雨の北野天満宮〜平野神社界隈 - 2023.04.30 Sun

25日は北野天満宮の天神市であるが、朝からの本格的な雨と遅がけだったので、多くの店は早店じまいをしていた。
この市で私が買う物はいつも「苔」である。なんとか買えてよかった。この小さい籠3つでだいたい大きな籠一つ分、それが1500円で買えるのでかなりお得〜。露地の苔がいたんだところをいれかえるのである。苔のお守りもけっこう大変なのよ。
上七軒の老松さんに寄って、この本店でしか買えない「大和橘」を買う。
今、奈良ではこの日本最古の柑橘といわれる橘を栽培するなら橘プロジェクトがたちあがっている。なにしろほぼ絶滅危惧種という貴重な柑橘、古代の田道間守の非時香菓(ときじくのかくのこのみ)の伝説もゆかしい、その貴重な大和橘のお菓子である。砂糖漬けの橘の中に餅を仕込んだ甘くてほろ苦くて柑橘のすっぱさ、けっこうやみつきになる。
同じくもう日本で栽培しているところが限られている夏みかんの寒天菓子・夏柑糖も一緒に。
そのすぐ近くに25日の天神さんのときだけ出店されるやなぎのにわ京和菓子さんへ。いつもは盛況で遠慮していたが、こんな雨に日にはスムーズに入店。
肌寒いので、善哉か寒天か、、、で悩むも黒蜜寒天に。ここの小豆餡は絶品だな。白玉も美味しかった!
天神さんを北にぬけると桜の名所・平野神社である。今年の桜が早すぎて、ここまで桜見に来る余裕がなかったな、、、と思いつつ境内に入ると、、
おお!境内一杯にそこここに群れる鳶尾。
(白いのはシャクナゲ)
読めるかえ?これ。
イチハツ、、なんである。
トンビの尾とはよく言ったモノだ、、、ってトンビの尾ってどんなだっけ???(^_^;
上御霊神社をうめつくす鳶尾が有名だが、平野神社は桜だけではなかったのね。

イチハツの花咲き出でてわが目には 今年ばかりの春行かんとす
35歳でなくなった正岡子規の自分の寿命を悟ったような有名な句を思い出す。
多種の桜があるここだけあって、今でもまだ頑張って花を咲かせている桜もあった。雨にぬれてうつむく美女の風情にて。
境内の奥には緑深い中にたたずむお稲荷さんや、小さな池もあり、アヤメ、シャクナゲ、山吹など季節の花が咲く。そういえばこの近くの速水流のお家元も、こちらで花をもらうことがあるとおっしゃてたなあ。
むせかえるような芳香を放つコデマリも花盛り。
薬師寺東塔落慶法要 - 2023.04.27 Thu
国宝・薬師寺東塔(白鳳時代)が10年にわたる史上最大の改修修理修復に入ったのは平成21年、まだ京都に移住する前だった。10年もかかると聞いて、長らくこの姿をみられないのが残念に思うとともに、10年先、自分ははどうなっているだろう??と思っていたあの頃。年月はあっという間に流れ、♪あの頃の未来に僕らはたっているのかな〜(^_^;、、、で、3年前、覆屋の取れたばかりの東塔を見に行った。
フェノロサが「凍れる音楽」と讃えた、というその姿は健在であった。それを記念しての落慶法要、あべのハルカスでの薬師寺展(チケット買った)がおこなわれるはずだったが、コロナですべて流れてしまった。

そして3年、ついに落慶法要の晴れの日を迎える東塔。
2000人規模の法要を5日間、の大きな法要となる。
晴れの日、水煙の上に五色の吹き流しがおどる。なにやら塔も誇らしげだ。
整然と並べられた椅子、この日は気温こそ22度くらいだったが、じっと屋外にいるとじりじり暑い。
10時半からの法要に2時間前に行ったにもかかわらず、開門前にすでに行列ができている。みなさん、熱心な信者だ。(私の信仰心はちょっとあやしいのだが)
かくの如く、スタッフさんもご案内のお坊さんたちも手ぬぐいに麦わら帽子着用、熱中症対策をしてはった。
しかもお持ち帰りの記念品がはいった紙袋には薬師寺ウォーターまではいっていて、参会客が熱中症で倒れないように、とのお心使い。「はい、ここでみなさん、お水を飲んでください!」という親切な指示まで(^_^;
さらなる対策としてやはり紙袋にはいっていた水煙モチーフの手ぬぐい、、、
これを半ば強制的に全員頭にかぶる(^_^; なんだかアヤシイ新興宗教みたいに見えるな。
私は黒っぽい服をきていったものだから、焦げるかと思うくらい暑かったが、これで大分ましに。白は太陽光線を反射しやすいという小学校の時の理科の実験(虫眼鏡で太陽光に焦点を結ばせると黒い紙の方が白よりはやく燃えるという、、)を思い出したりして。
さらに入ってたのは「開眼筆」
東塔におさめられたご本尊(釈迦四相像・中村晋也作)の開眼の儀をされるのだが、その時思いだけでも一緒に、とみんなで筆を突き出す、というイベント(?)
これはその予行演習(^_^;
会奉行の大谷師の人の心をそらさない、面白おかしい説明と解説で、みんなで「南無釈迦牟尼仏〜!」を唱えながら筆を突き出している練習風景。筆の角度やらもお手本を見せるという念の入れよう。
(法会に参列されるお坊さんたちの晴れの履き物)
太陽光にさらされながら、日焼け止めを塗りながら待つこと約一時間。
昭和56年、高田好胤師の写経勧進にて再建された西塔の水煙にも吹き流しがひるがえるのを眺めたりしているうちに南都楽所の楽人達入場。
その楽の音にあわせて舞楽・振鉾(えんぶ)が会場を祓い清める舞を。まずは赤袍の左方。
ついで緑袍の右方。
(つがい舞で左方は大陸系、右方は高麗系といわれる)
柄香炉を捧げ持つお坊さん達の袈裟もこの法会のために誂えた草木染めのものだという。
式衆は薬師寺のみならず末寺の方々もおられ、尼さんもおられてたいそうな人数であった。
ついで音楽にあわせて三重塔の全層の扉を一度に開くという開扉の儀、これ前の方に陣取ったので、かえって見えにくかった。しかし二層目三層目の扉が開くのは初めて見た。
加藤朝胤管主のご登壇、右手のおつきの僧が持っているのがかの開眼筆。
開眼之儀、もちろん参会者もさきほどの練習のように「南無釈迦牟尼仏〜!」と唱えながら参加しましたよ。
これが後ほど拝見したその筆
右下に、高田好胤師のご遺影が飾られていたのに気づかず、惜しいことをした。
散華
この散華のシャワーは、極楽浄土もかくや、とばかり、風にひらひら舞っていっそう場を晴れやかにする。ほんま、この散華って好き。なんとか一枚ゲット。
その間に舞台右では武者小路千家家元による献茶(日替わりで五流派の家元が奉仕される豪華さ)
左では御家流香道宗家三条西宗匠の献香(こちらも五流派日替わり)
三条西家だけあって衣冠束帯のお姿。
この日の祝辞は東大寺別当橋村猊下であった。
この祝辞も日替わりなのだが、南都五山のトップの呼称が、それぞれ違うのな。
式衆退堂、これを先導する会奉行はzoomの講座でおなじみ、先だって花会式の咒師でもあった高次師。
続いて観世流能奉納(奈良と言えば能の発祥の地ですからね)
この日の演目は「羽衣」キリ、最近習ったところなので、謡いもちょっと謡えたりするので尚うれしい。
参会者には東塔におさめられた釈迦四相像の作者の中村氏(御年97歳!)と松久保秀胤長老(95歳!)もいらして、なにやら拝みたくなるありがたさ。
法要が終わっていよいよ東塔内参拝、2000人もの人でありながら、順番に誘導していただいて混乱もなく。
入り口から中をのぞいて拝見したことはあるが、中へ入れたのは初めてではなかろうか。今回心柱の空洞部分を補足した木は浜松の樹齢400年の檜だという。1300年+400年、気が遠くなるような年月、そしてわれわれがみなこの世を去ってもさらに1000年以上も立ち続けますように、と祈った。
天武帝が妃・鸕野讃良(後の持統帝)の病気快癒を祈って建てられし、み寺の塔、凍れる音楽、そして塔の上なるひとひらの雲(佐々木信綱)、、の東塔である。
明治5年の東塔の写真を見ると傷みが激しく痛々しい姿であったが、ここまでかつての姿(であろう)を取り戻せたのは、長い年月をかけて守り修復してきた薬師寺さん、写経勧請その他で支えてこられた信心篤い善男善女のみなさんのお力のたまもの。
ちなみに新しくおさめられたご本尊釈迦四相(ブロンズ製)は<入胎><受生><受楽><苦行>である。釈迦が誕生して王子の時代を経て、悟りをひらくための修行にはいるまで。そののちの<成道><転宝輪><涅槃><分舎利>は西塔へ。
薬師寺を辞して向かったのは、、、
ここから徒歩15分くらいのところにある大池である。(今年の山焼きはここでスタンバイしたが、雨で燃えなかった(^_^;)
若草山を背景に東西両塔に五色の吹き流しがたなびく姿の遠景をこの目におさめたくて。
(間に小さく、まもなく覆屋に覆われ修復にはいる興福寺の五重塔、見えますか?)
帰って見た豪華記念品の数々。本来ならばお弁当をだすところ、コロナゆえ是非これを、と管長さんが企画したお赤飯のパック、2つも〜!早速レンチンして薬師味噌でいただく。美味しい〜。
唯識は難しくて理解しがたいが、ぼつぼつ読もう。緑色のはゲットした散華。
野も山もなべて花咲くこの頃は、、、今期炉最後の茶事 - 2023.04.25 Tue

