夜咄〜洛北・洗心庵 辻留さんの懐石にて - 2012.12.01 Sat
茶事の最高峰・夜咄、人工の明々とした照明の下で暮らしている現代人にとっては、特に憧れてしまいますよね。
明るさの代わりに失った五感を少しとりもどせるような気がします。
今回は鈴木宗博先生のご自宅・洗心庵での夜咄です。

席入りのころ、外はまだ明るかったものの、待合の中はすでにうすぐらく、御連客の顔もよく判別できないほどでしたが、目が慣れてくると、、、あら〜!
つい先だって香雪美術館・玄庵茶事でごいっしょしたばかりの高麗美術館ソウルツアーゆかりの(ややこしい説明でスミマセン^_^;)方が。
お茶の世界は狭い、、というより趣味の一致ですね。お仲間がいてうれしい。

まだそれほど寒くないので待合には大火鉢ではなく、やや小振りの火鉢。
中の菊炭が美しい。それに行灯。
汲み出しはあっさりめの甘酒。
そして、露地に出て思わず息をのみました。
庭一杯に枝を伸ばした紅葉のグラデーションのあざやかさ!
そして露地の地面一面に紅葉の落ち葉がいっぱい敷き詰められているではありませんか!
(写真がないのがかえすがえすも残念!)

(これはあくまで参考画像^_^;)
そうか、落ち葉を拾って掃除することばかり考えていましたが、こういうのもありか!
と目からウロコです。
屋根のシノブが味のある腰掛け待合いには小振りの藁灰火鉢と露地行灯。
亭主の迎え付けにて手燭の交換。
これがまた夜咄の風情です。
本席は10畳の広間、短檠と床の間の手燭のみが灯りです。
こんな暗さは日常ではなかなか体験できません。
目だけにたよらず、耳、触覚、気配で空間の把握をしていきます。
床の軸は大宗匠の「寿山 樹色籠佳気」。
時代のついていそうな霰釜がしずかに湯気をあげています。
それにしても灯心の作り出すゆらゆらとした影はなんて幻想的なのでしょう。
影にひそむものの気配まで感じてしまいそうです。(こ、、こわい)
、、、と思ったら、ギョギョッ!!
暗闇にひそんでいたのは(書院)大きめのこれも時代のついた饅頭喰い人形。(伏見人形の代表的テーマ)
鈴木先生のお家は、江戸時代の文書にも登場する江戸一番の高級菓子屋・越後鈴木の家柄ですから、なるほど〜、とそこで感心。
(越後鈴木の羊羹は当時絶品だったそうです。)

ここで夜咄特有の前茶。
水屋道具で薄茶を点て、おもあいでいただく。
どうぞ体を温めて下さい、という気遣いです。
続いて初炭手前。
夜咄のお炭は少し違って、釜を畳中心でなく勝手付まで引いたり、水次で水をついだり、とどこか後炭に準じていますね。
釜肌をたっぷりぬらした茶巾でふくとふわ〜っと上がる湯気がごちそうなんですが、この日初めて霰釜のふき方を知りましたわ。
霰で茶巾がすべらないので、とんとんとおさえるように拭いていくのですね。
ちなみに釜は桃山〜江戸初期に活躍した古浄味(名越家:釜師の家としては一番歴史が古い)。

「それでは粗飯、、、ではなくてご馳走を差し上げます。
」
普通は粗飯、と謙遜するのですが、なんてったって今日の懐石は辻留ですもの〜
なにをか言わんや。
懐石の時二人に一台の膳燭を運び込むのがまた風情があります。
おかげで何をいただいているのかよくわかりました(笑)
銀杏麩の汁にたっぷりしめったご飯、向付は暖かい湯葉。
煮物椀はスッポンの出汁がしっかりきいて、鶉団子は山椒がスパイシーで、器も魯山人やら古染付やら、なにやらかにやら、、、、
もう、舌と目と手が忙しくて忙しくて。
膳燭の芯切りもさせていただきました。(これ、するとロウソクの灯りがまた生き返るので、おもしろいんです)
懐石の終わりに辻留のご主人がご挨拶に席にはいられ、懐石についての質疑応答も。
たいへんたいへん、満足でございました。
ほんまに美味しかった!!

