年末年始の支度2022から2023へ - 2022.12.31 Sat

クリスマスまで、こんなだった露地も、、、
植木屋さんがきてくれてすっきりした。
裏庭の蝋梅の葉っぱ(あれなかなか落葉しないねん)むしってたら、つぼみだけでなく、咲いている蝋梅を発見。年の内にもう咲くとは。しかしなつかしい芳香やわ。
今年出遅れて結び柳用の柳がしょぼいのしか手に入らず、なんだかな〜と思っていたら、、、
来た〜!
大工さんが山で採ってきたのを分けてくれた!
日陰の蔓(ヒカゲノカズラ)、まだ土がついている天然もんですえ〜。
伸びるたびに地下に根をはる植物なので、あちこちに飛び出た根を切り取ってなんとか形にしてみた。気持ちよく長い!
家元の初釜などではどば〜っとこれが瀧のようになだれるように飾られるのだ。どこそこの花屋で売っているとか情報を聞いてゲットしようと思っていたところへありがたい到来ヒカゲ。
かつて天鈿女命(アメノウズメ)が天の岩戸の前でこれを肩から掛けて踊ったという。
斎宮代や、五節の舞姫が額にさす心葉天冠の両脇からたらす白い編んだ紐は、ヒカゲノカズラというので、かつてほんものの蔓を使った名残なのだと思う。美しい植物だ。
さて、根引き松も飾って、注連縄も飾って、新年を迎える準備完了。来年も良い年でありますように。良いお年をお迎えください。
(孫の相手という激務に耐えるため、しばしお休み〜)
聖誕祭と成道会の歳暮茶事 - 2022.12.29 Thu
今年最後の茶事の記録

とりあえず聖誕祭(クリスマス)のアイテムも、ということで毎年恒例のグレゴリアンチャント。
16〜17世紀、羊皮紙に書かれたネウマ譜という現在の音符ができる前の楽譜。あとは奈良公園で拾った松ぼっくりに京セラ美術館裏で拾ったモミジバフウの実などなど。
この日は一番の冷え込みで風も冷たく寒い日だったので、火鉢出動。大火鉢をだしたら中に入れる灰が全然足りなかったので急遽ミニ火鉢(鉄瓶掛け)で。これだけでなんだか冬の雰囲気が上がる。
汲み出しの他に12月らしくシャンパンならぬノンアルのシュワシュワ。
蹲居の湯桶も出動。
手焙りもね。
火鉢と手焙りとで炭支度が倍手がかかるこの季節。だがその火のぬくもりがうれしい季節でもある。
ついこの前まで紅葉が盛りだった露地もあっというまに落葉してごらんのとおりの枯れ木に。この苔の上に落ちた落ち葉拾うのほんま大変だったのよ〜。
空はすっかり冬の色、茶室の屋根に朝には霜がおりていた。
で、内露地は、、、というと、、、もう掃除無理っ!なので敷紅葉でごまかす(^_^;ことに。
これはこれできれいだと思うよ。まだなんとか赤い色が褪せずに残っていたから。
初座の花は椿に南天、それから千両。なんだか正月とクリスマスが同居しているような、、、花入れは裏千家では師走テッパンアイテム鴨箱炭斗。(徳川田安家から拝領した鴨がはいっていた箱を玄々斎が炭斗にデザインした)
この日のお客様には遠州と薮ノ内の方がいらしたので、流派のヴァリエーションが一番激しい炭手前で大いに盛り上がる。炭の形状、置き方、灰の入れ方、練香から、お互いに驚くような違いがあるのだ。
懐石の汁にうずみ豆腐をこしらえた。京都では師走にいただくとか、表千家では稽古じまいにみんなでいただくと聞いた。
季節柄しんじょうは蟹で、蕪のすりおろしを。
ここで来年の干支シリーズ、、、というか兎って文様化しやすいのでいろんな所に意匠として使われていることを再認識。これは波兎(竹生島)の器で酒盗を入れた。
帯も花兎(角倉金襴)
香合も兎でしょう!数年前にもとめて卯年を待っていたのだ。たぬきじゃないよ(^_^;
主菓子はみのり菓子さんにお願いして作ってもらったミルク餡のねりきり「さとり」
釈迦が悟りを開く前、苦行中で衰弱した時に乳粥を与えて命を救ったスジャータにちなむ。悟りをひらいたのが現在成道会のおこなわれる12月8日といわれる。
後座の軸は泉福寺焼経。藍紙に金箔が撒かれている平安時代の華厳経の一部。仏とは時空をこえた絶対的な存在であると説いた経で成道会にふさわしいかと。
なので華厳経とくれば華厳宗、東大寺よね(*^_^*)
茶碗、茶入、茶杓、本日のお客様が皆様兵庫の方だったので、すべてそれにちなむものでそろえてみた。茶道具で色々遊ぶって楽しい。名品名物はなくとも。
で、また聖誕祭に戻って薄茶のお菓子は亀廣保さんと千本玉壽軒さんのクリスマスシリーズにて。
お見送りの後夜空を見上げると冬の星も凍てついていたのでした。
師走雑記2022 - 2022.12.27 Tue
今月のどうってことない日常の雑記
流派変われば品変わる、、で他流派にはだいたい慣れてきたけれど、茶会でなくて茶事ではじめてわかる千家流にとっての驚き!ってまだまだあるのね。
遠州流で、炉開きに塩と米と鰹節を炉中に投入するのにびっくりしたのも記憶に新しいが、まだまだあるよ、遠州流。

千家系では初めて来られたお客様にはつぼつぼをお出しすることが多いが、遠州流では小さな熨斗をだされるそうだ。これは初めて見た。
さらにびっ栗、、、じゃなくてびっくりは、懐石のお菓子に水栗というほぼ生(一晩塩水につけるとか)の栗がつくこと。遠州の時代に朝鮮半島からきた毒消の意味とか。正確には巴の形に切るのは遠州の紋からとか朝鮮の太極からきたとか。詳しいことは遠州の方に是非ともききたいところである。
ちなみに、、、う〜ん、茹でた栗の味を思えば、あんまり美味しくない、、、(^^;;
今年も南座顔見世にぎにぎしく。
今年はちょっと忙しくて断念したが、この招きをみるとああ年の瀬だなと思うのは京都の人だけではないはず。
たまに帰る実家の岡山、帰りは岡山駅の木村屋でロールパンを買うのが楽しみなのだが、たくあんサラダロール、高菜サラダロールに続いてついに出た!福神漬けサラダロール!味はやっぱりというカレー味なのだが、これは、、、普通のホットドッグとそう変わらないわね^^;
今年お迎えした手ぼうき。なかなか使い勝手はいいのだが、、、
対する相手がかなり難物。この落ち葉をどうしてくれよう、、、
いただいたのは豆乳の泡泡に浮かぶりんごのコンポート、カルダモン風味、銘を「寒茜」。寒い季節の夕焼け、冬の季語である。りんごの種類も茜かな。美味しかった!
若干はではでかと思ったが、還暦だしこのくらいはいいよね。台湾で買った真っ赤な封筒に還暦お祝い。
夜の東京南青山
この秋は根津美術館周辺へ何度か行ったので、めったに見られない夜のおしゃれな景色を堪能。このあたりの店は私にはほとんど用はないのだが、一流のブランド店のショップが並んで、見る分にはたいそう美しかった。さすが青山。
久しぶりにご近所の京、静華さんへ。
カウンター席に改装しはってからは初めて。ずいぶんごぶさたしていた。
お料理は創作中華で今回も美味しい物いっぱい食べた。これはパパイアにはいったフカヒレスープ。実を崩していっしょにいただく。
ふと聞くでもなくお隣の話が耳にはいったが、光悦会とか茶会の話をしているのでどんな人かちらっと見たら、、、あら〜!!超有名人だった。(^_^;(元総理で元陶芸家)
そして締めくくりの鮮果茶(フルーツティー)、見た目も味も美しいこれは以前と変わりが無くうれしい。
12月13日ことはじめ。
北野天満宮の大きな干支絵馬も来年の卯年にかわっていた。
この日たまたま大福梅をもらいにきたのだが、事始めの日にもらいたいという人が多いのか、初日だからなのか、なんと行列ができていた。ことはじめセットなんてのもあるんだなあ。
で、無事拝領しまして、、
境内の撫で牛のなかで一番好きな赤い目のジュノー(勝手に命名)に挨拶して帰る。あわただしい年末を乗り切って、来年も良い年でありますように。
狐の茶事〜宗旦狐 - 2022.12.24 Sat
美濃国の狐の茶事に招かれて、新幹線に乗ったは良いが、停電事故で閉じ込められる。いつもは、のぞみが止まらない駅からどうにかこうにか1時間遅れででたどり着くという、はなから狐にばかされたような仕儀とあいなった。
さりながら、たどり着いたときにはこの冬初めての初雪が舞っていて、これはさいさきよさそうな兆し。

