笹山芳人展にそえて別天隅で呈茶 - 2023.02.28 Tue
下鴨のK美術さん、先日ギャラリー2Fに二畳の別天隅という茶席をもうけられたばかり、ここで呈茶をさせていただく栄誉に浴する。

店主のK様がご用意くださったのはチョガッポのしきり、その向こうに別天隅。
今回伊賀の笹山芳人さんの個展にあわせて、ほぼ笹山コレクションで室礼をしてくださった(私は茶を点てるだけ〜(^_^;)
茶碗や風炉のみならず、鉄瓶も、ヤクの毛で織られたチベットのラグも笹山コレクションである。
この舟板も。
笹山さんとは以前から御縁をいただいていて、伊賀丸柱の窯場を訪ねたこともある。その際古い民具や板などのコレクションも見せていただいた。なんともセンスがよくて、どれもほしいな〜と思う物ばかりである。
用意したお菓子を入れる重箱でも、、、と思ったらK様がこんなすてきな李朝の硯箱をご用意くださった。
入れるお菓子は@akama_wagashi(Instagram)さんにお願いした物。伊賀の作家さんの展示に添えるお菓子、と言う注文でこのような薯蕷ができあがり。
なんだ、これは?耳付き?、、、答えは、、、
そう、伊賀の花入れというと耳付きが多いので、そこからの着想だそうです(*^_^*)おもしろい。
お茶の方は、雨のせいかあまりお客さん来られなくてお役にたてなかったが、最後に茶友さんが4人さんできてくださりありがたかった。笹山さん所持の半泥子の茶碗を愛でながらのお話もたのしかったです。
笹山さん、K様、お茶友様、ありがとうございました。
修二会2023〜注連撒き - 2023.02.26 Sun

注連縄撒きは14時からと聞いていたが今年は14時半くらいに登廊からようやく注連縄を持った湯屋童子と堂童子が姿を見せた。
一昨年はコロナバージョンで輪注連は撒かず、長い注連縄だけを形だけ撒かれたので、今年のフルバージョンは初めてだ。これが輪注連かあ。
まずは二月堂北にある遠敷社にお参りされたあと、堂童子が輪注連を放り投げる。下で湯屋童子が受け止めるが受け止めきれず下におちたものは「塵」といって、結界に使ってはならないので、参拝客にわけてもらえるのだが、今年はえらいたくさん、気前よく落として、、、配ってくださった。
動画も上げておく。「塵が出た!」と言っておりますね(*^_^*)
輪注連は練行衆を今年出す塔頭の玄関や、石灯籠の頭などにおかれるのだ。
続いて南の飯道社へお参り。般若心経を唱えておられるらしい。
こちらでも注連縄撒き!
私も塵、ゲット!
独特の紙幣と榊の小枝付きである。
それから湯屋童子さんたちはせっせと結界張り。
二月堂南西の角から張られた結界
裏参道の中性院前に張られる結界
これで二月堂周辺は清浄な聖域となって、本行の日を待つのであります。
(今回たくさんの修二会オタクさんに出会えてうれしゅうございました!)
修二会2023〜社参〜試みの湯 - 2023.02.25 Sat
今日はお坊さんの行列の写真だけです。(^_^;
オタクにおつきあいください。

21日
東大寺戒壇堂、修二会に参籠される練行衆の別火坊(行にはいるまえの潔斎期間)、ここから13時、練行衆の方々が駈供・仲間(いずれも練行衆に仕える役)を伴って社参にでかけられる。初めてのそろい踏み(新入だけは未だ)なので、NHK他報道機関も待ち構えるが、一般人は、、、来てるのはよほどのオタクよね〜。
焼けなかった若草山(今年は追い焼もしないらしい)と大仏殿、陽光は春であるが、この日は小雪すらちらつく寒い寒い日で、修二会の前行スタートに似つかわしい気がした。
来られました、今年の行列。
和上は上司永照師、大導師の森本公穣師が続く。
いや〜いよいよ始まりましたねえ。
八幡殿参拝
行の無事完遂を祈る。修二会は完全な神仏混交なので、柏手を打つ。ここの奥には僧形八幡神像(国宝)が祀られている。
八幡殿を後にして大仏殿へ向かう。
大仏殿の回廊の背景が絵になる。
平衆(四職以外)は法螺貝を持って、要所要所で吹き鳴らす。
大仏殿から先回りして、二月堂への階段で待ち構える。
ついて行く方も結構たいへん、皆様とても足がお早いのだ。
奈良太郎(国宝の梵鐘)の横を通って、いよいよ二月堂の前へ。
二月堂前の開山堂へ参拝
その後湯屋(風呂 写真見たら意外と近代的風呂だった)に入り<試みの湯>という入浴。
これは練行衆一人一人に最終的に参籠の意志を確認する儀式なのだそうだ。もちろん中はのぞけないが、耳をそばだてて中でよまれているであろう「祝儀の詞」を聞き取ろうとするオタッキーな方も(^_^;おられた。
ここで20〜30分、それから二月堂へ上られるが堂内には入らない。
二月堂北西の角で聖武天皇陵遙拝、これは今年初めて見た。
二月堂からおりて、、
興成社へ参拝、それから別火坊に帰られ今年の新入(処世界・上司永観師 和上のご子息)が重衣を初めて身につける祝儀があるのだそうだ。
そののちに二月堂周辺に結界が張られる。その注連縄を撒く儀式に続く、、、
梅見月茶事 - 2023.02.23 Thu

庭の梅がついにほころび始めた頃、今年最初の茶事をした。
年が明けて1月は行く方に忙しくて、自分とこはやっとである。
とうに節分は過ぎたが、やはり二月の茶事では外せないテーマなので、寄付に鬼の大津絵とお多福さん。

