信州旅行〜②小諸+上田+諏訪・岡谷 - 2023.08.29 Tue

秋の気配の佐久の集落、棚田の米も穂がたれてきて、9月には収穫されるとか。
あぜ道にはたくさんの野草が咲いているが、きれいだなと思ったのは、野蒜(ノビル)。レースみたいな花の上に食用にもなるとか。
さて、佐久からA君の車に乗って小さなエクスカーション。
ますは小諸
小諸城址であり、島崎藤村の「千曲川旅情の歌」「小諸なる古城のほとり」の世界を堪能できる小諸懐古園。
学生の頃に一度来て、数年前軽井沢の茶事の前にウン十年ぶりに再訪、そんなにたたないうちに、また来ることができようとは!
ここからも浅間山は見えて、富士山も見えるらしいが、どうにも同定できず残念。
浅間山と反対側の展望台ではこの下を千曲川が流れているのである。
千曲川 いざよふ波の 岸近き宿に上りつつ
濁り酒濁れるを飲みて 草枕しばし慰む (「小諸なる古城のほとり」藤村)
草むす古城の石垣
昨日かくてありけり 今日かくてありなむ この命 なにをあくせく 明日をのみおもひわずらふ
嗚呼古城何をか語り 岸の波なにをか答ふ 過ぎし世を静かに思へ 百年も昨日のごとし
(「千曲川旅情の歌」 藤村)
さて車はさらに北上して、真田六文銭で有名な上田城址(真田昌幸築城)のある上田市へ。
ここへ来るの初めて、思ったよりずいぶん都会でびっくりした。(上田市民のみなさま、ごめんなさい)
町の一画になんだかおしゃれなレトロな通りが。
北国街道の上田宿として江戸時代栄えた通り、そこをリノベしていくつかのお店が集まっている通りらしい。(北国街道柳町)
織り姫さんが案内してくれたのはそのうちのパン屋さんルヴァン。
なるほど看板も竈にパン種をいれるパン職人さんだわ。
国産小麦と天然酵母で造ったパンで、東京に出店されているが、オーナーの地元の上田にも、とオープンされたよし、たくさんの方がパンを買いに車をのりつけてはった。
中は古民家リノベの良い雰囲気で、パンを量り売りされているのも面白かった。買い求めて味わってみるとどっしりしたドイツパン的なパンであった。
ここの通りは他にもカフェがあり、そちらの看板は茶壺かしら?
江戸時代創業の岡崎酒造さん、こちらの看板酒は「亀齢」、長生きできそうなお酒である(^_^;
いいねえ、城下町の風情は。
さてもう一軒、陶芸家A君たってのご希望で同じく上田のbook&cafe NABOさん。こちらもかつては紙屋さんだったみたい。
お庭からまわって入店、表からはちょっと想像できない古本の世界が広がる。
古本がメインだが、新しい本もあり、おしゃれな雑貨もあり、そう、ちょうど京都の恵文社一乗寺店のイメージ。
カフェもあるので、ここでそれぞれ飲み物をいただきながら、本屋内を散策。
二階もあるよ。
あるコーナーではカフェでドリンク頼むとただで持ち帰ることができる古本もあったりする。イベントも色々催されているようで、楽しそう。
私はサンザシサワーをいただく。クラフトコーラなども美味しそう。好きな飲み物を飲みながら本を読む時間は人生において豊かな時間だよね、、、なんて事を思いつつ。
京都に帰ったら久しぶりに恵文社さんへも行ってみようかな。
再び佐久にもどって、織り姫さんとっておきの川遊びスポットへ。地元の人しか知らないマイナスイオンたっぷりの滝のそば!
あたりにはもう秋の草が生い茂る。葛の花も見つけた。
滝のしぶきを浴びながら、皆それぞれはだしで川へ入る。
サンダルでなかったので、裸足だとちょっと足底が痛い(^_^;
それでもちょっと長いことつけているだけでキーンとなるような水の冷たさが心地よい。トンボもいっぱいとびまわり、きっとヤゴもこの清流にいるのだろう。
夜は夜でみんなで信州そばを。
そばがきがあったので、頼んでみたら、京都のそばがきと全然イメージちがって多い!
ふわふわのそばがきをお出汁、おろし大根にて、美味しい〜♪
この夏多分最初で最後のすだちそばも。
十割そばを堪能。
一夜明けて佐久と織り姫さんご夫婦とお別れ、一路帰洛の道へ、、、
と言いつつ、帰り道にある諏訪湖へよりみち。
おお〜! 2年ぶり。2年前は台風直撃でJRが止まって、各停で東京まででて東京一泊で帰ったんだった。
今日は良い天気だ。諏訪湖も青い。そして、こちらも2年ぶり、サンリツ服部美術館!
絶対に長野から外へはださない!という国宝茶碗・光悦の「不二」を所蔵している美術館。残念ながら2年前も今年も不二には会えなかったが、鼠志野のいいのや、織部やら、古九谷やら、祥瑞やら、思いがけずお茶脳が覚醒してしまった。(伯庵茶碗について、聞いたことあるような、ないようなだったが、ここでしっかり学習)
いつかここで光悦の不二を見たいなあ、、、
最後、岡谷にて、諏訪湖や天竜川でとれるウナギを使ったうな重、一時間待って食しました!んまかった!(岡谷・うなぎの天竜)
(後ろの席にいたレンタサイクルのお兄さん、ウナギの蒲焼き、白焼、それにうな重を召し上がっていたとか。よっぽどウナギ、お好きなのね(^_^;)
信州旅行〜①織り姫さんの仕事場にて - 2023.08.27 Sun
この夏かねてより行こうと相談していた信州へ。
京生まれ京育ちながら、1年前この地に根をおろすことにした若き織り姫さんちを訊ねて。
ドライバーは陶芸家のA君である。(片道6時間、ほんまお疲れさま!)

