムの一つになりつつある、、、と勝手に思っています。


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かく言う私もいくつかそろえています。右上の黒っぽいのは行李蓋のサイズに注文して作ってもらった煙草盆であります。

我谷盆は栗の木の一枚板をノミで平行に刳って刳ってできる盆で、加賀の山中のはずれの我谷村の生まれです。村の生業は林業、炭焼きが主なもので、雪深い冬の間、日々の暮らしのために端材を利用して作られたのが我谷盆でした。主に自家用であったのでそれほど量産されることなく衰退、さらに1959年、県営我谷ダムの底に村が沈んでしまったため、完全に消滅した工芸でありました。



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その消えた我谷盆に光をあてたのが、かの黒田辰秋だったのです。

「村が水底に姿をかくすのと引更えのように伝統の生命を継いで、新しい栗の木作りの盆の数々が生まれてくる。北陸路の人や文化のそれの如く、口数少なくコツコツと厳しい毎日に立ち向かってゆく。人々の日々のくらしに仕えようとして、それが我谷盆の面目である。」(「我谷盆賛」黒田辰秋)

この話をもちかけられたのが加賀の木工家・林竜人氏(〜平成3年)で、彼の努力で我谷盆は復興するのです。

それから我谷盆復興の種はあちこちで芽吹きましたが、私が我谷盆を知ったのは、数年前のこと、下鴨の川口美術で個展+我谷盆ワークショップを開いていた森口信一さん(長岡京市)を通じてでした。一度それを見て、このざっくりとした素朴な、それでいて緻密さも感じさせる盆の魅力にとりつかれたのです。わび茶の道具にこれほど合う盆があるだろうか。

あちこちで彼の展示を拝見しに行き、お話しもお聞きすることができました。(WSもちょっとだけ参加(^_^;) 彼は黒田辰秋のご子息のお弟子さんであったのですが、20年ほど前から本格的に我谷盆の研究を始め、現在我谷盆の第一人者とよんでいいのではないでしょうか。



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端整すぎる我谷盆も作品としてはあるのですが、私は彫ったあと木材がゆがんできて入ったひびを鎹でエイヤっと留めているようなものが好き。まさに民藝の精神であるところの健康的な用の美であるところが魅力なのではないかと思います。

森口さんは、後継者を育てることにも力をそそいでおられ、我谷盆のふるさと山中、旧我谷村の隣の旧風谷町に、我谷盆木工塾風谷アトリエを創立、塾生達に技術を教えられています。



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昨年末、川口美術でその工房の塾生たちの作品展がおこなわれました。師匠の森口さんも在廊されていました。そして、、、「もし売れんかったらワシが買おうと思っとった。」とおっしゃる塾生さんの作品、家に連れて帰りました(^∇^)(川地遙さんという木工漆芸の作家さんの作品)


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木を楔で割ったときの割れ目そのままのざっくりさ、本来はくっきりした彫り目を、ワザと彫った後彫りつぶしたという独特のテイスト、ウインドウに飾られているのを遠くから見ただけで、これ欲しい!と思った物なのでした。それはどこか大好きな李朝の家具に通じる物があるような気がするのです。






コロナ下の節分祭2021 - 2021.02.10 Wed

今年はいずこも露店でにぎわう節分祭はなく、節分祭そのものを中止した神社もあって、なんともさびしい限りだ。これも記録になるだろうと、コロナ下の節分の様子を残しておこうと思う。

例年は京都の節分は四方参りがトレンド。京都御所の四方の鬼門を守る、吉田神社(北東)、八坂神社(南東)、壬生寺(南西)、北野天満宮(北西)を順にお参りするのだが、今年は岡崎・吉田の近場で廻る。なにしろ最大の節分祭の吉田神社を擁する地区だからね。




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まずは聖護院。
例年は鬼がでてきたり法螺貝の音が響く修験道の節分だが、それもなく比較的静か。午後から護摩焚きはおこなわれるようで、ただしこれも無観客かもしれない。



