其中庵・鈍翁を茶事に招いたら〜跡見茶事 - 2023.03.28 Tue
裏千家系雑誌「なごみ」の<夢の茶会>シリーズ、「もしも○○を招いたら」という仮想茶会なのであるが、その2月号に其中庵さんが登場。
(なごみ2月号)
鈍翁の「茶狂」の軸を旗印にお茶をされている其中庵さん、よって当然ながら招くのは近代数寄者の雄、益田鈍翁である。
(なごみ2月号)
彼の最後の茶事に招かれたのが、彼に私淑していた実業家・横井夜雨と鈍翁がかわいがった年下の道具商・横山雲泉、彼らを連客にという想定である。
この「茶狂」の軸は雲泉へ茶室の名前として鈍翁より贈られたもの、まさにふさわしい客組なのである。
このたび、取材だけでなく、実際その道具を使って跡見の茶事をしてくれることとなり、喜んで鈍翁の連客となるべく出かける。
待合の軸はもちろん「茶狂」
(それにしても自分が度が外れた茶狂いであるのに、後輩に茶狂いと揶揄するような軸を贈るとは、鈍翁、しゃれがききすぎ〜)
「鷹峯太虚庵」の名前が鋳込まれた鉄瓶。鈍翁は光悦会法人としての初代会長であったから、これも心憎い鉄瓶である。
あいにくの雨であったが、これも春雨、しっとりとした雰囲気をかもしだし、笠、露地下駄を使う。
もうひとつうれしかったのは、10年あまり前に徳川茶会をご一緒いただいたK様ご夫妻と再会し、連客となれたことである。(11年前!だった)
小間据えにした本席で、夕ざりの初座は花、木五倍子(きぶし)に椿、花入れが鈍翁手作りの「萬代(よろづよ)」と銘のついた竹尺八。小田原に住んだ鈍翁が利休をならって小田原の竹で作った、、という感じかしら。
釜はすっかりおなじみの宮嶋釜、家康と神田上水を拓いた大久保主水のエピソードのある釜で、鈍翁が愛蔵していた釜の写し。ベンジャロン焼の香合は其中庵さんがタイでもとめた古いもの、「これに鈍翁の箱があったらな〜。」と無理筋をおっしゃるが、ほんま、そうだったら価値がはねあがりますね。
懐石は蕎麦懐石。
ご飯ではなく蕎麦の替え玉(?)が引重でなんどもでてくる。鴨もでてきて鴨南蛮、最後の〆が湯でなくて蕎麦湯というのもしゃれが効いている。鈍翁もきっと面白がって蕎麦茶事もしたであろう。(と、思ったら鈍翁が喜三郎につくらせた蕎麦懐石皆具をお持ちなんですって!)
お値打ちは酒器、鈍翁お抱えの陶芸職人であった大野鈍阿の三島写し酒器であるが、箱にびっしり鈍翁の解説と謝辞が書かれているもの。
向付は寄せ向こうで、私のは七官青磁の八角皿であった。強肴が乗る蓮弁古染と祥瑞の針木皿が並んででてくるところに眼福を感じる。ついでに南京赤絵と呉須赤絵のそろい踏みも。
「なごみ」に向付として載っていた磬型呉須は強肴の器として。
ふかふかの薯蕷をいただいて中立、後座へ
軸は宋の禅僧・雲耕慧靖、当時中国に留学していた聖一国師(円爾弁円)が日本へ帰国する時の送別の偈。春風にのって帰って行く、、、まさに今の季節。
主茶碗は、何度も拝見してのんでもいる茶碗だが、ここはこれしかない!という鈍阿作、鈍翁の銘「いはほ(巌)」。覚々斎原叟が手尽くねの黒楽「鈍太郎」に似る。鈍太郎を手に入れた鈍翁はこれを鈍阿に何個も写させたという。そのひとつだろうか。
秀次(利休の塗師)の棗を濃茶器に、茶杓がびっくりの丿貫!銘を「落葉」
高原杓庵の絵付き添え状ものちほど拝見。それによると杓庵が知る丿貫の茶杓は3本しかないそうで、そのうちの一本がこれなのね。利休の繊細華奢な茶杓なぞクソ食らえ!とでも言うような対極の茶杓でありました。
薄茶の主茶碗は、鈍翁の30歳も年下の茶友・横山雲泉が還暦の記念に作った伊賀の茶碗に、最晩年の鈍翁が「若かへり(若返り)」と銘をつけたもの。
茶狂の軸とともに鈍翁と雲泉の間にあった深い交流に思いを馳せてみる。(そういえば其中庵さんのお茶の親友K氏も鈍翁・雲泉ゆかりの香合をお持ちだった。)
しかし、いい年をした男達がこれほど命がけの情熱をかけて、お茶にのめりこみ遊ぶことができた時代はなんと幸せな時代であったのだろうか。ひたすらうらやましい。
かくして鈍翁と雲泉が客である茶事の末席も末席につらねていただいた如き茶事はお開きとなった。
<おまけ>

この席にてジャワ更紗二枚をはぎ合わせて作ってもらった帯、デビュー。