跡見煎茶会〜奈良・三五夜 - 2022.10.31 Mon

奈良の三五夜さんが、先だって東京で煎茶会をされた跡見茶会を開かれるというので、煎茶はちょっとかじっただけではあるものの、煎茶道具に惹かれてやまない私としては是非にと参加。
茶席にはいると、、、あら〜〜!(゚Д゚)
明時代の漢服をまとういにしえの文人にまごうがごときご亭主が!
というので、一緒に明末、清風の時代へタイムトリップ。
煎茶席の飾りはいつも独特だなと思って見ているが、これまたびっくり。(びっくりばっかり(^_^;)
ヒゲ根のついた百合根なんて初めて見た。それからルビーのような種をのぞかす石榴の美しいこと!
今回学んだのは、煎茶の盛物にもそれぞれ意味があって、季節によってもちがうらしいが、秋のこれは「百事如意」という吉祥の言葉、あるいは画題を表す物だそうだ。
百は百合根
事は柿(中国語で同じ音・シ)
如意は霊芝
(他にも<松寿延齢>、<富貴平安大吉>、<不老長春>などなどあるそうで、、)
そして煎茶道に欠かせない文房四宝飾り。
筆・墨・硯・紙 以外にも硯屏とか、落款用玉石とか水注とか。また和綴の古書とか。あたかも文人が書斎に招いてくれた、というのが煎茶の席なのだそうだ。
三五夜さんは元々お煎茶の人である。黄檗東本流をおさめられた。煎茶道は無数に流派があるので、この際お作法は脇において、純粋にいれてくださる玉露の味を楽しむ。
しかし、(抹茶に比べると)ミニサイズの茶器がほんまにかわいくて萌える。香のセットなどもあってちまちまたくさんあるのがいい。
ちなみに右手前の茶心壺(茶葉入れ)、茶測、敷物の三器をのせるお盆を三器盆というのだそうだ。(煎茶道具の名称覚え中)
煎盆というらしい茶杯をならべる盆はこれも画題のひとつで<栄貴萬年(芙蓉と木犀)>、裏が版木になっているのには驚く。もともと版木だった物を盆にしたのであろうが、よく見つけはるなあ、こんなの。
以前から気になってしかたなく、一つ欲しいと常々思っている炉扇、今回これをつかってかなり長時間、急須の水をお湯にするまで涼炉をパタパタあおぐ。以前見た流派では、炉扇の使い方はかなり形式的なゆっくりしたものだったが、ここでは早い早い、、、パタパタパタパタ。
それから茶道で言う炭斗のことを<烏府>ということを知った。烏府とは烏の巣のことで、中にはいっているかわいいサイズの炭がなにやら子烏にみえてくる(^_^;
ゆっくりお湯を冷ましていれてくださった玉露。
後口にゆっくり余韻を残すテアニンの味。玉露は忙しい生活の中ではなかなか煎れがたいお茶だが(心のゆとりがないと)、ここでゆっくり煎れて、ゆっくりいただくことができたのもうれしい。
この席は一客一亭だったので、ほんにゆっくりご亭主とお話ができたのもうれしいことであった。お付き合いはそれほど短いわけではないが、こんなにお話できたのは初めてではないかな。
何煎もいれる合間に栗きんとんを炭であぶる。
これはまた香ばしくて、ほんまに焼き栗みたいであった。
菓子器の裏に漆?の封印がおされていて、官用の什器の印とか。
作法を気にせず会話を楽しみながら飽きるまでお茶を入れては飲む、話の内容は清談がのぞましいがまあ、色々欲も俗気もある俗人ゆえ(^_^; 昔の文人はこうしてひとときを楽しんだのだろうと思う。ちょうど掛けていただいた軸が、山中で語らう文人二人、お供がそばで茶を煮る。茶の湯とはまた違う面白さ、楽しさ。
かくして楽しいタイムトリップはお開きに。
ありがとうございました!
菓子屋ここのつ〜偏愛シリーズ・乳の巻〜東京 - 2022.10.29 Sat
東京台東区の菓子屋ここのつさんの糧茶の会(お菓子とお茶のコース)。毎月1日、翌月の茶寮の予約をとるのが大変なところ、競争を勝ち抜いて?の参加である。
浅草にもほど近い、京都の三条通商店街によく似た佐竹通り商店街。日本で二番目に古い商店街だそうだ。(一番古いのは金沢の片町商店街)佐竹という名前は秋田藩佐竹家のお屋敷に由来するらしい。
その商店街を通り抜けたところ、ここのつさんはある。
ここのつさんの存在はInstagramで知っていて、数年前奈良・鹿の舟さんの茶菓会を開かれたのに行ってからすっかり虜になり、機会をうかがって昨年夏ようやく東京での参加がかなったのである。
今回2回目の訪問。お客さんは5名、ちょっと薄暗い厨房続きの席にてロウソクもともしながらのスタートである。
ここのつさんがくりひろげる<偏愛シリーズ>とは、一つの食材を選んで、いろんな糧菓のヴァリエーションをみせてくれる会。今回は「乳の巻」、つまり牛乳である。
岩手のある小さな酪農家さんの持ってきてくれた牛乳のおいしさに感動したここのつさん、以後乳製品はここ!と決めてはるそうだ。
まずは生姜と菖蒲科のリーフ(名前聞き取れず)を蒸留したお白湯をいただく。それからその感動したという牛乳を蒸したホットミルク。なるほど、さらっとしていてあとくちが全然くさみがなくさらっとしている。
ここのつさんとこではいろんなカトラリーをそのつど手渡ししてくれるのが儀式めいて好き。
最初のお皿:
お菓子が出てくる前にわれわれの座るテーブルにカセットコンロとお鍋、きび糖、バター、生クリームを持ち出す。目の前でキャラメルソースを作るのだ。キャラメルの作り方、初めて知った!こうやって作るのね。そのソースを目の前で、米粉と栗のパンケーキにかける。ソースめちゃ美味しい。
あわせるお茶は岩茶。
二番目のお皿:
最中の皮に砂糖控えめの小豆餡、カボチャ餡をはさみ、食べていくと、あ、バター!風味豊かなバターの塩味がとっても最中にあってる。しかし、、どうしてこう美味しい物はカロリーが高いのだ!?悩みの種。あわせるお茶はとっても華やかな香りの台湾烏龍茶。数年熟成させた物。
三番目のお皿:
深めの器にでてきたのはお餅とずんだかな?と思いながら口にしてうれしい裏切り。お餅は千葉の黒豆(丹波黒豆を千葉で育てた)入り、まわりのずんだと見えた浅緑の汁はいわば卵成分の少ない茶碗蒸し、それに当帰(セリ科・漢方に使われる)をすりいれたとろとろの汁。香りはセロリに似ている。この当帰、奈良で栽培されているところでであって(鹿の舟に行ったときだろうな)お気に入りなんだそうだ。あわせるお茶はルイボスと紅茶をブレンドしたお茶。これもさわやか。
四番目のお皿:
薄暗いのではっきりした色はわからないけれど薄茶〜薄紫、ちょうどサツマイモの皮の色。そんなクレープに包まれているのはサツマイモの餡と時々かりかりとする塩味のつぶつぶは焦がし?バターなんだそうだ。振りかけてあるのはエゴマ。そしてスプーンにはいった黄金色の液体は、バターから作ったギー(不純物をとりのぞいたオイル。インドでは神聖なオイルで、これで髪を洗ったり目を洗ったりするそうだ。ひゃ〜)これをかけていただく。バターとも違う味と香りは初体験。
あわせるお茶はホーリーバジルティー。(アニスに似た香り)
五番目のお皿:
透明な寒天キューブに入っているのは大豆のつぶつぶ。その下にしいてあるのは水切りをした乳成分の高いヨーグルトに柚子。寒天は大豆の煮汁を固めた物。見た目も美味しい。
前回もそうだったが、本当に心身共にリラックスしてα波のおかげで眠たくなるような心地よさ。席の雰囲気も、控えめなアンビエントもここのつさんの語りも、そしてなにより美味しいお菓子とお茶も。今回もありがとうございました。また来年も予約バトル勝ちに行きます!
家に帰って、おしえていただいたレシピで作ったキャラメルソース。美味いいいい〜!!
<おまけ>
ここのつさんへ行く前と行った後に行った美術館。
初見参東京ミッドタウン
サントリー美術館<なにコレ(なにわコレクション)>
大阪に通勤しているのに東京で大阪市立美術館の名品に出会うとは!(市美改修中)
三井記念美術館<大蒔絵展>
ここで東京のお茶友さんに出会うという不思議。
旧奈良監獄〜見納め - 2022.10.27 Thu

明治41年竣工 戦後は少年刑務所、平成29年その役目を終えて廃庁、今後建物を生かしてホテルにリノベされる予定。なので内部の姿を見ることができる最後の機会である。
全景(模型)放射状の部分が監獄部分。
明治政府が監獄の国際標準化をめざし計画した五大監獄の一つで、唯一原型を保っている建築である。(他は千葉、金沢、長崎、鹿児島 他は一部しか残っていなかったり、原型をとどめなかったり)設計は山下啓次郎(ちなみに山下洋輔のおじいさん)
国際標準化は、明治の不平等条約是正のために諸外国に見せなきゃならなかった日本の近代化の姿なんだよね。(「晴天を衝け!」にもそんな苦労が描かれていた)
とにかく、建物がどこを見ても美しく、写真に残そうと撮りまくったので今日は多いです、画像。
これは二階部分だが手前の机が看守の定位置。5つに分かれた放射状の棟が一目で見渡せるハビランド方式という人員が少なくても監視できるシステム。(ハビランドはフィラデルフィアの建築士)
使用目的はともかく、この美しさを見て!
