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2024-01

正月の茶事〜能にして能にあらず「翁」によせて - 2024.01.31 Wed

毎年1月はいろいろ忙しいので、茶事はしてなかったのだけれど、昨年12月にできなかったので正月の茶事を試みる。


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年末大工さんが届けてくれたヒカゲノカズラ、ぎりぎりまだ緑なので寄付に使う。


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しかしながらそういえば1月に茶事したことないので、正月らしい道具のないことよ。


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そこでひねりだしたのが正月、あちこちで演じられる謡曲「翁」によせて。
「翁」は能にして能にあらずといわれる別格の演目、演者は演じる前のある期間精進潔斎をして臨むという。ストーリーはなく、ただただ天下泰平を祈るもの。


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この茶事の前日京都は瞬間だったが雪がつもって寒い日だったので、待合に火鉢を用意。


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水屋にて手焙り、湯桶も準備おこたりなく。
(このへんにばかり気を遣いすぎてお点前ぐだぐだ、、、ワンオペ茶事のつらいところ)


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待合の掛け物の下に烏帽子香合。翁の露払いである千歳(せんざい)のイメージで。さらに古帛紗は翁の装束によく使われる蜀江紋。


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庭師さんが新しくしてくれたばかりの柴折戸を通って、、、


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茶室へ。
この冬の楓の枯れ枝の風情も好き。


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初座の花は水仙、面箱にいれる。
面箱は翁の面(おもて)である白式尉と、三番叟の面である黒式尉をいれる。千歳がこれを持って舞台に出て、翁がこれをつける。舞台上で面を付けるのはこの「翁」だけ。


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色々悩んだが、懐石の汁はお雑煮にした。
我が家の雑煮はおすましだが、ここでは白味噌に(^_^;
ご飯をどこにいれるか、汁替えをどうするかが考えどころだったわね。


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懐石のセミプロ茶友さんにアドバイスもらって煮物椀は蟹しんじょう、みぞれに仕立てる。昨年知って大好きな食材となったウルイをみつけて早速使う。


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主菓子は毎度、みのり菓子さんの百合根きんとん。
味噌餡に柚子の香り、美味しかった。銘を「雪華」とつけてみた。


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後座の席入りはまだ手燭交換ができる季節だが、確実に日が長くなっているのを感じる。季節が動くのを感じられるのもしあわせだ。
濃茶では「翁」にまつわる道具を、薄茶では三番叟にまつわる道具をそろりそろりと出す。
特に三番叟はいままで使ってはいたが、こういう文脈(翁)でいつか使いたいと思っていたのが念願叶う。


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薄茶の干菓子は亀廣保さん、毎年干支にちなむ有平糖をだしておられるので、今年はタツノオトシゴ。一番下の瓢々というお菓子は本日のお客様に以前教えていただいたもので亀屋良永さんの。本店でしか買えないという山芋を使ったテクスチュアが面白いお菓子である。


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今回のお客様は遠州系流派の方が多く、懐石の作法や点前について違いをあれこれ比較して話が弾み楽しかった。


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楽しい一座建立のあとはお片付けモード。
これもワンオペなのよ。でもすっかり暗くなった露地の片付けをしているときに庭から見るこの灯りがともった景色が好きで。


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茶室の下地窓からの灯りも。


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そして茶室で独座観念、本日をふりかえる。
式三番、千歳〜翁〜三番叟、無事終えられました。まあまあの着想だったかな、、、
佳きひとときに感謝。


<おまけ>

雪華が散る玄々斎好み豊兆棗を使ったのだが、その文様が好きで、それを少しうつして誂えた帯、しめました。


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久しぶりの松花堂庭園〜梅隠席 - 2024.01.29 Mon

久しぶりに八幡市の松花堂庭園へ。
もしかしたら10年ぶりくらいかもしれない。


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この庭園のなりたちは、ご存じ寛永の文化人であり石清水八幡宮の社僧であった松花堂昭乗が引退後暮らした男山・泉坊の草庵「松花堂」と書院である。ちなみに引退前に住職であったのは滝本坊なので、昭乗は別名滝本坊とも。(光悦、三藐院とともに寛永三筆の一人でもある)



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明治の廃仏毀釈の嵐の中、石清水八幡宮との分離を余儀なくされ、たくさんあった坊(社僧の住居)はすべて撤去された。草庵松花堂と泉坊書院はそのため現在の地に移築(壊されなかっただけでももうけもの)、明治時代周辺の庭園も整備され、現在八幡市立の庭園+美術館(+吉兆の松花堂弁当〜♪)になっているのだ。


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(茶室・梅隠の蹲居)

10年前はその草庵松花堂も拝見できたが、2018年の大型台風被害でいまだ修理中、残念ながら泉坊書院ともども見ることはかなわなかった。それにしても修理、すごく時間がかかるのだなあ。


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庭園内には中村昌生先生監修、古い起こし図面を元に建てられた3つの茶室がある。
松隠、竹隠、梅隠である。

これは松隠、以前来た時に広間で月釜(日曜茶会)をされていて飛び入り参加した記憶がある。
ここには遠州が滝本坊のそばに作ったという小間「閑雲軒」の写しもある。なにしろ寛永サロン=遠州、江月、近衛三藐院、沢庵、石川丈山などなど、、綺羅星の中のお一人だったからね、松花堂昭乗。


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そして文字通り竹の林の向こうにあるのが、、、


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竹隠席。
四畳半の席だという。実業家・永野重雄(新日本製鐵)の邸宅にあった茶室を正確に写したものだとか。(ここは中、見たことない)


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竹隠の小窓障子の上の意匠。葦の節でなだらかな山の絵を描く。中もさぞや、、、


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(梅隠の腰掛け待合。 右手に見える扉は下腹雪隠=トイレである。)


さて、いよいよ本日向かう茶席・梅隠のごくごく少人数の茶会。大学からのつながりであるが、奇しくもこの日は、皆がお世話になっており、昨年惜しくも急逝された倉澤行洋先生の命日であった。


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梅隠も中村昌生先生の設計であるが、宗旦好みの四畳半だという。


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真珠庵・庭玉軒ばりの内露地、内蹲居あり。
ここに入るのは初めて。



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入ると広間もあり、ここに白衣観音の絵が掛かる。
四畳半小間は一見、又隠の写しかな、と思ったが床の位置が違う。(下座床 又隠は上座床)天井は低く、駆け込み天井の部分は網代になっていて、床柱はナグリ、床はおそらく木のものに白い和紙を貼っている〜床框まで、、という珍しいもの。
古銅の鶴首に一輪小さな赤いワビスケ。この庭園内で咲いたものだそうだ。

床には久松真一(抱石)(この会を立ち上げた哲学者、禅者、西田幾多郎の弟子 「茶の精神」は私のバイブル)の書、「無」。<抱石>の署名が入り、この書体は懐かしい。

和風の電気行灯はあるが室内は良い感じに薄暗く、お正客だった和尚様(大徳寺の某有名和尚)のシルエットが床を背景に絵になっていた。おちつくわ〜この茶室。
ちなみに八幡市管理なのでかなりリーズナブルなお値段で借りることができるのも密かにチェック。炭火も使えるし。



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梅隠を囲む垣根も美しく、ウメモドキの実がなる。
冬のなかに一点の彩り。


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同じくさざんか。
ここはたくさんの四季の花も楽しめる。


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さて、垣根といえば、ここはいろんな種類の垣根を設置していて、その名前、種類を教えてくれるのだ。例えばこれは「萩小松明垣」。


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梅隠の垣根は「竹枝穂垣」



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「昭乘垣」


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草庵松花堂のある内園にはもっとたくさんの垣のモデルがあったはずだが、見られず残念。この奥が内園への扉である。



