薬師寺花会式3日目日中行法〜修二会のおわった二月堂 - 2022.03.31 Thu
桜が開花宣言とともに一気に花開いた一日、薬師寺の花会式、こと修二会の3日目、日中行法へ。
二月堂お水取りのあとはちょっと一休みしてまた薬師寺、と3月は奈良詣でが忙しい。
境内の桜もいきなり7〜8分咲き
西塔と桜
薬師寺の修二会は花会式と呼ばれるとおり、本堂は1716本、10種の造花で荘厳される。
これを作っておられるのがたった2軒のおうちだということを3年前の講座で初めて知った。
璉城寺の京終サロンにてこのお家の方々にお話を聞いて、実際こうやって作るというのを見せてもらった。当時の写真をちょっとアップしときます。
花の種類は桜、梅、桃、杜若、山吹、百合、椿、牡丹、菊、藤
これで荘厳されたお堂は極楽浄土もかくや、あ、お薬師さんだから瑠璃光浄土かな。
東大寺修二会の声明が歯切れがいいのに対して、こちらの声明は長声和音、ハモってる。西洋音楽的な要素もあり、鉦と法螺貝に太鼓がはいるので、あたかもティンパニーのごとく、最後にはオーケストラに聞こえた。
五体投地も板に体をぶつけるのでなく、柄香炉を持って何回ものけぞりかがむ屈伸運動のくりかえしで、あれほんとにつらいと思うよ、きっと筋肉痛でるよ。時導師(声明を先導し五体投地をする)さんは叫ぶような声をあげるので、すっかり声が枯れて割れて気の毒なくらいだが、それでも薬師悔過をされるのだ。
また31日の結願の日は夜にこようと思っている。(鬼追い式も今年はあるしね)
写経道場の前の薄墨桜も咲いていた。
法要のあとは例によって写経、例によってカナクギ流。
毎年花会式の時にはたくさんの写経をされたかたの顕彰があるのだが、今年は108巻も納められた方がいらした。(ちなみに私は11巻め〜)
西ノ京から奈良にもどって氷室神社の桜を愛でて、修二会の夢の跡?をたどって二月堂へ。
竹矢来もなくなって、なんだかすっかり春ののんびりムードの二月堂である。
修二会の期間中、24時間ライブで、12日のお水取りの様子もこれで今年は見た!というニコニコ動画の小屋があった場所。あとかたもなくなくなってた。お世話になりました〜!
空の色も春
あの厳しい行があったなんて夢みたい。深夜2時〜4時まで開白上堂を見たのも夢みたい。
期間中ずっと閉鎖されていた茶所も再開して、大松明が飾られているのを久々に見た。コロナ以降、ここでお茶の提供がなくなったのがさびしいなあ。
夕刻は、二月堂の下にある奈良太郎さんと桜の写真を撮る。
奈良太郎は国宝の鐘(東大寺創建当時からの鐘)の愛称である。親しみをこめて奈良の人はそうよぶ。いつか明け方のこの鐘の音を聞いてみたい。
謡曲「桜川」茶事 Ver.2 - 2022.03.29 Tue
昨年に続き謡曲「桜川」茶事 Ver.2
少しバージョンアップしたのかダウンしたのかしらんけどな(^_^;

京都市の開花宣言でたばかりなのにあっという間にあたりが桜桜で、、。我が家に桜の木はないが、茶事で花を咲かせよう。
昨年は軸装が間に合わず(表具屋の怠慢!いや、お忙しいのね)まくりのまま掛けたという、諫山画伯の「桜川」、今年は無事軸装に間に合った。
人買いに我が身を売った子供、桜子をさがして日向国から常陸の国へたどりついた狂女の母は、その名もゆかしい桜川にて網で桜の花びらを、惜しんですくい取るのである。
♪ あたら桜の あたら桜の とがは散るぞ恨みなる、、、
桜の種類づくし、桜の名所づくしの詞章。
でも、この花びらは木の桜であって、わがいとしい桜子ではないわ、、、
でも「桜川」は「隅田川」とちがって最後は親子が再会をはたすハッピーエンドなのである。
桜川の桜をイメージ
開花宣言の直前とて、啓翁桜しか手に入らなかったが。
懐石の汁も桜麩
本日のお客さまは皆さま宇治の朝日焼にゆかりのある方々、なので汲み出しを朝日焼(当代・月白釉)に。
主菓子も桜 (みのり菓子・「花便り」 麩の焼に桜白餡)
一番入手に力をいれた桜干菓子シリーズ
紫野源水の桜有平糖、この透明感がとても美しい。この季節一度は口にいれたい。
そして先だって関東の茶事のお土産にいただいて感動した赤坂塩野の桜琥珀三種。これも負けず劣らず美しい。
干菓子器によ〜く見ると見つかる3羽の燕、夕ざりの灯火ではなかなか見つけられず、お客様三人で大騒ぎが楽しかった(*^_^*)結局最後のおひとりが見つけるのにスマホライトが必要であった。
この季節、中立ではまだ手燭もいらなくなった。
後座でもなんとなく明るい。これからどんどん明るくなっていくのね。
お客様をお見送りしたあとの露地、本日も楽しませていただきました。
感謝。
石州の寺・慈光院〜琉球畳の茶席へ - 2022.03.27 Sun

