飛鳥光の回廊2022 - 2022.09.30 Fri
昔、明日香村にはよく行った。20年以上前から毎年欠かさず行っている二月堂修二会の帰り道に足を伸ばすというパターンだった。明日香のたたずまいがとても好きなのだ。
最近も長谷寺の帰りに行ったなあと思っていたら、飛鳥光の回廊2022というイベント情報をゲット!
え?夜??明日香の夜って真っ暗やん。普通出歩かないけど、夜の明日香を堪能できるなら!と。
ただし連休中の国道24号線の混雑ぶりを甘く見ていたので、到着が遅れ、全部で4カ所あるエリアの内2カ所しか回れなかったのは返す返すも残念である。

あらかじめ予約していた石舞台公園の駐車場に車を停めると、、え〜?あれ何〜?
地上からほんの少しだけ?浮き上がる気球であった。子供連れに大人気だったようだ。
石舞台公園では光のランタンやオブジェがたくさん、とてもきれいなのだが、ちょっと光から離れると足下もおぼつかない暗さ、しかも暗くて目視目標が見えず、方向がまるでわからない。ちょっと、石舞台(蘇我馬子の墓説)どこよ?
なんども段差や草に足をとられながらやっと石舞台。おお!気球が重なってなんだかシュールな景色や。
これには馬子もびっくり?!
昔はこの石舞台、なんにもない原っぱににょっところがって?て、見るのも中に入るのも自由だったのだが、いつのころからか、柵ができ、入場料を払わないと近寄れなくなってしまった。昔ののどかな時代が懐かしいわ。
気球の炎が消えると、これはこれで石舞台とジュピター(木星)って感じでなかなか良い。
この墓ができたときには(7世紀)石室はすべて地中に埋まっていたそうだが、現在はこのように石室むきだしになっている。まさかこんなことにと馬子が、、(あ、しつこい?(^_^;)
普段から石室内にも入れるが、ここもランタンの明かり。そうじゃないと真っ暗で肝試し級に怖いわな。
はい、これが明日香の本来の暗さを示す図。真っ暗!
石舞台の上に火星と木星(たぶん)がかすかに写る。
事前チケットで乗り放題の4会場を回るシャトルバスであるが、乗客が多いのと便数が少ないので、なかなかスムーズに4会場全部回るのは難しそう。歩いて回れなくもないが、この暗さでは絶対迷子になるし、怖いし、、、(でも歩いて回っている猛者もいた)
次の会場、、というかこれで最後になってしまったが、岡寺へ。ここもご覧のように真っ暗!
帰りの道は細くて街灯もなくてほんまこわかった、、、けど交通量ほぼ0に近かったのでOK。
岡寺(龍蓋寺)はず〜っと昔に行ったか、行ったことないか、ほぼ記憶がない。少し離れているのと小高い山の上で坂道を登らないといけないので敬遠してたかも。
これは重文の仁王門、慶長年間の建造。
昨今花手水の見られる所は多いが、ビー玉手水は初めて!夜だからよけいにキラキラ光って美しい。
岡寺の歴史はまさに飛鳥に都があった時代、天武天皇と鸕野讃良(のちの持統天皇)の跡継ぎながら早くになくなった草壁皇子の宮(岡の宮)のあとに建てられた寺である。(余談であるが草壁皇子の妻・阿閇皇女は後の元明天皇)
岡寺ではランタンと和傘がテーマのようだ。
階段にも傘。
ランタンとその隙間を埋める傘傘傘。
これもなかなか古刹にとってはシュールな景色。
ご本尊はなんと塑像なのだ。しかも如意輪観音とは見ただけではわからなかった。奈良時代の仏様で重要文化財である。お堂の中にこのときは特別に入れるのだが、脇侍の不動明王、愛染明王(いずれも江戸時代)が高いところにおられて、そこだけライトアップされているの、迫力あったわ。
なんとなく舞妓さんがもちそうな和傘、お寺にあるというミスマッチが斬新。
あと川原寺・橘寺跡の会場は車からみただけだったが、かなり広いエリアにランタンが設置されていて、周りが真っ暗なだけにとても良い雰囲気、近くで見たかったなあ。飛鳥大仏(飛鳥寺 この前行った。入鹿の首塚近く)もライトアップ見たかった。
これが昼間の明日香である(首塚)。歩いて回るのに気持ちよい景色なのだが、しつこいけど夜は真っ暗。
車でも怖いわ、、、といいながら一瞬ヘッドライトに浮かび上がった彼岸花の群生はとても素敵な景色だった。これは昼間見たかった。
朝茶事〜安食ひろ祭り - 2022.09.28 Wed
早朝4時に起きてごそごそと朝茶事の準備。朝茶事は何年ぶりかなあ。なにせ早起きがニガテ。しかも6月最後の茶事をして、真夏はクーラーのない茶室、茶事はお客さんが熱中症になってしまう〜というので封印していたから、ちょっと茶事のリハビリが必要。
9月にもなると朝7時でもまだまだ明るくはない。

先日道具整理の折、昔安食ひろさんからいただいた団扇はがきを見て、そうだ安食ひろ祭りをしようと思い立つ。
玄関はお彼岸なので、裏庭の彼岸花、これ鉄板。
安食ひろさんは出雲の国で陶芸をされ、アバンギャルドなお茶もされるすてきに洒脱な70代のおじさまである。御縁あって、大阪から京都までの電車をご一緒したこともあり、紫野TT舎の個展でもお茶をいただいたり。なので今回のお客様はみなさまひろさんをご存じの方で。
秋草の舞扇は実家に埋もれていたのを持って帰ったもの、裏は月に雁で仕舞にも使えそうな物。
待合ではまだ薄暗く(雨のせいもあるのだが)灯火が必要。
結局終日雨だったので、席入りは雨の日ルート、蹲居はぬれるのをいとわなければ使えるけれど、笠の用意、、は収納場所を考えると却下。
ちょっとめずらしいワインを最初の一献におだしする。
ひろさんの秋草の軸。絵も字も達者に描かれる。
西行の歌で
「おぼつかな 秋はいかなるゆゑのあれば すずろにものの悲しかるらむ」
秋にしかかけられないが、まさにこの時期にこそ掛けるべきものかな。
旧暦の重陽の節句はまだなので、菊の香合。
ちなみに初座はこんな暗さ。軸をみるのにも手燭が必要。
切り掛けの釜は(みえないけど(^_^;)ミニミニ万代屋で測ったら1.1リットルしか水がはいらないしろもの。暑い時期は火は小さい方が良いが、炭手前がレギュラーにできない。(胴炭入らない、、、)
懐石の飯器は朝茶事の定番、籠に蓮の葉をしいて。蓮の葉はうちにたくさんはえている。
朝は懐石もさらっと。
焼物省略で向付は生ものでなく、というので試行錯誤した野菜と鶏肉の寒天寄せ。
懐石作りも上手な茶道男子もおられるので、お眼鏡にかないましたかどうか(^_^;
唯一心残りはひろさんのアバンギャルド酒杯を使うの忘れたこと。70を越えてなお創作意欲が若い勢いのままというのがすごい。どうやったら気持ちを維持できるのだろうか。
いまでもひろさんとの会話で印象的なのが
「70越えたら怖い物はなんもない!」というお言葉。何事も恐れず、失敗も今までの数を思ったら一つ増えたところでどうってことない、の精神でどんどんやりたいことをやる。恥なんて言葉しらない。あ〜、凡人たる自分はなかなかその境地にはたどりつけそうもないが、思い出すたびに勇気をもらえる言葉なのである。
其中庵さんから昔拝領した宗和好みの銘々皿にて葡萄葛餅を主菓子に。なかに葡萄がはいっているの。
後座の頃外は明るくなってきたが、雨なので、茶室内はやっぱり暗い。昔はこんな感じだったのだろうな。
実家からもらった種で育てた高砂芙蓉。朝咲いてすぐしぼむので朝茶事にぴったりの花。花器は須恵器(古墳から出土)。
そして本日のメインは安食ひろさんの茶入「バサラ」
まさに婆娑羅!回しだし拒否の茶入である(^_^; 奥様が縫われたインドシルクの仕覆がまたすてきで昔入手したもの。大覚寺茶会でも使ったので、見覚えのある方もおられるかも。そういえばひろさんの生き方自体が婆娑羅だよなあ、と思う。30カ国以上をふらふら放浪?してインドで個展やら茶会やら開くという、、、そんなひろさんに不思議と似合うのが出雲という土地なのだ。
茶杓もひろさん手作り、銘を「猪牙」(ちょき)
私の世代では時代劇などでちょっと吉原に遊びに行くのに猪牙舟に乗って、、というのがわかるのだが、たぶん今の若い人にはワカラナイ方が多いだろう。それにしても茶杓に猪牙たあ、えらく洒脱なじいさんだぜ(と江戸風に言ってみました(^_^;)
銘の由来を書いた自筆のお手紙がお値打ちである。
干菓子は亀廣保さんの菊花。これからが菊の旬だしね。
薄器は釣瓶に朝顔というこれもガチテッパン。
お開きになってもまだ午前中という朝茶事、もう一仕事できそう。
朝もはよからおつきあいくださったお客様あっての朝茶事、ありがとうございました。
長月雑記2022 - 2022.09.25 Sun
どうってことない長月の雑記
ほんとうは真夏に飲みたかったけれど、少しおくれて届いたサイダーとコーラのもと。
特に最近コーラのもとというか濃縮コーラがあちこちで出されていて、意外と美味しく色々飲み比べしているのだ。

