くろ谷さん(金戒光明寺)から真如堂・2021梅雨 - 2021.05.30 Sun
梅雨の晴れ間にまたご近所散歩。
あまりにお馴染みの場所なのだけれど。

くろ谷さんこと金戒光明寺、幕末に会津藩主・松平容保公が京都守護職本陣を置いたことでも有名、いわば新撰組誕生の地と言ってもいいかもしれない。
みどころはいっぱいあるし、大晦日には除夜の鐘をつきにもきているし、学生時代からの白川通への通りぬけルートでもあるので、とてもとてもお馴染みのお寺さんだ。
正面に見えるのが文殊塔。現在は本堂に移動されているが、かつてはこの中に騎獅渡海文殊群像がお祀りされていた。時々本堂で公開されるが、阿倍野文殊院にはちと負けてるかなあ(^_^;
実は現在我が家で養育中の蓮の鉢二つの育ち具合がイメージと違うので(ひょろひょろと自立しない葉っぱばかりでてくる↓)ので、
これでいいのか、よその鉢を偵察に来たのだ。
くろ谷さんの池の蓮も似たようなもんだなあ。あともう一件、真如堂へ抜ける途中にある西雲院にもたくさん蓮の鉢があるから、それも見に行ってみよう。
文殊塔へいく階段の途中(墓地のど真ん中)からの眺め。
絶景絶景!(平安神宮の大鳥居と京都タワーも見えるよ)
ここは大好きな抜け道、会津藩殉難墓所から真如堂へ到る道。(まあ古いお墓のど真ん中なんだが)
正面にあるのが会津藩墓地を守る塔頭・西雲院。たぶんエゴノキ?と思われる白い花が美しい。
そしてここにはたくさんの蓮の鉢があって、どれどれと観察しようとして、、、、
こんな方と目が合っちゃった。
もうお一人(手、カワイイ!)
ちなみに蓮の葉っぱの出方はうちのとそう変わらないばかりか、土中に埋まっているはずの蓮根がぷか〜と浮いているほどの放置ぶり、これできれいに花が咲くのだから、まあうちのも大丈夫か、と思えたのである。
西雲院を通りぬければ紅葉で有名な真如堂
コロナもあるが、ここは普段から紅葉シーズン以外は人がいなくて、ほんとうに静かで落ち着く。青紅葉もとても美しい。
本堂のガラス戸に映る青紅葉
毎年この頃、本堂前の大きな菩提樹の木が花を咲かせる。今年はもう実になってるけど。
それから、不要になって持ち込まれた紫陽花を育てて、いつの間にか立派な知る人ぞ知る紫陽花園となったエリアへ。
紫陽花の花には少し早いが、すでに色づいている木もあった。
この紫陽花の向こうに見えるのが大文字山なのだが、わかるかな〜?
いろんな処から持ち込まれたとあって、ここの紫陽花も種類が豊富だ。
もう少しして、花の盛りにまた来よう。
青紅葉に映える五重塔を見ながら本来の山門へ抜ける。
宗忠神社に行くまでの道でいつも通るたびにのぞくのが、このエビスさんのおうち。ここにある、と思って見ないと絶対通り過ぎる位置にある。これについては今は天国にいらっしゃる石井まり子さんとコメントでお話ししたことがあり、ここを通るたびに彼女を思い出すのだ。
宗忠神社の横にあるのが吉田山荘、元東伏見宮別邸。(ランチもいただける)母屋の横にあるカフェ真古館へ久しぶりに。
ドアのガラスがおしゃれだ。
ここでコーヒーを頼むと蝙蝠型のクッキーがついてくる。おまけに箸置きも蝙蝠だ。
二階の窓際の席に座ると緑の向こうに今し方いた真如堂の屋根が見える。窓を通る薫風を味わいつつしばしぼ〜っとするのも、これまた楽しみである。
平安神宮神苑〜2021梅雨 - 2021.05.28 Fri

大雨が降ったあとの梅雨の晴れ間にご近所の平安神宮へ。
日曜日なのにこの人出のなさはどうだろう。ある意味すっきりしていいけれど。
本殿の横にはおみくじの花が咲く。
本来なら修学旅行生とかがたくさん来ている季節だ。
境内を通り過ぎて本日のお目当て、久しぶりの神苑へ。
サツキは過ぎて、花菖蒲にはまだ少し早いか、睡蓮が見頃であった。
蓮と違って水に浮かぶように咲く。
どこまでが花でどこからが水に映る影なのか。
薄紅の睡蓮も
スイレン科の睡蓮に良く似た花に未草(ヒツジグサ)というのがあるが、てっきり葉っぱの形が羊の足跡のようだからだと思っていたが、未の刻(午後2時頃)に花が開くからだそうだ。
西苑から中苑へ通じる木陰の道は好きな道だ。
この左手はもう丸太町通だとは想像もつかない。
河骨(コウホネ)の黄色い花も少しだけ。
これは花菖蒲かな?
これは名残のカキツバタ(たぶん)
コロナでお休みかと危惧したが、なんとか開いていてよかった。
柚子茶を飲んでリフレッシュ
臥龍橋の近くにも睡蓮
水に映るのは咲き残りのサツキ
ここでは水に映る逆さまの世界も楽しめる。
東苑、いよいよ神苑のフィナーレ。
新緑の東山に映える泰平閣
泰平閣はさすがに人がたくさん(でもないか、、)
ここを渡ればもう出口だ。しばし腰掛けて景色を眺めたり、50円の麩を買って鯉を集めたり、、、していると周りに人だかりができていてビックリ。エサを争う鯉の図の写メを撮りたかったのね(^_^;
翌日からまた梅雨らしい天気が続くらしい。ほんのひとときの梅雨の晴れ間!よき眺めである。
奈良時代を生きた女性に思いを馳せつつめぐるならまち〜璉城寺・女人裸形阿弥陀像 - 2021.05.26 Wed
どしゃぶりに近い日であったが、奈良へ。
コロナ以前には、奈良に纏わるおもしろい歴史的おはなしが聞ける京終サロンが毎月有り、何度かおじゃまさせてもらった会場の璉城寺。ならまちの南西のはじっこの方になる。(バス停:紀寺町)
璉城寺は非公開だが毎年5月の間だけ、秘仏の阿弥陀様の御開帳があると聞いていて、今年こそ行こうと思っていたところへ、うるわし奈良さんにぴったりのイベントが。どうせなら奈良に詳しい方のガイドで行ってみようと申し込み。
今回のうるわし奈良さんのツアーは女人にまつわるならまちのあちこちを巡り、最後に璉城寺へという計画。雨にも負けずGo!
