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2021-11

三五夜月釜〜東越青丘 - 2021.11.30 Tue



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奈良・三五夜さんの月釜。
今月は、ご縁をいただいた京都のO先生のお席とあっていそいそと。


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先生の主催される茶道教室・東越会の名前の由来はなんだろうと思っていた。

 、、、東越青丘 南踰丹徼、、、

唐の太宗が天下統一をしたとき宮殿の傍らに醴泉(太平の世にわきでる甘泉)がわいたことを記念して建てた碑「九成宮醴泉銘」、中国屈指の名筆家・欧陽諄の書の一部だったのね。

はじめに太宗は武力で天下を統一したが後に文徳で国をおさめ、東は青丘を越えて南は丹徼を越えるまでこぞって宝物を献上した、、、という内容だそうだ。



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本日のテーマは宗旦居士をしのんで、ということで、軸はかの有名な、今日庵の名前の由来にもなった「懈怠比丘不期明日」。本歌は清巌和尚だが、ご自身の菩提寺の和尚様に書いていただいた軸なのだそうだ。
お菓子は(先日みたらしをいただいたところの)おくたさん製「鴨脚(=銀杏)きんとん」

お若いけれど、裏千家の水屋にずっとおられただけあって、お点前は美しく(これは以前も感動した)お話もお上手である。



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今日庵の竹の古くなった物を使って作られたという花入に寒菊と、ハシバミの照り葉。宗家の宗旦忌も寒菊であったが、これは裏千家ではそういう決まりなんだろうか。

漆のつくろいなどもご自分でされているとは知っていたが、炉縁までもご自分で漆塗りされたとは!たくさんお持ちいただいた思い入れのお茶碗の数々、中には大胆に銀継ぎしたもの、繊細につくろったもの、全部ご自分で。今日庵で数茶碗として長年使われてきたちょっと高麗風の茶碗、欠けたのを金と銀で上品に繕われたのが、良い味がでて景色がよかったなあ。


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もう一つ萌え萌えだったのがこの妙全さんの「達磨」香合。本歌は織田信憑という信長の流れをくむ地方大名さんらしいのだが、なんともこのとぼけたお顔!達磨というよりPeepig Tomって感じでにやりとしてしまう。ちなみに敷いてある紙釜敷きは紺色の湊紙、○○忌のときはこれをよく使われるそうで、勉強勉強。
茶入の銘が「華厳(東大寺は華厳宗)」、茶杓が東大寺の筒井寛昭・元別当と奈良へのリスペクトも忘れずに。


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お正客様が学園卒の大先輩だったり、お茶を始めてまだ2ヶ月にならないO先生のお弟子さんがシビレをきらしたり、なんだかとても楽しい席であった。今から育てていかれるお弟子さん方、これからが楽しみなお社中である。



能「望月」古式〜大津市伝統芸能会館〜謡蹟の近江〜 - 2021.11.30 Tue


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近江富士・三上山がはるかに見える琵琶湖の眺望。
大津市伝統芸能会館へ味方 玄師の能「望月」を見に行った。


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<謡蹟の近江>と銘打ってのいくつかの公演の一つであるが、そう言うだけあって、近江には舞台となった能がけっこうたくさんある。この会館にくるまでに通る道にすら蝉丸神社もあれば逢坂の関もあるのだ。他に「三井寺」(この会館に隣接)、「竹生島」、「志賀」、「兼平」(粟津の浜で討たれる義仲の家来、最近この仕舞習った)、、、



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この望月の名前を見ただけで「♪ 今や引くらん望月の駒の歩みも近づくか〜」(蝉丸)がでてくるわ。ちなみに望月の駒は、名馬の産地であった望月(地名・信州佐久あたり)の名馬を朝廷に献上する習慣があり、八月の望月の頃馬を引いて鑑賞したのだそうだ。

  逢坂の関の清水の影見えて今や引くらむ望月の駒  (紀貫之)

この古歌を知らなければナンノコッチャになりますよねえ。

その信濃の国の望月某が口論の末、庄司某をあやめる。庄司の家臣であった友房は逃れていまは守山の宿の主となっているが、そこへ庄司の妻と息子の花若、偶然にも都から信濃へ帰る望月が同宿となってしまう。
友房はこれこそ仇討ちをさせてやるのに千載一遇のチャンス、と酒宴を開く。妻は旅回りの瞽女、花若はその従者の鞨鼓打ちの芸能者として望月の宴席にでる。

花若は子方が演じる幼き人であるので、演目の一萬箱王(曽我物語ですな)に同調してつい憎しみを隠しきれず「いざ討とう!」と叫んでしまう。場をとりつくろうため機転をきかせた友房は「鞨鼓を打とうと言ったのですよ。」とごまかすのである。ついでに所望ならと獅子舞をひとくさり舞いましょう。そして宴もたけなわ望月が気を許したところで花若は友房の力もかりて仇討ちをはたすのであった。


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特徴的なのが妻以外は全員直面(ひためん)といって能面をつけないで演じること。
また子方は鞨鼓の舞もしなければならないし、台詞も多いので、ある程度の年齢の子供が演じるのだが味方玄師の甥にあたる慧君がりりしく演じられた。(ついこの前まで小さい子供だったのにすっかり少年になったなあ〜←近所のおばさん目線)

パンフレットの写真は友房の獅子舞の姿、面はつけず白い布で鼻から下を覆う(コロナ対策じゃないよ)。最初獅子の姿を揚げ幕からチラ見せしてすぐ閉じてしまうところがあって、期待にゾクゾクした。長袴をさばきながらの激しい舞はさすが味方師である。かっこよかった!

最後の仇討ちの生々しいシーンはどうするのだろうかと思ったが、望月はすっと退場して虚空を二人で切るという能らしいスマートさであったわ。

 ♪ 獅子団乱旋(ししとらでん・唐から伝わった秘曲)は時を知る 雨叢雲や騒ぐらん


<おまけ>

公演の前、この会館のすぐお隣にある大津市歴史博物館、まもなく閉幕する西教寺展、ぎりですべりこめたわ。真盛豆の真盛上人のことがちょっと知りたかったので。こんど坂本にいたっときに西教寺へよってみよう。


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宗家宗旦忌2021 - 2021.11.28 Sun



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今日庵へ行く道、紫明通りの銀杏の黄金色は今が盛りだ。

裏千家今日庵の三大忌のひとつ宗旦忌(11月19日)に参加してきた。宗旦がなくなったのは旧暦12月19日なので新暦に繰り上げ、11月に行われる。
思えばこちらに前うかがったのは7年前の利休忌だったから、あれは桜の頃だったな。


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本法寺を抜けて今日庵へむかう皆様。みんなびしっと色無地一つ紋はさすが。先生先生と声かけられるが、こちとら○交会の泡沫幽霊会員なので先生でもなんでもないのでムズムズするわ(^_^;


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今年はコロナのこともあって、人数をしぼり、点心などもなしとのこと。
まずは茶道会館(学生時代お世話になった)にて本席、広い広間で御園棚立礼、お点前は塩月弥栄子さん(大宗匠の妹)の娘さんかなあ。

宗旦忌といえば、お菓子は「ぎんなん餅」、今日庵の中にある宗旦手植えの銀杏の木のぎんなんをもって川端道喜さんが作られるそうだ。淡々斎好みは求肥に漉し餡、ぎんなん3こ。


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ちなみに宗旦銀杏は本法寺の前から今日庵を背伸びしてみるとかろうじて見える。樹齢500年とか。立礼席で印象的だったのは伽藍釜という平べったい釜。本来はもっと大きかった物を羽根をうちおとして底を鋳直したという釜、伽藍の礎石に似た形。年代は忘れちゃったが、きっと歴代の家元の箱とかたくさんあるんだろうなあ。


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それからぞろぞろ今日庵の中へ。
平成茶室にて七事式。私がはいった最後の組では若手業躰さんによる「投げ込み花月」、大宗匠も少しだけ顔をお見せになりご挨拶、100歳にお近いと聞いたが、背中がすっと伸びて、腰が曲がっていないのはさすがだわ。私が学生時代お茶をやってた時代の宗匠だから特別な思い入れがある方だ。