やっとこ大火鉢をとりだして、灰を新たに入れてせっせと準備したとたん、暖かくなってしまって、あれ〜、、、。
今回は火入れのお役目の古染付。(向付にもなるよ)
よい陽気で露地もなんとなく華やいだ感じになる。
本日のお正客は、某数寄者の会で顔なじみのお若いけれど茶道具への見識深い(時にマニアックとも言う)方、ご連客は、奈良からのいずれも茶の湯、茶道具への愛情ひとかたならぬ油断できない方々である。
節分を過ぎて季節は修二会へ、、、の思いで花は二月堂荘厳になぞらえ椿(糊こぼしじゃないけど)と南天を。炉縁はもちろん東大寺古材でしょう。
汁は枡に豆を意識して大根+豆。
昨年これを蕪で作って、柔らかすぎて失敗したので今年は大根。
強肴は、先日の東の茶道男子の懐石に触発されて初めての食材ウルイを使った茸のおひたし、これが好評で自分でもシャキシャキが美味しくって、この季節の定番になりそう。
石杯各種
李朝あれば現代作家のも、どっちかわからないのもあるよ。
今年もまたこのお菓子にであえた。
みのり菓子さんの「梅一枝」
もう3年以上になるかな、この時期の茶事には必ずお願いしたくなる泡雪に梅ゼリーの透かしがはいった美しく美味しいお菓子である。
中立中の待合。
中立の時はまだ外は明るかったのに、後座の席入りではあっというまに暗くなって、手燭を油断してしまった。お客様の撮った写真ではこの黄昏時に明星がきれいに見えたとのこと。
待合の本日の百人一首は貫之の
「人はいさ 心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香ににほひける」
この歌の花は桜でなくて梅、先日だだおしを見に行った長谷寺で詠まれた歌で、碑もある。
後座は怒濤の蘊蓄と茶道具談義、時がたつのも忘れて、、、であった。
みなさん、すごいなあ。お正客のご見識がすごいのは知っていたが、ちょっとあきれるくらい、、(笑)茶杓の作者当ては楽しかったわ。というわけで、時間もいつも以上にかかったのは亭主も道具好きだからに他なりません(^_^;
干菓子は初午(とうに過ぎたけど、、)にちなみ伏見稲荷の鳥居のお盆に鈴と鈴紐、それに梅にちなんで太宰府藤丸さんから取り寄せた清香殿。
梅に清香あり、本日の帯も梅、薄茶の茶杓も梅の木で作ったもの。
2年前、今日のお客様のD先生とKさんと一緒にお呼びしたのが昨年の春に急逝されたYさんであった。私には良き茶友、奈良友であって、「また奈良来とったんか〜」のつっこみが懐かしい方であった。そのことを持ち出したときに、お二人とも、この茶事に同座させてもらっている気持ちだった、とおっしゃってくださったのがとてもうれしかった。いろんな方の心に強い印象を残して逝かれたYさん。今頃あちらでお茶しているかしら。私はあいかわらず奈良通いしてますよ。
<おまけ>
いただいたお土産
独学で仕覆を作っちゃう達人(若い男子)Aさんからいただいたお手製名物裂の帛紗
Kさんからいただいた宗旦が東福門院のために作った紅茶巾。一度点前に使われているのをみたことがあるが、まさか自分の所に来ようとは!使い方を考えるの楽しい。
二月堂修二会2023〜油はかり - 2023.02.22 Wed
2月18日観音様の御縁日に油はかりがおこなわれる二月堂。

すっかり竹矢来もできている。(われらがニコ動小屋も完成していた)
東大寺修二会に、色々な方面でご奉仕する講の一つが百人講、修二会の行法の間、観音様に捧げるお灯明の油を献じるお役目を代々(少なくとも200年以上)になっておられる。その行法中に使われる油を量るのが油はかりである。
これに通い出してもう4年になる。2021年にはコロナで、講の方は手が出せず見守る中を堂童子や練行衆の堂司さんが油はかりをするというレアな場面も拝見した。今年は例年通りである。
朝10時、二月堂の石段を登ってくる百人講の方たち。今年は若い方も初めてご参加だ。
堂内の18日法要が終了すると二月堂南出仕口の扉を堂童子がひらき、油量りが始まる。
使われる灯油は、現在は愛知の岡崎のここだけが作っていて、東大寺、伊勢神宮、宮中祭祀にしかつかわれないという製法は企業秘密の油である。
この棒で量を量る。
新人さん、Sさん(百人講のお世話役)のご指導の下がんばってはる。
これを二月堂常什の油壺に移していくのだが、壺は全部で3つ、それぞれ一斗(18L)、一斗二升、一斗三升と3回。
今年の見所はもう一つあって、かの声明の声が素晴らしくすてきな上司永照師が練行衆のトップの和上をされるのだが、その息子さんの永観師が処世界(一番下っ端(^_^;?)として新入されるのだ!
その処世界さんが立っている白い法衣の方。前に座っておられるのが堂司(四職のひとり、偉い人)の池田師。絵になる構図。
量った棒はていねいに拭き取る。
油壺は童子さんの手で運ばれて修二会まで堂内に安置される。
油はかり終了、二月堂の扉は、、、
また静かに閉じるのであった。
一年に一度しか開けられない箱の中を拝見、また来年。
ちなみに百人講の文字は長老の狭川普文師。
箱は二月堂の石段をまた降りていく。
修二会の支度がだんだんと完成する。
いよいよ。
長谷寺だだおし2023 - 2023.02.20 Mon
大和の春を告げる長谷寺だだおし(修二会最終日2月14日の法要)、3年ぶりの通常開催となった。一昨年、昨年は関係者だけでおこなわれて、ニコ動で見たが、やはりホンモノを見たいとはるばる大和桜井長谷寺へ。