(画像はイメージ うちのお狐さん)
さすがに1時間も遅れたので、待合掛けを見る余裕もなく席入り(どうも徳利もって酒を買いに、、云々の大綱和尚の歌だったらしい)ご連客をお待たせしてしまった。
東京から来る予定だった茶友さんは、ついに来ることかなわず(新幹線結局4時間停止)、急遽30分前に代理でお越しの庵主様が。とてもお茶目で楽しい方だった。(30分前の連絡で駆けつけてくれる茶友がおられるうらやましさよ)
ご亭主は、2年前其中庵さんにお相伴させていただいた時の茶事のご亭主、其中庵さんと一二を争う数寄者でいらっしゃる。今回は役不足の正客でスミマセン、、、
本席は四畳半台目、床に掛かるのは江月和尚の横一行「玄々」
禅に関わる言葉なので深い意味はわからないながらも玄冬のイメージ。これを拝んで早速の炭手前、すごいお道具ばかりがでてくるが、炉縁が東大寺古材というのに萌える。朱鷺の羽もうらやましい。一見白に見えるが真ん中にうっすら鴇色がのこるのがゆかしい。懐かしいクジャクのピーちゃんの落羽根から御自作されたゴージャス座掃にも再会。
(八寸の伊勢エビ〜!)
伊賀の香合に鈍翁と出入りの道具商・横山雲泉のエピソードがあって、これが其中庵さんのフラッグ的掛け軸、雲泉旧蔵・鈍翁の「茶狂」とつながって、御縁ができたとうかがった。現代の「近代数寄者」的逸話だなあ。
その香合から焚かれたのが香銘「雪花」、徳川美術館元副館長大河内先生が作られたというプライベートな香で、その日に初雪をみるなんて、これはなんという僥倖。
懐石は広間にて。うれしいことにここに敬愛する久松真一先生(ご当地出身)の軸をかけてくださっていた。例によって読めないが、、、(^_^; (「無量寿如来」だけわかった、、)
酒盗の柚餅子はお手製、ほんまに美味しくお酒がますますすすむ。客は四人ともウワバミでして、(参加予定だった友はもっとウワバミ)
老舗酒店のご主人でもあるご亭主も苦笑いでしょうか。
急遽ご一緒した庵主さまは松尾流の師匠もされておられるとかで、色々楽しいお話を聞くことができ、これもうれしい御縁。
前回もここの料亭製のきんとんがべらぼうに美味かったのだが、今回も黒糖味、干し柿?入りのきんとん、絶品であった。これをいただいて中立。
手燭の灯りの待合で待つことしばし、お鳴り物で、と挨拶したところ意表を突く、喚鐘ではなくて妖しげな笛の音が、、、
でた〜っ!
お狐様!
迎付にでてきたのは黒い僧衣に絡子(らくす・袈裟 後に庵主さんからの拝領品と判明)、金襴のかぶり物(後に仏壇に敷く金襴と判明)狐のお面である。手に手燭と枯れた大きな蓮の葉を持って。
この狐さまと手燭の交換、そして蓮の葉をいただく。
去って行くときには能の釣狐のように手をまるめて腰をかがめて、、、あっ!尻尾!尻尾まである!しまい忘れてますよ〜。
宗旦狐は碁が好きで、勝負に夢中になると尻尾をしまい忘れたとか。(のちにこの尻尾は子供さんのフェイクファーマフラーと判明)
相国寺門前の豆腐屋さんが傾いたとき、お金になる蓮の葉を持っていって助けた逸話がある。(皮肉にも後にこの豆腐屋のお礼の油揚げで昇天してしまうのだが)さしずめこの蓮の葉は宗旦狐が採ってきたその蓮なのね。席入り後、これは墨跡窓に挿しておく。
後入りでびっくりしたのは水指の代わりに大きな酒徳利が置いてあったこと。待合の徳利持って酒を買いに、、、の軸の徳利だ。蓋は酒樽の栓をご自分で加工して作られたそうだ。水指はこうあるべきの発想を軽く飛び越えるご趣向。
広沢手の茶入に、樋が二本入る茶杓が宗旦、もう何が出ても驚かないわ。田中常慶の兄弟である宗味の黒楽(ほぼ長次郎といっていい)。お好きだと聞いて、と出してくださった火入れが志野の筒向、擂座の着いた垂涎もの、いつかこんな志野、手に入れたい。
ここで曰くの油揚げ!
油揚げに餡を挟んでかるくあぶったお菓子。これを食べて狐は正体を現してしまうが如く、我々の正体も大ウワバミということがバレ、、、いやとっくにばれてるか。狐の趣向がここまですごいか!と感心していたらそれだけでは無かった、、、
花入れに入れた照り葉の影が、、、狐だわ〜!
もう感服して平伏するしかありません。(しかも花入、一燈だし)
薄器の大棗は江岑宗左、薄茶をいただいた茶碗がこれまた私の好物をよくご存じで、、の半使(高麗・はんす)、他に宗入やら桃山織部やら美術館に迷い込んだようなラインナップが眼福であった。
もう一つの干菓子が、名前は失念したが栗きんとんを作ったあとの鍋にこびりついたパリパリの部分を板状にしたお菓子で、しがむほどにやさしい甘さがあって秀逸なお菓子であった。
最後のご挨拶で茶席を出るときに、お見送りのお謡いまでも「小鍛治(子狐がシテ)」のキリ!
♪ また叢雲に飛び乗りて 東山稲荷の峯にぞ帰りける
私も東山の方へ(稲荷よりかなり北だけど)帰ろう。
(おまけ、ご一緒した庵主様の院にも伏見稲荷の末社があるそうで)
待合にもどると待合がけは巻き上げられていて蓮の葉と実が。同じ物はお目にかけませんの心意気(でも残念ながら私はみそこねた(^_^;)。以前の茶事は大黒様の茶事だったので、結ばれていたのは稲穂だったのよね、と思い出す。ちょっとマネしてみたい(^_^;
春日若宮おん祭2022〜③御旅所祭〜お渡り式は雨で中止 - 2022.12.22 Thu
心配していたけれどやっぱり17日は朝から雨で、早々にお渡り式は中止になった。あの県庁前の大通りを行く絵巻のような行列、みられず残念。当然ながら流鏑馬も競べ馬も、松ノ下式もないのだ。そういえばコロナ直前の3年前も雨でほとんどが中止から縮小においこまれ、おん祭どうも雨にたたられる。