まずはご存知、猿沢の池、写真左手に朱色の鳥居が見えるだろうか。あれだけそばをしょっちゅう通っていたのに、なぜ気づかなかった?とりあえず猿沢の池との位置関係を見て神社に行くと、、、

お社はあれど、あれれ、これは後ろ向きではないか?つまり猿沢の池に背中を向けている。
この神社は春日さんの摂社末社になるところの采女神社。
「大和物語」によると奈良時代、天皇に仕え寵愛をうけた采女が、その寵を失ったことに絶望して猿沢池に投身自殺をしたという伝説から、この采女を祀っている。こんな浅い池で自殺できたのか??という疑問はさておいて、やっぱり自分の最後の地を見たくないので一晩で後向になったという伝説。
毎年9月中秋の名月の宵に、まだ行ったことはないが采女祭がこの猿沢池で行われ、竜頭鷁首の舟がでる。その舟に乗るのは、采女に扮したミス奈良と、毎年福島から姫役の方を招くのだそうだ。なぜならその采女といわれる春姫は福島の出身だったからとは!これが現代まで続いているのが驚き。
やっぱり先達はあらまほしけれ(徒然草)、奈良に通いだして数十年、しらなかった。
猿沢の池を背に、これもいつも渡りながら初めて名前を知ったの率川(いさがわ)をこえる(近鉄奈良の西に百合祭の率川神社あり)
いよいよならまちに入るが、ここも歩き倒した町、知っているつもりで目がスルーしている場所がいくつもあるのに気づかされる。
ここは道祖神社(猿田彦神社)、平城天皇(嵯峨天皇の兄ちゃん)の御代に元興寺(ならまちはほとんどがもともと元興寺の境内)に作られた神社だそうだが、火難をくりかえし、こんな小さなお社に。伝説では同じならまちの御霊神社と氏子を取り合って敗れこんなに小さくなったとか。そんなに勝負に弱いのになぜか賽の神、勝負事の神様にもなっている不思議。
ここもなにげに通っている道祖神社の前の道。
なんと6世紀に整備されたれっきとした官道、上ツ道(上街道)という。かつて奈良盆地の東を南北に貫き桜井までを結んでいたが、江戸時代になると伊勢参りや長谷寺参りの道にもなったということだ。いや、そんな道をなにげに通ってゴメンナサイ。
さていよいよディープなならまちへ。
この虫籠窓のある古いお家のバラはいつも楽しみで、最近町家が消えつつあるならまちで、今日も無事だったと確認している。
最近は住人も新しい人にいれかわりつつあり、ならまちは景観保全の運動があるのかないのかわからないが、将来どれくらいこの雰囲気が残るのか心配(スミマセン、よそさんなのに)。
ならまちのランドマーク的漢方のお店。この周辺に奈良市がなんとか買い上げた大きな町家(奈良町にぎわいの家)や蚊帳を商う歴史的建物が並ぶ。(どうか、どうか残って〜!)
ここも、いつもスルーしていた御霊神社。これだけ大きな神社なのになんで気づかなかったのかなあ。人は興味のある物しか見ないというが、その通りだ。
御霊神社は京都にもあるが、その御祭神はさらに古い。主祭神は井上内親王(皇后・いがみ)とその息子・他戸皇子(おさべ)。
井上は悲劇の内親王であった。
漫画の「阿吽」で学習したのだが、井上は聖武天皇の娘であった。光明皇后ひいては藤原氏にとって邪魔者であった(血筋が完璧なので息子ができれば立太子する可能性があった)。
よって幼いころは伊勢の斎宮に、都に帰ってからは天皇になることのないであろう白壁王(天智天皇の息子・当時天皇は天武系が牛耳っていた)に嫁ぐが、巡り巡って、白壁王に天皇の地位が転がり込んでしまった(権力闘争であとを継ぐ物が天武系にいなくなった)。光仁天皇である。
皇后にはからずもなってしまった彼女への邪魔者扱いはついに天皇呪詛の濡れ衣を着せて、息子の他戸とともに追放ということにまでなる。後日配所の五條市で同じ日になくなっているのは絶対毒殺よね〜。
悲劇の内親王にそっと手を合わす。
さらに南下するとここは木辻というエリアになる。実は先だって奈良の方々を茶事にお招きした際に、昔遊郭のあった場所、と初めて聞いた名前であった。そうと知っていなければもう往時の面影は全然ないが、唯一建物として残っているのが、現在旅館の静観荘である。
大正時代の建築で、庭園も素晴らしく、現在も建物目当てで泊まる方も多いとか。
このファサードに当時の面影が残っている。京都の五条楽園にも似たようなファサードを見る。一度宿泊して中を拝見したいもの。
この木辻遊郭、歴史的には江戸の吉原よりも古いので、吉原を作るときに参考にされたとか。
遊郭の入り口にあった大門(ここより遊女は生涯でることが出来なかった)のあった場所が赤い看板「ビッグナラ」(スーパー)のところである。
そのかつての木辻遊郭の中にある称念寺は、戦禍で焼けた東大寺復興に尽力した重源上人が開基である。目を惹くのが境内の無縁塔。かつて亡くなっても引き取り手のない遊女達の引導寺であった名残である。
死してなお、蔓草にからめとられた様が、それでなければ生きられなかった女性達の悲しみを表しているようで、思わず手を合わす。
さて、ようやくたどりついた璉城寺。
コロナ以降だから1年以上ぶりであり、昼間明るいうちに来るのは初めてである。もとは紀氏の氏寺とされる。(紀寺)
境内ではマツリカという白〜紫の花がいっぱい咲いて、香気を放っていた。
いつもは雨戸を立てた室内だったので、そこからの眺めがこんなだとは知らなかった。
初めて入るお堂の中は薄暗く、そこにすっと立たれる阿弥陀様は、たしかに女性にしか見えない。昔は50年に一度のご開扉だったそうで、今では5月のみとはいえ毎年拝めるのは有り難い。
(パンフレットより)
実はこの阿弥陀様、すっぽんぽんなのである。なので女性とはっきりわかるらしいが、このように金襴の袴を御召しで、この袴は50年に一度、未婚の女性の手によって新しいものと交換されるそうで、男性は入室禁止なのだそうだ。
本来白色(胡粉か?)の肌が、お堂の中では煤にもさらされ、人肌のようにも見え、かえって艶めかしいのである。鎌倉時代の作といわれるが、その前に中宮彰子発願のその元となった像があったのではないかと言われている。彰子は紫式部が使え、女性として位人臣を極めた方だが、息子も孫も先立ってしまうという悲運にみまわれ、仏にすがるお気持ちがより強かったのかもしれない。(お父さんの道長も「往生要集」の源信にすがったように)
もらさず救う、ために阿弥陀様の手には水かきのような曼網があるのだが、この阿弥陀様は特に左手の曼網が顕著でみとれてしまう。
しかも右手が釈迦如来の施無畏印、左手が阿弥陀如来の摂取不捨印というめずらしい仏様なのだ。
50年毎に更新される前回20数年前までお着けになっていた袴の展示もあって、西陣織りとのこと(織元不明)紋様は鶴と亀甲(亀)でふんだんに金糸が使われ、暗いお堂内でもきらっとひかるのであった。
ありがたくも美しい仏様を拝んで、はやくまたここで京終サロンに参加したいものだな〜と願う。
ガイドさんと別れて駅方面へもどる。
環境破壊か町の活性化か、と二分するウワサになっていた某ビルジングも見てみた。個人的には環境破壊だ〜!と思うが、奈良の人からすれば良いのか悪いのか10年たたないとわからないということであった。人の流れは変わるだろうが、どうか奈良のことをよく知って奈良が好きな人が訪れる場所になりますように。
最後に雨が降る寒い中、負けずにかき氷!
ことのまあかりさんにて、覆盆子x覆盆子(ふくふくぼんぼん)
覆盆子はイチゴのこと(名物裂にも覆盆子文ってあるよね)、奈良名産イチゴのあすかルビーと奈乃華の2種のジャムでいただきます。宇麻之〜!
宇治縣神社〜藪ノ内の茶事2021初夏 - 2021.05.24 Mon
いつのまにか初夏の宇治、縣神社。
老いたここのわんこもひなたぼっこしながらまどろんでいる。
早いもので、前の薮ノ内の若武者のお茶事からほぼ半年。
梅雨入り前の蒸し暑さながら、川風が心地良い一日である。
待合の瓢箪の絵を眺めてから席入り。
おお!もう蚊遣りの季節か!
特に神社やお寺さんは出るの早いだろうねえ。
本席の脇にもそっと蚊遣りのお気づかい。(これって入れ物、建水?)
