奈良・三五夜水無月月釜2022〜<茶房>拝見! - 2022.06.30 Thu

奈良三五夜さんの月釜へ。
いままでキッチンだったところを、この5月、すてきな茶房に改修されたと聞いて、気になっていたのだが、ようやく拝見のチャンス。
水無月月釜のテーマを「青苔麗し」とされたが、このところ空梅雨で、しかも各地で最高気温を記録する暑さ、苔も少ししんどそう。(人間ももちろんしんどい)
さてさて、最初にその完成なった茶房に。
以前雑多な空間だった小上がりの障子をあけると、、、、
おお〜!
びっくりの素敵空間。こんなになっていたとは!りっぱなカウンターバーではないか!
もしここがいつもあいているなら、いりびたってしまいそうだ。
図面も三五夜さん自ら引いて現場監督(?)もされたという。
こだわりのオーディオ装置でゆるやかなBGMが流れる。
天井も網代、葦簀、と凝っている。4〜5人すわると一杯というスペースが、箱に入って安心する猫のスペースが如く落ち着き度満点。
まずはくみだし代わりの梅酒+カルピス+炭酸のウエルカムドリンク。
火まわりや冷蔵庫がどこにあるのか気になるが、後ろの袖壁の裏に上手にかくしてある。茶事の懐石もここで作れるようになっているのだ。
そしてお菓子を。
なんと雲州三英堂さんからやってきた。キラキラの銀河の下にこしあんと粒あんの二層構造の羊羹、三角形は水無月バージョン。銘を「星の林」、まるで奈良のために作られたようなお菓子ではないか。
あめの海に雲の波たち 月の舟
星の林に漕ぎかくる 見ゆ (「万葉集」 柿本人麻呂)
菓子をいただいて小間に席入り。
すっかり夏座敷の室礼。外の簾と葦戸で朝なのにしっとりおちついた暗さが心地よい。
軸は東久世 通禧(みちとみ)公の短冊で「田上蛍」
田植えの終わった田んぼの畦の水も澄んで蛍もとびかっている、、そんな歌である。この方は幕末の七卿落ちで長州に逃れ、明治維新後政界復帰、辣腕をふるった政治家だったとか。その長州落ちからの連想で、濃茶の主茶碗は萩(*^_^*)
ガラスの花入れにヤマゴボウ、夏椿が涼しげである。
花の敷板が氷室神社の鳥居古材、ということから話は奈良のかき氷に発展。(氷室神社はかき氷の町=奈良を印象づけた、ひむろしらゆき祭りをはじめた神社 奈良国博の前よ〜)
お客様が奈良在住一名、他府県の「奈良好き」三名、と、どうころんでも奈良の話題で盛り上がる面子、三五夜さんほっておいて盛り上がる盛り上がる(^_^; かき氷からはやりのお店のこと、おん祭りのこと、大仏蛍のこと、奈良の夜のこと、、、つきることなく、三五夜さんにはご迷惑だったかもしれないが、貴重な情報交換、楽し〜〜♪
干菓子は長良川の「かがり焼鮎」と「氷室」(薄い琥珀)
薄茶は蛍の描かれた茶碗がたくさんでてきて、軸の蛍と呼応し、薄器の蓋裏にも蛍が飛んでいたのである。
かくしてさらに奈良愛を深め、ならまちに繰り出すべく三五夜さんを辞したのである。
来月は、ここで表千家のご指導をされているD先生の席、これも楽しみ♪
3年ぶりの(また、これ(^_^;)若美津茶会2022〜大阪美術倶楽部 - 2022.06.28 Tue
先般薪能が3年ぶりに開催されることに感極まっておられた能楽師さんを見たが、お茶道具を扱う古美術商の方々も、思いは同じではないだろうか。
3年ぶりに帰ってきた北浜・大阪美術倶楽部恒例の茶会・若美津茶会、濃茶席を担当された、大阪古美術界の重鎮・谷松屋戸田さん。いつもは名だたる美術館、数寄者が席主をされるが、御大戸田さん直々の御席主、そのご挨拶にかみしめるような深い思いを感じた。

例年2日で1000人、今年は関西一円の方のみ、400余名のご案内だったそうだ。
濃茶席は、よってお点前は官休庵である。(谷松屋と官休庵との関係はこちらの拙記事を)
やはり!とは思ったがいきなりすごいのがでてきて圧倒。
本席軸に平安時代の「病草紙」の断簡「嗜眠の男」。病草紙の断簡って京博の国宝展にでてたよね、ね(゚Д゚)!たしかとんでもない治療をされて目が潰れた男とか歯槽膿漏の男とか。それの嗜眠版。というからにまさに国宝級なのだ。ちなみにどこでも寝てしまって起きない<嗜眠の男>はいわゆるナルコレプシーであろう。平安の頃からあったのね。
古伊賀の耳付花入、花はすっきりと丈のある夏椿(沙羅)
古伊賀耳付きとくればこの前、畠山即翁展でみた「カラタチ」がトップにでてくるが、これはそれに匹敵するもので、古伊賀の図録にはかならず出てくる物、表にだすのは20年ぶり?くらいとおっしゃったか。いつもなら伊賀耳付き、まあよくあるわねなんて通り過ぎるところ、これはすごい迫力で目が釘付け。かなり大ぶりである。
まあこの2つでもう十分満足なのだが、宗旦所持の藤田家伝来四方釜をちゃんと火にかけてはるものねえ。水指はこれもご存じ南京玉すだれ、、、じゃなくて南蛮縄簾(いつも間違える(^_^;)
堆黒香合は梅と林和靖(鴻池家伝来 ちなみに大阪美術倶楽部は旧鴻池家の跡地に立つ)
でかい瀬戸茶入は中興名物・不昧公箱の「鈴鹿山」、大瓶手(おおかめて 狼手とも)というのだそうだ。銘は新後撰集の鈴鹿の関を歌った和歌から。瓶というだけあってちょっと野暮くさい、といったら怒られそう(^_^;
茶杓はなんと蒲生氏郷という変化球。氏郷というと「少庵召出状」を連想やなあ。
主茶碗は蕎麦で鈍翁箱「真如堂」(この前行った)。一部窯変あり、御本っぽい色。
ちなみにお正客が先だって平安郷乾山光琳忌茶会の席をもたはった乾さん(乾汽船)であったので、余計に戸田さんとお話が弾まれて、同じ席で良かったと思った。
(我が家の紫陽花)
薄茶席は表千家
よって、表の歴代宗匠のお道具が並ぶ。印象的なのは藤田家伝来・覚々斎の瓢箪花入。ぞろりみたいで花が桔梗、仙翁、利休草とあとなにかひとつ。
脇床にあった硯箱の蓋の一部、滝の部分が四角く穴になっていて、ここに水銀を封入、蓋を動かすたびに中で流動するのが見えるという仕掛けは面白かった。
薄器が勝軍木庵光英(とても読めないと思うが<ぬるであんみつひで>と読む)という雲州松江の蒔絵師の瓢箪蒔絵である。表にも裏にもびっしり!の瓢箪。
茶杓は宗旦の長男・宗拙の2つ節「竹隠」。
若美津茶会のもう一つのお楽しみは点心のために、マイクロバスで移動してまで高麗橋吉兆でいただけること。大概の茶会の点心がお持ち帰りになっている昨今、これはうれしかったなあ。
そうそう、吉兆さんではいつも食前酒に梅酒がついてくるんだったな。点心じゃなくてコースの懐石をいただいたのはもう30年以上もまえのことだったかな(遠い目)。
鱧とじゅんさい、季節の椀物もいただいていて、お腹もいっぱいである。
帰りがけ吉兆さんが「来年もどうぞよろしく」と一人一人に声をかけてはった。飲食業界もほんまに苦しかったことと思う。来年も是非是非来られますように、と祈る。
<おまけ>
茶会前の時間つぶしに美術俱楽部近くの北浜・五感さんへ。(本店)もと銀行だったレトロ建築で、二階からの、この眺め好きだな。
祇園祭2022〜3年ぶりの(最近これっばっかり)粽作り - 2022.06.27 Mon

朝も早くから、届いた粽を作業場に運び込む保存会の方々、なんと前日からお泊まりだったとか。
会所となる大原神社、いつもは扉がしまっているが、もう早くもお祭りの雰囲気がただよいだす。
大量に積まれた粽の笹の匂い、ああ3年ぶりにやっと。
感無量である。
コロナ禍で思うに任せぬ祇園祭、一昨年はほぼ中止、昨年は鉾建て曳き初めまではなんとか。今年も例年通りとは行かないが、山鉾は巡行、宵宵山、宵山は催行、やっと祇園祭が帰ってくる。
保存会の方々がこしらえた大原神社のお札付きの熨斗を撒いていく作業から。ちなみに役員会はすでに2月3月から始動しているのである。今年巡行できるかどうかまだ定かでない頃から。
かくの如く、自分がもらってもうれしいように美しく巻くのだ。
大学生は学外活動として、またボランティアも含め人海戦術で。今年は3300本だそうだ。(一昨年まではネット販売のみだったので本数おさえてた)ちなみに長刀さんは10000本以上とか(^_^;まあね。
美しくないものは検品ではねられ巻き直し。販売する以上品物には万全の体制で。ここらへんどこの鉾もきっちりやってはると思うよ。
粽も太いのやら細いのやら個性があるので、巻くのにも頭を使う。う〜ん、昔の流れ作業の女工さんになった気分。
昔はお町内だけでせっせと作ってはったそうだ。今でもそんな鉾町もあるかもしれない。
粽作りも10年以上のキャリアをもつ?私としては、手早く美しく、、、(*^_^*)
見に行けなかったが、同じ頃大原神社で、正使、副使のくじ改めの練習。祭りが近づく雰囲気を思い切り感じる。
さて、一番難しいのはビニールの袋詰め。中の蘇民将来の紙縒りが裏返らないように、空気を抜くように裏もきれいに折りたたんで。これも私はちょっとベテラン(えっへん)(^-^)/
あと粽をいれる紙の袋に紐を掛けておしまい。これだけの人数がいると、お昼前にほぼ完了であった。
と、例年はここまででおにぎりもらってハイさよならだったが、今年から裏方のお手伝いもすることに。
会所二階の押し入れにはびっしり、行列の衣装がきれいにクリーニングされ、仕分けされておさまっている。衣装の点検から仕分けまで、裏でこんなに手間のかかる作業があるとは!
とりあえず7月7日の綾傘鉾稚児社参(八坂神社へお稚児さんの装束でお参りする)に用いる衣装を点検、繕いの必要な物は繕って。この写真はお稚児さんに傘をさしかける白丁さんの水干である。
また社参には役員は裃、お稚児さんのお父さん方も紋付き、なのでその衣装のセット組を。
今回は出さなかったが、宵山やお囃子方用の浴衣やまだまだ準備する物がいっぱい。あれ、たいへんそうやなあ、、、と思ってはいたが、実際ほんまに裏方仕事って重労働やね。華やかな巡行の陰でこんな仕事が行われている、というレポでした。
帰る道々、郭巨山や月鉾さん、放下鉾さんでも粽作りをされているようで、いやが上にも祇園祭モードにスイッチが入るのであった。
黒谷さんから紫陽花の真如堂2022 - 2022.06.26 Sun
毎度おなじみのご近所散歩だが、この季節紫陽花の楽しみがある。