御旅所祭は本来14:30から始まるが、雨で繰り上げ、13:00からとなった。暮れていく陽の変化も楽しむので、繰り上げはちょっといたいな。芸能はテントの下、これもちょっと見えにくいので残念。
雨の中、奈良公園の四阿でレインコートを着て待機してはった大名行列は、濡れながらも御旅所へ。(本来はお渡り式の最後に登場)
「ヤッコラサーノサー」のかけ声が懐かしい。かつては郡山藩、高取藩が奉仕していたもの。
そして若宮様の昼餉?の神饌をお供え。
染供御(そめくご)という五色に米を染めたお供え。
禰宜さんの祝詞のあと、日の使いのお参り。日の使いはお渡り式ではいの一番に進行する役どころ、毎年財界のお偉いさんがつとめられる。今年は某大手銀行の方。藤原忠通(弟頼長と保元の乱で戦った)にちなむ役どころで関白の格式(衣紋に詳しい人に言わせるとこの装束の文様はただしく関白の位だそうで)
祝詞を聞く間の蹲踞低頭の姿が美しい。
お寺さんも柏手打つよ。神仏混淆の時代の祭だから。これは東大寺別当橋村師。興福寺さん(藤原氏のお寺だし)はもちろんのこと。
頭屋児(とうやのちご)
これがかわいくて❤️かわいくて。今回の祭の私的ベストショット。
本来はお渡り式で、松の下式を検知する係だが、雨なので御旅所のテントの中で所在なげ。なにお話しているのかな。
流鏑馬も中止になって残念だったね。
馬長児(ばちょうのちご)
かつて興福寺学侶がつとめたというお渡り式の彩りなのだが、今回は見学だけ。
そしていよいよ御旅所祭、神遊びである。
6人の巫女(みかんこ)さんによるお神楽
装束も簪も美しい。
少し年長ともっと小さい少年の4人による東遊び
東遊びは東国の風俗舞といわれるが、よく大和絵なんかの題材になる。やはり年長少年、舞に切れがあるわ。今習っている仕舞の「羽衣」キリは
♪ 東遊びのかずかずに〜
ではじまる。
前日若宮社の前で宵宮詣をみせてくれた田楽座
正式に今度は五色の大幣を二本神前に献じる。
田楽座と言えばこの花笠
造花に奈良一刀彫りの人形をのせるが、テーマが高砂だったり、今年のは猩々だったり、能にちなむのは大和猿楽、能のルーツの土地だから。
このように花笠の人だけ、高下駄を履いてでかく見えるのだ。
それにしてもこの傘をさしかける役の人たちはほんま大変だったと思う。寒い雨の中、ご苦労様である。
さあ!そして私の一番好きな細男(せいのお)!!
寒くて、濡れるし、でこれだけ見て帰ろうとしっかりガン見しておく。
細男はまず顔を隠す白い布をつける。
神功皇后と海神・安曇磯良にちなむもの。磯良は顔に蛎殻がこびりついているので、その醜さを恥じて顔を隠すという。(ちなみにこの神話は祇園祭の舩鉾のご神体になっているよ)
原始的なぽこん、ポコンという鼓の音に原始的なステップ、そして吹いているのかいないのかわからないような笛の音はまるで小学生のリコーダーの練習みたい(^_^;
本来ならば17:30ごろから始まるので、ちょうど舞の途中に日が暮れていく、昼と夜のあわいの時間でもっと妖しさ倍増なのだが、まあ雨ではしかたない。
まあこの一度聞いたらわすれられないヤミツキになる舞をみてくだされ。
この細男のあとにも延々と御旅所祭はつづく。ほんとうは蘭陵王まで見たかったが、さすがに雨と寒さで断念。あとはお家でぬくぬくニコ動で最後の還幸の儀まで見てしまった。(すごいねニコ動、普通には見られない角度での映像が見られる)
若宮様は今年も無事お帰りになられた。今頃御造替なった新しいお家ですっかり満足しておられるにちがいない。
春日若宮おん祭2022〜②深更の遷幸の儀 - 2022.12.21 Wed
午前0時に社殿を出られて御旅所にむかわれる若宮様を拝むために午後10時半、宿を出る。春日大社の参道は灯り一つ無くかすかな星明かり、森は暗く道だけがほんのり明るい。昔森の中の獣の声におびえながら歩いたが、今はもうひとりやふたりの参拝者にであう。昼間歩いた道なので、感覚はわかっているので足取りは確か。
博物館裏になる御旅所は若宮様をお迎えする準備ととのう。
11時前に二ノ鳥居に着いたがすでに行列ができていた。10年以上前、初めて来た時には数人の人しかいなかったのになあ。すっかりメジャーになった。それでも先頭集団にはなんとか。
あとで見たら最後には行列は1kmくらいつづいていたようだ(゚Д゚) かわればかわる。本心はもっとひっそり見たいのだけど。
<ここからは御旅所の暁祭まで写真ありません。撮っちゃダメ。>
ここで待つこと約1時間、お迎えの行列が鳥居の中へはいっていくのを見送る。周辺の灯りがすべて消え、空には天狼(シリウス)やオリオン座。
深夜0時過ぎ、神社の方からヲ〜ヲ〜、、の不気味とも言える警蹕(けいひつ)の声が近づいてくる。
先頭は大きな二本の松明を地面に引きずってすすむ。暗い道に熾でしるされた新たな道ができあがる。これが絵のように美しく感動的。
この道を神官が香と御幣で清めつつ進む。その後に榊を手にした白い装束の神人たちに十重二十重にかこまれて、この世の物とは思えない地の底からわくような警蹕に守られて若宮様が目の前をとおりすぎられた。
青垣山の移りゆくが如し
もちろんお姿は見えない、しかし思わず手をあわせずにはいられない、これが信仰というものだ。
その後に南都楽所の雅楽が続き、崇敬会の方々、そしてようやく一般参拝客があとに続ける。(先頭集団にいないと御旅所の中では暁祭はみられないのでお早めに)
ぞろぞろと止まったりすすんだり、暗い参道を黙々と集団が進む。時折松明の熾が残って足下に赤い点となって見えるのもなにやらありがたい。約1.5km
ようやく御旅所にたどりつく。(画像は暁祭終了後のもの)
この間だれもスマホをいじったり写真を撮ったりする人が、あれだけの集団なのにいなかったのはやはりすごい。神様のご威光か。
正面の仮宮の前の瓜灯籠に火がはいるのは、若宮様がはいられたあかし。
午前1時から暁祭
祝詞が上げられお移りになられた若宮様の朝餉になる素合の御供(すごのごく)とよばれる神饌が次々と運ばれる。お餅もあればお酒も、ミカンも、ピッチピチの鯛のお頭つきも。
みかんこ(巫女)の神楽舞、南都楽所の雅楽、そして腹にしみわたる鼉太鼓の打ち鳴らされる音。(この鼉太鼓は普段は春日大社の宝物殿にで見られる)
暁祭も終わって午前2時、神官の方が楽所の方々にねぎらいの言葉を。この寒い中、お疲れ様。
多くの参拝客が夜中にもかかわらず、立ち去りがたい思いで三々五々残る。
暖冬の年でもおん祭の頃になると急に寒くなるのが恒例だ。以前甘く見て凍死するんじゃ、と思うくらい寒かった時があって、それからは防寒対策は万全を期している(町中にいると暑い、、)でも今年はそれほどでも無かったような気が。
さて、翌日は丸1日、若宮様がここで芸能を楽しまれる御旅所祭、どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。
春日若宮おん祭2022〜①田楽座宵宮詣 - 2022.12.20 Tue
三年ぶりに参拝がかなうとあって、大和最大の祭・春日若宮おん祭へ12月16日。今年は20年ぶりの御造替(社殿建て替え)もあっていくつかの行事に参加もできたし、春日若宮イヤーであった。
餅飯殿商店街の一角に見上げれば注連縄のかかる場所が。ここをはいると大宿所がある。前日の15日に大宿所祭があって、生の魚や雉などがぶらさげられる御供やら、衣装やら、御湯立やら見られるのだが、これはまだ見たことがない。