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延段に散る名残も名残、昨年の楓。


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ふと上をみるとまだしっかり楓の葉っぱが木にしがみついていた。


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とはいえ、早春の兆しははやくも梅の木に。


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こちら梅隠の前に蕾をふくらませる梅の花。この日の雨はまさしく春雨であったな。



芳心会初釜2024 - 2024.01.27 Sat



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今日も大徳寺。
左手はお気に入りの茶所(中でお茶飲んで休憩できる)、そこを通り過ぎて、、、


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信長の菩提寺(墓所は寺町・阿弥陀寺という)総見院にて今年も木村宗慎さんの芳心会初釜へ。
いただいたお土産の漆塗りのお皿を数えたら7枚になったので、7回目になる。毎年お声がけはまことにありがたいし、楽しみに参上。


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そういえば2年間は大雪で露地が真っ白であったな、、と思いながら、今年はあたたかい初釜の日になった。

待合で毎年会えるのを楽しみにしている<宗旦の渡唐天神図>を一燈が写した絵。宗慎先生が小学生くらいの時に(!)最初に買った茶道具なのだ。なんという小学生、、畏るべし。
若いと言えば宗慎先生、今年年男の辰年、48歳!その若さで、、、とほんますごいわ。


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というわけで、今年は特に龍にちなんで力が入っておられるとか聞いた。
待合の展覧から
藤田家伝来の砧青磁陽刻の茶入、天<龍>寺窯だから。替え茶器が<龍>宝山(=大徳寺)の古松を用いていくつか一燈(又玄斎)が作らせたもので「<龍>頭(りゅうず)」、これは1つを展覧に、1つを実際に席で使われたが、木目も美しい大きな龍の珠といった風情である。

茶杓がなんと千宗拙、共筒で覚々斎の追い筒あり。宗拙は宗旦の長男で父とは折り合いが悪かったという。道具もほとんど残っていないと聞くのでこれは貴重。
待合の掛け物が「鯉」、あの三級浪高くして、、、云々で<龍>になるやつ、宙宝さんだったかな?
玉子手(高麗、堅手の和らか手)の茶碗は、今年の勅題「和」にちなんで。

炭斗が懐かしい!4年間に拝見した柳筥(やないばこ)。柳の木を三角柱にして糸でつないだもので、宮中祭祀の時に天皇の分身でもある御衣を入れる箱なのだ。


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濃茶席にて
軸は「魚跳萬仞峯」 玉舟宗璠(だったと思う、、、)
楽しみにしている花は、小さいが龍が巻き付いていて迫力の古銅の花入に雲<龍>梅と小さなまだ青い蕾の牡丹。(花入の伝来忘れました)

脇床になんともでかい閂が一対。何?と思ったが、乾隆帝のキャビネットの閂なんだそうだ。つまり紫禁城のどこかの鍵!よくみると「クリスティーズ(億レベルオークションハウス)」のシールがっ!なんでも辰年なので是非これを使って欲しいと知人に押しつけられ、、いや(^_^;お借りしたものだそうで。下に敷かれた帛紗は鮮やかな黄色にブルーの龍、まるで乾隆帝の衣のようなのは、お弟子さんのアーティストによる手描きだそうだ。

水指は萬暦(嘉靖の次、天啓の前)赤絵の四方水指で外にも中にも龍がとぐろを巻いている。12年前の辰年初釜に、これがほしいけれど手に入らず写しを使ったが、12年後、ちゃんとホンモノになりました、と宗慎先生。それは感慨もひとしお。

大ぶりの釜の蓋には「龍宝山(大徳寺)」の名前が鋳込まれ、お菓子は嘯月の「雲龍」。お菓子に添えられた小さなピラミッド形にした大徳寺納豆が格別に美味しい。(こんどこれやってみよう)
主茶碗は青高麗とおっしゃったか、半使だとも。私は了入の黒、富士山の絵の茶碗でいただいた。
お正客は(たぶん)広尾・祥雲寺ご住職(宗慎先生と同い年の辰年)、そのほか例年の如く各伝統産業界の大物っぽい方々。(存じ上げずスミマセン)



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点心席にかかるのは鉄斎の昇り龍、先ほどの鯉がついに龍になりました。
今年も点心はヘギ板に先生ご出身の宇和島のあげ巻(油揚げで雲竜型に巻いたかまぼこ)などなど。まだフルバージョンではない。
恒例のお謡いは「竹生島」から龍神出現シーン

  すなわち湖水に飛行して 波を蹴立て水をかえして 天地にむらがる 大蛇の形、、、

薄茶席にかかるのは、さきほどのクリスティーズの知人からこれまた押しつけられ、、、た?乾隆帝の衣装の一部?真っ赤な地を龍が埋め尽くす。
お菓子は毎年恒例、松山名物「つるの子」のマシュマロ風菓子と、水屋で打ち立てのたわらかい落雁は、東京のお弟子さんでもあるあさ貴和菓子のもので、柑橘と酒粕の風味。
お楽しみは金沢諸江屋さんの福徳煎餅。中を割ると最中地のなかに当たりは土人形、ハズレは金華糖の砂糖菓子。これ当たったことがない(^_^; 


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今年も持ち帰りの干菓子のお皿は、お弟子さんでもある塗師・西村圭功さんの「天雲」シリーズ。今年で7枚目。毎年テイストが違うがサイズが同じ、というのが使いやすい。


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今年の皿はブルーの雲に金漆で二つ点々が。(わかるかな?)最初お菓子のカスかと思ってふきとろうとしちゃった(^_^; なるほど、これ雲に潜む龍の目なんですね〜!

今年も、すべて客をよろこばせるエンターテイメント精神にあふれた初釜でありました。感謝。



宗箇ゆかりの縮景園 - 2024.01.25 Thu

広島駅からも近い場所にある縮景園、ここは広島浅野家初代(長晟)の別邸庭園(1620年筑成開始)を元とし、その作庭は、茶人のみならず勇猛無双の武人でもあり、浅野藩家老でもあり、作庭家でもあった上田宗箇による。宗箇流の初釜に行ったからにはここにも、と訪れる。(こう考えると宗箇も遠州に負けず劣らない多才の人だったのね。)


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初めは泉水屋敷とよばれたが、各地の景勝を集めて縮めた様な、、、と言う意味で縮景園と名付けたのは林羅山だそうだ。
残念ながら宝暦の大火で多くの建物が焼失、後に天明の大改修(1783年〜)が行われ、尾道出身、京都の庭師・清水七郎右衛門を招いて改修、ほぼ現在の形になったという。宗箇の名残はのこっているのだろうか。

庭園に入るとまず迎えてくれるのは清風館という茶室、昭和も戦後の建築。時間も考えて今回は西半分のみを回る。
ちなみにここ、縮景園ではほぼ毎月茶会が行われている模様。1月の大福茶会のポスターがはってあり、見るとご担当が宗箇流お家元であった。



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またすぐ目に入ったのが寒牡丹!
なんて美しい。枯れ木の多い冬のなかでひときわ鮮やかな華やかな色がうれしい。


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現在は広島県が管理しているので(浅野家から寄贈)、植栽も手入れが行き届いていて、あちこちで庭師さんの姿を見た。


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広島の原爆投下による被害は、縮景園ものがれられず壊滅的な打撃を受けたが、戦後少しずつ復旧され現在にいたるという。


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しばらく行くと、おお!急にひらけた視界、見事な池泉回遊式庭園。
目の前に広がる池は濯纓池(たくえいち)、いくつかの小さな島が散在する。岡山出身の自分としては遠く岡山城をのぞむ後楽園を思い出す。


