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2021-10

紅葉手前の高山寺2021 - 2021.10.31 Sun



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高山寺に行くときにはからなずこの裏参道を通って。
学生時代からの習慣(まあ、駐車場〜バス停から直結なんだけどね)

紅葉にはまだかなり早い時期だが、標高が高いので少しは、、、と思ったが、まだここでも早い、それでもそろそろ観光客がもどって、大型観光バスも駐車している。


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日本最古の茶園の茶葉。ちゃんとお手入れされている。
最古に関しては日吉大社の日吉茶園とか宇治の駒蹄影園とか諸説あるが、ここは栄西が明恵上人に渡した茶の種、という説で。



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茶園のそばの水道
なんか萌える景色だなあ。

学生時代、心茶会の一週間の夏合宿は高山寺だった。だからここには特別な思い入れがある。
3年前の台風被害がひどくて、和尚様をしてもう高山寺はおしまいだ!と嘆かせるくらいの被害であったのだが、クラウドファウンディングなどでなんとか整備までにこぎ着けたが、金堂周辺の森はばっさりなくなり、往事の面影はない。



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石水院の善財くん、元気そうでなにより。
もう少ししたら背景の緑も真っ赤にかわるね。その頃また来たいけれど、きっと人はふえているだろうねえ。


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庭園にカリンの実 もうそんな季節か。

抹茶をいただきながら和尚様と昔の心茶会の話をつれづれと。東京の鳥獣戯画展に行って、東京で明恵上人像を拝んできたといったらびっくりされた。
また台風の時、倒木がはげしく下の道まで降りられなかったことや、金堂がつぶれかけたことや大変だったお話を聞く。あのうっそうとした森がまるごとなくなったものね。

お参りのご年配の方が「えらい前来た時と違うような、、、」とおっしゃっていたので、台風被害のことをお伝えする。



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国宝石水院の座敷からの眺め
明恵上人が後鳥羽上皇から学問所として賜った鎌倉時代の建築である。


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縁側からの眺めがまたすばらしい。
ここに端座して、覚え立ての(やっと全文唱えられるようになった)般若心経を心で唱える。学生時代合宿の朝夕、唱えさせられたものだが、ち〜っとも全文覚えられなくて往生したのをウン十年たってやっと完遂。


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落ちかかる葉っぱもまだ青く、もうひと月もすればこれも紅葉にかわるのだろう。


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山をのぼり金堂をめざす途中、心茶会が管理しているという茶室遺香庵を見て、


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合宿宿舎の今も変わらぬ法鼓台道場を懐かしく眺め、、


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山をのぼる。
合宿の時、夜座のために真っ暗な中、懐中電灯の灯りだけをたよりにこの道を金堂までのぼった。なにやらわからぬ動物の鳴き声もして、それは、、、こわかったよ〜(^_^;


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ここがほんまに深い森だった場所。
あまりにあっけらかんと明るくなってしまって、、、


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ここにある仏足石
せんだって薬師寺のお坊さんから仏足石の講義をうけたので、今回はまじまじと見る。奈良時代のとちょっと模様が違うかも。仏像を拝むようになる前の崇拝対象で古い祈りの形だと聞いた。


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高山寺金堂
昔この中で合宿中座禅を朝昼夜とした場所だ。


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いつもきれいに拭き上げられている板敷きの縁
座禅の合間に歩く行である経行(きんひん)を行った場所である。懐かしいな。ここでも般若心経を心で唱える。



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栂尾は北山杉の里の中、常緑の杉の向こうに少しだけ色づいた木々も


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この表参道に真っ赤な絨毯よろしく落ち葉がつもる写真がよくパンフレットに乗っている。そのころにまたこれるといいな。(人混みだけが問題、あと駐車場満杯問題)


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ふたたび裏参道から帰路につく。

  阿留辺幾夜宇和 (あるべきようわ) (明恵上人遺訓)



神無月雑記2021 - 2021.10.29 Fri

暑かったり寒かったりいろんな事があった神無月の雑記


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山越えして坂本へ。比叡山を東に下りるところに日吉大社
あまりに古い歴史で神話時代の神様をお祀りする。


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なぜか山王さんの総本山にいつの頃からかなっていて、なぜかお使いがお猿さんなので、おみくじも神猿(まさる)さん。
幼名日吉丸だからとか、猿に似てたからとか、秀吉の信仰も篤かった神社なのだ。


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山に抱かれて、山の気いっぱいの境内は西社と東社に分かれる。摂社もたくさんあって、この相似形はどうよ。
最澄が比叡山に寺を建ててからは、いつの間にかこの神社は比叡山の鎮守社になるのだが、そこらへん最澄さんのうまいこと融和させる戦略だったとか。


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ここの花手水は派手〜で最初造花かとおもったが、ちゃんと生花であった。


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この日のお目当ては春秋に行われる献茶祭、今年は売茶翁流煎茶のお家元の献茶だったようだが、これには間に合わず。副席の中国茶席が無料とあって、参集殿へ。


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四君子席
菊の敷物、梅の朱泥の建水、竹絵の蓋碗、、、あと紫蘭は、、、


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見えないけど茶杯を乗せたお皿に紫蘭の絵があった。


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蓋碗で煎れてもらったのは烏龍茶、香り高い!聞香杯がまた多幸感を禁じ得ない。

しかし、日吉大社、まだまだ見所あって、周辺にも日本最古の茶園(日吉茶園:高山寺よりほんとは古い。最澄が持ち帰った茶の種)、旧竹林院庭園、律院、穴太積み石垣などなど見所一杯なので、また改めてゆっくり来るつもりである。



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小河通の兜門、今日庵裏千家、、、の前を通り過ぎて、、、、


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アトリエとゲストハウス草と本さんへ。


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町家の風情がまたよろしいなあ。


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こちらで月曜と火曜、みのり菓子さんのランチとお菓子が食べられるとあって、でかける。


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久しぶりのみのりランチ、ご近所の月とさんで食べられなくなったので、なんだか懐かしい。


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そしてお楽しみのお菓子、この日は「栗まみれ」
餅米の餅のまわりに栗がまみれてます。美味しい♪


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さてこのたびご縁あって静岡のお茶屋さん、山壽杉本商店さんの煎茶ティーバッグを購入、その名もねこ茶。


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ティーバッグのタグが猫なのだ。
なんて猫なんだ!お茶をゆっくり出している間も退屈せずにすむではないか。


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よ〜く見ると爪までちゃんとあるのだ。


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しかも6種類、ああ、捨てられないタグがたまっていく、、、
(お犬様バージョンもあるよ)


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うるわし奈良の興福寺五重塔
初めてこれを見た12歳の時、心をわしづかみにされた。以後ずっと奈良が好き。奈良好きの原点ともいえる五重塔。



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これが来年からおよそ10年の間にわたって改修補強工事のため、覆いがかけられる。10年かあ、人生なにがあるかわからんから、これが最後になってもいいくらい、何回も何回もガン見しようと思う。



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現在そのため塔の初層の一般公開あり、これは必見。
塔を支える奇跡的な心柱、東西南北を三尊像(計12体)が取り囲む。東方の薬師如来には日光月光の脇侍、南方の釈迦如来には獅子にのった文殊、象に乗った普賢、という具合に。(像は室町時代のもの)萌え要素たっぷり。


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瓦を寄進した。
お返しにいただいた散華。



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奈良と言えば奈良カレー、、、どこら辺が、、、というと鹿の人参と奈良漬け。美味しかったよ。


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京都では後の名月十三夜は厚い雲に覆われてみられなかったが、十五夜はすばらしかった。
鴨川で満月を見て、東山に近い自宅に帰ると東山の影になって月の出はまだみたいだ。
よって、カメラを持って待ち構える。


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お!
出た!