若宗匠、伊住宗匠のご兄弟、陪席で「投げ込み花月」、「やる気をなくしたら投げやり花月」と、家元でも冗談おっしゃるんだ(^_^;

花月の前に今日庵のお道具展覧があって、これがよかったな。

宗旦茶杓「ひかき(ひがき)」
金森宗和の箱がある古瀬戸渋紙手茶入「おちほ(落ち穂か?)」
左入赤「大徳」

印象的だったのが、裏千家八代一燈がメモみたいに走り書きした自分より前の宗匠の名前の軸。利休宗易居士、少庵宗淳居士、元伯宗旦居士、、、、で最後に又玄斎一燈と。
この前速水流の流祖宗達とのやりとりの話を聞いていたので、よけいに身近に感じる一燈宗室さん。


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最後に裏千家学園にて薄茶席。お運びは学園の生徒さんたちだろうなあ。さすがみなさんきっちりしてはる。けっこうたくさんここの卒業生さんを知っているが、みなさん実技はほんますごいわ。

こちらの展覧の茶杓がまたまた一燈「ちどり」
御本の弥平太「雁の絵」、編み笠のやつが有名な弥平太、これにも飛ぶ雁の列の絵付け。
初にお目にかかって勉強したのが水指の高田焼(こうだやき)。上野焼の流れをくむ熊本八代の焼き物だが、九州っぽい。高取にも見える。


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人流の差配はばっちりで、つつがなく大勢の参拝者をさばいていたのはさすが今日庵。というわけで淡交会の本やパンフでおなじみの業躰さんの実物にもお目にかかりつつ、さくさくお開きになって、お土産をもって帰る。これで銀杏の菓子板は2枚目。志が薄墨なのはやっぱり忌がつくからなのね。でもこの干菓子セットなかなかお値打ち。


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帰りも紫明の燃えるような大銀杏を眺める。やっと秋がきた気がした。




虎丘庵〜酬恩庵一休寺 - 2021.11.26 Fri

京田辺にある一休寺こと酬恩庵へ7年ぶりである。前来た時は月釜にあわせてだったが、現在はコロナでどうなっているのか。(開催されているようです)

今回は一休禅師が晩年を亡くなるまで森女と過ごした虎丘庵の特別公開(事前申し込み)へ。


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暖秋?のおかげでまだまだ盛りとは言いがたいが、紅葉が美しい。


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コロナの谷間(このままnadirが続けばよいが、、)ゆえ、けっこう観光の方々もおいでである。


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山門を入ってすぐ、一休さんが眠るここだけは宮内庁管轄になっている。後小松天皇ご落胤説にのとって王子扱いなのであるが、当時のことゆえDNA鑑定もなく、本当のところはどうなんだろうなあ。ご落胤だろうがなかろうが、一休さんはちっとも気になさらないと思うが。


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もともとここは妙勝寺といって大応国師(南浦紹明)が南宋の虚堂智愚に学び、帰国後建てた禅の道場だった。戦火に失われたが後に一休禅師が再興、師の恩に酬いるという意味で「酬恩庵」と命名したのだ。
81歳で大徳寺住持に任ぜられても、用事があるときだけ、ここから通ったという。88歳の大往生であった。


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本堂からみえる檜皮葺の屋根が虎丘庵である。


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名前の由来は虎丘紹隆(北宋の禅僧、圜悟克勤の法嗣にして密庵咸傑は法孫)。
もともとこの小さな庵は京都東山にあったが、応仁の乱の戦火をさけてここに移したという。時に一休74歳。


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この虎丘の扁額は禅師の筆による。


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かつて村田珠光や、金春禅竹などが集う文化人サロンになっていたらしい。珠光といえば、一休さんが通い住持を務めた大徳寺・真珠庵の作庭をしたし、彼は一休から圜悟克勤の書を拝領した(真偽は不明ながら)。


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さて、この書院のデジャブ感、、、そうだ、銀閣寺東求堂同仁斎だ、あっちは四畳半だったが。
いわれてみれば同時代の人なんだ、足利義政とは。

窓から見えるのは一休さんが愛した梅と、その向こうの塀は墓所。一休さんが生きている間に作ったお墓で、垣根越しに自分の墓をみながら生活していたのだ。明治になって宮内庁管轄になり壁ができたという。


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床には紅白の椿と満天星の照り葉、軸はご住職の「喫茶去」であった。


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これは後に作り替えはったらしい水屋。丸炉もあっていいわ、こりゃ。

座敷でご住職に、虎丘庵や一休さんについてのお話をしばしうかがった。茶の湯の歴史の黎明期の話もたくさんでてきて興味深く拝聴。


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それから方丈にもどりお抹茶をいただきながらお話の続きを。


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でてきたお菓子があの「糊こぼし」と「ぶと饅頭」で有名な奈良の萬萬堂さんではありませんか!お菓子もぶと饅頭そのもの。銘を「通無道」、さかさまからよむと「どうなしつう〜どうなっつ〜ドーナツ」なのね(^_^;


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虎丘庵見学のあとは境内を散策。屏風の虎を追い出すことができたらつかまえてやる、というトンチ話が懐かしい。


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方丈前の枯山水の向こうに紅葉が美しい。


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本堂に向かう道の紅葉も8割方といったところか。


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緑の楓もまだまだ残る。


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庭の一番奥の池には鴨がきている。


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「このはしわたるべからず」はいはい、ちゃんとはし(端)でなく真ん中を渡りますよ(^_^;


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こちらは前身の妙勝寺開山・大応国師開山堂。屋根がかなり痛んでいてぺんぺん草なども生えている。この屋根をチタンに葺き替えるというプロジェクトがただいまクラウドファウンディング中だ。チタンかあ。一休さんなら「ええな、それ〜!」っておっしゃるような気がする。


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こちらは境内の紅葉の前にたたずむ一休禅師。
さて、昨今の風潮は禅師の目にはどう映りますかな。


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そして今期<一休宗純没後540年一休フェス〜keep on 風狂>と銘打って宝物殿での特別展示は、Eテレで「オトナの一休さん」などで活躍する一休さんがライフワークのイラストレーター伊野孝行さんと酬恩庵コラボ作品。


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虚堂智愚の頂相の隣に智愚の頭をかる一休さんのイラスト。



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色つきのガムテープで作った一休さん。(下の宇治の通園の茶箱がなかせる)


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極めつきがこちら!
般若心経が書かれたトイレットペーパー。罰当たりすぎてこんなんでお尻ようふかんわ〜(^_^;


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最後に当お寺で作られている一休寺納豆をお土産に買って帰る。
ちなみに大徳寺納豆(これも一休さんが伝えた)とほぼ変わらないが、ややクセがつよいように感じる。空腹休めによいので、ダイエットにもいいかも〜。



速水滌源居〜口切茶事2021 - 2021.11.24 Wed


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北野天満宮の北にある桜で有名な平野神社。茶事の前にお参り。


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数年前の台風で本殿が見事につぶれてしまって、しばらくは更地だったが、このたび仮殿がめでたく建ったようでなにより。



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さて、その平野神社ほとりの速水流家元宅の滌源居、前回の朝茶事以来4ヶ月ぶりで口切茶事へ。
待合には原在中の寒山拾得、本席には初代の速水宗達が一条忠香から下賜された号である「養壽」。


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これは春の茶事でいただいた先代宗匠の「養壽」の扇子。
その真下に網をとったあとの茶壺が置かれていた。今回の口切茶事は10回連続で、回数によって網にいれたまま、網をとる、置く場所を床の間の真ん中〜下座〜上座と変える作法があると初めて知った。礼法を厳しく教える速水流ならではなのだろう。
さらに五徳の爪の向きについて、裏千家とかなり違うなと思っていたら、これも灯火あるいは日光の光がはいるように据える、とお聞きして、陰陽五行、理詰めの流派だなと改めて思ったのである。



