金沢散歩〜月心寺隆茗会月釜2023 - 2023.11.30 Thu

来た〜1年半ぶりの金沢っ!
祝日だったこともあって、やはり人多いわ。
昨年は行けなかった近江町市場の喧噪の中に身をおいてみる。いや〜飲食店はどこも長蛇の列だわ。
金沢は昔学会なんかでけっこう来ているので、ここにも何回か来たことはあるけれど、ずいぶん整備された印象。
土地柄海産物が多くて、、、
蟹〜♡蟹〜♡
もうその季節なのね。ここで軽くおうどんを食すが、関西ではきつねうどんが、ここではいなりうどんになることを学ぶ。
バスで2駅、昨年も行ったひがし茶屋街をめざすが、その前にその界隈のレトロモダン+レトロ建築の町並みがきれいなので、まずそちらを。
金沢文芸館
元銀行だった建物で、竣工昭和4年。戦前からあるんや。(国の登録有形文化財)
旧三田商店
現在はギャラリーになっている。昭和5年竣工、同じく国指定登録有形文化財
八百萬本舗
江戸後期、かつては金物屋だった商家をリノベ、現地密着型複合小商施設。
奥隣とあわせて現在は中華レストラン梅梅、明治になってからの建築とか。それでも100年はたってるからなあ。残ってるんや。やはり小京都といわれるだけある。(本家京都の伝統的建築物保存の現状はアカンけど、、、)
これは現代の建築だが、昔の茶屋建築のテイストを取り入れて、門前の柳が良い感じだったので撮った一枚。浅野川沿いのアパレルの店。
こちらも明治期、築100年の町家をリノベしたご飯屋さん。窓ガラスとか、屋根灯籠とか、国旗とか(勤労感謝の日)とか良い感じである。
主計町茶屋街を左岸に見つつ、浅野川をわたって、ひがし茶屋街へ。
ここはご存じ有名な景色、外国人観光客もいっぱい。写真を撮るのに一苦労。正面は卯辰山である。金沢城からみて卯辰の方向(東南東)にあるから、、、と言われているが、実際には丑寅の鬼門(北東)に近く、なぜ卯辰なのか謎なんだそうだ。
ひがし茶屋街の入り口のランドマーク、見返り柳。ベンガラの色がやっぱり艶っぽい。
人混みのメインストリートを避けて、しかも目的地である卯辰山山麓寺院群の方へも向かいつつ、ぶらぶら。
今もって現役の製粉業兼米屋の経田屋(きょうでんや)
明治37年の町家でこれも国指定登録有形文化財。
東料亭組合、稼働している事務所で築年数は不明ながら、これも明治はいきそうな感じ。
さて、ひがし茶屋街を通り抜けて北上、卯辰山への緩やかな坂を登っていく。
なんでもこの周辺、50もの寺院が点在しているので、卯辰山麓寺院群とよぶ。(マップ)いずれのお寺も境内の紅葉が美しかった。やはり北の国やな。
道は続いているのか行き止まりなのかわからないような、迷路のような小径になる。さすがに観光客の姿はちらほらくらい。
あちこちで絵になるので写真をとりまくる。しかし、茶会のために着物、草履なので、ゆるやかではあるが坂は結構きつい。
ベンガラ塗りのことさら立派なこのお寺は仁王門に大きなわらじがかかる。(泉鏡花の小説の舞台になったとか)
さて、かなり登って(登ったつもりだがたいした高さではない(^_^;)、ようやく目的地、月心寺にたどり着く。
曹洞宗の古刹だが、なんといっても金沢に縁をつないだ裏千家4代仙叟の墓所があるお寺なのだ。大樋の初代はじめ代々の墓所にもなっている、まさにお茶のお寺。
裏口から入ったので、現在は使われていないと思われる小間の茶室もチラ見。
隆茗会は2008年に80周年記念と書いていたから、現在は95年目という古い歴史の茶の湯の会らしい。さすが茶の北都金沢である。
北陸随一の格式で会員制、入会も難しいとか、北の光悦会か?席主もきけば錚錚たる方々で、今日庵もかけたことあるみたいだし、有名な古美術商とか、力量のある茶人さんとか。
本日の席主は京都の木村宗慎さんで、ご招待いただいて潜り込んだ次第。
お土地柄、仙叟で攻める攻める。竹一重切の花入、茶杓(共筒)、炭道具も仙叟好み、初代の大樋の茶碗も。
なによりのご馳走は利休消息。藪内家伝来の「上林極上 餅の文」
薮之内剣仲から極上(碾茶)、餅、雁が届いたその礼状だとか。極上は、時節柄口切りの茶だったと思われる。よってその下に茶壺の口覆がおかれていたのがツボ(^_^;である。ちなみに本席に飾られていた茶壺もルソン真壺。
水指がわざと少し外して半泥子、主茶碗は錐呉器、やさしい色であった。
飾られている炭道具で杉木普斎箱の織部香合が益田間道にのっているのも壺、、じゃなくてツボ。戸田露吟(谷松屋)愛用の備前の灰器も萌える。
主菓子が京都から運んだ二條駿河屋の亥子餅(柿栗入り)、花の寒菊と老爺柿を気をつけて運んだのがお弟子さんのお茶友さんであった。ご苦労様〜。
水屋で黒織部でお茶をいただくなどありがたく、その後、境内の仙叟の墓所にお参り。
加賀前田藩の茶頭として、大樋や寒雉を育て活躍し、その後京都に戻るも金沢を行き来し、最終的には金沢で亡くなった。ここに墓所があるとはしらなかった。
茶会の後は、茶の湯をするもの金沢に来たら行かんわけにはいかないだろう、中村記念美術館へ。
個人蔵の大井戸茶碗「筒井筒」がでてましたわよ〜。(重文)
美術館前の旧中村邸なども見つつ、何年か前にここで茶会あったなあ〜と懐かしく思い出す。
お隣の鈴木大拙館は昨年行ったので今回はナシ。駅前で金沢名物?おでんで一杯やって帰洛の途へ。
みっちり中味の濃い金沢ショートトリップであった。
銀月サロン〜秋茶会2023 - 2023.11.28 Tue