金戒光明寺、通称くろ谷さんの山門、ノムラモミジが鮮やかだ。
春先と秋に赤くなるので一年に二度美味しい楓だが、野村さんが開発したのかと思ってた。「濃紫(のうむらさき)」からきてたんやなと、最近知った。
塔頭の瑞泉院の前の紫陽花もきれいだ。
くろ谷さんの墓地を登って、文殊塔のちょっと手前で左に折れる。ここは緑が美しい大好きな墓地コース(?)、つきあたりの門は塔頭・西雲院の門になる。
墓地の途中で、いつもここでご挨拶する贔屓さん。(重い物を背負うのが大好き。龍が生んだ9匹の神獣の一といわれる)
くろ谷さんには庸軒ゆかりの淀看席がある西翁院があるからね。墓所もここなんかなあ。(いまだ確かめたことなし)
西雲院は蓮の鉢がたくさんあるので、ここも好きなのだが、ちょっと早いかな。そのかわり、、、
なんだ?!これは??
というような地植えの黄金色の派手な花が!
立て札によると芭蕉科の雲南地湧金蓮という植物らしい。今年初めて開花したとか。植えたのは5年前、くろ谷さんの前にある花屋さんで購入とあった。ちょっと異国風がきついわあ。
西雲院さんから会津藩殉難者墓地で手を合わす。「八重の桜」以降訪れる人が増えた。
会津戦争で亡くなった人の魂によりそうごとき合歓の花。
そこを抜けると真如堂
青紅葉も美しい季節
その境内の東の端に紫陽花園がある。
なんでもいらなくなった鉢植えの紫陽花を供養していたらいつのまにか紫陽花の小さな森になったとか。
だから種類もさまざま
比較的最近できた紫陽花の隠れ名所なのだ。
しかもお寺の建物にまた似合うのだな、紫陽花。
ここで第二の人生を謳歌する紫陽花たち
この調子だとまだまだ増殖しそうだ、紫陽花コーナー(^_^;
しかもここからは我らが?大文字がみえるのよ。
我が青春の思い出の鐘楼に挨拶をして(残念ながらはいれなくなっている)
本堂へ
本堂前の菩提樹
花は過ぎていたが、ハゼの実みたいな実がいっぱいなっていた。これも毎年の楽しみ。
菩提樹あれば沙羅の木もあるよ。
菩提樹はお釈迦様が悟りを開かれたときにあった木、沙羅双樹は入滅の時にあった木で、いずれも仏教の三大聖樹とよばれる。
インドの沙羅双樹とは違うらしいが、夏椿というほうがぴったりね。
本堂前にだれかの忘れ物の虫取り網、夏やなあ。
茶所で休憩、いつもこのあたり猫が居るのだが、おらんなあ。
塔頭の覚円院の前で向井去来を偲び(去来の菩提寺)、、
そのまま門を出て西へ。
定点観測というか、ここの大黒さん、いつも確認するの。ああ、よかったまだ残ってる、と。
このお向かいに陽成天皇御陵がある。いままでなにげに通ってきたけれど、「伊勢物語」を学習した後では、おお!二条の后こと藤原高子の生んだ天皇だ!となんだか合点するのである。
吉田山荘のカフェ真古館で一服。コウモリクッキーがさらに漫画チックになっている。
ここもコロナの頃は好きな席に座れたが、時間も1時間以内とちょっとせちがらい。早くもコロナ最中のがら空き京都が懐かしい。(おこられるかもしれんが)
ふたたびくろ谷さんに戻って、本堂のこれも大好き渡海文殊像を拝む(獅子騎乗文殊に脇侍4名)。残念ながら善財童子君だけは近年の補填なんだよね。
そしてここの手水も、、、、いつのまにかアヒルだらけだ〜〜!
久々にcomme ci comme çaでディナー - 2022.06.25 Sat
コロナやなんやでなかなか行けなかった月一グルメ倶楽部(会員2名)、久々に徒歩圏内のフレンチcomme ci comme çaにて開催。

いつも前だけは通るのよ。私は久しぶりだけれど相方はちょくちょくランチにいっているらしい。昔は東山二条にあって岡崎に移転されたのはもう7年前なのね。
リノベの前の民家だった時代をしっているので、こんなオサレなレストランになったとは感慨深い。ちなみに以前住んでいた方がこられて懐かしそうにここは風呂場だった、とかお話されたとか。
ご主人はシェフでマダムはお話し上手、客との距離感が上手なお店ってほんと安心できるわ。
例によって食材についてはあまり記憶していないのであしからず。
まずは食前アミューズのロワイヤル(西洋茶碗蒸し)に柑橘系のジュレだったかしら。
パンにつけるオリーブのペースト(黒オリーブ+アンチョビー+α)がめちゃ酒盗で、そのまま舐めて、おかわりして、しかも相方のまで食べるという、、、。ううっ!ワインに合う(きっと日本酒にも合う←日本酒党です)
おお〜!トリュフだトリュフだ!
下に隠れているのがなんと鮎!ちゃんと頭までついていた。コーンソースで。
なんと言うことでしょう。中がなにか記憶にない(^_^;
ここらへんで食べるスピードがはやいですねえと指摘される。そう、いつも言われる。(実際早いのだ。早飯早○○どこでも寝られるは職業柄。)ゆっくり味わいながら食べるのが習性としてできないので、何食べたか覚えてなくて、美味しかったという記憶のみ。この性格はもう修正不可。
バゲットスライスの上にフォアグラ。
残念ながらフォアグラだけはどんなに☆がついているレストランでもよう食べんのだ。で、処理は相方に。御免ね。でも下のバゲットはソースがしみて美味しかったよ。
お魚の下はラタトゥイユになっていて、これ一番美味しかったわ〜。
メインのお肉が出てくる前にでてきたカトラリーはラギオール(フランスのラギオール村で作られる)。このどうしてもハエか蝉にみえるけど実は蜂のマークが目印。
牛肉か鹿肉か選べるメイン、鹿肉をチョイス。赤ワイン+サクランボのソース。奈良では食べられそうもないわね(^_^; (鳥取産の鹿でした) そう、鹿肉は意外といけるのだ。しかも脂っこくない。
デザートの前のアミューズにチーズかタイ風カレーか、後者をチョイス。なぜなら胃袋がフランス人じゃないのでチーズはもひとつ苦手。かわいらしいサイズのカレーで(タイのグリーンカレーっぽい)お腹にもちょうど。
さらにさらにプチブリュレ!この上の砂糖を溶かしたパリパリの層が好きなんだ。
デザートは、これも選べたが、オレンジ+紅茶ゼリー。最後を締めるのにぴったりの爽やかさ。上に乗っているオレンジキャラメリゼが美味しかったよぅ。
小さな御菓子とともにエスプレッソ。ここのシェフはお菓子も作らはる。
お菓子も含めた品数を考えると、すごい種類の食材で、いずれも手間がかかっている。家庭ではまずできんわなあ。特に私は。ほんとうに料理人さんには頭が下がる。心地よい空間、マダムの気配りの会話、そして美味しいフレンチをごちそうさまでした!
水無月・夕ざり茶事2022 - 2022.06.23 Thu