浅間山〜♪
、、、暮れゆけば浅間も見えず
歌哀し 佐久の草笛 、、、(小諸なる古城のほとり・島崎藤村)
その佐久へ。
35℃越えの京都を思えば楽園ですわ、この涼しさ!
日の入りともなればさらに涼しく、虫の声もすだいてまさに秋。
織り姫さんは、草木染めの志村ふくみさんのお手伝いをされていたお弟子さん。
このあたりは市街地より離れた農村の集落、ここの古民家で草木染めをし、機(はた)を建てて、布を織っているのである。
かねてよりお願いしていた草木染めの紬の反物、今まさに機にかかっている。この縦糸を準備するのが一番大変な作業ではなかろうか。
すごく複雑な文様をお願いしてしまったので、その設計図も複雑。
アトリエシムラの機織りワークショップに行って、反物を織った経験はあるのだが、横線しか模様がでない単純な作業だった。反してこれはちょっと複雑すぎて理解できない、、、(^_^;
すでに染め上がった紬糸。
藍は自分で藍建て(植物の藍を発酵させて染料にする。温度管理が難しいらしい)したもの。
黄色はクチナシの濃度のグラデーション、紫は紫根、緑は藍とクチナシ。
草木染めの不思議は、あんなに緑豊かな草木が原料なのに、緑色だけは単一材料では作れないこと。
これが難しい縦糸の染め。
絣もそうだけれど、文様にあわせて縦糸を張るのが一番大変な作業ではなかろうか。
最初出会ったときはまだ20代前半のお嬢さんだったが、突然アルスシムラ(志村ふくみさんの学校)へ行く!と決心されてから、あれよあれよ、内弟子期間を過ぎて独立、結婚してから縁あって信州佐久でアトリエを構えることに。見事な職人さんのできあがり、よく決心したねえ。
京都にいるときは少し線が細い感じだったのに、信州の環境にすっかりなじんで健康的な印象に変わったのもいいな。緑も豊か、水も豊かで空気もきれいで、ご近所の農家老夫婦ともなかよくおつきあいされていて、お料理好きのご主人もいて、つい母親目線で安心したわ〜。
アルスシムラの卒業制作でも、他の生徒さんがふくみ先生をなぞっているような感じの作品が多かった中、一人異彩をはなっていた織り姫さん、あれ見たときほんとに彼女の才能を確信したのだ。
さて、この着物、完成した暁にはこんな感じになる。できあがりが楽しみや〜。(それにしても複雑なデザイン(^_^;)
夜は帰宅されたご主人と一緒にみんなで晩ご飯。
料理好きのご主人が目の前でマヨネーズを自家製でちゃちゃっとつくらはったのには驚いた。そして織り姫さんが手伝いにいっている有機農家のお野菜、これがまた美味しい。トマトがもう絶品!甘くて甘くて。契約したお客さんにしか売っていないのが残念。
織り姫さんお手製のラタトゥイユも、このトマトをたっぷり使っているので、ほんま美味しかった!
ごちそうさまして、外に出ると肌寒いくらいで、虫の音も。あたりはほぼ真っ暗、月も星もよく見える。ああ、信州に来たんやな〜としみじみ。
東大寺早朝散歩・後編 - 2023.08.24 Thu
手向山八幡宮から春日野へ。さあ、ここからさらにオタク度が上がってくるよ(^_^;
夜は明けたが、太陽はまだ春日山から顔をだしていない時刻。
この春日野園地が昔グランドだったとは!1988年のシルクロード博の前に現在のようになったという。比較的最近ではないか。そういえば春日野園地って前からこんなんあったっけ?と思ってはいたが。
しかも三社池が昔プールだったなんて!
谷さんは子供さんをその頃プールで遊ばせた記憶があるとのこと。変わらないようでいて少しずつかわっていっている奈良、AHA体験的な?変化か。
春日野を背に東大寺を振り返ると東大寺本坊の屋根。ちょっと聞き漏らしたが右手の大きな屋根が東南院持仏堂だったかと。(非公開)
ここに祀られている理源大師聖宝(醍醐寺開祖、修験道の祖 平安時代)については餅飯殿(もちいどの・近鉄駅前の商店街の名前)の面白い逸話が。
大峯山で修行中の理源大師のもとにお餅やご飯をよく差し入れていた人がこの商店街当たりの出身で、大師はこの人を「餅殿、飯殿」と親しくよんでいたことからの命名とか。東向商店街の由来は知ってたけど、餅飯殿はしらんかったわ〜。
三社池のほとりの睡神社(ねむりじんじゃ)
早朝の鹿だまりができている。由来は不明ながら陰陽道をよくした幸徳井家の遺構ではないかとも。
(意外と奈良は古くから陰陽師が活躍していたのは聞いたことある。)
そしてバーン!っと南大門
奈良公園のランドマーク!
こんなに有名なのに、これも知らなかったのが金剛力士像の裏側の石の狛犬、これも法華堂石灯籠作者・伊行末(南宋渡来人)の作だったのね。見てなかった、、、、
も一つ!
この南大門の大きな柱に開いている穴ぼこ、1567年、松永久秀と三好三人衆の東大寺大仏殿の戦いの痕跡なんだと!
(松永は東大寺を焼き討ちした悪役と言われているが、大仏殿の全焼は松永の故意ではなくて、たまたま戦で延焼した、という説が有力)
しかもその時の弾が奥にめりこんだままって知ってた??(゚Д゚)
さて、朝7時過ぎゆえ、参道に観光客の姿はまだない。コロナ明け以降ここもすごい混雑しているから、このすがすがしさがたまらん。
鏡池に映る大仏殿を拝む。
その頃ようやく大仏殿の屋根にも朝の光が届く。
大仏殿の前のお灯明はすでにつけられている。
大仏様には遙拝。
合掌
このあたりは修二会の頃駆けずり回るあたり、国宝大鐘、通称<奈良太郎>、天平時代の鐘である。
毎日午後8時に鐘撞きさんといわれる歴代二月堂のそばに住んで鐘を撞いているお役のお家がある。そこらへんも奈良らしい。(修二会のお松明が始まる前、一斉に灯りが消されるときに撞かれる鐘である)
昨年、その8時の鐘を聞こうと暗い中、鐘楼のそばで待ち構えた。そばで聞く奈良太郎の音はすざまじく、これはちょっと離れたあたりで聞くのが正解かなと思った(^_^; なにせ鎌倉時代の力自慢が撞いたら三日三晩鳴りっぱなしだったという伝説があるくらいだから。
(その時の音声はこちら→鐘)
この奈良太郎の周辺にいくつものお堂があるのは知っていたが、何だろうな〜くらいの認識で、今回初めてオリエンテーションがつく。俊乗堂(開山忌に特別公開)、これは念仏堂(堂守さんがおられれば入堂可能)。念仏堂には大きなお地蔵様がおられて地蔵盆にはこの前で子供たちが楽しむのだと。こういう情報はやはりジモティでないと知り得ないので、かゆいところに手が届く谷さんの解説はとてもありがたい。
これは完璧にスルーして存在すらしらなかった俊乗堂近くの辛国神社(からくにじんじゃ)、別名天狗社。由来はと言うと開山の良弁上人が二月堂を造るにあたって邪魔する天狗を封じ込めた、というから8世紀。
奉納された提灯にちらっとその天狗の団扇が見える。
修二会の前日、食堂で練行衆咒師の大中臣の祓がおこなわれるが、別名<天狗寄せ>というし、深夜の行の後下堂するときに「手水手水〜」と叫びながらおりるのは、留守中天狗がわるさしないように、ということだし、なにかと二月堂、天狗と関わりが深い。
辛国神社とよばれるようになったのは明治以降で、二月堂建立に尽力した当時の渡来人(辛国、唐国、韓国)を祀る意味があるとか。
この神社のおみくじは面白くて、引いた後各自でこの表を見て読み取るのだそうだ。リーズナブル。お金もかからないし。
修理中の戒壇堂の鬼瓦、遠くから見ると猿に、近づくと河童に、遠景は龍に見えるというのもはじめて知った。
そしてついに!戒壇堂10月1日から拝観再開!!
現在東大寺ミュージアムに仮住まいされている国宝四天王像もお帰りになる!お引っ越し直前にここで拝んで、今度ここで拝めるのはいつになるのかな〜とはるかに思っていたが、意外と早く再会できる。これはうれしい。
戒壇堂といえば修二会練行衆の別火坊となる場所だが、そこの入り口にある札に注目。これも教えてもらわなければ知りようがなかった。
前編で写真をあげた四度加行のお坊さんが、満行の暁にその報告に各塔頭に配る加行札というものだそうだ。よく見れば現在ご活躍中の東大寺のお坊さんのお名前が。(かなり古い方のもあり)各塔頭にあるとはいえ、部外者が拝見できるのはここだけかも。
最後に国宝・転害門
(途中にある鼓坂小学校は明石家さんまさんの母校という小ネタもあり(^_^;)
コロナでなければ修二会の竹送り(2/11)の日に盛大な転害会が行われる場所。
ここの基壇にある石の穴ぼこを盃状石といって何カ所かにみとめられるのだが、自然にできたものなのか、人工的につくられたのか今もって謎なんだそうだ。
不思議
ここで解散、谷さんはそのままホテルの朝食作りにいそいでお帰りに。