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おおお〜!美しい満月。


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そして村雲もまたよし。


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長年テフロン加工の卵焼き器を使っていたが、すぐだめになって卵焼きがぐちゃぐちゃ〜であったが、かねて購入しようと思っていた銅製卵焼き器ついにゲット!八木包丁店さんで。
使用前の注意を教えてもらい、しかもお値段もリーズナブル。早速油をなじませた後初使い、なんということでしょう!あんなに焦げ付いてだめだめだった卵焼きがこんなにきれいにしかもふんわり!もっと早く買えば良かったアイテム。



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昨年鳴り物入りでリニューアルした烏丸通の新風館。ほとぼりが冷めてからと思っていたら1年以上たってたわ。遅まきながら突入。


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おお〜昔の面影がほとんどない。
スペイン料理フェスタなんかよく行ってたけれど、あの広場がなくなっている。


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おしゃれっぽいお店も多いが、せっかくなのでここでランチしよう、本と野菜OyOy


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本屋とオーガニック野菜を扱う会社のコラボ店舗、、、という不思議な空間になっている。


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本だけじゃなく野菜も売ってるもんなあ。


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OyOyプレートをいただく。野菜ばっかりなのにボリューム満点。ナッツご飯が美味しかった。


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最後に円山公園真葛が原の西行庵さんへ、小文忌の茶会へ。(宮田小文:富岡鉄斎らとともに西行庵復興に尽力された洒脱な茶人さんである)
この季節、小文忌茶会に寄せてもらうようになってもう何年たつだろうか。いつもながら見事なお庭である。


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座敷の浄妙庵から円窓床が有名な小間、皆如庵を眺める。


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柿傳さんのお弁当をいただいていたら、西行庵影の主?猫のくーちゃんがお出ましになった。久しぶり!元気そうでよかった。ここでくーちゃんに会えるとなにかいいことがある(*^_^*)



與衆愛玩・畠山記念館の名品〜京都国立博物館 - 2021.10.27 Wed


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こちら2年前に茶会で訪れた東京・白金台畠山記念館の茶庭。広い庭園に茶席が点在しており、こぢんまりとしながらも茶の湯クラスタにはたまらん所蔵品の美術館であった。(品川駅で畠山美術館とタクシーに行き先を告げたら、どこですか?それ?と聞かれたショックを思い出すわ)

2年前から改修のため閉館しており、当分行くことができないなあと思っていたら、いらっしゃいました!京都に!


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畠山の名品が京都国立博物館に!

記念館がそのまま引っ越してきたような内容に、頭も心も飽和状態、足は棒に、、。なのに最後に最重量級の茶事道具の展示の爆弾が!願わくはこれを冒頭に持ってきてほしかった、、、。



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というわけで?茶の湯に限らぬ即翁のコレクションを年代別に追った展示になっている。益田鈍翁ら近代数寄者と茶の道をつきすすんだのは後半生になってからなので、最後になっちゃったのか。

それにしても守備範囲の広さよ。
即翁が生まれ育った金沢は宝生流の能楽がさかんで、彼もたしなみ、その美意識の支柱になったという。(そういえば、野村徳庵も能楽好きだったわね)
室町〜江戸時代、加賀前田家に伝承した能面や能衣装の展示はすばらしかった。特に装束には私もとても興味がある。紗の長絹なんかいつかアレンジして着られないかと妄想している。紫の撫子団扇文様の長絹、あれよかったなあ。
装束はでかすぎてナンだが、一本ほしい!と萌えるのが鬘帯と腰帯。細長いはちまき状の布にみやびな古典意匠が刺繍してあって、おもわずガラスにへばりつきそうになった。


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そして茶道具の名品の数々、某茶道雑誌の今月号の特集にもでていた、柿の蔕茶碗「毘沙門堂」。
柿の蔕といえばくすんで渋々なイメージだが、畠山のは自然釉がかかっているのかつやが結構あると感じた。

鈍翁の「柿の蔕披露茶会」への礼状に、自分が隠居した身ゆえ入手をあきらめたのは失敗だった、くやし〜という思いがにじみ出ている。のちに「毘沙門堂」の一行を書いてよこにちょろちょろっと<毘沙門堂ひとつが老いの思い出に くやしと思うふもおもしろの世や>と狂歌を書いている。当時の近代数寄者のつながりは面白いなあ。そしてうらやましい。



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これは数年前に畠山へ行ったときのポスターで、これに載っている伊賀花入「からたち」もでていた。

そして最後半のコーナー!圧巻の茶事道具組!
即翁の古稀自祝茶事と翠庵茶室披の茶事道具である。もうこれでもか!と名品揃いで、一番最初にここのコーナー見れば良かった!
懐石道具がまたいいのだ。喜三郎の塗り物もあるし、油屋肩衝+本歌若狭盆、光悦赤楽「雪峯」、長治郎「早船」、井戸「細川」、熊川、絵高麗、(畠山で見て感激した)火間のある粉引「松平」、遠州の茶杓「青苔」(伊勢物語)、桃山の黄瀬戸の向付、教科書にでているようなものがあまりにも多すぎて。

一番心引かれたのは石杯である。
古備前の徳利にそえてだされたであろう石杯は、青織部、三島、刷毛目、青磁、オランダである。茶事の時、石杯をあれこれ出したり、選んだりするのが好きなので、こんなラインナップ、できたらいいな〜と垂涎の思いなのである。



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これは後期も行くかな。

そして早くも来春の予定が最澄様だって!



信貴山・その2 夜〜日の出 - 2021.10.26 Tue

信貴山夜編、せっかく泊まるのだから夜のお山も見ておこうとでかける。


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あのかっこいい渡り廊下の障子も閉まって中にあかりもともる。だ〜れも歩いていない、、と思ったけれど、同じ夜の散歩を考えた人もちらほら。



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並んだ石灯籠に灯りが入って雰囲気が出る。


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昨年行った高野山のナイトツアーに比べるとおどろおどろしさはない。あれは背後が深い深い森だったからねえ、ちょっとはずれるとこわかった。ここは町の中を夜散歩している感じで。


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お昼はここから山が見えたが、今は真っ暗な本堂。


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扉もしまっている。


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ご来光の前に、まず夜景だ!
おお〜!百万ドルの夜景とはいわないが、結構奈良、明るい。


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見上げれば中天に十四夜の月


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宿坊の夕飯はちんまりひとりでぽつんといただく。なんか、広い部屋に一人っておちつかないわね。


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御精進料理はおいしかった。やはり精進ゆえ赤いお膳ででるのね。向こうのほうの部屋では一泊修学旅行とおぼしき小学校の3,4年くらいの子供たちが、元気な声で「いただきま〜す」と声をそろえて言っているのが聞こえた。同じ御精進を食べるのかな。


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懐かしいわ、修学旅行(*^_^*)


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翌朝は早朝5時過ぎから、院内にある浴油堂にて毎朝のおつとめに参席する。浴油とは一般的には仏像に香油を注ぎ供養することらしいが、真言宗では浴油法というのは秘法中の秘法なんだそうだ。盛大に炎を上げる護摩焚きを拝見、毎朝これをおつとめでされているのだ。ここはどなたでも入れるので、よそからこられた熱心な参拝のかたもおられた。



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さて、朝の本堂、空は明るんできたがまだ太陽は顔をだしていないようだ。


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おお、遙か東、春日山の南くらいかな、これをかぎろひというのだろうか?


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お、いよいよご来光!


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いっぺんにあたりがオレンジ色に染まる。日輪、もう明るすぎて写真に撮れない。


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ありがたやありがたや、西方浄土でなくて薬師如来の東方浄瑠璃か阿閦如来の東方妙喜世界か。
この一日もどなたさまにもよい一日となりますように。



信貴山・その1 朝護孫子寺 - 2021.10.25 Mon

10年以上前、信貴山の宿坊関係の人としりあって、信貴山って宿坊あるんや、縁起絵巻と平蜘蛛釜抱えて爆死した松永久秀の信貴山城しかしらんぞ、一度泊まりに行かな、と思ってもうこんなにたってしまった。



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ようやくお参りに来ることができた。もちろん宿坊も予約。
いきなり寅がお出迎え。


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信貴山・朝護孫子寺のご本尊は毘沙門天であるから、寅はそのお使いなのだ。(一説にはお使いは百足)門をくぐると日本一(たぶん世界一)大きい張り子の虎がお出迎え、本堂の方に向かって咆吼してはった。


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参道にはずっと石灯籠が並ぶ。
信貴山には三塔頭と朝護孫子寺の本堂だけがあるのかと思っていたが、山全体にいろんなお堂やお社がちりばめられていて、歩くだけでも楽しい。(小さいけれど信貴山観光iセンターまである)


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寅のモニュメントは山内のあちこちにあるが、これは聖徳太子の伝承にちなむ。


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聖徳太子像

物部守屋討伐の道にこの山にいたった太子が、戦勝祈願すると毘沙門天が現れご加護をうけ戦いに勝利、その出現が寅の年、寅の日、寅の刻(夜明け頃)だったからという。その像をヌルデの木で自ら彫って伽藍をこの山に創建したと伝わる。(そういえば「日出る処の天子」にそんな場面あったな。四天王寺では毘沙門天だけでなく四天王像を彫ると四天王が現れ、これが寺の起源になったというが。)



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三つある宿坊を持つ塔頭のひとつ玉蔵院、お泊まりはこちらの予定。


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成福院も宿坊あり。


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間にある渡り廊下がいい感じ。


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なにせ寅なので、阪神タイガースの選手の信仰も篤いらしい。


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毘沙門天亀甲はわかるが、笙と龍笛の飾りもすてきだ。


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ちなみにこの倉は飛倉とよばれ、信貴山縁起絵巻の山崎長者の巻にでてくる飛び倉を模した宝物館。(醍醐天皇の病をなおした命蓮上人が鉢を飛ばして山崎長者の米倉を信貴山に持ってきたはなし)