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この特徴的なΩの橋が、天明の大改修で清水七郎右衛門が作ったという跨虹橋。戦後の作かと思ったくらいモダン。ちょっと角度が急やなあ、、と思うがご心配なく、向こう側にショートカットの橋が渡されている。


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今回は行かなかった池の東側に見えるのは悠々亭。開けっぴろげの四阿で、夏など茶会や歌会を楽しんだという。いいなあ。


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違うと思うが、巨石ゴロゴロを見ると、すわ、宗箇の作庭の名残か!と思っちゃう。宗箇は現代にも残る庭園を広島以外にもいくつか造っていて、和歌山や徳島にもある。名古屋城二の丸庭園が宗箇作とはしらなんだ。


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丸窓が特徴的な明月亭、牛車の車輪の意匠だそうだ。
中は数寄屋の茶室らしい。ここも茶会に実際に使われているのかな。


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茶室夕照庵の前の池の畔は石のあられこぼしになっていて、桂離宮を思い出すわ。作庭が京都の清水七郎右衛門さんだしね。茶室の前には楓の木がたくさんあって、いまでこそ枯れ木だが秋にはさぞ美しい紅葉を見ながらお茶できるのだろう。う〜ん、想像以上にすごいぞ、縮景園。(後楽園ほど名前はメジャーではないけれど隠れた名園だわ)


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裏は梅林になっていて、これからの季節が楽しみだろうな、広島市民のみなさま。


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一本だけ早咲きの紅梅が春を告げていた。さすが瀬戸内、京都より気候は穏やかだ。


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濯纓池をはさんで広角でみると政令都市広島はやはり都会だ。ビルに囲まれている景勝の地。池の鏡も波静か。


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この周辺が一番宗箇の創意が残っていると言われる超然居。それを尊重して七郎右衛門もあまり手を加えなかったという。


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ここは池に浮かぶ最大の島なので、二本の橋で結ばれている。


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手前に萬歳手水鉢というのがあったが、来歴不明。おそらく七郎右衛門さんの頃のものと思われる。谷の水を誘導して湧き水のように見せていると説明書きあり。


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そしてここもふきっさらしの四阿だが、茶室にもなるのである。ここからの眺めは絶品、先ほどの跨虹橋も見えるよ。こんな場所で茶席作ってみたい!と強く思う。

いやほんま、想像以上によかったので、もし来年も行ける機会があるのなら、今度は反対側の半分を回ってみたいと思うのであった。(チャンスあれば他の季節も)

広島駅までは歩いて1km以内、隣接して広島県立美術館のある好立地、広島駅で時間持て余したら是非。(シルバー料金0円!(^_^;)



上田和風堂宗箇流初釜2024 - 2024.01.23 Tue



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広島へ。

今年で3回目になる上田宗箇流初釜である。今年も参席できたことに感謝。だってここ、和風堂=上田宗箇の上屋敷の図面を元にご当代(16代)が5200平方メートルの敷地に復元した武家の邸宅、庭園そのものなのだもの。これがほんまにすばらしい。とても2000年代前後の新しい建築とは思えないのだ。


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宗箇の紋・釘抜き紋の幔幕の前には宗箇もかくや、と思わせるようなこわもての(^_^;男性門弟さんが手ぐすね引いて待っている。
今年は京都の徳禅寺さんとご一緒の席であった。(和尚さんは、ようしゃべらはるお正客なので、お話がたくさん聞けてありがたし)


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今年も例年通り、和風堂の見取り図をHPからいただいて掲載。
待合から複雑な道の内露地をゆけば、松の香りも高いびっしりの敷松葉。一足歩む毎に露地の美しさに心ひかれる。

広間の濃茶席はお家元直々にお茶を練られる。今年は紹鴎棚がでていた。一般的に初釜は客が多いので、ベルトコンベア式にならざるをえないところがあるが、こちらでは、ゆっくり悠々とお茶を練られ、まるで小寄席の茶事にうかがったような気分だった。
主菓子は例年どおり「猩々」、猩々の赤い髪を模した練り切り。

床の掛け物は加賀の前田利常公(2代目)の消息で、宗箇流2代目重政への見舞いの手紙、日付が正月22日、となっているところがミソ。
茶入は初期の膳所でめずらしく取っ手がついていて、その部分をよけるように牙蓋に切り込みが入っているのが面白い。茶杓はその宗箇流2代目重政。無銘。
釜は辰年にちなんで「宝珠釜」、室町はいくという天明。
主茶碗が垂涎、熊川。(本多某の箱)

数茶碗がこれも毎年の如く、赤膚焼の御本立鹿。
この鹿の絵のオリジナルは、昭和初期に春日大社宮司であった水谷川(みやがわ)宮司の絵なんだそうだ(近衛家出身)。鹿は宮島の鹿の意味もあるが、ご当代の奥様のご兄弟が現在の春日大社の宮司・花山院さんだったとは!今年初めて知った。



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茶杓といえば、毎年初釜に脇床に飾られる宗箇の茶杓「ほまれ」
大阪夏の陣の一番槍の誉れであろう、蟻腰とおりすぎて節がΩの茶杓。そういえば敵中なのに、竹を削って茶杓作りに没頭したあげく、敵に不審がられてかえって襲われなかったという逸話の茶杓「敵がくれ」というのもあると聞いた。

上田宗箇はご存じへうげもの=古田織部に師事した茶人ではあるが一番槍にこだわった武人でもある。関ヶ原の戦いで西軍についたために敗戦後領地を没収され剃髪して浪人となる。

この後のエピソードの初披露があった。徳禅寺さんも初めて聞いた!と感動してはった。
宗箇の日誌?かなにかに書かれているのだそうだが、関ヶ原後剃髪浪人中の宗箇が二条城によばれて、家康に「なんで法体(=僧)になったのか?もとの主水(以前主水正の官職にあった)にもどれ。」と言って関ヶ原の一件を許され、還俗したのである。面白いのが横にいた秀忠が「ところでお茶の方はどう?」と、多分喜々として聞いたという。こわいおとうちゃん(家康)の前なのに。秀忠、相当のお茶好きであったらしい逸話。


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薄茶席は(表千家の残月に似ている)鎖の間にて。
こちらは若宗匠がご担当。この鎖の間は昨年広島G7サミットで各国首脳の奥方さまをお茶で接待された部屋なのだとか。
真ん中の点前座の両サイドに客の席があり亭主は客にお尻をむけて点前する形になる。例年通り釣釜(初代寒雉)、宗箇流の袋棚、これも例年通りありがたいほんまの大福茶。薄茶に黒豆、梅干し、山椒が入る。(意外と美味しい)
床には毎年かならず万年青(おもと)を伝来の古銅四方盆にいれる。
軸は雪村の昇り龍、下り龍の二幅。迫力あったわ、特に黒雲のなかに浮かぶ正面向いている龍。



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主茶碗がかの有名な宗箇の茶碗「さても」を江戸時代の宗匠(師範?)が写したもの。豪快な篦目は戦国を生きた武将の勢いそのまま。次茶碗が当代朝日焼豊斎、年代も同じくらいで若宗匠と仲良しでいずれコラボなどしたいとか。三碗目が京焼の村田真人さんの龍の絵付け。

干菓子は釘抜き紋の焼き印の煎餅、酒粕入り白あんはさみ、と松の打ち物。菓子器は広島伝統産業である道蟲(どうちゅう)の銅皿。
茶杓は上田家先々代の茶杓「竹王丸」。これは「松王丸」「梅王丸」と三本組の一つで、昨年は松王丸がでてたわね。薄器は梅蒔絵の棗。


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これも感動モノの長い廊橋を渡り、最後に点心をいただく書院の部屋は、思い切り開放的な明るい白砂の庭に面している。
こちらの部屋もG7サミットの奥方たちをもてなした部屋なんだそうだ。その時の室礼を再現しておられて、床には古鏡(江戸時代の鏡台)、懸け布には上田家の替え紋の三階菱(上田は小笠原家の出といわれる)の刺繍、蒔絵の姫煙草盆、それにG7の引き出物になったという漆蒔絵のペアグラス。このグラスの蒔絵の作者は広島の金城一国斎さんで、同じ席に客としていらしてた。蒔絵は宮島の紅葉、それに鯉というあたり広島やなあ〜(^_^;(広島カープ)
紅白の餅のお雑煮と、ことのほか鯛のお造りが美味しかった!

