壺中日月長〜初秋の宵の茶事 - 2023.09.29 Fri

北摂阪神間の妊婦さん達はほぼここで安産祈願すると思われる中山観音さん。宝塚に住んでいた頃、長男がお腹にいたのでここにお参りしたのも、生まれてから長女の手を引いて長男抱っこしてお礼参りしたのも懐かしい。これは参道のお礼参り用さらし(腹帯)を売っている景色、これもかわらない。
中山さん(中山寺)の五重塔の上にはもう秋の雲だが、9月末と思えない暑さはまだ続く。
お招きいただいたのは、広い露地と小間の茶室を擁する某道具屋さんの大きなお家。本日のご亭主はご懇意にされておられるので、ここをわれわれ客4人のためにお借りくださったとか。まあ、入り口からはいったところでその風情に感激。わくわくである。
待合の座敷には「楽しみはその中にあり雪月花」で、瓢箪の絵。どなたの作かと思っていたら、100歳を越えてお元気でいらしたお母上の手によるもの、本日のテーマに沿って久々にお使いになられたとか。
腰掛待合にはきちんと蕨箒、夕刻の中立にはこの灯籠に灯りが入る。
変則的に広間でまず懐石をいただく。なにしろ我が家と同じで小間の茶室にはエアコンがないとのことで。日中は暑いだろうと、夕刻のお招きのお心使い、感謝である。
社中のお弟子さんの渾身の懐石。盛り付けにも、献立にもすごく繊細な心配りがあってこれも感激。自分の雑な懐石をちょっと反省。
金沢とのご縁で、加賀のお酒あれこれ数種、それぞれちがう酒器でいただいた。いずれも美味しい。今日は車じゃないのでいっぱい飲める♡
写真にはうまいこと写っていないが、黄色の満月のようなしんじょうにはこぼれ萩にみたてた小豆が入っているという懲りよう。小豆も柔らかく炊けていて美味しかった。(小豆炊くのはけっこう時間がかかる)
びっくり!が八寸である。
満月にみたてたサツマイモは私も作るが、尻尾を兎の耳に見立てた海老には感激!これも手がこんでいるのよ。梨の酢の物も美味しかった。参考にメモメモ。
大きな月とススキを描いたお皿に載ってでてきたのは栗きんとん。なめらかで栗の風味がとても、良い具合、、、と思っていたら、今朝、加賀の行松旭松堂から届いたばかりですと!なんてうれしいお心使い。
懐石終わる頃には日も暮れて、灯火の美しい時間。
小間に場所を変えて炭手前。かかる軸は山田無文師の「壺中日月長」
これが本日のテーマ。われわれは時を忘れて壺中に遊ぶ客である。
初代寒雉の車軸釜は鐶付がカマキリ。ちょうどこの季節に卵を産んで、小カマキリがあちこち出没する季節だな、、、と思う。(カマキリは不完全変態なので、芋虫時代がないので好き)
土風炉の時には風炉中拝見があるとは知らなかった。自流ではあるが、まだ知らないこといっぱい。勉強勉強。
曲げ物の香合は木賊に月、蓋裏には、ここにも兎。(木賊、兎、月の三点セットは昔からある意匠らしい)
昔からお気に入りだったという時代の火箸は、柄のところがエンドウ豆の莢そっくりで、かわいらしい。
後座の迎付はあるかな?あるかな?とみんなで喚鐘の数を数える。よし、最後の一点はなし、手燭の交換あるわ〜、と喜ぶ。久々に客として交換させてもらってうれしくて舞い上がったので、ご連客の足下照らすのすっかり忘れて、とっとと一人席入りしてしまった(^_^;
花はかわいい紫のビーズ玉みたいな花のカリガネ草、柳蓼、あと菊に似た黄色い花、、名前を失念(汗)
竹檠のほの暗い炎に照らされた小間はまさに世間から切り離された別天地=壺中である。
濃茶の主茶碗は黒楽なので、ご亭主はお手元暗い中、茶の分量、お湯の分量は手探りである。茶入が古丹波耳付き銘を「山路」、茶杓は淡々斎「峰の雲」。山路に上り来て、見上げれば峯の雲、このとき胸に去来(茶碗の銘)するものはなんであろう、、、というような景色が脳内に広がる。これが茶道具の銘のほんま面白いところなのだ。
かずらの蔓を巻いた建水がまた、伊勢物語の蔦の細道を連想させて、宇津の山越え〜山路につながって、、、と妄想はさらに広がる。
薄茶では透明なクリアキャンドルをたくさんご用意くださって、これどうしてこんなに透明なの??と話題も広がる。
時代の升を煙草盆に、曳舟の図が描かれているのが印象的。この曳舟の意匠は淀川の景色だと以前教えてもらった。それから発展して、くらわんかの茶碗についてとか、茶道具についてご造詣の深いご連客の古老さまに、色々教えていただく。ほんまに今日は勉強した〜!
干菓子はこれも加賀の諸江屋さんの菊煎餅。裏にちゃんと萼まである仕事である。
薄茶器も朱の彫り物の菊(人間国宝・北村昭斎)、茶杓がなんとヤジロベエになった案山子!私も好きで2本ほど持っているところの家具デザイナー久野輝幸さんのもの!
今うめだ阪急でふくいひろこさんの茶箱遊び展をやっていて、そこに久野さんの茶杓もたくさんでているのだが、同じようなの見たことある!と思ったら、昔ご亭主が、わざわざたのんで作ってもらったものとのこと、つまり原案は本日のご亭主だったのね!意外なつながりに感激。
かくして壺中に遊んだわれわれもついに壺から追い出される時刻に。
気心しれたご連客様方とご亭主と、本当に楽しくて、話もはずんだ一会であった。(水屋さんもご苦労さま、ありがとうございます)
余韻にひたりながら空を見上げれば美しい十二夜の月。いよいよまもなく中秋の名月だ。
芝・増上寺〜徳川家の菩提寺 - 2023.09.28 Thu
東京美術俱楽部から徒歩でいけるので、時代小説の中やTV時代劇で度々名前がでてくる増上寺ちゅう所に行ってみることにした。関東在住の方は見慣れた景色かもしれないけれど、私にはおそらく最初で最後のお参り。