立ち並ぶ独居房の扉
扉は重々しい木製である。
食事を差し入れる扉
それにしてもいかめしいロックだこと。見学者があやまって閉じ込められても、この建物は国の管轄なので、許可無くすぐには開けられないとのこと(^_^;
独居房の中
せまい、、トイレの前に畳二畳がはいっていたらしい。
(法相宗の僧侶の竪義を思い出した。あれも畳半畳にずっと閉じ込められる)
5つに分かれた棟はそれぞれ少しずつ形を変え、どこも整然と美しい。
二階の廊下の中央は、監視のため吹き抜けになっているので、柵はあるが落ちそうでちょっと怖い。
これを下から見上げた景色
多くの受刑者や看守が踏みしめた石の床
一階の看守席から二階を見上げる。これもまた美しい。
その二階から一階を眺めた景色
礼拝室らしき小部屋もあって、仏教キリスト教に天理教があるところが奈良らしい。その他広い講堂もあったが、ほとんど昔の小学校にあった講堂そのもの。なんだか懐かしいような気がする。
所長室は洋室で立派、クラブ活動室などもあり。
重屏禁房というとってもコワい部屋は、狭い部屋、夜具なし、暗いで、よほどの極悪人を閉じ込めた房らしいが、さすがに非人道的すぎて近年は使われていないとのこと。
一画には作業所もあり、ここで受刑者は大工や左官などの職能を身につけ、出所後の更正に役立てた。この部屋からノミなどの工具を持ちださぬよう、退出時には厳しい身体チェックがあったようだ。
こちらは雑居房 3人部屋
先ほどの独居房に比べると広くて明るい。悪風感染しないようにグループ分けには気をつかったとか。
<またあう日まで 赤レンガフェスティバル2022>と銘打ったイベントの数々。少年刑務所の作業で作られた工作品の販売もあり、木の靴べらを購入。
ここからは主棟をはなれて付属の施設へ。
これは隔離病舎
今ならさしずめコロナ患者?かもだが、当時は主に精神疾患の患者で暴れる受刑者を隔離したようだ。
これは使われていたわけではなく、奈良奉行所で使われた牢舎。キリギリスをいれる虫籠に似ているところからギス監と呼ばれたらしい。ふきっさらしでこれはつらいわ。「せごどん」で西郷隆盛が沖永良部島流罪の時にいれられていたのがこんな牢屋だったな。明治になって司法の近代化を示す資料として移築されたものらしい。
これは医務所棟
場所柄清潔感ただよう。歯科の処置室もあった。
白いタイルが一昔前の病院っぽくてなんだか懐かしい。
見学を終えて門を内側から眺める。ここだけみればディズニーランドっぽいすてきな建物なのだが。
さて、ホテルに改修はどのようになるのだろうか。独房をそのまま客室にする(^_^;のは無理があるとしても、現在の美しさがそこなわれないことを切に願う。
<おまけ>
奈良町中へ帰って、、、
たまたま空席あり、の言葉にさそわれて、宝石箱の栗氷と、、、
ことのまあかりさんの古代スイーツセット(曲がりと索餅)をはしごしたことを白状します。
名残の夕ざり茶事〜水にたゆとう月 - 2022.10.25 Tue
名残の季節にお茶を愛してやまない方々と、水に映る月を巡る茶事というショートトリップ。
寄付
<長安一片の月 万戸砧打つの聲> (李白「子夜呉歌」)
、、、でかくて重過ぎる砧。実際ここまで重くないと布はなめらかにならないのだそうだ。これは女性には少々重労働。

待合
秋だみのりだと騒ぐ人の横で、
<月見ればちぢにものこそ悲しけれ 我が身一つの秋にはあらねど> (大江千里)
百人一首を学んでおられるお客様へ。
今日はうまくもってくれた火入れ炭
待合の軸は「水月」水に映る月、月といえばその下には来年の干支でもある兎
このでっぷり具合が好き
ついこの前まで夏座敷だったのに
(ただし10月なのに暑い日で蚊は健在)
今は苔の具合が一番良い。なんとか猛暑の夏を乗り切った。(苔の奴隷と化していた)
初座
残花である。ヒオウギの種(烏羽玉)が良い感じにはじけてきたので、これをいれる。来月からはもう椿だな。
香合も丸い月に見立てて水の波
掻き上げは、、、ちょっと下手くそ(^_^;
懐石の最初のご飯をサフランライスで満月見立て
みのり菓子さんの錦玉は満月か、はたまた水にたゆとう月か
光に透かして美しい菓子だった。
とうとう中立が手燭交換できる暗さになる季節になった。
お正客さま、お次客さまが表千家なので、手燭を持っての迎え付に、うずくまって手燭をさしだされる。このパターンは初めて経験する。
ホンモノの月は新月に近い下弦の月なのでまだでていない。
茶碗は高麗シリーズ、ミニ茶碗シリーズ、ほぼ渋渋な茶碗ばかりなので、水指だけはちょっと華やかに。
<映るとも月は思わず映すとも水は思わぬ広沢の池>
濃茶に伝・塚原卜伝の銘を持つ茶碗を。今年は前の名月後の名月ともに広沢池で見ることができたことを思い出しつつ。
まもなく開炉、気持ちが華やぐ季節になる前の名残に、佳きお客様方の心にどんな月がうつったであろうか。いや、映ってくれていれば幸いだ。
最後は稔りの秋で締め。
(稲穂をねらう雀を撃退する鳴子 亀廣保)
名残の季節の宗旦によせる茶事〜其中庵 - 2022.10.24 Mon

この日は後の名月十三夜の日であった。もうかなり前になるがこのシリーズの其中庵さんの茶事が終わるまでアップはおあずけしていたので、やっと解禁。
(讃岐円座〜)
待合には赤壁の月を描いた屏風。歴史的戦場・赤壁に秋の名月の頃あそんだ蘇東坡の「赤壁の賦」の景色ではやくも秋の名月を思う。
沢庵宗彭の歌付き消息。(紫衣事件で流されて)閑にしているから遊びに来てね、の侘び暮らしの寂しさをうかがわせるお手紙。
席入りにて、茶室にその存在感を誇る与次郎の堂々たるやつれ風炉に、これもまた蓋に鎹がうってあるという侘びの四方釜、宗旦の釜師・西村九兵衛。赤い前瓦に掻き上げの灰も侘びの極地。
床にかかるのは重厚な一山一寧(元の渡来僧)の一行
「当杯已入手歌妓莫停聲」
I've already got a glass, so diva, don't stop singing, keep singing.
と訳してみましたが。
この極侘びの室礼の中、「妓」の一文字だけが色を持って艶めいて写る。
今年の寄せ向こうは古染付シリーズ。私のは七宝ねじり。時々灰入れになってはるもので、なかなか入手困難な形。
今回も懐石は富山の中尾さん、今年の初モノ松茸、いただきました〜♪
石杯で選んだのは、ミニミニ井戸茶碗シリーズ、まさんど窯の平金さんのものである。
懐石の器もわびたもので、宋胡録青磁の兜鉢なんてのもある。宋胡録に青磁があることを知ったのは最近なので、中にはこんな大きな鉢もあるのだとびっくり。魯山人の黄瀬戸写しを八寸のかわりに、絵付けがイガ栗でのっている山の物が焼き栗という念の入れよう(^_^;
千鳥のお肴を所望。いつも謡曲を歌ってくださるのだが、この日は狂言の締めに歌われる祝言「猿唄」である。「♪ なほ千秋や万歳と 俵をかさねて面々に、、、」
かつて唄所望でQUEENを歌って失敗した黒歴史ある私としては、なんとか一つくらい披露できる謡を覚えなあかんな。
炭手前では、本来後炭でする風炉中拝見をさせてもらう。美しく引かれた灰の掻き上げが見物であった。しかし、やつれ風炉、でかい、、10kgはあるそうだ。
老松さんの「たにはじ(丹波路)」(中に栗餡と栗を薯蕷で包んだ感じ)をいただいて中立。
後座は大好きな花入「ソロリ」、宗旦の瓢。ほんま侘びの季節によろしいなあ。
花は秋明菊、白藤袴、ワレモコウ、ミズヒキ、蝶豆(あの青い色素のバタフライピー!)、ホトトギスと盛りだくさん。
其中庵さんが尊敬してやまない鈍翁手づくねの黒茶碗「いはを(巌)」で濃茶をいただく。茶入が、漆が古くなってかなり浮いてきている一閑張り小棗であるが、蓋裏にある宗旦の花押が黒漆でよく見ないとわからないくらいなのも侘びている。
薄茶になるとまた好みの茶碗の勢揃い、ほしいけど高くて買えないわ〜と常日頃思っている黄伊羅保でいただく。雲州伊羅保はもっているが、やっぱり違うのよね。あとバキバキに呼び継ぎしまくった志野の茶碗もよかったなあ。これは一見侘びだが実はアヴァンギャルドという茶碗。
金属製の兎の蓋置、うちにも同じのがある!と思ったら、こちらは本歌で谷松屋の戸田露朝(露吟の息子か?)の好みのモノだったとは。写しだけど、知らずに使っていた。
そしてこの席のハイライト、二本組の茶杓。
スキー板のように直腰の左右対称の一対である。銘を「伯夷・叔斉(はくいしゅくせい)」。
高校の頃漢文で習った習った。殷の時代の、儒教的には高潔な兄弟ということになっているが、最後に周の武王の録は食まない!と餓死してしまうというのもなんだかなあ。
この兄弟は王位を継ぐ継がないで譲り合って、そろって国を出奔してしまうのだが、その姿に宗旦の長男でありながら後を継がず、弟たちが三千家を継いだという宗拙の姿を重ねているのでは、という熊倉先生の説をご披露いただいた。
ちなみにこれもずっとほしいな〜けど(以下略)の原叟(覚々斎)作である。
席がおひらきになったあと、待合にもどると掛け物が中院通躬の「九月十三夜」の歌の軸にかわっているではないか。なんとも心憎い。外に出るとその十三夜の月は、日も暮れていないのにもうのぼっていたのである。
