海が見える茶室〜海面の光りを映す - 2021.06.29 Tue
瀬戸内の島に海が前面に見える茶室を鋭意制作中、といっておられた茶友さんの茶室、今年ついに完成して、やっとお招きいただいた。

海沿いの崖に立つ邸宅は見事なまでに南欧の別荘といった感じで、こんなお家の中によもや数寄屋の茶室があるとはだれも思うまい。
ご亭主はヨットマンである。時間があればヨットをあやつりセーリングもすれば魚も釣る海の男なのだが、なぜか茶の湯にめざめて、京都に遊学、マンションに小間の茶室を作ったりされたが、数寄への思いますます深く、ついに瀬戸内のお家にご自分の思うとおりの理想の茶室を作り上げたのだ。
この日はたずさわった大工さん、植木屋さんとご一緒させていただき、マイナー手直しされるところも拝見したが、まあ、よくこれだけの要望を聞いてもらえたねえ〜とびっくりするほど細かく指示されるその情熱がすばらしい。(男が数寄にのめりこむと際限ない例をいくつもしっているが(^_^;)
ただの土だったところに這苔と砂苔、海風直撃で大丈夫なのかと思ったが、毎日朝晩水をやっているとのこと、潮気が洗い流されるのか見事に居着いている。
苔の維持の苦労は知っているので、苔を「お苔様」と呼ぶ気持ちがとってもよくわかる(^_^;
待合に我が敬愛する久松真一先生の短冊、これはうれしい。
乱れ籠を収納する棚も便利で、床柱がご自分で海で拾われたという流木(舟の一部)がすごく不思議な色で雰囲気がよい。実はこの木、海でさらされるうちにできた細かい穴に砂がいっぱいつまっていて、それを抜くのがたいへんだったと大工さん。
そういえば、京都のマンション時代の茶室には、フジツボのついたままの流木で作った炉縁を使ってはったなあ、と思い出す。どこまでも海の男。
二畳台目+一畳相伴席の茶室にはいって思わず歓声がでるのがこの眺め!
貴人口を開け放つと目の前が海なんである。
(ちなみにこの景色は枠が見えないように仕付けたガラス張り越しなのだ!)
写真ではうまく再現できないがこんな景色が見えるのである。正面に見える無人島の名前が茶室の名前になっていた。
もうどこを見てもびっくりで、多分伝統的な数寄屋造りではしないだろうと思われるようなアイデアも一杯あって、使われる材も独特。扁額の板が舟の櫂の一部だったり、落掛けが「矢切の渡し」の艪の一部だったり、掛け込み天井の垂木が節を残した木であり、化粧天井裏が杉皮であったり、垂木をとめるのが刳って溝をつくった丸太だったり、結構奇想天外、ほんとうにいろんな思い入れを全部つぎ込まれたのだなあと思う。
そしてこの茶室の一番の仕掛けは、、、、
夕刻のある時間だけ、海に反射した光が葦戸を通してきらきら土壁の上で踊るのである!この茶室ならではの演出に感激!茶会開始の時間が16時指定だったのはこういうわけなのね。
光りは時間の経過とともに扁額の上を走り、台目の前の土壁を走り、やがて消えていくのである。
ご亭主はいろいろ語りたいので、ということでお点前は茶室が出来てからお茶が好きだということが判明して仲良くなった女性庭師さんにお任せ。
特注の和菓子は銘を「凪」
床の軸(長い軸に対応できる床天井の工夫もすごかった!)は「竹 葉々起清風」
茶杓の銘は「涼風」
主茶碗が「早船」写し
、、、、テーマはズバリ、「ヨット」ですね!
懐石は南欧風の母屋のリビングでいただく。
懇意にされているという板さんをよんで、お料理をだしながら、板さんも席について飲んで召し上がっておしゃべりして、そういうのっていいなあ。ご亭主ご夫妻のおつきあいのお上手さ、人脈、これすべてだれでもウエルカムというお人柄によるものだろう。
なにしろ目の前は瀬戸内、美味しい生きのいい魚がなんでも手に入るのである。このしんじょう、鯛のすり身(ぜいたく!)なうえに中にアワビがはいっているの。
お酒は私の大好きな獺祭の磨き二割三分と三割九分、なんか久しぶりに痛飲したわ。
〆のご飯がもう泣かせる、、、岡山の祭寿司風寿司、ちょっと美味しすぎて食べ過ぎ、夜中にお腹苦しくて、、、
懐石のあとはふたたび夜の茶室へ
これまたよい感じなのである。私は見そびれたが、遠くの島の燈台のあかりも見えたそうな。
ご夫婦と、われわれ三人、お点前さん、板さんもいっしょにお茶をいただき清談になる。
京都ご遊学時代を知っているだけにようやく手に入れはったこのお茶の空間、ご亭主の幸せ具合がわかるのである。
そして一晩泊めていただいて、翌朝さらに大工さんと竹の雨樋のとりつけの位置の確認ディスカッションも拝見し、島をあとにした。
お土産もいろいろいただいたが、お点前をされた庭師さん手作りのヨットクッキーの出来がまたすばらしかったのである。
第1回?平安神宮古本まつり - 2021.06.28 Mon

ご近所の平安神宮では早くも茅の輪ができていた。(今年はどこの神社も早く立てたもよう)
早速くぐってきたよ。
境内では古本まつりと称する古書市が。京都では下鴨のが有名だが、はて、平安神宮でやってたかしら??と思ったら、今年はじめての試みだったようだ。第1回?としたのは、2回目があるかどうか不明なため。
ここで古本市を立ち上げようとしたいきさつはコチラに詳しい。
コロナ禍でイベントが次々と中止に追い込まれる中、古書店もご多分にもれず苦境にたたされている。イベントを回して、古書店に元気を、みんなに本を届けたいという願いに、平安神宮が賛同してくれたために実現したイベントだという。
大阪の古書店の店長のよびかけで、参加店は、地元京都、遠くは石川や岡山からも、合計18店。初めて古書市に参加するという店主さんも。
古本市をめぐるのは楽しい。どんな掘り出し物があるか、ぶらぶら、手ぶらで帰ることもあれば戦利品ゲットの時もある。こちらの店は主に児童書、ビニールの袋に詰めるだけ詰めた分1000円で、という方式。びっくり。野菜やお菓子といっしょや〜。
各店はそれぞれの得意分野やカラーがあるようだが、とりとめもなく雑多な品揃えもあって面白い。
一軒の店で、本の種類の仕分けの箱のキャプションに目を奪われる。
ついつい、全部読んでしまった。
店主はご高齢のおじさま、なんとなく昭和なユーモアのセンスがうれしい。
太秦のシルヴァン書店という店だったわ。
書架と売り場がそれぞれ別になっているのもコロナの時節っぽいな。その向こうに茅の輪。
さて、ひやかしのつもりだったのに、ついつい見つけて興奮して買いあさってしまったのは、、、
謡本である。だって一冊200円よ、新品買ったら10倍以上するのよ。でも15冊3000円はやりすぎだったかも(^_^; (檜○店さん、ごめんなさい〜)
水の貴船を行く2021 - 2021.06.26 Sat
先だっての茶事に貴船の御神水を使うべく、前日久しぶりに貴船神社へ。