水無月?雨と水の茶事、、、、ってこの日はとても良い天気で舞台装置に困ったのだが(^_^;
この季節、私はにわか茅の輪師になる。
大きい人がくぐれるようなのは作る力がないので、せいぜいスリムな人がくぐれるくらいのを。芯は桶のたがである。
水引で締めながらなんとか形にする。
そして水無月の茶席にかけるのである。お客様に夏越しの祓の雰囲気を。
待合の座敷は網代を敷いて、葦戸にかえて、すっかり夏座敷に変えた。お茶はやはり炉の方が好きなのだが、この夏の風情も捨てがたいと毎年思うのである。
待合の陶俑に持たせた今回の百人一首はやっぱり「禊ぎぞ夏のしるしなりける」でしょう。(ここでいう禊ぎは御手洗川の水無月祓=夏越祓)
梅雨入りしたので露地の苔は絶好調である。メンテが毎日たいへんなのだが。先日は大原野までわざわざ補う苔を買いに行ったし。常々言っているが私の茶事は5割が露地なんである。(3割懐石 2割お茶)
裏庭の山紫陽花は時期を過ぎてしまったので、西洋紫陽花を。昔鉢植えを買ったのだが、地植えにしてから今ではかなりの大木になった紫陽花だ。
クーラーのない茶室対策として、水屋の冷気を送るべく、襖を外して簾にかえる涙ぐましい努力。この簾、昨年久保田美簾堂さんに相談して誂えた特注品、見た目も涼味を添えて大正解だった。
炭手前で、釜に先日貴船でいただいた御神水を投入。全部御神水は無理なので何%かになるが(^_^;
懐石は、手渡し大盛りにせずちまちまと小皿を使うのが楽しく、器も色々そろってきた。コロナがおわっても、これ、残したいなあ。
御菩薩焼(古清水の一つ)、古伊万里、バカラのグラス。他に雲鶴ぐい飲みなども使う。
お酒の飲めない方用に、水をいれる容器も夏ならではのガラス(私の好きな小澄正雄)瓶。(実は先日平金さんとこで見て、うちにあったの思い出して発掘(^_^;)
懐石の締めの主菓子は、、、これも昨年みのり菓子さんに作っていただいて、すごく印象に残ったので、今年もアゲイン。
美しいわ〜 o(≧▽≦)o .(もちろん美味しい)
銘を「雨足」にするか「雨の足跡」にするか。
後座は灯火投入したものの、なにしろ夏至に近いこの日、茶室内はなんとか、でも外に出ると終わりまで明るくて明るくて、、、露地に灯火をいれるのも諦めた。
干菓子は水辺の蛍狩りを表したかったのだが、、、ちょっとごちゃごちゃしすぎたと反省。(亀廣保)
4時間ジャストで茶事もお開き、席からでられるお客様。これを簾越しに眺められるって、夏茶事も捨てた物ではない。とはいえ、暑い中、我慢大会みたいな茶事によくお付き合いくださったことに感謝。みなさん、お茶を熱心にされているので(学園関係者とか(^_^;)またおよびいただけることを楽しみにしてま〜す。
お開き後の水菓子にかえて、我が家の梅で作った梅シロップ使用梅ゼリーを。
7月8月はちょっと茶事はお休み。また秋に。
壺阪寺〜霊験記って明治の浄瑠璃だった! - 2022.06.22 Wed
京都から車で2時間弱、鶯の声も聞こえるここは別天地の山の中である。
「壺坂霊験記」って名前からして平安か鎌倉の絵巻物だとてっきり思っていた。「枕草子」にも「寺は壺阪、笠置、法輪」とあるし。ところがこれって明治時代に書かれた浄瑠璃だったのね〜!びっくり。

かくして壺阪寺へはるばるやってきたのである。
なんなんだ、このちょっと異国風の仏像の数々は、、、と思ったらこれは平成の時代、インドからやってきた大仏さんなのだそうだ。
境内は紫陽花の鉢植えや地植えのが今を盛りである。
寺としての起源は古く、奈良時代の元興寺の上人が建てたという。枕草子に書かれているごとく、長谷寺の観音様と同じくらいの信仰を集めたという。その後戦国時代に荒廃、慶長になって豊臣秀長の家臣で高取城主・本多俊政の尽力により復興したという。
寺にはあちこちにインドから渡来したらしき異国風の建築物やモニュメントがあるのだが、これは当寺が行っているインドのハンセン氏病救済活動の交流から生まれた物らしい。なんと明日香もぶっちぎり、ほとんど吉野に近いこんな所で異国のインドと出会うとは!
重要文化財クラスの建物の中に異国趣味の物もまざって一種独特の雰囲気があるね。
右手の上にみえるのがその重要文化財の三重塔である。手前のはおどろくなかれ平成にできた多宝塔。
いや、景色にすっかり溶け込んでるので、古い建物かと思ったくらいしっくり。
さて、「壺坂霊験記」の話だが、盲目の座頭・沢市と女房お里の、お互いを思うあまりのすれ違い悲劇なのだが、そこは壺阪の観音様の霊験により救われるというお話である。
「妻は夫をいたわりつ、夫は妻に慕いつつ、、、」というかの有名な浪花節のフレーズは、このはなしだったのか〜。ええ年しとるけど、世の中まだまだ知らん事が多いわ。
見事な懸崖作りだが、おそらくこれも平成になってのものと思われる。
ちなみにお寺のパンフレットにはこの天竺渡来の大仏さんが未だできていない写真が載っていて、こんなんだったんか〜と想像できる。
紫陽花は鉢植えも良いが、やはり地植えの紫陽花の小径の方が楽しい。
いよいよ重要文化財の三重塔、なんと室町時代の再建なのだ。お向かいの、同じ重要文化財の礼堂も室町時代の建築だが、江戸時代に大改修がはいっているそうだ。(その後昭和に室町時代の形式に復活されたとか)
室町(1497年)の建物と思うとよくぞ残ってくれたと思う。(あ、奈良市内のもっと古いのを何度も見てたっけ(^_^;)
本堂の八角円堂は江戸時代の再建。
入り口に鎌倉時代の不動明王像あり、ご本尊はふっくらとした十一面千手観音さま。平安時代作と伝わる。八角堂は外回りをぐるりと歩く。
葛城の町が一望にでき、野鳥の声もかまびすしく、緑も深い景色が楽しめた。
眼病に御利益があるそうで、奈良時代の元正女帝(即位前は氷高皇女、聖武天皇の伯母 美貌の女帝といわれる)が眼病平癒祈願されたといわれる。そんな歴史の上に沢市・お里の壺坂霊験記はできたのだろうね。
振り返ると緑が雨にあらわれてしっとり美しい。
地植えの紫陽花はまだ少し早いようだ。
鉢植えの紫陽花にもおいとまを。
あら、入り口の横で外猫らしい二匹が中へ入れてくれ〜アピール。残念ながら閉め出され、八つ当たりでケンカ中(^_^; こんな山のなかにも猫はいる。
帰り薔薇で有名なおふさ(小房)観音にも行きたかったがタイムアウトであきらめた。
讃州にて官休庵の茶事 - 2022.06.20 Mon
私は岡山の産なのだが、実は瀬戸大橋をわたるのは初めて。

小学生の遠足が高松の栗林公園だったりしたのだが、宇高フェリーの時代でしたのよ、おほほ(^_^;
関西にいってから、渡る用事もなかったし。なので初瀬戸大橋に興奮。
「鎌倉殿の13人」も見ていることだし、かの有名な屋島ってどれ?どれ?ときょろきょろ。屋島も行った記憶があって、島の形は覚えているのだが。
と、思ったら屋島って地続きだったのね(^_^;高松駅に着いたら見えたわ。でも江戸時代までは島で、もちろん源平合戦の時はやっぱり「島」だったのだ。ウン十年ぶりの讃岐である。
さて、そんな屋島の近くに二足のわらじを履いている官休庵の「先生」のお茶事に、師匠に連れて行っていただいた。
お稽古や茶事茶会のためだけの建築で、先生がご自分でデザインして作られたすごい建物だった。小間もあれば広間もたぶんいくつか、腰掛け待合が露地に2つ、室内にもあったような。
待合には応挙の鮎図、煙草盆+火入の絵付けが三好木屑(もくしょう)という大阪の指物師というのは初めて聞いたお名前で学習。三代木津宗詮(聿斎・建築でも有名で貞明皇后の秋泉御茶席作った人)に官休庵の茶の湯を習ったというから、やはり官休庵ゆかりの方。
待合の戸を開けるとそこにはまぶしい緑の露地。
露地の植栽は町中とは思われず、大きな杉の木が小間の躙り口近くにあったのが印象的。
我々がすわる腰掛け待合の足下のたたきに切り込みを入れて、露地をはしる小さな流れを通していたのには驚く。こんなの見るの初めて。
青々としたシュロ箒、蕨ほうきまで完備、円座はもちろん讃岐円座〜♪(お尻に敷くより頭に載せたいお値段)
席入りの前、官休庵では座掃きの音をざっざっと聞かせると聞いたが、そのとおりだったので感激。そういえば官休庵の茶事は初めてだ。
小間の茶室は三畳(上げ台目)中板、中柱、客座は片流れの駆け込み天井。う〜ん、建築士のI君を連れて来たい(^_^; 茶室に電灯器具は一切無く、雨模様だった茶室の中は良い感じに暗い。(ただ懐石の色がワカラナイ)
釜は定林の切り掛けだが、風炉の肩のところに唐草や法相華?みたいな透かしが全周にはいっていて、どこか西洋風でとてもすてきだった。
軸は官休庵六代真伯(江戸初期〜中期)の「斧頭元是鉄」。(大燈国師語録)
だ、、だから何?とシロウトは聞き返したくなるのが禅語だよね(^_^;
ここから怒濤の官休庵歴代の名前がでてきて、聞き慣れないものだから頭の中ごっちゃごちゃ。(間違ったらごめんなさい。)
懐石向付は古伊万里(初期伊万里?)の無地の杯みたいな形。(小ぶりなので焼物とかいれるの苦労した)煮物椀のアワビ厚切りと、炊き合わせの蛸の足が柔らかくて美味しくて感激。お酒は香川の地酒・凱陣というのをご用意くださった。
主菓子は先生お手製の抹茶色のきんとん「早苗」。
そして今回一番のご馳走は、炭手前の香合である。
「名取川香合」
埋もれ木で5つ半作った、というエピソードをいつかの乾山光琳忌茶会で聞いてかすかに記憶があったが、官休庵では「かの有名な、、」で語られる香合なのである。
仙台藩が宮中に治めた埋もれ木(太古の大木の化石、仙台名産)が九条家を通じて下賜され、官休庵七代・直斎が四代宗哲に6つ作らせた物で、一つだけ木が足りず、蓋だけ作ったというシロモノ。
長方形で錫縁、蓋をあけると底に細かい波の蒔絵、蓋裏に「名取川」の朱書。本歌は四代宗哲だが、これは後の写しで五代宗哲によるものだとのこと。
今回、しっかり逸話を復習した。(たぶんすぐ忘れる、、、)
後座の花は夏椿、直斎の竹一重切にて。
透かし入りの風炉にあわせるのは古備前の種壺水指かな。
主茶碗は失念したがたぶん官休庵歴代のだれかの手びねり黒楽だったような。茶入が真塗小棗、これは木津宗詮聿斎?(ここらへんもうごっちゃで覚え切れんかった)茶杓が初座の軸を書いた真伯で銘を「筧」。
お干菓子は誂え、、というか木型から誂えたという「抱杏葉紋」、一見抱茗荷に見えたが、こちらの小間席の名前に「杏」の字が入るので、そこから作られたという。(ちなみに先生の本業は「杏林」)
薄茶の茶碗がたくさんでてきたが、一番印象的だったのは(私には珍しく絵茶碗で)古清水を彷彿とさせる理兵衛(理平)焼の小碗。理平焼は高松藩のお庭焼として作られたそうだが、古清水連想は理平のルーツが粟田焼、仁清焼なので、まちがいじゃない。ブルーと緑系の独特な色彩でかわいらしかった。持って帰るとしたら、これやな、、、と勝手な想像(^_^;
かくしてリズムよく茶事は進行しお開きとなり、ふたたび瀬戸大橋を渡って、讃州を後にした。
いや、官休庵まみれの楽しい一日だったわ。先生、師匠、ありがとう!
嵐山・福田美術館〜嵯峨文華館 - 2022.06.18 Sat
梅雨の晴れ間の嵐山