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香合は初代宗達手作りの備前の牝鹿、実はこれにはペアの牡鹿がいて、岡山の塩業で財をなした野崎家所有なのだそうだ。(宗達は岡山池田藩の茶道指南をしていた)数年前岡山の美術館でこのペアは数十年ぶりに巡り会えたのだとか。

懐石の八寸の時に宗匠の茶道論、歴史論をまた熱く語られるのを拝聴できた。これが楽しみで♪

今回は宗達の師匠であった裏千家8代一燈と宗達の論争の話がとても面白く、一燈も時にやりこめられるくらい宗達は理論武装の人だったようだ。それをまるで昨日その場を見てきたかのような語り口で語られるのでついつい引き込まれる。そして彼らを昔の人なのにとても身近に感じる。当時まだ若かったであろう一燈の息子の不見斎などは、さぞ頭が上がらなかったであろうなあ。


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懐石の最後にいただいた主菓子は川端道喜の亥子餅。シンプルだが求肥の柔らかさと餡の絶品さは格別。

後座の花は西王母とハマボウフウの照り葉。
本堅手のお茶碗で濃茶を練っていただいたが、これがまたとっても美味しい。ちょうどお汁粉を飲んだときのように、粒子感を感じる初めてのテクスチュア、祇園辻利さんの碾茶を水屋で実際に石臼でひいた茶だったのだ。今まで石臼でひいた茶はなんどか飲んだことがあるが、まずい!という印象しかなかったので、目から鱗である。
さらに濃茶は練るというよりはぐるぐるとゆっくり〜早く回していくという点て方。湯の流れに逆らわず点てる、、というこれも理詰め。実際裏千家の練り方より、ぐるぐるの方がうまくできるのは経験上知っている(遠州流などもぐるぐる系)


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濃茶をいただいたあとは2組に分かれてわれわれ3人はお先に小間の茶室「清冲軒」へ。この紅葉がきれいにみえる茶室は三畳板入り逆勝手隅炉というかなり変わった侘びた茶室なのだ。
印象的なのは、隅炉なので周りを壁でかこまれるため、炉中の炭火の赤々とした光が炉壇いっぱいに広がって見えて美しいこと。

枡床には尺八のすっとした花入れにマユミの花と管菊がいれられ、初代が「養壽」号を拝領した言葉の由来を漢文でしたためたもの。
ここで初めて先代の任然(にんねん)宗匠のお点前拝見。ご酒がお好きだとお聞きする先代のお点前や語り口は飄飄とされて楽しかった。ちなみに任然の隠居号は聖護院さんと相談して「自然に任せる」という意味で選ばれたのだそうだ。

いれかわって後の組が席入りの間、お家元が、水屋でごろごろ石臼を挽いて音を聞かせておられた。めったにみられない水屋の景色を拝見できてこれもありがたい。




仁亭席披き茶事〜其中庵〜 - 2021.11.22 Mon

其中庵さんは、亀岡時代小間の茶室を持っておられたので、小間のお道具をたくさんお持ちだ。京都の茶室は広間なので、出番がない。そこをなんとか生かしたいといろいろお考えになって、小間据えを導入、名を「仁亭(じんてい)」という。



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現在国立博物館開催中の「畠山記念館展の名品」展にすでに複数回行かれているのは、鈍翁と同じくらい其中庵さんが敬愛する方が畠山即翁だからだ。その即翁の「仁亭(慈しみのあずまや)」の軸がその小間据えの時の茶室名、今回はその席披き、お披露目の茶事である。


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いかにして広間を小間据えにするのか楽しみ♪

待合の掛け物は鈴木其一の蓬莱山、高砂とおぼしき松原の絵屏風。席披きと炉開きのダブルおめでたの室礼。


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迎付をうけていよいよ席入り。
なんと!点前畳の先に向板をいれて出炉台目の仕様に変身している。
なんとも懐かしい(小間にしか使えない)久以の沢栗の炉縁に久々にお目にかかった。(ちなみに久以の沢栗の炉縁は炉縁界のエルメスとよばれています??)

軸は上記の即翁「仁亭」、花入れは其中庵さんダブル敬愛の鈍翁・竹花入、花は白椿に楓(フウ)の照り葉である。
炭斗が炉開きらしく瓢(淡々斎「塵外楽清世」)、香合が(いまだに古染と区別できない)型物香合番付(西二段三番)にもでている呉須銀杏である。釜が初代寒雉の尾垂のわびた、これも小間にふさわしいものであった。



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相変わらず美味しくて端正な中尾さんの懐石の煮物椀の蓋をとって思わず感嘆の声が。いつもながらふっかふかのしんじょう、玄猪包み(宮中で新穀で搗いた亥子餅を包んで下賜したもの)になっているのである。

向付は針木の唐子祥瑞と織部、たくさんだしてもらった酒器の一つが垂涎の黒高麗であった。(黒高麗、一つほしいなあ、、、)石杯は高麗粉引耳杯をチョイス。

焼物の肴の下に大きなトリュフのスライスが敷いてあって、その器がデルフトの豚をつれた少年。トリュフは豚に探させるので、これもお遊びである。楽しい♪

八寸のお肴は其中庵さんによる「高砂」(待合の屏風ですね〜)の一節<四海波静かにて 国も治まる時津風 枝もならさぬ御代なれや あひに相生の松こそめでたかりけれ>
これまためでたい!



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中立前のお菓子がほっかほかの亥子薯蕷饅頭。亥子餅を薯蕷にアレンジした特注の老松さんの。
中身がクルミ、レーズン、栗、とこれまた美味。


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後座
床の掛け物が一山一寧(元からの渡来僧 鎌倉幕府からスパイと疑われ幽閉されたりしたがのちに南禅寺三世となる)「当杯已入手歌妓莫停聲」(「春暁」で有名な孟浩然の漢詩。I've already got the cup. Diva, don't stop singing、、、といった意味か)

濃茶は金海猫掻き手、練っていただき、匙で小杯にとりわける其中庵スタイル。
茶入が、、、これはどこかで見たような、、、、見たような、、、、
あんなにガン見したのに、次第は覚えているのに、茶入本体を覚えていない、この不覚!

10年前に光悦会デビューの時に光悦寺で見て、昨年の其中庵さん還暦茶事で10年ぶりの再会を果たしたあの古瀬戸伊予簾手「忘草」!
(銘・遠州「忘れ草 生ふる野辺とは見るらめど こは忍ぶなり 後もたのまむ」伊勢物語第百段から 挽家・内箱:遠州 遠州・江月和尚両筆添幅 三井伊皿子家伝来)

茶杓もその時の(実は呉須銀杏も当時の光悦会にでていた物だった)遠州「白波」。
いや〜物忘れが激しいって何を見ても新鮮でいいわ〜(負け惜しみ)(^_^;

遠州そろい踏みにしばしぼーっとする。


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薄茶の干菓子は生八つ橋と焼いた八つ橋のミックス紅葉、昔亀岡楽々荘でいただいたことを懐かしく思い出す。一服目も二服目も主茶碗、熊川「白菊」独り占めした(^_^;だって大好きなんだもん、他人の茶碗ながら。

薄器がきれいな茄子型に木をくりぬいたもので、松花堂昭乗が所持した老茄子薄器を持っていた即翁が写しを喜三郎に依頼したもののうちの一つとか。(国博の展示にも出ていたらしい。見たはずなのに、、、(^_^;)

最後も即翁で締めて、即翁「與衆愛玩」の理想に近づきつつある其中庵さん、これからも衆の一人としてよろしくお願いいたしますm(__)m



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お開きの後、露地にでると十日の月が美しかった。



藤間家住宅〜高畑の旧社家 - 2021.11.20 Sat



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奈良の高畑、割石町のバス停を東へ行く道は新薬師寺、お気に入りのクラフトショップ空櫁さんへ通じる道だ。このあたりは以前から観光客はとても少ない。
その途中にあるおなじみのお地蔵さんが柳堂地蔵という旧家で守られていたお地蔵さんだと知ったのはつい最近である。