石州忌茶会2022〜慈光院 - 2022.10.22 Sat
大和郡山、片桐石州が父の菩提寺として領内に建立した慈光院は境内全体が茶事の客を迎えるための茶席となっているのである。
こんなに早くまた訪れる機会が来ようとは思ってもみなかった。
中庭の中央にある梅の木は、すでに紅葉を初めている。前回来た時には遅咲きの花がまだ香っていた。ここで石州流のお点前を指導してはった大切な茶友であり、奈良友でもあったYさんにさそわれて、ここの庭園を借景に、お寺でだしてくださる石州麺を懐石に、ご自宅で濃茶と薄茶という壮大な茶事をしてくださったのがつい昨日のことのようで。それから二月もしないうちだった。急逝されたという知らせを受け取ったのは。
かのときは 花の香かおる 梅の木の
けふもみぢする きみなしにして
季節は巡り、時も巡る、、、悲しいけれどどこかあたたかい懐かしい思いをいだくのは、なくなっても尚心に残る彼のお人柄ゆえであろうか。
このたび、おさそいいただいて毎年この時期にされる<慈光院開山玉舟和尚・片桐石州忌法要>へ初めて参席する。
今日の慈光院は正式の法要モードである。
初めて入った本堂での法要、ならびに石州流野村派(石州はとにかく流派が細分化している)+遠州古流北越派(華道)のお家元の献茶がおこなわれた。台子のお点前は興味があったが、真後ろに座ったため、まったく見えず。思うにおそらく台子の手前はどの流派もそんなに違わない。
数珠持参、お焼香をして般若心経を一同で和する。(やっと覚えた般若心経、エッヘン←自慢することでもないが)
あくまで石州と玉舟和尚への法要であるが、私はこっそり亡くなった彼への法要でもあると思って焼香させてもらった。
書院の眺望はいつもながら絶景である。
お声がけしてくれた方は遠州流で、私は裏だが、お客様の多くはやはり石州流各派の方々であった。ご挨拶をしたこちらのご住職はいつも利休を熱く語られるのである。
濃茶席はさきほど献茶をされたお家元が席主。席は以前特別に中へいれてもらった奥の広間であって、ここもなんだか懐かしい。そういえば能舞台があったっけ、、と思ったらその舞台の上に茶席をしつらえられていた。
やつれ風炉に手取り釜、野趣に富んでまるで秋の野に遊ぶ、といったご趣向である。
一番感激したのは即席四つ目垣にからませてあった山から取ってきたばかりのアケビの実である。見事に大きなアケビで、ほんのりとした甘さが美味しいのよね、とか皮の部分が一番美味しいのよね、とか茶席は盛り上がる。
お菓子は長岡大和屋(新潟の越乃雪のお菓子屋さん)栗きんとん。
御正客が先日東美でもお見かけした○禅寺ご住職。玳皮盞天目(めずらしい鹿の文様、、、奈良だけに?)にご満悦のご様子。茶杓が江戸初期に幕府の数寄屋頭(石州流)であった半々庵・伊佐幸琢、初めて知ったお名前である。
床は小堀遠州が大徳寺の大仙院に送った消息。石州の席に遠州というのもおもしろいが、二人は当時交流があったので。
茶席が面する庭は紅葉が始まり、秋の風情だが、実は当日は汗をかくほど暑く、まだ蚊まで飛んでいた(^_^;
薄茶席の前に点心をいただく。お寺さんの畑でできた野菜を使った精進だ。前来た時には石州麺(石州が考案した油をつかわない麺)をいただいたっけ、と懐かしく思い出す。カボチャのお汁が思いのほか美味しくて感動であった。
こういう法要の時は大抵点心は外注されるところが多いが、ここでは奥様他お家の方が自らお造りになるのである。その心遣いもうれしい。
(ちなみに石州麺はお土産にいただいた)
場所を移して薄茶席は石州流清水派嘉尹会の方々主催。清水派は伊達家茶道であった清水家が伝える流派で、初代が清水道閑、二代が動閑、三代が道竿、、、とみんな「どうかん」なんである。古どうかん、小猿どうかん、竿どうかん、、、とか区別しているところも面白い。(釜師のどうやも同じやね)
軸が玉室和尚の「光陰可惜念々無常」。
益田紅艶(鈍翁の弟)旧蔵という備前火襷花器が迫力あった。主茶碗が斗々屋の青(還元)と赤(酸化)、色の対比が見事で見ものであった。
茶杓が竿どうかん(道竿)さんであったわ。
お茶席の楽しさ、亡き友への思い色々ないまぜのひととき、佳き一日をすごさせていただきました。おつれくださったM氏に感謝。
<おまけ>
慈光院から意外と近い斑鳩法隆寺、帰りに足を伸ばしてばっちり、大好きな百済観音おがんできましたわ。久世観音さまの公開は10/22〜、お隣の中宮寺の弥勒菩薩様は11月には長い旅を(お堂の修理中外遊されていた)を終えられてお戻りになるらしい。また行かねば。
(夢殿)
源氏物語をあそぶ〜東京護国寺 - 2022.10.20 Thu

うつわやあ花音の梶裕子さんが主宰する「源氏物語」購読会では、毎回テーマにちなんだ器と聚洸さんのお菓子がでていたそうだ。それを集大成した本が一昨年出版された。あまりに美しいお菓子と器の数々、それぞれのお菓子の源氏物語解説、うっとりとみやびの世界に遊ぶことができたのだ。
昨年、その器の現物や、源氏にちなむお道具などつかった茶会をふくむ会を東京大本山護国寺で予定されていたが、コロナであえなく延期。
今年ようやく満を持しての開催である。
ここで締めずにいつ締めるの心意気?で源氏香の綴れ帯をしめていざお江戸へ。
「源氏物語をあそぶ会」である。
護国寺は徳川家の寺ではあるが、明治になって高橋箒庵(檀家代表)がお茶を中心として茶室を各地から移築するなど整備した5つの茶室を持つ寺で、月釜などもされていると聞き、一度はいってみたかったところでもある。
護国寺の本山は最近行った奈良の長谷寺だったんですね〜。しかも長谷寺といえば玉鬘ゆかりの寺であるから、まさに今日の会にぴったり。
ちらっとのぞいただけで不昧ゆかり?の小間の茶室など良い感じで、腰掛け待合もしゃれている。実際使われているのもいいな。
さて、会は裕子さんのご主人・梶古美術(新門前)さん、ご子息、お嬢さん家族全員を巻き込んだイベントで、こんなリーフレットも作成された。
待合〜茶席〜展覧席〜点心にいたるまでを美しく収めたリーフレーットでよい記念になる。
それにしても、茶道具のみならず、懐石道具、源氏絵巻の断簡、屏風、菓子の器、はては段通まで東京へ持ち込まれたとか。このおびただしい貴重な品々を一体どうやってご家族で運ばれたのか、と驚愕するばかりである。
展覧と茶席は園城寺の書院を移築したという月光殿にて。この広い建物を縦横無尽に使い切っての会であった。しかもリーフレットのみにあらず、下足を置く場所に客の名前それぞれを記載してくださるという細やかな心遣いもうれしい。
寄付では、ご主人の梶さんが道具の説明をなさる。勉強会もされているのでお話もお上手でとてもおもしろい。持ってきた物は全部梶さんのものなので、写真もOK、ただし破損したらお買い上げくださいと(^_^; ○千家出入りではあるが、家元の花押より自分が見て良いなと思う物しかあつかわないとおっしゃる。大きくうなづく。
軸は伊達家伝来歌合の断簡で、重陽の節句にちなんだ中院通茂卿の歌で中回しが菊の唐織り?というのがしゃれている。
黄瀬戸の立鼓花入れにも驚いたが、敷板が桐の版木になっているのに惹かれる。<桐壺>ねらいかな。
別室に展覧されていたのは宗旦共筒茶杓「虚幻」、これはもちろん<幻>(紫の上が亡くなる)にかけて。
さて、ここからは裕子さんの源氏物語への熱い思いを語る独壇場。源氏物語屏風の絵解きである。結構源氏は勉強した方だが、あまりに深すぎて、シンボルとなる場面がすぐあれは○○の巻や、と全部わかるところまではいかない。裕子さんの頭にはすべて入っているもよう。少しずつ頭で復習しながらついて行くのに必死。
長い渡り廊下にも絵巻のそれぞれの巻の断簡を飾って、解説もつけてある。これはすばらしくお手間がかかっているわ。
月光殿の玄関にあった古銅の花入れもよくみると瓢=<夕顔>なんですねえ。東京の茶花事情が不明なため、お花も京都から持ってこられたそう(゚Д゚)
さらに広い座敷に出ると、そこにはあの本に載っていた器とお菓子の写真が全部!
器は楽や古染、古伊万里などもあれば、いつもあ花音で楽しませてもらっている現代作家さんのものもあって、素材も焼物、漆器、硝子と多彩、これであの聚洸さんの特注菓子をいただけるなんて、購読会の方はなんてうらやましいんだ!
中でも印象的なのが<玉鬘>の巻。
ファイアンスブルーの現代作家さんのお皿を瀬戸内海に見立てて、そこを行く舟は乳母の夫の赴任に従い九州へ下って行く幼い玉鬘(夕顔と頭中将の娘)の舟である。
また正式の大広間に広がるのは屏風に、各巻を美しい大和絵で装飾した草紙(江戸時代?)が全巻、まさに圧巻である。(赤穂段通も〜)かつて大名家の娘が輿入れする時に、こういうのを娘に持たせたと聞く。
裕子さんの源氏物語への思いがビシバシと伝わってきて、お菓子の意匠へ変換するアイデアもすごいな、と受け止めるこちらも頭とエネルギー使い果たしそうであった。源氏物語に関してはまだ未熟ではあるが、すごく好きで、その意匠を読み解くのも茶会に組み入れるのも好きなので、こんな先達が(お若いけど)おられるのはなんとうれしいことか!
