electronic evening in 法然院2022 - 2022.08.31 Wed
夕刻の法然院、いつもおなじみの門はすでに閉じられているが、普段非公開の奥の方丈に誘われる。

今宵はもう数年ここ法然院で夏に続けておられるというアンビエント(環境音楽→あまりよくわからん(^_^;)の宴である。主催は電子音楽レーベル涼音堂茶舗。
始まりはまだまだ薄明が残る頃であったが、この頃は釣瓶落としとまではいかなくても、日が暮れ出すとあっというまに暗くなる。その時のうつろいを味わう数時間。
まずは一番の目的だったF太朗さんが亭主をつとめる茶席へ。
まあ、彼のことだし、アンビエントがメインだし、一筋縄ではいかないと思っていたが、、、
ほんとうに一筋縄ではいかない。
亭主はお茶をたてるでなく、四方に立てられた柱(これは後に光る!)の中の方丈に黙々といろんなオブジェを置いてはまた取り去り、、、
法然院の夜は暗い、茶室となった食堂(じきどう)も暗い。だから点て出しさんが持ってきやすいように、お茶券は小さな豆球である。
お隣さんを見たら小さな光の色が違っていた。
お菓子は宝泉さんの葛焼「柔山水」、陰陽を現す漉し餡と白あんの。(暗くて色がよく見えないけど)
お茶をいただく間にも亭主は黙々とモノを並べては動かし、取り除き、、、茶の湯の技術の一つが道具の配置、時間進行の裁量、置いて完成するだけで無く、そのプロセスすべてが完成形というコンセプトだそうだ。
宝泉のお菓子だけでなく、宇治の通圓さんがテーマに合わせてブレンドした抹茶、映像作家さんのインスタレーション、インセンスのlisnさんによる香りのコーディネート(各部屋ごとに違う香を焚く。 そういえば玄関あたりからなにかよい香りがしていたな。隣の人の香水?とばかり思っていたが)という贅沢なコラボレーションが楽しめる。
茶席のとなりの北書院では映像のインスタレーション。背景が寺院の障子というのが萌えポイント。
アンビエントのライブ会場は方丈である。はじめはまだこのように方丈庭園もまだ色が見えるくらい明るい。
みんな思い思いの場所に好きな姿勢で音楽を楽しみ、インスタレーション映像も楽しんでいる。
電子音楽というとあまりなじみが無いような気がしていたが、押しつけがましくなく、なんだか癒やしの音楽で意外と心地よいのである。
方丈の縁側にすわって暮れていく庭園の移ろいも楽しんだ。暮れていく様を見てほしい。
あちこちに先ほど茶券がわりにしていたと同じ小さな灯りが仕込まれているのだが、この時はまだ明るくて力を発揮していない。
だんだん暗くなって、、、
さらに暗くなって、、、
とうとう銀河の中にいるような景色になった。
この小さな灯りのまたたきを見ながら聞くアンビエントはほんとうに心地よくて、さりゆく夏の素敵な思い出となった。(今回初参加であったが、来年も是非行きたいなあ)
少し早めに退出するので、帰りに茶席をのぞいてみたら、、、
光や影を動かしたり、、、さらに不思議な空間になっていた。う〜ん、F太朗さん、まだまだ進化中。この感覚はマネできるモノではない。
いとまする方丈の玄関を振り返る。
法然院の夜は周りもほんとに暗い。人ももう歩いていない。夜の暗さの心地よさも味わったひとときであった。
京の六地蔵めぐり2022 - 2022.08.29 Mon
実は地蔵盆というのは関西に来て初めて知った行事である。関西の人は全国どこでもあると思ってるかも知らんが、そうではないよ。
8月22〜23日前後に各お町内でお地蔵さんを囲んで子供達があそぶ地蔵盆、、、 というのはもうこの少子化のご時世見られなくなった。うちの町内でも子供おらんしお地蔵さんにお寺さんが来てお経をあげるだけである。

その地蔵盆に京都で行われる六地蔵めぐり、今まで聞いたことないお寺さんばっかりだし、、、と行くのをためらっていたが、そろそろ洛中も巡り尽くした感あり、ちょっとは日頃まず行くことのないところへいってみようではないか、と発心したのである。
朝からタクシーをチャーターしてちゃっかり車で一巡りというのもありだそうだが、なんとなく御利益なさそうでな〜、、、で、公共交通機関を利用しての六地蔵巡り。上記の地図のように都を東西南北縦横無尽に移動するので、電車にのっている移動時間が長く、これがまたクーラーが心地よく効いているので、意外と楽だったのだ。
地図を見てわかるように、六地蔵は京都に入る六つの街道の口にある。始まった平安時代に主な街道だったのが、奈良街道、西国街道、丹波街道、周山街道、若狭街道、東海道で、その入り口を「口」、京の六口とよぶ。
1)伏見地蔵・大善寺 (奈良街道)
まずは本家本元の「六地蔵」から。地名もずばり六地蔵である。家から最寄りの地下鉄東西線東山駅から約20分。
小野篁が地獄に行ったときに地蔵尊が六道を巡って衆生を救済している姿に感動し、蘇生後一本の桜の木から6体のお地蔵さんを彫りだし、このあたり(木幡の里)に埋めた、のが六地蔵の始まりである。伏見のこのあたりはまず日頃行かないので、こんな立派なお寺さんがあるとは知らなんだ。
六地蔵巡りのもうひとつの楽しみは、六か所それぞれ色の違う幡を集めること。(スタンプラリーみたいなものか)6枚集めたら玄関先に飾って厄除けにし、古いのはこのようにお寺さんにもうけられた綱に結びつけるらしい。
こちらのは白、そして六地蔵最初のゆかりの場所なので、他のお寺の幡より少し大きいのである。
ご本尊のお地蔵さまは白塗りできらびやかでありました。(他のところのお地蔵様もほぼ同じ)
この伏見の六地蔵がなぜ京の六口に拡散されたのかというと平安末期の地蔵信仰興隆で、後白河法皇の意を受けた平清盛が六口に地蔵堂を建て、そこに篁の地蔵を安置したのが始まりという。だから六地蔵巡り、1000年近い歴史がある由緒だたしいイベント?なのだ。
2)山科地蔵・徳林庵 (東海道)
六地蔵駅からまた地下鉄東西線にのって山科駅まで約15分。
この近くには毘沙門堂もあり、顔なじみのエリアである。
ここはお寺の囲いはなく、すごく開放的なお堂で、近所の人たちの憩いの場所ともなっているようだ。
ここにも古い幡納めが。
こちらのお地蔵様も白塗りきらきら瓔珞。
こちらの幡は青。後ろの赤いのはコロナで使用不可になった鐘の綱である。
3)常磐地蔵・源光寺 周山街道
今度は洛外東の端から洛外西の端へ洛中を横断する大移動。
地下鉄東西線から太秦天神川駅〜京福電鉄で帷子ノ辻乗り換えで常磐まで約45分。いや、この線乗るの、ほんま何年ぶりやろ。
こちらは線路沿いの住宅街の中にひっそりある。電飾は宵からの地蔵盆(子供たちのお楽しみ)のためだろうか。
お堂も境内もこぢんまりとしている。
こちらの幡は紫。
4)桂地蔵・地蔵寺 (丹波街道)
京福電車で帷子ノ辻経由で四条大宮まで20分、そこから阪急桂駅まで各停でも8分。
桂の駅前は桂離宮に行ったとき以来なのでこれも数年ぶり。
桂は京都のベッドタウンでもあり子供の数も多い町なので、地蔵盆の夜は夜店がにぎやかなのだろうな。
こちらの境内は広い。お地蔵様もかなり大きめ。時節柄どこの地蔵さんでも水回向の場所がもうけられていたのが印象的。この水回向も関西に来て初めて知った。
こちらの幡はは緑色である。
5)鳥羽地蔵・浄禅寺 (西国街道)
桂から阪急で四条烏丸、そこから地下鉄烏丸線で終点の竹田駅まで30分。京都大アンティークフェアでお世話になっている駅である。
他のお地蔵様は最寄り駅から十分徒歩圏内であるが、ここ鳥羽だけはちょっと遠い。たまたま行きは1時間に1本の18番の市バスにスムーズにのれて、10分ほど。
鳥羽もめったに来ることの無い場所で、こちらのお堂も静かな市街地にひっそりとある。袈裟御前との悲恋(というか横恋慕?)で有名な文覚上人が開基なのだそうだ。
こちらの幡は黄色。
こちらにも水回向が。水塔婆にシキミ?で水を掛ける。
ここからの帰り、バスが30分はこないので、ここだけ竹田駅までタクシー使いました(^_^;
1000円ちょっと。
<遅いランチ休憩>
そのまま竹田から地下鉄烏丸線でびゅーんと北へ20分、鞍馬口駅にあるおなじみのフランジパニさんでおそめのランチをいただく。
残り一つだ、がんばれ。
6)鞍馬口地蔵・上善寺 (若狭街道)
鞍馬口で締めたのはここらがわりとなじみのエリアであるから。
以前普茶料理を何回かいただいたことのある閑臥庵さんのすぐ近くである。
こちらは上御霊神社も近い閑静な住宅地の中、境内では珈琲や果物を売るお店がいくつか並んでいたが、16時頃だったのでそろそろ店じまい。
こちらにも水回向。お盆のときはほとんど高野槙だったが、地蔵盆ではほとんどシキミだな。高野槙はこれに乗ってご先祖様が帰ってくるけれど、地蔵盆は魂迎えではないからだろうか。
ここで最後の締めくくりのお参り。
こちらの幡は赤である。
六箇所回って食事時間をよければ、約5時間半、大半は移動時間であった。
これが集めた幡である。これを見たらどうにもコンプリート魂がそそられるではないか。色は陰陽五行によると思われるが五色でなくて六色なので、木火土金水+天とかかな?これをまとめて玄関に厄除けとしてぶらさげる。これにて上がりである。今まで行ったことのないようなところへ行けて、案外楽しかったなあ。
久々に弘法市へ2022・8月 - 2022.08.27 Sat
コロナ以降初めて東寺の弘法市へでかけた。
半月前に来た時には緑色のシャワーヘッド(蓮の実)だったが、もうすっかり茶色になっている。季節は確実に動いている。
さて、、、、
なんとこれが弘法市?!と思うほど、出店も少なく人出も少ない!
本来ならば店もぎゅうぎゅう、人にぶつからないと歩けないほどの人出なのに、、、、
気をとりなおして市をまわろう。
弘法大師さまのお膝元だからちゃんと法要もあるよ。物欲だけではないのよ(^_^;
とりたてて欲しいものはなく、まあお茶に見立てで使えそうなモノでもあれば、と思うが、ほんと店が少ない。茶道具関係はほぼ全滅ではなかろうか。
着物の古着関係がやたらと元気で、お客さん達も意気がいい。値切る交渉も聞いてて楽しい(^∇^)
弘法市は時々なんでこんなモノが売れるのか???と疑問符いっぱいなるものも売れていくから面白い。
旧日本軍の兵隊服とか銃まで、、、誰が買うのだろーか??
お寺さんだから、線香や蝋燭の店もあれば仏壇まわりの品々も充実、これお仏壇に敷く錦の布(なんていうのか知らない)なのだ。きれい♪
普段は食べ物屋さんや、農産物、青果、乾物などの店もたくさん並ぶのだが、やはり少ない。すごく賑わっていたのが農協さんのお野菜売り場。レジも行列であったのが目を引いた。
しかし、こんなに空き地がたくさんある弘法市なんて初めてだわ。一体いつになったら元の賑わいをとりもどせるのだろうか。ちょっとさびしいなあ。
東寺東口バス停の目の前にあるので、いつも大好きな東寺餅を買うのだが、目的のバスがすぐ来てしまったので買うのを断念、残念。絶対美味しいから弘法市へいったら是非おすすめ〜。
で、結局1時間以上うろついて戦利品はこれ。
お茶の菓子切りをなくしたので、実用的なのを一つ、今時もう手に入らない玳瑁の菓子切りを一つ、あと蛇籠の花留めを。ガラスのお皿にいれて花を投げ入れたらよいのではないかと思って。
新観音堂完成・聖林寺〜明日香・万葉文化館 - 2022.08.25 Thu
フェノロサと岡倉天心によって長らく秘仏であった時を超えて開扉された桜井聖林寺の十一面観音は後に国宝第1号指定となった。