(三条通にある辻留さん。古い町家です)
折敷を一人ずつ引いていくと同時に膳燭も一本一本引いていくので、座敷はまた少しずつ暗さがもどってくるところも見所。
菓子は末富さんの「秋の山(?)」
栗のペーストのまわりにういろうか、こなしを赤と黄色の縞々で巻いたもの。
これをいただいて中立です。

後座の合図は喚鉦にて。
夜咄は陰陽五行では「陰」なので、「陽」の喚鉦をもちいるとか。(ちなみに銅鑼は「陰」)
露地はもう暗闇に紅葉は沈み込んで、露地行灯のかすかな光ばかり。
床には夜咄のお約束の石菖。
短檠の雀瓦も開けられ陽の席へ。
濃茶の主茶碗は新高麗の白っぽい茶碗。夜咄の暗さに黒楽ではちょっとどこになにがあるのか、、、ですよね。
茶入は光衛門さん(瀬戸)の肩衝、仕覆は相阿弥緞子。
続き薄にて出てきた干菓子がこれまた季節にぴったり。
石畳を思わせる落雁の上にイチョウ、ギンナンの干菓子がふきよせられています。
ギンナンは噛むとしっかり中は緑色なんですよ。
この細かい仕事はやはり亀廣保さんでした。(私も愛用しています)
次から次へとくりだされるお茶碗はどれもすてきでしたが、2碗目の数茶碗が南座の茶室ででる定式幕(あの茶・黒・緑の幕)の茶碗だったのには感激。
だってこの日から、顔見世いよいよスタートでしたからね。

最後にこれも夜咄独特の「留め炭」。
水屋の炭斗をもちだして、「どうぞごゆっくり」の意味で。
この時炉の中はまだ赤々とした炭が残っていて、これを火箸でかき上げる、暗い中でこの時ほど炭火の美しさ、暖かさを感じるときはありません。
名残はつきませんが、これは客にとってはおいとまを告げるタイミングの「立ち炭」。
最後のご挨拶のあと、「お見送りはご無用に」と、いうのですが、鈴木先生「ちょっとかわった趣向でお見送りいたします。」
なんだろう、、とワクワクしていると、
チョン!とするどい柝(き)の音(歌舞伎の幕開けにならすやつです)とともにさっと広間の障子が開け放たれ、、、
まああああ、、、、、
先ほどまで闇に沈んでいた紅葉がライトアップされ座敷からの額縁におさまって一服の絵のようではありませんか!
まさに夢のような景色でした。
さすが!

五感の隅々にまで満足がゆきわたるのは、おもてなしの徳はもちろんのこと、暗さの中でとぎすまされた自分の感覚を十分につかえた満足感もあるのでしょう。(ふだん、いかにぼ〜っと使っていないかよくわかる)

お土産にいただいた懐紙とお庭から記念にもちかえった紅葉。
亭主様、御連客様、佳き一時をありがとうございました。
夜咄、、、自分で亭主をするのが夢ではありますが、しばらくはお道具もないことだしもうちょっと先に、、、と言ってる間に体力がついていかなくなったらどうしましょ。
う〜ん、、踏ん切りがつきませんわ。
明るさの代わりに失った五感を少しとりもどせるような気がします。
今回は鈴木宗博先生のご自宅・洗心庵での夜咄です。

席入りのころ、外はまだ明るかったものの、待合の中はすでにうすぐらく、御連客の顔もよく判別できないほどでしたが、目が慣れてくると、、、あら〜!
つい先だって香雪美術館・玄庵茶事でごいっしょしたばかりの高麗美術館ソウルツアーゆかりの(ややこしい説明でスミマセン^_^;)方が。
お茶の世界は狭い、、というより趣味の一致ですね。お仲間がいてうれしい。

まだそれほど寒くないので待合には大火鉢ではなく、やや小振りの火鉢。
中の菊炭が美しい。それに行灯。
汲み出しはあっさりめの甘酒。
そして、露地に出て思わず息をのみました。
庭一杯に枝を伸ばした紅葉のグラデーションのあざやかさ!
そして露地の地面一面に紅葉の落ち葉がいっぱい敷き詰められているではありませんか!
(写真がないのがかえすがえすも残念!)