お茶席パートはご子息とお嬢さんがとりしきる。
月光殿の中庭にある小間の茶室・化生庵を待合に、軸は<賢木>の場面、黒木の鳥居の野々宮にて、伊勢へ向かう六畳御息所と源氏の別れを描く。
この床に並べられていたのが、源氏物語にでてくる歌795首(もちろんすべて紫式部作)を歌留多にしたもの。江戸中期の歌留多で、枚数が百人一首の比ではない。「更級日記」の作者も憧れ、時代がくだって江戸時代になっても愛され続けていた源氏物語、さて令和の御代ではいかがだろう。(古文を高校の科目からはずすなんて愚挙はやめてね)
お茶席は月窓軒にてお嬢さんのお点前とご子息の半東、ご姉弟息の合ったチームで。こちらも梶古美術さんのすばらしいお道具ばかりである。(値段はついてないけどきっと、、、(^_^;)
風炉先の源氏物語題字を刺繍した古裂のテーマにぴったりなこと。
写真には写っていないが了入の黒楽水指の蓋が、今回これのために誂えた多宝塔(護国寺多宝塔・石山寺の塔写し)をつまみの部分にした焼物で、大好きな脇山さとみさんの作品であった。
でてきたお菓子がそれぞれ色違いだったので、席中の(新旧)乙女たちの萌えて沸くことといったら!三人でならべて撮影大会。器も本にでてきたのと同じ物である。(弘入と永楽)
お菓子はもちろん聚洸さん、銘を「紅葉のことほぎ」というので、この色の違いは紅葉していくグラデーションをあらわしているのだろう。さらに、
本席に掛けられた色鮮やかな大和絵は、安土桃山時代の絵師土佐光吉、詞書きが尊朝法親王と伝わる<紅葉賀>、まさに紅葉のことほぎなのであった。(紅葉賀は源氏では絵画的テーマとして人気 光源氏と頭中将が舞う図)
あ、ところでこの釣花入、与次郎ですのよ(゚Д゚)!
堆朱の香合が梅花でこれは<梅枝>ですねえ。
煙草盆がほんとすばらしくて、蓋をあけると中に硯セット、水注の源氏香は<初音>。そして蓋裏に和歌が一首。かの初音の調度で有名な「きょううぐひすのはつねきかせよ」ではないようだが、読み取れず。引き出しをあけると懐紙などがいれられるようになっていて、(巻きたばこなどいいかも)火屋の蓋の細工がまたすばらしい。
主茶碗はノンコウの赤楽「朝日」。茶碗シリーズに赤楽が多いのは、裕子さんがことし華甲(還暦)を迎えられるからだそうだ。
お道具もお茶もお菓子もたっぷり堪能したあとは、本坊にて点心をいただく。
ご担当は辻留さん。
向付の古染も梶さんのご持参された物。各テーブルに配された香物入れの器が織部だったり魯山人だったり、刷毛目だったり、これも眼福。
煮物椀も表朔さんや宗哲さんだったりするから油断ならない。
点心の後、同寺のお坊さんによる境内ガイドツアー、お土産までいただいて〜と感激していたら、お土産開けてまた「おお!」と思わず声にでましたよ。本にもでてきた聚洸さんの源氏物語のお菓子が三種も!!お見事というしかない梶家の一大イベント、ご家族のチームワークのすばらしさ、心より楽しみました。感謝。
上)<若菜下>源氏は女三宮のもとで柏木からの浅緑の文を見つける 中の餡が燃える紅色
右)<宿木>=蔦 薫から中の君に送られた文に添えられた
左)<夢の浮橋> 長い長い源氏物語のいよいよ最終章
<おまけ>
会の後、同じ東京なので招待券もいただいたことだし行ってみる。
とうてい手の出ない値段のものばかりだが、ほんとうに良い物揃いでしっかり勉強させてもらった。
ちなみに関西の茶友さんと出会う場所でもある(^_^;
書写山圓教寺x杉本博司 - 2022.10.19 Wed
杉本博司さんを追いかけて、姫路市立美術館へいってこのパンフ見なかったら、行こうとは思わなかったし、そもそも、このお寺の存在をほとんどしらなかった。
書写山圓教寺にて杉本博司のインスタレーション「Noh Climax 能クライマックス(後期)」、圓教寺って聞いたことあるようなないような。行こうと思ったら姫路市内からちょっと距離があり、、、

最後にロープウェイに乗らなければたどりつかないというアクセスにやや難がある。
さらに書写山全体が境内で、ゆっくりあるけば1時間半はかかるというし、坂はきついし、、、で、日和りまして境内を行くシャトルバス(!)を利用。
しかしながらバスを降りても、中心地たる三つの堂(大講堂・食堂・常行堂)エリアに行くには、この勾配のきつい坂!(降りる時の方がこわかった)
ひーひー言いながら坂を登ると千体地蔵さんがならんでいたり、大黒堂というちょっと侘びた感じの小さなお社があったり、
い〜い感じに朽ちた塔頭・瑞光院。
姫路城主本多家の廟屋。土塀が良い感じである。
そして、坂を登り切って視界が開けたかと思うと、、、
おお〜!なんという壮麗な堂宇だ!しかも時代が十分ありそうな古び方!
右手が大講堂、正面が食堂(じきどう)、そして
左手にあるのが杉本さんの展示のある常行堂である。真ん中のせりだしている所は能舞台でもある。
いずれも室町時代の建築!すごっ!!ちょっとこの三つの堂の迫力に感動してしまった。ここまで来てよかった、杉本さんありがとう、、、
なんでもこの建築群は映画「ラストサムライ」のロケ地として使われたという。(映画見てないけど)
開祖は平安時代中期の性空上人、西の比叡山といわれる広大な堂宇を持ち、後白河法皇、後醍醐天皇など天皇・法皇らの信仰も篤かったという。ちなみに「書写山」とは、もともとこの地にあった素戔嗚尊伝説の「素戔(すさ)」→しょしゃ になったという説あり。
さて、この常行堂、重要文化財であり普段は非公開なのである。中へ入って、写真までOKとはありがたい。ご本尊は阿弥陀如来像、室町時代の仏像である。光背のそのまた後ろの壁にかすかに菩薩像の絵がみられるのだが、二十五菩薩来迎図なんだそうだ。これも古い。
この阿弥陀様のまわりを荘厳しているのが杉本さんの<光学硝子五輪塔>である。
五輪塔〜地 水 火 風 空 の世界の構成要素、これを現すのに硝子という素材を使うとは。透明度が高いので光を通し向こうの景色がよく見えるのだが、写真では捉えきれない。人間の眼に勝るレンズはない。
この丸い水輪にあたるところに杉本さんの写真「海景」シリーズのフィルムを閉じ込めた、とあるが、目をこらしてみてもよくわからなかった。あってもなくても美しいが。
長年踏みしめられ木目をあらわにつやつやの木の床も美しい。ちょうどご本尊の背面がスクリーンになっていて、杉本さんのインスタレーション「Noh Climax 能クライマックスー翁神男女狂鬼」の映像が流れる。能が舞われるのが、ここの舞台であったり姫路城であったり、かつて能がさかんに演じられた時代の光と音響はこんな感じなのだろう。
杉本さんの言葉がしみる。「なにもかもなにもかも昔の方がよかった」
正面の本堂を常行堂から見て、
一番たたずまいが素敵だったこの食堂へ。二階建てのこの良い感じに古びた古式の建物。よそではこんな建築様式見たことがない。一階部分に小さく見えるのは写経されている方々である。
中へ入って写経場からのぼってきた坂方面をみる。木々の葉がそろそろ色づき初めている。ここにすわってこの景色を眺めて暮らしたい、、、とちょっと思った。
ここの扉は全面上に跳ね上げる蔀戸であるところも素敵。(「源氏物語絵巻」なんかに描かれているのが蔀戸)
二階にも上がれて、ここには仏像などの展示あり。ここから大講堂を見る。
裏は書写山の森である。この感じ、談山神社に似ているような。あっちは神社だが。
一階で見た眺めを二階からも。跳ね上げられているのが蔀戸。
展示には歴代の瓦釘も展示され、これ炭道具の火箸にいいのだわ〜とついよだれをたらしてしまう。
さて、ロープウェイ駅までのバスが1時間に3本なのでそろそろ帰ろう。奥の院はあきらめた。
途中懸崖作りの摩尼殿へもちらっと寄ってみる。
もともとここは性空上人が桜の木に刻んだ如意輪観音がおさめられる本堂だったのだが、大正年間に焼失、昭和の戦前に再建されたという新しい建物。(なんと設計武田五一)
こちらは蔀戸ではなく扉であった。
帰りのロープウェイで見下ろした姫路の市街。瀬戸内海もかすかに見える。
駆け足であったが圓教寺、来れてほんまによかった。恐るべし西の比叡山!と感動した次第。
杉本博司本歌取り〜日本文化の伝承と飛翔〜姫路市立美術館 - 2022.10.18 Tue
杉本博司さんの作品はほんとうに好きで、かならず見に行っているが、今回は京都じゃない。まあ、そんなに遠くもないし、、、とでかける。

この写真みただけでどこかわかるわね(*^_^*)ばっちり写っているのは国宝姫路城。こちらは姫路市立美術館である。なんと明治38年に建てられた陸軍の倉庫だった建物で、昭和50年代まで姫路市役所として使われていたという。
市立美術館として再生されたのが昭和58年と比較的新しい美術館なのだ。
ポスターになっている「月下紅白梅図」(ご存じ光琳の紅白梅図屏風の本歌取り)は初めて見たときにはご本人の解説付きで、感激したなあ。
杉本さんの展示は、クスクスっと笑えるものが多く、取り合わせのアンバランスが最高だったり、その隣にコレクションの重要文化財が並んでいたり、、、とにかくしっかり見て見逃すことのないように。
室町時代の「天神像図」の軸装が黒い背景に走る稲妻で、その横に鎌倉時代の雷神像があったる。レンブラントのエッチングが本式の軸装になっている。、、、こんなん茶室にあったらもうこれだけですごいご馳走。
「天山飯店品書」と杉本さん自身がかかれた墨書、なにが書いてあるのか?と思ったら、タン麺900円、チャーハン900円とかそんな内容なのに、軸装に使われた裂地はおそらく貴重な貴重な古裂と思われる。思わずなぜだ?!と言ってしまいそう。
軸装が杉本さんの真骨頂で、「着服(pocketed)」の墨書の軸装がほんものの洋服のポケットシリーズだったり、鎌倉時代の曼荼羅の中回しが1930年代の科学誌らしき月相や太陽系の図やらだったり。
墨書も面白くて、「御釈迦」「御陀仏」が並んでいて、??と思ってよく見ると、そうか「オシャカ (になった)」と「オダブツ」か(^_^; 「憲法窮状」??なんてのもあって、軸装が菊の御紋の裂地というのもしゃれが効いている。
能につかう江戸時代に作られた面の陳列の横に「神男女狂鬼」と書かれた軸あり、よく考えて、あ!そうか!能五番のジャンルか〜。
それから杉本さんはガラス作家としての作家ネームを持っていて「村野藤六」という。そう、建築家の村野藤吾のもじりなんである。ガラスの茶碗で長次郎の四角い黒楽「ムキ栗」へのオマージュとして「ムリ栗1号」と銘をつけたり、正倉院御物の白瑠璃茶碗の写しを「私倉」と名付ける。正倉院が国倉であるのに対して、という意味であろう。
かと思えば利休の竹一重切り花入の横に、大正時代の青銅雨樋を古銅花入れとしてならべ、「咲甫太夫」と名付ける。(さきっぽという意味か?)