今年も広島まできた甲斐がある初釜であった。なにより銀行員であったのを決心して母方の当家に養子に入り、和風堂を再興したお家元のお人柄がすてき。また一流のストリートダンサーであったという経歴の若宗匠もだんだん風格がでてきましたね。



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和風堂で宗箇にふれたあとは、作庭家でもあった宗箇の庭、浅野家別邸庭園・縮景園にてまた宗箇の庭にひたる、、、はまた続編で。

<おまけ>

たしか東京の宗箇流の方が持っていた記憶が、、、、
多分宗箇流独特の懐紙のたたみ方(お菓子とともに配られた)


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未在2024正月 - 2024.01.21 Sun

まだまだ続く初釜ロード(初釜貧乏ともいう)、ちょっと飽きてきた方もおられると思うので、閑話休題、グルメのおはなし。


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円山公園一画の未在さん。あたりは夜の公園なのでほんまに暗い。
前回来たのは一昨年12月、ちょっとした予約にまつわるどたばたトラブルがあって、逆に忘れられない一会になったが、その時に予約したので1年1ヶ月待ちなのである。そう、ここは予約は1年以上前じゃないと。(コロナの時は1年以内にとれたんだがなあ)


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春、夏、ときて今年は一昨年と同じ冬の献立。ということはもう数年通っているのね。
時候の良いときは玄関前の腰掛け待合で待つのだが、この日はとても冷え込んだ夕べ、さっそく中へ入れてもらう。


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京都以外からのお客さんの方が多いかもしれない。帰りの新幹線の時間を気にされている方も。うちらは歩いて帰れる、、、とちょっと心のなかで自慢?(^_^;


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カウンター背後にある床の間は新春のしつらえ。
こちらではまず最初は茶懐石をならって折敷に四つ碗、向付ででてくる。ご飯は炊き上がりのつやつやのをほんの一口。(自分の懐石ではこれがなかなかできないの)
汁は小さな蓮根餅、向付はクラゲ、柿なます、松の実など。


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恒例の白身、赤身の削り氷の上にのったたっぷりのお造り。薬味も、タレ(ポン酢、酢塩水、鯛の肝ペースト)も数種類あって、どれをつけて食べようか迷う。まあ、どれでも美味しいのだが。

煮物椀はしんじょうに海老餅、唐辛子が入っているようで、煮物に唐辛子とはちょっと驚きの組み合わせだが、これが実にうまかった。
焼物は牛肉に付け合わせ三種。お肉の上には薬味がのっていて、これに蜂蜜ソースをかけていただく。やわらかい。


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未在さんはとにかく質も高いけれど量もはんぱないのが有名。若くてあるいは健啖な方ならデザートまで完食なのだが、われわれはそろそろ胃のキャパも機能も低下しているので、学習してあらかじめ「少な目でお願い」と頼んである。(よってこの日は最後までいけた!)


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八寸シリーズが豊富な種類の肴をちょっとずつ、という贅沢、もう種類多すぎておぼえきれなかった。
羽子板の取り皿や、松の葉っぱのあしらいや、松葉かと思ったら茶そばで作った松葉でたべられたり、柚子釜、香合みたいな入れ物にはいったものなど、器や盛り合わせも楽しませてもらった。
面白かったのは、祇園の舞妓さんがお年玉にもらう福玉(紅白の餅皮をあわせて球体にして中に縁起物が入っている)のミニミニ判の中に、肴がはいっているもの。

(福玉:


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(干し海鼠、スルメ、昆布などの縁起食材)

箸洗い(小吸物)もちゃんとあって、タケノコ、ワカメ。(もうタケノコ!)
あと魚の蒸し物なんかもあったと思うが覚えきれず。

湯桶もちゃんとでてきたよ。こがしをいれて四つ碗にそそぐ。ここらへんは茶人としては慣れたもの、、、と、まわりのあたふたしているおじさまがたに心の中でマウントとったり、、、(^_^;

抹茶を一人一人石原さんが点ててくださるのだが、そのお菓子がほかほかのじょうよ。紅色の餡とくるみが入っていて、お菓子と言うより甘いおかずの延長といった感じ。

大概ここらでギブアップなのだが、今年はまだいける。
恒例のデザート2種。白いイチゴ、ワインジュレをかけて食べる大きなイチゴ、三宝柑のジュレ。もう1種は春のフルーツ寄せ、スターフルーツ、ベリー類、石榴、、、見た目も美しい。
さらに今年は3種目、柚子のソルベ+金時人参のピュレ、ワイン蜂蜜ジュレまで行けた。


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お腹一杯になったところで円山公園を突っ切って歩いて帰途につく。これも恒例の提灯でのお見送り。実際はこんなに暗いです。提灯なかったら足下はずしてる。


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性能の良いスマホカメラだとこんなに明るく写るけれどね。


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最後までお見送りしていただくのはこれも茶事の心、ごちそうさまでした。


善田昌運堂・追善の茶会 - 2024.01.19 Fri



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洛中、とても敷居の高い茶道具、古美術の老舗・善田昌運堂さん。2年前にその初釜へ、其中庵さんにつれていってもらってから今年で3回目となる。とはいえ今年は昨年逝去された先代をしのんでの追善茶会となった。
おめでとうと言って良いのかどうなのか、迷うところであるが表のショウウインドウから見える小上がりに見事な啓翁桜の大枝。故人は桜の花がとてもお好きだったという。


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新参者で末席をけがしているくらいの者なので、実はご先代を存じ上げない。それでも光悦会も仕切るくらいのお店なので、錚錚たるお客様方にはなじみの方であったろう。
「ほんとうにお世話になり、思い出もたくさんございますの。それで寄せていただきました。」と、おっしゃるさる有名寺院の奥様の言葉になんとなく故人の人となりがわかるよう。
ギャラリーの一画に遺影と焼香台がもうけられ、生前お好きだったとおぼしきビールの瓶とグラスが手向けられていた。ご家族さまにも愛されていたのね、と始めて拝見する遺影のお顔を見て思う。


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寄付はいつもはおめでたい鯛の画讃がかかるのだが、今年は春屋宗園画讃・松花堂の布袋の絵。

昨年、一昨年はコロナにて蹲居も使わず、小間も展覧だけであったが、今年初めて蹲居をつかわせてもらう。露地は苔が美しく、塀の向こうが通りだとは思えない市中の山居。しかし、なんとまあ立派な巨石の蹲居!丸い礎石の大きいもの?直径2mくらいありそうな、、、その中心をくりぬいて蹲居とし、筧から水がおちるようになっている。ここに御準備いただいた湯桶の心配りもさすが。

さらに今年は小間(四畳上がり台目中柱)が茶席になる。(初めて)
床にかかるのは高野切。よみひとしらず+つらゆき(貫之)の歌

 みわやまを しかもかくすか 春霞 人に知られぬ 花や咲くらむ

ここにもご先代が愛した桜の歌。

古銅の花入れには有楽椿。
本来は経筒など使うのでしょうが、父はそんなの似合わへんと言いそうなので好きだった古銅を、とご当代。(ちなみにこれも遠州蔵帳だったか雲州蔵帳だったかに載っている名物)
お菓子はいつもは紅梅などだが、しのぶ会なので白梅を、と。(亀末廣)

