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2023-10

十三夜の月見は鴨川で一杯 - 2023.10.30 Mon

十五夜は広沢池畔で見たが、片見月は縁起が悪いので、というより十三夜の月はことのほか美しいので、鴨川で一杯やりながら見ようと話がまとまる。


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ところが当日、雷、雨、、、おまけに雹まで降ってくるという荒れ模様。
無理かな〜と思いつつ、いやもしかして、、、と逡巡、19時あたりから空に月のお姿が!
これは決行!しかあるまい。


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あらかじめロケハンしていた鴨川べりのベンチへ。
あやしくも美しい?月見席のできあがり。


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キャンドルをともして、お菓子や軽食、お茶にお酒、持ち寄り、なぜか自然に役割分担できるチームワーク。

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月の満ち欠けを表現した干菓子など、今宵にびったりなお菓子も。


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ベンチも周りの道も草も雨で濡れているけれど、それがまたしっとりと芳気を放つ。
空には十五夜より美しい十三夜の月。


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私は香り高い橘花ジンを持参。
簡易涼炉でお湯をわかして、ホットジンにするとさらに香りが立つ。


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杯台に盃もあって、日本酒も一杯。


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かくして雨上がりのひととき、月のパワーもいただいて、お開きとなった。

京都に鴨川があってよかった。
いっしょに鴨茶・鴨酒してくれるお仲間がいれヨカッタ。



淡路島にて遠征?茶会 - 2023.10.28 Sat



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海を越えて(国内だけど(^_^;)遠征茶会、クーペ型の車にこれ全部のるんやろか、、、と心配するもなんとか積み込んで、お菓子を受け取って青竹もつみこんで出発!


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海を渡ったところでランチ休憩。よき眺めを見ながら、お茶って楽しいの?苦行なの?って考える。(楽しいだけじゃ続かないとは思うよ)


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京都から2時間ちょっとドライブしてようやくたどりつく師匠のお寺。毎年されている開山忌茶会の亭主なのである。

朝早いから前泊するけど用意だけはしておかねば。
道具を広げた後は一番の難問の灰型。、、、まあこのくらいにしといたるわ(^_^;


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干菓子の箱をあけて思わずゲッ!と行ってしまった。有平糖のスズメも大群だとなんか変なものに見える(^_^;

はるばる京都からバスでかけつけてくれた水屋さんと合流、打ち合わせ、準備、特に濃茶薄茶を漉しておく。前日の夜はちょっと離れたホテルに一泊、晩ご飯は師匠おすすめの海の幸いっぱいの飯屋さんで。


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翌朝、いよいよお客様を迎える。濃茶+続き薄で5席!がんばろう。
月にまつわるご宸翰、その女院の名物裂(写し)、竹取物語で翁が見つけた光る竹、、、のイメージで竹材店に誂えてもらった竹の花入れ。(これもってくるのが一番大変だった)



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10月に青々とした竹もないけれど、枯れた竹だとかぐや姫も老けちゃいそうなので、やっぱりこれくらい青くないと。花は半分が我が家の庭から。白い秋海棠は師匠のお母上からいただいて、京都で繁殖させた花、里帰りである。もう11月からは椿がメインになるから今のうちに残花を盛り盛り。
落としはいれずそのまま竹の節に水をいれたが、この竹は太くてりっぱなのでかなりの水が必要だった。


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かぐや姫の、あるいは院と女院の乗り物であっただろう御所車の香合。


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主菓子は青洋さんに「蓬莱の珠、もしくは満月のイメージで」とお願いしたもの。
蓬莱の珠はかぐや姫が車持皇子に出した難題の一つ、ニセモノを持っていって見事ふられてしまうかわいそうな皇子。


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濃茶は高麗茶碗でそろえたので、うちにあるほぼ全部の古帛紗持ち出し。
水屋の点てだしも頑張って練ってもらってタイミング良く。
藤村庸軒、その娘婿の久須美疎安(最近庸軒がマイブーム)がらみのお道具をだしたが、知っている人は宗旦四天王としてご存じだし、そうでない方には???なラインナップ(^_^;
とりあえず茶杓の銘が「おきな」、竹取の翁にかけて。それから疎安は「茶話指集」の著者で、、、と、ここまでくるとオタクの世界。


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尊敬する兵庫の先生にご宸翰の拝見の作法を逆におそわる。知らなかったわ。(懐紙で口をかくして下がって拝見する)玄関に奉書紙を敷いてあるだけでそこまでとっさにおできになるとは!さすが。
打てば響く会話ができるお正客さまはほんまありがたい。いつまでもしゃべってしまいそうになるが、、、(^_^;


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続き薄のお干菓子はさきほどのスズメと落雁の稲穂+鳴子。もう稲刈りはほぼ終わっていて少し遅かりしだったが。


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女院によせて、それにまつわる宗旦好みの紅茶巾を薄茶で使う。(三五夜さんから拝領)
口紅がついても目立たないように宗旦が考案したとか。
薄茶の茶碗はほぼ和物でそろえる。どうしてもテイストが地味なんばっかりだけど。


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二人の水屋さん八面六臂の活躍、紙コップに濃茶を計量して入れておく。これも各服点て時代ならではの苦労。途中であまりの慌ただしさに師匠ご夫妻までお手伝いくださった。なんという手際のよさ!

5席目の途中から同時に片付けにもはいる。息つく間もないが、楽しかったと言っていただけるのが励みでなんとかお開きまでこぎ着ける。荷物を翌朝ピックアップすればよいだけにして(これも大変な作業、、、)もう一泊、宿へ帰る。



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空には三日月を少し越えた月、このあたりは町の灯りもなく、空も美しかった。
疲れた、、、まあ、苦行やね、これは。でもその苦労こそが後に記憶に残るよい思い出になるのを知っている。

良い時間をシェアしてくださったお客様、がんばった水屋さん、師匠ご夫妻、いろいろ差し入れをくださったお母上、皆様に感謝申し上げる。





聴雨軒茶会〜野村美術館 - 2023.10.26 Thu



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野村美術館のセミナーがコロナ以後なくなって、この碧雲荘そばの疏水分線の小径も歩く機会が減ったのが残念である。

だから、ずっと昔に美術館で開催していた茶会を復活させる試みをされていると知って即申し込んだ。セミナーの時に、事前に呈茶があった懐かしい茶室・聴雨軒にて一席10名の少人数、休館日なので他にだれもはいってこずゆっくりできるのがうれしい。


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立礼席を待合に、ここに狩野探幽の珍しいあっさりした絵がかかる。北宋の趙昌(だったか?)の果物図(現存せず)を写したものだとか。

外の露地?を通って席入りするのははじめて。
セミナーの時は八畳として使っていたが、今回は手前の六畳も開放して、ゆったりすわれる。

掛け物は消息、、、読もうとして努力したがちょっとアカン(^_^;
書いたのは十四屋宗伍、珠光の門人といわれる。日付がまさに今日で、なんとぴったり。茶会の日程調整みたいな内容で、宛先は不明。

桂籠に楚々とした秋草がいれてある。
お点前は美術館の職員さん、お道具の説明は館長の谷先生、お道具は美術館所蔵の数々、、という贅沢な会である。中にはガラスの向こうに展示されているのを見たことある道具も。

10人なのでお点前さんが全員に一碗ずつ点ててくださった。
主茶碗は井戸脇。遠目でみたところ形も井戸と違うし、う〜ん、と思っていたが手に取ってお尻(高台)を見たらりっぱな梅花皮、なるほど井戸脇。高麗の伊羅保(和物の写しではない)あり。

半使(はんす・御本茶碗の一)の「いすか」が出てるわ〜!これよく美術館で展示されているし、成書にもよく載っている。<いすか>はくちばしが交差した鳥の名前で、それが銘の由来か?(形がちょっとゆがんでる)といわれている。一見呉器にも見え、その違いはなんですか?と谷先生に尋ねる。呉器よりも半使のほうがはんなり柔らかい感じ、、、なのだそうだ。たしかに。大徳寺呉器なんかごっついもんなあ。

一番いいな〜(ほしいな〜)と思ったのが米量り(よねばかり)。唐津の奥高麗の一種といわれるが、無造作に米びつの中にあってお米を量るのに使われたという小ぶりのコロンとした枇杷色の茶碗。茶だまりの轆轤目は逆のの字。高台内はのの字。これ最近よく見るようにしている。

あとは江戸初期の萩、現代日本や韓国の作家の茶碗など。名前失念したが現代作家の白天目の写しもよかった。かつて唐物とされていたが日本で焼かれたことが最近判明したとか。古陶磁の歴史も時代とともに新たな発見があって変わっていく。

私は、ご本人も存じ上げている村田浩一さんの三島写しでいただいた。
菓子器は安南の鉢。(どうも美術館展示の茶席飾りに展示されていたようだが、本茶席に出張してきてはった(^_^;)

水指は備前種壺

薄器は小島漆古斎、蓋裏に不昧の花押あり。
茶杓が紹鴎の節無。

少人数で聞きやすかったので、他にも高麗茶碗について以前から疑問に思うことのいくつかを谷先生にお聞きできてよかった。しかし結局数を見ないとわかるようにならん、、というところに落ち着くのである。ますます勉強勉強(^_^;


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そのあと茶会の客だけでゆっくり展示も拝見。
茶碗の歴史を唐物〜高麗〜桃山〜それ以後〜作陶が本職でない人の手作り、、、、とわけてあって復習復習。

人形手あり。この前酸化が強くて赤くなった青磁と学習したが、これ見るまで忘れとったわ。復習!