かく言う私もお楽しみの朝食へホテルにもどる。
谷さんの朝食は美味しいので人気なのだが、前回泊まったときは早朝出立のため断念、この日初めていただく。特に充実した散歩の後の一食のなんと美味しいこと♪
ほんまにありがとうございました。
午前10時にホテルを出て、修二会で処世界童子さんをされている本業彫刻家の水島太郎さんの個展へならまちセンターへ。
実はひょんなことからお知り合いになれたのだ。(昨年の奈良俱楽部でおこなわれた練行衆望月大仙師に話を聞く会で存じ上げてはいた。私の修二会の写真のあちこちに映ってもおられる(^_^;)
修二会のお松明の竹を使っての結界について、サイズのお問い合わせをうけたので、普通の竹の結界のつもりでお答えしたら、目からウロコのアバンギャルド結界に仕上がっていて、結界の既成観念ぶち壊れました!(良い意味で)
東大寺早朝散歩・前編 - 2023.08.22 Tue

早朝もいいとこの午前4時半、奈良坂の一帯はまだまだ夜に包まれている。
これから奈良好きなら一度はお世話になっているはず、、の小さなホテル奈良俱楽部の女将・谷さんガイドの早朝東大寺朝散歩ツアーの開始である。(主催・ちとせなら)
もちろん奈良俱楽部さんに前泊である。
今年も3月、さんざん修二会で通った二月堂裏参道まで、ホテルから歩いても10分ほどだろうか。3月1日深夜、修二会の開白上堂を見るため、同じ道を歩いたことを思い出すわ。
この早朝散歩は、時々奈良俱楽部独自に、宿泊客対象にされていて、それに参加したくともなかなか日程あわず、、、であったが、今回念願の参加である。
愛犬のココちゃんの散歩がてら、朝に夕に、四季折々東大寺界隈を散歩されている谷さん、奈良にまつわる勉強会参加も欠かさぬ奈良愛あふれるお人柄は奈良好きなら大抵の方はご存じかと。
裏参道を登っていく間にも、少しずつ瑠璃色になっていく空、懐かしい二月堂の灯りが見えてきた。
最初に谷さんを知ったのは、昨年の練行衆処世界さんに話を聞く会が奈良俱楽部で開かれた時だった。(昨年処世界さん〜練行衆の一番下の役〜の望月師は今年は権処世界さんと一つ上がった)
あれから昨年のきたまちといろのランタンともしのイベントやら、今年は修二会期間中のいろんな時間場所で何回もお目にかかって、いろんな情報をいただいたことに感謝。
さて、今回の東大寺ツアーはどんな発見があるのだろうか。
実は、東大寺のことはかなり知っていると自負していたのだが、なんと目からウロコの知らないことだらけだったとびっくりしたのである。
いきなり登廊の入り口、細殿(お松明が登ってくるところ)の板についたこの縦線(2本ある)は何か?!
これは今年の3月の写真であるが矢印の壁の下の方にある板なのである。
童子さん達が籠松明作りの時に、登廊の石段の一段目にお松明の先をのせて、竹をどのくらいの長さに切るか、の目安にした印なんだそうだ。(現在では形骸化しているが)
20年以上二月堂に通っているのにしらんかったわ〜(゚Д゚)
(残念なことだが、最近落書きが見つかったのはこの右手の食堂の建物の扉→きれいに消されていました)
修二会大好きな方ならこの景色がどこかすぐわかりますよね。登廊を登り切ったところ、中央にうっすら大仏殿の屋根が見える。
時刻は午前5時、奈良市街地はまだ夜のまま。
夏場は午前5時に二月堂の内部の鐘(修二会で処世界さんがよく撞いていた)がならされる。この時間に参る朝参り講というのもあるそうだ。
静かに流れる観音経の声は今年の処世界さん上司永観師(永照師のご子息)。
これも初めて知ったのだが、東大寺には<屋参籠>という習慣があって、5日間を交替で各伽藍を早朝巡拝するのだそうだが、この日は永照師の最終日だったそうで。
二月堂の舞台から見下ろす奈良市街。早朝見るのは初めてやな。黄昏時は修二会のお松明を見るのに何度も。
だんだん明けて行く空。
これも何回見てるんや、というくらい見ているのに、言われないと気づかないお堂南側(龍美堂の前)の手水の天井。え?あれ何?
なんと方向を示す方位盤だったのね。(字ははっきり読めなかった)時代不明。
この手水舎の蛙股の部分の透かし彫りが実は開山・良弁上人の生涯の物語を表していたとは!知らないって恐ろしい、、、吉田兼好法師もゆうとる、「なにごとも先達はあらまほしけれ」
さらにこれも何回か目にしているはずだが、スルーしてた飯道社の上の坂にある庚申塚。由来不明らしいが、庚申の日には僧侶がお参りされるそうだ。
その庚申塚の近くにある(ちょうど二月堂を少し見下ろす感じの位置)不動堂。これも来たことはあるが通りすがって終わってた。毎月10・18・28日に護摩焚きあり、堂守さんがおられるときはお願いすれば堂内にはいることができるらしい。またミッションが増えたな。
ここにあるお地蔵さんがやたらかわいい。
不動堂から坂を下りれば法華堂(三月堂)、ご存じ12月16日(開山忌)のみ公開される執金剛神(国宝)を擁するお堂。(昨年並んで拝みましたよ〜。思ったより小さいが思ったよりカラフル)
ところがところが、今年は良弁僧正1250年遠忌とかで、10/1〜10/16まで特別公開されるそうなので、これは要チェック!
ちなみにこの法華堂前の石灯籠、修二会の結界張りの時には頭の擬宝珠にちょこんと輪注連をのせているのがかわいいやつですが、、、
実は建長6年(1254年)という古〜い(南宋から南都焼き討ち後渡来した石工・伊行末の作)もの。こういうの(重文)が触れる場所になにげにある奈良こわい(^_^;
これも気づかなかったが法華堂の屋根と欄干には段差がある。左が奈良時代、右が鎌倉時代に増築された部分だそうだ。
その法華堂の北側で、上の階段から降りてきた若いお坊さんが礼拝を始める。
遠敷社の上にある山手観音堂にお籠もり中の<四度加行(しどけぎょう)>中のお坊さん。四度加行は得度の次に越えなければならない18週間にもわたる修行でかなりしんどいらしい。これを満行しないと少なくとも練行衆にはなれないのである。
(四度加行については谷さんのブログに詳しい)
こうして毎朝、深夜(4時AM)の行のあとに各お堂を巡拝されるそうで、そこに行き当たったわけである。ありがたやありがたや。
ちなみにその足下のこの八角形の芝生はなんぞや。(これも目がスルーしてた)
中世に法華堂で行われた行法の供花の樒を捨てた場所の名残、、だそうだ。探せばほんと色々でてくる東大寺、、、奥深くて面白すぎるわ。お坊さん達は修二会の時だけ活躍するわけではないのね(あたりまえか(^_^;)。
あと、早朝すぎて開いていなかったが、昔のお坊さんの「四度加行満行したぜっ!!」的な落書きが扉の近辺で二カ所見られるのだそうだ。
法華堂の前にふたつ、正倉院的な校倉造りの建物があるのは気づいていたが、一つは法華堂、もう一つの鴟尾があるこちらは手向山八幡宮のものだと学習。(重文)
さてその手向山八幡宮もまだ開扉前、そこを通り過ぎて、、、、
後編につづく
仕覆作りに挑戦②〜採寸から製図 - 2023.08.19 Sat
仕覆教室二回目(一回目はコチラ)
前回はオリエンテーション、カッターの使い方の練習、そして最後に持参した肩衝茶入(採寸しやすい)の計測、まで。