地下鉄のその名も大門駅から交通の激しい通りにどーんと建つ大門。(昭和12年・コンクリート製)これは東京ならではの景色か。
増上寺といえば徳川将軍家の菩提寺、なんでも家康江戸入府の折、帰依していた増上寺のお坊さんに対面したのがきっかけでここを墓所と決めたという。
そのくせここで眠る歴代将軍は6名だけで、かんじんの家康は日光東照宮に眠っているからなあ。
ちなみに他の将軍方が眠っているのは上野の寛永寺(ここも一度行ってみないと)、三代家光はおじいちゃん大好きだったので日光、最後の慶喜公だけは谷中霊園。
大門の先に建つ重文・三解脱門。ベンガラ塗りなのだろうか。時代は下るとは言え、京都奈良のお寺とは雰囲気をかなり異にする。
この増上寺は東京大空襲にてほぼ灰燼に帰したため、今ある堂宇は戦後の再建であるが、この門だけは江戸初期の名残である。
あ、ちらっと東京タワー!
広い境内、大殿(本堂)は昭和40年代に復興されたとか。
ああ、しかしシュールな光景だこと。お堂の向こうに東京タワー、超高層ビル、、東京やな。さすがにこの景色は京都、奈良にはないわ。雰囲気は浅草寺にも似てるな。
お参り。ご本尊の阿弥陀様は室町時代の作とか。
中はすっかり近代的である。できればお寺には畳のあるコーナーが欲しいと思ってしまうのだが。
大殿から振り返って見る三解脱門。日比谷通りの慶応大学も近いエリアである。
せっかくだから徳川将軍霊廟〜御霊屋へ入ってみる。
これは鋳抜き門とよばれる唐金で鋳た門で、現在は墓所の門となっているが、かつては広大だった御霊屋のほんの一部、六代将軍家宣の霊廟の門だったもの。
中へ入るとおびただしい数のお地蔵様がお出迎え。(千躰子育地蔵〜昭和50年代から)
戦前の御霊屋の地図を見るとはかなり広い敷地で日光東照宮にも匹敵する規模だったそうだ。空襲できれいさっぱり、ほとんどの霊廟が焼失してしまった(戦前は国宝)ため、戦後3分の1くらいのスペースに色々残ったものをかき集めて再建したという。
ちょうど時間がよくて、ボランティアガイドさんの30分くらいの説明を聞くことができた。
興味深かったのは二代秀忠公の宝塔が焼失したため、奥方のお江さんと合祀されていること。死後も尻の下にしかれているとか(^_^;
他の将軍生母や正室側室方はひとつの宝塔に合祀されているのに、おひとり和宮さんのお墓だけは青銅で復興、おとなりの旦那さんである十四代家茂公に寄り添ってはいるがこちらの宝塔は石製。やはりバックに皇室がついている差でしょう。しっかり菊の御紋もついてたし。
昭和33年、東京オリンピック前に土葬は衛生上良くないとかで、発掘調査が行われ、改めて各歴代さまが火葬にされた、というのは初めて知った!そんなことがあったんやなあ。それで各将軍の頭の大きさから脳みその大きさまで調査でわかったというから面白い。
さて、この江戸の遺構三解脱門、まもなく10年ほどかけて解体修理がおこなわれるそうだ。今見ておいてよかった。
この門の先には大門と大都会の通りが見える。ここで増上寺にお別れ。
近くには東京プリンスホテルなどがあるが、実は戦災で失われた霊廟の跡地に建っているんだって!
現在の境内からちょっと離れたところに有章院霊廟二天門が当時のまま残るが、現在は増上寺ではなく個人の所有なんだそうだ。ちなみに有章院は満6才で夭折した七代様、家継公である。
御霊屋へ入る時に記念にいただいたクリアファイル。
大河ドラマが「どうする家康」の年にここへこれたのも、何かのご縁かもしれないね。
東茶会〜東京美術俱楽部 - 2023.09.26 Tue

1週間に2回も東京へ行くなんて、、、(1回目は親族のお祝い)、で、今日はここ!東京美術俱楽部。昨年アートフェアに初めて来てから久しぶり。本日は御縁あって東茶会へ初参戦。
ひがしちゃかい??と思っていたら<とうちゃかい>と読むのね。東京茶道研究会の略称だったとは。茶道復興のため戦後から始まったというから、歴史は長い。年に5回ほど茶会がひらかれているそうで、席主は主に東京美術俱楽部所属の古美術商の方が多いとか。そりゃええ道具がでますわな〜。
場所は東京タワーの見える芝、え?こんな都会のどまんなか、しかもビルの中に!というような立派な苔のある露地があるなんて、知らなかった、、、(会の間中、係の方がじょうろを持って水やり何回もされてた)
濃茶席の席主は東京台東区の古美術・那須屋さま。東塘茄庵とは、台東区と那須をもじっていてウイットに富んだ庵号ですこと。
寄付に冷泉為恭の「蝉丸の図」、謡曲の「蝉丸」の一節のご説明あり。蝉丸は仕舞でもやったし、蝉丸神社もいったことあるし、なじみがあってうれしい。場面は月の夜、琵琶の教えを請うために何度も足を運んでことわられた源博雅(安倍晴明のバディ 管弦の天才)の姿も。
気になったのは煙草盆、不昧公お気に入りの如泥の作、指物師として、継ぎ目がわからないくらいの腕前だったそうで、確かに、、と思いつつ。
本席は寂蓮筆の歌二首、花入れが珍しい磁州窯の百合口瓶。下が磁州窯っぽい黒で鴨の図が彫ってあるが首から上は白く、まさに百合の花が開いたような口。初めて見た。
風炉が蝉紋、とあるが古代中国青銅器の文様っぽい(饕餮紋とか)。
濃茶席のハイライトは瀬戸茶入。金華山天目手。天目手って横から見ると首の上がなければ天目茶碗に見えなくもないシルエット。けっこう大きい、手に取らせてもらえるのがうれしい。遠州の箱で銘を「露滴」。遠州の長男大膳宗慶の添軸に、露の滴という歌を添わせている。遠州ファミリーとして権十郎(三男)の箱の無地刷毛目茶碗もでてた。同じような無地刷毛は持っているが、雨漏りの見事さと、権十郎の伝世ということで負けるわなあ、、、(^_^;
茶杓「何以生(いかんせん)」、玉舟、これも宗慶箱。
個人的にうれしかったのが、会記には載っていない薄器の蓋裏になじみのある庸軒の花押を見たこと。(今庸軒がマイブーム)
薄茶席は世田谷の古美術ささき様。小堀遠州流のお茶をされていて、お道具も遠州系が多いが何度かお世話になっている。(そのご縁で案内いただいた)
ユーモアを交えたお話がお上手で客の心をわしづかみ。
春屋の一行「秋沈萬水家々月」は季節にぴったり。珍しいところでは脇床に毛利家伝来の伽羅箪笥(香道具と伽羅の包みを入れる蒔絵の箱)、繊細で美しいお道具。
多摩川の近くにお住まいだそうで玉川にこだわったのが、多摩川べりの花々、玉川図風炉先(六玉川のうち4つが描かれる)、蓋置が玉川焼。
メインの茶杓は遠州作・石州箱という「黒さび」。たしかに煤竹でつやつやで黒い。(Fe3O4ではない(^_^;)
一番萌えたのが、脇床に飾られた益田間道(赤・黄色)に添えた鈍翁の茶杓、銘を「唯識」。箱を見るとなんと横山雲泉に送る云々ではないか!先だっての関の茶事で、鈍翁と雲泉の関係をしこたま見せてもらって間もないので、主の茶杓よりうれしかったりする。しかも唯識といえば薬師寺だしね!
ちなみに益田間道は鈍翁の次弟・克徳(非黙)がインド土産に買って鈍翁に送ったパトラの布でできている。本席の菓子器が非黙旧蔵の縁高だったのにちなむ。
頭と心一杯の後はお腹をいっぱいに。三友居さんの点心をいただく。
今季初物の松茸〜!(冬瓜の下は鱧、つまり土瓶蒸し)
宇治川鵜飼 - 2023.09.24 Sun
「鵜飼い 数をつくしてひと川浮きてさわぐ、、、」 (蜻蛉日記)