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京都にいると、通年あちこちで修験道の護摩焚きが見られるので、もうすっかりお馴染みの山伏装束。


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境内の梅の木は2〜3分咲き、猫が何匹か隠れているのをさがすのもお楽しみ。



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聖護院のお向かいの須賀神社、ご存知懸想文売り。ここだけは京都移住前から知っていて、目だけだとイケメンの懸想文売り、というので有名だった。それなりにお年をめされたが、まあまあイケメン(^_^;


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移住以来毎年もとめる懸想文。


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昨年の干支、子(実子雄)さんから丑の千牛さんへの恋文の体裁をとるが、中身は疫病=コロナの事も書いてあって、よんでいて面白い。毎年文面を新たに考えてはるのがやっとわかった。この懸想文は箪笥の底へしのばせる=着物がたまる、、、らしい。

東大路丸太町の熊野神社も節分の時にが夜通し灯りがついてお参りされる人も多いのだが、今年はなにもでていない。節分祭を中止されたもよう。



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そして本丸吉田神社。
学生の時からえらくお世話になっている。一時は氏子であったしな。

ごらんのとおり、例年なら露店がひしめきあっている参道がすかっとしている。
過去撮った写真と比べてね。↓


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追儺式も火炉祭も中止だが、それなりにお参りする人はいらっしゃる。


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火炉祭では古い御札を積み上げているのだが、今年は縮小版のようだ。

例年はコチラ↓

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境内も例年ほど混み混みではない。


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それでも密集を避けるため、本殿の手前に遥拝所的な場所をもうけてあった。


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遠方の茶友のために宝船図も手に入れる。


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節分の時しか中へ入れない、吉田神道本丸の大元宮にはなんとか入れたものの、、、


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いつもはタッチして厄を祓う厄塚には触れない仕儀となっている。


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全国各地津々浦々の(北海道以外)神様を拝んで、両親のいる備前の神々には特に念入りにお参りする。


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摂社のお菓子の神様・田道間守を祀る菓祖神社では、毎年駄菓子と豆茶の接待があるのだが、当然ながらそれもなし。


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田道間守が手に入れたという不老不死の非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)といわれる橘は、それでもたわわに実をつけていた。



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さて、摂社の山蔭神社のお向かいのこの何にもない空き地は例年はなんだったでしょう?

↓(過去の写真)
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そう、河道屋の年越し蕎麦(節分から一夜あけた立春を歳のはじめとする)がでる場所なのよ。
蕎麦食べながらここは地面が坂になってるな、といつも思う場所で、ああ、まじまじと初めてみたな、この場所。


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まあ露店がないのもさっぱりしていいかも、、、と思うが、夜になるとおそらく真っ暗になると思われ、あの露店の灯りの行列が今年は見られないことがやはりさびしいのである。


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戦利品の豆と学生時代から一度も当たったことのない吉田神社の厄除けくじ。今年も当たらないだろうなあ、、、、



節分夕ざりの茶事2021 - 2021.02.07 Sun



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あれがない、これがない、とある道具を1時間もさがしたり、本番になってあわててひっぱりだしたり、、、1月は毎年あれこれいそがしくて、2月が茶事始めになるのだが、そうこうするうちに勘がにぶってしまうのね。


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若干遅ればせながら「節分」をテーマに。
節分のイベントに関しては京都はネタにことかかない。逆に京都以外のお客様にはすこしなじみがないかなと思ったり。

寄付で、京都最大の節分祭をする吉田神社の福枡にのっけたのは、くらたたまえさんのお多福、背景に大津絵の鬼の絵を。



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で、この日はすでに節分もあけて立春になったところなので、待合のいつもの人たち(陶俑)に「立春大吉鏡文字」を持たせたり。