型紙は普通サイズの肩衝なら8等分なので、8分の1の寸法を計算して、、、
方眼用紙に写し取っていく。
0.5㎜単位の線なので、線を引くにも、カッターで切るにも気をつかうし、老眼で見えにくいし(^_^;
8分の1の形にしてカッターで切る。O型の大雑把さが禍して、あわない!とダメだし。残しておくモデルと失敗作と、なんとか合格で3枚作った。
おお、なんとなく完成形が想像できる型紙になった。次回はこれで布を実際切っていく予定。裂は高価なので失敗は許されんぞ〜。
最後に底となる部分に目打ちでマーキング。
底の丸い部分はまだどうなるのか想像つかないな。
で、少々目も頭もお疲れ〜のあと、茶友さんがお宅でお手製ナポリタンと白いカルパッチョ(アーモンドミルクにビネガーのちょっとすっぱい冷製スープ)をふるまってくださったので、すっかりリカバーしてご機嫌で帰宅したのであった。美味しかった!
大文字送り火護摩木2023 - 2023.08.16 Wed

多分、今日の今頃大文字山には送り火が点火されているのだろうなあ、、、と思いつつ今年は仕事で拝めない。
なので毎年恒例の護摩木奉納だけは行く。
銀閣寺道にもかなり観光客が帰ってきた感じ。
以前は銀閣寺門前でされていたが、ここ数年は銀閣寺を北に行ったところ、大文字山登山口にある八神社でされている。境内に「大文字山保存会」のプレハブ?があったので、これからはずっと八神社なのだろう。こちらの方がおちつくわ。
境内にはたくさんの人が護摩木をおさめにきてはった。
松ヶ崎あたりなら、<妙法>、北区なら<左大文字>か<舟形>なんだろうが、うちは学生時代から東山の大文字の麓になじみがあるので、断然ここのなのだ。
なんでこちらなんですか〜?と某TV局にインタビューされたけど、ずっとこのエリアに住んでます!とがっつり標準語で答えたからボツになったやろなあ(^_^; (TVの絵柄的にここは京言葉が欲しいとこ?)
納める護摩木
薪タイプもあるよ。
今年も無事納めて、今頃しっかり送り火になっていることでしょう。
昔、2年ほど住んでいた哲学の道沿いを歩いて帰る。
まだ行けていない旧YDSギャラリーの移転先、nunuka lifeさんの場所もここで見つけて帰る。
今年も無事盛大な送り火で、あまたのおしょらいさん、お帰りになったことでしょう。
蒔絵百花繚乱〜MIHO museum - 2023.08.15 Tue
会期すれすれの信楽MIHO museumへすべりこみ。

台風が近いせい?エントランスの幟がない、、、
風やら小雨やらで涼しく、空はもうなんとなく秋の気配すら。

ここは展示もいつもすばらしいのだが、この山の中の景色や鳥のさえずり(鶯の鳴き声を高確率で聞ける)空気の透明さ、なども好きでここまでのドライブも結構好きで、企画展をいつも楽しみにしている。

(異世界空間へようこそ、、、の感 ペイさん、天才やわ、やっぱり)
今回の展示は「蒔絵百花繚乱〜江戸時代の名工とその系譜」大好きな蒔絵なのだ。

大きく最初に取り上げられているのが17世紀の山本春正とその一派。初代春正は京都の蒔絵師でありながら和歌の道にも通じ和歌学者ともよばれた他、漢籍にも通じ、本阿弥光悦以来の多能多芸の人、といわれたらしい。

春正は、不明にしてその名を知らなかったが、高名ゆえに真作は少ないとも。唯一間違いないものとしてでていたのが「蘇婆石・鷹島石の付属蒔絵箱」。
これがまたすごい。かの明恵上人が紀州湯浅の浜で見つけた小石二つ、これを上人は釈迦の形見として終生大事にそばに置いたという。その石のための宝珠の形の箱、それの外箱、が春正の作、いずれにも
われ去りて のちにしのばむ人なくば 飛びて帰りね 鷹島の石
という上人の歌が散らしてある。おまけに上人の「夢記」の断簡まで添えられていたのには感激。上人を慕いしのぶ人はあまたいたので、この石は鷹島に帰らず高山寺にいるのやな。

蒔絵の技法はほんとに多くて、ありとあらゆるテクニックを詰め込みました、という作品も多く、完成にどれだけの時間を費やしたのか気が遠くなりそうだ。文様を細密に描いたものは、どんな細い筆で描いたのだろうか。私も試したことあるが、絵の具や墨と違って漆で自由自在に描くのは、ほんまに難しいのだ。昔の職人の集中力ってすごい。スマホいじったりTV見たりの、ある意味無駄な時間が無かったとはいえ、、、(^_^;

文箱や硯箱の意匠がまた江戸時代のものはインテリ好みだ。
蓋表が蔦の細道、蓋裏が笈で、すぐ「伊勢物語」とわからないといけない。蓋表はみられなかったが「野路玉川」は裏が萩、六玉川(歌枕)の一つ野路の玉川は萩の名所という知識も必要。(江戸の人の教養ってすごいといつも思う)

酒井抱一(下絵)と原羊遊斎(蒔絵)コンビの作品も素敵。
琳派系の意匠ばかりかと思いきや、骨山蒔絵引き戸(狩野養信下絵)は迫力あった。骨山は渥美半島の海岸で鷹の渡りがみられる場所らしいが、波に洗われる岩で渡りの途中、羽根をやすめる一匹の鷹を高蒔絵(漆を盛り上げる)に針で細かい羽根まで彫りだした図柄。まあ、超絶技巧もいいところ。七宝の桐の花の引手もすばらしかった。

松平不昧とくれば羊遊斎のみならず、小島漆壺斎、松枝不入、中山胡民、このあたりになってくると名前知ってる。不昧の消息もあって、「玉川又徹(出雲の名指物師)の箱じゃないと箱書きしないよ」というような内容。わがまま(^_^;
明治になってからはこれも好きな柴田是真がいっぱい。5,6,7,8代の宗哲の作品も。
米田孫六の牡丹蒔絵提げ重は華やかな朱漆の牡丹の蒔絵の重箱セットがゴージャスなのだが、これはその上200年前の仁清の酒瓶をセットするために誂えたものだとか、なんと贅沢な!(↓左下に写真あり)

印象に残った物の一つに照宮(昭和天皇の長女・東久邇成子さま)のご婚儀調度食用漆器の試作品。これを誂えたのが京都の美濃屋という安永年間から続く蒔絵の老舗であったが、戦後廃業、残っていた試作品を京都国立博物館に寄贈したものだそうだ。朱色の椀の蓋の蒔絵が照宮さまのお印・紅梅と東久邇宮のお印・若松になっており、当時の時代背景(大戦中)とあわせて考えると感慨深い。照宮さまはその後皇籍離脱してから経済的にご苦労されて、35才という若さでなくなったことも考えると。

あまりに一気に大量の蒔絵を見てヒートアップした頭をクールダウン、ミュージアムカフェでほっと一息。飲み物、コーラと思うでしょう?いえいえスパークリング珈琲なんですよ〜(^_^;