二月堂と薬師寺の修二会の産物にて呪術的?コーナーを作ってしまった寄付、堂本印象の柳と燕。そういえばもう燕の姿を見たな。早い。
先日もとめた菊池克さんの千手観音の一手を筆架に。
この前まで敗荷(枯れ蓮葉)を入れていたが、もうバンダジの上は青楓
四月だけれど緑陰の候と言っていい?いい?
メンテに日々苦労している成果はあったろうか。(常緑樹の落葉がもうた〜いへん!)
先日大覚寺舟遊び茶会のお客様と水屋さんがきてくださったので、ちょっとだけ跡見的道具組にしてみた。
昨日までつぼみだったのよ〜(T-T) 朝起きたらしっかり開花してしまったアヤメ。ちょっとイメージが狂った、、、。
待合に「野も山もなべて花咲くこの頃は 宿におかれぬわが心かな」を掛けたので、この「花」は本来桜かもしれないが、急にあちこちに咲き出した春〜初夏の花々と毎年思っている。もう一つのテーマは花盛り。
汁も少し合わせ味噌
季節は確実に動いていく。
席中に長くはとどまれないが、三人様でお話がすごくはずんでいるご様子、ほとんど初対面の組み合わせなのに、お茶という共通言語おそるべし。
八寸は寄付の柳と燕が飛んできた、、、ということで(ちなみに燕は黒漆なのでこの角度からは見えませぬ)
主菓子は毎度毎度お世話になっているみのり菓子さんの。吉野山の桜を思わせる桜色グラデーションの関東風桜餅風の皮に、ラズベリー餡と白餡の二種。華やかで美味しい。銘を「なべて花咲くこのころは」にした。
後座の直前に掛け物の紐が切れて落下!!のアクシデント。かなり古くて弱ってたからね。畳紙の紐を結びつけてなんとか。まあ、色々あるわ。ちなみにこの軸も桜川の支流<みなのがわ>が読み込まれた歌で、先だっての舟遊び茶会濃茶席のテーマの跡を。
もう中立は手燭不要、後座もはじめの方は蝋燭がいらないほどの季節だ。
濃茶の茶碗も舟遊びで使った高麗をヘビーユーズ。
干菓子は「桜川」と「花盛り」を両方もってきた。華やかなお客様にあわせて蒔絵の箪笥で。
薄茶の棗も茶碗もみんな「水」にちなむ京焼シリーズ、茶杓の銘が「舟遊」、この銘のために求めたようなもの(*^_^*)
楽しい内に一会はお開き。
ついこの前炉開きしたような気がするのに、もうお別れ、この半年、よく稼働したこと。お疲れ様〜。
<おまけ>
翌日早速閉炉
これだけ灰が入っていたのね〜。
四頭式茶礼2023〜10年ぶり〜建仁寺 - 2023.04.23 Sun

コロナで4年ばかり休止されていた建仁寺の四頭茶礼(よつがしらされい)、今年は開催。いままで2回参加したこととがあるが、何年前だったかな〜と調べてみたら10年前だった。券をとるのが結構大変だったのでここ数年、なんとなくスルーしていたが、なんとなく久々に行きたくなった。
建仁寺境内は牡丹がすでに盛りを少し過ぎているところ。
臨済禅の本拠地に艶っぽい牡丹があるのもまた一興。
建仁寺の生け垣はほぼすべて茶の木である。4月と言うにもう茶摘みをしてもいいくらいの若芽がでそろっている。そう、ここを興した栄西禅師は中国から禅宗とともに茶の種を持ち帰ったのである。(「鎌倉殿の13人」の時代な)
禅師の生誕日4月20日にその徳をたたえて毎年行われている四頭茶礼は、彼が持ち帰った中国の禅宗寺院での茶礼様式を伝えるもので、お茶の歴史を勉強していると必ずでてくる。
(○△□の庭 緑が美しい)
朝9時開始だが、そこは茶人のたしなみ?(病気とも言う)1時間早く行ったにもかかわらずすでに7席目であった(゚Д゚) みなさま一体何時にお出ましだったのかしら?
というわけで副席周りを先にしたのだが、まずは本命四頭茶礼について。
待合でビデオで次第を解説、、、も時代か?
(これは11年前に撮った画像)
本来は頭四人にお供がそれぞれ8人で36人でおこなっていたが、コロナのためか今年はお供6人の28人が一席、しかも今年はじめて椅子を導入されたとか。
番号で席が決まる。四組に並んで待っているところ。
終了後撮影OK。
正面の栄西禅師の頂相と龍虎図、その前には大きな香炉がおかれて、侍香の僧により香が焚かれ座を浄める所作。
それぞれの組にそれぞれ一人、計4人の僧が菓子の入った縁高(ピリ辛こんにゃくと紅白の紋菓子)と天目台と茶碗を大きな盆を抱えるようにして出す。ついで浄瓶(じんびん)の口に茶筅を刺して登場、頭には胡跪で、お相伴には立ったまま中腰で湯を注いで茶筅で点てる。その間じっと天目台を捧げ持っていないといけないのだ。
4人がそれぞれきびきびと規則にのっとた無駄のない動きで、見ていて気持ちが良い。大きな盆を抱える所作もかっこいい。10年前は若くてイケメンばかりわざわざそろえたか?と思ったが、10年たつとみなさんそれなりに貫禄がついてはるわね(^_^;
頭が座る椅子だけに座牌という敷物。10年前は頭に当たったので、これを折りたたむ所作などさせてもらった。
何席あるのか、次々と次の席の準備準備。修行中のお坊さんは忙しい。
前は塔頭の禅居庵で点心いただいたが、今回は建仁寺の庭園を眺めながらの食事でこれはとてもうれしい。朝一の法要で、建仁寺派のお坊さん達が全国からおいでなので、そのお姿もちらほら。
塔頭の久昌院では、裏千家の副席・K先生ご社中。お点前も点て出しさんも全員男子。
「一花開天下春」は圓能斎の軸、花が雪持草で、今年はじめて出会えた。
一席かなりぎゅうぎゅうに詰め込まれてお点前は全く見えず。ああ、コロナ前がもどってきたな〜という感慨。
霊洞院の表千家・堀内長生庵席はすでに風炉。マイセンの水指は先だって天龍寺のお席でもでていた。軸が建仁寺管長の「茶養生仙薬延齢妙術」、栄西禅師の「喫茶養生記」の冒頭である。
こちらの浮島のお菓子は以前もいただいた記憶がある。銘を「柳絮」
楠部彌弌のお茶碗が印象的。笠や振り分け荷物、杖などの旅支度の絵付けであった。
両足院の煎茶席は花月菴流。
この両足院は建仁寺では一番よく行っている塔頭ではなかろうか。半夏生の季節のみならず、いろんなイベントの会場になっているから。
池の向こうの茶室・水月亭、臨池亭でも何回か茶席に入ったこともある。
こちらの待ち時間はゆっくり庭園を楽しむことができた。
本日ピカイチのお菓子。蕎麦饅頭なのだが、茶の実の形!秋には建仁寺の境内で一杯拾える茶の実、それを思い出したわ。
それから祇園辻利さんが野点風に出してはる番茶席で番茶をよばれ、ああ、茶摘みまた行きたい、、と茶摘み娘姿をみて思う。
駆け足であったが、なかなか楽しい半日を過ごさせてもらった。
帯は建仁寺に敬意を表して「風神雷神図」(建仁寺は俵屋宗達のを所有されている)
日タイ友好〜タイ尽くし茶会 〜東京国立博物館茶室 - 2023.04.21 Fri