数日暖かくすっかり油断していたら長谷寺についたとたんこんな雪、、、
(「駒とめて袖うちはらふかげもなし 佐野のわたりの雪の夕暮れ」定家の歌を教えてもらいました。佐野とは諸説あるもこの辺り、桜井といわれている)
長谷寺といえばなんといっても春の牡丹が見事なのだが、寒牡丹もあるのね。
雪にうちふるえつつ咲く花の美しさ。
3年ぶりで混雑すると思われたので、1時間半前に到着、すでに牛玉札(有料)をいただいて堂内で参列する人の行列が。法要はむつかしいが、だだおしの鬼追いは外からでも十分見られるのだが、雪まじりの雨にそれもつらくて断念。お堂の中は座布団が敷いてあって正解だったかも。
長谷寺は真言宗豊山派の総本山で、茶会で有名な東京の護国寺の本山でもある。よって末寺からのお坊さん方がたくさんご参加だった。
しかし、法要の間じっとしているとしんしん冷えてきて、防寒対策maxでもつらかったが、頭が無防備なあの方々は大丈夫だろうかとちょっと心配になった。(いや、ほんまに寒かった、、、、)
本尊は二月堂と同じ十一面観音であるが、ここのは大きいよ。これは如意宝珠や閻浮檀金宝印(えんぶだごんほういん)など七種秘宝を唐櫃にいれてかついで持ち出すところ。(輪違は長谷寺の寺紋)この日だけ封印が解かれてご本尊の前にすえられるのだそうだ。
面白かったのは声明が二月堂のとかなり違って、舞台音楽的というかメリハリがきいて木遣り歌のようにも聞こえる点。太鼓がはいるとかなり近代的というか違ったものになるね。(二月堂は法螺貝と鈴だけ)
そうこうするうちに本堂の中を赤・青・緑の鬼達がうなり声をあげて乱入。これは一番顔がでかい赤鬼。
これは青鬼、もう動きが速すぎてブレブレの写真しか撮れない(^_^;
その鬼達を楉(若枝)と牛王札で追い払う僧侶たち。
法要終わりに参列者は順番に宝院をおでこに押してもらう。にこやかにお持ちのこれが閻浮檀金宝印(たぶん)
これけっこう痛かった(^_^;
法要終わりざわつく堂内、いよいよクライマックス、鬼追いと大松明が始まる。長谷寺の有名な舞台の前にも雨のなか参列された人がたくさんひしめきあっている。3年ぶりなんでみんな楽しみにして来られたのだろう。すすす、、、と鬼達がよく見える場所を確保!
「だだおし」の語源については諸説あって、よくわからないらしいが、閻浮檀金宝印を檀拏印(だんだいん)とも言うので、だんだいん押し(おでこに宝印を押す)→だだおし、、、が一番しっくりくるわ。
さて、おどろおどろしい太鼓と法螺貝が響く中、青鬼、緑鬼が松明をかついで時計周り、反時計回りにお堂の周りをめぐる。
結構な炎でそばによると火の粉をかぶる。お堂の幔幕が燃えたこともあるそうで(^_^;
二つの松明は本堂正面でぶつかりせめぎあう。(だから正面が人気)
長谷寺の舞台は国宝なので、火が移らないように係の人が必死で水を撒く
せめぎ合う炎
ちょっと鞍馬の火祭的なところもある。
再びすれ違う松明
これは緑鬼
そうこうするうちに、、、
真打ち赤鬼登場!
ああ〜これも動き速すぎてぶれぶれ
でも、赤鬼顔だけがでかくてなんだかユーモラス。
最後に動画を上げておく。
この間約20分ほど、ず〜っとすごい勢いで太鼓を叩き続けた若いお坊さんすごい。写真には写ってないが、法螺貝吹き続けたお坊さんもすごい。叩き終わると堂内大拍手であった。
興奮冷めやらぬまま、帰りは長谷寺の長い階段をくだる。足下がおぼつかない暗さだが、提灯の灯りが美しい。
一番長い階段の夜景もまた珍しく美しい景色であった。
いただいた牛玉札と、お寺でもとめた一番推しの赤鬼の土鈴。
これで今年の厄除けはOKだな。
東にて茶道男子の茶事〜後段付き - 2023.02.18 Sat
昨年某茶事でご一緒した、茶の湯への知識も情熱も深い茶道男子、茶事は平均月2回、懐石もなにもかもお一人でされると聞いて、これは是非お招きいただきたいなあ、、と思っていたらこんなに早くよんでいただけるとは思わなかった。というわけでいそいそとあずまの方へ。

DIYで作られたという露地の飛び石を渡る。敷き詰めた石も見事だが、蹲居がさるお屋敷から出たもの(緑門岩か?)とて、素晴らしい物だった。
席入り、元は六畳の間であっただろう座敷を上手に茶室にされている。半畳を床に、茶室としては五畳半。炭手前用の換気装置もバッチリ。
大綱和尚の初春〜梅〜を歌ったこの季節の和歌の軸を見ながらの炭手前。
香合は宗入赤楽
織部好み・初代浄益の灰匙、ご連客方は知識の深さ錚錚たる方々なので、少庵好みとはまたちょっと違うとかおっしゃっていたが、私は少庵好みと利休好みの違いすらわかっていなくて、本日勉強しました(^_^;
さて、お待ちかね!お手製の懐石。
インスタでフォローしていて、懐石の写真をアップされるたびに美味しそう、とかどうやって作っているのか、とか手間かかっているなあ、、、とか感心して見ていたのだが、ついにホンモノに会えた。
もう、味もボリュームも予想以上でありました。この大きく切った水前寺海苔を見よ!高価なので、いつもちまちま使っているのに、こんなのを見たらもう感激。さらに初めていただく莫大(果実、高級食材)から、ほろ苦春の味、ふきのとうの旬のものまで。
ここでご亭主の蘊蓄
裏千家では最初の飯は釜の縁を使って一文字に出すが、正客だけは一番美味しい釜の真ん中の部分の飯を丸く出すという説もあるそうだ。なんだか説得力あるわ〜。
これまたでかい鴨団子、良い具合に焼けたネギが美味しい。それにしてもお手間かかっている。手抜きのわが懐石をちょっと反省。
燗鍋の蓋が古染のおそらく皿だったであろうものを蓋の形に削ったもので面白かった。どうやって削ったんだろうねと話題にもことかかない。
鮭の酒粕和え、酒粕がたっぷり入っていて酒好きにはたまらん。
季節の旬のもの、ウルイなんて珍しい食材まで。
ここで後段(茶事終了後のご馳走)がありますから(!)、ということでいったん中立。
干し柿に、ふかふかの蒸したて薯蕷の中身は紅色の餡、これが美味しかった。
後座
床の花は梅一枝に赤い椿のつぼみである。
主茶碗は碗なりの粉引、これは好きだなあ〜。ずっとお使いになって、雨漏りや良い色がついている感じもまた。
古瀬戸の茶入「今古」、羽淵宗印の茶杓と渋い(まだお若いけれど)ラインナップ。ちなみに宗印は紹鴎について茶杓の下削りをした人で(利休より古い)、元節を考案したという。この茶杓は節無しで、節が真ん中にくるのが利休の時代。、、、ということをご亭主とご連客の方々に教えていただき、ありがたい。銘を「神剣」と。
薄茶の干菓子の煎餅のかわいいこと、しかも鶯を焼き印でなく、雲平かなにかで形作っているのだが、うまい造形だ。単純な三角なのに、もう鶯にしか見えない。
茶碗もたくさんだしていただいたが、印象的なのが真清水蔵六の白い茶碗。持った途端高台脇の粗い削りがざりざりと手に触れる。裏をかえすと見事な縮緬皺、外は白、なのに内側が使い込んで一見高麗?かと思うような景色。
薄器は利休好み真塗棗・玄々斎花押、茶杓は鵬雲斎。
水指は備前で、私と同じ岡山(倉敷)ご出身、郷土愛あふれる蘊蓄も語っていただきました。お酒も岡山のお酒だったしね!(ただし倉敷は天領だったので、プライド高く、岡山市とはちょっと仲悪いの(^_^;)
祥瑞の蓋置、かるくてかわいい。
そして後段!
小吸物がサワラに人参のすり流しときた。まだまだでるわでるわ、ぶり大根まで。八寸にふわとろのふぐの白子、どれほどの数の鍋類をつかいわけているのか不思議なくらいの品数、これをすべてお一人でされるとは、、。さらに重ねる盃、あかん、今日は飲んで食べに来たみたいやんか、、、
聞けば茶事はもうすでに200回を越えているとか、お仕事の合間によくこれだけ、、、茶の湯を愛する気持ちが半端ないのだなあ。そして良き夫、良き父でおられる。
豊富な知識に色々教えていただいて、お招きいただいて良かった、、、と、幸運に感謝する。
修二会2023〜山城松明講竹送り - 2023.02.16 Thu
2月11日には修二会に使われるお松明用の竹が京田辺から送られる竹送りの日である。