(これはあくまで参考画像^_^;)
そうか、落ち葉を拾って掃除することばかり考えていましたが、こういうのもありか!
と目からウロコです。
屋根のシノブが味のある腰掛け待合いには小振りの藁灰火鉢と露地行灯。
亭主の迎え付けにて手燭の交換。
これがまた夜咄の風情です。
本席は10畳の広間、短檠と床の間の手燭のみが灯りです。
こんな暗さは日常ではなかなか体験できません。
目だけにたよらず、耳、触覚、気配で空間の把握をしていきます。
床の軸は大宗匠の「寿山 樹色籠佳気」。
時代のついていそうな霰釜がしずかに湯気をあげています。
それにしても灯心の作り出すゆらゆらとした影はなんて幻想的なのでしょう。
影にひそむものの気配まで感じてしまいそうです。(こ、、こわい)
、、、と思ったら、ギョギョッ!!
暗闇にひそんでいたのは(書院)大きめのこれも時代のついた饅頭喰い人形。(伏見人形の代表的テーマ)
鈴木先生のお家は、江戸時代の文書にも登場する江戸一番の高級菓子屋・越後鈴木の家柄ですから、なるほど〜、とそこで感心。
(越後鈴木の羊羹は当時絶品だったそうです。)

ここで夜咄特有の前茶。
水屋道具で薄茶を点て、おもあいでいただく。
どうぞ体を温めて下さい、という気遣いです。
続いて初炭手前。
夜咄のお炭は少し違って、釜を畳中心でなく勝手付まで引いたり、水次で水をついだり、とどこか後炭に準じていますね。
釜肌をたっぷりぬらした茶巾でふくとふわ〜っと上がる湯気がごちそうなんですが、この日初めて霰釜のふき方を知りましたわ。
霰で茶巾がすべらないので、とんとんとおさえるように拭いていくのですね。

ちなみに釜は桃山〜江戸初期に活躍した古浄味(名越家:釜師の家としては一番歴史が古い)。

「それでは粗飯、、、ではなくてご馳走を差し上げます。

普通は粗飯、と謙遜するのですが、なんてったって今日の懐石は辻留ですもの〜

懐石の時二人に一台の膳燭を運び込むのがまた風情があります。
おかげで何をいただいているのかよくわかりました(笑)
銀杏麩の汁にたっぷりしめったご飯、向付は暖かい湯葉。
煮物椀はスッポンの出汁がしっかりきいて、鶉団子は山椒がスパイシーで、器も魯山人やら古染付やら、なにやらかにやら、、、、
もう、舌と目と手が忙しくて忙しくて。
膳燭の芯切りもさせていただきました。(これ、するとロウソクの灯りがまた生き返るので、おもしろいんです)
懐石の終わりに辻留のご主人がご挨拶に席にはいられ、懐石についての質疑応答も。
たいへんたいへん、満足でございました。
ほんまに美味しかった!!

(三条通にある辻留さん。古い町家です)
折敷を一人ずつ引いていくと同時に膳燭も一本一本引いていくので、座敷はまた少しずつ暗さがもどってくるところも見所。
菓子は末富さんの「秋の山(?)」
栗のペーストのまわりにういろうか、こなしを赤と黄色の縞々で巻いたもの。
これをいただいて中立です。

後座の合図は喚鉦にて。
夜咄は陰陽五行では「陰」なので、「陽」の喚鉦をもちいるとか。(ちなみに銅鑼は「陰」)
露地はもう暗闇に紅葉は沈み込んで、露地行灯のかすかな光ばかり。
床には夜咄のお約束の石菖。
短檠の雀瓦も開けられ陽の席へ。
濃茶の主茶碗は新高麗の白っぽい茶碗。夜咄の暗さに黒楽ではちょっとどこになにがあるのか、、、ですよね。
茶入は光衛門さん(瀬戸)の肩衝、仕覆は相阿弥緞子。
続き薄にて出てきた干菓子がこれまた季節にぴったり。
石畳を思わせる落雁の上にイチョウ、ギンナンの干菓子がふきよせられています。
ギンナンは噛むとしっかり中は緑色なんですよ。
この細かい仕事はやはり亀廣保さんでした。(私も愛用しています)
次から次へとくりだされるお茶碗はどれもすてきでしたが、2碗目の数茶碗が南座の茶室ででる定式幕(あの茶・黒・緑の幕)の茶碗だったのには感激。
だってこの日から、顔見世いよいよスタートでしたからね。