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それはこの本(「高畑町界隈」)のおかげである。著者の大槻さんは現在ことのまあかりがはいっている場所で長年コーヒーをいれておられた。姿をかえていく高畑周辺の歴史を伝承を記録に残しておこうとこの本を上梓された。最初写真も少なく文章ばかりで読みにくそ〜と思ったが読み始めるととまらない。
歴史ある場所が失われることを慷慨するわけでも保存しようと声高に唱えるでもなく、淡々と記録者に徹しておられる。一度お話をオンラインでもお聞きした。


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(2019年撮影)


その高畑〜古くは新薬師寺、興福寺、春日大社とゆかりが深い〜の一番高畑らしい景色がこの土塀だと、常々思っていたが、いつ崩れてもおかしくない土塀の古さに、いつ壊されて現代家屋が建ったりしないかすごくやきもきしていた。

この家が維新まで春日大社の社家でもあった藤間(とうま)家住宅であると知ったのも上記の本のおかげである。


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(上の写真と同じ場所を反対側から)


それがやっとこさ修復に動き出したようで、つぶされなくてすむと思ってほっと胸をなでおろした。



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クラウドファウンディングも募っての改修、今後どう生かしていくのか、まだ未定なんだそうだ。


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この日は特別公開で、この前の道を通ることウン十年、初めて家の中を見せてもらうことができ、感激である。


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中は畳は取り払われ、屋根裏も開放されたままで建物の構造はよく見えるが昔日の面影はない。


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この日はイベントなので、改修に関わった人たちのつてで、ミニショップが店開きしていた。ここは奥の間?で床の間や押し入れの痕跡が残る。


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欄間はおそらく当時のままと思われる。


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玄関脇の庭には小さなお社もあって、春日大社の流れを感じる。吹きなおし中の屋根瓦が所狭しとならんでいて、職人さんは作業中。やはりこれくらいの旧家となるとそれなりの職人さんに依頼しないといけないので、手が空いているときに一般公開だろうがイベントだろうが作業してもらわないといけないのだそうだ。


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大きな石の蹲居もあって往時をしのばせる。


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玄関から門をみたところ。ここにも小さな出店。
社家らしい格の高そうな門である。高畑にはこんな社家がいくつか残っていて街道に彩りを添える。なくしてほしくないなあこの景色。


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大好きな土塀は一部やはり見事に崩れていて、、、、
この形のままのこすのは至難のわざ、残念ながら、もしかしたらのペッとした壁にしないといけないのかもしれない(´・_・`)


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頑張る職人さんに心の中でエールを送って藤間家をあとにした。



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その後はやはり長年通っている高畑のあーとさろん宮崎(築100年以上の町家)で土壁談義(旧山口家別邸=現在は隈研吾のホテル、の失われた土壁のことなど)しながらコーヒーをいただいた。

藤間家クラウドファウンディングはこちらです。ご協力を〜〜!

→ 社団法人高畑トラスト


北山十八間戸特別公開 - 2021.11.19 Fri

11月7日〜14日まで「奈良町のちょっといいところを見て知る秋の1週間」という普段非公開の場所が公開されるイベントがあった。いくつか行ってみたい場所と日程を調整して、一番いってみたかった北山十八間戸へまず行ってみた。


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奈良県庁の東の道を北上し、今在家へ、現在はコスモスで有名になった般若寺や奈良豆比古神社の近くのエリア、このあたり昔からの町家が結構残っている場所である。そういえば修二会の油量りにご奉仕されるおうちもこのあたりだったな。



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坂を登っていくとなんだか惹かれる建物が!
大正11年に設置された奈良阪計量器室で水道創設時に水量を測定する器械をおいた施設だったそうだ。屋根に雑草が生えっぱなしなところも奈良っぽくていいわ。


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そして北山十八間戸(じゅうはちけんと)


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鎌倉時代、弱者救済のために活躍した西大寺の忍性による創設と伝わる。当時は死の病であり、うつることを恐れた人々から忌み嫌われたハンセン病患者の救済保護施設で、明治になるまで実際使われていたそうだ。


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中は二畳くらいのこざっぱりとした風通しの良い部屋が18戸(1戸は仏間)並ぶ。
ちなみに現在の建物は元禄時代の物と言うから400年近い時がたっている。


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忍性さんはあの儲茶の叡尊の弟子で、般若寺の復興にも活躍した方、非人、貧者、病人、救済に奔走された。ハンセン病(癩病)は当時は恐ろしい病気で、患者は家からはなされ隔離されおそれられたが、その患者たちを救済しようとする概念が鎌倉時代にもあったことに救われる気がする。



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戸をあければ少し高台なので眺めがいい。


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なんと大仏殿まで見えるのだ。
収容者たちは閉じ込められていたわけではなく、中には、昼は市中にでておもらいさんをして、施しをうけて帰ってくる人もいたそうだ。


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現在は失われているが、共同の井戸があったり炊事場があったりした場所にはお地蔵さんや供養塔が集められていて少しもの悲しい。


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十八間のすべての板戸には「北山十八間戸」と文字が彫り込まれている。


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長い年月を過ごしたであろう板戸は多くの病びとの姿を見守り見送ってきたのだろうな。


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ここのすぐ近くには夕日地蔵さんがいらっしゃる。西に向いているので、夕方には夕日をお顔に浴びるのだろうと想像。実は歌人の会津八一の歌にも歌われている有名なお地蔵さんなのだ。

  ならざかの いしのほとけのおとがひに こさめながるる はるはきにけり

春でもないし雨でもないし夕方でもないので、想像するしかないなあ。


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少し北上すると刑務所の高い壁


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旧奈良監獄のゲートである。数年前まで少年刑務所として使われていたが廃庁、数年後にはホテルなどの施設としてよみがえるそうだ。(現在は入れない)それにしても刑務所というにはあまりに明るく美しいこのロマネスク様式の門は明治期の竣工。




開炉の茶事二回目〜宗旦忌と裏千家リスペクト? - 2021.11.17 Wed


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今年の開炉茶事二回目とあいなった。


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今回は今日庵に少しくゆかりのある方をお招きしたので、時節柄宗旦忌と千家リスペクトのお道具をひっぱりだしまして。


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待合にはふくべ(父と漆芸家・岩渕祐二さんのある意味合作)炭斗に飾り炭(池田の炭)に、色づく頃開炉せよとの利休の教えの柚子をちょんとのせて。


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前回の開炉茶事より少し庭の木々が色づいた。


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楓はこんな感じで、、、


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満天星だけはやる気をだしている。


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うちの蹲居こうしてみると苔ジャングルの奥地にあるように見えるなあ(^_^;
夕ざりの後座で、暗いのでみなさんがよくつまづかれる。


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今回は椿のかわりにチャの花を(同じツバキ科だし)。どうしてもこの花はうつむいてしまうので、むつかしいなあ。


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お若いけれどお茶に関してはきちんと修行してこられた方々、私が標榜する?なんちゃって裏千家とは全く違うので、今日はえらく緊張してしまって、へんな汗かいた。

そしてついに、忘れられん思い出がまたひとつできてしまったよ。


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人生初めて炉の種火を落としてしまうという大失態!
懐石のさなかに気づかれて、そこをさりげなく私がおなおししましょう、と言ってくださったお正客様。席中お客様に炭をなおしてもらうという前代未聞、図らずも初炭所望、亭主の力量まるわかり、、、の仕儀になったのであります。炉の炭は失敗したことがないからこれくらいで熾るだろうとの全くの油断でありました。ここは深く反省。

しかしながら、お茶のお点前も美しいけれど、炭をつがれる姿もまた美しいなあ、、、と深く心に残る一席となったのは怪我の功名でしょうか。



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そんなこんなでやっとお菓子までたどりつく。
毎度お世話になっている、みのり菓子さんのみのり菓子的亥子餅、生の柿も入れてね、とリクエスト、肉桂の香りもさわやかで、う〜ん、やっぱり美味しい。


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薄茶の干菓子は、豪快直球の九州の吹き寄せ(太宰府藤丸)と緻密繊細な京都の吹き寄せ(亀廣保)のmixで。いずれも趣は違うがどちらもすてがたい。


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宗旦忌とはいえ、宗旦の道具はなにひとつ持たないので、彼に関連する周りからせめた道具組に四苦八苦、あまり持っていない裏千家歴代宗匠の道具をひっかきあつめてなんとか。これはとどめ?の大宗匠の隠居後の花押がある薄器、この季節しかつかえないやつ〜。
しかし、さがしてみると意外と表千家系の道具が多いのはなぜ?