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夕ざりでは後炭をすることが稀なので、あまってしまう輪胴を火鉢に仕込んでみたが、これがなかなか熾らなくて、すぐ消えてしまう。花月の会のR先生は、これを灰に埋め込んだ状態で長持させてはったけど、どういうコツがあるのかな。



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待合の軸は懸想文売り。これがまた京都限定みたいで、、。節分の時に貧乏なお公家さんが顔を隠して梅の枝をかざし懸想文を売ったという。現在これを節分限定で入手できるのが近所の須賀神社さん。中に結び文が入っていて、これも毎年内容が変わり、読むのが楽しみなのである。だれが書いてんのかな〜。

(ちなみにこの日のお客様それぞれにこの懸想文、お土産にいたしました。)



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席入り
なんとかよいお天気で春の陽気であった。



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蹲居を使われるご様子をかげからチラ見。


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懸想文売りの梅の枝じゃありませんが、一枝梅花、華籠にのせて。自然の梅の枝の様子がよい景色をつくってくれた。



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炭点前の灰器はもちろん壬生寺の焙烙。節分の時、これに願いを書いてお寺におさめると春の壬生狂言の時の「焙烙割り」の演目でがらがらガッシャーンっと割ってもらえて願いがかなうとか。(これも当日あわててひっぱりだすまで存在を忘れてた!)



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古染のチビ香合はお正客様が「豆に見えました!」と思いがけない効果。



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今回も懐石は折敷を使わず李朝の小盤を使って。4つそろったもので。



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一番新しくゲットしたのはこれ、姿形が美しい。


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蕪をくりぬいて豆をのっけて豆まきの枡に見立てたが、あまりうまくいかなかったので意図がつたわったかどうか??



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コロナのご時世ゆえ、焼物と強肴はお重でそれぞれに。自家製ローストビーフ、われながらうまかった!ちまちま集めた小さい器も出番いっぱいでかえってうれしい。



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お菓子は毎度おなじみみのり菓子さん誂えの「梅の雪 梅の綿」
中は梅餡、白いのが梅につもった雪なのね。今年雪は少ないままおわりそうだけれど。

前回に引き続き、若きスーパー水屋のEさんをリクルートしたので、どんだけ助かったか。こちらが指示だしする前にテキパキ、火入れの灰型、水うち、草履灯りの用意、炭火のお直しまでやってくれて、どうしよう、楽すぎて、一人じゃもうできないかも〜〜〜(^_^;



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15時席入りだと、膳燭はかろうじてあった方がよいが、後入りの手燭交換にはもう明るすぎる季節になった。
軸は小堀遠州流先代宗匠の「遠仁者疎道 不苦者有智」
”おにわそとふくわうち”
と読ませる。



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今回時代の膳燭台を入手したが、蝋燭を刺す針が尋常でなく太くて長いので、普通の蝋燭では宙に浮いてしまう。思い切って50匁の大きな和蝋燭を買ったものの、燃焼実験の結果、煙い、臭い、で膳燭に向かないことが事前に判明、宙に浮くけど、大きめの普通のカメヤマ蝋燭におちついた。(古い道具は現代と規格があれこれ違うと、勉強になった)




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濃茶は各服点て、高麗ブラザースで。それぞれに古帛紗がいるので、これもあれこれ引っ張り出すのが楽しい。(興福寺銀襴、天寿国繍帳写緞子、ジャワ更紗、志村ふくみ)

ここでもスーパー水屋さんの茶碗温め、替え茶碗差し入れ、の絶妙なタイミングに助けられる。



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薄茶の干菓子は毎度、亀廣保さんの鈴の落雁と有平糖の鈴の緒。
節分も、今年たまたま立春に重なった初午も神社がメインの行事だからね。

薄茶茶碗は国焼シスターズ。もちろん宝船(不志名焼)茶碗も節分要員で登場。

本日のお客様は師匠のお社中と裏千家の偉い先生であった。師匠という共通の話題もあり話もはずむ。今日よかったよ、と(ヤラセでも)師匠に報告しておいてねと念をおしておく(^_^;(^_^;