桜開花をとどまらせるような冷たい雨の中、大和郡山の慈光院へ。片桐石州が建立した寺である。おとずれるのは1年ちょっとぶり。
このたびは奈良に住まいする茶友Yさんの遠大な?茶会計画の一環として。
共通の知人であるご連客の数寄屋建築のIさんと、茶席に入る前の露地に慈光院を使っちゃおう!という企画。
石州の故郷、摂津茨木城の楼門を移築し、茅葺きに葺き替えた門。以前来た時には気づかなかった建築上の見所をIさんの解説付きで、という贅沢さ。やはり見るポイントが全然違う。
庭園に足を踏み入れると早咲きの桜が!
慈光院は茶事を念頭に作られているようなので、書院までもが茅葺きなのである。
中庭には名残の紅梅。
実はYさんはここで石州流のお点前をお稽古されているのだ。当院の観月茶会などご担当されたこともある茶道男子、また奈良(好き)友でもある。
ここの書院からの開放的な眺めは抜群である。学生時代に一度訪れたことがあるが、当時はカタギリセキシュウってだれ?というレベルだったので、、、、(^_^;
周りに遮るもののない眺望。
左手の畑は慈光院のご住職一家が野菜を無農薬で育てておられる畑だとは初めて知った。(後に茶席の点心としてここの作物をいただく)
書院にいけられていた寒アヤメ。
うちのも4本、今年は咲いたがいずれも茶事には時期が合わず、残念。しぼむのも早い花だから。
ここは庭も書院の建物も、いつもきれいに掃除されていて気持ちよい。
こちらが時代、作者、意匠が証明できる茶室の中で最古の茶室といわれる石州の高林庵、二畳台目亭主床である。
ここでもIさんの数寄屋講座、前回気づかなかった見所も、おお、そうだったのか!と。
もう一つの茶室・逆勝手の閑庵の前の紅梅。以前来た時は12月で枯れ木だったが、茅葺き屋根を前に咲いていると里の田舎家の雰囲気があって、これもよいなあ。禅宗のお寺にはみえないわ。
さて、Yさんの茶会の点心席にかえてこちらで蕎麦点心をいただく。(予約しておけばいただけます)いずれも先ほどの畑で育てられた野菜のお精進。
そしてお蕎麦。もう土筆がでているのね。それから橘の実。すっかり体があったまった。
さらに、違い鷹の羽・石州の紋菓子をいただきお先にお薄を一服。
今回のお得?は建築士Iさんがこられるというので、建築上のご相談がお寺さんからあって、普段足を踏み入れることのできない広い寺務所へ入ることができたこと。(Yさんはここでお茶のお稽古をされている。)50年ほど前の建築というがこの天井がこりにこった意匠で実に面白かった!
さて、<初座>のあとは、Yさんのテラスハウスへ場所を移して<後座>へ。
テラスハウスの小さな庭に上手に植栽して良い雰囲気を醸している。美術品にうるさいYさんの審美眼で集めたコレクションなどを拝見しながら、主菓子のお手製黒豆善哉を。黒豆で善哉とはまた目からウロコ。豆が美味しくてちょっと私もトライしたい。
二階が茶席になっているとおっしゃるので上がってみると、、、
おおお!!!
なんと!釣り釜のこんな釣り方があるなんて!頑丈な金属製の突っ張り棒で重さを計算しながら取り付けられたとか。アイデアやなあ。
さらに石州流の炭手前も拝見。以前Yさんが取り扱われていたフィンランドの有名な(実は私はシラナンダ)ガラス工房Iittala(イッタラ)のガラスの小箱を香合に。他流派の炭手前はバリエーションがありすぎてほんとうに興味深い。
さらにぱっと目に飛び込んで印象的なのがこの畳。
ほんまもんの琉球畳である。縁がないだけでなく、今は九州国東半島でしかとれない七島藺(しちとうい)というカヤツリソウ科の植物でできているのだ。藺草の断面が○なのに対して七島藺の断面は△なので、畳の畝が作る陰影がより鮮やかになる。
因縁めいた話をすればこの畳、以前Iさんの師匠が持っておられて、その後京都でドイツ人のギャラリーオーナーの物になり、それからYさんの所有になった、という畳なんである。良いものは巡り巡る。このすり切れ具合も実に美しい。
畳の非定型なところを補ったり、床にもなる板張りを作ったりはYさんとIさんの共同作業、そして多くはYさんのDIYである。すごいわ。この瓢花入れも、慈光院でとれた瓢をもらってきてご自分でペイントして作られたものなのである。後ろの板がまた良い感じで、Yさんコレクションの東大寺某塔頭の扉、これを壁に取り付けるのもDIY工作で。
手作りのアイデアいっぱい、Yさんの美意識あふれる茶室で濃茶、薄茶(浜田庄司の茶碗で。あれいいなあ)いただき、慈光院から始まった空間を凌駕した茶会、楽しく堪能いたしました。
最後に、石州流(実はたくさん流派に分かれているがYさんの流派では)の茶筅のつがり糸が白!というのが物珍しかった。しかも節が下!
仕舞発表会「敦盛」キリ - 2022.03.25 Fri
年に一度の能の社中の発表会(観世会館)である。

一体何回ここで舞ったものか、でも全然上達している気がしない(^_^;
今回は「敦盛」キリである。ピチピチの16歳をええ歳してから舞うのは気が引ける。老い木の花どころじゃないな、これ。
昨年は源氏物語の「浮舟」だったので袴なしだったから、2年ぶりに袴の付け方がワカラン。YouTube先生に助けてもらってなんとか。
観世会館の楽屋棟の入り口はこのようになってますのよ。稽古用の舞台もある。
さて、敦盛、説明するまでもないが平家の公達16歳、イケメンだったとか。一ノ谷の合戦で須磨の浦に平家の舟に取り残されて海に騎乗のままはいろうとするところを源氏の熊谷次郎直実によびとめられる。
ここの段は古文の「平家物語」の授業で、特に節回しがよくて覚えている。
「まさなうも(卑怯にも)敵に後ろを見させたまふものかな」
敦盛は馬ひきかえし一打ち二打ち、馬の上で組み合いになる。直実が討とうとするとみれば我が子と同じくらいの若武者、思わずあわれむが後ろより源氏の兵がおしよせたれば
「なくなく首をぞかいてんげる(首を打ち落とした)」
能では後に出家して僧(蓮生法師)となった直実が一ノ谷で草刈り男と出会い、身分卑しきものながら美しい笛の音をきかせるといった掛け合いから始まる。敦盛は名笛「小枝(さえだ)」をもつ名手であった。(「青葉の笛」という歌はこれが元)
ここで命を落とした敦盛を供養してほしいという言葉を残して消えた草刈り男の言葉に蓮生法師(直実)が弔っていると敦盛の霊があらわれ、平家の栄華の時代の日々、名笛小枝を合戦の前に吹いたことなど語り、一ノ谷の合戦の修羅を演じる。仕舞のキリは須磨の浦に追い詰められたところから始まる。よって先生が毎年選んでくださる舞扇は波に日輪。
ちょっと明るすぎる水色の着物は一応16歳の若武者らしく、と思って。
で、まあできはといえばちょっとマイクロ失敗も数々。体が重いので、軽々とキレよくうごけないのはいかんともしがたい。また後日DVDを見て自己嫌悪に陥るんだろうなあ。
己を討った敵に供養され、いずれ同じ蓮(はちす)に生まれるべき蓮生法師・直実はもう敵ではなく、ただ、跡をとむらいたまへ。
修二会2022満行ほやほやの練行衆処世界さんを囲んで - 2022.03.23 Wed
修二会シリーズは終わったとおもったでしょ?
実はまだまだ続く。
東大寺近くの某所にて、満行ほやほやの生の練行衆の処世界M師を囲む小さな会に参加。(アイドルを前に萌えるオタクそのものになる)
(*会は東大寺の許可得て)
処世界とは、練行衆の一番若い役どころ、12日の大松明以外の日には松明で上堂されない。(先に上堂して初夜の法要の準備をするため)M師は今年処世界3年目、TLで「処世界さんの日記」を不定期につぶやいておられる。練行衆しか知り得ないような行中の話が満載で、アップが楽しみでしょうがかなかった。(東大寺関係にやっとSNSで発信できる方が誕生!薬師寺や興福寺は若いお坊様方がすでにされているというのに)
(行中使用されていた差懸)
M師は関東で唯一の華厳宗東大寺の末寺からのご参加(今年の練行衆は4名が本山以外から)、18日の観音講のおつとめをすまされれば自坊にお帰りになる。その直前の企画であった。ZOOM向けの会であったが、現地にぎやかし組として、10名ほど、いずれも筋金入りの修二会オタク(^_^;の強者ばかり。
さらにサプライズゲストとして処世界童子(処世界さんの世話をする童子、12日のみお松明をかつぐ)さん、小院士(練行衆の食事を調理する院士のサブ)さんまでご登場。こちらからも普通きけない貴重なお話をうかがう。
司会は企画者のNM様、日本画家、造詣作家にして東大寺で得度された修二会オタク(なんてきらびやかなご経歴!)あと天平コスプレイヤーでもあらせられる。
今回の行で煤けたり焦げたりした(達陀で)差懸のホンモノをご持参、持たせていただく!間近で見たのも触ったのも初めてでもう感激。桜材と松材があって、前者は重いが良い音がするのだとか、確かに重い。これをはいて駆け回ったりパーカッションのようなリズムをとったり、そりゃ体力がいるわ。
行の間、五体投地などでよれよれで破けて煤まみれの紙衣(かみこ・紙でできた衣、重衣の下に着用)、ほんとうに暖かいそうである。今年のように暖かかった日には走りの行のあと暑くて暑くて大変だったそうである。走りのあとの香水(こうずい)賜りはまさに甘露なのもわかるような気がする。一生入ることのかなわぬ二月堂内陣の匂い(^_^;がする?
新調されたという牛王櫃、自坊の紋入り。箱の中身は牛王札(8日9日のみ堂内で摺られるお札)を刷る為の道具や、硯箱、神名帳その他身の回りのものなど入っていて、中身も拝見。
これがその刷った牛王札を入れた箱である。15日未明満行下堂の時に柳の枝の牛王杖の先にこれをつけて出てこられる所を是非一度見てみたい!(今年はコロナで阻止された)
参籠3回目で神名帳を読みあげる機会がくるので、今年初・神名帳だったのだそうだ。(聴聞したかった)神名帳はそれぞれが書き写すのだそうで、M師が写されたものを拝見、ついでにはじめの部分と〜大明神としか聞こえない超速読の部分を読み上げていただいた。う〜ん、お若いけれど良いお声。(ちなみに5年目から過去帳読みあげできるそうだ)
M師が書かれたという時数表、それぞれが何日のいつにどの役目をする書かれたもので、行の間堂内に貼り付けられているとか。是に従って行は粛々とすすんでいく。
達陀もこれを確認しながら、交替で二周くらいされているとは初めて知った。今年は最後に達陀松明を礼堂に投げ入れる「ハッタ」というのもされたそうである。(今年も礼堂にも局にもだれもいない)
今年も行われた別火にはいる前のホテルでコロナ隔離、別火中、行中、その他さまざまな貴重なエピソードをうかがう。
特に面白かったのが食堂作法で、食堂にいる時間は50分ほどだが、食事時間は実質8分くらいしかないそうである。蓮根饅頭が美味しかったそうだ。作法の時の役割をサプライズで変えて他の練行衆をあたふたとさせるお茶目な和上さんとか、米の飯は大盛りでだされるが、練行衆が食べた残りを童子達が食べるので、飯にしゃもじを立てて渡すのに、空にしてしまってしゃもじが立てられなかった話や、のぞきみることのできない食堂内でこんなことがおこなわれていたのね。
参籠衆でなければ知らない未知の世界を垣間見ることができたありがたさよ。長いこと修二会オタクやっててよかった(*^o^*)。
行は厳しいが、その中にもちょっとしたユーモアや、先輩の後輩を育てようという気持ちや、ふっとゆるむ瞬間のはなしや、処世界しか見られない景色(先に上堂して二月堂から夕陽を眺められる)とか、ほんとにほんとにその場を目撃したような感動であった。
最後にこの食堂作法のあとの生飯投げの生飯を包む紙がなんなのか、とても気になって質問、鹿が食べても安全なものだとは思うが、、、
と、質問したら実際のその紙(鼻紙というそうである)を一枚いただいた〜!家宝にしよう(*^_^*)
柔らかい透けて見えるくらいの薄紙でもちろん鹿食べてもOKだそうである。
名残尽きないが、また来年も練行衆としておいでになることを楽しみにお待ち申し上げる。
僧侶の他に臨床心理士として街角に立ち、悩み相談的な活動もされていると聞く。お元気で、こちらもまた来年も修二会を堪能できるよう心身を鍛えておかねば。
帰りの電車の中でわざわざもとめた今年最後の「糊こぼし」をいただいた。
修二会とお雛様成分ちょっぴりの茶事 - 2022.03.21 Mon
まだ私の中でなかなか終わりそうにない修二会の名残を茶事に。