ちょっと前まではだれも人が通っていない渡月橋の写真が撮れたものだが、今は特に修学旅行生でにぎわっている。
この開放感のある眺めはどうしてもスマホのカメラでは再現できんなあ。是非現地へどうぞ〜。
嵐山の立ち寄りポイントとしてすっかり定着した福田美術館へ。
ここのロケーションと建物はいつみてもいいなあと思う。
2F通路からの眺め、嵐山も渡月橋も一望のもと。ガラスに線が入っているのは景観保護法かなにかのしばりで、透明にはできないのだそうだ。
今回の展示は「やっぱり、京都が好き」という少々観光客キャッチー(^_^;なタイトル。
京都在住で京都で活躍した画家〜松園、栖鳳、竹喬、若冲、応挙、鉄斎などなど〜から、京都を愛して長期滞在で画題をもとめた画家〜大観、平山郁夫、など、、あ、やっぱり京都で活躍した人の方が圧倒的に多いわね。
こちらの美術館も一部を除き撮影OK。撮影できるとなるとかえって撮らなくなるのはなぜだろう??スマホのカメラではあまりに再現性がないから、やっぱりしっかり目に心に捉えておかねば。
画題が京都の四季、景色、伝統行事だったりするので、(ここの土地柄嵐山の風景多し)現物を知っている地元の人も、京都がお好きな観光客にも受けると思うよ。
入り口入った所の玉堂、大観、栖鳳の一連合作の「雪月花」。大観の「月」のブルーが鮮烈、印象的だった。
3Fのギャラリーで京都の和菓子老舗の掛け紙の展示あり。
季節により御菓子により、掛け紙をかえるのだが、その原画をなだたる京都の画家が手がけていることが多い。
意外な人が意外な掛け紙を描いてたりして、この展示は面白かった。
鶴屋吉信さんの看板菓子・柚子餅は鉄斎だったのか。
現代琳派の旗手・雪佳はんももちろん描いてはるわなあ。
ここのカフェはおすすめ、なにせガラスに線の入っていない唯一すっきり渡月橋の景色が眺められるから。
カフェの前の水盤の向こうに鮮やかな紫陽花。
7月3日までですよ。
渡月橋からさらに上にあがって、嵐山吉兆の前を通り過ぎて(^_^;、、
嵯峨嵐山文華館へ。
ここはリニューアルされる前は小倉百人一首をメインテーマにした美術館だったので、その名残があちこちにあるのがうれしい。
今期の展示は「花ごよみ」、近代日本画の大家の花鳥風月、作家さんは福田美術館とかなりかぶる。
日本画の花を見ていると、西洋絵画との違いはどこで生まれたのかな、といつも思う。生まれ育った風土でやはり日本画の描写の方がしっくりくるのだが、西洋人でも日本画がとても好きな人はいるわけで、育った風土が違うのに、どうして理解できるのだろうと、変かもしれないが(^_^;いつも謎に思っている。
そして百人一首コーナー。
ここの百人の歌人の人形がとても生き生きして見るのが楽しみなのだ。
装束も、ポーズもすごく工夫がしてあって見飽きない。歌の方も高校時代覚えた歌がちゃんと口をついて出てくるのもうれしい。(古典教育は必要!なくさないでくれ!)
我がアイドル納言ちゃん(清少納言)
今回この待賢門院堀河の鏡を見る艶めいたポーズがとても印象に残った。
歌も艶っぽいしね。(長からむ心も知らず黒髪の乱れて今朝はものをこそ思へ)
ここのカフェも景色がいいので、気候のよいときには是非。
其中庵さんの「伊勢物語」茶事 - 2022.06.16 Thu
今年は「伊勢物語」茶事茶会がおおはやり?
かくいう私も4月に伊勢物語茶事をいたしましたが、なにはともあれ日本の古典文学の教養を共通認識として持つことはとても大事な事だと思う。
実は其中庵さんは伊勢物語ど真ん中のお宝をかねてよりお持ちで、何度かみせていただいたが、伊勢物語の文脈で語られることがなかったのだ。今回それに気づかれて「伊勢物語」茶事を思いつかれた。

待合の軸はやはり<東下り>の富士山ですよね。(狩野探幽)よく見ればテーブルが八つ橋の形になっていて、いけられた花も杜若ではないけど杜若系の菖蒲、いよいよ<八つ橋>
火入れが永楽の冠手(古染めの写し)とくればやっぱり<初冠>(*^_^*)
こちらの屏風が江戸期くらいの三十六歌仙の歌と絵がちりばめられているもので、ちゃんとありましたよ在五中将業平さま。(世の中にたえて桜のなかりせば、、、の歌)
見るたびに植栽の整う露地にて迎付け。
芳中の満月を見上げる公達の絵は画題がないものの、其中庵さんは都より東、伊勢の斎宮(恬子内親王=惟喬親王の妹 いずれも藤原氏の策略で前途を閉ざされている)を思って見ている月ではないかと。私は「月やあらぬ花や昔の花ならぬ 我が身一つはもとの身にして」と思った(この場合相手は藤原高子 のちの清和天皇皇后)。伊勢の斎宮のエピソードは伊勢物語初心者にはちょっとハードルが高いから。
初代瓢阿のぞろりとしたうつぼ籠にいれられたのは、めずらしい源平のシモツケ、赤いホタルブクロ、トラノオ、そして撫子。
今回の伊勢のメインテーマが<蛍>で、(これもちょっとハードル高い)業平を一目見ただけなのに恋をして、恋しさのあまり亡くなってしまう(片思いのまま死んじゃうって、どれだけあの時代の女性は弱いねん、、)お姫様の話。その父親が業平にどうか娘と会ってくれと懇願する文には唐撫子(正確にはセキチク)が添えられていた、という事を踏まえて。
懐石はいつもの中尾さん。
鱧の上にのっているのはつむぎ草。
今回も垂涎の懐石道具もあれこれ使っていただいた。石杯のオールドラリックの乳白色のちょっとはいったグラスは小さな魚のレリーフが細かくはいってかわいかったわ❤️
お酒まで凝っていて、「月の桂」にごりのスパークリング。美味しい。当日社長が直々に届けてくださったものだそうだ。伊勢では斎王にあがった恬子内親王を「月の桂」とたとえているから。
目には見て 手にはとられぬ月のうちの桂のごとき君にぞありける
八寸ではお肴に「杜若」のクセの部分のお謡いただきました。
♪ いとどしく過ぎにし方の恋しきに うらやましくも帰る波かな、、、
このクセの部分は伊勢の和歌が一杯ちりばめられているので圧巻なのだ。
ご亭主の力作、遠山の灰形はやはり富士を連想させる。今回は風炉中拝見も乞いまして、美しい灰形を堪能。
香合が時代の秋草蒔絵、蓋裏に舟。<武蔵野>か<芥川>を連想させる。
(芥川が個人的には一番すきな段なの 露とこたへてけなましものを、、、)
釜敷きが意味ありげに弓弦巻だったのは、、、実は(後ほど)
主菓子のサーブの仕方が乙女で萌え萌え(*^_^*)
八つ橋に杜若〜♪ 老松さん製「むかしをとこ」
後座入りはお鳴り物などで、と乞うがこれがでてくるとは思わなかった!!びっくり!
鳴弦なのだ。平安時代弓の弦をならして邪気を払うまじない、<芥川>で高子をさらって野原の小屋の中に隠して、鬼が来ないように業平は鳴弦している。(でも鬼=藤原の兄達にとりもどされるけど)わざわざ、この弓を調達してくださったお手間がありがたい。
後座の濃茶では、でました、真打ち!古瀬戸伊予簾手茶入「忘れ草」
(私は昔これを光悦会で見た)
三井伊皿子家伝来、遠州・江月両筆添書付きというきらびやかさ。
遠州の歌名こそ伊勢物語の「忘れ草 おふる野辺とは見るらめど こはしのぶなり 後もたのまむ」
この茶事で使ってこそ、しっくりくるものだったのだ、とちょっと感激。ちなみに歌は後涼殿でさしだされた(おそらく)入内した高子からの謎かけにたいする答え。忘れてませんよ〜ずっと忍んで思ってますよ〜という感じ。
軸は尊円法親王(鎌倉時代)和漢朗詠集・蛍
白珠裂(名古屋の料亭志ら玉のご主人よりもらって軸装されたそうです、、、白玉!)
ここからは<蛍>全開で、主茶碗も蛍がでそうな「玉川」(刷毛目 内側が粉引っぽくて渋いやつ)、茶杓が官休庵7代直斎「筧」
そして干菓子が、唐撫子の花が添えられた文である。
薄茶はそれぞれ違う茶碗で、私は瀬戸の菊花天目でいただく。これは内側の釉薬が菊の花弁のようになだれている茶碗で、菊花天目とはよくいったものだと感心する。
ちなみに銘が「神垣」。伊勢斎宮に仕える女房の歌
ちはやぶる 神の斎垣も越えぬべし、、、から。
今回の伊勢は何度も読んで挑んだにもかかわらず、ちょっと隙をつかれた〜やられた〜という感じで、其中庵さん、さすがでございました。なにより「忘れ草」の居場所がはっきりした感じで(自分の道具ではないにも関わらず)うれしゅうございましたよ。
夏の夜の 消えまたともる蛍火に 大宮人の恋を偲ばむ (腰折れ)
水の貴船2022 - 2022.06.14 Tue
毎年6月になると貴船に行く。
昨年は、数年前の台風被害で叡電は市原までしか行かず、そこから先は歩いてバスの振り替えで、、、と貴船は結構遠かった。今年はようやく復旧なった叡電に乗って、緑のトンネルも楽しめる。
久々の貴船口駅、ここからまたバスで貴船神社まで。
貴船神社周辺に着くと気温は数度下がる。そして湿度はうなぎ登り。
過飽和の水がこらえきれずにとうとう雨がふりだした。(下界は晴れていたものだから傘がない)
緑と高い湿度の貴船神社
お祀りされているのも高龗神(たかおかのかみ)、水の神様である。この地にかつて黄色い船(黄船=貴船)にのって玉依姫様が降り立った、、、そんな京都の奥座敷。
お参りした後であふれるばかりの御神水を頂戴する。
冷たく清冽な水は是非茶席に使いたいもの。
水に浮かべると文字が浮き出る水占みくじもあるよ。
細かい雨はぬれても平気、また緑の一段と美しいこと
ここから鞍馬寺へつらなる木の根道もある。(学生時代よく歩いた)
神社の境内で昭和11年に奉納された能の演目を書いた額を発見。三輪、通小町、小原御幸、鉄輪、それからご当地鞍馬天狗、いずれも有名な演目ばかり、かつてはどこの神社でも演能されていたのだな。
門の入り口に桂の葉。
御神水を容器4本につめこんでリュックを背負う。(あやしい行商人っぽく(^_^;)これは今度の茶事に使う。
ここらには早くもでている川床が点在する。京都の奥座敷なので川床(かわどこ)、つまり床の間なのだ。ちなみに鴨川の川床はかわゆか、というらしい。
去年も満開のユキノシタを楽しんだっけ。水を好む植物なのだ。
ランチのため一軒に入る。あ、、去年も来たとこだ。なぜか同じ店に。
食事をするそばに清流が音を立てて流れる。もっと暑きときには靴下を脱いで足を遊ばせるのだが、雨だし、ちょっとまだ肌寒い。
鮎の塩焼きもいただく。
天井は葦簀が敷いてあるが、時折ぽたっと雨の滴がおちてくる。あはは、、ちょっと早かったかな〜寒いわ〜。そういえばここに来るのはほとんど6月、水=雨〜の連想で。
できればこんどは秋の紅葉のころにもきたいな〜と思うのであった。
店の中には鞍馬の火祭の松明のミニチュアがあり、ご主人曰く、今年は火祭りあります、とのこと。久々に行ってみようかな。コロナ以前より人は少ないかな。