サイダーの方は柑橘も効いて、見た目もさわやか〜。これお客さんにだしたら受けるだろうな〜。
(コーラはSHINRA サイダーの方は期間限定品)
コロナで参拝客が激減した法隆寺が維持管理、環境保全などのために2千万のクラウドファウンディングをしたところ、一日で目標額達成、しかも最終的に1億5千万が集まった。さすが法隆寺、聖徳太子、日本人の心のふるさとなんだ!と感激した。私も迷わず参加、これが返礼品でございます。
昨年お参りしたときにはほんとうに参道からなにから閑古鳥で、こちらは良い写真がとれてうれしかったのだが、、、。世界に誇る最古の木造建築、これからも維持されていくように願わずにはおられない。
蚊取り線香の親分子分、、、左はガラス作家さんの渦巻き線香用のうつわ。(うつわやあ花音さんにて)
山田松からこの渦巻き状の線香数種出ているのでたまに焚いて香りを楽しんでいる。
高砂芙蓉
実家の玄関に野放図に生えているやつから種をもらって植木鉢に植えてみたら、これも忘れた頃に芽が出て初めて花が咲いた。朝咲いて昼にはしぼんでしまうというはかないが、まさに茶花らしい花である。
別名「矢の根梵天花」なんとまたこむつかしい名前。矢の根=鏃(やじり)→葉っぱの形、梵天花=インドの花。原産は南米の帰化種らしいよ。
京都に二台しかないふたばタクシーに偶然乗った!四つ葉タクシーが有名だが、それよりも数が少ないので、なかなかレアな体験である。上賀茂神社式年遷宮記念事業の一環らしい。
「あふひ」とは「アオイ=葵」のことである。ナンバーまでも2828(ふたばふたば)なんである。
しかもこのレシートを上賀茂神社社務所に持っていくと記念品がもらえるという!なんだろう、楽しみ〜(まだ行っていない)
毎年アップしているような気がするが、舞妓ちゃんの大かんざしの「すすき」である。舞妓ちゃんの装いとしては8月にさすものなのだが、やはりススキの季節に飾りたい。
12ヶ月の舞妓ちゃんのかんざしの中で一番スタイリッシュで好きなものである。自分の頭に飾るという野望は持っていないのでご心配なく(^_^;
四条河原町南のレトロビル・壽ビルディング。昭和2年竣工、外観も内部もなかなか素敵なビルなのである。(内部の写真はちょっと撮りこそねた。)
ミナペルホネンとかアトリエシムラとか、ちょっと好きな系統のお店が入っているのでたまにのぞいてみる。
エントランスのタイルに時代を感じる。高○屋などへお出かけの節はちょっと足を伸ばしてみてね。中をひやかすだけでも楽しいよ。
ご近所の玄関先に見つけたかわいいオーナメント。
ミッフィーちゃんか、うさこちゃんか。
私の年代では圧倒的にうさこちゃんなのだが、日本語に訳した翻訳者の違いらしい。翻訳初頭はうさこちゃんの方が多数派だったが、最近ではミッフィーちゃんが多数派であるので、やはりうさこちゃんかどうかで年齢がわかるかも(^_^;
ちなみにミッフィーちゃんも英語圏の名前であって、本家本元の作者ブルーナはオランダ語でふわふわの子ウサギという意味の<ナインチェ・プラウス>と名付けている。うさこもミッフィーも全然似てない名前!
最後に仏様に手向けの彼岸花
今年複数のゆかりある人たちが彼岸に渡られた。2年前亡くなったブロ友さん、亡くなる一月前にやっとお会いできたのがこの季節だったなあと懐かしく思い出しながらしずかに合掌。
京セラ美術館〜綺羅めく京の明治美術 - 2022.09.23 Fri

ご近所の京セラ美術館(心の中ではまだ市立美術館(^_^;)へ今期展示へすべりこみ。
モダンアートを扱う別館の東山キューブではアンディ・ウォーホール展が大人気で予約以外はいれなかったそうだ。でも私は現代アートはちょっと、、、なのでスルーさせてもらう。
すっかり体育館風、ヨーロッパ風になったエントランス。
体育館?を過ぎて重厚なホールをまっすぐ行くとガラスの向こうに東山が見える。
ここの景色は好きだ。実はこの庭園はショートカットの通勤路でもあって、夜などこのガラスの反対側から美術館の灯りを眺め、庭園の藤棚で野点をしたら楽しかろうと夢想しながら歩いているのだ。
さて、いつも展示はそっちのけでまず昔のエントランスへ行く。ここはチケットなしでも入れる。
もうエントランスとしての機能はないが、ここに来るとまだ市美だったころが懐かしくて。東博のエントランスに似てるよね。やはり同じ思いの方はまっすぐここにこられるみたいで、また昔を知らない人も、え〜こんな素敵なとこあるんや〜と感心される。
昭和天皇の御大礼(即位式その他)記念に昭和3年に建てられた建築だけあって、タイルの床も大理石の床も重厚。(建築士・前田健二郎)
以前は神宮道に面する入り口の大きな石柱に「大礼記念京都美術館」のプレートがかかっていたが、今はどうなっているのかな。
贅沢なステンドグラスの天井にこんな太っい大理石の柱!思わず化石でも混じってないか探してみたよ。
二階の眺めもよいのでお忘れなく。
江戸時代の爛熟した美術・工芸の粋に大量にはいってきた西洋文化や技術のエッセンスで、この時代の工芸はすざまじいものがある。また西欧人をターゲットとした美術・工芸はそれまでのものと全く別物を生み出し、まあ、好き嫌いはいろいろあろうが、これでもか!というようなおそろしい迫力がある。
展示は絵画、陶芸、織物、七宝、多岐にわたり、それも京都で活躍した人たちばかりで、やっぱり都は東京にとられても、工芸はまけへんで〜、の心意気かな。
印象的なのは初代諏訪蘇山の焼物の数々。諏訪蘇山といえば青磁を思い浮かべるが、初代は青磁に限らずほんとうにいろんな物を焼いていた。そのいくつかが展示されていて、一つ目小僧の人形まであったのにはひっくりかえった。すごく洒脱な方だったそうだと当代にお聞きしたなあ、と思ったら、その当代ご本人がおられてびっくりした〜(^_^;
最後にショップをひやかし、人気のミュージアムカフェでカフェマキアートをいただきお家へかえろう。
きたまち宵あかり2022〜旧奈良監獄他 - 2022.09.21 Wed
昨年からきたまちといろというイベントが奈良きたまちエリアで行われている。
きたまちとは近鉄奈良駅の北〜東大寺西までのエリアで、観光客が賑わう南側に比べるとほとんど観光に訪れる人も少ない静かな町並みである。
しかし、ここはかつて平城京と東大寺をむすぶ歴史的なエリアで、どんつきの東大寺転害門は国宝であり、聖武天皇、光明皇后の御陵もあれば松永久秀の多聞城もあって、現在の奈良女子大は名奉行・川路 聖謨(かわじとしあきら)で有名な奈良奉行所のあった場所なのだ。
そんなきたまちをにぎやかにしたいと、きたまちの商店街や奈良大好き奈良移住組の方々が企画されたきたまちといろ、昨年は行き損ねたので、今年はと出かける。まだ明るい内にイベント的なモノは終了しているが、宵あかりを是非見たかったのだ。
まずは一番遠い奈良阪の(般若寺の近く)旧奈良監獄へ。この道沿いは転害門もあり、さらに北へ行くと、ほんとうに風情のある古い民家が並んでいて好きな場所なのだ。しかし夜は(といっても18時(^_^;)だんだん人気がなくなって大丈夫かいな〜と思いつつ。