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今回は中立で忘れずに手燭の交換もできたが、きちんとした作法を知らないので、びっくりされたかも(^_^; それでもおおらかなお心でお付き合いくださり、感謝感謝。よきご縁にめぐまれました。



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お帰りになったあと、釜をあげてみてきれいに燃えおちている炭の姿にまた感動したのである。さすが!


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会の後水菓子としてお出ししたこちらは、みのり菓子さんにいただいた金木犀の金玉、香りがなんともいえずお客様方も楽しんでしただけたのではと思う。



正倉院展2021〜大和の秋 - 2021.11.15 Mon

今年も正倉院展はめぐってきた。



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昨年はコロナでこんな人がいない正倉院展は初めて!というくらいすかすかで楽に見られたのだが、今年はどうだろう。


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あいにくの雨の中であるが、始まった紅葉は美しい。


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まずは修学旅行生が帰ってきて、ここ一年では一番の(といっても例年にはほど遠い)賑わいで、鹿せんべいもよく売れている。


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おおお〜っ!
行列〜!予約のみであるが、その予約時間にならんだ行列で、ソーシャルディスタンスでよけいに長い列になっている模様。これは明らかに昨年より多いぞ。


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例年はおしあいへしあいの人混みをかき分け、並び、お目当ての物を隙間から見る感じ、昨年はフリーに見て回り、今年はその間、といった感じ。

ポスターにもなっている螺鈿紫檀阮咸(げんかん)と刻彫尺八の復元音がBGMで流れる中、しょっぱなから地味な古文書?!とびっくりした。
杜家立成(とかりっせい)という唐代の書状文例集を光明皇后がさまざまな彩色の紙に書写したもので全長7mというたいへん長いもの。
例えば「雪が降ってきたからお酒でもいっしょにやりませんか」とか、依頼の件をうまく断る文面とか、、。あまりにも現代とかわらない内容に1000年以上前を生きた唐の人の息づかいを感じる。
書いているのが藤三嬢こと光明皇后、なかなかの大胆な筆致。

藤原氏とは敵対関係にあった元正天皇(氷高皇女〜美貌の女帝)が主人公の小説を現在読んでいる。蘇我氏の血をひかない初めての天皇が聖武であり、初めての皇后が光明子であった。その蘇我の血を引く元正天皇と藤原との戦いが描かれていて、聖武・光明をこの角度でみるのは新鮮であった。などということを思いながら見るとまた興味深い。
小説の中では光明子の両親である不比等・橘三千代をけっこうぼろくそに描いているので、同じ展示の光明子発願写経の最後に両親にこれを奉るという文言でちょっとにやりとしてしまった。



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正倉院にのこされた4本の筆も興味深い。穂先は獣毛なので、残りにくいと思われるのに、現代のもの?と思えるくらいよい保存状態なのにも驚く。獣毛の周りを和紙でくるんで、、を交互にくりかえし、ほとんど和紙が主体みたいで、あまり書き心地はよくなさそうにみえるのだが。

それから料紙(色麻紙、絵紙)!これも紙がこんなに完璧なまでに保存されているなんて。色も臙脂、青、生成り、茶色、、とよくあせずに残ったものだ。
今回は文房具に重きをおいた展示みたいだ。墨、硯もあった。


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染色や、ガラス器の来歴など、研究を繰り返す中で年々新たな発見もあるそうで、10年先にはまた違った解説がつけられるかもしれない。
現在日本の、すべてのデザイン、意匠の原点は正倉院御物にある、と断言してもいいような工芸品の数々、今年も堪能させてもらった。


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で、これも恒例の博物館地下のカフェで記念薬膳弁当を。うまい!しかし940カロリーもあるとあとで知ってやばい!となった(^_^;

そのあとは少し散策しながら大和の秋を楽しむ。


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博物館お向かいの(かき氷業者の信仰も篤い)氷室神社で、SNS上で話題になっているナメクジ灯籠を発見。ナメクジは<蛞蝓>、方角や時間を示す古代の動物・三十六禽のひとつなので、描かれているのかも。


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依水園に抜ける好きな土塀の道、そろそろ木々も色づく。


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細い通りを抜けた時に、目の前にひろがるこの若草山の景色が好きだ。


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溝に入ってなにか食んでいる鹿ももの悲しく、秋やなあ。


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県庁東のみとりい池園地の裏の庭園はなんだろうと思っていたが、料亭みたい。


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そしてまもなく黄金色に染まる東大寺西大門跡のイチョウも、まだまだ青さが残る。


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餅飯殿商店街で、正倉院展にあわせて予約をとった、ほうせき箱のかき氷「栗」を食す。ちょっと体冷え冷えだが、美味しい。(カロリー計算はあきらめた!)真冬でもかき氷を楽しむのが「かきご〜ら〜」の信条である(?)


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我が家に連れ帰った正倉院展グッズ。ついつい買っちゃうんだよな〜、、、これが。



夜能〜五夜連続源平盛衰記〜第四夜「俊寛」 - 2021.11.13 Sat



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夜の観世会館である。
文化庁事業の一環として、観世会館で「源平盛衰記」を題材とした能を8月から毎月一夜、12月まで五夜連続公演。

「清経」、「実盛」、「二人静」ときて、今宵は「俊寛」。

出演者のコロナ感染などもあって日にちが振り替えになったり、能楽師の方々も大変だ。(ちなみに来月、最終夜はうちのお能の先生の「碇潜(いかりかつぎ)」)

「俊寛」は言わずと知れた平家物語でも有名な話、平家を滅ぼそうと「鹿ヶ谷の密談」で陰謀を企てたが、露見して鳥も通わぬ鬼界ヶ島へ流された俊寛、成経、康頼三人。清盛の娘・中宮徳子懐妊の大赦の知らせが届くが俊寛の名前だけがない。一人残されることになった俊寛の絶望と悲しみの話である。



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これは大文字登山の(けっこうハードな)霊鑑寺ルートの途中にある俊寛僧都山荘跡の碑。

先だって其中庵さんの茶事で、千鳥の杯のお肴に「俊寛」の一節を謡ってくださったのが記憶に新しい。

舞台は鬼界ヶ島で侘びている成経、康頼の元に酒の器を下げた俊寛が一献かたむけようと現れるのだが、もとより島には酒などというものはない。しかるに中に入っていたのは水であり、それを二人はとがめるが、俊寛は「時は重陽、ところは山路、彭祖(菊慈童)が700歳を経たのは薬の菊水、すなわち酒である。」としゃれたことを言うのである。



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迎えに来た赦免使の書状に自分の名前がないことをなにかの間違いではないかと必死に尋ね、他の二人が舟に乗ったのに追いすがるが、舟子はこれを櫂で打ち据えようとする。都に帰ったらなんとかあなたのこともとりなすから、という二人の声がだんだん遠ざかり舟影も消えてしまった、、、というところでおしまいである。

能であるから、歌舞伎のようにはでな感情表現はないのだが、それでも俊寛の救いようのない絶望感を感じることができるのである。
ちなみに俊寛は後に鬼界ヶ島で絶望のあまり食を絶って自死したと伝えられるが、なにせ平安時代の人なので、真偽のほどはわからない。

今回も華麗な詞章で気づいた物をいくつか(知らないので気づかないままスルーしているところもあるだろうな。教養勝負なんだ、能は。)

*先ほどの菊水は菊慈童の話をベースに。
*「時を感じては花も涙をそそぎ 別れを恨みては鳥も心を動かせり」は杜甫の「春望(国破れて山河あり、、)」の一説。
*「松浦の佐用姫も我が身にはよも増さじ」松浦の佐用姫は名護屋城から出征する恋人に、領巾を振りながら海辺を追いかけてとうとう石になったという伝説より。

これがわかるようになると能は一気に楽しくなる。まだまだ勉強不足ではあるが。
来月の「碇潜」は現在京都新聞連載中の小説「茜歌」の主人公である平知盛の話なので、これも楽しみ。さらに、今習っている仕舞は「知章」(知盛の嫡男で鵯越で父をかばって16歳で討ち死にした)なのだ(*^_^*)






軽井沢で秋の茶事(光悦会級!) - 2021.11.11 Thu

弾丸軽井沢日帰りツアー!、、ならぬ茶事ツアー、ハードスケジュールでも行っただけの甲斐がおつりがくるくらいありました!