驟雨もあったので、気温も下がったと思うけれど、やっぱり信楽の山の中はもう秋だったわ。
restaurant Synager〜大和橘 - 2023.08.13 Sun
わが愛読書の「月刊ならら」になら橘プロジェクトの連載がある。
奈良時代から育てられてきた日本最古の柑橘、大和橘。
菓子業界では有名な、田道間守(菓祖)が垂仁天皇のためにもちかえった非時香菓(ときじくのかくのこのみ)はこの大和橘であったという。
作る人が少なく希少植物であるが、それを奈良で栽培して名産にしようというのが橘プロジェクトである。主に天理の方で栽培がはじまったらしい。
というので、大和橘についてはちょっと関心があったのだが、それをたっぷり使ったフレンチをやっているお店があると聞いて行ってみる。
御所南のろうじの奥、町家をリノベしてつくられたようだ。
ろうじの奥に入り口
テーブルが三つのこじんまり感が居心地良い。
天井をとっぱらって、二階の梁がみわたせるのも開放感があっていい。
シェフはこの奈良大和橘プロジェクトに深く関係しておられるようで、大和橘のよさを熱く語られる。こんなレジュメまでご用意くださり、万葉集の中に歌われた花橘の歌も何首か。
<わがやどの花橘は散り過ぎて 玉に貫く実になりにけり (家持)>などなど、、、
(橘花ジン KIKKA GIN HPより)
私、興味はあるし、橘花ジンもたしなむのだが、実はほんものの大和橘の実を見たことがない。なんでも金柑より小さい柑橘だと聞いて驚く。そんなにちいさいものだったのか!
さて、このレストランの売りである蒸留器、これで薔薇などの芳香水をつくるのだが、本日はもちろん大和橘!それも実ではなくて葉っぱだという。
右のグラスのがその橘の葉の芳香水なのだが、なんと鮮烈!いままで味わった、いや、嗅いだことのない香りで、一度きいてしまうと忘れられないほど個性的。
柑橘系と思うでしょう?ところがところが全然柑橘でなくてスパイス!なんのスパイスだったか思い出せそうで今も思いだせない、けど東洋系のスパイスなんだ。一般には山椒に似ているといわれているが、違うと思う。
アペリティフは三つもでてきて、これは、タルト?、、、ええっとシェフの説明を聞く前に食べてしまったので詳しい内容は不明、でも美味しい。
フリット
下のは珊瑚だから食べられない(^_^;
ヤングコーンを皮のまま焼いたもの
これにビーツのスープがつく。
信州サーモン(鱒)に花のタルティーヌ
エディブルフラワーがたくさん使われてて見た目も美しい。
鯛の松かさ焼に、大和橘の果汁を練り込んだ麺はもちろん素麺で有名な三輪で作られた物。(この麺はプロジェクトで購入できる)
ちらばった小花はニラの花で、噛むとたしかにニラの味がする。
メインは、ばぁく豚と炭焼き野菜。
ばぁくは奈良五條市のハム・ソーセージ工房、人間が食べるような食事を餌に育った豚だそうで、ちょっとワイルドな味。
これにつけるソースがモロマッジョ(モロミで仕込んだチーズ)、竈で焼いた野菜に、土のごとく散らばる黒い粒は乾燥ブラックオリーブを砕いたもの。
デザートは、メロンに大和橘の果汁を使ったアイスクリーム?生クリーム?
上にのっているのはペンタスの花。
器のガラスも花のところが足になっていてかわいい。
これにあわせるお茶がハーブティーなのだ。五種類のブレンドから選べるので、雪肌美人(^_^;というのに決めた。あまり味わったことのないハーブが多くふくまれていたので。
そういえばシェフはハーブコーディネーターの資格もお持ちなんだそうだ。
左がそのハーブティー、右のお菓子が大和橘のフィナンシェ、大和橘のキャラメル、チョコナッツ。
大和橘の香りと味を味わい尽くしたコースであった。
今度は生の橘の実を見てみたいなあ。
帰りに入り口の前栽のところに実生の大和橘の木を植えているとのことで見せてもらった。実がなるまでは5〜6年はかかるそうだが、一枚ちぎっていただいた葉っぱは手の中でもむと、あの鮮烈な芳香水の香りがして、またあのスパイスはなんだったのか、思い出せないのがはがゆいのであった。
ちなみに古今集の有名な歌
<五月待つ花橘の香をかげば 昔の人の袖の香ぞする>
の袖の香ってこんな香りだったのかしら、、、?
六道参り2023〜縮小版陶器市 - 2023.08.11 Fri
今年も六道参りの八月がやってきた。
今年はいつもと逆コース、五条坂から六波羅蜜寺〜西福寺〜六道珍皇寺の順番で。
五条通り
コロナ前まではこの広い五条通の南北にずらっと陶器市のブースがならんでたいそう賑わっていたのだが。今年もコロナ前とはいかないようだ。(主宰していた運営委員会は解散したとか、なんとも寂しい限り)
それでも今年は縮小版として、五条通りにある若宮八幡宮(陶器神社)境内で、いくつかのブースがでると聞いたのででかける。
五条若宮陶器祭、新しくたちあげた委員会で、陶器市の原点へ帰る、、という感じ。あの大規模な陶器市は大正9年からというから、比較的新しいといえば新しいイベントであったのだな。
主に若い作家さんたちが出店している。かき氷や綿飴屋台もあって、夏祭りのノリ。
まずは八幡様へお参り。平安末期に源氏が建てた神社と言うからかなり歴史はあるのだが、昭和24年に陶祖神である椎根津彦命が合祀されてから陶器神社ともよばれることに。主に五条坂陶器市の時の立ち寄り場所って感じだったな。
御神輿がお皿で飾られているところがなんとも陶器神社らしい。
友人の陶芸家Aさんの出店もあるので、ここでコーヒーカップ購入。暑い中、ごくろうさまです。とりあえず出店できてヨカッタ。

北西にすすんで六波羅蜜寺
昨年は令和館(六波羅蜜寺にできた宝物殿)へ入って、空也上人像と平清盛公像を拝見したっけ。
まずはこちらで地下の迎え鐘をつく。
今年も長年のつきあいだった茶友が逝ってしまったなあ、、、と思いつつ。お盆には帰ってくるかな、あの運天庵(軽トラの茶室)に乗って。
こちらのはちすも勢いが良い。
うちの蓮は花2個でおわりそう、、、(^_^;
そして恒例西福寺の祈願銭。
これ京都に移住する前から毎年いただいて、古いの返して、、をしているからかなり長い。
今年は久々に地獄絵の絵解きがおこなわれているようだ。これも久々に檀林皇后九相図も拝見できた。
ちなみに祈願銭の中味は五円玉である。
願いがかなえばお返しする、、のだが、祈願というより、もうお守りみたいになってる。
この向いにあるのが有名な子育て飴のお店なのだが、、、
最近はその二軒隣のこちらの方が気になっている。
江戸時代から続く<もやし>=種麹のお店、菱六もやしさんである。ちょっと甘酒買ってみたい。
そして東へ、六道珍皇寺へ。
コロナの時にはでてなかった高野槙のお店とか昨年からでているが、例年の賑わいはまだない。
ほおずき
う〜ん、これ見るとお盆やなあ、、、と思う。全然ご先祖様祀ってないけど、、ご先祖様ゴメン、うち仏壇ないの。
境内の閻魔様と小野篁の像があるお堂、うちの能の師匠が能「篁」を復活させるにあたり、このお堂で謡を披露しはったっけ。
水塔婆供養
これは関西に来て初めて知った供養の仕方である。
水塔婆を清める線香に火をつける祈りの手。
例年ならここの迎え鐘は撞くのに行列だったが、今年もすいすい撞けた。
実家ではお盆にはナスやキュウリで馬や牛をこしらえた。これに乗ってご先祖さまが帰ってきなさるように。迎え火も焚いた。送り火も玄関先で。くるくる回る周り灯籠も飾ってたな。なんだか懐かしい風景の記憶。子供達には伝承できなかったけれど、、、
北野天満宮〜御手洗祭足つけ灯明神事2023 - 2023.08.09 Wed