薮ノ内の燕庵を8割方写した四畳半台目の棠庵(とうあん)席である。密をさけるため、そうでなくても八窓庵的障子窓の多い織部好みを反映した茶室、あちこち障子をあけるとさわやかな風がさ〜っと茶室を通りぬけ、気持ちの良いこと。
本席のお軸は薮ノ内の方にはたまらんでしょうね。
中興の祖・竹心(「源流茶話」「茶話真向翁」などの著作有り。利休に帰れを信条とす)の茶道の心構えを二代後の竹翁が写したもの。
千家流ではむしろ道安風炉の方が眉風炉よりよく使われるが、薮ノ内では基本眉風炉で、灰型や扱いが少々異なる道安はめずらしいのだそうだ。こちらの流派は風炉は真っ白の藤灰である。それにみんなが「豆腐」とよぶ、藤灰を長いキューブにかためたもの、また灰のフレークを上からふりかけたような景色、千家とずいぶん違って非常に興味深い。
月形を初炭で切って、すぐ藤灰で埋めるのも、おもしろい。(千家では初炭で切ったのを後炭で埋める)留炭がほとんど火入れの炭サイズであったのもびっくりした。
まずは老松の露を浴びた「紫陽花」きんとんをいただいて濃茶。
古備前の茶入にやたら大きい長い茶杓。銘を「小太刀」、さらに大きい「大太刀」という茶杓もあるそうで、滴翠美術館の山口家のどなたかの作。
水指が、呉須赤絵かと思うくらい上手な奥田頴川(江戸中期)のもの。
いつもは懐石は広間でいただくのだが、本日は3人の客であったので、そのまま小間でいただくことにした。
おや、これは???こんな器があったのね〜。
網に入った瓢の器(待合の瓢はこれだったのね)を展開すると、、、(ちょっと茶壺の網をぬがすようで楽しい♪)
なんとびっくり!これだけ入っている。しかもすべて若武者の手作り、懐石ならいにいこうかしらん、、と思ったわ。粽の中は餅米を皮ごと蒸したもので、もちもち、まるでお餅を食べているような幸福感。
懐石の後、いったん席を立って薄茶に入るとさきほど壁にかかっていた鉄線の花が墨蹟窓に。これは織部のこのみ。
各御茶碗が、それぞれ客の好みをついてきているのではないかと思う。だって私には大好物の三島の皿と平茶碗の間の微妙なサイズの茶碗が。これええなあ〜。
お水が縣神社の井戸水を使っておられるときいて、薄茶の後に白湯希望。宇治は桐原水はじめ、名水のわく場所だからね。
干菓子はご亭主お気に入りの塩芳軒さんの「しののめ」(黄色いお煎餅)。生姜糖をまぶしてあって、後をひくね、たしかに。
宇治はお茶よし、水よし、茶事をおこなうにぴったりの場所で、ほんとにここの茶事を楽しみにしている。また秋の茶事にも是非よせてもらいたいものである。

本日宇治の名水をイメージした(後付け(^_^;)水色の着物にインドシルクサリーで作った着物の残りで仕立てた帯で。とても軽くて軽快。ちなみにフライングでもう単衣です。
「MIHO MUSEUMの現代美術」展〜MIHO MUSEUM - 2021.05.22 Sat
今日ははるばる信楽の山の中、MIHO MUSEUMへ。

今季の展示はMIHOが持っている現代美術の数々、今までほとんど公開されなかった所蔵品の展示。そういえばMIHOが現代美術も所蔵しているとは知らなかった。
桜の頃はそれでも人出があったのだろうが、この季節、予約制ということもあってか静かで人もほとんどいない。鳥の声がよく聞こえるわけだ。
作品は明治〜のもので、白山松哉、岸田劉生、バーナード・リーチ、それに東大寺観音院をアトリエとした須田剋太や杉本健吉、民藝の芹沢銈介、河井寛次郎、黒田辰秋などなど。
入り口入ったところに狩野芳崖のかの有名な「悲母観音像」がありびっくりしたが、これは川島セルコンが織物で再現した物だった。ホンモノと見まがうくらい。
白山松哉(しょうさい)の棗や香合が何点か。彼の名前はしらなかったのだが、明治から大正に活躍した漆芸家なのだそうだ。岸田劉生の素描に近い童女図、麗子をほうふつとさせる童女が菊の花を投げ入れしようとしている場面がかわいい。(麗子像は時に不気味だが)
とてもうれしかったのは、東大寺観音院の名前がでていること。ここは上司海雲師(いまや修二会の顔?声?である上司永照師の大叔父さん)を中心としたサロンであって、須田や杉本の他、志賀直哉、会津八一、須田剋太、入江泰吉なども集ったという。
これが昨年夏訪れた観音院の入り口。(なんとほうせき箱さんの出張一日かき氷屋のイベントであった)
コレクションは須田の物が多い。描かれた人物が舞妓だろうと童だろうと、みんな怒っているような顔をしている。入江(泰吉)さんところ(戒壇堂の近く)の柿が、、、という手紙もあって、奈良好きとしてはなんだかうれしくなる。
杉本のはやはり奈良が題材のものが多くて、これもうれしい。
散華をたくさん描いていらして、これがまた可愛くて。100才になる年の愛知万博(2005)のために100枚の幡を描く計画をたてたが、惜しくも99才で亡くなった。その幡二枚も展示。
民藝系では染色の芹沢銈介が圧倒的に多い。
一番印象的なのが「いろは文二曲屏風」
「ろ」なら「ろくろ」
「は」なら「葉っぱ」
「に」なら「にわとり」、、、(「い」がワカラン、、、)
とカルタみたいに文字の絵が描かれているのがとても気に入って、全部見てしまった。
どこまでを現代というのかむつかしいところだが、杉本や、須田は同時代を共有した方達なんで、ああ、自分も歴史の一部になりつつあるな、、、の感。
MIHO名物?のエントランスから美術館までのカート。
人が少ないので少々暇そう。
ここのいつもは人気で待ち時間の長いレストランも、本日はすきすき。ありがたくランチした。
帰り道、信楽のあちこちで山藤がいろんな木にまとわりついて咲き誇っている姿を見た。これも一見藤の木に見えるが、元木は別なのよ。
湖国の恵みいっぱいの茶事 - 2021.05.20 Thu
数年ぶりに湖国のお茶友さんとこの茶事。いつも珍しい湖国の恵みいっぱいの懐石がとても楽しみなんである。(いや、食べにいっているわけではなくて、、、(^_^;)

ここには、私が宝塚時代、作ろうとして挫折した理想のイングリッシュガーデンがある。
病気もせず虫害も少なく、お互いに自然の領分を守って多種多様の花が咲いているのはすごいとしか言い様がない。その苦労がわかるだけに。
洋花も多いが、茶花にもことかかないことだとうらやましく思う。
ヨモギまで堂々と植わっているのは(うちらの近辺では完全に雑草扱い)、これでお菓子やお料理を作らはるからだ。
待合には竹の絵が掛けられ、汲み出しにはかわいらしい虎の絵が。清風在竹林かしら。
ここの待合からは紫陽花に似たムシカリの木が見えるのだが、今も健在、すでに実を結んでいた。
アカンサスに囲まれた蹲居をつかって席入り。
本席は六畳、床には大徳寺のどなたか(失念しました)の描いた茶杓の絵と歌が。こんな茶杓がでてくるのかしらと期待。
さて、お楽しみの懐石、向付の刺身(これも湖国らしく鯉)に載っているのがカキドオシという植物。垣根をも通すくらいに強く繁殖する草らしいが、これが食用になるとは!以前にもイタドリを食べさせていただいたが、野草を食べる会会員並の知識をお持ちだ。
ご飯が玄米というのも驚く。伊勢ヒカリというお米は、30年ほど前台風によってやられた伊勢神宮の御神田で唯一残った二株で、DNA的に新種だったという。なにやらありがた〜いお米である。かめばかむほどほんのり甘い。