入り口前の枝垂れ桜も紅葉を通り過ぎてすっかり落葉してしまったところの北白川・銀月アパートメント。
築年数不明であちこち補修しながらなんとか生きながらえている。
その一室で、この秋も銀月サロンで中国茶を。
春には窓一杯にひろがる枝垂れ桜のさくらいろに、初夏は新緑で緑色に染まる部屋の中で、秋は日だまり。
まずいただくウエルカムティーは無花果茶。
淡路島で採れたとれたての無花果を、ジャムにしたり乾燥させたり。乾燥無花果の葉っぱ(+実?)とお茶を調合、それでいれたお茶は、確かに香りが無花果だ。でも生のものよりもっと精製されたとでもいうような芳香。グラスに残った香りはすばらしく良くて、ちょっと衝撃。無花果は果実より実は葉っぱの方が香り高いのだそうだ。
心ものども潤った頃、最初のお茶は和平郷梨山烏龍茶
和平郷は台湾の台中の集落、標高が2000mを越える高地。台湾では高地で採れる茶葉はとても貴重で、そこにある梨山は銘茶の産地、阿里山よりも高級とも。
茶葉を手摘みして、揉んで丸薬状にするのも手作業、という貴重なお茶をいただく。
烏龍茶なのだが、後口がなんと甘い、香りは阿里山のに似て乳香もあり。何煎でもいけそう。
贅沢なことに2〜3煎飲んで、その茶壺(チャフー)の中に桂花(乾燥金木犀の花)を投入。これでお湯をそそぐと、さらに香りが重奏される。確かに金木犀。
こんな楽しみ方もあるから中国茶って好き。
(陸羽以前はお茶にいろんなもの投入するのが普通だったようだ)
お茶うけスイーツはドライデーツ(大好き)、ドライパイナップル、そして爽やか美味しいグアバのドライ。
お茶を煎れた後の茶葉
丸薬状の元の大きさは5mmくらいに過ぎないのに、実はこんな大きな葉っぱだったのね。
次なる台湾茶は台北・新竹県北埔(ベイプー)東方美人茶
北埔は、清朝時代福建省から台湾に移住してきた客家(はっか)たちが今も居住して、当時のくらしぶりを残している町だそうだ。(これは行ってみたい)
そして東方美人茶といえばウンカですよね。(ウンカに噛まれた茶葉がやべ〜と出す物質が芳香になるという)それを発見したのも客家の人たち。
茶色(ちゃしょく)が美しくて写真に撮ろうと思う前に飲んでしまった(^_^;
香りはやはりそこは東方美人茶、最高レベル。
そしてお楽しみの点心❤️
お腹にやさしい芋粥に飛騨の味噌をのせて。芋、ほのかに甘くてうまい。
焼売、餃子の三種
文句なくうまい!(茸、チーズ、牛蒡などなど)
最後にデザートをいただきながら飲んだのが日月潭紅玉茶、紅茶である。
これもきれいな紅色の水色(すいしょく)だったのに、食べるのに忙しくて写真ナシ(^_^;
後味すっきり紅茶、しかも何煎でもいける。
お菓子はリンゴとエゴマのパウンドケーキに、ウエルカムティーで使った無花果のジャムをそえて。
そろそろお湯の湯気が目に見える季節になった。お茶を飲むためだけの時間はなんと贅沢なことか。このひとときに感謝。
岩戸落葉神社の大銀杏2023 - 2023.11.26 Sun
昨年2回も行って(1回目はまだ早すぎた)すっかり気に入ってしまった景色を見に、今年も。
場所は周山街道、高雄や高山寺のある栂尾を通り過ぎてさらに北上。
洛中の紅葉は、今年はイマイチだが、このあたりまで来るとさすがに紅葉が美しい。北山杉の里、中川を過ぎて小野郷にたどりつく。(ハンドル握っているので途中の写真が撮れないのが残念)
わあ〜今年もまた会えた岩戸落葉神社の大銀杏。
X(旧Twitter)で最新情報をチェックしながら行ける日を選んだ。
(実際はもっと黄色です、葉っぱ)
境内は銀杏の黄金の絨毯。
お社にまずはお参り。
岩戸社と落葉社が合祀された神社である。(江戸初期に、前者が焼失して後者と合併)
頭に延喜式内とつくのは、927年(平安時代)に延喜式神名帳に載っている神社のうちの一つ、という意味で、、よって起源は平安時代にさかのぼるのである。

銀杏の落ち葉で黄金の川ができているよう。
右手にある小さなお社は摂社の落葉姫命を祀る御霊社。色々調べたが落葉姫命ってどういう神様かちょっとわからない。一説には源氏物語の落葉の宮がこのあたりに隠棲したことになっているのが根拠とも。
この小野郷のあたりはほんとに山の中でなんにもないところである。周山街道を走っていてもしらなければこの神社の場所はスルーするだろう。(ちょっと街道から入る)
昨年来た時は夕刻だったので、だれ〜もいなくてほんまに静かだったが、今年は15時ごろの訪問、何人かのカメラ抱えた人や、びっくりするが外国人観光客も一家できていた。特に一時間に1本あるかないかのバスがとまると何人かが降りてこられるのである。
それでも銀杏の圧倒的な姿におされるのか、一様に静かに景色を楽しんでいる。
夕陽を浴びて黄金色に萌える銀杏をみたくて昨年より早めにでかけたのだが、山間の日暮れははやいのである。今年もちょっと日陰になってしまっていた。
今度は朝をねらおうかな。
滞在時間15分くらい。
静寂と黄金色の景色の美しさを堪能する。
<車で高山寺過ぎて10分〜15分くらい>
<JRバス小野郷 1時間に1本くらい>
仕覆作りに挑戦⑤〜ついに表地裁って縫う - 2023.11.25 Sat
ついに表地に到達。
私が選んだのは船越間道である。なんと縦横がはっきりしていて柄あわせしやすい、、と思ったが、、

布地のゆがみがまるわかりという短所も。
ここは大事と先生に教えてもらって布地の整地をする。格子状の定規をあてて、布目を整える。まっすぐなようでいて、布はけっこう(特にバイヤス方向)ゆがんでいるので、それを爪と指で正していく。すごく辛気くさい(^_^; でもこれをきちんとしないとできあがったときに縞がよれてかっこわるいのだ。
整地できたところで極薄の接着芯を貼る。
そして型紙をあてて、縫い代をとっていく。
ここらへんは裏地といっしょなので、前のノートを見ながら、、、、って自分の字ながら読めないとこも多々。
裏地と同じくダーツ部分からしっかり本返し縫い。縫い止まりは糸を3回しっかり締める。
縫う部分はそんなに多くない。けれどずれないように、ゆるまないように、老眼でがんばるから、すごく肩が凝った。
側面を縫って、次回はいよいよ底をつける。
形になる。楽しみ♪
(茶入いれたら入らない〜なんてことがありませんように〜〜〜)
仕覆作りに挑戦④〜裏地を縫う - 2023.11.24 Fri
10月の教室の記事書くの忘れてたので、復習しつつアップしておこう。

吸い取り紙の分厚いやつに底の大きさを写し取って、きっちり等分の線をいれる。(ココ大事)
裁った裏地をダーツの部分から縫っていく。本返し縫いで、ゆるまぬように。縫い止まりが特にゆるまぬように留めて返し縫いもわすれずに。
底とあわせる時の印はきっちりつけて。
針で穴を開けた底と縫い合わせていく。これは革靴を縫製していくときのイメージだな。
裏地の底完成!
実際は裏地は内側にくるので、布は反対側に折ることになる。とりあえず茶入を入れてみて、はいらな〜い、、ということがなかったのでホッと安心した(^_^;
次にいよいよ表地に手をつける。丸いのは底。底にどういうふうに模様を入れるか、検討して決める。
裂は船越間道、これもキモである模様の入り方を検討して、どこに型紙を置くか決める。
で、ここまで。次回いよいよ表地の裁断にはいる。
永観堂2023秋 - 2023.11.23 Thu
いつもこの季節は憂鬱。だってバスにのれないんだもの。うちのヘビーユーズ路線のバスはもろ永観堂を通るから、満員ぎゅうぎゅう、時に通過される。(それでもまだコロナ前ほどではない)

どんなもんかな、今年の紅葉。
やはりあまりに長引いた酷暑のせいで、いまいち。うちの楓なんか、紅葉する前に枯れて葉っぱをおとしてスカスカ。きれいな紅葉は楽しめそうもない。
ご覧の如く、青葉の部分が多い。それでも枯れていないだけ、まだましか。
日当たりとか、種類にもよるのだろうが、ここはまだ青く、、
ここはけっこう真っ赤である。
見返り阿弥陀様のお堂前もなんだかな〜。まだ青い。
お堂前の階段のところもイマイチ。
池の周辺はなんとか様になっている。
島の弁天様の周りもかなり紅葉が進んでいる。
ここはチャリ圏内なので、終了時間間際のライトアップを毎年楽しんで来たが、数年ためして夜よりやはり昼間の方が美しいという結論に達した。
この臨時茶店周辺が一番きれいだったな。
秋は大賑わいだが、やはり美しい青楓の頃はほとんど訪れる人がいないくらいなのだ。確かに紅葉は美しいが、是非青楓も見に来てね。そして見返り阿弥陀様を拝もうよ。「永観、遅し〜」
これは愛用するバス停からもはるかに見える永観堂の多宝塔。
野村碧雲荘もこれを借景としているのだ。
観光客で混雑する負の部分はあるとしても、やはりこんな風景近くに住んでいるのはちょっと自慢(^_^;
東福寺展2023〜京都国立博物館 - 2023.11.21 Tue
今頃の東福寺はきっと紅葉を見る人で大賑わい、通天橋などは橋が落ちやしないかとおもうくらい押し合いへし合いなんだろうなあ、、、と思いつつこの時期に東福寺の展示をぶつけるあたり、京博さんもなかなかなるなあ。