おお〜!なにやら妖しげなのが見えてきた。
ここまでくると数人のご同輩が熱心に写真を撮られている。
これは昨年昼間にみた旧奈良監獄正門である。
数年前までは奈良少年刑務所として実動していたが、廃庁、建物を生かして来年はホテルになるという。明治に建てられたほんとうに美しい建築なのだ。
かつての少年刑務所だったころのプレートがまだ残る。
9月後半〜10月の週末、ホテル建築開始前の最後の内部一般公開があるので、これは行かなくては!
正門前に置かれたランタンは、きたまちといろのイベントの一つで、一般参加のワークショップでみなさんが手作りされたものである。
それぞれの色に個性がでるが、灯りをともすときれいに調和するのがすてき。ここでばったりお知り合いに会ってびっくりやらうれしいやら。
正門奥をのぞくとまたまた素敵な本館の建物。刑務所、監獄っていう雰囲気ではない。東京帝大で辰野金吾の弟子であった山下啓次郎の設計である。(なんとジャズピアニスト山下洋輔氏のおじいさん!)江戸時代までの監獄に対し、西欧的な人道的見地を考慮した近代的監獄の嚆矢なのだな。
さて奈良阪を下りなのでてくてく歩いて転害門へ。
こちらはアクセスもよい町中なのでけっこう大勢の方がおみえであった。
お隣のかつて南都銀行手貝支店であった(昭和15年建設)建物を利用した、きたまち転害門観光案内所ではウクレレ演奏会などあったようで、にぎわっている。
宵の風が涼しいので車椅子のかたも家族連れも夕涼みがてら。いいなあ、この感じ。普段は鹿だまりになっている場所である。
国宝を飾るランタン。
そして最後に県庁横の奈良公園バスターミナルへ。
ターミナルにはいろいろお店がはいっているが、屋上に来たのは初めて!
暗くて写真では見えないが、右後方に興福寺の五重塔のシルエットが見えるのである。
こんな場所があるとは!
ここから見たターミナルと県庁の灯りがまた見物であったわ。
屋上から一階下ではもうほぼおわりかけのといろ市、ご愛用のことのまあかりさんも出店してはった。ああ、またかき氷、終了する前にはやく食べに行かなくちゃ。
みんな思い思いに作ったといろランタン。10色の色紙で作るからきたまちといろなのね、、、などと考えながら、特急がすでになくなった時間の(^_^;近鉄にのって帰る。
筥崎茶会を勉強〜利休に添う茶事 - 2022.09.19 Mon
波を乗り越えて茶事におよばれ。で、波の帯にしてみた。明治33年(西暦1900年)生まれの祖母の綴帯である。柔らかくて締めよい。
この茶室には何度も寄せてもらっているのだが、亭主が代わればまた茶事の色も雰囲気もかわるものだな〜と思う。何度もお目にかかっていても亭主と客としては(逆はあったけど)初めての新鮮経験。

待合の画賛「靭猿」は「猿にはじまり狐に終わる」の狂言師の一生にちなみ「猿から始めてますよ」のご謙遜でしょうか。お互い狐まではまだまだ遠うございますね〜(^_^;
利休に寄せての思いを茶事に、懐石も利休茶会記の懐石をなぞって、とのこと、もちろんお手製である。全体にお精進であるが椀物だけ鶏であった。これがめっぽう美味しかったのと、付け合わせの茗荷と椎茸の下味がしっかりついていて、ええ仕事してはるわ〜と、日頃の雑な自分の懐石を反省。ちなみにこれは利休の時代には鶴か白鳥の肉であったろうと。
連客はおなじみのお酒好き4人組であったので、酒器がおもしろいほど空いていく。ご当地のお酒がほんまにどっしりしていて好き。対して同時にいただいた獺祭はすっきり爽やか系で、これも美味い。でてきた石杯が全部好みの粉青沙器シリーズで(もちろん三島に手をだす)、これもご馳走。
主菓子の着せ綿もお手製である。(ほとんどプロ)
初座の床にはなにやら無骨な花入れに葒?の花がさりげなく投げ入れ、後座にはルソンの壺、、、と少々型破り、、、席中は酔っ払いと化していたため、ん?ん?と思っていたことが、家にかえってラインナップを並べてみると、、、ああ、そうだったかとじわじわ。
<上座ノ柱ニ高麗筒ニシノ花生テ ヤクモノ花モ、御茶入備前肩衝ヲ白地ノ金ランノ袋ニ入、緒ツカリ紅也、利休被仰ニハ、此茶入ハホテイ(布袋)ト申候、、、(中略) ヤキ茶碗ニ、、(中略)此茶ハ ハシタテ(橋立)ノ壺ヲヒカセ候ト、、、、>
天正15年、島津を降伏させた秀吉が博多の筥崎に茶室をいくつか作らせ豪商神屋宗湛を招き、利休が点前をした時の「宗湛日記」。(筥崎の茶会といえば利休が野点をしたと言われるふすべの茶会が有名だが)
キーワードと今回の茶事にちりばめられた道具を並べるとなるほど!と合点がいった。高麗筒花入、茶入「布袋」、ヤキ茶碗(多分長次郎)、茶壺「橋立」、、、、うーん、深いわ。利休の茶会記は自流の祖でありながら知らないことも多いことに愕然とするわ。今回筥崎茶会について勉強する機会を得て感謝である。
(花の名前だけはよくわからないが)
ちなみに備前茶入「布袋」は袋だけが立派だからと利休が名付けたという由来。
お干菓子は伊勢神宮の神饌である菊の落雁にお手製黒糖琥珀あられまぶし。そういえば煙草盆の引き出しには菊の御紋の恩賜の煙草がはいっていたっけ。これで菊が3つそろう重陽の節句。
色々のお心づくしお一人でやりくりされるご亭主、お見事でございました。ありがとうございました。
<おまけ>
四畳半の茶室は以前は普通の座敷だったのだが、可動式躙り口とクーラーをかくせる落とし天井を持った立派な侘びの小間になっていた!びっくり!ちなみに設計はうちを設計してくれた建築士のIさん(*^_^*)
「旅するお茶」〜五感が楽しむ中国茶会 - 2022.09.17 Sat