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信貴山の頂上をきわめたく、また久秀の信貴山城跡も見たいので、暑い(30度越え)中登山にいどむ。まあ、大文字山の7割くらいかな、それでもけっこう息があがったよ。



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おお〜!大和盆地が一望。
耳成、天香久山はよくわかる。


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ここはかつて信貴山城が建っていた場所に建てられた空鉢護法堂。なにやら縁起絵巻の飛ぶ鉢と剣の護法童子を足したような名前(^_^;


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毘沙門亀甲の幕に奉納した方の「某女」がゆかしい。


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信貴山城址の碑のそばで信長に追い詰められて爆死した久秀様をしのびながら、平蜘蛛釜の写真をお供え(?)(どうも「麒麟が来る」の鋼太郎様の顔がうかんでいかんわ)
そういえば「へうげもの」の冒頭、この爆死のシーンと平蜘蛛がでてきてたわね。



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久秀の松永屋敷跡の一部、もうなにも残っていない。山の中は日が暮れるのが早く、15時でもう薄暗かったのでそうそうに引き上げる。


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そしてやっと本堂にお参り。


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ここは大阪にも近いというのに、ほんと別世界の山の中だな。


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本堂前からも大和盆地の景色が見える。せっかくお泊まりするのだから、明日のご来光を拝みにここへ来ようと思う。


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ここではやっぱり毘沙門天様のお使いは百足


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張り子の虎はここにも。


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駐車場のある橋の方から来てしまったが、バス停から歩いてくるとまずくぐるのがこの仁王門。大きなわらじは信者の方が作って奉納された物だそうだ。


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仁王門を少し外にでると千体地蔵さんが。由来はよくわからないが、おそらく山内に散らばっていたのを集めて祀ったものではないだろうか。それにしてもきれいにそろって、なかなかの迫力で迫ってくるお地蔵さんたち。そっと手を合わす。


その2に続く〜




松ぼっくりの茶会〜市川孝展・川口美術 - 2021.10.23 Sat

下鴨川口美術さんで市川孝展


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陶人であり、木工金工作家でもあり、中国茶人でもあり、野点をこよなく愛する市川さんの最近の興味は売茶翁なんだそうである。
売茶翁の漢詩に曰く

   茶具携へ来たり 黄落の中
   竈に松卵を焼いて松風を煮る、、、、(後略)



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松卵とは語感の通り松ぼっくりである。これを焼いてお茶を煮ようと川口美術片庇席に、市川さんが伊吹から持ってきたもの、川口御大が御所で拾ってこられたもの、いっぱいの松ぼっくりなのである。


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茶を煮るのは茶ンリン車。茶車(茶を煮る道具一式を備える移動式茶席で現在10号以上あるのかな、川口美術にも一台ある)の進化形というか、簡略形というか、もうびっくり。


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これがその茶ンリン車の全景
ご幼少のみぎり乗って遊んだ三輪車を松ぼっくり燃料用に改造したもの。台の下のV字形の鉄の部分が燃焼させる部分になっている(写真だけでは説明ようせん、、、)


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松ぼっくりだけでは火のつきが悪いので、液体燃料を追加して燃やし、茶ンリン車に投入!このパフォーマンスを見るだけで興奮する。



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もう一つの熱源に、中国の大きい茶葉の蒸して乾燥させたのを入れ、煎る。ああ、よいお茶の香りがしてきた。これに水をいれて煮出すとなんとなくプーアルのテイストのお茶になった。



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椿の葉を茶托に。
何煎でもいただける。


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先だって長浜・季の雲さんでの茶会も、野や畑に生える葉っぱを煮たらどんなお茶になるのだろうか、という市川さんの好奇心爆発していたが、こちらでも。

投入するのは蕎麦の実、桑の葉、笹の葉、松葉、、、え?こんなものまで?と思うような葉っぱが次々入る。


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煮て煮て、ご自作の洋銀蓮華(すごく柔らかい。ご本人は葉っぱの形と)ですくい取る。なんとも複雑な味だが、蕎麦の香りもして、どちらかというとスープみたい。中国奥地の少数民族の間でお客さんが来たときにもてなす茶がこれに近いのだと、市川さんは言う。

さらに先ほどの大葉茶を入れ、天草の塩をいれるともう完全にスープだわ。ぶくぶく茶やボテボテ茶の系統だわね。アジアには茶葉をお茶ではなく食べ物と認識して利用している民族も多いと聞く(食べ物としてのお茶は「茗」と書く)。



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まだまだ広がる市川ワールド、次回は今回なくなってしまっていただけなかった陶器焙煎珈琲豆のコーヒーもいただきたいわ。



時代祭にかえて〜衣装特別公開・平安神宮 - 2021.10.21 Thu



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今年もあの華やかな絵巻っぽい時代祭行列は行われないらしい。縮小版で境内内だけでおこなわれると立て看には書いてあった。


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その代わりなのか、時代祭の装束が無料で公開されている。(〜24日まで)
(ちなみに22日、本来の行列当日は神苑無料解放される)


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実は時代祭は歴史が浅すぎて、あまりそそられないのでしっかり見たことはないのだが、あの装束がまじまじと見られるとあって、行ってみた。

おお!なかなかすてきだ。
この装束が当時のものを正確に復元したものかはわからないが、着倒れの京都の名に恥じない作り込み様で、昔の装束に興味がある者としては、息がかかるくらい間近でガン見。



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清少納言の衣装、当然平安時代の襲である。五つ衣のグラデーションが美しい。


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驚いたのは「板引き」が忠実に再現されていたこと。唐衣の襟の部分だが、この光沢を帯びたつやつやの部分は、板引きといって、漆の板に貼り付けて糊をつけ、パリパリにする技法。ここまで再現ということは全体的にクオリティー高そう。



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大和絵でみる十二単の裳ってわかりにくいのだが、これなんよね。こんなのを引きずって歩いてたわけだ。襲と唐衣だけで十分美しいのにこれって必要?といつも思う。


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裳そのものは美しい。技術的にも手間がかかってるなあ。


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時代はかなり下って皇女和宮の近世宮中衣装。実用性が勝って唐衣がずいぶん短くなっている。髪も下げ髪ではなくおすべらかしで動きやすくなっている。



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でもやっぱり裳はあるんだな。


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しかしこの五色の飾り紐、帯の刺繍、これもお見事。


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これは出雲阿国、想像の域を出ないがきっとこんな傾いた衣装だったのだろう。帯がユニーク。腰にぶら下げた飾り物が、現代の若者が腰にじゃらじゃら鍵やらスマホやらぶら下げた姿に通っておもしろい(^_^;


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静御前
この水干の袖がどうなっているのかずっと疑問であったが、後ろに回ってみることができ、長年の疑問が解けた。



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この紗の透け感がすてき。


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こちらは平安時代の市中に住む貴族の娘の普段着(袿姿?)ってこんな感じだったのかと納得の紀貫之の娘。
かの「勅なればいともかしこし鶯の、、、」の歌を詠んだ鶯宿梅の逸話で有名。


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巴御前
この天冠のような兜のようなかぶり物が美しい。菩薩の天冠のようでもある。能の「巴」がかぶるのは烏帽子だが。



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百済王明信(桓武帝宮中女官)
一番興味深かったのがやはり天平装束(平安初期)、先だって平城京跡公園の女舞女楽でもたっぷり見せてもらったが、今一番関心がある。染めも織りもやはりすばらしい。やっぱり領巾(ひれ)はひきずるのね。裳と同じく機能的でなく装飾的。



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上着が裳の中にちゃんとしまいこまれているのを知りたかった。

せいぜい時代劇の衣装程度と思っていてごめんなさい。さすが京都やわ、どこにだしても恥ずかしくないホンモノの衣装を作ってはったわ。職人さん万歳!






コスモスの藤原京跡〜唐古・鍵遺跡 - 2021.10.19 Tue

   香具山は畝傍を愛(を)しと耳成と 相争ひき
     神代より かくにあるらし  (中大兄皇子)


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北に耳成


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東に天香具山


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西に畝傍

やっぱり畝傍はなんとなくかわいらしくて女の子だよなあ。


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真ん中に立ってぐるっと360度回転したら大和三山すべて眼中におさめることができる場所に藤原京はあったんだなあ。日本が律令国家として形成されていく時代の都、天武天皇が作り始め妻の持統天皇が完成させた都である。

今は大極殿や朝院堂がこのあたりにあったという名残だけだが、広大な史跡公園になっている。季節毎に花が楽しめ、中でもコスモスがすごいという情報を得て、この季節に訪れた。



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うわ〜〜〜!
今までみたコスモスの名所の中では群を抜く。


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これはすごい!
しかも一カ所だけではなくあちこちにコスモス群生があるのだ。公園内は道なき道、丈の高い雑草もたくさん生えており、これをかきわけかきわけ進むと、バッタが次々飛び出してきて、これまた楽し〜い。(←小学生か?)