(横向き座席のパノラマカーだが、一番見所の紅葉のトンネルはまだ復旧していない)
なんともう数年ぶりになる。3年前の台風被害で、市原より向こう(市原〜貴船口〜鞍馬)が復旧していない状態が現在も続いている叡山電鉄。市原から京都バスで貴船口、貴船口から貴船神社と乗り継ぎで行くのは初めてだから少なくとも3年ぶり。
(車でいけば楽ではあるのだが、あの道、離合がたいへんでいやなの)
着いた〜!
水の貴船、温度と湿度が全然違う。
我が家ではもう終わったユキノシタが今盛りを迎えている。
学生時代は鞍馬寺奥の院からよく貴船神社までのトレイルを踏破したものだ。府外の友人が来ると、鞍馬寺に案内がてらこの山道を歩かせて、閉口されたっけ。
水の神様、高龗神(たかおかみのかみ)を祀る貴船神社は豊富な山の水に恵まれ賀茂川の源流、まさに水の神社なのだ。どこにいてもじわじわ水がにじみ出してくるような感じがある。
毎年7月7日は水まつり、裏千家献茶祭に添釜もあるのだが、コロナで昨年も今年も中止。
ちなみに右下の黒馬と白馬は、日照りの時には白馬を、長雨の時には黒馬を献上したという逸話による(絵馬の走りとも)
豊富な山の水でここならでのお楽しみがある。右上の人がなにを水に浸しているのかというと、、、
水占みくじ
水につけると文字が浮き出てくるというもの。(今回の茶事のお土産にお客様のぶんもゲット)
さて、こんこんとわきでる御神水、ポリタンクでもらいに来る人もあるが、車でないのでそれはちょっと無理。
神社で500円で買えるプラ容器に冷たい水を詰めてもちかえる。ほんと冷たくて、手ぬぐいでくるんで鞄の中へ。茶事の準備のミッション終了。
せっかくだから歩いて10〜15分の奥宮まで。
右手に次々と現れる川床に目をうばわれながら。
コロナの影響か、完全に閉まっている店もあれば。売り家になってしまった店もあって、席数を限っているせいかちょっと閑散としてさびしい。
玉依姫(どこにでもでてくる玉依姫、固有名詞ではない)が黃色の舟に乗って、淀川から鴨川と遡って水神を祀る場所と決めたのが、この奥宮。よって黄船→貴船とか。本来ここに本宮があったのだが平安時代に流出、現在の場所に移転し、ここを奥宮としたそうだ。
その貴船が岩に封入されているのが御舟型石と言い伝える。
なににせよ白鳳時代にすでに遷宮の記録があるので、かなり古い古いお宮なのだ。
しかし、この圧倒的な緑は水と山の霊気のたまものか。
ここにもユキノシタがたくさん。水を好む植物。
そしてまたまたせっかくだから、と言い訳しつつ、川床でお昼ご飯。
水は冷たく、じっとしていると肌寒くなるくらいである。なるほどやっぱり貴船は京都の奥座敷だわ。町にもどったときの暑さにびっくりした。
水の神 います社に詣ずれば その名にし負う 水の貴船は (腰折れ一首)
新作能「沖宮」〜石牟礼道子と志村ふくみ - 2021.06.24 Thu
金剛能楽堂にて新作能「沖宮」を見んとぞでかけつる。(能のノリで)

原作が水俣の苦難を描いた「苦海浄土」の石牟礼道子、長らく交流のあった染色家・紬織りの人間国宝、志村ふくみ、衣裳監修の新作能である。
2年前初上演されたが、その時は知らず。知人に志村さんの内弟子さんがいたので、昨年おこなわれた沖宮にまつわるアトリエシムラ主催、ワキをつとめた有松遼一さんとのトークイベントに参加し、初めてその新作能を知ったのである。
この能にこめたふたりのメッセージを、コロナ禍の今届けたいと関係者の尽力とクラウドファウンディングで再上演が実現したのだ。ちなみに今回のチケットはそのCFのリターンである。
大雑把なあらすじ、、
島原の飢えと干ばつで苦しむ村から、島原の乱でみなしごになった天草四郎の乳母子あやを雨乞いの生け贄にさしだすことになる。今生の別れにと、村長がなくなくあやを原砦に連れて行くとそこに天草四郎の亡霊が待つ。四郎はいくさで原砦で死んでいった人々の苦しみを思い、また今干ばつで飢え苦しむ村の人々の苦しみを重ね、海の龍神に生け贄としてささげられるあやを憐れむ。
原砦の古い蔵からでてきた旗指物は洗えば花の如き緋色の布、これを衣に縫い上げてあやに着せる。これをまとい、御幣を持ってけなげに雨たもれと祈るあや。
やがて雷鳴とともに海中よりあらわれた龍神(初演では龍神、今回は大妣君・おおははぎみ)は生命の母、その住み家たる海底の沖宮へ、あやは四郎に導かれていくのであった。
見所はやはり衣裳であろうか。普通の能衣裳と違って紬だし、草木染めだし。
四郎の亡霊には水縹色、それと対照をなすあやの衣は緋色、それぞれ藍は紅花などで染めた衣、これは舞台上で見て視覚的にとても美しかった。
(沖宮HPに美しい写真たくさんのっているのでそれ見てね。)
初演では龍神の衣が紬ながら金糸などが入った珍しいものだったが、今回大妣君は母なる女性の紫色の衣、演じるのは宝生流宗家。四郎役は金剛流若宗家と宝生金剛のダブルシテとはこれは豪華だ。ワキの村長の有松さんは実は心茶会の遠い後輩、これもうれしい。
沖宮で石牟礼道子が伝えたかったもの、実はいまだによくわからないでいる。人柱や生け贄などの過去にあった風習を受け入れられないのもあるが。あやが大妣君の住む沖宮へ行くと考えることがせめてもの救いなのだろうか。
雨と水の茶事〜簾導入 - 2021.06.22 Tue
クーラーのないわが茶室でいかに暑い夏に茶事をするか、、、10年来の課題である。
今回ベテランの茶友さんたちにおつきあいいただき、新機軸?のお試し茶事を。