伽藍づらともいわれる東福寺はとにかく広い。ほんまに広いのでどこからどこまでなのか把握できないくらいに。今回はその仏教美術の宝庫のお宝展示。
主に、開山となった聖一国師・円爾弁円(えんにべんねん)とその師匠である禅宗では超有名な南宋の無準師範(円爾は南宋で無準に6年間師事したのち帰国)との海を超えての交流と、室町の雪舟と並び称された絵仏師・明兆の二本が大きな柱かな。
ちなみに「東福寺」は、、
「洪基を東大寺につぎ、盛業を興福寺に取る」
東大寺と興福寺からそれぞれ一字もらった名前、当時の最大権力者・摂政九条道家の東福寺建立発願文である。
(前の物体は、通天橋の一部。紅葉を見るときはこんな感じになる)
円爾と無準師範と言えば有名な逸話があり、「板渡しの墨跡」として有名なのだが、その墨跡そのものが出ていたことに感激(国宝)。1242年、無準の径山(きんざん)万寿寺の寺塔が火災で焼失したとき、円爾はその復興にと、博多(当時博多承天寺にあり)から板1000枚を送った。それに対する謝礼の尺牘(手紙)なのである。
無準は円爾の才能を愛していたようで、与えた印可状(国宝・これも前期展示あったらしい、、見逃した)は「大宋国と日本国 天に境界はなく 大地に果ては無い、、」、また帰国に際して、日本での布教の礎となるであろう寺院のために扁額(方丈、首座、栴檀林、勅賜承天禅寺など)、や牌(告知板・上堂、煎点、点湯など)のお手本を持たせたりした。(これも展示あり)
海を越えた師弟関係に、血の通ったとてもあたたかいものを感じる。またそれだけ円爾には無準がみとめるだけの才能があったのだろう。
また無準から円爾に贈られた「大宗派図」(重文)は、釈迦如来から円爾にいたる法系図で、馬祖やら南泉やら趙州やら百丈、黄檗、、、とおなじみの禅僧の名前をたどるのも楽しい。
ちなみに釈迦の下が「西天四七」になっていて???となったが、4x7=28,西天二八とは釈迦から28代目の達磨大師のことであった。(^_^;
ちなみに同時代の禅僧で交流があったのが、蘭渓道隆(この前光悦会で墨跡みた・鎌倉建長寺開山)、無学祖元(無準弟子)、兀庵普寧(これも墨跡たまに茶席で見る)、、、と綺羅星なのである。
無準の遺偈(展示あり)に「生まれたときなにもなく 死ぬときもなにもない、、、あえて問うなら天台に石橋あり」
さてお次は明兆であるが、明兆の代表作「五百羅漢図」、その羅漢こそ天台(山)の石橋に住んでいたとされている。それを知ってこの遺偈を読み直すとまた別の感慨あり。
この五百羅漢図を網羅した絵はがきは、数年前東福寺でもとめたものである。(いつだったか、どんなシチュエーションだったかさっぱり記憶にない(^_^;)
一幅の10人ずつの羅漢さんを、計50幅描いたわけで、45幅は東福寺に、2幅は根津美術館に、別の2幅は狩野孝信補作(東福寺)、、、で残りの1幅が行方不明だったのが、近年ロシアのエルミタージュにあることが確認されたのだ。海をわたっていたが、とりえあず50幅そろったわけで、すごいわ。
今回見たのはそのうちの3幅。いずれも10人のうさんくさいおじさんたちが、なにか愉快なことをしてわらったり楽しんだりしている、、、といった風情で、くすっと笑いたくなるのだ。
明兆は淡路島出身、南北朝〜室町に活躍した絵仏師で、雪舟より少し前の世代。雪舟は小学生でも知っているが?明兆はいままであまり知られてこなかった。でも「なんでも鑑○団」によくでてくる名前なのでなんとなく覚えていたが、すごい絵を描くな。知らずにみていた蝦蟇・鉄拐図も明兆やったんや。この絵は後世曾我蕭白なんかに絶対影響与えている。もっと知られてもいい絵師だと思う。
現在東福寺では縦11mにおよぶ明兆の代表作、大涅槃絵が公開中とか。
う〜ん、行きたいが、ちょっと人出もこわいし、悩むところやな〜、、、
京都モダン建築祭③〜島津製作所河原町旧本社・日本福音ルーテル賀茂川教会・京都復活教会 - 2023.11.19 Sun
河原町にこれもずっとあった島津製作所河原町旧本社。ず〜っと閉鎖されたままで前を通るだけだったが平成24年にリノベ、ウエディングとレストランになった。(The Fortune Garden Kyoto)
レストランはすでに経験済み。カジュアルなビストロといった感じか。

レストラン営業中なので見られるのはこの河原町通りに面したこのエントランス周辺のみ。(屋上も公開されていたらしい。行き損ねた)
竣工1927年(昭和2年)、武田五一監修。当時のままのタイルが良い感じ。平成にリノベしたときに同じようなタイルの床を延長したが、新しい方を写真に撮っていく人の方が多いんだって。(デザインがいまどき)
これで中京エリアを終了してバスで北大路に向かう。
烏丸北大路のイーオンを横目で見ながら北上すると閑静な住宅街になるが、こんなところに教会があるとは知らなかった。
日本福音ルーテル賀茂川教会、これもヴォーリーズである。竣工昭和29年。
その名の通り、マルチン・ルター(ルーテル)派の教会。(宗教改革を思い出せ)
先ほどの御幸町教会よりこぢんまりして、祭壇もシンプルで、よりアットホームな感じがする。
天井は船底風、ヴォーリーズはノアの箱舟をイメージして設計したという。彼の教会建築はその様式が多いように思う。
焼けたパリのノートルダムの花窓を思い出させる丸窓、向こうに早くもクリスマスツリーのトップスターが見える。
二階からの眺め。
ここの教会も信者の方々がガイドしてはって、一室ではバザーのクリスマスカードを販売中。係のご年配の上品なおばさまと少しだけお話。お育ちのよさがにじみ出る。自分が子供の頃は教会へ通う子はちょっとハイソクラスの子だったイメージがある。
ここでは玄関脇に「隅の親石」なるものがある。聖書にでてくる言葉だそうだが(詳細は調べてね)、建築上も重要な石といわれる。ここで中に納められているのは金属の封印された箱で中になにが入っているのかは不明、おそらく聖書では?ということだった。なんでも教会建築にはどこでもこれがあるそうだが、大概は祭壇の下とか見えないところにあるのだが、ここはこうやってのぞき見できる場所にある珍しい例とか。
さあ来ましたよ。北大路堀川のランドマーク!一体何回この前を車でとおったことやら。これが見えてくると、オリエンテーションがつくのだ。さすがに中へ入るのは初めて!
京都復活教会、この日3つめのヴォーリーズ建築の教会である。
竣工1935年(昭和10年)、ザ・ゴシック、、な、この部分は鐘楼である。
こちらに偶然、お茶友さんの信者さんがいはってびっくり。京都狭いわ。お話を聞くことができたのはありがたい。
公開されている礼拝堂。
側壁のステンドグラスにはそれぞれ違う形の十字架が。
それぞれに意味があるそうだが、クリスチャンならぬ身、多分聞いてもわからない。
こちらの天井も先ほどの賀茂川教会と同じくノアの箱舟の船底天井である。
宗派としては英国国教会(Anglican church)。それも一度アメリカへ上陸して日本に渡ってきた一派だと茶友さんから聞く。イギリス国教会といえばヘンリー8世が離婚したいためにつくっちゃった宗派というイメージがあるが、みずからをカトリックでもプロテスタントでもない中道としているそうだ。
それにしてもヴォーリーズの建築は内装のディテールも美しい。この照明は三つの教会のうちで一番装飾的で美しい。
このステンドグラスもシンプルだが美しい。
祭壇の反対側、後ろの方に謎の木製ポールが??
なんだろう?と思っていたら、、、
パカッと蓋を開けると銅板の洗礼盤になるんだ!
洗礼って祭壇の前でするのかと思ったら、意外とすみっこの方でするのね。
小型のパイプオルガン。右にやはり賛美歌の番号の表示。見えやすいように茶友さんが大きく<偽デジタル(^_^;>表示にしたんだって。
背陣の本棚には、信徒さんが手作りしたとおぼしきブックカバーのかかる聖書が。こういうのも暖かくていいなあ。
さてこれで1日(半日でも十分)でまわったモダン建築見学終了。
他のエリアにもたくさんあって、行きたかったが日程があわなかった場所も多い。なのでまた来年も是非開催希望。エリア内は歩いてまわれるし、他のエリアへは市バスが便利、このイベントはとてもオススメ。
京都モダン建築祭②〜カトリック河原町教会・旧日本生命京都三条ビル・京都御幸町教会 - 2023.11.18 Sat
次に向かったのが、これも河原町三条のランドマーク、カトリック河原町教会。
ロイヤルホテルに隣接していて、学生時代から、河原町通りを通るといつも目に入ってきたのだが、現在ロイヤルホテルのあとに入る外資系ホテル建築中につき、教会は河原町通りから見えなくなってしまった。
だから特徴的なこのファサードもこんな角度からしか撮れない。
1967年竣工
大学に入ったときにはすでにあったから、私の友人もここの幼稚園をでた、とか教会に通っていたとかいう人もいる。