安南染付もいいな。底は、ほぼかならず茶色に塗られているのだがこれを<チョコレートボトム>ということを学習。なるほどのネーミング。

黄瀬戸の茶碗ももちょっと近くで見たかった。(茶席飾り展示)


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お土産に作品図録まで頂戴して、なかなか充実の茶席であったわ。年に何回かされるようなのでまた行こうと思うのである。


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碧雲荘の前の御屋敷通。
この日はまた夏がもどってきたか?!と思うような日だったが、あたりに金木犀の香りがただよい(例年より2週間ほどおそい)桜の葉は紅葉し、なんとなく秋の1日。



東美アートフェアからの東博<やまと絵>展 - 2023.10.24 Tue

東京
この秋はなんだかよく上京している。


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東京駅は直結地下鉄駅がないので、限りなく長い地下を歩かないとたどりつかない。やっとこ丸の内口から大手町地下鉄駅までの道順覚えたぞ。


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三田線、、、まあ<みたせん>なんだが、関西人は絶対<さんだせん>って読むわ。私も心の中ではさんだせん、さんだせん、、と繰り返しながら地下鉄に無事乗車。


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ついこの前初めて東茶会に来たばかりで、ふたたび東京美術俱楽部、<東美アートフェア>に眼福をもらいに。あくまで眼福、、、だって値段が一桁違うんだもん。見るだけ。


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東京のビルの2Fとは思えぬこの露地にまた出会えた。前回東茶会では薄茶席であった大広間に特に念入りに高そうな物ばかりのブースがならんで圧巻。中にはゼロ8桁いくものもあったり。
買えぬまでもこんな美しい物、萌えるもの、をたくさん、しかも手に取って見せていただくありがたさ。道具の相場の勉強にもなる。相場より安いものに手をだしたらアカンとかね。


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あまりにたくさんの素敵なものの洪水にちょっとお腹一杯すぎる。ひっかかるブースが多すぎて。数人の顔見知りにであったり、知り合いの古美術商のとこで道具談義したり、戦利品はなくとも楽しい時間を過ごせたなあ。


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すでにお腹一杯なのに、せっかく東京に来たのだし、東博のやまと絵展に上野まで足をのばす。(ちなみに会期中土日祝は事前予約が必要)


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最初に気合い入れて見過ぎると、中盤の見応えあるパートまでに疲れてしまうよ、というご忠告をいただき、最初の方はさらっと見るつもりが、ひっかかってしまって。
久々に「御堂関白記」がでてた。ちょっと変体仮名が読めるようになったので、ついつい読もうとしてしまうので時間かかってしょうがない。


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春日大社に奉納されたとおぼしき蒔絵の箏がすばらしい。(meet Nara in Tokyo)
蒔絵の変形波紋が、箏を収納するように立てると岩に見えるというこの意匠!


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(あ、スカイツリーここから見えるんや。年代的に東京タワーの方が好き)


さあ、ここから怒濤の中盤、やっぱり人気なので見る行列は10秒に1cmも進まない感じ。
見たかった平家納経。以前京博の国宝展にでているのと違う巻みたいだ。(展示時期によって入れ替えあり)
さてさて信貴山縁起絵巻!教科書にのっているこれも「飛倉」の巻。とても1000年も前の人が描いたとは思えない漫画的人物群像。時にくすっと笑ってしまうような表情の人も。
伴大納言絵詞! 漫画「応天の門」を愛読しているので感慨深い。
国宝「病草紙」も再見。目の治療と言いながら目を潰しに来る藪医者(^_^;
来た!鳥獣戯画!これもここ東博で見たよな。(立ち止まらないように動く歩道に乗ってみるという、、、(^_^;)



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ここらへんでもう疲れてくるが、まだまだ敵はおしよせる。
三十六歌仙佐竹本も、人気の小大君、小野小町がでていたが、かるくさっと見。ちょっとギブアップで、あとはさ〜っと流してしまった。これじっくり全部見るには相当体力気力いるよ。それほど圧巻。


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外に出るとあたりはもう暗くなっている。(週末なので〜20時までだった)


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この夜の東博旧館の景色は初めてみるが、良い雰囲気だ。


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明るいうちは屋台がたくさん出て南米系のイベントがあった広場も静まりかえる。このまま東京をあとにする。


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図録を買おうとしたが厚さ3cm以上あったので、さすがにうちの書庫にはヘビーだからあきらめて、やはり出展されていた真珠庵蔵の百鬼夜行図の一番好きな琵琶の付喪神のキーホルダー買って帰った。




石州350年忌法要茶会〜慈光院 - 2023.10.22 Sun

まだまだ石州流のご縁はつづく。


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大和郡山市にある慈光院、片桐石州が父の菩提を弔うために自らの領地内に玉舟宗璠和尚を開山に建てた寺院である。一昨年亡くなった茶友氏はここで古石州流を教えておられた。亡くなる直前、ここで一緒に石州麺をいただいた思い出が私には強くて懐かしい。


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昨年遠州流のM氏にお誘いいただいて初めてここの石州忌茶会に参席したのだが、今年はなんと石州350年忌、しかも先日拙宅茶事のお正客Kさんが茶席の半東で差配してはって、道具もだしてはる、と聞いてお寺さんも私も気合いの入り方が違った。


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(石州作がはっきりしている中門)

朝9時から開山玉舟和尚、片桐石州候の法要。
ご住職(お茶を熱く語り、お話大好きな)の読経の間に、鎮信流(平戸藩松浦鎮信による石州流の一派)お家元の真台子によるお献茶。

今回は特別な法要なので、お茶以外に石州流華道の

献花、石州流盆石の献盆もあり。


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今回はご一緒くださったM氏のはからいで、見よい席をゲット。
真台子点前の流れはそれほど流派変わらないと思うが、萌えポイントはいくつか。
釜の蓋を開けたときかならず建水の上で露を切る、これ合理的。
茶筅が柄の長いもので、茶筅通しの時に思い切りくに〜っと茶碗に押しつける。台子の柱に帛紗をむすびつける(これは遠州でもある)
杓立の火箸に鐶がかけられている。(石州はお香もすきだったので、いつでも釜をあげて香をたけるように)
茶筅皿の茶筅はおろさないままなので、その下にある茶巾が取りにくく置きにくそう。
全体に道具は武張って遠州よりもはるかに武家茶道。



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(ここに来るとき見るの楽しみにしているドングリの靴べら立て)

お茶は台天目で二服。
一服は玉舟和尚へ
もう一服は片桐石州候へ

(玉舟は玉室宗珀の法嗣 玉室は春屋宗園の法嗣)



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拝服席は濃茶と薄茶があるが時間があったので、先に点心を。
こちらの点心は外注でなく、お寺の畑で収穫した野菜を使ってお寺のお家の方々の手作りなのである。(普段でも予約でいただける)
石州公案の石州麺(油をつかわない素麺)と、揚げたそばがき?がとっても美味しかった。



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亡くなった茶友氏と来た時にはまだ咲いていた梅の木、この木を見ると彼を思い出す。


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本堂の横に昭和時代?からの毎年の石州忌茶会の席主の名前札が。席主は毎年かわるのだ。なにしろ石州流の流派はすごくたくさんある。令和元年から昨年の4年までの間が空白なのはすべてコロナのせいである。それもずっと歴史の一コマになっていくのだろう。


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濃茶席は新棟にて(ここで故茶友はお茶のお稽古してはったんやな〜)。
展覧席も用意されていて、ここで采配をふるっておられたのが、先日の正客K氏。さらに東美アートフェアでの仕事をさぼって?水屋手伝いのO商店のO先生までいらして、お互いに面識のある同志、M氏、S先生とわいわい道具談義楽しかった〜♪



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なにより並べられた道安→桑山宗仙→石州の子弟の流れの茶杓そろい踏みは圧巻、さぶいぼでるわ。こんな展覧の仕方、正客氏と席主様のお力がなければとても。

石州の独楽判(独楽の形の花押)というのも教えていただく。
茶杓も作れば竹花入れも作る、茶碗もつくればプロはだしの陶器香合も茶入も作る、、、遠州はアーキテクトだったが石州はアートクラフターだったのだな。

あと歌切れもたくさん書いていて、武張った道具から想像できない繊細な筆致。



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本席は古石州流の家元。片桐家家臣鉄砲組与力であった本庄家に伝わる流派とか。
ちなみにK氏はこの流派。
軸は玉室(玉舟の師)「生鉄崑崙雲外走」(まあ禅語なので意味はようわからん)、竹一重切りの花入れはやっぱり石州やな、、、の迫力。K氏のお計らいで私の大好物熊川でいただいた。ありがたし。底に釉薬たまりのある珍しい景色のあるもの。

ちなみに主茶碗は石州作赤楽「野狐」
これで茶を飲んだ正客のM氏、禅宗に詳しいので「野狐禅(禅に似て禅ではないよこしまな禅)」の説明を客みんなにしてくれた。

茶杓が極細、華奢。武家茶道ともおもえぬ繊細さ、銘を「ゆがみ」、同じく石州流の伊達家茶頭・三代清水道竿(竿どうかんとよばれる)の添え状付きがすごい。



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なぜか茶入が遠州、瀬戸飛鳥川手で銘を「雨柳」
銘の由来は近くで見てわかった。縦に何筋か、柳の枝をおもわせるしだれるような黒い模様が浮き出ているのだ。この茶入の挽家の蓋が青貝でこれまた美しかったこと。

さて、席待ちの間、あの最高な眺めの書院へ行こうと思ったら、その書院が薄茶席になっていた!