玄関に傘の花入れ。
本席に趣向で花をいれないので、せめてここに裏庭の紫陽花を。
待合のこの方達に今回持たせたのは小野小町。
花の色はうつろいけりないたづらに わがみよにふるながめせしまに
眺め〜長雨の掛詞、まあ雨にちなんで、、、というこの日も、梅雨らしい降ってはやみ降ってはやみのお天気。幸い席入りと退出のときに雨降らず、露地をつかえたのであった。お客様の日ごろのおこ心がけか。
待合の座敷は網代に葦戸にすでに建て替え
今回の秘密兵器?祗園祭のお茶会でお世話になっている久保田美簾堂さんに誂えてもらった簾!
かくの如くうまく半分に揚げられる。水屋のクーラー風をなんとか茶室にひきこもうとあれこれ考えた策である。(太鼓襖の幅の葦戸がみつからないのだ)
なんだか夏の風情が一片にアップして、涼しさだけではなく、思わぬ効果が。
こちらは茶事の前日、貴船神社へでかけていただいた貴船の御神水。たくさんは持ち帰れないので、このボトルの水を炭手前の時に釜に投入するというパフォーマンスを。
そしてもうひとつ、昨年ゴムのチューブを芯の輪っかにして作った茅の輪(真円にならず)、今年は、おけ庄さんに頼んであつらえた桶のタガ(竹)を芯に真円の茅の輪作り。
京都にはこの季節即席茅の輪師がぞくぞくとあちことでうごめき始める(^_^; 一足お先に。
完成〜!
初座の花にかえて
さて、簾の涼しさ効果はいかがであっただろうか。
みなさん、涼しいよとやさしくおっしゃって下さるが、この日は雨で気温があまり上がらず、好天の夏日はいかがあいなりますか、これはまだワカラナイ。(次なる犠牲者、いや、実験台、、いや勇気あるお客様物色中)
こちらも先日うるわし屋さんで夏向きに、とゲットした貝寄せ蒔絵の煮物椀。本来貝寄せはお雛様の頃なのだが、貝=海の思い出、ということで夏もいけると思う。そこらへんは柔軟に。
酒器は今回は姫ばかりなので、蒔絵の汁次に。
そうそう、毎年この季節やってるコントもお忘れ無く。
待合の大津絵「太鼓を落とした雷様」
そして、、、
おお!こんなところにその太鼓!(香合)
というお遊び(^_^;
主菓子はお世話になっています、みのり菓子さんの錦玉「雨跡」
どの器に盛ったらいちばんお菓子が生きるのか、みのり菓子さんのお菓子はいつも見てから菓子器を決める。
後座
またここで思いがけない簾効果
水屋で拝見した席中の様子だが、燈火がすけてなんともいい風情になった。これは亭主の役得かもしれぬ。
御簾の向こうでは雨の夜の品定め(女性でなくて茶道具の、、)がおこなわれている模様、ええなあ簾、日本家屋は夏が美しいなあ、、、とひととき暑さのことを忘れていた。
というようなことに気をとられすぎて、肝腎の炭が、、、ちょっとぬるい濃茶になってしまいもうしわけないm(__)m 炉で失敗したことはないが、風炉の火はむつかしい。
引きだし式の干菓子器にいつもいい仕事の亀廣保さんの干菓子を。少し季節は過ぎたが蛍狩り。
今度炭斗を蛍籠にして、あ、こんなところに蛍が!というコントにしてみようかな。
(独座観念 お客様の視点をたしかめる)
お客様の御指導とやさしさに助けられてなんとか簾の夏茶事一会終えました。これなら夏もいけるんちゃうん、とちょっと鼻息あらくしてます。本格的な炎暑はこれからだというのに、、、
嵐山福田美術館〜「美人のすべてリターンズ」 - 2021.06.20 Sun

嵐山渡月橋
こんなに人も車も少ない嵐山は珍しい。
いつもならまっすぐ歩けないくらい観光客でごった返す嵐電の周辺も、お店の8割〜9割方シャッターおりている。昨秋はこの伝で初めて秋の嵐山(ごったがえさない)へいけるかと思ったのだが、GO TOなんちゃらでけっこうな人出っぽかったのであきらめた。今年の秋はどうであろうか。
秋もさることながら(って秋はしらんけど)青葉の季節の嵐山も、緑が眼前にせまってくるようで美しい。
渡月橋の少し上にある福田美術館への道。
山の緑と川の緑に圧倒され、気持ちよく酩酊す。
福田美術館も緊急事態宣言下でしばらく休館していたが、6月から予約で入れるようになった。
ここはハイテク美術館?で、入館もQRコード、音声ガイドも自分のスマホでできるのだ。(イヤホンは借りられるが、持参した方がよい)
今回の展示は上村松園の美人画をメインに、伊東深水、鏑木清方、伊藤小坡など美人画の名手の作品の数々。なぜ「リターンズ」かというと、この展示、昨年コロナ感染拡大で途中で閉幕となったからなのだ。
ここからの嵐山の眺めは絶景ながら、景観維持法でガラス窓を素通しにできず、磨りガラスの模様がはいってちょっと見えにくい。(模様を避けてなんとか撮った一枚)
さて、やっぱりメインは松園である。
申し訳ないが松園の美人画を見たあとではさすがの深水も清方もかすむのである(私基準)
ましてや浮世絵の動きのない画一的な顔になんで惹かれるのかワカランくらいになる。
(一部作品をのぞいて撮影OKの欧米方式、太っ腹)
松園の作品でお能や歌舞伎に題材をとったストーリー性のある絵も好きだが、今回の展示のように日常生活や家族生活のなにげない一瞬をきりとった作品もまた心惹かれる。
鏡の前で自分でポーズをとって写したという作中人物の姿勢はいまにも動き出しそうで、息づかいまでも感じられる。登場人物たちの人間関係や、どんな会話をしているのかまで想像(妄想)できてしまう。
「お姉様、土筆をみつけましてよ」
「あら、ほんたうに○○ちゃんは土筆をみつけるのがお上手ね」
「今晩お夕食におひたしにしていただきませふ」
などなど(^_^;この時代にタイムスリップしてしまいそう。まだ女性の所作や、話し言葉が美しかった時代へ。
着物や帯の柄、帯の結び方、匂うような髪型、髪飾りの一つ一つの細やかで美しい様は女性なら胸キュンまちがいなし。持っている扇や化粧道具、筆、草子、レース編みの糸や針まで、小道具にも目が自然といくのである。
珍しいのが「雪女」
モノトーンで女性の姿は白い影しか描かれず、持っている刀だけがリアル。こんな絵もあるんだ。
「雨を聴く」では雨も窓の景色もなく室内にいる女性の姿だけで雨を想像できるし、「月かげ」は着物姿の女性のくっきりした影だけで月のさやけさが想像できる。
そこに物語が広がって、ほんとに松園、いいなあ。(一枚だけ素描的な松園を持っている←自慢)
すみません、他の画家の美人画すっとばしてしまいまして、、、(^_^;
美術館のとなりのアラビカ珈琲。
ここもいつも長蛇の列でおそれをなして行かなかったが、この日はめずらしくすいており初めて中へ入る。中からの眺めもよい。
カフェラテをテイクアウト、
川べりでいただきました。
5年ぶりの鱒鰹審判茶事〜其中庵 - 2021.06.18 Fri
大正15年、名古屋を代表する若き数寄者五人衆の敬和会で、 かたや木曽川の鱒を天下に匹敵するものなし、とする山内茂樹、かたや遠州灘を越した旬の鰹にまさるものなし、とする粕谷徹三。
ならばその優劣をきそってみようではないか、という話になり、審判をまかされたのがかの益田鈍翁であった。鈍翁は、、、
< 鱒鰹 まさりおとりを知りたくば 馳走になった 後に語らむ >
と詠んで、鱒鰹審判茶事をひらかせることにしたのである。
この逸話をしったのは5年前のこと、其中庵さんが楽々荘時代に鱒鰹審判茶事へのオマージュ茶事をひらかれた時であった。もう5年もたつのか、早いなあ。