聖林寺は田んぼの中の小高い丘の上にあるひなびた訪れる人も多くはない古刹である。この十一面観音様の老朽化したお堂の免震工事のため、しばし観音様には旅をしていただくらしく、その前に是非ここで拝みたいと、ここを訪れたのは昨年5月であった。
今年8月新観音堂お披露目であるからかなり早い仕上がりだ。その資金のためにクラウドファウンディングをされたところ(私も参加したが)予想を超える多くの御喜捨が集まった。もちろん観音様の旅先の博物館で、ご住職はじめ観音様を愛する多くの方のご努力のたまものである。
観音様が東京に旅立たれる数日前、雨のぞぼふる日に古いお堂の薄暗い中で見た観音様は美しく、そのお顔は私のよく知っている方に似ていた。それから東京国立博物館〜奈良国立博物館と追っかけるようにして、この1年でなんどお目にかかった事だろう。今こうして元の桜井にお帰りになったのだから、また拝みにいかねば。
これは本堂の横にある厨子で、フェノロサ達が見たときにはここにおられたのだ。(ちなみに観音様は写真)大神神社の神宮寺・大御輪寺にあり廃仏毀釈の嵐の中、ここへ持ち出され、今安住の場所に鎮座された。
この観音堂へ続くコンクリートの階段はかわらないが、灯籠がみんな新しくなっている。
おお、入り口もなんだかぴかぴかだ。
お堂の中はRの曲線、白い背景に高透明ガラスの中におられて、以前と違って360度、背面も拝めるようになっていた。観音様の正面にはやはりやわらかい曲線の白木のベンチになっていて、すわって長く拝むこともできる。見せ方としては奈良博のが一番美しかったと思うが、あれは黒い背景だったな。長い旅を終えて、こころなしかほっとしたお顔に見える。
後ろにまわって、やはり暴悪大笑面がないのがちょっとさびしい。頭の十一面はいくつかは失われているのだ。(孫を奈良博につれていって一番よかったのが十一面観音の暴悪大笑面だった(^_^;)
新しくなった灯籠の文様は、これもまた大好きな十一面観音様の光背残欠である。これもまた単独で美しいので、Tシャツとかのデザインにもなっていた。私はお札をもっている(*^_^*)
久々の観音様を拝んだのち明日香まで足をのばして、こちらはもう10年ぶりくらいか?のほんとうに久々の奈良県立万葉文化館へ。
入り口の向かいの景色は万葉の当時の景観をとどめるために奈良県が買い取ったという土地であるが、、、え?こんなに木が生い茂ってたっけ?丘や畑がよく見えたのだが、しばらくこないうちに変わってるわ〜。
ちょうど<平山郁夫展〜その旅路を辿る>開催中。シルクロードの絵画が印象的だが、この展示は幼少期をすごした広島、瀬戸内の景色を描いた作品が多く、なかでも広島で見たB29から投下される原爆〜その後の爆心地の様子などのスケッチが胸にしみる。
このコーナーは現在薬師寺にある玄奘三蔵院<大唐西域壁画>の下絵のコーナー。薬師寺の完成した壁画は何度か見たことがある。中央にその三蔵院のミニチュアがあって、のぞけるようになっている。
西域への入り口であり唐の最果て、万里の長城の西端・嘉峪関を行くの下絵。これから越える厳しい山々は砂漠への序章である。
ミニチュア越しにみるのもまた一興。
さて常設展は、これは変わらないなあ。「歌とはなんだろう」をテーマに万葉の時代の市井の人々の歌にまつわる場面を人形で。
また万葉時代の発音を聞けるコーナーもあって、これ好き。昔は、た行は英語のTの発音に似ていて、「つ」が「てぅ」に聞こえる。過去にタイムスリップしたら日本語が通じないかも(^_^;
まるで息づいているようだ。しかしこの時代のヘアスタイルってどうなっているのか、とても興味がある。まだゴムやピンなどもなかったのにこの複雑さ。
そして一番お気に入りの<さやけしルーム>も健在。リクライニングチェアーに腰掛けて耳元にはそれぞれスピーカー、一日の朝から昼、夕焼け〜宵〜深夜、明け方と照明は変わり、それにあわせて雨の音、風の音、虫の声、フクロウの声、などあまりの心地よさにここで30分ほど寝てしまったことがあるくらいだ(^_^;
この場面は夜であるが高松塚古墳へのオマージュでもあり、耳元にささやかれる人麻呂の「天の海 に雲の波たち月の舟星の林にこぎかくる見ゆ」、、、う〜ん最高だ〜。
花にまつわる万葉の歌をくちづさむ。
巨瀬のつらつら椿、、、これ好き。
季節柄蓮ものせておこう。
ここのカフェで「亀石フロート」というのをたのんだが、、、、
う〜む、ちょっと違うかな〜、、、(^_^;
ちなみにほんものの亀石はこれ。
実はほんものの亀石の写真撮ろうとしたら、亀石、水没してはった!(先日の豪雨のため)
足をのばせば飛鳥寺、ここはとおりぬけて、、
その近くにある蘇我入鹿の首塚へお参り。
このあたりは美しい飛鳥の景色、どうかこのままかわらないでいてほしいと願うのみである。
長谷寺風鈴登廊〜やまと薬膳 - 2022.08.23 Tue
こもりくの初瀬の山の、、、長谷寺の8月は風鈴の音で始まる。
清少納言の昔から長谷寺といえばまずこの長い長い階段399段、108間(煩悩の数にそろえたとか)彼女もこの階段に音を上げている。
登廊は下から下廊、中廊、これは明治に復興された物、一番古い上廊は江戸初期の物。
入山2年目という若いお坊さんのご案内で階段を上る。
長谷寺は牡丹が有名なので、その時期に来たことはあるが、真夏に(初秋か?でも35℃越え)来たのは初めてだ。
創建は7世紀と古いがその後何度も焼失、国宝本堂は家光によって再建されたものが残っている。清少納言の枕草子はじめ、更級日記、源氏物語の「玉鬘」と平安女流作家の筆になんども書かれるほど信仰をあつめていた初瀬の観音様。しかし京都から車でも2時間弱、昔の人は牛車を使ったにせよ、よくここまで来たな、、と感心する。まあ当時は泊まりがけで来たそうだが。
清少納言気取りで、たぶん重かったであろう壺装束で登廊を登る姿を想像してみる。室内生活がほとんどで、足腰弱かったであろう貴族の女子にはたいそうきつかろうなあ。
さらにここは紀貫之が幼少を過ごした場所でもあって、彼の叔父の僧侶が住んでいたといわれるあたりに立つ月輪院。ここを久しぶりにたずねた貫之が詠んだ歌が、、、
人はいさ 心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香に にほひける
百人一首に取り上げられた彼の歌のルーツはここ。これがその時の梅と伝えられる。(何代目かでしょうが)
彼ら彼女らが活躍した時代は興福寺の末寺で法相宗だったようだ。(それ以前は東大寺末寺で華厳宗)それが16世紀以降は真言宗(豊山派)となっている。ご案内のお坊さんの袈裟も南都袈裟ではないなあと思っていた。
登廊のてすりの一カ所に瓢箪の埋木あり。江戸時代の大工さんの遊び心でしょう、と。知恩院の忘れ傘(天井の手の届かないところに傘が残っている)みたいなものかな。
登廊もそろそろおわりに近づく。ここから見えるのが天狗杉。
寛永年間に長谷寺14世英岳が、修行僧であったころ、登廊につけた灯りをつけるそばから天狗に消されて発憤、偉くなって境内の杉(天狗の巣)を全部切ってやる〜〜と誓い、後年偉くなって杉を伐採、この一本だけを戒めとして残したとか。ちなみに天狗とはムササビではなかったかという説も。
いよいよ懸崖作りの長谷の舞台が見えてきた。
登り切ったところの灯籠のそのまた上を見上げるとある鐘。上にあるので尾上の鐘とよばれる。この鐘楼の上で定刻に法螺貝が鳴らされるのだが、この音にはびっくりした〜と、清少納言さんも書いておられる。ちなみに灯籠下の輪違い紋は長谷寺の寺紋である(由来不明)。
さあ、いよいよ国宝本堂だ。
私はここの本堂の通り抜けの景色が好きだ。
お百度参り?をされている方もおられて、その敬虔さにはっと胸をうたれる。
舞台の上から五重塔(戦後戦没者慰霊のために創建)をのぞむフォトジェニック景色。
元来あったのは三重塔である。オリジナルは7世紀に建てられたものだが、何度か火災にあい、秀頼が再建した塔は明治の落雷にて焼失、今はその礎石だけが残る。
この景色、まさに、こもりくの初瀬、、、といった感じ。
ちなみに明日香あたりを車で走っていると「たたなづく青垣」というフレーズがほんとによく実感できる。
舞台は雨がたまらないように下に向かってゆるやかに傾斜。
本堂から舞台方向への眺め。磨き込まれた床に写る光が美しい。
(内陣に入るときにつけてもらう記念品の結縁の五色の糸)
本堂では三丈三尺(10m)のご本尊、十一面観音様を拝む。錫杖を持ち、蓮弁の代わりに盤石という石の上に立つ長谷寺様式というわれる珍しいお姿。
脇侍は雨宝童子と難陀竜王。この竜王像(鎌倉時代・舜慶作)がかっこよい。頭に龍をいただき手には龍の頭みたいなのがいくつか載った盆を持っているようなの。(鎌倉時代の仏像彫刻はほんますごいわ)
ちなみに雨宝童子像は室町時代、天照大神の化身とも言われる童形の仏様。
内陣に入るにさいして塗香をして、大きな観音様を見上げる形で足下にひれふす。おみ足に触れることができるのだが、時節柄薄紙一枚の上から、、とあいなった。
観音様を信仰する善男善女の祈りの手によってすり減った本堂の手すりに手を重ねながら、その祈りの深さを思う。自分は不信心者ゆえ。(敬いはするが信じているというわけではない)
下り道の登廊に猫がおちてた、、、
首輪をしているので、お寺さんの飼い猫だろう。いやんかわいい❤️
でも幼児の襲撃を受けてすたこら逃げていった。
長谷寺参道、コロナで寂しいがおそらく牡丹の頃は大賑わいであろう。
この参道にあるやまと薬膳源氏物語にて薬膳ランチを。
ここは築180年の古民家で、本居宣長(「源氏物語玉の小串」を著した)ゆかりのお家だそうだ。
主催者のオオニシ恭子さんはベルギーでヨーロッパ薬膳を伝えて来られた方だそう。
本日の薬膳のテーマは蓮〜蓮根
近隣の農家で採れたオーガニック野菜を使った品々。
味付けは野菜そのものの出汁と醤油のみとか。
蓮根餅がシャキシャキもちもちで美味しかった。
蓮の実飯、ズッキーニのポタージュ、蓮根の偽蒲焼きなどなど。
どれも手間がかかっているお料理、ごちそうさまでした。
中将姫と當麻曼荼羅〜奈良国立博物館 - 2022.08.22 Mon