なんとも贅沢に利休・少庵・宗旦の茶杓を並べてその横に待庵古材で御自作された茶杓数本をならべる。しかもその銘が「よりみち(よこにはみだしてる部分あり)」「もろは(茶杓の端が両方にある)」「くのいち(くの字にまがっている)」、、、こういう高級すぎるお遊びは杉本さんにしかできまいと思う。
本歌取りというべきか、古典の作品を補完して新たな作品としているものとして、鎌倉時代の国東五輪塔の笠の部分が欠落しているのを補うのに階段を積み上げたようなブルーのガラスで笠を補完する。銘が「笠がない」(って井上陽水か(^_^;)
それから「廃仏希釈(毀釈じゃないよ)」と名付けられたシリーズは主に頭部が失われた室町時代の四天王の頭を補完するのに、鉛釣り用餌撒き器に唐辛子を詰めたモノ、ウシオ電気の電球、手に持たせるモノが恐竜糞の化石とか昭和20年代の目薬小瓶とか、仏様たちも後の世にこんな形でよみがえるとは思うまい。でも楽しい♪
最後に杉本さんの遺偈。一見漢文で徳のあるお坊さんが書いた遺偈風だが、内容を咀嚼すると「禅はわからへん 冥界(死)はすぐそば 満塁(涙)で席に立って空振り〜」(*^_^*)
美術館にあったチラシで、同じ姫路にある書写山圓教寺の杉本さんのインスタレーション開催中を知って急遽行くことにする。
雨風の曽爾高原 - 2022.10.16 Sun
昨年からススキの季節の曽爾高原(そにこうげん)(室生赤目青山国定公園の一部)へ行ってみたいと友達と話していたが、車で行くとなると2時間はかかるし狭い路だし、、、と二の足を踏んでいた。今年行きたい面子が車を出してくれる男子もふくめ4人そろったので、計画を練る。
ところが4人居るとなかなか日程調整がむつかしく、この日!と決めた日の天気予報が雨、、、きっと午後には晴れるにちがいない、と根拠レス希望をいだいて出発。草津インターから伊賀(滋賀県)〜名張(三重県)〜を抜けて曽爾村へ。ここは滋賀でも三重でもなく、実は奈良県宇陀郡なのだ。
歴史的には大和から伊勢へいたる<伊勢本街道>の一部。伊勢国司北畠氏が整備した路だという。近代になってバスが開通してからは衰退したそうだが、曽爾高原のススキは最近観光スポットとして有名になりつつある。
ススキの穂がなびき一面銀色の波、、、、みたいな想像をしていたのだが(曽爾村HPで良い写真のってるから見てね(^_^;)、、、、
あれ〜〜〜???
雨はやまない。そして霧の濃さよ。かすかにしか見えない。
高原全体の姿が見えない、、、
しかたないので、しばし霧まみれの写真をお楽しみ?ください、、、(^_^;
おそらく天気のよい休日には多くの人が訪れるのであろう。駐車場のガイドする保安員の方がたくさんでてはったが、さすがにこんな日は観光客は少ない。
ここらはもう高山植物帯になるのかな、最後まで名前がでてこなかったこんな実をつけたやつや、野アザミの花も咲いていた。スコットランドに行った時を思い出すなあ。ヒースの野原に濃霧がでて、手を伸ばした先すら見えなかった。それにあそこの国花はアザミだし。
これはお亀池とよばれる湿地帯、水鳥もくるらしいが雨でその姿をみない。アウトドア用のレインコートを持ってきてよかった。お亀池には大蛇になった嫁の伝説があるらしいが、納得できかねる内容。
やむかな、、、と期待したがますます雨はふってくる。霧が濃くなる。
それでもとりあえず亀山(標高900m弱)めざして登っていく。しんどさ加減は大文字山くらいか。ただ雨で足下、視界が悪いので難儀だ。これ、頂上がすぐのように見えるが実はフェイントでその先が長かった!
かなり登ったが、、、やっぱり何にも見えない、、、、
階段のあるところは良いが、岩場もあったりで、下が見えない方がかえって怖くないのでいいのかも。(高所恐怖症だし)
お亀峠手前で雨だけでなく、風も強くなって寒さもきびしくなったので、ここで断念。晴れていたらどれだけ眺めの良い景色なんだろうと、脳内で想像するのみ。しかしこんな霧だらけの景色もかえってレアな体験かも、と気をとりなおす。
高原デートのつもりで来たカップルの女子がうすいワンピースで登ってきていて、風邪引くんじゃないかと心配したりしたわ。
下山、ようやく風もおさまってきた。雨は相変わらずだが。
しかし!
雨にも風にも負けない野点魂!?
しっかり野点セットとお菓子を持参して、意地でもここで飲んでやる。
みんなにふるまい、自分でも一服いただけば、すこし凍えた体にほっとするぬくもりであった。
これが耐えられたのはその後のお楽しみがあったからなのだ。ご一緒したお一人推しの、、、
思った以上にたくさんの人が入りに来ていた。泉質はナトリウムー炭酸水素塩泉、ヌルヌルする感じでとろっとしている。露天風呂もあり、これで冷え切った体もほかほか。
マッサージチェアにその後のソフトクリームと温泉フルコースを堪能したのである。
春日若宮御造替お砂持ち〜鹿の角切り - 2022.10.14 Fri
20年に一度の春日若宮さんの御造替(ごぞうたい)。8世紀からずっと20年ごとに続けられてきたもので、お社を新調するものの場所を移動しないので「遷宮」とは言わないのである。

その間若宮さまは移殿に仮住まいをされておられるので、この時だけ内院に入れる。このチャンスは逃せない。だって次回は生きているかどうかもわからんもん(^_^;
その時に「お砂持ち」という参拝者の手で内院に白砂を撒くというイベント?あり。これは毎回やっておられるのか、いつ頃からなのか不明。
お社の檜皮への寄付をして、チケットがわりに若宮おん祭りのイラスト入り袋をいただく。(紫色もあり)これは御旅所での東遊びかな。
裏はおん祭りのお渡り式の絵やな。影向の松(ようごうのまつ)もちゃんと描かれている。(お能の舞台の松はこの松)
二ノ鳥居の前でこれも初めて中へ入る着到殿へ。この建物もおん祭りの時に儀式次第を確認する式を行う建物なんだそうだ。奥の方にいくつかの樽が置かれているが、、、
これに内院に撒くお砂がはいっているのである。どこからの砂なのか企業秘密?升で先ほどの袋にぎゅうぎゅうにつめる。
欲張って詰めすぎて紐が手に食い込むほど重い。
何人かのグループにわかれ、神官の方の説明を聞きつつ若宮社へ。
おお〜!朱の色が鮮やか。しかしこの外壁の朱(鉛丹)とお社の朱は質も値段も違うらしい。お社の方は本朱という水銀濃度の高いモノで、かなり落ち着いた赤という感じである。これを潤沢に使えるのは春日大社だけ、という説もあり。
神官さんのお祓いをうけて内院へはいると、木の香が新しい。土台の漆喰も真っ白で、檜皮葺の屋根も美しい。この檜皮の生産がなかなかむつかしくて、全国各地の神社が順番待ちをしているという。
正面の扉の閂が金色の輝きも鮮やかなのが印象的。
(鏡神社)
これは先だって行った新薬師寺隣の鏡神社の社殿であるが、18世紀に春日大社の社殿を移築したものなので、イメージ的にはこんな感じ。新しいだけにもっとキラキラ感があるが。
内院の中に大きな大きな藤の老木が身をくねらせていたが、自然に生えてきたものだという。藤原氏の繁栄を象徴する藤であるが、からみつく本体の木を枯らすというやっかいな一面もなにやら象徴的。
いつもはふきっさらしで床もほこりがたまっている神楽殿も、さすがにきれいになっていてびっくり。
この御造替の時に万灯籠の火屋を新調するんだなあと初めて知った。
先ほどのチケット代わりの袋を提示して、本宮の中にある移殿へ、ここで仮住まい中の若宮さんを拝んで退出。
帰りがけに参道にある鹿苑でそうだ、ちょうど鹿の角切イベントやってるわ、と10年ぶりくらいに行ってみる。
奈良鹿保存会会員なのでただで入れるのになかなか行く機会がなくて。折からの小雨にもかかわらず、戻ってきた観光客で観覧席はいっぱいである。
観覧用には生きの良い若い牡鹿を選んで3頭を放つ。勢子さんが追いかけて角に縄をうまいことひっかけて、、、
じわりじわりと可動距離を縮め、、
一番危険な後ろ足を持ち上げたら大成功。そのまま数人でかかえて角切場へ。
牡鹿の角はほっておいても自然にポロリと落ちるらしいが、観光客でにぎわう奈良で人と野生の鹿が共存するための大事なイベントなのである。
3頭目は勢子さんの一人が両手でがっちり、角をつかんで捕まえたのにはびっくりした〜!危険なのですかさず他の勢子さんが後ろ足を持ち上げて勝利!