16日午後に祭にさきだって大和士(やまとざむらい)と田楽座の宵宮詣(14時〜)がある。これは大宿所を出発する前の大和士と流鏑馬稚児のようだ。(後ろの緑の小屋が生のお供えをぶらさげる場所。)
それには間に合わなかったので田楽座の宵宮詣(15時〜)と宵宮祭(16時〜)に行こう。おお、今夜お渡りになられる若宮様の御旅所には仮宮が建てられている。鼉太鼓はまだカバー。
いつもはなにも無い場所に突如出現する(10月から〜)若宮様の仮宮も今年材料が新調されたとか。
新しいピカピカの若宮社の前にはちゃんと瑠璃灯籠が掛かっている。
ちなみに現在奈良博開催中の若宮国宝展でも見ることができる(写真OK)
↓
田楽座の皆様、若宮社の前に勢揃い。
この日泊まったホテルの近くに田楽座の宿舎になっているホテルがあったわ。
それぞれ一組ずつ短い芸能を奉納する。
これはササラ(編木)
楽曲(中門口)の演奏もあるが、華やかな感じはなくひたすら古代音楽的にシンプル。
高足という芸能 他に玉取という小刀のジャグリング?みたいな。
もどき開口立合舞
みじかい田楽能、太夫とツレの掛け合いが見所。ここらへんは御旅所祭でするのと同じなのだが、あれはちょっと見えにくいので、ここで見られてよかった。
そして宵宮祭、お社の内境内に神官が入っていって、これは献じた灯火だろうか?
社殿前に神官の方々勢揃い。祝詞があげられ
神饌が次々とおさめられる。(これは蓮根とか根菜みたい)
若宮様、お出かけ前のおやつといった感じかな。
そして巫女さんによるお神楽
春日大社の巫女さんのこの藤の花の簪がいつもいいなと思う。
(後ろにぶら下がっているのはお供えのシャケ)
そして社の前に白い布がかけられる。
小さな松明にみちびかれて神官さん退場。
深夜のお渡りまで、しばしわくわくされる(かもしれない(^_^;)若宮様。
私は休養を取ってお渡りについて行くのに備えるよ。
というわけで奈良お泊まりの夕食は、宿泊ホテルに近いフレンチのfaon(ファン=子鹿)へ。ここ前をいつも通るけれど行ったことがなく、一度行きたかったのよ。
子鹿の人参がかわいい。
デザートまでしっかりいただいて、栄養もとったし、あとは仮眠をとり遷幸の儀にそなえることにしよう。
こわいご連客さまとともに〜其中庵還暦リターンズ茶事 - 2022.12.19 Mon
コロナで途中で途切れてしまった其中庵さんの還暦茶事、実は2年前かろうじてお招きいただいているのだが、そのリターンマッチ?で続きを、今回はけっこうおそろしい?ご連客様方とご一緒に、ということで参席。

ほんとうにお客様方が一流だと、こんなにも席の雰囲気がかわるのだなあと実感。私もびびるながらちょっとピリッとする。
(平成23年光悦会 東京席)
テーマは11年前の光悦会にさかのぼる。この年は私の光悦会デビューの年であった。2年前の茶事の時に、この光悦会に着ていた着物と帯でおいでください、とのご指示におや?と思ったのだが、この年(平成23年)の東京席ででていた二つの名品と、不肖わたくしの着物・帯の再会でありました。
宗旦の秋の八瀬に遊ぶという消息に見送られ席入り。鈍翁の竹寸切花入「萬代〜よろづよ」にキササゲの長い実と初嵐のつぼみ、そして炭手前ででてきた呉須銀杏香合。光悦会にでたものである。それをしみじみ眺めるお正客さま。光悦会以前にこれを所持されていた、さる東京の古美術界のご重鎮でいらっしゃるのだ。
他にも京都の古美術商、老舗店舗にゆかりのある方、などなど、ちょっとこの席は緊張した〜。(いつもみたいに飲んでおちゃらけはできない)
名品は巡り巡る。過去から、そして私たちがいなくなった後の未来はいずこへ、、、なんてことまで考えてしまった。
懐石の席中でかわされる古美術業界の裏話は興味深いがこわいわ〜(^_^;
まあこちらさんのお店に行けるほどの身分ではないが(敷居超高)ええ勉強させてもろた。
懐石はいつもの富山の中尾さん。鴨団子の煮物椀がしみじみ美味しい。八寸に伊勢エビが出てきたときには歓声が上がる。今回は其中庵さんも席中のお肴のお謡なしで。
中に生の柿、栗の入る亥子餅。かつて宮中で下賜されるときに奉書で餅を巻いたということで、還暦らしく赤の奉書で包んだ、という風情。(老松製)
後入
敷物は撤去、水指と湯気をほどよくあげる釜(織部好み筋釜・弥五郎)だけある後座の空間のすっきり感が潔くて好き。これから濃厚な物語が始まって空間を埋めてゆく。軸は帰国する聖一国師(円爾・無準師範に師事)に送られた宋の雲耕慧靖和尚の書。
そして本日の主役の茶入。
これも11年前の光悦会東京席にでていた中興名物古瀬戸伊予簾手「忘れ草」、その時にお正客様がなめるように眺め手に取っておられたそうで、この方に、この茶入をお見せしたいというのが其中庵さんの今回のテーマであったのだ。
「忘れ草 生ふる野辺とは見るらめど こは忍ぶなり のちもたのまむ」
伊勢物語百段のこの歌を銘にしたのは遠州、お値打ちはなんといっても遠州・江月両筆になる添幅の中興名物。(三井伊皿子家伝来)
添える茶杓も遠州(ええな〜、、、、)「歌銘・すみた川 井堰にかかる白波の たちかへるべき心地こそせね(源師頼)」
濃茶の主茶碗は其中庵さん所持の茶碗の中で私が一番愛してやまない(^_^;(他人のものだけど)熊川「白菊」。(私はあちこちに自分の物ではないけれどマイ茶碗と勝手に思っている茶碗がある)
さて、お正客様はたくさんの名品を扱っておられることだろうが、こういうゆかりのある名品でされる茶事はそう機会があるものではなく、たいそう喜ばれたのではないだろうか。私はおこぼれにあずかり感謝。
帰りのおみやげに玄関先のクリスマスツリーに飾られたジンジャークッキーをいただく。
今回はとびぬけて濃い内容の茶事だったなあ。おそろしいご連客様方とともに忘れられない思い出になる。
<おまけ>
11年前の光悦会デビューの時の着物と帯、初光悦会で気合い入ってた。
平和祈願大茶会〜文化庁京都移転記念〜天龍寺 - 2022.12.17 Sat