旧暦七夕の北野天満宮、北野の天神さん。境内は奉納された短冊や吹き流しをいっぱいつけた笹の葉に彩られている。
今年は7月、下鴨神社の足つけ神事に行けなかったので、こちらへ行ってみようとでかける。
御手洗川に足をつける神事はかつて行われていたそうだが、明治以降衰退、それを7年前に復興させようと、わざわざ人口の小川を作ったのだ。だからこちらの足つけはごく最近の復活。(この小川で流水の宴もされている)
まずは本殿にお参り、恒例の梅干しの土用干し!
境内の梅から作った梅、年末に大福梅として拝領するやつである。今年は雨が少なく日照も激しすぎるので、梅干しにはよいかも。人間にはきついけど。
足つけ、上からみるとこんな感じ。
だいたい下鴨神社のと同じ感じかしら。
暑い昼間の平日なので、これくらいだが、きっと夕刻はもっと非日常感がでて良い雰囲気だろうなあと思う。
絵馬堂で500円おさめて、、
蝋燭を一本もらう。
蝋燭の色は5〜6色、御利益によって色が違うらしいが、やっぱりこの年になるとなにより無病息災よね〜、、、で、その紫。
水は冷たくて気持ちよい。下鴨神社ほどは深くないので長いスカートでもちょっとたくしあげればOK。
この灯明が風にあおられすぐ消えちゃうのは往生するわ。
神社の方が、水の清浄を保つために、ごみや枯葉をせっせと取り除いてはる。ご苦労様です。
目指すゴールは割と近く、距離もそんなに長くない。途中のベンチで涼んでいる人も。
透明な冷涼な水。
ゴールはここ。
ここからあがったところで蝋燭を納めて終了。
盥に梶の葉。
これは笹にくくりつけておさめられる飾りでもある。(うちにはほんまもんの梶の葉あるで〜、、繁殖力強すぎて往生してるけど、、、(^_^;)
ここにくるといつも挨拶する赤い目のジュノー(心で命名)さん。
こちらの花手水は蓮の花托をふんだんに使っていて、うらやましい。
一瞬風が吹くとなびく吹き流しが美しい。まだ暑いにかわりはないが、風に、空に、ちょっと秋を感じる。七夕は秋の季語だしね。
帰り道は、やはり素通りできない(リスボン時代を知っているCastella do Pauloにてお決まりのパステル・ド・ナタ(*^_^*)
聖地・南山城〜奈良国立博物館 - 2023.08.07 Mon

7月は祇園祭とソウル旅でばたばたしていたので、なかなか奈良へ行けず、久々に奈良成分の補給に出かける。鹿も暑そうで木陰に作る鹿溜まり。
お目当ては奈良国立博物館の「聖地・南山城〜奈良と京都を結ぶ祈りの至宝」
浄瑠璃寺国宝九体阿弥陀修理完成記念とやら。
南山城の仏たちについては9年前、京都の国博でも展示があったのだよね。その後にとっとと南山城まで出かけて岩船寺とか浄瑠璃寺とか行きました!なので懐かしい、、、と言いたいところだが、ほとんど忘れてて、どれも新鮮な展示(^_^;
浄瑠璃寺、岩船寺あたりは有名だが、あと蟹満寺とか海住山寺、禅定寺、、、とかは行ってないなあ。そうそう、忘れちゃならない笠置寺!修二会の実忠和尚が迷い込んで兜率天を見たという龍穴も見に行かなくては!
仏教伝来後すぐに渡来系の人々によって造られた高麗寺(こまでら・すでに廃寺)は日本最古級の寺院で、南山城にあった。その軒丸瓦が先日ソウルの博物館で見た新羅の瓦とそっくりで(当たり前だが)、大陸からの文化の流れを実感する。
ちなみに聖武天皇が四年間だけ置いた都・恭仁京(8世紀半ば)もこの南山城にあった。
木津川市加茂町にあった燈明寺は廃寺になった後、その三重塔や本堂がなんと横浜の三渓園に移築されているあれ、と知ってびっくり。仏像は現在は個人の仏教美術財団が所蔵しているが、この中の十一面観音立像(鎌倉時代)が本日の仏様の中で一番イケメンであったわ。しかもリアルイケメン、生きているが如きお顔なのだ。
浄瑠璃寺の薬師如来像の随侍であった十二神将立像(鎌倉時代)(十二支神)は半分ずつ東京国博と静嘉堂文庫美術館、いずれも東京で所蔵されていて、全部が薬師如来のもと、一堂に会するのは140年ぶりなんだって。(どれも戦う気まんまんのかっこいい神将たちだが、私の干支のだけなんだか気ぬいてないか?な感じ(^_^;)
この薬師如来も毎月8日しかも晴天の日しか公開されない(特別拝観の時期もあるが短い)普通は拝観がむつかしい仏様なのだ。
(ミュージアムショップのこのキャラは大好きな伽藍神・走り大黒とも。サボっている修行僧を追いかけてどつきまわすらしい)
国宝浄瑠璃寺九体阿弥陀座像は二体がおでまし。9年前にも見たはずなんだが、自分のブログにも建物(唯一現存する九体阿弥陀堂)のことしか書いてないって、よっぽど印象薄いんやな。国宝やけど。しかもこの展示はこの像の修理完成記念やのに、、)
行基が聖武天皇と出会ったのも(その後大仏建立へ)恭仁京の近くの泉橋院、一休さんの酬恩庵もそういえば南山城、戒律の復興につとめた解脱上人・貞慶は海住山寺、中国に渡るのに失敗して沖縄で布教をした(エイサーの創始者とも)袋中上人も南山城の諸寺院の再興を助けて晩年をすごした。
南山城の古地図を見るとほんとうにたくさんの寺院があって(廃寺も多い)、まさに聖地。勉強になりました。秋にはまたここの古刹巡りをしよう(笠置寺の龍穴はマスト)と思う。
外に出ると、8月5日〜14日までおこなわれる幻想的ななら燈花会の準備もすすんでいる。
今年工事に入って、いつこの姿が見えなくなるかとどきどきの興福寺の五重塔もまだ見える(下層はすでに覆われているらしい)
しめはことのまあかりさんで削氷(けずりひ)
今日は<鸕野讃良>にしてみました。のちの持統天皇、夫の大海人皇子とひそんだ吉野にちなみ、その清流のブルーと吉野葛の葛餅入り。
ソウル紀行2023〜③雑記あれこれ(仁寺洞〜北村韓屋村〜) - 2023.08.04 Fri
懐かしい通りの仁寺洞(インサドン)
お土産物、伝統工芸品など買える店が並ぶ観光客マストのエリアだが、ここも昔はちょっと路地にはいると昔ながらの庶民的な静かな迷路みたいな住居エリアであったが、、、ここも来るたびに奥まで観光化されてしまった感がある。