今年久々に鱒鰹審判茶事を開くことにされた其中庵さん、場所も変わり、5年の月日、どんな違いを見せつつ展開されるのか、楽しみにでかけた。
待合の掛け物はもちろんこの茶事の発端となった鈍翁の「鱒鰹、、、」の歌である。
本席には竜田切(源家長・後鳥羽上皇に仕えた 三十六歌仙の一)、和漢朗詠集「躑躅」である。これはずっと昔、まだ其中庵さんとお知り合いになったばかりの頃から、何度も拝見している懐かしい歌である。
珍しく諸飾りで、唐物の末広籠にいれた大山蓮華、紫陽花、ヒュウガミズキの葉
懐石ご担当はもちろん富山の万惣さんである。
向付が讃州窯で初代と二代道八が焼いたという織部風魚(カワハギっぽくてかわいい)の形の焼きもの。公平を期すためこれには鱒鰹ではなく、鱧とキュウリ。
汁に三ツ葉のすいとん、なんだろう、懐かしいような美味しさ(すいとん世代ではないけど。最近の若い人はしらんやろうなあ、すいとんなんて)
いよいよ鮭鱒決戦、名古屋での料理に倣って鱒の蕗の葉(本歌は朴の葉)包み焼きと鰹のたたき。
たたきはおかわりまでご用意くださってたらふくいただく。初戦、私的には鱒に軍配。
第二戦は八寸、鱒の燻製と鰹のアラだきである。八寸のご馳走は本来客がするのだが、用意もなく其中庵さんの「水無月祓」の一節を頂戴する。
今回お詰めに日ごろお世話になっているNにいさんが入られた。
其中庵さんとは大学も同窓、聞けばほんとうに長いおつきあいなのだそうだ。お隣の美女にすすめられるまま、痛飲されるNにいさん。そして炸裂するダジャレ、今回すっかりもっていかれた感があるわ(^_^;
炭手前では、5年前と同じく、鎌倉彫りの軍配香合。さてどちらに軍配があがったか?
私はやっぱり鱒にあげたいのだが、鈍翁はうまいこと
< 一度では 勝負わからず 鱒鰹
次の年まで あづかりとせむ >
と引き分けとして、その上次回も催促するというスーパー審判ぶりであったという。
懐石の器は、勝負に黒白を付ける、という意味で黒白掻き分けの皿、酒器も白磁に黒高麗、お菓子も白黒きんとん(老松製)と徹底的に勝負にこだわる。面白い御趣向だが、これもお蔵が深くないとできないお遊び。
後座の床には大綱和尚の「○(円相)」、この勝負引き分けと丸く収めた、の意。
濃茶の茶碗は前回と同じく鈍翁の焼物を作った鈍阿の「いわお」
覚々斎原叟てづくねの黒楽「鈍太郎」に憧れて鈍翁が写させた茶碗で、鈍翁が審判をしたこの茶事にふさわしいものであった。これを其中庵方式(練った後、漆の匙で磁州窯鉄絵小杯に分け分け)にていただく。
茶入が其中庵さんの庵銘にちなみ「一楽」(「楽在其中」)。これも高取。(最近高取の茶入をよく目にする。ブームなのか?)
茶杓もおなじみ「楽々百万遍」。稽古用の茶杓を、其中庵さんが白衣観音の真言を唱えながら100万回磨いたという物でなかなか味がでてきている。歴史学者で茶杓を自らも作られる西山松之助先生に銘と書付を拝領されたという茶杓なのだ。(西山先生が100万回磨いたという「百万遍」という茶杓にあやかったものかな)
薄茶はたくさんの茶碗をだしていただいた。白黒かきわけの古高取(遠州以前とか)、井戸茶碗かと思うような瀬戸唐津、斗々屋、萩の粉引、こちらでは珍しい紫陽花の色絵など。
薄器が「太夫棗」
薬器のような、薄い蓋の棗で、鈍翁が沢庵遺愛の品川東海寺老松をもって、かの喜三郎にいくつか作らせ配ったというものの一つ。秦始皇帝が驟雨にみまわれたとき、松の下で雨宿りをしたので松の木に「太夫」の位を与えた、という故事にまつわる。(中国では松のことを太夫ともよぶそうだ。竹は此君だね)
干菓子器が清朝七宝の盤、これ蓋つけて水指にするにはちょっと深さが足りないか。
干菓子が生のジューシーなマスカットを求肥でくるんだ「ひとつぶのマスカット」というお菓子。
マスカット→ます勝っとう(博多弁)→鱒勝ち
というダジャレ遊びなのでありました。でもやっぱり私も鱒に軍配あげたい。
楽しい二刻、茶事の道具の取り合わせについて勉強もさせてもらいました。ありがとうございます。
なかなか懐石までに茶事のテーマをからめるのはできることではなく、一人亭主だとよけいハードル高いわ〜。
金毛院月次茶会90周年記念茶会 - 2021.06.16 Wed
法然院のたもとにある金毛院では毎月(コロナ前まで)月釜をされている。最初に来たのがもう10年以上前、それから単発的に時々お邪魔していたが、その歴史が90年とはしらなんだ。
数年前に月釜の釜を掛けさせていただいたご縁で、お招きいただく。