ふふふ、、、このプレミアムカードで来年3月まで4回行き放題なのだよ、奈良国立博物館(残りあと2回は正倉院展のためにとっておく)
今期の展示は「中将姫と當麻曼荼羅」〜貞享本修理完成記念。
ここで本歌の国宝綴織當麻曼荼羅(763年)を見たのは9年前、正直真っ黒過ぎて何が描かれているのかほとんど見えなかったが、あれは貴重な機会であった。なにしろ現在はもう損傷がひどすぎて門外不出になっていると聞く。
當麻寺には現在本歌の他に二つの絵画による写しがあって(本歌はもちろん織物なのだ!)、室町時代の文亀本、江戸時代の貞享本であるが、今回はこの後者の展示である。中将姫信仰篤い浄土宗僧侶高誉上人性愚の発願にて本歌綴織、文亀本も調べた上での一大プロジェクト、霊元天皇のご宸筆にて完成した原寸大模写絵画である。
この日は受付で記念品として白檀のお香をいただき鞄にいれておいたところ、拝見中もずっと白檀の香りがしてまさに気分は極楽浄土?

中将姫伝説は子供の頃から絵本を読んでたし、今年は當麻寺の練供養もいったし(写真はその時の)、折口忍の「死者の書」も読んだし、入浴剤の中将湯もよくしっているし、、となにかとなじみのあるお話である。
これはならまちにある中将姫の父・藤原豊成の邸宅跡とされる徳融寺である。
継母に殺されそうになって隠棲した雲雀山から父に救い出され、幼い頃から誦していた「称讃浄土仏摂受経」1000巻を写経し終えたとき、西の空に阿弥陀仏のお姿と極楽浄土のありさまを見たという。そのまま導かれるように西へ西へ、、太陽の沈む二上山の麓の當麻寺へ。
展示の中に當麻寺、青蓮寺(中将姫が隠棲した)それぞれ所蔵の称讃浄土仏摂受経があって、ほんとうに中将姫が写経した物かも、、、と思いを馳せる。
当時女性を受け入れなかった當麻寺であるが、門前で何日も一心に読経を続け、入山をみとめられ尼となる。法名を法如、そしてもう一度あの西の空へ広がった浄土の姿を見たいと願っていると一人の老尼が訪れて蓮の茎を集めるように言われる。畿内各地から集められた蓮、これには父・豊成卿の力も大きかったと思われる。(なにせ鎌足の子孫だから)
集められた蓮の糸を老尼とともに染井の井戸(葛城市石光寺といわれ、そこの住所は今でも染野)で染めると五色の糸になり(この場面、絵本で好きやったわ〜)、どこからともなく現れた女性がそれを使ってあっという間に極楽浄土の様を織り上げて去ったという。これが綴織當麻曼荼羅の縁起である。ちなみにこの老尼は阿弥陀様、織り上げた女性は観音様の化身であったという。
確か以前の本歌の展示では、織られた絲から蓮の成分も検出できた、、、と書かれていたような気がするが確かではない。しかし展示品に「藕糸織」来迎図などがあって、この藕糸(うし)というのが蓮の繊維と絹を混ぜた糸だそうで、あながち曼荼羅も蓮の繊維が使われているのもウソではないと思われる。あ、當麻寺中ノ坊の庭園が香藕園というのはここから来ていたのか!と今わかった(^_^;
貞享本は織物ではなく絵であるが、これを見てようやく曼荼羅の全貌がわかるのである。中央に阿弥陀様、両脇を観音・勢至菩薩(この方達練供養の時に姫をお迎えにいらっしゃる)、浄土のありさまに周囲を取り囲む「観無量寿経」の教え。一度ゆっくりこの絵解きを聞きたいもの。
それにしても本歌の綴織、どうか崩壊せずお外に出せなくて良いからずっと存在してほしい。
中将姫が阿弥陀様はじめ25菩薩に迎えられて浄土へ往生されたのは、御年29の時であったという。展示室の入り口に置かれた中将姫座像(室町時代)は尼形で白い尼頭巾(ほんものの布)をかぶっている。美しく気高いお姿で、少し開いた唇にほんのり紅色をさしているところに若くしていかれた姫への思いを感じるのである。
会場の半分は夏休みお子様企画で「ほとけさまのハテナ」であったが、子供向けとバカにしてはいかんかった、ほんま勉強になったわ、今更聞けない仏様のかたちの違い。ついついワークシート完成させて記念品の「たいへんよくできました」シールもらっちゃった。
頭をいっぱい使ったので、お腹が減る(血糖値下がる)。ランチは博物館お向かいのおなじみ漬物バイキングの月日星さんへ。修二会の時はたいそうお世話になったが、食券システムを新しく導入されていた。これは時間節約でありがたい。
茶粥とご飯だけでこれだけ漬物が食べられるとは!お腹いっぱい。
五山送り火〜3年ぶりフルバージョン2022 - 2022.08.20 Sat
五山送り火、心の中では大文字と単によんでるが、毎年見られるわけではない。仕事の時もあれば旅行の時、疲れてや〜めた、の時もある。昨年、一昨年はコロナの影響で5点点灯となったが今年は久々にフル点灯となるし、曜日周りもよかったので、孫1,2,3号をひきつれて送りに行こう。

