吉田塾〜客迎えの室礼+北観音山曳き初め2018 - 2018.07.21 Sat
祗園祭が前祭と後祭に別れて5回目になる。最初はちょっととまどったが、祗園祭の本来の意味をとりもどし、かつ屋台を一切排除した後祭の風情がなんともいえずすてきで、これは大正解であったと今は思う。後祭復興に尽力され、昔の祗園祭の風情をとりもどすことに尽力しはった吉田孝次郎先生の業績はまちがいなく後世に伝えられると思う。

20日は後祭の鉾の曳き初めである。
めざすは六角町・北観音山
吉田先生はこの北観音山保存会の重鎮(元山鉾連合会会長)で今年は真松のくじ引きも担当されたそうだ。このてっぺんの真松を毎年南観音山とジャンケン+くじ引きで先に選ぶ権利を得るのだが、吉田先生、ことごとく勝って、先に松を選ばはった。まさに神がかり。
会所ではお囃子方がスタンバイ中
そして吉田先生のお家(現在はNPO法人に寄贈されているがお住まいです)吉田家住宅は屏風祭りでも有名。
今年度も吉田塾に参加させていただいた。祗園祭の時にこの中へ入れるうれしさ!ずっとずっと憧れていたから。
中から外を眺めるのもうれしい。
いつもは長テーブルがおいてある表の間に(吉田先生の貴重なコレクション)朝鮮綴れを敷き詰めて。
そして、他の鉾町と違って一切グッズを販売していない町内なので、関係者にのみ配られるこの北観音山の粽はレアグッズなのですぞ。

網代を敷いた町家は建具をとりはらうと風が表から奥までさ〜っと通って、外は灼熱地獄だが、ここには微かな涼がある。

生成りの帷子をお召しの吉田先生。本来夏、室町の旦那衆は黒っぽい帷子を着るのが習わしだそうで、この生成りは神事に関わるときの装束なのだとか。
そうこうしている間に曳き初めの準備が進行中
吉田塾のみなさまは二階から鑑賞。(これもずっと憧れだったなあ)
私はまず南下するときに曳いて、あとは高見の見物としよう。
保存会の役員さん
夏の黒紋付きを召されると男前が2割増しになるね。
あたりを睥睨するかのオーラをただよわす吉田先生
さあ、曳き初めの始まり
まずは先に四条通りあたりまで出ている南観音山を追ってその会所を越えるまで南下
曳くよ〜♪
祗園祭アドレナリンが一気に分泌されるひとときだ。
北上するときは吉田家の二階で、お囃子方と同じくらいの高さでこれを見る。
巡行当日には後に大きな柳を背負うのだ。
北は三条通りを越えるところまで
こうして見ると長〜い綱だね。
新町通りはけっこう狭いので、それなりにスリルがあって、これぞ醍醐味。昔、四条通りがまだ狭かった頃の写真を見たことがあるが(四条通り拡張のために今の八坂神社の西楼門は移動させられたのよ)、当時は四条もこんな感じだったのだろうな。
北観音を追いかけるように、南観音山がやってきた。
いいねえ、この角度から見るのは。
祗園さんのお囃子は何回聞いても心がさわぐ。
南観音を見送ったあと、ふたたび南下して会所につけるところまで曳くことにした。
ちなみに吉田家の二階はこうなっている。
帰りの南観音の音頭取りは一人でがんばっている。
無事、鉾が会所についたら、曳いた人にお菓子券のおふるまい。
うふふ、、、チョコモナカ。
暑いときにこれはうれしい。
ふたたび吉田家の座敷で六角飯(六角のもっそうお赤飯)
もちろん六角町、そして北観音山のシンボルにかけてあるのだが、もともとこの祭礼の客迎えに、吉田先生が奥様といっしょに考案されたものなのだそうだ。
祗園祭山鉾巡行のガイドとしては一番詳しくて見やすくわかりやすいと思う「イラスト祗園祭」(京都新聞出版センター)、この筆者でもありイラストレーターでもあり、外科のドクターでもある多彩すぎる下間先生のお話しを聞く。
三々五々解散していたら、表の間で毎年ここで祗園祭の花・ヒオウギを生ける花政さんが。
おお〜!
さすがプロや。
そして宵々々山で、燈火がはいるとこうなる。
後祭のよき風情を楽しむ。
駒形提灯にも灯がはいった。
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