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お見送りの情景。夕ざりにこれを見るのも好きな時間。
一座建立一期一会ありがとうございました。

コロナのこともあり、行事はことごとく中止、町は閑散として店もしまっていたり、老親と会いに遠出するのもはばかられたり、1月半ばは用事もなくて一日ぼ〜っとする日もあった。そんなとき気分が鬱々となって、これは精神衛生上非常にマズイ、これがコロナ鬱というものか、と思っていたのだが、茶事の趣向を考えたり準備をしてばたばたしている間、そんな鬱気分がいつのまにかふっとんでいたのに気づく。
私は市井のお茶好きに過ぎないが、お茶にずいぶん自分が救われているのだな、と感じた。

私はまだ完全リタイヤしてないけれど、仕事を終えた世代の人に、仕事以外のなにか、茶の湯でなくてなんでもいい、うちこめるものがあるのは救いであり幸せなことだと伝えたい。




海中鳥居〜白鬚神社 - 2021.02.05 Fri



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なにか「(偉大なる)しゅららぼん」(万城目学・著)でも出てきそうな雰囲気の写真になってしまった。

厳島神社に行ってきました、、、、、というのはウソで湖西・高島の白鬚神社である。(ちなみに髭でもなく髯でもなく鬚)
この海中鳥居がパワースポットとて、尋ねる人は多い。神社の縁起によれば創建時(垂仁天皇25年、、、って紀元前5年(^_^;)から海中に鳥居がたっていたという記録があり、後世、、といっても戦前の昭和に縁起に習って篤志家が建てた物なのだ(昭和56年にリニューアル)。

琵琶湖の中に立つ鳥居はまさに湖国らしい。



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この鳥居の正面に、交通量の激しい国道161沿いに白髭神社は建つ。
御祭神は猿田彦命。天孫ニニギノミコトが降臨される際に、天の八衢(やちまた)に立っていて道案内をした、と伝えられ、その容貌はまさしく天狗のイメージ。ここでであったアメノウズメと後に夫婦になったと日本書紀に書かれる。



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先ほども書いたが創建は紀元前、近江最古の神社というが、まあそれだけよくわからんほど古い、、ということ。この拝殿の後にある本殿(写真撮り損ね)が重要文化財になっている慶長年間の建築、秀頼の寄進だそうだ。



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境内は山に沿ってたっているので、少し高いところへ登ると上の宮とよばれる摂社・末社群が並んでいる。


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拝殿奥から見た海中鳥居。車の温度計は0.5度をさして寒いと言うより冷たい。小雪もちらついてきた。


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車を走らせる途中、雪を被った比良山系がとても美しかったが、ここはそれより北になる。


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この寒さにもかかわらず参拝の人は三々五々やってくる。ほとんどがこの海中鳥居目当てみたいだが。
ここに来たきっかけは能の師匠が最近、能「白鬚」を舞われたこと。謡曲のストーリーはまことに単純で、前シテが湖で釣りをする翁、後シテが実は翁は白髭明神でした、というお約束。湖からは竜神が、天からは天女が現れ舞を舞い、治まる天下をことほいで消えてく、、、というストーリー。神社なのにむしろ仏教の功徳を説いているのは、室町という時代のせいか。

さてさてそれにしてもいかにも竜神が出てきそうな湖だ。


、、、竜神は湖水の上に翔つて波を返し

雲を穿ちて大地に別れて飛び去り行けば

明け行く空も白髭の神風、、、、





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琵琶湖は湖ながら軽い満ち干がある。鳥居から神社へ向かう階段、朝はこんな感じであった。


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寒風に耐えて海に浮き沈みする水鳥は、琵琶湖の別名・鳰の湖の鳰(にお・カイツブリの1種)であろうか。