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薄茶席は伊佐派、正しく柳営茶道を指導してきた流派である。五代綱吉のころから茶頭をつとめてきた。初代は伊佐幸啄。そういえば昨年の茶会で幸啄の茶杓がでていたわ。

まさに将軍家の茶で、薄茶ながら真台子の茶入を使った点前をご披露。足がすり足でなく、仕舞のあのつま先を最後につける歩き方なのね。しかもお菓子を運ぶ、お茶を運ぶ、その所作がゆっくりで丁寧。帛紗は四方さばきで裏千家的。
お菓子が石州が好まれたという山椒餅(かなり複雑な味)、糊こぼしでおなじみの奈良の萬萬堂さんの。

流派にゆかりのある五人のお客様(以前ここで席主をされた方とか)に天目台で点てられたあと、われわれは点てだしで。お茶をいただいたあと、質疑応答など若さんと若いお弟子さん主導でされたのが面白かった。一番の話題はやはり若い人をどうやって茶道の世界へ呼び込めるか、、、だったわねえ。


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(書院の特等席から見えるユニークな庭園)

床が初代・幸啄の一行、古銅の花入れに石州が好んだという白菊が5本。茶席で菊だけというのは珍しいが、すがすがしくてよかった。


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記念のお土産にいただいた古帛紗。
慈光院裂〜大燈金襴に片桐家の鷹羽紋を組み込んだものでとても美しい。

今年も、いや今年こそ、くることができてヨカッタ。
ご縁をいただいたことに感謝。





東大寺・蜂起之儀〜13年ぶり良弁上人1250年遠忌法要前日 - 2023.10.20 Fri



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二月堂の裏参道を少し降りたところから見える大湯屋、初夏には柳絮を見に来る場所だが、普段は閉まっている扉が開きました!



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10月13日、翌日からの3日間の良弁上人1250年遠忌法要の前日、実に13年ぶりに蜂起之儀が行われた。前回が光明皇后1250年遠忌法要(2010年)前日だったという。


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さて、大湯屋の前で待っていると17時前、僧兵姿のお坊さんたち(若い修行僧かと思ったら、後で聞くところによると、練行衆でおなじみの方々だった!)が8名、やって来た。


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湯屋の中に集合してでなにやら短い決起の言葉?(聞こえない)


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各自それぞれ小さな法螺貝を手にしている。
かつて東大寺一山をあげての決定事項はここで決められたと聞いた。強訴や因縁の興福寺との小競り合いの決定もここでしたのかな。だから「蜂起」という物騒な名前が、、、?


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この蜂起之儀は昔から大きな法要の前日に境内をくまなく回って問題は無いかとチェックした習慣の名残とか。

さて、出発前に大湯屋の前で法螺貝を吹き鳴らす。


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僧兵ひとり一人に松明を持った白丁さんがつく。


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大湯屋から俊乗堂へ行く細い石段を登って、奈良太郎(大鐘)の横をすりぬけ、、


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先日初めて存在を知ったところの辛国神社(天狗社とも)にて、お祓い?修二会でもそうだが、ここらへんは神仏習合。全然違和感ない。


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先頭を行く僧兵さんの懐の奉書が気になったが、よく見えない。後に「僉議(せんぎ・評定)」と書いてあると判明。さらにこの方が教学執事のえらいさん(鷲尾師)と判明(^_^;


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難所の猫段を降りる。


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すべりやすい高下駄なので、ちょっと苦労しておられる。これは大変だ。猫になっちゃう。(猫段で転ぶと来世は猫になるという。わざと転ぶやつもいるとかいないとか)





その難所のご苦労もだが、この下駄の音がいいね。


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大仏殿回廊につきあたったところで北に、長池横をとおる。


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大仏殿の北をくるっと回る。
それにしても足速いこと!あの下駄なのに。


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行列を前から撮ったり後ろから撮ったり、ついていくのも健脚でないとしんどいよ。


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大仏殿を背景に。これは西の壁。


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ここで子安神社に参拝。
これは最近整備された指図堂のすぐ隣であるが、小さくてなかなか気づかない神社。一説には良弁上人が母を祀った神社とも。


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ようやく今月から(東大寺ミュージアムから)お戻りになられた四天王まします戒壇堂の前。時々法螺貝を吹き鳴らす。


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東大寺のスタッフさんが松明の燃えさしを拾って歩いてはった。国宝、重文てんこ盛りの界隈だからね。


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翌日からの法要のため「東大寺」の幔幕がでる大仏殿前。


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幡も下がって大法要ムード満点の大仏殿。


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だんだん日も暮れてきた頃、手向山八幡宮への参道を行く。


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法華堂(三月堂 これも今年は特別に今月国宝・執金剛神が拝める。いつもは12月16日一択)の前を通り過ぎ、、


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二月堂の前、開山堂の前を通り過ぎ、、、


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二月堂登廊の下を通って裏参道へ。


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そして一周して大湯屋へ帰る。
これにて儀は終了である。


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行列を作って本坊へお帰りになるところをお見送りする。1万歩は歩いたな。足痛い。(途中で穴ぼこに足突っ込んでこけたし(^_^;)
それでもほんまに貴重なものをみせていただいた。次回はいつになるか、、あるとしてももうついて歩くのは難しいかも、、、と思いつつ。


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帰り道大仏殿の回廊の隙間から見た図。すっかり法要の荘厳ができあがっていた。
明日から3日間、法要の無事を祈る。(参拝はできないけれど)


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歩いた道順を記憶をたどりながら書いてみた。間違ってたらゴメン。



神無月の乙女の茶事 - 2023.10.19 Thu

お茶乙女のおひとりKさんが初めて茶事によんでくださった。彼女はすでに何回か茶事をされているが、予定が合わず、今回ようやくやっと参席がかないました。長いお付き合いの三人でいそいそとうかがううれしさよ♪


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席はKさんのお茶の先生のお宅、マンションなのに四畳半と小間の茶室がある。あれこれすごいうまいこと工夫されていて、Kさん自身も来るたびにどこか手がはいってリノベされていると驚かれることも多いそうだ。その創意工夫、無いものは作る!という佗茶の精神そのものお茶にふれて、師事を決められたという。
驚くのはその上ここに住んでもいらっしゃるということ。所帯あることを全く匂わせもしない見事さ。


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待合に堂本印象の柿と栗、モズらしき小鳥。
まだ若い乙女ゆえ道具の数には限りあり、先生のお道具とのコラボだが、汲みだしなど気に入ってコツコツと集められたお道具も。
バルコニーの露地をつたって席入り、見事な蕨箒がかかっていたが、これも先生のお手製なんですって!花の鉢植えもたくさんおいてあり、ここがマンションの階上であることをふと忘れる。

本席の軸は「彩鳳舞丹霄」
五色の羽根をもつ鳳凰が暁の空に舞う、、、というおめでたい禅語、なにかおめでたいのかな〜?と思っていた私の方がおめでたかった(^_^; 自分の歳をすっかりわすれていて(確信犯)私のための長寿祝だったとは!Kさん、ありがとう〜。

向付が共通の茶友の陶芸家の浅井慶一郎君のもの。これも思い入れのお道具。
紅白の餅もお祝いだったのね(^_^;


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懐石道具も少しずつ集められているとのこと。茶道具だけでなく懐石道具まで集め出すとほんとキリがなくてどんどん物は増えていくが、コツコツと集めていくこの楽しさよ。まさに沼!だわ。また道連れ、、、いや、同志ができた。


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これもKさんの好きな、そして私も大好物の土本夫妻の石杯。象嵌の波兎、竹生島やわ、これかわいい、と言いながらお酒もたくさんいただいた。次客さんと謡曲「竹生島」の一節をフルに思い出そうとがんばるが、あれれの記憶力では、、、(^_^;
そういえば切掛け風炉に乗った釜の鐶付も兎。


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これは先生秘伝のレシピの八寸の一つ。黄身に酢を混ぜてスモークサーモンで巻いたもの。この黄身がとても美味しくて、なおかつお酒がすすむ。正確なレシピは不明だが、ちょっとマネして作ってみよう。