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しかも背景は大和三山に囲まれ、高い建物ひとつない場所である。しばしコスモスと戯れる。


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残念ながら藤原京は16年間、持統〜文武(持統の孫)〜元明(文武の母)の三代しか続かなかった。しかし遷都された平城京でその仕組みは引き継がれ、瓦や建材までここから持ってきたという。


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そんな歴史を考えながら、持統天皇が「白妙の衣ほしたり」と歌った天香具山を見るといにしえの世界にタイムスリップできるようだ。


藤原京から少し北上するとさらに古い遺跡がある。


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唐古・鍵遺跡である。幾重にも環濠に囲まれ守られた、当時最大級規模の弥生時代のムラの跡で現在は史跡公園になっている。


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これ!
この楼閣!(もちろん複製だが)

いまにも歩き出しそうな、おとぼけにもほどがある、奈良絵の楼閣にも似ている建物、この写真初めて見たとき、トキメイた。これは行かねば、と。


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この非実用的なくるるんは何?😍❤️


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鳥の飾りは何?(はあはあ、、、←興奮している)


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これがそのモデルとなった絵画土器の絵である。実際にこんな建物作っていたのだろうか。だとしたらほんまに弥生時代の日本人は愛すべき人たちだなと思う。


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公園に隣接して建物の規模を示す柱の跡などの遺跡も保護されつつ展示されている。


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当時そうであっただろう田園風景をも残すために(明日香の万葉文化館みたいに)周囲の土地も広く購入したのだと思う。景色ごと保護する取り組みには、いつもながら頭が下がる思いだ。

ああ、それにしても心がほっこりする景色ではないか、これ。




天平時代へタイムスリップ〜女楽・女舞〜平城宮内教坊のイメージで - 2021.10.17 Sun



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10月ながら暑い日の平城宮跡歴史公園へ。今年の春頃すごく久しぶりに訪れて、かつては野っ原にぽつんと朱雀門だけが建っていたのにこんなに整備されていたいのか!とびっくりした場所である。



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(絵は「天平の華」中田文花)


この日「平城のとよほき」というイベントがここで行われ、天平時代の装束を着けた女性ばかりの楽人、舞手の公演があるというのででかけた。仕掛け人は削氷(かきごおり)で今年もお世話になったことのまあかりの主催者でもある生駒あさみさん。それに奈良好きで東大寺で得度もされた日本画家でもあり人形作家でもあり舞人でもある中田文花さんも首謀者?かな。



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平城京ができた頃より宮中にかつて内教坊という組織があった(律令制の令外官)。主に女性に舞踊、音楽を教習する部署で、(男性は雅楽寮)ここで教育を受けた女性はある意味誇りを持ったキャリアウーマンであった。女性が活躍できた時代であったが、鎌倉時代後期には消滅してしまったそうだ。


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そういえば澤田瞳子さんの天平時代の宮女が主人公の物語のなかにも「内教坊」で音楽を習っていたという話があったっけ。


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今回その内教坊の楽人舞手をイメージした公演は、主に原笙会という女人舞楽で学んでいる舞手さんと、それぞれ楽人として活躍されている方の雅楽楽器の演奏になる。
ちなみに「内教坊」の幡は中田文花さんの手作りなんだそうだ。かつては天平装束も髪飾りも手作りされていたよし、なんでもお造りになれるのはうらやましい。



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天平メイクも自分たちで研究してあれこれと。額中央の紅の模様は当時の絵にもみられる花子(かし)または花鈿(かでん)とよばれるもの。これ好きやわ。あとえくぼの位置に紅の点を打つ化粧も。


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さていよいよ楽人舞手の登場、これ反対側から撮影できていれば朱雀門や柳を背景にもっと雰囲気がでたのだが、ここからしか撮影できず残念。



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楽器は笙、龍笛、琵琶、箏の琴
当時の宮中では女性の身分や官職によって装束の色や種類、髪型まで決められていたそうな。

ちなみに装束はかつては絵などを見て手作りであったが、最近は中国の漢服ブームで既製品が手に入りやすくなったとか。楽器もかつて大陸から渡来したもので、現代でもファッションが大陸から来てるというのもおもしろい。


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靴もキュート❤️
裳のしましま模様もなんだかポップだわ。


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演目は「五常楽急」秋の調子である平調(ひょうじょう)
どことなく「蘭陵王」に似てる。


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続いて琵琶「王昭君」
中国の後宮にあった絶世の美女で、匈奴に嫁がされたという有名な話のヒロイン。


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琵琶の楽人さんの髪型や髪飾りもすごく素敵。



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どうやって結っているのかわからないくらいの複雑な髪型もあって、こちらも興味しんしん。


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若い舞手さんによる「柳花苑」、古くは源氏物語に名前がでてくるそうだ。
この舞は曲だけ残り失われていたのを原笙会の原笙子さんが研究の末復活させたもの。



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こちらも靴がかわいい。



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風になびく領巾(ひれ)がまた美しく舞をいっそう引き立てる。


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一時平城京の宮人になって楽しんでいるような気持ちを味わえた。


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それにしてもこの時代の女性はみんな領巾をまとっていたらしいが、美しいけど機能的にどうなんだろう。仕事をしようとすると邪魔になりそうなんだけれど。


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最後に五節の舞
大嘗祭などで女性4人で舞われる有名な舞で、これも源氏物語に登場する。
今回の設定は、当時皇太子だった阿倍内親王(聖武天皇・光明皇后の娘、のちの孝謙天皇)が父の伯母にあたる元正太上天皇(氷高)の前で舞った姿をうつして。



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あの頃の歴史って本当におもしろいので、よけいに萌えてしまう一日のしめくくりとなった。


<おまけ>

復元中だった大極殿院南門の覆い屋がはずされていた。完成間近。
そしてその前(南門と朱雀門の間)を近鉄が走るシュールさ。

近鉄はこの景色に配慮して10年後くらいをめどに路線変更するらしい。



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幽玄の美に触れる夜の拝観〜妙心寺桂春院 - 2021.10.16 Sat



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連続二日妙心寺に来ているが今回は真っ暗、夜です。石畳を歩くのもちょっとこわい。



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京都春秋ことなり塾が秋に12月まで週末に開催している「幽玄の美に触れる夜の拝観」at 妙心寺桂春院に参加。茶席パートを茶友のMさんがずっとつとめられるので、これも楽しみ。



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桂春院は秀吉、家康に仕えた石河家の先祖供養のために整備された妙心寺塔頭であるが、先日行った大雄院も石河家がらみだったわね。


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しかし、夜のお寺って好きやわ〜♪
しかもこの日、笙の演奏を聴くのは二人、茶席はお一人様となんてぜいたくな!夜の寺院の雰囲気満喫なのである。


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庭園が三つあって、副住職さまが説明してくださったが、全然見えない。照明も極力おさえて夜陰を楽しむのがテーマである幽玄の美にふさわしい。
七五三の石がおかれる(見えないけど)真如の庭はもううっすら紅葉が始まっているようで、11月〜12月に行かれる方はもっときれいな紅葉が見られると思うよ。(遠州の高弟・玉淵坊作庭伝)

まずは狩野山雪の金碧松三日月の襖絵を背景にて、照明を落した中で、平安時代の楽人装束の井原季子さんの鳳笙の演奏。
春の双調調子と秋の平調を演奏された。季節によって微妙にかわる調子を聞き取るのは音痴の私にはハードル高い。(ちなみに夏は金鐘調、冬は盤渉調)
それからなんとなく聞いたことのあるような越天楽の和音部分(なじみの旋律は篳篥が演奏する)

さらに大陸から伝わり平安時代には消えてしまった、笙をひとまわり大きくした竽(う)という楽器を復活させた物を演奏してくださった。笙より一オクターブ低い音がでて、複雑な和音を奏で、それはあたかもポータブルパイプオルガンと言っていいのでは、と思った。(ちなみに正倉院には竽が残っているそうだ)
二人だけだったので、近くで拝見させてもらいお話もいろいろ聞けてありがたかった。



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こちらも控えめな照明の梅軒門を見ながら、場所を移動して七畳の茶席へ。
こちらは秀吉の後、石河貞政が城主になった長浜城からの移築ときいた。

床の間にかけられているのは一休宗純の漢詩、師匠であった関山慧玄(妙心寺開山)の塔を拝してと題す。最後の行の躑躅(てきちょく)す、がツツジ(躑躅)ではなくて足踏みするという意味だと初めて知った。
これだされたらひれ伏すしかない。というわけで、茶席担当のMさんも、中途半端な道具はだせないので水指は白木のつるべ、風炉釜、花入、茶碗などはお寺の常什とされたよし。賢明なご判断。

あとはご住職さまにお寺に伝わった利休の茶杓(有楽斎の筒)、「火吹」と朱書された宗旦の茶杓も拝見させてもらった。なんという贅沢のきわみ。(しかも客は私ひとりですぞ)