昨年はコロナで関係者のみの竹送りになったが、今年は例年通りと聞いて10:00AMに転害門までいったのだが、、、あれ?なんか今年もここスルー?
どうしよ、と思っていたら転害門の隣の転害門観光案内所の方が親切に本日の竹送りの日程表をくださった。で、あわてて東大寺南大門まで走る(結構距離ある)
南大門で待つことしばし、予定よりかなり遅れて駐車場に竹送りの山城松明講の軽トラが到着。(10:30過ぎ)
今年の例年通り、というのは京田辺の普賢寺周辺から早朝に竹を掘り出して奈良阪を越え、二月堂に送る、までが例年通りだった模様。(恒例では転害門でセレモニーがあるらしいのだが、まだ見たことがない)
竹は南大門をくぐる。
大仏殿前で10分休憩
この竹送り、かつては信者や村人がてんでばらばらに順番に運び込んでいたそうだ。
120年ぶりに竹の花が咲いて全国的に竹が枯死した後とだえていたが、山城(正確には京田辺市)が声をあげ、45年前に復活したという。
さあ、最終ルート出発。
大仏殿の脇に回って二月堂をめざす。
階段もあってしんどいよ。
奈良太郎(東大寺梵鐘・国宝)も過ぎる。
実はこの竹かつぎ、観光客もいっしょに担げるのだ。というので、すかさず担ぐ。まあ、ほんのちょっとの距離だけれど(^_^;
最後の階段
二月堂に到着!
先に車で搬入されていた竹と南大門から運んだ寄進竹3本、、、
と、思ったらもう一本、京田辺の小学生達が運んできた。みんながんばった〜!
一応そこで解散になるが実は最後のお仕事があって、参籠所前の竹置き場まで運ぶのだ。これは去年は数少ない関係者だけでやってはって、重そう〜だった。
次々運ばれる竹をたてかけて、固定していく。
今年の大松明(今年は拝見できません)用の竹はもう決まっているとのこと。
出番を待つ竹もせいぞろい
いよいよ修二会始まる。
<おまけ>
竹をかついで疲れたので(ウソ(^_^;)戒壇堂近くの工場跡寺務所カフェへ。
いつもは満席でなかなか入れないことも多いのだが、ありがたいことにすんなりと。
(乳酸菌飲料の工場の事務室部分がカフェになっている)
奈良も大仏殿周辺は帰ってきたインバウンドも含め混雑していたが、ここまでくるとほぼ観光客の姿はなく、大好きな奈良のゆるい雰囲気が楽しめるのだ。
で、勢いで、これも転害門近くの千壽庵吉宗で古都華(イチゴ)のチョコかき氷なども完食してしまうのであった。
珠光茶会2023〜東大寺大仏殿集会所にて薮ノ内流濃茶席〜二月堂 - 2023.02.14 Tue

雨模様の奈良、こちらは今年焼けなかった(^_^;若草山
今年久々の珠光茶会開催である。昨年はチケット手に入れたのに、直前になってコロナのために中止になってしまった苦い思い出がある。今年は無事開催できてなによりだ。
珠光茶会は春日大社、元興寺、東大寺、西大寺、大安寺、法華寺、薬師寺、唐招提寺、国博八窓庵、大乗院庭園、、、と有名どころ満載の奈良市あげての一大お茶イベントなのだが、今年の募集人数は例年の3分の1、狭き門だったのである。
というわけで気づいたときには満席のところが多く、自分の予定と合う会場がここだけだった東大寺席。
第一回開催から皆勤しているが、第二回の時だったけ。この景色が雪に埋まってたの。積雪のめったにない奈良が大雪だったこともあったっけ。
大仏殿裏の集会所、ここは毎年5月の華厳茶会でお邪魔していた席だが、コロナでとんとご無沙汰だった。久々に入れてうれしい。
コロナ対応で、一席が20人と少なく、しかも時間に追いまくられるでなく、ゆとりがあってゆったりしていたのがとてもよかった。
席は薮ノ内流随竹庵(薮ノ内の分家)の濃茶席である。
(めったに見られない大仏殿の裏)
いつもの広間であるが、点前座を変則的に二つの座敷の真ん中に据え、風炉で点前されたのがよかった。これなら端っこに座っていても点前がよく見える。
お菓子は一見緑色の薯蕷で鶯見立てかな?と思ったら中に紅色の餡。銘「鶯宿梅」とは言い得て妙。
「源流茶話」「真向翁」を著した薮ノ内中興の竹心の軸「別是一家風」
平たく言えば多様性を重んじようという昨今のスローガンにぴったりな。
薮ノ内にしては珍しい(ゴメン)雅な檜扇棚、黒柿の模様に天板が扇形、しかも檜扇を広げた模様が彫られている。ここに載せるのが野村美術館(野村得庵は薮ノ内)がもってるムガール帝國製抱桶の写しである。
珠光茶会だから、と珠光青磁(これも野村にある)を持ってくるあたり、さすが。時間も人数的ゆとりの恩恵で、これは全員がしっかり手に取って拝見させていただいた。外側に猫掻き、それも幾何学的で端正な、がある。
ほんと、大寄せでこれだけゆっくりできたらいいわ。
帰りは大仏様を拝んで、、、
その足でまもなく修二会を迎える二月堂へ。
今年も残念ながら局での聴聞はできない。
お松明も昨年と同じく人数をしぼるそうだ。いつになったらまた中で聴聞がかなうのかなあ、、、
今年の練行衆は新入がいらっしゃるので、少し早めの別火が始まる。
お松明の竹も順次奉納されていく。
二月堂前に昨年もお世話になったニコ動(24時間二月堂をリアルタイムで見られる)ブースも建設中。そろそろ私も修二会モードにはいるわね。
コロナまではお水取り当夜(12日)〜2日間だけ臨時の食堂に早変わりする茶所もいまはまだ静かである。
立春の湖国〜茶飯釜・粥茶事 - 2023.02.12 Sun
寒かったり暖かかったり立春過ぎて気候はまださだまらない。
そんな季節に久しぶりに湖国の茶事にお招きいただいた。