利休麩の上に乗っているのも、ご自分でこしらえはった蕨を乾燥させた物。
煮物椀もお手製のヨモギ胡麻豆腐。さきほどのお庭のヨモギかしらん。上にのっているのが柚子の花。これ好き。
焼きものは精進の蒲焼き(山芋と海苔で作る一見蒲焼きに見える)お手間がかかっている。
小吸物のこれは何かわからんかった。
なんと山にはえているアケビの花をつけたものなんだそうですよ。なんと珍しい物を。
八寸にこれも湖国のめぐみ、ハヤの鮒寿司と野草を揚げた物。
どれも美味しかった〜♪ 期待以上でありました。(だから食べに来たわけではない、、、)
炭手前のあといただいたお菓子もまたすごい!(ちなみにこの籠もご亭主お手製)
朴の葉でくるんだ団子。葉っぱをちぎっていただく。朴のよい香りが移ってほのかに甘い団子は胃袋にしみいる。
そういえば前回お招きいただいた時にはお菓子は別室で、囲炉裏のある部屋で自分であんころ餅を焼いて食べるというスタイルだった。あれにもびっくりしたが、これもビックリ。さすがである。
中立
ふたたびイングリッシュガーデンを楽しむ。
ああ、懐かしいタツナミソウ(立つ波草)。宝塚の庭に道端からとってきたのを移植したら、けっこう繁殖して楽しませてくれた。
後座の花もまたびっくりですよ〜(ビックリが多い)
これもおたずねするまで全くわからず。
なんとポポーというアケビに似た果物の花なんだそうだ。それに先ほどから食しているカキドオシの葉。意表をつかれっぱなし。
仕覆なしの大きな焼物の茶入に、櫂先が大きく弧を描く茶杓。この茶杓は何かに似ている、、、と思っていて、そうだ小鹿田焼を作る道具、飛び鉋に似ているんだ。(初座の軸の茶杓とはちょっと違ったが)
茶入には大きく銀色の「!」マークに似た釉薬がかかっていてなんという存在感。武田浪さんの作品だったかな。
ご亭主はご自宅で時々ギャラリーもされているので、お道具はその時に知り合った作家さんのものを一つ一つ集められたものなのだろうなあ。
干菓子も楽しくたくさんだしていただいて、蕗の砂糖漬けとすはまと、大根の花!の砂糖漬けはお手製である。
ご先祖様がお使いだったという茶通箱と茶箱の間くらいのサイズの木地の茶箱で薄茶を。茶箱には「○○僧堂」の焼き印があるので、お坊さんが日常生活で使われていたものかもしれない。茶箱はやっぱり女子好みでいいわ〜♪明治のコインを埋め込んだ(どうやって埋め込んだのかワカラナイ)小さい茶箱用の御茶碗が可愛かった。
湖国は名水も豊富なので、本日ご用意下さり、最後に白湯としていただいた。
自然食というのか、体に良いというのか、そのためには手を抜かないご亭主のポリシーがふんわり(おしつけがましくなく)伝わってきて、お道具もその延長上にあるように感じる。
また懐石食べに、、、いやお茶によばれたいです〜!
写真はお土産にいただいた、ご夫婦で栽培されている五色のお米。ご飯に混ぜて炊くと体にもよく、色も付いて美味しそう。
皐月雑記2021 - 2021.05.18 Tue

この季節は鴨川で一人お茶して本を読む。
ロケハンして、ここが落ち着く場所と決めたら、なんだ、昨年と同じ場所だわ。
昨年はもっと緊張感の高い緊急事態宣言下だったわね。
いただきもののお菓子「まい鶴」(伊賀・桔梗屋)は、中に生姜糖がぎっちりはいって、思いがけず美味しい。お茶がすすむ。
さて、読む本は、、、昨年からの積ん読にやっと手をつけたこちらだが、、、なかなかすすまないね(^_^;
2ページくらい読んではぼ〜っと鴨川を眺めて、また2ページがんばって、、、という亀のスピード。
対岸の人出を見ると、昨年よりははるかに多い。みんな行くところないからね。
これを楽しめるのもあと少し、暑くなって、蚊が出だすともうおしまい。
茶友さんに教えてもらった生活圏内の美味しいインド料理の店ムガールにいってみた。高瀬川沿いの店である。
インド料理は時々無性に食べたくなるが、一般的な店はメニューが少なすぎて。こちらはアラカルトもランチのセットもオプションが豊富でうれしい。
この日のランチセットはチョイスできるカレー三種にラッサムスープ。
ラッサムは酸っぱいようなスパイシーな、、初めての味。南インドの定番料理だそうだが、ベースはトマト、それにタマリンドというマメ科の植物の実が入る。
あと大好きなサモサもつけました♪
アラカルトも豊富なので、とりあえず一通りいただきたく、また通うことになりそうだ。
今年も一月早い梅の収穫。
我が家の約30年物の梅の木である。(宝塚から移植した)今年はたわわ感が半端ななかったので、きっと豊作。
200以上取れたのは10年ぶりくらい、2回目ではなかろうか。大豊作だ。なにがよかったのかわからん。コロナで庭の手入れをちと気張ったのがよかったのか???
梅酒は10年物がまだたっぷりあるし、梅干しはあまり食べないので、今年も例年通り梅シロップを作る。
なんと!3日でこんなに水があがってきて、ほぼ完成。今年はなんでも早いわ〜。
本来の八ッ橋はこれ。けっこう固い。最近この八ッ橋の方が京都でも手に入りにくくなった。
私が学生の頃(かなりむかしよ(^_^;)ようやく生八つ橋がぽつぽつ出始めて、それからあっという間に爆発的に売れ、生タイプが八ッ橋の主流商品になったのだ。たまにこの従来タイプを食べたくなる。夏の日に冷たい麦茶なんかと食べると最高。
若い子が「最近固い八つ橋でたらしいよ。」と言っているのを聞くにつけ、本来の八ッ橋はこっちなんだがなあ〜、と苦笑い。
一乗寺界隈、おしゃれなお店も多い。大学がオンラインになっているのか百万遍周辺は店も閉まって閑散とした感じだが、ここらはその学生の下宿先周辺というところか、案外と賑わっている。
かの有名な本屋+雑貨の恵文社もあるしね。たまにのぞいてみる。
今日は一筆箋ならぬ二筆箋買った。
ステーショナリー好きとしてはかなり惹かれる。
ランチはこの近くのタイ飯AOW(アオ)さんへ。
タイの屋台を彷彿とさせる小さなお店だ。タイには3〜4回行ったなあ。現地の辛いのはほんまに食べるのインポッシブルに辛かったのを思い出す。
いただいたのはこちら、カオ・ムーラン。
タイ風焼き豚丼といった感じで、ご飯はもちろん細長いタイ米。これは辛い料理じゃないよ。豚肉と山盛りパクチーで多幸感にひたる。
テーブルにはタイ人の尊敬を集めた先代のプミポン王のお札が。なんか懐かしい。現在のタイ王室はいろいろもめているみたいだが、タイ人は信仰に篤く温和な人が多かったなあ。
初夏の夜咄〜「源氏物語〜須磨・明石」 - 2021.05.16 Sun
海が近いので、夜風が強く蝋燭の火がもたないので夜咄はしないと言っていた師匠が、珍しく夜咄茶事をする!とおっしゃるのではるばる海を越えて(初めて自分でドライブ、なにせ帰りの時間にバスがない)やってきた。

夕刻待合につどう。
お軸が、なにやらみやびな貴公子達が大勢、満月に寄せて管絃の宴を開いている大和絵。
(中秋の名月の時に内裏・清涼殿では帝主催の管絃の宴がおこなわれるのを、須磨の侘び暮らしの源氏は恋しく思い出している)
こちらでこの前、名前を覚えたところの米禽(古美術商でありながら作陶も)の染付の汲み出しでお白湯をいただき、かかっていたカーテンを師匠が開け放つと、、、
まあ!!