銀閣寺のところにある大文字の護摩木おさめは14日からやっている。例年は銀閣寺門前だったが、今年から(昨年も?)すぐ脇の、大文字登山口にあたる八神社の境内になっていた。
多くの方が護摩木をおさめに来られている。これで盛大に山でお焚き上げ、ご先祖様を景気よく送り出すのだ。保存会の方々も3年ぶりのこの日をじっと耐えて待っておられただろうな。
それぞれに名前を書いているところ、子供は絵になるのかTVの撮影取材まであったわ(^_^;
さて16日当日、前日までに丈を直した(この頃の子達の成長は早い)浴衣を着せて、おしゃれしておでかけ、、、、、のはずが、なんと途中で雷をともなう豪雨に見舞われたのは京都の五山送りの民はご存じであろう。せっかくの浴衣がびしょびしょになったのであった、、、(まあ、晴れ間ですぐ乾いたけれど)
今年は孫もいるので、五山送りも気合い入れて見せてやろうと、ほぼ全山(最終的に鳥居は見えなかった)見える古巣の大学研究室の屋上へ、昔のツテを頼って登らせてもらう。
屋上のさらに上、パイプはしごを登るけっこう危険な(^_^;特等席である。
この頃には雨は奇跡的に一時やむ。大の字の要の部分だけにチラチラと灯りが見える如意ヶ岳。
町の灯りも少しセーブされしずまって点火の時を待つ。
ところがやはり最前までの大雨がたたったのか、20時になっても大文字点火せず。
と思っていたらお先に失礼!とばかり(というか定刻なのだが)左大文字が点火。
そうこうするうち西賀茂の舟形もお先に〜
見えにくいが左端に左大文字、右に舟形。(こういうスケールなんです、とお見せしたいので)
15分ほど遅れておお、やっと大が点いた。
このころ舟形はきれいな舟の形をあらわす。
大の字、がんばれ〜!
そういえばいままでけっこう大雨でも火は点いていた。昨今のような豪雨では無かったにしろ、それなりの雨対策ノウハウは持っていらっしゃると思う。
そして松ヶ崎の妙
法
昔から思っていたがなんで「妙」は草書体で「法」はたどたどしいほど活字体なのかしら。(元となった字をかいたお坊さんが実は違うのだ)松ヶ崎あたりは今も日蓮宗のお家が多いと聞く。
舟と妙法の距離感
そしてやっと湯気をあげながら美しい大の字が浮かび上がった。
最初に大文字を見たのは中学の時、K大に行ってたいとこの下宿に遊びに行ってつれていってもらったが、当時はまだ交通規制するほど人出は多くなく、加茂大橋のたもとの交番の前でのんびり見たっけ。あれから追いかけてK大行ってその後、京都からでたり入ったり、最終的に京都に住んでるが幾度となく拝んできた。いや、拝むという感覚は年取ってからだな、若い頃は物見遊山でしかなかったが。
あれがお正月に登った大文字山なんよ、と孫に教えるもわかっているのかいないのか。
今の若い世代はおしょらいさんを迎えたり送ったりとかしらないだろうな、なにせ仏壇すらない家がほとんどだし。かくいううちにもない、、、(^_^;。それでもお盆となればキュウリや茄子に割り箸で足をつけた思い出がある。
そっくりだが、こちらはやや小型の左大文字である。一番についてすぐ暗くなったように見えたが、なんと復活してさらに明るくなっている。なにかの雨用テクニックを使ったのか?
やがて大の字も消えていく。
みんなの護摩木の煙とともに、ご先祖様も願いも昇華する。
ああ、今年も夏が終わったな、、、、
この後、家にかえるとふたたび雷雨、あの一瞬だけ雨がやんで雲間から空が見えたのはほんまに奇跡に近かったのではなかろうか。何かの力を感じる今年の五山送り火。
花背松上げ2022 - 2022.08.18 Thu
洛北山間部で行われる松上げはお盆〜地蔵盆にかけての初秋の風物詩である。5年前、広河原の松上げに行ったことがある。花背も行ってみたかったが、例年はいつも海外旅行中の日程で行くことがかなわなかったが、コロナのせいでしばし海外旅行もできず、はからずも行くことができた。

いずれも交通の便が極めて悪く、道も離合ぎりぎりの狭さなので、京都バスの往復送迎のみの特別バスを予約。広河原は芝生の上でのんびりシートを広げられたり、村人による軽食販売もあったりしてピクニック気分だったが、花背は橋の上や一般道路のガードレールの内側の堅いところにシートを引くはめになる。
待つことしばし、21時前、集落の春日神社より拝領した神火が二本の松明にうつされてやってくる。
河川敷(松場)に立てられた大きなとろぎ(灯籠木・この写真では暗くて見えていない)の近くで大きなかがり火となり、ここから1000本の松場に立つ地松(地面に立てられた松明)に火をつけていくのである。
川原の端っこからとろぎに向かってゆっくりゆっくり松明の数が増えていく。
BGMは単調なひなびた鉦と太鼓と、虫の声、川の流れの音、である。まわりで見物にきている人たちも次第に無言になって増えていく火の数を見守る。
松上げは正確には由来がわからないそうだが、江戸時代から始まり、火除けとか五穀豊穣祈願とか、お盆なのでおしょらいさん(御精霊さん)を送る儀式とか、諸説あり。場所的に、花背、広河原、久多、雲ヶ畑、など、惟喬親王伝説が残る場所とオーバーラップするのが興味深い。なにか関係があるのか、だれか研究していないか?
川原に松明の林が完成し、川にもその景色が映りこむ。去りゆく夏を送り、こっそりやって来た秋を感じるような風情のある景色である。
動画もみてね。この鉦と太鼓の音がしみるよ。
燎原の完成。いよいよ松上げが始まる。
男達が放上松(ほりあげまつ)を持ってとろぎの周辺に集まりだした。
点火した放上松をくるくる回しながらとろぎのてっぺんにある大笠めがけて玉入れよろしく投げ上げるのである。距離とコントロールが必要なので、なかなか難しい。確率的には20本に1本くらい笠にのっかる。その時は太鼓が連打され、観衆からは拍手がおこるが、1本くらいでは大笠はもえあがらない。
なんども何度も放りあげ、時にはほとばしる気合いの声をあげながら。
ついに大笠が燃え上がり聖火台の聖火よろしくあたりを明るく照らす。
そして頃合いを見てとろぎは倒されるのがクライマックス。
この既視感、、、そうだ二月堂修二会の達陀で最後に大きな達陀松明を聴聞衆の方へほおり投げて火の粉が飛び散るアレ(ハッタ)だ!
とろぎが倒れたのが、バスへ帰らねばならない合図、残念ながらこれでお別れである。広河原は村落の祭りとして倒れた後に盆踊りみたいな郷土芸能が披露されるらしいが、花背はどうなのだろう。
9月にはまた別件で花背へ行く予定、また2年前に今は亡き友と訪れた花背、あそこで出会った人たちもこの祭りに参加されているだろうか、、、そんなことを考えつつ、出町柳着が23時。
今年も無事夏を見送った。
旧中山道醒ヶ井宿〜梅花藻の頃 - 2022.08.16 Tue
旧中山道醒ヶ井宿は京都から車で1時間ちょっとである。ちょうど梅花藻の見頃を迎えて、駅前駐車場(そう広くもない)は満車。みなさん、見所をよう知ってはるわ。

JRの駅でお散歩ガイドマップをもらって歩き出す。見所はかたまっているので、歩いてもせいぜい1時間もあれば回れる。鱒の甘露煮のお店、そういえば、少し先米原の方へ行くと醒ヶ井養鱒場があるのだ。(東洋一の規模だって)
駅から歩いてすぐの所にもう梅花藻ポイントが!
小さな小さな梅の花が水中から顔を出しているといった風情、そこに散りかかったサルスベリの赤い花びら。
湧水(居醒の清水)を水源とする地蔵川に沿う街道を歩くと、どこか懐かしい建物や景色に出会える。これは明治26年創建の醒ヶ井尋常高等小学校の玄関を、昭和になってここに移築したもの。元は松尾寺というお寺さんだったらしいが、現在このお寺はもっと北の方に移築され、この門だけが残る。
そこにつながれていたわんこ。お散歩に連れて行ってほしいのに、、という感じで少ししょぼくれてはった。
滋賀県だからやはりヴォーリーズの足跡あり。旧醒ヶ井郵便局。
昭和40年代まで実際郵便局として使われていたそうで現在は資料館になっている。とりあえず残してくれてよかった。
またある意味水郷みたいなので、あちこちに名水と呼ばれる取水スポットがあって、これは西行水。
西行を慕うあまり彼の飲み残した茶の泡を飲んで懐妊した茶屋の娘は子を産むが、西行が、我が子なら泡に戻れ、というと泡になったとか。、、、、?この伝説の教訓は何だろう???
こちらは平安時代の天台僧浄蔵によって開かれたという十王水。十王といえば地獄の入り口で亡者の審判をおこなう閻魔さまのお仲間なので、お盆になんだかふさわしい。
地蔵川の川端はどこも石段があるので、観光客も思い思いに水に足をつけられる。
かつては生活用水でもあったと思われ、これは何かに似ている、、と思ったら対岸の湖西高島の生水(しょうず)〜”川端(かばた)”だわ。
琵琶湖だけでなく豊富な雪解け水を擁する滋賀県はほんとうに水の国だ。
さて、この地蔵川の梅花藻の画像をいくつか。
水は冷たく、梅花藻は水温14℃が適温らしいので、そういう川にしか生息しない。記憶では九州の柳川でたくさんの梅花藻を見たっけ。
水上に顔を出す花もあれば水中でゆらゆらゆれる花もあって見ていて飽きない。
川に各家が自前の橋をかけてそれが並んでいる姿はちょっと上賀茂の社家にも似ているが、こちらの方がはるかに風情がある。
川沿いにある了徳寺は「御葉付銀杏」が有名らしい。
なんでも花筏のように葉っぱの真ん中に実がなるという一種の先祖返りらしいが、望遠でも確認できず。天然記念物だそうだ。ネットの写真を見たが、たしかに変!(^_^;
川に沿った道はこんなゆるゆるで、古い建物が続く。
この季節は野生のヤマユリがあちこちにてんでに咲いていて、さらに景色に色を添える。
名物?醤油ソフトクリーム。
まあ、醤油シロップがかけてあるだけなんだが、香ばしくて美味しい。
再び梅花藻の川にもどる。
この道沿いはどこを撮っても梅花藻の群生が美しい。
それにしても水の透明度の高さよ。
写真に撮るとそこになにも無いようにしか写らない。
こちらは問屋場(といやば)。かつて街道の宿場にはいくつかあった施設で、人足や馬の引き継ぎを行ったところ、17世紀の建築がまだここには残っているのだ。
中は資料館として使われているが、建物の構造はよくわかる。
今回一番お気に入りの画像がこちらである。赤子を抱えつつも果敢に川に足を入れて梅花藻を撮ろうとする若いお母さん。なんかすてき。
一般公開していないが醒ヶ井の旧公会堂は国の登録文化財である。(昭和11年建造)