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京都から往復6時間ですけどね(^_^;日帰り十分できる、北越新幹線ありがたや。


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最高気温が12℃と聞いていたので、○ートテックで武装、さすがに少し肌寒い。軽井沢の山々はすでに紅葉していた。


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ご亭主には、今年の夏、茶室披きに朝茶事にお招きいただいたが、今回都会より一足早い美しい紅葉の秋を満喫してほしいというお心遣いにて飯後の茶事に参席する。



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(浅間山〜!)


ここのお茶室は、ご亭主には3つめになるという。前二つの改良を重ねて、いろんなアイデアを盛り込んだ別荘のお茶室である。

さて、、、、お茶事は、もう光悦会と現在京都国博で開催中の畠山美術館展が一緒にやってきた〜!というくらいの重量級のお道具ばかりに圧倒されるのである。



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紹鴎、光悦、与次郎、一入以下楽歴代、桃山織部、唐物茶入、、、今年も光悦会、大師会は中止になったが、ここでもう十分同じレベルを堪能させていただいた。胸いっぱい、頭もいっぱい、これ以上情報をインプットできない、、、。

さらに歴代の表千家宗匠(ご亭主は表千家)の箱箱箱、、、は積むと荷崩れするくらいにうずたかく。


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今回正客をさせていただいたが、席入りの時、躙り口の戸を開けると、、、え?ええっ?!

茶壺が行く手を阻むようにコロンと畳の上に。なんだこれ?入ってはいけないところから入ったか?と瞬間頭がぐらぐらしたが、ご一緒してくださった表千家の重鎮O先生が「これは<捨壺>といって、お見せするような良い茶壺ではありませんよ、という意味なんです。」と教えてくださった。
びっくりした〜。でも唐物茶壺を捨て壺になさるなんて(^_^;

*後日これは「南方録」に載っている逸話だと教えていただきました。読み直そう〜



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また、他のお客様はほとんど表千家の方、席入りの時にかならず私にお辞儀をされるので、これも???と思ったが、正客の前を通る場合、表千家ではそうするのだとのこと。これはなんだかゆかしいのでちょっとまねをしてみようかと思う。


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表千家のご流儀は、とにかく丁寧で正統派って感じがする。真行草でいえば表が真で裏が草、どちらがいいと言う話ではなくて、それぞれ特徴的なのだ。裏千家は宗旦が隠居してからの点前だから重々しくないのを旨としていると思う。


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炭点前の炭の組み方にも真・草の違いがあり、表さんは灰が小さめの霰なのね。(藪内ほど大きくない)

炭斗が蕎麦の美味しい土地柄、蕎麦笊を以て表千家の宗匠が好まれた5つのうちの一つ。裏打ちが戸隠神社の木の葉を漉き込んであり、、、ああ、戸隠!謡曲「紅葉狩」ではないか!


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主菓子にほぼ100%栗という栗きんとんをいただいた。
濃茶は各服点てのありがたさ?で目の保養ができるお茶碗がたくさん。一部赤く窯変している堅手茶碗でいただいたが、私の好みをよくご存じ(^_^;
あとは黒楽オンパレードで宗入、左入、長入、の5,6,7代がならんだ様は壮観であった(一入は香合)。それに表千家宗匠のてづくねも加わって、ここは楽美術館ですか?と錯覚をおこす。好きな宗入のカセカセの茶碗で所望いたし薄茶もいただく。あ〜っと桃山の緑釉織部茶碗でも薄茶いただいたよ(*^_^*)
永楽もオンパレードだったが、永楽は永楽でも「河濱支流」の印を紀州徳川家より拝領した保全の、古伊万里写茶碗も印象的だった。


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後座の花は唐物籠にいれた錦木の照り葉とご自宅で育てられている加茂本阿弥、今にも開花しそうなふっくらとした大ぶりのつぼみ、よくタイミングをあわされたこと。
「古狸」の銘のつく古丹波の水指が、その銘のとおりの景色でおもわずにんまりしてしまう。


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干菓子は紅葉の雲平と銀杏、一人ずつ和紙におしゃれに包むお心使い。

ご連客は先だって拙宅の茶事においでくださった方々、茶道具に造詣の深い鑑定団みたいなおそろしい(^_^;方々であったが、ほんとうにいろいろ勉強させていただく。なんだか表千家の宗匠の花押をたくさん覚えてしまった、、、せめて裏千家の歴代の花押くらいは覚えようね、自分(^_^;(淡々斎のよくみる花押とちがうやつ、全然わからんかった)



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さて、飯後茶事のあとは、ご亭主がご手配してくださった割烹へ皆さんで。


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室礼もお料理も、盛り付けも感動的で頭一杯のところさらにお腹もいっぱいになったのである。


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そして一足お先に新幹線に飛び乗り日付がかわる直前に帰宅。
ご亭主に、水屋をされてお世話くださったY様に、楽しいご連客の皆様に深く感謝いたします。



比叡山延暦寺の早い秋2021 - 2021.11.09 Tue

京都に観光客の数が増えてきた。だんだん市バスにのれなくなる季節がもどってくる。だが紅葉の季節には洛中はまだ早い。
少し早めの紅葉をもとめて久しぶりに比叡山へドライブ。
(ちなみにカテゴリー京都巡りにしたが、ほんとは延暦寺は滋賀県ね。でも気持ち的に京都の丑寅の方向の守りなんで)



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ドライブウェイの途中に、右手に洛中、左手にこの琵琶湖が両方眺められる展望台がある。


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延暦寺は伝教大師最澄の大遠忌1200年で、特別拝観の建物もあって500円で巡ることができた。


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おお!さすが比叡山、紅葉が早い。ドライブウェイの道中も車窓から色とりどりの紅葉が楽しめた。


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こちら特別拝観中の法華総持院東塔。

全国六カ所に経典を納める宝塔建立を最澄は発願し、ここがその総元締めなのだが、400年間うしなわれたままであった。鎌倉時代の絵図を元に再建されたのは昭和55年とかなり新しい。中の仏画や仏像はだから新しくつくられたものだが、塔の二層に再建をめざして募った法華経一千部の写経がおさめられているそうだ。


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紅葉のみならず、黄色い黄葉も美しい。


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鐘楼の朱と木々の朱が交差する。


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こちらは根本中堂前の紅葉。


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うわ〜燃えるようだな。三面大黒堂の前にて。


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平成大改修中の根本中堂、工事組の中でもお堂で護摩焚供養が行われて、いてこちらも不滅の法灯とともに絶えることがない。2年前にウン十年ぶりにきたときも工事中で、一目覆いのとれたお堂が見たいものだが、完成するのはまだ5〜6年先とのことでその頃まで元気でお山に登れるかなあ〜とちょっと考えてしまった。


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さて、正面に湖南のシンボル三上山も見えるこの眺望はどこからでしょう。

延暦寺会館という宿泊施設のカフェなのである。


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この景色を眺めながらSNSで話題の(かなりローカル(^_^;)梵字ラテをいただく。


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西塔地区は今回初めておとずれた。根本中堂のある東塔地区と違って、人の姿はまばらで山の中の雰囲気が楽しめる。あまりだれもいかない細い山道をとおって弥勒石仏を拝み、そのかたわらにおられたお地蔵様。、、だろうけれど若き日の最澄のお姿を重ねてしまうのはわたしだけだろうか。



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この山道でであった栃の葉の美しい紅葉。


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浄土院、西塔エリアにある伝教大師御廟がこの奥にある。


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そして一番比叡山の奥にある横川。
源氏物語で入水した浮舟を助けたのが横川の僧都、モデルは元三大師良源といわれる。おみくじの祖、豆大師・角大師として魔除け札のお姿が京都の家のあちこちに貼られている方である。


↓見たことあるでしょ?