いまだ秋の嵐山には行ったことがないのだが、今はまだ秋なのだろうか?渡月橋から見る山はまだ多少紅葉が残る。
さて代表理事を筒井紘一先生がつとめられる一般社団法人文化継承機構企画の8流派(4流派x2日)そろって天龍寺各塔頭での大茶会が2日にわたってひらかれた。文化庁京都移転記念と銘打ってその文化庁のお役人もちょこっと出入りされていたが、それにしてもすごい面子、あまりに贅沢な茶会である。筒井先生のお力を思い知る感じだ。
正面が嵐山のぎりぎり紅葉。
総合受付をすませてまずは小川流煎茶席へ。(塔頭・松厳寺)
煎茶席お手伝いの友人からのこの茶会の情報いただいたのだが、なんとたくさんのお知り合いに出会ったことか!(みなさんどうやって情報ゲットされたのかな)中でも最高にラッキーだったのが、偶然師匠ご一行と一緒にまわれたことである。僧形である師匠は正客に座って違和感ないので、ついていってかなり上座に座らせてもろた(*^_^*)
小川流はちょっとだけかじったことがあったので、滴々のお茶(約0.5ml?)には慣れている。お家元ご自身が茶席にてご挨拶される。
煎茶は大概脇床にいろんな飾り物をするのだが、この席では炭飾りで「鳳凰」を現す形。風炉先?屏風に鉄斎の扇面絵を散らすのは、室町一条の鉄斎旧宅(現京都府議公舎)が京都に移転する文化庁長官の公舎になることから。
次に表千家・堀内宗完長生庵席(三秀院)
裏千家の寿棚によく似た八角形の棚は新しく家元が好まれた物だそうで、マイセンの逆さ富士型水指がよく映る。2000年に好まれたものでお身内ではミレニアム水指と呼ばれているそうな(^_^;
お隣にいらしたお茶の先輩方も「この楽の印は見たことがない。」とおっしゃる主茶碗の赤楽茶碗は隠居されてまもない直入さんの物だった。覚えよう、この「楽」の形。
うれしかったのは随流斎在判蝋色の雪吹の薄器と櫂先がダイナミックで節が下寄りの原叟覚々斎の茶杓であった。全員に手に取って拝見させてくださったのには感謝。
三席目は薮ノ内家元席(祥雲閣)
思いがけずいつも茶事に呼んでくれる薮ノ内の若武者がお運びしてたので、お互いにびっくり、でもうれしい♪
ここは渡り廊下をずっと進んだ奥まったところにある茶席で、10年以上前、まだご存命だったころの堀内宗心先生にお目にかかった思い出がある。
歳暮のあれやこれやの行事は代々伝えて行くもの、、、といったお公家さんの歌切がかかる。主茶碗は本歌が野村にあるところの暦手、織部が所持し藪内剣仲に与えた茶碗の写しである。意外と碗なりなのね。私がお茶いただいた赤膚の木白はいい感じに御本がでて味がでて良かったわ〜。
最後のおおとり、筒井先生の席に行く前に腹ごしらえ。
点心は境内の篩月さんで。
お精進である。
写真は撮り忘れたが、汁が呉汁で大豆をすりつぶしたもの、韓国料理のコンビチゲに似てこれ好き。(自分で大豆煮るのはけっこう大変)
これは回ったところにシールを貼ってもらうカード、スタンプラリーみたいでコンプリート魂に火がつく仕様。でも、席はほとんど待ち時間なくスムーズに入れたのはありがたい。
最後の席が今回の大茶会の立役者、筒井先生の裏千家席(友雲庵)・濃茶席である。
もう圧巻でしたね。さすが!
待合の鍾馗図(森寛斎)について筒井先生の蘊蓄。端午の節句の頃よく使われるが鍾馗が玄宗の夢にでてきたのが12月30日だったので暮れに使うのもまた良し、なんだそうだ。知らなかったなあ。
本席はなんと点茶盤の立礼できたか。
軸は16世紀の天龍寺中興、五山文学に名を残す策彦周良の漢詩で、釜の湯が沸く音の移り変わりを書いた物。キリギリスの声〜蝉の声〜車が橋を渡る音、、、と蚯音、蟹眼、、松風とわれわれが知る湯相の音とは若干違う。最後にお湯がわいたから青磁の茶碗もってこい、というのがええわ。
その下の無骨なずん切りの花入れがまた渋くてよくて、嵯峨菊とササゲの実をいれる。空中信楽(光悦の孫空中が信楽で焼いた)。
左入赤楽水指
天明?芦屋?の釜には猿と馬の絵、意馬心猿(人間の欲望は制御しがたいことのたとえ)を現す。
茶入は古伊賀(一燈箱だったか)「鐵牛」、伊賀の花入れを小さくしたような感じ。茶杓は宗旦、初雪に主客が炉を囲んで云々と筒書。
天龍寺青磁の杓立てには徳元のひらべったいちょっと炭をはさみにくそうな火箸。
そして!
今年の光悦会で筒井先生は東京席をもたれたのだが、その時の目玉の熊川にまた再会できましたのよ!(*^_^*)しかも今回は初使いだそうで、水を含んだ状態で。あの「鏡がない?」と質問して笑われたやつである。銘「中川」。
濃茶のお茶は上林の「昔乙女」、、、あ、それうちらのことかしら、、、(^_^;
筒井先生もますますお元気そうでなにより。
天龍寺へ行くのはほんと10年ぶりくらいだろうか、楽しくて眼福で、とても勉強になった1日であった。それにしても茶の湯の世界狭い、こわい(^_^; (師匠、師匠の兄弟子さま、ありがとう〜)
師走の大原〜 somushi - 2022.12.15 Thu
師走の大原へ。

実は主な目的は、まもなく冬季休業(12/15〜)にはいるsomushi_oharaさんへ駆け込み。
洛中の室町から移転、11月にオープンしたばかりでもうお休みですか〜?焦ります。
この日はまだ屋外の席が気持ちよい1日だったので、外の席へ。大原の山の景色を楽しみつつ。ここももう落葉がおわっている。
前回はスイーツをいただいたが、今回はお腹をすかせてきたので、お目当てのビビンバを。この変形石鍋?で上にのっているのは大原でとれた野菜。
蓋をあけてまぜまぜしてビビンバ、いただきます。思えば三条室町にあったときにもいただいたっけ。
この景色の中で食べるとまたひと味違う。お茶も食事も周りの景色が大切だね。家から30分の山里大原、ここ大好き。用事が無くても四季折々、ふらっと来たくなる。
ちなみに座った席は後ろに小川が流れているすてきなポジションでありました。
せっかくここまで来たので、宝泉院までちょっと足をのばす。(そういえば三千院はあまり行かないなあ(^_^;)ここはまだ紅葉ががんばっている。
手水にはカラスウリ
一頃に比べるとかなり人は増えてきたが、まだまだ無人の額縁庭園の写真が撮れる。
夕刻に近い西日が長い影を落とす。
そして最後に勝林院。
今年の正月は勝林院の雪の修正会で始まったので、今年の締めくくりもこちらで。ここで流れるテープの天台声明を聞きながら(ここは声明念仏の根本道場でもある)金色の阿弥陀様に手を合わせる。この一年、なんとか無事に生きのびました。
修正会の時にはうっすら雪で覆われていた境内も、ようやく冬支度にはいったばかり。
お腹も心も満足して、晩秋〜初冬の夕刻の大原をあとにする。
師走の未在 - 2022.12.13 Tue
円山公園の未在さんへ。
予約をとったのは昨年9月であるから1年3ヶ月待ち。(ちなみにその前は1年以内だったから、コロナの趨勢による)
今回ちょっと予約にトラブルがあって気が気じゃ無かったこともあるけれど、お茶友さんの助力も得て(ただただ感謝!)、ただお料理を楽しもう!と思えた。(もちろんお店側には問題ありません。当方の問題)