リュックに背負って持って帰った御神水(*^_^*)
町に帰ったら空がからっと晴れててびっくり。
もとめた水占をいれる袋の模様が、なんとなく波?水紋?と思っていたが、よく見ると「きふね」の文字なのね〜。
3年ぶりの(これ多いな、、)京都薪能2022〜平安神宮 - 2022.06.12 Sun
平安神宮薪能が3年ぶりに帰ってきた!

18時開演だが17時開場の前にすでにたくさんの行列ができていたのには驚いた。みなさん、待ってました!の心境なのだろう。こんなに能楽がさかんな都市を他に知らない。(知らないだけかも〜(^_^;)
開場と同時にほぼ満員状態、けっこう密々だが、屋外だし。例年と違うのはクリアファイル付きのパンフレットがないこと、それを売り歩く、よくTVや舞台でお見かけする能楽師さん狂言師さんが見られないこと、かな。京都薪能は運営、切符のもぎり、アナウンス、案内などすべての雑用まで能楽師さんがこなされる。意外と大物さんがもぎりやってたりするから、さがすと面白いよ。
毎年始まるときには西日で暑く、日が落ちると寒くてこごえる年もあるから、防寒対策バッチリでいったが、今年は暑くも寒くもなく良い具合であった。
公演に先だって京都能楽会理事・京都薪能世話役の井上裕久師のご挨拶。感無量の面持ち、「この日を待っておりました!」と。客席からは大きな拍手、こちらも胸にせまるものがある。センテンス毎にはいる英語の翻訳アナウンスに「はい、どうぞ!」と合いの手をいれるこのユーモラスなかけあいも3年前のまま。
能楽師が舞台に立てないとは、収入問題もさることながら、陸にあがった魚の如く、どうしろというのか。うちのお能の師匠を見ていても、そのつらさはうかがい知ることができた。
このたびはれて久々の薪能、毎年の行事が毎年同じようにできることの貴重さを、このコロナの2年間でみんな思い知った。
私がいった2日目の演目は「養老」、「龍田」、狂言「福の神」、「小鍛治」である。いずれも内容はほぼ知っている演目。薪能は半能というかダイジェスト版なので、じっくり見るというより、この場の雰囲気、劇場ではみられない風に翻る衣装、かがり火にてらされた演者達を楽しむためにあるようなもの。
ポスターは「龍田」の秋を司る龍田姫である。
ストーリーというものはほぼなくて、秋の女神龍田姫の神楽を見て脳内に一面の紅葉を想像するのである。金剛流家元・金剛永謹師。
竜田川紅葉乱れて流るめり 渡らば錦 中や絶えなむ (詠みひとしらず)
竜田川紅葉を閉ずる薄氷 渡らばそれも中や絶えなむ (藤原家隆)
日も落ちて、空の色がかわる。火入れ式で平安神宮のご神火が薪に移される。
「養老」は養老の滝縁起、観世流吉浪師。小書に「水波之伝」とあって、本来後シテが山神さまだけなのに、楊柳観音がでてくるバリエーション。天女の舞と勇壮な神舞の二度美味しいパターン。これなにかに似てる、そうだ、「加茂」だわ。鴨御祖神社の優美な女神と、荒々しい加茂別雷神がでてくるやつ。
最後が大好きな「小鍛治」
三条小鍛治宗近(長刀鉾の長刀もこの人)が打つ勅剣の相槌を稲荷山の霊狐がつとめて、打った刀は「小狐丸」。ご近所に相槌稲荷(粟田神社の向かい側くらい)があるので、なにかと親近感。天冠に狐をいただく白髪(白頭の小書、普通は赤髪)のかっこよさ。そういえば宗近の子孫の包丁製造販売の店(その名も三条小鍛治宗近)は若草山の麓にあって先だって前を通ったばかり。
かがり火に照らされて見る舞は格別やな。しかも衣装は金糸がきらきらととてもよく映える。昔はみなこんな状況で演能されていたのだ。
お開きになるころにはあたりはすっかり夜である。
提灯のあかりもなにやら幻想的な宵。
観世、金剛に奈良なら金春もはいるだろうなとなどと思いつつ平安神宮をあとにする。
舞台の上に細い三日月
来年も必ず見に来られますように。
3年ぶり乾山光琳忌茶会2022〜嵯峨・平安郷 - 2022.06.10 Fri
嵯峨の平安郷、毎年乾山、光琳兄弟の忌日(同じ日!)6月2日前後に茶会がおこなわれていたが、コロナで2年間おやすみ。今年久々に、規模を縮小しても行われるとのことで、喜んででかける。