大好きなうるわし屋さん主催の中国茶会に。
茶会主催者グループには、中国茶人の堀口一子さんや、一度は行きたいと切に願っている御所市のパティスリークリアンさんなどお目にかかった事のある方のお名前があってうれしくなる。
会場はめったに行くことのない(というか行ったことのない)麩屋町万寿寺通りあたり。このあたり昔の京町家がたくさん残っていてすごく良い雰囲気だったので、今度またゆっくり歩いてみようと思う。
倉庫を改装したというThe Side というギャラリー。以前のギャラリーを数年前、若きパフォーマンスアーティストのMegumiさんがクラウドファウンディングの力もかりつつ引き継いだものらしい。今回彼女も映像にて参加されるという。
階段を上った先が暗室になっていて、、、
BGMはサウンドレーベルZEIT主催の橋本次郎さん。アンビエントっぽいBGMとこの暗さですでに異世界へ紛れ込んだような気分。
ゆらゆらゆれる布に小さな照明、それから参加者は「白い服」を指定されているので、布の林を行く他のお客さんの姿も景色の一部に。
その奥にありました。中国茶でおなじみの一子さんの席。
茶席の間は深くお茶の世界にひたるためにカメラはしまって、五感をとぎすませてこの瞬間を味わい尽くすとする。
最初に一子さんの音叉の音でしばし深呼吸、呼吸を整え短時間瞑想。
そして水出し単叢蜜香烏龍茶のウェルカムティーを。グラスはじめお道具はうるわし屋さん。
お湯でいただいても私的には最高の中国茶蜜香烏龍茶を水出しとはなんとぜいたくな!さわやかでかつ香り高いってどういうの。
水出しで汗を引かせて次に一のお茶は武夷岩茶(水仙)。烏龍茶の一である。
これは蜜香に比べると香りの力強さが際立ち、茶を飲んだあとの杯の残香がいつも最高だと思うもの。杯を鼻にあててクンクン、しばしあやしまれる。いや、これが最高なんだって!
これを4〜5煎までいただき、味と香りの変化を楽しむ。
お茶を飲みながら次は宇陀からお越しの出汁料理研究家のchiedashiさんの小点心をいただく。
出汁料理というからにメインは二種類の昆布でとった出汁の茸のお汁。ほんまこれ美味しいお出汁だった。茸の汁がこんなに美味しいとは!
他に豆腐の西京味噌漬け、プルーンの粽、乾燥赤紫蘇の葉など、ちょっと心が洗われた。(胃袋もね)
二のお茶は老樹白茶水仙。
自分でも作る(そして失敗する)白茶は微発酵のお茶である。最初香りは自作のと同じ白茶だな、、と思ったら後に来るまろやかな深みは自作の茶と全然べつものであった。飲んでいる内にさ〜っと汗が出て、そのあと涼しさが。白茶は体を冷却するお茶だというがなるほど。
そしてお待ちかね!クリアンさんの茶菓!
ナッツのメレンゲ、ミニフィナンシェ、そしてこれが絶品の巨峰パルトドフリュイ!いままでのと食感を変えてみたかったとのことでゼリーとジャムの間くらいのやわらかさ、スプーンで供する。そして白茶をすする。
耳ではアンビエントをほのかに聞きながら、白い布に生き物のように変化する風と光のアートをこちらもかすかに感じつつ美味しいもの、美味しいお茶、五感すべてが楽しんでいる。
最後にまた音叉の音で瞑想、夢からさめたのであった。
すてきなすてきな時間であった。うるわし屋さんと堀口さんクリアンさんたちとの御縁に感謝である。
ちなみに画像は一子さんがinstagramにアップされているので、雰囲気だけでも。
お土産までいただきうれしいことこの上ない。
クリアンさんのオレンジクッキー、高山奇蘭茶葉!
唐招提寺観月讃仏会2022 - 2022.09.15 Thu
中秋の名月の日には京都も奈良もあちこちで観月会が催される。
薬師寺の観月会の招待券ももらってたし、どちらにしようかと迷ったあげく、昨年とても印象深かった唐招提寺へふたたび。

昨年より行列が少ないなと思ったら、、、
今年は金堂前にお月見花飾りもなければ、点茶盤もない。昨年はここで伊住宗匠のお献茶があったのだが。コロナ第七波の間になし、と決定されたのだろう。やむなし。
それから昨年は中秋の名月が9月もほんとうに終わりの方だったので、18時の法要開始の時にはもうあたりは暗かったのだが、今年は10日だからまだ明るいのだ。
法要前に「頭礼(とうらい)!」の声とともにお坊さんたちが礼をされると一斉にお堂の扉があけられる。昨年はあたりが暗かったので、扉が開いた瞬間一瞬明るい極楽浄土が現れたような錯覚を覚えた。今年はちょっとあたりが明るすぎる。
それでも蝋燭の明かりにてらされた三尊像〜盧舎那仏、薬師如来、千手観音様は美しく神々しい。奈良時代のこの仏様は三体とも国宝である。
お経は東大寺(華厳宗)とも薬師寺(法相宗)とも違って、後世の密教ともまた違って聞こえる。律宗独特の読経なのだろうか。
柱のエンタシス、かつてわが敬愛する会津八一さんが歌を詠んだ。
<おほてらの まろきはしらのつきがけを つちにふみつつ ものをこそおもへ>
日が暮れてくると御三体の姿はますます神々しく輝く。
この美しい景色は何度みてもいいな。
できれば扉を開く時間がこの時間帯ならいいのに。
そしてかんじんの月は?というと、売店の上の東の空の雲が少し明るい。これはのぼってくるときっときれいに見えるはず、と少し待つことにした。
その間公開されている御影堂を拝見。鑑真和上像がおわすお堂である。
東山魁夷の障壁画が暗闇の中、そこだけ灯りに照らされ見事であった。参拝客は暗い中でもけっこういらしてて、濡れ縁のあちこちに腰掛けて月待ち風情、これもなかなかよい景色。
そして金堂にもどると、とうとう!中秋の名月にふさわしい月がでる。
美しい美しい銀の玉である。
今年はよい月見ができた。
唐招提寺を辞して近鉄駅に向かう途中の、薬師寺の土塀の上にも名月。
十四夜名月を広沢池にて - 2022.09.13 Tue
中秋の名月に一日早い一四夜の月待ち茶を、これも月の名所の嵯峨の広沢池にて。
昨年名月をここで待っていたにもかかわらず、目の前に繰り広げられたご馳走やお茶心奪われて、月の出を見逃した失敗を鑑み、心してかかったが、いかんせん、お天気だけはどうしようもなく、、、