和尚様ご丹精の露地は今緑と紫陽花が美しい。浄土宗のお寺である。
(金毛院〜金毛=獅子〜しし〜ししがだに〜鹿ヶ谷?)
開山は18世紀前半の忍徴上人。後水尾天皇の皇女・光子(てるこ)のちの法内親王照山元瑶尼に「金毛院」の号と額字を賜ったとのこと。その扁額はいつも拝めるが、その御染筆そのものの軸が待合にかけられているとは。法内親王(修学院離宮そばの林丘寺初代門跡)は、寛永時代の一級の文化人であった父帝の薫陶を受け、和歌や書、絵画にすぐれた才能を有した方であったそうだ。たしかに勢いがあって端整な書体だわ。
(苔の間の水引草の残し方が絶妙)
ごみのおさん(後水尾天皇)といえば、天皇さんの中でもお茶がとても好きな方で、法内親王もしかり、修学院の茶室を金毛院に移築されたとのこと。
明治になり荒廃した茶室であったが、淡々斎の肝いりで谷川茂庵(裏千家老分)、円山伝衣上人(大徳寺)などの尽力により復興、昭和6年第一回月次茶会以降、現在まで脈々と月釜は続けられているのである。
今回その歴史は初めて勉強させていただいた。京都の歴史を語らせたら一級品のM女史とご同席させていただいたので、有り難いことにその解説付きで。
もちろんお茶を愛してやまないご住職のご解説もたっぷり拝聴。御当代しか存じ上げないが、茶の湯を愛することはずっと先代先々代からとのことで、続けて茶の湯好きの家系ってあるんや〜と少々うらやましい。いや、そこまで続いていることが奇跡か。
(数種の紫陽花も美しくご丹精のたまもの)
青洋さんの誂え菓子「ここのえ」(道明寺の中に夏蜜柑ジャム、上に九片の花びら)をいただき、小間・凌雲亭へ。入り口に紙が一枚敷いてあったので、御宸翰?と思ったら法親王のお父上、後水尾天皇の御宸翰であった。「廬橘(夏蜜柑→あ、お菓子のジャム!)」「水鶏(くいな)」の和歌である。
宗旦の竹花入は来歴がはっきりしているものだが、その色がすごい。もはや竹の色でなくメタルっぽいグレー、造型は大きくへこんでいるのがみどころの銘「さしひき」。花は石榴と笹百合。
炭手前から拝見できたのはうれしい。
(金毛院近くの哲学の道)
和尚様(まだお若い)はかなり道具がお好きと見えて、お寺の歴史とお蔵の深さを感じさせる正統派から、かなりマニアックなものまで、たくさん拝見させてくださり、語りも熱い熱い。ほんまに茶の湯がお好きなんやなあ。
濃茶のあと、薄茶用干菓子が法内親王の御染筆「金毛院」の焼き印がはいった煎餅。
それに五彩の雲に乗って飛翔する鳳凰の羽根、、、のイメージの雲平、これも青洋さん製。干菓子がのっている盆に闇蒔絵(夜桜棗の技法)の牡丹と鳳凰が描かれていたので、その鳳凰の羽根なのね。
薄茶もたくさん御茶碗をだしていただいたが、マニアックすぎて(^_^;覚えきれない。雲州伊羅保はよかった。古備前の種壺水指も和尚様が自慢されるだけあって、360°どこから見ても景色がかわるという逸品、古染の蓋もうらやましい。
茶杓が復興に尽力された伝衣上人ゆかりの伝衣椿を以て作ったというところでめでたく大団円である。
江戸時代も茶の湯はそれなりにさかんであったし、ごみのおさんみたいな天皇もおられたが、遠州より後の茶の湯の歴史ってすっぽり自分の中からぬけおちてるな、と思うことがあって、陶工の名前も聞いてもワカランのばっかり。今後これは勉強していかなあかんと思う。
点心までいただき、先代ご住職のお酌もいただき、ありがたく帰途につく。
コロナで5月開催予定が6月に延期になり、お道具組的にもたいへんであったと推察するが、お見事でございました。次は100周年めざして続けられますことを。(そのころ自分はどうなっているかワカランけど)
点心の時に自家製梅酒が入っていたガラスの器、引き出物として拝領いたしました。
Barでパフェを食す〜うえと - 2021.06.14 Mon
三条白川にあるスタイリッシュバーうえとさん。
緊急事態宣言で、お酒の提供がままならないなか、2日限定のパフェ祭だと!

SNSで情報を拾ったのが当日、滑り込みで最後の一席にセーフ!
カウンターの後ろの壁にいつも一輪だけ花を投げ入れ。BGMもおだやかに。出来たばかりのころ何回か来たことあるのだが、ちょっと距離感がつかめずご無沙汰、ほんに久しぶりであった。
パフェを提供して下さるのは、お菓子教室シトロンの山本稔子先生。
3種のパフェから選ぶのだけれど、3種ともきっちり食べて帰る方もいらっしゃるとか(^_^;
私はレモンパフェをチョイス。
ソフトドリンクだけれど、マスターを見ていたら、バーでカクテルを作ってもらっているような気分になる。
パフェができあがるまで、スタイリッシュな内装を観察。ドアの外は三条通りだ。
二階は個室で借りることができるらしいよ。
カウンターのはしっこの柱がきれいなナグリになっている。
選んだ飲み物は白紅茶。色は薄いのにしっかり紅茶なんだね。(絵づらだけみると水割りみたいね)
先に来たお隣さんのプリンアラモードを写させてもらう。これも美味しそう。
来た来た!レモンパフェ♪
レモンブラマンジェ、レモンメレンゲ、レモンマーマレド、レモンウエハース、、、のレモン尽くし!美味しゅう御座いました。
滑り込みできてほんまラッキー、来年もパフェ祭、参加するぞ〜!
国宝鳥獣戯画のすべて〜東京国立博物→青花の会骨董祭 - 2021.06.12 Sat
コロナで一時閉館し、どうなることかと図録だけ先にお取り寄せした展示である。
簡単に自立しちゃうんだ、この図録(^_^;
さいわい6月から再開され、予約しての拝観となった。

おりからの雨とビニール傘がなんどもひっくり返るという強風のなか、上野公園をあるくのはなかなか骨がおれる。そのせいか思ったより人は並んでいなかった。(別の日にちや時間帯だとけっこう長蛇の列だったこともあるようで)
数年前京博でも鳥獣戯画展あったのだが、びっくりするくらいの待ち時間と聞いてあきらめたのだ。今日洛都のカタキを江戸でうつ。
図録であらかじめ勉強?してきたので、とにかく一番有名で一番見所のある甲巻重視で行こう。
最前列ねらいだとそれなりの行列。聞いてはいたが、甲巻のまえだけゆっくり動く歩く歩道になっていて強制移動、立ち止まり不可。まあしかたないね。
いつ見ても思うが、平安〜鎌倉にかけて、1000年も前にこんな漫画的表現がすでにあったなんて!日本人と漫画って親和性高すぎるやろ。
こんなに動物の体の特徴や、複雑な擬人化されたポーズが、素描で迷いなく描けたなんて、いったいどういう名人がこの絵を描いたのだろう。(鳥羽僧正説は否定的)
もう兎がなにをしていても可愛くて可愛くて。
鼻つまんで後向きダイブも萌えるし、カエルに耳をかじられたり、競べ馬(鹿?)で猿に耳をひっぱられたり、あの耳が愛らしすぎてなんともいえない。
烏帽子の下で、その耳が横に折れ曲がっているところでかわいすぎて悶絶しそうになった。
あとカメラ目線のミミズクや、乙巻の葉っぱの烏帽子をかぶって迷惑そうな顔で香箱作っている猫も捨てがたい。正直丁巻はどうでもよかったかな。
鳥獣戯画は時の流れとともに一部切り取られたり、巻物のはりつける順番が狂ってたり(のちに修正)、描かれた当初の完品は見ることができないのだが、今回その断簡も展示もあって、これは巻物のどのへんにあったのかの解説もありがたかった。
鳥獣戯画を所有する栂尾高山寺は大学時代から合宿もした懐かしい場所なので、明恵上人についてもちょっと詳しいわよ、とかエラソウに言いながら明恵上人絵伝なども拝見。
(ちなみに台風被害後のCFのリターンで終生無料で入山できるのo(^▽^)o)
それにしてもほんっと久しぶりの東博(2〜3年ぶり?)にまた来ることができてうれしい。嵐でなければ本館のミュージアムショップにも行きたかったが。
その足で、招待券をいただいたところの青花の会骨董祭に参加すべく、神楽坂へ。
会場の√K contemporary、えらくスタイリッシュなギャラリーだこと。
会員1000人という青花の会なのでどんな渋い人が集まっているのだろうと思ったら、意外と若い人が多くてビックリした。骨董や美術品に興味がある若者、たのもしいなあ。
大好きな李朝高麗物、仏教美術などドストライクの店ばかりで、久々の物欲の脳内宴となったが、東京からの持ち帰りも考えちょっとしたものだけ手にいれました。
京都や奈良の骨董屋さんにも江戸で会った、ネットでお世話になってる骨董屋さんにも初めてお目にかかる、なかなか楽しい宴であったわ♪
茶入と茶碗・「大正名器鑑」の世界〜根津美術館 - 2021.06.11 Fri