炭道具も只今集め中、それなりにそろってきたみたい。炭手前の香合が舟だったので、、、


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主菓子も舟!宝船。
浮島に宝船の焼き印?かと思ったら、シナモンパウダーのステンシルだった!すごい、焼き印にしか見えない。ステンシルを作る方がお手間なのにありがたい。いや自分のことながらますますめでたい。


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後座の花は、石榴、桜蓼、木イチゴの照り葉。

膳所の茶入は、私がKさんに差し上げた物で、あげたことすらすっかり忘却の彼方(^_^;になってまして、スミマセン。使っていただいて感謝です。きっと茶入も喜んでいると思います。

茶杓が、私の修二会オタクをくんで、お松明の竹でできたもの。修二会1250回(昨年)を記念して1250本つくられたうちのひとつ。裏に正倉院文様の一つが描かれている。この茶杓は守屋長老のものであったが、たくさんの東大寺長老方がそれぞれ銘をつけ、正倉院文様もそれぞれ違ったもの、という組み合わせなので、おそらく同じ物は一つとないと思われる。
この一本の銘は「知足」、ご亭主から「足りていることも知って欲しい」というお言葉をいただいた。う〜ん、色々考えさせられるなあ、、(^_^; 欲しい欲しいと際限ない欲をだしてはいかんな、、、

続き薄にて薄器は波の螺鈿棗。舟がこぎだす海、老の道へこぎ出すのもまた人として避けられぬ運命ゆえ、終着地点にたどりつくまではまだまだがんばろう。


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干菓子も先生お手製、このすはまの枝豆にはもう感激!
莢の中にちゃんと豆まではいっているの!うれしくて豆ほじって食べました!

お茶碗もひとつひとつ集められたもの、平金井戸あり、川口美術で見たものあり、私の好物の高麗写しあり、カワイイ♡のあり。

これらのお道具を自転車で自宅からここまで運ばれたという。こけたらおしまいやん!!と、心配もしつつ、そこまでして、もてなしてくださったことに感謝。
話も尽きず楽しい楽しいひとときをありがとう。ご連客のFさんF太郎さんにも感謝。




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茶室をでてみれば、いまさらながら、あ、ここマンションやったんや、、、と思い出す。すっかり忘れるくらいの別天地。外の木々も色づきはじめ、茶事茶会に良い季節になった。



4年ぶりに奈良豆比古神社・翁舞 - 2023.10.17 Tue

 

奈良山の児手柏(このてがしわ)の両面(ふたおも)に
      かにもかくにも 侫人(ねじけびと)の伴(とも)


万葉集に歌われたコノテガシワ。謡曲「百万」では(今仕舞習ってる)

 奈良阪の児手柏のふたおもて とにもかくにも
        ねじけびとの 亡き後の涙越す、、、

になる。
その奈良阪の、万葉の時代にもあったと推定されるコノテガシワの切り株(残念ながら戦後枯れた)がある奈良豆比古神社へ。



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このあたりは京都との境も近く、夜になると人っ子一人いなさそうな集落である。


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10月8日に毎年行われる宵宮祭、国の重要無形民俗文化財でもある翁舞を見に実に4年ぶりに来ることができた。
4年前に聞いたお囃子が忘れられなくて、頭にこびりついて。コロナや、諸般の事情で4年もかかってしまった。


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4年前も、宵からの雨が舞台が始まる頃やんだが、今年もやはり小雨。ふったりやんだり。集落の翁舞保存会の方々が着物姿で忙しそうにされていた。

祭礼は20時から。
バスの便が少ないし、直前には結構な人出となるので19時にはスタンバイがおすすめ。


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境内の奥、お社の向かって左にそのコノテガシワの切り株がある。樹齢1300年はいっていた、という話だ。

ここのご祭神は万葉歌人として有名な志貴皇子。
天智天皇の息子でありながら政治の表舞台に出ることがなく薨去された。しかし歴史のいたずらで彼の死後、皇子の六男・白壁王が光仁天皇として即位したため、「春日宮天皇」(もしくは田原天皇)の追号を送られている。


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19時半頃、篝火が入る。あたりはぐっと暗くなる。


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まずは囃子方が入場、神様に向かって片跪座で一礼。


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地謡、三番叟、と入ってきて同じく片跪座一礼。


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翁だけは翁らしく両手を広げた姿勢で入場。三人、そう、ここの翁はよそでは見られない三人翁なのだ。


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ここでは千歳(せんざい・式三番で最初に舞う)が15歳までの子供が勤めるのも特徴。講中の子弟が相談の上選ばれるという。4年前は10歳の男の子だった。今年の子はもう少しお兄さんかな。
もっと小さい子が水干を着ていて、「おまえもまた来年かその次かに舞台に上がらにゃならんぞ」と言われていた。


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千歳の最初のお仕事は翁の面箱を持って入場、太夫格の翁にその面をさしだす。
これは現在でも、能にして能にあらずの「翁」でも同じで、シテは必ず舞台上で面をつける。


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これがその面。今年新調されたとか。





そしてそして、このお囃子聞いて!!おごそかに「とうとうたらり」で始まるのだが、最後の「おん、は〜」のところが4年前から頭にこびりついてはなれないのよ。この脱力系のお囃子クセになる。



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千歳の舞。
 ♪ なるは滝の水 なるは滝の水 日は照るとも、、、

これは現在の式三番の千歳の詞章と同じである。


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場を浄めるように四角形にゆっくりゆっくり足を運ぶ。「道成寺」の<乱拍子>に似ている。


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そして三人翁が面をつける。


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これはワキの翁。


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まずは太夫格の翁が舞う。

  ♪ あげまきや とんどうや ひろわかりやとんどうや、、、

と、謎の言葉につづいて

  ♪ まんざいらく まんざいら〜く〜



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そしていよいよ見所、三人の翁のそろい踏み。
ひたすら脱力系の「まんざいらく〜」を聞いているとすごくなごむのだ。





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演じているのは地域の保存会の方、当然素人である。素人ならではの良さがあふれている。

さてこの翁舞、志貴皇子の第二皇子・春日王が病を得た時、彼の息子の一人、浄人王が、父の病気平癒を祈って芸能を神に奉納したところ快癒したことが始まりとされている。
神社が有する面(おもて)の中には室町初期のものがあり、猿楽の黎明期と一致し、この翁舞はのちの猿楽能楽の原型であることは確かだということだ。

わざわざこれを見に、島根から長距離バスで駆けつけた、という方もおられた。意外と全国区。かえって奈良の人が見たことない、、と(^_^;


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次に三番叟。
動きが速いのと、暗いのとで、ぶれた写真しか撮れない。


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これが一番動きが速く、比較的若い方じゃないとしんどいだろうな。4年前はもっと若い人だった。


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ついで三番叟が黒尉(黒い翁と思って)の面をつけて舞う。


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そしてこれも印象深い千歳と三番叟の問答。
お互いに顔を向き合わせることなく片方が横を向けば、片方が正面を向く。


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あらましは尉に三番猿楽舞うように促し、三番叟は千歳に舞うからおなおりください、という。
では舞たまえ、と千歳は三番叟に鈴をわたす。

♪ 三番猿楽きりきり尋常におん舞そうて 座敷ざっと御なおり候へ じょうどの
、、、この色の黒い尉が所のご祈祷 千秋万歳と舞納めようば やすう候 、、、

とちょっと意味不明のところもある古語。千歳君、よく覚えたねえ。



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三番叟は鈴と扇をもって舞い、舞終わると面をとって退席、囃子方も退席されてお開きである。


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拍手が起こる。やっぱり来てヨカッタ。感動的やわ。
雨水がぽたりと落ちるので上を見たら奈良の天然記念物の大樟の木の影。うわ〜いい宵だ〜。



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ご多分にもれず継承者減少になやむ翁舞であるが、地域の集落の家が今も当番制の当家(とうや)をつとめ、保存会をつくり守ってこられたそうだ。こういう小さな地域の祭礼を継続するご苦労ははかりしれない。頭が下がる思いである。10代の千歳をだせる間は大丈夫だよね、きっと。





石州茶会2023〜大徳寺芳春院 - 2023.10.15 Sun

先だって石州流のお正客様をむかえたばかりだというのに、再び石州にご縁が。石州茶会①としたのは1週間後にまた奈良で石州忌茶会があるから(^_^;
このところ石州づいてるわ〜。


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場所は大徳寺の一番北の芳春院、通常非公開の塔頭。
前田利家の正室まつ、こと芳春院が玉室宗珀を開祖に建立した塔頭で、現在石州流大口派(石州流は免許皆伝制なので、とにかくこまかくたくさんの流派がある)のお稽古場になっている。ここのお弟子さんのご縁で今回はじめてのアウェイ参加。