釜が利休百会に使われて「百回霰釜」とよばれている釜、天明か?与次郎か?(聞き損ね)
光悦会でも拝見したような水指界のエルメス?南蛮玉簾。
茶入は銘は失念したが有来新兵衛だったかな。

そして茶杓が利休さんなんですよ〜。すんごい蟻腰、畳においたら節が1cm以上は浮いているという、、これを手にとらせていただけるとは。
それだけではなくて、お正客(業躰先生)が実際に濃茶を飲まれたのが長次郎黒楽とは!(すみません、これも銘失念 これさわらせてもらった感激にふっとびました)これ以上言葉をついやすことは無駄なくらい感動もの。
次茶碗の熊川「白雲」も見事な熊川で感激。

すごい追善だな。さすがこのお店の格がわかるというもの。




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薄茶茶碗も
半使(半使らしい教科書的な半使)、黒織部沓茶碗、直入皪釉(白い釉薬で直入さんが考案)、黄伊羅保、仁清筒唐子絵などなど。いずれも雲州蔵帳だか遠州蔵帳だか(^_^;に載っているものも。
仁清の小ぶりの筒、良かったな。胴体に唐子の遊ぶ姿に背景は中国風、口周りには細かい市松模様、多色の釉薬、金彩などを使って中を埋めている。とてもモダン。




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昨年一昨年はお弁当持ち帰りだったが、今年は広間にて辻留さんの点心をいただく。広間の軸は大和絵で作者は忘れたが「尚歯会の図」、長寿を言祝ぐ図柄。(尚歯会:長寿を祝う敬老会みたいなもの)松に桜が描かれているので、ここでもご先代の愛した桜を。


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お蕎麦かと思ったら下にご飯が。こういう料理もあるのだろうか?美味しかったが。

広間の脇床に存在感はんぱない、志野の湯桶(急須の親玉みたいな)が飾ってあった。
なんでもご先代が初めて松下幸之助さんに納めたのがこの桃山の志野だったのだそうだ。今回追善茶会を開くにあたって、松下家からお借りしてきたものだとか。それはご先代、懐かしく、喜ばれたに違いない。ほんとうにご家族からも愛されていたことがわかるようなお話で、存じ上げない方ながら不肖わたくしでもじん、、と胸にきたくらい。なんてすごくて、あたたかい追善の茶会だったのだろうか。





官休庵武者小路千家初釜2024 - 2024.01.17 Wed

かねてより一度は参席してみたいものだと思っていた官休庵(武者小路千家)の初釜に、おさそいいただき、ついに潜入?成功。(ST様、ありがと〜)
(ちなみに東京初釜は4年前に)



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官休庵自体は昨年7月木津宗匠のおはからいで隅から隅まで見学できたのだが、初釜ともなるとまた格別。
待合の弘道庵に入って会記を拝見していると、おお!なんだか次々とお坊様が入ってこられる。袈裟の種類も色々ということは宗派も色々なんだろうな、、、というところで南都袈裟(奈良のお寺独特の細長く斜めにかける小さい長方形の袈裟)の方々が数人おられるではないか。マスクを外されるとおおっ!東大寺別当(管長)橋村師!一番うれしかったかも。(あとはっきりとはわからねど、薬師寺さん?も?)


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昨年夏印象深かった鎖の間的、舟席を模した行舟亭を通り過ぎ(鉄斎の龍?の絵の軸かかってた)濃茶席の環翠園へ。昨年はここで障子をすべてとっぱらって薄茶をいただいたが、初釜は鍋島も敷かれ台子、結び柳と格調高い。
ここへお坊様方10人が並ばれた様は壮観であった。

お菓子は官休庵のお留め菓子「都の春」
紅と緑のかき分けきんとん、中に求肥入りがお留め菓子たるゆえん。

お点前は若宗匠の宗屋さん。滑舌も発音も明瞭で末席のわれわれにも届くお声は、最近耳遠くなった身にはありがたい。
官休庵の歴代宗匠のお名前はあまりよく存じ上げないので、以下道具の作者の名前は省略(^_^;(覚え切れん)

軸は歴代宗匠のだれか(ゴメン)「枯木裡龍吟」。碧巌録より、枯れた木が風が吹けば龍が鳴いているように聞こえる、、、が字面だが、深い内容は禅語だから各自考えてね。
大根島(島根・牡丹栽培の名所)から届いた紅白の牡丹が浄益の砂張?の桶に映える。慶入(だったか?)の楽印を抱き込むようにとぐろを巻く龍の香合も印象的。

釜が与次郎の大阿弥陀堂なのだが、面白いことに薄茶席の釜も阿弥陀堂、こちらは道弥(西村・江戸初期)。
さらに茶杓が濃茶席も薄茶席も銘が「楪(ゆずりは)」。前者が一啜斎(官休庵8代 江戸中期)、後者が一指斎(11代 幕末〜明治)。
この対比がとても面白かった。

展観にだされた大ぶりの(10人分は軽くはいるのでは?)唐物茶入は驢蹄口。始めて実物の驢蹄口拝見、驢馬の口かあ、、、微妙。
本席は各服点てだったのでこれも飾られていた島台は(歴代宗匠のだれか)「龍吟」「乕嘯」とまさに辰年にふさわしい。



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(官休庵パンフレットより)

席変わって薄茶席
歩く露地にはびっしり敷松葉、網笠門もしっかり拝見。
こちらは佐伯宗匠の席。

軸が一条忠香卿の梅の木の絵に、有栖川宮幟仁親王(熾仁さんのお父上)の画讃。いずれも幕末〜明治の方。
薄器が毬棗、甲に「華」、どなたかの宗匠の還暦祝いに好まれたのだろうか。



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主菓子「都の春」をのせて出てきたへぎ板は裏に「辰」の焼き印、各自お持ち帰りのお土産になる。


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二階席で福引き。
ささやかな当たりで白檀の根付け、いただきました。


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残念ながら今年も点心は持ち帰りのお弁当、その年の干支にちなむ漆の杯もなかったのが残念。
弁当は三友居さん、持ち帰りST氏とうちでいただく。しばしお茶談義に花が咲く。これも楽しいひととき。ちなみに掛け紙の松の絵の「澄子」は料理研究家でもあった先代13代宗匠の奥様(12代の息女)なのだそうだ。


<おまけ>

初釜なのでちょっとめでたい宝づくしの草履


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古石州流初釜2024 - 2024.01.15 Mon

急に冷え込んだ朝、庭をみたら夜中にうっすら雪がふったらしい。すぐに消える淡雪であったが初雪である。


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そんな空気が冷たい1日、大和の国へ。昨年秋の慈光院石州350年忌法要茶会で濃茶席をもたれた古石州流のお家元である本庄家の初釜におさそいいただいた。
石州流は皆伝なので伝授された者がそれぞれ流派をうちたてるので、星の数ほどの流派に分かれている。古石州流は石州の弟弟子、大和小泉藩の家老であった藤林宗源の流れを汲み、後に片桐家家臣鉄砲組与力であった本庄家に伝わる流派である。

ここのところ石州流のお席にご縁があって、よくお目にかかる目利きの(プロ)茶人、この初釜もお世話をされているK氏はこちらの御流儀である。(拙宅茶事にもおこしくださり、またお招きもくださったありがたいご縁である)



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戦後建てられたというお屋敷は、慈光院の石州門を彷彿とさせる立派な門構え。重厚な数寄屋の作りで、椿の木がたくさん植わっている広いお庭もある。
お点前はお家元直々。慈光院でも拝見したが今回は少人数の茶席なので間近で拝見できた。帛紗が右につけるのは武家流だが、帛紗のたたみ方は千家系とほぼ同じ、お家元は女性でいらっしゃるので、武張った感じもなく、お点前も千家系と共通のものを感じる。