久々の東京は上野の東京国立博物館!さすがに前回コロナ中に来た時を思えば上野動物園もあるし人の姿が多くなった。ただし、、本格的な雨である。着物はさることながら足下の足袋が足袋が、、、と言いつつ正門から左へ、西門の茶室エリアへ歩く。ちょっと柵を越えたらすぐの場所なのに、ぐるっとまわらんといかんのは、雨の日にはツライ。
しかしおかげで国博には何度も来ているにもかかわらず知らなかった景色がみられたのはうれしい。これは黒田清輝の作品をおさめる黒田記念館。昭和初期の建物らしい。
そのお隣の国立国会図書館国際子ども図書館。へ〜こんなところにあったのか。しかもこの裏手が東京芸大だなんて、知らなかった。まだまだ奥深い上野エリア!
さて、本日は東京の茶友のKさんにお誘いいただいて、「日タイ友好・タイ尽くし茶会」へ。
この国博の裏手の庭園内にある茶室を使っての開催、これもうれしい。
受付と点心席が平成館だったのだが、このタイのテキスタイルを見ただけでもうタイ気分はもりあがる。
大学時代同級生がタイからの留学生で、そのゆかりでタイには3度行ったし、個人のお宅にも招かれるという良い経験をさせてもらったので、タイという国にはとてもなじみがある。
(象のチャームは記念品)
主宰は裏千家淡交会バンコク協会、コロナで3年延期されて、本日やっとの開催。主幹をつとめられた方のお名前から、タイに嫁がれた方なのであろう。大宗匠やお家元などは節目にタイへいかれて献茶などされているので、交流も深く、この日は100歳を迎えられた大宗匠のご臨席もあったという。(素直にすごいな)
席までかなり時間があったので、またぐるっと雨の中を正門までまわって「東福寺展」を見る。
なんでわざわざ東京来てまで東福寺やねん、と突っ込みたいところだが、京都だとかえって行かなさそうなので、これはこれでよい勉強の機会となった。開山の聖一国師・円爾弁円について復習復習。
今回吉山明兆(きっさんみんちょう)という室町時代の東福寺の画僧を知ることができたのは収穫。日本の漫画の原点は実はここ?というような五百羅漢図シリーズにはくすっと笑わせてもらった。
いよいよ国博庭園内の五棟の茶室の内の応挙館へ。もとは寛保年間の寺院の書院であったが、後に鈍翁が自分とこへ移築した建物。18畳の大書院の床の間に応挙の絵が残る(現在はレプリカにさしかえ)。
こちらの席は<ラタナコーシン王朝席>
ラタナコーシンは現在のタイの王朝である。現王朝開始(18世紀)からのタイと言えばこれ!のベンジャロン焼をテーマに。水指、建水、茶碗ほとんどがベンジャロン。ベンジャロン=五彩という華やかで細密な焼き物で、金彩たっぷりのイメージだったが、18世紀ごろのベンジャロンは金彩少なく、赤などかなり渋い赤で、茶道具として違和感がない。いただいた茶碗は文様が”ラーチャプルック”(golden shower)という金色の小さな花がシャワーのように降り注ぐタイの国花。ほとんど京焼にしか見えないところに日タイの交流を感じる。
お菓子がタイの伝統菓子・フォイトーンというほとんど鶏卵素麺!で面白かった。
お席主はタイに滞在すること17年だそうで、タイの伝統文化を深く体得されておられるのであろう。
棗がチェンマイ塗りで、チェンマイには(タイの京都的ポジション)2回行ったことがあり、その名前の響きが懐かしかった。
もう一席が九条館
ここは御所にある拾翠亭のそばに本来あった九条邸の一部を移築したもの。ここは来たことがある。10年以上昔にここで古筆の会があったのだ。なんだか懐かしいなあ。
こちらの席は<スコータイ王朝席>
スコータイは13世紀に成立したタイ族初の王朝、(それ以前はカンボジアのクメール人支配)この時代を代表する焼物はなんといっても茶人大好き宋胡録である。(現地ではサワンカローク)
有名な鉄絵のみならず、宋胡録は青磁も作っていたのだが、水指がその堂々たる青磁ですばらしかった。香合は宋胡録と言えばこれ!の柿(ほんとはマンゴスチン)やっぱり宋胡録は好きだわ。
主茶碗は明らかに磁州窯の影響をうけたとおぼしき鉄絵(14世紀)で中に法輪紋。お菓子の銘々皿が現代のタイの陶芸家さんの作品で唐津っぽいのが面白かった。お菓子は練切なのだが、上に細かい黄色のきんとん、これが先ほどのラーチャプルック、黄金の花を表していたのが美しい。
面白かったのが煙草盆セットの銀製ビンロウ入れ。ビンロウは東南アジアではかみ煙草のような嗜好品。これは向こうで暮らした人しか思いつかないアイデアだ。
最後にタイに行ったのはもう数十年も昔になる。
その懐かしい思い出と宋胡録愛に満たされた茶会であった。おさそいくださったK様、ありがとうね〜。
千手悲願〜菊池克・陶迦葉 - 2023.04.20 Thu
九州は仏の国・国東半島の陶迦葉・菊池克さんの作品は好きで以前からちょこちょこ求めていた。前回下鴨・川口美術の個展の際、筆架にぴったりな仏手を求めたのだが、なんと今回、ほぼすべて、仏手!という壮観な展示の個展となった。
(川口美術での展示のようすはコチラ)