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最初庭園とか、他の大徳寺の塔頭とそうかわらないわね、、、なんて見ていて、おおもわずぎょっ(゚Д゚)!!境内の中に銀閣寺がある〜?!
、、、と銀閣とみまごうばかりの二重楼閣建築、銀閣ではなくて呑湖閣というそうな(現在のは江戸期の再建)。西本願寺の飛雲閣にも似ているな、と思ったら、金閣・銀閣・飛雲閣と合わせて京の四閣と言われているのね。知らなかった。
庭園は小さな滝もあったりして、楼閣山水庭園という形式、伝・小堀遠州作。枯山水がメインの大徳寺にあって唯一の池泉庭園なのだ。
実は現在の芳春院は二つの塔頭がいっしょになったもの。芳春院とは別に、かつては石州が代々の菩提を弔うために玉舟宗璠を開山とする高林庵という準塔頭があったそうな。それでここに石州流のお稽古があるのを納得。



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待合には原在中の石州公肖像に宙宝和尚画讃、前に交趾?の三具足。
徳川時代を通じて武士の茶といえば石州流だった。

滝の音を室外に聞きながらの石州流大口派の第一薄茶席。見事な書院で襖絵の竹の絵(おそらく新しい)が、遠くから見るとほんとうに竹を持ち込んだの?と思うくらいで良い感じであった。

石州に敬意を表しての真台子、石州好みの古銅皆具、と一目で武家好みだな、と思われる。
なにより石州(宗閑)の一行の軸が迫力だった。「松古今無色」。
その前に石州作竹の花入、無骨な感じがやっぱり武家流、蕎麦の花が似合っている。花はすべてこちらの和尚様の丹精のお庭からと聞いた。

お点前はそこは武家流なのだが、大口派の特徴というか、帛紗を(もちろん右につる)四つ折りでなく二つ折りで、だら〜んとはさんでいるところ。初めて見た。

茶杓が石州「しののめ」
武家流というとごついイメージがあるが、利休系の細くて華奢な煤竹の茶杓であった。
主茶碗が大徳寺呉器、芳春院に代々伝わった物と聞く。これは迫力。
香合の下に敷かれた紹巴の帛紗は、加賀前田家のかの有名な梅鉢紋と、前田家のお定め紋(裃に使う)の菊菱を組み合わせた物、御住職の袈裟を使ったものだそうだ。



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薄茶席二席目は裏千家の先生の席であった。
この席からは庭の酔芙蓉の大木が花をさかせているのが間口一杯に見えてすてきであった。これも和尚様のご丹精のたまもの。

待合の「懶瓚(らさん)芋を焼く」の画讃が印象的。
(懶瓚:唐の皇帝のお召しを芋焼いて食いながら断った禅僧懶瓚の碧巌録にある逸話)

あとは三友居さんの点心をお腹一杯にいただいて、これでこの会費でよろしいのでしょうか?
この日1日をたっぷり楽しませていただいたご縁に感謝。
(ちなみに先日のお正客さんにもばったり、元サラリーマン陶芸家はお運びしてたし、最近、石州流も来てるな(*^_^*))






月見の煎茶会2023〜萬福寺 - 2023.10.13 Fri



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萬福寺に来て見たら、えらいこっちゃ〜!そうでなくても中国風に派手なお寺がさらに派手派手に!


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ちょうど翌日からのランタンフェスティバルの試運転がはじまっている最中であった!
これは去年の晩秋に行った。なかなか見応えあってすごかったが、煎茶会と合うかな〜という感じ(^_^;


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まずは布袋様の後ろにおられる男前の韋駄天様にはご挨拶しなきゃ。


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萬福寺の月見の煎茶会はコロナ以降初めてだから4年ぶりくらいかしら。
この日も大勢の着物姿の方がいらして、京都の煎茶人口の多さに驚くのである。


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しかし、、献茶式(18時〜)の行われるエリアの灯籠もこんなことに〜〜。いや、萬福寺らしくていわ。(「観光客でにぎわう京都だけれど、うちだけだれも来ません。来てね」なんて自虐ツイートのせる萬福寺、好きだわ)


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万事中国的な萬福寺。独特だよね。
さて、今年も席は6流派がそれぞれで6席、そのうち3席を選ぶ方式。境内のあちこちに茶席はちらばっているので、地図を見ながら選ぶ。
行ったことのない席を選ぼうと思ったが、なんだか毎年同じ場所ばかりいっているような気がする(^_^; (流派は毎年変わる)


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今年は時間指定の席予約で、行った時は早い席でも40分待ち、という大盛況。3席の予約をとって、待つ間境内散策。お約束の煩悩玉くわえた開梛(かいぱん)君にもご挨拶。


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最初は五雲居の二條流の席へ。
この時は庭の灯籠に灯りが入る頃であったがまだ明るかった。螺鈿の旅箪笥みたいなお道具でのお点前。玉露点てだったので、甘露なお茶を二服も味わえた。


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そうこうするうち、名物の萬福寺灯籠にも灯りがはいる。


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次はいつも楽しみにしている法堂の席。ここは天井高くて、下はタタキの床で、いかにも禅宗のお寺、という感じがする。


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中に入ってびっくり!真っ暗!


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手元くらい中でお茶をいただく。流派は初夏に行った奈良の依水園で煎茶席を担当しておられた美風流さんだった。家元はまさに現代によみがえった宋代の文人という感じの方。


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少し目が慣れてくるとこんな感じになってたんやなあ。


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終わってから拝見するとお堂の中央(点前座の後ろ)にお月様。


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タタキの床に浮かんだ満月がとてもすてき。

テーマが
 秋風磨蕩鴨波光 大月離山一丈強 雖後雨宵観不改 氷輪宛在水中央

、、、月の光は水面を照らし水の真ん中に氷が浮かんでいるようだ、、(梁川星厳)


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ますますあたりは暗くなった。


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18時からの献茶式、今年のご担当は方円流。


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ご本尊にお菓子とお茶が献じられる。
私は献茶式よりも黄檗声明(梵唄)が楽しみなのだ。


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独特の節回しの梵唄は、どこか大陸の匂いがする。鉦や鈴なども入り、とても音楽的で好き。


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最後の席は東方丈。(これ毎回入っているような気がする)ちなみに写真は明るいときに撮ったもので、入ったときはすっかりとっぷり暗い。


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こちらの席は黄檗売茶流。お弟子さんはやたらと外人さんが多かった。
テーマは宇治十帖の最後の巻「夢の浮橋」


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お菓子に一点の金箔が明星。


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普通煎茶は小さな杯ででてくるが、現在の家元が好んだという大きめの茶碗(飯茶碗サイズ)で2杯分をまとめてだされる方式。ほんとうに煎茶道は千差万別、いずれも趣向が自由で面白い。


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点前座に飾られた花器を支えるのが月に住む兎で愛らしい。


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とうとう、真っ暗になった。
吊り灯籠がますます妖しく美しい。


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萬福寺を後にするとき、山門はやっぱり電飾がはいるとこないなことに〜o(^▽^)o
さすが萬福寺、ちょっと遠いけれどもっとみんな行こうよ、楽しいよ♪


久々に正午の茶事〜砧からの雁の玉章 - 2023.10.11 Wed

いつもは夕ざりなので、正午の茶事は本当に久々。朝の光が残るうちに席入り。



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西洋のお盆とでもいうべきハロウィーンにならってカボチャ。


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このところ扇風機もまだ片付けていないのに、もうストーブをだしたくなる朝夕の涼しさ。


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お客様の芳名録は菊池克さんの千手観音さまの手の一つでおさえる(^_^;


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待合にはこの季節ほぼかならず掛ける「砧」の絵。
謡曲「砧」でもあり、その元になった蘇武の逸話でもあり。

  長安一片の月 万戸砧打つの聲、、、(子夜呉歌 李白)

匈奴に捕らえられ決して降伏しなかった蘇武は19年も彼の地にあり、長安の妻は彼に届けと砧を打つ。蘇武には辺境にあってその音が聞こえたという。



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これはお遊びで作った棕櫚箒
お隣の棕櫚をいただいたので(^_^;


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苔も日覆いをしなくてもよい季節、なんだか生き生きしてきた。


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普段夕ざりでは簾をかけないので、久々に正午で簾をひっぱりだす。簾の巻き上げ(初座→後座)も久々にやった。ちょっと勘が鈍ってる。


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茶室内には簾の影ができる。夕ざりの日暮れ感も良いが、これもまた良し。


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初座の軸も夕ざりとは反対(夕ざりでは花が初座)
軸の掛ける位置の調整が難しく、お猿さんに手伝ってもらった(^_^;


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懐石もだんだん段取りが良くなった、、、と自画自賛。


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酒器石杯はコレクションの見せ所、私の好きなイベントである。
石杯は新旧おりまぜて。


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お菓子はみのり菓子さんの「栗ひろい」
栗餡に道明寺、栗のイガはピーナッツとカカオニブ。大人の味だわ。


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中立後後座
花入れは最後まで悩む。籠のいいのがあればいいのだが、、、


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昨年姫路から持ち帰った桜蓼がきれいに咲いた。たしかに小さな花の一つ一つが桜に似ている。


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濃茶は午後2時頃になり、まだ明るい。


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今回のお正客様は石州流の方であるが、私は石州関連の道具を持ってないため、せめて茶筅を、、、と石州の白糸かがりの茶筅を使う。(これはあとでお持ち帰りいただいた)


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今回は正午で時間に余裕があるので、これも久々に後炭をした。もう、、、色々忘れまくっている。ちゃんと日頃からお稽古しないとだめね〜。


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おかげで薄茶は湯がばんばん沸くこと!