寄付に日本画家・中田文花さんの「青衣の女人」
鎌倉時代の修二会の最中、過去帳を読む練行衆の前に現れ「なぜ私の名前を読み落としたのか」と責められとっさに「青衣の女人〜」と読み上げたという伝説。彼女は二月堂に入ることすら許されないすべての女性をあらわす象徴という説を読んだことがある。
練行衆が食堂作法に使う日の丸盆のミニチュアと糊こぼしのレプリカ。
うちは旧暦なので待合にお雛様
細見美術館の根来展を見てすっかりヤミツキ?になってしまって、根来の春日卓に今年の修二会期間中いただいた、まだ香ばしい(焦げ臭いとも)お松明の燃えさしを。
自作のさげもんの向こうに、ようやく軸装完成した二月堂牛王札(ちゃんと朱宝が押してある本物、昨年思いがけず大先輩から拝領した。)
残念ながら朝から大雨、露地はあきらめた。
竹の自在に釣釜。
うちの流派では中柱があるときには重複を避けて釣り釜はしない、のだが、この風情は捨てがたくて。
もちろん炉縁はお松明の竹で作った物。そういえば、さだまさしさん寄進の竹にもこの焼き印押してあったな。どこかで使われるのだろうが、さだまさしの墨書の部分に価値があったりして(^_^;
実はこれなにかの雑誌で見たアイデア拝借なのだが、この根来(練行衆の食器にもつかわれる)に二月堂内陣の糊こぼし荘厳を思わせる感じにしたくて、椿をどっさり。
懐石はお雛様の季節定番のちらし寿司、はまぐりしんじょうもね。
酒器や香合もお雛様のお道具っぽいものを集めてみた。最初のお酒はもちろん白酒で。
お正客さまも李朝がお好き、とのことでそちら方面のお道具もどんどん使えるうれしさ。
百合根きなこ餡のきんとんは、毎度おなじみ、みのり菓子さん。
後座は灯火をこれでもか!と。ちょっとやりすぎたかも、、、(^_^;
床はやっぱり二月堂焼経。
蓋置も二月堂瓜灯籠
しぶい茶碗しか出さないが、この季節は特別、これを使わなくちゃ!糊こぼしの茶碗、内田裕子さんの作品。(この方のやさしい絵付け、好きやねん)
干菓子だけはまもなく来る桜の季節を先取り
紫野源水の桜有平糖に塩芳軒の桜和三盆
4時間あまりの時間もお話が楽しくあっというまにお開き。
おつきあいくださったのはご遠方からおこしくださったお茶を愛するすてきな方々。誉め上手でついつい亭主のせられ暴走御免、それもあたたかくおゆるしくださり感謝。
白鷺城下にて春の茶事 - 2022.03.19 Sat

