畠山記念館の秋の茶会 - 2018.11.14 Wed
シロガネーゼ?の住む閑静な住宅地の一画にたたずむここは、荏原製作所創立者であり、お茶を愛した近代数寄者のひとりである畠山即翁のかつての私邸であり、茶の湯コレクションを擁する美術館になっている。
前回来たときに、広大な日本庭園の中に散在する茶室が、あまり使われていないのか感、荒廃感があったのが気になっていたのだが。
ひょんなことから今年夏、東京の裏千家のすてきな先生のご縁をいただき、ここで釜をかけるからいらっしゃいよ、というおさそいに一も二もなく諾!の返事をしたのであった。

入り口に近いところから沙那庵、明月軒、翠庵、ここで受付をすませて、さらに奥へ。
小鳥の声など聞きながら、ここは文字通りの市中の山居
まわりが住宅街とはとても思えぬたたずまいである。紅葉にはちと早いが。
記念館本館をこえてさらに奥に行くと広間と深三畳台目の小間のある毘沙門堂席。
光悦垣などもある腰掛け待合い周辺で待つこと約1時間超、東京の茶会はいつもこんなに待つのか〜と思ったが、これでまだ少ない方だと聞いた。待ちながら京都とはちょっと違う東京のお茶事情などもあれこれ拝聴。そして思ったのが、少なくとも和菓子において、京都は苦労というものがない、ということ。
(落ち葉の入席券)
こちらは小間での濃茶を。
久々にお目にかかった先生は、私の母より少し若い世代かな、ずっとお茶一筋でそれでいてとても明るくてさっぱりしててオープンな方。袖振り合っただけの私に、お茶会の券を送ってくださるくらいだから。覚えていてくださったのがうれしい。
私がお目にかかった、母親世代のくらいのお茶の先生はどうしてみなさん、とてもすてきなんだろう。お茶にせよ、世相にせよ、くぐり抜けてきた時代が今と違う気がする。
即翁さんのこの小間の茶室もすばらしいが、先生がお若いときにもとめられた思い出のお道具や、買ったままずっと忘れてたとおっしゃるもったいないお道具や、思い入れがどれにもあって、一緒に茶の湯の歩みをすすめてきたお仲間同士と言った感じで、とても暖かい気持ちにさせていただいた。
こちらは新座敷とよばれる座敷、植栽できれいにしてあるが、実はこの一歩外は住宅街なのである。
京樽さんの点心をここでいただく。
こちらは小間の翠庵、表千家の先生が濃茶席をかけてはったがここは入れず。
一様にここのお庭の踏み石はとても高くてあちこちでこけそうな人を見た。確かに足元があまりよくない。聞けば柔らかい土壌なので、長い年月に土が流されて石だけが高く残ったからなのだそうだ。即翁さんもそこまでは読んでなかったらしい(^_^;
沙那庵は、囲炉裏風の隅炉がある三畳の畳の間プラスまわりに土間があるカジュアルな野趣あふれる茶室。即翁さんは仕事相手とか気のはらないお客様はここに通して、お茶を一服点てながら話をしたそうだ。
これは入り口の庇の裏だが、中もこの網代がびっしりの天井であってびっくりした。
こちらでは大日本茶道学会の先生が薄茶を。御茶碗が献上唐津とか珠光青磁とかちょっと私の好きなあたりであって、うれしかった。
最後は広間の明月軒にて薄茶席、こちらのお菓子が今季初の亥の子餅。
お道具は明るくて華やか、THE裏千家!(どんなん、それ?(^_^;)というラインナップであった。
不使用時の茶室の荒廃感にちょっと心配していたが、とにもかくにもこうして使われている茶室はまったく別物で、生きているのだなあと、よけいなお世話ながら安心したのであった。
最後に本館で展示を見る。
ここの美術館はとてもこぢんまりしているが、雰囲気が結構好き。
今の展示は三渓園の「原三渓展」
三渓翁の茶の湯コレクションが即翁にまけずまたすごい。
光悦の赤楽「李白」、古瀬戸肩衝「畠山」(美術館の名前にかけたわけではないよ)、古備前火襷水指、などなど。
ほんまにあのころの近代数寄者のおかげで、こうしてわれわれもこういう名品を見ることができる。
そういえば即翁のモットーは「即翁 衆と愛玩す」
これらのすばらしいコレクションの美しさをを多くの人と共有したい、そういうことだから。
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