前をあれだけ通っていて、中にはいったことないのも不思議。(むか〜し一度入ったことあるような気もするがほとんど記憶にない)
ここは聖フランシスコ・ザビエル大聖堂。教会の宗派はよくしらないが、とりあえずザビエルの流れをくむカトリック。
最初、1890年に木造の聖堂が作られたが、老朽化のため現在の建物になったという。(旧聖堂は明治村に移設)
設計は当時のスイス人司祭だそうだ。
このステンドグラスもスイス製。右手の人物はザビエルらしい。あとはキリストの十字架磔刑までの道行きの各場面。
中央のA→Ω、舟、四つの十字架(四つの京都教区)、、、は京都司教区の大塚喜直司教の紋章だとか。
入り口方向を振り返るとなんと立派なパイプオルガン!
地下にも小聖堂があって、ここではミサが行われていた。小さなショップもあって聖書などの宗教的書籍を売っているのが教会っぽい。
さて次は三条柳馬場の旧日本生命京都三条ビル。
1914年(大正3年)竣工、東京駅を設計したかの有名な辰野金吾と片岡安の辰野片岡建築事務所設計。
よく見れば、ここ、以前リサイクル着物のお店が入ってたとこや。三条通に面しているのでよく目立つ。
残念ながらこの建物の中へは入れず。
ここの一部をとりこんだホテルになっていて稼働しているので。
内装は現代的にリノベされているのでかつての面影はないもよう。4Fのラウンジからかろうじて屋根の尖塔が見える。
ウロコみたいなのはすべて銅板なんだって。
ちなみにこのラウンジはこんな感じ。シェアキッチンにもなっている。今時はこんなホテルがはやりなのか。
北上して御幸町二条、京都御幸町教会。ここは雰囲気とてもよかった。
きっと前は何度か通っていると思うが、なにげにスルーしてたな。
さすが、ヴォーリーズ建築。ヴォーリーズの教会建築としては日本最古なのだそうだ。
近江八幡でたくさんのヴォーリーズ建築を見たけれど、今回あちこち回って意外と京都にもあるんだな、知らないだけだった、、、と思った。
1913年(大正12年)竣工
メソジスト派(キリスト教派はあまりよくわからない、、、(^_^;)、18世紀イギリスでおこった派らしい。
建築祭の間は教会に通う信者さん達が受付や案内をされていた。京都といえば仏教徒が多そうな気がするが、熱心なクリスチャンも多いのだ。
これも信者さんが作られたとおぼしきステンドグラスキルト。最近は全然だが、昔キルト作りにはまった私としてはこのクオリティの高さがわかる。
このキルトはおそらくこの先のとがった窓を表しているのだろう。
使い込まれたオルガン。
今回いくつかの教会を回って、祭壇の脇に本日の聖歌は○○番、、というような表示があるのを知った。教会にはあまりご縁がなかったので、聖歌の一つも歌えないが。
これはヴォーリーズが日本に来て考案したという上げ下げができる部屋の仕切り。要するに木製シャッターやね。
西洋建築の専門知識はないので、よくわからないもののこの天井の構造はほんとうに美しい。ヨーロッパの教会は石造りなのだが、所によってそういえばこんな感じの木造教会もあったなあ、、、と懐かしく思い出す。(もう3年以上欧州に行けてないので)
信者のすわるベンチの前にはそれぞれ賛美歌集?聖書?が。ここもちゃんと稼働している教会なんだな、と思う。
二階からの眺め。
この景色、好き。
京都モダン建築祭①〜革島医院 - 2023.11.17 Fri

京都は寺社、町家などの日本伝統建築は有名だが、実はモダン建築の宝庫でもある。散発的に見て回ったことはあるが、まとめて一斉に期間限定公開とはこれはうれしい京都モダン建築祭。今年2年目。
日にちによって入れる時とそうで無い時があって、日にち選びに苦慮したが、まず行きたかったここを第一優先。
ご存じ麩屋町蛸薬師の蔦まみれのランドマーク、革島医院、国の登録有形文化財である。
(日にち限定パスポートでどこでも回れるが、ここを含めいくつかの建築は事前予約が必要)
前は何度も通っていて、たまに一般公開されているのは知っていたが今日まで入る機会が無かった。
初代院長が留学先のドイツの城郭建築を見て、みずから図面をひいたとか。竣工は昭和11年。
施工は、あめりか屋、名前聞いたこと無いなあ、と思っていたが現在でも活躍中の建設会社で、その歴史の展示も2階でみることができ、よく知っている有名な店舗や学校を多く手がけているのに驚く。
玄関脇の、、、これはかつて水がでていたのだろうなあ。病院にこれ、癒やされる〜。
振り返ってみた玄関部分。
丸い窓のガラスがおしゃれ。
玄関脇の待合室
椅子が畳なのが時代だが、おちつくね、これ。
診察室もついさっきドクターがいたような気配が残る。ああ、この雰囲気、知っている。
今はもうあとかたもなく跡地がコンビニになってしまった小児科医院(戦前の建築)がうちの近くにあった。待合室は畳の間にベンチ、人によっては畳の上にすわって待っていた。診察室にはステンドグラスがあって、レトロないい雰囲気の医院だったがな、、、なくなってしまった。
革島医院は革島外科病院であった。3代目さんがこの建物のまま、2011年の閉院まで活躍しておられたそうだ。若くして引き継いだとき、現代にマッチしない病院建築の建て直しも考えられたそうだが、調べると補修でまだまだ持つ建築と判明。祖父・父が愛したこの建物を医院として使いながら、ずっと維持されてきたのだ。
「包帯交換室」というのもなける。
まだ近代医学が黎明期に近かった頃を思う。撮影NGだった手術室、タイルの床に黒くて、高さのある手術台(自動上げ下げできないから)、手洗い場はタイル、もしくはタタキ、消毒液をいれた白いホウロウのべースン(洗面器)、無影灯はあったけ、、?なんかこんな病院昔にみたことあるよなあ、、、と懐かしい。現代の病院のオペ室はBGMなど流れて患者をリラックスさせてくれる明るい環境だが、こんな手術台、患者をびびらすよなあ〜(^_^;
あ、そういえば建て替える前の大阪の北野病院もつい最近まで(20年以上前だが)手洗いがタタキの流し台だったわ(^_^;
この電灯のスイッチも懐かしい。(←おまえいくつだ?)
実家、これだったもの。
二階へあがる。
この四角の窓ガラスが外から見えていた蔦まみれの窓やな。
お向かいは1993年に閉校となった番組小学校の一つだった旧生祥小学校。
階段から1階を見下ろしたところ。
ドアのカットガラスも懐かしい感じ。
二階部分は入院患者の個室だったもよう。
この奥に円筒形の部分があって、住居部分らしいが非公開。
こちらは通りに面した明るい個室。
こちらはちょっと暗い。右手の緑の部分は寝台??
ベッドならもっと窓寄りに置きそうだが。
昔、祖母が入院していた大学病院の病室がこんな感じだったなあ。
昭和やなあ〜、、
寄せガラスのおしゃれな丸窓。しかも開閉できそう。
この周辺の漆喰はかなり剥落していて、こういう建築物の維持保全はやはりたいへんなことなのだなあと思った。
この角窓もおしゃれ。
初代院長、ほんまに建築や内装に凝りに凝っていた方なのね。
左手は住居部分、今でもご家族がお住まいだ。しかし、見事な蔦だこと。
(円筒形部分の上には風見鶏?かと思ったら避雷針らしい。)
とにもかくにも、この建築を残してくれて、維持してくれた最後の院長、革島家には頭がさがる。有形文化財になってくれてほんとうに良かった。これまで洛中のモダン建築が次々に消滅していっているのを見ているだけに。
光悦会2023 - 2023.11.15 Wed
あしひきの 山かきくもり時雨(しぐる)れど 紅葉はいとど照りまさりつつ (紀貫之)
京都席の伝公任の掛け物の歌であるが、まさにこれを体現したかのような日であった。一時傘がいるほど時雨れてその後、紅葉はさらに色を増したのである。