最後に隠し茶室・既白庵(三畳台目切)を見せてもらう。
こちらは照明がないので暗かったが、目が慣れてくるとなんとなく。
妙心寺は茶の湯や詩歌を修行の妨げになるとして禁じていたので、それでもお茶がしたかったお坊さんたちがこっそり隠し茶室をつくったのである。(そういえば退蔵院にももっとあからさまに隠した茶室があったな)庸軒流の茶席とか。



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かくの如く、夜のお寺の雰囲気をおもいきり堪能して帰路につく。

* この、ことなり塾さんのイベント、京都吉兆の松花堂弁当がつく席もあり、おすすめです。





初代諏訪蘇山没後百年記念・妙心寺大雄院〜仏師樋口尚鴻展・嵯峨野 - 2021.10.14 Thu

日中は暑いが秋もそろそろ深まる頃、アートの鑑賞にぴったりの季節、二つの展示会におでかけ。


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妙心寺は学生時代から好きなお寺のひとつである。境内にたくさんの塔頭が散在してひとつの村みたいになっている。その間を縫う道は江戸時代にタイムスリップしたみたいで、実際時代劇の舞台によくなっている。



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イベントや特別公開で何回かお邪魔したことのある塔頭、大雄院(だいおういん)。柴田昰真の襖絵が有名。近年その是真が描いた、皇居千種の間花の丸大天井の絵(焼失)を、残された下絵を元にこちらの襖絵として再現されたよし、これも見所↓


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今回こちらでご当代(4代)諏訪蘇山からご案内いただき、「初代諏訪蘇山没後百年記念展」を見に。
中では蘇山さん、姉上の宗哲さんが案内をされていた。


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諏訪家というと青磁、と思うが初代はさにあらず、すごく多彩な焼き物を作っておられてびっくりした。幕末のもとはといえば加賀藩士だったそうで、これもびっくり。


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中には楽茶碗のような茶碗もあったり、どう見ても古伊万里の九谷手としか見えないような器も。さらにその多才ぶりに舌をまくのが漆芸もされていたこと、余技だからお金はとらなかったというが、素人のレベルなんかはるかに超えている。螺鈿の香合が模様違いで10個あったが、どうみても中国伝来にしかみえない。倶利の堆朱もすてきだった。



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なぜ大雄院かというと、ここが初代蘇山の作品をたくさん所蔵しておられるので、展示も大雄院所蔵と諏訪家所蔵のものであった。
蘇山さんが教えてくださった、亡くなる直前の最後の作品というのが戌香合、赤絵で彩色されたかわいらしいものであった。


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大雄院の景色も楽しめる。


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ちなみに数年前行ったときに撮った写真もこのアングルだった(^_^;



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最後の展示コーナーでこれもびっくり。諏訪家につたわる初代から三代が作ったおびただしい焼き物の石膏型、これを長年調査されているのだが、経年劣化がひどく、将来に残すためにいろいろな手法を考えた末、京都工繊大のDーLabの協力の下3Dプリンターを利用した新たな石膏型を作ることに成功。最近の3Dプリンターの威力はよく知っているからね、すごいわ、寸分たがわぬコピーが残せる。現代テクノロジーの勝利やね!



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ところ変わってここは嵯峨野大覚寺に近い民家である。


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まわりは嵯峨野らしい風景が広がる。もう稲刈りも終わったようだ。



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こちらで仏師・樋口尚鴻さんと木工作家・太田浩二さんの二人展。いままで西翁院や玉林院で拝見していたが、ここはまわりの雰囲気も古民家を改修された建物もすごくいい。二階の窓からは遠く比叡山もみえるのね。
樋口さんの作品で一番多いのがかわいい小さなお地蔵様、手のひらサイズ。ちょうど上の大雄院のお地蔵様にも雰囲気が似ている。それぞれ違うポーズをしていて、かわいくて、癒やされる。
材によって(桜、桂、檜、翌檜など)堅さが違うので、刃物の入れ方がよく見ると違うのも比べるとおもしろい。
一番気に入ったのは、縁側の天井からぶら下がっている空飛ぶお地蔵様、いや、飛天か。小鳥が飛ぶとき、羽根を閉じて流線型でグライドする格好と同じで思わずにっこりしてしまった。



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そして外にでると、柿の実もみのる嵯峨野の秋!




森川杜園展〜奈良県立美術館+奈良県庁ランチ - 2021.10.13 Wed



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森川杜園をご存じだろうか。
なんとなく聞いたことあるけどな〜の認識だったがほとんど知らなかった。意識してその名前を聞いたのが、奈良三五夜さんでの月釜でゆかりの物がでていた時からだ。

大和が生んだ幕末から明治にかけて、一刀彫りを遙かに超えた彫刻の名匠、狂言師、絵師、そして歌人でもあるというスーパー文化人である。

奈良県立美術館で杜園生誕200年を記念しての森川杜園展、行って参りました。


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杜園はかの柴田是真に勧められて、春日大社の古材で作る奈良人形を当時名匠といわれた岡野松壽に学び始めたそうだ。

奈良人形はもともと春日若宮おん祭りの神事用の人形であった。おん祭りの田楽座が持つ花笠に乗せる人形がルーツといわれる。


↓4年前のおん祭りの写真 右はしの人が頭にかついでいるのが花笠 上に人形がたくさんのっている。

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その奈良人形を芸術の域に高めたといわれるのが杜園である。明治10年の内国博覧会で「蘭陵王」、生涯のテーマであった春日神鹿で一等賞を取って注目される。(ちなみに蘭陵王、つがい舞の納曽利などは花笠に飾られる人形とか)

見ていて謡曲にちなむ物が多いと思ったら、彼は能楽師狂言方でもあったのだ。
一番印象的なのが謡曲のシテの根付シリーズ。30個以上あって、春日龍神、高砂、道成寺の有名な物から通好みの班女、江口、融なども、ちょっと能好きにはたまらない。ひとつひとつが根付けだから小さいのにきっちり彫られている。微細ではなくて、一刀彫りの特徴のさっくりとした線なのにかえって生き生きしている。

能といえば自宅に能舞台があって、その鏡板も自分で彩色したのが展示されていた。これは近年春日大社に寄贈されたと聞く。



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小さい吉野静(静御前)はとても動的なポーズだし、ポスターにもなった福の神は指の表情まで生き生きしている。お気に入りは雛人形の三人仕丁。お内裏様と五人囃子はまあまあすましているが、なぜかこの三人だけ笑い転げたり、よっぱらったおっちゃん的ポーズと表情なのだ。ついクスクスと笑ってしまった。きっと杜園はユーモアを解するいい人やったに違いない。

奈良人形を一刀彫りと称したのは明治になってから、当時の宮司さんが名付けたそうだ。本来神様に供える人形ゆえ、穢れがつかないよう、なるたけ人の手数が少なく一刀で彫った風合い、という意味だったそうだ。

ちっちゃいのでいいから一つうちにお迎えしたいなあ〜と思いつつ美術館を後にする。



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お腹すいたので、美術館のとなりの奈良県庁6Fの食堂に行ってみた。以前から一般の人も利用できて眺めいいよ〜と評判は聞いていたが、行ってみたのは初めて。
おお!たしかになかなかの眺望。



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生駒山系を眺めながら定食600円はお得よね〜!

(食器返却口にかるく食器をゆすぐためのシャワーがあって、学食を思い出しちゃったわ)




手向山八幡宮・転害会2021〜国宝僧形八幡神像・勧進所八幡殿 - 2021.10.11 Mon



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(若草山〜)

10月5日、東大寺鎮護の神社である手向山八幡宮の例大祭、転害会の日、空はきれいに晴れて暑いくらいの日であった。


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鹿の角切もすすんで、ついこの前まで立派な角をふりたてていた牡鹿たちもなんだかたよりなさそうな頭をしている。



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東大寺三月堂横の手向山八幡宮、このちょっと崩れかけた感じがすごい好き。

転害会、東大寺大仏建立のため、749年、守護神として勧請された宇佐八幡宮の神様が、転害門に神輿を下ろされたことからはじまる。


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転害会はその神迎えの様子を再現する祭礼で、古くは勅使もおいでになる勅祭りだったが、現在では在所の秋祭り的な感じ。本来は転害門から祭礼行列が八幡宮目指して行進し、また転害門にもどって芸能など披露される(御旅所祭的)そうなのだが、コロナにて、去年今年と神事だけになってしまったよし。

特筆すべきは令和元年、60年ぶりに祭礼の紫のご鳳輦が新調され渡御が復活されたとのこと、これは見てみたかった!来年はできるかな?