緑の美しさにおもわず歓声があがる。
腰掛け待合いの煙草盆に客の人数分の住吉大社のお守りが。
(須磨で嵐に見舞われた源氏はひたすら住吉の神に無事を祈る。夢に現れた父桐壺院に住吉の神の導くままに須磨を去れ、と言われる。)
おっしゃるとおり、ほど近い海からの風が強く、緑の葉をゆらしてわさわさ音がするのもご馳走である。
本席では清巌宗渭(宗旦の参禅の師、「懈怠の比丘云々」のあの清厳ですよ)の「自得」。
禅宗の教えなのだろうが、私には、自業自得で須磨に流された源氏、、と読めた(^_^;(多分ちがう、、)
床にすごい碁笥底の真塗白粉解を香合に。道安好み、蓋裏の花押が如心斎で三代宗哲だそうだ。
事前に「名香<明石>を聞く」というお達しがあった。炭手前の後、香をたいてもらって香りを聞く。沈香のなかの羅国だそうだ。(むしろ伽羅より少ないらしい)
これもいにしえの殿上人の遊びか、香を衣にたきしめる源氏の時代へタイムスリップ。
ちなみに聞香炉は蝶の絵の仁清でございました。
風炉では前茶の時、釜の中はまだほとんど水で、これで茶を点てていただくとさわやかでほっとした。
懐石は、お手製の胡麻ピーナッツ豆腐(めちゃ美味しいが、めちゃ手がかかってそう、、、)はじめ富山の万惣さん秘伝のいつものふわっふわのしんじょうの煮物椀。(あれは大和芋かなんかはいっているのでわ?といろいろ推測してみる)焼物の魚は塩麹につけたもの、これはちょっとまねしてみよう。幽庵ばかりはもう飽きた。懐石の道具も師匠のところのは新旧凝っているからなあ。千筋でお櫃を長くしたような形の小吸物椀にいたく惹かれたが、畠山即応の懐石道具なんかをつくっていた人のものらしい。
お菓子が「落とし文」ならぬ「恋文」(源氏の必需品)
葉っぱの上に寒天の露までついて、まさか手作りじゃないよね、ないよね、、、ええ〜!これもお手製ですか?!どこまでシロウト離れしていくのだろう。
中立のころにはあたりはすっかり暗くなって、人工の灯りの全くみえないこのあたり。風だけがざわざわ木の葉を鳴らし、暗い中では影ばかり揺れて恐いくらいだ。それでも行灯のともしびが救いで、みつめているとほっとする。(灯りにひきよせられた毛虫が行灯のまわりをぐるぐる。火中におっこちないかみんな心配して眺めているところ。→帰る頃には内側まで入り込んでいたが無事であった。ほっ)
手燭は風で消えそうになるのを必死で手で囲ってもたせた。
後座
暗い座敷に燈火をあちこち。小間と違って広間の夜はより暗く感じる(光りが分散するからね)思えば師匠のお宅の夜は初めてだ。点前座が障子の方になるので、昼間はご亭主が逆光で影になるが、夜は障子に蝋燭が作る影が映ってこれもまた絵になる。
濃茶が練られる間も海風は、建具をがたがた音をたててゆらし、蝋燭のあかりはゆらぎ、闇が侵食する広間はすざましいまでの情景。嵐にみまわれた須磨の源氏の心細さはかくばかりか。
床は土岐二三(最近あちこちで。ブームなのか?ときじさん)の竹花入れに、何回も聞き直した名前の楚々とした白い小花「オトコヨウゾメ」。奥様が山で採取してきてくださったものらしい。初めて見る花だ。
棚がやっぱり、これしかないでしょう、の御幸棚。御所車の車輪と御簾のイメージで、やっぱり車争い(「葵」)の連想。ご当地珉平焼の水指が呉須写しで、こんな珉平もあるのね。
茶入は瀬戸、銘を「笛声」。(笛は源氏物語では柏木のシンボル)。
仕覆が鴛鴦なので、夫婦相和と思われがちだが、実はおしどりのオスはメスをとっかえひっかえするらしく、そこが源氏っぽい(^_^;とか。
茶杓が珍しく舟の櫂の形をしていて、失意の須磨からこぎ出し一陽来復の明石へ、、、のイメージか。作者が聞いてびっくり思いがけない方でこれはナイショにしておきましょう。(幕末の大物大名とだけ)
干菓子に新潟の「雲がくれ」
マシュマロの中に満月みたいな黄味餡がはいっていて、お月様が雲に隠れている様子をあらわすが、源氏物語では源氏の死を暗示する巻「雲隠」である。(よく見つけたな〜、こんなネーミングのお菓子)
蓋置までが桐と雲、すなわち源氏物語最初の巻「桐壺」と源氏最後の巻「雲隠」なんですもの。徹頭徹尾、お見事な源氏物語の御趣向、さすがでした。(とりおとし、聞き落としもあるかもですが)
席をあとにするころ、不思議とあれだけ激しかった風がぴたりとやんだ。凪にはいったのだろう。見上げると京都の町中では、ぼんやりとしか見えない北斗七星がくっきり中天に見えて、これも印象に残り感動的であった。
(それから帰路のドライブは暗い暗い道、明石海峡大橋から神戸の町灯りが見えたときはほっとしました〜)
伊勢物語にまつわる茶事 - 2021.05.14 Fri
今年は(去年も)梅の実がふくらんでくるのが一月早い。
炉仕舞いもそこそこに初風炉の茶事を。きりかえが忙しい、、、
紆余曲折したが、杜若の季節でもあるし、「伊勢物語」のテーマで行こうと決めた。
寄付に富士山の扇と烏帽子香合を飾る。これを見ただけで「東下りに初冠(ういこうぶり)」とわかってくださった本日のお正客さま。ありがたし。これでポカンとした顔をされるとテンションさがるし。

あいにくの雨模様で、席入りは軒下つたいに。雨の日の緑は美しい。
本日のこの人達は「ちはやぶる かみよもきかず 竜田川、、、」
季節はちょっと違うがなんてったって在原業平だし。
実は「筒井筒」の日本画の軸を手に入れたのも、伊勢物語にしようと思ったきっかけ。
筒井筒 井筒にかけしまろが丈 すぎにけらしな いもみざるまに
(この歌が本席ですっとでてこなかったのが痛恨の極み。かわりに五つに欠けし井戸茶碗、、の方がでてきたりして(^_^;←細川三斎と秀吉の逸話)
初座は雨で蹲居が使えなかったのが残念。
初座の花の代わりに菖蒲と蓬の厄除けを。
菖蒲はなんとデパ地下の野菜売り場で発見、蓬はもうそこらに生えてる。これをたくさん作って端午の節句の時に軒に飾るのがならわしだが、昨今は軒のない家が多くて(^_^;
さあ、半年ぶりの風炉、李朝鉄火鉢の小さい方を。
端午の節句は若干過ぎていたが、菖蒲の葉を巻いた酒器で一献。
今回の懐石はみなさん大酒飲み?で、五合瓶が1本半あきました。気持ちよい。
祗園大茶会でいつもご一緒させていただいている御面々、2年続けて中止になったが、復活したときにはまたがんばりたいね、と。
今回もお菓子はみのり菓子さんの「杜若」
レモングラスの羊羹に錦玉という手の込んだとても美味しく美しいお菓子である。
(速水流の帛紗に似ているというご指摘もあり)
炭点前は今年初の大失敗。風炉が小さすぎて種火がうまく作動せず、中立の時に熾しなおすはめに。しかも胴炭が入らない、、、(大汗)次回から鉄火鉢大の方を使わねば。
後座の席入りでは、雨も上がり、蹲居をつかってもらえたので、迎え付けも。
お若い方もいらっしゃったから、お正客さまによる席入りの作法のご教授などもあり。
薄器はやっぱり杜若
からころも きつつなれにし つましあらば はるばるきぬる たびをしぞおもふ
東下りで「からころも」を句の頭に織り込んで歌を読むという有名なお話し。
この歌を歌ったのが三河の国の八つ橋という場所。
水ゆく河の蜘蛛手なれば、橋を八つ渡せるによりてなむ 八つ橋とはいひける
で、八つ橋(固い方、しかも筒井筒ならぬ井筒屋さん(^_^;)も並べてみたが、これは琴とする説と、橋とする説あって、ややこしい。