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観光客もあまりこないここの横川の、良源が住まいしたと言われる場所にたつ元三大師堂が私は一番好きである。


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そしてここの境内も紅葉は美しく始まっていた。



京町家でEさん社中初茶会 - 2021.11.07 Sun



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御所の木々も少し色づいてきたさわやかな、秋らしい朝


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御所南にある京町家で、先だって茶事でスーパー水屋として大活躍してくれたEさんのお社中の初茶会が開かれた。彼女はまだとってもお若いが、裏千家茶道学園を卒業したバリバリの茶人さんなのである。



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うおお〜!
会場となったのは典型的な町家で、火袋フェチにはたまらん走り庭がある。もちろん天井の高い火袋も。だいどこ(台所)も元がわからんくらい改修してある町家と違って、最小限のリノベ、元のだいどこの雰囲気そのまま残っているので萌える。大正3年築なんだそうだ。(100年超!)


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Eさんがお茶の先生を始めたのは数年前、最初数人だったお弟子さんも口コミでどんどん増えて、今ではりっぱな社中になった。(ちなみに我が孫娘たちも1年に1回だが教えてもらっておる)ずいぶんユニークなお弟子さんもいるらしくなんだか楽しそうな社中だ。


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今回6人の熱心なお弟子さんが日頃のお稽古の成果を披露する初の茶会にお招きいただきうれしい。最初の席は緊張をほぐすため、親しい人ばかり集めました!とのこと(^_^;

待合で共通の知人のI画伯の七福神の掛け物に本日の7人(先生のEさんも入れて)の心意気を感じつつ本席へ。

前日みなさんで手作りされたという薯蕷をいただく。白餡に中に大徳寺納豆(と、柿だったかな???)が入って美味しい。薯蕷をうまくふくらませられなかった過去をもつ私は、これつくるの結構難しいの知っている。銘を「赤心」あるがままの心、中に芯(大徳寺納豆)が通っている、、という感じか。


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学生時代にお稽古したことはあるけれど、再び習い始めてまだ数ヶ月というお弟子さんのお点前、後ろでちょっとヤキモキしている?後見のEさん(*^_^*)ご自分で点前されるよりきっと緊張されているよね。

えらそうに言えた義理ではないが、お道具の持ち方、所作にちゃんと指導をうけてはんな〜思う。時々ちょっととまどい、この初々しさを見て、お茶を習い始めたころの自分を思い出した。懐かしいなあ〜。あの頃の心持ちをいつの間にか忘れてしまって、、、、と思ったら茶杓の銘が「初心」で、お弟子さんだけでなく、自分にも通じるものがあってすとんと胸におちるものが。



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お干菓子に真盛豆、二服違う抹茶をいただく。
母が使っていた赤楽茶碗、使う機会がないのでお土産代わりにお持ちしたら、その茶碗でお茶を早速点てていただいてうれしい。これからここの社中でお役にたってね。

床にはハナミズキの照り葉と、、、なんとこの季節珍しい白桔梗。名残と開炉のはざまの花であった。

この後の席のお客様はきっとくせ者ぞろい、がんばってね〜と祈りつつ退出。


<おまけ>

茶会のあと茶友さんたちと近くのスダチ蕎麦発祥の店、花ももさんへ。ちょっと並んで秋にもおいしいスダチ蕎麦、いただきました。


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旧清水小学校・ホテル青龍〜ブノワ京都 - 2021.11.05 Fri



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ぼちぼち観光客の数が増えてきた清水坂を登る。ここに来るのは何年ぶりだろう。例年は人でごった返してとても行く気にならなかったのだが。


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もと番組小学校(京都の町衆が建てた小学校)であった市立清水小学校(旧下京二十七番小学校)、昨今の子供の数減少でご多分にもれず合併され、2010年廃校となってしまった。

その跡、というか小学校の建物を生かしながら昨年うまれたのがザ・ホテル青龍である。


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ああ、明倫や立誠(もと番組小学校)と同じような造りの学校の建物だ。よく外観は保たれている。写真を撮っているこの場所はかつては運動場だったのだろうな。
ちなみに青龍は四神相応の東の守り、その都の東にある清水寺のシンボルでもある。また清水寺の御本尊十一面観世音のお使いで、夜な夜な音羽の滝に水を飲みにくるとも。


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今回はこの敷地内にあるレストランブノワ京都で晩飯。


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実はこの真ん前に八坂の塔が見えるすごくいいロケーションなんだが、ついた席ではちょっと木の陰になって見えない。でも隅っこの席は居心地良く体がおさまった。



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アラカルトで頼んでみた前菜三種。前菜の選択肢も豊富で、あれこれ迷ったが、フランス語の料理用語がようわからんので食材だけ見て選ぶ。マッシュルームのムースみたいなやつと鱈のポワレとボラのカルパッチョ、、、だったかしら(^_^; 覚えられなくて。いずれも美味しかった。


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スパークリングのあとおすすめ白ワインを頼んだが、やっぱり私はワインのおいしさはわからない。日本酒なら自信あるが。



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ブノワといえばパリで有名な歴史ある人気のビストロなんだそうだ。ようしらんけど(=゚ω゚) なのでここの雰囲気はカジュアルで、スタッフの皆さんも気さくでフレンドリー。
これはメインディッシュの仔鴨のドルチェフォルテソース(チョコレート、ナッツ、レーズン、バルサミコ酢などのソースらしい。美味しかったこれ)
左上のがビーツのタルトで、これ何?美味しい〜♪と本日一番のお気に入りであった。



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デザートはエスプレッソで。
ブノワ風モンブランってことで、これも松ぼっくりみたいな和菓子みたいな、美味しいデザート。これをいただいていると、焼きたてのマドレーヌを型にのせたままサーブしてくれた。ここ、焼き菓子も美味しいらしい。アフタヌーンティーもあるらしいので、また来ようかな。



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ホテル棟には入らなかったが、夜の学校の雰囲気やねえ。
元小学校の建物はいろんな利用法が京都で試されているが、私は、学校そのもの、教室もそのまま残した明倫のような使い方が好きだが、これはこれで残してくれるだけありがたいのかもしれないと思った。


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堂々たる建物。ここはエントランス棟だったのかな。


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夜の清水坂は人も少なく更けてゆく。



炉開き茶事2021 - 2021.11.03 Wed

柚子の実の色づく頃、、、って最近スーパーでは10月から黄色い柚子でてるからね。



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という訳でもないが、お客様のリクエストにて10月末に早くも炉開きを。


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やっぱり炉になるとしっくりくるね。


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しかも炉では炭の失敗はまずないし。風炉ではなんどか炭が熾らなくて〜、、
やっと今年も炉に炭がはいりました。今年も無事恒例の炉開きができるありがたさをかみしめる。



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なので10月末、ハロウィンも意識しつつカボチャ、、、とみのりの稲穂


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近くの公園で紅葉した桜があまりにきれいだったので、拾ってきて並べてみた。


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露地の楓も紅葉にはまだ早く、わずかに満天星が赤い。さわやかな10月らしい好天に恵まれ、苔のコンディションもよくなった。
ツワブキと、、、


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コムラサキシキブの紫がちょっと露地に彩りを添える。
待合の火吹き竹の画賛の下にちょっとお遊びの室礼をしてみたが、これは次回も使うのでちょっと内緒(^_^;


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夕ざりの初座は花にて
早くも咲く気まんまんの西王母と、ハナミズキの照り葉。うまいこと赤い実がついてうれしい。