窓の外にお手製の柚餅子がぶら下がっている。あれ、美味しそうだな、、、
ここへ来るとつい、美味しいご亭主の精進懐石が食べられる!とうれしくなってしまうのだ。
リビングには古色の大きなひな壇飾り、もうそんな時期かと焦る。ここのお雛様の道具にはりっぱな台子飾りがあるのがうれしい。
以前と同じくアカンサスで縁取られた蹲居をつかって席入り。
一足お先の釣釜は茶飯釜、火力が必要なので、炭はいつもの倍近くつぐ。炎が立つまで火吹き竹で酸素を送り込む。
茶飯釜には決まった作法がないぶん、亭主の炭の力量が問われる。以前茶飯釜をされた時に、釜が吹き出して客の私はあわてたのだが、ご亭主動じず、ちゃんとタイミングをみはからってご飯をたきあげたのだった。今回は炊き上げず、だんだん濃度を増して行く粥である。
コロナの時期ゆえ客がお手伝いする火吹き竹もそれぞれ一本、ご用意くださった。これで頬をふくらませながら客が交替で火を熾らすのもまた楽しい茶事である。
さて、お待ちかねの懐石!
蕪蒸しにたっぷりの餡、芳しい柚子の香り、中に百合根やら美味しい物がいっぱいつまっている。
粥ができるまで、待つことしばし。
粥に合う少し塩気のある縁高のなかみ、これすなわちお酒にもあうってことだよねえ(*^_^*)
琵琶湖の冬の味覚・氷魚(鮎の稚魚)とヤブカンゾウの若芽をあえたご馳走!大根餅もあれば、先ほど美味そう〜と思っていた柚餅子もはいってた。5時間もことこと炊いた柔らかい梅牛蒡、シャキシャキの菊芋、お手製の醤油(!!)を絞ったあとのモロミ、などなどどれもお手間がかかっていて、お粥ならぬお酒がすすんでしようがない。
そうこうして飲んでいる内に湯気があがる。
まずは重湯を。
これが思いもかけずとても美味しかった。米ってすごいなあ。
以後は釜は炉からだしたまま、お粥は中で少しずつ濃度を増していくのである。
五分粥から七部粥ときて全粥、ちょっと病院の術後食をおもいだしちゃった(^_^;
お米食文化萬歳!で香りも楽しみつつのお粥、完食である。(あまり完食する客はいないらしいが(^_^;)
釜の代わりに炉にかけていた鉄鍋の中身がけんちん汁(根菜汁)、お出汁は昆布と椎茸だけであるが、根菜からでた出汁でしみじみ美味しい。こんにゃくが絶品であった。
、、、って食べ物のことばかり書いたが、どうしてもここに来るとそれが楽しみなの(*^_^*)
鍋を上げた後の炉中拝見、倍ついだはずの炭はきれいに燃えて、胴炭も半分はいっている。ここで変則ながら後炭を。胴炭が見事に二つにわれて、また火勢はあがる。この炭を見るのってみんな好きだよね。いつまでも見ていられるわ。
中立で待合に帰ると置き火鉢には饅頭がのっている。客同士わいわいいいながら炙り目がついたところで熱々をいただく。中の金柑入りほかほか餡子が美味しい、そしてこの緑は蓬ではないし、、、と思ったら春菊であった!(お嬢様手作りとか)
濃茶を美味しくいただいたあと、薄茶のお菓子でまた大騒ぎ(^_^;
三角形のお菓子は山形のからからせんべい。
割るとばらばらになってしまうのが食べにくいのだが、中に小さな民芸玩具がはいっているのである。私のは小さい独楽、打ち出の小槌の根付けや、ミニミニ団扇など、楽しいばかりでなくしっかり黒糖風味の煎餅もとても美味しいものだった。
ご亭主は古民具などの見立てがとてもお上手なのだが、一つどうしても何なのかワカラナイものが、、。この蓋置である。あとで種明かしを聞いてびっくりした。これは秘密にしておきますね。文具系ガジェットとだけ(^_^;
最後に客のわがままとして、炉中の最終形態を拝見したく、釜を上げてもらった。おお〜!すっかり白い灰になっている。お見事、これを拝見できて良かった〜!
美味しくて酒の肴になりすぎる醤油のモロミ、お土産にいただいた。思わずきゃっほ〜!とはしゃいでしまった。もろもろありがとうございました、そしてごちそうさま!
茶席<別天隅>披き - 2023.02.10 Fri
とある美しい夕べ