東京へ来るのは1年4ヶ月ぶりだ〜。昨年2月、最後に行ったときに「マスク忘れた、まあいいか」くらいの感覚であったのだがそれからの経過にはほんまにびっくり。
しかし、品川駅にこんなに人がいないのははじめて。(都心部はそれなりの人出)
東京で一番いっている根津美術館も一昨年の秋以来久々。
今回の展示は、高橋箒庵、畢生の大事業「大正名器鑑」の世界、それに収録された名器を根津のコレクションを中心に実物といっしょに拝見するという贅沢な物。
しかし、大正名器鑑、名前はメジャーなわりに、あんなスペースオキュパイなもの(ポスターの箪笥みたいな物が2つセットになっている)、復刻版にせよ持っている人は少ないと思うので、わたしもあまり実物を見たことがない。
さすがにお茶の先生は持ってはった。お茶の教授者たるもの、これくらいはもってほしいと思うのだが。普通の家には無理。(ちなみに国会図書館デジタルコレクション☆で見ることができる)
「大正名器鑑」はあらためて説明するまでもないが、大正10年〜昭和元年にかけて、実業界を引退した高橋箒庵が大正10年から昭和元年にかけて編集した茶の湯の名物記(茶入と茶碗)である。
松平不昧公の「古今名物類聚」を指針にしたというが、そちらは写真でなく絵、写真がつかえるというのは強いなあ。
(大師会でも使われる茶室のひとつ 弘仁亭)
中身を実際にまじまじみたのは初めて。
各名物の「名称」「寸法」「付属物」「伝来」「雑記(文献資料など列記、これで学術的価値があがったらしい)」「実見録(箒庵が実際に見た感想など)」それに本体、茶入なら底、挽屋から仕覆などの付属品にいたるまでの写真がつくのである。
これはたしかにすごい、大事業であっただろうなあ。
(大雨であったが根津の庭園はいつきてもすばらしい)
記録をとるにあたって、箒庵は160ヶ所以上もの所蔵先を訪ねたと言うから、体力的にも精神的にもタフな人だったのだなあ。(経済的にはいうにおよばずうらやましい)
中には関東大震災でその後失われたものもいくつかあって(利休七種赤楽の「木守」など)、これはその貴重な資料となっている。そもそもこの名器鑑を作ろうと箒庵が思いついたのが、失われることもあるだろうから今のうちに記録を、ということだったらしい。
記録を見ながら実物の名器をみるとまた格別の味わいがある。
根津青山とも家族ぐるみの付き合いであったらしく、ここに所蔵されている名品も多い。まずは根津の名品中の名品「松屋肩衝」!でた!という感じ。まあこの肩衝は付属品の多いこと多いこと。
大好きな鼠志野「山の端」もでた!
印象的なのは、
瀬戸肩衝「雪柳」(釉薬が溝をつたってかさなった雪柳の枝に見える)
青井戸「柴田」
三島の「上田暦手」
あと目がハートになる(^_^;御本の茂三(内側に鶴刷毛目あり)などなど根津のお宝総動員みたいな感じで頭はお祭り状態になるのである。
この名器鑑刊行後に、それをねぎらって根津青山が慰労会を開いた時の茶道具も展示されていて、二人の交流の深さを実感する。
しかし、いいなあ、お金もあって(まあ実業界では苦労もあっただろうが)時間もあって、ハイレベルな茶の湯の同志もいて、箒庵うらやましすぎる。
それでもそんな茶の湯者、みんながみんなこんなふうに心血を注いだ事業を残すわけではないので、箒庵、見直したぞ(それまでゆる〜くしか彼のこと知らなかったな)。
箒庵の書に
「散る花も 紅葉も掃きて 春秋の あはれを知るは 箒なりけり」
うまいこと言う、とこれまたうなってしまった。
美術館をでて青山骨董通りを歩いて見たが、肝腎の骨董屋がどこにも見つけられなかったのはなぜだろう???
宇治興聖寺2021 - 2021.06.09 Wed