薄茶器は月に雁

 薄墨に書く玉章(たまずさ)とみゆるかな かすみの空に帰るかりがね (一休)

蘇武は雁の羽根に手紙をつけて、まだ生きていると長安に伝えた。それから手紙のことを雁の便り、雁の玉章とよんだ。

その後決して匈奴に屈しなかった功で無事長安にかえることができるのである。(匈奴に従ってそのために働いた友人の李陵は帰れなかった。中島敦の「李陵」を読んでね)


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四時間以内にきっちり終わって、片付け始めてもまだ夕刻、正午はあとが楽である。ふと露地の片付けをしていて見た茶室を通した水屋の景色が良い感じであった。

道具に造詣の深いお正客様、10数年前にお目にかかって以来、お呼びしようと思いつつやっと今日かなったお次客様、お詰めはいつもお世話になってます師匠(^_^)V
極わびの季節に、良きお客様方としみじみとした茶事ができました。色々感謝。



建仁寺栄西茶会2023 - 2023.10.10 Tue


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祇園花見小路にも観光客がすっかりもどってきている。
この奥、どんつきにある建仁寺へ。(花街の真ん中の禅宗のお寺だが、花街の方があとからできたのだ)


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2年に一度の栄西禅師を顕彰する茶会、栄西茶会である。
主宰は筒井紘一先生主幹の一般社団法人文化継承機構。なぜ10月なのかは不明、生まれ月でも入寂月でもないし、宋からお茶の実を持って帰った月なのかな?



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パンフの表紙は今年四月に久々に行ったところの四頭茶会の一場面。
遅まきの参加だったので、急ぎ足で回る。


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本坊に二席と点心、めったに入れない開山堂で一席、とシールを貼ってもらいながら気持ちはスタンプラリー(^_^;


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まずは本坊の奥まった場所にある清涼軒にて速水流滌源居の薄茶席。宗燕家元自ら席中にて。
この清涼軒の建物は昭和15年に隠居所として建てられたという。


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左手にみえるのは建仁寺垣。

床の軸は横一行、速水流四代宗汲の書で、栄西の「喫茶養生記」に神農の言葉として引用されている<茶茗宜久服令人有悦志之功>、唐金の柑子口花入れにしゅっと秋明菊。


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お菓子が川端道喜の秋のお菓子・菊花餅。黒文字がついてない、、、と思ったが、道喜さんは、お菓子は手でつかんで食べていただきたい、というポリシーなので、わざと黒文字つけなかったそうだ。そのまま手でつかんでいただく。へたに切るよりこの方がずっといい。


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主茶碗が粉引?玉子手?で雨漏りが多く良い景色、銘を鷴(とび)。
白雉とも言って雄は雉と同じく顔が赤いので、一部繕ってある部分が赤漆、よく考えてある銘だな〜と。


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速水流の二色襲の帛紗はつとに有名だが、今回みなさん、外側に来る部分に白をもってきてそろえてはる。白秋らしくてよかった。


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そのあとは急いで(時間制限あり)精進点心を広間でいただく。写っていないけれどご飯が生姜飯で美味しかった。


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次なる養生席まで時間があったので、建仁寺をうろうろ。観光客も大勢いらしているので、にわか観光客になって同化する。


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禅寺らしい風情がよいが、一番人気はやはりこの庭。日本人も外国人もこの前で坐禅のまねごとをしてみたり、静かにたたずんでみたり、思いにふけっている。


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久々に法堂の天井の双龍にも会ってきた。
普段大寄せ茶会ではたくさんの知り合いに会うのだが、文化継承機構主催の茶会は意外と出会わない。茶人も住み分けか?(昨年末の未在騒動のときの方と、関東の茶友さんにすれちがったのみ)


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養生席、建仁寺関係のお茶愛好家たちが有志で主催。栄西忌しか開けない座敷を使って、という贅沢さ。台子を使っての創作のお点前、一服目は桑茶、二服目は薄茶。なんとなれば「喫茶養生記」は茶の章と桑の章、それぞれの効能を説いている書物だから。


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お菓子が、昆布、のし干し柿、、、とこれは四頭茶会の時のお菓子みたい。正体不明の土筆の頭みたいなこれは?、、なんとこれが桑の実だったとは!初めて食した。マルベリーと英語で言うだけあって、ベリーなんだ、そのままでもほんのり甘い。


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そして桑茶も薄茶も四つ頭方式で、大きな盆に天目台ごとでてきて、台ごと手で持って喫するのである。
そのあと建仁寺のお坊さんの喫茶養生記のお話。そういえばちゃんと読んだことはない(^_^;
床の間の軸も養生記の冒頭の部分「茶養生仙薬延齢妙術」であった。


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境内にある茶碑は祇園辻利さんが建てられたものだったのね。


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建仁寺の生け垣はほぼすべて茶の木であるが、茶の実が鈴なりであった。
さて、最後に筒井先生の濃茶席。


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なんと普段非公開の開山堂の、しかもその仏間を初めて茶席として使った!と言う貴重な席、しかも最後の席だったので、客5名という贅沢さ。

席はちょうど四つ頭の席を小さくしたような感じで、正面右に(四つ頭方式では龍虎の軸が掛けてあるところ)逆勝手の点前座が。
正面には石室善玖和尚(鎌倉後期の禅僧、中国で古林清茂に師事、帰国後天龍寺に入り五山文学の元を築いた)の墨跡。「海山の夜月自ずから團圓、、、」の七言絶句。目の前に美しい景色=悟りがあるのに気づかないでぼ〜っと生きてるとすぐ寿命がきちゃうよ、、という感じか。

感動的だったのが花。
鼓胴型の天龍寺青磁にはいっているのは盆栽と見まごうような実茶の木、実付き。それにこの季節にも咲くの初めて知った楚々と白い茶の花がそえられている。この四つ頭席と相似形の席でこそ、の花で見事。(普通の茶室には絶対無理)

古信楽茶入の古い仕覆が3枚、どれも良い感じに時代がついていて、茶杓は不昧花押の漆塗り、むしろ匙といっていい形。
主茶碗の大徳寺呉器のなんと力強いことよ。底のぐりぐりつけた釘彫りの渦巻きがすごい。
次客茶碗は奥高麗型の絵唐津。鈍翁〜青山二郎所蔵のものとか。



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最後の席とて、よそに挨拶回りにいかれた筒井先生のかわりに説明をしてくれたのが、わが茶友F太郎さんだったのにはうれしいサプライズ。(ついにここまで有名になったか〜!)
最後の最後に筒井先生もなんとか間に合って、お話をうかがうことができ、これにて茶会お開きに。

暑い暑いと言っていたのがつい昨日なのに、この1日は秋らしいすずやかさで、楽しい1日となった。そろそろ着物も袷をだそうかな。




もしも猫展〜京都文化博物館 - 2023.10.09 Mon

三条通、周辺観光客のメッカなので極力避けていたので、久々に来たら浦島太郎的気分、またしても大きな、小さな、町家がつぶされてる洛中。(もう京都の町家はあかんね、、、)


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久々に来たのは京都文化博物館
元日本銀行京都支店、東京駅も手がけた辰野金吾の仕事である。やっぱりこの外観はすてき。


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なにせ開催中の展示が「もしも猫展」
猫好き、または国芳好きは行かねばならぬだろうて。


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メインは国芳の擬人化された猫、国芳一派の弟子の作品や、弟子のなかでも大好きな月岡芳年の猫絵などなど。


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小学生の孫に見せたら「かわいくない、、」と(^_^;
まあ、現代風なカワイイ猫とはちと違うが、このブサかわいさにやられるねん。


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国芳はほんまに猫好きで常に数匹は家の中に猫がいて、時には懐にいれて絵を描いている絵がある。
彼が描く猫はまさに昔っからの日本猫、しっぽは短く、模様も三毛、ぶち、トラ、、、愛想もクソもないところがいい。


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多くの作品には地口(まあ、親父ギャグとでも)も書いてあって、クスッと笑えるものが多い。


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これは猫じゃないんだけれど、十二支の動物を擬人化した12枚の内の未(ひつじ。。。まあどうみても山羊だが、当時の日本に羊はめずらしかったかいなかった)
そば屋とおぼしき店のお品書きをなにげに読むと<かみ(紙)なんばん><花まき紙草>とか、羊の好物が、、、しかも猫らしき動物まで羊になってるとか、すみからすみまで、いろんなユーモアが隠されている。丑年なんかは一匹の擬人化された旅装束の牛のあとを人間の行列が続いていて<牛に引かれて善光寺>とかヽ(≧∀≦)ノ


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猫の銭湯は屋号が<またたび湯>とかも。

有名な鍋島猫騒動の絵もあって、巨大な化け猫が中央にどーんといるのに、その前をちょろちょろ、手ぬぐいをかぶった猫又がうろうろしている図、この猫又ほんま好きやわ。


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これがその猫又をデフォルメした国芳の作品だが、もうこれにとどめをさすわ。
猫好きで、親父ギャグが好きでいったいどんな人だったのかしら、会ってみたかったわ〜。