目に痛いほど白かった改修後の白鷺城も少し色が落ち着いてきた。
ここのご城下でお店もされながら、お茶を楽しんでおられるOさんのお茶事におよばれ、なんと茶名拝領された記念の茶事でもあるとのこと、おめでとうございます。
以前ご一緒し、うちの茶事にも来てくださった大工の棟梁と庭師さんのコンビの作品をあちこちにみることができるOさん邸、筧のある蹲居に樹木が大小うまく植栽されていて柴折戸もあり、住宅地の一画に突如あらわれる露地である。
元はお茶を嗜んでおられたお母上の隠居所だったというお家、動線をあれこれ工夫されてお一人でこなされる茶事である。
初座の床は「直心是道場」、茶名をもらわれて心意気も新たに精進する、という決意表明。
木地の炉縁が棟梁の力作、共通の知人の由緒ある旧家の古材を用いてというレアもの。炭手前のお香は昨今、私の周りでなにかと人気の「黒方(くろぼう)」、スパイシーな香りが好きでもちろん、うちの茶事でもこれである。というか実は学生の時から黒方なんである。
懐石は、ほんと手が込んでいることをされるなあと感心してしまう。アイデアをいただくつもりが、これちょっと私には手が込みすぎて無理かも〜(^_^;
汁の実が不思議な食感で、だれも何かわからなかった。なんとジャガイモのすりおろしを加熱した物、汁替えの時はしっかり材料を認識しながらいただいた。
煮物椀がまた凝っていて、蛤の殻にしんじょうを詰めた物、これもお手間がかかっている。ちなみに上に乗っている口取りを食べてからひっくり返して初めて蛤の殻に気づいたので、写真を撮る前はもっと綺麗であった。
近年製造中止になったとおぼしき昔から大好きな宝酒造の白酒とほぼ同じ白酒を出していただいて、これもうれしい。銘柄をきいておくのだった!
石杯に信楽の平金さん(まさんど窯)の作品も出て、そういえば共通のお知り合いだったというつながりもうれしく思いつつ。
この日のお正客は師匠で、ご連客は以前一度おめにかかったことのある姫路の煎茶をたしなまれている方、お茶の話はしだすととまらないね(^_^;
主菓子が京都の平野神社の近くのよ志おかさんの金柑葛焼「末広」。ほんのりあたためて出してくださったのでなおさら美味しい。
後座は濃茶と続き薄で。
各服立てで濃茶を。(いつも思うが回し飲みの習慣はコロナ後には復活するのだろうか。少なくとも千鳥は絶滅するんじゃないかなあ、、、、。)
主茶碗はたしか棟梁が絶賛されていたと思う御本の茂三の写し。内側の鶴刷毛がかっこいい。(井戸ばっかり作っている)平金さんの井戸じゃない茶碗(^_^;でいただく。あと一碗はなんと六本木ヒルズの土を使って作ったというおしゃれ〜な茶碗であった。
干菓子も、よ志おかさんの桜琥珀と菱餅摺り琥珀、この菱餅がとろっとろで、今まで食べた摺り琥珀の中で一番美味しいという絶品。ちなみに桜は先ほどの主菓子とあわせて桜・橘、お雛様よね。お雛様の道具が大きくなったとしか思えない蒔絵の高坏もすてき。
茶入が古瀬戸、茶杓の銘が「萌黄」、薄器が竹に鶯色の漆で蓋裏に竹の蒔絵。
ほんとうに楽しく美味しい一会に感謝。
お開きのあとは、動線や蹲居について師匠からもっとこうした方がいいのではああした方が良いのではというご指導、Oさんだけでなく私も勉強になった!そうか筧があったら、水の手桶はもちださなくていいのか。そして共通の思いとしては「洞庫ほしい、、、」であった(*^_^*)
根来〜朱と黒のかたち〜細見美術館 - 2022.03.17 Thu
MIHO museumで根来展があったのは調べたらもう9年も前になる。ええ〜?もうそんなに時間たったかな〜と思うとともに、それだけ印象深かったのだと思う。
↓ 9年前の写真
根来って日本人好みの塗り物だと思う。
秀吉の根来寺焼き討ちで、本来の根来塗はほぼ焼失したとされ、それ以前のものを「根来塗」、以降の物は「根来」というのだそうだ。
(ちなみに根来寺を創建したのが覚鑁上人(かくばん)とあり、どこかで聞いた名前だなあと思ったら、そうだ、高野山に覚鑁坂(別名三年坂)ってあったわ、と思い出した。)
ところがもっと厳しい人がいて、元禄以降のものは「新根来」もしくは単に「朱塗」と呼ぶべきというのである。細見コレクションの初代細見古香庵である。「根来の美」という本まで上梓されるくらい根来がお好きだったらしい。
その細見根来コレクションが見られるとあって、細見美術館へ。

しかし、個人のコレクションでこれだけの根来ってほんとうにお好きだったのね、と舌を巻かざるをえない。しかも種類のバリエーションが半端ではない。
伝来が東大寺(もちろん二月堂もあり)、三輪大社、手向山八幡宮(これも東大寺)、春日大社、高野山、室町時代まで遡るものが圧倒的に多い。
物としては主に湯桶、菜桶、瓶子、高坏(これが意外と多い)、応量器、折敷、足付盤など。中でも展示のポスターにもなっている、中国の梅瓶(めいぴん)をさらにデザインアップしたようなこの瓶子はほんまかっこいい。ほれぼれする曲線と擦れ具合やわ。
根来は基本的に下に黒漆、その上に朱漆を塗った朱塗りである。完品もあって、全然擦れてなくて下の黒が見えない、ほぼ朱塗のものもあったが、日本人って、擦れて下の黒が浮き出した物の方が好きよね。伝統的な日本人の美意識をここでも垣間見た気がする。塗り物として、蒔絵の器も好きだけれど、その対局にあるような根来にも深く惹かれる。
二月堂修二会の練行衆が食作法で使う盆や飯をいれる鉢が伝統的に根来なんだけれど、この食堂の写真もあってうれしかった。
で、我が家の根来、新根来というべき?(^_^;
近代〜現代のものだけれど、それはそれで好きなのよ❤️
御所朝茶〜2022早春編 - 2022.03.15 Tue
季節の変わり目に御所(正確には御苑だが京都の人はみんな御所とよぶ)で朝茶、もう何回目かな。前回はあまりの寒さに我が家での開催となったが、御所は秋以来久々である。
いつもの場所に工事がはいってしまって、今回はFさんお気に入りの秘密の場所にて。風はまだ寒いが日差しは春だねえ。鳥のさえずりもにぎやかなバードサンクチュアリ。
朝ご飯と呼ぶにはリッチすぎるメニューは打ち合わせも無しにみんなで持ち寄り。

もちろんアルコールも忘れてはいけない。茶事では酒三献だし。
Fさんの新刊発行のお祝いもかねて乾杯。
今回はスパークリングワイン(缶入り)と月の桂。朝からスミマセン。時折、犬の散歩の方やらバードウォッチャーやら、通りすがるがだれも気にしていないので(^_^;
気がつくとほろ苦野菜ばかり食べている。春はそういうものを体が欲するのかな。
おまけのお菓子はタルティンの苺バージョン。
朝飯開始からお茶をいただいて解散まで1時間半、それからそれぞれの今日の予定をこなしに現地解散、君子之交淡如水、これもまた佳き。
修二会2022〜食堂(じきどう)周辺のあれこれ - 2022.03.13 Sun
2日にわたり食堂(じきどう)周辺のあれこれを。

