近衞家と松平不昧公二百年記念茶会〜孤篷庵〜復元なった大圓庵 - 2018.11.05 Mon
遠州流の女流茶人である堀江先生の大徳寺孤篷庵でのお茶会である。(先生の亡きご主人は、古筆研究者・書道史家の堀江知彦先生)
この春に、不昧公ほか歴代松江藩主の墓所である月照寺でされた、不昧公記念茶会も記憶に新しい。あの時は孤篷庵の小堀亮敬師とともにかの喜左右衛門井戸もおでましになり、ガラス無し至近距離で拝見できたという忘れられない思い出がある。

かの有名な茶室・忘筌を有する孤篷庵
今回は、不昧公二百年のほぼフィナーレと、先生とご縁の深い陽明文庫コラボの茶会である。くわえて、かねてより復元中だった不昧公が自らの京都での菩提所として建てた大圓庵の完成した姿が見られるのである。
大圓庵は昨年復元中の姿を見せてもらった。あの時はまだ畳のはいっていなかった八畳の広間が、今回の濃茶席になる。復元中は隣接する小間や水屋、仏間、棟梁の遊びゴコロのまま作った三畳の茶室などを拝見できたが、今回は広間だけであったのが残念。小間や三畳の茶室も見たかったなあ。(特に小間は意匠がこっていて楽しみにしていたが)
広間は昨年おおよそ出来上がっていたので、思い出しながら完成形を見る。如庵写しのような点前座の前のアーチ型にくりぬいた板、亭主が大名=不昧であるがゆえに一般とはことなり点前座の天井が真の鏡板、床の前が草の網代、客座が行の竿縁になっている。復元中も説明してくれた棟梁でもあり建築士でもある方が、今回も説明してくださった。
寄付に掛けられたのが陽明文庫のお宝。
藤原定家詠草・泊瀬山と近衛信尹の和歌詠草。こんなの普通はガラス無しではまず見られない。字もさることながら、表装があまりに美しい。小袖の手のこんだ刺繍の部分かとも思うが、そこはさすがに近衞家、お公家さんの雅だ。堀江先生ご自身も華やかでみやびな蝶のお着物をお召しでぴったりであった。
本席=大圓庵ではよくご一緒の席になる徳禅寺の和尚様がお正客で、やや型破りでいらっしゃるが(^_^;、聞きたいことはもれなく聞いて下さるし、お勉強になる。
軸は孤篷庵中興の寰海和尚と同時代を生きた不昧公の両筆
寰海が「是什麼(What's this?)」と聞けば「山是山 水是水」と応じる。
点前は真台子に南鐐の皆具(不昧好み)!こうくれば茶碗はやはり天目よね〜と思ったら、次々とくりだされる名物の天目と天目台シリーズ。陽明文庫伝来の建盞、遠州所持の瀬戸天目、松花堂所持の黄天目、玳皮盞天目、、、これで飲んだお客様も。私は末席だったので替え茶碗、現代の磁州窯天目であったが、これらお宝を触らせてもらえたのは夢見心地である。
印象的なのが古銅にいけられたのがこの季節でありながらの牡丹。雲州の牡丹の名所大根島から取り寄せた物と聞いた。はるばる不昧の治めた地からやってきたのだ。
濃茶が、先代の孤篷庵好みの「一瓢乃昔」であり、お詰めは丸久小山園、なんとお隣にすわられてお話しをさせていただいた方が小山園の偉いさんでびっくり!先日使ったずぬけて高い小山園の「天授」の話でちょっと盛り上がったのも楽しい思い出。
(これは我が家のホトトギス)
薄茶席は忘筌
もう少し早い時間であったら砂摺りの天井に露結の蹲居の水が反射してきれいなのに。
床は濃茶席と同じく、寰海和尚の一行「落葉両三片」
不昧公の人となりをちょっとうかがわせるのが手作りの香合。伊羅保みたいな土だが、問題はその形。茄子のようなトマトのような、、、と思ったら銘まで「瓜か茄子か」ヽ(´∀`)ノ
箱が、茶をよくした不昧公の娘・玉映(幾千姫)のもの、というのに家族愛を感じるのだが。この玉映さん、手作り茶杓も使われていた。
茶器が、不昧公おかかえの小島漆壺斎の花兎蒔絵。表情やポーズがちがう兎がたくさん、それぞれかわいらしい。主茶碗は出雲伊羅保であった。おそらく不志名か楽山か?
この時はまだ10月であったが、はやくも忘筌は炉になっていて、その炉縁の竜田川蒔絵がまたすざまじく見事で美しかった。
茶会終わりに感想をくちぐちに語りながら、お客さん皆ごいっしょに点心をいただき、さっそく住所交換する茶人のクセ(^_^;
ご遠方からの方も多く、新幹線の時間を気にしておられる方も。私は、スミマセン、でも京都に住んでてヨカッタ!とまたしみじみ思うのです。
この10月で京都移住まる8年が過ぎたことになります。
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