「千手悲願」
(篆刻家・稲垣華扇のゴム判子)
千手千眼観世音菩薩手
「菩薩手を1000手作る」そんな思いに菊池さんが突き動かされて仏手を作り始めたのは、国分寺はじめ奈良時代からの古刹が散在する国東半島と無関係ではないと思った。(国東は学生の頃何回も旅した場所なのだ)
そして最初の100手が川口美術にそろった。私が求めたのは七拾参番(No.73)
1000手までいくにはどれほどかかるのかしらと思いながらもその時には、二桁のを持っている、と自慢できそうな。
入っていた小さなリーフレットを開くと、、
千の手を悩み苦しむ人々に差し伸べ掌の目でもれなく衆生を見守る千手千眼観世音菩薩
(慈眼視衆生 福寿海無量 是故応頂来 「観音経」より)
右手は以前もとめたもの、新しく求めたのが左、掌にこちらだけ眼がある。
半分かくれ申し訳ないがそれを入れる桐箱に推されている印は「菩薩手」、これも篆刻家・小朴圃の作。
左手はいろんなバリエーションの中から、筆のおさまりがいいのを選んだ。
桃の小硯も菊池さんの作品
そして現在はかくの如く筆硯台の上におさまられたのである。
何年かかるかわからねど、無事千手を完成されますようお祈り申し上げる。南無観世音菩薩。
春の宵の茶の宴〜一刻値千金 - 2023.04.18 Tue
2月にT蔭席で釜をかけられたNJ様、祇園大茶会はじめ、いつもお世話になっております。
その席にうかがえなかったので、跡見してください、とダメ元で言ったら、なんとこの春の宵に跡見の席をもうけてくださった。

場所は紫野TT舎、宵ゆえ電灯のないここは灯火器が充実していて、それもうれしい。
ご連客を待つ間の座敷、NJ様と雑談、、、もとい、清談をしていると、、、
よい感じに暮れてきた。
うるわし、うつくし、春の宵の景色、ここで宴とお茶の席、なんとありがたいことか。
T蔭席の持ち帰り点心とおなじ辻留さんの点心だが、、、
なんと床に飾っていた江戸時代の蒔絵花見弁当セットから中身が出てきた!なんと風流な。
この蒔絵弁当セットはあちこちで見て、自分も一つもっているが、こんな風に本来の使い方をされているのを見たのは初めて!
T蔭席の跡見として、待合には三藐院の渡唐天神、本席には江月和尚の横一文字。
本来の二月の席ではこれに北野天満宮の紅白の梅を入れられたそうだ。
3年前にコロナで中止になった席で、本来なら丑年だったので、牛の古染(呉須?)香合、、、であったが、天神さんのお使いが牛なので、これも今年でOK。
芦屋の古釜、菊置上炉縁、芋頭古染付水指、いずれもさすがに揺るぎなく。
今回ご連客に、お茶をやっている方なら、「ああ」とすぐわかるお家の、ご襲名がまだ記憶にあたらしい職方の方が。ご一緒できる機会はもう二度と無いと思われ、ちょっとつっこんだ話などもお聞きする。
話し方は朴訥でありながら本職のはなしになると饒舌に、熱く、この方はほんとうの職人さんなのだなあ、と思った。また普通では聞けない裏の苦労話、ご先代の現在、などもお聞きできてほんまうれしい。NJ様、感謝!
ちなみに画像にちらっと見える12段重ねの杯、実際使ったが、一番大きいのは一升はいるのだそうだ(゚Д゚)
最後はTT舎といえばこの方、M様の美しいお点前でお茶をいただく。
一入の黒、呉器、黒織部、裏の金繕いがびっくりの海老!の伊部、NJ様自称お友達(^_^;の土岐二三(とき・じさん)さん(NJ様の愛称?はにいさんなので二三)や、渋く杉木普斎さんや沢庵さんのお道具の数々。棗は原叟の「昔語(話?)」
重厚でいて洒脱な道具組、これが本来のT蔭席のありかただなあ、、と感心した次第。
かくして値千金の春宵は更け、お開きとなった。NJ様との長きにわたる御縁に感謝。
御所の里桜花盛り2023 - 2023.04.17 Mon

あまりに早く緑陰の候となってしまった御所である。
梅の花も桃の花も過ぎ去ってすっかり緑。
ソメイヨシノやしだれ桜、山桜がおわっていよいよ里桜の季節になる。
出水の小川から南にかけて種々の里桜、主に八重系がゴージャスな花を咲かせる。
例年は4月も20日を過ぎた当たりだったと思ったが、今年はやはり早い。
近衛の糸桜や出水の糸桜、ソメイヨシノを御所に見に来る人は多いが、里桜の頃にはそれほどでもないのが狙い目なのだが、、、
外国人観光客の姿が今年はやたらと多い。普段は近隣の人が散策に来るぐらいだが、この日は居心地の良いベンチやテーブル、ほぼ占拠されてしまっていた。
一般的に八重系は背が低く枝が地面近くまでしだれている木が多い。
なので花の枝のトンネルをくぐる楽しみがある。
あちらをくぐり
こちらをくぐり
ああ、この下で寝転がりたい、、、
端正な美人がおしよせるような感じのソメイヨシノも
淡いパステルの山桜も美しいが、
この里桜の圧倒的重量でせまる美しさも捨てがたいのだ。
三月から始まった桜の季節もいよいよフィナーレ、これだけ長く楽しめる桜の季節がある国を愛さずにはいられない。
なので桜の木の下で、、、
やっぱり茶籠
今年の桜に一服献上
銀月サロン〜桜茶会2023 - 2023.04.15 Sat
北白川疏水畔の銀月アパートメント
ここでの銀月サロン・桜茶会は2年ぶりだ。(コロナで中止)

大覚寺舟遊び茶会が終わるまで、気持ちのゆとりがなかったので、最終日になんとか滑り込んだが、アパートメントの前の桜はほとんど葉桜。
それでもなんとか部屋の中をほんのり桜色に染めるだけの花はがんばってくれていた。花が盛りの頃のこの部屋は、ほんとうに桜色になってそれは美しい空間になるのだ。
テーブルには水に浮かべた桜の花と葉。
本日のウェルカムティーは銀月ジャスミンスパークリング
上質のジャスミンティーを濃く入れて炭酸水と冷やす。ボトルにいれるとおしゃれだ。
プチプチ泡がはじけてジャスミンティーの香りもはじける。グラスも桜色
本日お茶と楽しむドルチェは、大好きな棗のお菓子(ドライ+フライ)と、台南の玉井(Yujing)ドライ芒果(マンゴー)。玉井はマンゴーの名産地で今が旬、フレッシュなマンゴーをドライにすると甘みがぎゅっと濃縮されて、かめばかむほど美味しい。
菓子をつまみながら次なるお茶、台湾峨眉・東方美人茶を。一煎目、金色の色が美しい。(中国にも四川省に峨眉山の地名はあるが、台湾とは別、蛾眉郷)
ここで蛾眉に定住した客家(はっか)の話を聞く。古くは中原(黄河流域)にルーツを持つ客家(原則漢民族)は独自の言語を持ち、戦乱などを避けて南下、定住をくりかえし、その南東の果てが台湾の蛾眉あたりなのだそうだ。
東方美人茶はウンカに茶葉を噛ませることで有名なお茶だ。とにかく香りがすざまじくいい。
先日NHKの番組で見たが植物が虫などの攻撃をうけると、特殊撮影で何かの物質がその場所にうわ〜っと集まってくる映像を見た。多分東方美人のうまみもそうなんだろう。
次のお茶は台湾、文山包種
烏龍茶の中で一番発酵度の低いお茶で、日本の緑茶に近い。
茶葉はどことなく煎茶っぽいし、入れた茶の色もほとんど緑茶煎茶なので、ついそのつもりで飲むと衝撃が走る。全然別物なのだ。まさに烏龍茶、ちょっと発酵がはいるだけでどうしてこんなに違うのか不思議〜。
客同士でお互いに何煎もいれあいっこしている間にお待ちかね、点心登場。
ドライトマトを使ったシュウマイがもう美味しいのなんの。ドライトマト、自分で作ろうと心に決める。あとワカメと新タマネギと塩だけで味付けした粥がまた美味しくて。新タマの甘みがくせになる。(すぐ家でまねしてみた)
最後のお茶はこれも台湾凍頂烏龍茶
これはもう、安定の香りと美味しさ、そして杯の残り香がうっとりさせる。
これにあわせるお菓子がイチゴパウンドケーキ
大阪天満のPâtisserie Ravi,e relierので、この日最終日だったので、残りの一本全部をいただく、というラッキーな日であった。
お茶はコロナ前のがまだ残っていて、只今熟成中?なので、お土産は迷わず大好きな棗のお菓子を買って帰る。
桜がちょっと寂しいから、2年前の桜の銀月サロンの画像貼っておくね。
大覚寺舟遊び茶会again〜5年ぶり - 2023.04.12 Wed
大覚寺望雲亭にて舟遊び茶会をしたのはなんと5年も前!だった。あれは秋だったので、大沢池畔の桜がきれいと聞いて、今度は春にしよう、と計画してお客さん募集までしたのが3年前、あえなくコロナで中止に追い込まれた。