夕刻の仁寺洞ギル
観光客もひけてきた頃合いだ。懐かしくもまだ健在の店もあったが、すっかり様変わりした場所もある。お目当ての刺繍屋さんが廃業されてたのは残念。
表通りからちょっと奥まったところにある、ソウルに来るたびに必ず行っていた韓国茶の伝統茶院、よかった、まだ健在だ。昔はここが入り口だったが、変わっていたので入り口さがしてうろうろ。
りっぱなオンギ(伝統的な甕 キムチなど発酵させるのに使われた)がならぶここは耕仁美術館の中庭にあるので、敷地内には伝統的建築のギャラリーがたくさんある。
このすてきな窓枠だけ売られていることもあるので、壁掛けなどにぴったりなのだ。
四阿みたいなギャラリー。
さて、茶院の中へ入ろう。
中は少し変わったけれど昔の面影のまま。ただ注文はデジタルで(^_^;
昔ここでよく暖かい柚子茶など飲んで、帰りに柚子茶の大きな瓶(柚子ジャム)、もってかえったっけ。でも今は韓国のお茶で一番好きな五味子茶(オミジャチャ)のしかもアイスなのだ。これさわやかで、ちょっと複雑な味で好きなのだ。(五味=酸味、辛み、甘み、苦み、塩味)
この茶院のある路地。昔は住宅だったが、左手の建物は食堂になっている。
黄昏時の仁寺洞からその北にひろがる北村(プクチョン)へ歩く。昔ながらの韓屋(京町家みたいな感じととらえて)が多く残るエリアだ。11年前来た時にはまだ有名になる前で、北村の韓屋ゲストハウス(稼働はしていないがオンドルあり、風呂はナシ、銭湯に行く)に泊まったが、その頃は他にはなにもない静かな場所だった。
ところがまあなんということでしょう!
観光客一杯の、そしてたくさんの韓屋はおしゃれな店にかわってしまって、そう、京都の三年坂みたいな感じになっているの。(学生の頃の三年坂は静かでいいとこやった)
これは31(サーティーワン)になってる。
それでも昔ながらの韓屋が軒を連ねる場所もあり、これをめざして観光客は逍遙するのである。
上から見た韓屋。
中国の四合院をせせこましくしたような感じ。
ちなみに左奥に見えるのは景福宮の建物、右端に見えるのは韓国大統領府、通称青瓦台である。
この北村に昔はこの一軒しか無かったカフェ、チャマシヌントゥル、まだあった〜。この周りもほんとになんにも無かったけどな。
高台になるので、ここからの眺めはなかなかに素敵。
内装は若干変わったようだ。李朝の調度がいいね。
ここでは蓮の葉茶をいただく。
うちの蓮の葉でこれできるやろか??ちなみに蓮の花茶ももちろんある。
お茶をいただいて少し休んだあとは、韓屋ウォッチング。
しばらくこんな写真が続きます(^_^;
この床の高さがあるのはオンドルではないかと思う。
ここも古いお家をリノベしてなにかのお店になっているもよう。
玄関からのぞく前庭の風情。日本といっても通じるようでもあり、どこか韓流でもあり。心引かれる。
多くのお家は今じゃデジタルキーがついているが、中には昔ながらの鍵つき玄関扉のおうちもある。前に泊まったゲストハウスの入り口もこんな感じだったなあ。
壁の意匠は、これは日本にはないだろうと思う。
りっぱなお家がならぶ通り。この少し路地に入ったところには住民の自家用車が停めてあったが、いずれもドイツ高級車ばかり、ここは富裕層が住まう場所らしい。(元は一般庶民の家だったが、有名になって富裕層が買ったのかも?)
ごらんのように高台である。振り向けば正面にソウルタワーと町並みを見下ろせるのである。
ここで見た猫はいずれも痩せてたけど、ノラかしら??
韓国にも仏教寺院はある。儒教の国だから意外かもしれないが、仏教徒もけっこう多いのだ。町中でもグレイの僧衣をまとったお坊さんをよく見かける。
これは泊まったホテルの前にあった奉恩寺(ポンウンサ)。朝早くに行ってみた。
入り口から境内まで、ずらっとはんぱない数の蓮の鉢が並ぶ。
そして目を引くのがこのおびただしい提灯。
創建は新羅時代というからかなり歴史のあるお寺のようだ。
本堂の前のこのびっしり提灯にも度肝を抜かれる。
本堂では金色に輝く仏様に天井には蓮の花をかたどった照明、タイの仏教寺院をちょっと思い出す。読経もかなり元気よくリズミカルで音楽的、朝から元気でそうである。
あとはどうでもいい話だが、、、
ソウルのICOCAみたいなもの。(いろんなデザインがあり、コンビニで買える)
これ地下鉄に乗るとき便利。しかも地下鉄料金かなり安い!
地下鉄といえば表示がハングルと音読みをアルファベットに置き換えただけ。これ、全然読めん!昔は漢字表記も併記されていたからわかりやすかったが、今回は降りる駅が何番目かしらべて、指折り数えて降りるという、、、ハングルの洪水は少々頭が痛くなってくるとともに、現代人は文字を読めないとおちつかないものだなあ、、と実感。
歩いた距離は3万超え、距離にして約20km、さすがに腰にきてる。(普段は一万くらい。たまにあるいても3万越えたことない、、、)
さて食べ物編
昔っから屋台と言えばホットクを買う!たまにトッポッキ。
昔にくらべ屋台の数はへって、それもおしゃれになってしまったが、食べられるのはありがたい。肉桂がしっかり効いた中味つまったタイプ、美味しく懐かしい。(あっさり系もあり屋台毎に昔は味が違ってた)
北村ではトッポッキの店発見。
おばちゃんがひとりでやってた。
で、この日の晩飯はトッポッキ!
安上がりや。
お口直しに明洞近くの公園にいた猫の画像をおいておく。
これにてソウル紀行2023おしまいでございます。
ソウル紀行2023〜②国立中央博物館 - 2023.08.02 Wed
企画展以外はだれでも無料で入れるソウルの国立中央博物館。