平安貴族もしたという鵜飼い遊びを我もと、、宇治へ。
実は毎年行こう行こうと思いつつ、いつのまにか9月になって、天候悪くて中止とか、それっきり、、、で10数年、今年はぎりぎり9月ではあったがついに滑り込み。(9月30日までだがもちろんハイシーズンは7,8月)
宇治川は今日もご機嫌で流れが荒い。
鵜飼いは17時受付、18時過ぎ(7,8月は18:30)乗船、早くに受付したが、さすがに9月、ややオフシーズンに入っているのもあり、さらに雨模様でもあり、船は2艘だけ、10数人、しかも半分インバウンド、という感じ。(周辺の店はこの時間ほとんど閉まっているので早めの夕食がオススメ)
乗船前に舟乗り場近くの鵜舎へ。
鵜飼いに働くウミウたちを見ることができる。小屋は半分が野生の鵜、半分がここで孵った<ウッティー>たちだ。(国内で初めて産卵・人工孵化・育成に成功)
ペリカンの仲間というが、たしかに思ったよりでかくて口がペリカンっぽい。
さて、舟に乗っている間、もうしのつくといっていいほどの雨で、屋根はあるものの、しぶきがはいってくるのなんのって、、、
いつも福寿園の抹茶ソフトを食べているところの川沿いの道には灯籠がならぶ。
客舟に遅れてやって来た鵜飼い船、宇治には女性の鵜匠さんが3人もいらっしゃる。今日も若い女性の方、雨にずぶ濡れになりながらまずは宇治の鵜飼いの説明など。
宇治川の鵜飼いは平安貴族のお遊びでもあったようだが、その後貴族の没落とともに衰退、大正15年に復興されたとか。
かがり火に集まる魚を捕る鵜。かなりの頻度で捕まえていた。鵜呑みにする前に綱をたぐり寄せられて魚を吐かされるのだ。
魚を吐かせているところ。大物もいれば小物のことも。ちょっと鵜、かわいそう、同情してしまうわ(^_^; しかし野生の鵜のような自由はないが、食いっぱぐれることも天敵(猛禽?)に襲われることもない。動物にはどっちがええやろか、いつも悩むわ。
川面にかがり火が映って美しいが、実は大雨がふっていて、舟から水をかいだす係の人も乗っていた。
嵐山の鵜飼いは学生の時に行ったことがある。ハイシーズンだったので川面にはたくさんの舟が出ていて、かがり火が昼のように明るかった記憶が。しかしこの初秋のわびた感じ、もの悲しい感じの方が好きやな。場所も都をちょっとはなれた宇治、宇治十帖の宇治である。
びしょぬれになりながら鵜をあやつる鵜匠さん、真剣なまなざしが美しい。
鵜も大雨の中(あ、どのみち濡れるか、、(^_^;)がんばる。けなげ。
「おもしろうてやがて悲しき鵜飼いかな (芭蕉)」
の、気持ちがちょっとわかる。あれは長良川の鵜飼いであったが。
そういえば先だって岐阜の茶事では長良川ならぬ和良川の鮎をしこたまいただいたっけ、、、
残念ながら宇治川でとれるのは、主に鮒や、なんとブラックバスが多いのだとか。
水と火と、ついでに雨と人と鵜、なんとか今年見に来ることができてよかった。
小一時間のページェントは終わり、舟も帰路につく。川風が心地よいと書きたいところだが、なにせ大雨、涼しくはあった。でもおわりかけになるとすっきり雨が上がってしまうと言うこの不思議。
舟からあがって宇治川をふりかえる。鵜たちも今夜のお仕事終了、ご馳走をもらって鵜舎へかえるのだろう。お疲れ様〜。
この灯籠にはそれぞれ源氏物語の各巻の代表的場面が描かれている。さすが源氏物語の町、宇治、そういえば来年の大河は紫式部が主人公だったなあ。また宇治もさらに脚光を浴びるのかな。
西山厚先生と行く大和古寺探訪〜空海の足跡をたずねて - 2023.09.22 Fri

明日香の秋!
一袋100円の柿にツルムラサキ(ああ、買って帰るんだった、、、)
ここは岡寺、1年前飛鳥光の回廊で来てから1年ぶり。
今回は奈良交通のバスツアー、それも元・奈良国立博物館学芸部長(現・名誉館員 帝塚山大学客員教授)の西山厚先生とご一緒に、解説を聞きながら、という贅沢なツアーなんである。
(名物?岡寺のビー玉手水)
奈良の仏教美術、歴史を語らせたらその面白さで右に出る人がいない、という先生、オンライン講座で時々拝聴しているが学者然としてなくて、時に目からウロコぼろぼろの切り口をみせてくださるので、超人気。実はこのツアーも販売開始になるとすぐ満員御礼になると聞いていたので、奈良交通のメルマガをこまめにチェックしてゲットしたのだよ(*^_^*)v
今はすっかり岡寺だが、本当の名前は龍蓋寺である。(岡というのはここらの地名)草壁皇子(天武、持統の息子 帝位を継ぐ前に若くして亡くなった)と一緒に育った義淵僧正が皇子の宮のあったここを寺としたという。義淵といえば当時の仏教界のトップだったそうで(弟子に行基、玄昉、良弁など)伝説ではこの地を荒らす龍を退治して、この池に封じ込め岩で蓋をしたというのが寺名の由来。
これがその封じ込めた岩。
まあ今では信じる人はいないけれど、、、でも、というのが次の伝・義淵僧正の墓での先生の深いお話。
小高い奥の院に立つ義淵僧正の墓と言われる宝篋印塔、実際には後世に作られたものと思われる。なんか墓らしきモノがある、だれの?わからんけど、この寺で一番大事なのは義淵だからそのお墓にしちゃえ、というのがあったのだろうと。
また現在奈良博に寄託されている国宝・義淵僧正像、これも実は聖僧だったらしい。聖僧(しょうそう)とは奈良時代まで寺の食堂(じきどう)に安置された像で、食事の時にこの像の分まで並べるのがきまりだったとか。(文殊とも御賓頭盧とも)平安以降にすたれたものなので、この像だれの?ワカラン、じゃやっぱりここで一番大事な人物は義淵だから義淵像にしちゃおう。ということらしい。国宝なのに、、、国宝なのに、、、、
(おみくじの龍の玉)
こんな歴史の話、西山先生からしか聞けない。
先生がおっしゃるに、事実はどうでもいいんです。義淵の墓であろうがなかろうが、像であろうがなかろうが。いままで多くの人によって大事にされてきた、ということが大事なんです。西山節炸裂、なんだか感銘をうけた。美術館、博物館で「伝」がつくものは多い。しかしその真偽よりも大切にまもられて伝えられてきた歴史のほうが尊い、、、深いなあ、、。
ちなみに今回のツアーは「空海の足跡をたどる」、、、であるが実は岡寺はあんまり関係ない(西山先生曰く)。でも空海が湧かせたという井戸(瑠璃井)はあって、お大師様の石像も。これも伝説に過ぎないけれど、そう信じられてきたことが大事なのね。
奥の院から見下ろす本堂。
本堂には白い塑像(!)の如意輪観音様がご本尊としておられる。一見如意輪観音にはとても見えず、阿弥陀様のような像で、古い形式なのだそうだ。これも空海伝説があって、空海が天竺・唐・日本の三国の土を混ぜて作ったという。(♪天竺震旦わが朝三国に、、、謡曲「百万」の一節思い出したわ)
ここからは飛鳥の風景が一望の下に見られる。
いつ来てものどかな明日香村、どうぞこのままでいてね。
これは三重塔(比較的新しい復興)の軒四方にぶら下がる琴。これは言われないとわからんわ。風が吹くと鳴ることもあるそうで。
このお寺で一番空海に縁のあるモノと言ったらこれです、と修行中のお坊さん。乙訓寺(唐から帰国してまもなく空海が別当をつとめた)の橘の種を先代ご住職?がもらいうけて植えたものだそうだ。今ではすっかり大きくなって青い実をつけていた。
さて、お次は久米寺。
紫陽花が有名なので、その季節に一度来たことがある静かなあまりひとけのないお寺である。
聖徳太子の弟・久米皇子創建とか久米仙人とかいろいろ伝説はある。
だが、空海的に一番大切なのは彼が密教の神髄である「大日経」をここの多宝塔で発見した!ということである。今までの仏教のあり方に疑問を抱き、何度も泣くくらい苦しんでいたが、この経をみたとたん、これだ!と直感。いかんせん、当時の日本にはだれもこれを読み解くことができる坊さんはいなかった。よって空海は渡唐を決意した、というばりばり空海ゆかりの寺なんである。(一般的にはしられてないと思うよ)
空海が大日経を見つけた多宝塔があった場所に礎石が残っている。これは教えてもらわなければ絶対スルーするよね。ちなみに奥に見えるのは仁和寺から賜った再建された多宝塔。
それにしても空海のあまりの運の強さを再認識する。
本来遣唐使船に選ばれなかった彼は20年待たないと次の便はなかったところ、船が九州で座礁、待機していたため間に合って乗ることができたこと。
当時大唐で密教の第一人者であった恵果和尚(青龍寺)が亡くなる直前に会えて、その教えをすべて体得できたこと。
帰りの遣唐使船は十数年先の予定であったが、唐の皇帝が亡くなりその弔問に臨時の船が出て3年足らずで帰国できたこと。
いずれもひとつ時期を間違えば入唐できず、恵果にも会えず、唐で亡くなっていたかもしれない、、、仏様の加護があったとしか思えない、不信心モノでも。
さらにバスは走って橿原市十市町・正覚寺へ。ここは初めて。(大和八木の近く)
なんとここでは、西山先生が来られる!というので十市町公民館で自治会総出のお出迎えに感激。ここのご本尊、大日如来像の里帰りに関わったのが当時奈良博におられた西山先生だったのだ。
正覚寺は無住の寺で、地域の人たちが守ってきたのだが、大日如来像(平安時代)は天部立像、地蔵菩薩立像とともに、昭和50年代に修復修理のため、ずっと奈良国立博物館へ寄託されてきたのだ。
地域の人たちにとって、ご本尊のお帰りは悲願であった。そのために博物館とかけあい、新しく収蔵庫を建設、ようやく昨年三体そろってのお帰りとなったのだ。
木の香も新しいお堂に安置された大日如来は智拳印を結んで柔らかなお顔(撮影OK)。
ちなみに智拳印は密教・金剛界の大日如来。胎蔵界のは円をつくるような法界定印。この金剛界、胎蔵界の密教をまとめたのが恵果和尚、と教えてもらう。う〜ん、勉強になるなあ。
一緒に里帰りされた錫杖を持たない古い様式のお地蔵様とならぶのは西山先生。なんでも国博時代、この像とはずっと仲良しだったんだそう。またここで久々に巡り会えてうれしそうである。
こちらはお向かいの阿弥陀堂、どちらかといえば地域の人の集会場的な雰囲気。自治会の方々にも色々お話をうかがえた。
帰りに公民館で一服もさせていただく。ほんまにありがたい。それもこれも西山先生のおかげ。すっかり旧交をあたためて、ツアーの時間はどんどん押すのであった(^_^;
なので奈良市内の大安寺にたどり着いたときにはもうお寺の門が閉まる時間、結局閉門時間を過ぎてまで拝観をゆるしていただいた。
何回か来ているし、昨年は奈良博で大安寺展もあったし、なじみがあるのだが、おや、新しい建物が、、、今年4月にオープンしたばかりの新しい宝物殿だった。
ここではCGでいろんな角度から見られるかつての南都七大寺の一、広大な境内を誇った昔の大安寺の姿を見ることができるゲーム機みたいなのもあって面白い。
しかし、、、境内いたるところに達磨が、、、実はこれおみくじの容器。もらった人がおいていったのがこんな感じに。
本堂では貫首さまの太鼓うちならしながらの読経を拝聴、天井を見上げると格子天井のすべてに梵字、と一部三鈷杵。まさにここは真言宗のお寺なんだなあと思う。大安寺は若き日の空海が学問にはげみ、大きな影響を受けた勤操(ごんぞう)和尚に教えを受けた寺なのだ。
空海は亡くなる前、弟子達に御遺告を残したが、その中に「大安寺を本寺とせよ」という条文がある。東寺でもなく高野山でもなく南都の大安寺だった、というところにこの寺の重要性を知ることができる。
西山先生は貫首さまと仲良しで、お坊さんのなかで一番好きな方、と言われた。ご自分の葬式は是非大安寺でされたいそうだ。(葬式はほとんどやってないらしいが、、、(^_^;)
あ〜、それにしてもいっぱいのダルマだこと。
明日香村からだんだん北上して大安寺にてツアー終了、たくさん勉強させてもらったことに感謝。ますます西山先生から目がはなせない。
東大寺二月堂十七夜盆踊り2023 - 2023.09.20 Wed