さて、一番奥まで行き着くとそこには地蔵堂があり、「居醒の清水」といわれる湧水の源泉。名前の由来は「日本書紀」の日本武尊伝説で、伊吹山の神と戦い傷ついたミコトがここの湧水を飲むとたちまち怪我が癒えたと言う。平成名水百選にも選ばれているのだそうだ。
さらにその奥に加茂神社(別雷神社=上賀茂神社)が請来?されているとは!水つながり、、かな?創建時代は不明なんだそうだ。(戦後移築されたとか)
さて、そろそろ帰ろう。
なんか良いミニ旅行だったな、醒ヶ井、また来たい。
祇園某数寄者の会2022夏 - 2022.08.15 Mon
またまた久々に、すごい好き者、、、でなくて(^_^;数寄者が祇園某所につどいて眼福・口福の会。
会の後にみなで行った祇園・松むろさんのお料理とともにお届けします。まあ自分用の備忘録として。

このたびは夏と言うことで、主催者さま(K先生)の大好きなバカラ祭り、一体どれだけでてきたことか。名品を手でさわりながら、時には口をつけながら楽しむひととき、茶の湯への造詣の広くて深すぎるK先生に学び、ご同席のまた知識が豊富すぎる数寄者の方々に学び、ほんとに勉強になりました。
(胡桃豆腐 お酒は獺祭)
待合でさっそく出てきたオールドバカラ(1936年以前)のグラスのくみ出しで、碾茶の!水出しをいただくが、この碾茶があとで濃茶で出てくるすごいお茶だった。
待合掛けに話題沸騰。
夕顔(瓢箪)棚の下でくつろぐ半裸の男女、、、どこかで見た図、、そう久隅守景の国宝「夕顔棚納涼図屏風」へのオマージュ。描いたのは岡山池田藩家老かつ大茶人でもあった伊木三猿斎(お庭焼が虫明焼)
その守景の絵のさらに元になったのが木下長嘯子の歌「夕顔の咲ける軒端の下涼み 男はててれ(襦袢)女は二布物(ふたのもの=腰巻き)」であったことを今回学習。
しかもこの掛け物、K先生が瓢箪の絵の古い手ぬぐいを探してきて中回しにして軸装し直した物だとか。あまりにぴったりの絵柄にこれは面白い!と膝を打つのである。
本席にはいってまた膝を打つ!こんな楽しいお道具があるなんて知らなかった。軸は竹屋町縫表装、つまり紗の布に絵も中回しも上下も風袋まで縫い(刺繍)で、全体として透けているのである。絵が極楽鳥であったが、中回しの兎の名物裂(前向き兎でかわいい)っぽい文様がおしゃれ。光を通して壁に影をつくっているのも涼しげだ。
天井から釣られた花入れはオウム貝に南鐐のコイル状鎖をつけた物に白い鉄線が一本。香合は一見日本の切子のように見えるが、これもバカラのコスメ容器なんだそうだ。
(松むろさんもバカラ祭りの続きでローハングラスに入っているのは山芋とジュンサイ)
お宝が菓子器で、春海バカラの鉢のなかでも希少(本社にも残っていないそうで)といわれる祥瑞の様々な文様をねじってあるもの、金縁。+その原型となった明末の祥瑞ねじり文様鉢。さわるとガラスの角が立ってチクチクするのが心地よい(ツボ刺激?)。はいっているお菓子は竹筒にはいった葛と寒天の透明度の高い水仙。(奈良・樫舎製)
(毛蟹は夏がシーズンなんだ)
濃茶がさきほどの水出しに使った碾茶を臼で挽いた物だったが、昨年の農林水産大臣賞受賞、碾茶日本一になったお茶なのだそうだ。(生産者・阪田広樹さん・久御山町)まだ茶銘もついていないピカピカのお茶は後口にお茶の葉の香りがして苦みも少なくさわやか。(あとで一缶拝領、感謝!)茶碗は井戸脇。
茶入は一見して真塗りの棗だが、よ〜く見ると光を透かすところがあって、、、なんと鼈甲製、薄い鼈甲を加熱してあの形につくるのだそうだ。今はもう新しい物は作れない。
茶杓が一燈の二本セット「蝉(瀬見)の小川」。裏の削りが一刀一刀跡が残っていて独特。使わなかったもう一本はずんぐりむっくりの面白い形で蝉にみえなくもない。ちなみに瀬見の小川は下鴨神社糺の森を流れる小川である。季節ぴったり。
ふたたび出てきたバカラに入った竹筒のお菓子、見た目はさきほどのと変わらないが、中身が水羊羹、鍵善良房製。これも美味しかった。
濃茶の時は普通のバカラの水指であったが、薄茶のは春海バカラの枡形。
主茶碗が瀬戸唐津の皮鯨でなかなか渋い。小さい繕いの部分に青海波の蒔絵あり。銘を「席田の鶴」
岐阜県席田を流れる糸貫川は平安時代から鶴の飛来する名所だったとか。
他にも赤楽平茶碗など、宗入と聞いてまた手にとりなおし見直した。粉引もよかった。
薄器が七代宗哲の夕顔、待合の軸に呼応する。
茶杓がご連客のお一人がお持ちになったものを使われたが、櫂先だけが色が違う。なんで???と思ったら櫂先以外の竹皮を削ったものなのだそうで、一見蓮弁に見え、時節柄ぴったりである。共筒に細かい細かい細字般若心経が彫り込まれる超絶技巧、どちらかといえば煎茶テイスト。明治に活躍した岡橋三山作。
(下にかくれたもちもちご飯が美味い)
最後に脇床に飾ってあったガラスのペアの花瓶、バカラのジャポニズムもので、鳥の文様に梅の足(金をかぶせてある)。これの裏に、、、初めて見た!1936年以前のバカラに刻印のかわりに貼ってあったというブランドシール!(直径1cmくらい)
ちなみに1936年以前のものをオールドバカラ、1936〜1969年までのをヴィンテージバカラというそうだ。Baccaratのサインが入るようになったのは1990年以降ととても新しいのね。
(冬瓜)
こういうお道具の楽しみ方もあるのか、、、といつも来るたびに驚かされるし、楽しいし勉強になる。K先生と博覧強記の数寄者ご連客方々に深く感謝である。また次の季節が待ち遠しいこと!
六道参りから壬生寺六歳念仏2022 - 2022.08.14 Sun
今年も六道参りの季節がやって来た。

