信楽の春を遊ぶ茶事 - 2023.03.29 Wed
京洛の桜は満開でも信楽の里はまだまだであった。
いつもおなじみ、まさんど窯へ行く途中に信楽の作家・保庭楽入さんの壺中庵がある。
楽入さんの工房でもあれば、茶事や作陶体験、お茶のお稽古、その上宿泊もできるという施設である。
古いお家にリノベーションを良い感じにされていて、まずこのナグリの床に感動。こんな広い面積のナグリって初めて見た。
寄付の座敷には楽入さんのお母上のものだという立派なお雛様が。お雛さまは恥ずかしいのか扇でお顔をちょっと隠しておられる。
この壺中庵を借り切って、ついでに楽入さんの信楽焼の作品も借りてお茶事をしようと茶友のIMさんがお誘いくださった。ありがたい限りである。
全員顔見知りの連客様方は、古典文学者、陶芸家、道具商、茶道学園出身のお茶の先生、、、と錚錚たる面面。みなさんお茶はいうに及ばず、多方面に一家言をお持ちのクセのある方々、もうにぎやかで厳しいことも言うが笑いが絶えない席となった。
ちなみに腰掛け待合の足下の石も信楽の陶板なんである。
二畳台目の小間の席は50年位前に楽入さんの先代が建てられたものだという。
軸は大徳寺管長をつとめられた高田明浦師の「花無心招蝶(花無心にして蝶を招く)」一文字が蝶の文様。
楽入さんは表千家堀之内長生庵でお茶をされているが、待合にあった色紙「桃花灼々 水潺々」が久田宗匠だったのでお聞きすると楽入さんは堀之内、奥様が久田半床庵で学ばれているとか。
さて、ご亭主の炭手前
一見瓢にみえるが実は信楽焼(軽い)という珍しいものを使われた。
香合がお雛様らしく三重の菱形だな、、、と思ったら三階菱・阿波の三好長慶(実は信長以前に天下をほぼとった人)の紋であった。ご亭主のIMさんが阿波ご出身のゆかりで。しかも大徳寺の聚光院は長慶の菩提寺、花押が現在の聚光院の虎洞和尚。
懐石は広間の立礼席に場をうつして。
楽入さんの奥様とお嬢様のお手製。この四つ碗も驚くなかれ陶器なのだ。
杯台にのった盃まで信楽焼!
お酒もたくさん用意していただき、車の私にはシャルドネのノンアルをご準備くださるとはなんというお心使い。
煮物椀が(さすがにこれは漆器だった)お雛様仕様で、ピンクと緑に着色した大根の菱餅型が心憎い。
懐石では途中で「どうぞお持ちだしを」と、亭主にも同席をもとめるのだが、ほぼ形式で、たいがい水屋で相伴いたしますとことわるのだが、IMさん、ちゃんと言われたら膳をお持ちだし、立礼席をテーブルにお召し上がり、なんだかとても新鮮。
でました!これまた信楽焼の八寸!
遠目には焼き物に見えなくて、こんな形の焼き物って作るの難しいのではとびっくり。しかも薄くて軽い。
お菓子も楽入さんの奥様お手製、ひっちぎり。
後座
信楽といえば一つはほしい蹲(うずくまる)の花器に椿、クロモジ。
席からはちょうど目の前に庭の沈丁花が見えた。

水指はやっぱり信楽の迫力ある大きな筒型。
うるさく圧をかける客(^_^;に対し淡々と黙々とお点前を続けられるご亭主。濃茶美味しかったです。
主茶碗は弘入赤「滋賀里」、場所柄ぴったり。
茶入の銘が「三上山」と聞いてジーンときた。琵琶湖沿岸を走っていると目に飛び込んでくる美しい円錐形の三上山、別名も近江富士、あれが見えるとほっとするから、三上山は特別な山なんである。仕覆が木綿の唐桟というところも渋い。
茶杓は聚光院先代・寛海和尚の「都の春」
薄茶はさきほどの立礼席にて室礼をがらっとかえておしゃれである。
干菓子1
富山の銘菓「月世界」を壺中庵用にアレンジした<紫香楽宮礎>
干菓子2
壺中庵でも求められる手裏剣クッキー(バターなしなのであっさりといくらでも食べられる)と兵糧丸。なんといってもここは伊賀の里ですから。
薄茶の茶碗はIMさんの所有のもの、楽入さんのもの、いろいろ取り混ぜて楽しく。信楽って焼締めのイメージしかないが、きれいな絵付けの京焼風のものもある。こちらでは主に奥様が絵付けをされているそうだ。
茶杓が聚光院・利休の墓所近くの沙羅双樹の木で作った「雪月花」、これも驚きである。
茶事のあとはギャラリーにて楽入さんの作品を見ながら、珈琲などもいただける。
ご亭主のIMさんは前日こちらでお泊まりもされたそうで、いちどゆっくり泊まりがけで夜咄などもしたいなあ、という話にもなった。車で京都からなら1時間もあれば来ることができるので便利だし。
(ただし帰り道高速大渋滞、桜の季節だからねえ、、、)
お土産に、とご連客様の著書をいただき、さっそく署名をしていただいた。
これだけ多彩で多才な方々を一堂に会させるのは、やはりご亭主の人徳ですねえ。ありがとうございました。