黄昏の東大寺鏡池
9月17日、二月堂へ向かう。
修二会では清浄の境内に厳粛な空気が漂うが、、、、今宵は、、、
おおお〜っ!
二月堂と三月堂の前の広場がこないなことに〜〜!!
18時過ぎ、あたりが暗くなる頃、4年ぶりの開催となる十七夜盆踊りの会場になるのだ!
観音信仰では17日が縁日であるが、とりわけ旧暦8月17日は各地でいろんな法要や行事が行われるという。東大寺では新暦の9月17日に十七夜法要、その後盆踊りがおこなわれるそうで、一度は行かな、と思っていたがコロナで中止やらなんやらで、やっと今宵。(平成5年に復興した、とあった。奈良では(関西でも)この日が夏の盆踊りの踊り納めと言われる。)
毎年東大寺の長老方の揮毫の団扇が手に入ると知っていたので、早速ゲット、今年は筒井寛昭老師の「真心」、裏に(知人でもある)中田文花さんの絵、である。
こ、、国宝法華堂(三月堂)にまで電飾が〜〜!!
18時半より少し早く、舞台の上では賑々しく河内音頭、江州音頭、泉州音頭が順繰りに流れ始め(もちろんプロの歌い手さんのライブ)、それまで石段に座っていた人たちが一斉に踊りの輪に飛び込んでいく。
踊りの輪はどんどん増えていく。
ちなみに私は最後まで参加せず、観察者に徹しました。(自意識過剰でこっぱずかしいので)
最初は洋服、それから普通の浴衣、、、と思っていたらだんだんコスチュームの気合いの入れ方がすごいことになっていって、、、、(紫のおじさんの背中の団扇が筒井老師の真心)
わたしゃこの衣装を撮ることに集中しましたよ。これはめだってた気合い入りまくりのおばさまのお衣装。お手製かしらね。よさこいから抜けてきたようなコスチュームの一団もありましたね。
法被姿もあれば、
なんだかよくわからないテイストの衣装も。
となりに座ってたおばさまはキンキラの羽織を斜めに羽織って踊りに参戦、なんやみんな粋やなあ。
かつての修二会の時の二月堂しか知らなかった私なら、目えむいてひっくりかえりそうな喧噪ですわ。汗たらしながらみんな楽しそうに踊る踊る。
一般の旅行客もインバウンドも踊りの輪に加わってだんだん大きな集団となる。奈良の人はこんな楽しみ方も知ってたんか、、、とびっくりだわ。
こちらは団扇と手ぬぐい販売所。手ぬぐいには「圓玄講社」(二月堂にかかわるご奉仕の講社、松明講とか油量りの百人講とか)とあったから、この方達も講社の方々だと思われる。
そして法華堂の前、この灯籠はあの重文の鎌倉時代の伊行末の灯籠ではないか。その前に講社や東大寺関係の夜店が〜!
よくみれば周辺に、今年の練行衆だったお坊さんが短パンTシャツでうろうろされてるし、僧衣の坊さんは綿菓子なめなめ歩いてるし、修行僧とおぼしきお坊さんがみたらしに味噌ぬってるし、、、なんて素敵なワンダーランド!
で、並んでみたらしいただきました。甘め系を予想していたら、ほとんど味噌!ちょっと辛いのが東大寺風みたらし?ちなみにバター餅なるものもあって、ぼんち揚げ風味だったのも美味しかった。
盆踊りはますます加熱していくが、ここらでおいとまを。
あまりの盆踊りの熱気に圧倒されて、ついお堂の万燈会を見逃したのが唯一悔やまれるわ。
仕覆作りに挑戦③〜裏地と底の製図から裁断 - 2023.09.18 Mon
仕覆教室も3回目となった。前回は表地の製図まで(長い道のりやった、、、)