<映るとも月は思わず映すとも水は思はぬ広沢の池>
塚原卜伝とも沢庵ともいわれる有名な歌。広沢池も大沢池も月見のために作られたといわれる人工池である。
池の向こうはMOAの平安郷、乾山光琳忌茶会でお邪魔するところ、昨年はあの山のあそこらへんから出たはず、、、、昨年は9月の末と比較的涼しくて日が暮れるのも早かったなあと思い出す。
まだ日があるうちから、いろいろ並べて飲んで食べての月待ち。
この酔狂な一団をバードウォッチャーさんやザリガニ釣りの男の子が見ていく広沢池畔の観音島である。
灯ともし頃となり、時々小雨もぱらついて、大きな木の陰に避難しながらもそれでも月が顔をださないかと期待をつなぐ。
雨はやんだが、月の出は見えそうもない。しかし雲の一部に明るいところがあるので、雲間の月でも見えんかなあ。
で、食べ物にはしる(^_^;
老松さんの月見団子。私は関西に来て初めてこの衣かつぎタイプの月見団子を見た。郷里ではまん丸団子やったし。
Sさんお手製の白茶をいただき、、、
Mさんご持参の有機農法単一品種の抹茶をいただく。かなりワイルドな味(^_^;
塩芳軒の干菓子のお月様で月見していると、、、
おお!でた〜!
雲間ではあるが一瞬全身像をのぞかせてくれた満月にちょっとたりない名月。
月も雲間のなきはいやにて候〜(珠光)
月は隈なきを見るものかな〜(徒然草)
と言って、わかる茶友さんとのひとときは楽しきかな。
来年はこんどこそ月の出の瞬間をみるのだ!と心に誓う面々であった。
これにてお開き、広沢池の一会。
あ、池に映る月、撮り忘れた!
嵐山法輪寺・重陽節句法要2022 - 2022.09.12 Mon
嵐山にも観光客(主に修学旅行生が多い)がだいぶんもどってきた。
往時の賑わいはないもののそれなりに。
嵐山は紅葉を始めた木もそろそろ。
渡月橋をわたって法輪寺へ。9月9日は重陽の節句、こちらでの法要は4年ぶりである。すでに何回か行っているのは能の仕舞がみられるからだ。ちなみにこちらは裏参道。
虚空蔵大菩薩・法輪寺。(TV「京都人の密かな愉しみ〜Blue」をご覧の方、あの渡月橋の上で振り返ってはイケナイ十三参りの舞台ですよ〜)
重陽の節句法要もコロナで中止になった年もあり、今年はなんとか、ただし菊酒のおふるまいはないだろうなあ。
法要は約20分ほど、真言宗のお寺なので、密教荘厳はキラキラ、南無大師遍昭金剛、、、
出遅れたので、お堂の中へははいれず、濡れ縁にて人の隙間から参拝。コロナの時期だがみなさん気合いではようから並んではったのね。
これが由緒正しい?着せ綿の着せ方。かぶせる綿も五色なのだ。綿にうつった菊におく露でからだを拭って無病息災を祈る。お茶の世界界隈だとかならず茶会のテーマになる伝統文化だが、はたしてどれだけの日本人が「重陽」をご存じだろうか。
法要のあと、参拝客に菊の花がわたされる。
これを順番にご本尊に供えていくのだ。
菊の香りがとてもいい。本来なら旧暦重陽(今年は10月4日)のころ、菊の花は盛りだが、まだ暑さの残るこの季節、これだけの菊花をご準備されるのはたいへんだろうなあ、、、といつも思う。
知人とばったりであったので、菊の写真を撮らせてもらった。
そしてお楽しみの仕舞(正確には舞囃子)「枕慈童」(観世では「菊慈童」だが、こちらでは金剛流なので)
写真撮影はしなかったが、これは4年前のもの、やはりご本尊に向けて舞うので観客にはお尻をむけるかっこうになる。菊慈童の仕舞(キリ)はすでに習って舞ったことがあるし、キリの部分だけは謡えるので楽しい。ただし謡いも観世と金剛では微妙な違いがある。
♪ 所は酈縣(れっけん)の山のしただり 菊水の流れ、、、
このくだりは好きやなあ。
枕をまたいで皇帝の怒りに触れ、酈縣山の山奥に観音経を書いた枕を持たされ放り出された少年、菊慈童は「福寿海無量」の経文と酈縣山の水で若い姿のまま700歳の年を生きるのである。
長寿をことほぐ曲ながら、そんなに長い間一人で山の中ってどれだけの寂寥感だろうと思ってしまうのだが。
御所人形師・十代伊藤久重作の「菊慈童」
あどけなくそして美しい。菊慈童人形のなかではピカイチではなかろうか。この人形は重陽のこの日のみ、飾られる。

これは10年以上前にもとめたものだが、この日のみ、法輪寺で入手できる茱萸嚢である。かつて宮中で、端午の節句に薬玉、重陽の節句に茱萸嚢を飾って厄除けにしたという。ちなみに本来の茱萸嚢は漢方にもなる呉茱萸(ゴシュユ)を袋につめたものである。
求月茶会 初秋 - 2022.09.11 Sun
遠州流のイギリスとベルギー人コンビ、S先生とT先生の茶席によらせてもらい、久しぶりにお目にかかった。なんと古式遠州流を家に伝えるMさんがS先生についてお点前を習われはじめた、という偶然!いや、遠州流だからあり得る話か、と思いつつ、聞けば人の数十年分のお稽古を数ヶ月でこなす=一日おきくらいに?お稽古、されているのだそうだ。彼の茶の湯に対する思いはほんとうに熱い。

T先生の日本茶・抹茶のお店の二階にて<求月会>と銘打って月釜を始められた由。ここには茶箱の女王Fさんの茶会で一度きたことがある。すてきな京町家で二階の座敷はなかなか趣がある。
「雲収山岳青」の軸
日本人よりはるかに茶の湯にも禅の思想にも詳しいS先生のご説明。雲は煩悩、それがはれて心はすがすがしい、、とそんな感じか。花はS先生のお庭でとれた秋の七草ヴァリエーション。本来の七草には入らない野菊が可憐であった。
脇床にS先生の持ち物である古い古い阿弥陀様+諸菩薩と経文を描いた版木が飾ってある。裏にも経文が。さかのぼること平安末期、「鎌倉殿」くらいの時代のものとか。これは貴重なものを拝見できた。
釣瓶木地水指で紙弊がかざられ、お、名水点てか?と思ったらやはり藤森神社の伏水(伏見のお酒になる水)をご用意してくださっていた。
お菓子は木屋町の本家月餅屋直正さんの紫蘇の葉でくるんだおはぎ(紫蘇の花付き)である。赤紫蘇もそろそろ収穫を迎えるので秋らしいおはぎだったな。
お道具はやはり遠州好み、ほんまにきれい寂びという感じやわ。遠州流ではお茶が点つまで薄茶と言えど道具の説明はしないとのこと、T先生の流麗なお点前をみながらだまっているのはなかなかツライ。(だって裏千家は道具を聞きまくってナンボ、やし)
そしてお茶碗は高麗青磁シリーズ、これはほぼMさんのコレクション。細かい象嵌の青磁ですごく薄手、持ったときに軽っ!と思う上手の高麗青磁でいただく。時代がくだった粉青沙器が私の専門?(←プロにはおよばず)なんだが、高麗青磁もどうしてどうして。しかも茶席のあとでMさんによる高麗青磁のミニ講座付きで、ほんま勉強になった。さらに道具や高麗来青磁についてまとめた小冊子(Mさん制作)までいただいちゃった。
話は擬宝珠木地香合から、瀬田の唐橋の擬宝珠についての利休と織部のエピソードにいたり、利休の茶会記についてご造詣の深いS先生の「利休は実は気に入った仲間しか自分の茶会によんでいない。道具はけっこうありあわせで何回も同じモノを使っている」とか、はては井上靖の映画にもなった「本覚坊遺文」の話までほんとうに面白かった。そうかあ、利休も気に入った人しかよんでないんだ〜。
S先生は、かねてからやりたかった指導法、Mさんにお稽古するのに、台子(真)から平点前(草)へ、という普通とは逆の教授法をとっ手おられるとのこと。この方法は以前から私もそう思っていたので激しくうなづく。真の点前から草へ下がってくると、なにがそぎおとされたのか、所作にどういう意味があるのか、ロジカルに理解できるのだ!
さて、茶杓、最初床脇に筒だけがおいてあって「雷如」という銘が書かれていて、なんだろ?と思っていたが、茶杓の持ち手に斜めにシャープに走る煤色が、なるほど稲妻に見える。それでか〜と思ったらまだまだ浅い!話は「維摩の一黙雷の如し」からきていたとは!
(維摩居士の病床を見舞った文殊菩薩との問答のあとで維摩は黙した。その沈黙の迫力が雷のようだった、という「碧巌録」)
こちらの一階のT先生の店舗は閉められるそうだが、この町家はいずれお茶のサロンにされるとか。求月会も不定期にされるそうなので、また楽しみに参加したいものである。
松尾大社(縮小八朔祭)〜猫に癒やされる梅宮大社 - 2022.09.10 Sat
嵐山の南というか奥嵯峨というか、四条通をまっすぐ桂川も越えて西へ行くと突き当たるのが松尾大社である。嵯峨野の山の懐にいだかれているような朱の鳥居。