黒いチョガッポの向こうに透かして見える 舎廊房(サランバン)
( 舎廊房は朝鮮時代の両班クラスの男性の居室・書斎・交流の場)
下鴨K美術二階の展示スペースの一画に突如あらわれた 舎廊房は、茶室として機能するようにしつらえられた空間。二畳の畳を囲むような椅子席は座った亭主と目線の高さがそろうように。
ちなみにこの畳は20年前からK美術のショウウィンドウを飾っていた歴史を持つ。
ネコヤナギと蝋梅
まるで両班の居室に招かれ、ちょっと高尚な文化的談義をくつろいでしているような気分になる。実際Kさんから、ここに掛けられた朝鮮時代の民画のレクチャーも興味深く拝聴す。
李朝の祭器にのせられたお菓子は椿餅
平安時代にはあまづらの甘みで餅を練った簡素な物だったらしいが、源氏物語などなど蹴鞠の連想を惹起するお菓子である、、、などと文学的なお話などもするのにぴったりの 舎廊房。
創立30周年を迎えて、最初この仕事につこうと思われた時に心に響いた言葉が「別天」であったことから、ここを別天隅と名付けられた。李白の「山中問答」を連想する。「別有天地非人間(別に天地の人間[じんかん]にあらざるあり)」。内々のお披露目の亭主はここの改修を監修した茶人・F太朗さん。
大和橘(老松)とすはま(すはま屋)に、お昼まで展示していた土本さんのお皿を使って。
かくなる記念すべき席にお招きいただき、美しい宵のひとときをすごさせていただいたことに感謝。
みなさま、K美術へおこしの節にはこの席もどうぞご照覧あれ。
彦根散歩〜彦根城界隈 - 2023.02.09 Thu

お多賀さんの帰りに懐かしの彦根に寄る。
学生時代彦根出身の友人がいて、よく遊びに来たのだ。もうほぼ半世紀も前の話。一度久しぶりに行きたいと思って数年前車ででかけたところ、彦根市街は積雪激しく、ノーマルタイヤゆえ即リタイヤとあいなった。やっとこのたび彦根にたどりつけたわけだ。
駅前の風景はもうほとんど記憶にない。この東海道線沿線の景色にいたっても、昔は田んぼばかりだったと記憶するが、すざまじい宅地化がすすんでいるのね。
駅からズドーンとまっすぐ、彦根城の城郭に入る。とはいえ、これはほんの入り口、城郭の中に高校もあれば民家もある。お城までは遠い。
お堀には白鳥やら(これは飼われているのかな)鴨やら鵜やらバードウォッチャーにはうれしい場所。
重要文化財の馬屋、文字通り馬を管理していた場所で、唯一現存する馬屋なのだそうだ。屋根が雪で真っ白。
天守をめざすが、これがけっこうな勾配の階段で息切れがする。こんなにしんどかったっけ、、、?まあ、20代の自分と比べてもはじまらないか(^_^;
来ました!半世紀ぶり!
国宝彦根城天守!
あの頃はひこにゃんなんて未だ居なくて、今ほど整備されていなかった。
天守の階段がまたくせ者、勾配急すぎる上、幅狭すぎ。降りるときがよりこわい。昔の自分はすたすた登っていったのだろうなあ、、、きっと。
上層に行くほど開けてくる展望の先に琵琶湖
そして最上層の琵琶湖側の窓の外(網があって手が届かないところ)
実はこれを見に来たのだ。
学生の時何度もここへ登って、木の部分にだれかが彫った文字「永へに清かれ」(ことしなへにきよかれ)、あれがまだ残っているかなどうかな、とドキドキしながら。
あった!まだ残っていました。(画像不鮮明でスミマセン)
半世紀の時を超えての再会。
これを彫ったのは仮名遣いからして戦前、あるいはもっと以前の人だったのだろうかな。
若かりし頃の思い出が一挙によみがえり、胸にせまるものあり。まだなにものでもなかったあの頃、、、、これからの人生がどうなるのか手探りだったあの頃、、、スタッフの人に不審がられるほどこれをガン見したのであります。(まあ、行き着いたさきが今の私ですがね)
胸のすく景色
多景島(たけしま)のシルエットも懐かしい。(竹生島はもっと右側にある)
京都に移住したときになんでもっと早くここに来なかったかなあ、、、
天守を降りてふりかえると、、、
ずっと何だろ?雀?と思っていた破風の金の飾りが実は橘だったことに気づいた。
湖国はほんに雪国であるなあ。
その足で玄宮園(井伊家の庭園)、池を前に天守を望む、、、この構図どこかで見たことある、、と思ったら、郷里の烏城(岡山城)と後楽園がこんな感じなんだ。
庭園の一角の四阿にて、
薄茶一服
なにしろ井伊直弼は「一期一会」「独座観念」、茶の湯の人・井伊宗鑑だからね。
お菓子もなんと「埋木舎」(直弼が部屋住みの頃過ごした場所)という銘であった。
冬季休業中と知りつつ、とりあえず見たかった埋木舎の門を見て帰洛の途についた。
お多賀さん〜多賀大社 - 2023.02.08 Wed