軸が飛鳥井雅章(江戸初期)の御詠唱、春日野三首。
大和の国だからね、春日野、春日山がよく似合う。中回しが能装束か小袖か、でとても雰囲気が良かった。後にK氏がご説明くださった竹花入れは銘を「三日月」、なにが三日月かというと、形が湾曲しているところのみならず、へしゃげた切り口がまさに三日月の形。これよく落としが入ったなあ、と思うような。もちろん石州である。石州はアートクラフターである。だから茶碗も作れば花入れも香合まで作っちゃうのである。



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昨秋の慈光院で拝見した石州手づくねの茶碗「野狐(やこ)」に再会できた。禅宗にいう野狐禅とは禅にあらず、独りよがりの邪禅という。
これも再会の遠州箱の瀬戸飛鳥川手「雨柳」茶入、石州共筒茶杓「織部写し」、そしてまたあの熊川にも会えた。


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これはお土産にいただいたお菓子であるが本席でいただいたものと同じ、桑名の花乃舎さんのじょうよ。中の餡が赤くておめでたい。


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こちらも花乃舎さんの和三盆、形が龍の珠なのね。
点てだしの若い女性がお辞儀をするときに手を重ねてされていたのが、印象的。石州流では両手を脇について武家風にされるのを見てきたが、女性の場合は違うのだろうか。

石州ゆかりの京都の塔頭のお坊様もいらして、たっぷり石州にひたった茶会であった。なごやかで、かつ少人数なので親しくお話しできる感じでとてもよかった。お誘いくださったM氏、S先生にも感謝である。


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お弁当は北新地の。なかみぎっちりでお腹一杯である。
でたお酒はやっぱり奈良なんで「春鹿」(今西清兵衛商店)!なのもうれしい。




十日ゑびす2024 - 2024.01.13 Sat



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普段は参拝客の姿をほとんど見ない大和大路の京都ゑびす神社、正月雰囲気もぬけやらぬ10日をはさむ前後の10日ゑびす、別世界となる。


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仕事終わりの遅がけに行ったのであるが、いやはやすごい人出。ここのところコロナ自粛もあり、それほどでもなかったが、完全復活という感じ。


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この通りは建仁寺さんの西門に面している。もともと京都ゑびす神社は建仁寺の鎮守社なのだ。この期間ばかりは建仁寺さんもびっくりの賑わい。


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西門の前にも夜店がぎっちり、お寺さんにはどうか、の、なまぐさだけど鮎の塩焼きがうまそうであった。


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お参りに行く人、おわって帰る人、でごったがえすが皆さん手に手に吉兆笹を持って。私はもうこのたぐいの縁起物は人のを眺めるだけにしている。(お家がかたづかないからねえ、、、)


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実は一番の目的はこれだったりする。この通りに店を構える和菓子の鍵甚さん(鍵善の別家)のえびす焼!鍵甚さんの亥子餅は一番美味しいと思っているので、なんとなれば変形どら焼きなんだけれど美味しいのだ。


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ところがっ!
出遅れたようで本日の分は完売売り切れ〜、、、ものほしげに次々と包まれていくえびす焼を見送るのみ。


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大和大路にはお世話になる伝統工芸の小さな店も並ぶ。これを見るのも楽しみ。ここは良い雰囲気の畳屋さん。


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お世話になったこともある桶屋さん(おけ庄さん)。若い大将もお元気そうで。


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さらに南下して神社に近づくとまさかの入場制限!行列をなして並ぶ。まあ、お参りするだけだからそれほど待たずに境内へ。


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鳥居の所にいつも出店してはる「人気大寄せ」の傘。縁起物である。
(傘の中に人形がぶらさがっている様がお店に客大入りという意味か)


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はじめはこの小さいのから始めて毎年大きくしていくとか。お店などの縁起物としては華やかでいいけれど、一般家庭ではあまり大きいのは、、、、(^_^;(掃除の邪魔という主婦目線)


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境内も押し合いへし合い。お賽銭いれるのも一苦労である。


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大きいおマグロ様。祭が終わったら解体して関係者で召し上がるらしい。


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お参りの舞妓ちゃんも発見、この日の襟足はハレの日用の「三本足」である。(普段は二本足、紋付きを着る日やお正月は三本足だとか)


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人が少ないが、摂社末社にもお参り。ここはやはり夜が雰囲気良いね。10日は夜通し開いているという。


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東側の出口。一方通行なのでUターンして西側へ。


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これ見なくちゃ。
買った吉兆笹に自分でチョイスしたお飾りをつけてもらう参拝の人たち。


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さっきの舞妓ちゃんもおならび。


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西側の横参りは今年も閉鎖。ここをたたいて耳の遠いゑびすさんに「お参りきましたよ」とお知らせするのだが。たたいちゃだめなら大声だ!とばかりに「商売繁盛たのんまっせ〜!」と叫んでいたおじさん、好きだわ(^_^;


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お参り終了!


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参道のたちならぶ夜店の雰囲気にあらがえず白鹿のお店で甘酒を。


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ほっこり生姜がきいてあたたかかった。


「沈黙する伝承〜川上村における南朝皇胤追慕」 増田隆・著 - 2024.01.10 Wed

コロナ前までは、ならまちのはしっこ、璉珹寺(れんじょうじ)にて月一行われる京終さろんでさまざまな切り口の奈良学を拝聴していたが、コロナの3年間は主にオンライン参加であった。昨年末3年ぶり?4年ぶり?にリアル参加を果たした。


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夜はしんしんと冷え込む奈良、ましてやお寺の建築はどうしたって寒い。しかも廊下の席だったので戸外の寒さがじわじわしみてくる。ついに持参したホッカイロをあちこちにはりつけて拝聴と言う仕儀になったのだが、やっぱりいいね、リアル参加は。席はぎゅうぎゅう、満席である。


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この日の講師は増田隆氏、ちょっとだけ面識のある方である。なにやら吉野の山奥の村の話らしい、、、というくらい予備知識なく行ったのだが、もうお話聞いたら面白くて、知らないことがいっぱいでてきてついに講演の元ネタとなったご著書を購入。


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その本を読んでいて、川上村の話おもしろいよ、と通りすがりの相方に言うと、「川上村っておやじ(私には舅)の出身地」というではないか!その集落の大字まで本に載っていてなにやら運命を感じるのであった(おおげさか)。そういえば吉野の山奥出身とは聞いていたが、川上村だったとは!