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朝10時、本殿で神事が始まる。
東大寺守護だからもちろん東大寺のお坊さんも参席なさる、、、、あ!上司師だ!今年の修二会で咒師をつとめられ、いいお声の方である。



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女性の禰宜さんであろうか、各方位、参席者を幣でお祓い。ずっと神主さんと活躍してはった。


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南都楽所の方々、神様をお移しするときに奏でられる特徴的な琴が弾かれる。それにお〜お〜という警蹕が重なる。これが神秘的で好きなんよね。本来はご鳳輦や神輿にお移しするのだが、今回は本殿の中央に、という形。



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八幡様はやっぱり鳩である。


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笙、龍笛、篳篥の音色とともに神事は粛々と。


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大きな幣
このたびは幣もとりあえず手向山、、、(菅原道真)の幣やね。


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神主さんが榊を手向ける。
神主さんも上司とおっしゃるので、もしかして上司一族?


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上司師も榊を。
この神仏集合的なところも好き。修二会もまさにそうだし、日本のお寺や神社は多少そんなところだろう。悪名高き廃仏毀釈さえなければ〜、、、


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狛犬さんの後ろに神様の居所の鏡


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神事が終わって主催者のご挨拶


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本来ならここで直会だろうが、コロナでそうもいかず、神社の方が上司師にお昼をわたされているのが、なんだかほのぼのしてよかった。


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今年は御旅所=転害門までいけなくて、神様も残念だったに違いない。


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その足で二月堂へご挨拶


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裏参道から、この転害会の日だけ公開される快慶の国宝僧形八幡神像を拝みに東大寺勧進所に向かう。


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御供田ではもう稲も実り、雀よけのネットが張られていた。田植えや稲刈りをするのは東大寺幼稚園の年長さんたちなのだそうだ。ええな〜幼稚園から東大寺って。
かつては修二会の時にしか行くことのなかった二月堂近辺、最近はしょっちゅう年がら年中行っている感じだ(^_^;



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鹿も鳥居をくぐる。ここも東大寺の境内なのだが鳥居があるのよ。



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勧進所
江戸時代、屋根がなくむきだしだった大仏様に、大仏殿を再興すべく尽力された公慶上人が、大仏殿勧進のために建てた建物で、修二会の時に参籠される練行衆がお参りされる場所でもある。


↓今年2月21日の様子

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この日だけ公開される僧形八幡神像は、鎌倉時代、平家の南都焼き討ちで失われた東大寺復興のため活躍した重源上人が、手向山八幡宮も復興の折、ご神体として快慶に制作依頼したものである。
彩色もきれいに残る。
八幡神ながら僧形という、一見お地蔵様と間違えそうだわ。


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勧進所の中にはここを建てた公慶上人の像をまつる公慶堂もあり、こちらも拝見できる。
実際大仏殿が再建されたのは、彼の死の四年後であったという。



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勧進所から振り返ると大仏殿が望めるのである。


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そのまま歩いて転害門、
先月来たときは注連縄はまだ古かったが、9月23日、転害会の為に新調されたそうだ。来年はこの下にご鳳輦がおさまっているところを拝みたい。


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で、転害門前、先日スルーした千壽庵吉宗さんで、今期最後になるかもしれないかき氷をいただく。(でもきっと冬でもかき氷食べてると思う、、、)



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日本酒ミルク!
升に入っているところがなんとも。ちなみに春鹿超辛口の小瓶は飾りなんで空です。
完食してもお酒飲んでる感がなかったので、できればもうちょい日本酒成分上げてほしいな〜。



南都西大寺光明真言土砂加持大法会2021 - 2021.10.09 Sat




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いつも奈良に行き来するのに乗り換えたりする近鉄西大寺駅だが、降車することはほとんどない。でもこの日は特別、なぜなら真言律宗西大寺派最大の法要・光明真言土砂加持法会がおこなわれるから。


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10月3日、4日、5日と法要は2時間毎交代で24時間ずっと休むことなく行われる。

中でも日に2〜3回お坊さん(真言律宗の各寺院からお越し)総出の法要があり、中日の4日、仕事の後大阪からかけつけた。19時の開始にはまにあわなかったが、20時に着いたときにはまだ継続中、なんとか間に合った!

西大寺は茶人には儲茶で有名な叡尊さんが鎌倉時代に再興したお寺である。京都国博の戒律のあゆみ展を見て、叡尊さん、戒律復興もめざして、儲茶だけの人じゃないんだな、と勉強したのだが、この750年とぎれることなく続く真言土砂加持も始めた人だったんだ。
(ちなみに創建は聖武天皇、光明皇后の娘である孝謙天皇)



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門のあたりにはだれもいなくて、ほんまにこれであっているのか心配だったが、、、


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灯りに導かれるまますすむと、、、


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本堂にはたくさんのご参拝の方がおられた。

それほど広くない堂内は万灯会よろしく灯籠に火がはいり、あちこちに幡や幕がかけられ、きらきらしい。正面の御厨子の中にご本尊、その前に土砂のはいった土砂器を置く。中の砂は某所(秘密らしい)から採取した特別な砂で、この加持をもって特別な力がこめられ、これを拝領することができるのだそうだ。両側を荘厳するのは若松、ススキ、彼岸花、鶏頭とこれも昔からこの花瓶飾りなのだそうだ。


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約90分もの法要の間、真言宗で最も重要視される光明真言<オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラ・マニ・ハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン>をず〜っと唱えるのである。唱えながら10人くらいのお坊さんがぐるぐる堂内を回る(光明真言行道)実はこの前に、有名な「提灯たたみ」といわれるすご〜くスローペースの五体投地があったのだが、これは間に合わず見逃してしまった。



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このパンフの写真がその提灯たたみ、正式には綱維問訊(こういじんもん)という。
ほかのお坊さん方はみな鬱金色の僧衣をつけているがひとりだけ、若い灰色の僧衣のお坊さん=綱維(お寺で僧侶の監督、事務をとりしきる役)がいて、長老の前で五体投地をするのだが、伏してまた元にもどるのに15分かけるという超ゆっくりな動作なのだそうだ。(能の「道成寺」の乱拍子的か)東大寺修二会の豪快な五体投地と全く違うらしい。これは来年こそみたいな。

お坊さん総出の法要がすむと、引き続き一人のお坊さんがまた法会を続けられる。(2時間交代24時間!)中日だけ、お坊さんによる法話が30分ほどあるらしく拝聴する。この法会の解説や、光明真言の意味、ユーモアをまじえてのお話、おもしろかった。この方も同じ真言律宗のよそからおいでのお坊さんであった。
(奈良近辺の真言律宗寺院:岩船寺、海龍王寺、不退寺、般若寺、元興寺、白毫寺など)




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本堂の前には毎年光のアート作品が設置されるらしく、ミラーボールがお寺で回るという(^_^;、、、なにやらきらきらとありがたい。ミラーボールの下には彼岸花のオブジェがあって、仏様荘厳にもつかわれるので、なにか彼岸花のいわくがあるのかもしれない。(実際彼岸花はとうにおわっているけど、どこから調達されるのかな)

法話おわり、みなさんと一緒に外に出るとなんと、薬師寺のお坊さんたちまで聴聞されてたのね。(法相宗)


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ダイヤ型のイルミネーションの真ん中はよく見ると梵字が。これはどの仏様をあらわすのだろう?
金木犀の香りがどこからともなく漂い、なんだかありがたく良き宵となった。



能管を楽しむ〜杉の会囃子大会〜金剛能楽堂 - 2021.10.08 Fri

出演者のお一人にご案内いただき、能楽師囃子方、森田流笛方、杉市和先生のお社中発表会へ金剛能楽堂へ。



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ここの座席、後ろの方に御簾のかかったボックス席みたいな席があるので好き❤️
いままで仕舞、謡の発表会は何度も行っているが、囃子方の発表会というのは初めてであった。


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居囃子→能楽師の謡つき
素囃子→囃子方のみ

というのがなんとなくわかる。ちなみにお社中は能管の演奏、それをバックアップする太鼓、大鼓、小鼓はプロの能楽師さんたちなのである。まあ、われわれの仕舞や舞囃子の囃子方謡方にプロがついてくれるのと同じね。

ただ舞囃子つきが二番あって、その一番がうちの先生だった!(出演されているなんて知らなかった〜)「海士(あま)」のクツロギ(橋懸りまで出て、囃子を聞く型)を舞わはったのには感激。

能管を吹かれるお社中さんにはかなり高齢の方もおられて、ちょっとはらはらする場面もあったが、杉先生、若先生が後見され、うしろで口で指導してはったのがめずらしい光景であった。うちらでも舞囃子のとき、笛パートを口まねでおしえてくださるのだが、あんな感じかな。「オヒャ〜ラ〜リホウホウヒ」みたいな。



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さて、トリをつとめまするのが我が知人、大学の遠い後輩にもなるS氏。なんと片山九郎右衛門先生の舞囃子「弱法師」のお囃子をされるとは!たいしたもんだ。
目の見えぬ弱法師が四天王寺の日想観から各地の様子を見えぬ目で想像する場面である。S氏、ラグビーでもやっていたのかと思うくらい体格がよいのでさもありなん、肺活量もはんぱでなく、能管の音は鋭く、さすが、トリだけあるとおそれいった。
しかも彼の能管は茶人なら大抵知っている某近代数寄者旧蔵、江戸初期の能管というからそりゃすごい。(「獅子丸」という銘までついている)彼の元へ来たいきさつを聞きたかったが、話せば長い話、、、とのこと(^_^;