そう、あれから3年、満を持して?ようやく開催の運びとなった。
望雲亭は小間、広間いくつか、八畳のお稽古用茶席3席(多分)を擁する眺望抜群のお茶の施設で、月釜も隔月ひらかれているのだが、せっかく整備した小間を使う人がいなくて、5年前、光栄にも私にお声がけいただき初使いさせていただいた。
今回は前と少し趣向を変えて
小間→濃茶
舟上→薄茶
大広間→煎茶 +持ち帰り点心
待合の広間はこの大沢池を見るベストポジション(宝塔が池越しに見える)、ここを待合に。
諫山宝樹画伯(売り出し中の日本画家お友達♪)に描いてもらった謡曲「桜川」の名場面を掛け物に。(桜川でシテが網で桜の花びらをすくっているところ)
<謡曲桜川>
日向国の貧しい母子、母を楽させようと子供の桜子は人買いに自分の身を売る。それを知った母は貧しくとも我が子なしで、どうしてしあわせになれようか、と半狂乱で子供を探してたずね歩く。遙か故郷遠く、常陸の国の桜川のほとり、おりしも桜の花びらが川にうかぶ。それを母は網ですくうが、「この桜は木の花、わがさがす桜子ではない 恋しい」と狂ってみせる。その噂を聞いてやってきた僧侶とその稚児(実は桜子)、そこで母子と気づいた僧侶により親子は再会をはたし、ふたりして日向国へ帰っていく。
またその下に華籠、5年前も使った藤原公任の百人一首の札
「瀧の音は絶えて久しくなりぬれど なこそ流れてなほ聞こえけれ」
名古曽の瀧はこの大沢池の畔にあった嵯峨院の遺構、今は跡しかないが、公任の頃はすでに枯れていたのでこの歌が。(ちなみに大沢池も瀧も嵯峨院が作った人工のものであります)
待合から小間の濃茶席へ。
この望雲亭を整備し、大覚寺との御縁をむすんでくれて、この日は舟の船頭もしてくれた植木屋さんが、蹲居に一輪の椿を投げ込んでくれた。これだけではっとする景色になる不思議。
船底天井の小間(二畳台目向切+相伴席二畳)は障子を開け放つと目の前に大沢池と薄茶席の舟が見える。茶室自体が池にこぎ出す舟のよう。障子を閉め切った濃茶席のあと、障子を開放するとぱあ〜っと広がるこの景色にみなさん歓声をあげてくださった。(私の手柄ではないが(^_^;)
しかし、この小間、前回私が使って以来ほぼ使われていないとかで、炉壇の灰が石みたいにカチカチになっていて(゚Д゚)。皆さん、使って茶会されませんか?(^_^;
軸は江月の「虗(虚の異体字)」に松花堂の舟の絵で「虗舟=空の舟のように、とらわれることのない心」
下に桜川の桜を模した水盤。ほんとうは大沢池の桜を花に見立てたかったのだが、残念ながら桜〜〜葉っぱになってもうありません、、、(^_^;
これも5年前に使った櫂の香合(岩渕祐二作)、練香には使えないが、ここで使わねばいつ使う?とひっぱりだす。下の古帛紗は有栖川文様、大覚寺を流れる川が有栖川で、煎茶席の大広間にある椅子とテーブルセットは有栖川宮下賜のものゆえ。
脇床の柄香炉にいれたもう一枚の百人一首は陽成院
「つくばねのみねよりおつるみなのがわ 恋ぞつもりてふちとなりぬる」
みなのがわ(男女ノ川)は筑波の国の桜川の支流、まさに謡曲の舞台なので。
茶杓が名古曽の瀧にちなんで銘を「瀧の音」。瀧の音は絶えてひさしくなりぬれど、、、
向切点前は普段しないので、前夜付け焼き刃で練習したが、一席目はボロボロであった(T-T)
しゃべりも安定せず、ごめんなさい〜〜。
ここの小間は洞庫(水屋に通じる)があって、ほんとうに洞庫って便利!と実感した次第。
お菓子は和菓子店青洋さんと相談して流れる水のイメージで作ってもらった、ういろうと桜餡のお菓子。「桜川」という銘にした。菓子器は李朝白磁。
小間から舟へ。
お見送りの水屋。
これは朝の試運転の時の写真
桜がちらほらかすかに残る景色、この日が雨にならぬことをどれだけ前から祈っていたことか!
前日の荷物搬入は土砂降りだったし、、、
朝方曇ってはいたが、なんとか雨にはならず。しかし、全部で五席であったが、そのうち一席は濃茶の最中に大ぶりの驟雨、どないなるか舟はあきらめか、と点前しながら心で葛藤、舟にのりにお客さん来てるし、、、
そこは水屋の連係プレーで先に煎茶席にはいってもらい、雨が通り過ぎた後、なんとか乗舟してもらうことができた。信頼できるバックがいるってほんとうに心強いものだなあと感謝。
その後も小雨がふったり晴れたり落ち着かない天気だったが、後半強風が雨雲をふきとばしてくれて青空が見える。やはり水面の景色は晴れの時に美しい。
ただし、突風が吹いて小間の障子を数回ぶっ飛ばしてくれたのには参った参った。
舟上の薄茶席亭主は師匠とその茶友さんにお願いした。つーかーのチームワークである。薄茶席については、最終席で乗船させてもらったので後ほど。
しかし絵になる大沢池の舟遊び、お寺の本堂から観光客がさかんに写真を撮っていた。
最後の煎茶席は大広間にて。
こちらが有栖川宮下賜のテーブルセットである。さすが重厚。今回このテーブルが伸縮可動式ということを初めて知った!昔の家具職人すごい。
煎茶は、よく下鴨・K美術で煎茶席をもたれる小川流のOさんにお願いした。小川流のお茶は滴々、ほんの1,2滴のお茶で、初めての人はびっくりしはる。煎茶席自体が初めての方もおられて、楽しまれていたようだ。(のぞくひまがなくてごめん)
こちらの席のお菓子は上七軒本店でしか買えない老松の大和橘、砂糖漬け橘の実の中に餅が入るほろ苦菓子、あとを引く。
さて、最後の席、舟の薄茶席にお相伴させていただいた。
(その間必死に後片付けしてくれてた水屋さん、ありがとう〜〜)
師匠の席のテーマは、松平不昧公と姫路藩主・酒井宗雅の茶の交流の逸話。
互いの参勤交代の途中、東海道見附宿で二人は邂逅する。不昧を尊敬する年若い宗雅をもてなすのに不昧は茶箱で茶を点て、お菓子に振り出しにいれた金平糖をだした、、、ということから舟上茶箱点前、そして振り出しにはいった金平糖。
もう一つのお菓子は宗雅の姫路の銘菓「玉椿」
お点前は前日海外在住で臨時帰国したばかりの師匠の茶友さん、学園卒でさすがにとてもきれいなお点前。
師匠の語り口は談志を尊敬するだけあって落語家並みに軽快。
そして晴れた空にこぎ出す舟の上は少し寒いくらいであったがなんと爽快!とりあえずお客さん全員、舟に無事乗られてよかった。
舟上は火気厳禁なのでお湯はポットで。
茶碗はこの日の為に(ほんとうは3年前の日のために)水屋もてつだってくれた若手陶芸家の生華窯・浅井慶一郎さんに頼んで焼いてもらった、お茶を飲んだら底に桜川の網がでてくる数茶碗(ちなみに絵付けは待合掛けと同じ諫山画伯)
最終席のお客様だったイギリス人のS先生(遠州流)に桜川のクセの部分(”桜川の波かけて、、”)をおしえてもらうなど(私はキリの部分しかしらない、、(^_^;)まだまだ勉強不足ですわ。
最後の舟も帰り、とうとう舟遊び茶会お開き。
水屋総勢16人、抜群のチームワークであった。
濃茶席の水屋は日頃お世話になっている若い方ばかり、ほんとうによくおつきあいくださりよく気働きしてキビキビうごいてくれて感謝しかない。
一つの目標に向かってみんなで力を合わせてなにかを成し遂げる時間のなんと貴重で幸せなことか。それは子供の頃からよく知っている。終わるのがもったいなくて寂しくなるくらい楽しかった。準備大変なことも多かったがすべてぶっとぶくらいに楽しかった。名残惜しい。
そしてなにより舟遊びにおつきあいくださった51名のお客様に深く感謝いたします。
3回目あるかどうかわからんが、またおつきあいください(^_^;
最後に水をイメージした着物に舟の帯を締めたが、気づいてくださった、お客様、ありがと!
桜月雑記2023 - 2023.04.10 Mon
桜月のあれこれ