今年も光悦会、鷹ヶ峰に参上。
今回も参加者を絞っていたようで、コロナ以前の混雑は無いのがありがたい。
しかし、、、紅葉は今年はもひとつだった。遅れている感じ。
↓ これは去年の同じ日。今年は暑すぎる夏〜秋で紅葉はちょっと期待できないかも。
例年の如く一番待ち時間が長い本阿弥庵〜自得軒〜騎牛庵(本席)へ。今年は東京席。
寄付の掛け物は、本阿弥空中・灰屋紹益・飛鳥井雅章の三筆詠草、鷹ヶ峰光甫(空中・光悦の孫)宅にて、というまことに場所柄ふさわしい。
遠州蔵帳にある藤田家伝来火箸の箱が蒟醤で印象的。
それから今年のトレンドは、久以の炉縁、南蛮縄簾水指は毎年のこと、なんとのんこうの灰器が3つもでていた。
(丸い鷹ヶ峰)
待合の掛け物は光悦慶長色紙。金と銀(酸化してほとんど黒)の宗達の下絵。
日付がうれしいまさに当日、(慶長11年)11月11日!
火入れが染付紀三井寺。雲堂手じゃないの?と思って調べたら、雲堂手の上手のものを紀三井寺というそうだ。知らんかった。ひとつ学習。
(雨がふると冷えるので囲炉裏はありがたし)
いよいよ本席
遠州蔵帳大覚禅師墨跡「居山」、これは弟子に与えた号、堂々たる横もの。ちなみに蘭渓と書いてあるので、これも?と思ったら蘭渓道隆の諱が大覚禅師だった。知らないことが多い。それを学びにここへきているようなもの。(お茶やお菓子は二の次)
砧青磁!大名物東山御物、小さくてかわいいけれどこの色がなあ、青が浅い感じが透明感あっていい。如窯の青に近い。後柏原天皇(15世紀)の勅命「吉野山」。入れられた花、その名も<加茂本阿弥椿>。
茶入が名物唐物本行坊茄子、利休所持、わりとでかい。鴻池家伝来。瓶子蓋がまた立派。これに添った若狭盆の裏に利休のケラ判、宗旦の箱に「この盆我が家の宝秘蔵すべし云々、、」。
茶杓は紹鴎、宗旦筒。元節でよ〜く見ると下の方に針彫りで「一閑」。紹鴎は一閑斎と晩年名乗っていたので。
茶碗は高麗割高台(柳営御物)。とにかくごつい。割高台でなければ高麗のどこに分類されるのか不明。分類できないたぐいの茶碗かと。
菓子器が嘉靖赤絵、瓔珞紋。おお、先日の其中庵さんの茶事の向付がやっぱり嘉靖の頃の金襴手、瓔珞紋やった!萬歴赤絵の50年ほど前(1522〜1562年頃)に景徳鎮で焼かれた上手の赤絵である。
大阪席は徳友庵、これがまたすざまじかった。なんとなれば席主が泣く子も黙る潮田さん(LIXIL)だから。
だって、だって、あの光悦の超有名な茶碗「乙御前」なんですよ〜茶碗が(ちなみに重文)。いつもガラスの向こうでしかお目にかかれない、、、しかも全員に手に取らせていただけるとは!もうはっきりお尻まで見ましたよ、あのソファのボタン留めみたいなお尻。初めてじかに見た。所持していた鈍翁が箱に「たまらぬものなり」と書き、楽の直入さんが一番好きな茶碗と言って手に取って涙もにじませたというあの名碗。潮田さんところへ行った直入さんが、之を手に取って語ること語ること、1時間以上だったという。
茶杓が光悦、孫の空中筒。空中の封印マークは桜の花みたい。
掛け物は一山一寧。元からの渡来僧で鎌倉幕府からスパイを疑われ一時監禁されていた方。その徳に次第に名声を高め、許され建長寺、その後後宇多天皇の要請で南禅寺3世となる。その一寧が、恩義に感じて天皇の歌を写した墨跡。これも重文。
(奥に光悦の墓所あり)
興奮さめやらぬまま三巴亭の名古屋席へ。
寄付は一休に私淑した(100年ほど離れてるけど)武将佐川田昌俊の雁自画讃。一休さんが好きで一休寺のかたわらに隠居した方だとか。
というわけで本席は一休宗純の、かの有名な「諸悪莫作衆善奉行」。真珠庵のが有名だが、こちらも真珠庵何代目かの和尚の極めがある。この言葉をしっていなければちょっと読めそうも無い字であるが、一休さんらしい感じ。
書院飾りに光悦の鹿蒔絵硯箱があるが、面白いのがこれを所持していた光琳が質にいれた預かり状が添っていること。光琳ちょっとお金に困っていたからね(^_^; その後無事に手元にもどったのか、この預かり状のおかげで光琳が持っていたことがわかったという。
今回の茶碗の中で、私の中ではピカイチだったのが、この席の玄悦。
すっごいごっついわ〜。迫力あるわ〜。ちょっと男性の手にもあまりそうなくらい。高台裏から側面〜口作りに届きそうな猛々しい釘彫り、それに複雑な曜変(御本)が内側の上半分に。さすがの関戸家伝来。御本では茂三が好きだけれど、玄悦もええな〜と思ったのであった。(だからといって入手はできないが)
水指が古染付の芋頭、佐野弥高亭伝来とあったが、今度行く予定の、名古屋の昭和美術館の茶室が佐野家からの移築からなので、ちょっと名前覚えた。佐野家は尾州の素封家、かつ佐野(灰屋)紹益の直直系の子孫なのだそうだ。
最後に太虚庵の京都席。
ここの待ち時間が一番長く、しかも待っている間に時雨れること時雨れること。待合が屋外なので屋根があるとはいえ、しんそこ寒くてつらかった。
それも報われる冒頭の歌の伝・公任色紙。角度を変えてみるとしっかり雲英の唐紙だとわかる。仮名はなかなか読めないが、解説にあった歌が、時雨の後の紅葉の美しさを歌っていて、あまりにシチュエーションにぴったりで萌える。小間の太虚庵の雰囲気も抜群。
もう一首は平兼盛(三十六歌仙の一)の
時雨ゆえかつぐ袂をよそ人は 紅葉をはらふ袖かとや見ん
(ちなみに会記には「はらふ」が抜けてる)
これもまた雅び。着物きているとよくわかる情景。
この歌色紙の軸装がまた美しかった。中回しの、古い衣装からとったと思われる花鳥の総刺繍。
茶入が瀬戸海鼠手本歌「三輪山」
海鼠手とはなるほどの曜変のむらむら。幕末に福知山藩朽木近江守が入手し、手に入れ損ねた不昧が悔し紛れの狂歌?を残している。
「三輪山は福知山に納まり鬼の餌(大江山)となり申し候」(*^o^*)
池田候所持の若狭盆本歌あり。
茶杓、清巌宗渭共筒「霜夜風普(あまねく)庵円(内?)明」
茶碗が粉引のような堅手の雨漏りのような、決めかねる高麗。小堀十左衛門(遠州の四男)箱、銘を「有来(うらい)」。有来新兵衛(「へうげもの」にも出てたわね)が所持したことによる。
馬越化生が末期の茶をこれで所望し飲んだという逸話あり。
眼福の数々のあとは口福もなくちゃ。
瓢亭さんの弁当、瓢亭卵付き、給仕の方の大原女のコスプレも復活。あたたかいお汁が冷えた体にうれしい。(まあ、心はホットだったけれどね)
点心席からいつも見える真っ赤な満天星も今年はまだ80%くらいか。しかしこの雨と寒さで一気に色づくだろうな。
今年も来ることができてうれしかった。やっぱりすごいわ光悦会。
(茶会として来てはイケナイ。古美術を見ておさわりが信条の会である)
東京で若い茶人さんの茶事 - 2023.11.13 Mon
何度か、うちの茶事にもお弟子さんと来てくれたことのある東京の茶友さん。お若いのにたくさんのお弟子さん、しかも多彩な職能のお弟子さんがおられる。彼自身もお茶の教授者ではあるけれど、お茶にまつわるあれこれ、いろんなイベントをリアルでネットで仕掛けるイベンターでもある。
かれこれ10年以上前からその存在は存じ上げていたが、その頃は彼もまだ今より若く、その破格な活動に顔をしかめる先達者もいただろうと思う。しかし、そんな重圧をものともせずに今まで続けてこられた活動は多くの若者を茶の湯の世界にひきよせて、いまや一目おかれる存在になったと思う。
一度茶事によんでね〜とくりかえし言うもんだな(^_^;やっとお招きいただいた。
場所は東京、彼が道場にしている大きな数寄屋のお家である。
数寄屋の一室の壁をまるごとガラスのサンルームにしたという待合には挽きかけの茶臼が!
一気に口切り気分になった客はわいわい言いながら、それぞれごりごり臼を挽く。反時計回りだよね、挽く早さは、、、早すぎると熱をもって風味がそこなわれる、、、云々蘊蓄大会。ここでもう客の心をわしづかみ。
待合には小林逸翁の「天衣無縫」の軸。それまでのいわゆる近代数寄者と異なり、普通の人が日常生活の中で楽しむ茶の湯をひろめようとした逸翁、なにかご亭主に通じる物があるのかも。
大きな備前の鉢が蹲居になっていたが、これ、なんと私も存じ上げているところの(茶入も持ってます〜)出雲の陶芸家、安喰ヒロさんの作品。なにかの東京のイベントで初対面であったにもかかわらずぽんとプレゼントしてくれたんだとか。ヒロさんには一見して感じるもの、響き合うものがあったに違いない。
本席は八畳の広間にて。「関〜南北東西活路通」は孤篷庵の今のご住職の字。
本日の客は皆茶事の手練れ、つわもの揃い、みんなご亭主よりはるかに年上、きっと茶事に招くのにちょっと「関」を越えることを求められているというご心境か?(^_^;
そして茶壺。脇床に飾られた香合はリモージュという彼らしさ。
格式高く紹鴎棚。(これの扱い、私はあんまりできない)これに入れるべき背の低い水指は、オールドノリタケのおそらくボンボン入れ?の見立て。