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明治になってからも国芳の弟子達が擬人化猫を描いているが、すっかり文明開化、洋風になっているところも面白い。


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ミュージアムグッズでつい買ってしまった手ぬぐいと、、、


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肉球グミ!
美味しいよ、これ。


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猫で癒やされたあとは博物館内の前田珈琲にてミックスサンドをランチに。ここは天井が高くて雰囲気が好き。


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それから久々に栖園さんへ行って、琥珀流しをいただく。10月の蜜は栗と小豆。12ヶ月蜜のコンプリートするのは、もう諦めた。人気なんで待ち時間がちょっとね〜。



黄梅院昨夢会2023 - 2023.10.07 Sat

毎年恒例の、木津宗詮宗匠による大徳寺黄梅院昨夢会茶会に。


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(門前のフジバカマの花にキマダラ蝶。野生のフジバカマは香りが強いからね。)


幕末の黄梅院住職・大綱宗彦和尚は木津家の初代・松斎の参禅の師であった、というご縁で毎年ここで釜を掛けられる。
今年いれてもらった席は、なにやら美術館の館長さんやら錚錚たる古美術店主さんやらいっぱいの席だったので、色々解説が拝聴できてヨカッタ。


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(黄梅院〜通常非公開、今の期間は特別公開中)

待合に松斎の画讃「落葉の音おもしろし 中くぐり」

松斎の花押箱の茶器をなぜかひとつ持っているので、初代の花押は見たらわかるようになった。木津家は官休庵なので、木津家と官休庵と、ときに不審菴の歴代が入り乱れて、ちょっと覚えきれない。


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濃茶席
掛け物が宙宝和尚の双幅「問」「答」
禅宗のわかりにくい言葉、まんまである(^_^; 床の左右にかかっているのは迫力がある。真ん中に丸卓、上の棚に白象の香炉、下に唐銅花入れ、花は段菊、黒ほおずき、(あと一つ忘れた、、、)いずれも珍しい花。宗匠らしい床飾りである。


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木津家で最も有名な三代聿斎(いっさい)は、貞明皇后の茶室・秋泉亭を設計したひとであるが京城(ソウル)にもいくつか建築の足跡を残している。当時の京城東洋拓殖会社から持ち帰った桑の板から作った釜敷、というのが由来がおもしろい。


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けれど一番面白くて印象が強かったのは茶杓である。

宗匠はこの夏、中国へ講義(セミナー?)に行っておられたが、河北省の柏林寺へも足をのばされたそうで、その庭にある柏槇(びゃくしん)の一枝を、賜ったとか。
柏林寺は禅宗では超有名な趙州禅師(唐代)がおられたところ、「喫茶去」とか「狗子仏性」とか「趙州無字」とか有名すぎ。その中に「庭前の柏樹子」というのがある。



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達磨が中国に来た意味は?と言う弟子の問いかけに趙州は「庭前の柏樹子(庭の柏槇)」と、また訳のわからんことを言ったのである(^_^;
拝領の柏槇の枝は、その庭前の木であるという。それを宗匠前日までに削って茶杓にされたとか。細身で、アロマ系の香りもまだほのかにする茶杓の銘は「獅子吼」、はるか唐代の中国にまで思いは飛ぶ。

(馬祖→南泉→趙州)

さらに、栄西をはじめとする臨済禅を学ぶ日本留学僧がまず目指した西天目山まで行かれたそうだ。はじめ東天目山に間違えて行って、近くの農家の人の軽トラで送ってもらい、その時にもらったのが使い古しの古い砧。脇床に飾られていたが、これもかつての仏教盛んなりし中国へ思いをいたすよすが。



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(15分おきに苔に水をやるスプリンクラー、これ欲しい、、、)


お菓子がゆで卵を割ったような白と黄色の丸い竿物であったが、これは初代松斎が好んだ「開闢餅(かいびゃくもち)」を文献から想像して起こしたもので、お弟子さんでもある壬生の鶴屋(八木家)さんのご苦労の菓子であった。芋餡と黄身餡が美味しい。



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薄茶席
恒例の立礼席にて。
掛け物は一指斎の「茶の十徳」(明恵上人)

釜と風炉がいずれも真鍮、珍しい、、、と思ったら「某韓国ソウルより持ち帰る」と会記に。「某(なにがし)」って木津宗匠のことよね(^_^;
正真正銘朝鮮のものである。

お茶碗をすべて手に取って拝見できるありがたさ。次客さんのだったか、丸い実をつけてたオモダカの模様が珍しくて秋らしくていいなと思った。(永楽だったか?)



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お茶をいただいたあとは黄梅院の中を拝観。以前来た時には工事中かなにかではいれなかった所まで見ることができた。一番古い厨がやっぱり雰囲気いいわ。準棟纂冪も見られるし。
黄梅院の太玄和尚は建物をたいそう大事にされていて、新築の部分も古い部分も手書きの注意書きがいっぱい貼ってあって、和尚の軸は人気なので、これをはがして軸装すれば、、、なんて妄想を(^_^;



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萌えたのがこれ。
足ふみ式アルコールポンプの装置なんだが、木製、しかも見て!このポンプの頭を押すところ、ネジがついているんだよ。和尚のお手製かなあ(*^_^*)


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点心は恒例の一久さんにて。
栗ご飯♡に名物精進の筏牛蒡に擬製豆腐!
ごちそうさまでした。
今年は特によい席で楽しかった!





今年の中秋ちょっと過ぎた広沢池2023 - 2023.10.06 Fri

ここ数年、中秋の名月は奈良で、十六夜、立待は嵯峨の広沢池の畔で、というパターン。広沢池では茶友さんと数人で楽しんできたが、今年は諸般の事情、あと雨かもしれない、という天気予報のせいで、たったひとりの観(月)?祭りとなった。


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月の名所の広沢池。はい、暗くてなにも見えませんね(^_^;


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撮影条件変えてみたが、なんとなくあの辺り、分厚い雲の向こうに月、でてるんだろうなあ、、くらいしか。

↓これは昨年のほぼ同じ時間、同じ場所から見た月。こんな風に見えるはずが〜〜


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一人でさびしく灯りをともしてお茶。
今宵は月という友もなしに、、、


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いつもの茶籠にお湯はポット。野点用のコンパクト熱源も使いたいのだが、ここで蝋燭以外の火使ってるのOKなのかどうか不明なので遠慮した。


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月は見えないが、虫の声、たまに池に飛びこむおそらくウシガエルの音や声、街道を行く車の音とか、静かに楽しむ。これもまた楽しき。


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多分、あの明るいところに月、想像で補うのだ。


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広沢池から帰る道すがら、車の中から、、、あ!あれ!


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おお〜っ!
十六夜の月!とにもかくにもここで見ることができるとは!
雨の予報はどこへいった??




本居宣長を訊ねて〜松阪鈴屋 - 2023.10.05 Thu



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長次郎さんに感激のご対面をしたあと、せっかく松阪に来たのだし、松阪と言えばやっぱり牛肉、、、いや本居宣長先生、その旧宅が保存公開されていると聞いて足をのばすことに。


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また松阪といえば「松阪の一夜」。
昔の尋常小学校の教本にものっていた有名な話である。(あ、さすがに尋常小学校の時代は知らないよ(^_^;)

江戸から来ていた当時すでに有名であった国学者・賀茂真淵(70代)と30代だった宣長が一夜限りの面会をして、真淵に背中を押されるようにして、宣長は「古事記」の研究を始めるのである。


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(松阪城近く武家屋敷のあった面影をとどめるあたり)


真淵は古事記を研究するために古語を知らねばならぬ、古語を調べるために万葉集の研究をしていたらのめり込んで、古事記にまでいたらなかった。自分はもう年だがあとの研究を宣長に託すよ。背中を押された宣長はその後古事記研究最高峰の「古事記伝」を書き上げた、、と尋常小学校の修身の本は結んでいる。どんな研究も先達の苦労と功績の上に少しずつ積み重ねられるもの、宣長も真淵がいなければ古事記研究の頂点をきわめることはできなかっただろうと思う。



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宣長の当時(18世紀)ですら古事記はすでに解読不能の書物だったらしい。それを35年かけて解読した宣長先生なくば、現代のわれわれは、天岩戸も因幡の白ウサギも海幸山幸もしらないままだったかもしれない。(日本書紀は漢文で書かれていたので解読できたがあれ皇室史観だから)



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松阪城二の丸の一画にある本居宣長記念館、敷地内に宣長の旧宅が移築されて保存されている。


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12歳から72歳、天命を全うするまで宣長が住んだ家である。
彼はここで古事記の研究をした。53歳の時に増築した二階にたくさんの鈴を掛け、疲れたときにこれを鳴らして癒やされてたそうで、この家を「鈴屋(すずのや)」と名付けた。


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宣長の本職は医師なので、その仕事もしながら国文学の研究にも励んだというわけだ。資料館にはたくさんの薬の入った愛用の薬箱も展示されていた。


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玄関の間は医師としての診察室であるが、奥の座敷は多くの門人に国学の講義をした部屋。
立派な家だが、もともと宣長の生家は伊勢松阪の豪商であったそうだ。
右手の階段は鈴をかけた書斎へつづく。(拝見不可)


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あ、お風呂発見。
せ、、狭い。


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宣長が古典文学に興味をもったのは京都遊学中で、王朝文学にひかれてゆくのだが、その頃遊びもしただろう彼に母親が「お酒は盃3杯までに!」という書状を送っていて、記念館に残されている。


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で、「本居宣長先生修学之地」という碑が京都市内にある、と聞いてどれどれどこらへん?室町綾小路、、ん?綾傘鉾会所の近く??と思っていたら、なんと綾傘保存会の会合をよくしているビルの前やん!!
絶対見ているはずなのに、スルーしてるわ、今度しっかり見てこなければ。知らないってほんとオソロシイ。



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他にどなたもおられず、座敷には暑いながらもなんとなく秋の日差しが入り込む。かつて門人が、家族が行き交う幻を想像する。


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台所も京町家と同じ、走りがあって、竈がある。この景色好きだな。


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外に出ると松阪市を一望できる松阪城二の丸である。伊勢湾までは無理か?