角を着られた鹿はなんだか頭が軽くなってバランスとれへんな〜と思いつつ鹿苑に走って帰っていく。
博物館裏手の若宮さん御旅所。今年はリアルにおん祭り見に行けるかなあ。(昨年はニコ動のお世話になった)
<おまけ>
もう何十年も前を通っているのに中へ入る機会がなかった興福寺境内柳茶屋(猿沢池畔に別店もある)
お腹の具合と時間の具合がちょうどよかったので、初入店。
小さな入り口から想像できない奥深さにびっくり。
りっぱなお屋敷やん。明治創業というから築100年以上だなあ。
今回定食はちょっと多すぎるので蕨餅をいただいた。
後の名月〜広沢池の十三夜2022 - 2022.10.13 Thu
其中庵さんの茶事が終わって、一度家に帰り着物を着替えて十三夜の後の名月がのぼるのを広沢池で見ようと思っていたが、外にでてみるとまだ日の光があるのに、すでに月はのぼっているではないか!同じく茶事の水屋をしていたKさんと一緒に急遽着物のまま広沢池へ直行。今年ものぼる瞬間見逃したなあ〜(昨年は目の前のご馳走に気をとられてのぼる瞬間を見逃した)
広沢池の畔はどうやらコスモスの原になっているらしく、明るかったらこれも楽しめたのだろうが。まだ西の空は明るい。
おお〜!すでにのぼってはいるが、広沢池に姿を写しながら天にある十三夜の月は美しいなあ。
full moonではない十三夜を愛でる美意識は日本人だけではないだろうか。欠けたる物に美しさを感じる侘びの感覚である。そういえば日本人のすきな秋の虫の声も西洋人にはうるさいだけの雑音と認識されていると聞いた。
家に準備していたお菓子をもってこれなかったので、これも急遽このあたりの和菓子屋さん(船屋秋月さん)で和菓子をゲット。まさしくテーマにドンピシャ、池の月である。下に敷くシートもないので、古新聞でも、とお菓子屋さんにお願いしたら、ご親切にきれいな包装紙をわけてくださった。感謝!
暗い中、着物姿の二人がベンチに腰掛けて月をぼ〜っと見ているのって、結構珍妙な景色だったかもしれない。でも、それ以上を行きました!遅れて到着のSさんご持参のミニミニ蒸籠!
肉まんをふかして、熱々をいただく。広沢池のほとりで名月を見ながら肉まんを食す、、、なかなかできないよ、こんな体験(^_^;
さらにこのあと草餅もふかしていただいた。
湖面に波立てば、月は映り、水がなぐと映らなくなるのね。月の左には木星も明るい。
お腹もいっぱいになったので、ねぐらに帰った水鳥の声を聞き、そろそろわれわれも帰ろう。さらに高く中天にのぼった月にお別れを。
映るとも月は思わず 映すとも水は思わぬ 広沢の池 (伝・塚原卜伝)
板谷波山の陶芸〜生誕150年記念〜泉屋博古館 - 2022.10.12 Wed
板谷波山の波山という号はふるさとの筑波山からとった、ということを今回初めて知った。

板谷波山の陶芸展(〜10/23)が鹿ヶ谷の麓(まあ、ご近所)泉屋博古館にて開催中。
恥ずかしながら、波山の名前はTVの「なんでも鑑定団」でくりかえし出てきたので覚えたようなものである。波山がなくなったときには私、もう生まれてました〜(^_^;くらい近い昔の方なのだ。
玄関ホールの撮影OKの大壺は波山の真骨頂、「葆光彩磁(ほこうさいじ)」葡萄唐草文花瓶。薬師寺のご本尊台座のレリーフを写したもの。
葆光彩磁とは、まさに光を内に保つという意味で、彩色した下地の上に葆光釉を掛けると薄もやがかかったようなマットな色になる波山の代名詞的技法。釉薬の中に微細な気泡がはいっているためこうなるそうだ。
もともとは東京美術学校で岡倉天心や、高村光雲らの指導のもと彫刻を学んでいたそうで、その頃の習作も展示されているが、なにより絵心がすばらしい。おびただしい作品は主に草花紋が主なのだが、アールヌーボー的でどこかウィリアムモリスを思わせる。文様をそのまま絵画として残しても画家として名をなしたのではなかろうか。陶芸家の腕にこの絵心がなんといっても波山の強みなのだろう。
作品が売れる前はありったけの財産を窯を作るのに費やし(家族もいるのに!)板谷破産といわれたとか(^_^; それでも作陶釉薬の研究を続け、ついには陶芸家として初の文化勲章を受章されるのである。(人間国宝は辞退された)
釉薬や窯焚きの研究ノートなども展示されており、陶芸ってつくづく化学実験だなと思う。
肉薄彫刻を生地にほどこし焼成、さらに彩色焼成、釉薬で焼成、、、と多くの段階を経て完成する手間の掛かる作品群。主にお屋敷の広間を飾るような装飾性の高い大きい物が多いが、香炉のようなかわいらしい床の間に飾っておきたいような作品もある。茶道具もないではないが、作品数としては少なかった。彫刻をほどこした茶入が印象的。
浅い彫刻に釉薬がたまることで繊細な陰影ができる。笹の葉の緑のグラデーションなどがもうほとんど絵画で、陶芸には見えないくらいだ。
この銀杏の葉が一番好きだったもの。このまま絵にしてもいいでしょう?デザイン化したフォルム、葉っぱの端のギザギザ、葉脈、虫食いまで素敵だ。
会場では波山の晩年に近い頃の動画が流れている。拾った子猫を抱えてにこやかな姿は好々爺に見えるが、仕事には己に厳しい人だったそうだ。作品の胎となる素地は専門の轆轤師にひかせていたそうで、中でも轆轤師・現田市松は53年の長きにわたって彼を支え、波山もまた文化勲章授賞式に彼を皇居へ伴ったという。一緒に写った写真でにこやかな二人。現田が先に逝ってしまい、それは波山にとって大きな精神的痛手となったという。
綱維問訊(こういもんじん)〜西大寺光明真言土砂加持大法会2022 - 2022.10.10 Mon
真言律宗の最大寺院、西大寺では10月に最大の法会である光明真言土砂加持大法会が行われる。昨年仕事おわりの遅がけでいったのだが、肝心な部分を見逃していることにあとで気づく。で、今年こそはと気合いをいれて出かける。
ちなみに見逃したのは綱維問訊(こういもんじん)と呼ばれるスーパースロー五体投地なのである。なにせ立位から平伏、平伏から立位を15分もかけてするものなので、他では見られないはず。
西大寺を律宗として再興した(儲茶の)叡尊、その弟子忍性、などが有名。
一門としては般若寺、元興寺、白毫寺、岩船寺、海龍王寺などたくさんあって、この法要のためには一門の僧侶すべてが、あらゆるものをなげうって参勤すべきもの、という重い法会である。
かつては8日間行われたそうだが戦後は3日間、しかもびっちり24時間!僧侶が2時間交替で必ずご本尊の前の席で法要を行っているのだ。
ハブ駅のある西大寺の駅前(例の事件のあった場所のすぐそこ)という立地なのに、広い境内の中はほぼ別天地。
境内には毎年デザインが変わる光のアート、、、というかこれミラーボールなのでキラキラ(^_^;お寺さんにミラーボールというのもなんか面白いわ。
堂内はキラキラの密教的荘厳(好き)。若松、彼岸花、ススキや鶏頭など、昔から決められている荘厳、ご本尊の前には「土砂」。この土砂は文字通り砂なのであるが、秘密の場所で採取され、3日間唱えられる光明真言をびっちり吸い込んで聖なるパワーをもつようになるといわれている。
参拝客は少ない。30人前後といったところか。それだけに参拝している人はけっこうコアな趣味人か宗教者か、ご近所さんか、そんな雰囲気もまた好きである。
真言宗で最大最強の真言といわれる光明真言。
「ヲンアボキャベイロシャマウナカボダラマニハンドマジンバララハリタヤウン」
(大日如来をほめたたえ、その光明を放ち給え、、、)
この一文字一文字を約30人のお坊さんが、10秒くらいかけて唱える。くりかえしくりかえし。他の経文はなし、ひたすら光明真言を唱える。(これは今年はじめて知った!)