懐石方もお弟子さんである。
普通炉開きには汁は白味噌がお決まりだが、この日の関東は11月というのに夏日の暑さで汗まみれ、塩からい赤だしがほんまに美味しかった。心遣いがにくい。
二椀目の汁がカボチャのすり流しになっていて実がチーズ!とか、魚のすり身入り蓮根餅の煮物椀とか、パルメザンチーズをふりかけたケールとか、八寸の里芋はバルサミコをまぶしてあるとか、思わず参考にと、メモメモ。この懐石がまたご亭主のお茶に合っているんだわ。さすがの師弟関係。
(バジル入りの白和え!)
水屋のお弟子さんは、大学で「数寄とは?〜現代数寄者とは?」について論文執筆中。その論文制作中、私とちょっとしたご縁があって、本日お顔を見せてくれた。クローズドのYouTubeで論文内容を発表されたのを拝見、面白かった、ほんま。はやくペーパーになった論文を拝見したい。
後座
南米の七宝的花入れに、今まだ咲いている芙蓉、ヤブカラシの照り葉、桐の実。
ちょうどお茶を練っている姿が障子を背景に逆光シルエットになって、絵になっていた。少し前屈みに丁寧に。いろいろアバンギャルドな試みもたくさんされて、イベンターでもあると言ったけれど、やっぱり基本は茶人なんだなあ、、、とそのお姿を見て思った。
碗なりの粉引で、久々に一碗を回しのみ、ここのところ各服点てばかりだものね。
さて、薄茶は花月の員茶(かずちゃ)のご趣向で!
大きな折据に十種香札のうち5枚をいれて、当たった人がお茶を飲むという。めったにする機会のない員茶なので、これもあれはああだ、これはこうだ、と客のなかで大騒ぎ。盛り上がって楽しかった〜。これに使った茶碗が朝日焼当代のあの月白釉の茶碗だったのにひそかに感激。大騒ぎのうちに楽しくお開きとなる。ありがとうございました。
この茶事をふりかえると、名物はなくとも「胸の覚悟一、作分一、手柄一」という「山上宗二記」の言葉を思い出した。(お弟子さんが執筆中の論文のことを考えていたので)利休に回帰する本日のご亭主もまさしく<現代>数寄者のお一人に違いない。
幻の古代甘味料・甘葛煎を再現した甘葛シロップ - 2023.11.11 Sat
愛読雑誌月刊「ならら」に連載されている古代スイーツ再現コラムで、しきりとでてくる甘葛煎(あまづらせん)に非常に興味を持った。
なにせ平安の昔にも清少納言が「枕草子」で
「あてなるもの 、、氷にあまづら入れて 新しき鋺(かなまり)に入れたる、、、」
と、かき氷にかけて楽しんだ様子が書かれているから。あまづらって甘味料らしいが、どんな甘さなんだろう、、と常々思っていた。
鎌倉時代に砂糖が普及するとそれに取って代わられ、作り方のノウハウもわからなくなってしまった幻の甘味料である。
奈良女子大の文化史総合演習チームが2011年にその再現に挑んだ記録がこちら、「古代の甘味料甘葛の再現実験」である。
材料は、、、蔦の樹液(’みせん’という)。キャンパスに生えている紅葉する蔦(常緑のツタはみせんが採れないそう)の枝を切って息を吹き込んでちまちまと少量のみせんを吹き出させる。それを煮詰めて完成、、、と書くと簡単だが、これがなかなか大変な作業。あの大きな枝からたった少量のみせんしか採れないとか。
できた甘葛は果糖・ブドウ糖・蔗糖=1:1:3
メープルシロップとも蜂蜜とも違う組成、味はほんのり甘く上品で後をひかないそうだ。地方でできた甘葛は貴重品で都に献上され、清少納言もいた宮中に届けられたのですねえ、、。
で、どんな味なんだろう???
味わうことはできず、想像するのみであったのだが、、、

ところが!
この甘葛煎を現代の食材を使って味を再現しようというプロジェクトが奈良で始まっていた!
これはツタを使って再現した奈良女子大の先生方だけでなく、奈良のかき氷やさんとして有名な宝石箱さん、私も通っているカフェことのまあかりさん、氷室神社、奈良県農業研究開発センターなどの協力で、その成分分析→再現に成功した人工の甘葛シロップなのである。(なんでも柿のタンニンも使うらしい。いかにも奈良!)
で、早速ゲット!(ことのまあかり、宝石箱、など、他通販で入手可)
光に透かすと美しいルビー色である。
憧れの甘葛〜削り氷にかけるにはちょっと季節が遅いのでそのままなめなめ。
う〜ん、これはべっこう飴!!それもしつこさがなく、あとを引かない。氷水に溶かしてもパンにつけても美味。そう、砂糖は確かに甘い。その甘さに届かない分、よりやさしく上品な甘さなのだ。
(ちなみにほんものの甘葛煎をなめた小学生もべっこう飴みたいと言っていたらしい)
一瓶1500円とお手頃。興味のある方は是非、あなたも清少納言になれるかもよ〜。
<書籍>
Y氏の伊勢をめぐるあれこれ茶会〜奈良三五夜さんにて - 2023.11.09 Thu