こちらも昔、京都の高麗美術館主催の「浅川巧日記を歩く」旅(☆)で来たことがある。記憶はかなり薄れたが、この地で亡くなり、ここに骨を埋めた巧さんのお墓までお参りに行った記憶だけは鮮烈だ。
(ちなみに浅川伯教・巧兄弟は朝鮮古陶磁の研究を語る上で欠かせぬ人物で、柳宗悦のその目を朝鮮古陶磁に開かせた)
広くて天井の高い開放的空間、夏休みということもあって、子供達も多く、海外の学生達の団体もたくさん来ていて、ガイドロボットも歩き回るし、なかなかにぎやか。
フラッシュなしなら撮影もOKと太っ腹。
朝鮮古陶磁コーナーだけ見てさっと帰るつもりが、あまりの居心地の良さと展示のすごさにすごく長居をしてしまった。
時々歩き回っているこの○ティーちゃんっぽいゆるキャラは何だろう???と思っていたが、どうやら国宝の弥勒半跏思惟像の弥勒ちゃんらしい。(名前はしらんけど)
この国宝は広隆寺の弥勒半跏思惟像を思ってもらえばいい。ほぼそっくり。ちなみに広隆寺のあたりは渡来系の秦氏の根城だからそっくりな像があるのは自然。
で、このゆるキャラが弥勒菩薩を連想させるのは頭の冠だけ、、という(^_^;
新羅(〜10世紀)コーナーでは、、、
うおおおお〜!の新羅土器がこんなに!
一つ入手するのに(花入れとして)苦労したのに、苦労したのに、、、こんなに、こんなに、、、(゚Д゚);
伽耶(1世紀〜6世紀)土器もずらっとあったが、違いがいまいちワカラナイ。(川口美術の川口さんのコレクションが新羅ではなく伽耶だとおっしゃってた)
おおお〜っ!
これも奈良に伝わった軒丸瓦の意匠だ〜!!
意外にも古代コーナーに捕まってしまう。
やっと当初の目的の3F古陶磁コーナーへ。
高麗青磁コーナー
高麗青磁はだいたい新羅が滅んだ10世紀からメインは14世紀あたり
中国の青磁よりちょっとゆるい感じの日本人好みの高麗青磁、中でもこの化粧セットはかわいくてすごくいい。セットされた中の器は香合にもなれば花入れにもなり、入れ物の大きいのはもちろん食籠だろう。
前来た時は粉青沙器と白磁コーナー分かれてたが一緒になったのね。
ちなみに一番好きな粉青の最盛期は15世紀、16世紀以降は李朝白磁の時代となる。
しかし青磁と粉青(青磁に似せて作った)の境が非常に紛らわしい。過渡期のものも多いとは知っているが、さっき見た高麗青磁と書いてある壺と、ここにある粉青とかいてある壺と、どこがどう違うの???と何度も見返したが、ワカラン。まあ、分類する意味はないのかもしれんが。
古美術店で買えば、一つでもお高いお高い<来賓三島>がこんなに並んでますわよ〜〜(゚Д゚);;
来賓三島の由来となった来賓寺は当時外国の賓客をもてなす官庁でもあって、ここの什器、という印に官庁の名前を象嵌した物。(実は一つ持っているムフフ)
他に長興庫、内資寺、内膳、仁寿府、、などの文字あり。
粉青最盛期のものになると印花もしくは(三島暦に似た)縄目が必ずはいっているので、これなら黒い象嵌があってもはっきり三島(粉青印花)といえるなあ、と思った。
主に鶏龍山で焼かれた粉青鉄絵の塩笥。
これいいなあ、、、、絵唐津の塩笥もいいが、これもやっぱり素敵素敵。水指に〜〜
そして白磁の時代になる。
司甕院分院
分院だけの方が通りがいいが、朝鮮王朝中央が管理していた朝鮮王朝最後の白磁の官窯である。実はここにも高麗美術館の旅で行った。おびただしい白磁の片がぎっしり発掘、展示されていたっけ。
白磁は17世紀に最盛期、真っ白な壺もあれば、青花(染付)も多く、後にコバルト顔料不足から鉄絵も盛んにおこなわれる。この右の鉄絵の壺は有名。徳利の首に巻き付けた縄、、、って感じで、これもろに日本人も好きそう(^_^;
せっかくだし、日本コーナーにも行ってみた。政治的にギクシャクしていることはあっても、なかなか真面目にコレクション、展示してあったわ。この二畳の茶室(待庵写し?)、隅炉の炉縁があれれだが、茶碗が黒織部〜〜!
よだれ垂らしながら古陶磁コーナーを終えて軽い気持ちではいったimmersive digital gallery(没入型デジタル環境)にすっかりはまってしまい、ここでどれだけ時間費やしただろう(^_^;
イマーシブデジタルシアターは日本にもちらほらあると思われるが、ここのは数プログラムある内容と音楽がすばらしかった!(こちらにデモあり、少し見られる)
これは江山無尽図(多分)、朝鮮王朝後期の宮廷画家の山水図をベースに3Dのパノラマにしたプログラム。
一番すごかったのはroyal procession with people(王の行幸、民とともに)
(お聞かせできないがこのBGM最高だった)
正祖(18世紀の22代朝鮮王 韓流TV「イ・サン」の主人公)が昌徳宮を明け方に出て夕刻華城城郭に着いて花火とともに民衆と楽しむ行進の様子を描いた物。モーションキャプチャーを使ってアニメの人間の動きがほぼ人間そのもの。
夜は提灯を掲げて。
そしてこれが涙が出るほど美しかった(2回見た)王様の行進の後半部分、宮廷舞踊の場面!舞の一つ一つがさすがモーションキャプチャー!うっとり、、、
これはタイトルは不明のプログラム。
コミカルな踊りを披露する右の虎はわかるとして、左の動物は獅子?狒狒?と思って調べたら「ヘチ」というソウルのシンボル的想像上の吉祥獣であった。知って見るとあちこちにこのモチーフが見られるという。しらんかったわ。
これもぐっと来た一編。
朝、子供達や赤子を背負った妻、飼い犬に見送られロバをひいて行商に出る男、先々で雨に降られたり、行商がうまくいったり、土地の人と交流したり、かせぎの中から子供達へもお土産も買って、帰る道にどこからともなく聞こえてくる音楽にロバの綱を持ったまま思わず踊ってしまう。
そして星明かりの頃、出迎えに来た子供達にお土産をわたし喜ぶ姿を見て家に帰る場面。
なんでもない一家の1日、地球上のあらゆるところで繰り返されたであろう、また繰り返されるであろうなんでもない1日が尊い物に思える一編であった。
というわけで、半日博物館で遊んでしまったのであった。楽しかった〜♪
ソウル紀行2023〜①LEEUM美術館 - 2023.08.01 Tue
ハロー、ソウル、11年ぶり〜。(アンニョンハセヨの方がいいか?)
通算5〜6回目。最初ソウルにいったのは日韓ワールドカップの前年くらいだったからもう20年以上前。来るたびにどんどん新しく近代的な町になっていったが、それはどこにでもあるような都市になってしまうことなので、ちょっと残念なような。
20数年前、空港を降り立った途端むわんときたニンニクの匂いも今はどこにもない。大阪にいる、、と言われても違和感ない。
繁華街明洞(ミョンドン)に行くと猥雑さはまだ残っているが、でている屋台は若者向けのおしゃれな物が多い。
昔は蚕の蛹をあちこち道端で茹でてて(ポンテギ)、すごい匂いがしていたし、繁華街でなく街角のいたるところにホットクやトッポッキの屋台があったし、道の舗装は凸凹だったし、、、なんだか昔のソウルが懐かしいのは、昔の京都(over-tourism以前)が懐かしいというのと同じ気持ち。
さて、7月末のソウル、緯度は北海道レベルだが、最近は北海道も涼しいって気温ではないので、33℃ならまだ楽勝(37〜38℃の京都に比べれば、、、)
それでも熱中症警戒アラートがでてるらしい、、、(スマホに来たが全然読めん。)
さて、今回のぶらり一人旅のメイン目的はこちら。
サムスン美術館と言った方が通りがいい。ご存じサムスングループの文化財団のコレクション展示。
現代アートのパートもあるが見たかったのはもちろん陶磁器コーナー。(他に仏教美術、古書画もある) こちらはオーディオガイド込みで無料!(入館にはネット予約必要)
エントランス
時間を区切った入館予約のせいか、人は多くなくてゆったり見ることができる。
(エントランスまでの点滅するインスタレーション?)
あとで思い出し直そうと思うが図録も、ポストカードもない、という潔さ、しっかり目と心に焼き付けなければ。
(エントランスホールに流れる映像)
高麗青磁、粉青沙器、李朝白磁、、それらの選りすぐりの逸品コレクションは見応えある。中でもわが偏愛する粉青沙器のコレクションはすばらしいなあ。コチラでは「三島」という言葉は当然無い。これは桃山時代の茶人がつけた名前だから。ここでは印花という。
(予約開始時間まで広いロビーでゆっくり。テイクアウトのみのカフェもある)
一室に高麗青磁の小さい盞が20個ほどずらっと並んでいるコーナーあり。象嵌あり、なし、輪花型あり、台つきあり、汲みだしサイズあり、杯サイズあり、さまざまだがいずれも状態のよい一級品ばかり。かわいくて持って帰りたい〜と思うのも。でも、でも、中に一つ、私が大事にしている高麗青磁の小盞とほぼ同じものを見つけた!すごくうれしい。
無料で貸してくれるオーディオガイド(日本語対応あり)は、目的の展示物に近づくと自動的に解説がはじまり、簡単なデータと写真も画面にでてくるスグレモノ、もちろんサムスン製だろうなあ(^_^;
ここは建物もすばらしい。伝統美術展示のMUSEUM1はスイスの建築家の設計、太陽光が当たるときこのような虹ができる。ちょっと曇るとなくなるので、日光が出るのを待ってみんな一斉に写真を撮る。
虹のらせん階段を降りていくのも心地よい。
このコレクションも税金対策としていずれ国に寄贈されて、新しく建てる国立の美術館での展示になると聞いた。国の美の基準と、個人の美の基準は異なるので、それでいいのかわるいのか。特に韓国は時にいきすぎたナショナリズムが発動するからなあ。
お昼は美術館近くのジゴルパプサンという狭いけど人気らしい店で。
韓国版京のおばんざい、、といった感じのランチ。ご飯と味噌汁に本来は付け合わせのパンチャン(おかわり自由の無料つけあわせ・たくさんでてくるのが通常)をメインにしたおかず。どれも味が好み♪で、ほとんど野菜でヘルシーだが、そのあとすぐお腹がへってしまったのであった。