今回は裏地の製図。
表地より左右1.5mmずつ控える。せっかく製図してもカッターで切断の時につい刃が入りすぎて失敗、もう一回製図からやりなおす。これが面倒だといい加減にするとあとで泣くよ〜と先生。縫うパートは多くない。大事なのは製図!製図!製図!
そしてついに、、、ついに、、、布にさわれる時がきた!
製図を布に写し取り、さらに縫い代をつけていく。
ちなみに裏地はつるっとした平織りの玉虫色(縦糸と横糸の色が違う)の布で「海気(かいき)」という。(「甲斐絹」がなまったものか?)仕覆の裏地に一番適した布で、昔は羽織の裏やこうもり傘に使われたとか。
いろんな色があるので楽しい。端切れのコレクションも同時に始める。私の色は「海松(みる)」、お隣さんの「丹」もコレクション。合う糸の色もチェック。
しかし裂さわると俄然テンション上がるわ〜。
次に底のサイズを厚手の吸い取り紙に写し取って、円形カッターというスグレモノで切断。
いろんな道具があるんやねえ。
海記はペラペラなので薄紙をボンド(手芸用)で貼り付ける。そこに切り取った型紙も貼り付けて次回まで、重しをつけて圧迫しておく。
いよいよ次回は裏地の縫合、専用の針もゲットしたし、楽しみ♪
旧任天堂本社本社・丸福楼②〜レストラン編 - 2023.09.16 Sat
さてこの丸福楼のレストランであるが、宿泊客も外から入る。朝食は宿泊客のみだがディナーは日にち限定で一般の人も予約ではいれるという。
イタリアンレストランの名前はそのものずばりcarta(カルタ!)
なんでも料理研究家で有名らしい(すんません、存じ上げなくて)細川亜衣さんプロデュースのレストランだそうだ。インテリアや器も手がけられたそうで、モダンシンプルなセンス。
(ちなみに細川護熙さんの息子さんのお嫁さんらしい)
ドリンクも色々選べるので、まずはビール、、じゃなくて私のばあい常にまずは日本酒。京丹後のお酒をいただく。あとはなんだかんだでワイン飲んだりリキュールのんだり、かなり飲みましたね〜。
最初のお皿はドーナツ、、、??
と思ったら、たしかにドーナツだけれど味噌だれが仕込んであるという。これはおやつと言うよりおかず、もしくはアテやね。
かぼちゃのスープとあったので、どちらかというと甘い系の味を予想していたら酸味がきいてさわやか。トマトをあわせてあるんだ。これ面白い組み合わせ、今度ためしてみよう。
カプレーゼ。
私カプレーゼというおしゃれなものを知らなくて、これも???だったのだが、一般的にはトマトとモッツァレラとバジルを切ってはさんだものなのね。でもこれは意表をつくカプレーゼ。さわやかトマトの効いたソースの下にとろとろのチーズがかくれている。
ツナサラダ。ツナとグリーンベジタブル、上にのっている梅のジュレがおしゃれ。
とろけるようなローストビーフの下には酸味のきいたコーンとかお野菜がかくれていた。
そして一番感激、驚きのカツカレーはなんと鱧のカツ!びっくり、鱧の天ぷらよりも美味しいかも。焼野菜にご飯は黒米、ソースアメリケーヌっぽいカレー、美味しくて、これを完食した頃にお腹もそろそろ好い加減にいっぱいになる。
デザートはババロア、これもただ者ではないと思っていたらメロンのソースに桃のシャーベットというダブルフルーツ風味。
最後はレモングラスのハーブティーで〆。
堪能しました。できたらまた宿泊は無理でもご飯だけは食べに来たいなあ。
食後ふたたびライブラリーにもどって、、、
付属のバーで一杯、、、、え?バーテンダーさんいない???
と思ったら、各自自分で用意されたグラスやお酒でカクテルを作ってね方式だった!!
みんなわいわい言いながら、ドリンクを作るのを楽しんだ。こういうのもいいわね。
ちなみに私はGlenfiddichを見つけたのでこれを。氷が大きすぎて入らなかったけれど、飲んでいるうちにコロンと中へ。う〜ん、ガラにもなくおしゃれな飲み方しちゃった(^_^;
帰り道は夜の丸福楼を堪能。
昼間見たときとまた雰囲気が変わるのが面白い。
夜のホテルは不思議な妖しい世界。
外の廊下を通り抜けて、、、
玄関も別世界。
また新しい旧五条楽園のランドマーク。
夜の界隈をそぞろ歩き、ちょっと前までは絶対できなかったエリアを。あら?ボイラー?と思ったら、、
あ〜サウナの梅湯さん!
若い人が廃業寸前の銭湯を買い取って奮闘、今では外国人観光客にも人気の銭湯だ。
5年前、若い友人達と、梅湯ツアーなるものを企画して入ったのが懐かしい。
そこをつきぬければ、もう鴨川!
旧任天堂本社本社・丸福楼①〜建築編 - 2023.09.14 Thu

正面橋で鴨川をわたるとそこはかつて五条楽園とよばれていた、決して女子一人でいってはイケナイエリアであった。しかし某○クザさんの組事務所が無くなって、遊郭廃業にともないかつての建築を生かしたカフェーやゲストハウスができてきて、いまやインバウンドが我が物顔に歩くちょっとおしゃれな町になった。
さて、今回のおめあては、そのエリアにある丸福楼。お値段をみるに富裕層をターゲットにしたホテルである。
何年か前に来たときには廃屋となっていたこの建物は旧任天堂の本社なのである。
いまや任天堂といえば世界に通じる名前だが、1889年創業時にはかるた、トランプ(骨牌)の製造会社、山内任天堂であった。それ以降はいろんなゲーム機も製造してきたが、ワールドワイドになったのはやっぱりファミコン・スーパーマリオブラザースだろうな。私的にはお世話になったのは花札であるが。
建築家の安藤忠雄監修でオリジナル建築のリノベおよび新築棟を建て、ホテル丸福楼として昨年オープン。
ちなみに丸福とは最初の屋号からきたそうで、大阪の丸福珈琲とは何の関係もアリマセン。
まずは外観編
昭和5年竣工ということで、当時はやりのアールデコ調(しらんけど)
この外壁も当時のままなのだそうだ。新しく建てた新棟を含め四棟。
窓枠の格子にも丸福のマーク。
中に入ると、建築材料は当時のまま。
白鷺のオブジェは鴨川にたくさん生息する白鷺から。
振り返って玄関を見る。右手のちらっと見える窓のデザイン格子は丸福のマークになっているんだそうだ。(ちょっと見ようわからん)
床のタイル、地下の明かり取りのガラスも当時のモノ。
入ってすぐのホテルフロント。普通のフロントのイメージをくつがえすレトロでありながらスタイリッシュ。
四棟の移動はこの屋外の軒下を通る。(レストランcartaはいったん外にでないといけない)
ここは宿泊客用のダイニングラウンジ。飲み物や軽食もいただけるので、それをつまみながらノートパソコンでお仕事、、、のお客様もいらした。
一番奥のホテル棟。ここは四棟にそれぞれトランプの会社らしくハート、ダイヤ、クラブ、スペード名前がついている。ここはクラブ棟。
照明の上下に使われた丸福の木箱は当時のものだろうか。
部屋番号の上にも○に福。
照明器具は当時のモノをメンテしてつかわれているそうで、レトロ照明いいなあと思うのであった。
設計監督は増岡熊三という建築士?だが、調べてもよくわからないとのこと。せっかくこんないい建築残したのになあ。
(二階部分の出窓)
同じ内容の上棟札も飾られていたが、その背景は当時使われていたウイリアム・モリスの壁紙が。現在使われているこの壁紙はすべて刷新されたものだが、色調はこれにならったという。
昔懐かし、蛇腹のドアのリフト。当時は製品を運ぶのに使ったのだろうが、現在はお客様のトランクを運ぶ、というイメージ。(実際に使われているのかどうか不明)
この時代の建築に多用されたデザインタイルがまたええなあ〜。
ちなみにステンドグラスは一部オリジナルだが、フロアをしめす表示のこれは新しいモノ。(これはスペード棟ね)
二階のライブラリー。ゆったり座れるソファーや椅子もあり、付属のバーもあるといういごこちよい空間。
やはり読みたいのは任天堂の来歴にかかわる書籍かな。つねに未来志向のこの会社は、ちゃんとした社歴の成書を残さなかったそうだ。過去は振り返らないって。
そしてこの顔!
飾られていた絵は、江戸時代の男女が花札に興じているのかファミコンに興じているのか、という任天堂の今のイメージ。
建物は新築部分以外は任天堂社屋だったり、山内家の居住区だったりしたものだそうだ。何年前までこの建物が使われていたのかはよくわからない。一時は保険会社にリースしていたりしたこともあるらしい。おそらく戦後だろうな。
さて、このホテルの目玉の建築の次は、ディナー編につづく。
4ヶ月ぶり夕ざり茶事〜重陽・菊慈童 - 2023.09.12 Tue
エアコンのない茶室ゆえにこの酷暑の夏の茶事は断念した。(賢明な判断(*^_^*))
9月の声を聞いてようやく茶事でもしようかという気になるが、あいかわらず日中は暑い。