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この時午前10時頃。
朝、日の出の頃は鳥居の方角が東なので、朝日が鳥居の背面から登ってくる様は美しいらしい。早起きするなら、やっぱり夏だな。(冬は寒すぎる〜〜)



節分と宝船図講座 at 京町家ゲストハウス・サロン月と - 2021.02.03 Wed



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ゲストハウスでもありサロンでもあり、またみのり菓子さんのランチも時々食べに行っている熊野神社のところの月とさん。夜は格子戸越の灯りが暖かくてすてきな雰囲気である。
以前からなにかとちょくちょくお邪魔しているが、こちらは月とさんのおじいさま、おばあさま、お父上が住まれていた京町家である。(月とさんは東京生まれの東京育ち)



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ひいおじいさんが証券会社を経営されていたような京都財界の大物だったこともあって、代々受け継がれた美術品コレクションは多岐にわたり、しかも底が知れない。以前も月岡芳年の浮世絵コレクションをじかにみせていただいて感動モノであった。
お若い月とさんには???なものもけっこうあって、宝船の版画や屏風があるんですけれど、これ夏向きの室礼ですかね〜という一文をSNSで見つけて思わず食いついてしまった私。


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実は数年前から参加している京都郷土史の勉強会で、節分の季節になるとやるテーマが節分と宝船なのである(宝船図研究部会?)。主に大正時代、節分ともなれば京都中の寺社が競って宝船の版画を売り出し、人はこれをもとめて、枕の下に敷いて寝た、という。(新年ではなく節分〜立春にかけてやるところが京都らしい。)

こんな習慣があるとはこの勉強会に参加するまで知らなかった。すでに廃れている習慣でもあって、京都の人でも知らない方が多いと思う。それでもいくつかの寺社で節分(あるいは年がら年中)ともなるとこの宝船の版画が手に入る。
それを足とお金を使って、精力的に現存する宝船のコレクションをコンプリートしようもくろんでおられるのが勉強会主宰のN氏である。

月とさんの宝船図を見た途端、月ととN氏の宝船研究会ががっつり結びつき、コロナもあったことから紆余曲折あり、このたびやっとN氏を講師に迎えて、月とさんで宝船図勉強会開催の運びになった。
(ちなみに私は最古の宝船図といわれる五條天神社のをゲットして軸装までして節分に掛けることにしている)


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宝船の前掛けを締めてやる気満々のN氏。

先ほどの屏風は数寄者だったらしい、月とさんのひいおじいさんかおじいさんが集めて屏風におしゃれに表装した特注品で、N氏によるとかなりレアなものもあるそう。この日おもちいただいたレジュメにのせた宝船図の実物があって、実はすごい屏風であることが判明。(もしかしたら月とさん捨てていたかもしれないって!)


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月とさんのお蔵は深いので、勉強会のためにこんな菓子器まで出して下さった。



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で、私は講座の前にちょっとした呈茶をさせていただいた。


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御茶碗は布志名焼のもちろん「宝船」!



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お菓子はみのり菓子さんに特注した「節分」
枡の中に豆の代わりに大豆とゴマを練り込んだ餡入り。


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月とさんのいつもランチをいただく玄関上がったところのサロンは居心地がとてもいい。


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宝船図は千差万別であって、中には版がすり切れて何が描かれているのかよくわからない雑っぽいものから、鉄斎や栖鳳などの有名な日本画家が下絵を描いたものまでピンキリである。また時代によって乗っている物も変わってくる。七福神が乗っている物などは比較的新しく、東京からの流行とのこと。それでも一応基本形はあるようで、レジュメの吉田神社の宝船図と同じ物が屏風にあって感激。



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で、前から疑問に思っていたこのゲジゲジが実は百足であったことを知った。ムカデ=足が多い=おあし(お金)が多いのシャレになっていたのね。



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もうこれになると、ムカデなのかタワシなのかわからなくなってるけど(^_^;
後に写した人が意味もわからず描いたものなんだろうなあ。