ちょっとご無沙汰してました、奈良の三五夜さん。
今回こちらにうかがったのは、三五夜さんの月釜ではなくて、ここを借りてのY氏の茶会に参席せんがため。
Y氏(まだお若い)は某数寄者の会の常連さん、その博覧強記さ(茶の湯に限る??)とマニアックさでみなさんから一目おかれているのである。私もつい口をついて出るのは「よ〜知っとるな〜そんなことまで、、、」という感嘆詞。
そんな知識だけでなく実践の茶会に是非よんでほしいものだ、と思っていたがようやくその機会が。マニアック路線なので人口に膾炙するわけでなく、客も少数精鋭(、、、かな?(^_^;)
最初の席には数寄者の会の親玉氏も来席されたそうで、そこはさすが、Y氏の意図した趣向をほぼよみとられたとか。
私と言えば、それに追いつけなかった、、、。待合の二見ヶ浦の絵に、ああ、ご出身が伊勢の方だったから、きっと伊勢神宮にまつわるご趣向かな、とは思ったが。本席の歌にはおそらく日本礼賛なので神道だろうと思い、すばらしく珍しくて印象的な擬宝珠をさかさまにして花入れにしてあるのを、ああ、五十鈴川の橋の擬宝珠ね、とはわかったが、、、、あとが全然初めてワードばかりで情報処理ができなかった!茶道史や茶の湯に関わる知識には多少自信がないわけではなかったが、全く太刀打ちできず。Y氏ワールドのマニアックさ、、、、いや(^_^;、すごさに絶句するのである。
かろうじて聞き取れたのは射和文庫(いざわぶんこ)、それを作った竹川竹斎、これは茶道文化検定で勉強した、、、、くらいで。確実にわかったのは、Y氏の郷土愛の深さ。
竹斎といえば射和の豪商で、玄々斎の有力な支援者でもあった。その玄々斎が竹川家に逗留したときに好んだ菓子が「三友餅」といわれ、芥子の実をまぶした上品な餅菓子。現在はその旧竹川邸裏の白子屋さんだけが作っている。それに似せて奈良の樫舎さんに作ってもらったというお菓子が美味しかった。ちなみにここでいう三友は「花・実・味」。
もう一つなんとか覚えて帰ったのが幕末〜明治の11代飛来一閑の花押。花丸みたいなので花丸一閑、または有隣庵の号から有隣(ウリ)一閑とも。これくらい覚えて帰らないとばちあたるわ。
夕刻だったので、席を辞する時にはもうあたりは暗い。
なかなかのマニアックぶり、茶の湯のめりこみ具合をみせてくれたY氏に感謝。お茶はおいしゅうございました。客は私と古美術商の方二人だけで最終席だったので、ゆっくりさせてもらいました。ありがとう。今度はもっと勉強してでなおします〜。
ちょうど良い暮れ具合だったので、ほんのちょっとひっかけて帰ろう。
ことのまあかりさんで奈良の地酒テイスティングセットとおつまみに蘇!
これをぽりぽりかじりながら飲むの、とても良く合うのだ。真ん中の斑鳩産黒米を使った宇陀のお酒「太子の黒駒」、さわやかで美味しかった〜。
開炉茶事2023 - 2023.11.07 Tue

今年も開炉の茶事を。
柑子の色づく頃に炉を開く、、、と言いたいところだが今年のこの暑さ!11月というのに25℃越え、蚊もまだ元気、、、という今年である。
開炉のお祝いの玄猪包み
中に亥子餅は入っていないけれど、仁清の玄猪包香合をまねて。
待合の火入れの古染付は先日の茶会ではお茶碗だった(^_^;
こういう使い回しできる器って好き。(ちなみにいつも火入れにしている古伊万里赤玉瓔珞を今回は茶碗にした)
なんとかうっすら紅葉
ただし今年の夏のきびしさに、紅葉しないまま枯れて落ちてしまった葉っぱがかなり多かった。
もみぢぬからに散りつもる、、の境地ですな(「茶話指月集」より)
それでもツワブキは季節を違えず咲く。
ホトトギスの花も元気だ。苔も元気をとりもどす。
久々に見る炉の炭はほんま大きいなあ。
胴炭なんかほれぼれする太さだわ。今季炉点前のお稽古しないまま茶事に突入、あれも忘れ、これも忘れ、、、あかんがな。
夕ざりの初座は花
最近入手したばかりの竹花入にハナミズキの照り葉(実付き)と白玉をいれる。こういう細めの竹花入ずっと欲しかった。
汁の実は麩嘉さんの生麩、まだ緑が残っている楓がミソ。
合わせ味噌の時期を過ぎて一番美味しい(と思う)白味噌仕立て。
強肴は秋の果実をメインに。
本日のお正客さまは男子ながら懐石の名手なので、お口にあうかどうかハラハラドキドキ。こんな食材も懐石に使えるんだ、というもの色々、以前お招きいただいた茶事で教えてもらった。
今年も炉開きの菓子はみのり菓子さんのみのり菓子的亥子餅、柿入り。
お客様にいただいた写真
中立後の後座席入りの迎付、手燭の交換を。やっとこれができる季節になった。
濃茶茶碗は白っぽい高麗茶碗シリーズで
薄茶は赤を基調にした和物茶碗シリーズで
あわせて紅白、なんとなく炉開きのめでたさを出してみました、、、(^_^;
(紙釜敷もよく見ると紅白のものを)
干菓子は愛用の亀廣保さんの吹き寄せ
この箕と箒のセットをみると周利槃特(しゅりはんどく)の逸話を思い出す。何事も愚かしいほど黙々と続けることが悟りの道とか。(周利槃特はひたすら掃除をした)
で、柚子が空っぽになった台には寂しいので紅葉の落葉を。
また春まで、炉の季節を楽しめますように。
東大寺観音院・水島太郎展〜奈良水晶 - 2023.11.05 Sun

二月堂裏参道、大湯屋の裏の御供田もすっきり稲刈りがおわっていた。この収穫したお米で修二会にお堂にそなえるお餅(お壇供)が作られるのね。
裏参道の柿の実、秋だなあ〜。
さて、二月堂を通り過ぎて三月堂(法華堂)前の東大寺塔頭・観音院。現在は無住なので、普段はクローズドなのだが、毎年彫刻家・水島太郎さんが個展を開く間は入ることができる。
観音院には上司雲海(永照師の大叔父さんらしい)という名物和尚がおられて、戦中戦後、志賀直哉、会津八一、杉本健吉、須田剋太、入江泰吉など錚錚たる芸術家の集まるサロンになっていたそうだ。
同じく彫刻家だった水島さんのおじいさまもそのサロンの一員で、観音院七人会のメンバーだった。そのご縁で、太郎さんもここで個展を開く。(ちなみにお父上も彫刻家)
ご縁はそれだけでなく、彼は修二会の処世界童子として大松明をかつぐのだ。昨年も今年も修二会の期間中、その童子としてのお姿をなんどか拝見した。
太郎さんの彫刻は独特で、脱活乾漆像で、麻布と漆で像を作り上げる。
像は嘆き悲しむ人のようであったり、童女のようであったり、えたいのしれない物のようであったり、、、見る人の感性によって自在に変幻する。
今回はなんだか兎っぽいモチーフが多いなあ、、と思ったら「不思議の国のアリス」がテーマなんだって。
童子さんをされているので、修二会のお松明の燃えさしを使っての作品もあって、ちょっと萌える。双頭の怪物の真ん中に燃えさしの板がつきさしてある像が印象的だったのだが、これはロシアとウクライナを意図したとか。出自は同じスラブなのになぜ戦うのか、体はつながっているのに頭がケンカする愚かさを示すのね。
(アップの許可をいただいて、、、)
ちょっと感動した話。
いつも修二会で良い声をきかせてくれることで有名な上司永照師のご長男・永観師が、今年練行衆として初出仕。永照師のご依頼で、その時のお松明を使って太郎さんが記念に結界を作っておられるとか。ちなみに永観師は処世界(一番下っ端)なので、いつもお松明が上がる前に上堂、お松明といっしょに初夜上堂するのは12日のお水取りの日のみなので、唯一のお松明の竹なんである。
さて、今度は奈良グルメのはなし。
インスタで写真を見てこれは是非食べたい!と思った奈良水晶さんの水晶餅いただきに。場所は近鉄奈良から徒歩圏内。率川神社(いさがわじんじゃ)も近い。
立派な門のある古民家は最近まで普通の住宅だったとか。なかなか良い雰囲気である。
こちらのお座敷でいただく。ランチタイムは食事もできるとか。
来た〜!キラキラ美しい水晶餅!
器のガラスに同化して見えにくいが、底にはエディブルフラワーがしのばせてある。
横から見るとこんな感じ。
おそらく寒天とゼリーの中間的なアガーを使っておられるのだろう。
これにきな粉と黒蜜をかけていただく。ぷるぷる。
まさに水晶、美しい宝石をいただいた気分。
正倉院展2023 - 2023.11.03 Fri