9月の頭に八朔祭がおこなわれ、けっこうにぎやかなイベントも恒例ならあるのだが、今年は縮小ながら露店もでるとのことで、お参りに。
それなりににぎやかな、、、といっても例年に比べるとさびしい参道。
八朔祭なので、たくさんの提灯の献灯がかかっていて、宵にはさぞ美しいだろうなあと思われる。
奥にちらっと見える見事な檜皮葺の本殿は室町時代の建築で、重要文化財である。
ご神体はこの緑豊かな松尾山といわれるが、一応主祭神は大山咋神(おおやまぐいのかみ)である。この地に定住した渡来一族の秦氏が8世紀初頭建てたという古事記にも記録のある由緒ただしい古い神社なのだ。
これを見て日本酒の名前の勉強をする、、、と、松尾大社といえばやっぱりお酒の神様なのだ(*^_^*)お酒の神様になったのは時代は下るらしいが、秦氏は酒造技術にも長けていたというから、そのあたりの関連だろうか。全国の醸造会社からの献灯がずらっと並ぶ様は壮観である。(ここではお酒は飲めませんが、、、(^_^;)
そして下鴨神社、上賀茂神社と同じフタバアオイが社紋なのだ。上代では渡来人として賀茂氏と秦氏が二大勢力であったという。そして丹塗りの矢とか似たような伝説をもち、両神様の婚姻関係説とか、なにかと関係の深い二種族なので同じフタバアオイを使うのもなんとなく納得できるのだが。(ちなみにこちらにも御手洗団子のお店がある)
それでもここのフタバアオイの花は勢いが良いね〜。ほんものの花は葉っぱの影にうつむいてひっそり咲くのだが。
ほんとうはここの舞殿でおこなわれる嵯峨野六斎が見たかったのだが、恒例はもっと遅い時間なので油断してた、16時開始だ、スケジュール管理ミスって断念。
これこれ!
これぞ松尾式?おみくじ結び!どんないわれがあるのか知らないが、一目見て「茶筅や!」と叫んでしまうやつ。
手水のところは風鈴祭り、なかなかにぎやか。
手をあわせて祈るのはもちろん「またこの1年、美味しいお酒が楽しめますように」だ。とりあえず健康でいないとお酒も楽しめない。
松尾大社から車で5分くらいに梅宮大社があるので、ここで猫に癒やされようと寄って見る。こちらの六斎は3年前に拝見した。梅の季節の神苑の美しさもさることながら、ここは猫の神社として有名で、岩合さんのTV番組にもでたことがある。
そしてここもやはりお酒の神様なのだ。祭神はよく似た名前だが 大山祇神(おおやまつみのかみ)別名酒解神(さけときのかみ)。だから酒樽がいっぱい❤️
社務所の窓口にまず一匹。びくともせず爆睡中。
続いてなでろ、と寄ってきた白ちゃん、なでているとおおあくび。癒やされる〜。(愛猫を亡くしてこのかた猫成分が欠如しているので)
そこへ黒ちゃん登場、貫禄でこちらを一顧だにせず通り過ぎ。
ほかにも社務所の横のベンチで長時間ぼ〜っとしてはった(失礼!)参拝客さんに寄り添うように毛繕いをしていたほぼ白一部茶色の猫さん。飼い猫もあればノラちゃんもいるそうだ。猫ちぐらも完備の神社、好き(*^_^*)
9月朔日 初秋の薬師寺〜ならまちから氷室神社・氷献灯 - 2022.09.08 Thu
9月朔日不穏な天気のなか、西ノ京へ(あ、京都の西の京円町とちゃうよ)
雨に濡れた紫のコムラサキシキブと珍しい白のシロシキブ(?)に迎えられて薬師寺へ。歩いている間に土砂降り+雷で少々ぬれながらお写経道場へ。
土砂降りとコロナと平日と、、、で広い道場に私ともうひとりしかおられず、ゆっくり心を落ち着けて写経。この年にしてようやく覚えた般若心経、漢字をひとつひとつ確かめながら書くゆとり(?)がでてきたわ。(金釘流でございますが)
写経をしている間に雨はあがってほっとする。写経の集印帳の一巻目がようやく一杯になった。弥勒菩薩からはじまって、12の如来、菩薩、明王、最後がこの釈迦如来である。こういうのどうしてもコンプリート魂が刺激されてあかんわ(^_^; でもこの一巻に6年かかってるから、1年に2回のペースやな。
薬師寺は西ノ京ロータスロードの一つなので、境内にはたくさんの蓮の鉢、もう盛りは過ぎたがそれでもがんばって咲いている蓮花の向こうに凍れる音楽〜東塔を見る。
残念ながら今年うちの蓮は葉っぱばかりで2鉢それぞれ1輪しか咲かなかった。根が回りすぎて土がこぼれるくらい盛り上がって、時に水がかれたり、、、来年はもっと深い鉢で試そうと思う。
近鉄奈良に戻って、おついたちなので氷室神社の氷献灯を見ようと、暗くなるまでならまち散歩を。
いつもうろつくエリアを少し外してみると、意外とおもしろい建物がみつかる。こちらは墨の古梅園さん。これは江戸時代の建物かしら?
創業が天正年間(16世紀)というからすごいなあ。写経でお世話になっている墨だが、これからも文化として生き残ってほしいと思う。
奈良墨としては古梅園が有名だが、すぐ近くにもう一軒、昔ながらの製法で墨を作っている松壽堂さん。このあたり墨屋街だったのかしら。この建物は築300年だそうだからやっぱり江戸までさかのぼるんだ。
かと思えば古民家を生かしたかわいいお店もある。
こちらもりっぱ。概してこの通り(椿井小学校の通り)ほんまにたくさんの良い建物が残っている。今までしらんかったなあ。
ちなみにこのcervo biancoって白鹿の意味だからお酒関係かと思ったら、ピザ屋さんだった。
そんな古い町家がたくさん残る道をさらに南下。
先日も奈良博中将姫展の記事で写真アップしたが、藤原豊成邸跡の徳融寺、中将姫生誕地の碑が。奈良博の展示の後、「死者の書」読み直しちゃったよ。
で、そのお向かいにある七福食堂さん。ランチも美味しいのだが、けっこう早めに売り切れになる。この日は夕刻だったので、おやつタイム。
桃とカモミールハーブのパルフェ。数種のハーブが入ったシャーベットが美味しかった。
近くに中華の枸杞さん、ここかあ。タイヤ男のガイドブックにのったとか、予約も一月前のついたちのみというのもハードル高そうだわ。
このあたりは紀寺、ちょっと遠いのでバスに乗る。
県庁の横の交差点で、鹿が二匹交差点を渡ろうとしているが、信号は赤だよ、あかんよ、あかんよ、、、と思ったが、、、
鹿に通じるわけもなく、赤信号で堂々のJウォーク、、、でも奈良の鹿が交通事故に遭うのが一番多い場所がここなんだそうだ。気をつけろよ〜〜。
さて、奈良国立博物館前の氷室神社、かき氷=奈良の伝説?を作った「ひむろしらゆき祭り」元締めである。良い感じに暮れてきた。
和銅の昔(7世紀)春日野に張る氷を氷室に貯蔵して、翌年の夏に平城京へ献上したことから氷神を祀る神社を創建したことから始まる神社だ。現在は毎年5月1日におこなわれる献氷祭りはこの平城京献上の歴史をふまえたものだが、全国の製氷会社が参拝する日なのだそうだ。
そして毎月1日(それ意外の日の月もあり)、氷献灯が参道を照らす(18時〜21時)
おお!ガラスのように美しい透き通った氷灯り。
毎月1日には製氷会社の方ががんばってくださるのだ。
さらに暮れていくとなお美しい灯り。
この時間になるとあたりに観光客の姿はほぼゼロに近く、この灯りを独り占めである。
と思ったら、なぜか三々五々ご近所方が集まってこられて、どこからか雅楽の篳篥、龍笛の音が流れてくる。ああ、そうか、昔ここは南都楽所があった場所なんだ。今でも楽所の方々がお稽古される日でもあるんだな。なんてすてきなBGM。
氷も献じられ、今年も例年ほどではないけどたくさんかき氷をいただいた感謝と来年もまた食べられますように、の祈願を。
これはおみくじを引いてその紙を貼り付ける氷。多分だいぶんちいさくなってる(^_^;
本殿を囲む灯りも美しく
暮れた奈良の夜、参道からバス通りを眺める景色、この灯りに見送られながら奈良をあとにした。
初秋の大原〜river-side cafe来麟から寂光院 - 2022.09.06 Tue