平安貴族も愛した月の名所である。平安中期、宇多天皇の皇子・寛朝僧正が建立した遍昭寺の境内に人工的に作った池。今日も良い天気で美しい嵯峨の景色だ。(歴史的風景保存地区)
その畔にある平安郷、3万坪という広大な敷地に点在する茶室で、例年は濃茶、薄茶席二席、点心席があるのだが、縮小バージョンとして濃茶席、薄茶席、点心はお持ち帰り、、、である。残念だが人数を絞っているため、例年の長い待ち時間がほぼゼロという利点も。
敷地内はマイクロバスで移動、ここは濃茶席の待合。
広沢池が一望できる特等席で、この待合もひさしぶり〜。また来ることができて感激である。ああ、なんて気持ちの良い。
中の茶屋の濃茶席の席主は乾山荘。神戸海運業の大財閥乾家(乾汽船)のお宝がならぶ。
昨年会長であった乾英文氏が亡くなり、その追悼の意味もこめて。
ちなみに英文氏のお父上、乾豊彦氏は数寄者で茶人としても有名、光悦会の肝いりでもあった。いつか最近の社長さんはゴルフばっかりしてお茶しないからあかんな〜という話をしたら、乾さん(豊彦さん)は茶人でもあり、日本ゴルフ協会の名誉会長ですよ、とだれかにいわれたことを思い出すなあ。
乾家につたわるお宝はまた半端ない。
小間で拝見した有楽の一重切花入れは黒くつやつやで、夏椿の白がとてもよくうつる。
宗旦の釜師・西村九兵衛の宗旦所持四方釜は藤田家伝来。これをちゃんと火に掛けて湯をわかしてくれているからありがたい。風炉の灰は官休庵の霰灰で美しい。そばに堂々たる伊賀の水指。
よく残ったね、と言いたくなるのがやつれて黒くなった石州の竹蓋置。
主茶碗はのんこうの蛇蝎釉がうねうねとまさに銘「荒磯」の景色、ここらへん光悦の影響もうけているだろうな。
さて、ハイライトはなんといっても瀬戸茶入、もちろん広沢手(広沢池の隣だもん)。遠州の箱は「草枕」。
これについていた遠州の小さな歌色紙が絶品だった。(私の中で)
10cm四方の料紙は撫子の花、上にうっすら三日月
「旅行のこころを 草枕 夕べ夕べに敷き捨てて 変わる野山の月を見るかな」
そして茶入の銘を草枕、、、と。こういうのを見ると日本人に生まれて良かった〜とさえ思う。
茶杓は乾山(乾山忌だし)共筒「落雁」。けっこうすごい蟻腰。
忘れてならないのが本席の軸「波上観音」、室町の画僧・雪村である。波の上を蓮弁にのった観音様の穏やかなお顔。
控えの釜(実際にお点前に使われた)ですらなにげに古芦屋だものなあ。
マイクロバスでまた移動、上の茶屋・MOA美術館席へ。
ここの茶屋の前の景色が好きなのだ。
軸は酒井抱一が大田南畝に宛てた光琳忌の文と、本席では光琳の「波に白鷺図」。
煙草盆の蒔絵が曳舟蒔絵で、まさにこの景色、広沢池に係留されている小舟の景色。これをのせる行李蓋の煙草盆が自然の松の根元を使っているので、穴があいたり節があったりと面白い景色。
仁清の下蕪の花入れにはシモツケ、ホタルブクロ。
徳元の風炉釜は金銀の象嵌入りで色も形も華やか、甲冑師だしなあ。
大好きな古染の葡萄棚水指でた〜!野村のはもっとかせているけれど、MOAのはホツが口周りだけで、ほぼ完品にちかいのではないか。
主茶碗が膳所光悦。これは光悦が単に膳所で焼いた物と思っていたが、なんと家光の品川東海寺お成りの時に遠州が光悦に膳所窯(遠州七窯の一)でやかせた(もしくは膳所の土を使った)二つの内の一つだという。(もう一つは個人蔵)白っぽい部分に茶色のぶちがはいって、個人的にはちょっと、、(^_^;
替え茶碗の黄伊羅保はよかったなあ、ほんま。
茶杓は桂宮家仁親王(江戸中期の宮)、銘を「みなれさほ」
どゆ意味???と思ったが、<水慣れ棹>だったのね。曳舟といい、棹といい納得。
ああ、やっぱりいいもん見るとこころが潤うわ〜。
ちなみに持ち帰って家でいただいた点心はこちら。吉兆さんので美味しかった。
帰り道の広沢池のほとりにはタチアオイがもう咲いて、天候といいもう真夏の雰囲気であった。
<おまけ> 遍昭寺について
広沢の池を擁した寛朝僧正の遍昭寺は、かつて大きな堂宇を誇ったが、荒廃、応仁の乱で廃寺となったが、江戸時代縮小復興され現在に至る。広沢の池を少し南に下ったところにある。
山号は当然ながら広沢山
平安の往時を偲ぶよすがはもうないが、嵯峨にたたずむしずかなお寺である。
マダムの中国茶会 at 岡崎・好日居 - 2022.06.08 Wed

最近ちょっとご無沙汰しているけれど、かつて中国茶教室によく通った岡崎の好日居さん。なんと先だって我が家の茶事においでくださったマダムがお礼にとちょっとした茶会をここでします、、、とのことで久々に。(全然ちょっとした、、ではなくてすごい!だったけど(^_^;)
中身は完全に茶事仕立て
茅の輪ならぬ山の蔓で作った輪からはいる待合。ここは森の中、という設定。
山でご自分で採ってきたというクロモジの一枝。この葉っぱを半日水につけておいたクロモジ水からスタート。
クロモジは茶席で使う楊枝だが、新たに削ると芳香がするがごとく、水にもほんのり香りがうつってさわやか。まさに日本のハーブだわ。
現在東南アジアと日本を行き来するマダムが、そちらから持ち帰った容器や飾りがセンス良く茶籠におさまる。
さて、席入りすると大きな壺に投げ入れたチャの木の枝の下に茶器が。ちなみにこの茶の木の葉、大葉種らしく掌ほどの大きさがある。
最初にいただくのは馬鞍山(マーサン)プーアル茶の生茶2016年もの。
緊圧茶なので、袋からだして、塊になった茶葉を千枚通しでゆっくり、葉を傷めないようにほぐす。ここは好日居さんのお仕事。
ちなみに生茶とは、一般的なプーアルが人工的に発酵させるのに対して、茶葉をそのまま詰めて蒸し固めた物、味わいとしては青茶に近い。
一般的なプーアルとちがって、爽やかで青みがたつ。もちろん飲んだ後の杯の匂いはかならず聞く。(多幸感♪)下にしいたコースターは木の化石だそうで、ここでも森の中という設定。
次のお茶は天台山雲霧茶だが、なんとこれを焙じていれるという。今回初めて茶を焙じる際に使う刷毛(現地で使われるもの)の使い方を見た。
焙烙にいれた茶葉をゆっくり刷毛でなでて焙じる。
入れてもらったお茶はまさにほうじ茶の香り高いやつ、という感じ。
ちなみに天台山あたりは非常に霧が濃く、よい茶葉ができるそうで、雲霧茶。最近最澄展を見てきた私には、ああ、最澄様がいらした天台山〜というので勝手にもりあがる。
唐代から飲まれていたお茶は団茶(緊圧茶、茶葉を固めてほぐしてから飲む)だが、明代になるとこのような散茶が主流になる。
次にでてきたのは西洋のコーヒーカップ。マダムコレクションのひとつ。
完全発酵の紅茶は、西洋で好まれ、さかんに輸入されたお茶、なのでカップは西洋風。今回ラプサンスーチョンのオリジナルと、のみやすく改良したあたらしい紅茶の飲み比べ。
ラプサンスーチョンは紅茶の元祖といわれ、福建省武夷山で栽培される茶葉だが、かな〜りスモーキー。人は正露丸臭という(^_^; お茶の好きなイギリスの水が硬水なので、このくらいのクセが好まれたというが、まずくはないが、日本人には好き嫌いはあるだろうなと思う。
比べると、改良茶葉の紅茶はとても飲みやすく、美味しかった。
そこでお菓子。
御菓子丸さんの「法相華」
表面に正倉院文様のような法相華もようがうっすら浮き出る。木型を誂えて作った新作である。ほろほろの砂糖にこっそり忍ばせたこの香りは、、、杏仁であった。
これで終わりかと思ったら、なんと中立。
奥の大谷石の間でしばし待つ。
こちらに用意されたお水用のグラスは小谷真三さんの倉敷ガラス。このガラスのことで以前好日居さんと盛り上がったことがある。(お互いに小谷真三さんに会って話したことがある)
後座入りのお鳴り物は涼しげな鈴の音で。
おお〜!なんと!豪華なテーブル!
ここまでのおもてなしをいただくとは予想もせず(会費も、え?これでいいの?というくらいお安かったのに)恐縮するやらうれしいやら。
ちなみにお正客的立場の其中庵さん、最近息子さんがご結婚なされ、そのお祝いもかねてマダムが用意されたそうだ。後ろの壁にかかった白い紙にそのお祝いの旨がかかれている、という手の込みよう。
テーブルセッティングはマダムと好日居さんのお仕事、なんておしゃれでセンスの良い!
ライ麦パンにつけるバターはへしこ入り、これは癖になる。待合で籠に入っていた銀器の中はデュカというアラブのスパイス。これも美味しく手まり寿司にかけまくる。
シャンパンありーの白ワイン、赤ワイン、そして好物の日本酒まで〜♪
手まり寿司はototojetさんのケータリング。こんなおしゃれな店、存在をしらんかったわ。さすがマダム。
お酒のあてにだされた何品かのうち、みなに大絶賛されたのが、マダムお手製の「蘇(古代チーズ)」!上手に焦がさんとふんわりとした仕上がりで、皆さんといっしょに完食。
これでお開きかと思いきや、まだまだ続く茶会。
国の名前のカードをそれぞれ引いて、それにちなむあたらしい抹茶の飲み方を。
例えば、ベルギーなら抹茶とビールのカクテル。これはチェコのエルダーフラワーのお茶で抹茶を点てるところ。
私は韓国だったので、抹茶に朝鮮人参パウダーを混ぜた物を大きい器で点てる。真ん中の穴は茶葉の影である。(茶葉の上から抹茶を篩って影を作るお遊び)
これは国名はわすれたけれど、蜂蜜と抹茶をシェイカーでシェイクして、グレープフルーツゼリーの上にうかべたおしゃれな飲み物。
もうお茶をこれでもか、と素敵な飲み方でたくさんいただいて、気づけばけっこう宵もふけていた。
美しい夕べをありがとう。
心もお腹もいっぱい。マダムと好日居さん、ご一緒したお茶フェチ?の方々にも感謝です。ありがとうございました。楽しかった!!
卜翠会茶会・研修会 at看月亭・閑雲庵〜光雲寺 - 2022.06.06 Mon