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なぜ兎の香合か?
後座の軸と茶碗が月にちなむ物、茶杓が竹生島なのでやっぱり波兎(兎も波を走るか)だし月の名所だし、、、という作戦。

お客様方は夏に軽井沢の茶事でごいっしょして楽しかったO先生ご一行様、表千家の皆様でご遠方からおいでくださった。焼物に詳しい方ばかりで、お話をしていて楽しいことこの上ない。(天啓赤絵をご存じの方ははじめて)
O先生はお茶の道何十年のご重鎮、なのにとてもフレンドリーでちょっとお茶目な先生、皆様に慕われておられるのもむべなるかな。ほんまに拙宅にようお越しくださったこと。ありがたや。



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みなさま、お酒をたいそう召し上がっていただきこれもうれしい。
主菓子は、まいどお世話になっている、みのり菓子さんの浮島(材料的にはケーキに似ている)、柿がしのばせてあって、ドライフルーツちりばめ。銘も「落ち葉遊び」!なんと玄関の落ち葉に偶然にも呼応してる(*^_^*)


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中立のころ、まだまだ明るいと思って、手燭交換の準備をしていなかったが、ほんとにつるべ落とし、あっという間に暗くなって、ああ、しまった!手燭交換できずじまいがちょっと心残り。

後座の席入りで、ずっとしたかったことを実行したのだが、これもまだないしょ。

濃茶は各服点てで持ってる高麗茶碗オールスターズ全部出したので、もうこれ以上は出ないよ〜。


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いつもいい仕事の亀廣保さんの干菓子の鳴子は、鳴子一つ一つまで細かく仕上げてあって、すごい。毎年感動している。薄茶は茶箱にて。表千家さんでは茶箱手前のバリエーションが裏ほどたくさんないとのことで、ちょっと珍しいかなと思って。誉め上手、のせ上手なお客様につい調子に乗ってしまうが、亭主も楽しいよいひとときを過ごさせてもらった。感謝である。


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O先生というご重鎮をお迎えするにあたって、粗相があってはいけないと若いけどバリバリの茶人、いつもお世話になっているEさんに水屋をお願いした。もう〜〜〜ほんっとに楽!言われなくてもささっとすべてできていて、かえっていろいろ茶事のこと教えてもらって、ありがたい。疲れ方が全然ちがったわ。


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というので、今回は独座観念ではなく、お見送りの後二人でお茶した。これもまた楽しいほっとする時間だ。


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夜は更けていく。
今宵、炉開きにふさわしい良き一会になったと思う。



其中庵さんの名残の茶事2021〜無病息災+庸軒祭 - 2021.11.01 Mon

秋の宇多野へ、其中庵さんの名残の夕ざり茶事へ。


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寄付は本棚と同居であるが、改めてその蔵書ナインナップ見てうなるしかない。大正名器鑑はもちろんのこと、これを全部読みこなした方にはかなわないわな。


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(来るたびに植栽が増えている)

待合の掛け物に、南宋の銭舜挙「果実(フルーツバスケット)」を土佐光起が模写した絵で、細密なたわわな秋の果実である。銭舜挙って調べてみたら、国宝展で見た「宮女図(男装の宮女)」を描いた人だったのね。

本日は道具の中に瓢(ひさご)を探すご趣向にて。

席入りでまず目に飛び込んでくるぞろっとした大きな瓢の花入れ。これはかつて楽々荘の小間の茶室で初めて見て衝撃を受けたところの宗旦の花入。銘がそのまま「ゾロリ」。うまいことつけるなあ。
(瓢1号)この花入れに、早くも真っ赤になったいい枝ぶりの満天星、珍しいかれんな桜蓼が美しい。


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席中にどっしり存在感のある大きなやつれ鉄風炉は与次郎(!)。のっかっている四方釜も宗旦の釜師・西村九兵衛。赤い前瓦に掻き上げが名残の風情満載なのだ。これまた釜に負けない存在感の釜敷は分厚い信楽の陶板で、楽斎窯の窯場からもらってきたものとか。そんなんできるんや。

いつもの富山の中尾さんの懐石は出過ぎず引きすぎず、しみじみ美味しい。汁の実がズイキだったのは印象的。煮物椀が松茸♪と鱧の土瓶蒸しコンビで超うれしい。

ちなみに折敷が松花堂好み瓢型(瓢2号)「在陋巷不改其楽賢哉回也(陋巷に在って其の楽しみを改めず 賢なるかな回や)」(孔子の弟子顔回は瓢一つで飲んだり食べたりして清貧を楽しんだ)

寄せ向こうがまた垂涎のラインナップ、私のは呉須・磬型であったが、他に織部、古伊万里、志野、七官青磁などなど。石杯もたくさん、今回は古九谷青手でいただく。徳利が信楽の瓢型(瓢3号)、これはお酒をつぐときいい音がする。


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燗鍋の塗りの蓋の蒔絵が、鳴子・稲穂・雀、季節でとてもすてきだった。
八寸のお肴をご亭主に所望、「俊寛」の一節を。この名残の時期にかくもすざまじい寥々感。(脳内で長治郎の黒楽「俊寛」が、、、、(^_^;)
  
  彭祖が七百歳を経しも 心を汲み得し 深谷の水
    飲むからに げにも薬と菊水の 、、、
 
それで、お酒も「菊水」とは!

香合がかわいいかわいいサイズの瓢、ひょうたんの絵を置上(瓢4号)を見送って老松さんの特製くりきんとん(これ美味しかった♪なかにざくざく栗片入り)をいただき中立となる。



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露地には(ちょっと写真ぶれてるが)露地行灯が秋の夜の風情をさらに盛り上げる。

後座の床には沢庵の歌、紫衣事件で出羽国に流罪となった彼が、(さびしいから)秋の宿をたずねてきてね、と知人に宛てた歌になっている。俊寛の絶望的な寂寥感よりはまだ救いがあるか。

濃茶は私の大好きな繕いのある古伊羅保にてたっぷり練っていただき、其中庵方式で(匙で磁州窯の小碗にとりわける)。山口からおこしの方にはちゃんと古萩の小碗で(*^_^*)

さ〜て、ここから瓢探しだけでなく怒濤の庸軒祭♪

茶杓が庸軒その人作、「許捨顔用」と彫銘あり。これはちょうど節のところが虫食いみたいになっていて、瓢の形に見えなくもないことからつけたのかな。ちなみに許という孔子の弟子は瓢を要らない物として捨て、顔回はその瓢だけで飲み食いに用いたというこれも瓢にまつわるお話。(瓢5号)なんと水戸徳川家伝来とか。瓢亭と号した水戸の哀公(斉修)愛用の茶杓とは!ひさごだらけ。

蓋置に朱筆が山本退庵、庸軒の門人。


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薄茶のお菓子が太宰府藤丸の吹き寄せ、これを載せる堆朱盆が瓢の形であった(瓢6号)
これで瓢6つ勢揃い、六瓢息災、無病息災、やっと完結した。
ちなみに藤丸の代表菓子「清香殿」を紅葉型にしたの、美味しかった。この季節限定、今度たのんでみようかな。

庸軒祭はまだまだ続く。
薄茶で私がいただいたのが宗入の赤楽(緑っぽい)、寥々斎観山在判でこの方が庸軒の息子、正員の弟子。茶杓がその正員の「満作」(豊年満作か、花のマンサクか)
よくこれだけ庸軒をようけえ(岡山弁でたくさん)お持ちなこと!(^_^;
また西翁院の淀看席に行ってみたくなったよ。



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かくして一会はお開き、ご連客さまがユニークな(クセのある?)方々ばかりでとても楽しいひとときであった。勉強もいろいろさせていただいた。

最後の水菓子のお皿がさらにひょうたんで笑ったが、こちらは数えると瓢17であったわ。


<おまけ>
どうしてもこれ載せたくて。


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其中庵さんのリビングにあった平蜘蛛釜、、、のクッション!鐶付まである。先だって信貴山に行ったばかりだったのでなおのこと松永久秀に思いを馳せ、ツボにはまってしまった。




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