以前来たのは5月、9月とあともう一回あったけれど今回は初の師走、歳暮の訪問である。外の待合席もすっかり暗い。香煎をいただいて席へ。
たくさんお皿がでてくるので、全部は覚えきれず、内容も不確かながら懐石のネタにもなりそうなので、備忘録としてアップ。
最初に年末らしくうずみ豆腐。表千家では稽古おさめの時にいただくと聞いた。豆腐+ご飯+白味噌汁の熱々。本来ご飯で豆腐をみえないくらい埋めるのだが、さすがにここでは上品にご飯は一口サイズ。これは歳暮茶事のメニューにしようかな。
高級茸の香茸に大根餅蓮根餅の根菜シリーズ。
お酒も出て、大量のお造りがど〜んと。赤身、白身の魚にそれぞれの薬味をのせて、ポン酢、酢塩水、鯛肝のペーストとお好みでいただく。大きな鉢に氷をやまほど盛ってその上にならぶ一体何種類のお刺身なのだろう。私はあらかじめ少な目でとお願いしていたのでちょうどよかったが、フルサイズで完食されたお茶の先輩方の健啖さに驚く。普通だいたい刺身だけでお腹一杯になりそうなボリューム。でも今日は朝も昼も抜いてリンゴ一個で切り抜けたから未だ大丈夫。
(屋外の待合の手焙り)
和牛のたたきには九条ネギとかインカの目覚め(ジャガイモ)、リンゴソーズ、蜂蜜ソース。お肉が柔らかい。
刺身にしても、肉にしても付け合わせやソースが多彩で、こんな組み合わせもあるのだと勉強になる。(が、まねしてもきっとうまくいかない(^_^;)
口直しに小ぶりの筒型器にはいったこのわたご飯。ご飯もこだわりの<京の輝き>、酒米なのである。
(漆桶に紅白椿+ハゼ 軸は大亀和尚の<看々朧月尽> 師走を実感)
八寸がこれまた楽しい、ちまちまとたくさん出てきて紅葉の葉っぱの飾りもうれしく、ちょこちょこの分量をいただく。付け合わせが初めてみる冬苺。小指の先ほどの小さな野いちごでちょっと酸っぱい。コレが食欲をかき立てるようにできている。
白子の粕漬けに上賀茂のすぐきとニシンの佃煮。他府県からお越しの方にすぐきとは大根なのか?と聞かれ、正確に答えられずあたふた。(蕪の一種です)
長崎産のクエに松葉ガニジュレ+土佐酢。お酒がすすむので、(ちょっとやけ酒気分もあったので)日本酒3合いった。
ここまでが懐石、それから菓子として出てきたのが蕎麦焼。そば粉で作ったどら焼き風皮に餡をつめたもの。蕎麦の香りが香ばしくて、美味しい。さすが年末だわ〜。蕎麦だわ〜。
デザートのフルーツが、ここのはいつも10種類近く、珍しいものもあって楽しみである。クリスマス仕様にもりつけられたのは、スターフルーツ、白苺、ポポー(アケビっぽい)、ガラスの器にはいった<ゆこうゼリー>(柚子と橙の交配種)、これ、さわやかで美味しい。
しかしそろそろお腹はもう限界か、、、(^_^;
と思ったら他の方々はさらにシャーベット(内容忘れました、、、)いってました。私はここまでたどりついたことがない(T-T)
今夜もごちそうさまでした。
帰りは足下を未在の提灯で照らしてもらってのお見送り。
ご一緒してくださった方、急遽お願いして快くうけてくださったS様に感謝。
で、次の予約は再来年!の1月。今回もえらい先と思っていたらすぐだったように、きっと次も。それまで元気で過ごして必ず来ることができますように。
3年ぶり〜鳴滝了徳寺大根焚き - 2022.12.11 Sun
師走のこの季節、京都ではあちこちで大根焚きが行われ風物詩となっている。

少し洛中から離れるが、鳴滝の了徳寺も12月9日10日と報恩講に伴って大根焚きが行われるのであるが、コロナでしばし中止、今年3年ぶりにでかけてみた。
境内にはいると早くも切られた大根が目にはいる。ただし例年より樽の数が少ないのはいたしかたなし。
しかし、白くてみずみずしくて美味しそうだなあ。亀岡の篠大根である。
こちらは下ゆで中。たち働く門徒さん、保存会の人、地元の人、なんだか久々でうれしそうである。
この焚き上げる湯気がたまらん。寒かったらもっとうれしい景色だが、ここのところ温かい日が続く。
鳴滝の地で念仏の教えを説いた親鸞上人に、村人が御礼といってもたいしたことはできない、せめて大根でも焚いておもてなしを。上人は非常に喜ばれてススキの穂を筆に、鍋の炭をもって「帰命盡十万無碍光如来」という札を与えたそうな。それを記念の報恩講、大根がすっかり有名になり、鳴滝の大根焚きと。
婦人会の方々なのか、この白い割烹着姿ももはや風物詩。
屋外では即席の洗い場ができていてこちらも忙しそうである。
コロナのため、いつもはお堂内が食堂に早変わりするのだが、今年はお持ち帰りの方も多く、境内の床几で三々五々食べてはる人も。
ここは観光客は少なく、ほぼ地元の方が多いのではないだろうか。ご高齢者が目立つが、昔の京都の行事ってこんな感じだったよなあ、地域の行事って感じだったよなあ、、と思い出す。
コロナの嵐も少しずつ去って行き、また大量の観光客が帰ってくる。観光業の方にはまことに申し訳ないが、少し残念。もう少し静かな京都を楽しみたかった。
さて、お堂内でいただこう。じゅわっと味のしゅんだ(しみた)お大根と油揚げ!恒例の炊き込みご飯はないが、これだけでけっこうお腹ふくれるよ。
なつかしや けふ鳴滝の 大根焚(だいこだき)
利休と桃山茶陶にであう茶会〜根津美術館 - 2022.12.08 Thu
なんか毎週青山にいっているような気がするが、今回も気合い入ってる。
東京で一番足繁く通っている大好きな根津美術館、ここでお世話になっているYさまとそのオトロシイお仲間さまが、釜を掛けられる。今年やっと参席させていただける。毎年お茶会はされていたが今年は特別の記念茶会、2日で120名ものお客さまと規模もスペシャルなら中身も超絶スペシャルであった。