哲学の道のほとりの看月亭は葵 KYOTO STAYの町家ステイのひとつである。小川治兵衛の庭を有するかつてのプライベートハウスであるが、数寄屋建築を生かして改修された一棟貸しの宿泊施設だ。
コロナも少しおちついて、久々に木津宗匠のお社中・卜翠会茶会の会場がこちらになる。
実は4年前、ここで長浜のギャラリー季の雲さん主催の茶遊記というイベントで一度来たことがある。こんな素敵な数寄屋のお屋敷に一泊でもいいから宿泊してみたいものだ、お茶仲間と割り勘で泊まって、お弁当をとったり、夜はミニ茶会を開くんだ、、ということを夢想したものである。

植治の庭には小さな滝もあり、滝音というよりせせらぎを感じさせる音である。左手の池の中で陶芸家でもあり中国茶人でもある市川孝さんが茶席をもうけられたのが印象に残っている。(↓その時の写真)
木津社中には建築士さんもいれば植木屋さんもおられるので、この数寄屋の見所、庭園の見所などのご説明も聞きながら、広間の茶会を楽しんだ。
先ほどの小さな滝になぞらえて、軸は官休庵八代一啜斎の一行「清流一張琴」。小さな滝の音は琴の音に似る。風流やなあ。
脇床にいれられた花はホタルブクロ、テッセン、シモツケ、ハナナナカマド、初夏らしく美しい。印象的だったのは宋胡録の水指。よく見る宋胡録の香合を大きくしたような鉄絵文様なのだが、こんなに大きい宋胡録は初めて見た、、、と思ったらどうやら現地ですり鉢として使われていたものの見立てなのだそうだ。
桐蒔絵溜塗薄器に茶杓が宙宝和尚、銘を「浮舟」、箱が大綱和尚。
遠目にも、あれ良い茶碗だ!と思ったら出雲焼の茂三写し。上手にうつしてあって内に鶴刷毛目もあり、本歌といわれてもわからないくらいだわ❤️
お茶を二服いただいたあとは卜翠会会員でもある葵stayのオーナーによる看月亭内の説明付き見学。これは二階の屋根裏部屋的小部屋。4年前はここで好日居さんがエルダーフラワーのお茶をいれてくださったのを覚えている。よき眺め。(↓その時の写真)
向こうに見える屋根の建物がもう一軒の宿泊施設閑雲庵、こちらにも案内いただいた。
もとは普通の民家だったということで、こちらは思いっきり洋風にリノベされている。広くてスタイリッシュ、小さな和室も一室ある。
ここはダイニング。
それに続くミニキッチンは普通の家庭並の装備で、ここで暮らせそう。
バスアメニティもセンスよく、泊まってみたいものだが、お値段が〜〜、、、大勢で泊まればそれなりにお得かもしれない。
ちなみに風呂桶も総檜!
その後はすぐお隣の光雲寺へ。こちらの庭園も植治の手が入っている。
非公開のお寺ながら、週末夜坐禅をされていることは昔から知っていて、いつか行きたいと思いつつもう10年以上たってしまった、、、(^_^;
看月亭をリノベするに当たってこのお寺に非常にお世話になったとのことで特別に中へ入らせてもらったばかりか、京都冬の旅などの特別公開くらいでしか見られない東福門院座像の扉まであけて拝見させていただく。(須弥壇の上にあがって!)
後水尾天皇の中宮となった秀忠の娘・東福門院和子がご自身の菩提寺として再興した寺なので、念持仏であった伝運慶作の聖観音像など女院ゆかりの品々が伝えられている。
当時幕府と朝廷の軋轢の中を、聡明で教養のあった和子は見事に生き抜いた。宗旦に茶の湯を学んだこともわれわれには近しく感じる。
バックに徳川の財力を持つ和子は、着る物にも困窮していた当時の公家たちに、豪華な衣装を雁金屋(乾山光琳の家)に特注して贈りまくって懐柔したとか。後水尾天皇との間に何人も子供をもうけながらも、男子の天皇(=徳川の血を皇室にいれること)を残すことができなかったのが心残りかもしれんなあ。天皇には女性がたくさんいたので、若い内は苦しみもあっただろうが、晩年は仲睦まじい夫婦であったと記録にはある。
最後に東福門院の娘で女帝となった明正天皇寄進の鐘をそれぞれ撞かせてもらうというサプライズ。
滅多に入れぬ場所、滅多にできぬことを貴重な経験を色々させていただき、木津宗匠とお社中の方々には感謝しかない。ありがとうございました。
奈良一泊旅行のあれこれ - 2022.06.04 Sat
はい、「いつか・住もう・奈良」状態になっている筆者です(^_^;
もうちょっとだけおつきあいを。
京都ー奈良は日帰りできる近さなのだが、20時の奈良太郎(東大寺梵鐘)を聞く、早朝の春日山原生林を行くが今回のミッションなので、一泊することにした
スタートはならまちのランドマーク・元興寺、飛鳥時代の瓦(右手の色の古いやつ)をめでる。
飛鳥に飛鳥寺(法興寺)として創建され、平城京遷都で元興寺と。もとはならまち全体が元興寺の境内だったのだが、いまはちんまりと。ここは秋の萩が美しい。国宝の禅室は機会があればはいれるよ。(昔珠光茶会で中にはいれた)
ならまちの私的ランドマークのこの虫籠窓のある古いお家の薔薇の垣根、まだ健在、よしよし。
ついで東大寺、国宝・東大寺の梵鐘「奈良太郎」である。朝の6時と夜の8時に国宝を撞いちゃうんだよ(゚Д゚) 夜、ここに聞きに来ることにして、そのそばの、、、
東大寺・大湯屋
文字通り東大寺の僧侶達が使っていたお風呂で鉄湯船とよばれる古い湯船も現存しているそうだ。現在の建物は鎌倉時代の再建。周辺ではなにやら工事中。
実は大湯屋という建物があるのを知らなかった。あれだけ東大寺に行ってるのにね。SNSでこの大湯屋のそばに立つ楊(ポプラ系やなぎ)がさかんに柳絮を飛ばしていると知って、やってきた。この地面にうっすら雪がつもっているように見えるのが柳絮(りゅうじょ)。北京の春の風物詩ということは知っていたが、ここでも見られるとは。
ようするにやなぎの種、綿毛なのである。少し盛りを過ぎたが、まだ風が吹くとふわふわ白い柳絮がとぶ。これはまた美しい景色であった。
実はこの大湯屋、しょっちゅう歩いている二月堂裏参道の御供田の向こうに見える建物だったんだ!まだまだ知らんことが多い東大寺(^_^;
その足で二月堂へお参り
修学旅行生がいっぱい〜。この中から将来奈良好きがでるといいな、かつての自分みたいに。
食堂の鬼子母神さんの前には鬼子母神のシンボル、ザクロが。
登廊の真ん中にお松明の黒い跡をみつけて確認し、、、
裏参道から下山、そしてその足で
手向山八幡宮をお参りして、若草山登山。
山焼きの時に、携わる方々が安全を期してお参りする麓の野上神社
この開放感はたまらない。
表から見る若草山はなだらかな草におおわれた丘だが、少し奥に行くとけっこうワイルドな自然の森林がひろがる。春日山原生林につながっていくから。
三重目到達!
ここまでくると奈良市街が眼下に小さい。
必ずお参りするのが鶯塚(牛塚とも)。
「枕草子」にも「うぐひすのみささぎ」とある古墳である。埋葬者は不明。
山焼きの起源は諸説あるが、ここからさまよい出る幽霊を鎮めるためという説が一番好きだ。
下山の頃は夕刻、鹿たちも夕食に余念が無い。
奈良の商店街は18時過ぎになるとほぼ閉まってしまう。(これ有名)
晩飯はどうしようとネット検索してワインとフレンチのお店、奈良女北のきたまちエリアアレ!ルトレッフルがヒットした。
日本酒党ではあるが、飲みやすい口当たりのワインを選んでもらって、料理はアラカルトで。
ラタトゥイユが美味しかった。キーマカレーもあるし、焼トマトも美味しかったな。カウンターだけれど居心地良く、オーナーの距離のとりかたもお上手なので、また来ようと思う。
こちらは珍しく19時過ぎまでやっていることのまあかりさんでデザートの削氷<覆盆子x覆盆子(ふくふくぼんぼん)>を。覆盆子は苺のこと、飛鳥ルビーとか奈良産の苺シロップとコンポートでいただく。美味し〜。
ホテルにチェックインしたあと夜の東大寺。誰も居なくてさすがにちょっと怖い〜。
暗くて見えにくいと思うが、明るいうちに見た奈良太郎さん。
20時前になるとどこからともなく車で鐘を撞くお役目の人(代々決まっているらしい)と見学の方?2,3人が到着。真っ暗なので、なにをしているかよくワカラン。でも音は耳元でしっかり聞いた。
予想以上の迫力の重低音。
間近で聞くより、少し離れたところで聞く方が趣深いらしい。今度は南大門あたりで聞いてみようかな。
ホテルに帰る道すがら、奈良のシンボル、夜の興福寺五重塔を。
夕食が終わったあとに友達とここまで坂を登ってきて初めて見たライトアップされたこの塔に、12歳の心はわしづかみにされたのである。以後奈良を愛してやない人になった私も一人の修学旅行生であった。
翌朝は前日にも描いたが春日山原生林をちょこっと歩いて、市街地に帰ってきたらまず予約していたほうせき箱さんでかき氷。柿の葉茶のあれこれ。上のクリームエスプーマが好きなの。
デザートとテレコになったがこちらも来て見たかったならまちの七福食堂さんへランチ。
こちらデザートもとても魅力的なのだが、それは次回にとっておく。
(ちなみにオーナーはすぐ近くで古民家旅宿古白も経営されている)
美味しかった。ロケーションもならまちど真ん中と便利、今度はデザートと合わせていただこう。
そしてここで販売されていた「密造コーラ」、密造の名前にいたくひかれて購入。なんでもならまちの底で夜な夜な密造?されるコーラらしい。
帰宅して、炭酸で割ってスダチ投入したら爽やか〜!
夜も朝も、奈良にいられる幸せ。しばしくりかえし続きますように。
柳生街道〜滝坂の道〜白毫寺 - 2022.06.03 Fri