超ローカル線近江鉄道に乗って(それも途中で乗り換え)お多賀さんと親しまれている多賀大社へ。
一の鳥居
ここから参道が始まるが結構距離あるよ。(800mくらい)
参道はレトロな町並みでこれも良い感じ。
懐かしいタイル張りの昭和の家とか、、
昨年行った醒ヶ井も似たような町並みで、滋賀にはまだまだ古い民家が残っている。
多賀大社の前の太鼓橋(反橋)
御祭神は伊弉諾、伊弉冉(イザナギ、イザナミ)なのでお伊勢さんの天照大神の親神になる。古事記の世界やな、これは。かつては<お伊勢七度熊野へ三度お多賀さまへは月参り>と俗歌に歌われて伊勢神宮と肩を並べたそうだが、今はちょっと他府県者にはなじみがないかもしれない。
このあたりは犬上郡になるが、その地名の由来は遣隋使であった犬上御田鍬(いぬがみのみたすき)を祖とする豪族犬上氏であるという。みたすき、、、なんか昔日本史で習った懐かしい名前!
(本殿)
境内は広くて社内摂社末社がたくさんある。
一番大きい摂社が金咲稲荷。なんともお金持ちになれそうな名前のお稲荷さんである。
残念ながら滋賀県有形文化財の奥書院(六角氏が創建した当時の多賀大社神宮寺の建物)庭園は2月末まで冬季休業で見られなかった。
多賀大社で有名なのが、平重衡の南都焼き討ち後の東大寺再建に奔走した重源の逸話。
東大寺復興を発心したのは当時としては高齢の61歳、多賀大社に成功を祈願したところひとひらの柏の葉が落ちてきた。その葉の虫食いが「莚」の文字であった。この字は「艹(=廿 20)」と「延」に分解できるところから「20年の延命を得た!」と重源は喜んだという。そののち彼は見事東大寺復興を果たし、85歳まで生きたのだ。(人間年齢やないなあ、、、)
この石は重源が入寂の時に枕にしていた石と伝わる(寿命石)。
かたわらにある柏の木。
莚に見えなくもない??柏の葉の虫食い。
よってこの神社の社紋は柏の葉であり、御利益は延命長寿なのだ。
それにあやかってか、多賀名物糸切り餅の会社の名前が「莚寿堂」
味は柏餅の中身、、、って感じ。蒙古襲来のときの蒙古の旗になぞらえた三本線を弓の弦で切って戦勝を祈願したのが起源とか。江戸時代の力士・三縞を贔屓にした菓子屋が三縞が好きだった三味線の糸で切って作ったという説もあっておもしろい。
もひとつの名所?が神社前にある村山たかの生家(といわれる)。もう若い人はしらないかな、第一回大河ドラマの「花の生涯」(原作・舟橋聖一)、井伊直弼の生涯を描いたドラマだったが、そのヒロインが淡島千景さん演じる村山たか女。直弼とその腹心長野大膳の愛人であり間諜であったともいわれる。
桜田門外の変で井伊直弼惨殺後、勤王志士に捉えられ三条河原で三日三晩さらし者にされたというが、その美しさにだれもが手を出せなかったという。京都の一乗寺には、彼女が晩年を過ごした金福寺があるよ。
それから多賀大社名物杓子。
元正天皇というからまたえらい昔(女帝 氷高皇女 聖武天皇の伯母にあたる)、病気にかかられたときに宮司がシデの木で作った杓子でご飯をさしあげたところ快癒されたことから、お守りにもなっている。
お多賀杓子→おたがじゃくし→おたまじゃくし、、、の語源ってほんとうかな(^_^; 確かに形は似てるね。
しかし逸話がいちいちかなり上古にわたるから、やはり長い歴史と由緒のある神社なのだね。
この釜は江戸時代二度にわたる社殿修復造営時に将軍家より(たぶん)贈られた湯立神事用の釜。かくの如く徳川家からも彦根藩からも篤い庇護をうけていたそうだ。
帰り道、お土産物を物色。
まあ、糸切り餅は買ってその場で三個たいらげたが(^_^;
さすが、滋賀県、鮒寿司もちゃんと売られていた!(私はちょっとニガテ〜)
平安神宮・大儺之儀2023 - 2023.02.06 Mon
もう春は立ってしまいましたが、節分の記録をもう一つ。
一番ご近所の平安神宮・大儺之儀(鬼遣らい)
平安時代の宮中の大儺式の所作や祭具を忠実に復元して昭和49年から始まったそうで、ここの装束を見るのが楽しみなのだ。
侲子(しんし)達を引き連れて方相師登場
この侲子たちのみずらの髪型好き。岡野怜子さんの漫画「陰陽師」の大儺之儀がこれと同じ装束なんで、うれしくなる。
続いて出てくる儀式に参加する公家・官吏たちの位による装束の色がカラフルでまた楽しい。
勢揃い
緑の衣は陰陽師(緑は六位以下 身分は低かったのね)
紫は三位までの公卿、緋色は一般的な中流貴族(四位、五位)
まずは陰陽師が「儺祭詞」という呪文を読み上げる。
向かいにずらっとならんだマスク姿?の陰陽師ご一行を見て、「細男(せいのお・春日若宮おん祭の御旅所祭にでてくる芸能)や〜」と心でさけぶ。
ちなみに黄色は無位なんだそうだ。
侲子たちのわら靴?みたいなのもかわいい。
桃杖を持って四方を清める。(木刀で剣術の練習をするみたいな感じ)
古来桃の木には邪を払う力があるとされる。お雛様に桃の木を飾るのも同じ。
続いて同じく邪を払うとされる蘆の矢で鬼門を封じる。(結構飛ぶよ、この矢)
方相師スタンバイ
本来は宮中で儺をはらう役目だったが貞観時代(9世紀後半)にはいつのまにか追われる鬼にその存在が変化したと言われる。各神社でいろんなスタイルの方相師はあれど、四つ目だけは同じで、これはどういう意味をもつのだろうかな。
またそれ以前は宮中の四方に土牛童子(土で作った牛を童子が引く姿の人形)を節分の夜までおいたという。その角が鬼の姿の元になったとも。なんとも不思議な来歴を持つ節分である。
矛を盾にうちつけて「鬼やろう〜!」と叫ぶ。
侲子たちもその後に続く役員さんたちも「鬼やろう〜」と叫びながら境内を三周する。
この後一行は応天門に並んで「鬼やろう〜」を繰り返す。
この後豆まきなどあったりするのだが、それはどこも同じなのでここで平安神宮をあとにした。
吉田神社節分ワンダーランド2023 - 2023.02.04 Sat
節分は京都の町中がざわつく。
あちらでもこちらでも鬼やらい。翌日立つ春に町中が浮き足立って、特に夜ともなれば異世界的妖しいワンダーランドが展開されるようだ。