車で30分もかからない山里が大原である。久々に訪れてみたら、里にはもう秋の気配。稲穂も色づく頃となった。
来て早々お腹を満たすというのもナンだが、こちらも久しぶりの大原のriver-side cafe 来麟(キリン)さんへ直行。すこしランチ時間をずらしたのですぐ入店できたが、この時期観光客が少ないのに店内はほぼ満席、人気なのだ。
野菜ソムリエのマスターが作る大原の野菜メインのバイキングである。あれこれお野菜メニューがてんこ盛りで、目が移るし胃袋のキャパは一定だし、、、で迷う。しかしピーマンの肉詰めのピーマンって生だよ、生。それでも甘さがほんのりで美味しいのは新鮮だからかな。
あとお楽しみはこのミニミニおにぎりなんである。特に紫蘇のゆかりの、美味しい。大原だけに紫蘇か?(^_^;
最近まで烏丸三条のところにあった、お気に入りだった李朝韓屋風カフェ・素夢子古茶屋さんが、大原にまもなく移転オープンされるとのことで、どこらへんかな〜と思っていたらなんと!来麟さんの目の前だった!
画像では見えないけど「somusi」の看板がすでについている。これは大原へ来る楽しみがまた増えた。
river-sideという名前の通り、清流のすぐそばにあるのだが、この川を渡って<大原女の小径>を、こちらも久しぶりの寂光院まで約1kmのウォーキングをしよう。
薪がたくさん積み重ねられ、早くも冬支度のお家もあり。
そして大原と言えば赤紫蘇〜柴漬けなのである。赤紫蘇もそろそろ収穫の時期なんだな。
こうしてみると市街地まで30分というのがウソのような景色だ。里山大原の名前をさらにメジャーにしたのがNHKのベニシアさんの番組だったと思う。大原といえば寂光院、三千院くらいの認識しかなかったけれど、こんな豊かな里山の風景が広がっていて、心豊かな暮らし方があることを教えてもらったような気がする。
寂光院が近くなるとさすがに建礼門院ゆかりといわれるスポットが散在。これは湧き出る清水で建礼門院が姿を映したといわれている。真偽のほどは別として、この大原も山の水が豊かだ。あちこちにちょろちょろ小川が流れる。
おお〜!なつかしい寂光院門前。おそらく10年ぶり!
記憶も定かではないが、とにかく今の季節秋海棠が境内のあちこちに群生していて美しかったことは覚えている。あの秋海棠にまた会えるだろうか。
ご存じのとおり、ここの本堂は平成12年(22年前?)に放火による火災でお堂も鎌倉時代のご本尊の地蔵尊も焼けてしまった。(やけこげながらご本尊はお蔵に安置されているとか)犯人はわからぬまま時効を迎えたという。当時は京都にいなかったが、ニュースを聞いて驚いた記憶はある。
本堂の前には紅白のサルスベリ。そして、、、
あちこちに小さい秋海棠の群れ。以前は大きな野生のまま生えました、、みたいな茂みがあちこちにあったと記憶するが、現在はずいぶんきれいにコンパクトにまとめられている。
水辺にかかる秋海棠も美しい。
実は我が家の裏庭にも秋海棠が、それこそ野放図に生えているのだが、夏の暑さにいつも葉っぱが溶けちゃう。さすがにここの気候では大丈夫なのだな。
本堂には焼かれたあと復刻された地蔵尊が、できた当時のまま極彩色でおわしますが、これは前月まわった六地蔵めぐりのお地蔵さんの姿と通じるところが多い。お地蔵様の左手から流れる五色の糸にふれて願をかけるのだが、これも昨今のコロナのせいで薄紙ごしである。
脇には落飾した建礼門院とおそらく最後まで女院に使えた阿波内侍の座像、これも放火で焼けたものの復刻である。
10年前は楊貴妃観音像のお堂もあったと記憶するが、現在はないようである。建礼門院が住まった庵のあとへ通じる道にはギボウシの花。
謡曲「大原御幸」を思い出す。ここで、父清盛、壇ノ浦で滅亡した平家一門、とりわけ亡き先の天皇であり息子でもある安徳幼帝(享年5歳)の菩提をひっそり弔っていたのだろう。女院が落飾したのは時に29歳、ちょっと想像がつかないな。その若さで栄華の頂点も地獄も通り過ぎてきたなんて。
庵跡の一角にある井戸(湧き水?)
高倉天皇后としての陵はこのすぐとなりにあるが、建礼門院の最後ははっきりしないそうである。ふたたび洛中にもどって案外長生きをして生涯を終えたという説もあるが、ここでひっそりと若くして亡くなった、、、というイメージがあるわ、どうしても。
山門前に茶室があって、その腰掛け待合が割り腰掛けになっている所を見ると茶室は藪内流かしら。
朝の雨を柴折り戸の屋根のしのぶが吸って、ぽたぽた滴をたらす。その向こうは早くも紅葉がはじまっている。
帰り道もススキやコスモス、秋の野花を楽しんだり、
ちょっと面白そうな骨董屋をのぞいたり、、
大原の里の秋を楽しんだのである。
「英一蝶『仏涅槃図』にみる冬木屋上田家の周縁」〜茶の湯文化学会近畿例会 - 2022.09.04 Sun