しかるに川上村は吉野の山奥の集落である。
この地方は古くは中大兄皇子(天智帝)から逃れた大海人皇子(後の天武帝)が鸕野讃良(後の持統帝)とともに雌伏した場所であり、頼朝から逃れる義経と静御前との別れの場所であり、明治維新前夜の志士がかくまわれた場所でもある。吉野の人たちは時の権力に逆らうことになるのを承知の上で彼らを守り切ったのだが、唯一守り切れなかった、と現在にいたるまで悔いを残しているのが後南朝皇胤の若い二皇子。

そもそも<後南朝>って言葉を知らなかった。
後醍醐天皇が吉野に南朝を開き、幾多の闘争ののちに南北朝が統一されてめでたしめでたし、で教科書は終わっている。南北朝がわかれたのも後醍醐天皇よりも以前にその種はくすぶっていた、というのも初めて知った。(持明院統とか大覚寺統とかそういえば習ったような気もするが、、、)

後醍醐天皇の孫にあたる後亀山天皇(南朝)が足利義満と図って南北朝統一のルールを取り決めたため、北朝は怒って「天皇は南朝北朝交互に」の約束を無視して北朝ばかり即位したため、後亀山帝怒る、そこに不満抱えた武士や公家が加担する、、、、南朝断絶を決めた六代将軍義教の赤松氏による暗殺の混乱。南朝皇胤(後亀山帝の子孫)によるいくつかの小さな蜂起の勃発、ついには禁裏への放火、三種の神器強奪、それに怒った幕府の南朝皇胤潰しは苛烈を極めた。

最終的に後亀山帝の玄孫にあたる一宮(川上村八幡平行宮で即位=自天王・北山宮 即位時14歳)、弟の二宮(河野宮 当時8歳)が吉野の奥で討ち取られ(1457年)南朝は断絶。(享年は不明ながらまだ10代の若さであったと思われる)

討ち取ったのは将軍義教を暗殺したかどでお家断絶されていた赤松家残党、家の復興を懸けて神璽奪還とともに両宮を殺害。両宮をお守りしていた川上村郷士は怒り狂い赤松党を討伐、神璽とともに自天王の首を奪還。

たぶんざっと言うとこんな感じか。(私の解釈なので間違ってるかもしれんし、歴史的には資料がなく不明なことも多いそうなので、興味のある方はこの本を読んでね)


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そして川上村に伝わる伝承の話になる。
両宮をお守りしていた川上村郷士たちは両宮を忘れず、忠誠の証として毎年2月5日(自天王即位の日)、朝拝式を行うこととしたのが翌年の1458年、それが現在にいたるまで行われているというすごさ。

両宮が行宮に移られて以降、いくえにもお守りしてきたのにわずかな油断で赤松党につけこまれ、在所が知られることになり、その若い尊い命を奪われてしまった、その後悔の念たるや、現在まで子々孫々に伝えられ、筆者によると、村の人たちはまるで自分で体験してきたかのようにその話を悔しそうにされるのだそうだ。

朝拝式は宮の御遺品(鎧、兜、太刀など)を前に、参列する郷士は裃姿(参列はかつて筋目とよばれる、赤松党から自天王の首と神璽を奪還した家系の男子のみであった。)、一堂に榊の葉が一枚ずつ渡される。それを口にくわえるのである。
自分たちの口が招いた禍、そのいましめに葉をくわえることにより「何も語らない、誰もしゃべらない」、黙して秘すことが御霊への慰めの姿なのだ。これがタイトル「沈黙する伝承」の意味なのだとわかった。

吉野の山奥でひっそりと、しかし絶えることなく、時代に合わせていくばくかの変化をしながらも続く朝拝式。かつては川上村出身者でなければ見ることもかなわなかったらしいが、平成になって国の無形文化財指定をうけ、式の存続保存のためにその門戸を開いている。筆者も拝見を許され、その体験を写真なども含めてレポートに一章をさかれているので、ご興味あれば是非。

川上村の人たちが近代になっても両宮への追慕、忠誠の念が強いというエピソードを一つ。
両宮の墓所は川上村の金剛寺とされ、宮内省も公認していたが、突然明治45年になって金剛寺は二宮の墓所、一宮=自天王の墓所は隣の上北山村と治定したのだ。川上村の人たちが怒り狂ったことといえば、当時の新聞の天声人語にも載っているくらいだった。(この変更の裏には市井の歴史研究家の運動があり、川上村の人たちは彼を討つべし!といきまいたそうだ。)そして宮内省の役人が無造作に宝篋印塔や墓石などを捨てたことを現在の住民までが憤って語るのだそうだ。

<京終さろん 講座の最後に 演者の言葉>

「榊の咥葉」

何が両宮の若い命を奪わせる結果を導いてしまったのか
自分たち川上郷士が別の土地からの来訪者を信用し
両宮の所在を軽々しく口にしたためである
川上の郷士は川上の者しか信用してはならない
軽々しくものごとを口にしてはならない
語るなかれ 沈黙を守るべし










有馬温泉2024 - 2024.01.08 Mon

三が日にいれていた予定が急になくなって、ぽかんとあいた2日間のお休み、ならば近場で有馬温泉にでも骨休め(仕事、、ではなくて孫の守の)に行こうということに。



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有馬温泉1年ぶり〜、、、というのも昨年の3月、小雪の舞う寒い有馬で茶事に招かれたので。あの時に京都駅八条口から高速バスで1時間で行けることがわかったのだ。


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有馬は温泉もさることながら大正〜昭和初期あたりの古い建物の町並みウォッチングも楽しいのである。昨年はバスの時間がなくて、さわりしか行けなかったから、今回はゆっくり町並みを楽しむ。


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前に来たときに佃煮を買ったところの大黒屋さん、この建物もよい雰囲気。


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有馬土産といえば有馬筆
軸の頭からぴょこと人形が顔を出す。実用的にどうかといわれれば、どうってこともないのだが、香合のモチーフにもなっているよ。


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ぐるっと町をまわるといくつかの泉源に出会える。
まわりのパイプ類はその泉源のお湯を各宿泊施設に送るパイプなんだね。


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こちらはいわゆる<金泉>
金色に見えなくもない茶色の不透明なお湯で、含鉄塩化物を含む。このお湯につかると白いタオルも鬱金色に染まる。


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看板も、町並みの雰囲気を壊さないようにレトロなデザイン。


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町のあちこちに熱湯が流れ、湯煙も上がる。
これこれ!これが温泉街の醍醐味やわ。


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ちょっと良い雰囲気のお宿を発見。


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花小宿というホテル。開業は平成になってからだが、建築は昭和初期、なるほどやはり良い雰囲気。次回来るときは泊まってみようかな。


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宵になって、外に夕食をとりに。18時前だがすでに観光客の姿はほぼなく、夜の町並みもまたノスタルジックで美しい。


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それでもまだ開いているお店もあって、ぱらぱらと人の姿も。


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ピンボケになってしまったが、公的温泉<金の湯>(昼間は順番待ち)は21時ごろまで開いているらしい。


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夕食を予約していたのは温泉街の真ん中にあるhacco restaurant enn。襖や押し入れがあってここはかつて和風の民家だったと思われる。



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いきなり風呂桶がでてきてびっくりしたが、ナプキン入れでありました。(これで食べるのかと思ったわ(^_^;)さすが温泉街のレストラン。


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ちょっとおしゃれな前菜の器


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イタリアンでパスタもいただきつつデザートへ。おいしゅうございました!

私は宿の温泉を堪能したが、相方は食後にも町中の銀の湯へ行ったもよう。
一夜明けて、朝風呂にもいく相方。温泉好きやなあ。


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チェックアウトまでの朝、瑞宝寺公園まで歩く。なかなかの勾配の坂で息が上がるが距離にすれば1kmくらい。公園の手前でかつて兵庫県職だったころ、何回か利用した瑞宝園の前にでる。懐かしいなあ〜。建物は変わっていない。変わったのは我々だけやなあ、、、と思い出にひたる。



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瑞宝寺公園
紅葉の名所なので、落葉した後はなんにもないのだが、冬の凜とした朝の空気を味わうには良いところ。

コロナ前まで、ここは毎年秋に行われていた有馬大茶会の会場の一つにも(野点席)になっていたはず。むかーし、この大茶会のお手伝いに有馬グランドホテル席に入ったこともあったっけ。すごい人だった。一席50人ははるかに越えてたと思う。また復活されたようだが、完全復旧ではないようだ。



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山門周辺の笹 

 ありまやま いなのささやま かぜふけば いでそよひとを わすれやはする

百人一首にもある大弐三位の歌の碑もある。


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いや〜この落葉全部楓やわ、最盛期はそりゃ美しかっただろうなあ、、