奈良高畑エリアでの一番好きな場所、社家・藤間家(とうまけ)住宅の土壁もCF(参加した)で補修がすすんでいる。
いつ壊されるかと気が気で無かったので、ほぼ現状に近い形で修復できたことはほんとうにうれしい。
藤間家を過ぎてさらに東、春日山の方へすすむ。奈良に今回一泊したのは「早朝の春日原生林を堪能する」というミッション?(あと20時の奈良太郎・東大寺梵鐘を聞くというミッションも前日こなした)を完遂するため。
春日山をぐるっと一周する1日コースもあるが、今回は奈良から春日山を越えて柳生までいく柳生街道〜滝坂の道を3分の1ほど(片道3kmほど)、朝日観音まで、と決める。
左は妙見宮へいたる山道、右手が滝坂の道だ。
右手にそれると白毫寺に通じる。
最初は民家もあったが、だんだんそれもなくなり細い道になる。
山の空気が押し寄せてくる。早朝とはいえない時間だったが、下山まではだれにも会わなかった。
前日の夜大雨が降ったので、足下はぬれて、木からは滴がしたたりおちる。
晴れて暑いのよりましかな、と思うがどんどん人間(じんかん)はなれしてくる雰囲気。
そばを能登川という清流が流れていて、その川沿いに登っていく。小さな滝がいくつもあるので、滝坂の道とよばれるようになったそうだ。特に夜来の雨で水の勢いがとまらない。
この石畳は江戸時代に奈良奉行が作った物がそのまま残っている。すべりやすい。この道を武芸者たちが往復したのであろう。柳生宗矩が主人公だった「春の坂道」ではここを走って往来してた。結構な坂なのにすごいなと思ったが、、、そうだトレイルランニングの人って同じようなものかな(^_^;
最初の目標物は「寝仏」
なんでも室町時代の磨崖仏が落ちて横になったまま転がっているので寝仏というらしい。しかし、、、どこに仏が刻まれているのか、ためつすがめつ眺めてみたが、ついにわからず。
道はどんどん細く、山の気も濃くなっていく。春日山原生林だ。
若かりし頃、友人二人で柳生街道にいどんだが、あまりにひとけのなさと心細さで途中で引き返した思い出がある。あれはどこまで行けたんだっけ。
ぬれた地面に白い花がいっぱい落ちているところが何カ所かあって、明らかにテイカカズラとおぼしき花もあったが、これはなんだろう。桜のようにもみえるのだが。
次のスポットは夕日観音。
実は観音様ではなく弥勒様らしい。鎌倉時代の磨崖仏というが、ちょっと距離があってあまりよく見えない。おそらく夕日が当たる時間にきれいに見えるのだろう。そういえば旧奈良監獄の近くにあったのは夕日地蔵だったか。
さらに登る。
こんな障害物もあって、、、
能登川にかかる小さな橋をわたり、、、
坂はこのあたりが一番しんどい。しかも石畳はつるつる滑る。
そして急にもやがかかってきた。この靄は春日山の神域(仏域?)にはいったしるしか、と思っていると、
朝日観音さま(弥勒だけれど)
こちらは朝なので、お顔がよく拝見できた。これも鎌倉時代のもの。(平安末期から鎌倉にかけて弥勒信仰がずいぶんはやったらしい。)
ここから先、さらに行くと後藤又兵衛が試し切りをしたという首切り地蔵などがあるが、どんどん大変な道になりそうだ。当初の目的は達したので、これより下山する。(ここまで入り口から40分ほど)
春日山の原生林の空気も雰囲気も十分味わえた。
登山口の近くで二組の、これから登られる人に初めてであう。
人里に戻ってきて、こんな細い道も通り抜け白毫寺へ。
萩と五色の椿で有名なここへ来るのは何年ぶりだろう。(アクセスがわるすぎる、、)
高円山白毫寺、天智天皇の皇子でありながら即位できなかった志貴皇子(さわらびのもえいずるはるに、、、の歌の皇子よ)の離宮跡に創建されたという。
高円の野辺の秋萩いたづらに 咲きか散るらむ 見る人なしに
(万葉集・笠金村〜志貴皇子挽歌)
しかしなんといってもここの魅力はこの眺めであろう。
生駒、葛城、二上山、信貴山、、、大和を取り囲む山の眺望。
無人だった裏入り口の受付には猫の足跡。そういえばいつ来てもここには猫(お寺の飼い猫)がいてたなあ、と思い出す。この日お姿は見えなかったが、証拠はしっかり見ましたよ(=^..^=)
4年ぶりに樫舎菓子のフルコース - 2022.06.02 Thu
ならまち、元興寺近くの樫舎さん。
何度となく通っているが、カウンター席での作りたてお菓子のフルコースをいただくのは実に4年ぶり。コロナで2年以上おやすみだったが昨年秋に再開されたよし、TLの奈良友さんに聞いていかなくては!と。
最初に特注奈良絵のお茶碗で御番茶いただきつつ。
思えば4年前行ったときも5月だったわ。メニュー的にかぶっても、美味しいからいいの(次は秋をねらう)
栃のお盆をだしてもらって、え?これ木目横にしないといけないんじゃないの?とお盆をあっちむけたりこっち向けたりしていると、よ〜く見てください、と。あ、模様は縦だが、木目は横だ!繊維に対して垂直に模様がでるのは栃の木だけなんだそうだ。スプーンも普通横向きの木目は使わないでしょ?と。お菓子の前にこんなことまでお勉強。
和菓子の粉系材料で、葛よりも高いのがホンモノの蕨粉(普通のわらび餅は芋デンプンでできている)
これに正確に測った水をゆっくりゆっくりしとらせるように投入。ゆっくりじゃないと吸水にむらができるのだ。時間をかけて蕨粉に吸水させるため、これの出番はもっと後。
ちなみに和菓子屋の仕事は、吸水、加糖、加熱だけなんで全然むつかしいことはやっていない、できの9割は材料=農家さんの仕事できまるのだ、とこれは以前よりの樫舎さんのポリシー。
直前までお菓子の配達にいってはったので、本来なら陰の仕事、落雁の粉の仕込みから目の前で拝見できた。4年前は和三盆であったが、今回はきな粉(これもこだわりの大豆からできた上質な物)にビーツ糖のみ。つなぎは一切必要ない。木型もこだわりの桜材、目の前で型打ちの技もあざやか
きれに打ち上がった落雁。
みなさん写真を撮るので、わざわざ電灯を消してくださり、自然光でみるとまた一段と陰影が美しい。
(特注の台は神代杉と黒檀)
なんの形かというと丸まった鹿。奈良の鹿は神鹿なので食べるのはアカンから、吉野の鹿ってゆうてますって(^_^;
ほろほろの口溶けに、きな粉の香りがたつ。きな粉の落雁ってはじめて。
さて、さきほどの蕨粉、きれいに固まる前の石膏のようになめらかになっているところを加熱する。葛は半返し、本返しに時間がかかると聞いたが、蕨粉は樫舎方式だと短時間の加熱で完成、こんな色になる。これが本来のわらび餅の色なんだそうだ。
へらの上で匠に球をつくっては、、、
きな粉の上に落とす。
まだ熱い蕨餅で餡をくるむ。(漉し餡、粒あん、お好みで。私は漉し餡)あんなべたべたしているように見えるのに、あっという間にきれいな球体になるのは不思議としか言い様がない。
手が熱くないですか?と聞いたら、和菓子屋は掌はやけどに強いんです、と。でも掌以外はいつもやけどをして、その腕で(製菓用にと)注射器を買いに行ったら職質された、という逸話もお聞きした(*^o^*)
でも、この蕨餅、まだ食べられない。冷めるのを待つ間もう一品。
中身の餡は備中白小豆。川筋が一本違えばできも異なるというむつかしい白小豆、樫舎さん納得の契約農家さんのもの。今度は白小豆の粒を楽しみたく、粒あんにて。
馬の毛(表面に顕微鏡レベルの凹凸があるのが良いらしい)のきんとん篩で裏ごし。こしたあと、篩いを持ち上げたら、編み目にきんとんはまったく付着せず、下にきれいに落ちていたのには驚いた。
餡玉にはりつけていく。(自分でもやったことあるが、きれいな球にしようと思うとどんどんでかくなって、、、)
さらに裏ごしならぬ表ごしの技までみせていただいた。
これも自然光のもとで見るとほんとに美しい。
銀朱の椿皿は薬師寺で使われている什器と同じ物。
さあ、やっと蕨餅に到達。最初作り始めてほぼ最後にいただく。上からきな粉を篩ってもらって、ああ、なんというテクスチュア!日頃食べているわらび餅とは別次元。しかもできたてというのが贅沢。
お皿は春日大社の根来。中の黒漆を出したいと、せっせと使うが、全然丈夫で朱塗りがはげないとのこと(^_^;
最後にデザートのデザート的な一品。
ほかほかの餡をその場で最中に詰めてくれる。
手渡しで、最中の皮がほとんと吸水しないように、すぐ食べる。皮がぱりぱり、ほんのり温かい餡が美味しい。
飲み物は番茶、抹茶、ケニア産コーヒー、そして最後がほうじ茶。一煎目と二煎目は別の杯という気の使いよう。お茶は入れるたびに香りと味が変化するからね。
あれだけ糖分をとったはずなのに、胸焼けもせずちょうどよいお腹具合、目にも口にも心にも美味しゅうございました。今度は秋に参ります〜!