笛方から能を堪能したことがなかったので、今回は勉強になった。能の舞台で、これから笛方へも注目すると思うわ。



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帰り道、まだ明るかったので能楽堂お向かいの御所で一休み、、、していたらどこからともなく、、、あの芳香。



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ああ、金木犀も盛りをむかえていた。



2年ぶりの上七軒特別講演〜楓錦会 - 2021.10.07 Thu



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こちら久々の上七軒歌舞練場、特別講演楓錦会の千秋楽に行ってきた。
令和元年秋の公演以来、コロナでとまっていた舞台公演はなんと2年ぶりだそうだ。


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北野をどりはほぼ毎年行っていたから、この景色も懐かしいというか、もう2年もたったのか、と感慨深い。



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夏には芸舞妓さんが接客してくれるビアガーデンも、2年ひらかれていない。
花街の芸舞妓さんたちは接客が仕事ゆえ、コロナでほんとうに大変だと思う。しかも日頃の芸の修行の発表の場でもある公演もとりあげられて、せっかく舞妓になったというのにやめて故郷に帰る人もいると聞く。


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そんな中でも今年の春店出し(舞妓デビュー)したばかりの舞妓ちゃんもいると聞いてなんだかうれしい。なんでも地元上七軒育ちとか。他府県出身者が多い中、数十年ぶりの地元出身者だという。

公演はまだコロナ下ゆえ45分のショートで出演者も舞妓二人、芸妓四人と少な目、それでも生の舞台はやっぱりよろしいな。初の試みとして舞いが始まる前に芸妓さん二人によるトークがあった。コロナ下をいかにすごしたか、だれも経験がない中でどう仕事をしていくか、ご苦労がしのばれるが、あくまで外見はたおやかにつやっぽく、ユーモアも交えて。



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すごく舞台に近い席だったので、もしこれが例年の北野をどりだったら芸舞妓さんが最後のフィナーレで投げる手ぬぐい、キャッチできたのにな〜と残念。

さて、舞妓ちゃん二人の舞は、先ほどの今年店だしした市すずさんと、少し先輩の勝貴さん。
二人並ぶと、お姉さんは髪型がおふく、かんざしもだらりでなくてキリッと、半襟も赤成分少なく、紅は上唇にも。新人は髪型われしのぶ、かんざしはだらりの長いやつ、半襟は赤多め、紅は下唇だけ、という違いがよくわかる。舞もやっぱり姉さんのほうが上手かな。



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今回コロナ対応で地方の生演奏はなし、一曲だけ地方さん一人の三味線あり。
演目の「はっはくどき」というのは、古くから歌われてきて、40年ほど前に中里(各界の重鎮たちもかよった上七軒のお茶屋)で録音された音源で舞われたが、なにやら歌詞をよ〜く読むとけっこうきわどいというかエロいというか、、、(^_^;
そこらへんさすが花街、エロさを上品でつつんでるところが御座敷芸かしらね。

学生だった頃、京大生が必ずコンパの洗礼をうける天寅という百万遍のコンパ場があったが、そこにやや高齢の名物仲居さんがいて、興が乗ると客の前で春歌を披露していた。当時おぼこかったので、意味がわからず男子学生が笑うので一緒になんとなく笑っていたが、思えばかなり卑猥な内容であった。でも彼女は髪も芸妓さんみたいにきれいにまとめて物腰もなんとなく上品だったので、もしかしたらもと芸妓さんだったのかも、、、とそんなことを思い出した。



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45分はあっという間であったが、客としてもうれしかったし、出演者もどれだけうれしかっただろうとお察しする。来年は完全バージョンで北野をどり見たいなあ。

お開きのあと夕食は上七軒近くのポンジーズテーブルへ。この時期、夕方あいているお店は貴重だ。


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選べるワンプレート、ごちそうさまでした!




神無月朔日茶事・砧〜雁の使い〜律の風 - 2021.10.05 Tue

名残の季節の茶事を。
座敷もようやく籐筵と葦戸を片付け、段通と障子にかえたばかりでお客様をお迎えする。



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寄り付きは秋の稔り、それに女郎花の古歌を。
本日のお客様方はいずれもお道具にお詳しいそうそうたる方々で、道具組どないしようかしらとけっこう悩んだ。


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昨年某所でかけた松園の「砧」をかけ、夕ざりなので灯りをともす。
毎回ほぼ同じ時間開始にしているが、だんだん日がおちてくるのが早くなると感じるのも好きだわ。
次くらいは後座の前に手燭の交換ができるかも。

さて、この砧、砧を打つ女性の上にほのかに一片の月、ねらいは大好きな李白の「子夜呉歌」の秋

  長安一片の月 万戸衣打つの声
  秋風吹いてやまず すべてこれ玉関の情
  いずれの日にか胡虜を平らげ 良人遠征をやめん



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秋も本番になって、苔もしっとりと落ち着いてきた。(日々格闘)
水を打って席入りを待つ。


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露地のコムラサキシキブも色づく季節。
お正客様は表千家の方、この夏軽井沢で朝茶事をしてくださった方である。きびしい目がむけられるのでは、とヒヤヒヤ(いや、ほんとうはとても優しいお方です)



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須恵器残欠に庭の、今年初めてさいた秋海棠の白を生けようとおもったら、朝、ぽろっと花がおわってしまって!残念!で、急遽赤のものを。秋海棠はどんなにいけても葉っぱがすごくすてきなので、絵になるのである。あとは女郎花、藤袴、紅白水引。


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向付は赤みの魚、名残の十月は背の青い魚をだしてもよいと、峯風庵さんに昔教わった。アボガドはお茶友さんの懐石に刺激を受け、それに山かけ。寄せ向こうで三島、刷毛目、天啓赤絵、古唐津など。


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もう少し暑い時期の風炉としてが出自が火鉢だけに、暑くてたまらん李朝鉄火鉢も今日は風炉になる。灰の掻き上げはちょっとメンタルに余裕なくて省略。
寄せ香に挑戦したけれど、どうも思い違いをしていたみたいで、御正客様にご指摘をうける。そうか、勉強したぞ、来年こそは!
あ、やっぱり香合は砧型ね、ここは。


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お菓子は今回みのり菓子さんに、フルーツ系をとお願いした。
なんと洋梨コンポートに包まれた柚餡、この餡は大好きなみのりロールにはいっている餡と同じなので、美味しい♪
まず自分で食べてみて、これはラップごと懐紙にのせて黒文字で刺してかぶりつくのが正解、とそのままおだしする。

みのり菓子さんによると銘を「律(りち)の風」
初めて聞く言葉で、調べてみると俳句の秋の季語でもあるのだ。
呂律というのは日本の音階だが、その調べが変わるように風が秋になって変わる様子をあらわすのだそうだ。呂は陽で律は陰、秋だから律の風。なんと美しい日本の言葉!また新しい美しい言葉を覚えた。(ちなみに呂の風という言葉はない。)


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後座入りでは手燭がいるぎりぎりのところ、みるみるうちに暗くなる。



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灯りの下で濃茶を。
掛け物はやはり「月」で。
茶碗にも造詣の深い方々、いろいろするどいご質問もあり、古帛紗もおたずねあって、中宮寺でもとめた天寿国繍帳の写しを、それとわかってくださって、ご自分もお持ちだとお聞きして、びっくりとてもうれしかった。なかなか天寿国繍帳?なんですか、それ?という反応も結構あるので(^_^;



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亀広保さんの秋海棠とすはまの枝豆
葉っぱはぺたんとならないよう細工がしてあって、いつもながらいい仕事。


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謡曲「砧」には帰ってこない夫を待ちつつ妻が、前漢の蘇武の故事にならって、夫に届けとばかり砧を打つ。蘇武は匈奴に捉えられ、19年もの間獄にあったが、長安に残した妻の打つ砧の音が聞こえたという故事。さらに蘇武が雁の足に結びつけた手紙が妻の元に届いたことから、雁の使い=手紙と。
またまた美しい大和言葉。(これは昨年そらいろつばめ様に教えていただいた)


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薄茶はブロークン茶箱にて。今のところ一番お気に入りの李朝青磁の小碗を使えるのが茶箱なので最近多いなあ。


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茶の話、道具の話は尽きない。人生にはいろいろあって、苦難もなんなく乗り越えてしまう人がいるんだなあ、、、とちょっと感動した話もあり。お茶のお付き合いは淡い(淡交)のを旨とするが、そんな中でもすれ違いざま心に響くことがあるのだ。


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さて今宵も無事お開きとなった。
皆様ご遠方から、気をつけてお帰りください。