根津の紅葉は今がピークのようで美しく、某国の王室の方がおいでになっておられた。
ご存じのように根津の庭園には茶室がいくつも散在しているのだが、庭園を散策しながら一つ一つの席を訪ねて歩くのは実に贅沢の極みである。
まずは美術館棟地下の講堂で、お席主の地元のお料理屋さんが出張で作ってくれる点心を。
そこからいよいよ茶席巡りである。
濃茶(一樹庵)〜薄茶①(弘仁亭)〜薄茶②(斑鳩庵)と巡るのだが、、、
もう私は途中で道具を記憶(記録)するのは諦めました!
もうどこの席も怒濤過ぎてすごすぎて、息つく暇も無く、記録記憶する気力喪失。(知り合いの茶会録をいつもきっちり書かれている方も途中でギブアップされたよし)
濃茶と薄茶①(いずれもお茶事によせてもらったことのあるご亭主さま)席では利休・利休・利休、、、薄茶②はこの会の主催者様、ここはこれも大好物の桃山茶陶のオンパレード!
まだ記憶する気力のあった濃茶席では利休の消息、さらに今回一番感激したところの利休ケラ判大棗。宗旦の添状付き。すっかり美しい蝋色になった棗の蓋裏にケラ判、底に原叟花押、これをお好きなだけ触ってください!と太っ腹すぎるご亭主。客は感涙にむせぶ。
利休の釜師の与次郎釜ときて、利休の義理の息子・少庵の茶杓に孫の宗旦花押の瀬戸黒。ご亭主のお好きなのんこうの茶碗でなくて達磨型の赤楽の水指。これらは展覧で、実際のお点前にはなんとご亭主自ら写して焼かれた水指、瀬戸黒の茶碗、茶碗は底の宗旦花押までそっくりに写してあってびっくり!(ご亭主の本職は陶芸家なのである)
この利休祭りの席のお菓子は、出張してきたお菓子屋さんが水屋で作っている作りたてのきんとん「埋み火」(雪餅の中に赤い餡+白小豆)とろとろに近い柔らかさでほっぺ落ちそう。濃茶も小間でお点前をしてくれて、美味しいお茶と思ったらやっぱり「天授」や〜\(^O^)/(丸久小山園で一番スペシャルな抹茶)
薄茶①もいきなり床に若冲!の鶴と亀の二幅。若冲とは美術館でしか見られない物だと思っていたけど(゚Д゚)!
スミマセン、ここからはもう酔いしれてぼ〜っとして記憶がとんでおります。なんだかたくさんの楽歴代の楽茶碗がラインダンスしてたような、、、
こちらのお菓子は小松市の行松旭松堂さんのもの。(時節柄パックされてますが)
今年の干支の寅から来年の兎に送る干菓子である。兎の煎餅には裏にちゃんとしっぽまでついていた(*^_^*)
お席主は、表千家は主茶碗には楽をつかうのですけれど、今日はお好きな高麗で、と半使の茶碗を特別にだしていただいたお心使いに感謝!これがまた胸キュンものの茶碗でございました。
茶杓はなんと織部とな。利休にささげる利休発案の手桶水指、「始祖」の銘の花入れは本来達磨のことだが、茶の湯の始祖の利休にかけて。(すごすぎて若干記憶とんでるので間違ってたらゴメン)
最後の席薄茶②は桃山茶陶をめでる席、この会の主催者さまである。「木守」というお菓子をのせた銘々皿が、あまりに素敵に漆で繕いされた志野(織部やったかな〜??)の小皿、もちろん桃山時代のもの。黄瀬戸の大皿あれば茶碗シリーズも桃山茶陶ブラザーズ。
一番素敵だと思ったのが志野の薄茶器である。おそらく火入れか、筒向こうとして作られたであろう四角い志野に真塗りの蓋をだれかが誂えたもの。根津美術館の二階には茶事の道具が季節によって替えて展示されているのだが、そこで向付として見たことあるような見事な桃山の志野であった。
床は堂々の清巌宗渭一行、茶杓はお席主の地元、美濃出身の武将で利休七哲の一人・牧村兵部。そうそう、最近マイブームの天啓赤絵の火入れも忘れずに。
(4色そろった根津のチケット、、、集めたからってどうってことないけど、、(^_^;)
3席を終えて、今日は大師会だったかしら?光悦会だったかしら?と錯覚するような席ばかりでもう胸一杯で頭は沸騰しておりました。
コロナで延び延びになった企画で、ご準備の段階からほんとうにたいへんだったと思う。この日の為にお手伝いに入られたのも30名とか。それだけのスタッフと素晴らしい二席主を迎えての茶会を力業でなしとげられた力量と人脈ご人徳に驚く。また参席する機会をいただけて、感謝してもしきれない思いである。お疲れさまでした。(全然疲れていないでもう次のところを飛び回っておられることを私は知っている、、、(^_^;)
3年ぶりの桐蔭席〜茶の湯展後期 - 2022.12.06 Tue
東山、京都女子大前の女坂登ったところにある裏千家肝いりの茶室桐蔭席。

3年ぶりでございます。
3年前に会費を払ったまま、コロナや仕事で結局最後の一回だけ、茶会に参席。(一席が高くついたわ〜(^_^;)
待合が密になってはいけないというご配慮ではあるが、ちょっと屋外の待合は寒かった。
この日のお席主は業躰先生で、これぞThe・裏千家といった感じのお道具のラインナップであった。
待合になぜか奄美の日本画家・田中一村の鶏の絵が掛かっていて??と思っていたが、先生は淡交会奄美支部所属(京都在住だけれど(^_^;)でかつ酉年なのだそうだ。納得。待合の花入が縄文火炎土器というのもユニーク。
本席では遠近棚(おちこちたな)というちょっと珍しい棚に赤い和蝋燭。これはクリスマス気分を盛り上げるためかな。主菓子も銘が<White Christmas>、見た目白いこなしに柊の実を思わせる赤い飾り、そしてなんといっても餡の中にチョコレートフレークが入っているのが斬新!与次郎の霰釜、手つきの瓢にも見える粟田焼水指。いただいたお茶碗は左入の赤筒であった。
斬新さらにすごくて、干菓子の一つがなぜかガネーシャ和三盆、しかもカレー風味!びっくりしつつもなんか楽しい♪(ちなみに若狭屋久茂さんのカルダモンはじめその他のスパイス入りの和三盆)
不見斎好み(だったと思う、、、)の蔦?蒔絵の棗は蓋裏に息子の認得斎の花押があり<愚父好>と。愚息とはよく言うが、父を愚というのも謙遜にもほどがあって(^_^;おもしろかった。7代か8代宗哲作で、それをお正客の当代宗哲さんがまじまじと見ておられたのも印象的。「我が家には残っていませんので。」確かにそうだわね。みんな作品はお嫁にいくから。
そのあと点心になるが、今回もコロナ対応で弁当お持ち帰り。家でいただく。たん熊北店さんの、なんか豪華〜。
そして女坂おりたところの京都国立博物館の「茶の湯展後期」に滑り込み。前期みたものは飛ばしつつ後期のみのものを重点的に。会期も終わりに近いせいかたくさんの人がお越しだったが、茶の湯を嗜まれている方ばかりではないようで、、、
有名なところで清拙正澄の「棺割の墨跡」(亡くなって棺に入っていたが遅れてきた弟子のためによみがえってこれを授けたという)、牧谿の「遠浦帰帆」(これは何回見てもイメージが定まらない。今回でとどめにしたい)、五右衛門の侵入を知らせたという千鳥の青磁香炉、唐物茶壺「松花」などなど。
五島の鼠志野茶碗「峯紅葉」もでた〜!鼠なのに紅の色が出てベンゼン環を思わせる模様が好きなやつ。これぞ奥高麗!の「三宝」も枇杷色。
しかし前後期通しででている光悦の「乙御前」は何回見ても「かっこええ〜〜」と思わず声をあげてしまうわ。
さて、来年の特別展が親鸞聖人ということを確認して帰路につく。
暁の茶事〜甲斐国にて - 2022.12.04 Sun
場所は甲斐の国の山中である。明け方3時前にごそごそ起き出して、支度を済ませる。
本日は暁の茶事の客なのである。