練行衆の食事は原則一日1回、以後飲まず食わずで夜まで勤行されるのだ。だからきっと食堂作法の時間は待ち遠しいに違いない。(なにせお若い方も多い)食堂に走り込む方々。
食堂内に皆様はいられると湯屋から運びだされる食事。(これは飯?)
湯屋ではもうもうと湯気がたつ。
次に運び出されるのはお湯だ。これは食器を洗うための湯になる。
これをしばらく登廊側の入り口の前に置いておき、西側の鬼子母神の横の扉が開いて「あらいくも!」という合図があり初めて食堂内に運び込まれる。今回初めてその「あらいくも」の現場を見ることができ感激!
各練行衆付きのお役目の方々が食器をさげる桶(各練行衆の紋がはいっている)をかかえてでてきたらそろそろ食事も終わりだ。
そして恒例の生飯(さば)投げ!
皆様、それぞれの投球?フォームにて。個性があって面白い。
すごい遠投をされる方もおられれば、、、
わりとさらっとの方も
気合い入ってて後ろの方がのけぞったりも(^_^;
その後は鬼子母神さんに一礼
すぐカラスたちが生飯をとっていってた。
本来はそのあと参籠所に帰って日中上堂の準備をされるのだが、8日はどうやら記念写真を撮る日らしい。練行衆はじめ堂童子、童子、駈供、仲間、、、携わる方々の集合写真。(総勢39名らしいが全員ではなさそう)たまたまながらレアな写真撮れた。
厳しい勤行の間にもこうした笑顔がでるひとときもあるんだな。
僧剛襟
練行衆のあかし
七条袈裟に修多羅(紐かざり)
そして13時過ぎ、日中の勤行にそろって上堂される。
今回もしばし扉のそとで聴聞、意外と東の扉(裏側)が人が聞きよい。(あまり人もいない)
日中が終われば日没の前に手洗い休憩。ここでも少しお顔がほころんでいる。(手洗い休憩のときは外陣で袈裟を脱ぐ)
11日、翌日の籠松明にそなえ、燃える可能性があるので菱灯籠ははずされていた。いよいよ12日深夜お水取りやなあ。今年も拝見できないけれど、、、
さて、そのお水取りをする閼伽井屋の前に、この屋根を飛び越えてきたとおぼしき生飯のお包みが!これも初めて見た〜!
これで今年の私の修二会は終わり(二月堂周辺は封鎖される←コロナ対応)
無事満行を祈る
合掌
修二会2022〜10日目初夜上堂 - 2022.03.12 Sat
10日目の行は初夜上堂3時間前から並んで(^_^;火の粉を浴びる気満々で直下の場所をねらう。やはり迫力が全然ちがうのだ。

19時二月堂周辺の灯りが消え、チョロ松明(小さい松明)とともに「出仕の案内!」「承って候!」のやりとりののち、1本目のお松明がゆっくり登廊から上がってくる。
来た〜っ!
真下ド迫力!
火の粉が飛び散る。頭に雨のように灰が落ちてくるのを感じながらもシャッターを切る。
北の端から南の端へ走る。
また次が来る!
練行衆の方々は松明から少し遅れて登ってこられる。登廊の上で必ず2回柏手をうたはるのがどういう意味なのか知りたい。僧侶でも神様の勧請のために柏手を打つとは聞いたが。(←その先にある遠敷神社への柏手だそうだ。)
柏手、差懸の音、、、が聞こえるはず。
(隣の人のシャッター音もはいってる〜(^_^;)
この杉の葉の焦げる匂い!これが私には春を告げる匂いだ。
方や堂内には差懸の高らかな音が響く。
隣では髪の毛に火がついた人もいた(゚ロ゚)。
熱気が迫ってくる。これよ、これ、これがないと春が来ない。
10本のお松明が終わって、初夜の行が始まる。裏の東側の門からはかすかに灯明が見え、内陣からの風が通る。しばし扉の外で聴聞。
名残おしいけれどこれで今年のお松明は見納め。12日から二月堂周辺は封鎖され近づくこともできない。コロナさえなければなあ。
茶所の前、お松明が振りまいた火の粉を掃いて消す竹箒が水槽につけられていた。
参籠所の前の竹置き場ではとうとう最後の一本になった「さだまさし」奉納竹、11日の東北大震災の日に上がると聞いた。しっかり二月堂の焼き印入り。これで花入れを作ったり、炉縁をつくったりする(実は私も持っている)。
宿に帰ったら、練行衆の食作法と同じスタイルのご飯をいただく。
さて、明日は食堂周辺をあれこれ見て生飯投げも見て今年の総仕上げとしよう。
東下りにて近代のお公家さんの茶に遊ぶ茶事 - 2022.03.10 Thu
師匠のその多彩な茶人交遊帳の中のお一人、淡交社でもたくさんのご著書のある近代美術史・茶道史の新進気鋭の学者さんのお茶事へ混ぜていただき東下りして参りました。
(ご連客も知己ばかりでおられるが偉いメンツで冷や汗どす)
(3月初めのうちの庭)
お名前は存じあげているものの御本はまだ読んだことがなく、何か一冊読んでいこうと思ったが、御著作のテーマが多彩すぎてなにを選ぼうか迷ったあげく、近代茶人についての本を。これはよく知っている近代数寄者はむしろ少なく、え?こんな人がお茶を?というような人から、全然知らない茶人まで、すごく面白くて勉強になった。(この本選んでてよかったわ〜!と思えるくらい茶事のテーマの予習になったのだ)
マンションの2室とベランダを上手に使って、待合と茶室に。
待合には遠州流宗家先代の宗慶宗匠の貝合の大和絵。お雛様の日であったからなあ。というかお道具の目利きで有名な宗匠、こんなプロ級の絵も描かれたん?と思ったが、宗匠、芸大の美術科卒業でいらしたとは!(ご亭主のはるかなご先輩)そりゃプロだわ
茶室は壁に板を渡し、喚鐘、撞木、垂撥を掛け、床の間代わりに折りたたんだ木のテーブル、周辺に腰板をわたす。すっきりふりきった茶室だと皆様絶賛。
そしてその床にかかっていたのが迫力の隷書体で書かれた「得其楽」。
どうしても落款が読めなかったが聞いてみるとなるほど!の小松宮(仁和寺宮)彰仁親王であった。幕末〜明治の軍人の宮様である。(仁和寺門跡となったが軍人となるため還俗された)
すでにここから宮家華族家のストーリーは始まっていたのだ。
(いつの間にか咲いていた裏庭の寒アヤメ)
釜に度肝を抜かれる。これは一度見たら忘れられない。釜の名称は不明だそうで、寸胴の筒に上についた切子の鐶付、蓋のつまみが算木?で、その周りに筒車水車がくるくる回っている呈で、これは水指の柳橋に合わせた物だとか。全体的にtoo muchな意匠なのだが、作者の大国藤兵衛がいろんな技巧を試しにつぎ込んで作った釜とか。
大正天皇崩御後、皇太后となった貞明皇后が隠居された青山御所に秋泉亭という茶室を作られたのは有名であるが、その茶道具の釜師に選ばれたのが大国藤兵衛だったのである。
ちなみに茶室の設計は三代木津宗詮(聿斎)、完成後、三千家と藪内に茶道具の献上が命ぜられ、各流派競って職方に腕を振るわせたのだ。(裏千家の秋泉棚も淡々斎がその時に献上したもの)
炭手前は盆香合にて。
棚は淡々斎好み豊祥棚、上に乗る盆香合はお雛様の道具を連想させる唐草蒔絵で、上に菊のご紋が。御由緒が有栖川宮家という。有栖川家は幕末明治に幟仁親王・熾仁親王と二代にわたってお茶好きで道具も多くお持ちだったという。
焚かれる練香も三条家から鳩居堂に伝わったのが一般的だが、東本願寺に伝わったレシピでつくったという「黒方(くろぼう)」である。(私もこれ好き、スパイシーなの)
炭斗は冊屑箱(さくずばこ・書き損じた短冊などを入れた)、木津宗詮聿斎だったか。
灰匙に金の菊が象嵌されており、これは淡々斎、貞明皇后が愛したスミレの花の象嵌は藪内の献上だったそうである。
懐石もおひとりで作られる。汁の菜花が季節を感じさせ、鴨のいり鳥や、いぶりがっこにクリームチーズを挟むというめちゃ美味しい八寸、でも一番手間がかかっているだろうと感動したのが「水晶蛤」!初めていただいた。
葛の饅頭に蛤のむき身が埋め込まれているもの。まさに水晶。このレシピは江戸時代から料理で名を馳せた八百善さんのものなのだそうだ。お料理男子でもなかなかこんな手間のかかることはそうしないと思うよ。
石杯も、仁清の三日月波茶碗、金海猫搔手、織部、志野、、、、のミニミニ杯で思わず笑みがこぼれる。
菓子器が食籠なのだが、上から見ると八角輪花で、持ち手に絹の赤い房付き(八咫鏡かも)。側面にはスミレの花の染付、これはまた貞明皇后からみかな、と思ったらやはり、藪内が献上したもののうちの控えだろうということ。(作は永楽)。お菓子は赤坂塩野さんの「雛衣」、黄味餡であった。
(ヤブランの実)
後座ではおりたたんでいた机の脚をのばして床に、花は桃に水仙、竹の花入れも山階宮家(勧修寺門跡)のものだとか。お点前はさすがに美しい。学者というより業躰先生っぽい。
主茶碗がこれまた有栖川宮熾仁親王手づくねの赤楽であった。どうしてこんな貴人のお道具ばかりがご亭主のところに集まってくるのだろう。桜文様がぐるりと取り囲んでいる二代諏訪蘇山の青磁茶碗は本にも載っていた。官休庵が秋泉亭竣工のお祝いに贈ったものの写しだそうだ
茶入は同じく二代諏訪蘇山の薄い軽い練り込みで、仕覆がお雛様の日にぴったりの桃の実の裂地(文様名不明)。
茶杓はイチイの木を削り出したもので作者は近衛文麿、銘を「萬歳」。くだんのご著書にも近衛文麿公はでていたので、なんだか納得。文麿公、意外や茶の湯を武者小路千家で学んでおられる。陽明文庫にある虎山荘は彼の号・虎山からきていたのか、と初めて気づく。
(玄関に挿していたら咲いた辛夷)
そして今回一番の主役は薄器である。
意匠としては松尾流の木賊面取中次と同じなのだが(→画像参考)中次でなくて棗型。側面が木賊で囲まれ、蓋に菊のデザイン化された文様。木賊が松尾流のに比べて色が微妙に違う二色の金蒔絵で深みがある。ご亭主はこれがその木賊中次の本歌ではないかとおっしゃる。なにしろ光格天皇より有栖川宮家へ下賜されたというシロモノ。よくぞこんなモノを!畏れ多くももったいなくも、、、の世界である。
有栖川宮家の香合で始まり、有栖川宮家の薄茶器終わる。なんとまあ大団円。ちょっと異次元ワールドへつれていかれそうなすごい茶事であった。
(今後茶の湯文化学会でふたたびお目にかかりたい)ご亭主様、お連れくださった師匠、ハイレベルのご連客様、ありがとうございました。