まずは岡崎疏水十石舟
四月のあたまあたりの頃
上から見る方がきれい、と偉そうに言っていたが(^_^; ご近所だし、孫2号にせがまれて乗ってみるとけっこうきれい。水面に近い感じがこれか。夷川ダムでUターンして15分くらいの旅。
終点近くの琵琶湖疏水記念館へも久々に行ってみると、なんとカフェができているではないか!その名も<そすいカフェ>。3月1日オープンのできたてほやほやだった。
疏水の桜並木を眺めながら桜ソーダを飲んでるとこ。景色も良いし開放的だし、これからはやるだろうな。(ただし暑い時期は疏水の水の匂いがちょっと、、、)
疏水記念館ではインクラインへもいったので興味津々でお勉強中。この大事業の監督を弱冠21歳でなしとげた田辺朔郎の名前を覚えたそうだ。(来年まで覚えているかしら?)
ここの3Fが意外に眺めが良いことを発見!しかも他に人来ないし。
夜桜で浮かれる祇園町の喧噪の中、貴久政さんへ、お茶と道具を語れる友人とご飯。
最近の割烹はコースしかないところが多いのだが、ここはアラカルトでお腹にあわせて適宜注文できる昔ながらのスタイル、うれしかったわ〜。学生時代を思い出して(もちろん一杯飲み屋的なとこしかいけなかったけれど)
で、久々に大人になってから美味しさにめざめたところの鯛のあら炊き!
大将にお酒をついでもらう。
さて、あら炊きの美味しい煮汁はとってもらっておいて、最後のご飯にぶっかける、ということまで許してくれるのはなんてありがたい。
友人おすすめのだし巻きもふわふわで美味しい。秘訣を知りたい。
茶の湯の話、道具の話、裏話、ときにちょっと悪口(^_^; 会話もとぎれることなく続く。
お品書きにはデザートがなかったので、甘いもん食べたいけどな〜とつぶやいていたら、さっとこんなん出てきた!お仕着せのメニューではこうはいくまい。ありがとう!貴久政さん。また誘ってね、Sさん。
祇園と言えば、昨年もおじゃましたM先生の白川沿いの別邸にて桜の宴。白川の向こうを歩く夜桜の花見客に眺められるという垂涎のポジションを一夜のみ。M先生の人脈は脈絡がなくて広くて楽しい。ちょっと存じ上げている修二会の童子さんとまで出会えるとは!修二会話で盛り上がれたのが最高。
さて、春休み中の孫二号、御所で弁当とお茶を。
(ちなみに一号はだんだんじじばばの相手をしてくれなくなるお年頃、三号はチビすぎて)
茶籠でお茶
E先生のご指導のよろしきを得て、手つきがいい。
茶籠にもふわり桜のはなびら
そしてお雛様もかたす。また来年。
お雛様がいなくなったあとで、またお茶。
楽しいねえ。で、満足して帰って行った。二号もいつまで相手してくれるかねえ。
今まだ4月はじめだよね?と自分に念をおしてたずねた、あまりに早い露草の開花。今年は4月とばして5月みたい。
今年も届きました!二月堂修二会の御壇供(おだんく)
修二会の期間中二月堂の内陣に山高く積み上げられているお餅で(上七日と下七日で入れ替える)、終わった後に関係者に下賜されるもの。真空パックでくるが、表面に行法中の灯明の煤がついているのがお値打ち。
いただこう。しかし、、、固い、、、まあ1週間もおいてあると水分はかなり抜けるから。
(表面の黒いのが煤)
電子レンジでチンしてみたが、やっぱり固い(^_^;
美味しいとは言わぬが、あの二月堂の空気と灯明にさらされて、観音様と練行衆といっしょに過ごしたお餅とおもえばありがたや〜。
美吉野の山桜ははや〜吉野山2023 - 2023.04.08 Sat
3年目の吉野山
例年より1〜2週間早い開花と散り際にあわてて参上。
つくづく吉野山デビューがコロナの最中でよかったと思う。だって、今年の吉野山は特に中千本あたり国の内外を問わず人・人・人、、、、中にはマナー的にどうよ?と思う人もいて、多分こんな時に来たらもう二度と吉野へは来たいと思わなかったかもしれない。(桜に罪はないのよ、混雑してても花は美しいけれど、それを楽しむ心のもちようが、、、)
朝9時前に着いた近鉄吉野駅からバスで中千本、中千本からマイクロバスで奥千本までまずは一番奥まで行く。(このマイクロバスが3台しかなくて1時間待ち〜)