ゆえに夏座敷、いつまでこのままにするか悩ましいところ。
裏庭のススキを玄関に、、、これ毎年同じことしてる(^_^;
芳名録を記帳してもらう机に阿以波さんのうちわ。
よく見ると草むらに鈴虫がかくれている。このところ昼はつくつく法師、夜は虫の声がきこえる。
今年も作りましたよ、自作の茱萸嚢。(重陽の節句に薬玉にかえてかける疫病除け)
今回の百人一首セレクトは
心あてに折らばや折らむ 初霜の 置きまどわせる白菊の花 (凡河内躬恒)
初霜なんてどこをさがしてもでできそうもない暑さだけれどね。
真夏の間、寒冷紗などで養生した露地の苔、なんとかがんばった甲斐があって良いコンディション。
蹲居の苔もさすがに9月になって元気をとりもどしたよう。
エアコンのない茶室に水屋の冷気を送る工夫をあれこれ。
この特注の久保田美簾堂さんの簾導入以降、なんとか茶室の涼しさを保てるようになった。透かしのついたてを立てても水屋が丸見えなのが欠点(^_^;
菊慈童がテーマなので、菊水を汲む手桶を花入れに。秋海棠、山ホロシ、藪茗荷、すすきは自前の庭から。リンドウだけもとめた。
これも毎年これを使わな〜、、、の菊置上香合(林美木子)
♪菊水の流れ〜泉はもとより酒なれば(謡曲「菊慈童」)、、、、の菊酒。これで寿命を延ばしていただこう。
鱧と言えば祇園祭の頃、と思われがちだが、実は秋の方が脂がのっていて美味しい。
今回導入した三重箱に焼物、強肴を銘々皿にいれて回してもらうという策。ちょっと深さが足りず、底が汚れたのが今後の課題。でもこれ一人でやっていると手間も省けるしなかなか良いアイデアだと思う。

主菓子はいつもお世話になっているみのり菓子さんの誂え。
中は菊花とスダチ入りの餡。いわゆる着せ綿のお菓子は上にちょぼっと綿がのっているのが多いが、本来菊の露をとろうとすると、花を全部包み込むくらいの綿になる。だから、これぞ「着せ綿」の意匠。
中立で風炉中点検、良い感じに火が熾っている。
後座は灯火をあちこちつけて。簾越しのこの灯火の風情がとても好きだ。これも暑い季節しか味わえない。
濃茶の茶杓の銘が「若水」。本当は井華水なんだろうが、若さを保つ水、ということで。酈縣山(れっけんさん)のしたたりを飲んで700才以上生きた菊慈童にちなんで。
9月ともなればさすがに後座はあたりが暗くなる。この暗さのなかで語り合うひとときは夕ざりの醍醐味であろう。灯火にてお見送り。
おつきあいくださったお客様へ感謝をこめて、お土産。
したたりを買いに行ったときにご近所なんで一緒に求めた、今季最後の<浜土産(はまづと)>(亀屋則克)。これも印象的な夏の和菓子である。
新撰組結成160年・壬生界隈一般公開〜京の夏の旅 旧前川邸・新徳寺・壬生寺本堂 - 2023.09.10 Sun
壬生、四条坊城通りの角にある梛神社(+隼神社)にまずお参り。名残の朝顔と狛犬さん。
坊城通りを南へ。この通りは節分の焙烙おさめや、壬生狂言や、六斎念仏や、いろんなイベントでしょっちゅう来ている通りだ。今はかくのごとく人通りはないが、節分ともなればすごいよ。
ちなみに手前の線路は嵐電。
今年は新撰組結成160年とのことで、京の夏の旅は壬生寺界隈、新撰組にちなむ場所の一般公開、前はよく通るのに、意外と中に入ったことの無い場所を三カ所回る。(他にも輪違屋とか角屋とかもあるよ。新撰組関連で「輪違屋糸里」なんて小説もあったねえ)
まずは坊城通りのランドマーク新撰組屯所・旧前川邸。
立派な長屋門だが、中へははいったことがない。今回も公開はこちらの母屋ではなくて、、、
東の蔵なんである。
現在は違う方がお住まいだが、前川氏は越前朝倉氏の流れをくむそうだ。新撰組屯所というと八木邸が有名で公開もされているが、この蔵は今回初公開なんだそうだ。
天保年間に掛屋(両替商)をしていた前川家は京都御所や所司代出入りの豪商だったようで、蔵の上には三重丸の門鑑(幕府から?)の紋が誇らしげに。西の蔵もあるがこちらは味噌など納戸的な機能だったが、東の蔵は金庫、重要書類の保管場所として四重の扉を持つ堅牢な作り。
この蔵が有名なのは副長・土方歳三が長州方の古高俊太郎をこの蔵の梁から逆さづりするなどの拷問をした場所であること。後に池田屋事件へとつながる。
二階に荷物をあげるのに便利な滑車が現在も残っているが、これ使ったのかな、、、恐っ!(古高は後六条獄舎で斬首 ナンマンダブ)
ちなみに母屋には(入れないが)山南敬助切腹の間がある。
そこから少し南、壬生寺のちょっと北にある新徳寺。ここも前だけはしょっちゅう通っているがどんな由来のお寺なのか知らなかった。
清河八郎によって江戸から率いられた浪士隊は、壬生の前川邸、八木邸、そしてこの新徳寺などに割り振られた。浪士隊は本来将軍上洛の警護の名目で寄せ集められたのだが、清河はここ、新徳寺の座敷で演説、実はわれらは尊皇攘夷、倒幕を目的とするという大演説を行ったという。そしてとっとと江戸に帰ってしまうのだが、反発して残留した近藤勇などが結成したのが後の新撰組である。
(本堂屋根の猿の瓦)
座敷はそれなりに広いが、ここに200余人がひしめき合うには狭い。しかし新撰組の源流の地と思えば感慨もいろいろ。最近では若い女子の新撰組ファンが多いので、若い子ばっかりだったわ(^_^;
かくいう私も乙女の頃は新撰組関連の小説をたくさん読んだっけ。作者によって一番描かれ方が両極端なのが沖田総司なんよね。最近の京極夏彦さんの「ヒトころし」では性格最悪のサイコパスだったなあ。
最後に壬生寺。
こここそ、何度も来ているが、実は本堂に入ったことが無いのだ!
いやびっくり、現代作家による美しい障壁画に長押の上の般若心経、天井は多色の向鳳凰丸紋の装飾、なかなか美しいお堂である。
正面におわすのは平安時代の作と伝わる重文延命地蔵尊。
脇侍が平成になってから造られたそうだが赤いのと白い童子。最初制多迦童子・矜羯羅童子かと思ったが、あれは不動さんの脇侍やしなあ。
お地蔵さまの脇侍は掌善童子、掌悪童子なんだそうだ。学習した。
本堂から門を見る。このアングルで見るのは初めて。
さて、入り口方向へもどると壬生塚があって、そこも特別公開とか。
歴代住職の供養塔や、新撰組隊士の供養塔などがあるが、、、鳩のサンクチュアリになっているもよう、、、(^_^;
あ、お地蔵様の前垂れが新撰組のだんだら模様の色!
ここには近藤勇の胸像は前からあったが、今年7月、クラウドファウンディングで建てた土方歳三の胸像が仲間入りした。洋装の有名な写真とはまた雰囲気が違って厳しい顔をしている。
そのクラウドファウンディングに参加した方のお名前プレート。今も根強い人気の新撰組、時代の狭間に咲いたあだ花的な存在が、それゆえになお惹かれる人は多い。
(ちなみに司馬遼太郎の「燃えよ!剣」が出る前は新撰組、そんなに人気なかったそうだが、、、)
壬生寺でたとこの一画にだんだら珈琲店。
アイスクリームの色が、やっぱりだんだら(^_^;
野村美術館開館40周年記念シンポジウム〜「茶碗〜茶を飲む器の変遷と多様性〜」 - 2023.09.08 Fri
野村美術館開館40周年記念シンポジウムが、蹴上の国際交流会館で開催された。わがテリトリーであるのでチャリででかける。もちろん野村美術館自体がご近所〜♪