学生の頃からここははずせない吉田神社、なにせキャンパスの一部がお祭り騒ぎにまきこまれるのだから。(チャリ圏内 元氏子)
追儺式は昨年と打って変わって人がおしあいへしあい
その中を3年ぶりに暴れ回る鬼
「鬼やろう〜」「鬼やろう〜」
四つ目の方相師が鬼を追う
方相師に従う侲子(しんし)たち
かつてここにいたリアルな神鹿たち(学生時代には檻の中にほんものの鹿がいた)のかわりに今は像になっている鹿
いつもはひっそりしている菓祖神社(田道間守をまつる)にも灯りがともりたくさんの旗が立つ
社紋は橘、非時香菓(ときじくのかくのこのみ)
京都内外のお菓子屋さんの信仰も篤い。今年も美味しいお菓子が食べられますように。
残念ながらコロナ前のような駄菓子と豆茶接待は今年もない。
ないといえば、毎年ここで年越し蕎麦(立春から新しい年になるので)食べるのが恒例だった河道屋の蕎麦の大きなテントも復活していない。
そのかわり大元宮までの参道は屋台がコロナ以前と同じくびっしり、それを求めて食べたり飲んだりする人もいっぱいで、道がなかなか進めない。
恒例の吉田にある造り酒屋・松井酒造さんのお店は今年も健在
残念ながら神蔵の七曜はなかったな。(小売店では買えない飲み屋さんだけでの飲めるやつ)
節分の時だけ開く吉田神道の真骨頂、大元宮
並ぶ日本全国津々浦々の神々にてんでに祈る
ここの景色もワンダーランド、今年もお参りできたことに感謝
大好きな大和国と山城国が別格扱いでならんでいるところもうれしいなあ
今年も厄塚(恒例は、これにさわって祈願する、正面の縄をまいた柱)はさわれなかったが、この一年の無事を祈願しておいた
吉田山からは京洛の夜景が望める。はるか京都タワーも見えるのだ。
夜もふけていく
参拝客はひきもきらず、いつもの夜は人っ子ひとりいない吉田山の喧噪はまだまだ続く
節分の夜23時の火炉祭も今年は人出の多さに遠慮したが、今頃は盛大に大きな炎をあげてお焚き上げがおこなわれているだろう。
一年に二晩限り出現する吉田山ワンダーランド、今年もありがとう!
望鴨舎節分釜〜須賀神社で今年も懸想文2023 - 2023.02.03 Fri
木津宗詮先生の節分釜におよばれ。
徒歩圏内なのでその前にちょっと節分恒例の懸想文をいただきに須賀神社へ。

今年もでておられます、懸想文売りさん。10数年前から変わらない方だわ。
節分の風物詩、この姿を描いた軸を持っているが、今年はこの頃に茶事をしないので、出番なし。
中身は毎年変わって古い干支の男女が新しい年の干支の女男に書いた懸想文のスタイル。今年は寅治郎から卯楽良さん、その前は千牛さんから、、、といった具合。
今年から中身だけとっておこうと思う。12年干支が一周するまで、、、、ってその時の歳を計算したら、うぎゃ〜〜!となった。元気で長生きせな。
さて須賀神社からもほど近い吉田の望鴨舎、木津先生のお稽古場でもある。いつもすてきな隠れ家的場所で茶会をしてくださる宗匠だが、こちらへうかがうのが初めてである。いりくんだ坂や階段をのぼると、まあなんてすてきな仕舞家!
寄付には直斎の宝船画讃、節分だからね。この季節洛中の神社仏閣は一斉に節分限りの宝船図を授与してくれるのだ。そういえば宝船図ルーツの二条天神社の宝船図、ながらく出してないなあ。
お茶室はかなり変則的な造りで、宗匠が有名な数寄屋大工さんと相談しながら普通の和室(六畳間くらいか?)を改修されたものとかで、なんといっても逆勝手向切+向板の風情がこの酷寒の二月にぴったり!裏千家では大炉に匹敵する感じだ。
(茶会後の撮影は許可いただきました)
亭主床、というか点前座の背景に大きな直斎(官休庵七代 江戸中期)の「福内鬼外」(平瀬家旧蔵)がかかり、それに負けてない(^_^;体格の宗匠がお茶を点てる姿は絵になります。点前座正面客付きにりっぱな結び柳がたれるのも風情。
面白いなとおもったのは、流儀なのか、かわいらしいサイズの熨斗台。大仰な熨斗を飾るより小間にとてもにつかわしい感じ。
左下にちら見えるのは貞明皇后拝領の裂の古帛紗。貞明皇后の大宮御所に秋泉亭茶室の設計施工を承ったのが三代宗詮・聿斎(いっさい)なのだ。この功により一代限りの「宗泉」の名を賜ったという。帛紗には皇后のお印のスミレの花が描かれていた。
聿斎といえば、木地の煙草盆セットも好まれて、近代生活になじむよう紙巻き煙草入れにマッチ入れ、灰吹きではなくていわゆる灰皿のセットになっているのが面白かった。
茶碗は、楽からお家元絵付けの茶碗までたくさんでてきて目が回りそう。得入の宝珠黒楽で濃茶いただいた。狂言袴に似た高麗青磁筒がよかったなあ。
茶器は、大綱和尚の歌が書かれている拭き漆の桶、茶杓は南宗寺昭隠和尚「一陽来復」
お菓子は鶴屋さんの「厄払い」で、枡に見立てたういろうに中がきな粉餡で壬生寺(三玄院和尚の筆あり)の焙烙にのせて。俵屋さんの福豆は枡にはいって、それから奥様お手製のお蕎麦をいただいて、鰯にかぶりつき、これでもう、今年の厄落としはコンプリートしました!
若草山・山焼き2023〜西ノ京・大池から、、、不発、、、 - 2023.02.01 Wed

近鉄・西ノ京(薬師寺のあるとこ)から大池をめざして宵の道を歩くと、こんな神社にも行き当たる。天満神社、室町時代の建築物がさりげなくある奈良、、、。
おりからの大雪に京都はたいへんであったが、奈良も若草山の麓が雪化粧していて、直前まで雨も降っていたので、こりゃあ燃えねえなあ、、、なんて思いながらも山焼き撮影スポットへ。
今年はここから見守ります、山焼き。
3年ぶりのフルバージョンでもあったので、山麓で見ようかとも思ったが、もう何回も行っているしここはちょっと河岸を変えよう。
これ、明るい時間帯に2年ほど前に撮った写真。大池の向こうに薬師寺の東塔と西塔が並んで見え、背景が若草山というポイント。
地図でいえばこのあたり、西ノ京駅から歩いて15分ほど。だれもいない道をてくてくあるいたが、現地にたどり着くと、おお!すでに池の柵には鈴なりのカメラマンたちが!
18:15 花火があがる。
今年はフルバージョンだから何百発になるそうだ。
遠いから、打ち上げのドーン!という音は遅れてから聞こえる。山麓で聞いたらさぞや大迫力であろう。
花火の明かりが若草山の燃やす場所を照らす。さあ、どうかな、燃えるかな。
三脚なしの中途半端な望遠ではこれが限界。周りのしろうとカメラマンさん達は三脚はもとよりかなりの装備。
だが、残念な事に、、、というか思った通り今年は雨に濡れた草に火は燃え移らず不発におわった。
待てども待てども山は赤くはならない。