三室戸寺からそのまま宇治川へ。
今日も宇治川は流れが速い。鴨川のチンタラした(^_^;流れにくらべたら、きりっとしている。
喜撰橋のたもとには鵜飼い船の船宿が並ぶが、今はコロナで鵜飼いも行われていない。
橋の近く、鵜飼いに使われる人工孵化の鵜(ウッティー)と捕獲された野生の鵜が別々のケージに入っていた。見た目の差はないし、どちらも水に潜るのが習性のようだが、人工孵化の方は縄がなくても逃げないんだそうだ。
喜撰橋を渡る。梅雨とは思えぬ良い天気。
喜撰の由来は、世を宇治山と人はいふなりの喜撰法師と、お茶の等級の喜撰をかけたのだろう。
右手の浮島十三重塔は西大寺の叡尊(儲茶のヒト)が寄進した重文である。(江戸時代に流されてのちに発掘再建された)
めざすのは興聖寺。臨済が多い京都にあってめずらしい曹洞宗のしかも最初にできた禅寺である。
宇治川を背にゆるい坂道をのぼる参道は琴坂と称する。
宋からかえったばかりの道元が作ったせいか、ちょっと大陸風の山門。
ちなみに最初は伏見深草にあったが、叡山の弾圧にて廃絶、江戸時代に朝日茶園のあった現在の場所に再建されたという。ここかあ、宇治七名茶園の一つの朝日があったのは!
「曹洞宗興聖寺専門僧堂」
ここは今でも禅宗の道場であるので、若い修行僧の方々が全国からこられて、作務をされる姿をお見かけする。なんと希望すれば一般の人も長期参禅者として受け入れて下さるのだそうだ。
おや、前来た時はなかった参拝券(御朱印も!)の自販機が。時代やねえ。コロナによるところもあるのだろう。(前は玄関で声をかけてから拝観していた)
この日は30℃を越えるか?と思われるような夏日だったが、ず〜っと炎天下で作務をされていた修行中のお坊さま。頭が下がる。お疲れさまです。
下足を脱ぐところは昔の小学校の木造校舎みたいでなにやらノスタルジック。
玄関はいったところにある厨は現役。古いお寺の天井の高い厨って惹かれるなあ。
食事の時間などをしらせる雲板と、、
それと並んで元気よく、元気玉、、、じゃなくて(^_^;煩悩玉を吐き出す魚板。
禅宗のお寺ならではだが、どことなくユーモラスで好きだな。
昨今はコロナ対策で手水を使えなくしているところが多く、そのかわりに、と花手水にしているところが多い。これは紫陽花とツツジ。お坊さんが毎日作っているところを想像したら、なんだかほほえましい。
触って願い事を、という大型木魚にも「抗ウイルス、抗菌」(^_^;
毎日の作務で掃除が行き届いているので、廊下には塵一つなく、抗菌抗ウイルスコーティングより、こちらの方が大切。
開山堂
中庭をかこんでぐるっと書院や法堂、方丈、を巡る。どこも人影がなく静かで穏やかだ。
ここが僧堂、座禅道場である。
只管打坐
ただただ一心に坐禅を組む、道元の教えである。
一般の人も、参禅といっしょに正法眼蔵の講座を聞くことができるそうだ。
(大学の時一応読んだが全然記憶にない、、、)
坐禅の時間を計るのは、かつては香一炷であっただろうに、現代はデジタル!
掃除の行き届いた僧院でぼ〜っとひなたぼっこするのも心地良いものだ。これも悟りへの道???の一つであろうか。(これといってなにも目的なく時間を過ごす方が、今から坐禅します!と意図するより、悟りに近づけるんだそうだ)
衆寮(修行僧がそれぞれの日常生活をおくる場所)のそばにある花手水は、また格別華やかで、厳しい空気の漂う禅寺の中のオアシスになっているような気がする。
登ってきた琴坂をゆっくり下る。
門の向こうはもう宇治川だ。
喜撰橋にもどると、なぜか近寄ってもびくともせず、あたりを睥睨するアオサギさまがいらしたわ。
花菖蒲の勧修寺〜紫陽花の三室戸寺2021 - 2021.06.07 Mon
東山を越えて山科の地の勧修寺(かじゅうじ)に花をたずねて。

樹齢750年のわさわさひろがるハイビャクシンに埋もれそうになっているのは水戸光圀寄進の勧修寺型石灯籠、ここのお寺のシンボル的存在である。
その向こうに広がるのが氷室池
花菖蒲と睡蓮のまさに見頃である。
平安時代、醍醐天皇が母の追善のために作らせた寺は、その後も門跡寺院としての格式を保っているが、普段は内部の拝観はできない。けれど氷室池を中心とした広い庭園はよい散策場所で、特にこの季節は三々五々人の姿が。(ただし例年よりはやはり少ない)
ここの睡蓮は先日みた平安神宮神苑の睡蓮に比べると少し小型で可憐だ。
びっしり茂る葉の間をゆるやかに泳ぐ錦鯉、平和なひとときだなあ。
これは花菖蒲だが、少し前には杜若も咲いていたらしく、また藤棚もあって、おそらく盛の時は藤の花も美しかったに違いない。でもこの時期しか勧修寺に来たことないのよね(^_^;
ちなみに勧修寺は正式には「かじゅうじ」と読むが、地名になると「かんしゅうじ」。ややこしい。
見上げるとタイサンボクと思われる大きな白い花も咲いている。ここも花の寺なんだな。
氷室池を一周しようとすると阻むように「この先キケン」の看板がぶらさがっているが、入るなとは書いていないので自己責任?でいつも入っている。じつのところ整備はされていないがどうってことのない道なんである。(責任は負いません)
氷室池の裏には自然がいっぱい、野生の鴨なんかもきているし、
ひっそりと石仏もたっていらっしゃる。
氷室池を一周した後は、そのまま足を南にのばして宇治まで。
この日は三室戸寺の紫陽花園、今年のオープン日。
京都・奈良の紫陽花の名所と言われるところにはほぼ全部行ってみたが、私の中で紫陽花が最高なのは奈良の矢田寺とここなのだ。(あと善峯寺もポイント高い)
おやおや、初めて見るわ、この紫陽花の階段!
上から見るとこんな具合に色違いの紫陽花の鉢をならべている。これはたいそうご苦労だったと思う。
階段の上にいらっしゃる宇賀神さんの後ろ頭。
まずはお参り。
三室戸寺といえば紫陽花寺とよばれるけれど、実は蓮の花も有名。かつて夏の盛り、ここの蓮の葉で象鼻杯をしたこともある。(蓮の葉の中心には蓮根のような小さな穴がいくつもあるので、ここにお酒をいれて茎をストローのように吸って飲めるのです)
しかし、我が家の蓮の鉢に比べると格段に育ちがいいなあ、ここの蓮。
紫陽花園におりてみるが、ここ数日はこんな好天である。梅雨はどこへいった??
なので、紫陽花も暑さと雨不足で若干元気がないのはいたしかたない。
それでも日陰の紫陽花はそれなりに元気。
ここも紫陽花の色はさまざま
時期的にはちょっと早かったが、、、
爪紅の紫陽花
こちらはガクアジサイ
隅田の花火みたいな?
ここの紫陽花園は広いし、木の背丈が高いので、紫陽花の森に埋もれることが出来るのもうれしい。
茶屋もあるのでわらび餅を食す。
こんな風景をみながら。
オマケ
三室戸寺の絵馬?(願い事を書いてぶらさげるやつ)はハート型のと、この仏足石のがある。前日仏足石の講義をきいたばかりだったので、その紋様の意味がわかって、ちょっとうれしかった♪
(千輻輪、魚鱗相、金剛杵相、梵王頂相などなど、、、)
お気に入りを自慢する?会〜玉手箱の会 - 2021.06.05 Sat