最後の趣向として茶杓が「須磨琴」
須磨の一弦琴は現在も須磨寺に伝えられているが、考案したのが在原行平、つまり業平のお兄ちゃんってことで。(伊勢物語にも登場します)
風炉点前、ぼろぼろでやっぱり何年やってても、しばらくおやすみするとあかんなあ。お稽古はやっぱりちゃんとしないと〜と思ったのである。
(写真は後座で熾しなおしてやっと煮えがついたところ)
茶事を考えるにあたり今回「伊勢物語」を久々に原文で通して読んだ。
伊勢物語はネタには事欠かない内容満載である。すごい数寄者さんが百一段の「あやしき藤の花」をテーマに茶会をされたが、古典に精通していない限り、まあ筒井筒、東下り、唐衣、、、あたりが限界かなあ。
やっと会えた善財君と獅子〜阿倍文殊院 - 2021.05.12 Wed
雨もあるだろうが、桜井市の安倍文殊院の駐車場はガラガラであった。
まあ、コロナやし仕方ないけれど、かえって密を避けられる穴場ではないだろうか。
聖林寺が山里の中にあるのに対してこちらは市街地にある。

もうずっとここの文殊渡海群像が好きで好きで、特にかわいいかわいい善財童子、ここの善財君は日本一ではないかと、おそらく私だけでなく皆そう思っていると思うわ。
開山はまさに大化の改新(乙巳の変と最近は言うらしい)の年、飛鳥の豪族安倍氏の氏寺として建てられた。後に阿倍仲麻呂や安倍晴明を生み出した一族である。
華厳宗であるから東大寺の末寺になる。鎌倉時代、東大寺復興に尽力した重源のご縁にて快慶が作った最高傑作がこちらの騎獅子文殊菩薩様なのである。
剣を携え、まさに雲海を越えて説法にお出ましになる姿といわれる。
りりしくも美しい!騎乗されており、見上げる形になるのでよけいにかっこいいのだ。
この困り顔の獅子も大好き(後の世の補填だそうだが)。本来文殊様の行く道の魔を祓う威嚇の表情なのだろうが、どうみても困っている、、、(^_^;
右のお菓子はこちらでいただける紋菓子。(獅子がねらっているような構図になってしまった(^_^;)
そして走りながら、文殊様を振り返って見上げるかわいいかわいい善財童子。
いわゆる「かわいい」ではないのだが、一度見たら忘れられない印象的な姿なのだ。
文殊様に言われて53人の善知識(名もなき民衆から有名な人まで)を訪ね、最後に普賢菩薩の元で悟りをひらいたといわれるが、その文殊様を限りない尊敬と敬愛を込めて見上げている姿がいとおしい。
あとの3人は獅子の手綱をとる優填王(西域の王様、華厳経との関わり有り)ははっきりしているものの、あとのお二人は維摩といわれたり最勝老人といわれたり、須菩提といわれたり色々説があるらしい。(善財君の前ではちょっと影薄い)
境内は奥が深く、周りは静かな緑に包まれる。
これは文殊様をお堂の外からお参りするところ。
平成になってから再建されたという金閣浮御堂。
おりからの安倍晴明ブームもあってか、魔除けの金札を一周する毎におさめて七周して七難をとりのぞく、というのがあったので、ちょっとやってみた。七まいりというらしい。
お堂の中には晴明の流れをくむ土御門家から寄贈の資料もおさめてあってなかなか興味深い。
奥の院まで登ると、大和三山と二上山、葛城まで見える、、、、はずが雨で耳成しかみえへんなあ。
こちらもブームにあやかってか、平成の世に再建された晴明堂。
場所柄、境内には二ヶ所古墳があって、こちらの東古墳は水が湧きでたといわれる閼伽井古墳、これも大化の改新の頃のものらしい。
もう一つ西古墳とよばれるのは、創建した阿部一族の墳墓であることはほぼ確定的とのこと、なんだか古墳時代のロマンにひたれる。
文殊院から桜井駅までは十分歩いて行ける距離なので、またいずれ文殊様と善財君と獅子に会いにまた来ようと思う。
桜井を行く〜聖林寺・国宝十一面観音 - 2021.05.10 Mon
山辺の道近く、大和盆地古墳群のある桜井市の古い町並みを歩く。
このあたりもさすがに宅地化の波がおしよせているが、古い町並みもいくぶんのこっている。
造り酒屋の看板に「談山正宗醸造所」とあるのがご当地らしい。談山神社もすぐ近くだ。
あのこんもりした緑もきっと古墳であろうと思う。箸墓古墳や、高松塚古墳も近い。

桜井の駅から、歩くとちょっと距離がある(2.6km)し、バスは1時間に1本?だし、、、、の鄙びた場所に聖林寺はある。
中大兄皇子と藤原鎌足出会いの場と言われる談山神社のお膝元、その鎌足の長子・定慧が建てたとされる古い古いお寺である。
ここに安置されている国宝・十一面観音は秘仏であったが、フェノロサと岡倉天心によって開扉され、彼らによって絶賛された仏さまである。
安置されているお堂の免震工事のため、まもなく東京博物館へ1年ほど出張なさるのだそうだ。だからその前に、お堂の中でその仏様を見ようと、あわててやってきたのである。
山門をはいったところに談山神社の十三重塔を思わせる石塔が。
雨であったせいもあるかもしれないが、ほぼ独り占めである。
ご本尊は子安延命地蔵である。すごく大きいお地蔵様。(顔デカイ、、、)
本堂から山を登る形で観音堂へ。
この新しいお堂は昭和34年に造られたちょっと残念なコンクリート製。国宝を守るためにはいたしかたないと思いつつ。
それまではこの本堂のご本尊の隣、この景色が見える場所に、フェノロサが寄進したという御厨子の中においでだったそうだ。
もとはといえば、大神神社の神宮寺であった大御輪寺にあったものを、廃仏毀釈の折、当時の住職が譲り受けた客仏である。それが後に国宝指定第1号の一つとなろうとは。
半開きの扉から見上げるようにして見る十一面観音様。
天平時代の木心乾漆像である。立ち姿が優美な曲線を描き、左手に水瓶、右手は美しくバレリーナの手のようである。頭上の十一面はいくつかは失われているようだ。
異国からきて、長い間、だれも開けなかった扉の向こうに、この秘仏を見たフェノロサの記録を読んだ記憶があるのだが。それは感動的な事であっただろう。
御目の下に寝不足でできたようなシワが気になったが、よく見ると眼窩の形に目の周りがくぼんでいるのだ。木心で頭蓋骨を作り、そこにスーパーインポーズしたので、時の経過とともにへこんできたのであろうか。
この数日後に東京へおでましになるため(奈良からお出になるのは初めてとか)、連弁がすべて取り外されていて、なかったのが残念だが、かわりに普通は見られない連弁の芯の雄蕊の配列を見ることができた。
はてさて、東博で周りをぐるっとまわれる展示方法になるのだろうか。また東京でもお目にかかりたい。
小高い本堂から見下ろした眺め。こんな里にこの寺はある。
僅かの民家と季節柄花菖蒲があちこちに見られた。
本堂を辞して、次は歩くこと約半時間、長年行きたかった安倍文殊院へ、、、
下鴨K美術さんのお庭で半・野点 - 2021.05.08 Sat
下鴨のK美術さんのお庭の片隅で、ささやかな茶席を。

季節の花が美しいこの庭は、、、
なんと高野川(賀茂川と出町で合流して鴨川になる)に面しているのだ。
(設営中)
すわっているだけで心地良い風の吹くこの片庇で(腰掛待合であったと思われるが、あるじはこう呼んでいらっしゃる)本日一席2〜3人の小さな茶会を。
第一回さつき工人展と銘打って、女性ばかりの陶人、木工人15人の作品が並ぶ今回の企画展に添えて、一日限りのミニ茶席である。いや、今回の展示はすごいわ。15人ものそれぞれ違うテイストの作品が並び、見応えあった。