終点の金峰神社から一番奥の西行庵のある場所へは、さらに急な坂、足場の悪い崖みたいな道を上らなければならないので、団体客はこないし、ここまで歩く人も多くはない。本来の静かな美吉野の桜を楽しむには奥千本がいい。(多少息はあがる)
例年なら4月後半に満開になる奥千本も4月4日段階でもう七分咲き、この数日後に満開になるというあわただしさ。
ああ、いいなこの景色。
ここには中千本あたりの混雑はない。
杉などの木が伐採された斜面にあらたに植えられた桜の幼木もある。
さて、人も少ないのでここで茶籠をとりだし、山桜を愛でながら一服。(下に敷いたクロスは先日有楽町の茶友さんの茶の湯展でもとめたもの。良い色やわ)
そして西行さんにも一服奉る。
漂泊と桜をこよなく愛した歌詠み人へ。
(西行庵の中には西行さん人形がおいてある(^_^;)
この山桜のグラデーション!
単一クローンのソメイヨシノでは表せないパステル感がある。ソメイヨシノも美しいが集団になると完璧な美人達がうわ〜っと押し寄せてくる感じでちょっとこわい。山桜のやさしい色が好き。
(茶友さんに聞いた話、美吉野を愛した小林秀雄はソメイヨシノは桜ではない!とまで言い切ったそうな。)
かくの如くたたなづく緑の山々の中にある絶景。
ソメイヨシノが一般的にたくさん植えられるようになったのは昭和かららしいから(作られたのは幕末)、それまでの古典文学に歌われる桜はすべて山桜。
開花と葉が出るのが同時の種類も多い。木の個体差も多々ある。
木の切り株に腰掛けて、さかんに鳴く鶯の声を楽しむ。ここらはほんまに鶯多い。
吉野山は、修験道の最大最高の修行地である大峯山山上ヶ岳奥駈道の入り口にあたるので、修験道がらみのものも見られる。金峰神社前の休憩所には役行者の木像も。
さて、あとはどんどん山を下りて上千本〜中千本へとくだる。全行程登るのはかなりしんどいので、奥千本から下る一方にしたが、下り坂もけっこうきつい。
忘れてならないのが上千本の水分神社(みくまりじんじゃ)
ここのしだれ桜を見ずして帰るべからず。
慶長年間(桃山)に再建された古い社の檜皮葺の屋根にこぼれかかる枝垂れ桜。
前から眺め
下から眺め
また脇から眺める。
この桜に一昨年初めて出会えてよかったと思う。
その時はここはほんとうに静かで他に人が数人しかいなくて、その美しさに思わず息をのんだ。
残念ながら今年はすごい人混みで人が写りこまない写真をとるのに一苦労。混雑の中ではあの感動はもう味わえないだろうなあ。(お泊まりで早朝という手はある)
上千本から中千本へ
ますます美しいグラデーション。ここらはすでに散りに入っていて、桜吹雪をなんども浴びた。
左手にはるか金峯山寺がみえる。あそこまで歩くのだ。
この景色を見ながら昼飯にしよう。
一昨年、コロナでほとんど客がこなくて夕方に売れ残ったお弁当をかこっていたおじいさん。昨年は少し賑わいを取り戻して、素朴なお弁当をいただいた。今年は大賑わいでよかった。
中でいただくと目の前にこんな景色、、、あら、かなり散っちゃってるわね(^_^;
賑わいすぎて昼少しまわっただけなのに弁当売り切れ、キツネ寿司4個でお腹をなだめる。
そして中千本、道の両脇に店がつらなり、一番混雑するエリアだ。よってここで見るのは、、、
吉水神社の前の「一目千本」の景色だけ。
おお!さすがに美しい!(よってスマホ、カメラを持った人でごったがえす、、、)
しかし、吉野のこんな山深い中、上古は大海人皇子、中古は南朝の後醍醐天皇、よく来られたものだなあ、と感慨にふける。いまでこそ近鉄でホイホイ都(京都)から日帰りでくることができるが。
もう一つのミッションが毎年行っているもともと葛菓子工房だったTSUJIMURA & cafe kitonでスイーツを食べること。2年前は待ち時間なしだったが、さすがに今年は、、、(^_^;
でも葛餅の入ったイチゴパルフェ、美味しくいただきました。
最後に金峯山寺蔵王堂へお参り。
あら〜ここも境内の桜、すでに散っている、なんという早さ!今年は。
青い憤怒の蔵王権現三体を間近に拝む。
2年前は一泊したので早朝の勤行にもいけたねえ。あの朝日にてらされた山桜を思い出す。
敷島の大和こころを人ととはば 朝日ににほふ山桜花 (本居宣長)
これにて帰路につく。
ありがとう美吉野の山桜、今年も来られてよかった。来年もきっと。
雨の横浜にて利休にふれる茶事 - 2023.04.05 Wed
今年の春の根津美術館で、ため息がでるしかない濃茶席をひらいてくださったご亭主の茶事に雨の横浜へ。