最後に赤坂塩野の桜琥珀までいただき、はるばる東下りの甲斐が十二分にございました〜!
修二会2022〜8日目・初夜上堂 - 2022.03.09 Wed
今年は2日2回、お松明を見ようと思う。堂内の聴聞ができないのがほんとうに残念だ。
8日は深夜に小観音様(生き仏といわれる絶対秘仏)が出御され下七日のご本尊になる。(上七日のご本尊は大観音様)
一度ご出御の日に局で聴聞したが、南都楽所さんの雅楽の音色とともに出座されるのだ。

今年もお松明拝見は人数を制限している。出入り口も決まっていて、あっちは立ち入り禁止、こっちもダメと規制の激しいこと。そして18時でもまだ竹の柵の中へはいれるくらいすかすかである。例年はもうこの時間、人がぎっちりなのに。
拝見1日目はいつもとちょっと場所を変えて、あえて柵の中へ入らず、お堂全体が見える場所で拝むことに。
お松明の燃えさしを拾うために侵入する人があとをたたないので、前日の燃えさしを四月堂の前で段ボール箱にいれてくれている。お持ち帰り自由だ。ああ、この焦げた杉の匂い!たまらんわ。(いくら美しい映像を見てもこの匂いだけは再現できない)
遠方に登廊を登る三時の案内(あない)の小さな松明、初夜上堂を告げる。そしてゆっくり一本目のお松明が登ってくる。上堂する練行衆の足下を照らす灯りだ。
北の角に姿を現したお松明。この頃に内陣に飛び込む練行衆の差懸の音がたからかに響く。これは離れていてもけっこう聞こえる。
北の角で盛大に火の粉を振りまいて、、、
南の角に走る。
いつもかぶりつきで真下からみているから、見えなかったけれど、ここからは松明をかかえる童子さんの姿が見えるのね。
南の角
ここでも童子さんの顔まで見える。
ちなみに以上は望遠レンズさまさまで、本来はこれだけ離れている。南北にお松明がそろった状態で一枚撮りたかった。
数日後また来るけれど、そのときはこの火の粉を盛大にあびようと思う。無病息災、無病息災。
そして10本のお松明が上がり初夜の行が始まる。(ちなみに一番若い処世界さんは準備のため、先だって上堂しているので10本なのである)
お堂に上がるのにも順番に行列、、で、ちょっとがやがやにぎやかすぎる。扉に耳をつけても中の音は聞こえない。残念だなあ。1日深夜の開白上堂の時に扉越しに聞けたのはほんまによかった。
これから深夜までにおよぶ行、折り返し地点まできた。この日はとても暖かくほとんど四月のよう。
蝋燭を献じる。
今年はことさらいろんなことを祈りながら手を合わせる。
欄干にはお松明の白い灰やら煤やら。
階段をおりたところに修二会の期間中、24時間ずっとお堂の中継をしているにこにこ動画のカメラ、これか!?(お世話になってます)
参籠所の前のお松明用竹置き場で、さだまさしを発見!
毎年3本奉納されているのだとか。ずばり「修二会」というタイトルの歌があったりなにかと奈良とご縁のある方だからなあ。
裏参道から帰る道すがら三日月。満行の頃には満月に近くなっているのだろう。
本日のいただきもの。
焦げた杉の良い香りがする。
雪の比良山系に菜の花〜守山 - 2022.03.07 Mon
冬に雪をかぶっている山が突然現れると胸がすくような感じがする。
新幹線が琵琶湖を過ぎると突如あらわれる冠雪の伊吹はほんっと感動する。それにも負けないのが雪の比良山系である。