最後にこれも夜咄独特の「留め炭」。
水屋の炭斗をもちだして、「どうぞごゆっくり」の意味で。
この時炉の中はまだ赤々とした炭が残っていて、これを火箸でかき上げる、暗い中でこの時ほど炭火の美しさ、暖かさを感じるときはありません。
名残はつきませんが、これは客にとってはおいとまを告げるタイミングの「立ち炭」。
最後のご挨拶のあと、「お見送りはご無用に」と、いうのですが、鈴木先生「ちょっとかわった趣向でお見送りいたします。」
なんだろう、、とワクワクしていると、
チョン!とするどい柝(き)の音(歌舞伎の幕開けにならすやつです)とともにさっと広間の障子が開け放たれ、、、
まああああ、、、、、
先ほどまで闇に沈んでいた紅葉がライトアップされ座敷からの額縁におさまって一服の絵のようではありませんか!
まさに夢のような景色でした。
さすが!

五感の隅々にまで満足がゆきわたるのは、おもてなしの徳はもちろんのこと、暗さの中でとぎすまされた自分の感覚を十分につかえた満足感もあるのでしょう。(ふだん、いかにぼ〜っと使っていないかよくわかる)

お土産にいただいた懐紙とお庭から記念にもちかえった紅葉。
亭主様、御連客様、佳き一時をありがとうございました。
夜咄、、、自分で亭主をするのが夢ではありますが、しばらくはお道具もないことだしもうちょっと先に、、、と言ってる間に体力がついていかなくなったらどうしましょ。
う〜ん、、踏ん切りがつきませんわ。
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● COMMENT ●
NoTitle
お見送りの演出、想像するだけでゾクゾクしました

NoTitle
うーむ。凝りに凝った趣向ですねぇ。
一度お稽古で模擬夜咄をしていただいたことがありますが、視覚以外の感覚が鋭敏になって、普段いかに目に頼っているのかがよく分かりました。
ちなみに私の習っている流派では、霰以外の釜もとんとん拭きます。
一度お稽古で模擬夜咄をしていただいたことがありますが、視覚以外の感覚が鋭敏になって、普段いかに目に頼っているのかがよく分かりました。
ちなみに私の習っている流派では、霰以外の釜もとんとん拭きます。
NoTitle
夜話は独特ですね。本当にサプライズの茶事でしたね。
ここまでの演出はなかなかないですね。う〜ん!
ここまでの演出はなかなかないですね。う〜ん!
NoTitle
やはり、しぇるさま行かれたのですね。私もこれ、参加したかったのですが、どう考えても無理だと諦めていましたが、お蔭様で、少しは参加したような気分になりました!
花咲おばさん様
さすが、、でした。長い立派な茶の湯キャリアがないと、こんなこと私が付け焼き刃でやってもサマになりません。
relax 様
夜咄は何回参席してもいいですね〜。
機会があればなんどでも行きたいです。
自分がやる、、、とはまだ言えないのが残念ですが。
relax様、いかがです?
石州ではそうなんですか〜。
裏では霰以外はさ〜っと拭くので、霰はどうもひっかかるなあ、、と思っていたのです。また一つかしこくなりました。(?)
機会があればなんどでも行きたいです。
自分がやる、、、とはまだ言えないのが残念ですが。
relax様、いかがです?
石州ではそうなんですか〜。
裏では霰以外はさ〜っと拭くので、霰はどうもひっかかるなあ、、と思っていたのです。また一つかしこくなりました。(?)
ひいらぎ様
はい、1年前から申し込んでいてよかったです。
なかなかどなたにもできる、という趣向ではありませんよね、残念ながら。
なかなかどなたにもできる、という趣向ではありませんよね、残念ながら。
そらいろつばめ様
あら〜、もしご参加でしたら文中のさる方々と同じで、またお会いしましたね〜と言っているところですね。
同好の士が多いのはうれしいことです
来年のイベントはちょっと出遅れて、参加できそうもありません。
同好の士が多いのはうれしいことです

来年のイベントはちょっと出遅れて、参加できそうもありません。
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
鍵コメ様
露地行燈、手燭、短檠、炭の火 、、、それだけあれば夜咄がたしかにできそうですね。蝋燭の灯でゆらめく軸を拝見するところを想像し、痺れました。
まずは和蝋燭を手に入れなくちゃ。
まずは和蝋燭を手に入れなくちゃ。
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