長月雑記2021 - 2021.10.03 Sun

あっというまに過ぎ去った長月をふりかえる。


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裏庭でいつもは意識の外にあるのだが、お彼岸が近づくとむくむくぷりぷり球根が太ってくる彼岸花。あ、ここにあったって、とようやく思い出す。



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彼岸花は芽が出だして咲くまでがあっというま、というか早くてびっくりする。
この前までなにもなかったところににょきにょき。



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そしてまた花もぱっと咲いてあっというまにしおしおになる。
だけれど種はつけない。染色体がわれわれ二倍体と違って三倍体だから実はつけられないのだ。むくむく増える球根は染色体が同じクローンなのだ。



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彼岸花は「葉知らず 花知らず」とも言って、花と葉っぱの時期がずれる。でもよ〜く見ると花の下に葉っぱが見える。



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この葉っぱが冬の間光合成をして球根に養分を蓄えるので、花が終わったからと言ってゆめゆめ葉っぱを切るべからず。


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こちらは同じ裏庭の、初咲き白秋海棠。白はやはりかわいくて清楚だ。
夏の間、寒冷紗とか直射日光を避けてやるのに苦労した。だから冬の間もっと日陰に植え直して増やしたいと思う。



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京都国立近代美術館の「発見された日本の風景〜美しかりし明治への旅」

もう失われてしまった日本の原風景。
見ていると意外に田舎あたりにはまだ残っているかも、と思われる風景もあるが、当時の人々の暮らしはもうもどってこない。

背中に弟や妹をくくりつけて子守する子供たち、木綿や麻の野良着で作業する農家の人々、日傘をさして涼しげな夏着物に日本髪を結って散策するご婦人方、当時を知らないはずなのになんでこんなに懐かしいのだろう。きっと日本人みんながそう思う原風景がここにある。



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おどろいたのは、半分くらいが当時来日していた西洋人画家たちの作品だったということ。当時の西洋人には珍しかったとおもわれる景色や風俗をみごとに、ややこしい崩し字の漢字まで、写し取っている。いわれなければ西洋人が描いたとはわからないくらいだった。
モースは、当時の日本人は道徳的に優れて、お互いを思いやり、玄関先のガーデニング(園芸)に余念がない人たちだと驚いている。今の日本人をみたらどう思うだろう。



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美術館のカフェ505で「日本の風景展」をイメージした和菓子ということでいただく。ちょっと微妙だが、色彩がイメージにあっているかも。ハーブティーが選べるのもいいね。



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その足で細見美術館「美の境地」展へ。
会員券も切れるので更新もしないとね。(年会費4000円で一年何回入っても無料)

当代館長のおじいさんにあたる細見古香庵の多岐にわたるコレクション。かつて美術館の上の茶室・古香庵で茶事や茶会がひらかれていた。そのときに実際使われているところを何度か見た釜や軸があってうれしかった。またやってくれないかな、茶会、コロナがおわれば、、、



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下鴨川口美術にて、伊藤明美陶展。
九州から一年ぶりという伊藤さん、お久しぶりだがお元気そうでなによりだ。お庭でF太郎さんの茶席もあり、一服よばれる。市川孝さんの茶車が大健闘だ。



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青洋さんの複雑に美しい色彩のお菓子をいただく。
ちなみにお皿は伊藤さんの三島、一目惚れでこれを3枚お持ち帰りした。



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すでに我が家に4個あって活躍している粉引の塩笥、これの経年変化がとても楽しい物。これで薄茶をいただく。点てるの難しいのにさすがF太郎さん。(最近○○画報にも登場!)



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花の名前は忘れました(^_^;
これを一輪川口美術の新羅土器に。すてきなので、新羅時土器にちょっとはまるかも。


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本日のラインナップ。ごちそうさまでした。


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知人が何人かいるのでおさそいいただいて諧声会自演会へ。
諧声会は京大観世会OB会で、学生時代に能をがんがんやった人たちの集まりなんだな。卒業してもう数十年はたっていると思われる人も、つい最近卒業したところかなと思われる人も、謡い舞う。これはずっと卒業しても続けてはったな、と思うような上手なひともいて、さらに大鼓、鼓、太鼓、龍笛とお囃子まで自前でそろえられるのすごいな〜と思った。
思えば私も大学時代に始めたお茶にいまだにひっかかっているのと同じかな、、、



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かもがわカフェの下にあるストックルーム
ビンテージ家具。雑貨などを扱っておられるが、私はもっぱら金継ぎをお願いしている。



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今回お願いしたのは伊賀の岸野寛さんの刷毛目杯である。
目に見えぬひびがはいっていたのか、ある日ぽろっと、、、、お直しされてすっかり風格があがった。これでまた一杯やりたいね♪


三五夜秋の特別茶会〜白洲正子によせて - 2021.10.01 Fri

名古屋の本職陶芸家で数寄者でもある席主様を迎えて、奈良三五夜さんで秋の特別茶会。
本来5月に行われるはずだったのがコロナで延び延びになっていたもの、待たされた甲斐があった。



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(ならまちではなく、JR奈良駅周辺、まだまだ現役の町家が多く良い町並みが残る)


お席主さんは、正子と交流があり、彼女の著作も多く読まれ知識も豊富な方。
華族のお嬢さんであり、能を愛し、青山二郎、小林秀雄の薫陶をうけた骨董収集家、かくれ里、特に若狭、湖国を愛し、知的奔放さで生きた正子の生涯をたどるような室礼であった。

中でも特筆すべきは正子の消息、ちょっとくせのある筆書きで、お席主宛ての手紙。山梨県の水晶の産地にまつわるもので、実際に草入り水晶を正子に贈られたそうで、そのお礼状である。後に白洲正子の研究家でもある古美術評論家・青柳恵介氏の箱書きで「水晶の消息」と。

軸装するのに、紬を愛した正子が実際着ていた青の縞の着物の端切れを、中回しにされたよし、これはすてきだった。ちなみに封筒の方は軸の裏にうまいこと貼り付けてあって、これはいいアイデア、現在近代の人の手紙軸装依頼中なので、こうすればよかったかな〜と。

文中にもでてくる草入り水晶って何かしら、と思っていたら床前にその一つが飾られていた。水晶のなかにトルマリンの針状結晶が混じって、あたかも水晶の中に草が紛れているようにみえるものなのね。初めて見た。



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待合に正子の祖父の樺山伯爵の七言絶句(読めず)。
脇に水晶の玉(龍神の玉)と琵琶の撥、ああ、「竹生島」、正子は竹生島もお気に入りの場所であった。
床に飾られた香合は、「十一面観音巡礼」で正子が巡った若狭の神宮寺(昔いったわ〜)の小さな古瓦を拾われて、これを蓋にすべくご自分で身の方を焼かれたものという(そこはプロの陶芸家!)
脇床に面箱に入った増女の面、これも能を愛した正子のゆかり。


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水指があれ?麦わら手のうちにある火消壺と同じ?と思ったら、これも正子が火消壺をそうと知らずに水指にした、という逸話にちなむもの、(すごい正子愛だわ。)彼女なら許されるところがすごい。


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花をいれた壺が白っぽくて志野?と思ったが、こういう形は志野にはなく、織部に同じ形があり、おそらくこれは失敗作として絵付けの前に捨てられたものでは、とのことであった。正子のコレクションにほんとに同じ形の花器が本に載っていた。これを一目で織部と断ずるのはすごい眼識。
花は珍しいウドの花で、茶筅の里から茶筅師さんがお世話されたものだとか。三五夜さんのご人脈はなんだかすごいなあ。



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濃茶をいただく菓子が萬萬堂さん特注の「淡海」
まさに琵琶湖の楽浪に月、竹生島の景色になってきましたよ〜♪
 
   ♪ 月海上にうかんでは〜



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   ♪ 兎も波を走るか  

      おもしろの浦のけしきや     (謡曲「竹生島」)

ご自宅の古い天井板を菓子器に作り直したこの木目を見て、本日お手前も担当されていたお菓子屋さん(やなぎのにわ京菓子店さん)、波と見立てて急遽この意匠にされたとか。
月は薄焼きに栗と芋の餡(芋名月栗名月)、兎はなんと柚のパルトドフリュイ!美味しかった〜!

しかし、このお菓子屋さん、どこかでお見受けしたような、、、、と思ったら茶菓円山さん!
このたびパティシエのパートナーさんと独立されるのだとか。これはまた新しい良いお菓子屋さんを知ってしまった。

いつも思うが、自分で物をつくりだせる人はほんとうにうらやましい。今回もご自分の作品はいうにおよばず、陶片を継いで作った蓋置、ご自分で作画された煙草入れや、いろんなところに手作り、しかも手作り感ないところがにくいのだが、あふれていて楽しかった。

お席主の正子愛はやむところをしらず、また第二弾、第三弾もあるそうでまた楽しみである。





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