そして鉦が鳴らされると、他の鬱金色の袈裟に衣のお坊さんと違って、一人薄黄緑色の衣、白い袈裟のお坊さん=綱維(法会の進行を司る)が登場、いよいよ「綱維問訊」が始まる。(中日10月4日のみ)
(パンフより)
一臈とよばれる僧侶の前で、ゆっくり、実にゆっくり体をおりたたんでいく。あまりにゆっくりなので、ぱっと見に静止しているようにしかみえない。見守っているといつのまにか座り、いつのまにか平伏し、、そして立位にもどり、、そんな感じである。これはどれだけ筋力がいるのか想像するとかなりしんどいぞ。若い僧侶でないとできないと思う。多分15分かかっていると思う。これを人は「提灯だたみ」と呼ぶそうだ。
能「道成寺」の乱拍子(数10センチ四方をすごく時間をかけて進む)を思い出すなあ、、と思っていたら昨年の記事にも同じ事書いてた(^_^;
提灯だたみを終えたばかりの綱維さんが、何事もなかったようにすっと立ち上がって須弥壇の端を中啓(扇)でぽんとたたくと次は30人総出の真言行道である。(ちなみに叩くのは無事綱維問訊が終わったという合図らしい)
先ほどの真言の一文字を10秒掛けて唱えては数歩進み、また唱えては進み、、須弥壇の周りを何周かされるのである。、、じつにまどろっこしい、、、いや(^_^;実にスローな行道で、二月堂修二会の走りの行の対極にあるなと思う。
行道がおわるとご本尊の前の座におひとりだけ残る。2時間交替のおつとめで、この交替の時も、この座は明け渡さない、という意味で次の交替の僧が座るまで、手だけ座につけているのだとか。
去年はなんも知らんとみていたなあ、、今年は得ることがたくさんあった。来年は仕事日で無理やろうけど、もう一度拝見したいあのスーパースローな綱維問訊!
最後に今年だけご本尊の前に「故安倍晋三元首相」の大きな卒塔婆がたてられていた。合掌
Coffee Base NASHINOKI〜梨木神社 - 2022.10.09 Sun

もう数年前からになるが参道にマンション建てたことが色々物議をかもした御所東の梨木神社。
萩祭りには間に合わなかったが、未だ楽しめる萩を見に、、と、社務所の一角にできたばっかりという新しいカフェを偵察に。
おやまあ、ほんまに社務所の建物の中!中はスタンド式で、ここで注文して境内のあちこちで飲むことができるというスタイル。
しかし、この建物昔茶室だった所、、、ということでそれをつぶしちゃったのかあ、、、と複雑な心境。ランディ先生が除夜釜をかけてはったとこではないかと思う。
別棟のお茶のお稽古場はまだ健在みたいでまあよかった。
前庭はきれいに整備され、客は思い思いの場所で珈琲を楽しむ。そういえば普段平日はここ、そんなに人来なかったよなあ、、、神社側の思惑は成功したのかも。
お茶のお稽古棟の腰掛け待合が空いていたのですかさずここを選ぶ。
腰掛け待合に珈琲。
これもまたなかなか面白い。
座っていただくと目の前が柴折り戸なんかになって、萩もみられるし、なかなかよいポジションであった。
すぐ横に名水・染井の井戸がある。ここのコーヒーはもちろんここの名水で入れた、というのが売りである。
で、当然ながらここの水をもらってかえる。
ここの水は昔から水くみの人が絶えない。お参りはしなくても水だけはもらうという(^_^;
順番を待ちながら井戸を昔から見守る桂の葉っぱを眺める。葵祭茶会で葵はうちに生えているが、桂の葉っぱはここでもらってもいいかな〜、、なんて不埒なことを考えながら。
水を汲む気満々だが、遠慮して200mlのポットを持参。マンションができた当時はなんとなくコンクリート臭がするような気がして遠慮していたのだが、今はもう大丈夫なようだ。名水を使ったコーヒーはやっぱりコーヒーの味が強すぎて、もひとつようわからん。
神社にお参りして、
名残の萩を見ておいとまする。
帰り道、寺町通りのあちこちに原種藤袴の鉢植えがならぶのを愛でる。原種は園芸種と違って香りが強い。蝶がこれに惹かれて寄ってくると言う。寺町通り〜革堂中心に藤袴祭(7〜10日)行われるらしい。(この記事アップ時には終わってるかも(^_^;)
さて持ち帰った水であるが、ポットの口が何かの拍子であいてしまい、バッグの中が大洪水という大惨事が待っていたが、なんとか残った水で点てた抹茶は美味しかった。
奈良国立博物館・茶室「八窓庵」+庭園再生後のお披露目 - 2022.10.08 Sat
10月というのに汗ばむ好天の奈良、国立博物館は早くも正倉院展モードである。招待券いただいたし、今から楽しみだ。
さて、かねてより改修整備が進められていた奈良国立博物館・庭園・茶室「八窓庵」、クラウドファウンディングの力も借りて修復完了、正倉院展にあわせて一般公開されるそうで、その前のお披露目式に行ってきた。
博物館で展示を見終わっていつもほっとする広いロビーから見える茶室で、以前も拝見したこともあり、奈良の知人がここを借りてプライベート茶会をしたことも知っているのだが、もっと広く知ってもらって回りやすくするための改修のようである。
中門もなかなか立派になった。
そして茶室八窓庵。
ぱっと見薮ノ内の燕庵に似ていると思ったら、茶室の中まで燕庵そっくりとまでは言わないが、同じテイストで織部好みなのだな。
近くの旧・山口滴翠別邸瑜伽山園地の腰掛け待合がもろに薮ノ内好みであったので、奈良と織部の関係は東大和を治めていたことからだろうか。
(立派な礎石の飛び石)
八窓庵はかつて大乗院(現在は大乗院庭園 奈良ホテル隣)に建てられた江戸中期の建築で、大和三茶室の一つとうたわれたらしいが、有名な井上馨の四聖坊の茶室は東京へ行ったあげく戦災で焼失、興福寺六窓庵は現在東博の庭園に。この八窓庵もあやうく奈良から出て行きそうな所を奈良に残さないとイケナイという篤志家の尽力で奈良博が立つ前にこの地に移築されたという。明治25年のことである。
(掛け物は清水公照師だな)
そんな明治の気骨ある篤志家ほどの財力ではないにしろ、クラウドファウンディングで寄付された方々の努力で改修が成立したというのも面白い。
建築材はなるたけオリジナルを残すようにして再生したそうでなので、床柱なぞは200〜300年前の材がまだ健在なのである。
四畳台目、燕庵そっくりの点前座の色紙窓、墨跡窓、襖の方立てが竹なところもそっくり。床の位置と相伴席無しがちょっと違うが気持ちはまさに燕庵。
天井の真行草もきれいになった。
裏にまわってみよう。
屋根の茅葺きも燕庵風。この茅葺きも新たに葺き直したもの。曽爾高原(今年は行きたい!)のススキを主に使っているとか。
丸窓もあって、、、
相の間というか鎖の間というか、それに水屋がつく。
今後一日借りて2万4千円で貸し出しできるそうなので、お近くのかたは是非。(京都からだと道具や人員運ぶのちょっとたいへんやなあ)
庭園にある腰掛待合もちゃんと割(正客と相伴のすわる席が別)になっていて、これも織部好みである。石の延べ段も見るのわすれたが、あれも織部やったかな。おまけに下腹雪隠(トイレ)らしき建物もあった。
庭園に関しては種々の桜の木が寄贈され植えられていて、これは春には美しいことになりそうだ。この橋も新たにかけかえたもの。残念ながら渡れなかった。
池に映る八窓庵。背景は博物館である。
見学の最後は庭園を眺めながら点てだしのお茶をいただく。
菊屋さんの薯蕷で花食い鳥の文様がまさしく正倉院!
<おまけ>
せっかく奈良に来たのだし、まもなく長い改修にはいる奈良のシンボル・興福寺五重塔の一層目拝観。何度見ても四方にいらっしゃる四如来(阿弥陀、釈迦、薬師、弥勒菩薩)の脇侍が覚えられん。薬師如来→日光+月光はなんとか。
それから急ぎまらまちへ。急がないと満席になる七福食堂、開店前から並んでぎりぎり第一陣に入り込めた。本日のランチ!
<世界一美しい無人販売所>〜信楽・まさんど窯 - 2022.10.06 Thu
信楽のまさんど窯を訪ねて、その敷地に御自作の井戸茶碗を売る「世界一美しい無人販売所」の制作過程を見せてもらったのは今年5月だった。
10月には完成のお披露目会をするから、というお言葉に甘えてやってきたが、仕事終わってからかけつけたので、着いた時はもう黄昏時だった。

おお!これが完成形か。
大阪の山本博工務店の方の指導を受けつつ、ご自分で設計、木材刻み、鑿によるほぞつくりなどこなして完成した、これも立派な作品だ。
すでに作品が並べられ、値段もついている。
お支払いはPayPay なんだそうだ。
さてこの作品を載せた台、、、すっかりきれいに仕上がっているが、
5月にはこんな状態だった。
これを電動サンダーで磨くことで世界一美しい無人販売所作りに参画できたのだった。(ほぼ30秒だけ(^_^;)
それにしても完成品の板の木目の美しいこと!ここまでやらないといけないのね。世界一かどうかはおいといて(^_^;美しいには違いない。作品の数も以後増やしていかれるのかもしれないが、このくらいで欲がない感じがとてもいい。
平金井戸(茶碗)はオイル窯時代のものを一つ拝領して、今も日々愛用しているが、面白さではやはり薪窯のがほしいなあ、と思った。いずれここで一つもとめましょう。
母屋は灯ともし頃。
お祝いに来られた方はもうひけて、以前お目にかかった事のある若い茶園主さんや、茶畑労働などを住み込みでされている若い方々など近所の方が数人いらして、お互いに干渉するでもなく思い思いに古民家の美しい宵を楽しんでいる。
ここの近所の料亭・魚仙さんのお寿司がお祝い(これもお知り合いのSさんから)に届いていたので、お相伴にあずかる。ラッキー。鯖寿司は絶品、信楽巻きというしんこ巻がとってもお酒に合う味である。(運転ゆえ飲めないけど)
一応お茶の室礼はできているが、お客さんがお茶点てたかったら勝手にどうぞ〜というスタイル。ここではみんな好き勝手にしたいことをしても許されるような空気感が好き。夜を徹してのんで雑魚寝が好きな人もいれば、なにをするでもなくぼ〜っと景色を楽しむのもまた。
茶畑の見えるこの縁側でごろりと横になっても許されそう。
それからもう一つ気になっていたあの露天風呂はどうなったのだろうか。これは5月の時、土台だけができていて、その本気度を感じたのだが。
おお〜!!