去年は湖西を北上してその冠雪の姿を間近にみることができた。今年は反対の湖東から琵琶湖をはさんで眺める。
やっぱりいいなあ。
関東の人には富士山なんだろうが、関西人にはちょっと遠すぎる。
さて、その山の手前にこの黄色!
最高にフォトジェニック!
ここは琵琶湖大橋東詰にある守山市第一なぎさ公園。(ピエリ守山も近いよ)28日で公園今季終了とのことで滑り込みで行ってみた。
利休忌もまだなのにもう終わり?と思ったら、ここの菜の花は「寒咲花菜」という早咲きの種類だそうだ。
周りは琵琶湖と唐突に立つマンションと、交通量の多い道路に挟まれているこんな場所なのである。
菜の花独特のあま〜い香りが一面にただよう。ああ、菜の花ってこんな匂いだった。
菜の花畑の真ん中で本来はお茶したいけど(^_^;それは無理なので、少し離れた場所で茶籠を広げる。やっぱり比良山はええなあ。
これみると山村暮鳥の「いちめんなのはないちめんなのはないちめんなのはないちめんなのはな、、、」の詩が誇張でないのがわかるような気がするわ。
春には黄色の花がよく似合う。
サンシュユも、マンサクも、蝋梅だって黄色だ。
土手にはこぼれ種で増えたとおぼしきたくましい菜の花。こちらは野性味があって、、、、なんだか食用菜の花に見えてきた。
しばし菜の花の香りに酔い茶に酔い比良山の姿に酔い、佳き早春のひととき。
鈴木大拙館〜金沢 - 2022.03.06 Sun
そろそろ春の気配で雪も最後かなと思ったら、是非雪の金沢へ行ってみたいと思った。
市街地は除雪された雪が道路脇に山積みではあったが歩きにくいことはない。

しかしちょっと脇へ入ると、レインシューズを履いてきてよかったと思える積雪が残る。
金沢で酒造業を営んで財をなした中村家の旧住宅。数年前ここで茶会があって、中へ入れてもらったことがある。(隣接する中村記念美術館は茶の湯と美術を愛した中村家3代目の茶道具コレクションが主な展示品)
その横の細い道を通り抜ける。
なにせこの雪だ。半分溶けてぐちゃぐちゃになった所を歩くべきか新雪のところは歩くべきか悩む。(どっちもどっち)
緑の小道という散歩道もあるが雪ですべりやすくなっているため立ち入り禁止。
目的地へ到着 鈴木大拙館
建築は約11年前、モダニズム建築の谷口吉生設計でできた建物である。
受付でもらったパンフがファイル状で中にチケットとか入れられて便利〜。
さて、鈴木大拙、金沢が生んだ偉大な仏教学者、思想家、、とひとことでくくって良いのかわからないが、禅についての著書の英訳、アメリカでの講演、世界的に活躍された方で日本より世界での方が有名かもしれない。かの哲学の道の西田幾多郎と、旧制第四高等学校で同期、生涯尊敬し合った親友同士であった。
心茶会を京大に作った久松真一先生の「茶道の哲学」は私のバイブルであるが(ご生前お目にかかったことあり)、先生は西田幾多郎の弟子であったことから、鈴木大拙の名前はちらちら目にしていた。
しかしながらよくわかっておらず、著作を読んでみようともとめてみたが、わかりやすい講演会の内容を書き起こしたものは読めても、哲学書になると挫折すること最初の数ページで十分であった。
かくの如くワカラナイのだが、禅の精神はむつかしいことを理解することではない、と確信するがゆえに只管打坐(ぼ〜っとしているだけという説もあるが(^_^;)、作務三昧(お掃除好き)、でもそこまでてとどまっている凡夫である。
ここの展示も展示というほどのものはない。大拙の略歴や生前のお写真などである。空間の方が大きい。それがコンセプトなんだろう。足りないモノは自分で埋めていく努力をする。
水鏡にうかぶこのキューブは文字どおり(畳ベンチ以外)空っぽである。ここに座って窓の外を見て、あるいは壁を見て、物思うことが禅の心であろうか。(晩飯なににしよう〜とかも含めて)
心なしかこの四角い窓が「悟りの窓」に見えた。(京都の某寺院の悟りの窓は円相で四角は迷いの窓だが)まあ一生大悟することはないだろうが。
大拙と幾多郎、お互いのことを書いている文章+二人を知る弟子の書いた文章の抜粋集がおもしろかった。互いに尊敬し、敬愛しておられたのだなあ。95歳まで生きた大拙の、早くに亡くなった幾多郎の死に際しての慟哭ぶりが弟子によって描かれていて、どれだけ互いを大切に思っていたのか痛感できるのである。
大拙館からすぐ近くにある21世紀美術館へも数年ぶりにちょい寄って見たが、う〜ん、ここはちょっと私の来るところではないなあ、、、の感。
建物は楽しめたけれどね。
昨年に引き続き兄さん記念茶会2022 - 2022.03.04 Fri
祗園一力の裏手の茶室で毎月23日、23に<にいさん>をかけて月釜を掛けてはるにいさんこと黙楽庵さんのお茶会、いろんな分野の多彩な面々がお客さんとなっている。
昨年その月釜の100回を記念して、100回記念茶会が祇園でおこなわれた。

どうも主客ともとても楽しかったので(^_^;今年はキリの回ではないけれど、毎年2月23日(祝)に記念茶会やろうかなあ〜っと思わはったのね。(しかも黙楽庵さん誕生日!)
会場は祇園のかがり火さん。祇園大茶会の初参加の時以来、みんなが色々お世話になっているお店である。(ちなみに前を歩いているのは狸ではない。大猫!)
今年はコロナでやや縮小版となるが、お世話になっている(お世話しているという説もアル(^_^;)陶芸家浅井さんの陶展も同時開催で楽しく♪
兄さんこと、黙楽庵さんには祗園大茶会から、浅井さんはじめ若手芸術家バックアップの白沙村荘春秋会から、不肖私も含め、いろいろお世話になっている方も多いと思う。お酒を飲むとアレだし(^_^;、ダジャレもアレ(^_^;だけれど、みんなに愛されてるわね〜。
席は立礼にて、お弟子さんのきれいどころの方々。
床の間の軸が「教化別傳」不立文字と続く、書は不昧公である。その立派な軸の上にクリスマスリースやえべっさんの小判が飾ってるのが兄さん流。不昧さんも驚いていることだろう(^_^;
香合が称徳天皇(のち重祚して孝謙天皇)発願の百万塔の写しである。本歌は中に陀羅尼経が入る。鎮護国家の発願にて、今の疫病をはやく鎮めたまえの祈りを込めて。
茶杓が宗旦の松風写しを玄々斎が作ったものというあたり、さすが本業お道具屋さん。
八幡の走井餅の当代(女性です)に作ってもらったという上品で美味しい苺大福は、もはや兄さん茶会のシンボルである。(=苺一会=一期一会)
同じ席で、孫がお世話になったり水屋でお世話になったりしているEさんに久々会えてうれしかった。年末の孫稽古の時におなじくお世話になったMMちゃんもいっしょでうれしい。
というわけで、一緒にお酒のんでしゃぶしゃぶ食べたよ。1〜2年ぶりやろか。ほんまこの楽しみを久々に思い出した。(しみじみ)
そして去年と同じく祇園石段下いづ重さんのエディブルフラワーのお寿司!(いづ重の大将は祇園大茶会のお世話役、またコロナ下の祇園祭の某NHK番組の主人公でもあります)
絵心あることは知っていたが、こんなかわいいお寿司を作られるなんて感激。チーズとかナッツとか入って美味しかった。(蓋の判子は「黙楽」)
同じ席に黙楽庵さんの一番若いお弟子さん、6歳もいて、ちゃんと袴姿なのがかっこいい。
他にも元サッカー選手とか、祇園のバーのご主人とか、あまりに多彩なご人脈に舌をまくしかない。
兄さん、おめでとうございます。これからも月釜続けてくださいね。そしてまたひとつ来年もよろしく!
帰りに現在改修工事中のために仮店舗で営業されている、いづ重さんへ、鯖寿司を買いに。
鯖寿司はどっしりしていて、あの繊細なお花のお寿司を作るのと同じ人が作ってるとは思えんなあ〜と思ったのでした(*^_^*)
修二会2022〜開白上堂(3/1深夜) - 2022.03.02 Wed