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記念館にあった、私のとても好きな宣長の和歌。吉野に行くときいつもこの歌が頭にうかぶ。

  敷島の大和心を人問はば
     朝日ににほふ 山さくら花


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松阪市のマンホールの蓋も、宣長愛玩の鈴。



長次郎に会いに〜松阪 - 2023.10.03 Tue

三重の松阪に来たのは初めてである。松阪牛とか本居宣長とかイメージは色々あるが、、、


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蒲生氏郷の治めた土地とはしらなんだ。氏郷といえば会津の(少庵会津にあずかっているしね)、、と思ってしまうが、会津で大名になる前に松阪城を築城、城下町を整備したんだそうな。こうやって今でも氏郷顕彰があるからには、さぞ松阪の人々に慕われたお殿様だったのであろう。

という話はさておき、、、(^_^;
今日はいつもお世話になっているY様にお誘いいただき、茶の湯道具好き5人組ではるばる?松阪の某道具屋さんへ。なんとなんと、長次郎に会いに♡

店舗の一画にある台目小間の茶室に上がらせてもらって、まずはお薄を二服、栗小餅、できたての琥珀を。飾り置きされた古備前の水指や、だされた数々のお茶碗をまずなでまわして拝見。宗入の赤とか御本とか見ているうちにみんなどんどんハイテンションになっていって、ついについにその時が!

ご主人がお持ちくださった長次郎の、、、長次郎の黒楽ですよ〜。
長次郎をこの手に。もうね、みんな交替で撫でまくるわ、触りまくるわ、上から見るわ、横から見るわ、で大騒ぎ。
このお尻がたまらん、とか、縮れた釉薬のかせ具合最高とか、底に見える褐色は元からこんな色だったのか?とか、ここにこんな篦目が、とか、石ハゼがとか、、。
作陶のプロもいらしたので、プロ目線の見所(*)もお聞きするが、彼自身ももう「ほ〜」とか「は〜」とか感激で言葉にならないご様子。長次郎はさることながら、それを見て触ってのみんなの反応がまた面白かった(^_^; ほとんど推しのアイドルにキャーキャーいうオタクと同じである。
かくいう私も「利休と間接タッチ!」とか、りっぱなオタク。

(*)お湯をこぼすときに、高台のどこかに指をかけやすい部分があるとのこと。その位置から製作者が意図した茶碗の正面がわかる。

なりは同じく長次郎の「俊寛」に似て、利休のこまかい指示で作られたものであろう。


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ちらっとだけ長次郎さまのお写真。
この高台♡ かせ具合♡ そして手取りの感じ、重さ、憧れた長次郎、まさか触れる日がくるとわ〜! なんとそれだけではナカッタ!


あんまり長いことみんなで頭寄せ合って長次郎触りまくるので、「これをこんなに長いことみてくれるお客さんはいままでいなかった」ので、これでお茶を点ててくださるって!きゃ〜である。



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長次郎に抹茶が入っているのを見るのは初めてだ。水を含んで、緑のお茶をいれた長次郎はまた別の生き物、美術館でカピカピに乾いてミイラになった長次郎と全く別もの。みんな、きちんと正座して、ネクタイをただしてお茶をいただく。利休と間接、、、いや、もうやめとこ(^_^;

この黒楽は銘を「伊勢海」
表千家の碌々斎(幕末〜明治)箱、元はと言えばオリジナルの古い箱があったのだが、面白くないので新しく作った、、というようなことが箱につらつら書かれている。この茶碗を楽直入さんにお見せしたところ、1時間もずっと手放されなかったという。きっと直入さん、この茶碗のどからでがでるほど欲しかっただろうなあ。
私にも一期一会、今後こんな機会はないと思われるので、心ゆくまで長次郎を味わった。

それもこれもおさそいくださったY様に感謝しかない。


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長次郎で胸一杯になって今度はお腹を一杯にするべく、伊勢三玄さんへ。


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なかなか入手困難な而今がでてくるのでまたテンションあがる。生酒なので微炭酸。
懐石のコースはいずれも見た目も味も満足。


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木の板に香合にいれたものや、筒向や、そのままのものや、それぞれが一つずつ手に取っていただく。この見せ方は吉兆風やな、と思ったら大将は吉兆で修行されたのね。

さて、今夜は長次郎様の夢を見るかな、、、?



今年の中秋の名月は薬師寺〜2023 - 2023.10.01 Sun

今年の中秋の名月の法要はどこにしよう、、2年続けて唐招提寺の観月讃仏会に行ったが、今年はちょっと変えて同じ西ノ京ながら、薬師寺の観月会にしてみた。


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中秋は年によってずいぶん時期に幅があるので、昨年なんか18時でもまだ明るい9月前半だったので、雰囲気いまいち、今年は29日と良い感じに暮れている日程となった。


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薬師寺の観月会は東塔西塔のある白鳳伽藍ではなく、道を挟んで反対側の玄奘三蔵院伽藍で行われる。この伽藍は平成3年建立という新しさ、できて間もない頃、平山郁夫画伯の大作「大唐西域壁画」を見に来たことがあるが、以後なかなか足が向かなかったので、久しぶりである。


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本当はもっと早い時間にご法話もあったのだが、法要にぎりぎり間に合う時間、まほろば会館にあわてて点心を受け取りに行ってもどってくると、、、


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あら、お坊さんご一行がすでに入堂を始めてはる。


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その頃月はちょうど伽藍の向こうから顔を出していた。おお、今日は雲一つ無い夜空、まさに美しい名月である。昼間は汗だらだらの暑さだったが、この頃になると風も涼しい。(もうすぐ10月というのに涼しい、、、なんて言葉を使わないといけないなんて)


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18時半に一斉に開くはずだった大唐西域壁画殿、ちょっと手違いでなかなか開かなかったが、暗い中で扉が開かれると明るい壁画が美しく広がる。


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玄奘三蔵像を祀る玄奘塔にて法要は行われた。

なぜ玄奘なのか?
薬師寺の宗派である法相宗は唯識思想を旨とする。唯識学派の教えを求めて「不東」の志で不屈の旅をしたのが玄奘三蔵であり、それを日本に持ち帰った道昭は唐で玄奘に学んでいるのである。

(不東:インドをめざし西へ進む玄奘の、教義を得るまでは決して東の唐へは帰らないという意志を表す)



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法要が進むにつれ目の前に見える月はどんどん昇っていく。
何枚も写真を撮ったが、なんとかきれいに撮れたのはこの一枚だけ。


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加藤朝胤管主さまのお顔が灯火に照らされる。
献茶もあったようだが、私が座った位置からは見えない。


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その後薬師寺ともゆかり深い世界的ハープ奏者・福井麻衣さんの演奏があった。


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ハープ演奏を入り口の門のほうから。
背景に玄奘三蔵さんのお姿が。


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この頃には月はここまで昇っていた。


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加藤管主さまのおしまいのご挨拶を聞いて、、、


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参拝客は順番に壁画堂へ、久々に大唐西域壁画を拝見。お坊さんのシルエットが背景と相まってちょっと玄奘っぽく見えない?(^_^;
壁画はインドのナーランダ僧院にたどりつくまでの険しく過酷な道のりをたどるように描かれ、天井にはラピスラズリの青に散華が舞い、日月がある。若い頃見たときよりは深く感動、あれから人生色々あったし(ありがたいことに大過はなかった)。


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不屈の精神の玄奘三蔵像を間近で拝むことができた。


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裏千家淡交会奈良支部のみなさんによる野点呈茶席。


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見えるかな、手前に月見団子。


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玄奘三蔵伽藍をあとにすれば白鳳伽藍の東塔西塔が。


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しかしお弁当、小さい箱なのにしっかり詰まってて、ボリュームもあり、美味しかった。右は拝領したお札。薬師寺さんってなんかいつも太っ腹なのよね。コロナの間は無かったが、花会式のお弁当や鬼追い式の後のおうどんや。好き♡




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