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帰り道ふたたび町並みへ。川上商店の名前に反応。佃煮の元祖とある。江戸時代、吉野の川上村から有馬に出てきて店を開いたそうな。現在川上村の伝承に関する本を読んでいて、しかも相方の父方の出が川上村だったのでちょっと萌えている。(いずれ記事にしよう)


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朝早いのも人がいなくて静かで良い感じだね。


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でも金の湯の前の足湯にはすでに何人もの人が足をつけていた。気持ちよさそう〜。(タイツはいてるから私あかんわ、、、)


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そうこうするうち朝のバスが着いて観光客の数が増えてきた頃、入れ違いに有馬を後にする。
(京都↔有馬は一日4便だが、大阪↔有馬はほんと便数多い。)



初詣シリーズ2024・京都〜奈良 - 2024.01.06 Sat



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大晦日の21時頃平安神宮。徒歩圏内。
まだこの時刻、人出は少ない。0時近くなったら多くの人で例年賑わう。


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小学生の孫2号と先参り。


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昨年は大禍なくすごせたことに感謝。今年も機嫌良くすごせますように。


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明けて元日の平安神宮。
朝からの雨模様で例年のような行列はなかったので、すんなりお参り。


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行列と言えば、氏子であるところの岡崎神社!
シンボルが兎なんで、昨年の卯年はえらいことになっていた!


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これは昨年の三が日の写真。この行列がゆうにバス停2つ分続いていたのだ。


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今年は並びにある初辰神社が多かったのかも。狛兎ものんびりできるね。


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明けて2日は奈良巡り。
今年は久しぶり(ウン十年ぶり?)に橿原神宮へ。

正月に来たのは初めてで、いつもはほんま人少ない、、、というイメージだったが駅前から屋台もたくさんあって混雑混雑。


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九州高千穂から大和へ進出し、ここを橿原の宮と定め、初代天皇として即位した神武天皇がご祭神だから、すごく古い神社かと思ってた。実は明治時代、神武天皇を崇敬する有志の願いに明治天皇が応えて拝殿などを下賜したのがはじまりだったのね。知らんかったわ。


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菊の御紋に柏の葉の社紋(灯籠)
本殿の屋根中央に千木(ちぎ)がある???変わってんなあと思ったらその奥にある御本殿(入れない)の千木だったのね。つまり本殿には鰹木も千木もない近代建築。


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拝殿への道はあられこぼしになっていて、桂離宮を思い出す。それへのオマージュかもしれない。

それにしても神武天皇が九州から大和に進出鎮座されるまでにあった幾多の血なまぐさい征服戦争の伝承はまた学び直したいものだわ。記紀で悪役になっている人たちも、勝者の歴史からだけで理解してはいけない。(宇陀のエウカシなんて兄猾なんて字をあてられて気の毒)


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久しぶりに来た記念にお札ゲット。


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西ノ京までもどって何回もお世話になっている薬師寺さん。ここの境内はいつもお香の香りが漂っていて、ほんま好きやわ〜この香り。


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新春の護摩供養もあり、、


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こちらの金堂では正月三が日だけ、国宝・吉祥天女像が公開されるのだ。2年ぶりにお目にかかったよ。とても小さいけれど比較的近くで拝見できるのがうれしい。


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国宝シリーズの東塔の一層、東院堂も公開中。
数年にわたる東塔耐震工事落慶法も昨年参列させていただいたっけ。この姿はいつ見ても胸がすく。郷里にいる頃からの憧れ。


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薬師寺から徒歩圏内の唐招提寺へもお参り。昨年は本坊での茶席にも参加できた。


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新宝蔵では国宝の仏像の数々が拝めるが、一方だけ当時のままの「天平の甍」が拝見できる。(もう一側は鎌倉時代の制作)井上靖の「天平の甍」を何度も読み返した高校生時代に思いは飛ぶ。


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ご本尊の千手観音をお参りするといただけるお守り。


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いただきました。
柱のエンタシスを背景に。(昨年念願の会津八一の軸をゲットした)
 
おほてらの まろきはしらの つきかげを つちにふみつつ ものをこそおもへ


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そして薬師寺に戻りまして、、、


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初写経
三が日は甘酒の接待があって、管長じきじきにしたしくお話をしてくださるところが高田好胤さんの伝統を汲むさすが薬師寺だなあ、と思う。


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さて、本年もよろしゅうに。
お札やお守りがケンカせんように(^_^;



孫と茶会と年末恒例・お茶のお稽古 - 2024.01.04 Thu

新年おめでとう!今年も良い年でありますように。

さて、まだ年末の話。昨年もお茶で暮れていった。


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年の瀬も押し詰まって、うれしい茶会のおしらせ。親しい人たちを招いて何席かの茶会を開いてくれたのは孫たちのお茶の先生でもある茶友のE先生。ちょうど京都にきていた孫達といっしょに、新しい教場へはじめておじゃまする。
とても風情のある仕舞屋で、はじめから六畳の間に逆勝手台目の炉が切ってあったという、お数寄者がお住まいだったらしいお家。

逆勝手出炉台目=裏千家では除夜釜のみに使われる溜精軒(六畳)写し、まさに歳暮の茶会にふさわしい。溜精軒といえば使い古しの柄杓の柄を組み合わせて下地窓にしているのが有名だが(それを写した溜精棚はみんな使っているよね)それをちらっと結界に取り入れているところがにくいわ。



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この日駆けつけてくれはったE先生のご両親、お父様が台所で打った打ち立ての蕎麦をいただく。ほんま美味しい。孫がおかわりしたいと(^_^;


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ほかほかの薯蕷饅頭、大人には酒まんじゅう。


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たまたまこの席は子供が3人というなごやかな席になって、酒宴にもならず(^_^;、孫達は翌日のE先生のお稽古の予習とこころえてお点前を見ている、、と思いきや饅頭に夢中であった、、、

さて、翌日、前日のたくさんの方を招いての茶会の後にもかかわらず、恒例の年末孫のお茶のお稽古をしてくれるE先生。TT舎へ。


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ここでのお稽古はまずはお掃除から始める。
まず日常生活で使うことがないだろう箒と雑巾がけ。案の定、畳の目に沿って掃いたり拭いたりすることを今の子は知らない。だからいい経験をさせてもらっている。


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炭火も炉中についで、パチパチという静かな炭の音を聞く。これも現代生活では知らないことだと思う。


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なにしろ年に一回のお稽古だから、そうものになるわけでもなく、上達もしないのだが、ここへ通い出してもう5〜6年になるだろうか。小さかった孫1号ははやくも私の身長を追い越しそうになって、今年ついに柄杓デビュー!鏡柄杓がさまになっているなあ。


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2号は帛紗さばきがだいぶんうまくなった。まだ盆点て。


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そして何と3号もお稽古デビュー!
同じ歳に1号はもう少しおとなしかったが、これがまた末っ子で甘やかされているのでじっとしているか心配だったのだが。意外とお姉ちゃんたちのお稽古をガン見してた。お菓子の取り方、黒文字の扱いはなんとかできるように。


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そして自分もしたい!というわけでお茶、湯をいれて点てるところだけ。それでも興味を持ってやることがうれしい。



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将来お茶を習うかどうかは別として、こんな文化が日本にあること、畳の文化もあわせてする経験はきっと将来なにかの種になると信じている。
さて年末生まれたばかりの孫4号男1号もいずれ仕込もうかな〜(*^_^*)


<おまけ>

高島屋和菓子コーナーで手に入ったお正月の和菓子シリーズ


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宝珠をがっちり握った龍の爪がかっこよいわ。


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京都へ移住する前から書いているブログなので、京都移住後もタイトルに愛着がありこんなタイトルです。でも「もう・住んでる・京都」です。旧ブログから引っ越ししてきました。

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