あいにくの小雨模様の中、茶席に向かう道は露地灯しかなく足下はおぼつかない。
茶室・梅香庵の入り口。
ここは旅館の施設なのだが、先代の女将が造園家を招聘してつくりあげたお茶のための棟なのである。ちなみに先代女将は90歳を過ぎておられるがますますご健勝、茶事の間も心配して水屋をのぞいておられたようである。梅香庵は大亀和尚の命名。
寄付には座敷行灯と手焙り(暗くて火が見えないわよね〜。)
軸は本日の茶杓の作者による茶杓の銘の書き付けを軸装した物。ご亭主の思い入れである。ご亭主は日本文学者、日本古典文学と茶の湯に関する著作も多々、俳人でもあらせられる。2年前、やはりこちらで前泊して朝茶事によんでいただいた。今回は朝茶事よりもなおハードルの高い(主客ともに)暁である。夜込めである。
席入りは本来は露地を使うところ、雨のために廊下をつたってになったが、露地行灯の作る灯りの道もまた風情がある。
席入りは午前四時、寅の刻、昔は1日が始まる時間、一番水が浄化されるとされた時間である。お正客様は手燭をもって。
茶室は四畳+上がり台目の一畳、短檠の灯りは明るいが、部屋の隅々は闇がこごって甚だ頼りない。
前茶を点てるために釜は煮えている。薄茶平点前であっさりと薄茶を点てて一同これをいただく。(コロナでなければおもあいだが)
軸は「酔茶」
お酒ならでお茶に酔うことを知っている主客ばかり。
炭手前がなんといっても暁のハイライト。
釜を上げ、巴半田に炉中の炭を上げていく。ほの暗いので、炉中からとりだされた炭の赤がよく映える。間近に見る炭火は熱を放射する。炉中をあらため(廻り炭の要領)種火となる炭をもどし、そこからはいつもの初炭である。お稽古ではすぐ沸かす必要があるので割りぎっちょのエッジを種火の方へ、茶事では懐石中もたせるために皮目を、と茶の湯の科学のお勉強。
(*種火を埋み火にすることもある。ただこのときは前茶がぬるくなる)
クライマックスが釜の水を井華水(せいかすい・寅の刻に汲んだ一番清浄といわれる水)に改めること。いったん引き上げた釜をそのまま水屋へ持って入り、ここから2方法
1)そのままお湯をあふれさすように上から井華水をいれる
2)中のお湯を捨てて新しく井華水を入れる
水屋に引いた釜に新しい水を入れる音が席中に聞こえる、これがなによりの暁茶事のご馳走。井華水をたっぷりいれ戻ってきた濡れ釜の姿は美しい。
前夜いやというほどお腹一杯に夕食をお宿でいただいたのに、懐石がするするお腹にはいってしまうこわさ(^_^; 朝茶、暁は焼物抜きで軽くがルール。ふんだんに膳燭をだしていただいたが、前日和蝋燭でマスクが真っ黒になったので、この日は和蝋燭2本、あとは洋蝋燭というお心使い。
そうこうするうちほんのり外が明るくなってきたところで鶏の酒器登場。これは朝茶の時にも拝見した記憶が。朝を呼び込む鬨の声ならぬお酒をつぐ音。
折敷を下げると同時に膳燭もさげて、集めるとこんな感じに。なんだか悪魔的集会でもやっているようにも見える(^_^; なのでなかなか町中では暁はしにくい、とのご亭主の弁。
外は雨ながら少しずつ明けていき、昨夜真っ暗で見えなかった露地の様子も見えてくる。私が得意とする?夕ざりは暮れていくのを楽しむが、暁はその逆、いずれも時の移ろいも茶事のご馳走なのである。
外は明るくなっても茶席はまだ薄暗い。後座では濃茶と続き薄を。朝を呼び込むように茶入は朝日焼(先代)である。
干菓子はこの日のお客様のお一人が奄美大島から来られ、そのお土産だろうか、<胡麻ざた>も。(ざた=砂糖 板状の黒糖菓子)これは美味しかった。
薄器はこれも朝をよぶ曙棗(八代宗哲)
薄茶のお茶碗で、金海写し猫掻き手でいただいたのだが、お茶を飲んでいておもわず吹いてしまった。茶碗の底から猫の絵がでてきたからである。実はこの茶碗、知り合いの粟田焼作家さんの個展でみたことあり、あまりの洒落にあやうく買いそうになったのをこらえたものであった。一月ほど前ご亭主にお目にかかったとき、そのエピソードのお話をしたところだったのでよけいに吹き出しそうになったのである(^_^; 楽しい♪こんなところでまたお目にかかれるとは!
茶事終了は7時半、すっかり夜は明けた。
いろいろな蘊蓄を拝聴勉強になること多々、お茶も懐石も楽しんで、3時間半で終えることができるのはさすが手練れのご亭主である。眠気なんて感じるいとまもなかったな。そして朝をむかえるさわやかさ。ご亭主もたいへんなら客もたいへんだが、それだけの思いをする価値がある。できれば来年もまた来れるといいな。
席入り前通った梅香庵の門は明るいときに見るとこんなんだったのか。
まあ露地の紅葉、落葉の見事さ!
そして周りを囲む渓谷の山はまさに<粧ふ>の言葉にふさわしい。手前の小さな建物がこれから帰洛するためのJRの駅舎(無人)である。
2時間に一本しかない特急を待つ間、この甲斐国の山間の温泉地の景色を楽しんだ。
うん、やっぱり山粧ふ、、だ。(原典・北宋「山水訓」)
この駅から京都へ帰りま〜す(*^_^*)
アトリエシムラで一日・織り姫?? - 2022.12.02 Fri

四条河原町の南にある壽ビルデイング(登録有形文化財建築・昭和初期)、この雰囲気あるレトロビルの中に志村ふくみさんゆかりのアトリエシムラがある。
今年9月アトリエシムラ草木染めワークショップでシラカシでスカーフを染める体験をしたが、今度は是非織りもやってみたいなあと思っていた。
機織りのワークショップは一度に2人までなのでなかなか競争率が高く、今回やっと機会をゲット。これが機織り機かあ。じっくりみたのは初めて、さわるのも初めて。
ちょっとわくわく。
今回のベースの色はグレー。桜やシラカシやその他いろんな植物で染めた紬糸をベースに心の向くままに織っていく。グレーは同じ植物でもましてや違う草木だと様々な色を見せて変化に富む。
さあ、はじめるよ〜。
頭の中にあるイメージで、ちょっとだけ計算して織っていく。
これがシャトル=杼である。これを縦糸の間に通すのが最初はむつかしくてよっこらせ、という感じだったが、だんだん慣れてくる。しかもどんどん糸という線が面に織り上がって行くのが目に見えるので、こんな楽しいことはない。
しかし私は知っている。私がやっているのは縦糸を綜絖に通す、、、といういっちばん面倒くさい仕事をはしょっていることを。この細い縦糸を一本一本結びつけてセッティングする作業はちょっと想像しただけでくらくらする。1040本!縦糸を通すだけの会社も西陣にはあるくらいなのだ。
グレーと黄緑(刈安と藍)、黄色(刈安)、茶色(ヤシャブシ)を線の太さで3パターンの繰り返しにしてみた。段の数を数えなかったので、全くの目分量(^_^;
トントン(筬おさ)で音を打ち込む音、からりは杼が縦糸の間を走る音、だんだんリズミカルにできるようになって、作業に没頭、無念無想の境地になる。これはメンタル的にも良い物ではないだろうか。
色糸を変えるのもまた楽しい。お隣さんはほぼ全色試してはった。それでも色がケンカせず全体としてー調和しているのはやはり植物だけからもらった色だからだろうか。
私もグレーの糸がなくなって、次々元の植物が違う物を使ったが、まったく違和感がない。
お昼まで2時間、ランチはお向かいのGoodNatureで。
部屋の一角にこの色はこの草木で染めました、という植物見本もあって見ていると楽しい。以前も聞いたが、草木は緑が多いのに、一種類の草木では緑という色は染められないのだ(刈安と藍を混ぜて作る)。不思議。
昔志村ふくみさんの特番で、彼女がそこらの草を摘み煮出し「あなたはどんな色になりたいの?」と植物に話しかけていたお姿が印象に残っている。染色の色素との出会いは偶然も大きいのかもしれない。
午後から2時間、朝より調子よく織り上げて、完成、測ったら約1m織れていた。
さて、たくさん織れたし、古帛紗だけでなく数寄屋袋もできそうだわ。(縫えるかどうかは別にして(^_^;)茶席でこれは自慢できそ〜♪
機織りはまりそうである。また別のベースの色の時に行ってみよう!(競争率高いけれど)