本日はこんなところに潜り込む。(同志社大キャンパス)大学の講義室にて久々の学生気分♪
茶の湯文化学会の近畿例会にて、宮武慶之先生の研究テーマである冬木屋上田家にまつわる話の一つ、英一蝶の「仏涅槃図」に描かれた<在家の女性と供花をする童女はだれなのか?>というミステリー仕立て(?)
冬木屋(上田家)といえば茶道史をされている方には有名なのだろうが、私にはなんだかうっっすら、、聞いたことあるようなないような、、名前であった。江戸深川の材木豪商で、千利休遺偈を持っていた(発見した?)お家である。後に如心斎に乞われて千家名物いくつかと交換でこれを千家に返した、というのが有名な話らしい。
初代小平次が上野国から出てきて江戸に店をおこし、明暦の大火後の建築ラッシュで財をなし、三代目弥平次の頃最盛期を迎える。彼は深川の土地を材木置き場として幕府から買い取り、今でも深川冬木町として地名に残っているそうだ。
彼は茶の湯を表千家五代随流斎に学び、油屋肩衝、園城寺花入などを次々購入し、破産して京都を追われた尾形光琳を援助した。光琳は現在東京国立博物館にある重要文化財いわゆる「冬木小袖」といわれる、着物地に秋草の絵を描いたものを三代目の妻<だん>のために制作した。
前置きが長くなったが、この三代目弥平次が「仏涅槃図」を英一蝶に描かせて、京都の雲林院に寄進せよと遺命を残して亡くなり、弟の四代目喜平次はそれを実現した、という話から始まる。冬木屋にまつわる古文書、家の記録などを丹念に読み取っていく作業は歴史学者のお仕事なのだろうが、ほんまに根気がいる仕事だなあとあきれ、、いや、感心する(^_^;
この涅槃図は軸装も入れて、480cmx210cmという巨大なもので、現在は孤篷庵の本堂になっている(!これも驚きだ)当時の雲林院の庫裡書院の天井高にはおさまらないのである。(移築の時に高さを削ったのかもしれない説あり)残念ながら日本から流出して現在はボストン美術館所蔵、2017年に一時里帰りをしていたそうだ。
絵柄は色彩豊かな涅槃図のよくあるパターンなのだが、涅槃の右に在家の女性が慟哭する姿、その前方に花を供える童女が描かれている。この軸の軸先が江戸中期の装剣金工家であった横谷宗珉の作であり、当時英一蝶、宗珉は冬木屋初代小平次と茶の湯でも日常生活でも深い交流があったことが史料からうかがえるのだそうだ。つまり一蝶は冬木屋の人々もよく知っていたと想像できる。宗珉もその妹(もしくは姉)が冬木屋二代目の後妻<てう>である。
三代目は37歳で自分が亡くなる同じ年に5歳の娘<てる>を亡くしている。その供養に涅槃図を一蝶に依頼したが、自分もはかなくなってしまったので、四代目に遺命として残した。娘と夫を悼む妻<だん>(冬木小袖の人)の思いをくんで日頃親しくしていた一蝶がその姿と亡き娘の姿を涅槃図に描き込んだのではないか、と宮武先生は推察される。
こうして読み解くと、数百年も昔、元禄時代に生きた人たちの姿が生き生きとよみがえるではないか。今も昔も家族を思い、その早世を悲しみ悼む気持ちはかわらないだろうなと思う。それにしても<だん>とか<てる>とか、とかく女性の名前はあまり伝えられなかった時代にちゃんと名前が記録されていることで、なにやらぐっと近しい存在に思えてくる。
最後になぜ江戸の材木商が京都の雲林院の檀越であったか、という疑問。冬木屋はこの涅槃図だけでなく、現在は九州国立博物館にある大燈国師墨跡「凩」も三代目が雲林院に寄贈している。宮武先生の考察では、大燈国師が雲林院の開山であったこと、三代目の妻女<だん>が京都の糸割符商人で茶の湯道具をたくさん所有していた坂本周斎の娘であったので、京都と縁があった、あるいは二代目が京都で客死したこととも関係があるのかもしれないということであった。
冬木屋は三代目をピークにその後だんだん衰退し、所蔵していた茶道具も売り払わねばならないほど逼迫した。その道具を松平不昧に取り次いだのが江戸の道具商・了我である。(了我研究も宮武先生はされている)このとき園城寺花入が不昧の手にわたったのである。
こういう道具にまつわるどちらかといえばマニアックな話って面白いわ。聞いててとても楽しかったし、今回は冬木屋上田家のことも勉強できて非常に満足している。
シラカシでストールを染める〜アトリエシムラ・ワークショップ - 2022.09.02 Fri

本日はここ、高島屋からの連絡通路もあるGOOD NATURE STATIONにて草木染めワークショップへ。
草木染め・紬の人間国宝志村ふくみさん洋子さん親子(説明はいらないですね)が主幹の草木染めの学校・アルスシムラの主催である。アルスには友人が通っていて今春独立、織り姫さんとなって、現在私の草木染めの着物を依頼しているところ、自分もちょっと草木染めかじってみたくての参加。
GOOD NATUREの開放的なスペースの一画で軍手ゴム手の準備が整えられていた。教えてくださるのはシムラの若い女性である。染色は結構肉体労働と聞いていたので、こんな華奢なかたが?と驚いたが、草木染めを志村先生に習いたくて関東から上洛されたという情熱の持ち主。
草木染めの染料になる植物は一言でいえば何でもあり、なんだそうだ。スタンダードなもの=藍、紅花、茜、刈安などなど=だけでなく、道ばたの草など、これで何色になるのか?と不思議に思うようなものまで、ドライにしたものもあればフレッシュな摘み立ての葉っぱを使ったものあり。自然はさまざまな色を与えてくれる。
さて、8月の材料は「シラカシ(白樫)」ひらたくいうとドングリの一種。
半日のワークショップなので、染色液はアルスの方が前もって用意してくださっている。シラカシを山ほどひたひたの水で煮て、一晩放置、翌日また煮てこんな色の染色液ができる。これを見ただけではどんな色に染まるのか見当もつかない。
さて、ここからシルクのストールを染めていくのだが、染色中はそれに集中するので画像はない。
最初の段階で染色液はぬるま湯程度。水で濡らした白いシルクを液につけて、まんべんなく行き渡るように手でずっと布をかき回す感じ。液の匂いは、はと麦茶の匂いが一番近い感じで、飲めそうな気すらしてくる。ご一緒した方々とおしゃべりしながらかき混ぜるので10分弱があっという間。
一回目、布はかすかなベージュ色になる。これをGOOD NATUREの吹き抜けのテラスで風にさらして少し乾かす。これがなかなか開放感があって気持ちよい。
二回目は染色液の温度が少しあがる。軍手にゴム手でもちょっとあちちという感じ。さらにベージュが濃くなる。といってもやさしい淡い色。
三回目、温度はさらに上がり、、、でもゴム手なので耐えられないことはない。さて、このベージュに媒染(染色を止め繊維に定着させる)をかけるとどんな色になるのか。
今回使う媒染は鉄(木酢酸鉄)、水に数滴たらすだけ。
あ、ほんまに木酢の匂いやわ。
草木染めは媒染剤によって色が変わるのが面白い。鉄の他に、アルミとか銅とかも使われる。
ほんのりベージュだったのが3回媒染してこの色になった。
面白いのが染める人によって色味が異なってくること。媒染を1回にしたり、染色液に媒染後また付けたり、とかその成果がこれである。真ん中のが媒染前の色に近い。右が私の、左がお隣さんのである。
染め上がりに納得したら水洗いをして持ち帰り、帰宅後さらに水洗いして陰干しで完成!である。
その後アトリエシムラで染められた糸の色を見せてもらいお話を聞く。これが同じシラカシで染めた糸である。奥が紬糸、手前が精錬した絹糸で材質だけでもこれだけ違う。
黄色でも上は刈安、下が山吹。
刈安は少し緑がかっているので、藍を混ぜて緑を作るのに(単独植物で緑はできない!というのが不思議〜)よく使われる植物で、昔から近江刈安は有名、なかでも伊吹山で採れる刈安は特に質が良いという。
同じピンク系でも、左から桜(特に花が咲く直前の木がよい発色なんだそうだ)、中が茜、右が紅花とバリエーション豊か。植物からこれだけの色がとれるとは、昔からの知恵はすごいね。ただ生き物相手なので、化学染料のように安定した発色はむずかしく、気候や土壌、その日の温度や湿度で変化し、全く同じ色ができない、、というのは弱点でもあり、また色のゆらぎが面白いという長所でもあると思う。
これはムラサキで染めた糸、ムラサキは根を染色に使うので、いわゆる紫根とよばれる。植物としては絶滅危惧種なので非常に、非常に貴重なもの。まあ、しかし柔らかくて美しい色だこと!ほれぼれしちゃう。これで染めた着物をまとったらいかに気持ちよいであろうかと妄想にふける。
今度はこれらの糸を使った機織りワークショップに是非参加したい!
このワークショップにはスイーツとハーブティーがついている。そのまま同じフロアのGOOD NATUREのレストランHyssop さんで数種類のミントを使った香り高いハーブティーと、
ちょっと内容がよくわからないけど(^_^;台湾系スイーツっぽいのを美味しくいただき、ご一緒した方々と染色の感動を語り合いお開きとなったのである。
こちら完成形。
*アトリエシムラワークショップ→ ☆