勅封般若心経1200年戊戌開封法会〜大覚寺 - 2018.11.27 Tue
奥嵯峨・大覚寺
60年に一度だけひらかれる扉が今まさに開いている。

明智門
明智光秀が居城としていた亀山城(現・亀岡)の門を移築したもの
大覚寺宗務所と華道嵯峨御流の本部へ続く入り口
再来年の大河ドラマが明智光秀が主人公とあって、ここもきっとロケに使われるのだろうなと思う。
そしてここも明智陣屋、亀山城の移築である。
今回ご縁をもってこちらから入らせていただき、お坊様の説明付きで拝観
さて、その60年、戊戌(ぼじゅつ・つちのえいぬ)の年である。
時は弘仁9年(818年)、時の帝、嵯峨天皇は全国におこった干ばつや疫病を憂い、これを、まさにおさめんと、弘法大師のすすめのもと、般若心経に帰依し、紺地に金字で心経を書写した。
するとたちまち疫病はおさまったという。
この霊験あらたかな般若心経は勅封され、秘蔵されることになるのだが、その弘仁9年が戊戌の年であったため、60年ごと戊戌の年に勅使によって開封され開封法会として公開されるのだ。
今年がその戊戌の年、10月から今月末まで、それが公開されている。嵯峨天皇が書写されてまさに1200年、そして私には最初で最後の拝見のチャンス。(さすがに今から60年先は生きちゃいね〜)
勅封心経殿
大覚寺に来るたびに目にしてはいたが、そうか、この建物であったか。
こちらに嵯峨天皇御宸筆般若心経が。ここに入るためにたくさんの人が行列を作っている。
入殿に先だって、手に塗香して清める。
ガラスの向こうに1200年たったとは思えないくらい美しい金字の心経が。
嵯峨天皇は平安の三筆のひとりであるから、その字の美しく気品あることは言うに及ばずだが、撚りを掛けない絹糸で織ったという紺地がまたすばらしい。
巻頭に阿弥陀三尊?釈迦三尊?が描かれていたらしいのだが、これはどんなに目をこらしてもよく分からなかった。
(嵯峨菊が境内のあちこちに。さすが嵯峨御流の本家)
のちに宝物殿で、近代技術を駆使して復元した心経を拝見したが、書かれたばかりの頃はこんなに金字も鮮やかで、阿弥陀三尊も金色に輝いていた、というのがわかる。
勅封は嵯峨天皇を嚆矢として、他にも宝物殿に開示されているのが後光厳天皇、後花園天皇、後奈良天皇、正親町天皇、光格天皇の般若心経。でもやはり、嵯峨天皇のがダントツやわ。
大沢の池には枯れ蓮がわびしさをそえる。
(1年前、ここで池に舟をうかべて茶会をしたのが懐かしい)
桓武天皇(父)ー平城天皇(兄)ー嵯峨天皇(弟)の系譜は、親子の確執やら薬子の乱やら権謀術数がうずまいた時代でもあった。そんな時代を生き抜いた、そして空海大好きだった嵯峨天皇の時代にはるかに思いをはせる。
あとは境内で、奥嵯峨の紅葉を楽しむ。
ここは今年の、関西をえらいめにあわせた台風の直撃を受け、被害が大きかったと聞くが、まさに倒木がそのままだったり、折れた木の切り株だけが残ったりで、その爪痕はいまだに残っていた。
恒例の中秋の名月観月宴も中止になったが、お聞きするに竜頭鷁首の舟が沈没したのだと!
さらに宸殿の半蔀を閉めなかったために、奥の狩野某の襖絵の襖がみなぶっとんだとか。あっというまの出来事だったらしい。
それでも今は心静かに。
般若心経、紅葉の美しさにこころ洗われるひとときであった。
人出は多かったが、人混みをすりぬけ特別にご案内いただいたのはNK様のおかげにて、帰りにさきほどの紅葉かとみまごうお菓子まで頂戴した。感謝感謝、そして合掌
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