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最後にN氏の宝船図コレクションをみなさんに披露、見たことない方、習慣をしらない方もみんな熱心にご覧になってました。

節分と言えば豆をまいて恵方巻きにかぶりつくだけでなく、宝船図ありますか〜?と聞いて集める新しい楽しみ方を覚えていただけたら幸いである。



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月とさんは、とてもすてきなお着物と梅の帯(おばあさまの)をしめてくださり、お茶運びの半東やらなにやらお手伝いいただき、色々と感謝である。
また二階の部屋を見せてもらったN氏が、興奮するくらいいろんなお宝があったそうで、なにかまた郷土史的な勉強会がここでできるといいなと思うのである。






さらば錺屋茶会 - 2021.02.01 Mon



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五条通り烏丸西入るに、高いビルにはさまれて、なんとか生き残っている、絵本の「小さな家」みたいな町家。



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かつて六神丸の漢方を作っていた会社の事務所であった町家ゲストハウスの草分け的錺屋(かざりや)さん。ここにある手作りの茶室を使って、乙女達の茶会をしたのはついこ間だというのに、1月いっぱいで閉店されるとは!


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(薬の事務所であったときの雰囲気を残す玄関。)


なんでもなぜか賃貸契約更新が認められなかったという。



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「舞子さんちのまかない」という漫画のモデルにもなっただいどこ。
宿泊客は思い思いにここでご飯を食べる。
(釜がレンジにのっているのは、おかみさんが茶会用のお湯をわかしてくれているとこ)


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人気のゲストハウスで、おかみさん、スタッフの方、泊まりにこられた数多くのお客さんの思い出が12年間つまっていることだろう。


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お庭もスタッフの方のご丹精。
結局泊まりに来たことはないが、ここに遊びに来たのは都合四回になる。本日四回目にして最後、昨年の乙女茶会のメンバー有志で最後に茶室を使った錺屋サヨナラ茶会をしよう。



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元スタッフの方が材料もヤフオクなどで調達しながら手作りした二畳の茶室。



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なんと偶然、ここが1月いっぱいと知らずに前日お泊まりしていた乙女がたまたまいて(すごい偶然!)、お客さんとして参加。


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総勢6名の茶会となった。


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茶会と言ってもそれぞれが好きなお茶とお菓子を持ち寄って、好きに点てるという自由な茶会、この日は事前打ちあわせもないのに、見事に抹茶、中国茶、コーヒーにわかれた。乙女チームののあうんの呼吸はすばらしい。


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しかもmy茶碗を持ってこいと言わなかったのに、それぞれちゃんと持参、これもすごいなあ。


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私は市川孝さんの「煮茶器」を初使い、アルコールランプで中国茶。


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これ、ほんまお手軽にお茶が楽しめるスグレモノだわ。



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ブルーの琥珀はワタクシ製作。はじめて結晶化に成功(*^_^*)

我々がお茶をしているさなかにも、錺屋に名残を惜しむ人たちが、思い出をおさめようとカメラをもってたくさんお越しだった。


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最後に珈琲点前。
(あとするとしたら紅茶点前かな)

カップは古伊万里、これは飾り屋さんの什器である。この器達もどこへいってしまうのだろう。



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錺屋のおかみさんは少し南西に下ったところにもう一軒、月屋というゲストハウスもお持ちなので、茶室はないけれど風炉ならありますからまたお使い下さいと言っていただいた。
とはいえ、せっかくいい茶室があって雰囲気もいいここがなくなるのは本当に残念だ。コロナが終息したらここで大寄せ茶会をしたいね、って話していたのに。



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一番くやしいのはおかみさんや、スタッフの方々だろう。
この建物がどうなるのかがとても心配、気がついたら更地になってビルが建って、、、、というのは一番いやだ。(でもありがちな昨今のアホな京都、、、)

その歴史のほんとに最後の方しか触れられなかったけれど、12年間、ごくろうさまでした。





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