ランチやら会合やら時々お世話になっている町家サロン・ゲストハウス「月と」さんにて、秘密?の会合を計画。
月とさんと、某美術系雑誌に京都迷店案内も書かれている編集者Uさんと、「骨董」を語り愛でる会をしたいね、と画策、とりあえず一度やってみようと試験的に一回目を開催。
ロケーションとしては、骨董古美術、お宝にかこまれた最高の雰囲気、初回はほとんど顔見知りの5人さんだけであったが、なかなかおもしろい会になった。新しい鉱脈?になりそうな予感。
まずはおとなりの裕くらさんのご飯を、月とさんとこに代々つたわる家紋入りのお重に詰めてもらったものを食す。
この町家には日本伝統文化を凝縮したようなお宝がほんとうに一杯ある。小さい頃からそれらになじんでいたはずなのに、ほとんど東京で育った彼女にはその価値や意味が最初全然わからなかったとおっしゃる。
そういえば、ここで宝船研究会をさせてもらったときにも、節分に寺社で授与される宝船図(かなり貴重な廃版になったものも)をたくさん貼った屏風を、これなにかしら?とおっしゃったことから始まったのだった。
あやうく処分しかけたお宝も多々あって、今ではそれを次世代へつないでいこうと積極的に活動されている月とさんである。今日もお祖母様が残された着物をお召しになって。
会はまずU様の「体験的骨董閑話」というご自身の骨董収拾体験失敗あれこれ談から。
「最初に買った物がその人の本質的なものを著している」とか、
「西洋人には美は作る物であったが、日本人にはそこにある暮らし、祈り、そのものであった」、
「骨董と古美術はちがう」、「箱書きは信じない」というお話しから、ご自身がスペシャリストであるところの「民藝」は骨董ではない(つまるところ民藝とは物を通した「思想」である)、という深いお話しまで、さすがプロ!とうなるお話しを聞けた。
(言い尽くされた感あって、次回からどうしよう(^_^;とも思ったり、、、)
おもわず苦笑いしたのが「数寄者とはとにかく数を集めるので周囲を辟易させる」(思い当たる節々)
話のとちゅうで月とさんに「京都珈琲学部」オリジナル珈琲「夜の青空」「朔」の2種のコーヒーをだしていただいた。
月とさん自身はまだお若いが、さらに若い人たちの応援もされているのだ。コロナでキャンパスライフを半ば失って気持ちの折れている(場所柄近い)京大生たちが、彼女のアドバイスや支援で、ここでいろんなイベントをして交流の場になっているが「珈琲学部」もその一つ。
さて、いよいよ最後にそれぞれが持参した「お宝」披露会。
これはお宝ではあるが、みんなでいただける美味しい琥珀のお菓子。
そう、茶会でもお世話になった瑠璃菓さんがご持参くださったもの。
これはライチーの生琥珀でまさにお宝、食べる宝石である。
とても琥珀の仲間とおもえない不思議な食感の胡桃琥珀に、レモン風味の乾燥泡雪寒はパリパリっと食べる。
裕くらさんのお弁当に琥珀のお菓子にコーヒー、口も宝物、である。
お気に入りを自慢する会のはずだが、私は初回なに出していいかわからず、とりあえず、なんでこんなもの買っちゃったかな〜の伊万里を持参。水滴である。ヨーロッパアンティークのマスタードスプーンをつけて、これで水を硯にいれる仕様にしたが、やっぱりおでん食べるときの辛子入れがぴったりかもね。
はい、これが皆様思い入れのお宝です。それを手に入れたいきさつとか、どれだけ大切に思っているかの語り付きで拝見。
なるほど、、、、確かに、、、その人の本質的なものを表してるわ。(こわい〜〜)
というわけで、また2回目もやりましょうと約束してお開きに。
茶福箱とみのり菓子と茶箱 - 2021.06.03 Thu
ウエルカムドリンクは我が家の梅シロップソーダ。

本日のメインは中央卸売市場近くにある仕出し井政さんのゴージャス弁当・茶福箱!
茶友さん(茶箱の女王様)がご提案、ご持参くださった!(いそいそと玄関に彼女でなくてお弁当をお迎えに行くワタクシ)
お茶をしている人にはお馴染みの箱の真田紐結び、紐はいろんな種類があるそうだが、この日はトリコロールでおしゃれ。
中身ぎっちりのこの充実感、そしてこの豊かな色彩、料理は目でも食べる物である。
うれしいことにジュンサイも入ってたんだよ。蕗の薹?らしきものも隠れていて、鯛飯のおにぎり、柑橘の白和え、茗荷の甘酢、美味しい出汁巻き、、、もうお腹も心も一杯である。
食事のお供はせんだっていただいて、いたく気に入った日本酒「稼ぎ頭」である。するする飲めてある意味ヤバイお酒(^_^;
お腹一杯になったら茶室に移動。
まずは、みのり菓子さんのお菓子から。
この三段トレー使いたくて。
これがまた初めての不思議なもの。
生姜餡葛餅の上にのっているのが胡麻と茗荷なんである。ほとんど素麺食べているようなコンビネーションながら、しっかり和菓子、すごいなあ〜このお菓子。
床の花は庭の山紫陽花
しばらく花は買わずにすみそうなくらい元気に咲いている。
お茶は茶友さんが準備してくれたお得意の茶箱で。
ちなみに熱源はアルコールランプ。(アルコール炉?は市川孝さんの)
ちまちまとした組まれたお道具が可愛くて、ステキ。さすがのラインナップ、でもこれは女王様のコレクションのほんの一部なんである。
茶箱ってほんといいなあ。
最近の茶事では私も薄茶はもっぱら茶箱である。そのために集めた小さめの茶碗が、いまとても活躍しているのがうれしい。
お茶をいただいた後も、三人で茶室で久々によくしゃべった。こんなに人としゃべる機会はコロナであまりないから、とりとめのないことしかしゃべっていないけれど、とても楽しかったなあ。
(私はワクチン2回接種終わっているので多分大丈夫と思うよ(^_^;)
間にお茶が(あと美味しいもん)はいると、なんか人生楽しいこともたくさんあるよね、の気持ちになれる。早くおおっぴらに人と会って話ができるようになりたいなあ。
お一人様のアフタヌーンティー〜月猫商会 - 2021.06.01 Tue
久しぶりに御霊神社(上御霊神社・鞍馬口)あたりへ。

応仁の乱勃発の地とも言われる御霊神社であるが普段から人はあまりなくてとても静か。
もっと早い時期にはこちらは鳶尾(読める〜?)の花で有名なのだ。だから社紋も鳶尾かな?と思っていたが、桐なんだそうだ。(見えねえ〜)
鳶尾:イチハツ
境内のイチハツはすでに実を結んでいた。
ちなみに去年の五月初旬のイチハツはこんな感じ。↓
さて、我がテリトリーではないが、鞍馬口同志社村?の少し北あたり、いいたたずまいの町家がけっこう残っているので好きなエリアである。
本日のお目当ては、、、
月猫商会さんのお一人様アフタヌーンティーである。
(ここも看板建築だが屋根を見ると町家だと思う)
白い壁がおしゃれで、宵時に見ると青く見えとても不思議な雰囲気、だから月猫商会かあ、となんとなく納得。(どこか宮沢賢治的ひびき)
アフタヌーンティーはいただきたいけれど、たいてい2人からなのよね。今の孤食黙食が推奨される時代、お一人様から予約できるのはとてもありがたい。
オーナーはいつもお邪魔している中国茶と点心が美味しい銀月サロンのTさま。
飲み物は中国茶をチョイスできるので、武夷岩茶紅茶をセレクト。希望とあらば何煎でもいれてくださるの、ありがたい。
まずは小籠包や豚饅の点心。
ここの点心が美味しいのは銀月サロンで知っているのでハズレなし。
そしていよいよスイーツ祭♪
食べるのに夢中で詳しい解説はできません(^_^;
メロンやパイナップルや中国茶入りのシロップや、ナッツのアイスクリーム、などなど、岩茶紅茶をちびちび何杯もおかわりしながら、スイーツだけで満腹するというindulgingなひとときでありました。