今年の京都の桜はせっかちだが、横浜でももう満開を迎えていた。
根津美術館ではさわりたおさせてもらったが、あくまで展覧であった。使われていたのはご自分でお造りになられた写し(これがまた素敵で)であったのだが、今回われわれの為だけに、実際に使って、、、の茶事であったのだ。なんと贅沢なことであったろう。まだそのありがたさを整理できずにいる。
茶席には自在に釣釜、、、これはよくある風景だが、これが江岑宗左(表千家四代)の鈎、その養子の随流斎(表千家五代)の竹筒という、とんでもないシロモノであった。
南鐐の鐶は片方に桜、片方に紅葉の陰刻があっておしゃれきわまりない。これにかかる釜が古芦屋。どこまでも隙が無い。
(表さんなのでご飯は丸型)
その上お正客がとんでもなく博覧強記な方ときて、ご亭主との道具談義は盛り上がること。(ああ、、、花押を見てだれ?と言っている私は取り残される(^_^;)
(後に箱が表千家の初代・利休から当代まで全部そろっていると教えてくれたのもお正客さま←裏千家)
後座の席入りのお鳴り物が、なんだか不思議に余韻が長引く音で、一体なんだろう?と。のちにチベットの宗教的儀式に使われるsinging bowlという不思議な楽器(?)で、縁をこするだけでどんどん共鳴音が大きくなると言うものだと判明。(これ客はだれも鳴らせなかった。むつかしい)
床の花入は、かせて枯れた竹の二重切、宗旦在判、銘を「明暮(あけくれ)」。この時代にはまだ竹の油抜きをしていなかったので、こんな膚になるとお聞きした。
花は曙椿、花筏。
(虎屋 「遠桜」)
茶席の主の如く堂々たる達磨型の赤楽水指はノンコウ。根津ではこの写しを使っておられたが、今回水をたっぷり入れた状態で見せていただく。
茶碗はこれも根津で写しを作られていた瀬戸黒(宗旦在判)ホンモノを。
そして今回一番静かに感動したのが利休のケラ判(朱)が蓋裏にある大棗である。これも根津で触り倒したのだが、、、それが実際に茶を擁し、、。ご亭主も初使いだとか。なんと幸運なわれらであろうか。拝見の時、蝋色になった棗の内側にきれいに抹茶が流れた後が残っているのを見たときちょっと震えた。展覧だけの(触ることもできない)利休の棗は何回か見てきたけれど、使われているのを見たのは全く初めて。
実は中立の時に待合にかかっていたのがこの棗への宗旦の添え状、これは来るな、、、と思っていてそのクライマックスに来た!、、、という感じ。
底に原叟(表千家六代)の花押もあるが、原叟、よく書く勇気があったなあ(^_^;
次第がすべて整って仕覆3つ、添え状二本、書き付けの箱もいくつか、大きな箱にそろって入っているのも後に拝見。入手のいきさつも少々。
茶杓は少庵、随流斎筒
薄茶の主茶碗が出たときに思わず目が光り輝いてしまって、お正客様が茶碗を譲ってくださるという、、、(^_^; 根津の薄茶席で出た大好物の御本おそらく茂三、なのだもの。形といい、色といい、内側の鶴刷毛といい、、もう大好き♡
宗旦(?)の棗には朱漆で紀貫之の有名な歌が書かれている。
桜散る 木下陰は寒からで 空にしられぬ 雪ぞふりける
今では百人一首をすらすらとそらんじられるご亭主ならではの選択。(この歌は百人一首ではないが)さらに茶杓が惺斎(表千家十二代)、「うかれける人や初瀬の山桜」とこれぞ百人一首の歌をもじった(うかりける人を初瀬の山おろし、、、)芭蕉の俳句なのである。
世にかくの如き名物名器をお持ちの方はそれなりにおられると思うが、必ずしもお茶が好きとは限らす、道具自慢のみに陥ったり、あるいは人にはさわらせない吝嗇だったり、、、。本日のご亭主ほどお茶に熱心に、客に誠実に、向き合っておられる方はいないのではないかと思い、その席に入れた僥倖を感謝せずにはいられない。(おさそいくださったY様、ありがとうございます)
<おまけ>
横浜から帰りにちょっと足をのばして有楽町。
お茶友さんがかんでる「暮らしで楽しむ茶の湯展」へ。普段暮らしの中のお茶にまつわるあれこれが楽しい。
薬師寺花会式結願鬼追い式2023 - 2023.04.03 Mon
夜も更けた奈良・西ノ京
薬師寺へ今宵結願の日を迎えた花会式(修二会)へ。
東大寺修二会と同じく薬師寺もこちらは10人の練行衆が7日間六時の行法をされる。これも後夜は午前3時からという厳しい行法なのである。昨年は他日も結願の日も日中、初夜の法要は金堂の外から拝見聴聞した。今年は諸般の事情で結願法要もオシマイの方で拝見、鬼追い式のみに照準をあわせた。
薬師寺のは二月堂とちがって法螺貝、鉦に太鼓が入るのでかなり華やかでオーケストラ的。五体投地も柄香炉を捧げ持って、体を海老反りにして屈伸、絶叫するので最終日にはみなさま、お声がかなりかすれていらっしゃる。
20時前には国宝・東塔を背景に鬼達が手に持ってあばれまくる松明の準備がすすむ。しかし、二月堂と言い、奈良はほんっと国宝で松明だからね、すごいよ。(事前に消防隊スタンバイ)
結縁法要の声明や音楽を聴きながら、今年もまたこの境内に一本咲く桜に出会えたことを喜ぶ。
結願法要も無事終わり、結願の証の朱の牛王法印を額に受けた練行衆達が手に法螺貝や鉦を持ってお出ましになる。
鬼追い式の場を浄める咒師が登場する。今年も高次喜勝師だ。法要終わったばかりで体力的にも限界近いだろうに
炎のあいまを疾走する。
中門より五人の鬼が登場。
ここの鬼はなめちゃいけない。私が知っている中で一番凶暴。
大松明を振り回している間はまだよいが、
手松明を持ち出すとやばい。
観衆が並ぶ柵にその炎を打ち付け回るのだ。
これ今回の一番のお気に入り。
写真撮るのか火をよけるのかどっちかにしろよと自分でも思う。
髪焦がしたり服や靴焦がしたり、飛び散る火の粉は半端ないのである。あちこちで(ちょっと喜びを含んだ)悲鳴があがる。阿鼻叫喚、、、に近いかも(^_^;
手松明が打ち付けてばらけてしまうと、すぐ新しい松明を補給、それを調達する係のおじさん。
これが鬼追い式のクライマックス
そして、ここでは鬼を追うのは毘沙門天なのである。ちょっとお面が鬼っぽい。BGMは鉦太鼓法螺貝とにぎやかだ。
この毘沙門天の歩き方が独特でユーモラス、これを見るのが楽しみ。
鬼が反省して金堂にはいりお浄めをうけたのち、参拝客の入堂が許される。10種の造花で荘厳された薬師如来さま、日光・月光菩薩さまのお姿を近くで拝見。
花は桜・梅・桃・杜若・山吹・百合・椿・牡丹・菊・藤である。今でも二軒のお家が家族総出でつくっておられる。
これは数年前、そのお家のお話を聞きに行った時の画像。ほんとうに美しい。この花が手に入れられればなあ、と思いつつ何年かしら、いまだにゲットできず。かわりに?鬼が暴れてこわした松明の燃えさしの破片をもらった。
玄関で二月堂輪注連と仲良くならべて、なにやら呪術的コーナーをつくってしまった(^_^;
ともあれ、今年もお参りできてほんとによかった。あとは4月の新薬師寺修二会の松明で締めたいところだが、今年は都合でできず、今期の炎がらみの法要はこれにておしまいである。ああ、奈良って楽しい、、、
<おまけ>
TLやインスタで、知り合いの二月堂修二会ガチクラスタの皆様も同じ場所にいたことが判明、今年の練行衆さんも発見、やっぱり楽しい奈良なのである。
奈良の春の宵はあやなし〜酒器の会 - 2023.04.01 Sat
修二会以来の奈良である。本日は春の宵にまぎれて。

月釜でおなじみの三五夜さん。夜にはまた雰囲気が変わる。
本日は、いつもはここでお稽古をされている表千家のD先生主宰の「酒器の会」へ。コロナ以降久々とのこととかで、名前をきいただけでなんだか楽しそうな会なんである。
先だって三五夜さんの中に新しくできたカウンター席、四人も座るといっぱいなのだが、心地よい包まれ感がある。酒器の会は、D先生お社中のお酒好きが集まるそうで、お酒も持ち寄り、私は獺祭のスパークリングを持参。
生まれも育ちも奈良っ子のD先生、ネイティブ奈良民でなければ知りえない事をいっぱいご存じで、お話を聞くたびにディープな奈良を学ばせてもらっている。
写真のお酒も奈良で古くから飲まれていたという「あられ酒」!
中にふわふわと麹の白い粒があられのように見える。味はほとんど極甘の味醂、炭酸でわったりかき氷にかけたりがよいらしい。これなんとあの春鹿酒造さんで作ってるんや。今度行ったとき買わな!この手のお酒は「柳陰(やなぎかげ)」とも言い、上方落語にもその名がでてくるそうな。また新しい奈良を知った。
さて、みなさんそれぞれお気に入りの酒器をご持参、大きい飲み助用あり、かわいらしいのあり、私はお気に入りの雲鶴高麗青磁杯を。これお酒をいれると良い色になるんですわ〜♪
軽いおつまみくらいだろうと思っていたらなんと折敷がでてきた。カウンター内で働いて作ってくださるのはD先生のお社中さん方。バックグラウンドも年齢も性別、職業も多彩で、よいお弟子さんがたくさんいらっしゃる。言い方は失礼かもしれないが、こんな若い男子がどうして茶道に興味をもったのだろう、と不思議に思えるような方も。それを深く導いて行かれるD先生の迫力と魅力なんだろうなあ、と思った次第。
もうひとつ奈良のお酒、葡萄ではなく大和郡山の無花果を醸造して作ったイチジクワイン。
薄い桃色は無花果本来の色で、飲むと、あ、無花果がたしかにいる、とわかる味。大和郡山市が特産品の無花果を使って新しい名産品を育てようという数年前からの試みでつくられたものだそうだ。この関係者であるお社中の方ともご一緒できた。ほんま多彩なお茶人脈。
もちよりの強肴のみならず八寸まででてきた。こりゃほとんど茶事だわ〜♪。
ほろ酔いになったところで茶室にいざなわれる。
夕方から時刻は早くも夜へ、夜咄の雰囲気である。
立派なきんとんをいただく。
そして、先ほどまで隣でしゃべって飲んでいたお若い男子が濃茶を練り、薄茶を点ててくれるその姿の端正なこと。やはりこれよね、お茶は。普段の日常生活でどんな人であれ、お点前の時にぴしっとなる姿には惚れるよね。
総じてなんて楽しい酒器の会!
茶の湯ってかつて大人の男の夢中になるお遊びだったのがよくわかる。(今では女子もね)
先日の茶事の返礼に形でなく心で返したいと意図された三五夜さん、D先生のお気持ちがうれしい。おつりが来るほどのお礼をいただきました。
最後にカウンター向こうに立たれた花柄模様シャツのD先生、いつもの十徳姿からは想像できないくらいバーテンダー風が板について、そのギャップがまた萌えましたよ〜(*^_^*)