さて、茶席完成。
御茶碗は5月末に没後10年展を控える全日根さんの御茶碗ばかりをお借りした。風炉は李朝火鉢の小さい方を持参。
この茶器、土本久美子(御主人の訓寛さん作陶に絵付け)さんの作品であるが、彼女のインスタの予告画像を見て、すぐにKさんにメールして「これ使います!取り置きして下さい!」と厚かましくもお願いしたもの。土本夫妻の作品にはじめて出会ったのもここであったが、あれから気に入ってしまってフォローしている。
三島のような高麗青磁のような、大好きなもののエッセンスがつまっている。
こちらは高麗もの写しがすてきな伊藤明美さんの陶板。以前、一目見たときからこれは茶巾置!と思ったもの。時節柄紙茶巾を使用。
お菓子はKさんとアイデアを出し合っておちついた、御菓子丸さんの定番「鉱物の実」と新しい「ほころび」。前者は爽やか柑橘風味、後者は口の中でほろっとほころびるので、この名前なんだなと思う。双子のお子さんを育てながら菓子職人としてもがんばる御菓子丸さんに初めてであったのもここだったな。
これは最終席にわざわざ駆け込んでくれた茶友さんからいただいた画像。(写真抜群に上手い!)
お客さんは少人数にしぼったので、のんびりゆっくりお話しができた。
K美術さんが繋いでくれたギャラリーの方、お花を生け込む方、陶人のお一人の作品と同じくらいユニークな方、お目にかかるのは久しぶりの方ばかりで、とてもうれしかった。
また、大学の若い遠い後輩、李朝家具を探しにこられたご夫婦、以前K美術でいっしょにお茶した方、某甘味処の奥様、色々お話しをお聞きして、情報もあれこれキャッチ。
それにしても、ここに来られる方はいろんな面で見識や美意識が高いなあと思う。さすがや。
こうしてたまに釜をかけさせていただけることに感謝である。またかゆいところに手が届くスーパー水屋のO様にも深く感謝いたします。
奈良へのオマージュ茶事〜奈良からのお客様をむかえて - 2021.05.06 Thu
気がつけば、奈良の古寺に関係する茶道具がけっこう集まっている。ひたすら奈良を愛するゆえ(京都への愛とまたちょっと違う)の成果だが、今宵奈良からのお客さまをお迎えして、熱く奈良語りの一席を。
寄付のバンダジの上には、大和古寺によくみられる複弁蓮華紋も軒丸瓦。

待合のいつもの人たちは、これも奈良へささげる「天香具山(春過ぎて夏きにけらし白妙の、、)」の百人一首を。
お客様は表千家と石州流の方々、迎え付けの流儀が違うのもまた楽しい。
この日は四月の晦日、ギリギリ最後に炉の茶事でお迎えしたかったのだ。
半年お世話になった炉。
この日がお開きになればまた閉じて、秋を待つことになる。炉縁は法隆寺金堂古材。他に薬師寺、東大寺のもあるが、ここはやっぱり今年聖徳太子1400年遠忌を迎えた法隆寺でしょう。
火箸はお気に入りの新薬師寺鐘楼瓦釘(元弘年間・南北朝時代)
花は、、、梅花ウツギと鉄線にしたが、あとで写真見てちょっと失敗(なので全景は載せず)、梅花ウツギがでかすぎた(^_^;
敷板は西大寺古材である。(ほんまによう奈良のお寺の道具ばかりをあつめたものだ)
そしてこの日のために煮物椀に入れたのが、先日茶箱女王様の茶事でだしてもらったお善哉にも入っていた、、、
二月堂修二会の期間中、お堂の中で行をたっぷり聞いていたお壇供のお餅である。表面に煤もついているのが尊い。お供えをして、今年はじめてたまわった。(このように真空パックで送られてきた)この日、時を得て、いよいよ開けて使う。
↓ これである(まだ内陣に運び込まれる前のもの)
懐石の作法も表千家流と少し違うのだが、生まれも育ちも家系もずっと奈良!の本日のお正客様は表千家の教授をされているので、さすが臨機応変に対応くださった。亭主としてはありがたい。
しかし、奈良の人に奈良を熱く語るというのも、釈迦に説法であったかと反省せんでもないが、それだけ語りたいのよ。そしてもっと今の奈良を知りたい。
お酒は奈良の春鹿か三諸杉がだせたらもっとよかった、とあとで反省。
李朝白磁祭器に盛った主菓子は、いつもお世話になっている、みのり菓子さんの葛焼(底のみ焼いてある)、藤波のイメージで作ってもらった。ほんのり紫色が美しい。
後座は夕ざりなので燈火で。
掛け物はやはり二月堂焼経でしょう。(江戸時代に修二会行の最中に火災にあり、火の中から助け出されたお経の数々の一つ)紺紙銀字なのだが、かなり薄れて燈火でみるのが非常に困難、というシロモノではありますが。
茶入は表千家に敬意を表して表千家歴代家元の在判の小棗を、茶杓もまたしかり。そういえば濃茶に使った茶碗の一つもそうであった。(実は裏千家のものの方が少ない、、、)
濃茶に、作れば作るほど赤字になるほど手がかかっていると丸久小山園の方がおっしゃっていた「天授」を使ったのだが、さすがに天授を何度も飲んでいらっしゃるお正客様、味をわかってくださってうれしい。
寄付に柳にツバメの短冊をかけたので、干菓子盆にも柳とツバメ、、、、だが、ツバメは夜桜棗と同じ技法で描かれているので、やっぱり夕ざりの暗い席ではまったく見えがたく、これもちょっと失敗(^_^;
(亀廣保 岩根ツツジ)
↑ ツバメはこんなふうに三羽描かれているのだが、、、
奈良の町家ですてきな月釜をされている、お正客様のお弟子さんでもある次客様、ならまちに今年中ひっこしてこらる予定で茶室建築中の石州流のお詰さま、現在の奈良のお話、裏話、情報、色々聞けてとてもうれしく、さらに燃えあがる奈良愛(*^_^*)
私もさらにしゃべりたくて、いつもより長時間おひきとめしてしまったようだ。
お開きの後、すっかり暗くなった中でひとつひとつ道具を片付ける時間が好きである。洗って乾かすために残り火のみの炉に釜をかけておく。こうして炉の季節の名残を惜しむ。
(ああ、また灰型の季節、、、は、ちょっと頭がいたい)
露地を片付けて躙り口を見た時の景色が思いがけず心にしみた。
ありがたさの極みとして、修二会のあと関係者にくばられるという二月堂御香水(お水取りで3月12日深夜、若狭井から汲みあげられた水)をたまわる。これは実物を初めて見た。今年はコロナで参堂こそ出来なかったが、お壇供といい牛王札といい、最後に御香水までたまわって、修二会当たり年?であったなあとしみじみ。
奈良のお三方へ感謝、ありがたい奈良つながりのご縁であります。
聖徳太子と法隆寺展〜奈良国立博物館 - 2021.05.04 Tue
ちょうど一年前の奈良博、「毘沙門天展」が緊急事態宣言で途中で急に中止になったのを思い出す。なんとかその前にすべりこみセーフであったのだが、今年もいつ中止になってもおかしくないので、早々に「聖徳太子と法隆寺展」にでかける。

(1時間毎に時間を切って入場制限してはる。)
今年は聖徳太子1400年遠忌にあたり、ちょうど昨年末、法隆寺も含めて斑鳩散歩したところなので、記憶にも新しい法隆寺。
まずはかの有名な「聖徳太子二王子像(唐本御影)」(宮内庁御物)。太子の後のりりしい少年が山背大兄王だとは知っていたが、前をあるくのが太子の弟の殖栗皇子(えぐり)だったのね。下がり眉毛がかわいらしいのであるが、法隆寺聖霊院秘仏の聖徳太子の侍者にもこの方はいてはって、やっぱり下がり眉毛。もっともこれは平安時代のものだから、唐本御影を写したものか。
(5月17日以降は模本になるのでそれまでに!)