例年は大概海外旅行へ行く直前なのであわててお参りするのだが、いまだ海外はためらわれる状況にて、今年ものんびりお参り。
清水道から六道珍皇寺へ向かう道、やはり今年も人は少ない。例年はたくさんのお参りの人でにぎわうのだが、主な参拝客の高齢者が暑さとコロナで自粛しているからだろうか。
それでも一昨年、昨年はな〜んにもでてなかった六道珍皇寺の門入った所の道に、高野槙や蓮、ほおずきを売る店が再びでていて、賑わいが少しもどっている。
水塔婆供養。亡くなった方の名前を書いて、高野槙で水をかける。
今年は義姉、茶友の一人が新仏になった。
お参りする。この日は亡くなった人のことを静かに思い出す日である。思い出してくれる人が居る限り人の魂は死なない。
地下の迎え鐘は今年も行列もなく、すぐに撞くことができた。しかし地下の鐘を撞いておしょらいさんを迎えるって発想がすごいなあ、、といつも思うわ。音も陰にこもっていかにもあの世との境の扉が開きそうで。
そして恒例の、六道の辻・西福寺で昨年いただいた祈願銭(包んだ五円玉)をお返しして新しいのをいただく。祈願するというよりお守りがわりである。残念ながら今年も檀林皇后(橘嘉智子さま=嵯峨天皇皇后)九相図は拝見できず。(死体が骨になっていく段階を九相で表した絵)
六波羅蜜寺でも地下の迎え鐘がある。
空也上人と清盛の六波羅探題ゆかりの寺である。
今年初めてできたばかりの令和館に入ってみた。
なんといってもかの有名な空也上人立像(重文・鎌倉時代康勝作)と平清盛坐像(重文・鎌倉時代)が展示されているのである。
空也上人は先頃東京へ出張されて人気を博したらしいが、実物拝見するの初めてかもしれない。口から南無阿弥陀仏の六体が出現する空也上人のお顔は苦痛を表している様でもあり、法悦の表情のようでもあり。
清盛像は歴史の教科書によく載っているあれ、である。武士の世を作るためには少し早く生まれすぎた英雄。
六道参りのあとはそのまま五条通へ出て、五条坂陶器市へくりだすのだが、、、、
残念ながら今年も中止になってしまった。なんにもない五条坂が寂しい。
さて、同じ日の宵は壬生寺へ。
19時から壬生六斎念仏講中による六斎念仏供養。まだ多少日の光の残る中、万灯に灯りがともりすでにはじまりの「発願」パートが始まっていた。
京都市内には15の六斎念仏講があるそうだが、壬生のは祇園祭の綾傘鉾のお囃子方としても活躍しているので、おみかけしたことのあるお顔もちらほら、聴衆の中にも綾傘鉾保存会の方がちらほら。ここはなにかしら家から遠いのによく知り合いに会う場所でもある(^_^;
昨年はプログラムもやや縮小されていたのだが、今年はフルバージョンとはいかないまでも昨年より多い。「四つ太鼓」では幼稚園児から少年、若者、以下順々に太鼓の腕前を披露して行く。小さくてもこのバチさばき!
ぼちぼち日も暮れて千体仏塔(平成元年創立)の灯りがきれいだ。
聴衆が集まる舞台から少し離れるとこんな景色。ここは、夏にご近所の人たちが夕涼みがてらにお参りされる場所なのだなあ。
そして、すでにもう懐かしい祇園祭で散々聞いた日和神楽のお囃子と棒振り踊り。
鉦の音
これは初めて見た「手毬唄」
町娘姿の手踊り、もちろん中身は男性なわけで、同じ壬生寺で行われる壬生狂言を連想させる。これも何年ぶりかの復活だと聞いた。
演題は不明ながら太鼓を担いで胴を叩きながらぐるぐる回る。
「獅子舞」
二人一組の獅子舞であるがかなりアクロバティックな踊りでハラハラしつつも見応えあり。
なぜか途中で土蜘蛛がでてきて(ここらへんのストーリー展開よくわからない(^_^;)、、、
さかんに蜘蛛の糸をまき散らすのである。
ちなみに綾傘鉾の棒振り踊りの時にも蜘蛛の糸が投げられるのはここからきているのかな。
この紙の糸には小さな金属製のおもりが仕込まれているので、これを3つ拾って財布に入れると金運アップ、というのでみんな競って拾う。(もちろん私もゲット)
そして混乱と喧噪の中、「結願」となりお開き。
聴衆は帰途につき、まばらになった境内で、あら、あなたも来てたの〜?あなたも〜?という知り合いへの互いの挨拶も毎年の恒例行事になったなあ。毎年同じ事ができる幸せである。今年もありがとう。仏塔の背後で夜はふけてゆく。
二月堂功徳日(およく)2022 - 2022.08.12 Fri
以前は修二会の時にしかいかなかった東大寺二月堂、最近はほぼ通年通っている。

夏には夏のお楽しみがあって、8月9日は功徳日、「およく(お浴)」とよばれる特別な日なのだ。この日お参りすると46000回参ったと同じ功徳があるとかで、たくさんの人が訪れるから、およく餅(後述)ほしいなら早く行くべし!と聞いて、朝も8時過ぎには到着。
朝とは言えもうこの時間はすでに暑い。
いつもは二月堂前で見たことのない出店(お盆用品)まででている。
法華堂(三月堂)の裏は植木屋さん?!
さてさてお目当てはこの福引き券!
万燈明のお供え(500円)をするといただける。普段は堅く閉まっている南の局がその福引き所で、いつもと全然ちがった雰囲気。修二会の峻厳たる雰囲気を知っているとこのオープンさに感銘を受けるよ。
なんだか修二会の時に拝見したことのある(練行衆も含め童子さんとか)お顔があちこち、この時は地元の縁日といった親しげな雰囲気がいいわ。手作り感満載の福引きの箱(^_^; 後ろに並んでいるのが景品、なんとTVまであったと聞いた。
で、ハンドタオルゲット。
コロナでしばらく使えないようにしていた鉦の紐が復活、久々に鉦をたたく。ええ音や。
ちなみに功徳日はいろいろ種類があって、なかでも46000回分というのは多い方である。(何億というとんでもないのもあるらしい)知人が調べたところ、お米一升=米46000粒に相当するので、一升=一生をかけたという説があるそうだ。まあ、そんなズル?しないで、地道にお参りするけれど。
茶所の奥の参拝者参籠所前の手水にはお盆的荘厳。
茶所の前のテントでは土用のあんころ餅である「およく餅」の販売。並ばずにすいすい買えたが、その後行った人からはすごい行列ができてて、昼前には完売したとか。朝早く作戦は成功だったようだ(*^_^*)v
修二会のお松明が登ってくる登廊をおりて、、
食堂前〜湯屋にいたる見慣れた通い慣れた景色。今年の3月は真夜中の開白上堂(3月1日深夜・修二会の開始)もこの前で見守ったっけ。
鬼子母神さん前の石榴の実が大きくなっていた。夏やなあ。
買い求めたおよく餅(桃林堂製)はだれもいない手向山八幡宮の茶所でいただく。甘くて美味しい♪なによりの功徳やわ。(大きめの赤福といったイメージ)
二月堂裏参道の景色も真夏で、修二会の時とはずいぶんちがうなあ。サルスベリの赤い花が印象的。
御供田の稲も青々
ここまで来たので、(ただで入れる=東大寺友の会)大仏殿へ、大仏様にご挨拶していこう。
コロナで3年間できなかったお身ぬぐいを、ようやく数日前に終えたばかりで、さっぱりとした感じの盧舎那仏様。いつもにも増して男前でございました。
立秋前の夏越〜下鴨神社矢取神事2022 - 2022.08.11 Thu
8月7日は立秋、その前日は旧暦の夏越し祓の日である。

過日、というか7月中、足を御手洗池につける御手洗祭りがおこなわれる下鴨神社。今年は日中に行ってきたが例年より水の量が少なかった。普段はスカートをまくりあげねばならんくらいの深さなのだが。
その芋の子を洗うがごとき御手洗池も、、、
夏越しの矢取神事のために静まっている。
池に立てられた50本の矢=斎串(いぐし)、これを裸男が競って取り合うという神事なのだが、これは御祭神・玉依姫が鴨川に流れてきた丹塗りの矢を拾ったところ男神となり賀茂別雷命(上賀茂神社御祭神)を生んだという「山城風土記」の神話に由来する。
まずは御手洗池の前に鎮座される井上社(井戸の上の社)にて神事。
この間本殿では本殿の夏越神事、矢取をする裸男たちがお祓いをうけているはず。
そうこうするうちに日も暮れてきた。神職達が御手洗池の前にあつまる。
斎串立て 御瓶(みわ=酒)据えまつる 祝部(はふりべ)が
髻華(うず)の玉蔭 見ればともしも (万葉集)
池に立てられたかがり火もなんとなく夏の終わりを告げているようだ。まだまだ暑いが、日暮れ前は油蝉ではなくヒグラシが鳴いていたもの。こっそり秋の気配がどこかに忍び込んでいる。
池の向こうから「エッサ エッサ エッサ〜」というかけ声とともに裸男たちが走って現れ、
池を取り囲んでいく。
元は厄年の氏子の男性だったらしいが、今はどうだろう。
しばらく祝詞が続き、、、
裸男たちも神妙に聞いていたが、、
神職の手で人形が一斉に池に投げ込まれると同時にわ〜っと矢を取りに行く。
瞬間だったで、え?え?という感じでシャッターチャンスがよくわからなかったわ(^_^;
まわりでは雑色たちが男達にさかんに水を浴びせかける、水しぶきが飛ぶ。
これはなんだ、どこかで見たことあるような、、、、そうかふるさと岡山・西大寺の裸祭だ。(あっちの規模は半端ないが)
あっというまに50本の斎串が取られた。この間30秒もなかったような、、、ここまで待つこと約1時間だったが(^_^;
裸男の数からすると一人1〜2本というところか。1本の人もいれば2本ゲットの人もいる。
そしてまた「エッサ エッサ エッサ〜」のかけ声とともに去って行く。このまま神社入り口の茅の輪をくぐって解散なんだそうだ。
あっというまの行事で、あとには人形だけが池にうかぶ。
境内から逆コースで茅の輪をくぐった。
これがほんまの夏越しだ。(6月30日はあくまで新暦仕様)明日から秋、、のはず。
茅の輪の横に、たくさん茅が用意されていたので、抜き取ってミニ茅の輪を作る。
暗い糺の森を通り抜け、出町の方まで歩いて行くと空には半月の月。
入り口の河合社あたりの瀬見の小川でまだ夏越し神事は続いていた。
この小川にも斎串を奉る。
神官達を先導する松明が去って行き、夏越し神事はおわる。
下鴨の夜はまた暗さを取り戻す。
瀬見の小川に立てられた斎串を拝んで1年の後半の無病息災を祈って家路につく。
なら燈花会2022 - 2022.08.09 Tue
奈良の夏の風物詩・なら燈花会へ久しぶりに。