来た!今年も日本人みんな大好き正倉院展!
会期が短いからいつも予定をねじ込むのに苦労する。
今年も事前予約が必要であるが、この奈良博プレミアムカード!これがあれば予約なしで行列に並ばずに入館できるのだ!(皆さんも入会しよう!)
しかしコロナ以降予約入館になって、以前ほどの混雑感がないのはうれしい。(人気展示には十重二十重の人垣だったからね)
予約時間の直前になると展示の前の方は次の時間帯の人がはいってくるまでけっこうスカスカで狙い目かも。
今年の目玉はこの楓蘇芳染螺鈿槽琵琶と平螺鈿背円鏡かしらね。
いずれも以前に見たことがあるのだが、見るたびに抜群の美しさ!またその超絶技巧に新鮮な感動を覚える。
たしかにほぼ毎年来ているとかなりの確率で見たことがある展示物が多くなってくるが、何度見ても美しい物は美しいのだ。
この琵琶の音がBGMで流れているのだが、、、暗い、、暗いわ。夜に聞いたらびびりそう。昼間のにぎやかな宴で演奏するもんじゃない、、、と思ってしまった(^_^;
今回一番印象的だったのがこの左下の刻彫梧桐金銀絵花形合子。
一見サルノコシカケ?と思うような地味〜な合子なのだが、近づいてまじまじと見ると、法相華を立体的に彫りだして、細かい金銀の彩色を施した手の込んだもの。その銀?の葉形の脚がめちゃおしゃれ。裏に「戒壇」の墨書あり、おそらく戒壇院で使われたものであろう、というところも萌えポイント。
葉形の脚と言えば、これも以前に見て感動した、今回も出展の蘇芳地金銀絵花形方几の脚!(参考画像→☆)ブルーと赤の組み合わせの繧繝模様。ほんまに1300年も前の人たちの美的センス・技術を現代人は越えられないと思ってしまう。
ちょっとツボったのは布作面(ふさくめん)
白い布にとぼけたおじさんの顔が描いてあって、目の部分だけくりぬいてある。これをお面のかわりに顔にかけて芸能を披露したのだろう。簡易お面というわけで、こういう発想もあったか。それにしても1000年以上昔の人の落書き的顔に萌える。
これも何回か見ているいわゆる五月一日経。調べたら去年も見てたわ。
光明皇后が亡き両親(不比等・県犬養橘三千代)の供養のため発願した一切経の書写、20年以上にわたり続けられたが未完に終わった写経の一つである。末尾にはいる光明皇后の願文で有名。
藤三娘(とうさんじょう=光明子)の署名の写経も力強かったが、この有名な女性が確かにこの国に生きて暮らしていたのだなと思えるよすが。
ショックなことに今年は英語版の図録がないのだ!
あれ、安くて薄くて場所を取らないのでありがたいのだが。さすがに大きい図録はもう収納場所がないのであきらめ、絵はがきで我慢する。
こちらは八窓庵のある奈良博の庭園、天平コスプレの麗人がお茶をふるまってくれる。ヒートアップした頭をクールダウン。庭園の木々も少し色づいてきた。
お菓子が花食鳥なのも正倉院展やな〜とうれしく頂戴した。
唐招提寺の茶会 - 2023.11.01 Wed
秋の大和路を行く。良い日和の西ノ京、唐招提寺へ。
観月会やらなんやら、ここにはよく来ているのだが、今回は初めて唐招提寺でのお茶会に。
今回なにがうれしかったかといって、鑑真和上像にまたお目にかかれたのがなによりうれしい。
なぜなら和上像には6月6日の忌日周辺の3日間しか一般公開されないお姿なのに、(で、今年も行きましたよ〜6月)この日のためにご開帳だなんて。
初夏に拝見するお顔と秋に拝見するお顔は光の加減でまた違って見える。まずは手を合わせる。
和上さんの前で、東山魁夷画伯の障壁画をバックに岡本長老(管長にあたる)による、和上の日本へ戒律を伝えるための苦難の話を拝聴。はい、私、高校時代から「天平の甍」の愛読者であります。
しかしこの、和上が越えた日本海を描いた障壁画の<東山ブルー>は本当に美しいなあ。
(講堂・ご本尊弥勒さんの修理のため中はからっぽ。令和8年完成とか)
最近亡くなられた谷村新司さんの「昴」ってね、あれ鑑真和上の歌なんだよ、と聞いた。ああ、なるほど、と納得できる歌詞だわ。
♪目を閉じて何も見えず、、、
、、、荒野に向かう道より他に見える物はなし、、、
さてまずは薄茶席。
鎌倉時代の重要文化財建築、この細長い東室とよばれる10間の間で。
ここに立てられた屏風には、毎年5月に行われる団扇撒きの原画がはりつけられている。各界の方々の作品で、プロの画家もあれば、漫画家のも、絵の素人のも、大宗匠のも。そういえば私の知人の日本画家さんも描いてたなあ。
東大寺別当(管長)だったころの北河原公敬さんのも発見。やっぱり観自在菩薩〜(修二会の南無観コーラス思い出す)
立礼席で、立礼の棚がこの校倉造りをモチーフとしたもので面白い。
席主は尼崎と八ヶ岳南麓に窯をもつ和田桐山さん。
唐招提寺では、和上のおられる御影堂を長らく工事していて(昨年まで)そこで出た土を使って色々焼き物を作ったそうだが、それをされたのが桐山さん。
今回茶会に使われる土でできたものはすべて、その御影堂の土で焼いた物なのだそうだ。かつて唐招提寺では広大な境内に瓦を焼く窯もあったそうで、焼き物にむく土なんだろう。
軸は岡本長老の「永寧」に唐招提寺の軒丸瓦の拓本。(寧楽好きにはたまらんな)
その前においてあった鴟尾を模した花入れ(桐山)が一番印象的。だって、あの天平の甍ですもの!
それこそ唐招提寺の茶会といえるもの。
舟型の釜もよかった。唐招提寺所蔵、川邊庄造作、ちゃんと舟の艫も舳先もあって、鑑真和上が海を渡ってこられた景色を想像する。蓋のつまみが団扇撒きの宝扇のハート型なのも泣かせる。
薄器の棗も塗りでなくて、御影堂の土で作った焼物。截金の上に透明釉をかけてあり、あたかも蒔絵に見える。
茶杓が先だって台子の茶を見せてもらった(慈光院)古石州流の14代の作、「翁草」。
(和田家とつながりがあった?)
一口に御影堂の土といってもさまざまで、また作品もいろんなテイストで、絵付けあり、陶器っぽいのありで面白い。御影堂の襖絵の東山ブルーを再現したような色の茶碗もあり。私がいただいたのは、御影堂小座敷の襖絵になっている和上のふるさと、揚州の景色の絵付けであった。
おそい萩の小径を通って本坊へ。
ここは前だけ通るが中へは通常は入れない。なので今回初潜入、濃茶席である。
席主は奈良の先生だそうで、舟型の大樋の水指を見て、鑑真和上の艱難辛苦の渡海に思いをいたし席主を引き受けられたとか。
一番印象的なのがお菓子。
菊屋さんの誂え菓子だが、銘を「滄海」
見た目は普通の薯蕷饅頭だが、中の餡がなんとあの東山ブルー!
はるばる和上が越えてこられた海の色を思う。
(名物の蓮は終わるとこのように菰をかけるのね)
主茶碗が直入さんのあの焼貫、やっぱり唇が切れそうなエッジだったわ(^_^;
桃山の志野に覚入がよび継ぎをしたのも面白かった。
軸は玄々斎の円相。
本坊をでるとすでに夕刻、大和の秋の夕である。
とても心地よい。
最後に香芝の卯の庵さんの点心をいただいて、、、
お約束の、おほてらのまろきはしら、、、(by 会津八一)をじっくり鑑賞してからお寺を辞す。
良き大和の秋の1日。