長年野村のセミナーは楽しみにしていたのだが、コロナ禍を経てなくなってしまい、美術館との御縁も切れたような気がして寂しかったのだが、このたびのシンポ、うれしい限りである。出かけてみると200人という定員にかなりの人が押し寄せたようで、なんと今までお知り合いになったお茶友さんにことごとく会うこと会うこと!県外からもお越し、みなさん、知識欲に飢えていたのね〜。
司会は館長の谷先生だが、シンポジストは先だって○交社から刊行された5冊の茶碗シリーズの監修者という贅沢さ。(楽茶碗の楽さんのみ個展で忙しく欠席)
今回は野村の40周年記念もあるが、関西の美術館・博物館をめぐって茶碗を楽しむ、というコンセプトのもと、関西の9つの美術館・博物館共催(*)(相互割引あり)のイベントの一つでもある。(本当は9館共催でしたかったが、野村単独開催になったとのこと)
*京都国博・楽美術館・湯木美術館・野村美術館・北村美術館・逸翁美術館・中之島香雪美術館・泉屋博古館・滴翠美術館
シンポジストは
唐物(中国)・徳留先生(出光美術館)
高麗(朝鮮)・降矢先生(京都国博) (実はここに一番興味あり!)
和物(桃山時代)・重根先生(岡山県立博物館←後楽園に隣接〜)
和物(江戸時代)・梶山先生(中之島香雪美術館)
という錚錚たる方々。
それぞれ持ち時間がかっきり30分で、タイムキーパーがかなり厳しく(^_^;、その時間では内容を盛り込むにも限度があって、スキミング的になったのはちょっと残念であったが、時間的にいたしかたなし。
一番興味があったのは高麗、ついで唐物である。
唐物についていえば、中国の陶磁器の歴史を復習。
中国では荘厳、所有に価値があった建盞天目茶碗、日本では鎌倉室町初期までは同じ扱いであったが、佗茶の台頭とともに天目茶碗は建盞から灰被天目、黄色天目という本国では下位にあったものが逆転して珍重されるようになり、さらにその地位はもっと侘びた高麗茶碗、和物茶碗などにとってかわられる。青磁もまたしかり。(あの色は抹茶の色とはあまり合わない)。発色の一段とおちる珠光青磁や人形手にとって変わられる。ここらへん日本の茶の湯者の審美眼は世界に唯一無二だと思う。
でも、染付は別格、雲堂手、古染付、祥瑞、呉須は名前聞いただけでよだれたれるわ(^_^;
高麗も見立ての茶道具から倭館での日本からの注文品まで、分類を復習。ちなみに高麗茶碗の名称分類は江戸後期に始まったモノ、今でもどこに属するのかよくわからない高麗茶碗は多々ある。
今回初めての知見であったのは彫三島。
いわゆる三島と違って、日本からの注文で作った時代の下ったものだと思っていたし、成書にもそうあるのだが、なんと出土品から判ずるに1570年までに遡れるのだそうだ。だとすると釜山の倭館窯(17世紀)よりはるかに古いということになって、彫三島も日本人発注でなく、朝鮮オリジナルということか??
(つい買っちゃった二冊〜(^_^;)
和物は種類が多岐にわたりすぎて、全部はとりあげきれなかったと思われるが、瀬戸黒と黒織部、志野について、高台の釉薬の掛け残しの形、全体的なシェイプ、文様(檜垣、木賊、花紋など)の比較がいずれもつながりがあることがわかって、とても興味深く面白かった。
特に黒織部、かの有名な菊花紋茶碗、あの菊の絵のある部分が本来の釉薬をかけはずした部分、そこに志野の釉薬を加えたもの、というのは、そういう見方もあるのかと目からウロコである。
いずれのシンポジストもお茶のお稽古をそれほどされておられないように拝見する。しかし、その茶碗への愛はわれわれ普通の茶好きの比ではない。日々館所蔵のお茶碗を手に取っては、にま〜っとしているお姿が想像できるのである。
茶碗一つで、こういう楽しみ方ができるというよい勉強になった(*^_^*)
池半さんで「茶ト周縁」ふるまい茶 - 2023.09.06 Wed

鴨川も五条あたりに下ると景色がかわってくる。京都タワーもはるかに見える。
鴨川沿いに五条を少しくだったところ、古くは源融の六条河原院があったといわれる場所の近く、、

時々展示やお茶でおじゃまする池半(池林堂半七の茶室/茶藝館)さんがある。(ここにたまに通うようになってこのあたりの鴨川の景色を知った)
今回プロダクトデザイナー三上嘉啓さんの茶ノ周りのもの展示と、堀口一子さん(「茶絲道」主宰・季の雲などで中国茶教室主宰など、時々茶会におじゃましている)によるふるまい茶があると聞いてさっそくやって来たわけだが、、
これだ〜!!
究極の野点用熱源涼炉!
と、池半の万太郎さん席にて。
せんだってこれをゲットして、早速鴨茶で使ってみて、持ち運びの便利さと機能に感激していたのだ。今まで色々ためしたが、これに行き着いた。これをデザインしたのが三上さん、そしてアドバイスしたのが堀口さんだったのね。
あ、でもつや消しブラック。私のは白。鉄瓶をのせてしっくりくるのはやっぱり黒やな、とうらやましく見ていると、黒とグレーを今回新しくつくらはったとのこと。
うーん、黒のスプレーペンキで黒くしようかしら。耐熱スプレーがおすすめですよ、と相客さんにアドバイスいただく(^_^;
ちなみにこれが私のだが、このように紙の箱にコンパクトに収納して持ち運びできるのである。使うときは組み立てて、中にアルコールランプを仕込む。
こちらは池半さんご自慢の鴨川が見えるコーナー、堀口さんの席である。
ちょうど1年前うるわし屋さんとのコラボで旅するお茶の会を万寿通りのギャラリーで開かれた時に行ってからだからお久しぶりである。
この席からは鴨川で泳いでいる(^_^;人の姿も見えたりして、、
ちなみに堀口さんの席では銀瓶に似合う白い涼炉。
うーん、白も捨てがたい。と思っていると、サイズは同じ規格だから白黒組み合わせるのもありですね〜と言うお言葉、黒も買おうかと悩んでしまうわ(^_^;
堀口さんとお菓子屋さんコラボのラズベリー和三盆糖も白茶といっしょにいただく。
このガラス杯は上から見ると州浜型をしているな、と思ったらなんと茶の実の形を表しているそうなんだ。なるほど〜。そういえば家の茶の実もまだ青いけれど、このプリプリの形に実っている。
帰りに朝日焼のマツバヤシさんとすれ違って、あら?と思ったがなんとこの炉を制作した三上さん、先だっての宇治興聖寺朝日焼423展の茶碗のディスプレイを手がけておられたんだ!ガラスとライトを組み合わせた素敵な展示であったなあ。アートの世界は狭い、、(^_^;
帰りに池半さんに行くときはいつも気になっている同じ並びの川間食堂、初めて入った。
エアコンのいらない季節なら、この鴨川が見えるガラス戸は100%開放されて気持ちいいのだが、まあ仕方ないよね。涼しくなったらまた来よう。
帰りはこれもお気に入りの散歩道、高瀬川沿いを七条まで歩く。このあたりも少しずつ新しいホテルなどができてきて景色が変わっていっているので、今のうちに堪能しておこう。
蝦蟇窟主人の茶事〜鮎尽くし懐石 - 2023.09.03 Sun
昨年末新幹線に閉じ込められて遅参した美濃の国の茶事にまたお招きいただける幸甚、今回は師匠と、師匠の師匠?東京の大御所さんとご一緒でますますテンションあがる。