さて深夜1時ごろ宿を出発。
いや〜だれも歩いとらんわ〜こわいわ〜きゃ〜(ウソ)(^_^;
二月堂まで歩くこと20分、我ながらよう歩くわ。
3月1日0時開白、いよいよ修二会本行がはじまる。
参籠所の周辺はコロナゆえ立ち入りが制限されているが湯屋の前にはもう他にも聴聞の方がこられていた。
食堂の中では、かすかにしか声が聞こえないので定かではないが、和上が八斎戒を一条ずつ読み上げては「よく保つや否や」とたずね、練行衆が「よく保つ よく保つ よく保つ」という有名な問答をしているのだろうなと想像するのみ。
そして一斉に食堂から出てきてそれぞれの房に帰り、上堂の準備にはいる。
登廊の下では駈供、仲間が松明を持って開白上堂に供える。
この最初の上堂では、お松明ではなくこの小さな松明で一斉に上堂される。
1:40ごろ「ただ今上堂!ただ今上堂!」の声が響き渡る。
しんしん冷える早春の夜に松明とともに練行衆が登廊を登っていく。なんという美しい景色!
先に10人の練行衆が上堂され、差懸(さしかけ・修二会用の下駄)に履き替えてドンドンドンドンと高らかに沓音をたてて、最後に上堂される童司を待つのである。その音がそろったりそろわなかったり微妙にずれているところがまたいい。司到着とともに一斉に内陣になだれ込むのだそうだ。(見られないけど)
↓ というので、その差懸の音を是非聞いてほしい。
しばらくガタガタと堂内を駆け回ったり法要の準備をしたりの沓音が聞こえる。(聴聞できず扉は閉まったままなので想像するしかない)
それまで灯りのついていたお堂であるが、、、
2:15 二月堂内外の灯りが全部消える。
献灯の蝋燭の明かりのみ。ああ、今まさに一徳火(堂童子が切り出す火で行法の間すべての灯明の元になる火)が切り出されているのだろうな、とこれも想像のみ。
2;30ごろ開白法要のお経の声が漏れ聞こえてくる。しんしん寒い中ではあるが局で聴聞できないかわりに扉の外で耳をかたむける。五体投地の音も聞こえる。
もう今年は聞けないとおもっていた大好きな「散華」が聞こえてきて感激する。
、、、光明熾盛 摧滅三界魔波旬抜 除苦悩観世音普現 一切大神力、、、
脳内で華籠を持った練行衆たちがぐるぐる須弥壇の前を行進する姿を描く。
深夜の法要とて3時過ぎには終了、四職の偉いさんが先に下堂され、
しばらくして皆さんの下堂を見送る。
これから方々参籠所でお休みになられる。長い行はまだ始まったばかりだ。
私もホテルに帰って寝る。
翌朝ふたたび二月堂に来て見ると湯屋の前、仏餉屋の前、食堂の前、思い思いの場所で童子さんたちがお松明を作ってはった。
興味深いのでしばし観察。
ほほう、前回見たくつわ蔓をこのように巻き付けていくのだな。そこに杉葉やへぎ板がくわわってあのお松明になるのね。
二月堂真下の興成社はなにやら呪術的なことになっている。
ちらっとのぞく参籠所
時折白い紙衣姿の練行衆のお姿もみられる。
今年も無事満行を迎えられますように。
三五夜月釜〜如月2022 - 2022.03.01 Tue

奈良の三条通、観光客とか地元の人も多い賑わう通りだが、ちょっとひっこんでるな、と思ったところになにげに陵があったりするから油断ならない。(紀元前ということになっている開化天皇の陵)←ホテルフジタ奈良のすぐ横。
普段の奈良行きは、近鉄を利用するのであまりお目にかかれないJR奈良駅を久々に見る。左手のクラシックな建物は旧奈良駅舎、本来の場所より18m曳家方式でずりずりと動かされた建物である。
その駅に近い三五夜さんの二月の月釜へ。
本日のお席は奈良在住の方と二人だけの贅沢な一席、ふだんよりゆっくりさせてもらったな。
玄関脇の蹲居周りも苔がおちついて良い風情になっている。おりしも紅梅白梅の鉢植が見頃であった。
床には清岡長言(明治〜昭和の元公家、教育者であり政治家でもあり和歌をよくした)の富士山の歌。
<あふぎみる 人の心もおのづから 清くなりゆく 富士の神山>
その下にちんまりかわいい一刀彫りのおひな様。
富士山にちなんでお茶碗も光悦の「不二山」写し。そういえばつい最近東京に行ったとき、行きも帰りも富士山は雪雲の向こうでみえなかったなあ。でもあのゆるやかで雄大な裾野の稜線は感動的。
そしてお菓子はもちろん、この季節の「糊こぼし(萬萬堂通則)」である。(今期いただくの早くも3回目〜)華籠を模した菓子器がすてきだ。
そして怒濤の二月堂修二会のご趣向。炉縁が二月堂お松明の竹でできたもの、茶杓が同じくお松明の竹、銘が「若狭井(遠敷明神が湧かしたといわれる3月12日深夜お水取りがおこなわれる井戸)」とはかっこ良すぎる。書かれたのは東大寺長老・森本公誠師(この方京大文学部卒なのね)
櫂先の裏に十一面観音を表す梵字の朱書があるのが本物だと教えていただいた。
おこもりの練行衆を描いた茶碗は「籠り」。芭蕉の<水取や 籠もりの僧の 沓の音>である。あの差懸(さしかけ・練行衆の履き物)の沓音は一度聞いたら忘れられない。修二会の練行衆の僧衣の襟が三角に立っていて非常に印象的で、練行衆の符牒のようになっているのだが、あれが「僧綱襟」という名前だと、初めて知った。
練行衆の方々の総別火も始まって、いよいよ修二会モード高揚なのである。
表千家の抱清棚の扱いを拝見、見た目は裏千家の杉棚にとても似ているが、地板がなくて水指はお運び、背面があるなどの違いも。これも杉(碌々斎)と桐(吸江斎)の違いがあるとか。
棗を茶入に使うときの仕覆の扱いも裏千家とかなり違って面白かった。
濃茶は宇治白川辻喜の「あさひ」、色々賞をとったお茶だそうだ、とてもまろやか。
二服いただいた薄茶は加茂自然農園の「恭仁の昔」(恭仁京があった場所のゆかりで)。 自然農法というと苦いという思い込みがあったが、これはさらりといただけた。
ご亭主とご連客様が奈良の方なので奈良情報も色々仕入れ、また奈良の有名寺社の偉いさんが普通に免許更新にこられていたりなどの奈良あるあるのお話もとても面白くて楽しいひととき、すごせました。