(興福寺南側の摂社の階段の灯り。いつもは有名?ノラ猫のコロッケがいるところである。→コロッケさん家猫になったそうです。)
冬は青い灯りが会場を埋め尽くす、なら瑠璃絵、夏は燈花会。これがはじまったのは1999年だったと聞くから、もう23年目なのだな。ここ2年はコロナで行われていなかったので、3年ぶり。
いつもの8月は海外旅行へでかける時期なのでなかなか来る機会がなかった。調べてみたら、以前行ったのは13年も前のことだった。近鉄奈良駅で降りると、普段はこの時間、ほとんど人通りのない道が家族連れやカップルでたいそうな賑わいになっていてびっくりしたっけ。
(猿沢池と月 来月の采女祭はあるのかな?)
例年よりは縮小されているが、それでも13年前の画像と比べるとバージョンアップが見て取れるのである。
灯火は一つ一つちいさなティンカップろうそくが入れられている。瑠璃絵もそうだがこの大量の灯り、人海戦術なのだろうが、ご苦労がしのばれる。
猿沢池から興福寺への長い階段を登る。このあたりは勝手知ったる場所だが、灯火が並べられると雰囲気ががらりとかわるのだな。
階段の灯りは竹の筒に入れられていてまた違う雰囲気だ。
みえづらいが、シルエットになっているのが興福寺中金堂、数年前復元されたばかり。
国宝・東金堂もこの期間だけは夜間拝観できる。夜にお堂に灯りがついている雰囲気は捨てがたい。
興福寺エリアからどんどん東へ歩く。
奈良国博も影に沈む。あ、當麻寺と中将姫展やってたんだ、行かねば。
ときどきぬっと鹿の影が寄ってくるの、ちょっと怖い(^_^; だって今の季節の牡鹿はすごく立派な危険な角を持っているから。
林の向こうに見える色とりどりのなんだか妖しい灯りは屋台のもの。コロナでしばらく屋台が姿をけしていたので、この賑わいはなんとなくうれしいが、遠方から見たとき、狐火かと思っちゃった。
ここは浅茅ヶ原、春日神社参道の一部で、ここでは竹と灯りのコラボが。
竹で編まれたオブジェの向こうには、、、
浅茅ヶ原にひろがる無数の灯火
飛行機の夜の滑走路のようでもあり、異界へ誘う道のようでもあり。
ただ、夜景となると人間の眼でみた感動が、カメラではどうしても伝えきれないもどかしさがある。写真以上に美しかったのだ。
竹のアーチをくぐって
竹のオブジェを眺めて浮見堂のある鷺池の方へ
鷺池を見たとき思わず感動の聲をあげた。
提灯をつけたボートが暗い池一面にたくさんゆらゆらゆれる。(もちろん順番待ちで人が乗っているのだが)
この幻想的な景色は、現実のものとは思われず、しばし見とれた。(写真の再現性のなさが悔しいわ)
19世紀のイギリスの画家・サージェントのカーネーション、百合、百合、薔薇の絵を連想させる。あれも少女がこんな提灯を持っていたっけ。
二月堂へ続く広い広い浮雲園地
春日野国際フォーラムへ続くなだらかな草原(といっても鹿に食い尽くされて短い草だけ)一面の灯火。これが春日大社の万燈会まで続いているともっと楽しいのだが、こちらのほうは、今年は来週末のみ(14日)。
ここでは一期一会ならぬ一灯一会と称して、好きな場所に自分の灯りを置くこともできる。
最後にせっかくだからライトアップされている東大寺南大門まで。ここは修二会の時になんども夜中に歩く道だ。
昼間にまして迫力のある金剛力士さん。ここまで来ると人は少なく静かだ。
残念ながら東大寺の鏡池のライトアップは13日14日のみの限定のもよう。
そろそろ21時、燈花会も終了する。ぎりぎりまで夏の宵を楽しみ、奈良をあとにした。
懐石の器展(風炉編)〜MIHO museumからの信楽・魚仙 - 2022.08.07 Sun

懐石の器展の炉編にでかけたのは5月のことであった。まだ気候の良い時期であったが、風炉編のこの日は、、、車の気温表示が39.5℃というコロナの発熱か?と思うくらいで、しばらく駐車した車のハンドルが熱くて持てないくらいであった。
まわりの景色もすっかり夏色、ただここは信楽の山の中、下界よりは日陰は幾分涼しいのであった。
展示は炉編の時と通しで出されている物が多かったので、新鮮な驚きはないものの、何回見てもええな〜と思う物は何回みてもよいのだ。5つそろった志野(赤がかなり勝ってる)四方向付や鼠志野の向付は何回見ても垂涎。
風炉の懐石道具としては、炉編の時にすでに展示されていたガラス器、新しい展示替えのものもあったが、残念な事にお目当てのものは7月一杯で展示終わってたり、少々物足りなさもある。
よかったのは展示の背後に掛けられた参考出品としてだされた書画が夏の物に模様替えされていたこと。炉編では桜ものが多かったが、今回は朝顔(渡辺崋山)や虹(円山応挙)、同じく応挙の遊亀図やはやくも秋先取りの栗籠図。なかでも、、、
(「淡交」8月号)
宗峰妙超大燈国師の墨跡「日山道号偈」である。(松下幸之助旧蔵)
実は今月号の茶道雑誌「淡交」に載っているのだ。
大燈国師(大徳寺開山)が日山という弟子に与えた道号に対する偈頌を書いた物で、日山という方は今の守口市あたりの人だったとか。
道号偈で有名なものとしては同じく大燈国師の関山慧玄に与えた「関山道号」は国宝であるので、これもひょっとしたら国宝に将来なるやもしれぬ。
宗峰妙超は、まくわ瓜の逸話(足無しで来いといわれて無手でわたせと言い返した)でも有名だが、播磨たつの市の出身。その生誕地を記念して建てられた宝林寺のさきのご住職(若くして遷化)のご生前の法話集を今読んでいるので、よけいに心に響くわ。
今期MIHO はもう一つの特別展「中華世界の誕生」展に力をいれている様子。紀元前3000年から始まる工芸品、美術はそれこそ中国4000年の厚さと深みを感じさせて圧巻であった。正倉院展もすごいが、工芸のレベルでははるかに中国に遅れをとっているわと思うのであった。(ただし茶道具ほど興味がないのでゴメン(^_^;)
で、MIHO の入り口に向かって左手の常設展にはほとんど行かないので、今回ここにこんな広いカフェがあることに初めて気づいた次第。(エントランスのレストランは愛用しているが)
広くて明るくて、とても雰囲気がよかった。
カトラリーもMIHO仕様で美しい。さすがやわ。
その後のお昼は車で少しもどって信楽の魚仙さんへ。
特別懐石コースをいただいた。先ほど見てきたところの懐石の器を思い起こしながらいただくとさらに美味い。(しかもえ?このお値段で?というお得感)
大将はたん熊北店で修行されたそうで、椀物も上品で薄味、まさに懐石の椀物の出汁の味であるのがうれしい。冬瓜と穴子に豆腐、今度の茶事で参考にさせてもらおう。
もう一つ、ここは信楽なので、器には事欠かないのだ。つかわれているのは大将セレクションの信楽焼であることも付け加えておこう。
MIHO museumへ行く楽しみがまた増えちゃった(*^_^*)
横浜にて茶事〜百人一首やら菊水鉾やら鶏鉾やら、、、うわあああ〜! - 2022.08.05 Fri
面妖なタイトルになってしまったが、そうとしか書けないすごい茶事に行ってしまった。
横浜の瀟洒なお家のこの扉の向こうにめくるめく?数寄の世界が広がっていようとはだれも思うまい。こちらにお邪魔するのは久しぶりなのだが、なんだか行く度にグレードアップしておられるような。
表千家歴代と楽の歴代が頭にはいってないので、もうかなり混乱、ご一緒した(こちらもすごい)お道具通の方によると覚々斎原叟以降の家元の物が全部そろっているとか。(スミマセン検証できない、、、)
もう、まずね、本席にはいったとたんに「おお〜!」とか、「ひゃ〜っ!」とか。
だって若冲の鶏が掛かっているのですもの(゚Д゚)!
門の屋根に危なげなでんぐり返しの(若冲好きよね、アクロバティックな構図)姿勢でとまる雄鶏、落款は若冲と汝鈞(中国式の名前付けが当時はやった)。これだけでちょっと意識がぶっとんだわ。
気をとりなおして(^_^;
物語は寄付から始まる。
寄付の軸・「門外雨滴聲」(碧巌録より)即中斎(このあたりはまだわかる)の若書、この掛け軸に合わせて傘の煙草入れ、滴(粒)足の煙草盆、楽の火入れ(もう、楽は○入か△入か覚えきれませんでした、、、というくらい楽歴代そろい踏み)
本席では以前拝見した懐かしい惺入の風炉(獅子の足付き)、釜は浄心、即中斎の花押が鋳込んである。敷板も久田家の歴代だったような。
炭道具は初炭と後炭で替えてくるという贅沢さ、あまりの数のおおさとすごさに並べるのもきりがないので、印象に残った物をあげると、初炭の志野香合「紅」、軸の鶏にちなんで「東天紅(夜明けのときの声)」の紅と。後炭の香合は利斎でこれも「鶏頭」の花。
後炭の羽が虎鷹、寅年と、今年復興なった鷹山にかけて。
(ご本職が陶芸家でいらっしゃるので懐石道具も作品)
ご亭主は、最近は百人一首にめざめ、すらすら言えるようになるように1〜100,100〜1とくりかえし勉強されているそうな。よって鶏の軸の前で
「よをこめてとりのそらねははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ(清少納言)」
この歌は函谷関の故事を踏まえた歌なので、函谷鉾もイメージさせつつ、また鶏鉾の由来の諫鼓(政治に不平を持つ者がならす太鼓にだれも不平がないのでならさず鶏が巣を作った)も連想させる、と思ったら、あとで出てきた濃茶の蓋置が楽歴代(だれか記憶にあらず)の太鼓なのである。
ついでを言えば、薄茶の蓋置が膳所の「抱柏」、主に神職の家紋に使われたそうだが、ここでは「柏→かしわ→鶏肉」というオチも(^_^;
も一つ言うと、百人一首の上の句を言ったら下の句が言えないと懐石食べられないというルール作るとおもしろいかもね〜というご連客様とのジョーク、ちょっと本気でいいかも、、、と思っちゃった。
(表千家では八寸を亭主客それぞれを行き来させる)
懐石道具も表千家歴代の花押があちこちについていた。かないろ(汁入れ)の匙が南鐐でこれも家元の箱付きとは!割蓋と取っ手のついた飯器は銀の波蒔絵でいかにも夏茶事にふさわしく涼しげ。
懐石のあとに出てきた京都ではおなじみのこのお菓子が怒濤の後座のプロローグであったとは!
わざわざこのご趣向のために京都まで行ってもとめられたという。
「したたり」
今でこそ年中もとめられるが、最初菊水鉾が復活したときにちなんで作られたお菓子で祇園祭の時しか買えなかった。したたりの出典はもちろん「菊慈童」である。酈縣山のしたたり、菊水の流れを飲んで700年生きたという謡曲の主人公。菊水鉾の会所は武野紹鴎の屋敷跡、菊水の井の跡である。
(上にのっているのが山椒の葉でとても合う、ちなみに菓子器も楽の何代か)
後座の席入りで大きな割蓋の水指(南蛮擂鉢 銘「落雁」)の上に茶筅飾りがしてある。そしてその前に茶入をいれている黒い茶碗は、、、、
え?光悦?のんこう?光悦?のんこう?
とドキドキしてしまった!この薄造さは、記憶にあるぞ(以前さわった光悦)、光悦と切磋琢磨したのんこうもありや。これで飲めるのかと思うとわくわくである。
きた〜っ!おそるおそる口をつけてのちひっくりかえすと、、、
のんこうでありました〜!しかも銘が「菊水(如心斎)」、これはお菓子がしたたりでなければならないわけだわ。ありがたや。
花入れが黒楽の釣瓶であったのも、菊水の井にちなむものだったのね。(花はムクゲと縞芦)天井の蛭釘に釣瓶の滑車見立ての鐶をつるしているあたりも芸がこまかい。
茶入はきれいなろいろになった棗(紹鴎型?)で、蓋裏に堀内家二代の宗匠の花押が、夜桜棗の手法で。(目をこらさないと全然見えない)お茶は丸久小山園の「天授」(私が知っている限り一番高い濃茶)
茶杓は節なしの長いもので銘を「長刀」(久田宗全 久田家二代)、長刀鉾よね〜と思っていたら薄茶の茶杓がもっと長刀鉾であった。
(亀屋伊織の祇園祭団扇 木地の皿も花押ありで菊水文様)
つまり、長刀鉾の真木に使われた竹をもって即中斎?が作った20本のうちの一本で、それぞれ祇園祭にちなんだ銘がついていたらしい。この茶杓は「祭太鼓」であったが、銘のリストには弦召(つるめそ =犬神人 祇園祭の警護もうけもった八坂神社の雑色)なんていう通なのもあって面白かった。
薄茶の茶碗も楽と高麗のオンパレード、歴代家元の花押付きとすごいのばかりでたが、一見粉引にみえる井戸脇がよかったな。高台の内側にぐるぐる文様があって、うちの蕎麦といっしょ。
繕いがたくさんある刷毛目は「三井寺」と(だれの銘か失念)。つまり三井の梵鐘のように割れているってことで、水指の「(堅田の)落雁」と呼応。(「三井の晩鐘」とともに近江八景)
二服目は直入さんの香炉釉の筒茶碗でいただく。縁がほんのり紅色で焼き抜きにいっちゃう前のおとなしい茶碗であった。他の方にでた茶碗もたくさん由緒もあり素晴らしいのがでていたが、覚えきれない、、、
これでだいたいご亭主が意図したところは汲めただろうか。(とりこぼしお許しを)
途中でキャパオーバーになってもう覚えきれない、、、というところまで行ったもんなあ。前回も頭が沸騰しそうになったが、今回はさらにパワーアップだったわ。
ほんまにこんな茶事に呼んでくださってひたすら御縁に感謝するしかない。(これみたらとてもうちになんかはお呼びできないわ(^_^;)
うちの茶事にもきてくれた東京の茶道男子たちとたまたまご連客となって、これも楽しく刺激をうけられた。あと博覧強記の茶事200回?というすざまじいお茶人さんもね。みなさまありがとう。
最後にみんなで寄せ書き、「これやこの行くも帰るもわかれては しるもしらぬも逢坂の関(蝉丸)」の百人一首の歌を書き添えた。
帰洛してしみじみ、たまたまながら菊水鉾の粽お土産にもっていってよかった〜と思った。
炎天下3年ぶりの湿し灰作り - 2022.08.03 Wed
3年ぶりに湿し灰を作る。
なぜ3年ぶりかというと、3年前に作ったのが量が多かったので、今まだ使えるのだ。3年もたつと水気も飛ぶだろうと思われるかもしれないが、いやいや、密閉容器に入れたとは言えまだしっかり「湿し」灰なのだ。しかも年がたつにつれ熟成?するのかサラサラ感が向上して良い感じなのである。しかしさすがにそろそろ底をついてきたので、3年ぶりに。