いただいたご案内状には蛙(蝦蟇)の絵、そして、お、ウナギ、鮎が食べ放題?いつもお手紙には素敵な絵を描いてくださるご亭主だが、この蝦蟇はなにの謎かけか?
8ヶ月ぶりの日本料理・須多さんの茶室と内露地、前は初雪の日でだったが、今日は酷暑の茶事である。芳名録の文鎮がまた青銅の蝦蟇。
蹲居の左手に蒲の穂、、、蒲(がま)、、、蝦蟇?(がま)
寄付には片桐石州の消息、松平織部宛。竹の花入れを送ったがいかがでしょうか云々、、、。(松平織部家という旗本家があるらしいが、詳細不明)
前回はここの小間を使われたが、
今回は続きの広間にて。
本席の軸は「蝦蟇窟」
(ご亭主からいただいた写真、お使いくださいとのことでありがたくアップさせていただく)
鈍翁お気に入りの出入りの道具商であった横山雲泉に贈ったものだそうだ。
ご亭主の茶事を語るとき、鈍翁と雲泉にまつわるお道具の逸話は欠かせない。茶道具を介しての、この年の離れた二人の仲は知れば知るほど親密であったのだなあと思う。
(汁は奥様お仕込みの味噌)
雲泉のお父上だったか?露地に蝦蟇を放ってそのゲコゲコの声を楽しみながら道具談義をしていると聞いて、その茶室を蝦蟇窟と鈍翁が名付け、その扁額の元になった字がこの軸である。(老稚園といい、当時の数寄者のネーミングセンスが(^_^;) 横山家のご親族からご亭主が譲り受けた軸と聞いた。新しい蝦蟇窟あるじ誕生である(4年前だそうです)。
(鮎尽くしの最初は鮎のつくね!)
其中庵さんと並ぶ数寄者のご亭主、あちらは雲泉が所持していた鈍翁の「茶狂」が旗印、こちらは「蝦蟇窟」、なんて仲良しな両巨頭!
今日の茶事に先だって過日其中庵さんが正客をされたよし、どんな数寄な会話がなされたのか聞きたかったなあ。
(鮎の塩焼き 蓼酢 長良川より今は和良川の鮎の方がよいのだそうだ)
(こちらもご亭主からいただいた写真)
炭手前の羽根が鵜と白鷺、なんと御自作。長良川の鵜飼い、この鮎も鵜がとったのかしら?鵜の羽根は黒く、小さくて、かわいらしい。一番手前に添えた小さな白鷺の飾り羽根がご亭主のセンスである。灰匙が南米インカの匙、というのもびっくりだ。灰器は須恵器、南鐐と銅の紅白捻り鐶も初めて見た。
懐石の鮎尽くしはまだまだつづく。
これは味噌ダレの鮎、この後もう一回塩焼きがでて、もう1年分の鮎を食べ尽くした感あり。
鵜難儀(うなぎ)も出ましたよ、白焼と蒲焼きの紅白。
お酒も岐阜恵那市の「女城主」というお酒が水のようにさらさらとして美味しかった。
(前回もいただいて酒のアテに最高の自家製柚餅子、これで今期最後なんだそうだ)
中立にて、今回の後座入りのお鳴り物はなんだろうとわくわく。前回は宗旦狐の妖しさたっぷりの笛の音であった。
ここ、須多さんのすぐ横を電車が通るのだが、その踏切の音がとまるやいなや ♪ おもしろや〜
のお謡いが。(能「鵜飼」の多分<鵜の段>)そのBGMになんとゲコゲコの蝦蟇の声!
ま、まさか本当の蛙?と驚いたが、実は赤貝の外側をこすりあわせて出した音だった!今回も十分意表をつかれてヤラレタ!
(主菓子 ほんのり暖めた黒糖葛焼 ここの餡子、ほんまにいつも美味しい)
後座の床は、待合の石州の消息に書かれていた花入れまさにそのものである。一重切の太くて艶のある花入れにいれてあったのは高砂ホトトギスの花と、モミジバハグマの葉。切れ込みの深いこの葉を蝦蟇の手に見立てて。(どこまでも蝦蟇へのこだわり(^_^;)
(さらにご亭主からいただいた写真)
濃茶の主茶碗は外側がほとんど伊羅保に見えて内側は御本に見える蕎麦斗々屋。了入の黒、井戸脇など各服でたくさんの茶碗の名品を手に取る。茶入はご当地、瀬戸の広沢手。パイナップルの繊維で織った出帛紗が思いのほか美しかった。
煤がはいった華奢な蟻腰の茶杓は小堀権十郎、歌銘が小野小町の歌(色見えでうつろふものは世の中の人の心の花にぞありける)。
最後のハイライトが薄茶の主茶碗「蝦蟇」
鈍翁が77才にして初めて作った白楽の茶碗であるが、ゆがんでちょっと不格好、よって蝦蟇みたいと揶揄されて開き直って?「蝦蟇」と命名したとか。
この茶碗は流れて最終的に蝦蟇窟の雲泉の元にきたそうだ。そして今ご亭主の手元に軸と茶碗とふたつともという大団円。すばらしいストーリーを聞かせてもらった。
もう一つ印象的だったのがこれも鈍翁が益田家の婚礼の際、引き出物として配ったという手焙り型の横に長い平水指(鈍阿?)。これは一目見てびっくりする意匠だ。
薄器が原羊遊斎の「蝶蒔絵」、茶杓が玄々斎。
(これが蝦蟇の声の正体、拝領いたしました!)
振り返ればご亭主の、審美眼と教養と郷土愛に裏打ちされた茶事であり、それをわかるには少々役不足ではありましたが十分楽しませていただいた。感謝です。
さて、2年前は福の神(大黒様)、去年は宗旦狐、今年は蝦蟇で、次はなにかしら〜?と早くも厚かましいことを考えているのである(^_^;
大阪高島屋で民藝展〜展示即売 - 2023.09.01 Fri
大阪なんばの高島屋で日本の北から南から、いわゆる民藝の流れを汲む製品が一堂に会して、展示即売会あり。これはちょっと行って見なければ。
、、、で、毎回地下鉄なんばの駅で迷うのよね。素直に高島屋へ行けたことがない。地下には<こちら高島屋>のたぐいの表示が一切無い!なんばパークスとかあるのに、なにか金銭的な問題でも???と思うくらい。今日も迷った迷った。人に聞いてやっとたどりつく高島屋、、、(疲)

これ展示期間が1週間とか短かったと思う。最終日に仕事の合間に滑り込み。
お〜名だたる民藝の各方面、ブースがたくさん。
それこそ北は北海道のアイヌ民具から南は沖縄のやちむん、琉球ガラスなど。
こちらは秋田の大館曲げわっぱ。いくつかのブースでは制作の実演もされていた。
滋賀県の和蝋燭の大與さんも参加されていて、ハゼから蝋燭を作る過程を実演、残念ながらお休み中で拝見できなかったが。
民藝の親である柳宗悦先生、浜田庄司さんや河井寛次郎さんのお写真も。
民藝といえば<用の美>、要するに日常に生活の一部として使われてきたもの、使われるものが前提。だから地方各地に根ざした道具が作られてきて、その飾らない機能美を世に問うたのが民藝だと思うが、世の中どんどん画一化、機械化されてきて、かくなる手仕事というのは絶滅危惧種的である。
(民藝の代名詞的な松本家具)
だから今でも若い人がこうして手仕事道具を作っているのをみると断然応援したくなるのである。
背景は宮崎のわら細工(たくぼ)、棚田で米を作りながら、できた藁で細工物を造っておられる。装飾的なのもが多いが、鍋敷などのオーソドックス民具もあり。
手前はご存じ沖縄のシーサー。
絶対あると思っていた小谷栄次さんの倉敷ガラス。郷里の名産で私もいくつかのコレクションもっている。(ちなみに倉敷ガラスの歴史は新しく柳宗悦はかかわっていない)
このぽってりとした暖色ガラス、ゆらぎやゆがみのあるフォルムが好きやわ〜。
で、あれこれ悩んだあげくゲットしたのが岩手の小久慈焼のすり鉢。
(*小久慈焼 江戸時代から八戸藩にもうつわを納めていた窯、柳によって絶賛されたそうだ)
うちにあるのはでかくて重くて、ちょっと胡麻すったりするのにたいそうなんで、ちょうど良いサイズをずっと探していたの。径18cm、もう一回り小さくても、、、と思ったが、とりあえず使い勝手をみてみよう。