太子真筆とされる三経義疏(勝鬘経、法華経、維摩経)も宮内庁御物。これも明治の廃仏毀釈に法隆寺が経済的困窮で、皇室に買い上げてもらったものだという。時代背景を思うと胸が痛む。
太子遺愛の品々から、法隆寺が所蔵する仏像の数々。飛鳥のアルカイックスマイルの諸仏はご本尊の釈迦三尊像にみんな通じる。
さすがにご本尊と百済観音はおでましではなかった。
推古15年(607年)の銘文のある金堂の薬師如来像、手足の爪が伸びていると聞いたので、至近距離でそれを確認した。
また名前が有名な「夢違観音」、玉虫厨子(正倉院展のときより照明が明るいのでしっかり見られる)他に国宝四天王像のうち、広目天と多聞天もおでまし。直に見られるのがすごい。
斑鳩に昨年行ったときは中宮寺にも足を伸ばしたのだが、ここの有名な天寿国繍帳、オリジナルはほぼ残欠しかのこっていないのだな。鎌倉時代に写して作られた物すらもうぼろぼろ。CGで再現をこころみたNHKの番組があったけれど、あれはとてもすてきな意匠であった。后のひとり橘大郎女が太子の死を悼んで作らせた物である。
今回、一番心惹かれたのはこの右側の国宝・聖徳太子像(平安時代)である。法隆寺聖霊院の秘仏で、毎年3月22日にしか拝めないのだが、なんと360度間近で眺められるとは!
このように太子は眉をひそめ三経講義をしているお姿で、正面からみると(普通正面からしか見られないが)いかつい顔に見える。それが横から見ると、なんと!!鼻筋しゅっとした惚れ惚れするような男前、お美しいお顔をされているのだ。これはこの展示でしかみられないアングル。いや感動したわ〜。
この太子には胎内仏(救世観音)があって、X線でみるとちょうど太子の口のあたりに観音様の顔が来る。あたかも救世観音が太子の口をかりて経を説いているようになっているとか。
この太子には侍者が四人ついている。山背大兄王、と先ほどの殖栗皇子、卒末呂王(弟?)、高句麗僧恵慈、いずれも目の間がせまくて、とてもユーモラスなお姿、これもいつまでも見ていたい感じだった。
聖徳太子は謎に満ちた存在で、のちに太子信仰が一人歩きした感もあって、実在しなかったという説もある。蘇我入鹿の手によって上宮太子家(山背大兄王とその一族)は絶えてしまったので、よけいに伝説が伝説をよんだところもあるが、やはりその存在を信じたい。「日いづる処の天子」の愛読者としても(^_^;
<おまけ>
奈良博仏像館に出張中の、吉野山でお目にかかれなかった金峯山寺蔵王堂の金剛力士像さんにもご挨拶。これのみ撮影OKです。
春日野の藤波〜春日大社・萬葉植物園 - 2021.05.02 Sun
飛火野の藤の木にもきれいなdeer line (鹿の口の届くところより上の葉っぱしか残らないので、下辺がきれいな直線になる)
牡鹿には袋角が生え、夏毛に換毛中の鹿たちの毛並みはへんにもこもこしている、うるわしい季節、この季節にはやはり行っておきたい場所がある。
春日大社
神鹿のお迎え?をうけて。
例年なら、この時期たくさんの参拝客が藤めあてに来られるが、今年はほんとうに静かなもので、本来の姿を楽しめた。(いいのか悪いのか?)
境内にある砂ずりの藤、毎年最長何㎝に藤の房がのびるのか記録されている。
1m70cmを越えた記録もあるが、今年はまあまあかな。
樹齢800年といわれ、鎌倉時代の春日権現絵巻にも登場する老木である。
緑と、神社の朱塗りに映えてゆらゆら。
舞妓さんの簪を連想させる美しさ。そういえばこの時期、ここの巫女さんはみなさん藤の大簪を前にお着けになる。
ここ春日野は野生の山藤も美しいのだ。この大木の藤がよじれてねじれて絡みつく様は情念的でさえある。かくの如く藤原氏も栄えていったのかなあと、想像したりして。
参道の手前にある春日大社萬葉植物園。
ここの藤は圧巻で、見逃せない。リニューアルオープンされたばかりでコロナ直撃、でも開園されているのはありがたい。毎年なら5月3日の東大寺華厳茶会の後に訪れていたが、今年も残念ながら、茶会は中止である。
花の季節が半月くらい先に行っているので、植物園(9000坪)の一番奥にある藤園はすざまじいまでの藤の極楽浄土?と化していた。
薄紫のグラデーション。ゆらゆら紫の瓔珞、風が吹くとまたゆれる。
だれかが印象派の絵のようだと。
ただひたすら藤の写真をあげる。どうしても写真を整理しようにもどれも捨てがたくて。
Purple Rain♪(懐かしのPrince)
八重の品種はどうしても色が濃くなりがちで、一房だけなら美しいが、たくさんになるとちょっとウルサイかな。
白藤もまた清楚で美しく
でもやっぱり色は紫
そのグラデーション
ああ、もうくらくらする。
いかがでしたでしょう。いっときの夢にひたれましたかしら???
(え?写真がひつこい?えろうすんません(^_^;)
あたりは花の香りが満つ。蜂も蝶々もやってくる。
やはり浄土としか言い様がない。
1年分の藤を十分楽しんで、奈良博の聖徳太子・法隆寺展行こう!