もちろん天気は上々(上々過ぎる、、、)体温超えの炎天下である。
まずは水にさらしてアクやゴミを取り除くこと3回、替えるたびに水が澄んでいく。
上澄みを捨てて、煮出して茶色茶色の京番茶を投入。
しかし、いまだに色づけに番茶をいれる意味が、、、色づけの意味がワカラナイ。湿っているだけで灰はいい色するのである。
3年ぶりに引っ張り出した茣蓙に灰をぶちまけ、、、いや広げる(暑さで少々辛抱がきかない、、、)
炎天下で水分が飛ぶのを待つ。
その間にバケツにぴったりサイズの篩をセットしておく。
途中にわか雨がちらっと降って軒下に避難したりしながらも、その後は順調に乾く乾く。乾きすぎでは、、、と心配なくらいであったが、手で握ると、ぽろぽろと崩れるちょうど良い感じ。
裏ごしする要領で篩いにかけて、、、
完成〜!
わりと良いできだと自画自賛。まだ幾分水気が多い感じだが、しばらく寝かせるとさらっとしてくると思われる。炉開きが待ち遠しい。密閉容器(厳密な密閉でないとこがミソ)にいれて保存。
ちなみに、茣蓙にこびりついた灰を余さずこそぎ取ったり、篩いに通したり、とてもお役立ちのツールがこれである。台所にあるアレ。お好み焼きに欠かせないコテなのであった。
少し遅めの蓮見〜法金剛院〜東寺 - 2022.08.01 Mon
7月は忙しくて、気がつけば法金剛院の蓮も今月いっぱいの公開ではないか。

昨年はばたばたしつい行きそびれたが、ほぼ毎年蓮を拝みにいっている。コロナ以降入り口がかわったり、お堂のお守り授与もなくなったり少しさびしい。
入り口に見事な朱の紅葉葵、薄暗い小間の茶室にいれたら映えそうだ。
この暑さゆえ、境内には2〜3人の人しかいなかった。なのでゆっくり静かに(汗をかきながら)蓮を愉しむ。
見事な大輪の白蓮
そういえばうちのゴージャス系白蓮、あれ以来全然つぼみがつかなくて、一輪だけで終わりそうだ。
蓮は実もまた味わい深い
ここまでは鉢の蓮だが、、、
ここの蓮の真骨頂は池の蓮である。
小さな鉢と違って思うままにひろがる蓮の葉である。そういえばここの池のは白蓮だけだったか。
思いっきり広がって伸びた蓮の葉
うちの蓮の葉の裏に蜘蛛が巣をはっていたっけ。思わずカンダタ(芥川龍之介「蜘蛛の糸」)をさがしたよ。
まあ遠慮会釈もなしにのびのびと広がった葉っぱの大きさ!
蓮の花の裏には極楽浄土
極楽がいっぱい、あやうく成仏しそうになるぞ。
中学の時、美術部で先輩が描いた中将姫であったか、その背景の蓮の描き方がとても中学生とは思えないほど素敵だった。ちょうどこの写真の感じ。その後彼女は京都市立芸大に進み、プロの日本画家として天から与えられた才能を開花されたが、あまりに天に愛されたのか、惜しくも40代で亡くなった。
どうも蓮の花をみていると亡くなった人を思い出していけない。
今年親しかったり身近だったりした人を二人失った。
こちらはミニ睡蓮とでもよびたいヒツジグサ、葉っぱの形が羊蹄
さて、続いてその足で東寺に向かう。
ここの蓮池の写真をたくさんTLで見て、行かなくちゃと思いつつ、行ってみるとこちらの蓮はほとんど終わりかけ。
そのかわり実がたくさんついている。
このシャワーヘッドみたいなのけっこう好き。蓮の種類によっても形がずいぶん違うのね。
野生の鴨や、アオサギ、亀がのんびりくつろぐ東寺の池
そういえば昨年は東京の不忍池の蓮を見たなあ、、また東京行きたい。
せっかくなので、東寺の講堂へ久しぶりに。ここには空海の3D曼荼羅?がある
男前の帝釈天さま(国宝)に会いに。白象に乗っておられるからずっと普賢菩薩と思い込んでいたが、帝釈天やったんや、、、(゚Д゚)といまさらながら。どう区別をつけるべきか。菩薩はやっぱり成道前のお釈迦様で王子だから瓔珞とかキラキラ?帝釈天はシンプルですっきり?
鵞鳥に乗った三面六臂の梵天様はわかりやすいが。
真言密教といえば、また高野山へ行きたいな。結縁灌頂、コロナでしそこねたままだ。