古都大和・歳暮の茶事〜三五夜 - 2021.12.19 Sun
月釜に時々行かせてもらっている奈良・三五夜さん。
春に茶事にお招きしたお礼にと、歳暮の茶事にお招きいただいた。
いつもの月釜では使われていない蹲居周辺に水が打たれ、苔がこんなにみずみずしかったのかと。初めて使わせてもらう。
こちらも月釜で使われていなくて、もったいないな〜と思っていた腰掛け待合、使わせてもらった。
その腰掛け待合の煙草盆、青々とした竹の灰吹き。
ご一緒していただいたのは、うちの茶事で三五夜さん、D先生とご連客になってくださった奈良にお住まいのYさん、うちの茶室を設計してくれた建築士Iさん、三五夜さんのこの前の月釜で席主をされたO先生(最近うちに茶事にもきてくださった)、となんて豪華な?メンバー(^_^;
広間の待合では赤々と火鉢。ふんわりした見事な藁灰は、本日の水屋をつとめてくださったAさんのお手製。
待合の掛物は「鐘聲何処」の歌一首。そういえば除夜の鐘まであと幾日もない。
本席の四畳半に入ると目の前にすごい迫力で床の掛け物の字が迫ってくる。
「筆硯得佳友」
そして、ふわっと敷き直したばかりの畳の新しい藺草の匂い。こちらの炉は前から切ってあったけれど畳の敷方が正式の茶室ではなかったところ四畳半の正式の敷方にかえたばかりだとか。
こちらで表千家の教室をされているD先生がおでましで、前茶をいただきながら、軸の説明を拝聴。
大和にある三尼門跡の一つ、圓照寺(他は法華寺、中宮寺 ちなみに圓照寺は非公開 後水尾天皇とお与津御寮人の間に生まれた皇女が初代)は山村御所とよばれ、最後の皇室からの尼門跡となった文秀女王(幕末〜大正)の手になる物。
とても尼門跡の書かれた字とは思えない勢いのある字は、皇室に伝えられる有栖川流といわれる宸翰流の書体なのだそうだ。
圓照寺はまた華道山村御流の家元でもあり、これについて先代の面白いエピソードもお聞きした。D先生は生粋の奈良人、奈良のディープな情報をたくさんお持ちで、つい私の奈良愛に火がついて、盛り上がってしまう。初座のはじめにすでに楽しきこと限りなし。
炭手前の炭斗は瓢で、この時のみ、炭の組み方が乱れ組になるそうだ。(表千家は本来、裏千家の真の炭みたいな組み方をされる)
本日の懐石は、D先生のお弟子さんのプロの料理方さんのもの。表千家の丸いご飯。向付のカブラ蒸しが熱々で、これはやはり私にはマネできないわ。
煮物椀のしんじょう、美味しい。
コロナ対策として、飯器はださず、新しい飯椀にご飯を盛ったものを入れ替える方式、これはスマート。ただし飯椀の数がないとできないが。
表千家では一番懐石で気合いが入るといわれる八寸。
なにしろ八寸を客がわざわざ手に取って全員拝見するのだから。(裏ではこれはない)柑橘の香りの蛸が美味しいので、ついつい飲み過ぎてしまうわ。
D先生の茶事恒例だという干支の石杯、自分の干支を選ぶが、年がばれるから言わない(^_^;けれどおあつらえむきに、我が干支のは石杯のなかで一番でかいものであった。
奈良の和菓子といえば菊屋(創業年についてこれも面白いお話あり、いや楽しい♪)の「寒牡丹」をいただいて中立。
後座の花は二月堂お松明の竹で作った一重切に白い加茂本阿弥、桃色の西王母、照り葉はシモツケ。
すべてD先生のお庭でとれたものである。うらやましいこと、一度お庭拝見してみたい。
濃茶はこちらもかつての尼門跡・中宮寺の先々代?手作りの黒楽でいただいた。中宮寺はお茶も盛んで中宮寺御流という流派もあるそうだ。私には弥勒半跏思惟像、天寿国繍帳のある好きなお寺の一つ。
梨宮家女王にして朝鮮王朝皇太子に嫁ぎ、戦後も韓国で福祉活動にたずさわりその地に骨を埋めた李方子さん手作りの井戸写しは感慨深い。さらに数年前特別公開され、でかけたところの尼寺、興福院(こんぶいん)の記念の茶碗もあった。
膳所の肩衝茶入の仕覆が龍村の「イアルの牛」という裂で、丑年にちなんでお水屋のAさんが作られた物。彼は本職ではないがいろんな仕覆をプロ並に作っておられる。毎年干支にあわせて作られていて、今年で7年目、この茶入は7枚も仕覆をもっているのだが、めざすは12枚コンプリート、来年は寅年にちなんだ裂になるのだろう。
(イアルの牛;古代エジプトで楽園の様子をあらわした文様らしい)
茶杓の名が「梓弓 細太刀」
そう、この日は春日若宮おん祭の直前であったから梓弓(神事に用いる)。
(干菓子は伎芸面と奈良の香 鶴屋徳満)
後炭〜薄茶は亭主スイッチで、三五夜さんがつとめられる。三五夜さんは本来煎茶の人なのだが、今は表千家、雅楽も香道も嗜まれる風流人。
後炭で感激したのは灰器!なんとあの元興寺の軒丸瓦に灰を!元興寺の瓦と言えば天平時代の瓦、この軒丸はそこまで古くないにせよ、よかったわ〜。奈良らしいすてきなアイデアだ。
香合が赤穂・花岳寺(大石家墓地)、大石良雄手植えの松の古材、この日、14日討ち入りの日であった。
薄茶は、10月に三五夜さん特別茶会〜白洲正子にちなむ〜の亭主をされた美術品コレクターであり陶芸家でもある古橋尚さんの大きな志野茶碗でいただく。銘が「山姥」。私、仕舞の山姥好きなのよね。イメージわかる。
薄器は而妙斎好み粒菊蒔絵の本歌で、他流ながら而妙斎のフルバージョン花押を教えてもらったのである。
最後に薄茶の茶杓が「宝船」(藤井誡堂・三玄院)
まもなく正月の宝船と、赤穂浪士「明日またるるその宝船」に掛けた御銘でとどめをさす。
ほんとうに楽しかった二刻であったこと!
奈良ゆかりのお道具もたくさん見て、奈良マニアック情報もたくさん仕入れたし、ご連客も今期ベストかもしれない。
D先生、三五夜さん、Aさん、懐石方のお二人に心から感謝します。
ご連客の皆様、奈良愛が暴走してご迷惑おかけしました〜(^_^;ありがとうございます。