水も燃料(薪)供給ルートも完成!
そしてなによりこの美しい瑠璃色の湯船!
信楽焼の大御所さんの窯で(こんな大物を焼けるところは少ない)、助言を受けながら完成させた湯船なのだ。<まさんど窯>の文字はここをアトリエにしてはる書道家奥田さんのもの、それを平金さんが造形して貼り付けたという。
色がすてきで一目見て、あ、信楽の火鉢だ!と思った海鼠釉。今の若い人は火鉢自体をしらないかもしれないが。
当分は男子のみということで。(女子はちょっと勇気がいる)ここで湯につかりながら向かいの茶畑を眺めるのは最高の気分なのだそうだ。
そしてそのあとお茶するという<淋汗茶の湯>そのものの世界、、、と思っていたら平金さんは一歩さらに上を行っていた。山科の奇人茶人・丿貫(へちかん)と利休の逸話(茶室の前に落とし穴をほって利休を落とし、汚れたところをすかさず風呂をすすめ、さっぱりしたところで茶を点てた)をまねてこの湯船の近くに落とし穴を掘ったそうだヽ(´∀`)ノ
はまる第一号はだれだろう?
そうこうするうち釣瓶落としの秋の日は暮れ、外も真っ暗。
どこからともなく芳香がするなあと感じていたが帰る間際になって庭の金木犀に気づいた。空には半月、美しい宵になった。翌日の夕べには尺八のコンサートもここであるという。そのうち月一映画会もしたいとか、こうして平金さんの(苦労もおおいだろうけれど)美しい古民家ライフは友人知人地域の人を巻き込んで発展していく。
菊慈童によせる夕ざり茶事 - 2022.10.04 Tue
朝茶事の1週間後は夕ざり茶事。とことん正午がきらいな(?)亭主である。

先週は玄関を彼岸花で飾ってお迎えしたが、今週はススキである。これも裏庭でとれたもの。
10月4日は旧暦の重陽の節句なので、自作の茱萸袋を制作、これ毎年のお仕事?
重陽といえばやっぱりテーマは「菊慈童」。仕舞を習ったこともあるし、重陽節のころはあちこちでこれが演能されるので、やはりはずせない。(観世流以外は「枕慈童」)
祇園祭の菊水鉾もテーマは「菊慈童」なんである。ご神体は慈童で天王座に彭祖(菊慈童とよく混同される)
ご存じの方はご存じで説明も不要とおもわれるがいちおうさらっと。
魏の勅使が酈縣山(れっけんさん)の麓の霊水を訪ねていくと菊の咲き乱れた山中で菊慈童に会う。周の穆王(ぼくおう)に使えた慈童(美少年という設定)は王の枕をまたいだために酈縣山に追放される。
ちなみに周:BC1046〜BC256 魏:AD220〜265
追放の際にかわいそうに思ったのか王は観音経(法華経普門品)の一節を書いた枕をつかわす。
「福寿海無量」
それを菊の葉に写したところ葉の露がしたたって(これが銘菓「したたり」の語源)それを飲んで不老不死となり、勅使にであったときで700歳という計算。その菊の露をすすめて慈童は山へ帰っていく。
♪ ところは酈縣の山のしただり 菊水の流れ 泉はもとより酒なれば、、、、
というので不老不死とまではいかないが、健康な長寿を祈って菊酒を。
待合の掛け物は今尾景年の「菊慈童」なんだかちょっと寂しげな慈童の姿なんである。(700年もひとりぼっちじゃ、酒でも飲みたくなるよね)
9月晦日であったので、ぎりぎりの夏座敷、しかも昼間は30℃越えだったので、これは正解。網代もこの茶事がおわったら片付ける。
今回も紫色のワイン「Purple Reign」(プリンスのパープルレインちゃうよ←若い人にはわからんやろなあ、、、)をバカラのローハングラスで。
水打ちをするそばから乾いていく季節はいつまでつづくのか。
今回はみなさま見事にバラバラ、京都以外の遠方からお越しのお客様方だが、うちの茶事は2回目以上の顔なじみの方々で、あらかじめ「菊慈童」の予習をお願いするという暴挙(?)にでたのはおゆるし願いたい。みんながみんな謡曲にご興味があるわけではないので。
花は移植して数年、昨年からようやく花を咲かせるようになった白の秋海棠と山ホロシ、紅白ミズヒキ+ヤブミョウガ。全部裏庭で調達できるようになったのがありがたい。
懐石はこれでもか!というくらい食用菊を使用した料理、これもみなさまの長寿を願えばこそ。(あまり長生きしすぎのも困る、、、という世相ではありますが)
主菓子は毎度お世話になっているみのり菓子さんの「着せ綿」。ほんまにもこもの綿を着せた菊に見えて秀逸。味も菊花をねりこんだこなしに柚子餡ととても美味しかった。
そしてこれもどうしても出したかった亀広永さんの「したたり」
昔は祇園祭の間しか買えなかったが、今ではいつでも入手できるのでありがたい。黒糖琥珀系のお菓子は数々あれど、味はやはりしたたりの右にでるものはないと思う。
主菓子は別にあったので、重くならないように薄切りにしたらなんだか別のお菓子みたいにみえちゃった(^_^;
香合はそのまま大きくしたら茶箱、、、という感じの菊置上
後座は観音経にちなんで「観世音菩薩」
後座には花は飾らないのだが、どうしてもこの花器を使いたくて。信楽の旅枕花入れ。だって枕慈童だもの。これをまたいだのが事の発端だから。
夕ざりは毎回15時席入りだが、今回ようやく中立で手燭交換ができる暗さの季節になってきた。
亀廣保製・芋名月をススキ越しに見る図、、、かな。
お茶の勉強を真剣にすごくされているKさんがお正客で、いろいろおたずねくださって、道具の説明をするとき、亭主は得意満面有頂天(ひとりよがりもありつつ、、)になるのである。
今回も楽しみました!ありがとうございます。
平安神宮煎茶会2022 - 2022.10.02 Sun

3年ぶりの平安神宮煎茶会が開かれた。毎年9月の最終日曜日に行われ、歩いていける距離なので楽しみにしていたが、今年やっとコロナからの復活である。
茶道も意外とたくさん流派があるが煎茶はそれ以上で200くらいあると言われている。作法は流派によって細かいところがそれぞれ違うが、概ね流れは同じだろうと思う。(これでも煎茶の茶会の経験は豊富(^_^;)
作法がうるさい茶道へのアンチテーゼとして江戸時代の文人墨客の間にはやった煎茶道であるが、その後煎茶もなぜか作法がけっこう複雑になってしまったのはいたしかゆしである。それでも茶道より席のしつらえとかは自由度が高いと思う。
チケット1枚で二席回れるので毎年どこをチョイスするか迷うのである。中には3枚手に入れて6席とも回る猛者がいると聞くが、上生菓子6個食べたら、そりゃ〜、、、、胃もたれするよ〜(゚Д゚)
例年かなり待ち時間が長いのだが、今年は復活したばかりなのでやはりお客さんは少なく、運良く額殿の瑞芳菴流の立礼席の最初の席へ入れた。こちらの流派は腰衣(こしころも)という前掛けのようなものをまとわれる。(この腰衣を使う煎茶流派は多い←私調べ 知らんけどな)
煎茶はこれも流派に寄るが、お菓子は1煎目と二煎目の間にいただくことが多い。小川流などは(ちょっとだけかじった)お白湯がでる前のタイミングでいただく。飲んだ杯はそのままおいたり、茶托にふせたり、これも流派によるので、お客さんは気楽である。(あまり作法を気にしなくて良いという点で)
なだらかな東山が見える席にすわって、鼻腔で香りを、舌でころがして味を楽しむ。お茶の味については残念ながら抹茶より煎茶の方がはるかに美味いのである(私見)。
券があれば神苑にも入り放題、その景色を楽しんでから二席目へ。そういえばまだ神苑の池、睡蓮が咲いていたな。河骨も。
二席目は勅使館の泰山流へ。ここは広間の座敷である。床の間には流水がどうこうという(スミマセン覚えられなかった)軸が掛かり、点前座の前の結界は流木だったり。ここでは炭手前?らしきものも煎茶を入れる前に見せていただく。といっても煎茶の炉は涼炉といって小さい細長い炉なので、炭もミニミニサイズ。炭をついだあと、火を熾すように風を送るのだが、こちらでは小さい羽をぱたぱた動かす感じであった。
実は憧れている煎茶道具があって、「炉扇」というのだが、これも涼炉に風を送る竹と木でできた団扇。(小さいハエたたきを想像して(^_^;もらえれば)あれ使うの一度は見たいなあ。
ここの広間は折り上げ格天井が素晴らしいのでいつもこの角度の写真撮ってる(^_^; 勅使館というだけあって、みやびなことこのうえない。
池側から指をくわえて?見るだけとする。
友人が小川流習っていて、私もちょっとだけ習ったが、特徴はとにかく、え?お茶入ってないよ〜と言いたくなるほどの茶の量の少なさ。滴々の茶というだけあって、杯にほんの1,2滴、凝縮されたお茶を飲む、というより舐めるという感じである。点前はわりとシンプルだったと思う。また習ってみたい気持ちもあるが、今はもっともっと自由度の高い中国茶がやりたいかなあ。
これは5年前、貴賓館の席に入ったときの画像。かくのごとく、とても気持ちよい席なのである。昔ここで中国人のお客さんと話して、台湾について地雷を踏まないように気をつかったことを懐かしく思い出すなあ。(それ?)